はてなキーワード: 成人式とは
日本の制度だと、結婚していた方が子供にとってクリーンだし行政の補助も受けられる。
補助に関してはシングルでも受けられるけど、そもそも、ある程度の稼ぎが無いとワンオペ育児しんどいだろうし。(金があれば人を雇えるので)でもシングル対象の手当も出るし実際はイケるのか?わからんけど。
たとえば夫が積極的にオムツを変えなかろうが他の部分で補完しあえていれば良いのだろうし、このへんは個別の事情として。とりあえず手は増えている。
んで、別に子供は考えてないけど結婚したいって、なんで?って思う。
結婚で行政から補助金出るとはいえ、一回だし。扶養手当なんかも共働きだったら誤差の範囲では?という気もする。
子供も特に生みたくない。十ヶ月も行動制限されたあげく、生んでも母乳が止まるまで乳から液体が垂れ流しになるとか未知すぎて気持ち悪いタイプの人間なので。あと無事に生んでもホルモンバランス崩れるし体の線も崩れるし、とにかく体弱るし老ける。芸能人が生んでも美しいままなのは産後ケアを努力と根性と金かけてやってるからだよ。あと一部の特異体質。
骨盤がもとに戻るまで赤ん坊に構ってられません、とか一般人には許されない。
そもそも、結婚相手の三等親までクリーンな経歴かって、わりと博打。
というか神前式とかならまあ七五三とか成人式とかの流れで馴染みもあるし、神仏習合の意味で死後は仏教の墓に入ってきた家の育ちが殆どであろう日本で、まあ不思議でもないんだけど。
ドレス着てファッション牧師にチャペルもどきで特に信仰してない唯一神に誓いを立てる意味が分からない。コスプレ撮影会の豪華なやつとしか。あと披露宴で親族に友人知人に職場関係者の晒し者になるの楽しくない。余興とか別に、ほんと楽しくない。友人にうすらさむい賛美のスピーチしてもらうの楽しくない。
でも親類縁者に結婚報告は何かしらの形で必要かもしれないので、やっぱり趣味で形態が違うだけ、としか。そんで私はドレスを着る趣味がない。
もともと独り言のつもりで書いたので、ナルシストな表現があるのは大目に見てください。
初めて体重を気にしたのは小二の頃。
体重計に乗った時の数値が以前よりも大きくなっていることを気にしたのか、その年代の平均値よりも大きいことを気にしたのかは覚えていないが、体重計の針が示した数値ははっきりと覚えている。
その時は25kgだった。
周りと同じセーラー服が着こなせなかったのだ。
私の腕は、他の女子生徒が袖からのぞかせるものと同じように細くはないし、なんだかブツブツしている。
それに、体育が極端に苦手だった。他の人は軽々と走るトラックが何よりもキツかった。
きっとそんな自分は、他の人の目にはみっともなく映っているんだろうと思った。
ただ、この頃の私はまだましな方だったと言える。
家族もまだそこまで太っていない、普通体型だと言っていたし(それでも太ってはいたが)、何より中学では成績優秀、昔から活発な性格を知っている友人が多かったので、太っていることを何も後ろめたく感じる必要はなかった。
それに、中学生の頃までは私自身美醜の基準がわからなくて、自分の容姿が優れていないことを知らなかったのだ。
中3の時に仲良くなった、かなり容姿が優れている男友達は私に対して恋愛感情を抱いているようだったし、それ以外の人からもモテた(ただ、この容姿端麗な男友達と比べて私がかなり太っていることに対しては、私自身何か思うところはあった。それにこの男友達は美醜の感覚が壊れているようで、誰よりも男前な自分の顔を不細工だと言っていた。その目で見た私に恋愛感情を抱いていたということは、つまりそういうことである)。
言ってしまえば、自分の容姿が優れていないのに明確に気づいたのは高校生の頃だった。
腹が減った以上仕方がないと、食べるのが好きな私は頻繁にホットスナックを帰り道に食べた。
太っている人間が太るものを食べている姿は滑稽なので、隠れながら食べた。
私は時々、自分の体型をいじられた。
脚の長さを測られたり、太っていると言われたり(実際太っているが)した。
それによって、人並みに傷ついた。
顔については明確な言及はなかったが、周囲の人(とくに男子生徒)が私に対してはかなり不機嫌そうに話すのを見ていると、顔も悪く、太っていて、容姿はかなり悪かったんだろうと思っている。
実際、この頃に撮った写真に写る私は、髪も汚く肌も汚く、笑顔は醜くて眉毛が太い、極度に太った姿をしている。
太るものを食べていたら「そんなの食べてるから太るんだよ」と思われそうだし、痩せるものを食べていたら「そんなの食べてんのに痩せてないじゃん、意識だけは高いね」と思われそうである。
実際、これは誰にも言われたことのない言葉だが、常に思われているのではないかと怯えていた。
それゆえ、外食をするときは店に知っている人がいないかよく探した。
他人からどう思われるかなど大して気にしない私でさえ、こうである。
それほどまでに、太っているということは自信を失くさせるものなのだ。
きっと、太っていて繊細な女の子には、もっと色んな場面で、もっと色んな罵倒の言葉が聞こえているんだろうと思う。
高校の3年間は太り続けた。
受験期が近くなったために高3では外で勉強をするようになり、それに伴って休日は基本外食をした。
毎回、ラーメンやハンバーガーなど、太るものばかりを食べ続けた。
それ以外の時間も、腹が減れば食べた。
食べることぐらいしかストレスの発散方法がなかったのか、元々食べるのが好きだったからなのか知らないが、とにかくよく食べた。
このままだと痩せられない、ずっと太ったままだから、今日で太るものを食べるのはやめようと思っていても、やめられなかった。
「痩せる」ということがかなり遠い道筋のように思えて、どうも継続ができなかった。
その時よく見ていたサイトでは、どうやら私はBMIが28と少しあって、標準体重よりも16.5キロ重いらしい。
時々ダイエットを決意しては数日で諦め、熱意を忘れた。痩せなければという意識、自分の滑稽な容姿に対する後ろめたさだけが常に頭の片隅にあった。
写真に写るときは少しでも痩せて見えるように工夫したし、それでもその後見た写真には他の人よりも著しく太った自分の姿が写っていた。
高3の頃に、こんなに太っていても仲が良くなったクラスメイトとの写真にも、太っているから喜んで写ることができなかった。
太っていて、顔も優れておらず、髪も汚い私には、どんな服を着こなすことも難しかった。
まず、「着たい服」ではなく「着られる服」を着るようになる。
「着たい服」など、考えられなかった。
少しでも痩せて見える服を好んで着た。
どのウエストラインにすると痩せて見えるかばかり気にして、私服を着たときは鏡の前で数分にわたって腰を調節した。
それでも、ふとした時に鏡やガラスに写る自分はかなり太っていて、腕も汚く、特に横から見た時の腰の太さが異常だった。
運動もせずに、友達とも遊ばずにテレビなんか見ているから太っていて垢抜けないんだろうと思っていた。
それでも、垢抜けた人のようにオシャレな格好はしてみたかった。
この汚い顔、太った体でもできるオシャレといえば、髪飾りぐらいだった。だから、髪飾りはよく購入した。
金のピン、青いリボン、カラーゴム、シュシュなど、あらゆるものを買った。青いリボンをつけた日は、いつもより可愛くなった感じがした。
それでもやはり、あまり変わらなかったが。
ファッション誌も読んだりしてみた。
しかし結局、ファッション誌でさえ遠い世界のように感じられ、誌上の情報を断片的に真似してみては全く垢抜けない、そんな様子だった。
街中では綺麗な人しか見かけないし、綺麗な人はどうしてあんなにも綺麗なのか気になった。
同じくらい太っているのに綺麗な人もいた。あの人たちと自分は何が違うのかわからなかった。
成人式でも、私は醜かった。
成人式の頃にはかなり太っていた。両親と横幅が大して変わらなかったし、下ろせない髪によって隠せなくなった輪郭は、顔の肉を強調させた。晴れ着を着たら多少は綺麗になれると思っても、実際には綺麗になれなかった。せっかくの写真も、何も嬉しくなかった。
大学生なってからも変わらず、ウエストラインを調節し続け、周りを気にしながら外食をしていた私は、大学3年生の時に急に思い立ってダイエットを始める。
「暇だから痩せよう」とかの軽い気持ちで、たまたまそう思った日の前日に2万歩近く歩いていたからとか、その程度だ。
痩せるためには食事管理と運動だよな、とか思いながら、食事管理アプリで一番ダウンロード数が多いらしい「あすけん」を入れた。
痩せることは大変ではなかった。
あすけんは、健康的に痩せることをモットーとしているアプリらしくて、(賛否両論あるが)それなりに沢山のものを食べることができる。
ダイエット中でも、世間一般で言われているような「揚げ物は食べてはだめ」とか、「毎回白米の量を半分にして」など、する必要がなかった。
規定値に収めることができれば、ファストフードだって食べられたのだ。
ただ、規定値に収めるために、お菓子を食べることは必然的になくなった。
むしろ、食事管理を通して自分の食生活を数値上で管理できるようになったことで、いつの間にか太ってしまうのではないか・想定外のことが起こってしまうのではないかという不安がほぼ全て払拭され、ストレスがなくなった。
歩くことも苦ではなかった。
脚はかなり疲れたが特に大変さは感じなかったし、モチベーションなども保つ必要がなかった。
歩いている途中、どうしてもしんどくなったときは、6月のライブ(のちに10月に延期になる)までに必ず痩せなければいけないことを思い返したり、曲で歌われている美人な魔性の女のように自分がなることを妄想したりするなどして乗り切った。もっとも、こんな容姿で美人になることを妄想するなど、言語道断であるが。
そうこうして、痩せた。
夏の時期は中弛みなどあったが、合計16キロほど痩せることができた。
ウエストは20cmほど細くなったと思う。
標準体重よりも少し重いが、ダイエット中は体重の数値よりも骨格筋率・体脂肪率などを重視したため、この体重でも見た目は普通の人よりも少し痩せている程度になったのだ。
痩せても大きいままだった胸に対して腰は標準より細く、腕は少し太いものの一般的な太さになっている。
痩せてまず、服を買うのが楽しくなった。
初めて服を買った。大学3年生にして。
ジーンズを履くなど、太い脚が強調されてしまって私には絶対無理だと思っていたが、憧れの黒スキニーを履くことができた。
思い返してみれば、その時はまだダイエットを初めて数ヶ月しか経っていなかったため、まだ着こなすことはできなかったが。それでも当時は嬉しくて仕方がなかったのである。
家族とアウトレットに行くのも楽しくなった。自分の表現したいことが、服で表現できるのが何よりも楽しかった。
6月には、以前買ったスーツがあまりにもブカブカになってしまっていた。そのため、スーツを新調する必要があった。それが何よりも嬉しかった。
周囲、特に家族からも褒められた。私自身は大したことをしたつもりはなかったが、母はことあるごとに私のダイエット成功を努力の結晶だと褒め、認めてくれた。今私は母のダイエットを手伝っている。
遠く離れた祖母も、久しぶりに会った時はずっと痩せたことを褒めてくれたし、それ以降も電話でよくダイエットの話をしては褒めてくれる。認知症が進行したもう一人の祖母も、ふとした時に私が痩せたことに気づいて喜んでくれた。
かなり痩せて、体型も標準に近くなった頃、垢抜けようと思った。
眉毛も剃った。3分の1の太さにまで削った。これで丁度よかった。
そして、メイクの仕方を変えた。スキンケアを覚えた。色んなものも買った。パウダー、マスカラ、ビューラー、グロス、コンシーラー、アイライナーなど。
黒いアイライナーを引くことで、私の強い目力はちょうど良いほどに強調され、かなり化けるようになった。時期は大学3年の12月ごろ。
黒いアイライナーは、たまたまYoutubeで見ていた動画に出てきた女性が黒いアイライナーを使っているのを見て、真似して買った。安物だが、これが私からしたら魔法の道具だった。
もとの顔も、痩せて眉毛を削れば悪い顔ではなかった。少しばかり人中が長いが、その程度大したことはない。
顔の比率も理想に近く、肉の取れた輪郭は綺麗な卵型で(若干面長だが)、顔は普通のサイズよりも小さい。昔から姉と母に言われていた言葉(太っていたので信じていなかったが)は、本当だった。目の大きさも平均値より大きく、力強い目は目鼻立ちをはっきりとさせ、鼻筋もある程度通っている。目と眉毛の距離が近く、口も大きく、芸能人レベルではないがまさに顔タイプエレガントといった形だ。キリッとした顔つきは、周囲の人に賢そう・しっかりしていそう・頼りになるといった印象を持たせる。縮毛矯正をし、アイロンで伸ばした髪は、顔の力強さに負けていない。あの太かった眉毛に伴う長いまつ毛は、私の目の美しさを作り上げている。立体的な造形の顔と長頭の形は横顔の形を綺麗にし、腰の細さを強調させる。
この顔が、さらにメイクで化けた。黒いアイライナーはよりはっきりした目へ、書かれた眉毛はより凛とした表情へ変化させ、色白で力強い顔には真っ赤なリップも映える。赤いアイシャドウや濃いチークにだって負けず、それどころかより顔を華やかに彩る。マスクを取っても、整った顔立ちは変わらなかった。マスカラではっきりとさせた長いまつ毛は、少し目を細めて現れた奥二重に重なって、憂う表情を美しく彩る。
街を歩けば、通行人が振り返った。周囲の男子学生や男の人が私にだけ優しくする場面だってあった。よく色んな人から眺められた。見惚れられた。彼氏もできた。いつも私の顔を美人だと言ってくれる。ネット上のコミュニティでは、私が美人だという話がよく話題になった。実際に出会ったネットの友達は、女慣れしている人でも私の姿を見て固まっていたし、明らかに優しくなっていた。どうやらその後、写真で見るよりもずっと美人だったと言いふらしていたらしい。私の姿を見て美人だと言わない人はいなかった。昔はあんなに綺麗に見えた通行人も、今思えば普通の人だ。
醜く太った、毛深く垢抜けない女から、誰もが認める美人になった私は、お洒落に目覚めた。真っ黒なワンピース、激しいピンクの色、かっこいいベストなど、強い色の服や上品そうな服を身に纏った私は、ミステリアスで不思議な魅力を持つ美女とも言えた。イヤリングは顔の煌めきを増大させるし、特殊な色のネイルにだって負けなかった。
痩せて美人になってからの私は、よく音楽を聴くようになった。聴く音楽の対象が変わった。
美しい歌声で歌われる妖艶な曲に自分を重ね合わせたし、繊細さを重ね合わせたような曲のような価値観を持ってみたいとも思った。私の容姿だと、そのような価値観を持っていてもきっと絵になると思ったからだ。私はここ数ヶ月間、美人な自分と美しい曲を重ねては、綺麗な自分に酔いしれ続けている。それはもう、異常なまでに。
きっと今までずっと醜く、虐げられるように生きることを続けてきたから、その反動が大きかったのだと思う。もう周りを気にしながら外食をする必要なんてない。大手を振って表を歩ける。私は痩せて美しくなってから、以前のようにこそこそと生きる必要は無くなったのだ。
そしてこれからしばらく、美しくなった自分に酔いしれ続けるのだと思う。綺麗な服を集め、もっと上品になって、周囲の人からは高嶺の花として扱われて生きるのだ。
それでも、つい一年前まで醜かった自分の影は消えない。私が美しくなったのはここ数ヶ月での話しだから、それまでに虐げられてきた記憶の方がずっと長い。目を閉じれば、高校生の頃のクラスメイトの男子生徒の、私にだけ雑な扱いをする様子がフラッシュバックする。今だって、太っている人や不細工な人を馬鹿にする言葉には腹が立つ。容姿が優れている友人と扱いが違うことを語った漫画やツイートには、思わず共感して読んでしまう。所詮ここ数ヶ月で綺麗になっただけの私は、外見が変わろうとも中身はほとんど全く変わらないのだ。昔の醜かった自分を見下し、悦に浸りたくとも、浸り切ることはできない。
しかし、やりたいことはある。太っていると周囲の人が本性を表すとは本当のことで、きっと私に対して明確に態度が悪かった人は、そういう人なんだろうと思う。そして、私が太っていた時から仲が良かった人は、本当にいい人なのだ。
私のことが、高校の頃から好きな人がいるらしい。もうすぐ4年になる。私は彼に対して恋愛感情はなかったので、ずっと見てみぬふりをしてきたが、もし今の彼氏と別れたら、会いに行こうと思う。
その友人も容姿はそれほど優れていないし、言ってしまえば内気な人だ。きっと、人の容姿などもあまり気にしないんだろうと思う。
それでも、こんなに美人になった私をみてほしい。彼が好きになったのは私の容姿ではないにしても、昔よりも綺麗になった私をみて、感動してほしい。そして、それでも中身は変わっていないことを伝えたい。
あなたにはネットメンターはいるだろうか。あなたが尊敬しているところの、例えばブログとか書いてる人で、考え方が人生の参考になるような人のことだ。
自分は今30代になったばかりだ。これまでにネットメンターは四人いた。それぞれ、当時は夢中になってブログを楽しんでいた。
今となっては活動をやめている人が多い。でも、やっぱり今でも感謝というか、これは灌漑というのだろう。自分という人間は、その人らの考え方を楽しむには齢を取り過ぎてしまったのだなぁ、と感じることがある。
今回は、素人の拙い文章になるけど、懐かしい記憶を堀り起こしてみたい。なお、皆さんおそらく存命だと思うので、ブログへのリンクとかは貼らない。迷惑をかけないためだ。
1人目 げっべさん
未成年の頃だ。当時、携帯電話を買ってもらったばかりの自分は、mixiに登録していた。それで、コミュニティを探していたところ、「笑っちゃダメな時に笑っちゃう」というのを発見した。
どういうコミュニティかというと、文字どおり笑ってはいけないシチュエーションで噴き出してしまい、周囲から冷たい視線で見られた、恥ずかしい思いをした体験を参加者が綴っていくのだ。
人間、飲み会なんかで皆が笑っている時に黙っていたりするのは、まだ何とか許される。しかし、葬式の最中にいきなり爆笑したりなんかすると、周囲の視線が冷たいだろう。このギャップはなぜ生じるのか。当時、中学生だった自分には新鮮な疑問だった。
それで、この当時から登録者20数万人を抱える当コミュニティの管理人がげっべさんだった。過去日記を見たところ、ナチスドイツのヨーゼフ・ゲッベルス宣伝相大臣から名前を拝借したと思われる。
過去日記で、いろいろ面白そうなやつがあったので覗いてみたところ、これがまた最高だった。視点が斬新で、文章力があって、知性が抜群だった。
あとは、この人はDLsiteでR18の同人作品を作って売っていたのだが、その関連で創作における女性性について語るところの新鮮みが凄かった。あんな論説は見たことがないし、今後も見かけることはないだろう。シロクマ先生でもメロンダウトでもフミコフミオでも書けない。基本読書の人ならなんとかなるかもしれない。
実は、メッセージを何度かやりとりしたことがあるのだが、当時中学生だった自分にも優しく接してくれて、まさにTHE★大人だった。神だった。この御方こそが人生最初のネットメンターだ。
30代になった今、久しぶりにmixiにログインしてみた。友達だった約50人は全員mixi利用をやめていた。確認しなくてもわかる。確信があった。
プロフ画面を眺めていたところ、若かりし日のアルバイト先でみんなに可愛がられていた高校生の『ゆめちゃん』が、今では32才になっていた。あまりにリアルな現実だった。信じられないよ……。
感傷はなくて、温もりのある懐かしさがあった。薔薇の香りや、紅葉の美しさがわからなかったあの頃の、子どもっぽくて拙いコミュニケーションの思い出が蘇ってきた。私は、あの頃はどんな思いで人生を過ごしていたんだろう。感慨が込み上げてきた。それから小一時間、mixiの思い出めぐりを楽しんだ。
で、げっべさんの話に戻るんだが、今ではあの人について何となく理解できるつもりだ。おそらく、今でいうところの発達障害とか、自閉症とか、そういうTypeの人だったんじゃないか? と思う。いや、当時のメッセージのやり取りとか、あの人がDLsiteで売っていた作品を再度鑑賞したり、ほかにもいろいろ思い出してみたけど、たぶんそうだ。
いわゆる、人生を生きるのが難しいタイプの人だったと思う。でも、そんな苦しい状況の中でも、mixiで屈指の人数を誇っていたコミュニティの管理人を務め上げて、創作活動もしていて、何より哲学的かつエロティックな日記が神髄の人だった。
今改めて、感謝を申しあげたい。当時は生意気な中坊~高校生だったと思いますが、いろいろとありがとうございました。
2人目 伴さん
この方を知ったのは、当時新卒で入った組織で苦悩していた時だ。偏差値45ほどの大学を出て、生まれ故郷の市役所に勤めることになったのだが、まあこれが辛い日々だった。
地方公務員ってさ、どんな人が職場に適応できると思う? ブクマカなら知ってるかもだけど、小学校や中学校で内申点が高くて、地元名門校に入学できるような人が地方公務員に向いている。早い話、クラスのリーダーとか、ムードメーカーとか、生徒会長とか、スポーツ万能とか、とにかく何らかの形で先生から高い評価を受けていた、そんな感じの人だ。
自分は違った。コミュ障だったり、ネクラだったり、納豆だったりして、クラスに馴染めなかった。「置かれた場所で咲きなさい」とはいうけれど、発芽すらしなかった。そんなモノが社会人になっても通用するはずがない。
そんな時に、伴さんのブログに出会った。この人は防衛省に勤める国家公務員だった。自分と同じく、公務員に適応できないタイプの公務員。ただし、自分と違って仕事ができるし、頭はキレるし、嫁さんもいるし、お金持ってるし、なにより理想に向かって匍匐前進している感じが格好良かった。当時は、目に穴があくほど彼の記事を読んだものだ。
で、この伴さんは協調性のなさが災いして、職場でいろいろひどい目に遭っていた。それでも努力をやめない姿勢がすごかった。当時20代半ばだった自分は、それらを見習っていた。
伴さんのように米国株投資を始めて、FXも始めて、タバコを吸い始めて、仕事でマウント取られたらニコニコと受け流して、いつの日か相手がボロを出したら攻めて攻めて攻めまくって、野良犬がキャンキャンと吠えて逃げるまで攻め立てて、相手が討論中にメンチを切ってきたら大声で威嚇して、相手の傍まで寄っていって「殺すぞ!!」という感じでこちらもメンチを切った。
実際、自分が伴さんみたいに行動するようになって、みんなの見る目が変わった。前みたいに馬鹿にされなくなったし、男性ホルモンが増えたみたいになって仕事を頑張れるようになったし、実力が上がったし、今は市役所の庁舎管理の仕事をしてるんだが、上司から1件につき20万円までは好きに契約事務をさせてもらえるようになった。
さて……実は、自分は失敗した。伴さんがやってるみたいに、男性ホルモン全開で仕事を進めていったところ、致命的なトラブルを起こして仕事を干されたことがある。まあ、初めての大失敗だったから、結局許してはもらえたんだけどさ。あれは反省した。
今ではわかることがある。結局さ、人間で一番大事なのって、仕事ができることじゃないよな。相手を尊敬するとか、嫌な仲間とでもうまくやっていくとか、話の通じないお客さんがいても精一杯やりとりするとか、悪いことしてる人がいたら怒ってでも咎めるとか。人間にはそういうのが大事なんだよな。
実力とかお金とか持ち物って、その人が死ぬ時には実質意味がなくなってるけど、人柄とか人格って、命が途切れるその瞬間まで残るじゃん。もしかしたら、あの世までもっていけるかもしれないじゃん。
実際、伴さんは、あの人が自ら言っていたように社会不適合者なのは間違いないと思う。いつも何かに怯えていて、他人の視線が怖くて、しかし戦わずにはいられない。いい結果を出し続けて、みんなをギャフンと言わせてやる、自分を認めさせてやる!! そんなスピリットでひたすらに頑張っていた。それは、自信のなさの裏返しだった。
で、結局この伴さんは、嫁と子どもがいる状態で国家公務員を辞めて、民間企業に営業として入って、しかし通用せずに大失敗して1年で辞めてしまったらしい。その後は、「自営業としての記事代行サービスでメシを食ってる」みたいな記事を拝見した。
残念ながら、数年前のそれが最後の更新になった。たまにサイトを見に行っているが、更新される気配はない。
伴さんに倣っていいこともしたし、悪いこともした。後悔していることもある。特に、不用意な言動で仕事仲間を傷つけてしまったことだ。
けど、伴さんがいなければ、男性ホルモンをめらめらと燃やす自分に出会うこともなかったと思う。そんな体験がなければ、目の前の人間を尊重すること、いたわること、常に気にして動くことに関心が向かないままだった。
そのことに気づかせてくれたのは、紛れもない伴さんだった。コミュニケーションを取ったことはないけど、俺はあなたに感謝してる。本当にありがとうございました。
三人目 高田机上さん
2018年頃から活躍しているブロガー。2019年頃だったか、自分が恋愛のうまくいかなさに悩んでいる頃にブログを拝見した。確かバズった記事があって、はてなブログのトップの方に載っていたのだった。
恋愛の一般論から始まって、男性のダメなところを取り上げたり、女性の心の視点に立ったり、恋愛に必要な各要素(清潔感とか...)を論じていったり、男女の付き合い方を細々と説明していたり……。
当時は、これだ!! と思った。ここまで体系的に男女別の視点から恋愛を論じたブログは初めてだった。恋愛指南のサイトは数あれど、それらはほぼ商業サイトであり、噓八百でも面白ければよかろうなのだ!!(勝てばよかろうなのだァァァァッ!!)、みたいな記事ばかりだった。でも、この高田机上さんは、元モテない男性として等身大の自分を出していた。
が、風向きが変わってきた。2020年頃までは、恋愛のTipsを事細かにひとつずつ紹介していたが、次第にモテない男性をバカにするような内容が目立ってきた。
特に、2022年に始まった男女差LINE学がそうだった。LINE的に非モテムーブを取る男性を論い、ひとつひとつ侮辱的な言葉でダメ出しをしていく。挙句の果てには、女性がする恋愛上の遠回しな「お断り宣言」(婉曲な言い回し)を説明する際、自分の本の出版を編集者に暗に断られた際の恨み言を述べていた。
半年ほど前から、高田机上さんのブログを読むのをやめた。男女差LINE学長すぎやろ!! と感じたのもあるが、何より自分の読者層であるモテない男性を馬鹿にしていて腹が立ったからだ。実際、この人の記事のブックマーク数はほぼゼロだ。昔はバズった記事があったけれども、近年は閑古鳥が鳴いている。
もし、男女差LINE学みたいなシワいコンテンツじゃなくて、もっと面白いシリーズが出たら読もうと思っていたが、一時引退するらしい。「専業作家に挑戦し、なることができたら戻ってきて記事を書く」とあった。
ネットメンターには、こういうこともある。どれだけ面白くて尊敬できる人でも、年月が経つといろいろ変わってしまうのだ......。また記事を読ませていただく機会を楽しみにしています。
高校生~大学生にかけて、この御方のブログを読んでいた。どの書籍にも書かれていない視点で、勉強になる内容が多かった。ほどほどに重たいテーマが多いけれども、たまに笑いもある。歴史や政治を扱った記事が多い。
文字どおり沖縄生まれの人になる。若い頃、大阪府に大学生としてやってきたようだ。壮年なんだけど、文体は若々しい。なぜこの名前にしたかというと、琉球の歴史を鑑みるに、「自分は沖縄県民ではなく琉球王国の一員」ということらしい。
mixiでは人気のブロガーであり、数年間活躍した後は、別のブログサービスに転向した(はてなブログだ)。この人は、上の三人と違ってまだ活動している。個人的にお気に入りのブログ記事をひとつだけ挙げたい。
#成人式 より #未成年バカ祭り を!~ヤンキー&花魁なバカ成人こそ地元の宝である。
https://nationoflequio.hatenablog.com/entry/2015/01/11/222419
この日記の日付は2015年だが、実際はもっと昔のmixi時代に投稿している。当時の私は大学生で、これから成人式!! という時期だった。
上の記事の内容は、まさに目から鱗の一言であり、この体験がなかったら、未だに「暴れる新成人」なるものを勘違いしたままだった。
さて、こちらの在日琉球人さんのブログだが、社会人になってからは見なくなった。理由は、更新頻度の低下だ。一応、それなりの頻度で更新はあったが、前の記事の焼き直しや再投稿がほとんどだった。新しい記事が生まれなくなったのだ。
で、その原因というのが加齢だった。本人談になるが、齢を重ねる度に気力が湧かなくなっていき……と、ブログ内で呟いていたのを覚えている。
私も、在日琉球人さんとメッセージのやり取りをしたことがあった。理知的で、ユーモアがあって、ごくまれにキレるけど、己の知性を高めるために日々尽力している人に思えた。自分よりもはるかに賢いはずの人間がブログ記事を書けなくなってしまうなんて、年を取るのは悲しいことなんだな、と若かりし頃は思った。
今でも、在日琉球人さんのブログは年に一度はぐるっと目を通す。やはり、斬新かつ奇をてらっていない。今でも世間に通用するブロガーだと思うが、なぜかあまり人気が出ない。面白いと思うのだが。
最後に~
月次な結論になるが、やっぱり若いうちはいろんな価値観に触れることが大事だと思う。自分は、中学生の頃からブログを読むのが好きで、それこそいろんな人の日記や作品を読んできた。勉強になるのもあったし、正直毒になるのもあった(ネトウヨやツイフェミがその典型)。
深夜に眼が重くなることもあったけど、あの日々では多くの学びを得ることができた……え、何? 個人のブログよりも書籍の方が勉強になるだろ、だって? それは言わない約束ということで。
はてなブログは週に一度はチェックする。書籍も好きだが、しかし自分は個人が魂を削って書いたブログの方が好きなのだ。これからもいろいろと読んでいきたい。
面白いうえに、人生のためになるようなブログを運営されている方々におかれましては、重ね重ね感謝を申しあげます。今までありがとうございました。これからもよろしくお願いします。
ヨッピー君、僕ね最近孫が生まれたのよ。まぁつまり自分の子供に子供が生まれた。
見る人が見ればなんの変哲も無い報告だけれど、たぶん今のヨッピー君には心へグッと来るんでないかい?
ヨッピー君さ、子供が生まれて人間というもの、社会というものをよく考えるようになっただろう?
自分自身が歩む人生の後ろに自分の子供が居ることへ気付いただろう?
それは僕たち爺さん婆さんが歩んだ道だ。
若い頃、独身だった頃に感じた社会のクソさ加減、他人による無理解の加減、そんなものは人生のパートナーが出来て子供が生まれた今のヨッピー君からすると見通しが甘かっただろう?
まったく理解してなかった、なんでこんなにも独身の連中は"結婚"や"子育て"や"教育"という概念へ対して素っ頓狂な解釈をしているのかと驚いたことだろう。
気付いてしまったんだろう?認識が変わってしまっただろう?
お金や収入、人生設計、教育、果てはWebライターや記者という仕事の認識すら変わってしまったんじゃないか今のヨッピー君からするとね。
凄いだろう?自分を育ててくれた大人は、親は。こんなことを考えながら自分を育ててくれていたのかと信じられないだろう?
ヨッピー君さ、ちょっと前にM.O君とやりあっただろう?
そのときにヨッピー君はM.O君のパートナーを貶めたりしたよね?
どうだい?今のヨッピー君にはなかなか堪える過去の自分だろう?
人生の先輩としてアドバイスしようか。
ヨッピー君、抗いなさい。
ヨッピー君、キミはWebライターだ。
今思っていること、経験したこと、抗いたいこと、様々をキミの職業を活かして発信しなさい。
そうして発信したことを多くの人へ届けて話し合いのきっかけになさい。
こんなジジイの戯言をここまで読んでくれた若い人たち、ありがとうね。
今のヨッピー君は今まで気付いてなかったことにどんどん気付き始めていて、今まで理解していたと思っていたものが全く理解してなかったと気付いて、それを何とかしようと抗ってるのさ。
ヨッピー君は、ヨッピー君自身が考える格好良い大人、格好良い父親になろうとしてるんだ。
子供というのは親を見て育つ。だからこそ子供は理想の親の姿というのを求める。親であればこうするべきだと考える。
しかし実際に子供の親となったとき理想の親の姿というのはどのように変化するのだろうか?
それはね、子供視点での理想の親と親視点での理想の親が混ざった姿ものが理想的な親の姿になるのさ。
すべての親は子供時代を経験しているから子供の視点と親の視点を持てるのさ。
だからこそヨッピー君は親となったとき親の視点という存在に気付いてしまったんだ。
これを読む若い人たちの中にも親は居るだろうけど何となく理解できるだろう?
僕はもう子育てを終えたジジイだけれど、ジジイだからこそヨッピー君には現状に抗えと言ってあげたいな。
大人とは、親とはこういうものだよと僕が教えるのではなく、ヨッピー君自身が色々試して挑戦して抗って大人とは、親とはこういうものなんだなと自分自身で気付いて欲しいね。
若い親の皆さん、君たちの子育て、教育の正しさは日々わかるものではなく子供たちの入学式や成人式など節目節目で子供たち自身が証明してくれるものです。
子供が学芸会で歌える、運動会で走れる、研究発表する、生意気にも親の誕生日にプレゼントを送って寄越す……そういう節目節目で子供たちは皆さんの正しさを証明してくれる。
節目節目という稀な機会しか自分の正しさがわからない、毎日が不安だ。
だからこそ今日このときだけはジジイの僕が言おう!
ヨッピー君を含め、今回の話題で思いの丈をぶつけ合ってる君たち全員が正しい!よくやった褒めてやる!
ジジイに褒められても嬉しくないかも知れないけどね。
本当によくやってるよ君たちは。僕の老眼には眩しすぎるくらいだ。頑張れよ応援してるんだからな。
田舎はDQNの天下だから、美人だと同級生や先輩から暴力を背景にしつこく言い寄られるのがお定まりのパターンで、
そうなったらもう付き合うしかなく、あらゆる人生の可能性を潰されて赤ちゃん抱っこして成人式に表れるみたいな末路になる
ってこと言われてて大バズりしてるんだけどこれは間違ってる。
確かに、学校に凄い美人がいたらその子の家の前で毎朝うろうろするDQNが沸いたり、同級生たちに集団レイプされたり、究極に運が悪けりゃ突然見ず知らずのヤクザに拉致されてシャブ打たれて情婦にされる、
本人や両親が人並み程度に賢かったり、良識があったりすればまずこういう末路を防ぐことが出来る(「あの子と遊んじゃダメだ」とか「門限は18時厳守」とか。国立大教育学部附属中を受験させるって手もあるし、駅弁大附属中だったら首都圏の中学偏差値30レベルで受かる)。
この増田を読んで、高校時代の同級生がストーカー化しそうで怖かったのを思い出した。
文化祭の前の日にそいつの家に泊って文化祭の準備をするくらいには親しかったし、成人式にも一緒に行こうなみたいな話もしていた。
俺は地元を離れて、当時は都会の大学に通っていたんだが、時折かかってくる電話は一人暮らしの寂しさを少し慰めてくれることもあり、懐かしさもありそれなりに話していた。
そいつは心を病んで仕事をやめて地元に戻っていたらしく、精神的にそれなりに不安定だったような気もする。
そうするうちに、ほかの電話相手であったであろう人からは親からこれ以上電話しないでほしいと取次ぎを断られ、孤立していったようだ。
自分にかかってくる電話でも「そっちに行きたい」「そっち行っていい?」みたいなことを言い始めて、ちょっと怖くなってきた。
別の友人に相談したら、学校カウンセラーに相談することを勧められ、予約を取って現状を話した。
...なぜカウンセラーを勧められたのかはよくわからないが、カウンセラーからは自分の心の健康が大事だから、怖いなら付き合う必要はないとアドバイスされた。
そんなわけで自分もそいつとの電話はあまりしないようにして距離を取ってフェードアウトしていったように思う。
当時は地元に帰省した時は逆恨みしたそいつに見つかってコロされるんじゃないかとそれなりに怖かった。
今思えば、きっとそいつも元増田の弟のようにやさしくしてくれた俺とかほかの電話相手とかに天使を見出してたんだろうな。
でも、ほかの電話相手も俺も天使ではなく生身だから、無限の愛で誰かを包んでやることはできなくって、その重さが苦しくなった。
視聴と感想ありがとうございます。
楽しんでいただけたようでなによりです。
北九州市の成人式はあまり意外性がなかったなと修羅の国の住人である私も感じました。という全国的に認知されすぎてあれ以上も以下もなく。といったところでしょうか。地元でも賛否ありますが、おおむね良くも悪くもリオのカーニバルみたいなもんという捉え方です。
2回目3回目があるのかわかりませんが、個人的には福岡県民でも半数くらいがおいてけぼりにされる、天麩羅のひらお店員のものまねとかやって、本当に県民以外には1ミリも面白くないのをやってほしいところです。
観終わりました、けっこう楽しめました。
まずパラシュート部隊斎藤さん、伊藤アナさんが初見だったのでそこから新鮮でしたね。
無許可で屋根を作った話、鮭NG集落の一連の話、ダンボール手積みのくだりが好きです。
成人式が派手なことは有名すぎて新鮮味がなかったので、ヤンキーではない一般的な方々の話が聞きたかったですね。
派手な方々のことをどう思ってるか、とか。そっちにフィーチャーするとよりローカル感が出て良さそうだなと。
それから、ネタなのは分かるんですが、やたら卑屈な態度だったのは少々くどかったです。
たとえばサッカー・野球といったスポーツ観戦はメジャーな趣味ですが「応援チームが負けたら相手チームのバスを取り囲む」「自分のチームが負けた日はイライラして部下にパワハラする」といった問題行動がよく見られてますね。
推し活も成人式ヤンキーのような奇行種がライブに出現しますし、ガチ恋を自称するストーカーなども問題視されております。
旅関係も旅の恥はかき捨てを免罪符として振り回す異常者が散見されていますし、外食の世界も一部ブロガーによる盗撮や過激レビューの悪目立ちが跡を絶ちません。
映画マニアは素人俳優の起用で関係者に凸をしますし、服飾関係はマウントの取り合いの果てに闇金に手を出し持ち崩した人が最後は精神を壊して暴れております。
どの界隈も、まさしくこの世界にある全ての界隈が、ありとあらゆる危険人物発生の可能性を孕んだ火薬庫なのですね。
それは趣味だけではなく地域であったり人種であったり職業であったり、それはもうありとあらゆる属性が、その内側に無数の犯罪者予備軍を抱えているわけです。
でもそもそもの話として、異常な鉄道オタクが散見されるのを鉄道オタクは異常者であると主張するのが主語デカなのですね。
それなのに我々が異常な鉄道オタクの排除を正常であると主張したがる鉄道オタクにさせたがるのは、自分たちがそのコストを払いたくないからなのでしょう。
まあでもそれは当たり前なんですよ。
日本中の駅に鉄道オタクお断りの張り紙をしまくり、それに違反した人間をガンガン通報するようにすればいいだけなのを、それは辞めてくれと鉄道オタクが言っている以上、それに見合った行動を示すべきなのです。
鉄道オタクじゃない人間、とりわけ鉄道オタクに一方的に苦しめられているオタクとは無縁な鉄道関係業界の側は、本格的な犯罪が起きる前に各種の異常行動を予兆と判断して早目に対処していきたいはずなのですから。
その引き金を引くのを勘弁してくれと頼み込む以上は、その言葉を語るに相応しい行動を取るべき、つまりは自分たちの手で自分たちを律する必要があるのですよ。
たとえば、ロリコンなんかは自分たちの愛読するエロマンガに「YESロリータ!NOタッチ!」なんてシュプレヒコールを掲げておりますが、そういった「自分たちの趣味によって他者に迷惑をかけないようにする意識」が鉄道オタクはちゃんと共有できているのでしょうか?
ソコなんだと思うのですよね。
身内の恥に対して甘い、異常さに対して「いやいやこれは本当に凄い列車なので思わず我を忘れるのも仕方ないのでありますでござござ」と庇ってしまう。
まるで今共産党で話題になっている事象の如き、自浄作用の無さに対する正当化ではありませんか。
そういった行為は、身内同士の自己満足として溜飲を下げる効果はあるのでしょうが、それと引き換えに外側からの信頼は犠牲になるということを理解して欲しいですね。
※以下の文章の中には精神疾患を差別したように聞こえる発言があるが、精神疾患の人々を差別・揶揄する意図は一切ない。むしろ彼らの在り方に敬意を示したうえで書いていることをここに明記する。
※また、一部生理についての過激な描写がある。苦手な人は見ないことを推奨する。
2022年4月、大学生になった。あまり他の大学では見られない学部で、演劇系のサークルに入った。6月になればバイトも始めた。サークルの先輩に薦められたバイト先だ。
その学部に辿り着いた経緯は成り行きではあったものの四年間勉強を続けるとしたらここがいいと思って選んだし、演劇系のサークルは前々から挑戦してみたかったから丁度良く、バイトも勤務時間が固定ではあるものの客がいない時間はスマホを弄るとかでない限り色々なことをしてもいいという比較的懐が広いところであるし、未だ趣味で収まっているもののいずれそれで食べることが出来たらと思う小説も息抜き兼たまの小遣い稼ぎとしては十分。これまでの人間関係で厄介そうなものはあらかた取り除いていたけどチャットアプリの友達欄にはそこそこ名前が残っている。
背伸びをしすぎていない、でも自分の理想を少しずつ歩いている。最高の環境だ。
勉強は自分の好きなものが多いから単位は今のところ落としていないし、サークルでは脚本が採用されなかったけど学園祭ではその採用されなかった脚本が原作として拾われて最初のうちだからと裏方仕事を楽しんでいる。バイトは繁忙期を終えて一通りのことは慣れた。趣味も、継続できている。友達は、この前学園祭に呼んだ。元気そうだった。
2月になって生活の基盤が固まって、人間関係や誰が誰にどういう扱いをするかもなんとなくわかってきた今の頃合いで、自分が思っているよりも無能だと理解して、皆が私のことをそこそこ雑に扱いだして、途端に人間不信が襲い掛かった。
この人間不信の根本がどこかはわかっている。小学校5年生の時の学級崩壊だ。産休の代理の先生が皆と『そりが合わなかった』ことによって起きた、たった半年間の学級崩壊。教育委員会も動いて、頼みの綱の隣のクラスの担任は途中で元から抱えていた持病で倒れてしまった。親は、母親はともかく私がどんな漫画が好きなのかも知らないし服装の制限ばかりしてくる父親は元々あてにできなかった。蕁麻疹が出来た。大人が信じられなくなった。同級生が信じられなくなった。別の自分の声が聞こえるようになった。クラスで皆が先生を無視しておしゃべりしている声がやけに大きく聞こえた。宿泊行事でいじめっ子と同じ班にさせられて『どうしようもなくて』そのままいじめっ子たちと同室で夜を過ごした。先生が生徒を羽交い絞めにした。生徒を体育倉庫に閉じ込めたまま委員会の集まりに戻ろうとした。私が「かんきんじゃないんですか」と言ってやっと開けた。そのころは誰彼もが病気じみていて、例の先生がいなくなって皆が落ち着いても私の病気じみた臆病と自罰は治らなかった。何もかもが憎くなった気持ちを小説に換えた。なまじ同世代のなかで頭はよかったものだから、心理学の本を読んで『昇華』というものがあると知ってじゃあそうしようと思ったことだ。小説を、同級生に見せた。「よくわからないね」と言われて、私の気持ちは何も伝わっていなかったのだと知って、ネット以外で作品を乗せることをやめた。
狂うとは、私の中では「これまで起きたことをなかったことにする」ことだ。
だから私は適度に怠け者で適度に有能で人を信じることが出来て人に作品を見せることや自分の感情を小説じゃない方法でさらけ出すことを怖いと思わないようにした。
怠けることは怖くて無能で人は信じられなくて人に作品を見せることや自分の感情を小説じゃない方法でさらけ出すことは怖かったけど、なかったことにした。
なかったことにした感情たちが、今更ぷちぷちと熟したトマトみたいに裂けて落ちたのだと思った。
明確に思えたのに、もう一度狂おうと模索してしまっていて、いよいよ病気じみていると思った。
いつだって安定しない生理の剥がれ落ちた子宮内膜と一緒にこの気持ちが洗い流せたらと思って、ダメだった。
病院に行こうと何度も進言された。学校を巻き込んだちょっとした騒動も起こして、診断書も貰った。
でも、行けなかった。
もしこれで『今までの感情に全部説明がついて片付けられて』『自分は悪くないと明言されて』『復讐なんて気持ちが芽生えないようになって』しまえば、その先に何があるのか全く想像できなかったからだ。
普通になってしまった自分が、狂ってしまった自分と同じことになったらと思うと怖かった。何より、復讐の消化兼昇華を趣味としてしまった私がどこにいってしまうのかわからなくなった。
後に残った小説みたいな言い回しのレポートも、小学校の頃の友達なんて誰もいない連絡先も、ただ『善人でいると騙される』と思って剝き続けていた牙も、全部意味がないものになってしまうことが怖くて、病院に行けない。
片耳が聞こえない母より先に五体満足の私が病名を持つことの気が引ける。
偏見のないフリをして古風な祖父とよく似た父はなんていうだろうか。
成人式で会うかもしれないかつての同級生に『あの頃がきっかけでこうなった』ことを知られることを考えて、怖くなる。
Wordファイルとふたりぼっちの戦いは、小学校5年生から今日までずっと続いている。
復讐は、終わっていない。
復讐のきっかけとなった思い出は、自己防衛がどんどん忘れさせてくる。
今度はもっとうまく狂わないといけない。