はてなキーワード: 土産とは
帰ったと言っても10分くらいだけど
祖母が急逝したと朝イチで電話きたからあわてて葬儀のため帰って
田舎に帰ったの10年ぶり 親戚と会うのはそれ以上ぶりなんだけど
どういうことよと思ってたんだけど、通夜の前に荷物取りに行く母について行って絶望したしなんとなく理解した
ゴミ屋敷●ートナーズでいうLv4くらいな感じだった
ドア開けた瞬間カビの匂いがお出迎え 玄関からすぐ見える弟の部屋はゴミか服かわからんものが入口で雪崩起こしてる
最後に寝泊まりした10年くらい前の時点で夜響くGの音にストレスMAXだったのにいらん方向にメガシンカ
何がひどいってそんな環境の中で犬2匹飼ってるところだよ 虐待だよほんま
葬儀場で会った妹から異臭がしたから嫌な予感はしてたんだけどさ いや父母からは異臭しなかったから妹が単品でヤバかったのかもしれん
どうやら祖母の供養が一段落したらその祖母宅に移り住むらしいのであの家を見ることはもうないんだろうけど
ソシャゲで親の金使い込んだからとすべての娯楽を取り上げられたニート妹(不安障害らしい)
そんな弟に「自分はあれよりマシ」とか言われたらしい自分(双極Ⅱ型)
親になにかあったら地獄じゃねえか
百歩譲って親に何かあった時の葬儀関係は手伝わんでもないが、それ以外ではもう心の底から関わりたくない
少なくとも弟のことは許さない
自分の家族は愛猫だけだと思ってこれから生きていくことにする ある程度事情は濁して恋人とも別れようと思う
明日出社して慶弔休暇申請しないといけないのだるすぎるが、同僚と部下に詫びの土産渡したいしな
美味いものを食おうと思ったが…そんなに無いよね
冬の日本海といえばカニでしょとカニを覗く、立派なのはほぼロシア産。
小さい紅ズワイガニは地元のスーパーでも売ってるしなぁ〜(値段もほぼ変わらず)
それか鰤か?しかし、よく売っているのはツバスなどより小さいのがメイン。
牡蠣…広島県産?牡蠣の名産地って観光PRしてるけど、地元の人が食べてるの他所のものじゃん!
地元の人がよく買っているのは…カレイ、タラ。干物も沢山(産地マチマチ)
刺身コーナーを見るとマトウダイやホウボウもあった。食べたことないから味の想像がつかない…。
膝の手術を3回受けた70代祖母が同行者の孫に無断でイタリア縦断超弾丸ツアーに申し込んだ話。
一章 〜杖買うって言ったじゃん!!〜
二章 「歩くのが早すぎるのよあのオバサン!」
三章 こんなとこに住む人の気がしれませんよね
四章 40万()のアクセサリー
五章 ナポリと靴
七章 ローマの夕食
・激重スーツケース
・自慢話と夏の空
・ボッティチェリに敬意を示して。
・嵐ってすげぇや!
孫が中学三年になるのに合わせて祖母が海外旅行に行きたいと言い出した。
昔は海外によく行っており孫と一緒に行くのが夢だったんだそう。
そこで白羽の矢が立ったのが、2番目の孫で初の女の子のわたし。
おばあちゃんは息子しかいないから初めての女の子をかわいがって、よく自分の好みの服やらを買って着せられた。娘がいたらしたかったことを私にしてる感じ。
あとまぁ「孫と一緒に旅行!」ってのが老人にとってはステータスなんだね。「孫と海外旅行をするくらい仲が良くて金銭的にも裕福な家庭」みたいなさ。
「あらお孫さんと旅行?いいわね〜羨ましいわ〜」って言われたいのもあったと思う。そりゃあ孫連れて旅行してる人がいたらそういう反応しかないでしょ。
当時は何も知らんかったから旅行行くのに全然賛成で二つ返事でOKしたし海外行けんの楽しみにしてた。
祖母は膝が悪く何度か手術の経験もあるため、最初は膝のこともあるしバンクーバーあたりのひとつの都市に留まってゆっくりしようねって話してた。
それが5月のある日
って。ねぇ、あんた。
パンフレット見せてもらったらまぁイタリアを北から南まで大移動する8日間の超弾丸ツアー。母が「大丈夫なんですか?」と心配そうに聞いても「大丈夫よ〜!」で聞きゃしない。
身体に爆弾抱えてる人がどうしてそこまで自信満々になれるのか。謎です。
テンションの上がった人間は突拍子もないことを言い出すの典型を目の前で見た。
1章 〜杖買うって言ったじゃん!!〜
そして迎えた当日、前泊する為に祖母の家に行った私が「杖あります?」って聞いたら、自信満々に「無いわ!でも多分大丈夫だと思うから!☺️」
まって??
いやもう、「なんで??」の一言に尽きる。
だって言ったもん、「買う」って言ってたやんけ。母さんがおばあちゃんの膝を考慮して折りたたみ式の勧めたり口酸っぱくして杖を持っていけって言ってたから。そりゃあ買ってると思ってたし若くないんだから過信しないでくれ、たのむから。
ここで私が間違ったのは不安に思いながらもすぐそばのショッピングモールに走って杖を買いに行かなかったこと。これが後に解決できない大問題となる。
今なら過去の私をぶん殴ってでも杖買ってこっそり自分のスーツケースに突っ込む。もし声だけでも伝えられるなら夜とか関係なしに「杖を探しに走れ〜!!!!!」って叫ぶ。絶対に。
「何かあったら現地で買うわ!」って言ってたから大丈夫かと思ってた。
予想してたとおり毎日足が痛くなるくらい歩く超弾丸ツアー。15歳の私でそうなんだから70代の祖母はさぞ辛かったと思う。
でもね?普通に考えて膝にボルト埋まってて普段杖ついてんのに、どう見ても歩くツアーに杖の1本も持ってかないなんて、そんなことある?
現地について2日目くらいに高級店が並ぶ通りで杖を見つけた。べっ甲の持ち手のついたツヤツヤの杖だったからこれならおばあちゃんも満足だろうと思って「杖ありましたよ!」って声かけた。のに。
「でもね〜、ここ(現地)の人に合わせてあるからおっきいのよ」
現地で買うって?言ってませんでした????
ちょっとマジでよく分からないんだけどそんなん最初からお前わかってたの?つまり絶対買う気ないのに買うって言ってたんか?って。
既にツアーの列から遅れて添乗員さんに迷惑かけてんのに何言ってんの?って。
オシャレでプライドの高い祖母にとって杖を着いて歩くのは格好悪いと、ただそれだけだったのだ。
イタリアに着いて初日、夕方に到着したのでそこからバスに乗る。着く少し前に機内食が出たから夕飯は無し、この日はホテルに直行して寝るだけ、明日から観光が始まる。
10時間以上のフライトで腰は痛いしケツはもじょもじょするしで、10時間前に一瞬顔を合わせた人たちと一緒のバスに乗ってホテルへ向かう。
ホテルの部屋へ入り、荷物の整理をして、今すぐシャワーを浴びて寝たいところだが事は起こった。
シャワーが出ないのだ。
普通、コックを上下に動かせば水が出るし、それをひねれば温度調節ができる。少なくとも日本ではそうだ。
このシャワーはどうだろう。コックを上にあげると蛇口から水が出る。コックをひねって温度調節も可能だ。それでも蛇口から繋がるシャワーはうんともすんとも言わなかった。
困った。いちおう先進国なのに世界共通で必須のものの使い方がわからないなんてことある?私はある
長旅直後に知らない土地で使い方がわからなくてゆっくり風呂にも入れないなんて哀れだね。
しばらく考えて、海外経験の豊富なおばあちゃんなら知ってるかなと思って聞いてみたら、祖母はすぐに「フロントに連絡するわ!」と。
あんたも知らないんかーい
いやいいんだけど、知らないのは別に良いのだけどね、ここでフロントに連絡してもイタリア語なんてさっぱりだし、なんなら英語も怪しい祖母と孫で外人のスタッフとコミュニケーションが取れるなんて到底思えない。
それだけは勘弁してくれの一心で私はひたすらスマホで使い方を探した。
その間も祖母は3分に1回「やっぱりフロントに聞いた方が良いんじゃないかしら」と言ってきた。祖母なりに心配だったのだと思う。その自信はどこから来るのかだけ聞かせて欲しい。
型番を検索しても外国語のページが出るばかりで、祖母によるホテルスタッフ襲来の圧を受けながら色々いじくっていたら、ふとした拍子にシャワーから水は出た。
蛇口から水を出した状態で蛇口の先の部分を引っ張るとシャワーが出る仕組みだったらしい。初見殺しか?
なんでこんなとこで1人謎解きやってるのかさっぱり分からないが、ホテルスタッフを呼ばれる前に解決できたのはファインプレーだったと今も思っている。
二章 「歩くのが早すぎるのよあのオバサン!」
歩く!歩く!歩く!
超弾丸ツアーはひたすら歩く。海外旅行に行く層なんて暇と金のある金持ちのじいさんばあさんが主なのに、旅行会社のツアーは「夢の🎶イタリア一周」だとか、「スペイン♡世界遺産ツアー」だとかの移動にかなり無理があるツアーばかりを組んでくる。
例に出したのは私が実際に祖母(父方 母方)と参加したツアーだ。そしてどちらも参加者の平均年齢が60を越していた。
老人、己の体力を過信するな。
もしかしたらゆったりしたツアーもあったかもしれないけど、私が知る前に祖母は申し込んでいたから知る由もない。そゆとこの報連相大事だと思うんだ!
数日で全部を回ろうなんてツアーでは大体の日程がメチャクチャ歩いてるか数時間バスに乗るかの2択になるが、直射日光を浴びて歩いたジジババばかりのバスなんて小学生の遠足帰りのバスより爆睡率が高い。
寝息の聞こえる静まり返ったバス内は幼稚園のお昼寝の時間と同じ空間だった。
日に当ててから涼しいとこでゆっくりさせるのはね、寝かしつけの方法なんよ。
私はイタリアに行ってまでソシャゲのガチャを引いて、推しが出ては「ありがとうイタリア…😭🙏」とTwitterにつぶやくだけになった。景色は飽きる
大体このガイドはやたら大声でハキハキと話す細身な40代くらいの女性が多い。あとなんかダサい旗持ってるよね、キティちゃんとか。
そんで、そのハキハキしたおばさんガイドはめちゃめちゃ歩くのが早かった。大股でズンドコ行くので必死で追いかけるが、配布のトランシーバーで早口で観光地の説明をするから忙しい。
実績解除のための観光だ。この現地ガイドにより観光はRTA(リアルタイムアタック)に様変わりした。
参加者も置いていかれないよう頑張って着いていくが、ここで忘れちゃいけないのが祖母だ。
観光は現地ガイドが先頭に立ち先導しつつ、はぐれる人がいないよう1番後ろを常勤のガイドで挟む姿勢を取る。
私が息切れしながら振り返ると、横にいたはずのおばあちゃんがいなかった。
前に言った通り祖母は膝が悪く、普段杖をついているくらいだから当然歩くのが遅い。それに杖無しというデバフ+でこぼこの石畳+傾斜が拍車をかけた。
「歩くのが早すぎるのよあのオバサン!」
うん、まあ、なんだろう。同情できない。
列の1番後ろでガイドさんに付き添ってもらって悪態をつくって、どう???
ガイドさん、ごめんな。
杖があればどんなに楽だっただろうと今更ながら後悔したし、この旅行中頭の10%くらいでは常に杖のことを考えていた。ちなみに今でも百均で杖を見ると「この!クソ!!これがあれば!!」と思う。500円しないで買えるんだぜ?
閑話 クソ重スーツケース
表題の通りである。おばあちゃんのスーツケースがバカクソ重いって話。
おばあちゃんのスーツケースが重量制限心配になるくらいマジでバカ重かったんだけど、
「何も入ってないのよ〜このスーツケース古いから〜」って言ってたし、古いスーツケースの重さなんて知らんからそんなもんかなって思ってた。ハードケースだったし。
重量制限は23キロまでで、おばあちゃんのは20キロくらいだったはず。行きの時点でこれって土産のも買うはずだけど大丈夫????となったがホテルで開けて驚いた。
ナニモ…入って…ない…❓
スーツケースが古いとかそんな問題じゃねーよ。ギチギチに布詰めて「何も入ってない」なんて言える姿勢は逆にすげーよ。
ちょっと冷静になったけどこの後のお土産タイムで早速おばあちゃんが買ったワインは旅行中ずっと私のスーツケースに入れて運ばれた。たまにスーツケースから瓶が擦れて酒屋の音がした。
旅行の回数が多いだけの自称旅慣れてると本当の旅に慣れてる人というのは別物だ。
閑話3つ目である。ちなみに書いてあること全部まだ2日くらいで起こったことで、たかだか1週間程度の旅行でよくここまでネタがあるなとしみじみ思う。
一応海外旅行に行くからには大体のツアーには現地の有名料理が組み込まれている。Tボーンステーキもそれのうちの1回。2日目の夕飯だったかな。
ガイドさんがメニューを読み上げてなんかよくわからんサラダとか食べて、例のメインは来た。
ミスター味っ子で存在だけは知ってる料理だけあって私は若干テンションが上がっていた。
漫画の微かな記憶では左がヒレで右がサーロイン、さっぱりしたヒレを先に食べ脂の乗ったサーロインを味わうのが鉄板だと味っ子の顔のうるさい審査員が言っていた。
記憶のTボーンの比率は約1:2、出てきた肉の比率は1:5くらい。申し訳程度のヒレ肉に思わず笑ってしまった。これ、わざわざTボーンにする必要ある?
まぁそれは例によって外国なのでサーブされた人によって大きさも全然違っていた。海外に行ってまで日本のような画一化を求めるのが間違っているとも言える。日本が細かいのか、海外が雑なのか。
肉質にも差があって、同じテーブルのおじいさんは「固すぎて食べられない」と言っていた
私のは食べられないって程じゃなかったけど、先に言ったようにツアーの参加者は老人の方が大体だ。その人たちにこれは重いんじゃないかと思う。
そっかーとか思いつつ1人で黙々と食べてたら祖母が
「そうかしら?私のすっごく柔らかいのよ!ほら!」
と、見せつけるように肉を切っていた。肉が固いと言っていた人の目の前で。
何故。
嫌がらせか?と思ったが、別に祖母はそんなこと考えておらず、ただ思ったことを言っただけだ。それがナチュラルにマウントになる人なのだ。純粋培養のヤバ人(やばんちゅ)である。悪意は一切ない。
そしてその素直な性格がこの旅行を悲惨にした一番の原因である。
ただただ、いたたまれなかった。ここで私が「そういう意図はないんです!」なんてことは到底言えないし、言ったところで祖母は理解するような人じゃないし、わたしにできることと言ったら押し黙って肉を食うだけだった。
言われた同じテーブルの人たちは「人によって差があるのね〜」とかで流してくれた。大人だ。
3章 「こんなとこに住む人の気がしれませんよね」
イタリアといえばベネチア、水の都。今回のツアーももちろんベネチア観光が含まれていた。
こんなにネタがある時点ででお察しだとは思うが、祖母はかなり癖が強い。私と年代が違うから、というだけでなく単に人間としての癖が強すぎる。だから付き合うにはかなりコツなり話し方なりに工夫が必要だ。特殊食材?
祖母の特徴を端的に並べると
・謎の自信を持つ。
・反面、少々過剰に心配性な面もある。
・介護の息抜きに海外旅行へ行っていた。特にヨーロッパを中心に巡っていてイタリアにはもう何回も来たからもう飽きちゃったくらい!が旅の口癖だった。
謎の自信、杖の件はこれが遺憾なく発揮された結果だ。このエピソードで祖母の人間性が伝わったかと思う。決して悪い人ではないから逆にタチが悪いのだ。悪意じゃないから私もそんな強く言えないし、そもそも強く言えるような間柄でもないのがさらに状況の悪化に拍車をかけた。私は押しに弱い典型的な日本人であったから余計に。あの場にいたのがアメリカ人かもしくは私たちの母だったら「ダメよ!杖を持たないと出発しないから!」と断固拒否の姿勢を見せただろう。私も1人ストライキを決行すればよかった。
ここで問題なのが「イタリアにはもう何回も来て飽きちゃった!」の口癖だ。
わざわざ12時間飛行機に乗ってケツを酷使して見知らぬ土地に降り立って言うことがそれなの、普通にやばい。現地ディスしたい行動力の鬼なの?
修学旅行の同じ班に到着直後から「もう来すぎて飽きちゃった!」なんて言う奴がいたら、そいつ絶対回る友達いないでしょ。もし現地の京都人に聞かれて初手からぶぶ漬けを出されても文句は言えない。花輪くんでもそんなマウントは取らん。
しかし一番直近でも10年以上前、イタリアだって発展し続けるのだ。祖母は旅の間中も思い出のイタリア(思い出補正マシマシ)に浸り続けている。
ベネチアは陸から少し離れた場所にあり小さな船に乗って向かう。
海の水は綺麗ではないが、所狭しとゴンドラが並び、ヨーロッパの建築様式で作られたカラフルな屋根や壁に白い柱、窓の一つ一つまで細かな意匠が凝らされた建物がずらりと並び、それらが海の上に浮かぶ光景は圧巻だった。色んな作品の題材になるわけだ。これは日本では見れない、世界は綺麗なものがいっぱいあるなぁ、連れてきてもらってありがたいなと素直に感謝した。
水に浮かぶふかふかした地面の繋ぎ目を歩き、現地ガイドさんの説明を聞きツアーの皆さんもワクワクした目で街を見渡しているその時
「こんなとこに住む人の気がしれませんよね〜」
見れば祖母が隣の人になかなかの声量で話しかけていた。あえての悪意とかではなく井戸端会議で「や〜ね」とでも言うような表情で。
やめろや。思うのはまだ良いとして、百歩譲って話しかけるなや。瞬時に吹っ飛ぶ感謝。もっとありがたがらせてくれ。
隣の人はどんな反応をしたっけ。曖昧に相槌を打っていたっけ。でもこの場で言うべき言葉ではないことだけはわかる。
KY発言選手権があればこの発言はかなり上位に食い込む確信があるし、さらに現地で言ったことで芸術点も加算、相当な高得点を取れるはずだ。エピソードとして聞く分には良いのだけども。
これによって私は生涯ベネチアを思い出す際にはこの時の祖母の発言とあのいたたまれない気持ちを思い出すのだ。なんの呪いだよ。
以上、ベネチアでの思い出でした。
まぁこの後も絆創膏を探してドラッグストアの店員(イタリア人)に「Where is バンドエイド?」と英語で聞いたり(結局買えなくて私が持っていたのを渡した)自由時間で迷子になったり私が素敵な羽根ペン買ったら「お金あるわね〜」と本人にその気はなくても嫌味と取れる事を言われたりがありましたがエピソードとしては”弱”なので口頭で説明すれば良いかと思います。
四章 40万()のアクセサリー
「無いわね〜」
「何かなくしたんですか?」
「アクセサリーが入った袋がないのよ」
昨日はあったはずのアクセサリー類がまとめて見つからないのだという。身なりにこだわる祖母だ。アクセサリーもこの服にこれを!というものをあのギチギチのスーツケースに詰め込んできたらしい。
「あら、どうしようかしら〜……40万くらいするんだけど……」
パタパタと探してる最中の爆弾発言に思わず固まった。なんだって?
「あれ全部で40
膝の手術を3回受けた70代祖母が同行者の孫に無断でイタリア縦断超弾丸ツアーに申し込んだ話。
一章 〜杖買うって言ったじゃん!!〜
二章 「歩くのが早すぎるのよあのオバサン!」
三章 こんなとこに住む人の気がしれませんよね
四章 40万()のアクセサリー
五章 ナポリと靴
七章 ローマの夕食
・激重スーツケース
・自慢話と夏の空
・ボッティチェリに敬意を示して。
・嵐ってすげぇや!
孫が中学三年になるのに合わせて祖母が海外旅行に行きたいと言い出した。
昔は海外によく行っており孫と一緒に行くのが夢だったんだそう。
そこで白羽の矢が立ったのが、2番目の孫で初の女の子のわたし。
おばあちゃんは息子しかいないから初めての女の子をかわいがって、よく自分の好みの服やらを買って着せられた。娘がいたらしたかったことを私にしてる感じ。
あとまぁ「孫と一緒に旅行!」ってのが老人にとってはステータスなんだね。「孫と海外旅行をするくらい仲が良くて金銭的にも裕福な家庭」みたいなさ。
「あらお孫さんと旅行?いいわね〜羨ましいわ〜」って言われたいのもあったと思う。そりゃあ孫連れて旅行してる人がいたらそういう反応しかないでしょ。
当時は何も知らんかったから旅行行くのに全然賛成で二つ返事でOKしたし海外行けんの楽しみにしてた。
祖母は膝が悪く何度か手術の経験もあるため、最初は膝のこともあるしバンクーバーあたりのひとつの都市に留まってゆっくりしようねって話してた。
それが5月のある日
って。ねぇ、あんた。
パンフレット見せてもらったらまぁイタリアを北から南まで大移動する8日間の超弾丸ツアー。母が「大丈夫なんですか?」と心配そうに聞いても「大丈夫よ〜!」で聞きゃしない。
身体に爆弾抱えてる人がどうしてそこまで自信満々になれるのか。謎です。
テンションの上がった人間は突拍子もないことを言い出すの典型を目の前で見た。
1章 〜杖買うって言ったじゃん!!〜
そして迎えた当日、前泊する為に祖母の家に行った私が「杖あります?」って聞いたら、自信満々に「無いわ!でも多分大丈夫だと思うから!☺️」
まって??
いやもう、「なんで??」の一言に尽きる。
だって言ったもん、「買う」って言ってたやんけ。母さんがおばあちゃんの膝を考慮して折りたたみ式の勧めたり口酸っぱくして杖を持っていけって言ってたから。そりゃあ買ってると思ってたし若くないんだから過信しないでくれ、たのむから。
ここで私が間違ったのは不安に思いながらもすぐそばのショッピングモールに走って杖を買いに行かなかったこと。これが後に解決できない大問題となる。
今なら過去の私をぶん殴ってでも杖買ってこっそり自分のスーツケースに突っ込む。もし声だけでも伝えられるなら夜とか関係なしに「杖を探しに走れ〜!!!!!」って叫ぶ。絶対に。
「何かあったら現地で買うわ!」って言ってたから大丈夫かと思ってた。
予想してたとおり毎日足が痛くなるくらい歩く超弾丸ツアー。15歳の私でそうなんだから70代の祖母はさぞ辛かったと思う。
でもね?普通に考えて膝にボルト埋まってて普段杖ついてんのに、どう見ても歩くツアーに杖の1本も持ってかないなんて、そんなことある?
現地について2日目くらいに高級店が並ぶ通りで杖を見つけた。べっ甲の持ち手のついたツヤツヤの杖だったからこれならおばあちゃんも満足だろうと思って「杖ありましたよ!」って声かけた。のに。
「でもね〜、ここ(現地)の人に合わせてあるからおっきいのよ」
現地で買うって?言ってませんでした????
ちょっとマジでよく分からないんだけどそんなん最初からお前わかってたの?つまり絶対買う気ないのに買うって言ってたんか?って。
既にツアーの列から遅れて添乗員さんに迷惑かけてんのに何言ってんの?って。
オシャレでプライドの高い祖母にとって杖を着いて歩くのは格好悪いと、ただそれだけだったのだ。
イタリアに着いて初日、夕方に到着したのでそこからバスに乗る。着く少し前に機内食が出たから夕飯は無し、この日はホテルに直行して寝るだけ、明日から観光が始まる。
10時間以上のフライトで腰は痛いしケツはもじょもじょするしで、10時間前に一瞬顔を合わせた人たちと一緒のバスに乗ってホテルへ向かう。
ホテルの部屋へ入り、荷物の整理をして、今すぐシャワーを浴びて寝たいところだが事は起こった。
シャワーが出ないのだ。
普通、コックを上下に動かせば水が出るし、それをひねれば温度調節ができる。少なくとも日本ではそうだ。
このシャワーはどうだろう。コックを上にあげると蛇口から水が出る。コックをひねって温度調節も可能だ。それでも蛇口から繋がるシャワーはうんともすんとも言わなかった。
困った。いちおう先進国なのに世界共通で必須のものの使い方がわからないなんてことある?私はある
長旅直後に知らない土地で使い方がわからなくてゆっくり風呂にも入れないなんて哀れだね。
しばらく考えて、海外経験の豊富なおばあちゃんなら知ってるかなと思って聞いてみたら、祖母はすぐに「フロントに連絡するわ!」と。
あんたも知らないんかーい
いやいいんだけど、知らないのは別に良いのだけどね、ここでフロントに連絡してもイタリア語なんてさっぱりだし、なんなら英語も怪しい祖母と孫で外人のスタッフとコミュニケーションが取れるなんて到底思えない。
それだけは勘弁してくれの一心で私はひたすらスマホで使い方を探した。
その間も祖母は3分に1回「やっぱりフロントに聞いた方が良いんじゃないかしら」と言ってきた。祖母なりに心配だったのだと思う。その自信はどこから来るのかだけ聞かせて欲しい。
型番を検索しても外国語のページが出るばかりで、祖母によるホテルスタッフ襲来の圧を受けながら色々いじくっていたら、ふとした拍子にシャワーから水は出た。
蛇口から水を出した状態で蛇口の先の部分を引っ張るとシャワーが出る仕組みだったらしい。初見殺しか?
なんでこんなとこで1人謎解きやってるのかさっぱり分からないが、ホテルスタッフを呼ばれる前に解決できたのはファインプレーだったと今も思っている。
二章 「歩くのが早すぎるのよあのオバサン!」
歩く!歩く!歩く!
超弾丸ツアーはひたすら歩く。海外旅行に行く層なんて暇と金のある金持ちのじいさんばあさんが主なのに、旅行会社のツアーは「夢の🎶イタリア一周」だとか、「スペイン♡世界遺産ツアー」だとかの移動にかなり無理があるツアーばかりを組んでくる。
例に出したのは私が実際に祖母(父方 母方)と参加したツアーだ。そしてどちらも参加者の平均年齢が60を越していた。
老人、己の体力を過信するな。
もしかしたらゆったりしたツアーもあったかもしれないけど、私が知る前に祖母は申し込んでいたから知る由もない。そゆとこの報連相大事だと思うんだ!
数日で全部を回ろうなんてツアーでは大体の日程がメチャクチャ歩いてるか数時間バスに乗るかの2択になるが、直射日光を浴びて歩いたジジババばかりのバスなんて小学生の遠足帰りのバスより爆睡率が高い。
寝息の聞こえる静まり返ったバス内は幼稚園のお昼寝の時間と同じ空間だった。
日に当ててから涼しいとこでゆっくりさせるのはね、寝かしつけの方法なんよ。
私はイタリアに行ってまでソシャゲのガチャを引いて、推しが出ては「ありがとうイタリア…😭🙏」とTwitterにつぶやくだけになった。景色は飽きる
大体このガイドはやたら大声でハキハキと話す細身な40代くらいの女性が多い。あとなんかダサい旗持ってるよね、キティちゃんとか。
そんで、そのハキハキしたおばさんガイドはめちゃめちゃ歩くのが早かった。大股でズンドコ行くので必死で追いかけるが、配布のトランシーバーで早口で観光地の説明をするから忙しい。
実績解除のための観光だ。この現地ガイドにより観光はRTA(リアルタイムアタック)に様変わりした。
参加者も置いていかれないよう頑張って着いていくが、ここで忘れちゃいけないのが祖母だ。
観光は現地ガイドが先頭に立ち先導しつつ、はぐれる人がいないよう1番後ろを常勤のガイドで挟む姿勢を取る。
私が息切れしながら振り返ると、横にいたはずのおばあちゃんがいなかった。
前に言った通り祖母は膝が悪く、普段杖をついているくらいだから当然歩くのが遅い。それに杖無しというデバフ+でこぼこの石畳+傾斜が拍車をかけた。
「歩くのが早すぎるのよあのオバサン!」
うん、まあ、なんだろう。同情できない。
列の1番後ろでガイドさんに付き添ってもらって悪態をつくって、どう???
ガイドさん、ごめんな。
杖があればどんなに楽だっただろうと今更ながら後悔したし、この旅行中頭の10%くらいでは常に杖のことを考えていた。ちなみに今でも百均で杖を見ると「この!クソ!!これがあれば!!」と思う。500円しないで買えるんだぜ?
閑話 クソ重スーツケース
表題の通りである。おばあちゃんのスーツケースがバカクソ重いって話。
おばあちゃんのスーツケースが重量制限心配になるくらいマジでバカ重かったんだけど、
「何も入ってないのよ〜このスーツケース古いから〜」って言ってたし、古いスーツケースの重さなんて知らんからそんなもんかなって思ってた。ハードケースだったし。
重量制限は23キロまでで、おばあちゃんのは20キロくらいだったはず。行きの時点でこれって土産のも買うはずだけど大丈夫????となったがホテルで開けて驚いた。
ナニモ…入って…ない…❓
スーツケースが古いとかそんな問題じゃねーよ。ギチギチに布詰めて「何も入ってない」なんて言える姿勢は逆にすげーよ。
ちょっと冷静になったけどこの後のお土産タイムで早速おばあちゃんが買ったワインは旅行中ずっと私のスーツケースに入れて運ばれた。たまにスーツケースから瓶が擦れて酒屋の音がした。
旅行の回数が多いだけの自称旅慣れてると本当の旅に慣れてる人というのは別物だ。
閑話3つ目である。ちなみに書いてあること全部まだ2日くらいで起こったことで、たかだか1週間程度の旅行でよくここまでネタがあるなとしみじみ思う。
一応海外旅行に行くからには大体のツアーには現地の有名料理が組み込まれている。Tボーンステーキもそれのうちの1回。2日目の夕飯だったかな。
ガイドさんがメニューを読み上げてなんかよくわからんサラダとか食べて、例のメインは来た。
ミスター味っ子で存在だけは知ってる料理だけあって私は若干テンションが上がっていた。
漫画の微かな記憶では左がヒレで右がサーロイン、さっぱりしたヒレを先に食べ脂の乗ったサーロインを味わうのが鉄板だと味っ子の顔のうるさい審査員が言っていた。
記憶のTボーンの比率は約1:2、出てきた肉の比率は1:5くらい。申し訳程度のヒレ肉に思わず笑ってしまった。これ、わざわざTボーンにする必要ある?
まぁそれは例によって外国なのでサーブされた人によって大きさも全然違っていた。海外に行ってまで日本のような画一化を求めるのが間違っているとも言える。日本が細かいのか、海外が雑なのか。
肉質にも差があって、同じテーブルのおじいさんは「固すぎて食べられない」と言っていた
私のは食べられないって程じゃなかったけど、先に言ったようにツアーの参加者は老人の方が大体だ。その人たちにこれは重いんじゃないかと思う。
そっかーとか思いつつ1人で黙々と食べてたら祖母が
「そうかしら?私のすっごく柔らかいのよ!ほら!」
と、見せつけるように肉を切っていた。肉が固いと言っていた人の目の前で。
何故。
嫌がらせか?と思ったが、別に祖母はそんなこと考えておらず、ただ思ったことを言っただけだ。それがナチュラルにマウントになる人なのだ。純粋培養のヤバ人(やばんちゅ)である。悪意は一切ない。
そしてその素直な性格がこの旅行を悲惨にした一番の原因である。
ただただ、いたたまれなかった。ここで私が「そういう意図はないんです!」なんてことは到底言えないし、言ったところで祖母は理解するような人じゃないし、わたしにできることと言ったら押し黙って肉を食うだけだった。
言われた同じテーブルの人たちは「人によって差があるのね〜」とかで流してくれた。大人だ。
3章 「こんなとこに住む人の気がしれませんよね」
イタリアといえばベネチア、水の都。今回のツアーももちろんベネチア観光が含まれていた。
こんなにネタがある時点ででお察しだとは思うが、祖母はかなり癖が強い。私と年代が違うから、というだけでなく単に人間としての癖が強すぎる。だから付き合うにはかなりコツなり話し方なりに工夫が必要だ。特殊食材?
祖母の特徴を端的に並べると
・謎の自信を持つ。
・反面、少々過剰に心配性な面もある。
・介護の息抜きに海外旅行へ行っていた。特にヨーロッパを中心に巡っていてイタリアにはもう何回も来たからもう飽きちゃったくらい!が旅の口癖だった。
謎の自信、杖の件はこれが遺憾なく発揮された結果だ。このエピソードで祖母の人間性が伝わったかと思う。決して悪い人ではないから逆にタチが悪いのだ。悪意じゃないから私もそんな強く言えないし、そもそも強く言えるような間柄でもないのがさらに状況の悪化に拍車をかけた。私は押しに弱い典型的な日本人であったから余計に。あの場にいたのがアメリカ人かもしくは私たちの母だったら「ダメよ!杖を持たないと出発しないから!」と断固拒否の姿勢を見せただろう。私も1人ストライキを決行すればよかった。
ここで問題なのが「イタリアにはもう何回も来て飽きちゃった!」の口癖だ。
わざわざ12時間飛行機に乗ってケツを酷使して見知らぬ土地に降り立って言うことがそれなの、普通にやばい。現地ディスしたい行動力の鬼なの?
修学旅行の同じ班に到着直後から「もう来すぎて飽きちゃった!」なんて言う奴がいたら、そいつ絶対回る友達いないでしょ。もし現地の京都人に聞かれて初手からぶぶ漬けを出されても文句は言えない。花輪くんでもそんなマウントは取らん。
しかし一番直近でも10年以上前、イタリアだって発展し続けるのだ。祖母は旅の間中も思い出のイタリア(思い出補正マシマシ)に浸り続けている。
ベネチアは陸から少し離れた場所にあり小さな船に乗って向かう。
海の水は綺麗ではないが、所狭しとゴンドラが並び、ヨーロッパの建築様式で作られたカラフルな屋根や壁に白い柱、窓の一つ一つまで細かな意匠が凝らされた建物がずらりと並び、それらが海の上に浮かぶ光景は圧巻だった。色んな作品の題材になるわけだ。これは日本では見れない、世界は綺麗なものがいっぱいあるなぁ、連れてきてもらってありがたいなと素直に感謝した。
水に浮かぶふかふかした地面の繋ぎ目を歩き、現地ガイドさんの説明を聞きツアーの皆さんもワクワクした目で街を見渡しているその時
「こんなとこに住む人の気がしれませんよね〜」
見れば祖母が隣の人になかなかの声量で話しかけていた。あえての悪意とかではなく井戸端会議で「や〜ね」とでも言うような表情で。
やめろや。思うのはまだ良いとして、百歩譲って話しかけるなや。瞬時に吹っ飛ぶ感謝。もっとありがたがらせてくれ。
隣の人はどんな反応をしたっけ。曖昧に相槌を打っていたっけ。でもこの場で言うべき言葉ではないことだけはわかる。
KY発言選手権があればこの発言はかなり上位に食い込む確信があるし、さらに現地で言ったことで芸術点も加算、相当な高得点を取れるはずだ。エピソードとして聞く分には良いのだけども。
これによって私は生涯ベネチアを思い出す際にはこの時の祖母の発言とあのいたたまれない気持ちを思い出すのだ。なんの呪いだよ。
以上、ベネチアでの思い出でした。
まぁこの後も絆創膏を探してドラッグストアの店員(イタリア人)に「Where is バンドエイド?」と英語で聞いたり(結局買えなくて私が持っていたのを渡した)自由時間で迷子になったり私が素敵な羽根ペン買ったら「お金あるわね〜」と本人にその気はなくても嫌味と取れる事を言われたりがありましたがエピソードとしては”弱”なので口頭で説明すれば良いかと思います。
四章 40万()のアクセサリー
「無いわね〜」
「何かなくしたんですか?」
「アクセサリーが入った袋がないのよ」
昨日はあったはずのアクセサリー類がまとめて見つからないのだという。身なりにこだわる祖母だ。アクセサリーもこの服にこれを!というものをあのギチギチのスーツケースに詰め込んできたらしい。
「あら、どうしようかしら〜……40万くらいするんだけど……」
パタパタと探してる最中の爆弾発言に思わず固まった。なんだって?
「あれ全部で40
https://anond.hatelabo.jp/20240206165754
自分はバックパッカーで世界中回るのが好きなんだけど昔は旅行が嫌いだった。なぜ昔と今で考え方が180度変わったかを考えると、大人になってからの旅行の方が自由度が上がったからだという答えが出てくる。
高校生くらいまでの旅行といえば、父親の運転する車で行く家族旅行か、学校の修学旅行や部活の遠征くらいなもんである。大抵の場合、目的地は自分で決められないわ、移動手段の選択肢はないわで自由度低く、ただ移動が大変という感想しかなかった。
大学生になって一人暮らしをするようになると、自由な生活とバイトで貯めた自由に使えるお金が生まれた。ちょうど20歳になったばかりの頃、九州の方であるレアなイベントがあり参加したくなった。遠征ツアーが無いかと探したが、見つからなかったので個人で旅行を手配することにした。バイトで稼ぐ金額はしれてたので、とにかく費用を削ることに注力した。まず、大阪まで18きっぷを使って在来線に乗り、大阪から九州まではフェリーで夜間移動。九州での宿泊は漫画喫茶。費用を抑えつつ、バイトを休める数日で目的達成するためにルートを調べまくったのだが、これが思いのほか楽しかったのだ。「こんなルートがあったのか!」「こんな費用削減方法もあったのか」という発見に好奇心が刺激され、旅立つ前から気分が高揚した。最終的に費用が当初見積もりの1/3で済んだこともハマるきっかけになった。「うまく旅程を組めば、適当にプランを練るよりも格段に費用が安くなる」という成功体験を得たのだ。そうやって社会人になる頃までには、夜行バスや企画きっぷ、フェリーを駆使した移動手段で47都道府県を全て回ることができた。(沖縄だけは飛行機を使った)
社会人になって経済力がついてくると同時に海外にも興味が湧いた。ちょうどその頃、LCCが普及しだしてたのとクレジットカードのポイント利用した陸マイルで安価に旅行できるようになったのも海外バックパッカーデビューの後押しになった。海外一人旅は、国内旅行へ行くのと勝手が違う部分も多かったが、18切符での貧乏旅行のノウハウが活かせる部分も多く、そこまで苦労はしなかった。だが、この頃から周囲の旅行観と自分の旅行観のズレに苦しむようになってきた。
皆さんは海外旅行の費用について、どういうイメージを持つだろうか?自分はLCCや陸マイルを駆使したバックパッカーだったので、土日に有給1日つなげた2泊3日コース、近場のアジアで総額3万コースくらいの印象でいた。なので会社の同僚にも毎月のように海外へ出かけているという話を何の気なしにしてしまっていた。
•家族で(4人くらい)
•ハワイ等のリゾート地か、ヨーロッパ、北米、オセアニアを目的地として
行くものらしかった。当然費用も100万コースとなりフットワーク軽く行けるものでは無いというイメージが強いようだった。
周囲はこのイメージで自分の話を聞くので、周りの印象が、「金遣いが異様に荒いのに、お土産を買わないなんかヤバいやつ」的な認識なってしまっていた。このギャップに気がついたのは結構後になってからである。少々話が脱線してしまったが、旅の認識ってホント人それぞれなんで会話する時には気をつけないとヤバいってことを強く主張したい。
なお、お土産の件について補足をすると、予算3万の旅行で考えると、部署全員分の土産買う費用が結構辛いってのとLCCの手荷物制限(7kgのところが多い)が厳しいというのが買わない(買えない)理由になる。2泊3日の弾丸旅行だと、自分の行きたいところ行くのに専念したい(お土産買う時間が勿体無い)というのもある。自分が少々自己中なのはまあ、自覚はしている。
なんか色々書いてるうちにとっ散らかってしまったが、こういう人もいるということで。
毒親を持っている人のブログを読んだり話を聞いたりすると思うことがある。
毒親持ちの人の体験談は、それはそれは凄惨で、進学させてもらえないとか仕事もせず家に居座る親が暴力を毎日振るってくるとか殺されかけたとか……。親元を離れて立ち直った人もいれば、今なお親の影に苦しんでいる人もいるだろう。そんな彼等を見て自分はこう思うのだ。
「この人に比べれば自分はマシな親を持っているのだろう」
そしてこうも思う。
「だから決して、自分の親が毒親持ちと思って甘えてはいけない」
けれど、ずっとそうして生きてきたのだけれど、最近親と共に過ごすことが辛くなってきた。「おはよう」と話しかけられるだけで動機がして、頭痛がする。眠れない夜が増えた。これは家族間の関係として健全なことなのだろうか。今一度自分の親が毒親ではないのか客観的に整理したくて、文章に起こすことにする。
彼は毎日仕事に行き、給料もきちんと家庭に還元しているし、私の進学を阻むようなこともなかった。大学まで出してくれて、一戸建てを持っており、ギャンブルや浮気の経験もない。
もうこれだけで私が数々見てきた毒親像とはかけ離れている。だから私は父に感謝をしなければならないし、軽い気持ちで毒親などと言ってはいけないとずっと思っていたのだ。
ではなぜこの男に声を掛けられる度に不愉快な気持ちになるのか。それは父の性格に起因している。
単刀直入に言って、父の性格は自己中心的で周り、特に家族のことを常に見下している。
例えば「明日出掛ける」と言うと「何時に?」と聞かれる。ここで少しでも返答が遅れると「なんでそんなことも分からないんだ」
例えば私が昼ご飯を食べようとすると「昼ご飯を食べようだなんて悪い奴だな」
私は何か悪いことをしただろうか。毎日のようにこういう無意味な罵倒をされ、どんどん神経がすり減っていく。もっと酷い人格否定をされたこともある。「子供は親の奴隷なんだから黙って言うことを聞け」と言われたこともある。けれどそれを本人にやめて欲しいと言っても「俺はそんなことは言っていない」「これもコミュニケーション」「冗談もわからないなんて心の狭い奴だ」。話にならない。
ではもし反撃してこちらが「馬鹿親父」などと言ったらどうだろうか。まるでやくざのような気迫で威圧し、怒声を浴びせ激高し、床を踏み鳴らし机を拳で殴る。それでも収まらないときは手近なものを破壊し、最終的には暴力に発展する。さすがに暴力に発展することは稀(というかそうなる前に謝ったり宥めたりしているの)だが、家でも外でもお構いなしに蹴られたり殴られたことがあるし、母に至っては数回骨折沙汰になったことがある。
力ではどうしても勝つことが出来ない。だから何を言われても、私は黙って受け流すしかないのだ。
もうひとつ私を苦しめていることがある。それは父の奇声だ。上記はまだ共感できる人も多いだろうが、これに関しては珍しい上に恥ずかしい話過ぎて誰かに相談することもできず、ずっと悩んでいる。
父は昔から声が大きい。最近耳が悪くなってきて殊更声が大きくなってきた。それは加齢によるものなのである程度は仕方ないのだが、問題は奇声を発することだ。
奇声といっても金切り声でなく、例えばYouTubeの動画でユーチューバーやゲーム実況者が驚いたり興奮した時にスマホが音割れを起こすほどの大声を出して、慌てて音量を下げた経験はないだろうか。あれを、何かの撮影でもなく家の中でやる。還暦をすぎた男が。
誇張なく、いきなりリビングで「うおおおおお!」とか「うぎゃあああああ!」とかいうのだ。病気だとしか思えない。しかも時間は問わない。父が叫びたくなった時に叫ぶ。毎日、毎日、何度も何度も。
だから朝、目覚まし時計より早く父の絶叫で目を覚ますことはざらにあるし、そういう時は心臓が縮み上がる程驚く。
一度気になってデシベル測定をしたことがあるのだが、結果は80~90デシベルだった。これは地下鉄の車内や布団たたき、ブルドーザーの音に匹敵するらしい。
もちろんやめて欲しいと何度もお願いしたし、精神の病院は勧めた。当たり前だが病院を受診するはずもなく、しつこく言ったところ「頭がおかしいのはお前だ」の言葉からはじまりあとは前述した通りである。
他にもおかしいところをあげればきりがないのだが、最後に一つ父の一番理解できない話をしたい。
私は生まれつき肺に病気を患っている。これに関して両親を恨むつもりはないし、長く生きられないと言われていたところを手術を受けさせてくれて、他の人と同じ日常生活を送ることができるようにしてくれたことに感謝をしている。
だが100%なにもかもが健康体になったわけではないし、今でも肺には他人よりもハンデを抱えている。だから掛かりつけのお医者さんには肺や心臓を大切にしてねとさんざん言われているのだ。
その子供を持ちながら、父は平気な顔で紙煙草を吸う。別に隠れて吸うのなら構わないのだが、私が幼いころ(手術前)からキッチンで、リビングで、果ては外食した時に私が食事中でも対面に座ってぷかぷかと吹かす。その量は1日に1箱近い量だ。父が家にいると一日中家が煙草臭くなる。
あまりにも臭いのでベランダで吸うようお願いしたら、窓を開け放したまま足だけベランダに出して吸っている。当然窓から副流煙がリビングに逆流してくる。だったらせめてと空気清浄機を近くに置いたら「音がうるさい」「俺に対する嫌がらせなのか」と不機嫌な顔をしながら空気清浄機を止める。
キッチンで皿洗いしていると後からやってきた父が「煙草を吸うから退け」と言う。せめて洗い物がキリのいいところまで待ってとお願いしても「待てない」と吸い始めるか、真横でものすごく不機嫌なオーラを出しながら急かしてくる。たった1分ですら待つことが出来ない。
このようなことは言いたくないのだが、私が煙草を吸わないで欲しいとお願いするのは、あなたの遺伝子を引き継いで作られた身体に欠陥があったからなのだが、父には何一つ思う所はないようだ。どうも母に聞いたところ、妊娠中も平気で母の前で煙草を吸っていたらしい(母は避けようと頑張っていたようだが、当時狭いアパート暮らしで限度があったようだ)
こんな父だが、ことあるごとに口先だけではこう言うのだ。
「俺はどんな時もお前の味方だからな」
ふざけるのも大概にしろ。人の人格を毎日否定して、やめて欲しいとお願いしたことを喜々として余計にやって、泣いて「もうやめてくれ」と言ったことには「人が泣いてるのをみると殴りたくなる」と言い放って、人が買って来たものを許可も取らずに盗んで食べたり使用したりして、電車で数駅のところに遊びに行っただけで土産をせびり、感謝を強要し、都合が悪くなると「冗談」「コミュニケーション」と逃げるか激高して無理矢理黙らせるかして、大声で絶叫して、持病もちの前で煙草をやめない。
父の言動を聞いていると、本気で自分は「娘を愛する良い父親」だと思っているようだ。仕事に行って金さえ払えば良い父親なのだろうか。自身の子供が眠れない日が続いて、悔しくて苦しくて涙が零れて、頭痛がやまなくなっても、父にはその姿は見えていない。
この父を毒親と言っていいのかずっと悩んでいる。この程度で毒親と言ってしまうと、「この程度で毒親持ちの被害者面するな」と言われてしまうのではないかと思ってしまう。
けれどこの男を父として認め普通の親として扱うには、もう精神の限界が出てきているようにも感じている。
自分はストレスに強い人間だと思っていたし、実際いわゆる「鬱」に当てはまるような症状や過呼吸や胃潰瘍もでていない。だからこの悲しさも辛さも大したことはなくて甘えなのだろうかと思う。身体に大きな不調が出れば、父はなにか変わるだろうか。いや、変わらないだろう。しかし、大手を振って家を出ていくチャンスになることは間違いないだろう。けれどそれもないのなら、もう少し耐えるべきなのだろうか。
家を出ていけばいい。それは間違いなくそうなのだが、父と二人きりにしたらいつか母が殺されてしまうのではないかという恐怖もある。両親から「お前は独り暮らしができない」と何度も言い聞かせられて、まるで呪いのように縛り付けられている感覚もある。一人暮らしをしたいと切り出したあとに、激高され毎日不機嫌なオーラを出される中過ごさなければならないのが怖い。踏ん切りがつかない。これは甘えなのだろう。
そういう中途半端な親元に生まれた私は結局今日も、本当の毒親よりはマシと言い聞かせながら父の顔色を窺う、情けない生き方しかできないのだろう。
元増田です。久しぶりに見たら割と盛り上がっていて驚いたが、ツイッターで相手方の気持ちを創作した奴がいたんだな。おもしろかった。ありがとう。さすがに相手の性別は女ではなかったが……。
お前ももてなされると思ってんじゃねーよハゲとか、社交辞令の会いましょうを鵜呑みにするんじゃねえっていうコメントが多くて参考になった。ここはいつも俺の予想のつかないこの世の裏側を見せてくれておもしろいよ。遠方の人間に会うのに土産を持っていくのも最近は珍しいのか。
なんにせよこういった形で他人に会うのはやめようという結論は変わらないかな。お互い文化が違いすぎて良い気持ちにならないもんなあ。
石川県は県内あちこちで進めてきた企業誘致や北陸新幹線建設など、
一方、災害リスク軽減に向けた計画づくりは産業振興にブレーキをかけることになるからとペンディングにしてきた。
今思えば07年後の耐震診断くらいはしないといけなかったな。
防災投資を暗黙の裡に手控えなければ進められないという平時の政治のメカニズムが、
この平時と復興期の政治の動きは表裏一体。復興期の動きのなかでは、二つの政治的な動き方がありうる。
ひとつは、地域の経済産業を災害前の同じ状況に迅速に戻そうという動き。
観光地であれば、訪問する外の人々に災害を早く忘れてもらったほうがいいし、
曲突徙薪の故事でいえば政治家が災害後の復旧でヒーローになる手っ取り早い発想だ。食べて応援!みたいな流れもそれに近い。
ビーチ沿いのせまっくるしい土産ストリートで人があふれ逃げ遅れたという教訓があるにもかかわらず、
復興過程ではいち早く観光産業が再生し、政治家は避難施設への誘導標識をつけたり訓練をしたりすることすら嫌がり、防災対策としてはあまり何もしなかった。
結果、全く同じショッピングストリートが出来上がった。そして同じ規模の津波がきたらきっと同じことが繰り返される。
もうひとつの動き方は、災害で失われた生命財産に対するバックラッシュ。
東日本大震災の復興過程では、生命の安全をなにがなんでも守るという災対法の理念を忠実に実現しようとした。
平時では合意形成が難しく、とても実現できないことを復興期にやれるのは強味ではある。
浸水地域ではもう人は住むな、といって一世帯あたり3000万くらいかけて高台をつくり、巨額の復興予算で海岸は大量のコンクリートで防潮堤を建設した。
しかし迅速な復興を目指したあまり、復興計画への住民の合意形成が拙速になった。
結論を急いだ結果、家を失い生計を失って自分自身の生き方を迷っていた多くの地域の人たちが結果的に地域を出ていき、地域に残りたいというのは
そこで人生を終えたい高齢者だけになった。以前にも増して限界集落となって投資したコンクリートを誰も住まない地域に残した、という教訓がある。
山本一郎が復興のあり方に懸念した文章みたけど、それってこのあたりの課題に重なる。
行政が介入した瞬間から参与観察になって地域に影響を与えることを覚悟しないといけなくて、費用便益を事前に計画で客観化できるというのはうそだ。
復興過程での政治や行政主導が住民のレジリエンスを阻害して、結果的に投資に釣り合わない結果になったかもしれないという部分を考察しないといけない。
「なんでそんなにキモい顔なんだよ、存在自体が不愉快だから視界に入ってくんな消えろよ」
「うっわー、お前の触れたもんとか絶対触りたくねぇ、キモいのが伝染るわ」
ぼくは容姿がこの上なく醜く歪んでいる。それこそぼく自身ですら認めるほどにだ。
ぼくの人生の中でぼく以上に醜い容姿をした人は一切の誇張なく一人も見たことがない。これからも見ることはないだろう。
冒頭に書いたような言葉を投げかけられなかったことは小学生の頃から中学時代、高校時代、社会人になってから今に至るまでと人生の場面において一度もない。
ぼくと10人が接すれば2人はいじめて7人は顔をしかめ引き攣らせたりあからさまに距離を置いて1人は庇ってくれる…といったところだ。
これでも頭では理解は出来るのだ。ヒトは社会的動物である以上、劣った遺伝子を集団を乱すものとして排除したい本能がある。
ヒトという種から見れば、劣った遺伝子のシグナルである醜い容姿を持つぼくは白血球に攻撃されるウイルスのようなものなんだろう。
けれど、あからさまに仲間外れにされたり殴られ蹴られ水を頭からかけられ暴言を吐かれといったことが年単位で、それもどんな集団に所属していようとほぼ必ず虐げられるといったことが続けば、心がズタズタに切り裂かれていくのだ。
どんなに勉強や仕事を頑張ろうとしても、度重なるいじめの記憶がフラッシュバックして何も手につかずうまくいかずの負のループ。
美容にお金と時間をかけても、元の遺伝子が悪すぎるからどうにもならないという現実を突きつけられるのみだった。
包み隠さず言えば、自分の存在自体もさることながら、生まれてきたこの世を心から呪った。一度に限らず、幾度となく何年にもわたって。
生まれてこなければよかった、存在自体を消してしまいたいと思った、だが実行する勇気すらもない。
被害者だけでなく加害者にもなった。いじめから庇ってくれ、人間は容姿だけじゃないよと優しい言葉をかけてくれた人にすら「お前に俺の苦しみの何が分かるんだ!!」と暴言を吐くような有様だった。
今思えば加害者に反撃する勇気もないから庇ってくれた人に八つ当たりしていたということだ。こんな人格ではいじめを受けた原因も容姿だけとは言い切れないかもしれない。
呪って呪って呪って呪い疲れて、ようやく受け入れた。
受け入れた後で、ぼくの心の中にほんのわずかに残ったものがあったことを思い出した。まるで災厄が飛び出していった後のパンドラの箱の中にたった一つ残った希望のように。
それは両親がくれた愛情だった。
どんなにぼくが失敗して迷惑をかけても「大丈夫、あなたは生まれてきてくれただけで親孝行なのよ。」と言ってくれた母。
子供の頃に小遣いを貯めてプレゼントしたマグカップをずっと大事にしてくれ、何度も野球観戦に連れて行ってくれて、「お前がどうなろうと俺達はお前の味方だ。」と言ってくれた父。
曇った目では見えなかっただけで、ぼくの心の中には生まれた時から二人が注ぎ続けてくれた無償の愛が確かにあったのだ。
ぼくが不幸だったのは容姿が醜いからというより、自分にないものに執着して不平不満ばかりに目を向け、あるものにはまるで目を向けようとしなかったから。自己憐憫ばかりに浸って本当に温かく手を差し伸べてくれる人の存在を無視し拒絶したからだ。
実際、容姿の醜さは何も変わっていないのにこうして自分の中にあるものに目を向け、生き方を変えようと決意しただけでこれだけ前向きになっている。
人間が生きる期間は80年程度、独身男性に至っては60代中盤程度らしいので、ぼくに残された期間は40年もないといったところか。
でもどちらにせよ宇宙全体の歴史からすれば誤差のようなもの、生きた期間の長さよりも何をどれだけ残すかの方が重要だ。
今後の人生の目標は、いじめから庇ってくれた一人一人に深く謝罪し感謝の言葉を述べること、両親がくれたこの無償の愛を出来る限り多くの人に渡すことだ。
最近読んだ本に「あなたがどんな刹那を送っていようと、たとえあなたを嫌う人がいようと、『他者に貢献するのだ』という導きの星さえ見失わなければ、迷うことはないし、なにをしてもいい。嫌われる人には嫌われ、自由に生きてかまわない。」という言葉があった。
その通り、世の中には心無い暴言を吐く人がいるかもしれないが、ぼくは他者に温かい言葉をかけるようにしよう。
暴力をふるう人がいるかもしれないが、ぼくは他者に温かく手を差し伸べるようにしよう。
容姿が醜いということで差別を受けるかもしれないが、ぼくはどんな人にも無条件に心からの信頼を寄せよう。
弱っている人を馬鹿にし更に搾取しようとする人もいるかもしれないが、ぼくは真っ先に駆け付けて自分の出来る限りの助力をしよう。
受けた痛みの分だけ、他者に共感し寄り添えるようになった。いじめを受けた経験も必要なことだった。そう言えるようにしよう。
もう世の中を散々呪うだけ呪った。これ以上世の中に呪いは残さない。
そう遠くない内に迎えるであろう最期の時は、両親から貰った愛情や思いやりを何十倍にも増やしてこの世への置き土産にした上で、笑いながら旅立っていくつもりだ。