はてなキーワード: 研究室とは
うえーん就活したくないよぉ
・私は本当にこの業界でいいのだろうかと思いながら就活したが、もうそんな段階は過ぎてしまった。いつの間に2月だ。
成績は中の上(院進する中だと下の方かも)ながらも院まで勉強して研究してきたじゃん?毎日愚直に実験してきたじゃん?
ポンコツ研究者として生きていきたいよ。この業界は院までこの分野勉強してきた人の特権みたいな業界じゃん、多分。
他の業界を知らないからこの業界がいいのだと思っちゃうのかもしれないけど、知らない幸せってあると思うのよね。婚活と一緒。私就活を少しでも楽にしたくて理系来たじゃん。どっかには入れるし、入ってもどうにか生きていけると信じて頑張るしかないね。
少なくとも私よりも優秀な同期が俺は有機化学出来ないから、って言ってて、じゃあ私はもっとできないじゃん、じゃあ私は生きていけないの?みたいな不安。
まあなぁ、私たちの研究テーマはゴリゴリの有機合成や反応開発な訳ではないし、そういう研究室ではないから、医薬品とかの開発が出来るような知識は持ってないんだろうか。確かになぁ。マクマリーレベルならそれなりだけど、ウォーレンレベルは不安だもんなぁ。マクマリーレベルもマイナーなのは忘れてきてるかもしれない。
簡単に人を好きになる方でないので、大学時代、好きになった人は二人だけだった。
一人は同じ学科の人。かわいい系男子。頑張って仲良くなって、同じ研究室に入って周囲から付き合ってると誤解されるくらい仲良くなったら、泣きながらカミングアウトされた。
あ、この恋は叶わないんだって知ってめちゃくちゃショックだったけど、打ち明けてくれたことは嬉しかった。そのあとは赤裸々なゲイトークや彼氏の話もぶっちゃけるようになって、今でもよい友人。
その人が無理ってなったあと、好きになったのがサークルの後輩だった。かわいい系ではないけど物腰が穏やかな人。
その人とは卒業後まで片想い引っ張って頑張ったんだけど、ある日なぜか「あ、これもう無理だな」ってなってフェイドアウトした。
その後、相手はちょっとした有名人みたいな感じになってたまにブログ見たりしてたんだけど、今久しぶりに見たらプロフィールに「ゲイ」って追加されてた。
大学と大学院合わせて六年間を不毛な片想いに費やしてしまった訳だけど、相手のプライバシーもあるからここで吐き出すしかない。
追記:これをきっかけに腐女子になったんじゃなく、もともとそうでした。ただ二人目の人もゲイだったって知って、人生の答え合わせした感じです。
同じ研究室に、異性関係のことでタチの悪い冗談を言うのが好きなやつがいる
研究室の中でカップルができると「あいつすぐ浮気するよw」とか「三十人目の彼氏だっけ?」
両親に紹介したという話をしてると「デキちゃってあせってんのか!」
喧嘩したと聞くと「浮気だろ?やっぱビッチだった?病気持ってた?うつされた?」と嬉々として聞きに来る
そんなやつ
カッコウの雛が自分の雛を別の種族に育てられることを托卵と言うのだが、それを人間関係に模して、自分の子ではない子をだまされて育てさせられることを指すらしい
最近うちの先生(教授)のお嬢さんに子供が生まれた。つまり先生の初孫
それを聞いてやつがいつもの調子で「托卵だな!托卵しようとしたからバチがあたったんだよ」と言った
そしたらそれが先生の耳に入った
先生はそいつを呼び出して「托卵とはどういう意味なのか」とフェイストゥフェイスで尋問した
おれらは知らなかったがお嬢さんは衰弱してけっこうヤバイ状態だったらしい
先生はそいつを怒るつもりだったのだが娘さんの容態をそいつに説明しているうち泣いてしまった
涙をこらえながら鼻を真っ赤にして出てきた先生を見ておれらはシーーンとなり
中へ入るとやつは真っ青になってた
怒られるのは覚悟してたが泣かれると思わなかったんだろうね
先生はその後冷静に戻って、そいつを「悪い冗談は自分の品性を下げるのでやめなさい」と普通に諭した
でもそいつの方が気まずくなってしまったみたいで大学に来なくなった
まだ在籍してるんだけど、やめるとかやめないとかいう話になってるらしい
その先輩は俺が学部4年生のとき史学科の博士課程に在籍していた。
俺が所属するゼミの教授の研究室の人間だったのでたまにうちのほうのゼミに呼ばれて顔を出してた。
正直その女先輩の印象は悪かった。
化粧ド下手糞、髪ぼさぼさ、ドブス、下ばっか向いてる、声が小さい、うざいくらい喋りがバカ丁寧、質問するにも意見言うにも前置きが長くてクソ冗長。
うちに呼ばれる博士の研究生には他に男2人がいたけど、その人たちもいかにもコミュ障のオタク丸出しで正直気持ち悪かった。
だから、博士課程のお兄さんお姉さんがたがうちのゼミに顔を出す日はうちらは妙に緊張したムードになってたし、
数カ月に一度訪れる「めちゃくちゃ退屈で面倒な日」としてゼミ同期は舌打ちしていた。
「人文系の博士ってやっぱ変な人ばっかなんだな。全員キショいやん」
同期の一人がそう吐き捨てたのを聞いたことがある。
そんななか、事件が起きた。
履修説明会やらイベントやら以外でほとんど誰も足を踏み入れないようなホールにあるトイレだ。
俺はウンコがブリブリ出る音を人に聞かれたくない乙女な面があったのだが、
そこだと静かゆえに集中して全力で排便できた。
ある日、いつものようにホールのに乗り込んだ俺は広い多目的トイレのボタンを押そうとしたのだけど
珍しく使用中ランプがついていた。
仕方がないので、普通の大便トイレ使おうと移動してズボン脱いでケツを出すとこまでいったけど
やっぱりいつもの場所じゃないからクソは出ずに屁だけが出るばかりだった。
しびれを切らした俺は、多目的トイレの前に戻り先客が出てくるのをずっと待つことにした。
5分くらい待っただろうか。
軽く会釈すると、驚愕の形相で俺の顔を見つめてすぐに目を逸らされた。
「(こいつほんとコミュ障だな)」
不快感がこみあげてくるやいなや、なんとその後ろに博士の地味ブス女ともう一人のブサイク男先輩もいることがわかったのだ。
俺が呆気に取られていると、その二人はが完全に地面を見つめるレベルに下を向きながら我先にと出て行こうとする。
汗で濡れた髪を真っ赤な顔にへばりつかせながら、そそくさと俺の横をすれ違う地味ブス女先輩の顔から
ザーメンらしき真っ白い粘着質の液体がボタッと地面に落ちるのを見た。
衝撃のあまり便意を完全に失ったというのに俺はなぜか、ついさっきまで彼らが乱交セックスをしていたと思しき
多目的トイレ内にフラフラと入っていき、便座に座り込みずーっと呆けていた。
「あんな地味な先輩がよりによってこんなことするのか……」
そんなことばかり考えて頭が混乱していた。
相変わらずのドブス顔、真っ赤になった頬、汗で乱れた毛先、ザーメン。
あの衝撃的な一瞬を何度も何度も思い出しているうちに、下腹部がジンジンと浮き上がる不思議な感覚に襲われ
それが陰部にまで広がり、なんと俺はその場で果ててしまった。一切触れていないのに。
今思えば、あれは広義のNTRだったんだと思う。
全く性とは程遠い人間と確信していた女先輩が、実は貞操観念がぶっ壊れた行為に及んでいたという"裏切り"。
それを実際に目撃してしまったことで想像だにしないほどのショックを俺は受けたということだろう。
その晩から俺は毎日ドブス女先輩をオカズにオナニーしまくった。
記憶を薄れさせたくなくて、また博士課程乱交トリオがうちのゼミにやってくる日を心待ちにしていたけど
あの出来事で俺の性癖、性的嗜好は破壊的なまでに歪んだと言っていいだろう。
トイレ事件の日以来、俺はそれまで行ってた可愛い子が多いと評判の短大との合コンには一切行かずに、
電通大や首都大とかいかにも地味ブスが多そうな大学とのコネクション構築に奔走した。
ドブス地味女先輩の幻影を追い続けるようになったのだ。
そうこうしてあの先輩と同じ属性であるどうしよもなく地味でブスで真面目な彼女ができた。
セックスはもっぱら多目的トイレで行い、顔射で果てるというのが必須パターンとなった。
欲を言うと3Pまでいきたかったけど、周りの男友達には到底頼めなかった。
どいつも俺の彼女の顔を知ると冗談めかして「お前どうしちまったんだよ!!四谷怪談じゃねえか!!」
なんてイジっていたけどそういう女を彼女に選んだ俺に割とガチで引いてるのが伝わったからだ。
これから俺は彼女をトイレで一緒に抱いてくれる清潔感のないオタクを探す旅に出ることになるだろう。
ネットを頼るつもりだ。
でもそれで俺の欲求が完全に満たされないとは予感している。
結局のところ、相手はあの博士課程の女先輩本人じゃないとダメなんだろう。
そして乱交場所のトイレもあの大学のあのホールの多目的トイレでなければ……。
もう一度ドブス地味女先輩と会いたい。
セフレにしたい。
悶々としながら俺は生きている。
中国共産党は最終的に、コロナウイルスの真の発生源が生物兵器研究室にあるとを認めました。
武漢で発生した「新しい」コロナウイルスが10か国に広がっている。
国際的なウィルスの専門家らは、最初のヒト感染症の発生した武漢華南海鮮卸売市場から、約30キロ程の地点にある武漢P4ラボへとの関連を発見した。
中国共産党はこれを「人的ミス」とし、武漢のP4研究室から研究室で作成されたウイルスの「偶発的な」漏洩を認めるとマイルズ・グオ(Miles Guo)に語った。グロテスクな食材を食べるビデオを拡散したのは、それらが原因とと見せかけるためのプロパガンダだった。
2018年1月、武漢市にバイオセーフティレベル4(BSL-4)研究所が建設され、新興疾患の制御に焦点を当て、精製されたSARSやその他の種類のウイルスを保管しています。 世界中の同様の研究所にリンクされたWHOの「参照研究所」として機能することになっています。
いずれ中国共産党の意図的な行動なのか、偶発的なものなのかが問われる事になるでしょう。武漢肺炎の最初の症例の前、最中、後の中国共産党の行動がこの告発を裏付けています。
3人兄妹の真ん中で生まれた私はたぶん、軽度の虐待を受けて育った。
兄からずっといじめられていたのに、誰もかばってくれなかった。
両親からの直接的な暴力こそほとんどなかったものの、私だけ誕生日を祝ってもらえなかったり、サンタクロースからのプレゼントがなかったりした。
決して貧乏な家じゃなかったとおもう。世帯年収で1500万円ぐらいあったらしいし。
こどものころは「そういうものかー」と思っていたけど、高校生のときに、私だけご飯が出なくなってから異常であることに気づいた。
未成年に住むところを貸してくれる会社もなければ借りられるお金もない。
教科書を買うお金もない。理系だったから (?) なおさら教科書が高かったように思う。
奨学金も借りられない。一般的な日本学生支援機構の奨学金は親の収入証明が必要になる。
親に収入証明を出してもらおうとお願いし、土下座までしたが蹴り飛ばされて終わった。
今までで一番ひどい暴力だったが、痛みよりも呆然とした気持ちでいっぱいだった。
なんとか、友人の家や先輩の家に転がり込んで、生活費を稼ごうと居酒屋でバイトした。
まかないは好きなだけ食べて良いお店だったから、食べるのは1日1食でなんとかしのいだ。店長が理解してくれる人で、余り物をもらって持ち帰ったりもした。
ずるずると4年生になって、研究室に配属された。
その頃にはバイトでなんとかお金を貯めることができて、家も借りられた。家賃1.5万円の築40年以上経過してる、寝るためだけの場所。
研究は、目の前のことに集中していればいいから楽だった。まわりは大変そうだったけど、私にとっては現実逃避のようなものだった。
ふと冷静になると、友人や同級生は家族に支えられながら、心配されながら暮らしているのに、私はなんてみじめなんだろうと感じた。
そういうのを感じたくないから年末年始もお盆もただただ研究してた。
別に楽しいとか好奇心とかはなく、逃げるために研究してたのかもしれない。
ラボのスタッフには褒められてうれしかったけど、どこまでもみじめだと思ってた。
就活もしたかったけどお金がなくてできなかった。地方大で就活する場合、一般的に30万円ほど必要になるらしい。
例年、4年生の9割近くは大学院修士課程に進学する大学で、同級生は当たり前のように進学を希望していて、もちろん親に援助してもらっていて、なお一層つらくなった。
就活するにも進学するにもお金が必要で、でも親の協力を得られないとなんにもできない日本が嫌になった。
ここまで生きるのを頑張ってきて、必死でやってきたことを無駄にしたくなかったから、理解してくれた知人を尋ね回って進学する資金を集めた。
そのまま修士課程も必死に頑張り続けて、ようやく修士論文提出の直前まで来た。
ただ、やっぱりふとした瞬間に、どこまでもみじめで、どうしようもないやるせなさに襲われる。
来年度からDC1に採択されてきっと生活は楽になるけど、ここまでで350万円も奨学金以外の借金を背負ってしまった。
確かに奨学金は親の収入が少ない学生には配慮しているけれど、私のような親との関係性が悪い学生のことは考慮してくれないのだろう。
つくづく日本という国のシステムが嫌になる。他国がどうなってるかは知らないけど。
理系の博士課程1人を育てるために、1億円近い税金が投入されているらしい。
そりゃ確かに1 mLで10万円もする試薬もざらにあるし、多分本当にそのくらいかかっているんだろう。
一方で私が払った学費はたかだか500万円にも満たないものだ。
でも、どうしても日本という国が好きになれない。もっと人間らしい生活を送りたかった。もっと大学生らしいことをしたかった。
服だって新しい服を買いたいと思ったし、趣味にお金を使うこともしたかった。旅行にいける友人がうらやましかった。
私の青春はきっと、来ないままで終わるんだろうなって思うと無性に悔しくなる。
ちょっと前までは全部親が悪い、日本が悪いと思いこんでやり過ごせていたけれど、最近はすべてなにかに責任を押し付けようとしてそれらしい理由を探しているんじゃないかと思ってきた。
何が正しいのかはわからないけど。
どうすれば正解だったんだろうなぁ。一般に楽しくて自由な期間は全て終わってしまった。私にはモラトリアム期間はなかったんだろう。明日も明後日も漫然と研究して、過ごすんだろうなぁ。
今後もずっと親と国を憎みながら、過ごすんだろうなって想像できる。
---------------------------------------
1/22 追記
はじめて投稿してみましたが、予想以上の方々に反応していただきありがとうございました。
賛同・同情してくださった意見や批判してくださった意見のどちらも、ありがたく受け止めさせていただきます。
また、本文中で触れていませんでしたが、私の大学生活を支えてくれた祖父母・知人には、当然ですが心から感謝しています。
(引用) 本人に貸与されるタイプは親のいらないし そもそも働けばいいのでは?
前半部分について、本人に貸与されるタイプでも親のサイン・判子は必要になると思います。最も一般的な日本学生支援機構の第一種、第二種奨学金でも、機関保証を用いている場合だとしても親・もしくは後見人の同意確認が必要でした。そのため、私は借りることができませんでした。企業や財団法人からの奨学金に関しては、すべてをチェックしているわけではないので100%ないとは言えませんが、ご存知でしたら後学のためにおしえていただきたいです。
また、後半部分についてですが、これはそのとおりだと思います。大学に行きたいというのは私のわがままであることは自覚しています (言い訳としては、大学入学時には祖父母が健在だったため、途中で、資金が大きく不足することを予定していませんでした) 。その上でですが、50%は大学進学しないというご指摘いただいたように、言い返せば50%が大学進学できる日本で、親の援助が受けられないという理由だけで大学進学ができなくなるとしたら、それは大きな問題であると思います。借金を背負ってでも大学で勉強したいという意思がある場合には、最低限人間らしい暮らしの中で、勉学に集中できる程度の援助が受けられる体制があれば良いなと思っています。とはいえ、国が憎いというのは確かに過剰な表現でした。申し訳ありませんでした。
(引用) 親が貧乏なケースよりも、親が金持ち(年収1000万超とかで色々な支援がなくなる)だけど非協力的な方が詰むケース多いよね。
(引用) 自分だけメシがない、っていうのは平等にメシがないより辛いよね
私が一番強く言いたかったのはこれです。簡潔にまとめてくださりありがとうございます。
はじめて自分の経験を文章にして、自分の考えがまとまったようでスッキリしました。
ここまで読んでくださりありがとうございました。
小学校〜中学校の夏休み、どこの学校でも自由研究が宿題に課されていたと思う。
私はそれがひときわ苦手だった。
まず、テーマが出てこない。自分が何をやりたいかが出てこないのだ。
出てきたとしても、それは既存の実験やら本に記載されたアイデアの焼き直し。
小学校の頃は、親に渋々手伝ってもらって、テーマを一つに固定して行ったことを覚えている。
中学の頃は、統計のような資料を基にしてある種あたりまえのようなことを述べるだけだった。
そしてそのどちらも、テーマに関する考察や疑問が設定できず頭を抱えたものだった。
今になって思えば、ああいう課題は子供の発達障害(の一部)を見分けるために出しているのかもしれないと邪推している。
紋切りや媚びた文章で覆い隠されがちな読書感想文よりも、よっぽど自己発露が試されるからだ。
ちゃんと自発的に考えられるか、きちんと疑問を持ち、それに対して解決できる小柱や実験を計画できるか。
そういったことを見定めるある種のファクターとして活用できる、もしくはされていると思う。
ただそれは、研究室時代に子供の頃から矯正を放棄されていた考え方を改善されたから。
教授や先輩にミッチリしごかれたからこそ、無事論文を提出し、就職できたと思っている。
今でこそ研究テーマを自分から持っていき、質疑や討論を出来るようになったものの、
(たまに重箱の隅をつつくような意味なし質問をしていまうこともあるけれど)
配属当初はアウトプットがボロボロすぎて「君はなんのために研究をして学問を学ぶのか」と詰問された程だ。
社会人が過労や人間関係でメンタルを病んだら転職やら休職がファーストチョイスなのは分かる。
では大学院生ならどうしたらいいのか?
気軽に研究室を変えられる訳ではないのだ。
もちろん時期や分野や本人の希望などケースバイケースなのはごもっともなのだが、どうしている人が多いのだろう。
うちのラボの病んじゃった先輩はどうするのが最善なんだろう。私に出来ることは何だろうか。卒業できるのだろうか。教授は修士号を与えるつもりなのかな。ちっともラボに来てないのに修士号与えるなんてずるい!という同僚の気持ちも理解できるだけに、どうにも苦しい……。でも修士取れないと多分内定取り消しだしなぁ。
それにあと1年休んで復帰したとして、ちゃんと通いきれるのか怪しい気がする。この閉鎖空間が嫌で病んだんだろうし。
先輩はどうするつもりなんだろうか。あまり自分を責めないでとにかく来ればいいのに。鬱の人に来ればいいのにって言うのも酷なのか?もうどうしたらいいのか分からん。
研究をしていない大学教員は教育者としてキツい.日本では概ね,科研費を始めとする競争的研究資金を長年本気で取りに行こうとしていない人が非研究者かなとは思うけど,ここでは「論文や専門書を読んでないので,専門分野のトレンドを知らない」人を非研究者とする.もちろん近年,特に私学では校務の負担がどんどん上がっているので自分の研究時間がほとんどない.査読付き論文の本数で世界と殴り合うぞっていう研究室出身の教員は研究時間の作り方を知ってるけど,そうでない場合は博士号持ってようとそもそも研究って何すんだっけ状態な人も結構いるというのが実態.
今は教育機関として大学がどのような役割を果たすべきかということに結構焦点があり,シラバスの厳格化,ルーブリックの作成といった様々な取り組みが行われている.それで,授業に完結した「学習」ではなく能動的な授業外の学びを含めた「学修」を行わせるために,授業を通じてどのような学びができるかということを強調するようにさせているところも多い.シラバスの厳格化に含まれる,到達目標の明確化は評価の際に重要になるわけだけど,その授業を通じて自分がこうなれる,と想像させるという点も重要だと思っている.あまり好きじゃないけど,「この授業が何の役に立つんですか?」とか言う人増えたしね.
本題だけど,非研究者は新しい知識がないから,教科書通りのことしか話せない.あるいは,かつての栄光の超古い自分の取り組みとかを語りだす.前者については正直授業である必要性がないし,後者はネットニューズやパソコン通信がいかに楽しかったかを語り出すおじいちゃんみたいな感じ.2000年って20年前で,今の大学生は生まれてないか,乳児くらいなんですよね.そんな昔のことの話は,「この授業が何の役に立つんですか?」という疑問とは全然結びつかない.もちろん,最新の動向「も」知っていれば,点ではなく未来に向けた流れを重厚に語れることになるけど,昔のことしか知らなければ昔話にしかならない.
結局のところ,大卒という就職に必要な資格を得るために大学に進学してきた学生に,大学生のうちにサークルとバイト以外に勉強も頑張るべき,というのを実感させるために一番必要なことは「この授業が何の役に立つんですか?」という素朴な質問にきっちり答える力を大学教員が身につけることだと思うんですよ.そのためには研究者になって,その分野の最新の知見を学生の身近な話題と紐付けて,学修に対する関心を抱かせるのが絶対に必要不可欠だと最近は考えてます.たま~に他の先生の授業聞いたりしてるけど,こりゃ寝るわって感じの授業が多い.
まあ,根底にあるのは雑務が多すぎて研究の時間が取れないということなので,共通テストの記述式問題採点とかのどうでもいい仕事は増やすべきでないし,職員や私書ガンガン雇って事務作業を減らすべきなんだけどね.前者はただの思いつきに振り回されてるだけだけど,後者は金で解決できる.ただ大学は金が無いし交付金もどんどん減ってる.世知辛い.
今よりも若くてエネルギーに満ち溢れていた工学部に通う大学生のとき、かわいい女の子のイラストが描きたくて練習してた。
嘘、能書きばかり調べていて全然絵をかかなかった。ワコムのペンタブ買ったのに。
自分自身が思う最高のシチュエーションで最高のキャラクターを描きたいと思っていたんだけど、デッサンがクソ過ぎてダメだった。
当初の予定としては10年後、立派な趣味としてオカズの完全自給自足を目指していた。
結局絵を描くことは辞めてしまった。
いま、いろいろあって駆け出し研究者としてひっそりと生きている。
かつてイラストの能書きで学んだことが研究者としての論文書きにちょっと生きている。
研究室の学生に雑談として話すわけにもいかないので、ここに吐き出してメモしておく。
論文も同じ。とにかく書くこと。こんなの出したら恥ずかしいとか、まだ表に出せないと思っていたらネタが腐る。
あと、書くことにブランクを空けるとリハビリに3倍の時間がかかるので毎日少しでいいので続けるほうがいい。
書けば書くほど書きたくなるし、書けるようになるゾ。
論文もイラストも師匠と決めた人の作品を見ながら習作を作っていくといつも新たな発見がある。
こんなときはこんな言い回しするのか、とかふむふむなるほどと思いながら書くのが楽しくなる。
尊敬するお師匠様(指導教員ではない)の論文はときどき模写したりする。
この言い回しカッコいいな、惚れ惚れするな僕の論文でも使おうとなる。
論理が破綻して「文章のデッサン狂ってるな」というのが何となくわかってくる。
そして、文章の「アタリ」がうまく決まればさらさらと書いていくと破綻しない文章が書ける。
ごくまれに全国大会の1ページ論文を文頭の「はじめに」から初めて参考文献まで一気に書ききるときがあって、それがすごく快感。
プロのイラストレーターが眼からペンでいきなり描き始めてササッと迷いなく描き上げるってきっとこんな感じなんだろうなと思う。
論文ってアイデアは奇抜であってもよいけど、書き方は厳密に「アカデミックの文法」に従わないとトンデモなものになってしまうので、萌絵の文法に従ったイラストに似てるなと思う。
キャラクターって既存の記号の積み重ねだよね。そこに隠し味としてオリジナリティがあると光る。
イラストレーターにとってのイラスト、同人作家にとっての同人誌は研究者にとっての論文と同じなのかもしれないと思う。
「婚活アプリ」と「街コン」に触れて、気がついたことをここに述べたい。
①婚活をするということ
女性はアプリの登録費用が安い。無料プランでメッセージのやりとりもできるようだ。男性の場合は月3000円程度の有料プランに加入しないとメッセージの開封もできない。
来るメッセージの数も男女で違う。同時期に始めた女性の話を聞くと、大量に来るメッセージを読むのが大変らしい。自分には来て2日に1通程度だ。わざわざ自分から探してアプローチする女性は少ないだろう。
居酒屋などで開催している街コンに行っても、金額の違いはかなりある(女500円、男3500円など)。男女比は主催者が調整しており、同じ程度(どうしても数人はあぶれる)になっている。
街コンは、面接のように1on1で話せる会もあれば、テーブル毎に2対2の形式でお酒を飲む会もある。居酒屋での会では、初対面の女性同士であっても自衛のために私たち友達ですと言う事が多い。
男性は積極性が求められ、女性は距離の取り方が試されていると感じた。
多くのアプリがそうであるが、居住エリアは都道府県単位で区切られる。そのため北海道は北海道としてまとめられる。
例えば函館に住む人が登録すると、旭川や帯広に住む人も候補に上がる。札幌ならまだいい方だが、それでも特急で4時間の距離だ。
今挙げたような都市部に住んでいるのならまだいいが、網走だとか留萌だとか稚内だとかに住んでいる人はさらに厳しい環境に置かれている。
距離の都合上、残念ながら、田舎に住む人は婚活アプリや街コンを十分に活用できない。付き合う前から遠距離恋愛になってしまう。婚活が盛んになるにつれて、この地域格差は広がっていくだろう。
これは自分にとって一番ショックだった事だが、相手の学歴が低い。街コンに行くと高卒、専門卒ばかりで、大学を出ている女性がいない。男性側も高卒が少なく無いようだ。
日頃会う人は自分と同じ環境にいるのだから、当然大学を出ている(何なら同じ研究室にいる)。会社も学部卒や院卒ばかりだ。
婚活アプリでも半数くらいは高卒や専門卒のようだ。記載なしも多い。
似たバックボーンを持つ人と結婚したいと思うなら、高学歴な偏屈男は街コンに行っても無駄足だろう。
【まとめ】
ここ1年の婚活を通して、いかに自分の世界が狭かったのかを痛感した。友達の半分以上は修士で、東大生がその辺をウロウロする街に住み、TOEICで600点程度の自分を恥ずかしく思う人間はごく一握りに過ぎない。
宮沢賢治の美しい文章について楽しく話したり、5G通信の可能性について語り合ったりするには、身近にいる人を捕まえるのが最も手っ取り早い方法だろう。
いよいよ詰んできた。
ひええお仕事にやる気が出ないよ。年が明けたら解決するかなって思っていたら全然そんなことなくてむしろ悪化している。(仕事仕事と言ってるが大学院の研究です、と言っておこう一応。)
ガス欠な感じがすごくする。でもどうやったらガスが補充されるのか本当にわからない。
毎日昼休みと定時を楽しみに生きている。というか時々サボってしまう。
数か月前の、あれもこれもやりたくて時間が足りない!と言っていた時期が懐かしい。
やらなくてはならない作業は作ればあるはずなのに頭が働かない。うまくいかないかもしれない実験をやる気力が沸かない。自分が何をすべきなのかわからないから漫然と目の前の仕事をやってしまう。
いつもオフィスにいる上司が忌引きでいないのも原因かな。普段抑圧されているのに急に無くなると頑張るモチベーションが沸かない。いや、他責志向は良くないか。
今年就活だからかな。自己PRを書かなきゃと思いつつネタがかけらも思いつかない。自分の悪い面ばかり見えてしまうよね。コミュ力のなさとか、ストレス耐性の無さとか、頭の回転の悪さとか。私この職種向いていないんじゃないの?と最近本当に思う。でも開発でなかったから何が向いているかってうーん、何も向いていないし。多分営業行ったらさらに病みそう。
みんなこういう時どうやって乗り切っているんだろう。一応仕事しているフリくらいはしてるけどさ、早く「実験楽しいなぁ」って無邪気に思えるように戻りたい。少なくとも早く帰りたいと念じるような生活を終えたい。
年明けたらきっと大丈夫がダメだったから、次は就活が終わったらきっと大丈夫を信じているけど、こういう他責志向が本当に良くないのだろうか。でも比較的冬季うつの傾向はあるし毎年この時期は精神が死んでいるから、あったかくなったらましになるとは信じているよ。どうかな。
まとまりのない文章で申し訳ない。こうなったら実験やる気が出ないし実験をやらないことを怒る教授もいないし、いっそ開き直ってゆっくり勉強とかしようかな。最近インプット全然やっていないもんな。うーん。まあそれもあまり気が進まないけど。暇なときにやろうと思っていた原料合成があるからそれをやるか。うーん。
あとそこはかとない孤独感。おともだちが欲しいよぉ。でもコミュ障だから作り方がわからないよ。死にたい。
躁鬱の躁が終わっただけなような気もする。最近ここ数年総躁だなと思っていて、無駄な万能感とかとてもあったんだけど、本来の私はこのくらい病みやすかったような気もする。
研究室に戻りたくないわ。
小保方氏の不正が発覚してメディアで取り上げられたのは大学生の頃で、小保方氏が記者会見をしたあとの研究室の人間は2種類の人間に別れたものだと印象に残っている。
・「ありまぁすw」「教務のあの人小保方に似てね?w」など積極的に言う人
俺は前者の人間とは絶対に仲良くなりたくないとわかったので、ある意味有用なフィルターを作ってくれた小保方氏には感謝すらあるのだが、研究と学業がうまくいってたのは、どちらかというと前者の人間だったとも記憶している。というのも、前者のような人間は、うまく人に頼ることができる人間だった。
4回生で研究室に配属されているにも関わらず、未だ単位が足りていない2人がいた。単位を落とすとまずい科目を2人で分担して取り掛かろうと話し合い、レポートを協力してすることになった。一人は前者、一人は後者の人間だった。後者の人間は、協力者にもわかるように1つのレポートを作成したが、前者の人間は、「わからんかったw」という理由で、担当分のレポートを結局2人で協力してやっていた。つまり、前者の人間は実質0.5で、後者の人間は1.5の作業量であった。
卒論に関して言えば、前者の人間は指導教員に積極的に話しかける人間だった。指導教員と仲良くなるし、わからないことがあればすぐに周りに聞く人間だった。指導教員のサポートもあり、卒論レベルでは十分な成果を出せていたと思う。当然卒業した。
後者の人間は、コミュ障を自虐し自称するも、この人なりに努力して色んな人にわからないことを聞いていた。だがこういうタイプに多いのは、できるだけ自分ひとりの力でやろうとするという特徴がある。この人もそうだった。たいてい、心配になった指導教員がみかねて話しかけると、「実は環境構築でエラーが出てて…」みたいな感じのやりとりがあった。その調子で研究が進んでいっていた。この人は1月になっても実験を繰り返しており、M1の協力もありつつ、徹夜に次ぐ徹夜で提出締め切りギリギリで卒論を提出した。無事卒業した。
俺が小保方の名前を見て思い出すのは、彼女の不正とか、誰かが死んだのは誰のせいとか、そういうのよりも、「性格」というのが人生を決定づける大きな要因だということだ。自分でやらなければ自分の力にならないと信じる人間は存在して、その努力はなんの成果にもならず、ただ時間を無為に過ごすことを繰り返すことを努力と履き違えることに気づいていようも、それでも何かの力は身についていると信じているか、あるいはそれが自分というものだからと言い訳し、専門家から見るとお遊びのような自己研鑽を積み続ける。たとえ実験の間違いに気づいていても、反論するだけの知識もなく、とにかく口が回らないので、指導教員のアドバイスどおりにやった結果、怪しいがそれでも成果とも言える何かが生み出され、その何かに軟膏を塗るように後付けで理由を貼り付けて、からまった因果関係をひねり出し、論理を組み立て、それで最終発表をやり過ごし、それでもこの苦しい経験は自分の生涯の力になったと信じている。その錯覚は「自分は研究には向かなかったが、企業人としてこの経験を活かして生きよう」という呆れた人生の指針を生み、呪われた性格を背負ったまま次の修羅場へと自ら進んでいく。不憫で無能で仕方がない。
テックの巨人の足元には日々ベンチャーが立ち上がっているのだから
INがあれば高級品も売れるし
ワイは兎にも角にもいい加減、サイバー大学以外もネットで大学卒業できるようになろうって思ってる
あと大学の案件で大学の研究室と一緒になんかやったりな案件もあったんだが
こういうのがもっと気軽に出来るようになっていれば良いと思うけどね
現状、大学と企業が連携って言ったら単なる就職活動や助成金くれくれのお遊戯か
※しばらく経ったら伏せるやで>しばらく経ったので伏せたやで
あけましておめでとうございます。新年の抱負に、以前に勤務先のアドベントカレンダーで共有した内容を編集してインターネットに放流します。少し古い部分が残っているかもしれませんがご容赦を。
自分の経験から、英語のべんきょうに役立ったと思われるものをピックアップしてお伝えします。本年こそは継続的に時間を作ろうとい う決意表明をかねて、記事にします。気張った感じがするのを嫌って、「勉強」と書くのを避けました。
大学生の頃でした。当時、研究室配属になり英語論文を読み始めたのですが、さっぱり読み解くことができません。そこで英語学校に通うことにしました。駅前留学系は料金前払いで絶対失敗すると思ったので、当時2ちゃんねる英語板で最も厳しいと評判だった渋谷の通訳翻訳養成学校に通いました。
結果的にこの厳しい学校に半年通ったのが大きな成果でした。毎週カセットテープ(!)をもらい、全く意味の分からないCNNニュー スを聞き、書き取るところからでした。英語であることだけは分かるものの、まったく訳が分からず苦行そのものでした。しかし意味が分からないまま2週間聞き続けたところ、ある夜、突然文字で聞こえるようになった感触を今でも覚えています。
英語学校の期末となり、進級試験に落第したタイミングでTOEICを受験したところ、770点でした。聞こえるようになりましたが、依然として話せる感じは全くありません。
その後就職し、そのまま数年が経過しました。社会人生活が徐々に進むにつれ、英語で説明を求められる機会が増えてきたところで、再び同じ通訳養成学校に通いました。このときは新聞記事中心の宿題で、半年経過後のTOEICは820点だった記録が残っています。
この頃から毎週、夜の22時から電話会議に出席するようになっていました。日本からの参加者は自分一人だったため、なんらかの責任を感じていたような気がします。幸い、言っていることは大体分かるのですが、話題に飛び込めない。ときおり日本からの主張を挙げる必要があったのですが、即座に文を作ることができず、ほんとうに辛かった。主張しなければいけないトピックがあるときは全部スクリプトを下書きし、発音練習してから臨んでいました。
ここで一念発起して、快読100万語!ペーパーバックへの道 (ちくま学芸文庫) ( http://www.amazon.co.jp/dp/4480087044 ) という本を参考に、絵本から復習を始めることにしました。すると、Oxford Reading Tree ( https://global.oup.com/education/content/primary/series/oxford-reading-tree/ ) や "I Can Read!"シリーズ ( https://www.icanread.com ) といった絵本から、小学生低学年向けのマジックツリーハウスシリーズ ( http://www.amazon.com/dp/0375813659 ) と読み進めるうちに、読書スピードが格段に速くなっていきました。計測サイトで試したところ、ネイティブの小学校1年生くらいまでになったと記憶しています。
リーディング強化と同時に、podcastで配信されるNHK英語ニュースを毎日聞いていました。その修行の成果があり、900点となりまし た。同じ年に初めての海外出張があり、会議でためらわず発言できる程度になっていた記憶があります。具体的な方法は後述。
数年後に留学機運が高まったタイミングがあり、IELTS対策をしました。このときは留学支援会社の英語学校に通い、文法と定型的に書く方法をやりました。結局留学しませんでしたが、正しく英語を使う意識がついたようで、今でも役立っています。TOEFLは興味のない分野の語彙を覚えるのが苦痛でまったく合わなかった。IELTSは英語で国語の試験をやっているような感じで、自分に合っていた気がします。
だまされたと思って、近所の図書館でOxford Reading Treeの実物を見てみてください。品川区立図書館や目黒区立図書館には所蔵されてたはず。3才児レベルの1ページ1単語から始めるのですが、これが馬鹿になりません。日本語の絵本を考えると瞬殺ですが、英語になったとたん、各 ページの理解に一瞬引っかかりを覚えます。どうやら、この引っかかりがなくなるまで、同レベルの絵本をたくさん読むのがいいようで す。少し値段は張りますが、セットでまとめ買いする価値はあると思う。ただ、今ではアプリで似たようなことができる教材があるかもしれません。
自分の場合、途中で絵本を卒業し(飽きたとも言う)、マンガに移行しました。ドラゴンボールの全巻セットと、よつばと!(Yotsuba&!)をamazon.comから輸入して読んだのが、本当に力になったと思います。辞書は引かずに読みました。ドラゴンボールはほとんどストーリーを忘れており、新鮮に楽しめました。数語で端的に状況を表す表現がたくさん出てきたように思います。1ページあたり、30秒から1分程度掛かっていました。よつばとは日本語版を読んだことがなかったのですが、評判を聞いていたので挑戦しました。生活に関する言い回しを、英語でそのまま覚えたりできました。おつかいは errand.
マンガでやっていく場合、ポイントがいくつかあったと思います。
PodcastでNHK World Radio Japan ( https://www.nhk.or.jp/podcasts/program/nhkworld.html ) を毎朝聞きます。聞くだけでなく文字を目で追うのが重要。
出勤前など事前にダウンロードできるやり方として以前の方法を残しておきます。今では通信環境が太いことも多いと思うので、通勤中のストリーミングに抵抗がないのであれば、直接NHK World - Japan ( https://www3.nhk.or.jp/nhkworld/en/news/ ) で各記事を読みながら音声を聞くのでも良さそうです。
これを数件繰り返していました。対象ニュースを探すところで真剣に聞くので、ヒアリング力が上がったのと、音と文字が結びついた のが実感できた記憶があります。
Netflixが頭一つ抜き出ているのは、Chaos Engineeringによるオペレーションです、いやこの記事はそういうトピックじゃなかった。Netflixは英語字幕を提供してくれているところが本当に素晴らしい。Chrome拡張に、英語と日本語の両方の字幕を同時に出せるものがあるので、これを有効にしてダラダラ見ているだけでめちゃくちゃ力がつきます。すべての作品が英語と日本語の両方を提供してくれるわけではないですが、動画を見るのが嫌いじゃなければ、今ならマンガよりもNetflixだけでいいかもしれない。
ここ1年ほどDMM英会話を続けていますが、他の学習をすべてサボっており、単に1日25分会話しているだけだと本当に伸びません。上で挙げたようなインプットがあって、25分の会話のアウトプットに意味が出てくるのかなと感じます。
今年こそ再開していくぞ!
年末はずっと家に引きこもって寝るか卒論を執筆するかしている.12 月初旬に中間発表を終え,特に新規性も出ないままはてどうするかととまどっていたのであるが,同じ分野をやっていた研究室の先輩の卒論をじっくり読み返していたら奇跡的にその拡張を思いついた.個人的にはそこまで非自明な結果ではないが,あまりにもきれいな結果であるので,他分野のどこかで誰かが同等のことを思いついているであろう.私がやっている分野では知る限り誰も思いついていない.恋人がベットで寝ている夜明けに夢中で数式を書きなぐった.思いついたものをすぐに実装し,いくつかの観点で「自分の出した結果は確かか?」を検証した.するとどうやら間違いないようであり,理論的に最適なものが導けたようである.確信を得てから指導教員に報告に行った.
そこからはずっと夢中だった.うつ気味でやる気のしない時もあったが,シャーペンを持って紙に向かっている時,プログラムを実装している時,論文を書いている時,夢中になれた.
先日卒論の第 1 原稿を持って指導教員とミーティングをしたのであるが,先生は「数学の能力も高そうであるし,研究者になる道も考えてみてはどうか」と言ってくださった.うれしかった.無論,自分に特筆するような才能はないことはわかっているし,先生は新たな研究者を輩出することを目的とした教育者であるからそのようなことをおっしゃったのだろうが,それでもなんだか無性に喜ばしかった.
卒論を学術論文として外部に出してはどうかと勧められている.卒論も英語で執筆することにした.いろいろなことに挑戦できている気がする.来年からは同大学院の修士に進学する.どこまでやれるかわからないが,希望が少し見えてきた.