出勤と仕事の違いがわかりますか?ってきくと、たいていの人はバカにすんなみたいな感じで説明する。でも実態としては、なぜか出勤を仕事と捉えてるような人が多い。出勤している=仕事している、というような認識の人だ。会社に居さえすれば仕事したことになると考えている人は周りにいくらでも見つかるだろう。
そういう人でも冒頭の質問にはきちんと答えられる。出勤は職場に到着すること、タイムカードを押すこと、仕事は事務なら事務、営業なら営業として業務をまっとうすることだと。
例えばコンビニの店員のように、出勤しなければ仕事のしようがない職業もあるけれど、仕事は必ずしも出勤とイコールではない。直行直帰が明確に許可されている営業のような職種でなくとも、出勤せずにできる仕事は世の中には多い。出勤したからといってそれが仕事の一部になっているようなことはあまり多くないとも言える。
その仕事は何のためにやっているかというと、商売を回すためだ。電化製品を開発して売る、という商売を考えたとき、開発する、製品を売り込む、伝票管理や法的書類の作成などの事務作業を行う、といったことをやらなければいけなくなる。そのために開発部、営業部、経理部といった部署を設けて、その中で働いてもらう人を雇用し、開発部所属なら開発という仕事をしてもらうわけだ。
その人にやってもらいたいことは開発という仕事であり、備品の使用のために出勤してもらう必要はあるかもしれないが、出勤それ自体に価値はない。会社としても、法的にはともかく心情としては、対価を払いたいのは仕事に対してであり、出勤に対してではないだろう。
会社においては商売が至上命題としてまずあり、その実現のために必要な作業が仕事として腑分けされ、それを実施してもらう人を雇用する。職場でなければできない作業であれば出勤してもらう。これが大原則だ。
ところが、その肝心の商売を忘れて仕事しか見えてない人が居る。悪くすると出勤しか見えてない人すらいる。それが別に経営者ではなく雇用されたいち労働者であるのなら非難されるいわれはない。労働者は開発や営業は事務の仕事をするために居るのであって、経営をするために雇われてはいない。会社の商売について考えるのは経営者の役目であり、それが経営者の仕事である。
さて、では仕事ができる人は高給取りになれるだろうか。また、そうであるべきだろうか。
給料は会社の儲けから支払われる。儲かっていない会社が高給を出し続けるのは難しいだろう。いくら仕事のできる人がいても儲かっていなければ意味がない。完璧な書類仕事を迅速に行える経理や、高性能で安価で安全な電化製品を実現できる開発者がいたところで、営業がいなければ売上は上がらず、つまり儲からない。営業がいても、その製品を欲しがる顧客が圧倒的に少なければやはり儲からない。潜在顧客は見た目がダサいとか巨大すぎて部屋に置けないとか消費電力が多すぎるとかいった様々な要因で減っていくので、もっとも費用対効果の高い施策となるのは何かを見極め、例えば見た目が最重要で他の欠点は当面無視できると裁定するようなマーケティング部の働きによってようやく商売が軌道に乗る。その儲けをどの部の誰にどのように分配するかを考えるために人事評価を行う必要がある。
10年ほど経ってすっかり大所帯となると、各部署の人間は自分の仕事にだけ邁進しても回るようなシステムになっている。開発者は突然の電話対応に邪魔されずに開発に専念できるし、経理も必要に応じて外注やクラウドサービスを使っていて引き継ぎも簡単になっている。このころには人事評価で考慮すべき事柄の膨大さが人智の及ぶレベルではなくなっており、公正さは失われ、社内には不満が溜まっている。会社はより明確で納得感のある評価を行うため、誰にでもわかるようなことを重点的に採点するようになる。いわく、遅刻はたとえ1秒であっても減点評価となる、などだ。
仕事の内容が評価されず(評価されていないと感じて)、バカでも指摘できるところだけが給料に直結し始めると、仕事のできる人はとっとと辞めていくだろう。1秒も遅れずに出勤することを自分の強みにしたいなどと、仕事ができる人なら思わないからだ。
商売の良し悪しとはあまり関係ない勤怠のようなものを重視していれば、勤怠は優秀だが業績には貢献しない人が出世ないし昇給していくことになる。業務の出来不出来は二の次だ。その波が経営者すら飲み込んだとき、自身の仕事、すなわち商売について考えることを放棄して、社員全員が皆勤賞を取るにはどうすればいいのかといったことばかり考えるようになるだろう。