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はてなキーワード: 研究室とは

2020-02-26

anond:20200226110109

なんで「研究室まで鍋を運ぶ」という見方が「素直な」推測になるんだ?

じゅうぶん変な行為だと思えるのだが.... (鍋の研究でもしているのかと)

2020-02-24

anond:20200223173650

出身研究室で唯一女子学生男子学生を上回っていた...というか、男子一人だった年があったことがある。

その時代研究成果がどうなのかはもう卒業したOBで年に一度くらいしか見ないから知らんけど、

その年の余興は唯一の男子女装させられていて、そういうものかと思ってしまった。

2020-02-23

anond:20200223173650

ワイの◯◯工業大学も院進率80%超えてたから流されて進んでしまった。

なお、同じ研究室だったリケジョは脱落した模様。

卒論は出せば通るけど院はそうは行かない。

無能理系女の存在意義

を考えている。工学部無能理系女です。これから生産性0の愚痴を吐きます


卒論発表が終わりました。

散々な発表でした。

結果は出てないし、結論あやふやだし、発表はトチるし、質疑応答は何度も聞き返すし、これでもきっと卒業させてくれる日本大学制度感謝するしかない。


ところで今回発表する50人ほどのうち、女は1人だけなんですけど、聴衆のうち1人でも「だから女はだめだ」って思った人はいないのかな。そこまで行かずとも「リケジョ(笑)育成云々で向いてない人間を呼び込むからこうなるんだよ」とか。

……世の女性社会進出云々で活動されてる皆様ごめんなさい。研究なんか向いてない無能な私がちょっと物理が好きで座学はそこそこ得意だったのでなんとなく就職に有利そうな工学部に進学したばっかりに、女はできない、の印象を植え付けてしまった人がいるかもしれない。ごめんなさい……。


これが1/25のただの無能学生ってだけなら、少なくとも「女が学問できるところを見せなきゃ!」みたいな思考が生まれることはなさそうでいいなあと思ってしまうし、そう思う自分クズだなーと思う。己が女であることに責任転嫁するのマジで馬鹿だなー。きっと教授も同期もそんなこと考えてなくて、ただあいつは真面目だけど無能だなくらいしか思ってないと信じてるけどね。女の教授死ぬほど頭が良くてメモすら手に持たず爆速で授業をする。学生は置いていかれる。あと卒論発表でほとんど全員に対して容赦ないうえに本質的質問をする)だっているわけだし。研究科に1人だけど。

そんなこと考えてる暇があるなら研究を進めろ! おっしゃる通り。


最近、本当に自分自分の実力でこの大学に受かったのかすら不安になってきた。受験生の頃は「◯◯工業大学とかは特に女学生欲しがってるそうだから、きっと有利だよ!」とか言われたけど、いやそんなわけあるか点数取りゃ受かるんだよとか思ってた。いやまあ点数開示したら平均ちょい上だったしそんなので受かったと本気で信じてるわけじゃないけど……。

医学部男子加点があったやつもさ、あれ合格した男子学生だって被害者だなーと勝手共感したりする。マジで普通に点数良くて受かってる人だって外部から見たら「下駄はかされて受かった可能性のあるやつ」なんでしょ? つら!

そういえばこのあいだ某大学教員の男女比が目標を下回った部局予算を減らすとかでTLに馬鹿にされてたりもしたな。なんとかアクションってやつ? ああいうの明言された上で雇用されたくないよなー。単純に能力が高くてポストに向いてる人を雇用します! って言い続けりゃよくない? で今は昔よりはまだ工学部の男女比マシになってきてるんだから、そのうち上のポストの男女比もマシになってくでしょ。過渡期はしんどそうなのはわかるけど。

まあ私には大学教員とか関係ないけどね。院進はするけど修士終わってから研究続けるつもりないし、どうせドクターとか受かんないし。


あーあ、叶うならもっと男女比がましになった世界線工学部に進学したかったなあ。そしたらただの無能学生になれたのになあ。

あと研究室の夏合宿で突然生理が始まって誰も頼れないので(まあこれは私がコミュ障なのと計画性がない馬鹿であることが原因の大半を占めるけれども)夜中にこっそり片道徒歩30分のコンビニまでナプキンを買いに行くことも、温泉旅行に行く話をする同期を「楽しそう! いいねーいってらー」と初めから自分を数に入れないよう立ち回るのも無いんだろうなー。


まあそうなったらなったで別の苦労が出てくるんだろうなとも思ってはいるんですけど、現状に辛いことがあるのは事実なので。現実逃避? その通りです。


名も知らぬ増田たちが予想以上に冷静で(すまぬ)なんか救われたので追記

ありがとうございます修士ではできる学生を目指して励みます学会発表とかできるくらいになれたらいいなあ。研究、向いてないのは重々承知だけど嫌いではないんだよなあ……。


これが実は1番救われた。ドーモ、ただのありふれた学生です。


金網の話ちょっと状況が想像できなくてビビったんだけどマジでそんな感じだったんですか? 弊学、少なくとも現在はむしろ使用する人が少ない割に男子トイレと同じくらいの頻度で掃除されてるのでむしろ研究棟のトイレ自体は快適ですよー。数はちょっと少ないけどね。女の学生増えてほしいと切実に思ってるのでそこに関してはご安心頂きたい。

合宿先はほら……僻地から……。


その発想はなかった。なるほどたしかに。ぜひ私の屍を超えて行ってほしいです。たぶん匍匐前進でも越えられる。

2020-02-22

博士課程3年間の結果

下の相談自分境遇に似てるなあと思って、書かずにはいられなくなって書く。

https://oshiete.goo.ne.jp/qa/8746208.html

3年間の結果、「離れて付き合おう」と決めた。

自分は今博士課程の3年で、指導教員はその学会では一番最初名前が出てくる先生の一人。

でも、学生を「兵隊」と思ってるんじゃないかな。

自分プロジェクトの都合ばかり考えてるし、彼に都合の悪い事は全て学生のせいにする。(自分の指示が曖昧など、落ち度に気づかない。何度も同じ事が起きてるのに。)

その教授研究室マネジメントできてるつもりでいるけど、実際は博士学生でなんとか彼の意味不明発言B4マスター理解できるようフォローしてるんだっての。

自分が常に正しいと思ってるし、土日にメールは当たり前。学生説明に対しては意味わからんと言うけど、その人の指示も再度意味確認しないと意味不明。(主語がなかったり、何に対して言及しているのかの対象がなかったり。例えば論文コメントに「意味不明」みたいな。何を指してるのかさっぱりわからないし、彼の勘違いの時もある。正直この確認が疲れる)

一番正気かと思ったのが、研究が予定通り(ものすごい早いペース)に進まないと怒ること。

予定通りに進むなら研究やないやろ。 教授の頭の中ではできるんだろけど、だったら自分がやれよ。そんなにプロジェクト大事研究なら。でも、彼のアドバイスが役に立った事は3年間で数える程しかない。(他の研究室先生たちと議論したのが本当に役にたった)

それに、自分たちには彼の頭の中のスケジュール研究を進めることを強く求める一方、勉強のためにプログラム(彼は私が作ったプログラム理解していないから、私が去る前に理解しようとした)を作ろうとして、「つまづいてまだできてない」って。

自分でも自分の頭の中の通りにできないのに、人には要求するという。

頭がいいと思ってるからか、自分の考えはいつも正しいと思ってるけど、裸の王様みたい。

もう公聴会も終わって、いくつか仕事はあるけど、卒業を待つだけなのでさっさと縁を切ろう。

2020-02-20

あの神戸大の教授教授擁護してるアカデミア連中の研究室に「教務課です~^^」って闖入して院生ポスドク指導を始めていいんだろうか

自分専門家だという自負があるならいいんじゃないか

anond:20200220164808

岩田教授所詮1時間かそこら見学しただけの人だろ

どんなに研究室の中限定で頭が良くても現場経験がない人の見解ではね

DMAT専門家だし英語名前団体から優れているに決まっている

2020-02-19

twitterが全部悪いんじゃないかと思う。

北海道大学いたころ、同級生院生博士研究員女性学問分野に差こそあれ女性学やジェンダー論に敏感で図書館論文複写したり書籍借りたりして、何を読んだか研究室ちょっと話題にしてたりしていた。

教員の具体的な挙措や発話のどこが問題話題になることもあった。もちろん、特定学生の「至らない」振る舞いを問題視して、陰に陽に指導したり仲間内で話し合ったりってのもあった。学部生で何も知らない私も色々指摘されて勉強するようになった。ちゃんとできてるかはわからないけど、彼女たちのおかげで勉強する機会が得られた。

twitterみると、この大学でのやり取りはなんだったのかと思うほど女性論の格調は低い。

ある絵がダメだという根拠や条件などを提示できない。「お気持ち」との批判を乗り越えられない。

それどころか、例えば「お気持ち」って言葉は嫌いです! みたいな本旨とはかけ離れた話を持ち出してきたりする。

それは別にしっかり語ってもいい。だが今そのことは話をしていない。そのことがtwitterという仕組みではわからない。

そもtwitter社会運動には向いていないのだ。

2週間くらい使ったら、現実世界での実践をしていた方が内外に絶対特になると気づきそうなものだが、それがわからないのだ。

なぜだろうか。

2020-02-18

【再掲】新型肺炎

イスラエル学者が「人工的に作ったもの武漢のP4研究室から出たもの」と断言。

ハーバード大学博士「ほぼ100%生物兵器」と発表。

SARS性質エイズウイルス性質を持つことからこの2つを合体させたものであるという見方も。

真偽は定かではない。

(内容を一部追加)

2020-02-17

新型肺炎

イスラエル学者が「人工的に作ったもの武漢のP4研究室から出たもの」と断言。

ハーバード大学博士「ほぼ100%生物兵器」と発表。

真偽は定かではない。

2020-02-16

21卒だけどもう就活無理

いくら空前の売り手市場でも、今年の就活生全体における自分市場価値相対評価は変わらない。

いい企業就職するために、

理系院卒(予定)・高学歴大学受験は頑張った)・TOEIC800点以上(大学受験副産物

と揃えた手札も、選考における通行手形なだけで、保証書ではないことに最近ようやく気付いた。




そして先週、就活説明会インターンで休んでいた研究室に久しぶりに行き、

指導教員に「就活どう?もう面接までいった?』と言われた途端、何かが弾けてしまった。




就活で、海外留学行ったり、もう内定もらって就活終えていたり、

グループワークで初対面の人達相手リーダーシップコミュ力発揮してたりするすごい人をたくさん見た。

みんな自信を持って堂々としている。自分一見優良そうに見えるだけで、中身は何もないからっぽだと思い知った。

1月に入ってから研究室の同期や就職予定のドクターがいろいろ面接受けているのと、

今年は就活の進行が早いと知っているから、指導教員もああ言ったのはわかっている。

圧倒的な自分スタートダッシュの遅さが招いている事態なので、ただの自業自得

高校受験もこれで失敗しているので、三つ子の魂は百までとはよく言ったものである

しかし、「まだ面接してない」「SPI受けたことがない」「本選考ESも出したことない」と

出遅れていることに焦っている自分には、指導教員一言が突き刺さってしまったらしい。

自分感情を「らしい」と他人事のように考察するくらいにもうギリギリのところにいる。

就活が終わるまで耐えられる自信がない。まだ2月、もう2月。ああ。




どこの御社も口を揃えて「主体性のある人材を求めてます!」と言う。

自他共に認める受け身人間を採る優良御社なんてあるのだろうか。

就活本には「ガクチカ学生時代力を入れたこと)は、何をしたか、ではなく、結果を数字で言え」と書いてある。

真面目系クズ23年間を送っていたおかげで、数字で出した結果なんてセンター試験ぐらいしかない。

どうもこの手の質問の回答には、「〇〇してアルバイト先の売上を**%上げた」が定番らしい。

話をでっち上げる人もいるらしく、設定を作って演じるのも一種の才能なんだなと感心してしまう。




今年はオリンピックがあるから、夏は飛行機の予約が取りづらくなる。

企業の方も、会場の確保だなんだで、それまでには選考を終わらせたがっているらしい。

こちらも蒸し暑い東京オフィス街スーツを着て歩くなんて御免なので、6月末には就活から離脱したいところだが、

増田は既に出遅れているので望みは薄い。悲しいかな。

指導教員就活の進捗を聞かれた翌日から研究室サボっているので、そろそろ行かないとやばい

けれど、行っても就活が頭から離れず、研究なんて手がつかない気がする。というかまた誰かに進捗聞かれるのが嫌だ。

自分が他の就活生に先を越されている現状を直視したくない。だからダメなんだろう。辛い。

2020-02-15

研究者を志して、諦めた俺と諦めなかった人の10年後の現在

俺、地帝→東大院(生物学専攻)

10年前、研究者を志し研究に励んでいた。しかし当時たまたま知り合った先輩(玉木浩貴、自称国立印刷局研究候補)が「博士課程にメリットはなく、正規研究者アカポス)になれない」などと博士課程を卑下した発言を何度も繰り返しており、だんだんと感化されるようになった。結局それなりの研究実績はあったものの、大学院を去り、就職した。

一方で、研究楽しいとそのまま大学院研究を続けた周囲の学生ポスドク人達がいた。

当時は自分選択は最良と思っていた。周りのように、今が楽しいからと厳しい現実を逃避し、なれもしないアカポスに憧れるのは哀れだと思っていた。

そしてそれから10年が経過。現在の状況は次の通り。

大学院研究を続けた周囲の学生ポスドクの今(大学大学院所属研究室で自分より±3学年)>

東北大学 教授

東北大学 准教授

東北大学 講師

東北大学 助教

東京大学 講師

東京工業大学 講師

法政大学 教授

自治医科大学 講師

名古屋大学 講師

名古屋大学 助教(2名)

京都大学 助教

神戸大学 教授

<俺の今>

・某県庁 係長多忙のため体調を崩し退職

<先輩の今>

消息不明(都合が悪くなり無責任に逃亡?)

これらはあくまで俺が大学大学院所属した研究室のみの状況。他の研究室や学会で知り合った人を入れればもっと多くなる。

先輩の当時の論調では、大学院に残った人はその後落ちぶれてゆくということになるが、現実はそんなことはなかったのだ。

かに、俺が大学院を去って最初の数年間は周囲はパーマネント職には就けず、惨めなものであった。しかし、5年経った頃(つまり5年前)にはアカポスをゲットする人が急に増えた。大御所だった教授達が大量に定年を迎え、ポストが一気に空いたからだ。

現在、俺と周囲の人ではどっちが良かったかどっちが上かは一目瞭然。その中には10年前俺よりも研究実績がなかった人も少なくない。先輩の言うことを信じて大学院を去ったことを非常に後悔している。

これから研究を志す者へ言っておこう。

「大切なのは邪念に惑わされないこと。諦めたら負けだ。」


ウイルス工場は消された模様

2020-02-14

お前さあ、研究室の扉うるさいんだから気を付けて締めろよ~

お前さあ、目上の人の家で酔い潰れんなよ~

お前さあ、伸ばしっぱの長い爪で頭掻くなよ~

お前さあ、ゼミ発表何ヵ月先延ばしするんだよ~

お前さあ、装置壊れてるからってサボり続けんなよ今何月だよ~

お前さあ、論文かいてないwじゃないんだよ~

お前さあ、この進み具合で健康的な時間に帰るなよ~

お前さあ、このパワポ出す気かよ~

お前さあ、この場でくらいネクタイしろよ~

内定あるなら就活したんだろ~?

お前さあ、人の目もうちょい気にしろよ~

お前さあ、この遅延行為武勇伝にすんなよ~

と、ついに言えなかったので。

自分サボりがち進捗ゴミから注意しにくい事項もいくつかはあったけど、基本呆れてたから放っておいただけだよ!

じゃあね!

温厚ゆるふわ放任主義ボスがいる研究室って、学部卒で就職する人にとっては天国のような場所だよな。

でも院進するつもりならちょっと考えたほうがいいよ。多少忙しくてもきちんと研究して成果まとめてる研究室の方がいいと思うもん。特に勉強きじゃなくてモラトリアム目当てで進学する人は、むしろにゆるふわ研に向いてない。自分で全部できるひとじゃないと、卒論修論破滅する。自由は、身を滅ぼすぞ。

2020-02-13

誰にも言いたくない言い訳

この時間まで研究室にいても、一向に発表資料作りが進まない。修論もどきは既に渡してある(期日までに改めて提出する必要はあるが)。発表中に首をかしげられても、いくら恥をかいたり叱られたりしても、約30分壇上で堪え忍べば取り敢えずは大きな山を越えることができる。一応発表練習はしてアドバイスもいただいたので、あとはそれに応じてスライド修正すればいい。ただそれだけだ。でも、そのあと一歩の作業が進まなくて、ひとり背中丸めスマホで文を打っている。かれこれ5時間作業が止まっている。こんな時間なのに眠気はない。なんか知らないけど涙と鼻水が止まらない。たぶん、ろくに寝てないから体がおかしくなったのだろう。

から人に頼るのが下手だった。言わずもがな友達を作るのも壊滅的に下手である

から自分問題解決しようとしすぎてしまう。ストレスを溜め込みがちなのも割と自覚している。自分の嫌いなところはその他にも色々あるけれど、特に自分に甘くて他人に厳しいところ」と、「やらなければいけないことを先延ばしにする癖」は大学に入ってから悪化した気がする。

対人関係ストレス勉強が手につかなくなり、センター試験はまあまあ悲惨な成績だった。センターの結果にあわせて出願した大学に後期試験でなんとか合格した。学費を出してもらっているし、入学を決めたのは他でもない自分なので、講義はしっかり出席した。選択科目はいくつか落としたものの、卒業必要単位はしっかり取った。1年生のときは将来なりたい職業もあまり考えていなかったので、取り敢えず何となく教職課程を取った。教職科目は思いのほか興味深くて、教員になることも一度は考えた。でも決めきれず、向いていないことは薄々気付いていたものの、大学院に進学することを決めた。そして迎えた教育実習だが、これが本当につらかった。この仕事自分に向いていないとはっきり分かった。加えて実習中には色々あって、精神的に追い詰められてしまった。正直、人生で初めて死を考えたほどである。2年半経ってもこのときのことを考えようとするだけで涙が出てくるので、極力思い出さないようにしている。暫くはベッドから起きれなかったし、泣きながら親や相談センター電話した。見かねた親がはるばる新幹線でやってきて、ごみ屋敷と化した部屋を片付けてくれたこともあった。幸い研究室活動は週1のゼミのみで負担は少なかったし、大学院進学も運良く推薦をいただけたので、進学のこともなんとかなった。でもこんな調子だったのと、先生が厳しく言わないのをいいことに卒研の開始は先延ばしになっていった。徐々に体力も回復してきた頃にはかなりギリギリの時期だったが、なんとか卒論発表には間に合った。ただこの頃から先延ばし癖はどんどんひどくなっていった。

大学院に進学してから生活を振り返っても、研究にきちんと取り組んだとはお世辞にもいえない。授業やTA仕事アルバイトには人並みに取り組めていたから、おそらく自分規則や締切を考えてタスクを片付けるという作業が嫌だったのだろうと思う。卒論発表を終えたときには「修論反省いかして頑張ろう」と思っていたのに、気がつけば立派なダメ院生になっていた。趣味は楽しめていたから、たぶんただの甘えだと思う。

そんな私だが、義務教育時代は大きな問題なく過ごすことが出来ていた。未だに「どこで間違えたんだろう」なんてことを考えてしまうのは、この頃の成功体験によるものだろう。そんなこと振り返っても仕方ないが、あの頃の全能感や将来への期待感みたいなものを思い出すと、現状にひどくがっかりする。ただ、今思えば部活でもちょっと浮いた存在ではあったと思うし、友達からお祭りに誘われなくて落ち込んだこともあった(自分から誘えばいいのに)。多分、人からの悪意にはめちゃくちゃ鈍感なところがあるので、それで自分の身を守っていたのかもしれない。今はちょっと人の目が気になるようになった。

ああ、どこで間違えたんだろう。

ああ、どこでなら取り返せたんだろう。

色々思い当たる節はあるけど、悩んだときにいい子ぶらないで親や先生相談していれば、事態は変わっていたと思う。「誰にも言いたくない」というわがままは、きっと自分を苦しめる。自分ではSOSを出していると思っても、相手がそれを受け取っているとは限らない。「言わなくても気付いてくれる」というのは、ある種の甘えかもしれない。

と、誰にするわけでもない言い訳を並べている。



2020-02-06

研究室

不満はないけどもやっとしたか

就活って最高の免罪符ですよね

就活がいつ入るかわからいからできない」

ゼミ先生学会に向けたレジュメかなんかの提出を求められたとき、同期がこういった。

就活理由に様々なことを断る同期が増え、先生から個人メールが来ると断れない性分の私は、まあ何とかなるかと受ける。

そうすると全員に聞く前に私のところにお伺いが来るようになった。

私も就活するんだよねと主張しても、え~でもやれる人がやったほうがいいよ~といわれる。なんだそれ。

このままだと私が学生時代に打ち込んだこと「研究室活動」で動機が「同機がやらない結果やることになって論文にも名前乗りました」

みたいになっちゃうんだけど。いいんだかわるいんだか。

がんばろ…

2020-02-05

修論失敗する人間典型

この時期になると修論出せませんでした or 不合格でしたっていう報告が相次いで

それに的外れコメントする人が多いんだけど

修論に失敗するのはほぼほぼ下記のような「試験期間になってから勉強を始めるタイプ」ばっかり

普段は授業で寝てるんだけど中間テストとか期末テストの1週間前になったら

先輩・友人から過去問入手して対策勉強だけしてテストに臨むタイプの人。

過去問外しが来て撃沈しても先生に頭を下げて追試してもらって留年を免れたりして大学院まで来ちゃった人。

修論提出1ヶ月前ぐらいにフラッと研究室に来て

「何をやればいいんですか?先輩の論文からコピペすればいいんですかね?」

っていういつものノリを発揮して撃沈する。

もう、だいたいこのパターン。何かを得るための努力の最大値が1ヶ月みたいな人。

「追試っぽいのとか、下駄を履かせるとかないんですか!?

みたいな意味不明なことを言う場合も。

卒論レベルであれば先輩論文ほぼコピペみたいなものを書いて1ヶ月研究室に泊まり込んで

最終的にはお涙頂戴で卒業できるような大学もあるらしいけれど、さすがに修論はそういうのないし博論だと全く不可能

指導教員のせいにする人も多いけど、指導教員としては

研究室に来てください」

って言うくらいしかないし、それすらできんのは土俵に上がってないわけでどうしようもない。

授業料分ぐらいはしっかり指導せーよって思うような教員もいるのでなんともだけど

そもそも学生20歳すぎて数年経ってるはずなんだから自分のことは自分でしっかりやれよ、と。

個人的意見だけど、修論ってのは1年間とかの長い間取り組んできた研究内容について

最後報告書として提出するためのものであって、提出すれば修士がもらえるもんじゃない。

1年間とかの長い期間研究した行動、それによる成長に対して修士を与えるもんであって

1ヶ月前に「何したらいいっすか」みたいな感じで来ても「いや、無理じゃね?」っていうのが一般論

もちろん中には1ヶ月でスラスラ〜っと論文書き上げて修士取っていく人もいるか

「じゃぁ何ヶ月前に来たらいいんですか!」みたいな質問には答えにくいんだけど

感覚的には最低でも半年ぐらいは一つのテーマ真剣に取り組まないとなかなか修士レベルにならんよね。

なので失敗した人は心を入れ替えてここから半年間頑張って研究すれば十分修士を取れると思う。

頑張って半年後の卒業目指してくれ。

心配せんでも社会に出てから半年遅れなんて誤差にもならんぐらいどうでもいいから気にすんな。

東北大学工学部機械系の就活における推薦制度の闇

社会人になって何年か経つが、母校の教授記事に出ていて驚いた。

理系大学院生を就活疲れから救う 大学推薦制度を改良、1カ月半で就活完了 | 日経 xTECH(クロステック)

自分は途中から自由就活に切り替えて就職した身だが、本件に関して思うところが多くあるので書いた。

あくまで当時の話だが、制度の一番の問題点を偉そうに記事で語っていたので、あまり変わっていないのだと思う。

「良いところに就職できそうだから工学部」という高校生に向けて内情が伝わればいいと思っている。

以下長文。まとめだけ読んでも良い。

背景

問題点に入る前に、東北大学工学部機械系の就活の特徴から話そうと思う。

講義研究がきつく、就活に対して理解がない教授が多い

学部3年生を過ぎると、落とすと即留年実験や厳しい進級要件に追われ、研究室配属後は、平日休日区別なく働かされる学生結構割合存在する。

また、元記事教授を始めとして、多くの教員バイトインターン就活を快く思っていない。

講義ゼミ説明会面接のために休ませて欲しいと言う申し出を認めない人も多い。

そのため、地理的な不利と相まって就活時期の動きが相当制限されるのが事実である

その分、非常に推薦の求人が多く就職には困らない

ただ、そのような鍛えられた工学大学院生需要は高く、加えて地方ながら旧帝大名前一定の評価があるらしい。

実際、真面目に就活をしなくても無内定にならない程度には求人が来る。

推薦については、景気にあまり関係なく学生200人に対して毎年2倍以上の枠が安定して存在する。

動物のお医者さんという北大舞台にした漫画に「人買い」のエピソードがあるが、学部合同説明会はまさにあのような様相となる。

メーカー系だとCore30はもちろん、日本代表する超大企業が揃っており、企業を選ばなければ就活には全く困らない。

例を上げると、

など、枚挙に暇がない。

ただ、業界に著しく偏りがあったり、大手子会社中小企業も多数含まれているのも事実である

この少子化と売り手市場において、そんな推薦に対して多少の物足りなさを覚える就活ガチ勢もいる。

推薦を就職担当が一元管理しており、それなりに面接負担がある

大学推薦というと、研究室の学生教授が知った企業コネねじ込む、といったイメージが強いと思うが、これは一昔前の話であり今は中々聞かない。

記事にもある通り、大学推薦と言う制度自体機械系全体で管理しており、各教授の推薦状の発行を制限しているため、基本的に抜け駆けは許されていない。

就活時期の推薦選考フローは以下の通りである

  1. 企業からの推薦要請に応じて大学側が推薦枠の数を決定する
  2. 大学学生募集をかける。1次募集・2次募集がある。
  3. 企業担当者との「ジョブマッチング面談」もしくは就職担当者との面談によって推薦対象者を決定する
  4. 推薦状が発行される
  5. 企業選考へ進む(大手企業場合、1次面接か2次面接をすっ飛ばせるだけの企業が多い)

3,5で分かる通り、自由就活に比べてES選考グループディスカッション足切りはないが、人気の大手企業を狙う場合、ある程度頑張って学内選考および企業選考を勝ち残る必要がある。

制度問題点

ここまで書くと、大変さはあるかもしれないが世間一般から見ると恵まれているという意見が多数だろう。俺もそう思う。

問題点は背景で書いた以下の規定および、記事の以下の規定である

企業からの推薦要請に応じて大学側が推薦枠の数を決定する

https://tech.nikkeibp.co.jp/atcl/nxt/column/18/00138/013000472/?P=2

大学推薦制度を利用する企業が、自由応募制度東北大学機械系の学生採用することは認めない。


このような仕組みにおいて何が起こるのか?

以下はリクルーターにも聞いて裏を取った当時の実話である

~事例1:推薦応募開始前~

企業「今年は採用目標を増やすので推薦枠を15人設けてくれませんか」

就職担当「一部の企業学生が集中しすぎると他の企業不公平になるからダメ。5人で。」

企業「じゃあ残りの10人は自由で応募いただくということで」

就職担当「推薦された学生が不利になる可能性があるからダメ。うちの学生自由で取った事がわかったら来年から推薦枠なくすから。」

企業・・・

~事例2: 推薦応募開始後~

ト○タ、ホン○等の人気企業の推薦枠を競って学生数十人が争う。

からあぶれた人々は自由応募をすることを禁止されているため、泣く泣く諦める。

推薦を取り直そうと2次募集を見ても、人気企業の枠は1次募集で埋まっているため、行きたい会社が残っているとは限らない。

自由応募で別業界を狙うか、子会社領域の違う会社妥協することとなる。


完成車や重工等の花形業界を狙う学生は、小さい頃から車や飛行機に夢を持ち、必死勉強してきた人揃いである。

そんな人達が、

夢の企業への就職可能性を閉ざされる。

大学に隠してでも人材を確保するぞという気概で、黙って自由応募を受け付けてくれる企業存在する(した)。

しかし、昔からの長い付き合いがある人気企業は、大学報復を恐れて受け付けてくれないことが多いのが現状である

非常に理不尽ルールであり、一刻も早く見直すべきだと思う。


なお当時、就活担当職員(※1)に対して自由応募を認めてくれるよう必死に訴えかけたところ、非常に面倒くさそうに当時の就職担当教授につないでくれた。

ただ、件の教授就活時間をかけず研究に没頭することの重要性や、別の会社でもやりたいことはできるなどの一般論を説くばかりで、あまり話が通じなかったので諦めてしまった。

結局、自分外資や推薦が来ていない業界に切り替えて自由就活を行い、最終的に複数内定を得ることとなった。

まとめ

一言で言うと「学生就職平準化のため、大学が推薦枠を絞り学生自由応募を禁止する」のが問題である

これらが曖昧になり、抜け駆けや裏切りを許してしまうと、大学推薦制度に対する学生企業の信頼がなくなり、制度崩壊してしまうから

記事のこの意見や、背景にも一定同意はするが、学生企業希望無視して推薦枠を意図的に絞っていることを言わないのはフェアでないと思う。

そもそも面接が何度もあり、落ちることがある時点で推薦制度の意義は崩壊しているのである

進学先を就職と言う軸で考えている学生の一つの判断材料となれば幸いである。


※1 上から目線で態度が悪いので学生から非常に嫌われていた

追記

快挙を修正しました。

2020-02-04

研究必要機器ちゃんと選定できる人が凄い

オシロとか聞いたことがあるものとか、前の研究室に置いてあったとかなら検索かけたらわかるけどさ。

これから就活するあなたへ/これから挫折するあなたへ

※この記事は、大学2〜4年生向けに書かれたものです。

結論から言おう。僕は就活に失敗した。理由は明確で、自己分析が全く足りていなかったから。この記事は、皆さんに自己分析の大切さを口酸っぱく伝えることが目的だ。「そんなこと言われなくてもわかっている」という方も、反面教師として嘲笑する目的で読んでほしい。

新卒1年で退職という絶望感】

僕は、いろいろあって、新卒で入った会社3月末で退職する。世間では「3年は働け」とよく言われているが、これは半分間違いで半分正解である精神が病むほどひどい環境ならやめるべきだが、そのかわり転職難易度はグッと高くなってしまう。なのでできることなら、頑張って長く続けたほうがいい。そういう僕が1年で退職するということは、頑張って長く続けることが不可能だと感じたからだ。

これから自分仕事をやめる原因となった「いろいろ」について延々と語っていく。時間がない方は、下の方にある「【幸せとは何か、とは哲学でなく分析である】」まで飛ばしていただくのが良いと思う。

【現職に入るまでの経緯】

就活の時期、私はプチ鬱に陥っていた。大学研究室多忙さと、難航する就職活動。「人の心を動かしたい」という信念のもと、エンタメに関わる仕事がしたくて、倍率の高い大企業しか受けていなかったのだ。20〜30エントリーするべきと言われていたところ、僕は10社未満しか応募できていなかった。その結果見事に全落ち。路頭に彷徨っていた時に拾ってもらったのが、いま僕が働いている会社だ。

この会社は、数十人規模の中小企業だった。不況の荒波に流されないよう必死にしがみついていて、必然業務ハードになる。裁量労働制という、無知な人にとっては「最新鋭」と思われそうな制度のおかげで、全員時間を気にせず残業しまくっていた。

正直、労働環境は劣悪だった。特に大変だったのが、自分の周りに歳上の女性しかいない環境いちばん歳の近い男性上長さらに同期はほぼ一人もいない。男子校で6年間育ってきた僕にとって、女子校のような職場は未知数だった。そんな状況でも、熱意があるから頑張れると思っていた。思ってしまったのだ。

モチベーション能力乖離

業務内容は、僕の好きな分野だった。毎日新鮮な体験ができ、仕事が楽しくてたまらなかった。一年目でまだまだ仕事ができない自分だが、楽しいから頑張っていける。そう思っていたのも約半年、そして僕は現実を思い知った。

仕事が思っていたよりできるようにならない。なぜならば、上司相談やす環境が全く整っていなかったからだ。いちばん歳が近い上司は、「それ前も言ったよね?」と覚えが悪いことを怒る。女性が怖くなり、男性相談しようとしても、いちばん歳が近いのが部長なのでなかなか相談しづらい。そんな環境で、何が正解かわからなくなっていた。

もちろん入社から予見していたことだが、人数も少なく多忙会社に、新卒教育する余裕なんて全くなかったのだ。「仕事覚えが悪いせいだ」と言われたらそれまでだが、僕からすると、あまりにも部下の失敗に対する寛容さが足りていなかったように思えた。

【熱意が温度を失う瞬間】

やめるかもしれない、と思い始めたのが11月。立て続けの仕事に追われ、ストレス発散のために飲みの予定を立てた。学生時代お世話になっていた方との飲み会で、絶対に断りたくなかった。その日、上司から仕事を頼まれた。僕は苦渋の思いで仕事を断った。その結果、その上司から評価がガタ落ちした。

全て断定形で書くとこんな感じ。こうして見れば大したことない出来事だが、その後に問題があった。僕だけがいない飲み会で、僕の悪口で盛り上がっていたそうだ。

部長は、全てを大声で話す人だ。叱る時は大声かグループラインで。内緒話もできない。その上長がいる飲み会で僕の悪口を言えば、きっとそれが僕にも伝わってくるだろう。そういう確信のもと、僕は飲み会をサボったのだった。

確信事実へと変わった。全員がいる職場で、「お前けちょんけちょんに言われていたぞ」と大声で言い放つ部長。その瞬間、私の熱意は温度を失った。

別に、私が仕事をサボったことに関して悪口を言われるのは良い。だが、それ以外にも、芋づる式に私への罵詈雑言が飛んでいたそうだ。良かれと思ってやったことが、その上司にとっては許せなかったり。細かな内容までは知らないが、ざっくり言うとそんな内容である。この環境で働くのはもう無理そうだな、そう思った入社7ヶ月目だった。

【そして限界へ】

確実にやめようと決意したのが、12月頭。そんな状態仕事をしているので、当然作業が遅れてしまう。全員熱意だけで働いている環境で熱意を失うことの重大さは、誰にでもわかるだろう。そしてまた当然のように、上司から冷徹な叱責を受ける。精神ダメージからいつもできていた仕事ができなくなり、また怒られる。その繰り返しで、僕の心はボロボロになっていった。

だが、そんな状況でも、大仕事を一つ持っていたため、具体的な転職活動まで乗り出せないでいた。

そんなある日、限界が来た。いちばん嫌いな上司激怒された次の日、仕事が全く手につかなくなった。

まら部長相談した。

結果、僕はその大仕事担当から下されることになった。

転職活動も大変】

そこからはもうあっという間だった。年が明け、心がリセットされるかと思ったらむしろ悪化し、実際に転職活動を始めることになった。会社にも正式に報告し、3月末で退職することが決まった。

しかし、1年目で辞める人間など、できれば雇いたくないというのが会社の常だろう。就職活動は難航を極めた。数十社応募し、面接に行きまくった。裁量労働制のいいところは、自分で勤務時間を決められること。そのアドバンテージを最大に活かし、朝面接に行き、会社に行き、夜また面接に行く、という多忙生活を繰り返している。

そして現在に至る。まだ転職先は見つかっていないが、さすがにそろそろ見つかるだろうというタイミングだ。これで本当に見つからなかったら、正真正銘のバッドエンドになってしまうので、焦らずいい職場を見つけていきたい。

幸せとは何か、とは哲学でなく分析である

結論として、僕が言いたいのは、「自分の軸をしっかりと考えろ」ということだ。軸とは言い換えるならば、幸せ定義である。「これさえ守れば自分は頑張れる」というものがなければ、きっとあなた挫折する。

昔、学生時代は、とにかく「人の心を動かす」ことを軸にしていた。しかし、それは恐ろしく独りよがりな考えだった。一人でも多くの人を幸せにしようとするあまり自分とその周りの人々を幸せにすることがすっぽりと抜け落ちていたのだ。

これは、やはり自己分析の欠如による悲劇に他ならないと僕は思う。今までの人生でつらい時には、優しい先生がいた。励ましあう仲間がいた。そんな健全環境で、僕は今まで成長してきたのだ。

それが前職ではどうだったか? 周りから浮き、誰も信じられず、一人で悩みを抱え込む日々。入る前に完全に予見するのは難しいだろうが、少なくとも、労働時間が長くほぼ女性しかいない職場で僕が生き残る術はなかったのだ。

結果、僕は大事にすることの優先順位を変えた。

一つ目は、自分幸せになること、幸せ生活を送ること。彼女結婚して幸せな家庭を築き、親孝行し、生を謳歌することが、人生における最大の目標になった。

二つ目が、いい労働環境に恵まれること。いい上司に恵まれること。伸び伸びした環境なしに、スキルアップは望めない。いい土壌なしに美味しい野菜は育たないのである

そして三つ目に、やりたい仕事をすること。これは正直、もうどちらでも良い。上二つを実現できない仕事ならやる意味がない。そう思うようになった。

もう一度あなたに考えてほしい。あなたが思っている軸は、本当に軸としての機能果たしているのか?と。そして、その軸と職場を照らし合わせたとき、本当にその軸を守り続けられるのか?と。

挫折は敗北ではない】

以上、自己分析が足りていなかった僕がここ一年で味わった絶望とこれからについて話してきた。僕と同じ立場の人は、世の中にごまんといるはずだ。決して人ごとだと思わず自分人生と照らし合わせて考えてほしい。

仕事にせよプライベートにせよ、この先あなたはどこかで挫折するかもしれない。しかし、挫折は敗北ではない。挫折して立ち上がらないことこそ敗北なのだ。軸が折れたとしたら、より強い新たな軸を探せば良い。そうして人間は太くなっていくのだろう。

でも新卒入社してすぐに折れたくなかったら、今から自己分析をしなさい。全くしてこなかった人も、今からでも遅くない。

前田裕二氏の『メモの魔力』という本をおすすめする。何がなんでもメモする癖を付けることで、とことん自分を突き詰められるようになるらしい。という僕もまだまだメモする習慣を身につけられていないので、ちゃんメモします。

2020-02-03

半年引きこもった話をする

引きこもりというか親へのカモフラージュのために家からは出ていたので実際は引きこもりというよりただの学校をサボったクズ大学生の話なのだが、まあ書く。

実家暮らし私大理系)。偏差値は全国レベルだとそこそこ高いと思っている。

今年、大学2年の春から半年学校をサボった。学校に一回も行かなかった。かろうじて必修のみ履修申告はしてしまったので単位全落ち。GPAやばい事になった。

サークル関連のことでちょっと嫌になったらぐずぐずと半年学校に行かなかった。ちなみにサークル関連の件も私のコミニュケーション不足のせいであ10こちらが悪い案件である

バイトだけはかろうじてしていた。辞める勇気が無かっただけである。週2程度だったけど今思うと寝てるんじゃなくて稼げばよかったなと思う。

ぶっちゃけ6月くらいからまずいなと思っていたけど、これから行ってもどうせ単位落ちるし行きたくねーとか思っていたら気づいたら夏休みだった。

8月のある日、もし退学になったらどうしようと思い学生課に相談に行った。留年する気満々で相談に行ったら、後期から頑張れば4年で卒業できるから頑張れと言われてしまった。留年したらサークルメンツと会わなくていいからヒャッホイとか思っていたので残念に思った。

いわゆるカウンセラーを利用するような落ちぶれた人間になりたくなかったのだがあれよあれよと利用してしまった。もう使いたくない。ただすごくいい人たちだったので感謝はしている。

(これがよくない思考だとは分かっている。もっとガンガン使うべきなのだということも分かってはいる。)

で、後期から何食わぬ顔で登校した。一年の時とか仲良くしていた友達かいたんだけど私を見て驚いてくれて、引きこもってたの超ウケるでしょと言ったら超笑ってくれた。うれしかった。こういうとき一番困るのがいわゆる腫れ物に触れるような扱いであるよね。しばらくは私は元引きこもりヤバイやつでいじってくれた。うれしい限りである

ちなみにサークル正式に辞めて、元のメンバーとは残念ながら一言も話せていない。そこは引っかかっているところである。ただ次まともに話す機会があるとすれば4年になって研究室に入ってからなので、そこまで時間がたてば業務連絡くらいはできるくらい風化しているだろうと信じている。

今は無事後期も終えての春休みである。ちなみにこんな感じで人間関係めちゃめちゃなので、勉強けがアイデンティティだと思ってめっちゃ勉強した。過去最高にいい成績を取った。

今になって思うことは、まずこんな感じになったのが大学生でよかったということである中学高校レベルの閉鎖空間じゃ半年いないとかとんだ有名人絶対このまま引きこもって卒業コースだった。大学じゃ同じ学科に何百人もいるから一人くらいこんなことになったところで近しい人以外は全然気づかない。ぬるっと復帰できてうれしい限りである

あと大学じゃ割とお勉強ができる方だという自負はあるんですけど(順位とか出るわけじゃないし実際のほどは知らない)、だから現在勉強アイデンティティに生きていられている。大学院外部受験しよう。

2020-02-02

境界領域地雷研究室

分野Aと分野Bの間の研究室教授はAの人に合う時はBの専門家からAは分からないと言い、Bの人に合う時は逆にAの専門家からBは分からないという。

まあそれは良い。人間には能力限界というものがある。学生相手に何の指導も出来ないが、指導には自信があるらしい。

過去卒業生は同じ振る舞いだけは覚えて巣立っていったが元気にしているのだろうか。

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