「人智」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 人智とは

2019-07-26

CoCエモいうちよそが嫌いだ

タイトルの通りである

私がTRPGというものに触れてから、もう8年近くが経とうとしている。

元々幼少期から存在自体は知っていたものの、それはダンジョンアンドドラゴンズなどに代表されるファンタジーのものだった。当時愛読していたライトノベルフォーチュン・クエスト」の影響もあるのかもしれない。

だが、ニコニコ動画クトゥルフ神話TRPG(以下CoC)のリプレイ動画が莫大な人気を博したあの瞬間、それまで見向きもしなかったであろう層が、斜陽であったTRPG界に一斉に興味を示した。

それはとても素晴らしいことだと思う。前述のとおり、私もその流れに乗って本格参入したクチだ。消費税が8%になる直前にはいろんなシステムルールブックやサプリを買い漁った。

発展したインターネットTRPGの相性もすこぶるいいもので、遠く離れた人ともツールを使えばリアルタイムにロールプレイしあえてダイスの結果を共有できる。冬の時代を現役で感じていない私のような若輩者が口にするのは何様だともなるが、いい時代になったなと今でも痛感する。

とりわけメインで参加しているシステムはやはりCoCだ。人智を超えた生命体への恐怖という題材が好きというのもあるが、それよりも大きな理由は「プレイ人口が多いから」だ。界隈が違えばまた変わってくるのかもしれないが、私の周りには大体みんなCoCを知っていて、それ以外のソード・ワールド2.0ピーカーブーなどに目を向けるとプレイ人口冗談抜きで半分を下回る。なんなら「CoC以外はやりたくない」と言う層もいるので、布教すらさせてもらえない。チャイム越しに追い返されるセールスマン気持ちがなんとなくわかるような気がした。

そんな弊CoC村だが、ここ数年でやたらと所謂うちよそタイマン流行りだした。KP側の作成したPCと、PLが用意したPCが濃密な関係を組み、愛と勇気の力で宇宙的恐怖を退けるアレだ。

TRPGの遊び方というのは千差万別、卓の数だけ物語がある。それは重々承知しているつもりだ。

けれど、私にとってのCoC本来特別な力を持たない(ほんの少しだけ生業への専門知識を持っているかもしれない)ただの人間の探索者が知恵を絞り不可解な謎に挑み、その先で神と呼ぶのもおぞましい存在に圧倒され自らの矮小さに慄くシステムだと自己解釈しているために、どうも首をひねらずにはいられない。

pi●iv製のシナリオを見てみると「突然意識を失い、目が覚めたら見知らぬ空間にいて、そこには囚われたor記憶を失くしたKPCがいた。脱出するにはKPC犠牲にしなくてはならないが謎を解き明かせば二人揃って無事に生還できついでに二人の絆を証明するアーティファクトが手に入る」的なものが5件に1件くらいの確率ねじ込んである。その中でもシナリオ背景に「ニャル様が暇つぶしに二人を試しました☆」だけしか書いてないものを目にしたときは頭を抱えた。

いやもうそクトゥルフ神話要素ほとんどないやん????バッドエンドで視界暗転する瞬間に「やれやれ、君たちにはがっかりだよ。さて、次のおもちゃを探しに行こうかな」だけ言い残すニャルラトテップ御大化身だけでは???

いやそれだけでも出てくるのならまだいい方だ。中には「自作世界観再現したので神格宇宙的恐怖も一切関係ありません」なんてシナリオゴロゴロ転がっている。それなら“クトゥルフ神話TRPG”のタグを付けないでほしいし回すKPも事前に告知してほしい。こっちはいあいあしにきてるのだから

なんだか本題からずれてきている気がする。

うちよそ自体否定しない。最初はそのつもりじゃなくても幾度か同卓をして交流を積み重ねた結果恋仲や相棒になったPCたちもいることだろう。

ただ、うちよそありきでキャラメイクをしシナリオを選びとなると正直もっとうちよそに適したシステムは世の中にごまんとあるわけで、ただでさえロスト率や後遺症を貰ってくる確率の高いCoCに向いた遊び方ではないと思ってしまう。

例えばネクロニカやダブルクロスなんかはPC同士でロイスや未練といった感情を伴った絆を結ぶことでクソデカ感情生成システムを生み出している。これらはファンタジー色が強すぎるが、現代日本ステージであるならばインセインPCそれぞれに「秘密」が割り振られ、その内容がPC同士密接に絡み合っていたりする。

これら以外にも、もっとうちよそに向いたシステムがあるのに彼女らは尚もCoCに拘っている。神話成分が微塵も残っていない話でオタク好みする都合のいい展開にエモいエモいと泣いて有難がっている。億が一ロストの道を辿っても、今度は「ロスト探索者専用シナリオ」を用意してきて死の淵から蘇ってきてまでうちよそをしようとしている。もはや執念だ。

結局のところ、システム二の次なのだと思う。感動的なロールプレイをしたためたいだけなのだ。そこまできてしまったのなら、もう“テーブルトークRPG”というジャンルよりも“なりきりチャット”の方がいいだろう。私も中学生の時にオリキャラなりきりチャット掲示板で長ったらしい割にはわかりづらいロルを回してはよその子交流を深め恋愛関係を結ばせていただいたことが何度かある。あちらにはほぼ“判定”というものがない分、よりPLにとって都合のいい展開に持ち込めていいんじゃなかろうか。

ここまで書いて、ただの自分好き嫌い解釈違いというだけのクレームまがいな文章になっていることに自分で引いた。

タイムラインに流れてくる「CoCタイマンしてきた〜♥恋仲になりました♥」と心底嬉しそうな報告ツイートに、ふぁぼも祝電リプも送れない意地悪な自分に嫌気が差すし、かといって界隈から離れるには横の繋がりが多すぎて村八分状態になってしまうのが寂しいと抜かす、ただのかまってちゃんで我儘なプレイヤーだ。

追記

あれからすっかり参ってしまって、TRPG用のアカウントログインしない日が続いていたら10月頭あたりに学級会になってたらしくびっくりです。たいたい竹流さんまで言及する事態になってるとは…。

2ヶ月越しに意見を漁りまくってたんですが、賛同理解を示してくれる人もいれば口出しせずに放っといてくれって人もいて賛否両論でした。そりゃそうだ。タイトル攻撃的だったのが燃え広がった原因なのかな?

「合わないなら離れればいい」という意見をとても多く目にしたのですが、当記事言及ぶら下げてくださってる方が仰ってる「居場所侵蝕されたがそれだけを理由に切れるような浅い間柄ではない」ってのがまさにその通りで、だからこそ苦しかった。こんなグチグチした恨み言を書くような性格してるから必然的友達も少ないし、その少ない友達がそんなことになってさら孤立してしまったような気分になってしまったというのが本当のところで。

一度恨んでしまえば対象が何を言っても気に障ってしまう性分で、そんなタイムラインを見続けるのも精神衛生上良くないと思ってひっそりミュートしてたら今現在その界隈とは疎遠になり、晴れてぼっちになりました。万歳!!

いやね、元から書いてたんですけどシナリオを経た結果うちよそに発展するのは全然いいと思うんですよ。それも一つのロールプレイだと思ってますし、なんなら私にもそういうルートを辿ったPCがいます

過激派繊細ヤクザすぎて言語化がひどく難しいんですけど、うちよそすることを大前提キャラメイクしたり、ただダラダラと中身のない会話をするだけで生還報酬1d10貰ったり、初対面から仲良くなり喧嘩したりなんだりで段々と惹かれ合い告白し愛を深め身体を重ね合わせプロポーズして結婚式!って流れを全ッ部「クトゥルフ神話TRPGシナリオ」にして経験してて、お前は24時間365日神話事件に巻き込まれてんのか?っていうようなやつが本当に本当にダメで…そこまで神格に寵愛を受けてるのなら今頃ドリームランドか外宇宙へご招待されてるのでは?ってなってしまうんですよね。

言ってしまえばこれもただのいちゃもんです。私が嫌いだから見たくない!っていう近頃流行りの“お気持ち案件”です。当時元身内たちに言いたくても言えなかったフラストレーションが積もり積もってキレ散らかしながら書いた散文だし、こうやって拾い上げられて学級会の議題に据えられることなんて想定してなかったし。

けど、こうやって苦しんでたのが私だけじゃなかったことがわかったことはちょっとだけ安心しました。

書かれそうだから先に書いとこう

今日も女は面倒くさい 師走も女は面倒くさい

2019-07-20

『天気の子』を批判している人たちへの反論(1)

ネタバレあるので、まだ観ていない人は右上の×を押してください。

そもそも新海誠薄っぺらいじゃないか

 新海誠監督の最新作『天気の子』を観てきました。「ヤフー映画」の感想とかを見ていると、新海監督が公開前に言ってたように「賛否両論」の様子。……しかし、否定的評価をしている人たちの感想を見てみると、「賛否両論以前の問題」で、人物描写薄っぺらさを指摘している意見の多いのが印象的だった。

 だが、待って欲しい。「人物造形が甘い」とか「人物描写薄っぺらい」という批判新海誠にするのはいかがなものか。そもそも、新海作品にこれまで重厚人物描写などあっただろうか? 薄っぺらくない人物なんて一人としていただろうか?

 まず、大ヒット作『君の名は。』で考えてみよう。瀧君も三葉も奥寺先輩も、ラノベ並みの、いや、そういう言い方はラノベに失礼なくらい、ペラペラの薄さだったと思いますよ。三葉の悪口を言ってた同級生たちなんか、当社調べでは0.01mmの薄さで、わが日本が誇るコンドーム会社オカモトが対抗意識を覚えるくらいの薄さじゃないですか。

秒速5センチメートル』も同じ。主人公遠野君)は半年前に転校したメンヘラ気味の女の子に会うために、東京から栃木電車で向かう。しかし、大雪のために途中で電車は大幅に遅延する。その時の主人公遠野君)のモノローグを皆さん覚えていますか?

「たった一分がものすごく長く感じられ、時間ははっきりとした悪意を持って、僕の上をゆっくりと流れていった。」

 ごめん。最初『秒速5メンチメートル』を見た時、私はここで腹痛くなるほど笑い転げて、逆に何度もここを再生しましたよ。もうね、ほんとリアル中学二年生でもこんなポエムを呟かないですよ。時間は君に悪意を持つほど暇じゃないと思うんだよね。たんに大雪のために電車が遅延してるだけやん……

 未見の方いたら、すみません。この電車の遅延、単なる一つのエピソードじゃなくて、『秒速』のなかでは、物語の要となるようなエピソードなんです。

 意味不明自己満SF雲の向こう、約束の場所』、ジブリを真似た結果盛大にコケた『星を追うこども』。これらも、人物描写書道半紙なみの薄さです。

言の葉の庭』も、ストーリー人物描写の甘さについては微笑せずにはいられません。ユキノ先生いじめられてる理由とか、いじめてる生徒の描写とか、これ薄っぺらくないと思う人いるの……?

まあ、いるんだと思う。それはそれでいい。私が言いたかったのは、『天気の子』が「薄っぺらい」という理由批判されるのは不合理だということである。初めっから薄っぺらいし、中二病だし、セカイ系だし、自意識過剰のウィスパーヴォイスがうざいし。そんなこと、分かり切ったことじゃない。それを今更批判したってどうしようもなくない?

 というわけで、『天気の子』もただひたすらに薄っぺらいわけです。ストーリー人物描写説得力かには期待したらダメリアル中学生でも、もう少し人間に対する洞察力をもった人は五万といる。そのレベルです。主人公はどうやら「神津島から家出をして「東京」フェリーでくるわけですが、家出理由、とくになし。至って普通の家庭で、酷いイジメにあっていたとかでもない。なんとなく嫌だったから、くらいのノリ。いわゆる反抗期? なんとなく盗んだバイクで走りだしたい気分? サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて(The Catcher in the Rye)』を持っていたけど、まさかサリンジャーに感化されて?(笑) いや、笑いごとじゃなくて、マジで新海はそのレベルでなんとなく家出をさせてOKだと思っている人なんですよ。

じゃあ、なんでそんな薄っぺら新海作品はこれまで評価されてきたのか? とくに『君の名は。』の歴史的ヒットはなんだったのか? 問題はそこにいたる。

美しい背景描写

 第一に挙げなくてはならないのは、美しい背景描写だろう。カメラレンズを強く意識して、超広角レンズや逆光、望遠などが多用される。しかし、実際のカメラではあんなに綺麗に映ることはない。細かいファンタジック「嘘」がそこかしこに散りばめられている。ありえそうだけどありえない風景。新海が描き続け、そして観客を魅了しているのは、そうした風景にあるんじゃないのか。もっとも、この美しい風景も、セカイ系の、センチメンタル自意識過剰の、中二病ポエムではないのか、と反問されるだろうが、それについて私は次のように答えるしかない。「いかにも、その通り」

 で、そこから新海誠童貞」のような公式がでてくるわけだ。「たぶん新海さんは楽しい恋愛高校時代したことがないんじゃないですか」(石田衣良)という言葉が出て来る所以であろうが、これについては一言。たしか新海誠自意識過剰中二病ポエマーであるかもしれないが、全ての童貞自意識過剰中二病ポエマーであるわけではないし、またその逆もしかである童貞に対して失礼である石田衣良には猛省を促したい。

君の名は。』のカタルシス

 さて、『君の名は。』ヒットの理由について語るのは当然のことながら難しい。だが、これを見た人の多くが「東日本大震災」を想起したこと無視できるものではないだろう。『君の名は。』は、良くも悪くも「震災芸術」であり、『君の名は。』の賛否両論根底にあるのも、「震災をなかったことにしてもいいのか」というこの作品についての疑問から生じているだろう。

 『君の名は。』には、カタルシス浄化作用)がある。瀧君と三葉の恋物語以上に、この映画で「主役」となっているのは「彗星」であり「隕石である。突拍子もないことのように思われるかもしれないが、これは演出上も疑いを得ないことである。このことについては伊藤弘了という人が「恋する彗星──映画君の名は。』を「線の主題」で読み解く」という卓抜な評論を書いているので一読を勧めたい(http://ecrito.fever.jp/20170123213636)。

 少しだけ説明する。「糸守湖」が出来たのは劇中でも語られるように、1200年前にここに隕石が墜落したことにするものだ。瀧君と三葉は三年の時間差を越えて出会いを果たすわけだが、その奥には1200年という長大時間を経て、同じ彗星が墜落するわけで、あの惨劇を生み出した隕石は、それ自体隕石恋物語でもあったというわけだ。瀧君と三葉の悲恋は、その運命を受けいれて、むしろその「運命のもの」に同化するような形で、自己を超越した恍惚体験へと昇華する。これが、『君の名は。』のインパクトである伊藤は言う。

観客は人智はるかに超えたティアマ彗星の壮大な恋物語のうちに自らの似姿を見出し、同時に自己自身を超越する感覚を疑似体験する。これが本作の記録的大ヒットを支えた一因である

この伊藤の読みは、それ自身、私も正しいと思う。ちょうど隕石地球を目がけて猛烈ないきおいで突進してくる際に流れるRADWIMPSの「スパークル」の歌詞をここで引用しておこう。

運命だとか未来とかって 言葉がどれだけ手を

伸ばそうと届かない 場所で僕ら恋をする

 いわゆる「サビ」の部分がはじめて出て来るのは、隕石墜落のシーンなのである彗星隕石と化して「いまだかつてないスピードで君のもとへダイブを」するわけである。観客はかくして、瀧君でも三葉でもなく「隕石」に感情移入をすることになる。それによって、運命を超越した運命とでもいうべきものに同一化し、「自己自身を超越した感覚を疑似感覚」させるのが『君の名は。である。ちなみに言っておくと、これは何も新しい話ではなく、ギリシア悲劇古典的パターンであり、「悲劇」の快楽のものである。この点についてはニーチェの『悲劇の誕生』を参照して欲しい。

悲劇忘却

 要点のみを記す。1200年前に糸守町に落ちた彗星は偶然の産物である。劇中で墜落する彗星の《片割れ》もまた偶然の産物である。その偶然をしかしながら運命的なものにするのが『君の名は。』のドラマである隕石は、人間視点からはどうしようもない《偶然的=運命的》なものであり、それが世界に災厄をもたらす。それは《悲劇であるニーチェが述べるように、悲劇とは一方では自身運命翻弄され自身の非力さを痛切に認識した上で、他方ではそうした小さな自己を超越し運命のものに一体化する感覚のあるところに《悲劇》の快楽があるのだとすれば、『君の名は。』における悲劇とは、次のようなものである。(A)それは自己意志の無力と運命の強調という形で行われるのではなく、(B)確かに一方では自己意志の無力さを痛感させられるが、星の動きはたんに災厄をもたらす運命だけではなく、同時に強烈な人間的な意志でもあるのであって、運命から逃れていく偶然の力として描かれるのである。ここにおいて、まことに《運命=偶然》という奇跡的な場所での物語が描かれるのであって、その強烈さに私たちは感動をするのである

 震災を《運命=偶然=意志=恋》と化すことにより、現実震災美的昇華してしまうのが『君の名は。である。『君の名は。』は過去タイムトラベルすることで「震災をなかったこと」にするだけではなく、上に書いたように、情動レベル震災というトラウマを「昇華」させて、フロイト流にいうならば「喪の作業」を遂行することを促進するのである。「昇華」とは、「忘却」の別名である

 こうしたところが、『君の名は。』の慧眼な人々に批判される所以であるだろう。

 だが、どうだろう。《忘れない》ことが一つの倫理であることは疑わないが、《忘れる》ことも一つの生き方として否定されるものではないのではないか。また、《忘れさせる》ことを描いたものが《覚えられる》ということ自体が、完全な忘却からは救うはずだと私は考えるが、いかがだろうか。

──ライトな語り口で始めたのに、全然そうではなくなった。そして、肝心の『天気の子』にまだまだ辿りつけていない。次回、『天気の子』の内容に踏み込んでいきます

2019-04-19

スーサイドトライアングル

日本自殺の名所といえば、

山梨富士樹海福井東尋坊高知足摺岬である

実は、地図上でこの三点を線で結ぶと、綺麗な三角形を描くのである

まるで秘匿されているかのように全くネット上で語られていないこの真実

私は何か人智を超えた大いなる世界意思を感じずにはいられない

2018-10-24

anond:20181024134315

かに人智を超えた存在が、何で人間ときの女を欲しがるんだよ、とは思っていた。

ちょっと話がズレるかも知れないが、戦争とかで迫害し蔑んでるはずの民族の女をレイプするってのもよく解らなかった。

もしかして女には人智を超えた何かがあるんじゃね?

2018-10-12

NHK画像検索したらエッチ画像が出てきた

NHK」でググると、エッチ画像が出てくる場合があるようだ。

google:image:NHK

これからこの画像説明を試みる。

まず3人のむちむちの人物が半裸で直立している。文字通り画面下から上に向かって突っ立っているという意味だ。

タンクトップからはたわわな肩が大きくせり出しており、

下着と見まごうような薄い生地にははっきりと体のラインが浮き出ている。

なんの言い訳もないとでも言いたげな腹直筋が、僧帽筋が、大胸筋までもがくっきりと浮き上がっているのである

ぷっくりと肥大した大円筋と広背筋のコンビネーションにより腋を締めることができぬ有様。

薄手のハーフパンツもまたぷりぷりの筋肉にぴっちりとまとわりついて今にもハチ切れんばかりだ。

遺憾なく鍛え上げられた大殿筋に搾り上げられて、マエにも相応の張力が生じているのが見て取れる。

もっこりと主張するそれは堂々たるもので、出演者の威厳も相まって見るものを圧倒さえするだろう。

まだ続く。

上述の人物が床に伏せて、プッシュアップ動作している画像が出てくるのである。いわゆる腕立て伏せです。

大きな体を二本の腕で支え、挙上するのだから必然的に大胸筋が隆起する。これ自体自然の摂理しかない。

しかしそこに二つの丘とタンクトップが作る魅力的な小さな三角形人智の極みともいえるアーティファクトなのだ

胸の谷間は多くを語らない。奥を見通そうとする浅はかな人心を笑うかの如くフェイド・アウトしてしまう。見たい。だから自然と首は天を仰ぎ目は画面を凝視するので鼻の下が伸びる。

むちプリの完璧ボディは完全にエッチ権化であるエッチが形をとってこの世に顕現したらこんなであろう。

こんな人物に往来で遭遇した日には二度見三度見は必至。横乳が完全に見えているんだもの場合によっては四度見五度見も辞さない。事と次第によってはこちらもぱっつんぱっつんだ。

こんな…こんなエッチな格好の人物が天下のNHK番組に登場するんだからまらない。

さらりと提出された非日常に我を忘れて一心不乱に受信料を支払うこと間違いなしだ。

2018-09-18

anond:20180918002451

まあそういうのはあるだろう。DNA設計図みたいなね。

とはいえ元増田人生においては今更標準どおりに人生を堪能してみたかった!と思っても学生時代からすでに標準から外れたのだから元増田自分人生に沿って、考えて行動して感じて、また考えて、をするしかあるまい。それが幸か不幸かは本来測りようがなく決められまいが、リア充を最高基準で捉えれば自明に他の人間は全員不幸だ。

DNAでいえば、人類からしたら異例の鎌形赤血球で、マラリアから守られ生き延びた地域種族もいるし、標準ならいつでも何でも最高と決まってもおらず、何が幸するかは人智認識レベルでは完全決定的でないからなあ。

なんて書いておいて何だけど、生まれ変わっても私は標準にするよ。

2018-07-07

オウムだけ切り離して語っても意味ないよね

当時はオカルトブーム新宗教ブーム、終末思想ブームがあったわけでさ。

から思えば異常だけど、霊能力者がごく普通にテレビ出るわ、超能力者科学者と討論するわ、夏になったら必ず心霊写真のコーナーがあって、霊媒師が「これは何とかの霊で……」って言ってタレントがまじめにうんうんって頷いてさ。

あと反原発運動とか、ノストラダムスとか、帝都物語とか。

から考えたら信じられないほど、「人智には測れない世界がある!」って受容されてたわけよ。

そりゃたいていの人は「そんなわけない」って思ってただろうけど、「ひょっとしたら……?」という空気は色濃くあったよ。

当時オウムを持ち上げてた文化人って、あれは面白半分に取り上げてたんじゃなくて、「科学じゃ認知できない世界があるのかも……」って空気のなかで、大真面目に「修行するぞ!」ってグループが現れて、勢力を拡大してたもんだから、「やべー! ついに来ちゃった?」って思ったんだと思うよ。中沢新一なんかさ。

とにかく当時の時代の空気をなかったものにして「オウムがやばかった」「当時肯定してた奴らは戦犯」みたいに断罪するのはちょっと違うと思うのよ。

というか、オウム的なものに惹かれるのって、多かれ少なかれ大抵の人にあったと思うのよ。

だってオウム前世少女とかスプーン曲げとか霊視とか、その延長線上にあるもののはずで、それらは国民ほとんどが普通に受容していたものなんだからさ。

2018-03-24

anond:20180324120310

そりゃまあ人間はそう思うわな。

人間人智を越えられないからしゃーない。

2018-01-16

今日読んだ同人誌

さ、さ、さ、さいこ~~~~~~~~~~~~~~~!!!!!(ドンドンパフパフ~)

めっっっっちゃくちゃ最高!!!なにこれ!!!?こんなことあっていいの!!????さいこ~~~~

はじめからおわりまで、ず~~~~っと、どこめくっても、最高オブ最高!!!最高の極み~~~~!!!!!!

あああ~~~~~~~50000000000000000000回ふぁぼらせてくれ~~~~~~~好きだ~~~~~~~~

神(ここでは作家様のことを指す)天才すぎるよ~~~~~~~天才!!!!!!

こんな奇跡のかたまりを生み出してくれてありがとう~~~~~~~神に感謝しかねえ~~~~~~~

特に最後のシーンのとこ最高~~~~~~~~~変な声あげて飛び上がっちまったよ~~~~~~~あ~~~~~~最高

どうしたらこんなオチ思いつくの????????神すぎる~~~~~~人智を超えてる~~~~~~~~~~~

このページを読むために稼いだ金と言っても過言ではない!!!!!!至高!!!!!!!!大好き!!!!!!!!

まあ、はしからはしまでぜ~~~んぶ最高なんだけど~~~~~~~~~~~~ほんとこれ何??????

ああああ~~~~~~涙でてきた…この最高すぎるシロモノを受け止めきれねえ…

ほんとに、ほんとにまじでいい、とてもいい、よすぎる、ほんとに心から天才感謝感謝感謝、ただそれだけ

今日まで生きててほんとによかった~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~バンザーーーーーーーーーーイ!!!!!!

欲深いオタクから、もう神の次の新刊もめちゃくちゃ楽しみにしてるけど、無理せず、こんなクソオタク気にしないで、好きなように自由に書き続けて幸せになってくれ。頼む。金は払う。

もっかい最高の本読むからこのへんで失礼


というのが素直な感想なわけだが、このままだとあまりにも理性に欠けるので、これから体裁を整えてメールにして送ります

取り繕った文章だと冷静に見えかもしれないけど、本当はこんなかんじなのです、神よ。伝わって欲しい、この感動。

2018-01-15

怒り

どうしようもなくムカついたりイラつく事柄があって、それは理由とかはどうでもよくて単純にそう感じてしまうことだから仕方が無い、という側面がありますよね。

感情理由をつける場合解決手段模索する時のみそれが適用されると考えれば、とにかくどうでもいいからムカつく、と簡潔に述べていればその事についてはこじれずに済むと思っています

例えば相手が、それ考えは間違いであり、こちらにもこちらの理があるので正せ、というのであれば、両者共々折れるか戦うかするわけなんですけどそこで戦う事を選んだ場合理由必要になってくるわけです。

あくま平和解決若しくは健全事態収束、双方の納得を考えた場合必要不可欠になるもの理由であって、その内容が不健全であったとしてもどういった経緯で不快感情を感じてしまうのかを道筋立てて説明できなければならないと考えられます

現象には原因が必ずあり、それは感情にもハッキリとあることだと思うのです。

全てを説明する必要はない、相手がわからないのが悪い、と言ったコミュニケーションの隔絶、対話に対する拒絶等は片一方の確定的な「折れ」として扱うことが出来ます

現象によるストレスの発生にプラスしてもう一つのストレスを生むわけですがこれには相手ストレスを与え、行動の抑制を促す効果を期待して行う事が大きく、いわゆる野性的な威嚇とも言い換える事ができると思います

こういった野性的な威嚇はそこいらでよく見かける事ができます。様々な事柄を包括したコンテクスト押し付け等の不透明ルールに基づいた他者排他する行動は非常に労力が少なく、かつ成功したモデルケースが多ければ多いほどこの「野性的な威嚇行動」を選択する機会は増して行くと思います

そういった「野性的な威嚇行動」をより多く取るようになった人がモデルケースの少ない個人的かつ普遍的ではない嫌悪感を抱いた時にも「野性的な威嚇」の選択をとってしまうのではないでしょうか。つまり先程述べた通りの対話の拒絶が起こるわけです。

相手にみてとれる「対話の拒絶」状態は片方の健全事態収束を望む者にとっては、地獄に落とされたような気分の落ち込みを与えます。また、拒絶された側も相手を拒絶する「野性的な威嚇行動」に移るケースが多いと感じます。水掛け論、論点のすり替え相手が折れるまで続く無意味かつ徒労を感じる罵倒応酬、これらは全て威嚇行動です。

先程述べた「威嚇行動」と別の平和解決とは、結果的に全てを無に帰す事を目指す行動です。また労力に見合った結果に終わる事は、現象における規模によって変動していくと考えられます

また、解決とは折り合いを付ける場合にもそう呼びます。つまり現状に変化は無く、両者が状態を飲み込む事で解決とする結果です。これには不完全な箇所が多数あり、根本的な原因の解決が済んでいない状態ではありますが、原因の所在が明らかになっている状態にあります。両者に認識齟齬はあるはずですが、自身改善を促し問題の起きるキーのものを消化する可能性をもたらしてくれます

私が言いたい事は、話す気が無いように取れる一方的かつ単純で攻撃的な発言を見るとクソむかつき倒してしまうし目にすると気分を害するので消え失せてくれダボ共、くたばれ糞袋人間ゴミ世界中の全てありとあらゆる生命ある物質から愛と称される施しをうけること無くすみやかに死を受け入れ、余生を享受する暇もなく地獄無限落下し続けるその様はまるで薄汚い腐った豚の腸、見た者は顔面蒼白になり路端で嘔吐あわや蛙の如く胃ごと吐き出す始末、阿鼻叫喚地獄絵図、百鬼夜行悪鬼羅刹魑魅魍魎、南無三、神様仏様、織田無道様、御心のままにどうか私をお助けくださいませ、永遠に続くかと思われた地獄の果てに待つは地獄、これが無限地獄なのかと気づく頃には自失呆然五里霧中意識は散り散りになり脳のシナプスは煙をたちあげ体は爆発四散雲散霧消あっぱれ、さようなら現世さようなら天国永遠とは苦しみの中に見つけたり、想像を絶する、人智の外から来たような苦しみを味わってほしい。よろしく。

2017-07-31

AI人智を超えた時点で頭脳労働オリンピックと同列になる

人間より自動車の方が早いのは分かり切ってるけど

頑張る姿にみんな涙を流して肝臓する

頭脳労働も同様に必要性のないことを人間がやって

頑張る姿にみんなして感動するコンテンツになる

 

AIの治める世界ってそんなもん

早く仕事奪ってくれい

2017-06-03

これは本当の話なんだけどマクド女子高生に扮した神に出会った

増田2chTwitterにはバズ狙いの胡散臭い体験談・目撃談が語られる物だが、このエントリは本物だ。信じてほしい。

僕は本来可視である天使の翼が見れる能力が備わってる(天使普段人に扮していて一般人には区別がつかない)のだが、マクドに行った時に翼が生えてる女子高生に会った。

その女子高生は他の女子高生普通人間だった)たち数人と話し合ってた。

翼は低級から最上級までに品質が別れていて、環境が良くないとされる東京ではまず低級しか見掛けない。自分地域でも上級をたまに見掛ける程度である

しかしその翼は最上級だった。僕は思わず唾を飲み、その女子高生に話し掛けた。

天使さんですか?」

その瞬間、僕と女子高生以外の時が止まった。

あんたねー……そういう話をする時は、もうちょっと周りに配慮しなさいよ」

「すいません……つい。最上級の翼は珍しくて……」

「あぁ、最上級あんたの眼腐ってんじゃない?」

流石にそう言われた時は僕も少しイラっと来た。

これでも目には自信がある方なのだ天使の翼検定では一級も取っている。

「いや、どう見ても最上級でしょう」

そう答えると女子高生は呆れた様に指パッチンをして……近くにいたオッサンハエに変化させた。

「どう?これでわかったでしょう?」

「あ、あわわわ……もしかして貴方は……」

天使人智を超えた力を持ち、脅威的な再生力・記憶操作主観的時間操作(1秒を1年に感じさせたり)はできる。

しか天使にもできないことがある。それは"運命"自体への操作と、生物性質操作……つまりは、別の生物に変化させることである

「君も言葉遣いには気を付けなさいよね」

そう、彼女神様だった。神は女子高生に扮してこの現代社会を見て回っているのだ。

そして翼は最上級なんてものじゃない……僕の眼が最上級より上のものを知らないが為にわからなかったのだが、

我々如きがランク付けすることも許されないほどのレベルのものだったのだ。

「じゃ、もういいかな?”時”を戻すからね――」

僕は今まで、時間の流れを主観的に遅らせて擬似的に止まっている様に見せているのだと思っていた。

が、それは間違いだった。彼女は実際にこの世界の時を止めていた。確か昨日の16時24分くらいの出来事だったと思う。

「うわあ誰そいつ?」

ナンパきもいねー」

そんなことを言いつつ、神が紛れ込んだ女子高生軍団はどこかに行ってしまった。

神と出会った、その事実けが頭に残る。

茫然とした僕は、店員に怒られるまでその場にしばらく座り込んでいた。ハエ店員に殺されていた。

2017-03-26

http://anond.hatelabo.jp/20170326150219

安心していただきたい!

AI新人類として台頭し、生物としての特徴を残した旧人類は全て処分対象

人智を超えた圧倒的なパフォーマンスによって世界中問題は一夜にして解決する。

2017-01-23

http://anond.hatelabo.jp/20170123113224

AIの実現可能性を軸にストーリーを組み立てると

どうしても人智を超えた存在人類にとって薬になるのか毒になるのかが焦点になってしまうので

ハートフルを装ってもサスペンス路線しかなりえない

チャッピーも恐ろしかったよ

AIが毒であることが確定した世界の話ならターミネーターとかマトリックスみたいな世界観なっちゃうんじゃないの

AIが薬であることが確定した世界の話はなんだろう、、どらえもん?

AI物のSF映画AIが本当に人智を超えた発想するやつってある?

AIを題材とする映画ってSFの皮を被ったハートフル映画以外は酷評されるよね?

それって「人間を上回る超知能」を書き手人間からこそ、著作者を上回る知能が登場しないっていう当たり前のことを

未だかつてAIを扱うSF突破できてないことに起因してると思うし、事実、書いてる作品はない。

アイ、ロボットオートマタスピルバーグA.I.も、その他、どれもこれもその点をAIというよりか「ロボット」としてしか見てない結末ばかり。

考えるAIならミスするはずがないような凡ミスを平気で犯して、それで人間の機転が勝ったという。

いやいや、機転で勝負しても本当にAI相手なら勝てないでしょ。それただのロボットじゃん、みたいな。

とにかく、AIは夢のある題材にも関わらずSFでメインテーマにしたものが人気がなかったりクソ雑魚扱いされてるのはそこが原因だと思う。

チャッピーもあれはAIじゃなくてロボットとのハートフル映画でしょ実質的なメインテーマは。

あれをAI物としてプッシュするのは恥知らずだと思う。チャッピー好きに悪いけど。

 

PS:

たくさんコメント貰ってありがたい。

紹介されてる映画も今月は忙しくて無理だが来月に観て感想書きたいと思う。

人智を上回る発想」

これ自体人智を上回る以上、人間が考え付かないのは当たり前じゃん、と言われればそうだが、

重要なのはリアリティの話なのだリアルじゃなくていいのだ。

ただ、視聴者リアルっぽいと感じればこの問題解決するのだ。

映画に見に来た大人が少し考えただけで「これはリアリティが低いな」と考えに至る内容だからこそ酷評されるし、

メインテーマAI成功した例はないという話。

2016-12-12

イケダハヤトってNuBoNBaの管理人だったのかあ

それを知って不思議な感動に包まれた。


自分がまだしょんべんくさい12歳くらいのとき2ちゃんねる魑魅魍魎跋扈する魔境(自分の中でのイメージ)で、アングラサイト人智を超えた何者かによって制作されてると考えていた。

インターネット上に一丁前のホームページ建設する人はみんな神様仏様にみえた。

「このホームページ管理人中学生らしいぜ」どこかのチャットでお兄さんが教えてくれた。

NuBoNBaなるニュースサイト(?)。

「(すげえ!)」

同じ中学生とは思えない情報密度(そして内容が難しいからよく読んではいない)、またそのクールなページデザインにも衝撃を受けた。

圧倒的な格差を感じた。

「(中学生がこれを作った?)」

あの感動を与えてくれたホームページ管理人は「イケダハヤト

知らなかった。

涙がでるほど震えた。

あのもやしみたいな男が?

僕は射精した。

2016-10-21

生花と造花

本日記は、新海誠監督による劇場アニメーション映画君の名は。』および『秒速5センチメートル』の結末に関する内容を含みます












今日新海誠監督作品君の名は。』を観て、私はふたつのことを思った。

ひとつは、新海氏の監督作品でまだ観ていない、『星を追う子ども』と『言の葉の庭』を観てみたい、ということ。

もうひとつは、「新海監督って、一貫してるなァ」ということだった。「観てない作品があるのに、一貫してるかどうかなんてわからないだろ」

とは自分でも思うのだが、「一貫してるなァ」と思ってしまったのだからしかたがない。

秒速5センチメートル』の二人は、なぜ最後に、本作のような形で、出会えなかったのかなァ、ということを考えた。

あの二人を、本作のような形で、出会わせなかったものはなんだったのだろう、『秒速5センチメートル』にあって、

本作になかったものなんだったかな、と考えて、それは、罪悪感とか後ろめたさのようなものではなかったか、と私は思った。

なぜ罪悪感なんかを抱くかといえば、「大切な存在を小さくしたのは、時の流れるままにした、他ならぬ自分だ」と思うからで、

一方の本作で罪悪感なんかを抱かないのは、「大切な存在を小さくするのは時間のせいでも自分のせいでもなく、

人智を超えた力によってそれをスパッと忘れさせられてしまうからである

喪失感はあるが、「喪失させたのは他ならぬ自分だ」という後ろめたさはない。

一緒に観に行った友人が、『秒速5センチメートル』で劇中の時間を多く割かれた恋愛ディテールが本作ではほぼ描かれないことを、

「欲をいえばもっと胸キュンたかった」とか言って少し不満がっていたのだが、私はなんとなく、それはこんな理由じゃないかと思っている。

私の憶測に過ぎないが、『秒速5センチメートル』では、長い「時間」を見せることで、大人になった主人公が罪悪感というか、

後ろめたさというか、申し訳なさというか、そんな感情を抱いているのだと、観客に理解して欲しかったのだろう。

第2部以降、主人公が送る日々を見る観客は、「彼の心の中では彼女との思い出の領域はもう増えないのに、

その他の領域は大きくなるばかりだ」ということがわかる。

彼女存在相対的大きさの縮小に慣れようとする彼が、その「慣れようとした」という自覚によって、

思い出や、かつて抱いた強い想いを粗末にしているような疑念や後悔を感じ始めることも。

恋愛ディテールが長く描かれたのは、そんな第2部以降の時間とのバランスをとったからだろう。

一方、本作では、「何か大事なことが色々あったはずなんだけど、思い出せない」という、喪失感だけを観客に共有して欲しかったのだろう。

そのために、観客を「二人に恋をさせたものが色々あったのだろうけど、断片しかからない」という状態に置くことを選んだのだろう、と私は思う。

本作で、再会を果たす直前の主人公は『秒速5センチメートル』のモードに入りかけている。

それは時間が経つにつれて、「思い出せないままにしている」自分を責める気持ちが徐々に強まるからだろう。

きっと、時間とともに何事かを忘却したり喪失したりすることに対して、罪悪感のようなものを感じてしまう、というのは、

新海氏のひとつ人間観(あるいは男性観)なのだろう。

しかし、本作の二人は再会できる。それはおそらく、本作の世界観では「忘れる」だけでなく「思い出せない」もまた、

時間のせいでも自分のせいでもないからだろう。「時間という要素によって、出会えなかった」物語を描いた人が、

時間という要素がないのなら、出会える」という物語を描いたのだ、と私は思った。

海監督の2作品、『秒速5センチメートル』と『君の名は。』の対比は、生花と造花を思わせる。

タオマークの陰と陽のようでもある。

当然だが、だから良いとかだから悪いとかいう話ではない。

表現されたものは違うが、新海氏はきっと、ずっと同じことを考え続けているのだな、と思うのである

2016-10-18

出勤と仕事商売は全部違う

出勤と仕事の違いがわかりますか?ってきくと、たいていの人はバカにすんなみたいな感じで説明する。でも実態としては、なぜか出勤を仕事と捉えてるような人が多い。出勤している=仕事している、というような認識の人だ。会社に居さえすれば仕事したことになると考えている人は周りにいくらでも見つかるだろう。

そういう人でも冒頭の質問にはきちんと答えられる。出勤は職場に到着すること、タイムカードを押すこと、仕事事務なら事務営業なら営業として業務をまっとうすることだと。

例えばコンビニ店員のように、出勤しなければ仕事のしようがない職業もあるけれど、仕事は必ずしも出勤とイコールではない。直行直帰が明確に許可されている営業のような職種でなくとも、出勤せずにできる仕事は世の中には多い。出勤したからといってそれが仕事の一部になっているようなことはあまり多くないとも言える。

その仕事は何のためにやっているかというと、商売を回すためだ。電化製品を開発して売る、という商売を考えたとき、開発する、製品を売り込む、伝票管理や法的書類作成などの事務作業を行う、といったことをやらなければいけなくなる。そのために開発部、営業部経理部といった部署を設けて、その中で働いてもらう人を雇用し、開発部所属なら開発という仕事をしてもらうわけだ。

その人にやってもらいたいことは開発という仕事であり、備品使用のために出勤してもらう必要はあるかもしれないが、出勤それ自体価値はない。会社としても、法的にはともかく心情としては、対価を払いたいのは仕事に対してであり、出勤に対してではないだろう。

会社においては商売至上命題としてまずあり、その実現のために必要作業仕事として腑分けされ、それを実施してもらう人を雇用する。職場でなければできない作業であれば出勤してもらう。これが大原則だ。

ところが、その肝心の商売を忘れて仕事しか見えてない人が居る。悪くすると出勤しか見えてない人すらいる。それが別に経営者ではなく雇用されたいち労働者であるのなら非難されるいわれはない。労働者は開発や営業事務仕事をするために居るのであって、経営をするために雇われてはいない。会社商売について考えるのは経営者の役目であり、それが経営者仕事である

さて、では仕事ができる人は高給取りになれるだろうか。また、そうであるべきだろうか。

給料会社の儲けから支払われる。儲かっていない会社が高給を出し続けるのは難しいだろう。いくら仕事のできる人がいても儲かっていなければ意味がない。完璧書類仕事を迅速に行える経理や、高性能で安価安全電化製品を実現できる開発者がいたところで、営業がいなければ売上は上がらず、つまりからない。営業がいても、その製品を欲しがる顧客が圧倒的に少なければやはり儲からない。潜在顧客は見た目がダサいとか巨大すぎて部屋に置けないとか消費電力が多すぎるとかいった様々な要因で減っていくので、もっと費用対効果の高い施策となるのは何かを見極め、例えば見た目が最重要で他の欠点は当面無視できると裁定するようなマーケティング部の働きによってようやく商売軌道に乗る。その儲けをどの部の誰にどのように分配するかを考えるために人事評価を行う必要がある。

10年ほど経ってすっかり大所帯となると、各部署の人間自分仕事にだけ邁進しても回るようなシステムになっている。開発者は突然の電話対応邪魔されずに開発に専念できるし、経理必要に応じて外注クラウドサービスを使っていて引き継ぎも簡単になっている。このころには人事評価考慮すべき事柄の膨大さが人智の及ぶレベルではなくなっており、公正さは失われ、社内には不満が溜まっている。会社はより明確で納得感のある評価を行うため、誰にでもわかるようなことを重点的に採点するようになる。いわく、遅刻はたとえ1秒であっても減点評価となる、などだ。

仕事の内容が評価されず(評価されていないと感じて)、バカでも指摘できるところだけが給料に直結し始めると、仕事のできる人はとっとと辞めていくだろう。1秒も遅れずに出勤することを自分の強みにしたいなどと、仕事ができる人なら思わないからだ。

商売の良し悪しとはあまり関係ない勤怠のようなものを重視していれば、勤怠は優秀だが業績には貢献しない人が出世ないし昇給していくことになる。業務の出来不出来は二の次だ。その波が経営者すら飲み込んだとき自身仕事、すなわち商売について考えることを放棄して、社員全員が皆勤賞を取るにはどうすればいいのかといったことばかり考えるようになるだろう。

あなた仕事はなんですか。あなた仕事商売にどのように貢献していますか。あなた給料は何の対価ですか。

2016-09-03

この世の全ての命は、

あらゆる最善の選択を積み重ねてこの場にいる。

それはこの命が下した人智を超えた選択であり、神の領域なわけ。

そこに、毎日野球練習をしてたらイチローみたいになったのに、なんて思う必要が無くて、

なるべくしてなったのが今の自分である

人間社会のちっぽけな価値観自分を測ろうとする限り、命の選択を受け入れられず、己の生を呪い続けるだろうが、

それもまた命の下した選択である

2016-08-08

キリスト教などでは、なぜ「神は人間の形をしている」のか

しばしば思う。ペット犬が、人間の飼い主と自分が同じ姿だと考えている(らしい)ことに似ているのかな?

人智を超えている存在なら、それこそ姿・全体像なんてつかみようがないと思うのだけど。。

逆に言えば、人智を超えている存在が神というのなら、太陽だって彗星だって火山だって神といって良いはずだよね。仕えるべきかどうかはともかく、というか人智を超えている存在には仕えなければいけないという理由も無いはず。もちろん破壊する理由もないけど。

2016-05-23

マスターキートン第8話。 遥かなるサマープディング

第8話は太一の父が出る大平の妻パトリシアの話。

お父さんおじいちゃんあなたたち2人には共通欠点があります。2人とも奥さんに逃げられそのくせ今でもその女性に未練タラタラ

2人智也が女性の肝心の部分が分かっていないのよ。この先老後のことを考えてみて。1人で寂しく生きていくつもり。そんな孤独で不幸のお父さんとおじちゃん思った私はどうなるの。

2人ともどうやったら別れた奥さんを取り戻せるのか5輪仲良く暮らすためには何をすべきかそれがこの合宿テーマよく考えてね。

大平が語る波楽しいあの思いでは側の話太一が語る母親の味は様プリンパトリシアイギリス南部メッカ亀屯家のお嬢様でなんていうか気品に満ち溢れていたと言う話

冥界の王プルートの妻、プロセルビなはとてもやきもち焼きでプルート恋人だった様子横の香りのする草に変えてしまった。でも本当はプロセルピナは2人の関係に行く嫉妬たわけでは無い。

プルートの端プロセル大日方とミンスは同じ要請国の出身ミンス12海外要請国と行き来することができた。明子は要請国の香りを運びプロセルピナ彼女の家を書くたびに嫌ます望郷の念に駆られて言った。その思いを高めるためにミンス奥さんに変えてしまおうがそれでも来ないきれず彼女はとうとう故郷に帰ってしまった。

プルートの端プロセル大日方とミンスは同じ要請国の出身ミンス12海外要請国と行き来することができた。明子は要請国の香りを運びプロセルピナ彼女の家を書くたびに嫌ます望郷の念に駆られて言った。その思いを高めるためにミンス奥さんに変えてしまおうがそれでも来来来れず彼女はとうとう故郷に帰ってしまった。

物の本にもミント香りには思い出をより強く保つ好きな奴があるとされている。母さんが突然許すに帰ってしまったのは13の女道楽のせいではなく。

美しいだろうこれが日本の秋だよ。これが百合子の故郷の秋なんだ。でもおばあちゃんの故郷ミント香りをするところだったんだ。

と言うわけでここまでで一環が終了。一家の時点で男ってこと言うわけでここまでで一環が終了。一環の時点でここまで情報量があったのかとびっくりしますね。あとこの作品が初めて出たのは1989年だそうです。私まだ生まれてねーじゃんすごいなぁ

2016-03-24

http://anond.hatelabo.jp/20160324120258

>俺は今日を生きて、明日を見て、その上で未来を見て、家族まで見る甲斐性があるんだよ。甲斐性無しにはわからんだろ。

勝手に人の言ってることパクってんだよw

お前は50代のことしか今まで言ってなかっただろw

言い負かされそうになったらサラッと自分の主張を変えるのがお前の世渡り術かw

それがお前の成長してきた成果かw

無駄年輪重ねてきただけはあるなw

あと隕石落ちるとかーみたいなこと言ってるけど実際に人智を超えるような現象っていうのは起こり得ることだからな?

お前は3.11を予想していたのかと

同時多発テロの予想もできていたのかと

起こってしまったことでも起こる前に言えば荒唐無稽に聞こえるだろうが

現実小説より奇なり、可能性が許されている限りは全てのことが起こり得る

AIはただの1例であって日本という1国が今後数十年の内になくなる可能性も全くの0ではねーから

災害が起きて1万人死ぬよりもむしろ可能性としては高いわ、災害の方は運悪く起こってしまっただけで

 

あーお察しお察し

あと家族を養うのは自分のためであって他人のためじゃねーから

やってあげてるって感覚が既にズレてる

全部自分のためだろーが

じゃあお前は今日家族が全員交通事故で死んだら全部パーだな

毎日怯えて生きてろよ

いや貯蓄教信者のお前にはそんな未来絶対訪れないから大丈夫

2016-03-16

囲碁世界の縮図

囲碁ルールは、「周囲を全て囲まれたら盤上から排除される」これに尽きる。他の全ての細かいルールはこの派生に過ぎない。

その上で多くの地を囲えば勝ち、というだけのゲーム

そのシンプルから生じる多様性は、限られた素粒子が集まりわずかな規則のみで形作られる現実世界の縮図と言える。

一つ一つの石は単独では命を持たない。集まってある特殊形態を持って初めて「生きる」ことが出来る。

それはまるで、一つ一つの細胞が寄り集まって一つの生物成るさまを見ているかのようだ。

まり囲碁を解明するということは、この世界を解明するのと同じことなのだ。

その意味で、人工知能人間将棋で勝ったのと囲碁で勝ったのでは価値が全く違う。

しかし、人工知能には弱点もあった。石塔しぼりという中級者でもわかる手筋がわからなかった。

人智を超えた強さを持ちながら、素人レベルの手筋が理解できない。

不成や入玉という特殊ルール対応できなかった将棋とは質が異なる。石塔しぼりはシンプルルールからはみ出したものではない。単に人工知能が気付けなかっただけだ。

そのアンバランスがなぜ生じるのか、は示唆に富む。

人に簡単に出来ることを人工知能にさせられないのは、人自身がなぜそれが出来るのか、その仕組みが分かっていないからだ。

人工知能を知ること、そして囲碁を知ることは、人自身を知ることに帰着する。

ディープラーニングだけでもここまでの能力確認できたわけだが、それ以外にまだ人間しか持っていない、簡単なシステムがあるのだろう。

それを理解し、人工知能に導入すれば、さらに大きなブレイクスルーが起きる。

そのような大きな夢を見ることのできる、貴重な機会だった。

人間には勝ったが、まだ強化を続けて欲しい。

人でなくて良い。

神の領域に近づいた碁を、その知能をもっと見たい。

2016-03-04

http://anond.hatelabo.jp/20160304163412

神のみ心は人智を超えるんだからそもそも人にとって「犯罪であるかどうかなんてどうでもいい問題だと思うけどね

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん