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はてなキーワード: 囃子とは

2019-10-08

まるかいて地球を聞いてほしい

ヘタリアという国擬人化漫画はご存知だろうか。

アニメ版ヘタリア主題歌であるまるかいて地球」がいかに素晴らしいかを知ってほしい。是非、アルバム「まるかいベスト」を最初から順番に聞いてほしい。

まず最初は、この物語主人公であるイタリアだ。ヘタリアイタリアらしい、明るく軽やかでころころしていて、それでいてどこか気が抜けたメロディー歌詞ヘタリアという作品象徴するような歌である

イタリア」が歌うだけあり、歌詞はいくつかのイタリア語が散りばめられている。冒頭の「papa」「mamma」は、まだ分かる。日本語でも馴染みのある「パパ」と「ママ」。しかCメロでは、耳馴染みのないイタリア語が怒涛のように畳み掛けてくる。はっきり言ってよくわからないままCメロは終わる。それでも、イタリアイタリア語でイタリアらしい歌を歌っているなあ、流石国擬人化作品だ、と素直に感心して終わる。

次は、イタリア相棒であるドイツ。「ドイツだし、ワインのところはやっぱりビールだよね」「やっぱりヴルストかー」日本人ドイツに抱くステレオタイプを外さない改変。「ドイツ語ではパパの事をファターと言うんだ!」といった発見もある。低音のドラムによるサウンドドイツのむきむき感を喚起させ、ヘタリアキャラクターとしてのドイツイメージも十分。でもCメロは、やはりよく分からない。

続けて日本。我が母国である。ここで、Cメロ日本語で歌われることによって、よく分からなかったイタリア語、ドイツ語の意味がやっと分かる。「ああ、お兄さん、お姉さん、お爺さん、赤ちゃんに呼びかけるシーンだったんだ」言われてみれば、先の大戦を生きたであろうお爺さんに平和を誓う、未来を生きる赤ん坊の為に…なんといい歌詞ではないか!3曲めにして、やっと歌詞の全貌を理解することができる。ここで前2曲を聴き返してみたりもする。

2巻の特典である日本イギリス辺りからは、よりその国の民族音楽意識したアレンジが施されるようになってくる。和楽器やお囃子をふんだんに使った日本ブリティッシュロックギター音がカッコいいイギリス、おしゃれなシャンソンアレンジとゆったりした感想がなんともらしいフランス、そして原曲を留めない激しいフリーダムさが持ち味のアメリカ。この辺は、日本人にも馴染みの深い国々だから歌詞の改変も「あー成る程ね!」と唸りながら楽しむことができる。ちょっと捻った表現の多いイギリスとか、凝ってて楽しい

ロシア語は全く分からない、という人が多いだろう。しかし、ここまで順番に聞いてきた人なら、ロシア語は分からなくても歌詞意味は全て分かっているので、Cメロも難なく理解できる。ロシア民族音楽らしい、すこしマイナー音の多いアレンジ、そして間奏は誰もが知っているテトリステーマ。ここに来てさらクオリティを上げるか、といった感じ。

一期のラスト中国。どこか切なさを感じるロシアver.と打って変わって、明るく温かみのある曲調。ヘタリア中国は独特のイントネーションによる協和語を喋る、まさに日本人想像しがちな中国ステレオタイプのものみたいなキャラである。歌の出だしか雰囲気は十二分。

そしてこの中国ver.、他の曲よりコードが若干高い。サウンドも非常に華やかで、Cメロはなんとも嬉しそうな甲斐田さんによる歌唱も相まって涙が出そうになる程盛り上がる。最後は、原曲と同じく「ヘタリア」で終わる。最後まで美しく、華やかに、盛り上がって終わる。「ああ、世界一周旅行のフィナーレだ…」なんとも言えない高揚感と満足感を味わうことができる。

そう、イタリア中国を通しで聴くことにより、世界の色々な国をすこしずつ体験したような気分になれるのだ。これは何と言っても、我々が各国へ抱くイメージ完璧再現した編曲の妙である

そして、曲の歌詞あくまで「ヘタリアの〇〇」ではなく、「〇〇国と言えば!」に徹しているのも重要ポイントだ。国擬人化たる彼らが、ヘタリアキャラクターとして与えられた人格を封じ、彼ら自身たる国であろうとする歌詞が、ヘタリアキャラクターを、単なる記号化されたキャラクター以上の何かに引き上げている。

これが2期の8カ国だとダメなんだ。国ではなく、ただのヘタリアキャラクターになってしまっている。1期はキャラソンを超えた感動があったのに、2期はただのキャラソンでしかない。

後に発表されたスペインver.は、1期の路線にだいぶん寄せてあり、そこそこ良かった。でもCメロで変にキャラを出してしまっているからやっぱり惜しい。模式をなぞっているからこそ、各国の違いが鮮明になり、国体ソングとしてのまるかいて地球が成立していたのに。

結びとして、1期8カ国だけでいいので是非順番に聞いてほしい。聞けば分かるさこの感動。それ以外は、そのキャラが好きなら聞けば良い。

2019-09-21

ラグビーワールドカップ歌舞伎囃子

なんかの合間に「いよーっ」て歌舞伎囃子が入るんだけど、なんで誰も突っ込まないの?

間違った日本イメージとかあるけど、とりあえず、ツッコミたくね?

触れたら負けなの?それとも各チームに屋号つけて「成田屋ー!」とか「まってました!」とかの大向こうにした方が面白いの?

2019-09-01

雛人形五人囃子って

能の囃子から来てるんでしょ?

それで謡・笛・小鼓・大鼓・太鼓って話だけど、謡は囃子に含まれないだろどう考えても。

なんで四人囃子にしなかったの?

2019-05-11

囃子が聞こえてきた

ピーヒョロ ピーヒョロ

トントコ トントコ

2019-02-09

チャレンジとは何を意味するのだろうか

国鉄日本の鼓動だ。

延々と続く2本のレールには力強い鼓動がある。このレールは、知らない町と町をしっかり結びつけ、多くの人々を運んでいる。

しかし、その役割は、「人を運ぶ」ことだけではないのだ。単に「国鉄人間荷物を運ぶだけ」なんて考える人には、決して力強い国鉄の鼓動は伝わってこないだろう。

鉄道を愛し、多くの鉄道知識を持っている人でも、本当にこの鼓動をはだで感じたことは少ないはずだ。

かに鉄道知識として知れば知るほど楽しいことが出てくるだろう。

でも、「20,000㎞にチャレンジする」……それは、すばらしさの再発見につながっているのだ。知識から体験へ。今、その鼓動を求めて、未来に続く2本のレールにチャレンジしてみよう。

踏破は青春ドラマ作りだ。

終わることのないロマン、それが列車の旅だ。部屋にじっとこもっていては、自分の心にカビが生えるだけ。部屋の窓から見えるいつもの風景は、ただ立ち止まり、決してなにも話しかけてはこない。とにかく出会いを求めて旅に出る。

ひょっとすると列車座席に隣り合わせたこから何かが生まれるかもしれない。ある日見たり、聞いたりするもののすべてが出会いなのだ

たとえば、車窓にそよぐ風の音、新鮮な潮の香り。これほどすばらしいものはないのではないか

こんな新しい自然出会いが旅と鉄道の心につながっていく。そんな時、心は少しもひからびていず、いつもいきいきしているのだ。

踏破はスポーツ心をかきたてる。

チャレンジとは、自分で考え、自分で動く、自分自身のための行動といえる。この精神こそ、スポーツと呼ぶにふさわしいものだ。

列車の旅には、楽しさとロマンがある。その上踏破をめざすチャレンジャーにはスポーツという楽しさがプラスされるのだ。

時にはマラソンのように、そして100m競争のように踏破の旅はチャレンジの楽しさを教えてくれる。

踏破ルートは3,000m障害10種競技と同様に、バラエティに富んでいる。ルート選択も実行するのもチャレンジャー自身だ。

これこそスポーツと呼ぶにふさわしい記録への挑戦なのだ

チャレンジには責任名誉がある。

チャレンジャーは、それぞれの方法で完全踏破への道を切り開いていくことに心を燃やしているのだ。

そこには、自分自身問題として果たさなければならいことがある。

責任ある行動、多くの義務、これらをすべて実行したチャレンジャーのみが誇り高き名誉を獲得できるのだ。

いわば、人生ドラマがそこにある。よりすばらしいものを手にしたチャレンジャーには限りない自由可能性があたえられているのだ。

どんなタイプチャレンジャーか?

チャレンジしていくと、各自それぞれのスタイルが生まれてくる。

列車待ちのホーム洒落服装に身を包み、小首をかしげ詩集をひろげているちょっと気どった人。

駅弁の食べ方ひとつにも、うんちくをかたむける本格派の人。

おもしろいことを探しに出かける娯楽追求派の人などいろいろだ。

どんなスタイルの人でもチャレンジすることの中に、何かを見出しているのだ。

体験という言葉のまえには、どんな耳学問も色あせてしまうように、チャレンジする中で、自分スタイルを作り出してみよう。

チャレンジとは生きることの証明

から旅の一歩が始まる。

"停車場に、そを聴きに行く"と啄木がうたったように駅にはさまざまの土地から人々が集まり、またさまざまな土地へと旅立っていく。

始発駅…駅員さんに何か尋ねている人がいる。売店お土産を買っている人。家族連れ。新婚さん。そして、カメラ片手に20,000㎞にチャレンジする人。通りがかりの人に頼んで、自分と駅名表示板が一緒に写るようにシャッターを切ってもらう。これで始発駅の証明写真ができたわけだ。

ふと、駅の大きな時計を見あげる。発車案内表示板がカチャリと変って、次の列車案内を示す。やがて、駅のアナウンスが構内に響きわたる。こうしてチャレンジの旅が始まる。

1枚のキップが話しかけてくる。

日本中には、いったい何本の列車が走っているのだろうか。もし、そのすべてに乗ることができたなら、これはすばらしいことだ。時刻表をうめつくす駅名のひとつひとつが語りかけてくるにちがいない。

手に握られた1枚のキップには、いま通りすぎてきた駅の余韻が残っている。改札口でキップにパンチが入れられた時から自分だけの旅の世界が大きく広がっていくのだ。この瞬間の心のときめきこそチャレンジャーに贈られるファンファーレなのだ

どの列車に乗るかは自由だ。

ELDLECDC、そしてSL特急場合もあるし、急行普通列車場合もあるだろう。旅は始まり、心がはずんでいく。流れ変わっていく車窓風景。春なら満開の山桜トンネルをくぐり、夏はふりしきる蝉時雨の中を、秋は祭りのお囃子の響き、冬は凍てつく空気の中をひたすらに列車は走る。車窓に黄昏が迫り、黄昏は夜をひきつれてくる。寝台車からだをやすめて聞くレールの音はなつかしい旅の子守唄だ。

どこへいこうか東西南北楽しい駅名

日本列島を東西に長く走ったり、日本海と太平洋を結んだり、1線区1線区がつながり日本中を網羅していく。

いかにも郷土色(おくにがら)をあらわしていたいう楽しい線区名もあれば、少々読むのに骨が折れる難読名の線区もある。

こういう線区名がどうしてついたのかを考えてみるのも頭の体操になるだろう。走る場所列車の種類で線区ごとの印象も、まったくちがってくる。

それらをひとつひとつ味わいながら踏破するのも楽しみのひとつだ。

終着駅にはムードがある。

駅にはいろいろな趣がある。その中でも、終着駅は、心ときめくムードを持っている。大都会終着駅、ひなびた寒村をひかえた終着駅高原終着駅など、それぞれの良さがある。

しかし、どの終着駅も、どこかしら似た雰囲気をもっている。そこから先は、列車が行かないという、キッパリとしたいさぎよさと寂しさが待っているのだ。終着駅の長いホームを口笛をふきながら大股にしかゆっくりと歩いてみる。改札口で駅名表示板にもたれながら、通りがかった人に写真を撮ってもらい駅を出る。1線区が無事踏破し終ったのだ。

鉛筆で踏破した線区を塗りつぶす。チャレンジャーの心ときめく一瞬なのだ

まずはチャレンジカードを手に入れること。

どの線区でもいいから、始発駅~終着駅まで、列車に乗ろう。けれども、踏破認定を受けるには、乗車(踏破)したという証明必要になる。それが始発駅と終着駅写真だ。写真と会員申込書などを"いい旅チャレンジ20,000㎞。推進協議会"事務局宛に送る。そうすれば、事務局からチャレンジカードが送られてくる。これでチャレンジ

2018-07-27

三十路おっさんが1人で祭りにいった

数年前に彼女と別れてから夏祭りにはわざわざ行くことはなかった

思い出してしまうからというのもあるが、友人たちも祭りが好きではない

何より俺自身多忙のため行く気にすらならなかったである

残業が終わりオフィスを出ると、ふと祭囃子が聞こえた

何故か今日自然と足がそちらに赴いていた

なにかあるかもしれない、いつもと違う行動を取ったらなにか変わるかもしれない

たこ焼きくらい買って食べたら楽しいんじゃないか?案外いい出会いもあるんじゃないか

いいじゃないか祭り楽しいぞ?きっと楽しいはずだ

そんな淡い期待感祭り喧騒へと吸い込まれていった

近づくに連れ笑い声が溢れ、盆踊り囃子喧騒に飲まれ

屋台の眩しい光が目に飛び込んできた

こんな雰囲気久しぶりだ

気分も高揚するというもの

しかし、そこには何もなかった

正確には愉快に笑う家族連れや友人、恋人同士で楽しんでいる者たちばかり

いい歳をしたおっさんが1人で歩いているのを最後まで見かけなかった

俺、なにしてるんだろうなって気持ちになって

急に無性に悲しくなってそっと祭りを後にした

夜になっても少し蒸し暑いコンクリの上を

なんとはなしに昔のことを思い出しながら歩いた

過去を美化しすぎるのは良くないとわかっていながらも

の子と色んな祭りでかけたなとか、花火大会しかったなとか

二人で浴衣着ていったなとか色々思い出した

ジジジジ

急に足元でなにか音がしたと思ったら蝉だった

から落ちてしまったのか

でもしばらくしたら蝉は動かなくなっていた

そうかお前一生懸命生きたんだな

踏まないようにそっと横を通り帰路についた

我ながら女々しいなと思いつつもあの頃は楽しかったなって感慨にふけってしまった

たこからも1人で行くことがない祭りが来るのだろうな

2018-07-15

anond:20180715171424

それ、近くにオレオレ詐欺事務所(と言うのか)が有る可能性もないか

「俺だよ俺。今港にいてマグロ漁船に乗せられそうになっててさ(お囃子の音)」みたいな

街中の音楽過剰反応する人たち

昨日、今日と俺の住んでる田舎町で例祭があったわけだが、

神輿山車とともに練り歩くお囃子に対し、

うるさいとの匿名の苦情が毎年のように市役所やうちの町内会に寄せられるそうだ。

年末辺りから町内会行事を手伝うようになって、

その流れで他所町内会の人たちとも会話することが増えたんだけど、

町内会によっては全く苦情が来ないところもあるみたいだった。

ちょっと気になって調べてみたら、苦情が寄せられてる町内会共通してるのは、

銀行郵便局、それらのATMが設置されてるところなんだよね。

それに加えて、数年前までは各町内会ごとにスピーカー音楽を鳴らしてたんだけど、

やはり匿名の苦情が来て鳴らすのを止めていたことまで同じだった。

しかしたら…と思って古参町内会役員に、

「どういう人から苦情が来たのか」と訪ねてみたけど、

個人情報だということで教えてもらえなかった(当然か)

でも、話の途中でポツンと「(苦情を入れた人は)電話が通じねーんだよな…」と

その人が言ったので確信した。

苦情を入れたのはオレオレ詐欺の一味だ、と。

おそらく出し子が騙し役も兼ねているんだろう。

出先や事故現場で困ってるはずの息子や孫の後ろで、

囃子の音や、○○○甚句とかが流れていたら、

いくら気が動転してるお年寄りでも我に返ってしまうだろう。

まあ、あくまでも俺が思ってるだけなんだけどね…

2018-07-12

うみねこのなく頃に、に関して。ネタバレ注意

どうでもいいことです。

うみねこのなく頃に、に関して。ネタバレ注意。

最近(ここ3年~今日)ぼやぼやと思っていることを勢いで何の構成も考えずに垂れ流すだけです。痛い自分語りです。私がすっきりしたいがためだけに投稿します。

本当に何も考えずに書いているので、文章矛盾ありまくりだし何がいいたいのかわからないと思うけれど、とにかく発散したいので書いてます

作者の過去発言ひぐらしの時のアレコレについても書いていますが、記憶改ざんされているものもあるかもしれません。

最近ソシャゲ(竜騎士07尊敬する作者の別作品派生ゲーム)でイベント?で探偵モノ?があったらしくノックス繋がりでうみねこの話をする人がTwitterで多かったですね。

一過性のモノとはいえ、一うみねこファンとして陰ながら嬉しかったです。

それもあったり、うみねこ漫画版EP8がだいぶ加筆修正が加えられていて、電子書籍版普及によりうみねこ評価の動きが盛んでとてもありがたかったです。

修正というとまた表現が違うかもしれませんが、個人的に縁寿が真実の書を読んだ後の黄金郷での右代宮家一族の罪の懺悔ベアトと戦人からの縁寿へのエールのシーンは絶対漫画版の方が良かったと思います

うみねこ原作が完結してから、まぁ色々ありました。うみねこ原作完結時、私は中学生でした。

うみねこに嵌った理由は、小学生の時ひぐらしに嵌ったその流れからでした。

確かep4あたりですかね。

当時は07thexpansionに公式掲示板があり、ひぐらしうみねこファンアートを見るのが楽しくて楽しくて仕方が無かったです。

アニメ化するにあたって色々騒がれている中で、googleで「うみねこのなく頃に」と検索してでてきた、当時うみねこ関連のまとめブログさくたろう速報」というモノを見て

初めてしっかり2chというものに触れました。

メディアミックスの一つとしてアニメ化にあたって声優が嘘みたいに豪華だったり、グロシーンがモザイクだらけだったり、楼座のシーツの下着が蝶だったり、間がなく内容を詰め込みまくったりと賛否両論ありつつも

2chに私は書き込んだりはしていませんでしたが、「沢山の人がうみねこを見ていろんなことを思ってるんだなー」と見ているだけで楽しかったです。

アニメ化する頃はちょうどEP5発売と被っていて異様な盛り上がりだったのを覚えています。もう9年も経つんですね。恐ろしいことです。

当時は(言い訳ですが)11歳くらいだったので推理などは全くしていませんでしたので、2chまとめサイト公式掲示板でも、ep6より前の他の方の推理特に覚えていませんね…。

当時は完全にキャラクター物語の流れが好きでうみねこを見ていたので、鮮明に残っている記憶

量産型さくたろう(ヴィイイイイン)やら楼座無双やらコラ画像やらオリスクなど、推理にはほぼ関係ないネタのものばかりです。

自力でまともに推理をしたのはep5で戦人が共犯なんじゃないか、とep4は戦人以外狂言なのか、と碑文の謎を途中までくらいです。

ep5でベルンが「これから碑文の謎を解いちゃうから」と言い出したところで原作プレイを止めて、必至に1週間かけて?哩岸駅まで自力で辿りついて、後は全く分からなくて原作プレイを再開したら答えをぼかされて半ギレした記憶があります

まぁ楽しいばかりではなく、火種がぽろぽろでてたのに幼いながら気づき始めましたよ。ep5あたりからは。

ノックス出すのかよ。じゃあひぐらしはなんだったんだよ」的な声。大いに分かります。私も思ってました。今でもちょっと思ってる。

あとep6で紗音・嘉音・ベアトが1人の人間身体中の人格だとわかって、cp厨が大打撃を受けていたのも覚えています

当時その話題を出そうものならジェシカノ好きの人(今で言うところの過激派)が暴れていましたね。

私は今でもシャノカノベアト同一人物は、最強のcp破壊設定だと思っています。(ネタ半分、本気半分)

私の憶測ですけど、うみねこの当時のファンひぐらし既読者が90%を超えてたと思うんですよ。

信者の贔屓目ですけど当時のひぐらしの人気っぷりはそこそこに凄かったですし。

ひぐらしプレイしたことがあるからこそ、うみねこの完結の仕方に納得がいかずにアンチ化した人が多かったのかなーと漠然と思います

ひぐらし犯人側の犯行前・動機最中・後の人生思考をしっかり描いていたからこそ

ひぐらしミステリーとして解いていた人々には「目明し編までは良作。後はオカルト商売文句詐欺」と批判されていたり

個々のトリック推理をしないで、キャラクターの成長や物語を楽しんでいた層からは「ひぐらしグロいだけじゃない!感動する!泣ける!」

エンターテイメントとして評価されていたんですよ。

ひぐらし犯人動機や個々のトリックネタ晴らしを本編で描かれたからこそ、うみねこでもそうだろうと期待した人は多かったと思います

でも実は、ひぐらしの時に既に竜騎士は過剰なネタ晴らしをしたくない風なことを言っていたんですよね。

適当な意訳をすると、「今までの物語を読んで咀嚼して自分なりの解釈をしてきた人に、質問されて答えを返すキャッチボールをしたい」

「親切に描きすぎると、推理をしてきた人にとっては冗長になりすぎる」とか、ひぐらしが完結する前から言っていたんですよ。

正しくは製作日記に書かれていたことなので、元の文章を読みたい人は自分で探して読んでください。

でもおそらくこの辺りのさじ加減は、当時ご存命だったBTが相当サポートしたんじゃないかなーと思ってます

竜騎士もおそらく当時は、ひぐらしもあそこまでネタ晴らしや祭囃子編のカケラムギもする予定が無かったんじゃないかと思うんですよ。

当時からよーーくインタビューで言っていたのが、「ひぐらしファン同士がお互いの推理提示して討論してほしい。コミュニケーションツールとして使ってほしい」

ということを言っていたんですよ。

まあ皆殺し編だか祭囃子編だかのスタッフルームで「答えがないなぞなぞなぞなぞじゃない」的なこと言っていましたし。

ある程度の答えは出す予定でもあそこまで包み隠さず出す予定はなかったと推測しますよ。

罪滅ぼし編でボロカスに叩かれまくったこともあって、批判を恐れて完全なネタ晴らしをした可能性もあるかもしれませんがね。

デビュー作で叩かれすぎて怯えた部分はあると思います

それで、ひぐらしの期待を背負ったままうみねこが始まるんですね。

うみねこは傑作だと思います

特に推理における赤字・青字システムという発想は、それだけで竜騎士天才だと思いました。

作品テーマ基本的に一貫していますしね。

個人的に当時のファン状態として一番疑問なことは、

何故EP8まで残っていた人が、「犯人動機書かねーのかよ!!1986年10月4日5日に本当は何があったんだよ!!」的な反発をしたことです。

犯人動機はEP7で幻想装飾されながらもされていましたよね。

あのシーンでクレルが「ここまで語って分からないのならば、もう私の心は理解できないでしょう」的なことを言っていたんですよ。

これって、普通に読み取ると「あ…竜騎士はもうこれ以上動機について細かく書く気がないんだな…」と気づきますよね?

犯人動機が書かれなかった云々について怒ってた人はEP7の時にキレて離れるのが道理なんですよ。(犯人動機自体が不満な人は、全然いいと思います価値観はひとそれぞれです)

なんでEP8まで残っちゃったんですか。まぁそれだけ竜騎士を信じていたってことなんでしょうけど、作品は別れ際が大事なんですよ。

あっウィルふわふわEP1~4トリック解説は、個人的にいい塩梅な誤魔化し方だと思いますが、ムカついた人の気持ちもとても分かります。私は当時PC画面を見ながら( ゚д゚)としてました。

1986年10月4日5日になにがあったのかをハッキリさせろと怒っていた人は、本当に読解力がないのかなと思います

全てを受け入れると悟っていた縁寿が、泣き叫んで真実を認めようとしないということは、EP7お茶会の霧江ヒドスが真相だったんだと普通に気づくでしょう。

なのに、1986年10月4日5日になにがあったのか本当に分からないと言ってた人はもう意味が分かりません。

これだけEP8でアンチ化した人を批判してますけど、いっても私も当時しばらくはもやもやしてました。

オチには感動したし、キャラクター演出物語も好きだけれど、なんでここまで作者は真相を隠したがるんだろうともやもやしてました。

EP8のコミカライズで初めて自分なりに納得できました。

EP7はベアト葬儀なので、ベアトに最大限配慮しつつ推理してきた読者(私たち)に解答を教えるなんだと思ってます

からクレルは、安田紗代としてのみすぼらしい自分幻想装飾して優しい解釈に捻じ曲げて語るし、

クレルが語りたくない黄金発見1986年10月4日までの心情は無理には語られないんですね。

あとメタ的には、竜騎士推理を真面目にする人にだけ分かるように伝えたかったんでしょう。

EP8がなぜあれほどご都合主義なのかは、EP8は現実世界私たち読者に向けた物語ではなく、作中の登場人物である縁寿に向けてのエール物語からなんですね。

から私たち読者が納得できないまま終わるのはしょうがないんですよ。戦人がゲームマスターとなって縁寿のために向けて作った物語なんですから

【読者置いてけぼり】っていうのは文字通りこのことなんだと思います

まぁだからといって、うみねこはこういうテーマなんだからしかたがない!!読解力がない人が悪いとは、この部分においては思いません。

宣伝文句や作中でも、推理しろ思考停止は山羊野郎!愛がない推理知的強姦者!とかいいつつ

答えを誤魔化すのは実際どうかと思います。いや…そこはハッキリさせろよ…と思います。よっぽどの信者でない限りは。

でもうみねこテーマとしてはそこを確定させないことが軸というかなんというか…って感じなんですよ。

竜騎士は読者に向けたエンターテイメントよりも、うみねこ作品としてのテーマを優先させたんですね。

私はこのもやもやが晴れただけでも、本当にEP8のコミカライズを読めてよかったです。

私も、コミカライズ夏海ケイによって分かり易く表現してもらえなかったら、もやもやしたままでした。

竜騎士だってひぐらしであれだけ批判されたんだから、EP8が批判されることは予想していたと思いますよ。

でも、そこでうみねこのなく頃にという作品最後までテーマの軸をブレさせずに終わらせた、その竜騎士の心は作家としては本当尊敬します。

まぁその後の彼岸花と我らの告白抱き合わせ商法とか、インタビューでの竜騎士の受け答えの拙さ、インタビューでの発言が悪意ある解釈でゆがめられて広がったのが、余計にファンアンチ化を加速させたんでしょうね。

あと、単純にミステリー小説半年連載するという形式常軌を逸しすぎてますよね。

私含め、よく4年半も付き合えられますよ。

はーあ。コミカライズがしっかり完結して本当よかったですよ。

EP8で2chの本スレ地獄になっていた当時、中二の私は本気で「展開編のコミカライズ打ち切られるんじゃ…!!」と涙目で恐怖してましたからね。

それがEP7ではウィル推理斬りの詳しい解説付き、EP8では単行本ほぼ一冊分オリジナル展開を付け加えられて、全50巻の完璧エンターテイメント向けの作品として昇華された…。

本当にいろんな意味で愛された作品だと思います

パチスロ冗談みたいに豪華ですしね。もうパチスロがあるからアニメ化はいいと思います

コミカライズがあれだけ完璧に補完されたんですから、あれ以上のものはもうできないでしょう。

うみねこはよくできた物語だと本当に思ってます

私が中学生高校生という思春期に一番嵌った作品です。

うみねこ以上に好きになる、嵌るジャンルはこれから生きていく上で出会うと思います

しかし、良くも悪くもこれほど私の情操に影響を与えて心に残る作品はないと思います

EP8後の2chスレ中学生リアルタイムで追っていたので、メンタルは相当鍛えられましたし(笑)当時の恐怖を簡単に超える荒れスレには滅多に出会えませんよ。

支離滅裂だったり勢いのまま適当に思ったことを書いてすっきりしました。ここまで読んだ名も知らない方、私の自己満に付き合ってくれてありがとうございます

うみねこのなく頃に、いろんな意味実験作であり、傑作です。

ぜひ今からでもたくさんの人に触れてほしい作品です。

それでは、シーユーアゲインハバナイスデイ。

2018-05-27

夕闇のピニャータ

夕刻娘と公園散歩に行くと、またヒスパニック系の方々が陽気な音楽パーティーをしているのです。彼らのお祭に欠かせないのがピニャータしかしそのピニャータ。星型、ボール型、そしてロバでさえも現代っ子を十分に興奮させるのが不可能になったようです。結果、ボール紙の張り子で作った愛くるしいアニメキャラクターお菓子を詰め込んだものを吊し上げ、それを無垢子供が棒でひたすらぶっ叩くというなんとも凄惨光景が展開されるわけです。今宵の生贄はピカチュー。三歳の我が娘は、スペイン語囃子歌をバックに浅黒い肌の子供が交代でピカチューを散々にリンチするのを不思議そうに、そして興味津々に眺めておりました。油断して少し距離を縮めすぎたら、世話好きそうなメキシコ人のおばさんが「お嬢ちゃんもやるかい」と打ち棒を勧めてくるのです。流石に娘もこれはホラーだと感づいたらしく、棒を辞退して事なきを得ました。その後ピカチューは年長の男の子に腕を打ち落とされ、その殺気に刺激された対抗心旺盛の次の子の一撃でとうとう首が半分もげ、金色の体が大地に崩れ堕ちたのです。瞬間、「わーっ」という声とともに満身創痍ピカチューに群がる子供たち、いやあれはゾンビの一群。瞬く間にピカチューは八つ裂きにされ、子供たちはその体内から溢れ出るキャンディーの奪い合いという地獄絵巻の最終章突入したのでした。娘を抱き上げて脱出を図る私に彼女一言、「わたしキャンディー欲しい!」実は、一番恐れていた言葉がこれだった。

2018-04-22

発達障害かもしれん

思い当たること

赤ん坊の頃、周りの子と比べてすごく大人しく、育てやすかった

保育園入園後喋り始めた(らしい)が、言葉になっていなく保育園先生困惑していた

小学生のころ、山小屋トイレで夜中癇癪を起こした(寝ぼけてたんだろうけど、思い返してみるとちょっと異常だと思う)

・近所の子と一緒にお囃子をはじめるも、俺だけ練習についていけない。途中でやめる。

習い事英語野球をやるも上手くいかずやめる

・頭悪い

中学校あたりから周りと馴染めずいじめられる(友達はいた)。女子からも。

高校男子校選択したがたぶん正解だった。共学だったら不登校だっただろうな。

大学卒業社会人やっているが仕事ミスばかり。

2018-03-12

わっしょいわっしょい

デモ映像ツイッターで見たけど、相変わらずつまらなそう。

まず「アベヤメロ」っていう語呂が悪いし、その語呂の悪さに乗せて太鼓叩かれても…。

プラカード?みたいなのにNO ABEとか書いてて、なんで英語やねんという。カッコイイってことなんだろうか。

わっしょいわっしょいとか、おっぺけぺっぽーとか、

ヤーレンソーランとか、バーニラバニラ高収入とか、

ドンドンドンドンキードンキホーテとか、

しょーこーしょーこーしょこしょこしょーこーとか、

わずはしゃぎたくなるような囃子がない限りは、デモ永遠にまらんだろうな。

ドメサカ方面の人たちならそういう楽しいチャントを作れるのかな。

あるいはホストコールとかも楽しそう。

アベちゃんの!辞任見てみたい!セイセセイセセイ!

やーめてやーめてやめて!やーめてやーめてやめて!

サガワが辞めて〜!アベが辞めない〜? わけがない〜!! 友情一気友情一気、友情一気!

やっぱり「アベヤメロ」だと楽しい気分にならないよね。

2018-02-11

ラストダンスは私に

代理店の仕掛けというのが分かりやす過ぎるのもひどいと思ったが、そうでもないな。

どんだけ分かりやすい仕掛けだとしても、そりゃあさ、踊るときは踊るもんだよ。

踊らせてると思っている代理店はムカつくけど、踊るときは踊る。

これはしょーがない。踊りたいんだもの

ソフトバンク吉牛もそうでしょ。秋元総選挙とかもそうかな。

ネトウヨだって踊りたいから踊ってるわけでね。サヨクの方でもそらそうよ

最近はとにかく踊り足りない人が多いから、日々炎上したりされたりしてるんでしょ。

それが炎上マーケとか呼ばれてるっていうね。ワイワイ楽しそうだね。宴会だね。

その一方で、みんな踊りが下手になったなあと思うんだよ。

巨人大鵬卵焼き力道山とか馬場猪木とか、結構みんなガッツリ踊ってたんだよな。

昔の人はバカだったのかな?いやそんなはずはないか

今どき、東京オリンピックとかだともう踊れないってか。踊れないかそうか。

クールジャパンとか呼びかけてもやっぱり踊れないか。うーん腰が重いかな。

テレビ見てないと、どうも踊りのリズムテンポを忘れてしまうらしい。

この辺のグルーヴ感は、坂上忍をはじめとしたテレビ芸能人だったらみんな持っていて、

そりゃもう野生の本能なみに、代理店臭をかぎつける嗅覚に優れているんだろうなあと。

もう最近は、全然、いい感じに踊れるお囃子が聞こえてこないんだなあ。

下町ボブスレーなんてもともと踊れないのに、「踊ってますよ踊らせましょう!!」って進言して

お金を引き出して、結局なんだ、関係者しか踊ってねえじゃねえか、というね。

どなたか、キレッキレの代理店さん、踊らせてくれませんかねえ。

2017-09-28

地元故郷祭りに行くといつも思うこと

先週、生まれ育った町の秋祭りに行ったら、赤ん坊から中学生の子どもとその親、祖父母にあたる老人が多くて、いわゆる二世帯くらいの年代ばかりがたくさんいた。

その様子を見ていると、この人たちはここに生まれ、育ち、子を産み、育て、そして死んでいく……祭りを中心とする人生の円環なのだ、と思った。

都心郊外公団周辺なんかを歩いてても感じるけど、彼らはここでずっと生まれ、育ち、死ぬを何世代も、いつまでも繰り返してゆくのだろう。

そんな想像をめぐらしていくと、命の永遠ってわりと日常のすぐそばに存在しているのかも。

たとえいつか自分が死んで身も魂も滅びても、生命力の強い人間は生きて子孫を残し続けていくし、草木は毎年そこへ根を張り続ける。

次第に昂っていく人々や祭り囃子を聴きながら、片手に持つレモンサワーが生温くなっていくのを感じた。

2017-09-26

[] #37-5「同じアホなら」

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ボンダンスカケルサン

歌:マスダと愉快な仲間たち 作詞作曲:京三那智


手の平を表に見せて こんな感じで

空を仰ぎ見たり たまに手拍手

ほら ほら もうボンダンスらしきものだよ

ボン ボン ダンス ボボンがボン

力の言葉 ボボボボ~ン

あっという間に ボン ボン ボン

明るくいきましょ 盆踊り



…………

弟たちの踊りは洗練されたものではなかった。

曲調もアレンジされているものの、要は盆踊りで流れているタイプのそれだ。

振り付けも目新しい要素はない。

だが弟たちのひたむきな感情を読み取るにはむしろ丁度良いものであった。

弟たちは笑顔を終始たやさず、有り体に言えば“楽しそう”だったのだ。

そして“楽しそう”は伝染しやすい。

観衆は弟たちの踊りを真似て、次々に踊りだしたのだ。

場の空気を完全にモノにしたのである

そのとき漂っていた独特な雰囲気は凄まじく、俺までつられそうになるほどだった。

何より弟たちは最後の組。

余韻が残ったまま結果発表となるわけだ。

俺とカン先輩のダンス記憶に未だ残っている人は少なく、弟たちの優勝は日を見るより明らかであった。


…………

夏祭りもいよいよ大詰め。

最後は弟たち少年団体の祭囃子で締めくくられる。

俺は弟が一心不乱に太鼓を叩いている様子を眺めていた。

さっきまで踊っていたのに、よくあんな体力が残っているもんだ。

……カン先輩が少し前に言っていた言葉を思い出す。

積極的に騙されることで人は楽しもうとする』と。

そして“楽しんだもん勝ち”だと。

から気乗りのしなかった俺が勝てないのは道理ってことなのかもしれない。

それにしても、ダンス大会で勝って上機嫌かと思いきや、どうも弟の太鼓が荒々しい気がする。

やはりダンスの疲れが残っているのだろうか。

「あの子、賞金をくじびきに全部つかっちゃったの」

母が紙袋を抱えてこちらに近づいて来る。

紙袋の中身は見えないが……恐らく弟のハズレ景品ばかりが入っているのだろう。

「はあ~ん、くじびきの方が儲かりそうやな。次回はそれにしよ」

カン先輩から言わせれば、弟のあれも“楽しんだもん勝ち”ってことなのだろうな。

ただ、そのような“勝ち”で何かを得られる人間は、同じくらい何かを失いやすい性分なのかもしれない。

俺はそんな“楽しんだもん勝ち”から搾……勝てる人間になりたいと思うのであった。

(#37-おわり)

2017-09-24

[] #37-3「同じアホなら」

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ところ変わって弟のほうは、祭囃子に備えて英気を養っていた。

その過程で、自警団キャンプにて母に小遣いをせびっていたのだ。

「母さん、お金ちょうだい」

「小遣いはお父さんから貰ったでしょ」

「出店で全部使っちゃったんだよ!」

「5000円も!? いくら出店の品物が割高だからって、さすがにそれがなくなるなんて……」

「えーと……金魚すくいスーパーボールすくい、亀すくい、ウナギすくい、ドジョウすくい……」

見え透いた嘘である

弟の後ろにくっついている仲間たちを見てみると、大量のよく分からない玩具っぽいものを抱えている。

しかも同じものだ。

「呆れた。くじびきに使ったの?」

「欲しいものがあったんだよ……」

「よりによってそんなもので散財するなんて……アレは当たるかどうか分からないのに」

「くじびきってそういうものだろ? 分かってるよ」

分かっていない。

母が言っている『当たるかどうか分からない』は、弟が思っているような意味ではない。

だが、それを弟に説明したところで理解できないと思ったので、母は説明を省いた。

仮に理解できたとしても、弟の性格なら面倒くさい事態になることは容易に推測できたからだ。

「ははっ、マスダさんとこの次男祭りの楽しみ方をよく知っている」

いつもなら悪態の一つはつくタケモトさんも、今日は上機嫌に絡んでくる。

酒の力と、祭という特別空間がそうさせるのだろうか。

「タケモトさん、よしてください。息子は単にカモにされているだけです」

「なー、頼むよ。最新ゲーム機が当たれば、元がとれるんだ」

元が取れるとかいう考え方は、まるでギャンブル嗜好者だ。

母は恥ずかしくて子の顔をまともに直視できなかった。

「……ダメ

ケチ!」

守銭奴!」

「金の亡者!」

「パープリン!」

弟と、その仲間たちから誹謗は響かない。

母は自分聴覚フィルターをかけて聞こえないようにしていたのだ。

「まーまー、親の言うことは素直に聞いとけ。ゲーム機なんて買えばいいんだ」

かねたタケモトさんが仲裁に入る。

「でも5000円が……」

「店側の立場になってよく考えてみろ。ちょっとそっとのことで高額商品が当たったら、商売あがったりだろ。あーいうのは当たらないように出来てるんだよ。引き際が肝心なんだ。今回は勉強料ってことで割り切っとけ」

勉強料、便利な言葉だ。

そして便利な言葉ってのは、こういう意固地な人間を黙らせるために使われる。

「もーいいよ! 自分で何とかする」

弟はそう啖呵を切ってキャンプ場を後にした。


俺はというと綿菓子作りにも完全に慣れ、カン先輩との雑談のほうにリソースを割いていると言ってもいいほどだ。

「俺としては一向に構わないことなのですが。俺をバイトに誘ってよかったんですか?」

この仕事内容ならカン先輩一人でもこなせただろうし、わざわざ俺を呼んだのが疑問だった。

仕事ってのは楽できるよう運用することも大事なんやで……というのも理由としてある」

「その他の理由は?」

夏祭りイベントは出店だけじゃないってことや。それに参加するにはペアじゃないとあかん

カン先輩の魂胆が見えてきた。

「優勝したら賞金が出る、とか?」

「察しが良くて助かる。どうせ金稼ぐんやったら、貪欲いかんと」

「で、イベントの内容は?」

ダンスや」

なんだか嫌な予感がしてきた。

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2017-09-22

[] #37-1「同じアホなら」

俺たちの住む町の中心区。

そこには、そこそこの大きさの神社がある。

名前字画ブーム風水ブームの時期に出来たらしい。

だがこれといった縁起のいい話は特になく、ほとんどの住人は何を奉っているかすら知らないし興味もない。

かくいう俺もその一人。

法事だとかで何となく利用されている位だ。

そんな信心浅い住人たちの多い場所でも、年に数回ほど賑やかな場所になる時がある。

例えば夏祭りだ。


秋を知らせるような涼しく穏やかな風が吹き始め、我が家クーラーを消すかどうか悩み始める頃。

俺たちの住む町の夏祭りは、そんな時期に開催される。

理由としては単純明快で、真夏の夜に人が集まると暑さでおかしくなるからだ。

以前は夏祭り熱中症で倒れた人。

納涼のために酒を飲みすぎて倒れた人。

いつもと違う雰囲気に飲まれテンションが上がりすぎてしまい、自警団に倒された人が毎年いた。

暑さは人をおかしくさせ、第10回にはそれらの数が合計で三桁を超えた。

それらが風物詩になることもなく、市長世代交代とともに第11回以降の開催時期は今のようになったわけだ。


俺は、その頃にはティーンエイジャーになっていた。

そして、以前よりも夏祭りに対する熱が冷めていた。

理由は色々と並べることは出来るが、遠まわしに表現するなら「秋になりかけの夜風がそうさせた」ってことなのだろう。

反面、家族はこのイベント積極的だ。

弟は祭囃子花形だし、両親は自警という名目のもと他の人たちと飲み食いしながらの雑談

俺はというと家族に誘われようが、クラスメートに誘われようが、何かと理由をつけてやんわりと断っていた。

しかし、そんな俺も今年は久々に参加することになった。

当然、今まで何かとつけていた“理由”が今回は夏祭りにあったというだけの話なのだが。

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2017-07-27

證誠寺の狸囃子

人はこの世に存在する全ての事象それぞれに、各々様々な思いを持って生活をしているはずである

無論、ネット上で多くの意見を見てみれば、自分はまさしくこれが言いたかったのだ!と思うような論説に出くわすこともあるだろうが、その論説がこの世にいる全ての人の気持ちに当てはまるわけでは当然ない。

私は小林旭が歌う「證誠寺の狸囃子」の「つ、つ、月夜だ」の部分の発声を聴いた時、この世に生を受けて良かったー!と泣くほど感動したし未だに死にたくなるとそれを聴いては生きてて良かったー!と思うというのに、テレビをつければ「みんなこれが聴きたかったんでしょ?」「お待たせしました!」「みんな大好き!」と囃し立てられて星野源が歌っている。何故だ。

私にとって生きていて良かったと思わせてくれる音楽小林旭證誠寺であるなら、誰かにとって星野源が生きていて良かったと思わせてくれる音楽だということは十分理解しているつもりだ。そしてテレビ星野源が出て歌っていることも別にそれが悪いと言っているわけではない。(本当は結構嫌いだからテレビに出てるとなんでだよ!ってなるけど今回は関係ないのでその話はまたの機会にする)

何故テレビが、テレビときが、我々の意見代弁者みたいにみんな大好きとか抜かすんだ。20代女性に人気!と範囲限定しても違う。違うだろ。素敵だなあと思ってる歳上男性に、やっぱり若い女性星野源とかが好きなのかな〜とか思われてたらどうすんだ!!思われていたとして機会があれば否定して終わりだが思われたくもないんだ私は!

ついでだが政権批判をする人々で「国民激怒しています!」などと主語が「国民」になる人がいる。数を味方につけなければ弱い力だから仕方ないね

だがそういう言説を見ると「国民1億人に聞いた!好きなアニメソングランキング!」を見た時の「答えてないけど」と同じような気持ちになる。

でも私は怒ってないかあなた国民定義から外して欲しい。その辺よろしくお願い致します。

2017-06-14

うちの町内会盆踊り音頭

イーガン音頭(あるいはイーガン節)っていう、オリジナル音頭なんだ。

イーガンってのは外国SF作家らしい。俺は読んだことないんだけど、町内会によく顔を出してる妻は忖度ノルマで本を読まされるらしい。

妻は楽しそうに読んでいるのだが、他人に押しつけられたモノを楽しく読んでいる姿をみて夫としては内心穏やかではない。

妻がいきなり、ワンの絨毯で構成される巨大な生物もつハードディスクのなかで計算される宇宙意識のある生物がいる! とかヤチマやっちまったな! とか

スプリンター可愛い虫たちがほとんど一代でアインシュタインを超える! とか。

圧死とか。海には体質的気持ちよくなる成分が! とか。

妻が語るようなイーガン作品バックグラウンドに、数年前に町内会副会長オリジナルイーガン音頭作成会長承認を経て正式音頭になった。

「それイーガンイーガン

きょうも祭りの準備。集会所前の公園から囃子の音が聞こえてくる。子供達はバーチャル空間サッカー場うんこゲロやヒツジにまみれる「くだり」を何の疑問もなく当たり前のこととして、楽しんでいる。

この町内会はどうなってしまうんだろうか。

2017-05-10

泣き声

 同じ音しか聞こえない

 でもその音だけで良い


 生まれた時から同じ音しか聞こえない

 でもその音だけで良いのだ


 生まれた時から同じ音しか聞こえない

 多分それは同じ音だ


 楡の木の葉擦れの音

 潮騒

 子供達の声

 学校チャイム

 祭囃子

 泣き声

 歌声

 風の音

 蝉の声

 音楽

 電車がレールを渡る音

 踏切りの警告音

 車のタイヤが立てる音

 足音

 鼻歌

 フライパンの上で魚が焼ける音

 換気扇ノイズ

 朝の鳥の声

 将棋の駒をパチンと置く音

 ラジオ

 ゲーセン喧騒

 キーボード打鍵

 ピアノ

 ピアノペダルを踏む音

 ピアノの蓋を開ける音

 ダイヤトーンスピーカーから流れるクラシック

 心臓の音


 それらは全部同じ

 誰かの泣き声

2017-03-04

2017-03-04

ヒトの言葉が木になって誤認はうまれるのだが

ヒトの声が身に鳴って囃子は生じるのだが

鳥の目が恐怖を覚えて手は離されるのだが

脚の眩暈が粉を見つめ映画は消えるのだったが

森の中のため息が私を許さないのだったが


卑しく貧しい認識形見今日も刻まれていく

悲しく寂しい助けての目が今日もそらされていく


駄目だ日記にならないできない

相談の中から自信が生まれたら巣立って行きなさい被害妄想

・・・・・・

から

・・・・・・

2014-02-08

鬼武者サントラ収録時、指揮をした 新垣隆による楽曲解説(当時、佐村河内守作曲)と寄せ書き

多くの目に触れるようになる前から価格が高騰し、入手困難なCDであるため、これを引用公開することで、多くの人の目に触れることは、昨今の事情に照らし、有用だろうと思い、ここに記しておきます。じゃあ増田で書くなよ、というツッコミは効きません。たぶん期間限定

奇跡目撃者    指揮者 新垣隆

佐村河内スコアを詳細に眺め評価することは、近頃の劇音楽に屡々見られる基本的技術不足や、必要以上に技を凝らそうとする過剰なテクニックの持て余し。

これらとは明かに一線を画しているという事だ。

第一楽章邦楽静謐な、それでいて熱いエネルギーを内に秘めた佇まいから戦いを表現する大オーケストラへの見事な転換、目の眩むような、あたか生物細胞分裂の様な声部の増殖の緊張は、来たるべく英雄の出現(心に強く刻み込まれる主題[テーマ])を準備しているのだ。

第二楽章では、一楽章の主要な動機[モティーフ]や主題[テーマ]を巧みに変奏発展させてゆく、限られた時間の中で超絶的展開能力

神業である

そして遂に圧倒的なクライマックス突入する。

全く隙の無い構築力と完璧オーケストレーションには唯々感嘆するばかりだ。

これらの事が自然に在る、ということ、技術はその為にこそ使われなくてはならない事をこの奇麗なスコアは私達に示してくれている。

そしてこれこそが天才仕事なのだ

そんな氏の天才物語エピソードがある。

私がコーダ部の総譜を受け取りに氏宅に伺った日のこと。

着いてすぐ筆談で、まだ出来てないので待てとのこと。

以降氏は黙したまま延々4時間が流れた。

と突然立ち上がり、未だ見た事も無い80段はあろう巨大な五線紙を取り出し席に着くや否や、嵐の如くペンを走らせ始めた。

それは神憑り的な速さといった感じだった。

何やらスケッチでも書き写しているようだった。

10分も経った頃、「写譜なら手伝おう」と立ち上がり氏に近づいた私は思わず目を疑った。

氏が書き写している筈の五線紙の向こうには何も無かったのだ・・・・。

その恐ろしい光影に立ち尽くすばかりだった。

写し取っていたのは頭の中のスケッチだった、以降ペンは一度と止む事無く僅か20分で全ては終わった。

氏は見直しもせず「ポイ」と私に手渡した。

後に私が見直したところ、何の落度も無かった事は言う迄も無い。

こうして私は奇跡目撃者になったのだ。

注:引用者により、ルビを該当する熟語のあとに[]で読みを挿入してある。また、句点ごとに改行し、アラビア数字は半角に変更した。

交響組曲ライジング・サン』徹底アナリーゼ(分析)

遠い古からの声―長い間日本風土の中で培われてきた都節と呼ばれる伝統的な様式からこの曲は始まる。

この尺八の「息」が、はじめは琵琶の力強い一打や笙の開放的な響きを導き、外に開かれていく空間を形づくるが、つづく締太鼓合いの手を橋渡しとして、今度は逆に人間の持つ陰の部分、尺八の内に籠った響き、そこに影を落とす琴の不穏な調弦や笛の虚ろな息づかいなどが、前との微妙コントラストとして対置される―ここで提示された様々な要素(おもにコントラストという概念)がこの作品の全体を紡いでいく上での重要ポイントとなっている―。

やがて一本の竹のひびきは12もの竹(尺八)を呼び(ff)、静かに、しかし豊かにひびき渡る和太鼓の一打が大オーケストラを迎え入れ一転としてスペクタクルな場面に突入する。

前の部分と全く別な世界の様にみえるこの部分は実は冒頭の尺八旋律と深い関わりを持っている。

譜面を見てみよう。

(譜例1)ここでフレーズの後半にあたるAという部分にオーケストラ対応する。

(A')。

いわば西洋的に解釈―拡大される、という「複写」が行われる。

そして英雄の出現を伝えるファンファーレ(これは西洋で培われてきた伝統だ)につづいて(やはりこれも西洋伝統的な)ハーモニーのゼクエンツ(鎖)に乗って英雄テーマ提示され(譜例2)クライマックスを迎えた後、譜例1のBの和音の固定(オスティナート)による経過句に入る。

ここで邦楽の冒頭部分が新しい状況の上で再び現われる。

尺八サキフォーンに、笙がヴァイオリン群に、また12本の尺八は今度は虚ろで怪しげなハーモニーを醸し出し、三味線は乱れ(冒頭の拡大)、琴はますます不穏なアルペジュを掻き鳴らす、一瞬の閃光、地底から沸き起こったかのような轟音から出現したもの英雄テーマヴァリエーション、そして輝かしいマーチ(ファンファーレの変奏)―ここで西洋ハーモニーコントラスト(長三和音と短三和音)を挙げておく。(譜例3)

そして再びスペクタキュラーなシーンが登場し、コーダ(ゼクエンツ部分の変奏、このモティースがその後の楽章で大変重要役割を果たす)(譜例4)。

楽章は前半の静かな部分「夜の音楽」(佐村河内談)と後半の激しいアレグロからなるが、前章であらわれた様々なモティーフによる更なるヴァリエーションである

(一楽章ソナタ形式に於ける提示部と捉えるならば二楽章は展開部、三楽章は再現部とみなすこともできる)

楽章は前の余韻を受けて「能楽」の囃子コラージュ的部分を経て尺八の冒頭が再現される、ここでは笙のか代わりに弦楽器が増四度上で現れる、実に美事である

メインテーマがアダージュで(本来の姿で)再現され圧倒的なコーダで締めくくる……

以下は若干の譜例による指摘にとどめるが、この作品は様々な要素を複雑縦横に織り込んだ大変興味深い大曲であり、聴き手は注意深く聴き込む毎に新たな発見を見いださせる至宝の逸品と言える。

(譜例5)(譜例6)これは、まさに作曲者の静寂という苦悩の地より我々に届けられた一通の手紙なのだ……。

指揮者 新垣隆

引用者注:譜例3には『マーラー交響曲第8番(第6番かも、とにかく字が小さくて読みにくい)が想起される!』と書いてあるので、もともとマーラーが好きなんだろうと思う。また、誤字と思しきもの原文ママにしてある。

交響組曲ライジング・サン 参考動画

www.youtube.com/watch?v=ukFtX9iZPjU

余談だが、このサウンドトラックは贅沢にもxrcd2を採用している。ネットにある音源とは比べられないぐらい素晴らしい音楽が堪能できる。

2013-12-16

かげろう

 僕が訪れたその場所には、たくさんの壊れた壁が立っていた

 僕が訪れたその場所には、見慣れた落書きの、かすれた跡が


 祭り囃子に誘われて

 夕闇の坂下

 駄菓子屋の前で、振袖の影が二つ


 提灯が闇を照らして

 今決めたように手を繋ぐ


 祭囃子の音は今も

 追い立てるように響いていた


 光が差した後の世界


 煤けた壁を、指でなぞる


 長い長い道の終わり

 微かな川の流れを聞く、土を均しただけの道


 同じ道を辿っても

 どうして辿り着けないのか


 あの日、二人はちゃんと出会えたのに

 どうしてそれは今、ちりぢりになっているのか


 影と手を握っている夢を見て


 ああ

 色褪せて

 いくのは

 記憶だけではなく


 あの町、もう見えぬ町

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