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2015-09-06

http://anond.hatelabo.jp/20150906223053

ドヤ顔のくだらんオチはさておいて、天災代表される「個人ではどうにもならないこと」もしくは「人智ではどうにもならないこと」に怒りを爆発させる人はけっこういるな。

「いや、たまたま目の前にいるからってこっちにその怒りをぶつけられても!」ってんで大いに困る(というか迷惑)だが、その「怒ってもどうしようもないからこそ制御不能なレベルの怒りが湧く」ってのはわからんでもない。

2015-02-16

異様に影響されやす

から他人が不調なのを見聞きするとちょっとタイムラグを置いてから釣られて不調になる。なんなんだろう。

頭痛いので早めに上がります」と先輩が帰った後、1時間後ぐらいに自分めっちゃ頭が痛くなるとか。

自転車コケて左腕怪我したんですよ」と後輩が言っていた翌日、朝から左手がズキズキするとか。

「おなか痛くて」「熱が」「吐き気が」「切り傷が」「打ち身が」

100%ではないんだけど、何か他人の不調の欠片が頭に残ってしまうと感染する。

印象に残るとダメな感じ。

インフルエンザにかかる人が増える時期は、インフルエンザにはかからないくせに

「誰それが倒れた」「熱が○度あるらしい」という会話を聞くたびに熱だけが何度も出る。

学校では、保健室に行く奴や早退する奴がクラスにいると一定確率自分も後追いをする形になるので、

便乗しようとするずるい奴扱いをされたり、仮病扱いされたりしてきた。

会社でも多分身近な人にはそう思われてるんじゃないかと思う。

テレビからでも感染するので、人が怪我したり病気になったりしてる映像病気を紹介する番組が苦手。

ホラー映画自分からみることはないけど、たまにCMザッピング中に目に入ってしまうと、

人智を超えた症状を自分の頭が再現しきれなくなるのか、シンプルに寝込んでしまうこともある。

呪怨かなにかのCM深夜アニメ時間帯にやってた時期はしょっちゅう寝込んでしまってひどかった。

明らかに他人から影響されていて、ただの思い込みだろって自分でも思うんだけど、痛みや不調は現実に起こってしまうので無視できない。

楽しみにしていた予定をそれに潰されたことも一度や二度じゃないのだけれど、どうも他の人は自分ほど他人に影響されたりしないらしい。

一体なんなんだこれは、体質なのか性質なのか知らないけど、なんとも生き辛いし変なハンデがある感じで悔しい。

2014-08-24

ハリウッドゴジラについて

遅ればせながらゴジラを見てきた。作品感想は事前の期待が大きかったせいもあるがイマイチ。その理由自分なりに一晩考えて出た結論が「人間にとって都合のいい存在としてゴジラを描いてしまっているから」。1954年に公開された初代ゴジラは明確な反戦反核メッセージを含んだ作品であり、水爆実験でよみがえったゴジラは、人間コントロールできない「核兵器」という科学技術を使うことへの批判として描かれている。

以下が簡単な初代ゴジラストーリー

人類調子こいて水爆実験連発。その衝撃によりゴジラが目覚める。

ゴジラ日本列島に襲来して壊滅的なダメージ

ゴジラを殺せる可能性のある、水中の酸素破壊するオキシジェンデストロイヤーという化学兵器若い科学者発明

しか博士はその兵器戦争に使われることを恐れ、使用を拒否。

ゴジラをぶっ殺すか? 強靱な生命力研究対象にするべく生かすのか? 議論割れる。

結局、オキシジェンデストロイヤーゴジラ死亡。博士兵器悪用を恐れ設計図を破棄し、自らの命を絶つ。

ゴジラは60年前から反戦反核メッセージとともに、際限のない科学への信頼に対する警鐘も鳴らし続けている。しかし、ラストゴジラを倒すのは核兵器よりも強力な化学兵器であり、これは結局諸刃の剣である科学呪縛から逃れられない人類象徴的に描いている。「人類核実験を続ける限り、第二第三のゴジラが現れるだろう」という最後セリフは今もって有効だ。これがハリウッド映画であれば、「核兵器でも死なない大怪獣を倒した科学技術は素晴らしい! 人類の叡智バンザイ!」的なハッピーエンドになるはず。

ネタバレになってしまうので詳細は避けるが、なにが言いたいのかというとゴジラは大自然神様といった人間にとってアンタッチャブル概念の具現化であり、人類のために戦うヒーローになってしまっては興ざめということ。この辺はおそらく、神様世界人類想像したというキリスト教的な欧米世界観では理解しにくい存在なのかもしれない。それらの文化圏では神様とはこの世界スタートとゴールを設定した絶対者であり、人類を正しい方向に教え導く役割を担っているのだから、試練を与えつつも最後にはハッピーエンド人間にとって都合のいい)が約束されていなければならない。

その点、日本では不可侵存在としての神様を描くのが得意なようで、例えば「もののけ姫」のシシ神さま。あれなんかは完全に、人類もののけ人智を超えた存在として描かれている。シシ神さまにとっては森を守るアシタカも森を開発しようと企むエボシ御前も関係なく、ただ目の前の者に死と生命を分け与えるだけ。間違っても「お前は森を大切にしているから褒美として寿命10年延ばしてやろう」とも「お前は森を破壊した罰として寿命マイナス10年!」とも言わない。人間の都合ももののけの都合も一切勘案に入れず、己の職務に忠実なだけだ。それは、どんなに弱者や善人が住んでいても地震台風が発生するとき容赦なく発生するのと同じこと。つまり本来自然神様人類の都合など考えない、極めて不条理存在であるわけだ。

もうひとつの例としては、「ドラゴンボールZ神と神」のビルスさまも同じ。「プリンが食べられないから地球破壊」「寿司がまずかったら地球破壊」「ジャンケンに負けたら地球破壊」といったセリフオンパレードは、神様不条理な一面をこれ以上ないくらいよく表している。初代ゴジラにとっては自衛隊であろうと戦災孤児であろうと自らの進路に存在する者は容赦なく踏みつぶすだけだ。

そんな人類の都合など考えないゴジラを期待して見に行った自分からすれば、なぜ98年のエミリッヒ版ゴジラがあんなにも酷評されているのかよくわからない。今作では日本原発事故を絡めてはいるが、それもイマイチ批評性に欠け(というか単なる方便)、中途半端社会派作品に堕してしまっている。

一つ興味深い点を挙げれば、人類ゴジラを「撃退」もせず「征服」もせずに「共存」の道を選んだこと。(続編のためにはゴジラ人類撃退、征服されてしまっては元も子もないのだが)。これまでどんな凶悪宇宙人自然災害撃退して乗り越えてきたハリウッド映画、これまで世界の警察自称して世界中西欧価値観を広げてきたアメリカ。そんな、アメリカという国家共存の道を選んだこのラスト、実はなかなかにレアなのではないかと考えている。メインキャストで唯一の東洋である渡辺謙が発した「愚かな人間自然を征服できると思っているが、そんなことはできない」というセリフは、「自然子ども管理されるべき」といったキリスト教の教えとは180度異なる。今回のハリウッドゴジラ反戦反核メッセージを含む初代ゴジラとは異なり、アメリカ外交の変化とリンクした作品として捉えるとまた違った一面が見えてくる。

2014-07-24

http://anond.hatelabo.jp/20140724173617

はるかぜちゃんの発言が教唆にあたるなら実行犯は当然逮捕されるよね

自分達で既に罪状でっちあげてるくせに

こちらが言ってるのは「迷惑行為

犯罪」とは言ってないね

犯罪まで行かなくても、迷惑行為をしたら・唆したら叩かれるよ

 

証明できない(と自分で言った)ことを客観的事実と呼ぶのはやめようなw

それただの推論だから

「今ここで君に対して」証明できないんであって「証明するには人智を超える」とかそういうものじゃないんで

法律条例も十分人間が浚える程度に有限です

2014-07-12

http://anond.hatelabo.jp/20140711214356














 

7/12 17:26 ブコメよりマスダーを追加。マスダーのサブクラス「サイタマノオッサンラー」を追加するか迷ったが省略。詳しく解説できる増田もしくは本人がいればトラバにお願いします。

2014-01-10

医学部勉強

 医学部の中でのセンター試験ともいえる、「CBT」というテストがある。

 全国の医学部共通である

 で、この試験、どういう位置づけかというと、大学によって違うが、ほぼセンター試験と考えていい。大学の学期末試験などが二次試験である

 では、このCBTどのくらい勉強するのか?

 『CBT対策』http://www.gaksyu.com/cbt/

 を引用すると、

 『クエスチョンバンクは3,300問あるため、一日400~1,000問程度進めれば1ヶ月で2周することができる。その際は、前日の復習をしながら新たな範囲をこなしていくサイクルが効率が良いと思う。1,000問進めるのはかなりきついと思うが、前日の復習500問+新たな範囲500問ならばできないこともない。それでも10時間以上かかってしまうため、連日続けることはお勧めできない。』

  

 信じられるだろうか? 3300問を2周する、1日10時間以上。

 これが、センター試験対策よりキツイことは明らかだろう。

 そして、これに加えて学期末試験もあるわけだ。

  

 医学部勉強量は異常だというが、本当に異常である

 医学部勉強量に疑問を持つ人は、自分で少しこのクエスチョンバンクをやってみてほしい、異常な量だとわかるから

 (本当のこと言うと、ある程度基礎知識ある+暗記慣れ+暗記をずっと続ける基礎体力+自分性格にあった学習方法を身に着けている といった様々な要因で医学生はこなせるようになっているということがあるので普通の人が普通に勉強するのとでは効率に圧倒的な差がある)

  

 まじめにやれる奴なら普通にできるだろうけど、まじめにできない奴にはかなり地獄である。6年+卒後数年、地獄をみることになる。(ソースは俺

 止まったら死ぬというような感じ。決して無理ではないが、マラソン毎日毎日ひたすら続けるきつさがある。

 最初のころ、自分知能指数が高いから大丈夫だろうと思ってまったく勉強しなかった。がしかし、知能指数なんて関係ないのだ。無味乾燥修行をやりこなすやりこなせないというのはそういうのを超えたレベルの話で、「メンタル管理」「学習計画をこなす体力」「体調管理」「優先順位を考えて行動する」といったどっちかというとビジネススキル的なもの総合力だった。自分ひとりでは勉強できないので友達と一緒にやることで危険回避する(情弱マジで死ねる)。頭を使うより時間を使うことが重要なので集中力は捨ててニコニコでも見ながらやる。とか。

 そして、周りは本当にできる奴らばかりだ。センターで9割とれといわれたら学年の95%が取れるだろうくらい勉強してくる知的集団である。才能を圧倒的に凌駕する勉強量というのをこの眼で見て驚愕した。漫画ではよく聞く話だが、いざ自分の目の前で何度も何度もそれを見せられると本当にビックリする、ネタじゃなかったのかと。灘、開成、あたりの高校に居たのだが、彼らでもこれほど勉強などしていなかった。

  

※追記

 放置してたらいきなり伸びましたか

  

 医者としての自覚が~~とか、そういうもんだろ。と偉そうなことを言う人は、クエスチョンバンクを買って、やりとうしてみてくれw多分無理です。すぐに意味は分かると思います

 ちなみに、普通医者って、いわゆる専門書とか言われる厚い本を普通に読んで普通に理解するってのを、何十冊もずーっとやる。ってのをやってます。そのレベルですから、CBTは本当にセンターレベルって話です。

  

 ちなみに、勉強が大変というか、勉強必要だってことです。

 「医学知識は数年で数割のレベルで変わっていく、追いつくのは絶対無理。50代の医者<<<30代の医者 という最新知識、技術の差は覆らない。だから、衰えてしまうのをゆっくりにするには学び続けるしかない。そして学ぶ力は?試験勉強で身に着けるしかない」

 ということです。

 頭の良さや超絶技巧必要ものって、いらないんですよ、医学には。そういうのって使える人が少ないしその人が救える患者少ないし。そういうのを凌駕するくらいガンガン医学は整備されてます。残ったのはひたすら努力で身に付く知識や技術ばかりです。

  

 ある種の職業訓練です。医学部は暗記中心だからとか、他学部のほうがクリエイティブとかそういう話ではなく、単純に医学技術の最重要項目として医学には『勉強する技術必要』って話です。

  

 そして、勉強できるかどうか?ってのは、根性自覚とかでは決まらない、人智を超えている話です。「まったくマラソンしたことない人が100キロマラソンできますか?」というのに答えなど出せないようなものです。それをいかに続けられるように工夫できるか?ってのがつまり勉強をし続ける技術です。

  

 自分は、『ブラックジャックによろしく』で号泣するタイプではあるんですが、ああいうのは違うと思います。あの作品では「淡々患者治療する」ってのが情熱が無いとか言われてますけど、え?淡々治療するってのには、淡々技術や知識を身に着け続けて最良の医療を目指すってのも含まれているわけです。むしろあの漫画研修医主人公は「勉強しろよ」って思いますわ。唯一認められるのは腸閉塞の手術トレーニングしてたのくらいか。

 情熱どうこうでなく、患者のために100キロマラソンし続ける的な。そういう無味乾燥修行僧的なのが本物じゃねーかなってのは思う。もちろん患者さんに心から尽くすのはやんなきゃいけないんだけどさ。勉強おろそかにして患者中心もなにもねえじゃん。ニーズを理解するのは大切だけど。

 自分思想とか感情とかまともな感覚なんて荒廃するくらい学習し続ける、果てしなく無味乾燥に理性だけで動き続けるっていう、そういうのをないがしろにするようなあの漫画主人公の気持ちとかって違うなって思いますわ。

 「先生ウンコ食べろっていわれたら食べるんですか?」って主人公聞きますけど、「当たり前だろ、食うよ、自分感情とか感覚とか思考とかどうでもいいよ、それが最良の医療につながるなら何も考えず食うよ」レベル学習するって当たり前なんですよ。そこに情熱とか関係ないかと。

2013-10-24

ガッチャマンクラウズ正義の構想

http://d.hatena.ne.jp/Rootport/20131015/1381840117

 2013年9月でテレビアニメガッチャマンクラウズ』は終了したが、それに絡めて(上記URL)書かれたガッチャマンクラウズの描像に違和感を覚えたので、それをきっかけにして『ガッチャマンクラウズ』について私が考えたことを記しておきたい。尚、本稿は読者が『ガッチャマンクラウズ』を最後まで観ていることを前提に書かれている。

 さて、上述したブログの筆者(以下Rootport氏)の見解一言でまとめるなら、『ガッチャマンクラウズ』とは「社会秩序を守るタイプヒーローが、秩序の破壊と変化を受け入れる物語」ということになるだろう。だが私は、寧ろそうでなかったからこそ『ガッチャマンクラウズ』は面白かったのであり、現代日本ヒーロー像を書くことに成功したのではないかと考えている。つまり、『ガッチャマンクラウズ』に登場するヒーローたちは元々が「社会秩序を守るタイプヒーロー」ではないのではないかということだ。Gメンバーは一ノ瀬はじめが加入するまで確かに襲来する宇宙人から密かに地球を守っていたが、それは単にJ.Jの指揮下で仕事をこなしていただけであり、奉仕していたのは地球とは文字通次元の異った高度な秩序である社会秩序に「人間の理解すら及ばない高度な秩序」は含まないだろう。地球ガッチャマンたちがやらされていたのは全貌を見渡すことのできない「大きな」仕事の一部でしかない。それは結果として地球を守っていたのかもしれないが、積極的に「地球を守る」こととは明らかに違う。『ウルトラマン』が全宇宙的な秩序を守ると言いつつ地球準拠の正義に隷属しているのとは対称的だ。

 だが、はじめが加入したことで、ガッチャマンの内実は明らかにそれまでとは異ったものとなる。敵として認識されていたMESSは無害化され、「本来は手出ししない」はずのローカルな事件へ次々と関与していくこととなるのだ。その中でGALAX開発者:爾乃美家 類と出会いベルク・カッツェとも関わってゆくこととなる。はじめは何を変えたのか?ガッチャマンたちの「社会秩序を守る」という規範意識か?いや、違う。彼女が齎したのは、そもそも彼らが持っていなかった視座、即ちJ.Jが体現する高度な秩序から離れたローカルな秩序への眼差しである。はじめはそれまでのGメンバーの誰もが実は見ていなかった足元に、持ち前の強引さと直観で目を向けさせた。はじめの出現とベルク・カッツェの暗躍を通して初めて彼らはローカルな秩序と結びついたのである。端的に言って、『ガッチャマンクラウズ』は「社会秩序を守るタイプヒーローが、秩序の破壊と変化を受け入れる物語」ではない。変化を受け容れるのは神々の視座に安穏としていたヒーローたちの方で、ローカル社会秩序ネットはGALAXによって既に変化をはじめていた。自分たちの変化を受け容れたヒーローは、受け容れて初めてローカル社会の変化を知りその実感を得るのである自分が大したことないヤツだと思い知らされたからといって不貞腐れている場合ではない、自分能力に怯えてうつうつしてる場合ではないと気づき、彼らはようやく立ち上がった。

 はじめとベルク・カッツェは真逆の方向からそのことをGメンバーに知らしめる役目を負っていた。彼らはインターネットの正負両側面をそれぞれが体現していたのだ。はじめは世代職業を越えた人々と繋がりが生むポジティヴ連帯を、ベルク・カッツェは猜疑心加虐性無限に増幅させて破壊を生み続けるネガティヴ連帯象徴し、各々自らがその先頭に立つことで「流れ」を引き込もうとする。この両者は、決してバランスのとれた均衡の上で争っているのではない。はじめがネットツール:GALAXに依拠しながらもあくまで立川市内という極ローカル連帯を核にしている一方、ベルク・カッツェはネット上にありふれた不満と破壊衝動をほんの少しつついてやるだけで、姿を見せることなく、文字通り「どこからでも」破滅種子をばら撒くことができた。彼(彼女)が立川に拘ったのは、まさに憎むべきガッチャマンたちがそこを拠点としているからでしかない。この圧倒的に不利で不均衡に思える状況の中で、劇中唯一元来の意味ヒーロー活躍をしていたのがはじめだ。彼女は一切ブレることのない精神の有り様でローカルな視座から遊離していたガッチャマンたちの視線を「足下」に惹きつけ、ネットの向こう側に存在する人々と結びつけた。これに対し、ベルク・カッツェは爾乃美家 類の能力:クラウズを奪ってネット内で辛うじて留まっていた憎悪と欲望を直接現実世界へと送り込んだ。両者が別々の形でネット現実接続させ、物語クライマックスを迎える…

 正体を明かし、それまで触れることのなかった他者を知ったガッチャマンたちは、その時はじめてヒーローになった。はじめて守りたいものを思い浮かべ、傷つきながら戦い、己の無力さを痛感するヒーロー入り口に立ったのだ。それまでの彼らは、与えられた力で全貌の知れない「高度な秩序」に奉仕するだけの傀儡だったとも言えよう。だが、各々の意志翼を広げて立ち上がった彼らは、従うべき規範を越え、ローカルな秩序を守ることに全力を尽くす。しかし、立川防衛するという一見ローカルな戦いは、爾乃美家類によってGALAXを通したグローバルなゲームと直接接続された。そのことによって、ローカルグローバルな舞台となり、グローバルな力がローカルに及ぶ。暴走するクラウズとの戦闘に、Gメンバーゲーム参加者達は勝利する…皮肉にも、そしてある意味当たり前のことだが、これはベルク・カッツェが行ったことと表裏一体である。いや、同じことだと言ってもいいだろう。彼が先に仕掛けたのは、まさに類が提案したゲームであり、参加の動機付けけが異なっていたに過ぎない。だからこそはじめは「正義ってなんなんスかね~」と戦いの後で口遊む。彼女は理解しているのだ。理解しているからこそ、ベルク・カッツェとの対話を試みる。

 ネットだけでも、人智を越えた力だけでもダメなのだ。戦いを終え、ようやく彼らは入り口に立った。ゲーミフィケーション世界を救ったようでいて、実は違う。GALAXは、単体では無色透明なツールでしかない。そこに参加する者達がどのような動機を持っているのかによって、はじめにもカッツェにも成り得る。目指すべきは秩序を根底から覆す変革ではなく、既にある秩序の漸進的な「アップデートなのだ

蛇足

 『ガッチャマンクラウズ』は「ヒーローは最早必要なく、世界は我々の手に委ねられている」なんて呑気な話ではない。少し長く引用するが、Rootport氏によれば

 『ガッチャマンクラウズ』では、誰もがスーパーヒーローに準ずるような力を手にした。『キックアス』のように「ヒーローになれるわけがない」と笑い飛ばすのではなく、ほんとうにヒーローにしてしまう。これは現実世界メタファーと見なせるだろう。ネットが一般化して20年あまり私たちは実際に、英雄に準ずるような力を手に入れてしまった。

 世界を変えるのに、肩書きも立場もいらない。

 名も無き個人でも、世界に影響を与えられる。匿名のままでも、世界に向けて発信できる。

ということらしい…言いたいことが沢山ある。まず、Rootport氏が言及している映画版キック・アス』は「ヒーローになれるわけがない」と笑い飛ばしてなんかいない。力(スーパーパワーや金)のない者が現実ヒーローになろうとした時にどれだけの代償を払うのかを冷酷に示して見せている作品だ。勿論、コメディ的要素も色濃く入っているが、本質的には「力がなければ正義をなさなくても良いのか?」という問いに否を突きつけようとして、血塗れになる物語である。そして、コミック版の『キック・アス』は映画版を超え、ヒーローをある種の病気として扱い、その行き着く悲惨さと哀しさを描いてみせた。どちらもアメリカ特有のヴィジランテ文化立脚したヒーロー解体し尽くしても尚、何が残るのかを問うている…大いに話が逸れた。話を戻すが、私達は一般化したネットによって「英雄に準じるような力」を手に入れてなんかいない。決していない。手に入れているのなら、ガッチャマンたちは必要なかっただろう。お役目御免で、そもそも出てこない。人々は手に入れた「英雄に準じるような力」でさっさとカッツェを撃退してしまえばよかったのだ。だが、それはできなかった。代わりに見せつけられたのは、匿名のままでは、名も無き個人のままではダメだということ。匿名でない誰かがインセンティブを与え、ゲーム動機付けを行わなければ動かない現実だ。匿名の誰かによって動かされたゲーム暴走し、手が付けられなくなる様だ。これは何も特別なことがわかったわけではない。ただ、ネットというツールの「当たり前」を見せられただけなのだから。『ガッチャマンクラウズ』は、寧ろ我々が「英雄に準じるような力」を手に入れたわけではないと戒めるような作品だと思っていたのだが…Rootport氏は「世界アップデートする」をただのキャッチーな標語かなにかとして受け取ったのだろうか?

蛇足蛇足 

 Rootport氏は細かい点(その実重要な)について気にしないのか気づかないのか、とにかくざっくりした区分けで語る傾向がある。ヒーローの系譜を何故か『マトリックスから始め、『X-MEN』『スパイダーマン』『V for Vendetta』『まおゆう』『キック・アス』『ダークナイト』『タイガーバニー』『サイコパス』を辿っていく。日本なの?アメリカなの?どっちなんだ。アメコミの方は何故映画ばかりで原作に言及しないのか。日本アニメに触れるなら、何故大元の『科学忍者隊ガッチャマン』含めたヒーローアニメの系譜に触れないのか。ライダー戦隊には何故触れないのか。その辺りが謎である特にローカルヒーローモノに触れないのは、『ガッチャマンクラウズ』が描いてみせた「現代日本ヒーロー像」がそれまでのものとどのように違うのかを明らかにできない点で致命的だ。寧ろ『ガッチャマンクラウズ』が彼の言うような作品なのだとしたら、『東のエデン』にこそ触れて比較すべきではないのか?…このRootport氏が諸作品を引用した部分について言いたいことはまだまだ山ほどあるのだが、虚しくなってきたのでこの辺にしておく。

2013-03-25

ay11

ガンジー Add Starmiimii219

「たとえあなたが少数派であろうとも、真実真実なのです」この何年か後にガンジー暗殺された。

by ay11 2013/01/26 6:20:56 from web 返信

ay11

ひとりごと Add Starmiimii219

お前次同じことしたら…。

by ay11 2013/01/26 6:13:23 from web 返信

ay11

ひとりごと Add Starmiimii219miimii219

他人が納得する文章をしたためてなにになるわけ?

by ay11 2013/01/26 6:12:37 from web 返信

ay11

ひとりごと Add Star

ダヴィンチ実存主義と思うが。

by ay11 2013/01/26 5:23:16 from web 返信

ay11

実存主義 Add Star

しばしば実存主義未来主義と混同しますが、実存はあるもの未来主義は実現できる。つまり違う。

by ay11 2013/01/26 5:19:45 from web 返信

ay11

未来派 Add Star

あぁ…未来に提示するためにあるんだなって。

by ay11 2013/01/26 5:16:30 from web 返信

ay11

ひとりごと Add Starmiimii219

分類できないもの人間。それにしても最悪だよな?自分は他人にちょっかいかけておとがめなし。

by ay11 2013/01/26 3:49:52 from web 返信

ay11

ひとりごと Add Star

はっきり言って人智なんだ。努力は。努力はすててもいい。決まった生き方を選ぶ。人間がモノを考えないように。

by ay11 2013/01/25 18:33:35 from web 返信

ay11

ひとりごと Add Star

運命は信じたい。

by ay11 2013/01/25 18:23:52 from web 返信

ay11

ミケランジェロ Add Star

ただの努力家。しか姿勢は評価できる。唯一ルネサンス期にダヴィンチとならんだ人物。人智の範囲ではあるが…。

by ay11 2013/01/25 18:22:03 from web 返信

ay11

ひとりごと Add Star

あ~なんかラッセンラッセンなんだなって…。しかし海いいな?食物連鎖があっても競争はない。

by ay11 2013/01/25 18:09:23 from web 返信

ay11

ひとりごと Add Star

ヒロイズムいらない。英雄になる気ないし。

by ay11 2013/01/25 18:01:31 from web 返信

ay11

ひとりごと Add Star

考えなくていいことあるよな?時代や時空。根本は近くにあるし。自然にふれるとはよく言ったもの

by ay11 2013/01/25 17:34:16 from web 返信

ay11

ダヴィンチ Add Star

近しいです。

by ay11 2013/01/25 17:24:17 from web 返信

ay11

国外追放 Add Star

本当です。日本でもある。

by ay11 2013/01/25 17:23:02 from web 返信

ay11

NHK Add Star

カスです。

by ay11 2013/01/25 17:21:37 from web 返信

ay11

フジテレビ Add Star

アホです。製作社員も。雇う金がないんだろう。

by ay11 2013/01/25 17:20:52 from web 返信

ay11

映画 Add Star

金かかるな。スポンサーもいるだろうし…。

by ay11 2013/01/25 17:05:29 from web 返信

ay11

リュック・ベッソン Add Star

この人は何年下積みしたんだろう?すごい。レベルが違いすぎる。

by ay11 2013/01/25 16:58:28 from web 返信

ay11

ひとりごと Add Staray11

派遣切り派遣を切ってるんだよね?家庭の事情とか関係ないよね?だから日本冷戦中とか言われる。十分な環境をつくれない。アインシュタインが一つの国は戦争の準備と防止を同時にできないとか言ってるが。ペストになるよな?日本人。放っておいたら。

by ay11 2013/01/25 16:53:04 from web 返信

ay11

名前の分からないもの Add Star

返信先ジャックウィリー

日本語話せ。ゴムを調べろ。

by ay11 2013/01/23 11:52:43 from web 返信

2013-02-06

http://anond.hatelabo.jp/20130205153620

鷲巣麻雀も決勝二人麻雀も導入目的は明らか。「普通麻雀より、相手の思惑を推理できる要素を増やす」よ。

福本は「相手の策を読み、裏をかきあっての心理戦」が描きたい(読者もそれが読みたい)が、

麻雀というゲームそのままでやるのは無理があるので特殊ルールにしてるのだ。

 

そもそも、麻雀漫画で闘牌がメインになっているものギャグとか実録物とか「麻雀をめぐる人間模様」がメインな話とかはとりあえずここでは置いておく)は、

麻雀というゲーム」か「麻雀を打つ人間」のどっちかで嘘をついてる。麻雀運ゲー過ぎる(少なくとも短期戦では)からだ。

前者はどういうことかというと、「麻雀はこうこうすれば捨て牌から相手の思惑を読みきることができるゲームだ」とか

麻雀はこうこうすれば運気の流れを自分のものにすることができるゲームだ」とかいう嘘(麻雀運ゲーじゃないよ、という嘘)。

一般的に麻雀漫画というのはこういうのを想像されがちだと思うが、現実にはこれは無理。

手配読みとか、100%嘘ではないが、あんなピンズドで読むのは条件が相当限られないと無理。

「嘘じゃねえ!流れはあるんだ!」と言いたい人もいるとは思うが、一応、現代麻雀戦術では、流れというものはないし、

相手の手牌を読むのは条件が相当限られないと無理ということになってるのだ。納得できなくてもそういうことにしておいてくれ。

バトルマンガで例えて言うなら「拳銃持った相手と素手で戦う時、銃口の向きを確認して高速で動けば全部避けられる」みたいなもんで、

「一見理屈は通ってるけど、現実にはそれ無理やろ」という話やね。

もちろん「嘘だからまらない」なんてことはなくて、嘘の付き方がそれっぽければ面白いわけだ。

麻雀漫画でこの手のだと、土井(旧ペンネーム山根)泰明原作(『勝負師の条件』『幻に賭けろ』など)が特に素晴らしいね

福本の特殊麻雀はこの変形で、「相手の待ち牌を読まなきゃ勝てない」とか「相手の手牌が部分的に見える」みたいなルールプラスすることで、

「それっぽい理屈が成立しそう度」を上げてるわけだ

(まあ鷲巣麻雀とか二人麻雀は実際にやったことないので、もしかしたら「成立しそう」ではなくマジで理屈が成立してるのかもしれないが)。

こんな七面倒臭いことせず、限定ジャンケンみたいに新しいものを作ったほうが無理ないけど、近麻でそれできなかったろうし。

 

ちなみに後者は、「雀士には人智を超えたすごい奴が居る」という嘘(人間は運をねじふせられるよ、という嘘)。

この代表例は来賀友志原作(『あぶれもん』『ザ・ライブ』『てっぺん』『天牌』など)。

『ザ・ライブ』で、神業的な打ち筋を見せた主人公がなぜそう打ったのかと問われて

「明確な説明は僕にもできません」とはっきり答えたり、

てっぺん』で「何を切るかではない何を引くかだ それが超一流の条件!」ってアオリがあったのが典型的だが、

「すごい奴ってのは理屈ではなく当たり牌を切らない」「すごい奴ってのは理屈ではなくツモる」って具合なんね。

さっきの例えで言えば、「すごい奴ってのは堂々としてるだけで拳銃の弾が当たらない」みたいな感じ。

理屈にはなってないが、ある意味リアリティはあるとも言える(そういう「持ってる」って言いたくなる人間って居るじゃん)。

哭きの竜』なんかも土井作品(クレジット無いけどあれ土井)にしては珍しくこっちだし、

むこうぶち』も、理屈は出てくるけど本質的にはこっち(傀が負けるところ想像つかねー)だと思う。

で、上の二つが分かりやすいけど、「強い! 絶対に強い!」という黄金バットサムシングを読者に納得させることが出来るキャラクター造形であれば面白くなるわけだ。

なお、咲とか兎、片山まさゆきの『ミリオンシャンテンさだめだ!!』とか『まんちょくスナイパーとどめ』(どっちも片山作品の中では知名度低いが超名作)とかはこの変形で、

人間力的な漠然としたものではなく限定的な異能にしてるわけやね。

ちなみに、「咲は麻雀漫画としてはダメ」とか言うのを見ると「それはどうか」と思うのは、

麻雀が分かってる人間なら、咲が『牌にドラえもんが描いてあったって成立する』ようなもんじゃなく、

ちゃんと牌譜作ってあって、ネト麻とかとつげき東北以降の戦術ベースにしてることは見て分かるだろ」って気持ちが半分と、

能力麻雀だってdisるの、片山の名作群をdisるってことだから承服しかねる」ってのが半分。

 

イカサマものはまあまた別論にしといてくれ。哲也とかのヒット作があるので勘違いされやすいけど、80年代以降の麻雀漫画シーンでは一貫して傍流(『(旧)バード』『凌ぎの哲』『ショーイチ』だけ読んどけばいいよ)だし。

2012-06-25

温故知新とは思いたくない話

自分がやっている弓道は、人類が生み出した武器の原型の一つである弓を扱うこともあり、大昔からの積み重ねが生きている・・・と思っていた。

ところが調べてみると、いわゆる現代弓道は、それまでの諸流派のごった煮に過ぎないことを知った。


大雑把に言えば、日本で最も普及している正面の射法は、行射は本多流体配小笠原流が概ねベースになっているらしい。

勿論弓懸のチョイスや取り矢の有無、身のこなしを「初心者のうちはそれでも構わない」とされる容易なやり方で良しとしているといった、細かい違いはあるみたいだけど。


しか本多流日置流尾州竹林派の射法をベースに、明治年間に生み出されたもの。したがって、現代に至るまで最低でも数百年の人智が生きている他の流派に比べて、本当に体育学的・実用見地から理に適っているのか、素人考えながら非常に気になるところだ。

また体配小笠原男子作法を、女子にも適用する形になっていると聞く。そりゃ女の弓引きなんて昔は皆無だったから、女向けの弓の作法がそもそも存在しなかったという意味では仕方ないんだろうけど、作法としては不自然な気がする。


そういう事情を汲むに、とても「礼射と武射の融合」なんて高尚なものではなく、むしろいいとこ取りをしたつもりが中途半端意味不明な結果になっている、まさしくごった煮と形容せざるを得ないというか。

これは弓矢が昔ながらの竹製じゃないから味わいに欠けるとか、斜面の射法をやたら珍しがるとか以上に、根本的な問題ではないかと思う。


そして皆、意外にそのことを知らず「昔から伝統・・・」などと言っている。

本当にそれでいいのだろうか・・・

2012-04-18

http://anond.hatelabo.jp/20120418230729

350億円でもクビを縦に振らないとか人智を越えた強突張りだねえ

10兆円くらい提示しないと無理なんだろうね

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