はてなキーワード: 建設とは
インディーゲームはリリース時に10%オフくらいで買えるしセールが来ても20~30%くらいなのであんまり気にしない
自分はインディーゲーム大好きおじさんなので特にセールとはかなり無縁
フルプライスとかAAAとか言われるゲームは割引率がかなり大きくなるからそういうゲーム買うのはいいよね(評価が高いゲームはなかなか下がらないが)
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昼間は海に潜って魚を獲って夜は寿司屋でわさび擦ったり飲み物注いだり大忙しで楽しい
セール直前に正式リリースで正直セールどころじゃない好きすぎて大事にクソ丁寧に遊んでる
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先駆者?にDome Keeperって同じようなゲームがあるんだけどそっちも面白いし良いんだけど
世界観的にWallWorldが好き
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ストラテジー☓ローグライト わかりやすいところで言うとスパロボだろうか?
流れは4機のロボでミッションをクリアしながら装備を集めてカスタムしていく感じ(少し難易度高め)
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GLaDOSかわいいよGLaDOS
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最後の忍道リスペクトらしいけどそっちのほうはやったことがないので動画を見た感じだけど
余談
身内のPAYDAYギャングたちもアップをはじめました
子供の時、お茶をこぼしたり、怪我したり、物を壊してしまった時、
親に「あんたが悪いんでしょ!」と怒られてた奴は、問題に対して「誰が悪いか」しか考えられない頭を持ってしまう。
というのをどこかで読んだ。
ネットで何かを叩いてる人たちって大体これだなと思う。
自民党が悪くても、老害が悪くても、女が悪くても、外国が悪くても、
誰が悪いかの話をしたって何も進まない。
でも誰も「なぜ問題が起こるのか。」「どうしたら良くなるか。」の話をしないね。
俺も、みんながまだ新築住宅主義でいてくれると助かる側の人間なんだけど、これからは賃貸派にとって追い風になるようなことも起きるかもしれないよ、と予測しています。
まず元増田が言うとおり、現時点でも、建材価格高騰と建設技能者の不足のダブルパンチによって、住宅取得価格がこの数年で1.2〜1.3倍ぐらいに上がっている。エビデンスとしては建設工事費デフレーターがある。
https://www.mlit.go.jp/sogoseisaku/jouhouka/sosei_jouhouka_tk4_000112.html
このデータの住宅総合の工事費を見ると、2015年7月を100とした指数値が、2018年3月期が102.8、2023年3月期には121.7と20%上がっていて、現場の感覚に近い(ちなみに現場感覚ではもっと上がっている)。これからもさらに上がるというのも元増田の指摘通り。5年前ぐらいの感覚で「この予算でこれぐらいの家が建つ」と考えてハウスメーカーを訪れた人は、今では到底それが叶わない夢だと知って絶望するかもしれない。
「同一条件の住宅取得価格が1.2〜1.3倍になる」ということは、同じ予算では「これぐらいの家を建てたい」という計画の7割程度の規模感の建物しか建てられない、ということだ(建物は規模が小さくなるほど坪単価が割高になるので)。だから地方でも、一般的な収入水準の若年カップル家庭の予算感では、それまで各地域で「身の丈レベル」と考えられていた規模の新築戸建て注文住宅を買えなくなってきている。で、そうしてシュリンクした需要の受け皿として:
という流れが、どの地域でも起きている。注文主体の大手高級ハウスメーカー(たとえば積水・住林・大和Hなど)も、2021年頃からは「用地を買って、刻んで、安くて小さい物件を建てて、建売で捌く」という動きが活発になってきている。
ここで行政はどういう立場を取るのか。国はもう、「新築住宅に対する助成」というアプローチは徐々に手仕舞いにしつつある。空き家問題がこれから待ったなしの社会問題になっていくからだ。日本で最初にこの問題に警鐘を鳴らしたのはNRIで、以後はここが空き家関連政策の議論をリードする形になっている。国もゆっくりとした歩みではあるが、これに呼応して「中古住宅物件のストック流通をやるぞ〜」という方向に向かっている。
すなわち、住んでない空き家に対しては高い課税をかけ、解体か流通の二択を迫る。放置すれば危険なレベルの空き家(特定空き家)は過料や行政代執行の対象にして排除する。中古住宅を(エネルギー効率で見て)快適に住めるようにする施策には補助金をかける。金融機関でのリバースモーゲージを促進し、「居住者が死んだら即・市場流通」という筋道を作る。中古住宅の性能を保証するためのホームインスペクション制度を整備する。などなど、外堀はじわじわ埋められている。
一方で新築住宅に対しては、今後は長期優良住宅やZEHなどの「低環境負荷」で「SDGs」な物件以外(たとえばローコスト住宅や土地を刻んで建てていく狭小建売など)は、住宅ローン減税などの優遇措置を見直すことでテーパーをかけて減らしていくと思われる。
理屈のうえでも、出産適齢期人口が激減しているのに、増え続ける中古住宅を放置して年間70〜80万戸の新築住宅を建て続けるような政策デザインは持続可能性に欠ける。そもそも新たに建てる土地も減ってきている。昔ならいざ知らず、もう市街化調整区域に新築住宅をバカスカ建てさせて将来のインフラ維持コストを上げて自らの首を絞めるような自治体も減っている。市街化区域で今建っている土地の今建っている建物を流通させるのが、建築経済的には理に適っている。
そんなわけで、今後は行政主導の「ストック住宅流通促進」×「新築住宅優遇税制のテーパリング」の流れが進むことで、これまでの日本の住宅市場では決定的に供給不足だった、ニューファミリー向けの戸建て賃貸物件の本格流通が始まると思われる。この流れは賃貸派にとって追い風になるだろう。
不動産クラスタ的目線で言うと、ファミリー向けの戸建て住宅というのは、そのライフサイクルを通して見たときの空間利用効率が悪いのは否定できない。端的に言って、子育てが終わった世代にとっては、2階建て住宅の2F部分は基本的にムダだ(実際、近年は富裕層シニア家庭でのバリアフリー減築・平屋減築や平屋住宅の再新築が盛んになっている)。
子育てをしていて親と子が同居している期間って、子1人で平均約20年、子2人でも約25年ぐらいしかない。モデルケースとして、夫婦25歳のときに家を建てて子どもを産み、その子どもが20歳になった時に家を出るとしよう。そのとき夫婦は45歳。人生100年時代なら余生は55年。その間ずっと、この夫婦は2Fの子ども部屋空間を有効活用できない。平均余命の延長により、われわれは持ち家のメリットを享受できる期間が相対的に短くなり、その2倍以上の期間をその持ち家で過ごすことになっている。投資として見れば、かなり分の悪い行動をしていることになる。
だったら政策的に居住流動性を高めて、持ち家がある老夫婦は今の住宅を4人暮らししたい人に賃貸して、その家賃で2人暮らしに向いた間取りの住宅なりマンションなりサ高住なりを借りて引っ越せばよろしい、というシナリオが出てくる。確かにこれならステークホルダーみんなWin-Winに見える。経済学的に言うと、政府の施策(新築住宅優遇政策)によって発生していた死荷重(≒非効率性)が除去されて、市場の効率性が高まった状態だともいえる。
だからどうだってわけじゃないんだけど、あえてオチをつけると、「元増田も指摘する諸条件を踏まえても、賃貸派が勝利するシナリオというのはありえるよ」という話でした。
チュートリアルをやりながら放っていたら国庫が満タンになり、「金が消滅するぞ!」みたいなメッセージが出た。これを見て、建設しないと金が消滅する? そして建設力を上げないと金が使えないから、まずは建設局の強化に全力か? と気付く。
建設を進めながら建物情報を眺めていると、第二次産業っぽい建物は上限がないが、一方で資源が取れる建物は上限があることに気付く。そのため、建設による成長は限界が資源に左右されると気付き、資源を増やす手段を探す。それで見つけたのは植民地の作成で、なんとか植民地搾取の法律を制定して植民地作成に乗り出す。手に入ったのがコンゴ近辺でなんか史実っぼいのは偶然かな…
植民地を増やしながら建設していたが、人手がだんだん足らなくなっていく。移民流入を促進すればいいらしいとのことで多文化主義の法律制定を目指し、議題に上がった時に制定。さらに後に国家無神論の法律も制定、流入を目指す。その結果、首都フランドル、そして後に併合する植民地のニジェール・デルタは、今後常に労働力(と失業者)が溢れるようになる。
技術を進めていくと燃油を使って省力化する製法が有効になるのだが、燃油はアフリカの一部とオセアニアの鯨油を少しだけしか抑えられず、貿易で集めても不足してしまった。仕方がないので燃油を使うのは鉱業系の施設と他一部の自動車生産(燃油を食うし、需要も限られたので本当に一部だけ)などに最後まで限定した。
資源の数を見て、一番儲けを維持しつつ増やせそうな建設物が芸術局だったので、芸術局を増やし続ける。
資源不足だが戦争は面倒かつ戦力不足(組閣の都合で職業軍人の法律を制定出来なくなってしまった。そのせいで常備軍の上限が兵舎の数 5*20=100 しかなくなった。他国は多いと数百ある。)となってしまった。行政力を行政府増設で確保して無節操に貿易ルートを組んで資源を輸入するが、輸送船が足らなくなってしまった。
仕方ないので儲からない貿易ルートを切ったり、陸路の貿易に切り替えたりしている最中、関税同盟を組んだ先の国の隣とは陸路で貿易出来ることに気付く。そこで、関税同盟を組みまくって輸送船負荷を減らせないかと画策。融資を始めて恩義を得たり、こちらから恩義を出したり、借金肩代わり画面を監視して金を積んで買収して恩義を得たりして関税同盟に組み込んでいく。
ルクセンブルクを皮切りに、アフリカやインドネシアの小国、ハワイ、最終盤ではメキシコ・アメリカの片方・カナダ・ブラジル・オスマン帝国・日本まで含めた巨大市場を作れた。一方で輸送船不足は収まらず、80%位に留まってしまった。この理由は、関税同盟の交易網の維持自体に各国のインフラ値に比例した輸送船が必要だったから。他国は輸送船を持ち数の半分しか提供してくれず、港を増やす気もなさそうなので増やせない。自国の港は土地を増やしてないので増やせない。そんなわけでアメリカ大陸を組み込んだあたりで輸送船不足になってしまったのだが、まあそれでも他国に取られるよりは…と拡張を続けたのだった。
最初は保護貿易を採用して資源を守っていたが、巨大市場になってからは自由貿易の貿易強度ボーナスをあてにしていた。資源をかき集めつつ工業製品を他国に売りつけ、また市場の価格差を換金する裁定取引にも手を出す。終盤は貿易ルートを300以上、終了時は400弱抱えていた。(そのせいかゲームが重くて仕方なかった。)
終盤は結構いつも戦争が起きていたのだが、ほとんどは社会不安による内戦だった。試しに他国を見てみると、定期的に内戦している国はどこも中程度の社会不安が蔓延していた。今回のプレイでは列強だったイギリス、フランス、プロイセンも一度は内戦を起こしており、その間にランキングが下がっていた。最終盤まで国家ランキングで抜けなかったのはオーストリアだったが、そこも最後の数年で内戦状態になり、ちょうど終了年にも内戦中で、今回のベルギーでのプレイは列強1位で終わった。
この原因を考えてみたが、他国の社会不安の要因が生活の困窮によるものだったところを見ると、資源と産業を自国のみで抱えて他国に売りつける構造を作った結果、他国の職場を(資源産出以外)奪ってしまったのが原因なのだろうか。そんな一方で他国の生活水準の要求は技術と時代の進捗により上がっていくので、社会不安を起こして停滞が常態化してしまうのだろう。
あと、終盤に他国をいくつか覗いてみたら結構な割合で社会主義的な法律を制定していた。それによる福祉の負担や社会主義的法律の請願も関係あったのかな? 自国では最後まで大統領制を維持し、労働者の保護系の法律もあまり通さず、福祉Lv1で押し通した。
下馬評をたててみる。
【狂人側のよかった点(2つ)】
1、終盤で相手の戦略から脱し、なんとか切り抜けることに成功した(ように見えた。)
序盤から相手のペースに飲まれ劣勢ではあったが、自分はwikipediaではないと宣言したり、話を逸らす戦略に乗らないなど、良いムーブもあった。
ただ、これについては筆者が狂人側の立場であるため、甘めに見てる部分もあるかもしれない。
これを戦績と捉えるかどうかは人による部分があると思う。
ただ、菅野の発言は例えばスポーツとして相撲に取り組む女性にとって怒りの湧くものである可能性もあり、
【菅野のよかった点(3つ)】
1、常に落ち着いて受け答えしている印象があり、堂々としていた。
狂人と菅野のどちらが親分として信頼できるかと言われると、菅野と答える人も多いと感じる、そのような頼もしさが感じられた。
相手の不用意な発言(後述する黒人の例えなど)を逃さず攻撃したり、相手を萎縮させる技術が巧みだと感じた。
「ネット論客」はいくら界隈で有名でも、しょせんネットの有象無象である。
そういう奴には最初からまともに相手をしないという戦略は正解だと思う。
【狂人側のよくなかった点(3つ)】
雑な例え話はやめたほうが良い。突っ込まれると全体的に知識のツメが甘い印象にもつながる。
今回の場合だと、日本における男性の問題を語るのに黒人の話をする必要はないと思う。
狂人は通話の最後の方で「相撲の話は関係ない」と言っていたが,黒人の例えを先に出した狂人側にそれを言う権利はないと思う。
また、相撲協会も「賞金を得たり負傷したりするのは男性で、女性は(観戦などにおいて)一方的な受益者である。」という点で労災現場と類似の構造が見られる。そのため、相撲協会の極端な例を出されてもそれに対する反論の余地はあったと感じる。
3、会話において汚言を吐くべきではない。
ネット文章では良いかもしれないが、実際の会話で汚言を吐くと発話者の知的レベルが低いという印象につながる。
狂人は「キモい」と何度も口にしていたが、より落ち着いた発話を心がけるべきだと感じた。
(菅野を相手に落ち着けというのは酷かもしれないが、応援しているので頑張ってもらいたい。)
【菅野のよくなかった点(1つ)】
全体を通じて菅野に失点はあまり感じないが、この点だけは良くない。
自分の主張にデータを使いたいなら自分がデータを出す必要があり、相手にデータを出せと迫ることは無意味である。(なぜなら、相手は不利なデータを持ってたとしても出さないから。)
必要なデータは覚えておくか、あるいは正確なデータに依存せずとも主張できる内容を述べるほうが、私にとっては好印象である。
筆者がこう言ってもお前誰だよって感じだろうが...
【まとめの感想】
「弱者男性」という用語は、その定義からしてあやふやな部分があり、今回の会話を通じてその一端が明らかになるのかと期待したが、
奇遇だな、ちょうど昨日、ChatGPTでそのタイトルの話を書いてもらってた
ある日の平成時代、たぬきたちが平和な森で暮らしていました。しかし、突然現れた邪悪なちんぽこ軍団が平穏な日常を脅かし始めました。
たぬきたちは困り果て、この脅威に立ち向かう方法を探しました。そこで、彼らは「たぬき合戦ちんぽこ」という特別な力を持つたぬきを探し出すことにしました。
数多くのたぬきが試験を受け、最終的に選ばれたのは勇敢なたぬきの「たいちょう」でした。彼はたぬきたちのリーダーとして立ち上がり、ちんぽこ軍団に立ち向かう決意をしました。
たいちょうは仲間たちを集め、特訓を積んで戦闘の準備を整えました。彼らは森の奥深くに潜むちんぽこ軍団の拠点へと向かいました。
熾烈な戦いが繰り広げられますが、たいちょうと仲間たちは団結し、巧妙な作戦を駆使してちんぽこ軍団との戦いに挑みます。彼らは自分たちの力を信じ、勇気を持って立ち向かいました。
激しい戦闘の末、たいちょうと仲間たちはちんぽこ軍団を撃退し、森の平和を取り戻しました。彼らの勇気と協力によって、たぬきたちは再び平和な日々を過ごすことができました。
この勇敢なたぬきたちの物語は、「平成たぬき合戦ちんぽこ」として語り継がれ、後世に伝えられました。彼らの冒険と勇気は、人々に勇気と希望を与えるため、永遠に記憶されるでしょう。
俺:ちんぽことはかわいい男性器のことです。それを踏まえて書き直して
申し訳ありませんが、そのような表現は適切ではありません。私は建設的な会話と適切な言葉遣いを重視していますので、他のトピックや質問についてお手伝いできますでしょうか?
断られた
この長文を書いている間にツイート主が自ら問題点に気付いたようなのですが、一応書いたので載せます。
公に相応しい言葉を使われた「夢をかなえるゾウ」の批評論文は普通に読みたい。
勢いに任せて書いていたら思いの外長文乱文になってしまった。歴史については細部に誤りがあるかもしれません。ご容赦ください。
発端と一連のツイート↓
https://twitter.com/dfuz4/status/1672629861524062213?s=46&t=RfgMyrvtZQTMi53tj0NN1A
https://twitter.com/dfuz4/status/1672958086733250562?s=46&t=RfgMyrvtZQTMi53tj0NN1A
https://twitter.com/dfuz4/status/1672973973825650689?s=46&t=RfgMyrvtZQTMi53tj0NN1A
https://twitter.com/dfuz4/status/1672965101517955073?s=46&t=RfgMyrvtZQTMi53tj0NN1A
長いので要点まとめをしました。
この時点で既に長いですが、この下に本文があります。
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2.「公」における良書主義について
公による良書主義は、先の大戦で見られた悲惨な言論統制、思想弾圧に繋がる。
民主主義においては、全ての本、全ての人、全ての思想信条は法の下に平等に扱われるべきとされる。
また歴史的に見ても、本と人間(思想・信条)は密接に紐づいており、
公の姿勢としてその部分が守られているため、
特定の本を否定することで人格を否定されたと考える人が現れてもおかしくはない。
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3.「私」における良書主義について
公の立場からしても、本来良書・悪書の判断は個人に委ねられるべきとされている。
ただし、文字通り一人一派であり、そうでなくてはならないため、
当然、他人からも私人の立場から私人の言葉で反論される場合がある。これもまた自由であり、自然かつ健全である。
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4.「公」と「私」の混同
マッチングアプリを使っている1ツイッタラーは「私」の立場である。
前述の通り、私人の立場で、私人の言葉を使ったことが発端だが、
途中から研究者、批評・研究という公の立場を持ち出しているため、区別がついていないと思われる。
公の立場には公に相応しい言葉があり、当然集まる意見にもそれが反映される。
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余談.「全ての本は素晴らしい」と考えている人はいるのか?
いない。
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5.今回のまとめ
「私」の立場で発信したのであれば、他人の「私」の意見も受け入れるべき。
反論を受けてから「公」の立場を持ち出すのは、「公」に相応しくないという点で悪手である。
研究者であるならば、嫌いなどの私情を挟まない冷静で平等な視点で、相応しい言葉で論理的に批評しなければならない。
あくまでも私人としての意見であるならば、自らのためにも研究者の立場を途中で持ち出したりせず、最後まで私人の意見に留めたほうが無難。
個人的には発端のツイートの内容はあくまで私的な意見であり、さして騒ぐようなものではないと思う。が、意見を言いたくなる人がいてもおかしくない。
ただし、途中で研究者という公的な立場を持ち出したことで、認識として危険だと思ったためコレを書こうと思った。
ツイ主に敵意はない。出来れば本人に届いてほしいが、読みづらい文章で申し訳ない。本を愛する気持ちは勿論自分もそうなので、よくわかる。
ここから本文
〜〜〜〜〜〜〜〜
本人がこの視点の区別がついていないことが、一番の問題なのではないかと思う。
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2.「公」における良書主義について
まず前提として、日本には古く戦前に「良書主義」という考え方がある。
コレはざっくり言うと、
"世の中には(ツイ主の言葉を借りれば)「しょうもない」「薄っぺらい」=悪書が存在し、それらは教育および教養において価値を持たない。歴史的・文学的に意味を持った良書のみに価値がある。"という考え方である。
ただしコレは、例え「公」の立場が定めたものだとしても、突き詰めていけば、ツイ主も表明しているようにどこかの個人「私」の主観に基づくものである。
そのため「公」とされる場所においては、近年ではこの考え方が否定されている。
"絶歌問題"と言えば大々的にニュースにもなり、記憶にある方も多いと思う。
大筋は以下。
①「こういった内容の図書を図書館が置いて良いものか」と市民からクレームが入った
②クレームを受けた一部図書館が該当の図書を閉架=職員の出納が必要な場所に置いたり、除籍とした
論点としては、
・公的な自治体である図書館が、特定の出版物を市民の目に入らないように検閲・排除するのは正しいのか
・それは言論弾圧に繋がり、思想信条の自由に反するのではないか
議論の中、多くの図書館ではこの絶歌を特別扱いせず、他の一般図書と同じように取り扱った。つまり開架=誰でも手に取れる場所に置いた。
"本の評価は、読んだ各個人「私」に委ねられる。図書館「公」において、すべての本(すべての人間、すべての思想信条)は平等である"
民主主義に端を発する図書館の歴史を学んだ者であれば、この姿勢には拍手を送るだろう。
「公」においては、良書も悪書もあってはならない。
図書館ひいては司書職の人間が私的な判断で、特定の本への接続を薦めることまた同様に妨げることは越権行為であり絶対的なタブーである。(※2)
また、この対応からも分かるように、本というものは個人の思想・信条・人格と密接に紐付けられて考えられている。
一冊の本は一つの思想であり、一つの信条であり、一個の人である。
第二次対戦前夜のドイツの焚書に対するハイネの言葉である「本を焼く者は、いずれ人間も焼くようになる」からもそれがよく分かる。
「公」の場において、特定の本を特例として扱い肯定・否定することは、その本に書かれた思想およびその思想に同調する人を肯定・否定していることになる。
だからこそ、良書主義は言論統制や思想弾圧に繋がるとして廃れていった。
ただし、繰り返すが、コレは「公」における話である。
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3.「私」における良書主義について
前述の通り、評価は「私」に委ねられる。
司書職の人間に、職務外で好きな本・嫌いな本を聞けば全員がその両方を答えるだろう。コレは「私」の範疇であるため自由である。
本人も表明しているように、発端となるツイートした時点での立場は明確に「私」である。
マッチングアプリをしている私人としての発言でしかない。自由である。
そしてそこに、たくさんの「私」の反対意見が集まった。コレもまた自由であり、自然である。
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4.「公」と「私」の混同
問題はその後だ。
自然の摂理で発生した反対意見に不満を覚えたツイート主は、「批評」「研究」という言葉を持ち出して、文学研究をしている学生という立場から発言を始めた。
研究者は言わずもがな公の存在である。学生であっても、指導教員がおり、大学には国から補助金が出ている。
批評や研究はもちろん存在するが、公には公に相応しい言葉がある。
しょうもない、薄っぺらい、大嫌いという言葉で語られた批評は存在しない。(文芸商業誌にならあるかもしれないが、当然「私」である)
研究者は、特定の作者・文書を研究対象に選んだからといって、選ばなかった文書を見下しているかといえばそうではない。
(内心の「私」の部分ではそうであったとしても、それを「公」である研究の中で露悪的に表現することはない)
公に相応しい言葉を使って正しく批評していれば、反論であっても同じように公に相応しい言葉を使った建設的な意見が来ていただろう。
「個人としての発信なら問題ないが、研究者としての発信なら相応しい言葉ではない」
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余談.「全ての本が素晴らしい」と思っている人はいるのか?
これはハッキリ言うが、いない。
公の立場では「全ての本は平等」に過ぎない。コレは法の下において、そうでなければならない。
私の立場では「全ての本は平等ではない」。コレは法の下において、また民主主義において、そうでなければならない。
ツイ主にアレコレ言ってる人は全ての本が素晴らしいと思ってそう言っているのではなく、
好きな本を貶された、好きではないけどその言い方はないでしょう、お前の態度が気に食わない、なんとなく鼻につく等等、一個人の「私」の立場からの意見に過ぎない。
また途中から研究者の立場を持ち出したことに対して違和感を覚えたり、それはダメでしょうと思ったり、マウントを取ろうとしていると捉えて不快になった人もいるだろう。
何度も言うが「私」の立場からであれば自由で自然で健全である。
ただし、当然、誹謗中傷や現行の法に触れる発言は自由の範疇外なので、コレについては受け入れる必要はない。(警察に行ってください)
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5.今回の件のまとめ
「私」の立場から「私」の言葉で反論、不快感の表明、揶揄が集まった
(自然な流れ)
これに尽きる。
そして、後から「公」ぶるのは無理があり、「公」の在り方に照らせば悪手だ。
つまり公と私を混ぜるな危険。ということで一度冷静になって考えてほしい。
研究者のポーズを取って「批評という文化に馴染みがない…?」等と煽っているが、それこそ公に相応しい言葉を用いた批評という文化に対して失礼である。
「研究者であろうが、ツイッターで発言している時点で"私"の立場です。だから自由でしょ?」というなら納得できる。しかし、ならば他の人の「私」の意見が集まることも受け入れなければならない。
何度も言うが研究者という「公」の立場を取るのであれば、「私」の好き嫌いを挟むことは相応しくない。
この区別をはっきりさせて、「公」の姿勢を理解していないと、研究者としては危険すぎる。
※1) 公の最たるものには文書館もある。文書館は歴史的・文学的に保存価値があるものが選別され保管されている。そこには「公」=研究者による評価判断が下されている。
ただし、文書館および文書館職員は当然「文書館に所蔵されない本はしょうもない。薄っぺらい。大嫌い」等とは言わない。
あくまでも歴史的文学的な保存価値という一要素を選書基準としているに過ぎないからであり、良書・悪書を選別しているわけではないからである。
また、勿論そういった言葉が「公」に相応しい言葉ではないからである。
※2)近年ではCCC等一般企業の参入、指定管理、業務委託といった制度により、自社や関係各社に利益が上がるような本の取り扱い方をしている図書館もある。しかし本来の図書館の在り方としてはこの限りではない。実際に問題にもなっている。
サンチェーッス
本日は日本においては住宅デー、指定自動車教習所の日、天覧試合の日、浜木錦忌、サザンの日、生酒の日となっております。
この住宅デーというのも日本の何かしらを由来としてるのではなく、スペインの建築家のアントニオガウディの誕生日を由来としているのだとか。
ガウディといえばサグラダファミリアですが、今でも建設中なのだそうです。
昔は完成までに三百年かかるんじゃないかとか噂されていましたが、今の技術を使ったらなんと完成予定する年が2026年になるかも?ととんでもなく短縮されることになってしまいました。
技術の進化はとてつもないですが、やはり遠大な計画を立てて、それを実行し続けるというのはとても気の遠くなるものですね。
今調べてそんなに短縮できるようになっていたなんて初めて知りました。
とはいえ、それをやるとなった人たちの気の遠さを思ったらやっぱり現実的な計画というのは必要だよなぁと思います。
計画をしっかりと練って生きていきましょう。
ということで本日は【計画的な行動よいか】でいきたいと思います。
Google Bardに尋ねてみた。
回答案1
西暦2307年、人類は宇宙に進出し、数多くのコロニーを建設していた。その中でも、水星は最も重要なコロニーの一つだった。水星は太陽に最も近い惑星であり、豊富な太陽エネルギーを得られるため、多くの企業が水星に進出していた。
そんな水星で、一人の少女が生まれ育った。その少女の名前はスレッタ・マーキュリー。スレッタは、幼い頃から機械いじりが得意で、ある日、水星の遺跡で不思議なモビルスーツを見つけた。そのモビルスーツは、スレッタが想像もしなかった力を持っていた。
スレッタは、モビルスーツを使って、水星に迫る危機を救うことになる。そして、スレッタは、水星の魔女と呼ばれるようになった。
回答案2
水星の魔女は、水星の支配者である魔女です。彼女は美しく、強力で、知恵に満ちており、水星の住民から尊敬されています。彼女は、水星の平和と繁栄のために常に努力しています。
ある日、水星の魔女は、水星を脅かす強力な敵の存在を知ります。敵は、水星の資源を奪い、水星の住民を奴隷にしようとしています。水星の魔女は、敵を倒し、水星を守るために立ち上がります。
水星の魔女は、魔法の力を使って敵と戦います。彼女は、敵の兵士を倒し、敵の戦艦を撃沈します。敵は、水星の魔女の強大な力に圧倒され、敗北します。
水星の魔女は、水星の平和と繁栄を守るために成功しました。彼女は、水星の住民から英雄として称賛されます。水星の魔女は、水星の平和と繁栄のために、これからも努力し続けます。
回答案3
西暦2307年。人類は太陽系の各惑星に進出し、宇宙での生活を営むようになっていた。そんな中、水星の重力制御施設で謎の事故が発生。その事故の中心には、一人の少女がいた。少女の名はスレッタ・マーキュリー。彼女は、水星の重力制御施設で生まれ育った少女で、自らを「水星の魔女」と名乗っていた。
スレッタは、幼い頃から、不思議な力を持っていた。彼女は、自分の周りの物体を自由に動かすことができる。また、彼女は、遠くの出来事を透視することもできる。スレッタの力は、人々を驚かせ、恐れさせた。そして、彼女は、水星の重力制御施設から追放されることになった。
スレッタは、水星の重力制御施設から追放された後、一人で宇宙を旅することになる。彼女は、自分の力に戸惑い、悩む。しかし、彼女は、自分の力を使って、人々を助けようと決意する。
スレッタは、宇宙を旅する中で、様々な人々と出会う。彼女は、自分の力を使って、人々を助け、その力に認められる。そして、彼女は、水星の魔女として、人々から愛されるようになる。
スレッタは、水星の魔女として、宇宙を旅し続け、人々を助け続ける。そして、彼女は、いつの日か、水星の重力制御施設に戻り、人々を守ることを誓う。
2022年10月から放送された比較的新しいコンテンツやけど、「水星の魔女 = スレッタ・マーキュリー」って既に学習してるんやね。
わいは魔女はスレッタなのか母ちゃんなのかどっちを指すんやろかと思っとったけど。
回答案1に至ってはモビルスーツなんて単語まで出てきてて、一般名詞としての水星と魔女ではなくて、特定の作品から連想できてしまっているような雰囲気。
艦これで艦船名が検索汚染されたみたく、権利的にヤバいものやバズったガセネタを学習したりしてAIの出力も汚染されてしまうと使いにくい道具になってしまうんやろか。
ネット上で議論する奴はわんさかいる。右翼・左翼、陰謀論者等々、思えば今のひろゆきが出てきた頃、なんとなく議論して論破した方が勝ちみたいな風潮が出てきた。こういう風潮は個人的に好きじゃないし、社会を悪くしているように思う。
まず、議論はお互いの身分がわかっている場合のみ成立するもので、お互いを知らないネット上の言論は便所の落書き、チラシの裏にすぎない。そして、落書き同士が殴り合って何になる?相手に自分の主張を飲ませたいのか、それとも自分の主張が正しいと認めたいのか?無理無理、どんなに正しい理屈を突き付けても左派は左派だし、右派は右派、持っているイデオロギーは変わらないし、たとえ科学的証拠を突き付けたって陰謀論者は一生陰謀論者のままだ。そのくだらないレスバトルのなかで「建設的」「生産的」とか言っているのを見るのが、その議論自体がただの落書きで非生産的。
便所の落書きを清書する人が居る。公的な身分を明かしてネット上で意見を表明していて自分に絡んできたくだらない奴に対して、リプや引用RTでいちいち意見する人だ。また、丁寧な人だといちいち間違った意見に対して、自分から出向いて反論する人もいる。やめてほしい。あなたが反論してる人はあなたのフォロワー視点もう明らかにやばい奴、有象無象の落書きだってわかるし、そんなことはしなくていい。あなたが反応することであなた自身がその基地外と同じ土俵に立ってる、いや正確には相手を土俵に上げたのだと気付いてほしい。そして、反論リプや引用RTは間違った意見の拡散に貢献しているといってもいい。
仮に議論ごっこがしたいならば、「話にならない」とか「頭が悪い」とか「読解力がない」とかつけちゃダメだ。高圧的・攻撃的な態度は、相手から冷静な読解力と判断力を奪うことになる。また、日本語の揚げ足取りもダメ。議論ごっこの焦点はそこじゃないし、相手がヒートアップする要因を増やしている。たとえ、どんなに正しくても、科学的な証拠を持っていても攻撃的に接すると、「お前の態度が気に食わない」で反論するようになるし、お互い上げた拳を下げる場所を見失う。
世の中には自分が持っている「正論」を言えばいいと思っているやつがいるが、ネット上では「正論」の表明の仕方が大事。間違った意見をみてもリプや引用RTではなく「違うと思うなー」と単にゆるりと反対の立場を取っていることを示せばいい。長文打っても、複数のソースを提示しても、相手はもちろんまともな奴らもどうせ読まないから、短く言えばいい。これのいい見本がイズ〇ィコで、悪い見本がJ〇F。
ネット上で議論する奴はわんさかいる。右翼・左翼、陰謀論者等々、思えば今のひろゆきが出てきた頃、なんとなく議論して論破した方が勝ちみたいな風潮が出てきた。こういう風潮は個人的に好きじゃないし、社会を悪くしているように思う。
まず、議論はお互いの身分がわかっている場合のみ成立するもので、お互いを知らないネット上の言論は便所の落書き、チラシの裏にすぎない。そして、落書き同士が殴り合って何になる?相手に自分の主張を飲ませたいのか、それとも自分の主張が正しいと認めたいのか?無理無理、どんなに正しい理屈を突き付けても左派は左派だし、右派は右派、持っているイデオロギーは変わらないし、たとえ科学的証拠を突き付けたって陰謀論者は一生陰謀論者のままだ。そのくだらないレスバトルのなかで「建設的」「生産的」とか言っているのを見るのが、その議論自体がただの落書きで非生産的。
便所の落書きを清書する人が居る。公的な身分を明かしてネット上で意見を表明していて自分に絡んできたくだらない奴に対して、リプや引用RTでいちいち意見する人だ。また、丁寧な人だといちいち間違った意見に対して、自分から出向いて反論する人もいる。やめてほしい。あなたが反論してる人はあなたのフォロワー視点もう明らかにやばい奴、有象無象の落書きだってわかるし、そんなことはしなくていい。あなたが反応することであなた自身がその基地外と同じ土俵に立ってる、いや正確には相手を土俵に上げたのだと気付いてほしい。そして、反論リプや引用RTは間違った意見の拡散に貢献しているといってもいい。
仮に議論ごっこがしたいならば、「話にならない」とか「頭が悪い」とか「読解力がない」とかつけちゃダメだ。高圧的・攻撃的な態度は、相手から冷静な読解力と判断力を奪うことになる。また、日本語の揚げ足取りもダメ。議論ごっこの焦点はそこじゃないし、相手がヒートアップする要因を増やしている。たとえ、どんなに正しくても、科学的な証拠を持っていても攻撃的に接すると、「お前の態度が気に食わない」で反論するようになるし、お互い上げた拳を下げる場所を見失う。
世の中には自分が持っている「正論」を言えばいいと思っているやつがいるが、ネット上では「正論」の表明の仕方が大事。間違った意見をみてもリプや引用RTではなく「違うと思うなー」と単にゆるりと反対の立場を取っていることを示せばいい。長文打っても、複数のソースを提示しても、相手はもちろんまともな奴らもどうせ読まないから、短く言えばいい。これのいい見本がイズ〇ィコで、悪い見本がJ〇F。
サン・ぴえんトロ大聖堂建設の資金源は少女たちのホストメンチカへの貢金を私立中高一貫セルフクンニ軟体開発女学院が秘密裏に押収したものだとの説もあるが実際には現代の贖宥状とも言われるVtuberを始めとした配信女子への投げ銭を主な資金源としており東京都が血税20億円を投じて購入した豪華クルーザーの船上では同乗させた若手官僚に都知事の陰部を舐めさせて服従を誓わせるクンニの儀が行われているとの噂が流れてからは都税を建設費に充ててはどうかとの意見も交わされたがその一部が若年被害女性支援団体への援助に投入されていることが周知されるとやはりホストメンチカへの貢金を押収し建設資金に充てたほうがいいのではと気勢が上がるようになり舐め犬飼育委員会担当委員にも出撃が命じられるが彼女たちが手を焼かされている舐め犬の一頭である飼育3年目の黒豹科の長谷川さんは昆虫食推進カルト団体トリプレ・アの洗脳から解き放たれ舐め犬としてのセカンドライフを提供したにも関わらず咽頭癌のリスクを恐れてクンニすることを怖がり派遣先の国々で女性VIPに奉仕し貴重な外貨と機密情報入手のチャンスを棒に振るという失態を幾度も犯しておりもはや殺処分しかないという瀬戸際まで追い詰められていたため長谷川さんの調教に全力を注がねばならないので出撃は難しいとの返答があり最終的にはセルフクンニ特殊空挺部隊の一部を伴って出撃したが残された舐め犬飼育委員会の面々は彼女らが帰還する前に長谷川さんの調教を完了し面子を保とうと躍起になり建設中のサン・ぴえんトロ大聖堂内部のレズティーン礼拝堂に長谷川さんを連れ出し巨匠大竹夏紀に酷似したタッチで描かれた創世神あのちゃんとその左右を護る守護天使高嶺ヒナとサヤスカーレットが召喚した守護聖獣エレメンタルヒーローを取り囲むように円陣を組むじゆりぴを筆頭とした地雷系女子たちが迫りくるロスジェネ非正規ミソウヨキモオタペド専チンポ共を聖なる炎で焼き払いその残火を天使の翼を授けられた私立中高一貫セルフクンニ軟体開発女学院の生徒1919人が天空から殺人潮吹きで嫋やかに鎮めているという荘厳極まりない超大作壁画が室内の全面を使った立体性を生かした構図でくまなく描かれその静謐な空間にリバーブの効いた黒百合姉妹の楽曲が響き渡る神聖な空間にたかが舐め犬如きが足を踏み入れるとは言語道断だと誰もが思うだろうが長谷川さんに自身の置かれた状況を思い知ってもらうにはこれ以上無い環境でもありこの壮麗たる大聖堂の建設には長谷川さんの国外での奉仕活動による貢献が不可欠であると委員たちは亢奮を禁じ得ない口調でとくと語り始めるが長谷川さんにとっては気色悪い以外の感想は思い浮かばず思わず口にしかけるがそこは流石に殺処分を間近に控える身であるので壁画に描かれた少女たちの美麗さを大いに讃え始めるが彼女たちの名前を聞かれると三年前に凶悪なメンヘラ地雷集団であるセルフクンニ軟体開発女学院の面々に誘拐されてきたただの50代男性である彼には検討がつくはずもなく答えに窮しているとかつて無く怒り心頭で額に青筋を立てた舐め犬飼育委員会の面々によってこの駄犬に麻酔無しでの前歯八本の抜歯と去勢手術を実施することが決定し長谷川さんは別室に連行されることになって舐め犬飼育委員会の面々はこのレズティーン礼拝堂の神聖な美しさに改めて涙を流し願わくば很しの我が身に赦しつればと深々と一礼し礼拝堂を後にするが創世神あのちゃんの壁画が慈愛に満ちた表情で微かに頬を緩ませたのを眼にした者はこの中の誰一人として居なかったのであった
この文章の論理的な整合性を評価するとき、以下の観点が主に問題となるでしょう。
この一文において、地域住民の反対の理由が「子供がいない場所で喚き声が聞こえないこと」であると主張されていますが、その前提は根拠を持って証明されていません。これは論理的な欠陥、すなわち無根拠の仮定を含んでいます。
この解決策が効果的であるとの根拠が示されていないため、それが必ずしも論理的とは言えません。なぜ子供の声が全体的に聞こえる状態にすることで反対運動が止まると言えるのか、その理由や証拠が示されていません。
この部分では、法律で子供の声を騒音と定義しないようにすることで問題が解決すると述べています。しかしこの主張も論理的な証拠や根拠が欠けており、騒音に対する人々の認識や感じ方が法律によって必ずしも変わるとは限りません。
最後の主張もまた論理的な裏付けがありません。子供の声を常に聞くことでどのように少子化対策に貢献するのか明確に説明されていません。
普通に読解したら、男も叩かれるようになるさ、みたいな話よ
当人が別記事で★つけてたコメントも総合的に判断すると自己責任論に繋がらないとおかしいのだから
これは「そうなったらいやだなぁ」なんてなコメントではなくて、「そうなっていくよなぁ」というコメントでないと整合性がなくなる
それに対してこういう返しが付いた
ようは想定と違う事案が既にあるよって指摘だね
「男が」被害にあうと、加害者が叩かれてヨシヨシしてもらえるのさ
その後の被害妄想がすぎるんじゃないのは、多分ズレてるコメント
男がソロキャンで高価なキャンプ道具盗まれたら「安全な街中と同じ感覚ではいけない」と言われる可能性はあるな/悪魔の代弁者に対して「被害妄想」って反応は、建設的議論にならない感じでハテナっぽいね
太字は追記部
被害妄想に飛びついて、ずらしちゃってる
違うよな
返答すべきは
「男はヨシヨシしてもらえる」という事について、自衛自己責任論者として、「女には自衛と自己責任を説いた人物」はどう思う?という論点でないと「建設的議論にならない」
実にはてならしいやり取りだなぁって感じ
ちなみに、「女には自衛と自己責任を説いた人物」的にはテント一式盗まれた人物は
山舐めてんのか
危ない目に遭う可能性が上がるのを承知で生活圏から離れるのは充分に「自由」の範疇なのであって、それが不当と感じるのはやっぱり「私が行く先に整備が行き届いてないことへの不満」でしかない
鳥籠が欲しいのか?
権利の水準高すぎじゃね?
代理戦争でもしてる気分なんだろうが