2020-01-19

自由研究ができない子だった

小学校中学校夏休み、どこの学校でも自由研究宿題に課されていたと思う。

私はそれがひときわ苦手だった。

まず、テーマが出てこない。自分が何をやりたいかが出てこないのだ。

出てきたとしても、それは既存実験やら本に記載されたアイデアの焼き直し。

小学校の頃は、親に渋々手伝ってもらって、テーマを一つに固定して行ったことを覚えている。

中学の頃は、統計のような資料を基にしてある種あたりまえのようなことを述べるだけだった。

そしてそのどちらも、テーマに関する考察や疑問が設定できず頭を抱えたものだった。


今になって思えば、ああい課題子供発達障害(の一部)を見分けるために出しているのかもしれないと邪推している。

紋切りや媚びた文章で覆い隠されがちな読書感想文よりも、よっぽど自己発露が試されるからだ。

ちゃん自発的に考えられるか、きちんと疑問を持ち、それに対して解決できる小柱や実験計画できるか。

そういったことを見定めるある種のファクターとして活用できる、もしくはされていると思う。


現在の私は理系の院をなんとか卒業し、企業に勤めている。

ただそれは、研究室時代子供の頃から矯正放棄されていた考え方を改善されたから。

教授や先輩にミッチリしごかれたからこそ、無事論文を提出し、就職できたと思っている。

今でこそ研究テーマ自分から持っていき、質疑や討論を出来るようになったものの、

(たまに重箱の隅をつつくような意味なし質問をしていまうこともあるけれど)

配属当初はアウトプットボロボロすぎて「君はなんのために研究をして学問を学ぶのか」と詰問された程だ。


矯正すれば治るけれど、それに気付かない大人子供も多い。

それを発見するツールとして、自由研究有用だと思える。

私のように大人になって直すよりも、早い内から矯正していけば、本人にとっても周囲にとっても楽だろうし。

本来課題目的に削ぐわない副次的な考えではあるものの、是非ともこの様な活用法をして頂きたいと切に思う。

  • 「発達障害は治る」説ですか  「治る」っていっちゃった時点で非科学的、あんたの負けですわ

    • (反社会性などの)人格障害も言い換えれば性格、個性なので治せません というか、治すという表現は適切ではない 正解の性格、健常な性格なんてあるのでしょうか 反社会的な人格、...

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