2024-04-14

結局のところ、書いてる自分も読んでる他人もみんな、現実に対して酩酊させる文章が書きたいだけなんだなって思う

私は小説家になりたいんだけど、結局のところ、そういうことなんだなって。

書いてる間は日常のつらさが忘れられる。幻想の織りなす酩酊の中に自らを遊ばせ、その先を綴り続ける必要性で、現実タスクを忘れられる。

「書かなくちゃいけない」という必要のない義務感というか仕事感が、現実タスクを押しのけてくれる。現実への怠惰を許してくれる。

そしていつかは、その酩酊他人を巻き込みたい。現実を嫌う人々を集め、私の書いた幻想たる文章を「読まなくちゃいけない」という仕事感を与え、現実への怠惰を許させたい。

から、私の酩酊は私を許し、いつか他人をも許すのだ。そういう点で、私の酩酊は皆への「癒やし」であるはずなのだ

そういった誇りというか、使命感を持って、私は堂々と酩酊文章の形に紡いでいきたい。

私は皆の怠惰を許すために、文章を書くのだ。単に幻覚に酔っているわけじゃないのだ。

  • 書く方には限度がないが、現実の人間には限度があるから、そんなに書いたってもうだめという一線に至って悲劇が起る。 思うに彼の作品も限度に達した。 こうなって欲しいと...

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