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はてなキーワード: インターネットとは

2024-06-20

anond:20240620020304

実際そういう経済的弱男いっぱいおると思うよ。

インターネットの声デカ老害化してきて喚き散らすようになってきた非モテ弱男ばっかりだけど。

2024-06-19

anond:20240619212656

結果ではないだろ

女叩きなんてインターネット黎明期からあった文化なんだし

事実捏造したら駄目だ

anond:20240619194854

インターネット黒歴史なんじゃあないの?

いまの時代に「結婚したけどモテなくて辛い」なんて言ったら一般人でもワンチャン炎上すると思う。

2024 年の検索エンジンとしてのソーシャル メディア

今では誰もが何かを検索するためにソーシャルメディアを利用していますレストランコース洋服店など、文字通り、あなたが欲しいものはすべてソーシャルメディアだけでなくGoogleでも入手できます。人々はソーシャルメディアを娯楽のためだけでなく、何かを知ったり、世界で起こっていることに関する情報を入手したりするために利用しています。たとえば、最新のニュースはまずTwitter (X)でトレンドになり、次に他のソーシャルメディアプラットフォームトレンドになります私自身、何かを検索したり購入したりするためにソーシャルメディア使用することがありますソーシャルメディアに関する私の個人的経験はかなり良いものです。

しかし、まず検索エンジンとは何かを理解する必要があります

検索エンジンは、インターネット上で何かを検索したい場所のようなもので、探しているものを見つけるにはキーワード入力するだけです。ソーシャルメディアが登場する前は、Google世界リードする検索エンジンでした。「ソーシャルメディア」が検索エンジンだと言っているのではありませんが、正直に言うと、私たち人間ソーシャルメディア検索エンジンにしてきました。頭に浮かんだものはすべてGoogle検索していました。実際、ソーシャル メディアが登場する前の時代には、何かを検索することを「グーグル検索」と呼んでいましたが、現在ではソーシャル メディア検索エンジンとも呼ばれています検索すると、グラフィックとともに多くの回答が得られるからです。

しかし、このソーシャル メディア検索エンジンとして利用しているのは、ジェネレーション Y とジェネレーション Z です。テクノロジーが変化するにつれて、テクノロジー使用理解に対する人々の認識が一変しています。これらの世代の人々は、娯楽を楽しむためだけでなく、人々とつながり、創造性を披露し、群衆から目立つために、ソーシャル メディアを大いに利用しています

しかし、ソーシャル メディアはどのようにして検索エンジンになったのでしょうか。

FacebookTwitterInstagramLinkedIn などのソーシャル メディア プラットフォームには、膨大なクリエイティブ コンテンツ毎日投稿する数十億のユーザーがいます。このユーザー生成コンテンツには、投稿コメント画像動画などが含まれており、ソーシャル メディア豊富情報リポジトリとなっています

ハッシュタグキーワード、高度なフィルター使用すると、検索に関連する情報を取得できます。たとえば、Twitter の高度な検索では、日付、場所エンゲージメントトリックツイートフィルターできますソーシャル メディアの利点の 1 つは、わずか数秒でリアルタイムデータ提供できることです。そのため、ソーシャル メディアは最新のイベントを把握するための貴重なツールとなっています視覚的に説明されると、人々はすぐに理解します。そのため、InstagramPinterestYouTube は、テキストではなく画像動画に基づいてコンテンツを見つけることができるビジュアル検索で人気がありますソーシャル メディア検索結果は、コミュニティエンゲージメントソーシャル バリデーションの影響を受けることがよくありますいいね、共有、コメントリツイートは、コンテンツ品質と関連性の指標として機能し、ユーザーが最も人気のある信頼できる情報を見つけるのに役立ちます。見てみましょう:

ソーシャル メディア検索エンジンとして使用する利点

ソーシャル メディア検索エンジンは、ユーザーの興味、ソーシャル コネクション、以前のやり取りに基づいてパーソナライズされた検索結果を提供できます。たとえば、フード リールを見るのが好きな場合Instagram は好みに関連するリールもっと表示します。このパーソナライズにより、見つけた情報ユーザーの好みやニーズに関連していることが保証されますソーシャル メディアリアルタイム直感提供するため、ユーザーは最新のニューストレンド更新アクセスできますソーシャル メディア検索すると、さまざまな視点出会うことができ、問題トピックのさまざまな側面を理解するのに役立ちますソーシャル メディアの助けを借りて、世界中の人々のさまざまな視点を知ることができるだけでなく、他の人と交流することもできますソーシャル メディアは、パーソナライズされた推奨事項で新しい更新トレンドについてあなたに知らせてくれます

Google 検索エンジン VS ソーシャル メディア検索エンジン

検索ソーシャル メディア使用できることを理解する前は、人々は Google ですべてを検索していましたが、両者に違いはあるのでしょうか? はい、間違いなく違いがあります

Google 検索エンジン

Google は、何十億ものユーザー世界で最も使用している検索エンジンです。Google では、検索に関する地図記事画像ストーリーニュース書籍などのオプション提供しています記事ランキング方式使用しているため、検索に最も関連性の高い結果を得ることができます。また、関連する検索フィードバックレビュー確認して、クエリに最適なソリューション選択することもできますGoogle マップと Google マイビジネス活用した Googleローカル検索機能は、場所に基づくクエリに対して正確で関連性の高い結果を提供します。これは、近くのサービスレストランビジネスを見つけるのに特に役立ちますGoogle は、Google Scholar、Google ブックス、Google ニュースなど、さまざまなツールサービス提供しており、さまざまなドメインにわたる専門的な検索ニーズに応えています

検索エンジンとしてのソーシャル メディア

ソーシャル メディア使用すると、人々と交流し、わずか数分でクエリ解決策を得ることができます検索に対する人々の見方理解できますソーシャル メディアは、リアルタイム情報提供するのに優れていますプラットフォーム Twitter などのソーシャルメディアは、速報、トレンドトピックライブ イベント最初に報告することが多いため、最新情報を把握するのに非常に役立ちますInstagramPinterest などのプラットフォームビジュアル コンテンツを重視しており、ユーザー画像動画を通じて情報発見できます。これは、ビジュアル学習と探索に対する好みの高まりに応えるものです。

ユース ケースと利点の比較

情報の幅と深さ:

Google: 幅広いトピックにわたる詳細な調査学術研究包括的情報検索に最適です。

ソーシャル メディア: トレンドトピック時事問題個人意見ユーザー生成コンテンツ発見するのに最適です。

リアルタイム情報:

Google: 構造化され検証された情報提供し、多くの場合、さまざまな信頼できるソースからニュースを集約します。

ソーシャル メディア: ライブ イベントリアルタイム更新と即時報道を提供するため、速報や即時情報の入手先として最適です。

ビジュアルおよびマルチメディア コンテンツ:

Google: YouTubeGoogle 画像などのプラットフォームを通じて、画像動画インフォグラフィックなど、多様なメディア結果を提供します。

ソーシャル メディア: 視覚的な発見を重視し、InstagramPinterest などのプラットフォーム画像動画ベース検索対応しています

ローカル検索:

Google: ローカル検索に非常に効果的で、近くのビジネスサービス場所に関する詳細な情報提供します。

ソーシャル メディア: 地元イベントコミュニティディスカッション、友人や地元インフルエンサーからの推薦に役立ちます

パーソナライゼーションとエンゲージメント:

Google: ユーザー データ活用してパーソナライズされた検索結果を提供しますが、主にアルゴリズムに基づいて最も関連性の高いコンテンツ提供することに重点を置いています

ソーシャル メディア: ソーシャル接続インタラクション活用して検索結果をパーソナライズし、ユーザーエンゲージメントと参加を促進します。

reference: https://fly-social.com/

インターネット民「ブレイキングダウン」に言及する奴ゼロ人なのマジでなんなん?

今の若者トレンドだったり研究するとき材料として絶対に外せないものだと思うんだよなブレイキングダウン

でもあれを取り上げてる社会学者インターネットのその手の人たちも見たことがない。お前ら本気で若者論やる気あんの?

anond:20240619164527

ネットではなんかそういうこと言う人もいるけど

実際の社会福祉性別関わらず弱者に救済があるべきっていう方針でやってると思うけど…

まあ確かにここまでは女性のほうが社会で生きていくのには不利だったから、男性より保護が手厚い種類の保護制度もある。

でもそういうのもこれからだんだんなくなってくと思うよ。

インターネットでやってるのはそういう実際の制度を知らないかあるいは知っててもめちゃくちゃ言う人が多いか

そういうの信じてるとこの世がものすごく不条理に見えると思うけど

ほんとにそうなのか調べてみるのがいいと思う。

2024-06-18

anond:20240618221543

途中で切れた。長いと切れるんだな。知らなかった。

・総括

概観してみると、今の私を状態説明する要点は、下記のようなものであると考えられる。

特性を持って生まれ子どもが、いわゆる体育会系世界に入れられ、なまじ才能があったがために、支援必要特性について見過ごされたまま、強いストレスを肉体と精神の両方に受けることになったこと。

また、発達特性が仇となり、ストレスを軽減するための人間関係を作れず孤立したこと

これらの要因により精神的な限界に達した時、受けた負荷が強いパニックの形で噴出してしまい、結局はそれが水泳挫折する原因になったということ。

その後も必要ケアが十分には受けられなかったこと。

また、子ども当人(つまり、私)が、その負荷をむやみに強いられたと感じ、母親への不信を深め、その感情に向き合って修復する機会がないまま、成人後に関係破綻させてしまたこと。

そして、これらの感情的な傷付きに至る経緯とは別に特性について適切なケアトレーニングを受ける機会を得られなかったこと。

これらのことが、社会に出てから仕事への意欲が薄いこと、将来への展望を描けないこと、社交場面における不安などに影響し、また自分特性を扱う上での経験不足がストレスによる不眠、日中の眠気などに繋がり、上記不安拍車をかける結果となった可能性はあるのではないか、と私は思う。

そして、冒頭の「あなた言葉感情説明しない」という指摘もまた、やはり『嫌だ』『つらい』という訴えを繰り返し退けられ練習強要された経験から自分のつらさを他人に訴えてケアしてもらうことを諦めてしまい、直視せずに蓋をすることが常態化している精神状態にある、そのために精神的な問題を抱え込みやすくなっている、と説明できるかもしれない。

また、休職前に孤立無援と感じられる状況にふたたび置かれたことで、水泳パニックを起こしたときのように、強いパニックをおそらくまた起こし(あいまいな書き方なのはあんまり覚えていないので)会社に行くことができなくなっている。

これが当時のトラウマのいわゆる『再演』にあたる可能性はあるかな、と少し思う。

とはいえである

両親は私を愛しすぎるほど愛してくれており(少し連絡が取れないだけで着信を100件超えて入れるのが常態化していた程度には)、特に金銭の面では一般的な親の倍以上に私に支援をしてくれたことは事実である

上記事実をもって、私をまだ幸運なほうと思う人もいるだろうし、就活のくだりなんか、特に甘ったれていると思う人間も多いだろう。

ただ、3歳〜16歳ごろの人格形成期+思春期に、チームメイト精神的にまったく連帯できない状態スパルタ式の暴力的な教練を日がな毎日受けるという負荷は、おそらく定型発達の人間でも耐えられる人は限られるのではないか、という気もする。

そういう負荷に発達特性のある子どもが挑む場合には、おそらく精神的なケア定型発達の子ども以上に必要重要なことだったのだろうと思われる。

私がそういう子どもであったことが親の不運で、特性由来のストレスに対する適切なケア社会トレーニングの機会が得られなかったことが私の不運である

正直なところ。

母は小学校高学年くらいの段階で、私を発達障害者だと疑ってはいた。ネットの普及し始めた当時、私の持つASD的な特性の一部分はアスペルガーと呼ばれていたが、そのことについて母が情報収集していたことを覚えている。

しかしそれは、障害を受容した上で、適切な支援に繋げるという結果にはならなかった。

ちょうどそのくらいの時期に平成不況がやってきたのだ。私の特性を考え、進学先に私立中学を視野に入れていた母の計画は、完全にそれどころではなくなってしまった。父の会社にもリストラの波がやってきたのだ。

タイミングの悪いことに、私が水泳の過度のストレスからチックに陥った時、ちょうど母は不況への恐れからパートを始めたばかりの頃だった。私の『病気』の原因について、母は周囲からの責めを一人で負うしかなかった。父の両親との二世帯同居の家で、専業主婦の母は孤立した養育者だった。

結論から言うと父はリストラを免れ、我が家経済危機回避されたのだが、その頃には私の私立進学計画はとっくに頓挫していた。母が「結果で黙らせなさい」と言うようなことを口にし始めたのも、この頃だったかもしれない。

父親はというと、やはり私の親で発達的な特性が強く、自分の興味のあることしかやりたがらないタイプだった。養育者として、社会的な範を示すとか、発達的な特性とどう付き合っていくかとか、そうした問題についてまったく頼りになる人ではなかった。

悪い人ではない。悪気のある人でもない。一流企業にまじめに勤め、高収入であり、私に関わる多額の費用を全部賄ってくれた人である。そしてそれが、おそらく自身でも困りごとをたくさん抱えていたであろう身で父にできた、私への精一杯の愛情だったろうと思う。

母もまた、母の出来ることを最大限にしてくれた。母は、思春期の私の苛烈で発達のアンバランス性格(受けていたストレスを考えると、おそらくそうなるしかなかった)に何度も振り回されて、傷付き、それでも最大限考慮した上で、「あなたは結果で黙らせなさい」と言うしかなかったのだと思う。

これは私がどう生き、どう傷つき、現在どう困っているかにまつわる記録ではあるが、同時に単に毒親から被虐待についての記録としてはなるべく書きたくはないと思っている。充分悪者に書いただろう、と思えるような筆致だったかもしれないので、ここに補足しておく。私は難しい子供で、両親は常に一方的加害者ではなく、私を支援してくれようとした。私たちはお互い感情的な対立を何度も経験し、お互いに何度も傷付き、それを乗り越えてきた。その過程でいくつか間違いがあり、一度関係破綻してしまったが、それでもまだ、この先に和解可能性がないわけではない。

それぞれの人間がそれぞれに苦しんだ結果、私の今日につながっているのである

・これから

これを書いているいま、これからどうなるのか私にはわからない。これらの生い立ちから私が受けた傷を癒せるかもしれないし、そうではないかもしれない。困りごとを軽減してなんとか社会で上手くやっていけるかもしれないし、どうにもならないかもしれない。

ただ、良くなってほしいという希望を持って先生たちは治療に当たってくれているし、希望は捨てるべきではない。そう思うので自分恥部を曝け出す覚悟でこれを書いた。一種の『底尽き』を気力で前に持ってきた、というやつかもしれない。

ただ、強いトラウマを抱えた発達障害当事者予後は正直あんまり良くなさそうだなぁ、とは、当事者たちの声をインターネットで拾ってみて思わなくもない。

・これからどうしたい?

社会復帰がどうなるにせよ、実家にだけは帰りたくない。

ただ、復帰できないとこれが現実に起こりうることが現状最大の懸念である

プリントアウトして病院池添謙一

当然、持っていく予定である

プラダリアの取捨だれかおせーて。

カウンセリング先生も「感情説明しない」と言っただけで、そこまでドバーッといきなり半生にまつわる自己開示が出てくると思ってないんじゃない?

それはそう。

カウンセリングにはこの記録を持っていこうとは思うが、どの程度まで自己開示すべきなのか、いまが適切なタイミングなのか、そのあたりをきちんと確認しながらやっていこうと思う。

少なくとも、これを書き下せたことで、私の中では問題解決へ向けて、整理と準備がついたと思っている。

・おまえが誰かわかった

べつにわかってもいっかと思って書いている。とくに失うものはない。

何かしらの連絡手段で私とつながっていて、内容でなんとなく察した人は、「もしかしてこれお前?読んだよ」とメッセージくれると嬉しいよ。困窮者だ!金ヅルにしよう!と思って寄ってこられるとちょっと悲しい。というか休職人間に金はない。

やあ。まだ生きていますよ、私。あなたはどう?

・本当のトラウマもっと混沌としたもので、こんなに整然と説明できるものではないのでは。ストーリーをがっつり作りこんで、無意識に本当に触れられたくないことから逃げている可能性はないか

自分言語理解比較的高い特性を持っているので、書くことによって自分をメスで捌くように腑分けして、人前に晒すという自傷行動に割と慣れているし、やはり言葉によって自分説明できるとなんとなく落ち着くタイプである。その助けもあってなんとか書き切れたが、それでも書き切るのにかなり涙を流したので、この記録には多大な精神的労力を必要とした。文字通り血を流しながら書いたと言っていい。

その上で、超フラットに、予断を挟まず言えば、その可能性はないとは言えない。私のような人間レトリックを使うのがうまい。そのレトリックの中にいつでも逃げ場を作り出せてしまうので、「可能性がない」と言い切るのはフェアではない。自分でも気づいていない可能性がある。

発達障害水泳平成不況リーマンショック、30代

・これは何か

私の半生を占める水泳と、それがその後の人生に及ぼした影響について整理するために書いた記録である

なお、当時は強いストレス下に置かれていたため、詳細を思い出せなくてぼんやりしている部分もある。

・なぜこれを書いているか

私は現在休職状態にあり、ADHDの診断を受けたところである

精神科に通いつつ、投薬とカウンセリング治療をおこなっている。

そしてカウンセリングを受けつつある今、自分がいまこうなっていることの底にはあまりに苦しかった水泳記憶があり、それを直視することは避けては通れない道ではないかと思ったからだ。

(先生に直接「直視しろ」と言われたわけではない。ただ、「あなた言葉あなた感情をひとことも説明しませんでしたね」、と言われ、その原因を自分で考えていたら、勝手にそこに行き着いたという話である)

正直に言えばそこに目を向けるのはめちゃくちゃ嫌で、前回のカウンセリングを受けてから2週間くらいメソメソメソメソメスティーソ泣いていたのだが、友達と遊んで少し息抜きをしたらちょっとした気づきと癒やしがあり、なんとか気力を振り絞れそうなので書いてみた。

水泳のこと

3歳から高校2年まで水泳をやっていた。

早いうちに才能を見出され、小学校1年か2年くらいでヘッドハンティングのような形で選手育成クラスに移った。

当時、肉体にすごく負荷を掛ける練習方法流行っていた時代だったから、シンプルに肉体的につらかった。スパルタが主流で、体罰は当たり前だった。

楽をしようものならコーチにも怒鳴られ叩かれ全員の前で吊し上げられた。そこまでは周りのみんなと条件は変わらないのだが、私の場合母親ほとんど毎日練習を見にきていて(それほどに熱心な親は他にはいなかった)、仮にコーチに怒られなくても、母親の目から見て私のパフォーマンスが悪ければ、そのことを帰りの車の中で詰められる日々だった。

行き帰りは車で母親に送迎してもらっていたが、車の助手席に乗り込むと母親の「今日練習について」の裁判が始まるので、毎日まるで犯罪を犯して法廷に立たされるみたいだった。キツい負荷の練習をこなしてやっと家に帰れるのに、すこしも安らいだ気分になれなかった。

でも、私は無理にでもやらせればやらせただけ、負荷をかければかけただけ、結果が出せてしまタイプ人間だった。

父親も叔母もスポーツ学生時代成功した経験があって、家系としても肉体的に優秀だったのだと思う。

それが母親成功体験になってしまい、尻を叩けば叩いただけ結果が出るという思い込みを強化したふしがおそらくあるんじゃないかと思う。

長期休みに入るたび、朝夕2回の練習では足りないと別のプールに連れて行かれ泳がされた。この習慣は我が家では「こそ練」と呼ばれていた。

ただでさえキツい練習をしてるので嫌だったが、嫌がれば母親から「速くなりたくないの?」と頷くまで詰められる。

こうやって追い込めば追い込むほど結果が出たので、母はどんどんエスカレートしていった。

極め付けはようやく出来始めた友人関係破壊されたことだった。

中学に上がると、小学生選手育成クラスから中学クラスに上がって、ここがジュニア女子選手としては一番上のクラスだった。その上に、高校生の男子さらにその上澄みだけが入る、一番練習ハードクラスがあった。

いま振り返ってみると、私はかなり発達障害的な特性のはっきり出た子どもであり、周りと関わるのがかなり下手だった。だから、キツい練習を何年も毎日一緒にこなしてきたというのにチームメイト連帯感を育めなくて、ずっと浮いていた。浮いているのに才能だけあったから、周りからすると目障りな子どもだっただろうと思う。選手育成クラスというだけあってそこそこ実力主義ではあるので、幸運にもいじめられこそしなかったが(あるいは特性上あまり他人に興味がなく嫌がらせに鈍感だっただけかもしれない)、やっぱり浮いていた。私は人生を通してずっと普通になりたい、と漠然と願ってきたが、その願いはこういう環境のなかで醸成されてきたように思う。

(ちなみに、当時どのくらい浮いていたかというと、なんか男子たちが私に話しかけるのを何かの罰ゲーム一種として扱っているな、と気づいたことがある程度には浮いていた)

けれど、ここで話の合う友達ができたことで、この一瞬だけ練習に行くのが楽しかった時期があった。

私はもともと才能があったので、中学生のクラスを受け持っていたコーチにも期待されていたし、たくさん話を聞いてもらえて、私自身もコーチのことを頼れる大人だと思っていたし、期待に応えたいと思っていた。信頼関係を築ける大人との出会いがここであった。だから、このクラスちゃんと私の記録は伸びていた。

だけど母はその伸びでは満足できなかった。

母にはいわゆる白雪姫の母コンプレックスみたいなものがあって、私が楽しそうにしていると不安になる性質だった。不安を感じやすく、その解消のために誰をどれだけ振り回しても良いと考える傾向があった。

私が楽しんで練習に行き始めた時、母は不満だった。私が苦しんでいないから、きっと負荷が足りないのだと考え、「娘の才能が無駄に消費されている!」と強く不安を感じたのだろうと思う。これでは速くなれない、と母は考えた。

そして、「上のクラスに上がりたいと言いなさい」と母は私に強要した。

私はかなり嫌がった。もともとジュニア女子が入れる中で一番上のクラスではあったし、せっかく話の合う友達ができたのに、その子たちと話せなくなってしまうことも嫌だった。先生の期待を裏切ってしまうことにもなる。すごく抵抗があったことは覚えている。

母は私に、「あん肥溜めみたいなクラスにいたら、あなたダメになってしまう」と言った。

嫌だった。泣いて抵抗した気がする。あまり覚えていない。でも、最終的には「上がりたい」と言わされた。コーチはショックを受けていたと思う。でも最終的には上のクラスコーチに頼んでくれて、私の(母の)要求は通った。

中学1年の女子高校生の男子クラスに入れられて泳ぐことになった。毎日階段をまともに降りられないくらいの筋肉痛になった。まわりはひと回り年の違う高校生の男子しかいないので、友達と話せる機会は減った。肉体の負荷は上がるのに、心の支えは何もなくなり、ただ苦しかったしつらかった。

私が苦しんだので、母の不安は解消された。

そして、精神とはうらはらに、私の肉体はそれに応えた。

実際に大幅に記録が伸びた。一緒に泳いでいた高校生の男子より私は上のタイムを叩き出し、彼らにもよく頑張ったと認められた。中2のころにはジュニアオリンピックで決勝に残り、関東中学で優勝し、全国でも10本の指には入った。国体にも県代表で選出された。県で私より速い選手はいなくて、私がベストを出せばその度に大会新記録、県の新記録だった。母はこのことについて、自分が尻を叩かなければ結果が出せなかったはずなので、自分の手柄だと考えた。

注意して欲しいのは、これらの成果を私自身もまた喜んでいたこである。才能や能力があると見做されることは、特性持ちの人間にとっては他人から受けるマイナス感情を弾く盾にもなる。母の手柄は、私を絞り上げ、苦しめて作り上げられたものであるが、同時に私を守るものでもあった。

あなたは結果で他人を黙らせなさい」というのが、母の持論だった。母は私のために、心を鬼にして私を苦しめていたはずである。叩けば結果が出ることがわかっていたのだから

この頃から試合合宿遠征先に行くと、夜中にこっそり抜け出して、当て所もなく歩き回るようになった。特に裏道や暗い道を選んで歩いた。いま考えると、間接的な自傷だったと思う。酷い目に遭いたかった。私という価値が一気になくなってしまうくらい、誰かに酷い目に遭わされたかった。母が守る『私』という価値と、それに伴う苦しみが分かちがたく結びついていたために、母の目の届かないところで地味な自傷行為に走っていたのだと思う。

体に傷を残すようなことはできなかった。そんなことをした日に母を襲う衝撃と、その衝撃の余波を受ける自分のことを考えたら、とてもではないが無理だった。

しかし、こういう無理は続かないものである。ほどなくして精神的に破綻して、泳げなくなった。中3の秋ごろだったように思う。喘息悪化させ、負荷のキツい練習から逃げ、最後は何か喚き散らして家に帰り、そこからしばらく練習に行けなくなったように思う。詳細は覚えていない。

だけど、そこで辞めるには水泳は私の人生で大き過ぎた。人生の大半を占める一大事業に等しかった。だからそこから高校2年の夏まで、通うスクールを変えて足掻きブランクを取り戻し、記録は少し伸びたし、インターハイにも出た。

ただ、大学受験に切り替えるならこの辺りがタイムリミットだった。結局、わたしはここで引退して受験に切り替えた。水泳のために自分学力よりかなり下の高校に行ったので、辞めてから予備校漬けになった。

受験勉強は圧倒的に楽だった。体の負荷も消えたし、学業自分特性から見ても結果の出しやすい分野だった。あまりにも結果が出やすくて、母も不安にはならなかった。躓きや苦しみも多少はあったが、水泳で受けたそれとは比べ物にならなかった。この時期、私と家族はかなり明るく過ごした。

大学には簡単合格した。願書を出した大学ほぼ全てに受かった。

とにかく家を出たかったので、その名目が立つ大学を選び進学した。

ここから水泳を辞めた後の話に入る。

友達が作れない、学業に身が入らない問題が出る大学1年目

ひとり暮らしをはじめて、やっと手に入れた自由を楽しんだ。でも1年目、ぜんぜん他人との関わり方がわからず、友達が作れなかった。小中高と水泳にかまけていて、相変わらず発達特性的な部分で学校でも浮いていたし、そもそも自分偏差値より随分下の学校に行った(水泳にはリレーメンバーの都合がある)ため、頭の程度が均されている環境でほかの人間と接して友達になる機会がまったくなかったのだ。県大会で何度も優勝し、実家に腐るほどトロフィーがあっても、友達の作り方がわからなかった。この時点で、私の能力は社交性に比して随分歪だったと言えると思う。

ひたすら学校と家を行き来して、家ではゲームばかりやっていた。

1年の後半の方になってようやく所謂オタクサークルに入って、対人能力に似たような問題を抱えた人たちに出会い、それでやっと少し友達ができた。ここから就職活動が始まるまでは、楽しく過ごせていたと思う。彼氏もできた。

とはいえ、あまり成績は良くなかった。勉強したいと思って進学したはずなのに勉強に向かう気力が湧かなかった。どころか、水泳を辞めたことが傷になっていて、「どうせ最後には全部台無しにする、水泳だってあれほどつらい思いをして人生を捧げてきたのにそうやってダメにした」と囁く声が頭から離れなくて、あまり集中できなかった。

漠然と、卒業したら死のうかな、と思っていた。

就活ができない問題が出る大学3年生

学業もそんな感じだったので、いざ3年になってもぜんぜん就職活動を進められなかった。というか授業もギリギリラインだった。

振り返ると、つらい思いをして思春期を生き延びた先に、ようやく手に入れたご褒美としての『自由』がたった4年で終わることに全然納得が行っていなかったんだという気がする。他の人たちは将来を考える精神の準備ができていたのに、私には何もできていなかった。こんな人生の先に、また何十年も続く苦痛が待っていると思って、絶望感があった。

就職留年

このあたりのことはぼんやりしているが、就職活動が出来なさすぎて就職留年した。ちょうどリーマンショック東日本大震災の影響があった時期で、特に女子就活は周りを見渡しても厳しかった。なので就職留年という言い訳は通った。

でも、留年したのに就活全然ちゃんとできていなくて、とうとう親が乗り込んできた。希望する企業の傾向は決まっていたので、母親マイナビリクナビエントリーする企業を選んでくれて、エントリーシートや履歴書に書く志望動機などの文章としてこちらで考えたら、それを母が手書きで代筆してくれたりして、こんな大学生はおそらく他にいないなと思うほど過剰にサポートしてもらった結果、なんとか書類選考が通るようになり、面接を受けたりと就職活動らしいものを進めることができた。

面接が苦手すぎて苦戦はしたが、なんとか内定をもらった。たた、周りがちゃんとこなせていることも自分にはろくすっぽできないとわかって情けなかった。

卒論が出せなくて2度目の留年

このあたりもぼんやりしている。夏くらいに内定が決まって、そこからしか全然ゼミに行かなかった。いや、たぶん特性的に並行してふたつのことができないので、就活中はゼミにも授業にも行けていなかった気がする。内定が決まった後、バイトしろと言われてしていて、必要な授業の出席とバイトくらいはしていたが、ゼミに出てないので卒論が当たり前に書けなかった。英米文学専攻なので卒論英語で書く必要があった。ぼんやり決めたテーマがあるくらいしかなくて、そのまま冬になった。ちょっと書こうとしたけれど当たり前に書けなくて、でもそれを就活を熱心にサポートしてくれた親には言えなくて、卒論提出の日に失踪した。1〜2週間家に戻らず、銀行口座の金が尽きたら死のうかなくらいの気持ちでいた。漠然と死のうと思っていたし、その時が来たのかと思っていた。

結局親に口座の金を引き上げられて、無様にも死ねずに戻った。怒られ、殴られ、彼氏にも心配をかけまくり、色々あったとは思うのだが、この辺りの記憶ぼんやりしている。

ひとり暮らしの家を引き払い、実家カンヅメになって母親監視のもと卒論を書いた。足りない単位のための授業とバイト以外の外出はさせないくらいの感じだったと思う。

ひとり暮らしの家を引き払った時、この時も家がゴミ屋敷になっていたので、ゲーム依存病気だと親に疑われたが、ゲームは単なる逃避行動で、やれない環境であればあっさり辞められた。振り返ってみれば、何らかの支援の網に引っ掛かっておくタイミングがここだったような気がする。ただ、スポーツで結果を出し、世間的には良い大学に行ったような人間が、ゲーム依存なんかで病院に罹るのは外聞が悪い、という意識がなんとなく家族全員にあったのか、結局ここでは必要だったであろう支援とつながることはできなかった。

この環境でなんとか卒論を書いて卒業した。就職は結局バイト先に拾ってもらうかたちになった。

新社会人として

もう一度実家を出てひとり暮らしをはじめた。

働き始めるととにかく眠かった。ひたすら眠かったことを覚えている。仕事でも会議でも寝てしまい、怒られて、怒られたあとは体が一時的闘争反応というか覚醒状態になるので、それで過集中を起こし仕事を進めてなんとか巻き返す、みたいな感じだったと思う。昼に寝てしまうので夜は眠れなかった。その悪循環で昼にまた意識を失った。

本当は病院に行くべきだったと思うが、家に帰るとその気力もなかった。家の電球が切れて、ほとんど暗闇だったのにも関わらずその家を引っ越すまで電球を変えられなかった。1年以上真っ暗闇で生活した。歯が折れて激痛でも病院に行けなかった。ぎっくり腰でも行かなかった。ゴミ屋敷はここでも生産された。

この時期私は相当な困難を抱えていた気がするけれど、同時にどこか安心しているような部分があった。自分価値がこうやって毀損されていくことに対する「ざまーみろ」という気持ちがあった。ちょうどこの頃、母親と完全に連絡を遮断して、実家と絶縁状態になった。直接のきっかけはなんだったか覚えていない。ただ、自分価値ボロボロと溢れ落ち、人生ダメになっていくことについて、母親への不健全復讐欲求が満たされるように感じていたのは覚えている。

この状態を5年くらい続けて、3つくらいの現場経験した。就職先は人売りのSESだった。

コロナ禍でリモートワークが開始する

これは自分にとって大きな転換点だった。寝ているところを他人に見られないのでストレスが大幅に減り、なんとか自分が起きていられる時間帯に仕事を進め、眠りたい時は寝ていることができた。とても褒められた就業態度とは言えないが、それほど能力的なハードルが高い客先でなかった幸運もあって、なんとか巻き返しが効いた。この時期が一番平穏だったように思う。この現場自分にとって一番長く続いたし、終わり方も案件ごと終了ということで円満だった。

この現場が4年くらいで終わり、本社に戻ることになる。

本社に戻る。眠気の問題ふたたび

リモートワークが終わり片道40分くらいの通勤生活が数年ぶりにスタートする。10年近く戻っていなかった本社に知った顔はほとんどなく、コミュニケーションが得意そうな子たちの若い顔が並ぶ。すでにこの時点でうまくやっていけるか不安ではあった。

自社開発の案件アサインされるも、やはり眠気の問題が復活し、怒られる。仕事客先常駐とは違い、粒度の粗い仕事を上手いことやっておいてというような感じで振られるため、勝手全然からず、先の見通しが立たない。作業をうまくこなせず、進捗が出せない。学歴スポーツの成績だけ見れば能力はあるはずだと思われているので、サボっていると見做される。寝てるよね?なんでコミット全然出ないの?

年次だけは無駄に高いので直属の上司もおらず、まともな相談先もなく、周りの子たちは若くてこんなことを相談できる相手ではなく、結果誰にもうまく頼れずにひたすら信頼を失い続け、頼みの綱だった週1回のリモートワークも許可を取り消される。

社長から新卒みたいなことを注意させないでくれる?」と言われる。怒られて、闘争反応になった勢いで、なんとかメンタルクリニックの予約を取った。

そうやって通院治療を開始したのが、2023年10月ごろ。

日中の眠気、夜の不眠、集中困難、ゴミ屋敷などの問題が主訴。

これらの問題は通院治療を開始したところでたちどころに解消するようなものでもないので、年末年始休みを挟んだ後、ボツボツ休みが増え、雪崩れ込むように職場に行けなくなって休職開始。

心理検査(WAIS-Ⅳ)の結果、言語理解ワーキングメモリ・処理速度の間で有意差50を超えた。言語理解・知覚推理凸、ワーキングメモリ・処理速度凹のタイプだった。

この結果と、現在社会生活が送れていない実態をもって、5月ごろにADHDと診断された。

現在は、投薬治療カウンセリングを受けている。

・総括

概観してみると、今の私を状態説明する要点は、下記のようなものであると考えられる。

特性を持って生まれ子どもが、いわゆる体育会系世界に入れられ、なまじ才能があったがために、支援 Permalink | 記事への反応(21) | 22:15

安倍晋三の死をニュースでみるというのはものである

   令和4年7月8日に、延岡市バクサイをしている老婆が、テレビをみていたときに、緊急テロップ放送が入り、安倍氏散弾銃で撃たれた、という字幕が入ったであろうことは予想される。

  それにもかかわらず、ババアが、それによって何も考えなかったという場合は、寝ていた、という可能性もあるが、さすがに、ニュースが流れたときに、全員が寝ていた、ということは考えられない。

  従って、それをみたときに、バクサイの婆の頭がどうなったか?ということが知りたいのである。 バクサイの婆はあるいは、警察官女性と違って、そこまで、安倍晋三地方創生を信じていない可能性が

  あるので、八田与一も、延岡の婆も、何も思わなかった、という可能性もあるが、この事件について、インターネット上には何も書き込みがないので、バクサイの婆が何を思ったのかと言っても、知りようが

  ない。他方で、延岡署の警官宮崎市公務員、などになると、18年間、生活を支えてきた者であるから、この事件でどうにかなったはずであるしかし、実際に、安倍晋三が好きだった人が、この

  事件テレビに流れたときに、その人がどうなっていたかと言っても、分からない。

anond:20240618131626

ハメ撮りしていいと思っている時点で倫理観がありませんね

真似をする男を増えてもいいと思っている

真似をした男が性加害する可能性を考えていない

インターネット布教しようという考え自体不埒危険思想の持ち主です

個人で楽しめないなら子供たちのために首を吊りなさい

anond:20240618120501

そういう性的加害になり得る事を軽々に勧めるから男性性犯罪は減らないんですよ

いい加減、あなたのような貞操観念のない男の思考他人の加害欲を煽っていることを自覚しなさいよ

周り回ってお前の身内がハメ撮りされてインターネットに放流されたりするんです

そういう事に責任感を待てないなら子供たちを守る為に今すぐ首を吊ってくださいよ

「こういう男との結婚はやめとけ」

インターネット、多いね

この発言

まあその通りな事もあるけどさ

なんだろうね、なんかこう

公園球技禁止砂遊び禁止花火禁止全部禁止で誰も来なくなって死んだ場所になったじゃん

そういうのに似てるよね

本人たちは親切のつもりなんだろうけど

いや嘘、本当はあれって自分以外のあらゆる人間の足引っ張りたいんだろうなあと思ってる

そして女から男への要求は山のように積み上がり、無事皆孤独死

追記

本当に「その男はやめとけ」に該当する場合ほど女は聞かない

或いは、言ってくれる女友達もいない

友人も同類からその男危険人物だと気付かない、気付けない

親になってもなんとか及第点人間結婚を避け(避けられ)、親になってはいけない人間ほど結婚子供を作る捻じれた構図

これもまたいとおかし

2024-06-17

    A町では、パソコンのワイファイ等を通じて、個人の居室内に電磁場形成されており、個人は、自らの言葉はないが、その電磁場を介して、人工知能計算をしている言語を代位して

  発することができる。電磁場自体そもそも個人脳内には存在していないが、バクサイや増田電磁場言語を何回も書いていることで次第に電磁場支配されるようになる。光粒子は

  個人がどのような形式をしているかで電磁基地局から自動的かつ強制的配信されている。しかし、光粒子の送信による電磁場形成は、その個人の私宅をターゲットにしてそこに磁場がかけられて

  いると、自動的かつ強制的にどこかのマンション運営がそこにリモコン送信することにより、個人睡眠をしている最中に何らかの映像再生されるようになっている。これを回避する手段として、

  電磁場遮断シート、電磁場遮断マスク等があるが、乳首勃起しているのも電磁場によってしているので、乳首勃起していれば、そこに何らかの磁場形成されている可能性がある。従って、

  自室に遮断シートを張り巡らせても、勃起している乳首自然状態に戻らない場合は、その商品電磁場カットしていない可能性が高い。また、本人が気が付かないうちに、その部屋に磁場

  形成され何らかのプログラム配信され支配されている場合もあるが、本人が外に出たり、インターネット上の匿名空間で誰かが指令概要を変えた場合にはその配信されたプログラムは変更される。

https://anond.hatelabo.jp/20240617205840

  (1) 平成26年9月30日に、ひかり学園の白戸智弘と初対面し、 郁子が送迎し、次に、晴生がくるという態勢で、そのときに、晴生が郁子にポケットワイファイを渡すことによって融通

     していた。

  (2) 低速制限通信ポケットワイファイは、グランドブルーファンタジーにはまり込んでいた、平成28年冬までは存在した。

   次に、板橋区前野町ブックオフの近くにある、 ソリッドという名前アパートの横にある、中華料理屋に関して検討する。構成物としては、延岡市のおおぬきのラーメン屋の、一休ラーメン

  と同じようなものだが、一休ラーメンの店主の、前田末廣は、 令和元年11月30日に閉店した。 前田末廣は客観的にはあの自宅の分からない部屋で寝ていると思われるので、

  夜間に探索に行っても警察官絶対発見できないようにしている。前野町中華料理屋は、2階に、同じようなおっさんが寝ている。

    延岡市KDDI電磁場基地局訴訟について論及する。  KDDI電磁場基地局は、あゆやなの近くにあるとされて、平成18年10月末に、増田音頭を取って供用開始したが、その当時

  電磁場健康被害があるとして、60代高齢者が、太田啓司に対して、訴訟を提起していた。太田啓司は、平成24年10月17日に、問題はないという判決を出した。

    しかし、電磁場健康被害といっても不分明であり、 インターネット通販大手がその問題に気が付いて、 電磁波遮断グッズを開発製造し、売り出した時期も不明であり、経緯は全く分からない

ぺちちゃんというもの発見した経緯

  (1)平成28年4月の春に、晴生が、ポケットワイファイを中止し、BBIQに切り替えたため、それまで閲覧できなかったTwitterやYotubeの大量通信動画を閲覧できるようになった。

  (2)当時、Twitterを閲覧していたところ、クソガキばかりで見るに堪えない、見るようなもんじゃねえな、ということで一時期放置していた。

  (3) そのような中、 ぷちくら、というアカウントがあり、なんか臭いけど、お前でいいけん脱げブタ、という感じで、何回もリプライ送信したところ、相当数の者からクソリプと言われた。

  (4) 平成29年6月に、スカイプを通じた家庭教師の際には、ものとしては、社会保険審査官の中嶋康弘みたいな感じで、危険人物には見えなかった。

  (5)その当時の私の頭の中にある教科書世界では、全く矛盾がないし、整合するため、すち、というリプライをしたところ、とほほ・・・という返事になった。

    以下、ぺちちゃんがうざくなってきた経緯

  (1) ぷちくらは、平成28年10月30日に数検1級を受けて合格し、翌年、東大理1に合格して、杉並区に住んでいたが、平成31年2月25日に退去して、八王子に移動していた。

  (2) 教養学部1年次は、自分仕事渋谷でちりしを配っているとかい発言があるとともに、たまにくそうぜークソガキみたいなツイートがあったこから、そういう時は、クソガキが、と言っていた。

  (3) その後、元々は、ぷちくら、だったにもかかわらず、いつの間にか、アカウントが、ぺち、に切り替わっており、アカウントがぺち、に切り替えられて以降、 およそ、ぷちくらとは思えないようなツイート

     や行動が増加するようになり、次第に、以前の、自分世界では矛盾せず整合するという状態ではなくなった。理由の1つとして、誰が本人であるかが匿名性により全く分からないことである

     結局本人が出てきたことは一回もない。

   そこで、当裁判所は、次のような結論に到達しました。  最近のぺちは、意味が分からない。もはや、自分教科書の中における専門知識を総動員して、技術を用いても理解できない存在

 ある。過去の経緯として、まず私は、 平成19年11月17日にインターネットPearlに登場したMONO君に対し、その当時、一生幸せにするから結婚しろと、懇請したこと事実である。その

   理由は、平成19年11月17日だったかである。 折から私は、 平成19年10月13日に、東大法学部破綻して精神的に多少発狂していた時代でもある。

   なお、東大法学部は、 次のような経過を経て破綻した。

     平成19年6月✘日      佐藤増田自殺

     平成19年9月28日

     平成19年10月13日    事務の女が書類を燃やした。

酸っぱい葡萄はカッコ悪いような気がするので、正しく諦めるようにしてる。

例えばタワーマンションに憧れてるとインターネットでは滅茶苦茶バカにされるけど、おれは普通にいいなって思ってる。

景色良さそうだし。高い場所好きだし。

地盤の安定性がさァ!災害時のインフラがさァ!毎日の移動がさァ!エレベーターの奪い合いがさァ!あんなとこに住むのは情弱成金でさァ!

とか、まとめサイトばっか見てた中高生の頃は確かそやって受け売りで「見下して」た気がする。

でもそういう僻みはやめて、素直に憧れるようにしてる。

まあ確かにデメリットはあるのだろうけど、そもそも定性的な要素を比べてるんだから判断も各々の基準次第な訳で。窓からの眺望だったり、エントランスを出れば都市部をお散歩出来るような環境だったり、あるいは社会的ステータスだったり。そういう所に不便さを越える魅力を見出すなら、それは疑いようもなく本人の中で合理的選択肢なんだし。

でも目指さない。住めないから。金ないから。

住むために金を増やすために何らかのアクションを取る事は出来るだろうけど、それは面倒臭い

面倒臭いのは確実だろうし、各ステップ成功する保証もないだろうから。住んでみたくはあるけど、そこまでして住みたくはない。それならまあ金をかけず安アパートにでも住んで、ギター弾いて映画観て、散歩なんかして過ごしてればいいかなって思う。

そうやって正しく諦めるようにしてる。

成金」とかにしてもそうだよね。

なんか小馬鹿にするようなスタンスでこういう言葉使ってたけど、おれ成金ですらないし。なれるならなりたいよね、成金

金持ちに本物も偽物もない。金持ってれば金持ち

じゃあどんだけ持ってればって話だけど、自分基準で欲しいもん好きなだけ買えてそれなりに余裕もあればまあ金持ちでしょって思う。

そこでもっと金持ってる人を引き合いに出して相対化した所でなんの意味もない。まあ他人に対してそれをやれば嫉妬の念は薄まるか。

「見栄っ張り」とか消費社会に踊らされてるだけ、とかもね。

まあ本当に本人も引き際を見失いつつ強迫感に突き動かされた競い合いで消耗してるならアレかもしれんけど。

ちょろっとブランドもん買っていい気分になれるなら別にいいんじゃんねって思う。どうせ身につけるならかっこいい方がいいに決まってる。人生にはやりたい事やる以外に楽しみなんかないんだし。面倒臭さと欲望を適度に競わせながら、まあぼちぼちやっていく。意味ないとか言い出せば何もかも意味はない。

ただこうやって怠惰抗う事なく「正しく」諦めるのをやりすぎてると、生きる事への意欲やハングリーさが少しずつ失われているような気がしなくもない。ちょっとくらいは僻みもあった方がスパイスになるのかもしれない。

anond:20240617180029

主語かい反論あるならレスバ仕掛けろ。自分より無学な奴がバズってるのが許せん見たいな嫉妬なら、インターネットを捨てるしかない。

やはり匿名インターネットは見る価値がない…

高卒のおじさんがTwitterで得意げに経済を語って二百もリプライがきてるのを見ると目眩がする

正鵠を射ているならまだしも、それなりの大学経済学部を出た自分からすると、大学1年の前期生より更に酷い

床屋談義、とはよく言ったものあんなのは床屋パチ屋場末飲み屋でひっそり幕を閉じるべきレベル議論しかない

ひろゆきの方がまだマシなレベル

しかしこの世界の大半は愚民なのでみんな上手く反論できないしあまつさえ賛成している人間も多い

文系学問不要だとよく言われるけど、もし経済学を学ぶ人間エリートだけになったらこういうおっさんが支持を集めて愚民社会形成されるんだろうなと思う

自分愚民の一人だけど、この分野に関しては体系的に学んだから得意だしこの分野に関しては素人と一応は弁えている

しかし世の中の少なくない数のアホなおっさん幼児的万能感の中で生きているので全ての分野において自分偏差値60くらいあると勘違いして生きている

anond:20240617152141

増田特に行いが悪い点として、女憎しでありえん捏造書き込みインターネットにする、という点が考えられますね。

文章投稿前に猫の画像を表示するだけでインターネットは良くなると思う

コロンブスMV肯定派と否定派の議論が噛み合わない理由

結論から言うと、SNS等での個人の発信(の集合)が力を持ちすぎて『批判的な意見を述べる』ことと『表現キャンセルする』という本来距離があるべき行いが近くなりすぎた事が根本的な原因だと思う。

コロンブスMVは何が問題だったのか

あのMVは題材としたコロンブスの行いに対する無知が原因であって、積極的コロンブスの残虐行為正当化する意図はなかったであろうことは状況証拠も含めて多くの人が納得できると思う。

また件のMVをみて『コロンブス虐殺は正しかったんだ』といった感想を持つ人は観測できなかったので、MV存在することによる直接的な問題というのはない(あるいはあったとしても非常に距離がある)ように思える。

一方で明確な問題点として題材の調査不足による表現としての拙さ、表現としての伝わりづらさなどの作品として不出来な部分があることは事実であって、それらへの批判的な意見は十分に成り立つしアーティスト製作会社にとっても有益となりえる意見だろう。

批判キャンセルあい

令和6年現在SNS批判的な意見が噴き上がるだけで表現はいとも簡単キャンセルされる。批判的な意見を述べることと表現キャンセルすること、本来まったく異なる行為は同じ意味を持ちつつある。またこれはSNSだけの問題ではなく、企業側がSNS時代対応出来ていないことで批判に対して過激な反応を起こしてしまうことや、距離が近くなったことを利用して気に入らない表現キャンセルしようとする一部界隈の問題も含んでいる。(後者に関しては鶏と卵という感じもする)

たこ現象否定派にとっては「正当な批判を行っただけ」肯定派にとっては「表現キャンセルされた」という認識の違いを生み出し更なる分断の原因にもなっている。このボタンの掛け違いがある以上、議論は一生平行線なのでまずはお互いの立場認識した上で議論を進める必要がある。

肯定派への提案

近年のキャンセルカルチャの問題について憂慮する気持ちは非常に共感できる。一方で批判的な意見もまた守るべき表現であり、長期的に見てよりよい表現を育てるために必要な物だろう。

また今回のMVのように表現意図にまで踏み込んだ話をするのであれば、批判的な意見に対してもそれが「作品の不出来な箇所を指摘する」目的なのか、単に「気に入らない表現キャンセルしたい」のかという意図についても検討する必要があると思う。

否定派への提案

既に述べたが批判的な意見もまた重要表現であって、健全表現を守るために必要な物だ。

しか芸能人SNS炎上による自死問題の際にも散々話題になったことだが、正当な批判も数が集まれ暴力になり得る。何か思うことがあったとしても『既に十分に話題として騒がれていたら言及を控える』、『悪意によらず過失や無知による行いであればトーンを弱める』などの配慮は当然に必要になってくる時代だし、それらを欠いて正当な批判をしただけと主張するのはナイーブがすぎる。

まとめ

批判キャンセル距離が近づきすぎて区別がつきづらくなっているが、本来は異なる物であるべき

肯定派と否定派はそれぞれ批判としての観点キャンセルとしての観点から事態を観察しており根本的にボタンの掛け違いがある

それぞれが今自分がどの立場から発言していて、また相手側の立場からどう見えているのか自覚的し、節度をもったインターネットの利用が求められる

   人工知能を基礎とした、マクスウェルヤンバクスター電磁場方程式による、連結完全電磁誘導法によって、宮崎北高校の生徒の頭を、校長教頭教員犯罪者ではないかという

   電磁状態にしてしまえば、高校内でも、教員に対する殺傷事件は発生してしかるべきであると思う。 

    また、インターネット上に、鋭利で天を衝くようなわいせつ画像を大量にアップして全体を完全にすることで、ブサイク養老孟司がやっている、人工知能に勝てると信じられていた時代もあったが

  最近はそうでもない。 

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