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はてなキーワード: 成人式とは

2023-01-29

カッとなって元記事コメントしようと思ったけど

お金払わないと無理っぽくて、せっかく考えたのに悲しいのでここで供養させてね

外国人大学講師が「現代日本の“進歩的な態度”は本物ではない」と言い切る理由

https://courrier.jp/news/archives/314638/

Japan’s cynical war on woke

https://unherd.com/2022/12/japans-cynical-war-on-woke/

  

I feel that the idea that 'it is right for all humans, regardless of their ethnic or cultural background, to be "woke" in a Western way' is discriminatory.

Is it really possible to easily judge whether "woke" is happening in cultures or value systems that differ from the Western perspective?

Additionally, as someone who is currently a female college student in Japan, I have a sense of discomfort with the author's argument that "social movements in Japan do not happen from the bottom up, but rather top-down."

On a separate note, I believe that for those who are not familiar with the difference between "茶道" and "茶芸" discussing East Asian art may not only be a little crude when it comes to Japanese culture, but also Chinese culture.

  

あと元記事で使われている写真はおそらく著者の日本の教え子の成人式卒業式写真だと思うんだけど

「お前ら全員腰抜け!」って論旨のメイン写真に使うねってちゃん許可取ってるんだろうか…

2023-01-20

成人式って

家の財力アピールで振り袖見せつける大人精神から程遠い儀式よな

2023-01-18

15歳がターニングポイントだったな

部活総体全国大会個人団体両方出たし、勉強も学年5位以内は常にキープしてたし、生徒会役員もやってたし、本当中学までよく頑張ってたな。

中学3年の身体測定で中学2年の時と身長が1ミリも変わってなくて、164で身長まり夏休み前に自分より小さかったクラス男子ほとんどに身長抜かれた時がターニングポイントだった。「自分は女にモテない」ことが確定した途端、勉強コミュニケーション行事も何もかもやる気なくなった。服にも興味なくなった。偏差値72の県立高校目指して、中3に上がる前にTEL帳(通じるかな?)二周くらいしてたけど、そっから勉強しなくなって偏差値60の自称進学校に行き、友達も作らず部活も入らず、大学にも行かず就職もしなかった。成人式も行かなかったな。

振り返ると俺の努力言動は「モテたい」だったんだな。それが崩れたので他の事も軒並みやる気なくなった。

2023-01-16

anond:20230116203329

どんなに忙しかったとしても成人式の1日くらい捻出できないのは能力の方に問題があるということやで。

anond:20230116203106

成人式に行かない(行きたくない)奴の社会性がアレだっつってんだよ。

社会性が無い上に読解力も無いとなると厳しいぞ。

anond:20230116202503

成人式行きたくないと思う時点で社会性がアレってことなので、他でカバーして生きていく必要がある。

つらい道ではあるが頑張ってくれ。

あたち19ちゃい。成人式つまんなかった。

2023-01-14

世間のいう不細工が解らない

最初に解らなかったのは、秋葉原無差別殺人加藤智大だ。

ネットでここまでブサメンだと無理もないって感じの評価をよく見かけたが、私には普通の顔にしか見えなかった。

髪型が酷いが整えたら顔はその辺によく居るおっさんだ。

その当時のバイト先のエリアマネージャーによく似ていた。

妻子持ちのくせに、君の誕生日俺の姉と一ヶ月違いだわ運命感じるなー、そのメモ帳俺のと同じ運命感じるなーと、運命感じまくるを決めゼリフにバイトに粉かけまくっている鬱陶しいチャラ男だった。

あそこまで自信満々に既婚チャラ男になれる程度のルックス底辺ブサメン扱いはないのでは。

てゆーかあの程度で底辺ブサメンだと騒ぐネット民たちも、生まれ持った顔は普通のくせに顔のせいで女にもてない云々甘え腐ってやがるのではと思った。

最近ちびまる子ちゃん成人式回でさんざんに言われていたブスキャラが、目が大きいし鼻も輪郭も形悪くないし、眉整えてメイクを変えたら普通可愛いのではと思った。

恵比寿顔で愛嬌あるし。

anond:20230114142706

ダブル成人式知らんのかお前

おっくれってるぅぅーーーーー

anond:20230112163118

成人が18歳になったので20歳に行う成人式のことを「20歳を祝う会」にしてる自治体もでてきましたが、

今後もっとわかりやすく参加しやすくするためにはどういうネーミングがいいかとおもいますか?

自治体公式同窓会Happy20year~」とかだと実態に即しているうえに楽しいかなとおもうんですが当事者から意見が聞きたい

地元のクソども

地方中学だと言うこともあり、中学1,2年のクラスはすごく荒れてた。教室備品が壊れるのは毎日だったし、テスト中に叫ぶやつとか、授業がおしゃべりなどで成立しないなど、つまり学級崩壊してた。そんな中で、それなりの偏差値学校目指して、塾に通い高校受験に頑張ってた自分は偉いと思う。無事、偏差値65ぐらいの地方だと上位の高校入学し、今そこで勉強している。それで、中学バカになれなかった私は同級生と全く連絡を取らず、SNS(instagram)で繋がることもしていない為、中学同級生がどんな風な生活を送ってるのかわからない。(今ここでは、将来のことが考慮されてるマトモな学校とは、偏差値60以上か、専門学校を指してる。)そんなマトモな学校に行ってるやつは学年で、20人ぐらいしかいなくて、後はDQNか、何も考えてない人が多かった。実際、当時から見下してたし、プライドが高い優等生として孤立してたんだと思う。まあ、個人的に親しい友人は何人かいたかクラス雰囲気に馴染めなくとも、学校行きたくないというレベル嫌と言うわけではなかった。そんな中、中学3年になると1,2年の時にバカをやって授業の妨害をしていた連中が、いよいよ焦り出して勉強を始める時期。中学生3年の夏がやってきた。ずっと馬鹿やってれば良いのに、高校受験意識してる人が増えてきたことに流されて、これまでの分まで取り返そうとか、思っちゃうあたり本当に残念なんだな、と思っていた。良い学校に行くとか、将来この仕事に就くとか、一切考えないで、周りが勉強しているからという理由勉強する計画微塵もない連中が、一斉に勉強を開始してバカだなと思っていた。そんな奴らと、後2年後、成人式で会う。おそらく、碌なことになっていないだろう。彼らの人生ピークが中1,2の時で、そのあとは誰でもできる仕事従事してクソみたいな人生歩むんだろうなって今も見下してる。

2023-01-13

anond:20230113105803

私は成人式サボって晴れ着代で旅行に行ってたし、もうおばちゃんなので被害もなにも関係ないよ。

ちびまる子ちゃん成人式ブス炎上

ちびまる子ちゃん成人式回で、ブスは晴れ着を着ても残念と、いじり倒して軽く炎上していた。

私は偶然そのシーンを見ていたのだが、性格が悪いわけでもなくブスなだけで、ブスは晴れ着でも残念だの写真撮りたくないだの、このいじりようは…成人式前のお嬢さんだって見るだろうにと軽く引いていたので、燃えたのもそりゃそうじゃって内容だった。

さくらももこ脚本回だったので時代に合わせようがなかったのだろう。

ちびまる子ちゃんは元々ルッキズムの強い作品だ、美人性格が良くブスは性格がゆがんでいる。

そしてさくらももこ自分容姿へのコンプレックスが強い漫画家だ。

作品でも度々美人の姉と比べ自分容姿へのコンプレックスを書いている。

ちびまる子ちゃん炎上を眺めていても、擁護している中に、容姿へのコンプレックスが強そうなアカウントがぼちぼち見られた。

だって世界は実際にブスに厳しいじゃないかと。

誰よりブスに厳しい世界に生きている人に、ブスに優しい世界など嘘でしかないのだろう。

でも世間の人は普通ならブスが晴れ着で成人式に行き写真を撮ったりする程度でいちいちドン引きしたりしない。

ブスはブス故に普通より性格の腐った一握りの人に加害され、それが現実一般的認識だと呪いを受け、このような成人式直前にブスの晴れ着に呪いをかけるような残念な加害をしてしまうのだなと、もの悲しい気持ちになった。

anond:20230113092307

アンフェかどうかもないな

馬鹿がイキりたいだけだろ?成人式で酒飲んで暴走している連中と何が違うんだって

2023-01-12

やっぱりヤンキーカスじゃん

成人式といえば修羅の国福岡県北九州市成人式

今年も派手な服を身にまとったヤンキー話題となった。一昔前は「ものすごいDQNがいる」という見られ方だったけど、最近は「ああ見えてもイイ奴」という評価になりつつあった。

しかし、今年は同じく修羅の国福岡県大牟田市新成人話題になった。

改造した軽トラの荷台に派手な服を来て暴走し、4〜6歳程度の女児を連れて夫婦が歩いている歩道突入していた。

いや待って、やっぱりヤンキーカスじゃん。なんで最近派手な新成人ヤンキーは実はいいヤツって風潮が蔓延ってたの?

そいつらに「ああ見えても根はイイ奴だから」なんて言い訳通用しない。

ヤンキーは皆殺しにしろ

anond:20230112163118

酒の勢いで元サヤに収まることもあるから

来年成人式の人は行こう!行くべし!

成人式に行ってきたら思っていたよりもよかった@東京23区

はてな匿名ダイアリーに限らず、インターネット上のブログ全般に対して初めてです。

タイトルのように某東京23区(どこかは秘密です)の成人式に行ってきました。比較的閑静な住宅街が広がる地域です。いろいろと感じたことがあったのでそれをこの場で書き残そうと思います

まずは軽い自己紹介

小学校中学校は区立。

高校は家から少し離れた高校地元からの知り合いや友達はほぼ消滅

大学高校と同様。

地元友達は片手で数える程度だが存在していて、そのうちの一人は頻繁に会う。

元々、成人式には行くかどうか悩んでいました。というのも上記のように友人がそこまで多い方ではなかったので、わざわざ行って寂しい思いをしてもなあと考えていましたが、行かずに後悔するよりも、行って後悔する方がまだましかなと思い、行くことを決定。

当日は上記の頻繁に会う友人と一緒に会場へ向かう。

会場の最寄り駅まで向かう際の電車では男女問わず、一目で成人式に行くのがわかる格好で「今日成人式があるんだ!」と予め感じる。

会場の最寄り駅に着くと、人が多すぎてビビる

会場の敷地に入って、5~10分くらいで中学校の友人に再開。髪型が変わりつつも、当時の面影があり、すぐにわかる。めちゃくちゃ懐かしいし、会えてうれしい。この時点で成人式に来てよかったと感じる(単純)

その後、再開した友人と話しているとちらほらと同じ中学校の友人と再会。(小学校だけ一緒だった人はほとんど再開せず)

写真を撮る。

その後、式典の会場へと向かう。偉い人の話自体ほとんど誰も聞かず、私たち含めてみんな、お互いの近況やら思い出話やらを話していた。

私も3,4人で集まって話してた。

とはいえ、私は式典のライブ配信を別の教室で見るという形だったので、話せていたがホールで直接見ていた人はおしゃべりもできず、息苦しかったのかも。

式典が終わると、敷地内の屋外でみんな友人を探していた。私もここですぐ帰るのも折角来たし、あれかなと思い、当時の友人や知り合いを探した。

初めはあまり見つからなかったが、徐々に発見する。男女問わず一緒に写真を撮った。私が当時とあまり変わっていない(?)らしく、向こうからよく声をかけられた。

私はというと、男性女性も「ごめん、誰だっけ?」状態で、マスクをとってもらったり、名乗ってもらったりして初めて気づくこともしばしば。それでもすぐにわかる人も多いか不思議もの

会場を後にしてからは、電車で友人たち5,6人と帰る。

同窓会はどうやらあったらしいが、会いたい人とはしっかり連絡先を交換したのと、そもそも自己紹介で述べたとおり、仲の良い人も限られるので不参加。

以上、当日の流れでしたが、感想としては以下のとおり。

①やっぱり会えば当時のテンションで話し合える

久々に会ってどういうテンションになるのかは私自身、怖かったが意外と当時のテンションで話せた。

裏を返せば、その当時のスクールカーストが保持された状態とも言えるのかな。

②行けば意外と楽しい

私自身がいじめられていたり、クラスで浮いていたりしたわけではないのでという譲歩付きですが、みんな久々の再開という事で好意的な態度。そもそもハレの日だから、怖い怖い雰囲気ではない。

「今何しているか?」ということはほとんど興味がない感じで、むしろ当時を懐かしむ雰囲気

③来てない人も(当然)いる

の子絶対来るだろうな、と思っていた人が来ていなかったらしい。まあ、大学高校での集まりを優先する人もいるだろうし、これは当然かな。

最後に。

いろいろ書きましたが、地元の人とまとめて再会する機会は成人式同窓会くらいしかないので、成人式自治体が用意してくれて、みんな招待されるものこれくらいなので、行った方がいいと思いました!

anond:20230112142833

でも就活時にリクルートスーツに買い替えるし、入社後もしばらくそれを着るんでしょう

田舎公立高校私服)の卒業式女子みんな袴履くってんだからびっくりした

(自分等の時は大学入学式でも使えるスーツ着てる人が殆どだった)

入学式スーツは使えて成人式。2~3回しか着ない(その他法事

2023-01-11

成人式のド派手ヤンキー尊敬している

学生時代成人式のド派手ヤンキーを見て「アホかw」と思っていたけど

社会人になった今は尊敬している。

迷惑をかけるとかは当然良くないと思うけど、(おそらく)働きながら成人式という晴れの舞台に向けてあれを準備して当日ちゃんと実行しているということが凄い。

俺なんか平日は帰ってきてメシ食って酒飲んで寝て土日はネトゲたまーに外食

なにかでかいイベントに向けて準備するなんていうクリエイティブなことできませんよ。

彼らは素晴らしい。

成人式は篩い分けする良い機会

アホなことする輩は粛清すれば良いんよ

今日、30歳になった

私は、1993年1月に生まれた。1歳から大学までは、神戸市生活していた。神戸はとてもいい場所だ。街の中心部である三宮はおしゃれな街で、大阪駅までも直通で30分。中華街で有名な豚まんを食べ、旧居留地優雅建築を抜ければ、港から海を見渡せる。中心部から少し足を伸ばせば、B級グルメを出す飲食店が立ち並ぶ下町長田六甲山の麓に日本屈指の酒蔵を擁する灘などにも行ける。どの地域個性にあふれた「退屈しない街」だ。この街で人生3分の2を過ごせたことを、私は幸せに思っている。

私が住んでいた地域には大学があった。このキャンパス自然豊かなことで知られていて、敷地内に公園や池があったので、私は物心ついたときから時々家族とこの大学内を散歩していた。子どもだった私は漠然と、大きくなったら私もこんな学校勉強するのかな、なんて思っていたものだ。

私が小学校にあがる前のある日、父とふたり大学の中を歩いていた。ふと父が「父さんは今日こっちの道に行きたいんだ」と言って、普段は入らない芝生の中へ私を連れて行った。杉の木立の中には、小さな茶色の碑があった。父はその石碑の前で足を止め、静かに手を合わせた。「これは何なの?」と尋ねると、父はこの石碑が、阪神淡路大震災で命を落とした学生たちを追悼するための慰霊碑だと教えてくれた。銘板に刻まれ名前の中には、地元教員をしていた父の教え子がいるという。父は何十年も教員として勤務していたが、彼が家庭内で教え子の話をすることはほとんどなかったので、少し驚いた。

小学校にあがると、音楽の授業で「しあわせはこべるように」という歌を習った。この曲は阪神淡路大震災のことを歌っており、神戸市内の小学校では震災学習の一貫として習うのだ。たぶん、1995年以降に神戸市勉強した人間なら、誰もが諳んじて歌える一曲だろう。小学校でも中学校でも、毎年1月17日には黙とうを捧げ、校長先生お話を聞いた。ある年の学校新聞1月号に、同級生とその妹のことが書かれていたことも覚えている。2学年下に在籍していた彼の妹は、まさに阪神淡路大震災の混乱の中、1月17日、被災直後に生まれたという話だった。

高校生にもなると、「しあわせはこべるように」を合唱する授業はなくなった。進学校だったので受験勉強は忙しく、みんな志望校に入るため必死だった。そんな中で、一学年上の先輩にとても頭の良い人がいた。先輩は部活でも目立っていて、関西の超有名大学への現役合格を果たしたことはすぐに後輩の私たちにも知れ渡った。卒業式の日に卒業生代表挨拶担当したその先輩は、両親を阪神淡路大震災によって亡くしたことをみんなの前で話してくれた。10年以上が経った今でも、あのスピーチを鮮明に覚えている。その次の年に起きたのが、東日本大震災だった。

高校卒業すると、私は自分実家から一番近い大学に進学した。それは、子どもの頃から家族散歩していたあの学校だった。私の学部はかつて父と散歩したキャンパスからは少し離れていたのだが、それでも時々あの慰霊碑を見に行くことがあった。いつのまにか、私は父の教え子だったという誰かより1歳年上になり、成人を迎えた。成人式の会場に向かう途中のタクシーでふと「私たち、本当はもっとたかもしれないな」と思った。

大学卒業して上京すると、色々な地域出身のさまざまな年齢の人と関わりあうようになった。地元神戸なんです、と言うと、ほとんどの人が「おしゃれなところだね」なんて言ってくれるので鼻が高かった。しかし時々、50代くらいの人と話すと「震災の時、もう生まれてた?」と聞かれることがあった。生まれてたけど2歳になりたてで記憶はないんです、と返すとだいたいそこで話は終わるのだが、ごく稀に「実は僕は当時大阪に住んでいて…」と、当時の記憶を話してくれる人もいた。

ある時、友達に誘われて行った飲み会で、誰からともなく東日本大震災の話になった。その飲み会には東京出身者が多かったので、彼らは当日の様子を思い出して話していた。乗っていた電車が止まったこと。復帰のめどが立たず、線路を歩いて帰ったこと。その時、自分の前を歩いていたお姉さんが泣いていたこと。

その会話の中で、参加者のひとりが「〇〇さん(私)は関西から、こういうの想像できないかもしれないけど…」という言葉を発した。私も被災者だから分かるよ、と返すと、彼は「何言ってるんですか」と少し笑った。阪神淡路の時に2歳だったよ、と告げると彼は気まずそうに「そっか、そっちか」と呟いた。

彼は私より少し年下だったから、もしかしたら阪神淡路大震災のことをリアルタイムでは知らないのかもしれない。小学校社会教科書にはきっと地震のことも載っていたはずだけど、自分高校生の時に体験した東日本大震災の方が記憶としてはハッキリしているに違いない。彼のことを個人的に責めようとは思わないが、そうか、忘れられているのか、という虚しさが心に残った。

私は今、違う場所暮らしているけれど、今でも自分が育った神戸はとてもいい場所だと信じている。街の中心部である三宮駅前には、かつて「神戸阪急ビル」という名のビルがあった。この辺りは震災で大きな被害を受けてめちゃくちゃになったという。街のランドマークだったというビルは取り壊され、それからずっと低層のビルが駅舎に繋がっていた。このビル2021年高層ビルとして生まれ変わり、震災前の姿を模した外観でリニューアルオープンした。私より年上の世代は新しいビルを見て「元の神戸の姿だ」と喜んでいたが、私には正直良く分からなかった。私が毎日のように遊んだ三宮は「仮の姿」だったのか!それでも、西洋風のモダン茶色ファサードは、「私の好きな神戸」の姿に近いような気がしていいなと思った。

私は今日、30歳になった。平成初期に生まれ私たちは、阪神淡路大震災記憶とともに生きる「最後世代」だと言われている。確かに地震は私にとってすごく身近な問題であり続けてきた。だけどこれまでの人生別に24時間365日「亡くなった方々のぶんも、毎日を大切に生きていこう」と思いながら過ごしてきたわけじゃない。忙しい日常を生きていると、震災のことを全然考えない日がほとんどだし、まだ2歳になりたてだったから当日の記憶もまばらだ。でも、成人式の時にふと過ったあの感情を、誕生日のたびに思い出すのだ。阪神淡路大震災がなければ、私たち、本当はもっとたかもしれない。地元同級生は、実はもっと多かったのかもしれない。自分人生のどこかのフェイズで、あの時いなくなった誰かが私の大切な人になっていたかもしれない。

記憶も年をとる。誤解を恐れずに言うと、阪神淡路大震災のことは、これからどんどん忘れられていくだろう。神戸と縁のない人たちにとっては、もうすでに阪神淡路大震災のことは別の災害記憶に塗り替えられているかもしれない。はっきり言って、これはどうしようもない、誰が悪いわけでもない、日本に住んでいる限りは、大きな地震が定期的に起きることは避けられないのだから。でも、少なくとも私は― 傷ついた神戸の街に育ち、ゆっくりとその傷が治っていく中で青春を過ごした私は、これから阪神淡路大震災を忘れることはない。「最後世代」という言葉は、「私たちは本当はもっといたのかもしれない」とリアルに思える「最後世代」だということなのだろう、と今は思っている。30歳になった今日も、またふと考えた。私と一緒に年をとってくれる誰かが、本当はもっといたのかもしれない。

2023-01-10

目玉焼きを焼くだけの話

 休日。六畳の寝室。ダブルベッドの上。アラームが鳴っては消して、鳴っては消してを繰り返している妻は、一向に布団から出てくる気配がない。先に起きては負けだと思い寝返りを繰り返していたが、安いカーテン越しに外が明るくなっているのを感じて、ついにはスマホ時間確認する。朝9時前。普段なら職場にいる時間だ。

 溜息と共に起き上がる。負けだ。

目玉焼き食べる?」

 布団の中から聞こえた「うん」は、動物のうなり声に似ていた。

 ダイニングキッチンは冷え切っていた。

 クーラー暖房をつけ、電気ストーブをつける。テレビをつける。祝日の朝。何を見たら良いのか分からず、結局、BSニュースを流す。

 小さなフライパンをコンロに乗せる。ウインナー玉子のパックを冷蔵庫から出す。玉子最後の二個だった。「サイズ不揃い色々玉子」。パックに残った紙切れにはそんな言葉が躍っている。近所の格安スーパーでいつも売っている玉子だった。

玉子、高くなってた」

 最近、妻は買い物へ行く度に、食料品の値上げ報告をしてくる。愚痴なのか、ただの報告なのか、微妙声音で。「うん」とか「そうか」とか言って応えると、学生のころからの付き合いである妻はたいてい、こう続ける。

私たち学生時代は、玉子なんて週に一回100円で売ってたのにね」

 その言葉を聞く度に、とても複雑な気持ちになる。

私たち」の学生時代ではない。「俺」の学生時代で、「貴方」の学生時代だ、と。

 そう思う。そう思うが、言葉にして伝えるには、残酷すぎる気がする。

 フライパンに油をひいて、ウインナーを炒める。次いで、慎重に玉子を割って、フライパンに落とす。

 大学卒業して今年で十年になる。結婚して五年目。未だに、まったくの他人である妻が、隣の布団で寝ていることにドキリとすることがある。

 大学実験終わりに一緒にスーパーに行き、適当食材を買い込み、適当な鍋を作って過ごしていた頃のことが、夢の中の出来事のような気がする。俺も妻も、とても遠くまで来てしまった。しかしそのスーパー玉子が週に一度100円になっていたと妻が言うスーパーで流れていた呼び込み君の音だけは、やけに鮮明に耳に残って離れない。

 玉子を割り入れたフライパンに、大匙2杯の水を入れ、フタをする。フタは透明なので、中身が見える。蒸気が満ちて、透明だった白身があっという間に白濁する。

 トースターパンを焼く。コーヒーを淹れていないことを思い出す。インスタントでいいかと思い直す。テレビでは成人式ニュースが流れている。俺も妻も成人式には出なかった。

 黄身に薄く膜が張った時点で火を止める。これで半熟になる。妻が好きな黒コショウを思いっきり振った。

 妻がいつの間にか起きていた。

おはよう

おはよう

 これが昨日の朝の話。目玉焼きを焼くだけの話。

逆張り

成人の日備忘録

成人式の会場に到着するや否や DQN のような集団を見掛けたが、よく見ると出身中学の人々だった。

我々は足早に会場を去り、ドミノピザに向かった。ドミノピザ新成人にMサイズピザ無償提供する太っ腹なキャンペーン実施していたので、お昼代が浮いて大変助かった。雲ひとつない青空の下、多摩川河川敷で食べたピザは格別の美味しさであった。

YouTubeアーカイブを見て後で知ったのだが、成人式ではねずっちが謎掛けを披露していたようだった。

謎に沖縄基地問題を題材に謎掛けをしており、センシティブ問題を扱う姿勢に感銘を受けた。ネタは滑っていた。

その後、同窓会を欠席してぼざろ一気観試聴会をした。日を回る頃には散解したが、微妙アルコールも回って気分が良かったので、そのまま天一に行った。更に気分が良くなったので、その後もう一本飲んだ。駅前商店街治安が終わっており、日常の再来を感じさせた。

2023-01-09

成人式に変な格好で出席するの

頭悪そうだしダサいしいい加減やめたら?

ってみんな本人に言ってあげない優しさが地獄を産んでいるよね

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