研究をしていない大学教員は教育者としてキツい.日本では概ね,科研費を始めとする競争的研究資金を長年本気で取りに行こうとしていない人が非研究者かなとは思うけど,ここでは「論文や専門書を読んでないので,専門分野のトレンドを知らない」人を非研究者とする.もちろん近年,特に私学では校務の負担がどんどん上がっているので自分の研究時間がほとんどない.査読付き論文の本数で世界と殴り合うぞっていう研究室出身の教員は研究時間の作り方を知ってるけど,そうでない場合は博士号持ってようとそもそも研究って何すんだっけ状態な人も結構いるというのが実態.
今は教育機関として大学がどのような役割を果たすべきかということに結構焦点があり,シラバスの厳格化,ルーブリックの作成といった様々な取り組みが行われている.それで,授業に完結した「学習」ではなく能動的な授業外の学びを含めた「学修」を行わせるために,授業を通じてどのような学びができるかということを強調するようにさせているところも多い.シラバスの厳格化に含まれる,到達目標の明確化は評価の際に重要になるわけだけど,その授業を通じて自分がこうなれる,と想像させるという点も重要だと思っている.あまり好きじゃないけど,「この授業が何の役に立つんですか?」とか言う人増えたしね.
本題だけど,非研究者は新しい知識がないから,教科書通りのことしか話せない.あるいは,かつての栄光の超古い自分の取り組みとかを語りだす.前者については正直授業である必要性がないし,後者はネットニューズやパソコン通信がいかに楽しかったかを語り出すおじいちゃんみたいな感じ.2000年って20年前で,今の大学生は生まれてないか,乳児くらいなんですよね.そんな昔のことの話は,「この授業が何の役に立つんですか?」という疑問とは全然結びつかない.もちろん,最新の動向「も」知っていれば,点ではなく未来に向けた流れを重厚に語れることになるけど,昔のことしか知らなければ昔話にしかならない.
結局のところ,大卒という就職に必要な資格を得るために大学に進学してきた学生に,大学生のうちにサークルとバイト以外に勉強も頑張るべき,というのを実感させるために一番必要なことは「この授業が何の役に立つんですか?」という素朴な質問にきっちり答える力を大学教員が身につけることだと思うんですよ.そのためには研究者になって,その分野の最新の知見を学生の身近な話題と紐付けて,学修に対する関心を抱かせるのが絶対に必要不可欠だと最近は考えてます.たま~に他の先生の授業聞いたりしてるけど,こりゃ寝るわって感じの授業が多い.
まあ,根底にあるのは雑務が多すぎて研究の時間が取れないということなので,共通テストの記述式問題採点とかのどうでもいい仕事は増やすべきでないし,職員や私書ガンガン雇って事務作業を減らすべきなんだけどね.前者はただの思いつきに振り回されてるだけだけど,後者は金で解決できる.ただ大学は金が無いし交付金もどんどん減ってる.世知辛い.
句読点カンマピリオドにしてる仕事用PCで増田するなや