はてなキーワード: カンヌとは
一時期赤羽の駅前を賑わせた男性がいる。彼はどう見ても普通の、背広を着てネクタイを外したサラリーマンなのだが、なぜか道行く人にノートを見せつけてくると言う。そのノートにはどれほど猥雑なことが書かれているのだろうかと怪訝に思われるだろうが、実はそうではなく、ノートに手書きで書かれているのは
「君の名は」
に関するあらゆる情報。どうやら彼は映画館で観ていたく感動し、その作品を広く世に知らしめるべく行動に出たようなのだ。すごくないですか?このインターネット全盛の時代に。しかもすでにみんな結構観てるし。でもなんかいいなと思った。どうしても色んな人に観てもらいたかったのだろう。
今年観た映画には素晴らしいものが数多く、会う人会う人に、向こうのリアクションなどお構いなしに下を見ながらブツブツすすめ続けてしまう。わたしは何かを観たことによるマウントを行いたいわけではない、と思う。ただ、自分が今ラリっているブラントを配りまくっているジャンキーのようなもの。たぶん。ヘイ、ニガ!一緒に吸おうよ!みたいな。たぶん。知らないけど……。僭越ながら紹介させていただきます。とっておきのブラントなんだぜ、ニガ。
長い前置きすみませんでした。
◆超オススメ◆
韓国の鬼才によるエロサイコミステリー。しかも百合!韓国映画敬遠しがちな人は度肝抜かれるので観てください……。戦時下、美しい日本庭園で美しい衣装を着て日本人のフリをする朝鮮人たちが騙し合うんですが、セリフがずっとカタコトの日本語。この時点でカルト映画だ!となるんですが、話の展開も予想だにしない方向へと引っ張られていき目が離せないです。しかも最後が爽やか。イェーイ!となるという。とにかくエロいんでそこ目当てでも観て欲しい。
公式サイト:http://ojosan.jp/sp/index.html
②映画「コクソン」監督:ナ・ホンジン
韓国の寂れた村に國村隼が住みついてから、村人が家族を惨殺する事件が相次ぐ……なんで國村隼?本当に犯人は國村隼?なんでフンドシで鹿の生肉食べてる國村隼?こう聞くとB級映画にしか思えないと思いますが、カンヌ出品も納得のテーマへと迫っていく。何を信じるのか?終わり方は苦手な人もいそうだけど、でもそういう人こそ観るべきだと思う。途中、祈祷師なる人物がドラをジャンジャン鳴らしながらヤギの首をかっ切るシーンは尋常じゃない高揚感が得られます。
Netflixで話題を呼んでいるドキュメンタリー。ニュージーランドの記者が「くすぐり我慢大会」なるものを見つけ取材を申し込むと「オカマ野郎には関わって欲しくない!てめーはクソだ」のような攻撃的な返事。調査を進めるうちに、まるでゲイポルノのようなくすぐり動画を撮影し、恐喝に用いていたことが判明する……。
実話であることが恐ろしすぎる!見ず知らずの若者を支配し人生をぶち壊すことにしか興味がない恐ろしきサディストの話。こんな怖い話があってたまるか……。ゾワゾワしたい人は是非観てほしい。すごく怖い。
参考サイト:http://cinemandrake.blog.jp/くすぐり
勉強するとはどういうことか?勉強するとはキモくなることである!勉強すると100%キモくなる。なぜなら周りのノリに対し浮くからだ、という箇所に大納得。でもそれでも勉強してしまう。なぜなら自分が変わっていくマゾヒスティックな快楽があるから。勉強とは、今までわからなかったことがわかること。言葉が自分のなかで血肉を持つこと。でも言葉で自分と環境を一度切り離し、客観的に捉え直すことが必要。自己啓発書風だけど中身はすごくわかりやすいドゥルーズだった。わたしがなぜ学生の時にドゥルーズに心惹かれたか、腑に落ちた。とても平易な言葉で書かれているけれど、勉強そのものに切り込んでいくのでスリリング。名著だと思う。……伝わってますか?すごく読みやすいのに考えさせられる、とてもよい本。
こちらもNetflixにて。アメリカン・ドリームを夢見る、人種もバックグラウンドも様々なドラァグクイーンたちがバトル!ル・ポールの前で1番を競い合う。カーテンでドレスを作ったりものまねショーをしたり。あれ?意外に予算がかかってない?しまむらチックな私服を着た屈強な男たちがメイクと豪華なドレスで美しく変身する様、見習わないといけないなと思わせます。そしてなんてったってル・ポールが美しい!普段はダンディなスキンヘッドの50代のオジさま(声だけ女)なのに、ひとたびドレスアップすると193センチの美女!日本の番組にありがちな、 「でも実はオッサン」的ないじられ方をすることなく、ただただ美の化身として存在するル・ポールが尊いです。あと発音がわかりやすくてリスニング力を鍛えることができる。
⑥映画「モアナと伝説の海」監督:ロン・クレメンツ、ジョン・マスカー
海、砂、黄金のテクスチャーが本物以上。海洋スペクタクル大アドベンチャー。モアナはプリンセスというよりかは立派な施政者。16歳なのにあんなにしっかりしているなんて……。話の説明パートは歌かギャグが入るので飽きることがない。オチも完璧だったし、この映画を観て育った子供は絶対に自然環境を破壊しないと思う。ホントか?半神ムアイは全身タトゥーだらけで顔もいわゆるディズニーのヒーローとは違っているけど、とても愛らしい。ディズニーは反ルッキズムへと舵を切っているのかも。人間に御礼を要求する歌がいいです。派手なカニやココナッツのマッドマックスも必見。
今激激激激オシしている映画。なぜなら全然流行ってないから。でもそれはどう考えたってオカシイ。だってこんなに面白い映画そうそうない。映画館で終始ニヤニヤ、たまにゲラゲラ、笑いすぎてむせてしまったかと思えばしんみりさせてくれる。バットマンでかつレゴ、でもどちらも必然性があるストーリー。レゴがとにかくかわいくカラフルで魅せられるんだけど、話は意外に考えさせられる。
「ダークナイト」では、悪に対し私刑を加えるにすぎず、その行動がより悪を増長させ自らもまた悪の似姿となるバットマンが、アメリカにオーバーラップさせる形で描かれた。奇しくもジョーカーを演じたヒース・レジャーの死によってダークナイトの問題提起に答えが与えられることはなくなってしまったが、その答えを与えるのが「レゴバットマン」。まじです。しかも子供も楽しめる。すごい。ウォルデモート卿やマトリックスのエージェント、キングコングまで。騙されたと思って観てください。
公式サイト:http://wwws.warnerbros.co.jp/legobatmanmovie/
韓国ノワール。人がイヤな死に方をすることでは天下一品な韓国映画にまた一作、観ていて痛そうな映画が。サイコ市長に飼い犬のように使われるダーティー刑事が牙を剥く。観終わったあとに結局なんだったのか?感が否めないが、市長がフルチンでキレたり、やたら痛そうな拷問など、観ると楽しい。主演が西島秀俊に似ている。
公式サイト:http://asura-themovie.jp/
閉鎖的な黒人社会でセクシャルマイノリティとして生まれたこと、というよりかは孤独な子供あるあるとして観た。静謐さ、不安定な視界、不安げな表情、どれも既視感のある普遍的なものだったので、不器用な子供だった人にすすめたい。また、車、言動、振る舞い、筋肉、どれをとってもギャングスタに憧れないわけにはいかなかった。
公式サイト:http://moonlight-movie.jp/sp/
⑩映画「湾生回家」監督:ホアン・ミンチェン
台湾で生まれ育つも敗戦により引き揚げざるを得ず、しばらくかの地に足を踏み入れることのできなかった日本人を追ったドキュメンタリー。故国ではないところに故郷がある人の、心はいつだって異邦人という言葉に痺れる。人の優しさと詩情に満ちている。
11映画「スウィート17モンスター」監督:ケリー・フレモン・クレイグ
とにかく女の子がダサい。二日酔いから覚めると一人しかいない親友といけすかない兄貴がウチでヤッてた!?最悪な気持ちのまま適当にアジア系のイケてない男の子とデートしたり先生に悪口言ったり、ジタバタ。パーティで人に話しかけることができなかったり、目も当てられないが、それはまごうことのなきいつかの自分。近頃よく見るイケてない青春ムービーの一角だが、大した事件が起きないのにしっかり成長するので見ごたえがある。サントラがいい。
2016秋→http://anond.hatelabo.jp/20161026012850
・銀と金
★★☆☆☆
借金取り立て系
主演俳優の棒具合がやや気になる
・大貧乏
★★☆☆☆
軽めに見れるけどそんなに面白くない
会社の裏金がどうのって内容だけどタッチが軽すぎて合ってないな
★★★★★
今後に期待
・楽園
★★☆☆☆
と思いきや人の記憶が読める超能力とかいう設定が出てきて突然チープに
・嘘の戦争
★★☆☆☆
過去に似たような話が多いので展開予想が容易
☆☆☆☆☆
1話途中で視聴断念
悲劇のヒロインをやるなら主役に超美人を持ってこないと格好がつかない
★★☆☆☆
そのことを仰々しく取り上げすぎてて違和感
★★★★★
息子が就活生で、父親は大企業務めだったがあらぬ疑いからクビになり就活を始める
このまま行くと娘と妻も就活するのかなと思う
★★☆☆☆
・バイプレイヤーズ~もしも6人の名脇役がシェアハウスで暮らしたら~
★★★☆☆
企画内容が面白い、パロディや実際のドラマの名前出されると笑ってしまう
本筋はまだそんなに面白くないが今後に期待
☆☆☆☆☆
途中で視聴断念
周囲の人間は父親を何だと思っているのか、妻の態度に非情に腹が立つ世界観
★★★★★
スピーチライターという職業自体が物珍しく、ストーリーも面白い
今後に期待
もこみち演技上手くなってた
特別枠
★★★★★
他にも見たら追記するかも
以下、そう思った点箇条書き。
・大の大人が会議中に巨大生物である発言と散々否定してたやつが映像だけでアッサリ受け入れるところ。
・総理が流されてるように見えて決断が早すぎる、まるで保身を考えてないフィクション政治家。
・第1形態のときからずっとそうだが、ゴジラの動きにスケール感がない、ちゃかちゃか玩具を動かしてるかのような挙動。これに巨大な印象を受けるのはこども。
・自衛隊を動かすための憲法、法律の足かせによるジレンマをどう解消するのかワクワクしてたら「超法規的措置」の一言。は?しばらく固まる(増ラ冷却成功!)。
・第1形態から冷却のため逃げるゴジラに海上から攻撃しなかったこと。避難が完了していない地帯を途中で通ったとしても海上で攻撃可能なタイミングはあったがお話の都合上逃げる道中はカット。
・古代生物が放射能を食って進化だの科学者が予見していた、とかこの辺りがノルマのためのパートでまるでワクワクしない。説明してるだけ。謎とか無い、折り紙?あ、そうくらいの興味。対策室の活躍も各方面が協力してくれました、だけ。各所に頭下げまくり作戦。機知も無い。あったか折り紙w
・海中に離脱していったゴジラが再び戻ってくることに対して海上で足止めする作戦が何もなかったこと。陸地での戦闘は被害が出るのは確実なので早期発見と海上での迎撃が作戦されないのはおかしい。
・第4形態を見て同種のゴジラだと即決。これにはゴジラ博士もびっくり。
・あんだけの熱量を長く地面に吐いて地盤沈下も起きない。表面だけを焼くステーキの鉄人。
・背びれビームがカッコいいというがちゃちなだけだった。そもそも背びれで打てるんなら口から撃つ意味ないし全身とさかでいいだろ、排熱はケツ穴からしろ。どんな判断だよ→究極の進化。尻尾からも出してまあ。
・続く
褒めるところ
・無人在来線爆弾は素直に良い。大きなものと大きなものを戦わせるのは男の子の娯楽だ。この点ここはパーフェクト。
・日本マンセーなノリに冷ややかな日本人というナショナリズムに乗り切れない負を背負う当事者視点
そんなことできるわけねーだろ
どんだけ辛党のフリしても甘党なら辛いもの食って美味いとは思わねーから
それはフラットな状態になれる俺っていうただのカッコつけ行為です
本や漫画や映画なんかの作品は人生を豊かにするためにあるものだ
エンターテイメントなら楽しむことで豊かになる
でもその積み重ねを否定しにかかるフラット(なつもりになった俺カッコいい)を強要しないと
楽しめない作品って、それは最初からあなたにとって豊かにならない作品だから
今までの積み重ねを否定するなら今その見ている作品も豊かな結果には返ってきません
なんかおもしろい企画、バズる企画、そういうお題を毎日毎日与えられて考えて。決まったら実制作が始まって、並行して新しいオリエンを受けて。そんなMTGと立ち会いとディレクションで昼は埋まり、やっとこさ夜の10時から昼に受けたオリエンの企画を考え始める。それが終われば、次は別件提案資料。深夜にひと段落したら、家に帰り2時間寝てまた会社へと繰り出す。明日の企画進捗報告資料を作ろうと思っていたのに、またまた新しいオリエンで時間が取られる。そんな状態なのにあっちの案件が揉め出した、対応だ。あぁ今週も土日は休めそうに無い。あれ?でも日曜はロケハンと別件のインタビューだったな…。
コミュケーションデザインだとかインテグレートなんちゃらだとか、かっこいい肩書きの先にあるのはCMもグラフィックもWebもイベントもやらなきゃいけないタスク過多。テレビも見る暇無いのにテレビの企画、雑誌も読む暇無いのにタイアップ制作、ソシャゲもやらずにアプリ開発。それでも何とかカンヌも取って、アドフェストだって電通賞だって取りました。賞を取ったら人気クリエイターの仲間入り。それで得るのはなんかおもしろい企画、バズる企画、新たなそういうお題。
若いうちは働け?いやいや、澤本さんも木村健太郎さんも未だに変わらない生活でしょ?僕に才能があると信じれば信じるほど、結果を出せば出すほどこのサイクルがくるくる回る。たしかに、その螺旋階段は上には向かっているんだけど。
でもね、これがつらいんじゃなくて楽しくて、楽しみで仕方ないの。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140614-00000541-san-life
この記事でもだし、はてなでも「米国じゃハーネス当たり前のように使ってるのに日本は遅れてる」とよく言うけど
アメリカに3年居て子育てして、使っている人を一度も見た事がない。
基本的にどこ行くにも車で、車から降りたらベビーカーか店のショッピングカートが当たり前なのにどこで使うのか。謎。
売っているのも見た事がない。ベビーザらスとかでよく探せばあるのかもしれないけどさ。
ついでにエルゴ(抱っこ紐)も使っている人を見た事がない。
元々ハワイ産だしハワイじゃ外でも使ってるのかもしれないけどハワイ行った事無いんで知らんわ。
ベビー用品扱ってる店ならどこでも目立つ所に陳列されているので売れてはいるんだろうけど、
まあ宣伝文句とか見てても、日本のようにガチ実用品扱いというよりは
「ベビーカー使うより抱っこする方が子に愛情が伝わり発育にもよくウンヌンカンヌン」
というイシキタカイ親向けグッズ扱いって感じもしないでもない。
ものによりすぎる。
スポーツ関しては為末の言ってることは正しすぎる。こと陸上に限って言えばほとんどがその肉体能力を直接測ってる様な物がほとんどなので、
生まれた時点での成長の限界値がかなりの域を決める。
スーパーアスリートたちなんてのはその限界値が高い連中がさらに完璧に育ち上がって鍛錬を得た上で成り立っているので。
努力が意味が無い、と言う意味ではない。同じ努力をしても明らかに差が出てしまう部分である、ということだ。
スポーツでも、バレーやバスケなんかだったら身長が低ければトップ選手にはなれない。勿論、低くても役割を得る事は出来るしその部分で凄い選手も居るが、
やはり最高のプレーヤーではない。
サッカーや野球なんかだとまだ技術による物が大きいので、生まれつきが99%と言うことは無いだろう。1%の才能と99%の努力、と言うことも無いと思うが。
野球のほうがパワープレーな部分が大きいので、サッカーの方がまだ差はつきにくいか。
流石にバロンドールまで行くと何が必要かは分からないが、あれでも受賞した選手をみてれば、その彼らが身体的にずば抜けてるかと言えばそうではない。
(いや、ずば抜けては居るんだけど、生まれつきでそうなったか?といえば、他の人でも同じだけの鍛錬を積んだらそれくらいにはなれるんじゃないか?程度。その鍛錬が普通は出来ないほど尋常じゃないわけだけど。)
サッカー的なセンス、ってのは才能なのかどこまで後から獲得できるものなのか分からないところなので。
これは生まれはほぼ関係ない。マトモに大学行って大学院まで行っても許される様な環境ならばだれでも取れる。特にノーベル賞の方は。
ノーベル賞でも物理の理論だったりフィールズ賞的な、もう、ホント常人とは思えないような理論で取ってる場合はもしかしたら生まれつき脳が違うのかもしれないけども。
物理の実験だの化学、医学については誰でも取れるといえば取れるでしょう。流石に生まれつきで決まるもんじゃない。
カンヌで最優秀賞
これは生まれよりは運だろう。作品賞とかならば。
勿論、男優賞とかになれば顔そのものなんだからスポーツなんかよりも余程生まれの要素は高いと思うけど。
これも運。生まれの要素はホントに低い。
その下で言ってることにはかねがね同意するけど。
備忘録を兼ねて書く。
【発端】
http://megalodon.jp/2013-0607-0824-01/ameblo.jp/koizumi-mitsuo/entry-11545371158.html
ここで問題視されてるのはざっくり3つか?
1.議員としての態度。
3.代金を払わずに去ったこと。
【炎上】
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1764124.html
痛いニュース(ノ∀`) : 岩手県議の小泉みつお議員 病院で番号で呼ばれ激怒、「俺は客だぞふざけるな」と恫喝 - ライブドアブログ
ちなみに、この記事の前に『言い訳たっぷりの謝罪記事』をあげて、さらに炎上しそうだったので慌てて短い謝罪記事に差し替えた、という経緯があるらしいけれど不明。そもそもブログ記事が消えてるので、真偽を確かめることができない。
それはさておき、前述の謝罪記事を見ると、「内容が不適切であった」「医療関係者に配慮のない記事だった」とのこと。つまり、『医療関係者を不快にさせる記事を書いたから謝罪』ということであり、自分のやったことに対する謝罪ではないと言える。
だって、病院での態度が悪かったんなら、「私の行動にウンヌンカンヌン」みたいな文章が入るわけだし。
その後、謝罪記事もろとも閉鎖してしまってるようなので、この謝罪も撤回した、と受け止めることもできる。なにせ後からは『謝罪記事を載せた』ということが確認できないから。
【延焼】
http://www.nicovideo.jp/watch/sm21096926
【謝罪会見】
http://megalodon.jp/2013-0625-2018-17/mainichi.jp/area/iwate/news/20130618ddlk03040123000c.html
小泉県議:思慮欠けた表現、ブログ「炎上」 苦情電話やメール469件で陳謝 /岩手- 毎日jp(毎日新聞)
この記事では「代金は後日払った」とのこと。
>県庁で謝罪の記者会見を開き「世間をお騒がせし、おわび申し上げます」と陳謝した。
と書かれてるように、『炎上したことに対しての謝罪』と読める。
【個人的なまとめ】
「不適切な内容に対しての謝罪」と「炎上してたことに対する謝罪」はあるのだけれど、『病院の人に対して理不尽な要求』をしたことに対する謝罪というのは無いんじゃないかと思う。
不適切な内容で炎上して謝罪というだけだったら、「今日は議会の後に風俗に行ってスカトロプレイしたら腹壊しちゃったぜ☆」でも同じなわけだし。
というわけで、不適切な内容にたいしての謝罪というあまりにもザックリしすぎた謝罪なので、どうもこの議員がどういうことをしたのかというのが伝わりにくくなってる。
結局、病院に対してのクレームについて議員がどう思ったのかは謎のままだし、岩手県議はああいう人を出さなきゃいけないぐらい人材が足りてないのかということも分からないままだし。ネガティブなイメージを植え付けるだけで退場してしまったなというのが個人的な感想。
「制作者だけがコップの中」というのは、そうだと僕も思っています。プロフェッショナルの意識はあるけれども、コップの中で「クオリティー」とか「広告のグローバルスタンダード」とか言って、その意識がマーケティングとも社会ともリンクしていない。そんな彼らを"古典芸能作家"と僕は呼んでいるんですけど、そういう時代は恐らく15年前にもう終ってしまったと思っています。営業やマーケティングも、「制作とういうのは結局、わけ分かんないから」とあきらめている。長い間、広告クリエーターは表現至上主義でやってきましたが、やはりそれを一回忘れないと、2000年以降はやっていけないだろうと思っています。広告をつくる環境が大きく変わってきた根本には流通の台頭があります。コンビニエンスストアは全国で4万店に近づこうとしています。セブン・イレブンだけで七千七百店以上、ローソンも七千店を超えています。
例えば、毎年二月に飲料の新商品はほとんど出るわけですが、メーカーは、こういう商品をつくりたいとコンビニエンスストアのバイヤーのところに持っていって、そこで「面白いね」と言われない限り、商品開発ができないというところまで来ているといいます。以前、我々がある飲料メーカーに「そのネーミングもパッケージもまずいので、こういうふうに変えませんか?」と提案したことがありましたが、「社長の決裁を取っているから変えられない」ということで通らなかったことがありました。でも、今は、コンビニエンスストアのバイヤーが「それでは人々はつかめない」と言うと、ネーミングもパッケージも変わってしまう。もうそういう時代なんですね。ある意味では、メーカーの社長よりもコンビニエンスストアのバイヤーの方が強い時代になってきたということです。
また、コンビニエンスストアのようなところでは、棚落ちという問題があります。"週販"と言って、一週間に平均店舗で一定の本数以上売れないと棚落ちする。限られた面積に商品を置くとなると、売れる商品が中心になる。新商品でも売れないとなると、一か月以内に棚落ちになります。棚からなくなると、その商品のコマーシャルは完成していてもオンエアされない。僕もそういう目に遭いました。春編と夏編をつくっていたのですが、棚落ちして夏編はオンエア中止です。
だから、「流通が強くなり過ぎたから、いい広告ができなくなった」という人たちがたくさんいるんですね。僕が「古典芸能作家」と言うのはそういう人たちです。モノを売る場が強過ぎるとか弱過ぎるといった話にはまったく意味はありません。厳しい流通の現場で人がその商品を手にするための有効なコミュニケーションは何かを考えなければ、変化した市場に対する広告表現は提示していけません。
一昨年のカンヌの広告祭で日本が一作も賞を取れなかったことで、クリエーターの間でも議論があったそうですが……。
広告は当然、モノが売れたことが評価の大きな基準であるべきなのに、クリエーターの世界ではモノが売れなくても広告が評価されるという変なところがあります。カンヌは確かに話題にもなり、クリエーターの間でも議論がありましたが、「別にカンヌで賞を取る必要ない。我々のマーケットである日本でちゃんと棚落ちしない、商品に対してサポートできる広告表現になっていればいい」というのが僕の考えです。
一昨年からの議論は、広告表現とは何だということが非常に未整理のまま語られていたと思います。モノを売るための広告と「ここに私は居続けてますよ」というブランドを維持するための広告は違うはずなのに、一緒のところで論じられているのが問題だと思うのです。 例えば、商品情報は十分知りつくされたレンズ付きフィルムは別に商品力を語る必要はなくて、ただ「ここに居続けていますよ」という"マインドシェア"が大切です。それを買う時に、何となく○○フィルムが好きだからということであれば、そこに面白い広告が成立する。そのブランドを持続させるための広告と、流通のようにその場その場で売り切っていく広告というのはマーケットが違うはずなんですね。
勤め先の勤務部署の仕事柄、いろんな会社と一緒に仕事をしたりすることがある。(どんな企業と一緒にやるかはぼかさせてほしい)
だいたい、そういう仕事を始めるには最初にプレゼンなんかをしてもらうわけで、まあ、今までにいろんな業種のいろんな会社にプレゼンをしてもらっている。たぶん、ゆうに100社はやってもらっている。
で、それでわかったことをほんの少し。
プレゼンってのはだいたい、2,3社、へたすると7,8社くらいに同じ案件について、どのように仕事をしてもらえるのかってのを話してもらうわけなんだが、意外とそこで大きく差が出たりする。
ま、そんなのは社会人だったら、誰だって経験はあるだろう。やる方もあるだろうし、受ける方もあるだろう。
で、そんな中で1社選ぶわけなんだが、その1社に決めた後が面白い。
面白いのは、断る会社に電話なり、メールなり、直接会うなりして連絡するとき。
だいたいの会社は「弊社のどこが悪かったですか」みたいな聴き方をしてくるので、まあ、どこどこがどうで、とかできるだけ真摯にでも、嘘も織り交ぜながら答えるわけだ。だって、全部話すと決めた会社の手の内までばれちゃうじゃん。
そうすると「うちの○○戦略や○○システムには絶対に自信があって、再考をなにとぞ」みたいなことを言ってくることがままある。
まあ、何のかんのいいながら、断わるわけだ。
でもって、決めた1社(A社としとこうか)との仕事が始まって、それが何らかの形になったりして、表にでたりするわけだ。
まあ、最初から全部うまくまわるわけもなくて、いろいろトラブルがあったり、売り上げとか稼働率とかがうまくいかなかったりすることもあるわけだ。
そうするとしばらくして、件のプレゼンで負けた会社(B社)が来たりする。
で、「A社さんとの△△うまくいってませんよねえ」なんて言ったりする。
「まあ、まだ色々トラブルがあったりしてねえ」と僕も答えると、そこでドヤ顔を決めながら、B社の人間はいうわけよ
「先日、プレゼンさせていただいた弊社の○○システムなら、そういう課題は全部解決させていただきます。△△で問題となってるあれこれは、云々カンヌン」
で、今までの○○システムとか○○戦略とかいうやつをちょこっと手直ししたやつを、もう一回説明してくる。
たぶん、こいつら、腹の中では「だーかーら、うちが正しかったんだよ、ほれ、もう一回説明してやっから、とっとと非を認めて乗換えやがれ」って思ってるんだろうなあと、そのドヤ顔プレゼンを聞くわけよ。
まあ、そんなプレゼンで覆るわけもなくて、「でも、」○○じゃ、A社の△△で出来てた××に対しては対応できませんよねえ」なんて言うと、それはそれ、これはこれなんていいながら、また、なにとぞーとか、言って帰っていく。
で、結局、こちらとしてはA社とコツコツと仕事をチューニングさせていくってのが、普通の対応。
でも、負けた会社でも違うことをしてくる会社がある。C社としよう。
最初はおんなじ。
「A社さんとの△△うまくいってませんよねえ」なんて言ってくる。
「まあ、まだ色々トラブルがあったりしてねえ」と僕も答えると、そこからが違う。
「そこで、ちょっと考えてみました。何が問題になってて、どうすれば解決できるかを」なんつって、前回とはまーったく違う切り口を作ってくる。
しかも、その切り口は今やってるA社とのシステムだったり、戦略だったりを上手く使いながら、いわば、部分対応的に問題を解決するというやり方。
で、だいたい、こういうプレゼンをしてくる会社は、よくできたシステムとか戦略を作ってくるので、案外採用することも多い。
もちろん、A社の方もそのまま運用し続けるので、全然問題はなくまわったりする。
そういうC社はだいたい、その後も自分が作った切り口をもとにガンガン攻め込んでくる。
で、気が付いたら、A社に発注してた案件の年間費用のうち結局、半分近くがC社に払われるようになったりする。
で、そうすると次のプレゼンの時には、結局、A社じゃなくてC社が勝ったりするわけだ。
そういうC社みたいな会社、昔は欧米の会社よりも日本の会社に見られたような気がする。
欧米の会社は、あまりそういうのには興味無くて、一撃必殺みたいなやり方が多かったように思う。
だから、B社みたいにぐちぐちとは言ってこない。次のプレゼンの機会を待ってるような感じ。
でも、今は日本の会社は逆にC社みたいなのをやってこなくなった。
中国、韓国に限らない。台湾やシンガポールやタイやインド、マレーシア、とにかくアジアのやつらはねちっこく仕事を取ろうとする。
そのために手を変え品を変えを怠らない。
もちろん、一つ一つの戦略だのシステムだの企画だのは、まだまだ稚拙だったりする。
でも、B社みたいなのばっかりになった今の日本の会社よりも、一緒に仕事をすると圧倒的にきもちよい。
ちなみに、日本でもずっとC社みたいなことをやってくる会社も、もちろんある。
ま、やめとこう。
わかる人には多分、わかるはず。
松本人志監督作品の映画「しんぼる」を見た。以下「しんぼる」及び「バベル」の相違点について言及しているため、両作品のネタバレ含むので注意。
松本人志はテレビで見せるフリートークと、コントで演じる役とのギャップが激しい芸人である。フリートークで自我を全面に押し出して、コントでの演技は別人格かのような憑依型。この二つを偏らず両立させて、しかも成功している。
映画「しんぼる」においてもまた、見た目奇抜だが、無口で平凡な思慮の浅い男(それでいてどこか狂気をはらんでいるような)男を自分に憑依させて演じようとしている。
では、何故見た目を奇抜にする必要があったのか、果たしてこの主人公があのような服や髪型のチョイスをするような人間だろうか?
見ているとそのような矛盾や違和感が何度も起こる、矛盾や違和感だけを繋げて映画にしたといっても良いぐらい出てくる。しだいに全てに何か理由があるんじゃないかと思うようになり、どうしてもそれを考えてしまう。最終的に「くだらない」が「面白い」って事ね、という所に一応行き着くが、やっぱり「で、それが何なの?」という疑問の答えにはなっていない。
この映画が、観客の解釈や理解をうながす為に作られているのは間違い無い。「もっと理由や意味を考えてみて!」と言われているような、そうやって考えるのが面白いという事だろうか。その結果裏切られてしまうカタルシスを楽しめ、そういう作品なのかもしれない。
解釈や理解しようとする事自体を楽しめ、というテーマだとして、ではその映画に正しい理解や解釈の正解は存在するのか? 存在しているはずだ。その方が面白いから。
という訳で、正解を探す事にする。
僕が考えた正解なんじゃないかと思う答えを検索してみると、バラバラの要素としては既出なのだが、統一されたものが無いのでここにその解説を書いてみよう。
「しんぼる」は、日本人の海外に対するコンプレックスを表現した作品だ! と強く断言してみる。
「しんぼる」は、2006年カンヌ国際映画祭で監督賞を受賞した「バベル」という映画を非常に意識した作品である。
バベルのネタバレになるが、バベルはメキシコ出身の監督と脚本家による映画で、ナショナリズム的な視点から観ると、思慮の浅い日本人のせいで、モラルの無いモロッコ人の子供が銃を使い殺され、それに巻き込まれた白人は自分達の事しか考えない。それにひきかえ他民族の子供を低賃金で助けるメキシコ人は陽気で善人だ、という解釈が出来る。松本人志はナショナリズムが強い思想の持ち主なので、バベルを観てメキシコ人ふざけんなよと、日本を馬鹿にすんなと怒ったはずだ。
だからしんぼるでは、同じ文脈で皮肉たっぷりに、思慮の浅いヘンな日本人のせいで、メキシコで不条理な出来事が起こり子供が不幸になる、バベルと同じくその因果関係に理由は無い。また物語の舞台となる国の数も同じ。バベルのアメリカモロッコで起こる出来事と違い、しんぼるでのロシア中国で起こる出来事は不幸ではなく、ただくだらない出来事なのだが、これはバベルの偶然性による不幸に対する皮肉なのだろう。バベルの偶然性による不幸が、メキシコ人監督の恣意的なナショナリズムにすぎない事への批判である。
さらに、映画の撮影の仕方も同じで、カットバックを使った演出もさる事ながら、しんぼるにおいてメキシコの場面での映像は、ドキュメンタリーのような手ぶれのあるハンディカメラの映像なのだが、これはバベルが終始そのように手ぶれのある映像だからである。
次いで、上記のバベルに対する皮肉を、さらに拡大して日本の文化による世界に対する皮肉、あるいはバベルを絶賛したカンヌ(フランス)のアートシーンに対する皮肉として、現代アートの文脈でアイテムが構成されている。
まず主人公の髪型や衣装は、フランス芸術文化勲章を持つ海外でも評価の高い草間彌生の格好で間違いない。脱出劇としては広すぎるあの白い部屋もインスタレーションそのもの。飛び出てくる意図的に日本の物に偏ったアイテム、それを使っての笑いは日本の文化の文脈のようでいて海外向けの笑いでもあり、これは海外でウケる日本の現代アートのコンセプトそのものである。
バベルやカンヌに反発を覚えながらも、欧米文化の中で迎合して同じ舞台に立たないかぎり世界的に受け入れられないというジレンマを抱え、それに対して下ネタとパロディという形で皮肉をこめ、彼らの持つ日本人のイメージを利用して、滑稽な道化のふりをして笑いを取り、しっかり世界にウケる現代アートの文脈にそって作品を作っている。
そして映画のクライマックス、最後の最後に、神のような姿になった主人公の背後の壁に立体的な世界地図が現れる。多くの日本人は何の疑問も持たないと思うが、外国人にとっては違和感のあるシーンである、その世界地図は日本が中心となっている。
このように「しんぼる」という映画は、日本と日本以外の世界を意識した作品である。世界に向けて表現しながら、媚びずに日本的であろうとした訳だ、しんぼるというタイトルも、英語のひらがな表記であるのはそういう理由だろう。
要約すると、松本人志による海外アートシーンを皮肉った「日本最高!」を世界に向けて表現した映画。
おそらくアートの文脈を松本人志が知っていたとは思えないので、その文脈を組み込んだのは脚本を共同作成している放送作家の高須氏によるものなんじゃないかと思われる。
憶測だが、バベルの脚本家か監督は菊地凛子演じる聾唖の女子高生のイメージを、例の毎日新聞waiwai事件の、元ネタの記事を見て得たんじゃないだろうか。元ネタ(http://www8.atwiki.jp/mainichi-matome/pages/435.html) 女子高生、ノーパン、チラ見せ、男を誘惑、家で裸、という点が同じである。最もリアルに創り込むべき役なのに、日本にそんな女の子居る訳がないというような人物を設定した矛盾。海外受けするメジャーなアニメや映画でその様なイメージの女子高生キャラが居てそれの影響を受けたとは思えないんだが、しいて挙げるなら岩井俊二作品の女子高生の不安定さと元ネタの記事を合わせた感じだろうか。
http://anond.hatelabo.jp/20100209184804
愚痴にこんな多くの意見が寄せられてびっくりやらありがたいやら。
一晩寝て、周りに愚痴ってここ見たら
会社にも問題あるよなーとか、ミスしない様に頑張ろうとか、エセメンヘラはしたたかだよなーとか
「メンヘラ先輩が今度復帰するから、今度は虐めないであげて、仲良くしてあげて」
と言われた。目玉飛び出るかと思った。
メンヘラ先輩曰く
私は病気なのに無理な仕事を押し付ける…でも「病気なのに仕事平気なのか」と聞かれた傷ついた…ウンヌンカンヌン」
だそうで。
あー困るわー。すごい困るね~どうしようかな~
嫌いって感情が顔に出る事もあるけど、少なくとも業務に関わる事はちゃんと会話してたし
本人が出来ると言った事はお願いしたし、体調が悪そうな時は「大丈夫ですか?」とは聞いた。
でもこの人にとってはどれもダメみたいだ。
無視してもダメ、干渉してもダメ、ならばどうすれば満足なんだ?
と言うかこんなに休んだり休まなかったりして周りに迷惑をかけてるのに
「おかえりなちゃい~みんな心配してまちたよ~今日から皆で仲良くお仕事ちまちょうね~」なんて
言ってもらえると思ってんのかこの人は…
どっちに転んでも私が悪役。
八方塞がりで頭痛い。部署変えてもらうしか無いかね…
何でこっちが加害者なのかねぇ…
そんなことするくらいなら独り言いってたほうがマシジャー。
棲み分け。Aをしたいならこっち、Aじゃないことをしたいならこっち。