はてなキーワード: お値打ちとは
本人の実力に合いそうな、中身も希望の学校に挑戦したけど玉砕だった
親目線だと、
でも入れなかったのは
もしかして最初のチョイスから間違ってた?って考えもよぎるけど
センターがこれだけとれてそうだから、じゃあこの学校に出願しよう知らん大学だけど、っていうのは
なんだか違う気がしてねぇ。
だって、理系の同じ○○学部でも大学によってやること違うんでしょう?
ぼんやりとしか方向性決まってなくて、大学行ってから考える(大学に自分を合わせる)ってことなのかなあ。
とにかく入学できればいい、って家庭はどれぐらいあるんだろう、けっこうあるのかな
大学生活より
なんか、ひょんなことから月蝕歌劇団(という小劇団が都内にあると思ってほしい)の公演を見に行って、それ以来なんか芝居づいている。
これまで演劇なんてぜんぜん興味がなかったのに。
いくつか劇場に足を運んだところで、もう1回くらい観ればもっと色々と見えてくるものがあるかと思い、また月蝕歌劇団に足を運んでみた。
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演目は『ねじ式・紅い花』と『盲人書簡−上海篇』の2本立て連続公演
(前回の観劇の記録は
https://anond.hatelabo.jp/20170925212923
を参照のこと)
ということで、自分のログを兼ねて、また観劇記を残しておくことにする。
御用とお急ぎでない方は、しばしお付き合いを。
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ただし。
自分は舞台観劇についてはとことん素人なんで、これから書くのは、通りすがりの素人が見た印象批評くらいのつもりで、紹介文としての情報は期待しないでほしい。
(というか印象批評というワードも小林秀雄みたいで偉そうだな。ほんとに感想文くらいの感じで、ひとつ)
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■全体として
歴史の長い劇団というのは知っていたけれど、今回は公演100回記念とのこと。
で、旗揚げ時代からのライバル劇団その他のビッグネームが集結した大プレミアム公演だったらしい。
普段は若い女性主体の “少女歌劇団” っていう感じの劇団なんだけど、今回はキャストの年齢が大はばに高めだった。
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ちょっと変わった構成をしていて、1つのシーズンというか公演期間を前後に分けて、2種類の演目を上演する。
さらに各演目について前座というか露払いというか、出演キャストの歌唱ショー、寸劇、詩の朗読その他をまとめたパフォーマンスとして “詩劇ライブ” というのがある。
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なので、フルで鑑賞すると1シーズンで合計4演目。
これを多いと思うか、アリだと思うか。
いろんな作品世界が見られてオトクだとも言えるし。
リハーサルやシナリオの練り込み等々のリソースは分散されるから内容的に落ちるものになるかもしれないし。
自分が見たところ、器用な高能力キャストと、まぁそうでもないキャストでうまく仕事を振り分けて、不満を感じさせない作りにしている感じだった。
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順番に見ていってみると。
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先に不満点を言わせてもらうと。
演目『老人と子供のポルカ』の歌唱。
左卜前役のベテランキャストがカンペ片手に左右のキャスト(岬花音菜、慶徳優菜)を振り回して大暴れ。
休みなく次の曲『本牧メルヘン』が始まり、そのまま岬花音菜がマイクを握るが、息の上がった彼女にはキーが低すぎた。
おかげで貴重な戦力(岬)を空費。
トリの白永歩美がキッチリと『バフォメット(と、あとなにか悪魔がもう一柱)の歌』(詳細不明)で締めてくれたのが、せめてもの救い。
ハプニングなら再発防止策を取ってほしいし、プロットなら、申し訳ない、あれに快哉を送るハイなセンスは自分は持ち合わせていない。
しかし。
詩劇ライブというのがファンミーティング兼同窓会だというのなら。
いとしの大スターがいつにないハジケっぷりを開陳したほうがファンサービスとしてのお値打ち感は高いのかもしれない。
と、思って周囲を見回してみると、自分と同じか、あるいはさらに年配の観客がホクホク顔で舞台を見守っている。
ハテ、招カレザル客ハ自分ノホウデアッタカ。
うん、わかった。
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■後半の前座『詩劇ライブ 暗黒少年探偵団』
詩劇三傑(←たったいま自分が決めた。はるのうらこ、岬花音菜、そして白永歩美の3人)のパフォーマンスがたっぷり見られたので実に良し。
はるの嬢は前回と同じギター伴奏かと思ったら、ギターからキーだけもらって、ほぼ独唱。それでいてピッチは正確、ハイノートも申し分なく出ていたし、なんというか、 “このヒト、ひょっとして劇団の隠れた屋台骨なのではないか?” という予感がさらに強まる。
(↑それは本編でガツンと証明されるんだけど)
なぜ合唱のときは控え(それはもう、あからさまな控え)にまわるんだろう?
リハーサルの負荷をソロに集中させるためか。
岬花音菜はカッパの舞。そして小阪知子を舞台に引き出してカッパの相撲。
あいかわらず、この人は歌って動いてが実に良い。
そしてトリは白永歩美。
朗読、歌唱と大活躍。
いつ見ても、この人は安定しているなぁ。
はかなげで、あやうげで、その状態のままガッチリ安定しているという不思議なキャラクター。
そういえば『Those ware the days』に日本語歌詞をつけたものを歌ってたんだけど、受付で立ち読みしたセットリストにそんなのなかったぞ、と思って調べてみたら、『悲しき天使』なんていう日本語版があったのね。
知らなかった。
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さて本編。
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■前半の本編『ねじ式・紅い花』
つげ義春の原作、『ねじ式』『紅い花』『女忍』『沼』『狂人屋敷の謎』をまとめて1つのストーリーにしてある。
実を言うと、前回の公演を見たあとに、某氏から、
「なに、月蝕歌劇団が面白かったって? それじゃアレだ。主催の高取英のアレ読んどけアレ」
といって勧められたのが、『聖ミカエラ学園漂流記』(小説版と戯曲版)。
前回の公演を観たときに、
「この人の持ち味は “奔放に見えて実は緻密な複数世界のマッシュアップ” だろうな」
と感じていたのが、この本で確信に変わったのだけど。
原作が2作品や3作品なら、例えば2つの世界の登場人物が呉越同舟で共闘する、みたいな展開もあり得るけど、さすがに5作品同時となるとメドレー形式にならざるを得ない、という感じ。
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さて、もう1つ、高取氏の特長と思ったのが、ストーリーに必ずクライマックスを用意する、という点で。
(それが、エンターテイナーとしての氏の本性によるものか、それとも “客にはなんとしてもカタルシスを持ち帰ってもらわないと次につながらない” という興行師としての冷徹な計算によるものか、そこまではわからない)
それが、つげ義春の茫漠としたアンチクライマックスな世界とどう折り合いをつけるのか、そこに興味があったんだけど。
これが『紅い花』を中心に最小限の改変を加えただけで、見事に全ての原作が一斉に収束に向かうオチといえるオチになっているのは、さすが。
最後にはねじ式青年が『パーマー・エルドリッチの3つの聖痕』(P. K. ディック)みたいに無限増殖するあたりの幻想テイストが高取氏らしい。
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あと、前回公演みたいな「身捨つるほどの祖国はありや」的な大きな主題は今回は抑制されている。
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助成金云々の楽屋落ちは生臭いので忘れたことにする。
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そして、この劇団特有の時間がゆがむ感覚をまた味わう。
今回は、サヨコの祖父の楽屋オチ的な台詞。
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「最近、嵐山光三郎が書いたんですがね、松尾芭蕉は忍者だったんですよ」
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えーと、嵐山光三郎の “芭蕉忍者説” は2000年代なんですが。
高取氏の作品世界が戦前、戦後、昭和30年代、1960年代、1980年代みたいに複数の時代を放浪するように、劇団自体も、60年代、80年代、そして2000年代の全ての時代に存在しながら、どの時代にも存在しないような不思議な立ち位置。
それが、この劇団の持ち味でもあり。
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あ、あと、狐舞の意味がやっとわかった。
なんのことはない、 “ここから現実感と見当識がゆるんで、心象風景と象徴劇が始まりますよ” という演出効果だ。
多色発光LEDを掲げた葬列も、夜光塗料の試験管をもった少女たちも、おそらく同じ。
少女漫画で「なんでクライマックスに花びらが飛び回ってるの?」とか訊かないでしょ? アレと同じだ。
そういえば、最近の子供は漫符(怒りの青筋とか緊張の汗とか)がわからないケースが多いらしい。
つまり自分は月蝕の鑑賞において子供だったわけだ。
というあたりで。
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そして、問題の↓
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■後半の本編『盲人書簡−上海篇−』
あー、うん。
むかし『草迷宮』(寺山修司)を観て途方に暮れたことを思い出した。
あるいは、さらにむかし『原始人』(チャーリー・ミンガス)を聴きながら、
「これは良い音楽なんだ、良い音楽なんだ、みんながそう言ってるから良い音楽なんだ」
と歯を食いしばっていたことを思い出した。
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はっきりしたこと。
自分に “前衛” を受け止める感受性はない。
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それでも、なんとか受容を試みてみる。
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(1)1930年代の第二次国共合作を背景にした不穏で混沌とした上海共同租界。
(2)明智小五郎と小林少年という、戦前・戦後の言ってみれば “陽のヒーロー” をどす黒く改変したキャラクターと、堕落した母親としての小林少年の母。
(3)白痴の少年と娼窟の姉妹がからむ、不快にユーモラスな人物群。
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この3つの人物群を主なストーリーラインとして、失明した小林少年を中心に “目明きと盲(めしい)、世界が見えているのはどちらか” という問いを主題として話はすすむ(ように見える)んだけど。
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途中、影を喪失した少女、みたいな挿入話をはさみながら、ひたすらグロテスクなストーリーとも言えないストーリーの断片が続く。
クライマックスは小林少年と恋人(?)のマサ子の再開を中心にしながら、全てが虚構の中の虚構、悪夢の中の悪夢、という入れ子の構造をあからさまにするところで、唐突に終わる。
最後の最後には第四の壁も突破して現実のキャストの名前まで出てくる。
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うーむ、書いておいてなんだが、なんの説明にもなっていない。
ねぇ、寺山修司って、ホントに70年代、80年代の青少年のカリスマだったの?
(今度、『書を捨てよ云々』でも読んでみるか……)
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可能性としては、今どきの若者がP. K. ディックやら筒井康隆やら読み慣れてるせいで、 “崩壊する現実” やら “虚構の中の虚構” を普通においしく摂取しているのに対して、当時はその種の超現実的な幻想悪夢ワールドが知的にトガった青年だけの愉悦であったとか。
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ま、さておき。
これ以上はどうにも言いようがない。
自分にとって確かなことは。
ということ。
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さて。
キャスト、演出その他については、以下の通り。
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■白永歩美
女忍コジカの息子、宗近と小林少年を好演。
このヒトが、登場するだけで舞台が猟奇的でビザールな空気になるような、言ってみれば “嶋田久作” 的な怪優でありながら、それでいて結構な美人サンである、というのは劇団にとって大きなアドバンテージなんじゃなかろうか。
劇団のカラーを一人で体現しているような。
ビジュアル、演技、歌唱、トップの名称は伊達じゃない、って感じ。
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というか。
実のところ、トップというネーミング自体はどうでもいい。
それがプリマドンナでもソリストでもエースでも四番でも同じことで。
その種の人に求められるのは才能でも鍛錬でも、ましてやプロデューサー/ディレクターの寵愛でもなく。
それは「いつ、いかなるときでも、自分が前に出ていってなんとかする」という思考形態だと思う。
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例えば才能、というか生まれつきの資質なら。
前回の公演には高畑亜美という彼女に負けず劣らずのビザール美人さんがいた。
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例えば技能なら。
前回の公演で、白川沙夜というキャストは、ストーリーテラー、コメディリリーフ、仇役という3つの仕事を3本の腕で同時につかんでブンブン振り回して大暴れしていた。
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でも、彼女たちは今回はいない。事情は知らない。
いっぽうトップには「事情により今回は出演しません」という選択が無い。
脚光も浴びる、注目もされる、そのかわり劇団の出来が悪ければ矢オモテ、火ダルマ、槍ブスマと。
群像劇主体の劇団で、ある程度は負荷が分散するにせよ、あの細っそい体にかかっている重責を想像すると、なんというか、なんというか。
長くなった。
ともあれ、健康にお気をつけて。
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■川合瑞恵
前回までは “作りようによっては、いかめしく見える” ビジュアルを活かしたワンポイント役だったのが、今回は『女忍』パートのキーとなる女忍コジカに大抜擢。
これが大根だったら目もあてられないところを、実に器用に演じきってしまった。
本職はモデルさんだと思ってたんだけど。違うの?
芸能関係って器用な人が多いのよね。
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■岬花音菜
演技はさておき、まずは狐舞。
今見ているのがカラダのオモテなのかウラなのか、腕なのか脚なのか分からなくなってくる超絶変態空間機動がひっさびさに大炸裂!!
これだ! これが観たかった!
いや、じつは、このところモヤモヤしていた。
「いや、たしかに踊りも歌も演技も良いけど、ここまで追っかけるほどか?」
でも、たしかに思いちがいじゃなかった。
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そこには、たしかに岬花音菜がいた。
およそ2ヶ月前、片目の猫の舞で自分の脳味噌をブチ抜いた岬花音菜が。
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ちなみに。
あとから取材を試みたところ。
あの一連の動きは、ボランティア(アルバイト?)のダンス教室で子供たちに最初のウケを取るために編み出した動物踊りがオリジナルだとのこと。
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するとなにか。
自分の鑑賞眼は子供レベルか。
まあいいけど。
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というか、彼女の狐舞に視線をもぎ取られ、ねじ式青年と女医のベッドシーンの大半を見逃していたことに、劇場を出てから気がついた。誠に申し訳ない。
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さて。
キャストとしては『紅い花』パートのシンデンのマサジ、『盲人書簡』で白痴の少年を担当。
この演技、周囲の評価はウナギ昇りだろう。
じっさいTwitterを中心にネットを見ると、彼女と慶徳優菜の評価はウナギ昇っている。
ただ。
自分としては評価は保留としたい。
なぜって?
あまりに、あまりにもハマり役すぎて、いま見ているのがキャラクターなのか、それともキャスト本人なのか、観劇素人の自分には判然としないから。
(これ、自分の中では笠智衆と同じ位置づけだ)
大竹しのぶがアニーを演じたり、同じ劇団でいえば白永歩美がピーターパンを演るのとは、意味が違う。
『紅い花』ではプレ思春期の少年のいら立ちを、『盲人書簡』ではスケベなアホの子を、と、いろいろ打ち出しているのは分かる。
分かるけど、いずれも、まずは本人あっての効果であって。
このあと彼女は “月蝕きっての永遠の少年役” として存在感を増していくのだろうか。
それもアリだと思うけど。
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■慶徳優菜
『紅い花』キクチサヨコ役。
だけど彼女の評価も保留。
理由は岬花音菜と同じで本人そのものだから。
その意味では、娼窟の妹と小林少年の想い人のほうが、本人のポテンシャルがよく分かる気がする。
そっちの方はというと、うん、悪くない。
ただ、これは自分の思い込みかもしれないけど。
なんというか彼女は “月蝕、次世代のプリマドンナ育成枠” というのに完全に入っている気がする。
この直感が正しければ、それはおそらく本人の十分な資質と劇団の目算があってのことだろうけど。
なんかモヤっとする。ほかの新人も若手も、ひとしく頑張っている(ように見える)のに。
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■はるのうらこ
なんというか、詩劇ライブのときは “ひかえめな、でもシャレのわかるおねーさん” というオモムキの彼女。
キーとなる配役のキャスティングが多いから、信頼の厚いキャストなんだろうな、という以上の認識はなかったんだけど。
(そしてそれは、ねじ式青年という大役を見ても動かなかったんだけど)
これが。
『盲人書簡』娼窟姉妹の姉役。実にすごい。
あのフワっとしたキャラが、女の嫌なところを全部集めて煮詰めたようなキャラクターに大変身。
慶徳優菜をサポートに娼窟パートのカラーというか空気を完全に支配していた。
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あと、些細なことだけど。
キーアイテムとなるタバコをチャイナドレスに入れ忘れたか、取り出せなくなったか。
取り出そうと悪戦苦闘して2秒。
見切りをつけてアタマの中でプロットを切り替えるのにコンマ2秒。
架空のタバコをふかして場面転換の決め台詞につなげるまでの時間の空費がわずか2.2秒。
はるの氏にとっては迷惑な賞賛かもしれないけど、ここの所作の切れ味に地味に鳥肌が立った。
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■宍倉暁子
彼女が登場すると、そこだけ別の照明があたってるようだった。
さらに今回の千本桜ホールより少し大きめの劇場向けにチューニングされた、よく通る発声。
今回集結した “夢のベテラン勢” の中では、彼女が出色だった。
彼女だけは気になって調べたら、舞台を中心にTV、映画と活躍の現役大ベテラン。
たしかに分かる。
自分の外見と所作が人にどう見えるか、何十年にもわたって掘り下げていないと、ああは行かないと思う。
『紅い花』では漂泊の釣り人。すこし困り顔の茫漠とした旅客でありながら、マサジのカウンターパートとして要所を締める。
『盲人書簡』では軍人と密通する小林少年の母として、実に汚ならしい堕落した母親像を体現。
教科書的に言えば寺山修司の作品世界に通底するコンプレックスというかオブセッションというか、ともかく “その部分” を実に彼女一人で背負って担当していた。
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■大久保千代太夫
今回最高の当たり役の一人。
犬丸は尾張織田と敵対している設定だけど、人物造形はおそらく美濃のマムシこと斎藤道三がベースだと思われ。
自分に襲いかかった刺客を手籠めにして側室にする一代の梟雄らしい悪太郎ぶりと、戦国武将の透徹した死生観が、もう全身からみなぎっていた。
『盲人書簡』の方は。
うーん、自分の中では “生ける舞台装置” としての黒い苦力(クーリー)の集団は、なんというか、全員が均質な筋肉質の没個性の集団だったんで、あの巨躯が逆にマイナスにはたらいた気がする。
こればっかりは、いたしかたなし。
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■小阪知子
影の殊勲者にして功労者。
前説とカッパ相撲のときから(自分の見立てでは)この人は切れ者だろうな、と思ってたんだけど、今では確信に近い。
馬鹿をやる、それもビビッドに馬鹿をやれる人間は、なんというか、切れる。これは自分の持論。
自分が見るかぎりでは、月蝕歌劇団キャストのベテラン高位職者(?)には2つのカテゴリがあって。
1つは白永歩美、岬花音菜のように “スタア” 役を仰せつかってスポットライトを浴びる職種。
もう1つは、前回公演の鈴乃月葉や今回の彼女のように “ひとり10役をこなしてストーリーラインを維持する” という重責の担当者。
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■若松真夢
薄い眉、暗く沈んだ眼。白永歩美が陽のビザールだとしたら、彼女は陰のビザール美人。
もっといろんなキャストで見てみたいと思った。できれば和装で。
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■城之崎リアン
詩劇ライブのみに登場。OGか。
そりゃ、男女問わず固定ファンがガッツリと付いたことは想像にかたくない。
問題は、貴公子以外にどんなキャストをやっていたのか、想像がしにくいことで。
もっと昔から見ていなかったことがくやまれる。
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■登利忌理生
前回の中村ナツ子に続き、今回の「なにものだ! このひと!」ワクに期待のダークホースが登場。
自分は茶髪に偏見があるようで、「えっとぉ、学校卒業の記念にぃ、オーディション受けちゃいましたー!」みたいなハスッパな外見と、そこから飛び出す恐ろしい長セリフと演技巧者ぶりのギャップに舌を巻いた。
本当に何者だ! と思って調べてみたけれど、月蝕以前の芸歴がまったく引っかからない。
あれか。学生演劇出身か。
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■音無ねむ
今は、まだ大部屋女優といった立ち位置。
(たぶん。自分が調べた限りでは、まだ無名)
何者でもない。
何者にも、まだなっていない。
だけど、あの男に引けを取らない長身とキリっとしたマスクには、絶対に活きる使いみちがあるはず。
実際、『盲人書簡』の “新聞朗読笑い男” には何とも言えない味があった。
(キャスティングの認識、間違ってないよね?)
陵南の田岡監督ふうにいえば、「体力や技術を身につけさせることはできる。だが、彼女をでかくすることはできない。立派な才能だ」ということ。
まずは、その長身を恥じるような猫背をやめて、胸郭を開いてまっすぐ立つところから、カンバレ!!
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■J・A・シーザー(と音響)
ふむ。ふむふむ。
エンディング、こんな感じかにゃ? 間違ってるかもだけど。
(いま手元にGarage Bandしか無いんで大変)
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Bm....................BmM7(←Daugかも)
寺 の 坊 ん さ ん 根 性 が 悪 い
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Bm.............Bm........F#m..GM7
守 り 子 い な し て 門 し め る
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F#m.........Bm........F#m......Bm.E
ど し た い こ り ゃ き こ え た (か)
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(間奏2+4小節)
E.................Bm.......Bm.......Bm.......Bm
+--------+--------+--------+--------+--------+--------+
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Bm.......D/A...GM7..........Bm.D/A..E..
守 り が 憎 い と て 破 れ 傘 き せ て
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Bm.......D.....GM7.......Fm#......GM7
か わ い が る 子 に 雨 や か か る
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Fm#.........GM7.......Fm#......GM7
ど し た い こ り ゃ き こ え た か
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(間奏4小節)(以下同じ)
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メジャーセブンに合わせて変えたか。
採譜するまで気が付かなった。
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えー、日本のニロ抜き音階(いわゆる田舎節)で作られた民謡/童謡に、7th、9thがタップリ乗ったモダンコードをあわせて。
さらに、それを流行りのリズムパターンに乗せると、こう、実にカッコいいニューエイジ/ワールドミュージックになるのは皆さんご存知のとおり。
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こういう音楽はみんな大好き。ボクも大好き!
この種の音楽の嚆矢は自分が知る限りYMO(実質、坂本龍一)で、80年代ではあるけど、このスタイルが「教授(坂本)のパクリじゃ〜ん!」と言われなくなったのはEnigmaやDeep Forrestが日本でワサワサ紹介されて一般化した90年代のような感じがしていて。
(“姫神せんせいしょん” や喜多郎については、当時ノーマークだった自分に語る資格はない)
問題は、J・A・シーザー氏が、何故この時期にこの種のスタイルをぶつけてきたか、だ。
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本公演エンディングの『竹田の子守歌』はJ・A・シーザー氏の手になるものではないとの指摘がありました。
お詫びして、訂正します。
以下、上記の誤りを前提にした言及をカットします。
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でも、今回のエンディングが実にイイ感じだったことは確かで、これからもこの路線はアリなんじゃないか、と思った次第。
うん、自分に言えるのはそれだけ。
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最後に音響について。
なんか、今回の殺陣は斬撃の効果音のタイミングがやたらと良かった。
何か条件が変わったんだろうか。
ただ、いつもながら思うのは、客席一番奥にコントロールブースを置かないで、それでもあのレベルの音響を維持できているのは、それ自体が奇跡に近いことだ。
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ただ、生きている動物の仕込みはさぞかし苦労しただろうな、と。
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んー、今回の月蝕歌劇団はこんな感じでした。
全体としてどうなのかって?
うん、良いところもあれば、首をかしげるところもある。
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まずは。
自分はもともと聖子ちゃん、キョンキョンのころから、それほどアイドルが好きではないので、フレッシュなキャストのライブ感、というのにはそれほど重きをおかない。
なので、(おそらくは)キャストそのものに入れ込んでほしい、という劇団の方針には同意しかねる。
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しかしながら。
高取英氏の作品世界。これにはどーしても、どーしても不思議な引力を感じでしまう。
結果として、スケジュールが合って演目の印象が良ければ、これからも足を運ぶような、そんな感じがしている。
というあたりで。
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また機会があれば。
、
田舎から上京し、恋愛に非常に疎いモッサい女子学生が、人生で初めて同級生から告白されて付き合うというシチュエーションに舞い上がり、
二つ返事で付き合い始めたものの、完全に知識も経験も不足していてどうしていいかわからず、日々言動がどんどん怪しくなり、
このままではイケない…と危機感を感じるも、解決策が見つからぬままその怪しさはダイレクトに相手にも伝わってしまうもので。
「なんか思っているのと違った」
と駅のホームで唐突に言われ、フラれた。わずか一ヶ月足らずの出来事だった。
キャンパスは五反田駅に近い場所にあり、要するに五反田駅でフラれたのである。
瞬時にぐわあっと逆上した私は
と捨て台詞を吐き捨て(実話)五反田駅を脱兎のごとく走り去った。
完全にダサかった。
五反田駅ガード下の立ち食い寿司・都々井に失意のまま駆け込んだのは、とにかく根っこから魂が腐っていたので、何かパーっとしたことがしたかったのだ。
イケてる女子大生ならクラブに行くとか、友達誘って失恋カラオケに行ってドリカムのサンキュを泣きながら熱唱とか、次行ってみよう合コンをセッティングしてもらったりするだろう。
男だったら、ここは欲望の街五反田なので激安のピンサロでスッキリするという選択肢もある。
だが、とにかくイケてないことこの上ないボンクラ学生がフラれた腹いせに思いつくことは、
前々から気になっていたけど入る勇気がなかった立ち食い寿司に、一人で入る選択肢ぐらいだ。
そこで初めて握りの特上とビールを頼んで胃袋に収めた。特上だけど2000円ぐらいの値段だったと記憶している。
めっちゃめちゃ美味かった。
以来、20年間一人で通っている。
学生時代はさすがにそうしょっちゅうは無理だったが、社会人になって都々井に通うペースは加速度的に増加した。
ほぼ週一。多いときは週三。飲み会の解散後、一人で〆る選択肢はラーメンか都々井。
8カン連続で生ゲソを頼んだ後あら汁で〆るとか、鯖サンマコハダいわしと青物三昧で注文して悦に入っても、ちっとも恥ずかしくなんかない。
飲み会の後、終電間際に駆け込み、リーマンの集団や疲れたおっさん訳あり姉さんの一人客に混じって無言で食べる寿司は、本当に美味しかった。
そこまで通えば板前さんと親しくなるだろうと思うだろうが、ここは繁盛店だし、
五反田という街がら、板前さんは客に決して深入りなどしてこない。
顔を見て常連でも「毎度!!」と言われるぐらい。それがいい。
都々井がある生活が当たり前で、どんなに仕事が辛くても、人間関係で疲れても、都々井で寿司を食えば
ってなった。
ありがとう。都々井。
三年前に品川区から引っ越してしまい、都々井に行く機会はほぼなくなってしまったのだが、それでも月一はなんとか通っていた。
夫も二度、連れて行ったことがあり、都々井が3/18で閉店というニュースを見つけてすぐ教えてくれたのも夫だ。
「増田の思い出の店がなくなっちゃうから、なんなら土曜日行く?」
と、おととい一緒に行ってくれた。
閉店を惜しむ人々が、普段並ぶような店ではない都々井に大行列をなし、たまに見かけたおじさん達も何人かいた。
ビールで乾杯し、冷酒4合あけ、思い残すことなく好きなネタを注文できた。
ありがとう夫。
もしこれを読んで、都々井に今更ながら初めて行きたいという人がいるなら(いるのかよ)、
おすすめは…芽ねぎとコハダとシメサバ。自家製コハダとシメサバのしめ具合は非常にいい。
これ目当てに来るお客さんが多いので、夕方にはなくなってしまうことも多い。
黒板下に紙で貼られている単品おつまみは非常にお値打ちなのであれば確実に注文すべし。
都々井のシャリは、回転寿司と違って品良く小さめに握られているので、女性でも一口で、サクサク食べやすい。
オリンピック再開発という時代の波にのまれてしまう、五反田駅のガード下の名店の思い出話を、わずかながら知ってほしいと思って、PCに叩き込んだ次第。
・袋にU296と書いてあったころ
数字のごろ合わせって田舎のラーメン屋の出前の番号かよと突っ込みたくなりますが、このころは、質実剛健、丈夫な品物をおいていました。生地が厚かったです。デザイン性より実用性でした。独自の品物だけでなく、「Champion」とか海外のブランド品っぽいものも一部に置いてありました。県庁所在地に買い物に行かないとなかったので、特別なお店でした。
お店の出店数が激増していました。まだ、実用品としてイメージが強かったです。品質としてもこのころが最高だったように思います。生地が一番丈夫でした。このころの服で残っているものがあります。売り上げに影響が出るくらいに丈夫です。県で2番手の街にもお店ができました。品が良かった印象があります。
デザインに舵を切りました。スリムフィットという着る人を選びすぎる服を投入。女子からもサイズがないという声が聞こえてきました。男性のLを着ている子と服がかぶりました。生地が薄くなってきたかも?とか丈夫さに疑問符が付くようになりました。毎年同じものを買っているので、違いが出ると気が付きます。
・GU出店後
明らかにGUの商品の生地が薄いことはわかりました。対GUでは品質が良い。色の品ぞろえがデザイナーの自慰行為なのか、棚のエンドに設置されたお値打ち品コーナーにコーデできねえだろ的な色がシーズン遅れで特売されるようになりました。赤シャツとか緑ポロシャツとかレベルが高杉晋作です。坊ちゃんファンとか南海ファンじゃないとつかい道が想像できません。それともイタリア国旗コーデをしろというのかと。通年売っていたビジネスバックがなくなったのが痛恨の一撃でした。気軽に壊してもいいものが買えてよかったのに残念です。ハンカチとか売っているときとそうでないときがあるのがめんどくさいです。
・ここ5年くらい
我が田舎の町にも出店されました。これによって、特別なお店ではなくなりました。買い物に行く特別感が激減したのは否めません。同じくマクドが我が町に出店したあとも特別感が大幅に喪失しました。アメリカの空気を持ってくる特別な店ではないです。日常に入り込んでくることはブランドイメージを重視するようになったユニクロとしては相反する課題です。袋にU296と書いてあったころのブランドイメージに戻ったかなとも思います。
女性はカフェが好きでよく誘われるが、そこで頂く食事はかなり当たり外れが激しい。
先日伺ったそのカフェとやらは、外観や店内はまぁ、オシャレ。
同席した女性は、大喜び。
ランチセット1500円程。
付いてるのはメインの肉、レトルトぽいスープ、小さいデザート、ドリンク。
そして別のパスタセット、冬なのになぜか冷製パスタだし。は?ってなる。
サイゼリヤであれこれ頼んだほうが絶対美味しい。私はサイゼリヤ推しだから。
破片が足元に飛んでくる。
あり得ない。
最悪。
食べる気なくす。
味は、料理初心者の学生の彼女が初めて彼氏に出した料理みたいな感じ。そんな経験無いから分からんが。
SNSに画像加工してのせればわー美味しそーオシャレーとコメント付きそうな。
口に入れて思わずマズっとなった。
肉にかかってるトマトソースは、生のトマト缶をそのままぶっかけた味…。
その野菜が激マズ過ぎたが仕方なく飲み込んだ5分後、猛烈な腹痛に襲われた。
米は冷めていて固くて食べれないけどどんぶりサイズ。マジか…でかすぎる。
謝らない。
客の味覚のせいにする。
やはりオシャレなだけの個人店だから商売の基本とか分かってないんだなーと実感。
オシャレな雰囲気がウリでごはんも食べれる系のカフェ、要注意。
気分も体調も最悪な一日となった。
結論から言うと、布屋で2メートル5600円の布を断れずに購入し、「あ、私マルチ商法とか笑えないな」と気付いただけの話です。
=====
変な宗教に勧誘されそうになったり、所謂「自己批判」をしかけられた分けではなく、相手はただ布を売ろうとしてきただけなのですが、それすら断れなかったことにショックを受けたので文字にすることで冷静になりたかったのと、
買いたくない布を買うに至るまでのプロセスがテレビやネットで読む「洗脳」のプロセスによく似ていると感じたので、同じような状況に立ったときに思い出して貰えればと思い、初めての増田投稿をしました。
ちなみに2メートル5600円は、布の値段としてはちょっと高いぐらい。
上を見ればキリが無いが、主婦が結構奮発して買うぐらいの物だろう。
布自体は悪い物では無いけれど高級品と言う分けでも無く、老夫婦が趣味でやっているようなお店なので、友達相手の商売ならまあそんなものかなって言う商品。
ただ私はその時その店で何かを買うつもりは無かったし、
お財布事情もその店の想定する顧客では無いと自覚したうえで、もしかしたら掘り出し物が見つかるかもって軽い気持ちで入った。
何度か入ったことがあるお店で、私を囲って最終的に布をレジまで持って行った店主のマダムも悪い人では無いのだと思う。
そう、相手は腰の曲がったお婆さんだった。
ピンクのツイードのジャケットに千鳥格子のスカートで、喋り方もちょっとハイカラなお婆さん。
店員も客もマダムも合わせて四人しか居なかった。みーんなお婆さん。
対して二十代の私が物理的に逃げることは簡単だった。
それなのに、2メートルの白い布を手にちょっと茫然としながら「自分は洗脳される側の人間かも」と恐怖した理由もそこにある。
私はメートル千円未満の安い布を探していた。
火急の用では無く、購入する店にも目星を付けていた。一週間後にはその店の近くを通るので、その時に買えば良いや、ぐらいの気楽さ。
件の店はタイトルでは「手芸屋」と書いたが細かいことを言うと布専門店で、最初は寄る予定も無かった。
私が用があったのは、同じ複合店内の百円均一だ。
と言うか、そもそも買い物をする予定もなかった。
100円均一だって、図書館に行ったら、休館日だったので、手持ち無沙汰になってしまい無理矢理作った用事だった。
ともかく入ってしまった複合店の中で、二店は同じフロアにあり、エレベーターを上って最初に目に入るのが例の布屋なのだ。
高級な布を見るのは楽しいし、時々端切れを買ったりして少し好きなお店だった。
そう言えば白い布探してたんだよな、もしかしてちょっと良いのが安くなってないかな。
ちらっと覗くと、白い布に「1000」の値札がついている。「2800」に打消し線が入っている上に、だ。
お得じゃん!
早速近づいて手にとってみて、がっかりした。
ベルベット素材だったのだ。
でもベルベットが千円なんてちょっとすごいな、冬だからかな、なんて触っていたら、見たことのある─一度レジで話をしたこともある─店主のお婆さんが話しかけてきた。
「良い布でしょう、ベルベットって言ってね、宝石の名前もついてるくらいで、良い布なのよ」
(ちなみに宝石の名前、がどこから来ているのかネットで軽く検索しただけでは分からなかった)
元々店員さんと話すのは苦手では無い。
手触りが気持ちいいですね、なんて言いながら、買うつもりが無いことを、次のように伝えた。
「でも私、スカートを作りたいんです。白い麻とか綿とか…これじゃちょっと違うかな。」
「スカート!良いじゃない。
タックを入れてこう…(手でストンと落とす)いうのも良いでしょう?」
耳が遠い分けでは無いのだが、お年寄りや若者それぞれにあるゾーンみたいなもので時間軸がちょっと違う。
その時その時の自分の世代が正常だと思ってしまうが、今は分かる、十代もちょっとおかしい。
二十代なんて全然若いと思っていたが、いざ突入してみると十代が怖い。
世代の違う人との会話を二人三脚に例えるなら、予期しないタイミングでブレーキをかけたりダッシュしたり、とにかく息が合わないことが多い。
勿論、他の世代からすれば私は「鈍くさい奴」「足の踏込が甘い」とか、いろいろあると思うけれど……
……脱線した。
とにかく、ちょっと話を聞いてもらえないことが分かったけれど、その時はまだ何とかなると思っていた。
勿論千円を超える布を買う気も無かった。
もう一度ビロードが想定と全く異なることを伝えると、マダムは違うコーナーに私を連れて行った。
黒い壁や間接照明とならんで布が飾られている、明らかに高額商品のコーナーだ。
白い綿や麻、混合を探していて、千円のビロードが予算に沿わないと伝えているのに、マダムが手に取るのは四千円五千円の柄物の布ばかり。
あれこれ話を広げていくマダムに、ちょっとやばいぞ、と気付き始める。
挙句に六千円の織物を手に取り、一万五千円が六千円になっている、これが一番お買い得だ、ちょっとそこ(鏡の前)に行って当ててみたらどう?とか言い出す。
もっと高い布もそのお店にはあるのだが、それまでマダムが手に取ったり指さしたりした中で一番高い布を「お買い得」と言って勧めてきた所に、マダムの狙いは親切では無く何かを買わせることにあったと思えてならない。
その後も再三「予算に合わない」と繰り返して、何とかその場を移動しても、相変わらず四千円五千円のコーナーをうろうろするマダムと、私。
この時私はへらへらしていて(癖なのだ)、
会話も
「綺麗ですねえ、見てると欲しくなるけど、高いなあ」
などと肯定から入っていたので、端から見たら購買に積極的な客に見えたかもしれない。
自分のこの態度にも、最終的に断りきれずに買ってしまった要因があると思う。
その後も「どこかの学生さん?」と聞いておいて、別段安いものを見せてくれるわけでもなく、こちらの予算も無視でとにかく買わせようとする。
何度か逃れられた、と思って安い生地のコーナー(一応キルトとか子供向けの柄物とかも置いてあった)(とは言え、そこに置いてある生地もセールになっていることは滅多にない。本当に、冷やかしと同然でとりあえず入ってみただけだった)に行こうとすると、一度は離れる。
けれどすぐに声をかけてきて、「これなんかどう?」と、また良いお値段のコーナーに引き戻され、結局安いコーナーには一歩も入れなかった。
マダムの言葉選びは、いっそ見習いたいところがたくさんあった。
「気安い布も見させて」と苦笑いする私に、三色並んだ布を指して「これなんかもねえ、お値打ちよ。」と百八十度違う言葉をかけてくる。
「へ?ええ、ああ、でもちょっと予算がね。」驚きつつも、なんとか会話を続けようとするのを遮って、
「ええっと、カーキかな。でもちょっと素材が…」
「ねえ、良い色よね。」
と、とにかく相手に選ばせるのだ。
選んだらそれを褒め、自分が手に取った商品は良いですね、と言わせるのだ。
こう言うときに「そのヒラヒラ下品で好きじゃないわ」なんて言おうものなら、「若い子にはそうかもね。じゃあ、こっちはどう?ツイードで大人っぽいわよ」と他の布を出したことだろう。それとも、フリルのついた他の布を持ってきたかもしれない。
実際、最後まで私の希望─白色、麻や綿、千円未満─に一つでも沿っているものを持ってくることは無かった。
そうして私が指差したカーキ色の布を手にすると、マダムはおもむろに言った。
「これにする?」
唐突なその言葉に、ちょっと血の気が引いた感覚が、この記事を打っている今も残っている。
散々「他の布も見るね」と言っては頷かれ引き戻され、一度も自分のみたい物を見ていない。
まだ私は物色すらしていないのに、しかもその布を聞かれたから褒めこそすれ、明確にあることを伝えている計画に照らし合わせる前から、何故、いきなり購入になるのか。
私がどんなスカートを作りたいかおばあさんは聞いてもいない。
しかも散々伝えている「どんな布が買いたいか」に、その布はかすってもいない。
上品なカーキがテカるシャンブレーを片手にレジに持っていこうとするおばあさんにそこはかとなく恐怖した。
この時「この人話が通じないんだ」と恐怖したのが、第一段階だと思う。
洗脳の段階だ。
はっきりノーと言ってその場を去れば良いじゃないか、と思う人もいるだろう。
出来なかったのか?と呆れられれば、私はその人の前では自分を恥じてしまうだろう。
実際、出来たと思う。
自分より弱いおばあさんだったから強く断れなかったのかもしれないし、
へらへらするのが身に付いていて、愛想の悪い態度をして誰彼構わず嫌われたくないと思ってしまうのが、私の悪い癖でもある。
それに、5600円だ。
数十万じゃない。
ハッキリ払えないと言うのが嫌だと言う、妙な虚栄心もあったと思う。
私は普段からまめに洋裁なんかをする人間では無く、知識も低いのに知ったかぶりをしてしまう所があって、この時もなんと言うか見栄を張ろうとしていた。なんとか取り繕って逃げようとしていた。
色々な要素が混ざり合って、最終的に、「向こう見てきますね」と言って逃げようとした私におばあさんが別の布を手にして
「もう、これにしましょうか」
に負けてしまった。
本当にこの時は怖かった。
今も、思い出すと怖い。
しゃがみこんで、泣きそうになりながら、それでもなんでか笑って、なんとか逃げようとあれこれ言ってみるけれど、「何メートル必要なの?」「二メートルです」と答えてしまい、二メートルだと言ったそばから「それならシャツもね、作りたくなるのよ。三メートルあれば足りるかな…ちょっと計算しましょうか」と言われ、「あの、スカートに二メートル必要なんです。シャツには足りませんよね」と言う声が震えそうになったのを抑えてしまった。
結局おばあさんはレジに立っていた店員さんに「三メートルね」と言うので「二メートル!二メートルでお願いします」と訂正しなければならず、最後まで話を聞いてくれなかった。(「これにしましょうか」と言って手にした布もグレーで、他に四色ある中からどれが良い?と言いながら、なぜか頑なにグレーを持っていこうとしていた。もしかしたらグレーが高かったのかもしれない。私は「自分で」白を選んだ。)
この時私は切られた布に申し訳なさすら感じて、一割引に「ありがとうございます」、それなのに(店側がカード会社に売り上げから何パーセントか手数料を支払わなければいけない)クレジットカードで支払ってしまってすいませんとまで言った。
これも、私の癖だ。
レジでも毎回「ありがとうございます」と言い、車の前を通るときは例え相手が無理に横断歩道に乗り込んでいても反射的に頭を下げてしまい後で一人で勝手に悔しくなったりする。
悪いことではないと言ってくれる人もいるだろう。
けれど、今回ばかりはそうは思えなかった。
この癖も、悪徳商法などの洗脳にかかりやすくなる要素の一つだと自覚したからだ。
ここからは、どうして自分が「洗脳されやすい人間」だと自覚したのか、書いていきます。
1.まず一つに、最後まで─そして今でも─私は「断ろうと思えば断れた」と思っていること。
これは、「断ろうと思えば断れた」のに断らず、「自分で選択した」のだから、決断した「自分が悪い」と言う結論を引っ張ってきます。
自己評価が最低になり、何もかも自分が悪いと思い込むと、「被害を受けた」という判断も下せなくなってしまいます。
今回、私の相手は腰の曲がったおばあさんでした。
先にも書いた通り、逃げようと思えば方法はいくらでもあったのです。
それに、5600円も「被害」と言うには大げさな額に感じられます。
何より、私には支払い能力があったのです。これで生活がおろそかになるわけではありません。
これぐらいなら「仕方ないか」と思える「被害」と、「自分が決めたこと」は自分で責任を負わなければならないと言う負い目から来る「自分が悪い」という自己否定。
この二つのせいで、私は(こんな記事を書いておいて何ですが)おばあさんを悪役に出来なくなります。
「買いたくないものを買ったと嘆いているけれど、相手はおばあさんだったんでしょう?無理やり拘束されたり脅迫された分けでもないのに、大げさだよ。人のせいにしてるだけでしょ」
「本当に買いたくないなら、走って逃げればよかったんだ」
「他にも買わないために出来ることはいくらでもある」
「結局、本気で嫌だったわけじゃないんだよ」
今回は布で済みましたが、これが悪徳商法だったらどうでしょう。
額もそんなに高くありません。
あなたが参加した企業家のためのセミナーやIT系によくある「仕事を効率よくこなすための三つのフロー要点」のような、ネットの有名人の講演会で、パソコンを使った遠隔講義に誘われるかもしれません。
日用品なら、高くても数万、遠隔講義なら物理的に囲いこまれるわけでもなく、いつでも逃げられる。
契約しなきゃ帰ってくれそうに無くて怖いし、よく聞く何百万の詐欺事件よりはマシかな、と契約してしまうかもしれません。
けれど、一度契約してしまえば最後、自分を責める後悔が始まります。
今回のことで痛感したのは、「詐欺は金額ではない」と言うことです。(詐欺とまで言ってごめんね、マダム。もう二度と行かないから許してほしい)
あんなにテレビやネットで詐欺や洗脳のニュースを見聞きしていながら、「騙された」ことが辛いのです。
マルチ商法は、買わせた相手のこの気持ちの隙間につけ入り、「元が取れるよ」と売る側に回して「被害者」を「加害者」に変える悪徳商法です。
傷付いた自尊心を補おうためにしたことが、加害者になることでさらに傷付き、負の連鎖を引き起こすことになってしまうのです。
話は戻りますが、先に書いたように、「恐怖」が洗脳の第一段階ではないでしょうか。
相手に話が通じない、もしくは暴力の可能性を示唆されることで、自分が無力だと感じる。
そうなると、なるべく穏便に逃げたいと考えるようになります。まだ逃げたい・この場には居たくないと考えます。
しかし、拒否できなかった自己嫌悪から自分を責めることになり、自信を無くしてしまう。
2.次に、結局「ノー」と言えなかったことだ。
これに尽きるけれど、こんなにショックを受ける程買いたく無い物に、「ノー」と言えなかった奴が是が非でも自分たちの住む沼に引きずり込もうとしているマルチ商法や洗脳を拒否できる分けねーべ。
これは一日経った今もちょっと泣きそうなぐらいショックだった。
まず、店員さんに押し切られて買うと言う経験が無かった。ファースト。奪われた。
それまで店員さんって言うのはひたすら褒めてくれるのをスルーすれば着合わせを一緒に考えてくれたりするちょっと気分良くしてくれる人だと言う認識で、お仕事だから失礼なこともしないし、怖いなんて思ったことも無かった。
けれどマダムは違ったのだ。
考える隙を与えずにガンガン来られたら、そりゃパニックにもなる。
「ごゆっくりどうぞ~」
は、あくまで相手の気遣いで、彼等が売るのは商品そのものでは無くて「豊かな生活」「楽しい買い物の時間」でもあったりするからだ。
お店で気分を害して買い物をしても、悪評が広まれば客も減り、商品も売れなくなる。そんな方法を取ってまで売る物では無く、「ちょっと考えてみます」と言った客は接客を止めるラインでもあったりするからだ。
あの手この手で私たちの思考能力を奪い、言いなりにすることが目的だから。
そこに来て店員さんや通りすがりの人の前ですら「物分りの良い振り」をしたがる私の性格。
「卒なくこなしている」ように見られたい見栄があって、無愛想な態度を取ったりして働く人に敬意を払っていないとかマナーを知らないとか、軽蔑されたくないと思ってしまうのだ。
マダムは私の話を一切聞いてくれなかったのに、いちいち声に振り返り、返事をし、話を聞いてくれない人の話を聞いて何とか会話しようとする私は、そりゃ良い鴨だ。
向こうはこちらの話など聞いていない。
考える時間も与えられず、パニックになり情報が遮断されて追い込まれた中で、頷くしか選択肢が無いと思い込んでしまう。
マダムは悪い人では無いと思う。
半分は天然で、半分は故意だっただろうけれど、それも悪意からでは無く、引き際を知らない人だったのだと思う。
比べるのは嫌だけれど、私の祖母も私の話を聞かない。
一緒に料理店に行くと、いくら私が要らない、食べられないと泣きそうになりながら断っても、自分が子供時代のひもじい思いをした辛さから良かれとどんどん料理を注文し、挙句自分が食べられなかった分を私に「食べれるでしょう」と差し出す。
今はもう必死に粘ることを覚えたが、中学生のころはガチ泣きをしながらご飯を食べたことも、何度かある。祖母は私が泣いていても、見えていないのか全く悪気が無く「食べれるって」と言う。
あっ、こりゃダメだ…。
また脱線した…。
もういい、なんだか書けば書く程自信が無くなって行く…強く生きていきたい…。
…えっと、それで、結局「マダムも悪い人じゃない」と思っている時点で、私は相手を完全に否定して切り離すことが出来ていない。
これが信用していた友人だったらどうだろう。
もう立ち直れない…。
長々と書いておいて、とりとめもなく終わってしまい申し訳ないです。
失ったのはたかだか五千円ですが、受けたショックは一日引きずって消えませんでした。
このショック和らげるため、自分のために一気に書いたので、矛盾やほつれがいくつかあるかもしれません。すいません。
タイトルで「洗脳」とまで書いたのに、結局洗脳された分けでも無く、マルチ商法に怯える妄想に始終し「洗脳」って何ぞや、と思った方もいるかもしれません。
私も簡単に「洗脳」について引用を載せた方がこの記事も書きやすいかな、と洗脳の手順とかを検索してみたのですが、「洗脳はこうしてできる!」「洗脳は簡単に見破れる!」みたいなあんまり仰々しく強気の記事が多くて「どっこいどっこいだな…」と疲れてしまいました。
おススメはテレビ番組「しくじり先生」の辺見マリさん回です。あれ分かりやすかったよね。
この記事を読んでちょっとでも感じた恐怖を追体験し、「もしかしたら私もそういう所あるかも」等と自衛の一助になれば幸いです。
それでは。
突然だけど、ビックリマンシールを集めるように、浮世絵を集めるようになってくれないかなと思う。
ビックリマンのなにがすごいって、ただただ美しいいからというだけでブームを作ったこと。
シールに遊び方があったというわけじゃない。
たしか「貼られたら貼りかえせ!」と書いてあったが、そんな遊びをしてるやつはいなかった。
コミックやアニメが展開したけれど、あくまでシールの人気にのっかっただけ。
今にして思うと、ビックリマンシールって、どうみても浮世絵の役者絵だと思う。
加えて、旧ビックリマンシールって、今の平板印刷じゃなくて、アキバ売られてるイルカの絵と同じシルクスクリーンだった。
インクの盛り上がりが気持ちいい、一種の版画だった。
余談だけど、浮世絵は大判が35×25だとして、ビックリマンシールが5×5cmとすると、大きさにして35倍。
ヘッドの封入率が約1/40 。
今売られている復刻浮世絵は、ヘッドシール以上に凝った細工がしてあるので、
35×40×30円=42000円
くらいまでは適正価格だと言えなくもない。
いや、4万もしちゃったら子供は買えないから、1枚1000円くらいじゃないと無理だけどさ。
特に現代木版画だと「限定○部」みたいな売り方してるけど、あれはやめたほうがいいと思う。
木版画って、ビックリマンシールと同じで、手にとって、生で見ないと美しさがわからない。
それでも、高級品として額にはめて壁に飾られたいのか?
それで本望なの?
でも、それって、希少だから貨幣価値が高まったというだけで、作品の芸術性が高まったわけではないでしょう?
手軽に聞けるウォークマンやラジカセが普及して、高級オーディオは衰退の一途を辿った。
結果は今の通り。
いい音を多くの人に届けていれば、そうやって品質をアピールしていけば、もしかしたら生き残れたかもしれないのに。
印刷技術が発達して、写真やディスプレイで見るぶんには区別がつかなくなった。
高級品として額に入れて紫外線をさけてアクリル板を挟んで飾ることを推奨するような売り方をする理由がわからない。
そもそも、市場は死んでる。
ネームバリューのある作家以外は、限定部数にしようがしまいが、ヤフオクでの値段は知っての通り。
財テクとして買うんだったら、絵なんかじゃなくて株券でも買うだろ。
常識的に考えて。
ビックリマンシールが廃れた原因が、公取委の指導でヘッドカードの封入率が上がり、レア度が下がったからという意見がある。
自分はそうは思わない。
レア度が下がったからではなくて、封入率が高くなったことで原価を圧迫して、シールのクオリティが低下したからだ。
流行りモノ好きが飽きたら、信者から搾り取るものがなくなったらそこで終了だ。
田中義剛が、
「発想の転換であえて少なく作る」
みたいなことを言っていたが、ぜんぜん同意できない。
ここ十年くらいは、
「品質がいいだけじゃ売れない」とかなんとかで、ブランディングが人気のように思う。
俺の髪の毛が減ったんじゃないの。地肌が表面に出てこられるようになっただけなの。
昔は一定以上の知識とお金と環境がないと育毛なんかすることもできなかった。いまではストレスから保護を受けてても前からガンガン禿げ上がる。もう母数が違うの。
例えるなら、森の中にある一部の綺麗な木だけを見て「この森は大丈夫だ」と言っていたのが、森全体が見えるようになったらそこに枯れた木や病気の木もあったのに気付いて「この森は没落した」と嘆いているようなもん。その時自分が何を見ていたのかすら把握していなかったってだけ。
ハゲ軽視の発言なんか昔の方がよっぽど酷かったでしょ。それこそア○シンドだのナ○パだの、対人でもテレビで言ってもおとがめなし。覚えてないの? 今よりもその頃の方が育毛レベルが高くてお値打ちだったと思うの?
ようやく人並みの部屋を維持できるようになって1年ほど経ちました。
部屋を綺麗にしたいけどできない、という人のお役に立てばと思って普段自分が気をつけていることを書きました。
・広い家、広い部屋に住まない
収納スペースがたくさんあったり使わない部屋が多いと、どうしても物を貯めこんでしまうし
掃除もおざなり、悪ければ床に荷物が山積み、ホコリも溜まり放題になってしまう。
自分が管理できるスペースが他人よりも狭いことをよく自覚して、手狭な部屋に住むほうが片付けやすい。
あったら便利ですよ、ひとつ持っておくと長く使えますよ、という物は往々にして不要品でタンスの肥やしになってしまう。
どんなにお値打ち品でも、使わないなら100円で買ったとしても損!
必要な物は必要になってから買うほうがお金もスペースも節約できる。
好みのデザインや流行は変わりやすいので、昔買ったけどいざ使う時になるとイマイチ気に入らない、ということもあります。
・引っ越しするつもりで物を選定する
引越し料金は安くないので「この荷物に大金を払って移動させる価値はあるのか?お金をかけてでも次の部屋でこれを使いたいか?」
と自分に問いかけると物が捨てやすくなるし、購入時に慎重に考えられる。
同様にこの荷物を部屋に置いて、そのスペース分の家賃を毎月払う価値はあるんだろうか?と自問自答してもいいと思います。
・床に物を置かない
脱いだ靴は揃えてすぐ下駄箱に入れる。
洗濯物も絶対ダメ。やむを得ず置く時は何時までに片付ける、と制限時間を設ける。
床に落ちているものはゴミだと思って、目にとまったらすぐゴミ箱に入れる。
これを心がければ床に何かが山積み…なんてことは無くなります。
新品のダンボールなら汚れはついていないけれど、一旦流通に乗ったダンボールはものすごく汚い。
ダンボールを触る仕事をすればわかるよ、一日で軍手が真っ黒になります。鼻をかむとティッシュが黒くなる。それくらい汚い。
だから部屋には絶対に入れない方がいい。荷物は玄関で出してしまう。
たとえ新品ダンボールであっても放置していると綿埃の巣窟になるので部屋には置かない方がいい。
もしダンボールが山積みになったまま放置されているなら、きっとその中身は長く使っていない、全部いらないもの。
捨ててしまいましょう。
大事なものならダンボールの中に入れっぱなしなんて絶対しないはず。
・掃除を習慣づける
掃除機をかける、モップをかける、だけでも十分。
面倒くさくても絶対する。しない理由を見つけないで、つべこべ言わずに掃除する。
気が乗らないなら、掃除が終わったらあのケーキを食べよう!とかゲームをしよう!とか報酬を目の前にぶら下げてでもやり遂げる。
応援してます。
223 :ソーゾー君:2013/10/06(日) 22:37:47 ID:v55DtDKE
昔はNHKの受信料は高くなかった・・民法の広告料が洒落にならなかったからな・・
今はそりゃ下げるわな・・本来なら0で良いぜ?
TBS、テレビ朝日、フジテレビ、読売テレビ等々解約しても良いですか?
俺、テレビ持ってないのよ?見てないから数万円返してチョンマゲ?w
毎月の契約料金でやって行けるよ?少し上がるけど企業広告として8000億取られるのが無くなるからお値打ちだよ?
テレビもTBS、テレビ朝日、フジテレビ、読売テレビ等々こんなに必要か?
一社で年間14000円で良いだろ?
「え?高い?」
「10000円でどうですか?」
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/10043/1378650618/l50
ここに載せられている追い出し屋対策弁護士の事は記事にできないのでしょうか?地域は違います。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1367730408
弁護士についての問題です。下に書く事は、証明できたら問題になったり、罪を問うたりできないのでしょうか?
弱者の味方のようなふりをして、過払い以外の案件は、調停や訴訟になるのを、自分が手間がかかるから嫌がり、費用対効果を持ち出すけど、本当は自分の労力対報酬を考えている。.....
弁護士の告発動画でも一緒に映っている人は他ユニオン関係者でもあるのに、ユニオンの告発も一緒にやってます。
http://www.youtube.com/watch?v=RlF1aisRIvI
1:05に「ユニオン(労働組合)にも、腐敗の構造、セクハラ・パワハラ・人権侵害がある」と画面に文字
家賃滞納無しのカギ施錠に関しては、警察が中途半端に関わって精神的にかなりまいってしまった事もありました。
http://anond.hatelabo.jp/20110919111536
>アパート退去の事で転売目的で買った業者に住んでる状態で、隣の>部屋までアパートの建物を壊された事があって
そういう状態で、家賃滞納もないのに、カギを交換して施錠して行った。
>夜にドアが閉められて入れなくなってるから、それまでも相談してた交番に聞いてみた。人がいなかったから署への電話の受話器を上げそれで話した。
>民事と言っていたのに、なぜかそこで待っててと言って警察署から警官が来た
>その時それまでに相談していた弁護士事務所にも電話をしていた。電話には事務員が出て「民事とも言い切れない」と言われた。(後に宇都宮弁護士たちが家賃滞納した人がカギの無断交換された事で、住居侵入と器物損壊で告訴状出してる事がわかった)
>来た警官が業者に電話をし呼び出す事に勝手に話しを進めていた。話し合いと引き換えのような事を言っていたらしいので、弁護士もいない法的な場でもないところで、面談はできないと言った。そうしたらまあそれでもいいから、業者も呼び出すから署へ来てくれとパトカーで署まで連れて行かれた。
>こっちは、刑事事件として呼ばれているのだと思っていた。
>どうも、対応が変で、業者に対して誰も何も働きかけないし、私が勝手に交渉する事を望んでいるようだった。業者は、きちっとした話し合いがしたい、以外中傷しか言わなかった。あなたは普通の人じゃないとまで言われた。(きちっとした話し合いとは法律を通さない業者に一方的に都合が良い話し合いの事なのに、盗人猛々しいというか、こういう無茶な交渉ごとに慣れているようで、悪びれない態度を取ると、感覚的な事で判断する頭が足らない人々は、自分の考えに巻き込む事ができると考えているのか、何の正当性もないのに、”きちっと”した話し合いなどと言ってきた)
>他の部屋の人はみんな無料で追い出していた。出て行った人たちは荷物置き場や店屋の倉庫として使っていただけだったので出やすい事もあったが、出て行く時倉庫に使っていた店屋の人は「話が通じない、昔の地上げ屋のような人だ」と言って出て行った。私は調停を申し立て、法的に正しい交渉をしてほしいと言っていた。ちなみに前大家との仲介は大手財閥系不動産屋なので、やくざではないと思っていたがわからない。
>向こうが中々鍵を渡さないので、話が進まなかったらどうも、対応が変で、業者に対して誰も何も働きかけないし、私が勝手に交渉する事を望んでいるようだった。業者は、きちっとした話し合いがしたい、以外中傷しか言わなかった。あなたは普通の人じゃないとまで言われた。(きちっとした話し合いとは法律を通さない業者に一方的に都合が良い話し合いの事なのに、盗人猛々しいというか、こういう無茶な交渉ごとに慣れているようで、悪びれない態度を取ると、感覚的な事で判断する頭が足らない人々は、自分の考えに巻き込む事ができると考えているのか、何の正当性もないのに、”きちっと”した話し合いなどと言ってきた)
>他の部屋の人はみんな無料で追い出していた。出て行った人たちは荷物置き場や店屋の倉庫として使っていただけだったので出やすい事もあったが、出て行く時倉庫に使っていた店屋の人は「話が通じない、昔の地上げ屋のような人だ」と言って出て行った。私は調停を申し立て、法的に正しい交渉をしてほしいと言っていた。ちなみに前大家との仲介は大手財閥系不動産屋なので、やくざではないと思っていたがわからない。
>向こうが中々鍵を渡さないので、話が進まなかったら、「この人も商売なんだから」とか「後日、改めて、また合って話し合ったら」とか何事も譲りあいだとか
こっちは防犯上、かよわい人間が寒空(冬だった)の下路頭に迷ったら、犯罪に巻き込まれる可能性もあるから、民事なのにわざわざこうしているのに・・・みたいにも言われた。
>こっちは防犯上、かよわい人間が寒空(冬だった)の下路頭に迷ったら、犯罪に巻き込まれる可能性もあるから、民事なのにわざわざこうしているのに・・・みたいにも言われた。 まだ文章はリンク先で続く
特にこの部分
>「この人も商売なんだから」とか「後日、改めて、また合って話し合ったら」とか何事も譲りあいだとか
勝手に合う事を決めようとした。警察は民事不介入なんだし、立ち退きでの面会の強要は、警察を呼んでも良い事のはずなのに、警察が面会を強要するのはおかしいです。
立ち退きでなく、家賃の督促でも、その他の督促でも。家主や債権者(家主も家賃と言う債権の債権者ですが) が、自分で家賃の取立てにしつこく訪問すると、法律的には警察が呼べて、悪徳店子を名乗っているブログの人は実際に呼んだ話をブログに、イケシャーシャーと載せてます。
http://blog.goo.ne.jp/breakbeats/e/52e603099306ca7ef06b10cc9f09fa46?st=0#comment-form
>俺は自営で事務所は保証会社入ってるけどかれこれ10ヶ月滞納してるし家は4ヶ月滞納してますよ。
>取立てにきて帰らなければ110番通報しましょう。俺は110番通報してすべて録音してますよ。
家賃と言う回収すべき債権があっても、これなのに、何にもないのに、連絡が取れないからと、カギ施錠した理由を警察に言ってました。
連絡は取れます。やり取りは文書かメールのして欲しいと伝えてメールアドレスも伝えてましたが、一度もメールは来ませんでした。こちらが申し立てた調停中にアパートを半壊にしたのです。調停員も壊す話を止めませんでしたし、お値打ちな所うふふと言って笑ったりしてました。
こういう事は記事にはならないのでしょうか?
業者を使った引っ越しは今回が三回目。ようやく引っ越し業者とのやり取りのコツが掴めた気がする。
「自腹で引っ越し」するケースはおそらくそれほど人生で多くはないはず。転勤だったら費用は基本的に会社持ちだろうから。そして「自腹で引っ越し」する場合こそお値打ちに済ませたいと考えるのは当たり前だ。
その方法論として複数の業者から見積もりを取り、一番安い価格提示を出してきた所を選べば良いはずなのだが、業者にとってはそれも織り込み済みな訳で。
シーズン、荷物の量、移動距離、集合住宅であれば階数、エレベーターの有無等、価格決定の為の要素が多すぎて素人には「相場」がまったく分からない。これが他の買い物と圧倒的に違う点である。
こういうサイトもあってスタート価格として参考にはなるけれども、あくまでスタート価格。http://www4.ocn.ne.jp/~corgies/estimate.html 実際の「相場」は業者の営業マンに来てもらって初めて知る事になる。
業者と交渉する中で、大きく分類して三つの値段が出てくる。
まず「スタート価格」。値引き無しの価格。これは最初からこの価格では決まらない前提で出てきます。
その次に出てくるのが「置き値」。現場の営業マンに与えられている値引き裁量いっぱいいっぱいの値段。「見積もりとして置いていく値段」とのこと。
そして最終的に「交渉後の価格」を引き出していく事になる。この「交渉」ってのがやっかいで「営業マンが上司と交渉」して出てくるのよ。わざわざ客の前で電話掛け出して、(人によってはだけど)凄く卑屈な交渉するんだもん。そんな交渉を見る度に「演出」だなぁと思う。
一方我々には「即決」というカードしか与えられていない。そのカードの存在は多くの場合営業マンから「使用の提案」という形で知らされる。つまり営業マンが「今ここで決めてくれるなら上司に掛け合います!」といって客前で電話を掛け始めるってこと。そして何としても段ボール一式を置いて帰ろうとする。
「いやいや、こちらは複数の業者さんの見積もりを比較検討したいんです。ですから今日はいったん帰って下さい」という態度を取り続けている限り「置き値」以下の値段は引き出せない。
つまり「即決しちゃおうかな」という態度で限界値を引き出した上で営業マンを追い返す、っていう戦術が理論的には一番安値の見積もりを比較検討出来るんだけどもこれを平然とできる人は相当ハートが強いと思う。そして向こうはそういう修羅場を毎日くぐってきているプロなのだ。付け焼き刃の素人が勝てるかどうか…。
(僕が知る限り)一社特徴的な業者がある。「S社」である。自分も経験したし知人から聞く話もほぼ同様。営業の粘りがとんでもない。おそらく引っ越し初心者が契約をせずに営業マンを帰らせることは不可能なのではないかとすら思う。なので最初にココを呼ぶのは得策ではない。相場が分からないうちから戦う相手ではない。順番は最後に近い方であるべき。
今回はS社以外の業者から順番に来てもらった。S社は最後。
全業者に対して、事前に「複数の業者から見積もりを取って比較する事」「即決はしない事」を宣言。
これは相場感を把握すると同時に、無駄に粘られる事を避ける為。もちろん「置き値」以下の値段は引き出せないんだけれどね。
で、今回はすべての業者からの見積書を手に入れた(S社の営業にもちゃんと帰ってもらった)状態から夫婦会議。業者間で価格差はほとんど無いに等しいレベルだったので、荷物量の見積もりが一番丁寧だった業者に決定。電話で「御社に決めたいと考えていると思うのだけれども、もう一声勉強出来ませんか?」と交渉して「置き値」から若干お値引きしていただきました。
おそらくまだ粘れば値段を下げる事は可能だったと思う。ただそれを達成する為の精神的ストレスが発生する事を考えれば、満足できる値段でした。
5年前の初引っ越しの時は、新卒ぐらいの年の営業マンが目の前で正座して上司に価格交渉する「演出」に負け、2年前の二度目の引っ越しの時は、S社の営業マンに粘られ根負けしていたので、ようやく今回は自分たちの意志で業者決められたという思いが強い。
また、今回来てもらった営業マンはすべて人間的に魅力的な人たちばかりで本当にビックリした。普通にきつい業界であろうことは容易に想像がつく。こんな田舎を担当している人ですら、あれだけの営業スキルを持ってらっしゃる事は本当に脅威だと思った。
ちなみに今回のS社の営業マン、とても柔らかい方でした。他の業者の営業マンと比べればかなり粘られましたがそれでもエゲつない押し売りをされなかった事でものすごく印象がよくなりました。でも他の業者さんよりは確実に粘っていきましたけどね。
フレンチで思い出したけど、うちは家族で半年に1回くらい近くのフランス料理店にフルコースを食べに行ってたのさ。
5000円くらいでフレンチのフルコースとしてはお値打ちなの。
すげぇうまいの。
私はフレンチを外で食べる機会はこの時しかなかったから、これがフランス料理か!って思ったの。
ところがそのお店がやや遠くに移転してしまったの。
そこで違うところで食べてみるかーってことになったの。
行ったのは駅の近くにあった高層ビルの上層にあるおっしゃれーなレストラン。
もう値段も違うの。軒並み1万円越えてるの。
メニューもフランス語でしか書いてないの。わっかんないから説明聞いて注文したの。
これが本物のフランス料理店か、そう思ったね。
食べたとも。
でもね、明らかに味が落ちるの。
そりゃあ、高いお金取ってるんだし、それなりの味はしたさ。
でも違うの。
近くのフランス料理店の方が明らかにおいしいの。
家族の誰もがそう言ってた。
この程度なら吉野家で豚丼でも食ってた方がいいよ、そう思った。
ちょっと遠いけど車だせばすぐだべ。
私は歓喜したね。またあのフランス料理が食べられるんだ!って。
ワクテカしてお店に到着したの。
・・・あれ。
値段が下がってる。なんで・・・?
嫌な予感がしつつも頼んだの。
きたから食べたの。・・・味が落ちてるの。
それでもおしゃれレストランよりはおいしかったけど、でもこんなのひどいや。
それ以降、フランス料理を食べに行く習慣はなくなりました。