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はてなキーワード: 師弟とは

2015-09-13

遺伝子抗うのは不可能なのだろうか

私が高校生とき

父親の度重なる浮気が原因で両親が離婚した。

それ以前にも危機は何度も訪れていて、初めは私も泣きじゃくっていたけれど、

しまいには「早く離婚すればいいのに」と思うようになっていた。

つまるところ父親は、離婚危機が訪れようと、子どもに泣かれようと、妻に愛想を尽かされようと、

浮気をやめることができなかったのだ。

父親は仕事のよくできる人で、子供たちにも優しかった。だからそれなりに好きだったのだけれど、

その件以降、純粋に育ててくれたことを感謝できないでいる。

同じ女だからというのもあるかもしれないが、私は完全に母親寄りだった。

家の中の死角になるような場所で縮こまって泣いている母親を何度も見て、悔しさとも憐れみともつかない感情を抱いていた。

欲望に負け、信じている人を裏切るという最も下劣行為を繰り返す父を憎みさえしていた。

そして、母親を憐れむのと同時に、私はこんなことをする男とは一緒になるまい、と固く決意したのである

★★★

時は流れ、そういったゴタゴタによる傷も大分癒えてきた、と感じるようになった。

そんな今、

私は恋をしている。たぶん今までで一番、溺れてしまっている。

相手はかなり年上のエリートサラリーマン

頭が切れて、自分絶対の自信を持っていて、何より人生を全力で楽しんでいる人。

自分にないものをたくさん持っているその人を好きになるのに、時間はかからなかった。

最初師弟関係のような感じで、仕事の悩みを聞いてもらったり、仕事に関することを教えてもらうだけだった。

しかし、親しさが増すにつれ、私の気持ちがあちらに伝わってしまったのだろうか、

あれよあれよという間に、「そういうこと」をする仲になってしまった。

はいえ愛の言葉を囁かれたりするわけではなく、これは都合のいい女ってやつなのだろうか、と不安に思いながらも、

彼に抱きしめてもらえる幸せの方が大きくて、そのままズルズルと関係を続けてしまった。

ある日、隣で寝ている私に向かって、彼は爆弾を放った。

「俺が●●と結婚しても、この関係続けてくれる?」

●●とは、彼が私とそういう関係になる前に分かれていたはずの彼女名前だ。

私は混乱しながらも彼を問い詰め、衝撃の事実が発覚した。

本命の●●とはまだ続いていて、結婚間近だということ。

さらに、私の他にも定期的に会ってそういうことをする女が3人ほどいるということ。

彼は、わかってると思ってた、と言った。

そりゃ、何となく私はキープなんだろうと思ってはいたけど。

まさか本命がいて。さらに私は何番目かの女だったなんて。

信じられなかった。

さらに信じがたいことに、私は今も、その男との関係をやめられないでいる。

かつて私をさんざん苦しめた「浮気」の片棒を担いでいる、と分かっていながらも。

私は、憎かった父親と同じ過ちを犯しているのだ、と感じていながらも。

私は彼が、どうしようもないくらいに好きなのだ。誰よりも。だから仕方ない、そう自分言い訳をして。

人間は欲望の前には無力だ。つくづく、そう感じる。

そしてきっと私の遺伝子には、特に強く、

欲望に負け、過ちを繰り返す、そんな特性が刻み込まれているのだろう。

この状態を抜け出したいとは思っている、けれど、

どうにもならないことってあるんだよ、と

あの日の私に向かって手を合わせている、そんな今。

2015-08-27

http://anond.hatelabo.jp/20150827010148

相対は 相対する二者の関係で それは二つを観測する第三者視点だろ

相関は お互いがお互いの関係性についてだ

先生と呼ぶ人 呼ばれる人 師弟関係 相関

先生を呼ばれた人 赤の他人 相関

赤の他人からみて先生は 先生たりうるのか 相対

というか先生赤の他人関係性はなく 観測からみて 記憶という同列に存在しているから相関を成せるというこじつけ

自分仲介して関係性を持たせなければ)実際には全く関係がないので

先生赤の他人の相関を考慮する必要はない

2015-08-15

グラフィックデザイン業界の所感

グラフィックデザイン文脈でよく語られるデザイン史は、バウハウスから始まって、グーテンベルク活版印刷雑誌時代エディトリアルデザイン広告コミュニケーションテクノロジーとの融合というものだ。また別軸で、グラフィックデザイナー職能として、工業化社会における機械製品美学的側面を整えるという歴史があった。まさにテクノロジーの隆盛と歩んできたデザインである生活を便利にする機械製品電話洗濯機など)は生まれパーソナルコンピューターは普及した。そして、グラフィックデザインをするためのツール思想は世の中に溢れ、誰でもグラフィックデザイン勉強ができ、誰でもデザインを作れ、誰でもそういう成果物に対して口出しできるようになった。

いつからか、総合的な計画であるはずのデザイン行為の中から美学的側面」のみが取り出されて、それに対しての褒賞制度が整えられたのだ。日本で言えば、たとえばJAGDAの褒賞制度特にグラフィックデザイン業界におけるそれら褒賞制度は、そのほとんどが美学的側面の評価しかしていないので、それがビジネスを支えるツールとして、実際的に機能であるかどうか定量的に計測されていないだろうし、主催者も応募者もそういう側面でしか見てなくて、内輪で楽しく賞を送り合っている構図がよく想像される。その外に居る人がどれだけ社会に対してインパクトのある仕事(例えば新しいムーブメントを起こしたり、技術生活基盤を進歩させたりなど)をしても評価はされないのだ。格好良くないという一言で、彼らのコミュニティから排除される。いつまでもはびこる師弟制度ごますりが必要コミュニティ入会の現状。

デザイナーではない人はそもそも「上位の概念としてのデザイン」に対するリテラシーがないので、デザイン=格好良くてお洒落な見た目をつくること、という短絡的な思考しかデザイン評価できない。つまり、受賞した人間はいものを作っていると。しかし褒賞制度がそもそも歪んでいるので、受賞者がビジネス社会ライフサイクル的な側面に目を向けられる人間かどうかという評価視点が抜け落ちてしまっている。僕はこういったデザイナー達を「グラフィックアーティスト」と呼んでいる。決して「デザイナー」ではない。

本来的にビジネス協調すべきデザイン活動が、それを無視した褒賞制度によって、奇抜なことをするデザイナーこそ優秀であるという歪んだ理解社会に溢れてしまった。そういうデザイナーたちがつくり上げるものには、機能的側面が欠落してしまうことが多いと思う。デザイン機能的側面が考慮されないデザインは、はたしてデザインと呼べるのか。社会をより進歩させ得る力があるのだろうか。

また別の観点では、現在多くの美術教育現場にも問題があると思う。教育者自体が、旧来的なグラフィックデザイン文脈で育っているので、そのような視点しかデザインを捉えておらず、結果的美学的側面を整えることに教育の主眼が置かれてしまっている。デザインという手法社会コミュニケーション活性化させ、より良い文化システムを構築し、ビジネスにおける利潤獲得のための手法であることが教育されていない。そうして、再び無能グラフィックアーティストが量産されてゆくのだ。若いデザイナーの元で育ったほうが、明らかに的を射た考え方を獲得できるとおもう。

ここ数年、自分生業であるグラフィックデザインはそろそろ終わるんじゃないかなと思ってる。コミュニティ思考高齢化しているし、かと言って新しい考え方を積極的に取り込んで体質の健全化に取り組もうとしない。デザインもっと価値のあるものにするためのデザイン領域を俺は見つけたからいいんだけど、変化せず進歩のないコミュニティ未来はないとだけは言っておきたい。

美しくあることは大事だと思う。美しいことは心を豊かにしてくれる。しかし、それ以外のもっと大事なことにも一緒に目を向けてほしいと思うのだ。

2015-06-10

http://anond.hatelabo.jp/20150610143706

女性は報奨金が出たりプロとして残れる基準が緩かったりして優遇されているのでそこそこの強さで食べていけるが、男性は強くなれなければ潰しがきかない。

から相当の努力をするというのはあるだろう。

プロになれなければ26歳で奨励会強制的に退会させられてしまう。

自殺する人もいるしその後に大学に行く人もいる。

あと現代では廃れてしまったが将棋では師弟関係重要で男女ではうまくそれが築けないというのも過去問題として存在していたんじゃないか。

まあ女性社会進出も日本は遅れているし女流棋士もまだこれからでしょう。

2015-05-22

http://anond.hatelabo.jp/20150522000047

歴史的経緯師弟関係とかで分類されてるんだろうけど既に実態表現する言葉じゃないから他の用語を使用すべきだね。

ただ、極左とか極右とかレッテルを張るために便利に使われ続けるだろうなと思う。

2014-12-03

劣等感の季節

ある種の人々は言いようのない劣等感を感じている。というか、青春期、人々の多くは言いようのない劣等感を感じているように思う。それは書物で見る限り昔からのようだ。

「その劣等感はどこから来たのか?」とか「どんな理由で感じるのか?」という問いにはあまり意味はない。おそらくそれは青年が何者でもなくて何が出来るかもわからない不安から生じているのだとは思うけれど、そんなことが分かったところで劣等感はなくならないからだ。正解でも不正解でも、あんまり意味がない。

十代でなんとかしないと、という焦りはこないだの青木君の小四なりすましの話に似ている。僕もそうだった。僕らの世代だと登大遊氏なんかが結構輝いてて、ああいう感じにならなきゃ、と思っていた節はある。十代の時になにか成し遂げないといけない、そのためには誰かに認めてもらわなければならないという焦りは、どれくらいの「大人」に理解してもらえることなのだろうか?

http://anond.hatelabo.jp/20141202220427

上の増田は嘆いているけれどその苦しさってそこまでユニークじゃない。「大人」の多くはその苦しみを経過して(乗り越えてとは言わない)大人になっているよ。

大人だってむかしは若者だったし若者だった以上にチンピラだった。Webの情報支援がなかった昔の若者はいまの若者以上に何も出来なくてずっとずっとボンクラだった。大人の多くは自己努力青春だの成長だのしてきたつもりでいるから、上から目線説教したりするかもしれかもしれないけれど、それって高度成長期があったせいであって別段昔の若者が優れてたわけじゃない。

断言する、昔の若者ボンクラだった。公平のために弁護すると、それは昔の若者能力が低かったというよりも、さまざまな課題解決のためのフレームマニュアルが共有化されていなかったせいだ。だからその時代口コミ師弟関係親族関係重要だったしコミュ障は今よりずっとスポイルされてた。また、だからこそ「無鉄砲な行動力」が重要視されていた。体当たりノウハウを積み重ねるというのが今よりずっと意味があったからだ。(なぜならそうして取得したノウハウは簡単には共有されないので差別化の原資になったからだ)。

今の若者はWebによる情報支援があり、さまざまな課題に関して極上のマニュアルを入手することが出来る。遭遇しうるありとあらゆる問題に対して、それを解決した先人がいて、おおよそどうすればいいのかわからないということがない。進学、就職研究技術的な学習恋愛人間関係法律問題。様々なマニュアルや手記がWebにはある。少なくとも手がかりは存在する。

そのメリットがある半面、隣を走ってる同年代の姿もよく見えるようになって、それが劣等感レンズとして視界をゆがめている部分があるにせよ、それでもこの情報支援は大きい。今の若者は昔の若者無意味強気ボンクラさに比べて、様々なことを実にスマートにこなす。紳士だし慌てないし礼儀正しいし、誤解を恐れずに言えば「有能」だ。

それはおそらく、いわれのない劣等感にさいなまれている増田でさえ有能なんだ。

オタクサブカルを敵視したのか、サブカルオタク差別したのか、はてなブックマークコメント欄も白熱しており、ヤンキーも巻き込んで混然としています

http://hatenanews.com/articles/201412/23089

から、この記事に見られるようなオタクサブカル、あるいはそれに加えてヤンキー同士の抗争というのも実は本質的ではない。本質劣等感だ。

いわれのない劣等感がまず先だって存在し、その劣等感は消去できない。麻痺させるしかない。劣等感麻痺させるいわば痛み止めとして、この種の抗争が存在する。ほとんどすべての人間は、無名の置換可能な消費単位しかない。若者であればそれはなおさらだ。そんなことは当たり前なのだから、そこで劣等感を感じるべきではない。しか青春期の自意識にとってはそうではないので、劣等感を感じるし、その劣等感を痛み止めするために、近しい場所にいる別の消費者罵倒してるだけだ。

歳をとるとその過程で様々なケーススタディ経験するし、見聞する。若いころ、世界には才能ある人(100点)とクズ(0点)しかいないように思う。

もちろん年を取ったこの世界にも100点の人と0点の人はいる。でもそれ以外の点数の人々もいるってわかってくる。わかってくるっていうのは、例えば42点の人がいるということじゃない。そんなことは(理論的には)若者の時だってわかっていた。

わかるのは「42点の人と41点の人の間にある差」だ。そのわずか1点の差が、彼我の間の明暗を分けるというような例をたくさん目にすることになる。「1点の差の大きさ」が実感としてわかるようになる。そもそもある年代を100点で分割すれば、任意社会人自分職場で見ることのできる人間の幅なんて5点差くらいしかないんだ。「俺の今いる会社にいるのは38点~43点」とかそんな感じ。しかたかがその5点の間の距離が、越えがたく遠いということもわかる。新入社員39点が40点に成長するのはすごく大変だ。

そしてこの点数はジャンル技能ごとに分かれていてその種類も百種類じゃ利かないってこともわかってくる。つまりどういうことかというと、人間ってのは恐ろしく膨大なパラメータ構成されていて、若いころ思ってたよりもその距離感は遠く、埋めがたく、複雑だってことだ。マクロに見てみれば確かに消費単位としての人間なんて似たようなものだけど、ミクロに見てみればAさんにできてBさんにはできない、って問題にあふれすぎている。卑近なことでいってみれば「議事録手際よくまとめてコピーして事前に配布しておく」程度のことでさえ、人間人間の間には差があって埋めがたい――それが中年になるとわかる。

その種の格差ってのはもちろん絶望でもあるんだけど、一方で解脱というか、いいことでもある。

少なくとも「世界は才能ある人(100点)とクズ(0点)でできている」みたいに乱暴で便利で安易絶望には向かわないですむようになる。

世界を二種類で塗り分けるってのはずいぶん簡単で、その若い絶望は手抜きだったんだな、ってわかるようになるんだ。

若者はまだケーススタディが足りてないから「俺は0点だ!世界はクソだ!」とか叫ぶけれど、ちゃんと観察を続ければ(たとえば)自分は28点だってのがわかってくる。もちろん自分が28点しかないってのは、そりゃたしかがっかりするけれど、27点の人との間にある圧倒的なアドバンテージも同時にわかってくる。それが解れば、28点全部を放り出して「俺は0点だ!」なんて思いもしなくなる。

それに遠いとはいえ29点の方向もわかるようになる。29点になる為の1点を100分割して28・01点のためになら多少歩くことだってできる。これはなにも努力至上主義みたいな話ではなくて、どちらかというと、真っ暗で見たことも聞いたこともない砂漠に放り出された時、地図を持ってるのと持ってないのとでは大違いだ、という話に近い。努力をしなきゃならん、すべきだ、という話ではなくて、自分に何が出来て何ができないか(=自分の点数もわからない)で生きていくのは、生死にかかわるほど不便だってももちろんだけど、ただわからないというそれだけで死ぬほど不安で不幸なことだって話だ。

そんなわけで、ここでいう若さ特有劣等感は嵐みたいなもの中年になれば消える。すくなくともどっかの職場で働いて自分の姿が見えてくれば薄れていく。1点の差を乗り越えるためにグダグダ数年を過ごせば、懐かしくなる程度には過去になる。そこだけは、おっさんとして、安心してもいいんだよ、と言いたい。

2014-08-11

http://anond.hatelabo.jp/20140811165226

ギャンブルに例えるのはあれだが、まあ、研究なんてある意味どれもギャンブルみたいなものなので正しいとも思うけども。

① 怪しいデータ無視して論文を完成させる → すれば莫大な予算と名声、仮に不正データが露呈してもコリゲンダム程度かな?

② 怪しいデータを突っ返して小保方を問い詰め、関係を終了 → 自分を含め幹部採用責任を問われる

に関しては、まず、ほとんどの人が勘違いと言うか正しく理解してないと思うんだけど、

今回のSTAPに関して、笹井さん主導で実験を行ったものでは無いし、理研でこの時点では確実に小保方氏がSTAPに関しては一番の研究者だったわけだ(それが虚構であるのは別として)

笹井さんにしてみれば小保方氏の論理を聞いた上で小保方氏のデータを見る、と言うことしか出来ないわけで、

少なくとも論文執筆の時点では100%確信を持ってたと思うが。

STAPの実験に関しても、1からずっと理研でやっていたならともかく、

もう論文投稿したことも在るような事の確認研究程度しかやってないみたいだし(それも実際やってたかどうかすら疑問なところだけど)。

師弟関係」みたいな表現されるけど、単に一人の研究者同士の付き合いでしか無いと思うんだが。

ただ、小保方氏があまり論文執筆無能だったから笹井さんが論文を各部分を手伝った、というだけで。



から、この時点で笹井さんにとって見れば別にギャンブルでも何でも無いと思うが。

ユニットリーダーまでに昇格させたのは多少ギャンブル要素があるかもしれないが、「女」を無駄にある程度のポストに就かせるのは日本全体的に行われてる愚行だし、

得にこの時は同時に他の女もユニットリーダーになってるので広報的にも二人同時の女ユニットリーダー誕生ある意味必須で丁度良いタイミングだった、程度だろう。




第二の賭け:論文疑惑露呈から記者会見

① 全て虚構でしたと言って謝罪する → 論文共著者および理研CDBの権威は失墜、Natureおよび姉妹から出禁研究費獲得もかなり厳しい。

しかし駒沢&下村など過去の例を考えれば、少なくとも小保方以外は科学者として退場というレベルの厳しい責任追及はない。

② 些細な取り違えであり現象自体リアルフェノメノン → ウソをつき通せればフェードアウトできる。無理ならみんな終わり。

まず、1の場合でもCDBの権威失墜、にはならない。そんなこと言ったら東大京大も今頃潰れてる。

Natureから出禁もない。

研究費については小保方氏はもう追放だが、笹井さん自身が今後一切の獲得が無理か、といえばそんなレベルではない。

2,3年の懲戒的な処分はあるかもしれんが。

2の様な感覚はありえない。それ程バカ人間があそこまでは行けない。

従って別に彼自信が2に賭けたわけではない。実際、3月の時点で辞表を提出してるわけで、

責任は感じてるし論文自体ダメな事は十分理解してる。

それが「リアルフェノメノン」であっても何も意味がないことくらいは研究者なら誰でも分かる話。

あんたみたいな人が理解できてないだけ。

少なくとも私はあの会見で自信が揺らぎ、「あれ、やっぱりSTAP現象自体リアルフェノメノンなのかな。いやいやそんなわけあるかい

でも論理的には筋が通っているし・・・。」ぐらいまで揺さぶられた。

こんなことをいうが、実際研究者達は誰もそんなことを感じてない。

論文は明らかに不正があったのは明らかになった結果、今は自分ではどうしようもない、と言った印象。

早く上が処分してあげれば良いのに、というかそれしかないのに、といった。

上にも書いたが本人は辞表を出していたし、周りの人も、彼の今後を考えたら辞めさせて他で再出発するしか無い、と言った声が多かったにも関わらず

理研処分を保留してたため、やめることすら出来なかった状況。

その状況下で理研主導の記者会見では何もいいようがなかっただけ。

2014-05-10

http://anond.hatelabo.jp/20140509181846

伝説化してるような天才

これ、すげー知りたいw

今ではもう幻とか都市伝説に近い存在だけど、戦前とか戦後すぐとか、大学生のものが少ない時期には多かったのかもねえ

それはそれで師弟関係のしばりがきつそうでいやだけど

今は今で競争が激しすぎていやだなあ

そこそこ能力はあるんだけど、研究ポストが取れるほどの能力には足りない、みたいな人が救われない状況になっててなんとも能力野ざらし状態の廃墟な感じ

もったいないなあ

2014-01-24

http://anond.hatelabo.jp/20140124145651

えっ?

教授学生は対等だよ

教授立場を利用してどうこうしようとしたら、すぐにアカハラで問題になるから

昔みたいな師弟関係的な研究室もあるにはあるけど、最近はほぼ対等

教授学生自分研究スタッフとして活用

学生教授の持つ知識・経験や伝手を最大限に利用して人生を切り開く

お互いに利用し合う存在しかないよ

2014-01-11

日本全体主義

保守」を名乗ったり、さらには「右翼」だとか「皇国主義者」だとかいわれたりする人たちをみていると、「本当に天皇を崇敬しているのか?」と思える人が少なくない。

天皇は、とても穏やかで柔和だ。

それに比べると、彼らの中には、攻撃的で高圧的、威圧的な人が少なくない。街宣車で大騒ぎしたりするのにしてもそうだし、官邸周辺でのデモ活動を「テロ」呼ばわりするのにしてもやはり、そうだ。

理屈の上ではきっと、彼らは、天皇陛下に代わって、天皇陛下を護衛する「親衛隊」のたぐいであるつもりなのだろう。だが、私からすると、例えば、師弟にしても親子にしてもそうだが、敬愛する方の性格に似ても似つかない子弟なんて不肖だと思える。

さて、日本の、少なくとも江戸時代以降の社会文化というのは、中国儒教の影響を受けた、国家大家族主義だ。家父長主義、「家制度」ともいわれる。そのため、「俺がなんとかしてやる」というパターナリズム父性主義)の傾向が強く、社会全体が共依存気質をもっている。それはいまでも、政治家にしても、妻子をもつ世帯主の男にしても、そういう傾向がある。彼らはしばしば悩みを抱え込んで死ぬことすら、少なくない。

例えば戦争をして多数の「家族」を死なせたのも、善いわけがない。家族を死なせるというのは、あきらかな悪だ。だから、本当の日本的・保守的な発想であれば、「死んでしまった者は還ってこないのだから、もうしかたがない。だが、仲間を死なせたのは悪いことだ」と、結果は受け入れざるをえないが、倫理道徳観は維持することになる。「確定した結果はしかたがない」という発想も、日本的特徴で、外国人からはしばしば不可解に思えるようだが。結果に対しても是が非でも許容しないという感情・意地がある人たちからすると不可解だろうし、行為であろうが結果であろうが固定実体的に善悪を下すひとたちからしても、不可解なのかもしれない。

家族を死なせてしまうのは、善いわけがない。戦争をして、殺しあいのために戦地に赴かせるのも(他人を殺させるのも、殺されるのも)善くないし、ましてや本土空襲で多数の家族死ぬのも、善いわけがない。あの太平洋戦争でたくさんの人が戦地に行ったのは、本土の家族を護衛するため、しかたがなかったからだ。

死んでしまったものはしかたがない。だが、いま生きているものを死なせるのは善くない。

例えば、安倍晋三君が靖國神社に参拝しつつも「不戦の誓い」などといういささか奇異な妥協をしようとし、ところが自民党内では「靖國は不戦の誓いをするような場所ではない」とケチがついて党の運動方針から撤回となったそうだ。はたして自民党のひとたちは、本当の「保守なのだろうか? おそらく、いまの自民党は、真のこころざしのある者たちが降板したから、結果的に「極右化」、エセ・まがいものの「保守化」をしてしまったのではないか。それなのに、既成事実として自民党が多数派で政権を担ってきた、その母体があるがゆえに、まがいものの「保守」が政権を握ってしまっているのだろう。

なんだか、皮肉なことに、例えば社民党だとか共産党だとかの人命を強調する人たちのほうが、私には「保守的」にみえて滑稽だ。いや、実のところはおそらく、合議・話しあいというのが本当の日本文化で、それは言い換えればときに「民主主義」ともいうし、「コミュニズム」ともいうのかもしれない。

いまの日本はいったい、なにが偉いのだろうか? 戦争にしても、原発にしても、自殺者が日常的に多数出ているのにしても、なぜなのだろうか。大切なものを見失っているのだと思う。カネと贅沢が偉いのだろうか。あるいは、世界投資家にいい顔をするのが重要なのだろうか。

私には、その理屈はみえても、共感はしえない。

2013-10-24

ダメダメな部下を嬉々として語る上司

http://anond.hatelabo.jp/20131024133238

この手のタイプは一見熱心に部下を指導するデキる上司に見えるが

実はただ単に自分仕事に対する全能感を保つために、

好きなだけ卑下できる部下が居てくれて内心安堵している。

まりダメダメな部下を

「なんでこんなこともできないんだろう?」

とグチをこぼして快感を得るのが目的であり、実は本人の成長は願っていない。

もし部下が仕事を終えられず自分に回ってきたら

「しょおがねぇなぁ~wやっぱ俺がいないとダメだろ?」

と、嬉し半分憎さ半分で仕事に取り掛かっているはず。

「こんなダメダメな部下、に比べてこんなに仕事がデキるオレ」

という構図に酔いしれているのだ。

直接自分がデキる人間だと吹聴して回るより

ダメダメ人間との対比で暗にデキる俺アピールをした方が

聞く側は嫌味に聞こえないし、心配してもらえる。

自分でやった方が早い病」の更にエスカレートしたバージョンだ。

もしこの部下が自分若い頃よりも仕事が出来る人間だったら

自分の編み出した方法論が否定された気になって

その部下は別の意味で気に食わなかっただろう。

認めるとしたら自分方法論に100%のっとった仕事術を再現する部下しか認めない。

上司と部下を師弟関係と混同しているタイプだ。

俺としては自分が自主的に考えて仕事術を編み出したんだから

その部下にも自主的に考えさせてやりゃいいのに、って思う。

その上で結果がうまくいかなくて助けを求めていればサポートしてやる。

それが本当の新人教育だと思う。

新人教育は息の長い作業で、自分のやり方をトレースさせりゃいいわけじゃないってことを

自覚してほしい。

2013-06-15

アニメなりドラマなりでよくある設定で、主人公とかの師匠格にあたるキャラクター死ぬパターンあるじゃん

戦闘中死ぬとか病気に冒されて死ぬとか死に方はいろいろだけどとにかく死ぬわけだ。

で、もともと真面目に師弟関係やってた主人公であればもちろん師匠の死を受けて遺志を継ぐためにより厳しい修行するし、

それまであんまり真面目に師弟やってなかった主人公場合、これを契機に人が変わったみたいになって修行に励む、みたいなのよくあるじゃん

アレって現実でも必ず起こるもんかしらと思ってたけど全然そうじゃなかったね。

俺の場合、恩師が亡くなってそろそろ4年経つんだけど、自分でも引くくらいなんにもしてこなかった。

いや一応研究もどきはしたよ。名ばかりの論文書いたりちょろっと学会発表したりはした。でもそんだけ。

亡くなった直後は妙に悲壮感に駆られて、これからは立派な研究者になるんだ! とか思ってたはずなんだけどね。

命中もロクなことしなくて呆れられてたけど、亡くなってからもなんといって心構えが変わったりしてない。

で、現状、OD続けてても先が見えないからって夜逃げ同然に就職活動中だよ。それすらどうなるかわかんない。

自分で嗤っちゃうよ。何してんだ俺。

あー、本当は書き始める前から気づいてたけど、ただ単に俺がクズだってだけだな。

2013-05-19

とある漫画家の熱狂的女性ファンの話

とある漫画家Aのファンを15年来やっていた

ファンレターもずいぶん長い間送りつづけていたし

連載雑誌はもちろんゲストで描いたイラストインタビューなどが載っている雑誌も新旧含めてすべて所持

さらには単行本の巻末おまけなどから推測される師弟関係などの未確認情報もまとめて自分ブログに載せていた

師弟関係については、元アシの人から直接ブログコメントがきて新しい情報が増えたり、匿名コメがきたりで楽しかった

そんなこんなしているうちに、Bと名乗る人物からメルフォに1通のメールがきた

A先生情報がこんなに詳しくのっているサイトは初めてでうれしいです。ぜひお友達になっていろいろお話しましょう!」

BというHNに見覚えがあった

一時期Aファン(といってもごくせまいコミュニティ)の間で話題になったブログ管理人

ブログで堂々と顔出ししていたこと(当時彼女高校生だった)、Aとの結婚願望を隠さない等、いろいろな要素が相まってヲチ対象になっていた

しかブログの文章そのものおもしろく、自作ファンアート漫画レビューも好みで、私はひそかにブックマークして毎日通っていた

Aに会うためにAがネームに通っているファミレス(これは単行本のおまけページから推測したらしい)でアルバイトをはじめたこと

Aにプリクラメアド入りのファンレターを送ったこと

そしてAからメールで返信が来たらしいことを匂わす記事をアップしたあと、ついにブログ炎上

あっというまに閉鎖してしまった

5年も前、たった数か月間の出来事だったがすぐに思い出すことができた

Bの行動力とA先生に対する熱意がずっと心にひっかかっていて、自分もいつかファンブログをやろうと決意したからだ

もしかして(当時のブログ名)のBさんですか? 当時よく通っていました」

思い切ってそう返信すると、やはりB本人だとの返信があった

私が当時のHNブログ名まで覚えていたことに引いてしまわないかなと思ったが彼女はびっくりしたとはいいつつも、楽しくメールのやりとりをしてくれた

毎日のようにメールのやりとりをしていたある日

「実は私、昔A先生からメールがきて、写メもらったことあるんですよね。しか先生の自撮りw」

告白された

ブログ炎上閉鎖のきっかけになったあのメールに違いない

A先生、確かに若くてかわいい子には弱そうだもんな…と思いつつ、その写メも見せてもらった

写真の角度が、まさにA先生だった

若いころと変わってないね、とBと二人で笑いあった

その時、BとA先生は何通かメールのやりとりはしたものの、実際にAに会ったことやサインをもらったことはないらしい

けれど私もファンレターいっぱい出してたのに返信はなかったわけで…かわいい子には返信するんだ…とやるせない気持ちになった

Bのブログ炎上した当時と違い、A先生の知名度は確実にあがっている

私以外のA先生関連の情報サイトも増えた

私がまとめなくても、だれかが情報をまとめてくれる

毎日のようにしていた自ブログ更新も滞っていった

毎週買って切り抜きしていたAの連載も追いかけなくなった

今日過去メールを整理していたら急に思い出した出来事でした

2013-03-13

http://anond.hatelabo.jp/20130116140154

を、ふと思い出したわけですよ。アニメまおゆう9話の例のメイド姉演説聞いて。

これはメイド長の説教で言われていた「虫」というのが一体なんなのか、ということに対する一つの資料だ。

先に言っておくとメイド長の言う「虫」と、メイド姉の言う「虫」には微妙齟齬があるということを前提にして話したい。あまり重要ではないのだけど、要するに師弟関係にある二人の思想家が言ってることは非常に近い所から非常に近いものを言っているが、そもそも別の話ですよ、程度のエクスキューズだと思って欲しい。

「虫」というのは、そして「人間」というのは、我々現実レイヤーの者にとってもかなり直接的に転写可能な概念である

現実における彼らとは一体なんなのか。メイド姉の演説を聞いていて、ふと、「まおゆう」批判者よりもむしろ、「まおゆう信者のほうにこそ「虫」は多いのではないか、と思ったのだ。

自分運命を掴めない存在は虫」とメイド長は言い、

自分意志を他人に譲り渡して考えることを忘れた者は虫」とメイド姉は言う。

これを素直にとり、また元記事の文脈に即するならば、「自らの努力で自らの生活改善しない存在は虫」と言うべきなのかもしれない。

だが、しかし、結局、勇者魔王メイド長が(あるいは、それに代わる存在が)いなければ農奴姉妹は脱走農奴姉妹しかなく、メイド姉妹にはなれない。なれるはずがない。メイド長が言うように、乞食姉妹になるくらいが関の山だっただろう。

まり彼女は「自らの努力で自らの生活改善できない存在」だったのだ。彼女はそれを「運命」と呼ぶ。メイド長はそれを「自分でつかめ」と言う。

だが、与えられた運命を掴んだメイド姉は言うのだ。

自分を、家族を守るため、石を投げることが必要であれば投げるべき。ただし、他人に言われたからという理由で石を投げるなら虫」

ここだ。最も重要なのはここなのだ

これを言い換えるとこうなる。

自分の力で運命を掴めない存在は虫だと言う他人の言にそのまま乗るなら、そいつは虫」なのだ

その上で元記事の文脈に乗ると、「人間は自らの努力社会を(自らの生活を)改善することが出来る」というテーマに耐えられない人々は、だがそれ故に、実は「虫」ではないのである

彼らが置かれた現実、そのテーマ根底から覆す現実とは、まさに、守らなければならない家族自分に相当する。守らなければそのまま死ぬだけからだ。メイド姉の該当部分以降を鑑みれば、彼らは、逆説的に虫ではないからだ。

そしてメイド姉が「虫」と呼ぶのは、それにすら、無痛であることを選び、耐え切ってしまう者のことだ。

であれば、「虫」というその名は、まおゆうが示した希望の姿にうっかり感動してしまい、その光を盲目的に信じこんでしまった者にこそ相応しいのだろう。

もちろんまおゆう信者の、ましてやまおゆうを楽しんでいる一般ユーザーの全員がそうだとは言わない。だが、その一部には確実に「虫」がいる。そして彼ら「虫」の姿は、努力主義者、苦行主義者意識の高い社畜、その他諸々の、現代の一部で積極的に害悪に貢献する立ち位置から発せられる言論とダブる所が無いとは、私にはとても言えない。

それに「耐えられない」と叫び、「ふざけるな」と憤る人々。

その姿は、石を投げる農民達の怒号に重なるのだ。

2012-12-04

http://anond.hatelabo.jp/20121203123955

鈴木敏夫ジブリ汗まみれ 2010年1月12日 庵野秀明ゲスト回その2 続き)

 

鈴木仮想敵って何なんだろう。

内藤目標ですか。

鈴木:何なんですか。

庵野:まあ、目標みたいなもんですかね。設定のひとつですよね、目標設定の。到達点じゃないんですよ、それがゴールではないんですよ。

鈴木:ゴールではないんだ。

 

鈴木:宮さんも仮想敵になったことあんの?

庵野:うーん、まあ、あります

鈴木:あ、そうなんだ。

庵野:人としては較べようがないんで、やっぱり作ってる作品になると思うんですけど。超える超えないっていうのは。そういうのは、何をもって超えるかとかそういうのはありますけど、まあ、なんだろう……意識ゼロじゃないですね。

鈴木:宮さんを仮想敵にしたのは、作品で言うと何やってたときなの?

庵野仮想敵にしたときは、『もののけ』ですね。

鈴木:ほお。

庵野:ちょうど師弟対決とか世間で言われてたとき。『エヴァ』の前の映画(『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』)やってたときに『もののけ』がやってたんで。

鈴木:なるほど。

庵野:あのとき殆ど同時だったんで。興行では勝てる気はなかったですけど、中身では勝ちたいと思ってましたね。

鈴木:どうだったの。

庵野:……。

鈴木:まあ、そんなに簡単には言わないだろうけど。

庵野:まあ、言わんとこうと……。

鈴木(笑)

庵野:……怒られそうだから

 

ナレーション

 

鈴木:誰かが頑張ってるから僕も頑張る、それは誰なの。

庵野:それはもう過去自分だったりするわけです。いまの『ヱヴァンゲリヲン』がそうですね。前の『エヴァンゲリオン』よりいいものを……いいものっていうか、いまの自分が入っている分。12年分を出して、別のものにしようと。「誰か」って最終的にスタッフなっちゃうんですけどね。スタッフが頑張ってるから自分も頑張らないとになりますね。

鈴木:後身の育成ってどう思ってるんですか。

庵野:うーん。考えなきゃなと思ってますけどね。

鈴木:今度のね、米林(宏昌)ってのが面白いよ。いまのこの『(借りぐらしの)アリエッティ』やってるんだけど。シナリオは宮さん中心にやってるんだけど、コンテは全部自分でやってるから。だからいわゆる芝居は彼が、演出は。それでそのコンテ、宮さん見てないから。

庵野(笑)

鈴木:だいたい上手な人って、ふつう教えるのって苦手だよね。宮さんだって必ずしも上手じゃないもの

庵野:そうですね。宮さん、何もないところで人に教えるのは難しいんじゃないですか。

鈴木:実際の作品作りながらだったら、ね、色々出来ると思いますけど。

庵野:そっちのほうがいいと思います。『エヴァンゲリオン』、テレビが終わって僕はボロボロで一回ガーッと落ちて、そこから跳ね上げてくれたのも宮さんのお陰で。

鈴木:だからある意味では励ましてくれたりもするわけだね。

庵野:だったと思います、いま思えば。本当に引き篭もって、本当にあのときはこのまま生きててもしょうがないな、みたいなこと考えてたときに、電話一本くれて。「とにかく休め」と。半年ぐらい休んでも大丈夫から自分がそうだから(笑)。そういえば宮さん、3年くらい休んでたなあ、とか。あれでちょっと立ち直りましたね。やっぱりアニメが好きだったんですね。やっぱりアニメを作りたいなっていう風に戻ったんじゃないかと思いますね。

鈴木:宮さんのとこぜひ来て下さい。宮さん元気になるからだって庵野のこと好きだったものね、宮さん。いまでも本当によく話すよ。どうしてるって話を。

庵野:また遊びに行きます。大変そうですね。

おわり

2012-07-14

音楽作品間のつながりってどんなのがあるでしょうか

楽曲の話なのか録音の話なのか,作り手の話か聴き手の話か,

すっちゃかめっちゃかですが列挙して分類してみました.

------

続きなんです系

曲作りのきっかけやヒントをいただきました系.

お題をいただきました系.

  • ディスリスペクト (disrespect) # 批判に対する回答となる歌
  • アンサーソング (answer song) # 元曲への回答となる歌

面白く可笑しく改変させていただきました系.

もう一度やらせていただきました系.

私好みに改変させていただきました系.

今風に改変させていただきました系.

音を素材としていただきました系.

がっつり参考にさせていただきました系.

こっそりいただきました系.

世界観とかキャラかいただきました系.

おいしい所取り出して作り直しました系.

------

二次創作とかスピンアウトとか,音楽でもあるんですかね.

「この曲のソロがカッコいいので,ソロだけの曲に作り替えました!」とか

汽車を待つ君の横で時計を気にしている僕の後日談を歌にしました!」とか?

あと,なんとなく親子関係的(元曲と派生曲)なものばかりなんですが,

夫婦とか師弟とか敵対とか対抗馬とかそんな感じの関係ってないんでしょうかね.

2012-01-03

タカシです(´;ω;`)

http://anond.hatelabo.jp/20120103131444

http://anond.hatelabo.jp/20120103132230

調子に乗って書いたのに、マジレスしてもらえてうれしいです。

しかも、博士課程+学振+育英会/JASSOの話題まで触れてもらえたのでうれしいです。

イヤミ抜きで、

音大・芸大に行って、高い楽器衣装を用意して、師弟制度の中で頑張っても、将来が約束されない芸術家の卵や、

10代・20代師弟制度に揉まれながら、借金を背負いながらも独立してる土木業や飲食業の人や、

不条理な文句に社内からも社外からもた叩かれて逃げ場のない企業人や、

そんな方々に比べて、

いろいろ借金を背負っているとはいえ、広義のサラリーマン職への就職を狙えるし、

昔に比べれば、理論立った話ができれば誰かが助けてくれる大学・学界人の方が、

ぶっちゃけ、なんだかんだ言っても気楽だと思います

2011-11-17

落合信者ありがちな特徴

・12球団最低打率得点は無視する。

殆どの勝因は森繁和コーチ管理するリーグトップの投手力だが、落合の手柄にしておく。

・どうにかして落合投手陣への影響力を考えて抜いた末、ブルペン改善を上げて反論してくる。

落合金言で浅尾が成長したと思い込んでいる。

・12球団最低打線は補強を怠るフロント責任だと思っている。

・12球団最低打線は石嶺コーチ責任で、落合は免責する。

荒木内野手落合師弟愛にうっとりする。

荒木の送球難は味方投手の足を引っ張るが、守備範囲が広いというこじつけで無視する。

2011-11-06

とりあえず東大目指しとけば間違いない

http://anond.hatelabo.jp/20111106092420

大学選びのコツ。

まず、覚えておいて欲しいのは学歴って物凄く便利だってこと。

この先、キビしくなっていく世の中で「学歴」っていうのは非常にコスパのいい資格で、その一方ある程度以上の

ものがないと「無いも同然」になりかねないものだと考えた方がいい。具体的にはマーチ-駅弁未満の特色のない大学とか入るだけ無駄。あと、美大・音大に行く奴は夢と心中する覚悟を持っとけ。文系院志望は更にだ。東大でも進路に自殺が見えてくる。

偏差値」が重要なのではなく、大学名の肩書きが重要だってことは覚えておいた方がいい。

高校生だとピンと来ないだろうけど、最早「まともな暮らしがしたければ学歴は絶対必須」って世の中に突入してる。

普通暮らし」って高校生が思う以上にハードルが高い。親世代のようには我々生きてけないだろうから

①進路が明確な場合

例えば「船乗りになりてえ」とか「教員!」とか言うなら、それぞれベストに近い大学があるのでそこに行こう。出来れば、その界隈最高峰大学へ行こう。教員なら学芸大、船乗りなら海洋大学みたいな「就職超強い大学」が一個くらいはある。しかし、この場合覚えてほいて欲しいのは「現場作業員」ならそのレベルでも到達できるけど、「日本郵船で新航路を開拓してえ」とか「日本教育制度を改革してやらあ!」みたいな野望は、この手の大学ではかなわない。自分現場で働く人になりたいか、それとも指揮をし企画する人になりたいかは、十分考えて進路を決めよう。ぶっちゃけ、進路が決まっていれば大学の段階でそれが叶うか否かは8割くらい決まる。スゲー大事。超悩もう。

②進路があやふやな場合

文系なら、とにかく必死こいて偏差値の高いところ。具体的に言えば、私大なら早慶以上、国立なら旧帝以上に入ろう。

学習コスパが高いのは早慶。三教科で受かる割りには社会的評価が高い。ぶっちゃけ、底辺国立に入る実力があれば早稲田慶応なんて入れちゃう気が俺はしてるんだが、何故こんなに社会的評価が高いんだろうか。その辺りを勘案しても早慶はお得感があるな。デメリットは学費。高すぎだろクソが。

理系場合は、自分の適性に見合ったところに行こう。若干就職文系に比べて有利だ。ただ、大学生活が文系に比べてダルいと聞くので、好き嫌いで選んだ方がいいんじゃないかと思う。俺文系から知らないけど。

大学価値は「肩書き」以外に、「人脈」っつーものがスゲー多い。例えば、俺は早稲田の出で起業した人間だけど、大学ときの人脈がなければ起業なんてまったく覚束なかっただろうと思う。借金抱えて早稲田に通った甲斐はあったと思ってる。

ただ、貧乏人が私大に行くとカネの面で相応のリスクになることもあるので、そこは自己判断、自己責任

んで、一定レベル以上の大学は、金持ち師弟が非常に多く、また一流企業に勤める人間も多いので、人生通してかなり使える。スゲー便利。また、学閥っつーキモチ悪いコネクションも日本社会には蔓延ってるので、これもかなり使える。どこの企業に行っても、東大早稲田慶応の門会は大体ある。俺も外資含めて企業3つハシゴしたけど、全部あった。特に早稲田ゴキブリかおまえら。

たいていの人は初めての就職活動が終わって内定者の学歴を見たときに「うわ…学歴って大事なもんだな・・・」と思うだろう。

東・東・東・ハ・慶・東・東・東…みたいな学歴って大企業だとフツーだからね。「俺低学歴ワロタ」って感覚になる人も多いと思う。俺そうだった。

③学びたいものがあるが、それは進路には特に結びつかない可能性が高い時

文学やりてー」とか思ってるヤツ。俺もそうだったけど、コレ辛い。

特に大学でやりたいことをやるには必然的に「院」って選択肢が浮上してくるが、やべーこれ詰むぞ?って感じになるよね。

俺も修士出だから結構怖かった。これ対策は、「やりたいことをとにかく必死にやる」。ことしかないと思う。

だってさ、大学って就職予備校じゃねーんだからやりたいことをきちんとやらないと意味が無い。

じゃあ、どうするかって例えば俺は文学を専攻したんだけど、そーいうの必死でやれば普通語学くらいつくだろってことだよね。

院試英語使うしさ、TOEIC800とかまで最低でも伸びるだろうと。一生懸命勉強して、結果として付加価値をつけるしかないと思うんだよね。それでも、結構な高確率就職詰むけどさ。個人的に、就職のことだけ考えて大学を選ぶのは薦めない。おもしろくねーし。大学選びは「やりたいこと」でいいと思う。ただ、その中で自分付加価値発見するなり習得するなりしてけないと、この先しんどいだろーな、と思うよ。それでもダメなら公務員試験。あれもやりゃ受かるし。Ⅰ種の難度は過大評価されすぎてると思う。やれば受かるレベル。ただ、その先の面接は「俺低学歴ワロタ」になるから早稲田慶応辺りだと場所によって辛いが。

なんにせよ、高校生大事なのは「何がしたいか」「どうなりたいか」の明確なビジョン

高校一年生なら、とにかくこの将来のビジョンを作ることに専念したらいいと思う。目標が出来上がってれば結果なんてついてくるし。

俺の場合小説大好き⇒文芸批評家になりてえ⇒早稲田だったけど。こんな冷静になれば「それ食ってけると思ってたん?」って夢でも、大学受かるくらいのモチベーションにはなる。それが大事。今の高校生さんだと、多分大学入試モチベーションも捻出できないと思う。1年生なら東大まで十分射程距離に入るし、よく考えてよく選んで欲しい。俺この歳になっても「二浪までなら東大目指せばよかったな・・・真面目に数学やってりゃ…」って思うことがある。東大京大一橋辺りは入試難度が別格なんで、高校3年の秋から勉強しても受かる時は受かる早慶とは比較にならんほど、早いうちに進路決めたやつが有利。逆に言えば、「三年ありゃ東大は受かるんじゃね?」と俺は思ってる。受かったことねーけど。受けたことはある。落ちた。日本は何やるにせよマジで東大最強伝説なので、東大いけるんなら進路なんて一ミリも考えなくてもOKってフシはあるんだよな。

高校一年生で進路も全く見えてないんなら「とりあえず東大目指す」ってのは戦略としてかなりオススメ。「自分東大なんてムリだな…」と思うなら、早慶狙いの三教科特化に切り替える手もあるけど、ぶっちゃけオススメしない。旧帝狙いとかなら東大狙いがミスった結果で受かるだろうから一年生は目標を大きく持った方がいいと思うよ。

2011-09-19

悪に染まった社会を認めない日本人がうざい

社会をよくするどころかむしろ犯罪者や悪意を増殖させている 悪意と自殺を誘発している 2chは社会の不幸生産装置

益となるものは何もない 政府が2chやヤクザ規制しなかったことで日本は悪に染まった 2chもヤクザも失敗作

学校でいくら善意を育成しても2chのせいで悪意に変わる 社会の癌 ここ10年の2chの成果はある意味犯罪レベル

健康社会破壊した 規制しなかった政府クズ 学校行政国民をいい方向に誘導してたが2chが邪魔した

なんのために偉い学者教科書にいい文章まとめて教師が人生かけて国民善導してたんかわからん ひろゆき

見つけ次第処刑だな あんだけ国民善導してきてた政府が2chに無反応だったのはやばい学校行政が誘発してきた

善な風潮は死んだ 2chは悪。 何も誘発する気はなく 社会カオスにするだけ 何かを誘発するだけの安定性も内容も

そなえていない みるとただ精神崩壊するだけ 実に悪質 学校行政失敗しといて公式のざんげも何もない 政府は死ぬべき

社会はけっこう行政論理でできてるのにそれが死滅してるのが悲惨 お前が失敗して国民を道連れにしたんだろうが

死ね ヤクザは最悪 弱者の心を踏みにじるだけ ヤクザの用意周到で超絶な悪意はやばい 善良者に有害 今の日本は2ch

の悪と中途半端な善が同居してるより最悪な風潮だろ 政府は失敗して復讐されるのを必死で防ごうとしてるだけで今何も

やってないからな。何も生み出そうとしてない あんだけ自分を信用させきった行政についていった者が一番かわいそうだが

戦前と同じ 敗戦した中高年のストレスを解消するためだけのクソ掲示板 犠牲になるのは若者 クソ中高年のストレス解消の

ために弱者いじめのはけ口として誘導するようにしてるあたり最悪 経済戦争に失敗したならこんなところで暴

れずに自殺しろカス 若者に迷惑 厚生元事務次官暗殺されたのがその証拠 自分でシコってその失敗を弱者ぶっかけてる

んだから暗殺されるわ ヤクザや2chがないと生きられないってことは日本人本質が悪なんじゃね 日本政府が善良な心

を生むなんてこと自体土台無理だったんだろ 2chのせいで、けっこう親子間、兄弟間、師弟間の喧嘩殺人自殺があった

んじゃないか 自分のためなら犯罪の誘発も辞さない政府悪徳ぶりがすごい 日本=悪論はほぼ固まったといえる 政府も2c

hも悪の塊 日本人自体が悪。可能ならばどこまでもやるような人種。 こいつらに善も正義観念もない 可能ならばなんでも

やるという本性がこの発展を可能にした ひたすら結果論で可能ならどんな隙間にでも入り込んで成し遂げるはず

美への惑溺はあるが真も正義日本人人生と関係ない 生き方自体がゴキブリ 戦後きまぐれで推進してきた学校

政の割合素晴らしい教育わずか2,30年で死亡した 日本人から善を引き出そうとする教育はあっさりと形骸化した

である日本人善導するなんて土台無理な話だった 土台無理なことを企てて当然に失敗した行政の残骸である学校が虚し

い いまやこの社会デザインで実質は2chで悪を引き出そうとする始末 悲惨 今の行政は形骸で実質は悪なんで正論をぐだ

ぐだ言っても無効 法律を悪意で運用するような言い方でないと通じない もともと善を引き出すために整備した法律常識

で悪をなしてるのだから形容しがたい悲惨さ 善への道を封じ込めすぎて良心の呵責もない状態 行政官に善を引き出そうとす

る念力はない 善を引き出すために勉強したのに悪をやってる行政は一番悲惨 教育行政を受ければ心が善になるつまり善を引

き出そうとはしていたが失敗したか言い訳しているんだ 日本人善導せんとした文科省の企ては完膚なきまでに失敗した

日本善導計画の失敗が戦後日本歴史上最も悲惨 善導できなかったのだから 今の日本風景善導意思がないかすっからかん

風景の1つ1つに本来の善導意思はない 死体の屍のようだ 善導に失敗したならただの馬鹿 司法行政学校善導力はない

悪に勝てない 2chは悪導力が凄まじい 今はせいぜい悪を一定のところに封じてるだけだろ 善導意思まではない

善導を中止し、悪を一定のところに封じる政策で諦めたのが日本 この諦めは近年著しく推進されている 悪を封じればよいで

おわたのが日本 というよりむしろ2chなどで悪が死なないようにしてる始末 所詮生活意思しかないんだろ 善なぞやる気は

なかった 持続可能な悪だろ。日本人は 要するにお前は悪

インターネット文化害悪なのに平気で垂れ流してる老人は死ね

社会をよくするどころかむしろ犯罪者や悪意を増殖させている 悪意と自殺を誘発している 2chは社会の不幸生産装置

益となるものは何もない 政府が2chやヤクザ規制しなかったことで日本は悪に染まった 2chもヤクザも失敗作

学校でいくら善意を育成しても2chのせいで悪意に変わる 社会の癌 ここ10年の2chの成果はある意味犯罪レベル

健康社会破壊した 規制しなかった政府クズ 学校行政国民をいい方向に誘導してたが2chが邪魔した

なんのために偉い学者教科書にいい文章まとめて教師が人生かけて国民善導してたんかわからん ひろゆき

見つけ次第処刑だな あんだけ国民善導してきてた政府が2chに無反応だったのはやばいな もし政府オナニー

しかなく疲れた飽きたってなら政府クズ 日本終わってるわ 学校行政が誘発してきた善な風潮は死んだ 2chは悪。

何も誘発する気はなく 社会カオスにするだけ 何かを誘発するだけの安定性も内容もそなえていない みるとただ精

崩壊するだけ 実に悪質 学校行政失敗しといて公式のざんげも何もない 政府は死ぬべき 実社会はけっこう行政

論理でできてるのにそれが死滅してるのが悲惨 お前が失敗して国民を道連れにしたんだろうが 死ね ヤクザは最悪

弱者の心を踏みにじるだけ ヤクザの用意周到で超絶な悪意はやばい 善良者に有害 今の日本は2chの悪と中途半端

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からな。何も生み出そうとしてない あんだけ自分を信用させきった行政についていった者が一番かわいそうだが戦前

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その証拠 自分でシコってその失敗を弱者ぶっかけてるんだから 暗殺されるわ ヤクザや2chがないと生きられない

ってことは日本人本質が悪なんじゃね 日本政府が善良な心を生むなんてこと自体土台無理だったんだろ

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政の素晴らしい教育わずか2,30年で死亡した 日本人から善を引き出そうとする教育はあっさりと形骸化した 悪であ

日本人善導するなんて土台無理な話だった 土台無理なことを企てて当然に失敗した行政の残骸である学校が虚し

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正論をぐだぐだ言っても無効 法律を悪意で運用するような言い方でないと通じない もともと善を引き出すために整備

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がないかすっからかん 風景の1つ1つに本来の善導意思はない 死体の屍のようだ 国道を走る車は黙りこんでいる

善導に失敗したならただの馬鹿 司法行政学校善導力はない 悪に勝てない 2chは悪導力が凄まじい 今はせい

ぜい悪を一定のところに封じてるだけだろ 善導意思まではない 善導を中止し、悪を一定のところに封じる政策で諦めたの

日本 この諦めは近年著しく推進されている 悪を封じればよいでおわたのが日本 というよりむしろ2chなどで悪が死な

ないようにしてる始末 所詮生活意思しかないんだろ 善なぞやる気はなかった 持続可能な悪だろ。日本人は 要するにお前は悪

2011-01-10

http://anond.hatelabo.jp/20110110185717

イマイチ、結論とタイトルが結びついてない気がする。

無理に結ぶと、

アメリカ型の雇用形態正義が無いかダメだって話になっちゃうよ?

 

途中で椅子取りゲームを始めるのに愛や正義が無いのなら

最初のワンチャンスで椅子が配られて、以降は既得権益として守られるのだって、負けた人への愛が無い。

 

大昔の会社は、家族師弟たいなトコから発生したから経営者社長は同じ人で、社長社員は身内だった。

でも、今の会社ってそうじゃない。そうじゃなくて、経営者社員赤の他人なわけ。

からそこに愛や正義を持ち込むかは、経営者の自由にさせてよ、って話になっちゃうね。

しい人の方が大事で、社員は遠い人だもの。

 

愛や正義は各人の内心に依存するんだから、それで一般論としての雇用体系を語るのは無理だよ。

 

個人的にはね、経営者に選ばせてやって欲しいと思う。

その代わり、不備無く虚偽無く公開してほしいね。

「ウチは、危なくなったらサッサと社員を切ります」と。

自社だけそんな事言うと、

応募者は、実力はあっても「じゃあ俺もいざとなったら会社を裏切るぜ」と公言するバカしか来なくなるから

法律で一律変えたいだろう。

けど、明確な選択制にすべき。

そして自社内だけを疑心暗鬼で埋め尽くすべき。

2010-04-10

http://anond.hatelabo.jp/20080830143407

SDGEってなんぞw

San Diego Gas and Electric?

wikiバーナンキのpageからきたけど「SDGEとやらの騒動」だなこりゃw

>まあ、マクロ経済学者が誰も出てこないあたりで

岩本矢野マクロ屋じゃないのか?

himaginaryも匿名だが書き方からすれば

大学に専任職のあるプロとみていいだろう。

国債を買い続けていればいずれインフレになる」

「もしそれでもインフレにならなければ無税国家誕生する」

国際刷り続けてもインフレにできませんよ、って「素朴な」政策無効主義へのインタゲリフレ側からの反論であって

今度じゃあどうやってのhow,適性レンジはどこまでかといった閾値オーバーシュートの問題はこりゃまた別の話だね。

一見頭が良さそうにふるまう人の文書を読んで、頭がこんがらがって、騙される。

※横断性条件の業績は神戸大RIEBの上東貴志さんではないのか?こりゃまた字も間違えまくってる。

(京大卒1989,ウィスコンシン大学マディソン校Ph.D.)

http://www.rieb.kobe-u.ac.jp/academic/ResearchStaff/kamihigashi-j.html

児島小島寛之

(東大理学部数学科、東大大学院経済学研究科博士課程修了。帝京大准教授。"あの"宇沢"門下生である)

http://d.hatena.ne.jp/hiroyukikojima/

インタゲリフレ批判には2つの文脈がある。1.徹底した構造改革(池田、池尾、小林慶一郎) 2.財政政策からの批判(小野吉川)

増田は1だと思われるが、小島氏は残念ながら師弟関係上2だろうな、残念ながら(プ

2010-01-04

腐ってる人達が何故ウザいか

男性オタク女性オタクそれぞれキモい所もウザい所もあるだろうけれど。

腐った糞女共のどうしようもなくウザい所

・思いもよらない所から性的な見方をする

・犬や猫を愛でるなどとても健全な「かわいい」という感覚が、彼女等にとってはエロにつながる感覚であったりする

・友情や信頼、師弟愛といった、まっすぐで綺麗な思いを性的なものに絡めて妄想する

フラストレーションを抱えた者が、性的な行為によって満たされると考えていたりする

スルーしろ」の一言で全て解決する事は解っているが、自分健全モノとして愛しているジャンルコミュニティ内で活動していて、

たまたまこの手の人種に上記のような話を振られたときの嫌悪感は凄まじく、もう愚痴らずにはいられない。吐き気がする。

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