はてなキーワード: パワハラとは
安倍晋三暗殺事件をきっかけに統一教会(世界平和統一家庭連合)に注目が集まっているが、保守系(反リベラル、反ポリコレ、反中韓)に分類できる文化人のなかで、はっきりと統一教会批判を行なっているのが旧2ちゃんねる(5ちゃんねる)関係者のひろゆきと山本一郎なのは興味深い
一説によれば、旧2ちゃんねるは一時期、統一教会に乗っ取られかけたという噂がある。この点を抜きにしても、基本的に1970年代生まれ以下の世代は、保守や愛国を唱えていても頭の中は近代合理主義者で、土着的・伝統的な家族観とか道徳観はちっとも好きではないのだ。
東浩紀(1971年生)は統一教会を「カルトかどうか判断できないだけ」と述べてひんしゅくを買った。ただ、これは統一教会の擁護というより、スターリニズムや連合赤軍のような原理主義的なドグマに陥ることを恐れるあまり、「二項対立に囚われないように判断保留する」というポストモダンの思考を原理主義的なドグマにしてしまった模様。
一方、三浦璃麗(1980年生)は、何やら統一教会と利害関係があるらしい。
https://twitter.com/333_hill/status/1300961546693083137?s=12
http://japanhascomet.cocolog-nifty.com/blog/2020/09/post-e4d640.html
東や三浦はさておいても、高度経済成長期以降に育ち、冷戦体制崩壊後に成人した団塊ジュニア以降の世代は、基本的に統一教会的なものが嫌いだろう。俺もな。
今では忘れ去られているが、2000~2006年ごろの2ちゃんねるでは、韓国、中国、民主党だけでなく、森喜朗に代表される体育会系、マッチョ価値観の自民党重鎮も不人気で、平然と皇室をコケにする書き込みだって多数あった。非合理的な宗教団体は嫌われ、前近代的な家制度の束縛とかブラック企業的な上下関係を肯定する主張は評判が悪かった。
かつて2ちゃんねるに大量にいたネトウヨことネット右翼は、なぜ韓国人や中国人を嫌悪したのか? 戦前戦中の日本に対する非難が自分個人への非難のように思えた点に加えて、韓国人や中国人の振る舞い(声が大きい、言動が粗暴、上下関係がきびしい等)に「前近代」の臭いを感じ取っていたからではないか。
ネットでは保守愛国を主張して戦前日本を賛美ながら、平然と「中国、韓国は儒教国家だからダメだ」と言う人間が少なくない。お笑い草である。戦前までの日本だって支配階級の基本思想は儒教だった。幕末に尊王攘夷運動が起きたのは江戸時代に朱子学が普及して、「幕府が天皇から権力を奪っているのは忠義に反する」という考え方が広まった結果だ。明治維新後も、明治天皇の教育係の元田永孚は西洋嫌いの儒学者で、名君の教科書として唐代の『貞観政要』を読ませたし、教育勅語は儒教的価値観の産物だ。
だが、どうやら団塊ジュニア世代以下のネトウヨの頭の中にある理想の日本は、最初から西洋的価値観の近代国家だったらしい。彼らには古代中世の日本の伝統的価値観を本気で学ぶ気などなく、和歌や能楽や歌舞伎や浄瑠璃より、漫画やアニメやゲームが好きなのが本音だろう。そういえば橋下徹も、平然と文楽の予算を削減しようとしてたな。
「保守・愛国を唱えながら近代合理主義で何が悪いの?」と言う人もいるだろう。世の中には、何も悪いことをしてない人間にも病や死や不幸が降りかかったり、不合理がいくらでもある。何でも理性で解決できると思い、現代人から見れば非合理な考え方に従っていた古代や中世の人間を愚かとしか見なさないのは、思い上がりだ。そうして過去の時代の人々という他者への想像力を持とうとせず、過去の世代が積み重ねてきた道徳観への敬意がなくなると、経済的な損得ばかりが最優先の価値観になる。「皇室の維持は国費の無駄だから天皇制反対」と言い出す者も出てくるかもしれない。
そうなれば、単に力(財力、権力、情報発信力)がある奴が勝ちだ。日本でもドナルド・トランプのような男が国家元首になるかもしれない、トランプならまだ人物的に面白味があるが、竹中平蔵やワタミが大統領になったら本当にイヤだぞ。
統一教会は2015年に世界平和統一家庭連合と改名した。団体名に「家庭」とつくのがポイントだ。自民党による憲法改正案で、第24条に加筆された「家族は、互いに助け合わなければならない」という一文は、統一教会の主張と同じだといわれる。また、「こども庁」の名称が「こども家庭庁」となったのは統一教会の影響という説もある。
https://twitter.com/izumi_akashi/status/1548537253018103808
つまり、統一教会はとにかく家族の重視を唱える。彼らの教義は、俗流キリスト教と、家父長の権威や先祖供養を重んじる東アジア的な儒教道徳の混合物で、教祖の故・文鮮明をお父様、その妻の韓鶴子をお母様と呼ぶ。このような教団組織という大きな家族への絶対服従を唱える思想が、皮肉にも結果的に山上徹也個人の家庭を破壊した。
『週刊文春』7月21日号では、橘玲が「リベラル化した社会に敗れた男の”絶望”が暴発した」と題して、安倍晋三を暗殺した山上徹也のことを論じている。現代は家制度の束縛などが機能しなくなった「自由」な社会だが、それゆえに自力で自己実現できなかった孤立した人間が増えているといった内容で、その極端な暴発例に2008年の秋葉原通り魔事件や、2019年の京アニ放火事件を挙げている。指摘自体はおおむね間違ってないだろうが、なぜそのような世の中になったかの説明が抜けている。
リベラル思想以前に、社会構造の変化がある。そもそも、伝統的な家族観、家父長の権威とか、早く結婚して何人も子供を産むのが良いことだという考え方は、近代以前の農村社会が前提だ。農家は個人経営で、家父長のもとで妻子が一緒に農作業し、働き手として子供の数は多い方が都合よいから多産が奨励された。そして、農地という生産手段を継承するために血統の存続が重視され、先祖からの連続性が意識されていた。漁村も商家も同様に家族経営が基本で、船や商材を継承するため家制度が重視された。
ところが、産業革命期以降になると、農村の余剰人口は都市に流れて工場労働者となり、先祖代々の土地と家から離れて生きるようになる。労働者はみんな家庭外で雇用され、子供は家族から切り離され、父親も母親も子供も(昔は各国で児童労働が横行していた)ばらばらに働くようになり、自宅の窯でパンを焼いたり時間をかけて食事することもできなくなった(『世界の歴史 第25巻』(中央公論社)270p)
統一教会のような反共主義者は、「左翼リベラル思想が伝統的な家族観を破壊した」と主張するが、この解釈は因果関係が逆転している。共産主義は、工業が発達して伝統的な家庭を成立させる農村社会から切り離された都市労働者が世にあふれた結果から生まれた思想だ。マルクスより先に、経済的利益のために伝統的共同体を解体して蒸気機関と工場労働者を世に広めた資本家がいたのである。
逆に、農村社会に戻れば前近代的な家父長制は復活するだろう。だったら、商工業を全否定して国民を農村に強制移住させたポル・ポトのカンボジアこそが理想かよ?
先進国では工業化社会がさらに進むと、世の中は第三次産業中心になり、庶民はみんな勤め人の都市生活者となっていった。これは産業社会の要請によるものだ。以前も書いたが、(https://gaikichi.hatenablog.com/entry/20170522/p1)高度経済成長期に中卒や高卒で都市の工場や商店に就職していった女性は、左翼リベラル思想に影響されて社会進出し勤め人は世襲の家業ではないから、妻子が家に従属する必要はない。リベラル思想に関係なく、前近代的な家制度の束縛が弱くなるのも当然だ。生まれた時からこういう環境に慣れきって育った世代が、家父長の強い権威やきびしい上下関係を嫌うのは必然だろう。
こう書いている自分も、会社員の家の次男坊で、実家に従属する義理はないから上京以来ろくに親元に帰らない。長男の長男だった兄まで、ついに生活のためやむなく父の墓がある土地を離れてしまった。先祖代々の土地や家業を持ってるのではないのだから仕方ない。
統一教会のような保守派は、家族が大事だと主張するけれど、口先の精神論ばかりで上記のような社会構造の問題にまったく踏み込めていない。
困ったことに、農村社会や家制度のような伝統的な中間共同体が力を失うと、その代替物として、一足飛びなナショナリズムかカルト的団体に帰属意識を求める者が増える。
エマニュエル・トッドは、『シャルリとは誰か? 人種差別と没落する西欧』(文春新書)で、宗教的伝統が衰退すると代わりに排外的ナショナリズムが台頭すると述べていた。何でも、ドイツでは19世紀末から1930年代に昔ながらの教会を中心とした農村共同体が弱体化した代わりに反ユダヤ主義が台頭し、ナチス支持につながったという。
統一教会をめぐる報道で、山上徹也の母のように財産すべて差し出す信者の気持ちが理解できないという人は多い。しかしながら、外部から見ればいかに狂信的な団体でも、内部の信者には何らかの「魅力」がある。
先に述べたように、世の中にはいくらでも非合理的なことがある。それまで合理主義者だった人間が、病や死のような自分の力に直面していきなりオカルトや宗教に走った例は少なくない。帝国海軍の名参謀だった秋山真之や、アップルのスティーブ・ジョブスのような英才も、最期は近代医学に頼らず怪しげな方法に頼って病を治そうとして、かえって早死にした。こういう極端な思考に走らないためにも、世の中は理性で解決できないこともあると頭の片隅に置いて、非合理的なものへの免疫をつけておくこと必要だ。
そこまで追い詰められなくても、「大きなものにつながりたい願望」を抱く人間は多い。人には何かに帰属することによって得られる充実感というものがある。これは左派陣営の団体も同じだ。
こう書けば左翼リベラル派は激怒するだろうが、世の中には男尊女卑や家父長制に身をゆだねることに安心感を抱く者もいる(俺自身は嫌いだが)。いかに社会制度が近代化しても、誰もが自立した個人になれるわけではないのだ。
あの気持ち悪い集団結婚式にしても、なまじ自由恋愛の時代になると結局誰も選べずに結婚相手が決まらず、いっそ超越的な立場の第三者に一方的に決めてもらう方が安心、という人間も世の中には一定数いるのかもしれない。
これも以前に述べたが、カルト宗教などが行う洗脳とは、命令に従わせることではなく、被洗脳者が自発的に洗脳する側に忖度するように”誘導”することである(https://gaikichi.hatenablog.com/entry/20121101/p1)。
その手段として「場の空気」の力がものを言う。場の空気を使った洗脳はじつに簡単だ。こんな話がある、皆さんはカップ入りアイスクリームを食べるとき、どこから食べるだろうか? たいてい最初はカップの縁にスプーンを入れるだろう。あるとき数人の集団で、1人を除いた全員があらかじめ示し合わせて、みんなカップの真ん中にスプーンを入れて食べ、残った一人を「端っこから食べるなんてセコいなあ」と言ってからかった。仲間外れにされた1人は本気で、自分の方が異常で、アイスクリームは真ん中から食べるのが世間の常識だと錯覚したという。
これと同じように、閉鎖的な教団内では容易に「みんな多額の献金をしてるんだから、そうしない自分の方がおかしい」と思い込むように仕向けられる。宗教団体も、ネットワークビジネスも、会員制オンラインサロン商法も同じだ。
信者は教祖や教団幹部個人の命令に従っているというより、信者集団の「場の空気」によって献金しなければならない気になっている。周囲にいる人間が競い合って同じことをしているのに、自分だけそれをやらないと自分の方が変だと思い込んでしまうのだ。そりゃ「空気を読む」ことが至上の美徳という価値観で育った日本人なら従ってしまうだろう。
2022年現在の状況では、まだまだ自民党に対する統一教会の影響力は強そうだ。しかし、このまま上記に述べたような近代の社会構造が続くのであれば、20~50年ぐらいの長期スパンで見た場合、統一教会的なるもの――家父長制バンザイのカルト宗教は徐々に人気を失っていくだろうと考えられる。
実際、100~200年ぐらいの視野で見れば、左翼リベラル陣営はずっと勝利し続けている。世の中は、近代的な商工業が発達すればするほど、上下関係は緩くなり、男女は平等に近づき、セクハラやパワハラは嫌われ、体罰や理不尽な校則は廃止される方向に進んできた。
ただし、それは必ずしも自由平等人権といったリベラルイデオロギーの魅力による勝利ではない。単に文明の発展によって、人間が図々しくなっただけだ。
近代以前はあらゆる労働が筋力中心だったから、無条件に成人男性が一番偉くて、女子供は成人男性に従うものだった。しかし、そのような価値観は、スマホやコンビニやAIやドローンの普及と引き換えに後退しつつある。あるいは、汗臭い筋肉労働を人件費の安い海外にアウトソーシングしたり国内の視野から消し去っただけだ。外国人技能実習生の世界では、依然として日本人相手なら許されないパワハラが横行している。
いかに自由平等人権といったリベラルイデオロギーの字面が美しくても、思想だけで世の中は動かない。民主主義は古代ギリシャにもあったが、あらゆる労働が人力の時代だったから、ついぞ奴隷制は廃止されなかった。19世紀に入るとイギリスもアメリカも奴隷制を廃止したが、それはリベラルな人道主義者の主張より、奴隷を使うプランテーション農場と比較して工場経営のほうが儲かると判断されるようになった影響が大きい。
統一教会による霊感商法、巨額の献金要求は許しがたい犯罪行為で、自分もこういうカルト宗教は大嫌いだ。ただ、統一教会的なものを嫌悪する自分たちは、たまたま土着的な農村社会が崩壊して家制度の束縛が機能しなくなった時代に生まれ育ったから、統一教会的な家父長制価値観への Permalink | 記事への反応(1) | 23:06
むしろ看護師なんて一定のパワハラ経験を訓練として受けるべきだよ。
死にかけで価値観の古い老人にハラスメントひどいこと言われて当たり前の現場に投入されるのに学校卒業しただけのお子様じゃまずい
選挙期間で元首相の国会議員が演説中に銃撃によって殺されているのにテロじゃないわけないだろ…。こんなくだらない言葉遊びには付き合いたくもないんだが、某掲示板やSNSで一般ピープルが言ってるならまだしも一部ジャーナリストやインフルエンサーまで言ってる人がいる事にびっくりして増田に書くことを決めた。
明らかに犯人は安倍晋三を殺すことによって社会にメッセージを送ることを目的とした犯罪で、国内外のメディアもはっきりとテロといっており世界のどこで起きてもテロ以外何者でもないんだが。
逆に選挙期間で元首相の国会議員が演説中に銃撃によって殺されているのにテロではないとした事件があるのなら募集してますので教えてくださいねー。ま、ないだろうけど(笑)
「動機に政治的意図が窺えない」という点ではジョン・レノン殺害事件に近いと思われますが、あれを「テロ」に含めるというなら、増田の言い分にも一理あるとは思います。言い方はともかく
このコメントについては2つ間違いがあって
犯人の動機に政治的意図が窺えないとは思えない、まだ裁判も始まっていないので動機の全容は明らかではないが、犯人が犯行前に書き残した手紙には安倍晋三についてこう書かれている
苦々しくは思っていましたが、本来の敵ではない
とあるように犯人自身も安倍晋三本人が本来の敵ではない事を認めている。書かれている内容からして安倍晋三を殺害することで反統一教会のメッセージを送り、社会を変えようとしたのは明らか。政治的な動機としては十分。
まずジョンレノンは元首相の国会議員ではないし演説中に銃撃されたわけでもない、全く根本的に異なる事件で比較にならない。被害者と加害者の属性や関係性によって事件の呼ばれ方が変わるのは当然。
例えジョンレノン殺害事件がテロだと言われるにしても、安倍暗殺事件がテロかどうかには全く関係ない。
えーっと結局は僕が最初に求めた「選挙期間で元首相の国会議員が演説中に銃撃によって殺されているのにテロではないとした事件」でもないんでね…皆さん懲りずに探してきてくださいね^ ^
ブクマが少し伸びてたのでいくつかコメントにお答え致しまーす。
日本国政府は「テロ」を定義してません。おそらく今後もしないでしょう。今回の事件も公式にテロとは言ってないですよね。何故定義しないかはその方が都合がいいからです。
これはデマ、安倍政権時代に国会で政府側はテロの定義について過去に答弁してますね。
https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a193125.htm
https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b193125.htm
また、ここで問うてるのは一般的な意義としてのテロに当てはまるかであって法令的な意義や日本政府の認定は関係ないとは言い過ぎかもしれないですが、主題ではありません。何故なら影響力のあるメディアやジャーナリストがテロではないと言ってる事を問題視しているからです。どちらにせよ、どの政党も民主主義への挑戦と発表しているのでほぼテロと同義だと僕は考えてますが。
テロルだとしたらそれは「元議員を殺した」からじゃなくて、統一教会と社会の結びつきに意義を申し立てるという、「政治的な意味」でだな。安倍を殺したからってだけではテロではない。
今回の事件は"統一教会と社会の結びつきに意義を申し立てる"のは同意ですが、事件は相手の立場や関係性で変わってきます。
例えば家族に暴力を振るえばDVですし、上司が部下に暴力を振るえばパワハラ、政治活動中の政治家に暴力を振るえばそれはテロです。
実際に福山哲郎議員が今年の5月、政治活動中に暴行された際にも所属している立憲民主党が「暴力によって政治的表現の自由を踏みにじるあらゆる行為に対し断固抗議する」と強く非難を発表していました。この際に犯人の動機の種類は特に問題視されてませんでしたね。
https://www.fnn.jp/articles/-/355079?display=full
それを含めると安倍晋三暗殺事件は政治活動中の元総理の国家議員が政治活動中に殺されたこと、犯人が強く社会にメッセージを送るのが目的だったこと、2つの理由でテロ以外何者でもないです。
ケネディ暗殺事件はテロです。Google検索すれば幾らでも同事件をテロだとしている記事はありますし、政治活動中の大統領を殺すのはテロリズムになります。
もうだいたい論破できたかなw、テロではないって事を改革の免罪符にしたかったんだろうけど、もうこれテロ以外何者でもないだろ(笑)。
僕はそういう人達は現状日本社会がテロで変わってしまう・テロでしか変わらないのかという問題点・本当に改革しなければならない事も考えてほしいですねー。それでも反論あるならお待ちしてますー。(^^)v
最初に記事を書いて2.3日経ってるからもう伸びんだろと油断していたら少しブコメが伸びてたのでいくつか返信します。ここまで記事が長くなると読んでくれる人はいなくなし、スターもついてないあんまり支持されてないコメントに返信してもな…とも思いましたが、せっかく書いてくれたんでね。
ググったらテロって書いてるからテロって言われてもなあ。もちろん日常語のレベルでは何と言おうと別にいいんだけど、政治学的な定義の話をしたいんじゃないの?
特に政治学的な定義の話ではなく一般的な言葉の認識をしています。ケネディ暗殺事件をググれカスで処理したのはもう何度もテロの定義について話してきたのでさすがに読む方もわかるだろと省略しましたが、これは僕の怠惰でしたね。
そもそもの記事を書いた理由として一部ジャーナリストやインフルエンサーが言ってる安倍晋三暗殺事件をテロではないと言うのに違和感を感じたからです。明らかにテロであるものをテロではないと言うのは、鹿を指して馬というような、戦争ではなくて軍事作戦と言い換えるようなことと、同種の欺瞞でしかないです。
改めて書きますが、ケネディ暗殺事件政治家が政治活動中に暗殺されてますし、明らかにテロになります。
さらに犯人の動機については全容は明らかになっていませんが、少なからず残っている供述から社会から隔絶していた自らの生活の不満をケネディに暗殺する事に向けたと推察されます、これらは最近欧米でも言われている社会的に孤立し窮乏している人間によるローンウルフ型テロの典型です。
また、ケネディ暗殺事件はAssassinationと呼称され、Assassinationはテロの一文類になります。
「暗殺(あんさつ、英語: Assassination)とは、おもに政治的・思想的動機に基づき要人を非合法に殺害することであり[1]、テロリズム行為の一形態に分類される[2]」
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/暗殺
明らかに安倍晋三暗殺事件はテロで、この議論の空虚さを感じてますが、この事件をテロではないとしようとし、その考えがこの社会を覆う事に危機感を抱き、草の根レベルの運動にはなるがこの記事を書きました。
どう都合がいいのでしょうか?政治家が銃で殺されてるのに、テロではないとした方が、体制側の奈良県警の責任逃れを強く感じます。
この事件をテロとすることで、統一教会に対する批判をテロの追認とおき批判を封じたいという思惑が当初ウヨ側にあったんだよね。今は誰もそんなの気にせずガンガン叩いてるから、もはやどっちでも良い。
どっちでもいいなら、何故これだけ反論が寄せらられたのでしょうか?貴方の物言いは正直、"効いてて草"としか感じないです。
論点が見えない。「政治家が演説中に殺されたら即テロと断定」との命題であれば、私の回答は偽。もし愛人との痴情のもつれで銃撃されたらテロではなかろう。山上容疑者の銃撃がテロなのか怨恨なのかはまだ不明
論点は安倍暗殺事件がテロかテロでないかです。ここまで書いてきてそこがわからない人がいる事に脱力してます…
山上徹也は安倍晋三の愛人ではありませんし、山上-安倍間には痴情のもつれはありません。
何度でも書きますが、事件は相手の立場や関係性で変わってきます。
例えば家族に暴力を振るえばDVですし、上司が部下に暴力を振るえばパワハラ、政治活動中の政治家に暴力を振るえばそれはテロです。
テロだと思いたい本当の理由は「テロの被害者が無垢」という考え方にありそうだな。たとえテロであっても自民と統一教会の結びつきは糾弾されるべき性質のもの。
テロかテロでないかのに被害者が無垢であるかそうでないかは全く関係ありません。
改革するなとは言いませんが、テロによって変わってしまう日本社会に問題意識は持ってほしい。
政治と宗教の癒着を改善する事はこの問題の表層的な事でしかなく、今語られていることは本質的な議論にはなってません。
氷河期世代等々の失職し生活が窮乏している人達への就労や学業支援の在り方やセーフティネット、孤立している人達への受け皿になるコミュニティ等々、他にも議論されるべき課題はあり、本質的な改革や整備がされないままだと、山上徹也のような頭のイカレたテロリストはこの社会に内在し続けます。
もう、反論さすがにないでしょ。記事作成から2ー3日経ってるし、ここまで長くなれば読む人はいないだろうし。ここまで書いてまだ反論あるなら私は一向に構わん!ですがね、ご意見お待ちしてますー。
どうして他人が私にした仕打ちを、私は他人にしてはいけないのか、ということについて、自分なりに納得したいと考えています。参考になる哲学・倫理学の分野や書籍はありますか?
私は30代の会社員です。 職場で短気な上司に当たっては、「態度が気に入らない」「失言をした」などの理由でみんなの前で怒鳴られたり、ゴミ箱を蹴られたり、ライングループで叱責されたりしてきました。冷静に考えてパワハラではないかと思いますし、その上司らの情緒がおかしかったと思いますが、「お前が悪いから怒鳴られても仕方ない、お前を変えるためだ」と正当化され、そのたびに何とか自分を納得させてきました。
さてそんな私も中間管理職になり部下を持つようになりました。部下のほとんどは、私に言わせれば、かつての私と同様に、態度が悪く、失言も多いです。かつての私だったら怒鳴られていたと思います。でも私はなんとなく、怒鳴らないようにしています。
しかし時々、ものすごく苦しいです。どうして自分が他人に怒鳴られたり威圧されたりすることは正当化され、納得しなければならなかったのに、私は他人が悪い場合にも他人を怒鳴ったり威圧したりしてはいけないのでしょうか。
「なんとなく」怒鳴らないようにしていますが、何で私はゴミ箱を蹴るのを我慢しなければならないのでしょう。蹴っていいのかな。いややっぱりだめだと思います。だめなことは分かりますが、理由が分かりません。
つまり、どうして自分が他人にされたことを、他人にしてはいけないのでしょうか。 悪いことならしてはいけないのは分かります。でも相手が悪ければ、どんなに怒鳴ってもいい、というふうに正当化された話だったはずです(私を怒鳴った人たちはそういう態度でした)。なぜ私は、悪い部下を怒鳴ってはいけないのでしょうか。 もしくは、やっぱり怒鳴るのは悪いことだったとして、かつて他人に正しくない、悪いことをされ苦しんだのに、どうして自分は他人にその同じ悪いことをしてはいけないのでしょうか。どうして他人は私を虐げてよい(よいかどうかはともかく実際虐げた)のに、私は他人を虐げてはならないのでしょうか。
・児童虐待を受けて育った子どもが、自分の子どもを虐待して罪に問われる
・いじめ被害を受けた子どもが、非行に走り、加害者になる なども同じ構造ではないかと考えます。なぜ人間は自分にされたひどいことを他の人間にしてはいけないのでしょうか。
この問題について自分なりに考え、納得したいのですが、参考になる哲学や倫理学の分野はありますか? 「なぜ人間は自分にされたひどいことを他の人間にしてはいけないか」という問いについての答えや皆様の持論を伺いたいのではなく、自分で勉強して考えて納得したいので、そのヒントとなるような学問分野を教えていただけるとうれしいです。
私の家族は職場にいた創価学会のおばあさんに勧誘を受け、それを断ったことで毎日職場でパワハラを受けるようになった。
職場の管理者には何度か訴えたようだが、創価学会絡みだと聞くと面倒事だとして明確な対処を避けている。
職場内での勧誘ではなく、職場外に誘われた時の勧誘だったことから、介入できないと。
家族から職場の話を毎日聞いてきたが、この創価学会のおばあさんの豹変ぶりは凄まじいものがある。
勧誘前は誰にでも気を遣って、むしろ気持ち悪いくらい優しかったようなのに、勧誘後は程度の低い嫌がらせ(挨拶を無視したり、悪いうわさを流したり、自分のミスを押し付けたり)で日々心を折りつつ、なにかあると怒鳴りつけて謝罪させるようになった。
家族の直属の上司(女性)はこのおばあさんのおべっかによって取り込まれてしまっているようで、むしろおばあさんと結託していたフシすらある。
私は弁護士に相談したり、法に訴えたほうがいいと家族を説得したが、家族は長期のパワハラで心が病んで、どこかに訴える気力すら無かった。
家族に対しての言動も許せないが、私達の母が早くに亡くなったことを聞きつけると「それはあなたたち家族のせいだから〜〜〜〜入信しろ」という勧誘方法をとっていたのは今でも怒りがおさまらない。
そんで一応金が絡むことで間違いがあってはいけないと思い、部下のAにチェックを求めるのよ。
(ほんとはAに作ってほしいけど、ちょっと能力足りないのよ。)
ワイ「支払いの資料作ったから、間違いが無いかちょっとチェックしてもらえる?」
A「わかりました。」
んで、30分ぐらいしたらAがワイに資料戻しながら言うのよ。
「見ました。」って。
そのまま帰っていくのよ。
まあね。わかるよ?
普通なら、「見ました」=「見てチェックしましたが問題ありませんでした。大丈夫です。」、って意味だと。
ワイも別に意地悪な人間じゃないから、普通ならそこで「ありがとう」で終わりよ。
「見ました」が本当に「見ました」な可能性もあるのよ。
でもそういう時に
「『見ました』じゃなくてさぁ。そこは『チェックしましたが問題ありませんでした。』でしょ??」
とか言いたくないじゃん?
パワハラちくちくおじさんだって扱われちゃうじゃん?本当は違うのに。
あーやだやだ。
それをやった結果が今の状況なんだってお前理解してるのか????
↓
②非正規は同じレベルの転職者がなれる正社員よりはまだ給料がいいから不安定でいいよね?
↓
①’正社員は同じレベルの転職者がなれる非正規より安定しているから給料が低くていいよね?
↓
②’以下ループ
これをひたすら繰り返した果てに今の状況があるんだって!!!!
下っ端が経営者目線でトレードオフを要求したらこのループを組まれてどんどん待遇が悪くなるだけなんだよ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/04749ccc236714ba8d14b9ee6ef5ef32158c6fe2
こういうアホに大学行かせる意味ないから別に必要な人だけが大学に行けばいいのではないか
そもそも日本は大学進学率が高く、海外では多様な働き方があるから専門学校的なところに通う人も多い
とか書こうと思って大学進学率調べて見たら日本は無茶苦茶低くてワロタ
https://www.globalnote.jp/post-1465.html
とはいえ今のFラン大に入ってもゴミのような授業しか受けられないし
旧帝大でも研究ばっかで教育しないパワハラorコミュ障教授とかもゴロゴロいるわけで
女性だし、かつて同世代で妊娠した人が理不尽な対応をされているを知っているので、理性では「やらなきゃダメだ」って思うけど、感情の面ではそうならない。
なんか疲れてるのでツラツラ書く。文章の推敲はしない。誤字脱字も無視する書き捨てだ。
現在、部下が育休もしくは時短勤務をしている。その率は配下にいる部下の半分を超えている。
毎年産休育休・時短復帰があって、その度に管理職である自分がババを引くというのが続いている。
産休に入る前に仕事の引き継ぎをして、復帰時に戻す作業をしているけど、今のところフルタイムで復帰している人がいないので、残業にならないように、時短内で終わるくらいの仕事量にして戻す。産休前の仕事量にはならないので、自分のところには必ずいくつか残る。
昭和な昔と違って、管理職といえど管理だけしているわけではないので、やることがどんどん増えちゃうんだよね。
とはいえ、育休復帰者のために席を空けておかねば「マタハラ」となるため維持しておかねばならず、全社的に人手不足なので、一時的な異動も依頼できない。
今いる配下の人間で仕事を回すしかないけど、数年この状態が続いているので疲れている。
明らかに残業になるようなタスクを積み上げるわけにはいかないし、残業命令も受け手がパワハラと思えばパワハラになってしまうことが多いので、必然的に自分が巻き取ることになり、自分の労働時間が増えている。
世の中的に子育てを支援しようとか、女性が活躍できる場を増やしましょうというのは良くわかる。
40代も半ばなので、自分が若い頃は理不尽なことがたくさんあったし、それを今の若い女性たちが引き継ぐべきではない。
理性ではわかっているが、最近、感情の面ではそう思えない時が出てきた。
全体に対して思っているわけではなく、ピンポイントでそう思うことが多い。
自分の会社は中小企業の中でも福利厚生は頑張っている方で、育休・産休を含めて、休職したからといって、給与や昇格面で直ちに不利になるということはない。
本人が頑張った分だけ評価されるよう色々工夫しているし、自己評価の書き方が下手な部下に対しては、書き方をアドバイスする事もある。
ただ、大企業とは違うので、彼ら並みの福利厚生を運用することは不可能だ。
自分はいくつかの会社に在籍していたので、中小企業の中では相当まともな福利厚生の運用をしていると思っている。
入社してくる人たちが「福利厚生が決め手です」というほどには改善しているし、新卒入社組を含めても在籍平均年数は10年を超える。
一番困るのは「他の会社はやってるのに、うちはない。おかしい」と言われることだ。
あまりにも何度も訴えるので、「参考にしたいので、会社名を教えてください」というと、大体黙る。
たまに会社名を言う事もあるのだが、超大手だったり、主力業務の違いがあったりして、うちでは絶対に運用ができない制度も多い。
風が吹いたら消し飛ぶ中小企業と超大手を比べられても困るし、環境を無視した無茶苦茶な要求を何度も繰り返すので、人事からも私が嫌味を言われる始末(私に訴えられても困る。私だって一従業員だ)。
人事が要望を受け入れないので、どうにかしてくれと訴えてきたことも何度かある。
でも、今の体制では絶対に無理な要求で、それを通すと他のスタッフへの負担が爆増する。個人的な考えは別として、組織を率いる管理職としては容認できない。
また、無理矢理要求を通した場合、後日の禍根となり、周囲の社員のやっかみ等で在籍し続けるのが難しくなる可能性がある。
多角的に考えて会社と相談の上で「対応は無理です。旦那さんと相談・協力してやりくりできませんか?」という返答をするのだが、要求した本人はそう思わない。意地悪をされたと思うらしい。
タチの悪いことに、要求が受け入れられないとわかるとヒートアップしてきて、個人を攻撃するような言動も出てくる。
「うちの会社規模でその制度を整えるのは無理です。このままでは就業できないということであれば、残念ですが、その会社に転職してください」と言いそうになったことは何度もある。言わないけど。
コンプライアンス遵守の会社なので、役職が上がる時は必ず「言動に注意してください」と念を押される。
うちの会社の場合、役職が上がるほど言動が丁寧で、暴言を吐くのは部下の方とほぼ決まっている。
部下の暴言で心を病む役職者が出るくらいには、コンプライアンスが尊守される(ひどいなw)
どうにかできるもんなら、すでにどうにかなっている。
できないからその環境で最大限の制度を作っているし、そもそも、それを支える他の社員の負担も考えてない。
対象者全員が、そういう要求をしてくるわけではないが、こちらの業務に支障がでるほど何度もしつこく訴えてくるし、場合によっては個人攻撃とも取れる言動もあるので、人事や管理職が感情的に不愉快になるのは確か。たまに異常性を感じることもある。
だから、数年前に「資生堂ショック」というのが起こった時、まあそうなるだろうなとは思った。
全員が悪いわけじゃないんだよ。ごく一部で悪目立ちする人間のせいなのだ。
育休・産休・時短勤務取得者の全員が自分の配下に集まってきたのは理由がある。
自分と同世代の女性管理職とあまりうまくいかず、異動願いを出したからだ。
むしろ、自分の指導力は彼女らに劣るので、管理職としての能力は彼女らの方が上だ。
ただ、収益という点では私の方が上で色々と余裕がある。ただし、これは自分の能力ではなく、利益率の高い業務が割り当てられた部署の管理職なだけだ。地の利を得ているだけなので、私自身の能力は極めて低い。
言動が言動だけに、他の女性管理職と感情面でうまくいかなくなるのはわかる。
子育てもやや終わっている年代だけど、子育て真っ最中にどれだけ苦労したかは想像ができる。
理不尽もいっぱいあったし、同世代の女性たちは、妊娠すると周囲の圧力で産休・育休を取得できずに退職する人が多かった。
色々なものを犠牲にしながら頑張って今の地位にいるので、自分が要求したくてもできなかったことを、あれもこれもと過度に要求されたら、あまり良い気分ではいられないだろう。自分が同じ立場なら、間違いなく気分を害する。
ただ、私が知る限り、この女性管理職たちは感情面はどうであれ、業務にそれらを持ち込む人たちではない。
うちの会社、業務上で感情的に動く人は管理職になれない。自分本位な人間は、仕事ができても管理職に推薦する人がいないのだ。
どっちかというと、取得者が勝手に「この人はこう思っているに違いない」「周囲はこの女性管理職と自分を比べてるに違いない」と思い込んで異動したいと言う。
まだ自分の部下ではない頃、そういう風に相談されたことがある。
未婚子無しの自分でさえ、たまに「こいつは何を言っているのだ」と思うので、子育てを経験して乗り越えた人から見ると、もっと強く思うだろうなあと思う。
が、管理職は他人の感情などにかまけている暇はないので、半分くらいは受け手の思い込みだろうなと思う。
同じ女性でも、既婚子育てを経た女性でも、感情的な面では色々ある。
だから、そういう環境で追い詰められている最中に「子育て支援」とか「女性活躍」とか言われると抵抗を感じてしまう。
「子育て支援」は別として、「女性活躍」を全ての女性が望んでいるかと思われても困るよなあ。
自分も数少ない女性管理職の1人だけど、管理職になりたかったわけじゃない。
やってることが管理職と同じなのに、非管理職と同じ給料で働かされるのが嫌だったから昇進しただけだ。
とはいえ。
色々訴えたいことは山ほどある。きつい、めちゃくちゃきつい。仕事サボるほどにはきついと感じているw
でも、どっかで誰かがやせ我慢しないと、いい方向にはなっていかないんだよね。
でも、昨今の企業、常時余剰人材を置けるほど余裕があるわけじゃないんだよ。
人を採用するにも、色々問題があって解雇するにもかなりのパワーが必要になる。
日本の企業は解雇しづらいって言われているけど、実際はそうでもない。非常識な問題社員は解雇できる。
ただ、すごいパワーが必要なんだよね。不当解雇ではないことを証明するためには、メチャクチャ労力がかかる。
真面目で「良い会社」って言われる会社ほど、この部分はしっかりやる。
だから、解雇しなくてもいい人材を採用したいって中の人たちは考えるんだよ。
余裕あったら、みんなで窓際で日向ぼっこできて、ある意味幸せになれると思うけどね。
一企業がこういう制度を支えるのは本当につらいし、奥さん側の会社におんぶに抱っこな会社もある。
もちろん、うちはおんぶに抱っこされている方で、「旦那の会社がタダ乗りしている」って文句言うくらいにはきついw
よく話が上がるのは、「取得していない配偶者の会社から、取得している配偶者が勤める会社にお金が入ればいいのに」というもの。
そうすりゃ、どの会社も率先して育休取らせるようになるだろうから、どこかの会社だけに集中することはないよね、という戯言を言っている。
戯言なので半分は冗談だが、そうでも言わないとやっていられない。
タダ乗りしておいて「(妻の会社の)支援がなってない」っていう人もいるんだよねw
そういう苦労も知らずに「子育て中の自分は大切にされるべきだ」とか「子供は将来的にあなたの老後を支えるんだから助けろ」とか「ワーキングマザーを差別している」って言われてもなあ…。
老後の件はそうかもしれないけど、今現役の人たち、あんたらの子供のために税金払ってますよ?何もしてないわけじゃないんだけど。
世の中を良くするには、今までのやり方ではダメなのはわかっている。
それなら、あるカテゴリーだけでなく「みんなで幸せになろうよ」ではダメなのかなあと思う。
仕事のできる女性は男性を扶養してもいいだろうし、男性が家のことをやってもいいと思うんだよ。
それこそ、適材適所で生きることができれば、性別や年齢でカテゴリー分けしなくても、ある程度幸せに暮らせると思う。
同時に勘違いしている人もいるなと思う。
こんなのも一時期流行ったから、違いを知ってる人も多いと思うけど。
https://www.facebook.com/groups/159231411586664/posts/957435791766218/
「公平」であるべきとか「SDGs」とかは、みんなが気持ちよく生活できるというより、みんなで不都合を分担しながら生きていこうぜって話。
だから、100%要求を通そうと言うのが間違いなんだよね。取捨選択しないと、本当に得たいものは得られない。
今は過度期できついだけだと思い込もうとしてるけど、息切れしてきた感じだ。