はてなキーワード: オリジナリティとは
デザインの話だが、できるだけ主観を廃して、誰もが納得できる根拠を述べる。
つまり、杉森建氏やにしだあつこ氏の作風を継承するか、そうでないなら「これこそポケモン」と言えるだけのオリジナリティが無ければいけない。
正直、最近の世代のポケモンは、マイナーなソシャゲかアメコミのキャラからの輸入みたいなのが多すぎ。
エアームドやライボルトが出てくれば、思わず欲しくなるが、ゴルーグだのフリージオだの、こんなん誰が欲しがるんだ……?
毒タイプやゴーストタイプのポケモンならともかく、わざわざ気持ち悪くデザインする理由が意味不明。オタマロとか。
ダイノーズみたいな、どう見ても鼻毛にしか見えないようなデザインをする意味が分からない。
ガメノデスやコオリッポみたいな、どうしてこれがオーケー出たんだとしか思えないような稚拙なデザインのポケモンの割合が増えている。
執筆経験なしアラサーが半年間で二作完成させて電撃小説大賞に投稿する...
当時は今以上にコロナ関連の記事ばかりだったから、変わり種として受け取ってもらえたのかもしれない。
せっかくなので、続報を書きたい。
前回の記事では7月に一次選考の結果発表と書いたが、コロナの影響で、発表は今日だった。
まさにいま結果を見た勢いでこの記事を書いているが、二作のうち一作が一次通過していた。
後付けの解釈でしかないが、自分の仕事に関する知識を活かした作品が通過して、キャッチーな要素をにわか知識で詰め込んだ作品が落選した。
二次・三次選考の結果は、来月発表予定だ。一次で10分の1に絞られ、ここから更に半分、半分、、、と削られていく。だから一次に通ったぐらいで何を浮かれている、と思われるかもしれない。それでも、次の結果が出る前に今の気持ちを残しておくのもいいのではないかと思った。
完成させたことやその過程を褒めてもらえたのは、素直に嬉しかった。記念にチャレンジしたかっただけだろう、という辛辣なコメントもあったが、確かにそういう気持ちはあったと思う。あらためて振り返ると、前回の記事を書いた時は、自分がどこまで本気で小説を書きたいのか、なんで小説を書いているのか、よくわかっていなかった。
方法論を褒めてもらったのも、ありがたい。ただ補足しておくと、書いたことで自分がゼロから考えたものはない。どれもネットや本で紹介されていたもので、自分は組み合わせただけだ。だから、創作法という観点でオリジナリティはない。
友人に見せたことがすごい、友人良い奴、というコメントも非常に嬉しかった。なぜならこれが一番精神力を要したし、友人は確かに良い奴だからだ。ちなみに友人は結局一度も「面白い」と言ってくれなかったが、改稿版を読みたいとも言ってくれた。これはとても誠実な態度だと思う。面白いと言っておいたほうが、ずっと楽である。
更に余談だが、友人からの第一稿(つまり人生初の小説)へのフィードバックに対して、自分が「……を誰かにやらせようと思う」と返したとき
自分も、全く同じことを考えていたからだ。自分の頭から出てきたキャラクターが、自分以外の誰かの頭の中に生きていた。
この言葉は、一生おぼえていると思う。
ここからは、前回記事とも創作論とも関係のない、つまらない内容だ。
前回記事を投稿後しばらくは、一切執筆をしないままあっという間に数週間がすぎた。熱が冷めたのかと思った。コメントにあったとおり、一度しかない人生、記念に一回チャレンジしたかっただけだったのかとも思った。
だがある日、ためていた仕事をいつものように片付けているとき、急に物語が頭に浮かんできた。そこからまた、100字以内で物語を説明するログラインを沢山作った。あらすじを、今度は6つひねり出して友人に見せた。そして今は、毎日小説を書いている。
前回記事に対する反応は、しばらく毎日のように眺めていた。自分が書いたものに対して、他人からこんなに反応がもらえることがあるんだ、褒めてもらえることがあるんだ、と思った。あの時の気持ちは、とてもここには表現しきれない。
友人とのやりとりに関してもそうだが、言葉にできない・表現しきれない、なんて小説家志望としては落第である。それに、きちんと日常を送っている人たちにとってはこれくらいありふれた出来事なんだと思う。
自分の言葉でしゃべれ、というのはお前が感じたことをしゃべれ、お前が理解したことをしゃべれ、であって、オリジナリティを発揮せよ、とは違う。
たとえば、何かの説明をするときに、「○○さんはこういうことだと言っていました」という説明をするやつがいる。
それはそれでいいんだけど、で、お前はどう思うんだよ、っていうのを知りたいんだよ。お前というフィルタを通した後に、感じた理解を知りたいんだよ。
という感じ。
第一集団にあえて順位を付けるとすると,大幅に良くなって驚きを提供してくれた石田さんがトップで,高瀬さん加賀さんが続き,その後に川村さん譜久村さんという感じ。
という感じでかなり激戦。3人1組の2番目のブロック(金澤さん,上國料さん,島倉さん)がとにかく強くて,そこに他ブロックの強者が食い込んでいった感じ。
こちらも第一集団にあえて順位を付けるとすると,技術的に大幅に改善されて飛躍的に聴きやすくなったことで,もともと強いエモさがより強烈に伝わるようになった佐々木さんがトップ,次いで同じく改善された(というか自分の好みに近づいた)上國料さん,僅差で高木さん伊勢さんが並び,また僅かな差で島倉さん金澤さんという感じだった。
A,Bとも開催地宮城県出身のメンバーがトップだったのだが,これは自分としてはたまたまで(もちろん彼女らが凱旋公演ということでより一層研鑽した可能性を否定する気は全くない),2人とも前回個人的に欠点と感じた箇所がほぼ解消されて,歌の良さの伝わり方が大幅に良くなったことによるところが大きい。。
無理に流行らせようとしているんじゃないかとすら思ってしまう。
嬉々として使っている人たちは、もうちょっと自分の日本語感覚を大事にしてほしい。
口に出したくなるようなリズミカルさやオリジナリティを持っている。
もしくは今まで言語化できなかった事象を一言で表すような「これだ!」となるような革新さを持っている。
例えば、
・即ハ〇ボンバー
・だいしゅきホールド
等、めちゃくちゃ口に出して言いたいし、どういう状況なのかもわかりやすい。
チーズ牛丼は正直どれも持ってないし、本当に流行る理由がわからない。
皆この言葉を連呼してて楽しいですか?良いネットスラングって使ってて楽しいですよね?
果たして「チーズ牛丼」にはネットスラングとしての風格があるのか、考えてみてほしいです。
まだ「子供部屋おじさん」の方が良い。
↑のブコメが地獄すぎる。元増田が書いてる内容がそう的外れだとは思わないのだが。
「これらをすべて守らない奴は不潔!」と言ってるわけじゃなく、たとえばこういう点に注意するといいよという話であって、参考になりそうなものを自分の生活に取り入れていけばいいじゃん?
というか、これだけ具体例を出して説明してるのを「しょせんイケメン無罪だろw」って切り捨てる奴はさすがに卑屈すぎるだろ。
それを言ったら男のほうが「かわいいは正義」っていう考えで女の外見を評価してるわけだし。
あと「これをやったからっていい人止まりになるだけだし〜」っていうブコメについては「そりゃそうだろ」としか言えない。
元増田が書いてるのは「万人に嫌われないようにする最低限のライン」であって、「特定の人に好きになってもらうための条件」じゃない。
あくまで基礎を習得したうえで、そこに自分の趣味なり価値観なりを乗っけていくことで「いい人止まり」を脱却できるっていうことだと理解してる。
基礎もできてないのにオリジナリティを出そうとするのは順序がおかしいし、かといって基礎を延々やり続けてもオリジナリティは出せないってこと。
表記は以下:
だいたい創作界隈というのは二次創作の方が賑わってて、同人誌と言えばエロ二次漫画というイメージの人も少なくない。その中でもイラスト・漫画じゃない一次創作ときたらそれはもう手に取って貰いづらい供給過多のジャンルで、ちょっと検索すれば「小説同人誌は読んで貰えない」「小説同人誌は不人気」系の話題はぞろぞろ出てくる。
そんな界隈でファンタジー+SFな世界観で活動してきた。これまた供給過多のジャンルだが、狭い界隈には狭い界隈なりの交流とか面白さがあって自分なりに楽しんでやってきた。別にプロになりたいわけじゃなく自分の書きたいものを書いて形として残すのが楽しいだとか、売れるかどうかじゃなく自分の頭で一から考えた世界を作品にすることに意味があるだとか。
そりゃもちろん人気が出ればそれに越したことはないから、負け惜しみがなかったとは言わないが。人気絵師さんに挿し絵描いて貰ったりウェブ小説を見ていた編集者の目にとまったりとか妄想したことがないとは言わないが。
さて、オリジナル小説は読んで貰いにくいという話を最初にしたが、そんな状況は最近ではずいぶん変わったと感じる。オリジナル同人誌の即売会と言えば40年近い歴史のあるコミティアだったが21世紀に入って文学専門の文学フリマが始まり、2010年代からは東京だけでなく日本各地で毎年開催されている。なろう・アルファポリス・エブリスタ・カクヨムなど小説投稿サイトも多数登場した。
そこに行けば「オリジナル小説を読みたい!」という読み手が確実にいるのだ。もちろん今でもオリジナルは読まない・読んでも漫画だけ・二次創作でも小説は読まないなんて人はいっぱいいるんだろう。でもウェブ小説(オリジナルの)を読んで貰える場所は確実に広がった。小説投稿に特化しただけあって読みやすい&使いやすい&検索しやすい&感想をフィードバックしやすい優れた環境が用意される時代になった。
そういう恵まれた環境がある時代、素人がウェブ小説の投稿をきっかけにプロデビューするのが妄想ではなくなってきた。だって実際にデビューしてるし。書籍化タグがついた作品は本当に紙の書籍になって店頭に並ぶのだ。あの有名絵師さんに表紙とカラーイラストと挿し絵を描いて貰えたり漫画化やアニメ化されたりすることが本当にあるのだ。
そうやってウェブ小説というジャンルがメジャーになっていくとその中にも流行があるのが見えてきた。中世風ファンタジーが人気で純文学は不人気だろう、というようなイメージではなくもっと具体的に「平凡な俺が異世界に転生したがスキルを生かして英雄になる」とか「乙女ゲーの悪役令嬢に転生したので破滅エンド回避したい」が人気らしい、とか。その逆を張った「異世界に転生したけど一市民として平和に暮らす」とか「破滅エンドで追放されたから自由に生きる」も既に出現してる、とか。
流行ってる設定があるということは、同じような設定で書かれた作品がいっぱいあるということだ。いくつも読んでいくとこれ前も見たな……というシーンがどんどん目に付く。確かに登場人物や世界観はオリジナルでも流行ってる設定に乗っかって書くのに一次創作の意味があるのか?と思った。
それがそのまま自分の身に返ってくることに気付いてしまった。自分の書いてるのは確かに今流行のパターンではない、でもファンタジー+SFでライトな雰囲気の冒険ものなんてこれまで山ほどあるじゃないか、と。流行り物に乗っからずに自分だけの世界を作ってるつもりでいながらオリジナリティなんて胸を張れるほどなかったんじゃないか、と。
正直、一次創作やってる人にはどこか二次創作を見下してる部分があると思う。あっちは他の人が考えたキャラや世界観を借りてるけどこっちは自分で全部考えた自分だけのキャラと世界観なんだぞ、と。どんなに稚拙でも売れなくても借り物じゃない自分の作品なんだぞ、と。
でもオリジナル創作だって、すべてを一人で産みだしたわけじゃない。これまで読んできた作品の影響は誰だって受けているし、あんな作品を創りたい!と思って創作を始めることは別に珍しいことじゃない。トールキンみたいにエルフ語を自分で作りましたなんて人は滅多にいない。
自分で考えた自分だけのオリジナル作品です!という看板には思ってるほどの権威なんてないんじゃないだろうか。どこかで見たような設定でも流行りまくってる二番煎じの設定でも読者は面白ければ読むし本は売れるし商業で出るしメディアミックスはされる。趣味だから別に売れなくてもいいもんという話に戻るなら、大事なのはやってる本人が楽しめるかどうかだ。アマチュアが自分の頭だけで一生懸命考えたつもりのオリジナリティなんて、そこでどれくらいの意味が持てるんだろう。
暇を持て余して漫画やなろう小説しか読んでいない日常を過ごしている。
普通の小説も昔はよく読んだが今ではあんまり込み入った話をよみたくない年頃である。
しかしなろう小説の良さは、二次同人小説と同一線状の楽しみがあることだと思う。
こう言う話を読んだ、面白かった、似たストーリーの話をもっと読みたい、と言うときに
なろうの世界は同一ストーリー、しかも少し味付けを変えたやつ、を読み切れないほど用意してくれている。
キラキラしい主人公たちの名前? わかりやすくていいじゃないか。
馴染みのない普通の横文字名前なんか大量にでてきたら誰が誰だかわからない。
いちいち説明されてたら理解するのがめんどくてそこで読むのやめる。
なろう読者はシチュエーションが見たいのであってオリジナルな世界観など興味ない。
私たちは二次小説を読むとき、技巧なんぞ気にしているだろうか。
そんな物は気にしない。好きなキャラたちをみたいのだ。
程々読みやすく、知った世界観で、このキャラがこう言う風に行動したら良いなーみたいな、そう言う願望を満足させてくれたら十分だ。
なろうも同じだ。
これだけはやっている姿を見ればもうわかるだろう。
なろうに限らず、今時は、小説にこ難しい理論や練られたプロットや優れた心理描写などいらないのである。
鼻にかかったぶりっこ声と舌足らずな喋り方、Twitterに載せられるクリームパンみたいな太った手が見切れた写真、野良で組んだパーティ仲間への暴言、オリジナリティ満載な時代遅れのキラキラ定型文挨拶、どっかの絵師のTwitterから持ってきたであろう少女漫画みたいな女の子のアイコン、わざとらしい初心者へのアイテム支援、全部が見ていて痛い。
なにが一番痛いって、声と話の内容から推測するに姫ワナビおばさんはおそらく30半ばくらい。
姫やっていいのはJDまでだろ。
しかも、サーバーには寝てるとき以外ログインしてる上にいつもPCから接続してるアイコンが出続けてる。
たぶんニート。
サーバーのメンバーがいつログインしてるかも監視してて、ログインしててもVCに来ない奴の悪口は平気で言う。
ネトゲやってるやつにまともなやつはいないが、自分が見てきた中でも群を抜いてヤバすぎる。
推定30半ばニートの性悪ぶりっこデブおばさん、見ていて痛い。
同じサーバーで遊んでいたら、ここを抜けてもいつかゲーム内で遭遇するだろうと思うとVCサーバーから抜けられない。
戻れるならコイツと知り合う前に戻りたい。
未だに「なろう小説の流行りは異世界転生」なんて思ってるやつはいないかな?
そもそも16年間という長大ななろうの歴史において異世界転生が流行っていた時期なんて半分くらいしかない。
本当はすごい力や才能を持っている主人公が周囲に認められずに、解雇されたり裏切られたり迫害されたりして、その状態から成りあがるというテンプレだ。
異世界転生じゃなくて、最初から純正異世界生まれの主人公がそういう目にあう。
どうして今、こういう流行りになっているのか。少し長いけど、サイトの初めから歴史を追ってみようと思う。
「小説家になろう」において最初にやってきた流行はVRMMOだった。そう、異世界転生じゃないんだ。
この時期は、なろうに限らずネット小説界全体で、このテーマが流行っていた。SAOとか。(元はネット小説だったって知ってる?)
なろうでは、ゲームの中と思ってたら本当の異世界だった、みたいなパターンも多かったように思う。
「最近のVRMMOは凄すぎだろ」とか、好きだった。
にちゃんねるのSSスレなどで、エヴァ・ひぐらし・なのは・Fateなどを経由して育てられゼロ魔によって爆発した二次創作の手法の諸々。
それが、なろうのグループサイトである二次創作専門投稿サイト「にじファン」を通ってなろうに流入した。
特にゼロ魔SSの人気と書きやすさが凄まじく、そのタイミングでの「にじファン」の閉鎖があって、一次創作へゼロ魔SSの手法が完全に浸食。
この時、なろうがもともと有していたVRMMOブームのノウハウと合体して、ゲーム的異世界へのチート付き転生というテンプレが爆誕してしまった。
これが驚くほど書きやすさ・読みやすさ・とっつきやすさがあり、ランキングは異世界転移一色になった。
最初はまだ転移の方が優勢だったのだが、より書きやすいのか、あとから転生が多くなる。
なろうの作家たちは、あまりに書きやすいテンプレに沿った話づくりと、捨てられない創作者としてのプライドとの板挟みにあい、結果、能力面などで一点突破のオリジナリティを追い求めるわりと修羅の国になった。
なろう認識が異世界転生で止まっている人は、ここから先は知らないかもしれない。
実は小説家になろうでは、余りにもランキングを異世界転移/転生が独占している状態が続いたため、これらの要素を持つ小説が別ランキングへ隔離されることになった。
(ちょうど異世界転生を批判するエッセイとかが量産されていた時期だった。個人的にはああいう方法での主張はダサいと思うが。)
異世界転移/転生はサイトの見やすい位置に表示されることがなくなり、作者たちは新たなブームを探った。
その結果見出されたのが、ハイファンタジーとローファンタジー。
小説家になろう内の定義では、最初から最後まで話が異世界の中だけで完結するのがハイファンタジー。現実モデルの世界でのファンタジーや、現実と異世界を行き来するものがローファンタジーとなっている。
一見相反するように見えるこれらのジャンルだが、ほぼ同時に、ほぼ似たような形で流行ることとなる。つまり、異世界転移/転生の代替としての流行だ。
たとえば一般的な異世界転生のテンプレにおいて、転生するところを削ったらそのままハイファンタジーになり、ランキングに乗る。
また、現実世界から異世界に転移する部分だけを、逆に現実世界が突然異世界化してしまうような導入に変えれば、ローファンタジーとなってランキングに乗る。
しばらくは従来のテンプレそのままみたいなのが流行っていたが、面白いことにこれらのジャンルには先住民がいて、昔から綺麗な恋愛関係などに主眼をおいた小説が流行っていた。
それらと従来テンプレが合体し、ハーレムではない純愛をメインとした、でも結局チート転生風な感じの、新たなテンプレが流行るようになった。
そして、今に至る。なんでここへきて追放系なんだろうね。いちおう異世界転移の頃から萌芽はあった。盾の勇者とかまさに追放系だし。
どうも、前述の純愛風チート転生風not転生ハイ(ロー)ファンタジーの、各要素の食い合わせが意外と悪く、どこかでガタが来たんだと思う。
主人公がそんなに強くて魅力的だと一人のヒロインとの純愛は書きにくい感じなのかな。
ただ、異世界転生の頃に流行っていたようなチートハーレムは、あれはあれでヒロインの数を増やすのが正直面倒。
その結果、一番書きやすかったのが、盾の勇者などで既に見られていた、自分の能力を理解してくれない周囲/それを見出して受け入れてくれるヒロイン、の構造だったのかもしれない。
とにかく、今ランキングを見に行くと、異世界ブームの頃とは結構様変わりしていて面白いと思うので、一度訪れてみてください。
【追記】
悪役令嬢ブームについては敢えてオミットした。というのも自分が男性向け界隈しか追ってきていないので、書けるほどの情報量が無いからだ。
悪役令嬢は男性向け異世界転生であるRPG風チート転生ハーレムが流行っていた時期に突如として登場した女性向け界隈の情報チート型の異世界転生だ。
男性向けとはパラレルに、枝分かれする形で流行していた。総合ランキングにも入ってきてびっくりした記憶はある。
だがどうも今回のブコメ等を追っていると、この男性向けと女性向けの枝分かれはハイファンブームの頃に合流していて、それが追放系の下地を作ったらしい?
ちょっとした日常の出来事とか、難病との闘いの記録とか、そういう体験談が書かれているブログを読んでいると
「『悪役の名前が自分の名前とかぶるから、登場人物の名前を変えてほしい』という意見があるから名前変えます」
みたいな文章とともに変更が入ることがある。
自分の名前と同じ名前の登場人物が悪役だったとして、それは気分が悪いことなのだろうか。
自分と同じ名前が悪役だったとしても、それは自分自身ではないはず。
親のオリジナリティが溢れた名前でない限り、世の中には名前が同じ人はかなりの数存在するはずなのに。
それはただの鬱 そこまでオリジナリティないよ
ボロカスに叩かれるほど悪いとは思えない。
フェミニストでも、守られたい。フェミニストだから、守りたい | かがみよかがみ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/mirror.asahi.com/article/13432941
強い家父長(男性)による庇護と安定的な経済資源の供給のもとでフェミニズムの学習と実践に取り組み
家父長制を否定しつつ結果的にそれに頼る傾向があると批判されることもあったが
家父長による庇護の必要性を自覚的に論じるフェミニストはほとんど例がない。
奇をてらった初学者の思いつきというわけでもなく
モヤモヤした気持ちを救ってくれたのもフェミニズムだった
一橋大学の佐藤文香先生はゼミ生たちと『ジェンダーについて大学生が真剣に考えてみた あなたがあなたらしくいられるための29問』(明石書店)という本を出しておられます。その中で「専業主婦になりたい人もいるよね?」という問いがあり、先生からの答えも掲載されています。先生は、フェミニズムの観点で問題なのは、職場での男女差別や賃金の非対称性によって専業主婦にならざるをえなかった女性たちだと答えています。専業主婦になるならないという選択は、「性別にとらわれず、自由に生きられる社会の実現」というフェミニズムの観点からすればいずれも間違ったものではないのです。
主張の根幹を支える既存のフェミニズムのテキストも存在しており
フェミニズム界に新たな風を吹き込むのみならず
コロナで自粛していたここ数カ月、暇を見つけてはVtuber動画に熱中していた自分だったが、最近段々と我に返ったかのように熱が冷めてきた。しかしなぜだろうとその理由を考えてみた。
・まずチャンネルページの動画一覧にずらりとサムネが並んでいるのがなんかダサい。1本あたり一時間とか二時間とかの中身のないだらだらとした雑談とか下手くそなゲーム実況で埋め尽くされているため、Vtuberの活動って一体何なんだろうと思ってしまう。(おまけに同じ企業でも膨大な数の配信者がいるため、視聴者の時間の奪い合いをしているのだと考えると虚しくなる)
・「チャンネル登録者数〇〇万人達成!!」とかの文言をみると結局、空虚な数の競い合いなんだと思えてしまう。(おまけに毎度のこと誕生日パーティーのような催しが盛大になされる)
・配信開始前にOPがついてる必死さが萎える。(peercastやニコ生にOPついてるのを想像するとなんか笑ってしまう)
・日本のアニメ漫画文化を培ってきた人々の成果を、なんだかタダ乗りしているような気がする。(Vの人たちも普通の声優と変わらない気もするのだが、しかし声優は声優で技術を磨き一つの仕事に専念して偉大な作品を作り上げてきたはずだ)
・知らぬ間にライブでずいぶん盛り上がったようだが、しかしこれも考えてみれば他の歌手の曲を「歌ってみた」だけだった。
・コロナで世間が混乱しているさなか、棚から牡丹餅とばかりに集金活動に勤しむ。(ちゃんと寄付とかしてるのか?)
・他人の著作物は金儲けに利用するが、自分たちの3Dモデルを金儲けに使われるのは規約違反という徹底さ。
しかし結局やってる内容はテレビのバラエティ以下なんじゃないか?彼ら彼女らにとってゲーム自体に興味はなく、数字が稼げればそれでいいのだ。
最近あった権利問題にしろ、何もかもがグダグダで中途半端な印象でしかなくなってしまった。身内のごたごたがある種のコンテンツになっているが、そんなもの楽しんでも仕方がない。
これからの時代、クリエーター志望の若い子が金儲け主義に走って中身のないコンテンツを量産しまくるのだと考えると暗澹たる思いだ。そのうち大手広告代理店なんかが絡んでそれは加速していくのだろうか。
もちろんすべて個人の感想でしかない。ただ、この業界全体を俯瞰して思うことは、やってることの割には金が流れ過ぎなんじゃねぇの?とは思う。初期の頃はこれが次の時代を担う新しい文化なんだなぁと思っていたのだが、如何せん場末の地下アイドル崩れみたいな連中が何の目的も高度な技術もなく、巨大なプラットフォーマーら(Youtube、エンジニア、イラストレーターなど)数字至上主義の連中の食い物にされているような気がして、肝心の「物語」がうまれてこず、オタク人生を数十年続けてきた身としては、ますます日本のオタク文化もつまらなくなるのかなと思った今日この頃。
こいつらは数年後、何をもって「私たち、頑張ったよね?」と互いを激励し合えるのだろうか?後に残るであろうものは、膨大な時間を浪費しただけの空虚な動画の一覧ばかりだ。頑張ったと言えば頑張ったといえるであろうが、やっぱり無といえば無だよな・・・と思えるそんな危うい業界。
自分がコロナで鬱になってるだけかもしれないから、聞き流してもらって構わない。
自分もVTuberのそれぞれ個性的な声とイラストのマッチングのクオリティに当初は感動さえ覚えていたもので、これが新しい文化を作ればいいと思っていた。(彼ら彼女らは、なんというかうまく言葉にできないけど、現実の人間と、2次元のキャラクターというものの枠組みを拡張させる何かがあるような気がした。)
しかし結局自分に対するコメにもある通り、嫌儲的な思想にならざるを得ないし、そうなることが正義のような気がする。
彼女らは自分たちで実際にソシャゲやゲームの課金要素に金を突っ込みまくり、それがさも普通の事であるかのように演出してみせる。そうなると当然、彼女らにスパチャを投げるのが当然のことなのだと若い子らを間接的に洗脳する。(Vtuber本人たちにもその意図が見え透いている感じがする。)
現代の貧乏な日本社会では、本を買う金すらも惜しむはずなのに、あんなものに金を突っ込んで本当に大丈夫なのか?と考えざるを得ない。
確かに世の中にはソシャゲやらなんやら巧妙な商法がもはや当然のようにまかり通っているが、Vtuberもまた、形を変えたキャバクラやホストのようなものだときつく言及しておいたほうがいいのではないか。
あの高速で流れる赤スパ(1万円の寄付)のような、金の流れを見ていると、自分もこの流れに乗らなければならない!と熱狂してしまう人間が少なからずいることは当然のことではないのか。一時の感情に瞬間的に値段をつけさせるシステムが怖い、というのもある。
自分は別に彼女たちのことが嫌いではないし、嫉妬しているわけでもない。むしろ彼女たちは根本的に頭が悪かったり、貧乏だったり、もしかすると見た目が悪かったりして不遇な人生を歩んできた人たちが多い。(確かにこれはほとんど憶測だが、自分の好きな女性Vはアイドル目指す以外に何の取り柄もなく、家庭環境もまともでなく、とてもまともに社会で生きていけるとは思えない人たちばかりだった。余興でやってる余裕のあるVならともかく、何の保証もない不安定な世界に飛び込んで毎夜のごとくメンヘラ発症してるのを想像するといたたまれなくなる)
そんな人たちが頑張って毎日のように配信したりTwitterで宣伝する姿は胸打つものがあるのだが、これも結局バックの何も考えていない大人たちに踊らされている気がしている。(ある配信者は、得意だったテトリス配信が権利関係のごたごたでできなくなってしまった)。
彼女たちは政治について語ることはないし、語ることもできない。無駄に歳を重ねて新しい若い子がでてきて一瞬で捨てられて忘れられてしまうのかなと思ってしまう。そう考えると彼女たちに全力でコミットできない。
自分はVの世界というか、アニメ漫画業界、あるいは今はGAFAに乗っ取られた日本社会全体について危惧している気がする。金持ちがいくら散財しようが知ったことではないが、10年後、20年後に咲く花の種を今植え始めたのだと考えると、今のアニメ業界(なろう系のような)を見れば焦土と化しつつあるのは火を見るよりも明らかだ。
既存のyoutuberや自分の嫌儲思想とごっちゃにするなという意見はわかるが、全てはつながっているし、つながってしまった。
youtubeというプラットフォームのせいで、どのコンテンツにどれくらいの価値があるかということが、動画再生数やチャンネル登録者数で決められてしまうような気がしている。そんな世界からオリジナリティのあるものなど生まれてこないのだ。なぜ、しょうもないお笑い芸人やyoutuberたちと高尚なオタク文化が混同されなければならんのだ。
Vtuberだけが倫理観のあるプラットフォーマーが構築した独自のシステムに移行するというのなら、自分は喜んで金を出すだろう。これだけ無駄に長い謎長文を書いてるんだから、自分がどれだけVtuberを愛しているかわかるだろう。
何か根本的なものが間違っている、これでは10年後に何も咲くものないのではないか、ということがいいたいだけだ。
確かに自分にしか当てはまらない、1つの実感でしかないかもしれない。自分には向いていないものかもしれないし、知らないVもたくさんいたことだろう。しかしなぜ、このような戯言のくだらない記事がここまで伸びてしまったか、そのこと、その事実そのものについて考えてみてほしい。熱狂していたものに冷めてしまうことというのは、日本人の戦争に対する見方を取り出すまでもないが、勝手に信じて勝手に裏切られたような気持ちになるのは見当違いだろう。「興味ないなら黙っていればいいじゃん」というロジックの人間は、ならば自分のこの記事に対しても余計なことを言わず黙ってスルーしてればいいじゃん、と忠告しておく。
いや、皆様本当に申し訳ない。こんな記事にたくさんのマジレス頂いて本当に恐縮しております。
考えてみれば自分がこんな文章書こうと思ったのはつい数日前にnetflixで攻殻機動隊見てそのクオリティの高さを改めて思い知り、今のアニメ産業に言いがかり的に文句言いたかっただけのようだ。自分の精神的な未熟さを甘んじて受け止めると共に、確かに自分もVtuberのことを皆様ほどあまりよく知らないのです。この記事にしたってよく考えて書いたわけではないし、ふと日本のサブカルチャー的なものに不安を感じてしまい、気軽なつもりで書いてみたら予想外に伸びてしまいました。
しかし逆にどうしてこれだけの人がこの記事に反応しちゃったのか疑問でもあります。
むしろ皆さまの方にV業界に関して思うところがあるのではないでしょうか?どうでもいいならむしろスルーしているはずです。それがこの業界の"鉄則"だったはず。
業界に対して、何か思うところがあるのなら、今のうちにちゃんと議論しておいて小さな芽は潰しておいたほうがいいのでは?
次に何を書けばもっと伸びるか考えてる。こりゃ確かにハマるわ。こうやって数字稼ぎを頑張ってるんだね、今の人々は。コメント欄でも書かれていたが、何もかも "not for me"だよ。すべてブーメランなんじゃないか?
そもそも俺は何も考えて書いてないもの。何を書いたのかももう忘れてしまった。
実は俺には何の信念もないし、何もよくわかってないし、何も考えていない。
それでも今のあなた達のような人々の神経を逆なでするくらいは、どんなネタでもあっけなく簡単にできるということが今回分かった。
この流れに乗じて言うが、コロナの件でも思ったけど今の人たちは言葉数が少なすぎじゃないか?
そうやって気にいらない意見を全力で叩き潰そうとしてもがき苦しんでいる姿があなた達の"病理"だと思う。
行け!もうすぐで200だ!
200行ったら記念配信するからみんな赤スパ投げてねv(^^)
今のあなた方を煽って数字を稼ぐのも、喜ばせてスパチャ投げさせるのも、赤子の手をひねるように簡単かもしれない。
ただ反応してるだけで、何の信念もない。もちろんこの記事も中身がない。
いつの間にか200行った!見ろ、数字ってのはこうやって稼ぐんだよ。
ふとVtuber的なもののパロディをこの場で再現できるのではないかと思いつき、良質な中身のないコンテンツを皆様にお届けできるかと思ったのだが、さすがに疲れたのでここで降りる。あなた達の時間を奪うことは、私の時間を無駄にすることと即ち同じだった。
たった少数の人間にたくさんの人間の人生の時間と金を消費されてることについてもっと考えてほしい。特に最後までこの記事を読んでしまったような人達と、給付金を一瞬でVに散財してしまったフリーターの友人に対しては。
自分はゆたぼんがお前らのせいでダークサイドに落ちないように見守る仕事に専念する。
起きたらまだ伸びてたので最後に1つ、自分が本当に言いたいことだけ書いておく。
別に特定の企業がどうとか、権利関係がどうとか、V業界に関する不満をぶつけてるわけではない。
それは飽くまできっかけに過ぎない。
このコロナ禍で思ったことは、個々の人間がどう立ち回れば自分が最も有利なポジションにつけるか少なからず学んでしまったことにあるんじゃないか、ということだ。
自分はたまたま在宅勤務を命じられて家にいることができたけど、現実には外で仕事するしかできない人間がたくさんいるってことだ。そいつらの中にはウィルスに感染して自粛警察や近所の人間に心無い迫害を受けたり、あるいは破産して生きるか死ぬかの瀬戸際をさまよっている奴もいる。
ところがyoutuberはどうだ?むしろこの機に乗じて独り勝ちして、リアルが上手くいかずやけくそになってる引きこもりリスナーは金を吐き出しまくっている。
確かに嫌儲は不健全な思想だろう。けれどこれが、儲けるにせよ儲けないにせよ自己責任という形をとってほしくないのだ。
自粛して家にいた若い子供たちの中に、恐らくこう思ってる奴もたくさんいるかもしれない。
「なんだ、結局外に出て働いている奴がバカで、家にいて配信で人集めて金稼いだ奴が勝ちなんだ」と。
これは俺の思い込みかもしれない。しかしそうでもないかもしれない。少なくとも自分だったらそう思っていただろう。
嫌儲だ!嫌儲だ!とバカの一つ覚えみたいに過剰に反応してレッテル貼りしてみんなで安心感を得たい気持ちもわかるが、しかし君たちの現実は大丈夫なのか?本当に生活費は払えているのか?少なくとも良識ある大人なのだったら、もっと自分の人生に必要なものに金を使ったほうがいいし、そういう忠告をする人間の言うことを多少は心にとどめておくべきだし、他人にもそう諭してやるべきなんじゃないか?
何に金使うのも自己責任、他人をそそのかして金を使わせるのもそいつの自己責任、Vにならなかったのもそいつの自己責任、そんな危ない思想を若い子たちに広めないでほしい。
多少思うところがあるから君たちも反応しちゃったんだろう、でなきゃそもそもこんなどうでもいい記事は普通ここまで伸びない。
キャラの向こう側にいる等身大の彼女たちをちゃんと見極めて、プラットフォーマーたちの作ったシステム上で数字を稼がせ、それが彼女たちのアイデンティティの全てだと思わせ、そのためには何でもするという闇に引きずりこまないでほしい。