はてなキーワード: 研究室とは
「だった」と言ってもまだ大学生なんだけどね。今4年生。
かなり内向的な性格をしていると思う。友達は少ないがちゃんといる。趣味もインドアだし、運動苦手で体力ない。あと陰キャ。関係ないか。twitterでたまにバズる「友達のことは好きだけど、出かけるとすごく疲れる。誰かと遊んだ後は休まないと回復できない。」系のつぶやきを見るとすごく共感する。
高校生まではバリバリ部活をしていたんだけど、大学に進学したらなんだか疲れちゃって。部活はもちろんサークルにも入っていないし、バイトもかなり少なめに入れている。勉強は割と楽しくやっていたけど、研究室に泊まるような忙しい感じではない(そもそも文系だ)。そして、友達ともほとんど出かけない。人と比べたら相当引きこもっている方だと思う。でもそれが楽しい。家でごろごろ、ネットサーフィン、時々ゲームして、空想を書き出したりした。(空想を小説にしてみようとしたけど断念した。小説を完成させるって大変だよね。)
元から空想はよくする方だった。大学に入って時間とある程度のお金が自由になってからは映画をたまに観に行くようになった(基本は1人だ)。エンディングのその後や「自分がもし○○だったら…?」「AとBが敵じゃなかったとしたら…?」なんてことをよく考える。ある時はピカチュウと冒険に行ったし、ある時はニュート・スキャマンダーの助手になった。
美術館や博物館に行けば(もちろん1人だ)、絵画が描かれた時代に思いを馳せたり、展示されている道具を実際に使っていた人たちのことを思い浮かべる。平安も縄文も明治も、フランスもアメリカもイギリスもひとっ飛びだ。
と、まぁ自分は4年間こんな感じで基本引きこもってゲームとかネットとかして、たまに出かけて(友人らのキラキラしたInstagramからは目をそらしつつ)、ごくまれに友達と出かけてそれなりに楽しくやってきたわけなんだけど…
どうやら両親がすごく心配しているらしい。どうしよう。快適なごろごろライフがやりにくくなってきた。最近何かと「○○行かない?」とか「○○ちゃんと出かけなくていいの?」とか「彼氏とか…モニョモニョ」って言われるようになった。やっぱり親としては心配なのかな?
私は比較的好奇心が強い子供だったと思う.小さい頃から親になんでなんでと訪ねては疲れさせていた.小学生の頃,調べ学習が大好きだった.調べ学習の時間では,その時間が始まるといてもたっても居られなくなり,先生の言うことを聞かずに行動して怒られたりしていた.
中学生の頃は,物になぜ色がついて見えるかを調べた.それを調べている時はとても楽しかった.階段状に並んだタイルの総数を考えたり,N次元空間に置かれた立方体がある視点から見える最大の面数は何か疑問に思ったりしていたこともあったっけ.
母親は欲しい本はなんでも買ってくれた.ラノベや宇宙の本を買ってもらった.雑学の本も好きだった.ブラックホールが発生してから蒸発するまでの話に私はとてもワクワクした.
私が友達なんていらないと思うようになったのは,中学生の頃,同じクラスの女子が原因だった.彼女は手下にできそうな私を見つけて,私を支配下に置いた.私はそれ以来人間不信のような状態になった.
私が自尊心がないのは両親の不仲が影響しているようにも思う.父親が帰ってくるたび毎日家がピリピリしていた.母親は私が中学3年生の頃家出してしまった.その時は毎日泣いていた.学校も休みがちになった.父親は料理ができないから,コンビニ弁当ばかりだった.その頃,母親も浮気していたと思う.私はとても寂しかった.人生は結局一人なのだと思った.
けれど,母親は結局,私を別居先のアパートにいさせてくれた.学校をサボって,会社をサボっている母親と映画を見た.映画のシーンでセックスの描写があったときに後ろから目隠しをされた.母の手は暖かくて,なんだか嬉しかった.
高校受験の時は,親に経済的な負担をさせるまいと,確実に合格できる公立の商業高校の情報処理科を受験した.
高校では友達を作らないようにしようと自分の殻にこもった.入学直後,女の子がお弁当を一緒に食べようと誘ってくれたが断った.友達になろうとしてくれた人の誘いはほとんど断っていた.
けれど,部活には入部した.商業高校だったものの科学への興味があったため科学研究部に入ったのだ.
生物のドクターを出た先生が顧問だった.高校2,3年生の頃は水生生物の調査が主な活動だった.部活の顧問は「お前はドクターまで進学した方がいい」と助言してくれていた.
この頃も,宇宙の本を読んでいた.その本は量子力学に関する奇説を扱う本だった.この宇宙は,あらゆる状態の分岐に応じて,並行して無数に存在しているという説もあった.今生きている私というのも,無数に存在する宇宙のうちの一つの認識している自我でしかないのかもしれないと思った.宇宙にとって私とはエネルギーの濃淡の揺らぎ,またはセルオートマトンの点滅.私が生きていようが死んでいようがどちらも美しくなりたつ宇宙に思いを馳せた.
大学受験では,文系の高校から理系の大学への進学は難しかったが,やはり理学への興味が尽きなかった私は,理系へ進学することを決断した.高校では数学はIとIIしかやっていなかったため数学の受験勉強は独学で行なった.私はひどく頭が悪いわけではないけど,かといって大して頭がいいわけではないから,低い偏差値の大学の推薦入学だったけど,それでも苦労した.
何回か,母の前で自殺するふりをした.反抗期だからか,勉強ができないストレスか.ある日,母に他の男の気配を感じた.当時の私はそれがたまらなく許せなかった.死んでやる,といって包丁を持ち出して,自分の首に突き立てたりした.本当は死ぬつもりはなかったけど,別に死んでも構わないとも思っていた.
高校で,中学生の頃いたような人間には出会わなかったので,大学では友達を作ろうと思った.
また,研究に対して大きな憧れを持っていた私は,すぐに研究室に配属を希望した.その教員は快く迎え入れてくれた.3年生の頃には,先輩の卒論を手伝うほど知識がついていた.今思えば,あの頃が最も楽しく知識を身につけていたと思う.授業でも良い点を取ろうとか考えてなかったので,授業を聞かずにオリジナル(?)のアルゴリズムを使って手書きでボロノイ図を書いたりして自由に楽しんでいた.外部発表もしたし,卒業論文も特に苦労もなく書き終えた.この頃,「ゲーデル,エッシャー,バッハ」という本に出会って,その本に魅了された.
いつからか,「論文を出さなければならない」,「自分は周りと比べて劣っている」,という考えにとらわれるようになった.体調的にも良くなかった.学部の頃からのカフェインの大量摂取,昼夜逆転の生活,慢性的な睡眠不足・運動不足・栄養不足などが祟ったのである.締切前になっても全く焦りが働かなくなった自分に気付き,おかしいと思って心療内科に通院し始めた.修士論文も提出しなければいけないのに全く取りかかれなかった.学部の頃からお世話になっていた指導教員ではないO先生がそんな私を見かねて,一緒にLaTeXを書いてくれた.一応提出はできたけど,修論発表を終えた後は悔しさで泣いた.
それでも私は博士へ進学してしまった.修士の頃からドクターは進学しようと決めていたし,エネルギーの低くかった私は,判断を変えるほどの力がなかったのかもしれない.正直,そんな覚悟で博士をやっているのは日本でも私ぐらいなのだろうと時々思う.幸い,修士からの学費や生活費は奨学金や授業料免除,アルバイトで何とかして親に頼らずにいられた.
博士の間はずっと,健康を取り戻すために時間を使ってしまった.カフェインを断ち,夜更かしを辞め,休日は一切休むことにして,睡眠を十分にとり,運動もして,という生活を送った.論文よりも睡眠や運動を優先した.O先生は博士の間もずっとメンタリングしたりしてくれた.なんとか学会論文を2本書いたが,卒業要件でもあるジャーナルの論文が完成しない.とうとう何もできないまま3年生になってしまった.
O先生に,成果という葉にとらわれず自分という根を大切にしなさいと教えられた.成果にばかり気を取られていると自分のエネルギーが朽ちてしまうというのだ.確かに思い当たると思った.そもそも自分ってなんだっけ?と思った.ドクターには,「自分」が必要なのだ.でも私はそれがなかったのだ.目の前の成果だけしか考えていなかった.
自分はなんのためにドクターをやるのだろう?一瞬,救済を必要とする人や弱い立場の人のためになりたい,と思ったけど,本心からそう思っているか自信がない.ひとまずそう思うことで安心したいと思っているだけかもしれない.自分とは,ちょっとした好奇心を満たすのが好き,それだけだった.
私はなんのために生きているのだろう?私は高校生の頃から,セルオートマトンの瞬きにしか過ぎない人生などに,意味を見出すことはできなかった.
死の淵に立てば,生きる意味が見出せるかもしれないと思った.服薬自殺は病院巡りをして薬が準備できるのに時間がかかりそうだし,飛び降りは失敗した時が怖いと思った.死ぬときは失血死か,首吊りかどちらかにしようと思った.結局,なんとなく気が進まなくて,自殺の手筈を整えるのはできなかった.
人文系の先生に生きる意味を相談したところ,その先生は四諦八正道の考えを教えてくれた.確かに考えても意味はないのかもしれないが,考えるのをやめることは難しかった.
哲学科の先生にも訪ねた.私の考えはニヒリズムに分類されることがわかった.達成することに意味がある,後世に何か残すことに意味があると見出すのはナチュラリズム と呼ばれるものらしい.私はどうもその考えはしっくりこなかった.その先生にニヒリズムの考えを持つ中島 義道という哲学者を教えてもらったので,後でその人の本を読んでみようと思う.また,哲学の入門として,図書館にある,哲学の雑誌の現代思想を読んでみることを勧められた.
現代思想12月号は巨大数の特集だった.2chの「一番でかい数を書いたやつが優勝」スレから始まった日本の巨大数ブームの歴史や,ふぃっしゅ数,小林銅蟲(パルの人)の漫画が載っていた.11月号は確か,反出生主義についてがテーマだったと思う.
まだちゃんと読んでないけれど,あぁ,私はこういうものを読みたかったのだ,と幸せを感じた.
私は毎日,贅沢ではないけれど,質素に暮らしていけるだけのお金があって,現代思想とかを読めればそれだけで幸せなのだと悟ったのだ.
諦めずにドクターを取得するのか,ドクターをやめて就職活動をするのか,決断しなければならない.
昨日の深夜に投稿したものの再投稿です。現状どうしたら良いか分からず、しんどいので、コメントお願いします。
私は鬱と体調不良と研究活動(理系修士)等に欝屈とした人間です。
今
・忙しい時期を超えて燃え尽きた。頑張りたくない気持ちが2週間以上続く。無気力
・他の研究室の激務で有能な友人一名や他の人を見て無能感を感じる。
・友人と月一居酒屋してるが、友達に対する安心感を感じにくくなってきた
・体調不良が酷くて三年前から健康と断言できない。通院したりして対処はしているが、かなり元気を奪われている
・共同研究の後輩が正直能力が異常に低く、負担が大きい。卒論までに私がデータを作らなければ
・修士の休める時期がよく分からない。就活や国際学会を考えて鬱
・希死思考は三年生の頃に克服したが、思考が鬱になりがち。大学生活で鬱緩和を自力でやってた。
・栄養と睡眠は気をつけているが、運動不足。街歩きして発散することもあるが、今は気力が湧かない。
・頑張ってきたけど、心が折れそう。頑張りたくない。どうしたら良いかわからない。幸せもあるのに、鬱に塗りつぶされる。一生このまま?
校内カウンセリングは何度か行ったことあるけど、研究室所属になってからタイミングが合わなくて行けてない。
鬱緩和、健康、研究活動、その他、いろいろ頑張って改善してるけど疲れてしまった。冬休みでそんなに回復するとは思えないけど、後輩卒論データ用意や就活が待ち構えている。
私は23歳、鬱と体調不良と研究活動(理系修士)等に欝屈とした人間です。
今
・忙しい時期を超えて燃え尽きた。頑張りたくない気持ちが2週間以上続く。無気力
・他の研究室の激務で有能な友人一名や他の人を見て無能感を感じる。
・友人と月一居酒屋してるが、友達に対する安心感を感じにくくなってきた
・体調不良が酷くて三年前から健康と断言できない。通院したりして対処はしているが、かなり元気を奪われている
・共同研究の後輩が正直能力が異常に低く、負担が大きい。卒論までに私がデータを作らなければ
・修士の休める時期がよく分からない。就活や国際学会を考えて鬱
・希死思考は三年生の頃に克服したが、思考が鬱になりがち。大学生活で鬱緩和を自力でやってた。
・栄養と睡眠は気をつけているが、運動不足。街歩きして発散することもあるが、今は気力が湧かない。
・頑張ってきたけど、心が折れそう。頑張りたくない。どうしたら良いかわからない。幸せもあるのに、鬱に塗りつぶされる。一生このまま?
校内カウンセリングは何度か行ったことあるけど、研究室所属になってからタイミングが合わなくて行けてない。
鬱緩和、健康、研究活動、その他、いろいろ頑張って改善してるけど疲れてしまった。冬休みでそんなに回復するとは思えないけど、後輩卒論データ用意や就活が待ち構えている。
なってみると、向いている仕事もあるし、こりゃダメだなこともあった。
知らないことを知りたい、というのは工学部では異端扱いされてつらい。
なんというか、働いても働いても楽にならずなんだよね。
国立大の研究室みたいに、一人が論文書いたらずらーっとメンバーが連名になるみたいなシステムに乗っかれないキャリアを選んでしまったんで、論文リストが増えない。
ちなみに学位取った教員とはいろいろあって仲違いしたので縁がない。
国内会議と国際会議のリストは山ほど増えるが論文がなかなか書けない。
書くのに体重が5kgくらい変動したりする。
たしかに未知の結果を出そうとして計算したり、実験したいするのは楽しい。
でも、論文にまとめようとすると頭がフリーズするんだよ。何かが足りないんだけど、それを頭が拒否してる感じ。
しゅーかつって心病むよね。
おしゅーかつしたくなくて理系来たのに、理系も資格系でなきゃ結構普通に就活するのね。
面倒なのでフェイクもなく言うと化学専攻のM1で、まあ学歴フィルターには引っ掛からんだろくらいのそこそこの大学で、ラボの卒業生のメインは化学業界で総合化学メーカーの研究開発なんです。
まあ定番にそれかなーという思いは8割方あるのですが迷いもあって。
私は本当に研究開発に向いているのだろうか、という迷いがどうしても出る。
今研究室での実験をしまくる生活は超楽しいけれど、とっても好きではあるけれど、じゃあ活躍できているかと言われるとそんなこと無いような気がする。
これも気のせいなのかな?ちゃんと活躍できているのだろうか。活躍という言葉は違う気がする。
学部時代の成績があんまりよくなかったコンプレックスはあって。とはいえ真ん中くらいだけど。少なくともうちの研究室は学部時代の成績はマウント材料になれる。
それなら化学あんまり関係ないフィールドの方が気にせず過ごせるのかな?みたいな思いもある。
首席みたいなラボの先輩に比べると全然知識が足りないなぁみたいな思いがある。
でも今の私の経歴で入りやすそうなBtoBメーカーが他に何なのかは分からない。(BtoBがいいという強い思いはある。製薬や化粧品や食品は行きたくない。入りにくそうだから。)
ほら、いるじゃないですか。ああこの人は研究者向きだわ、みたいな人。うちのラボでいうとWさんとかYさんとか。私そういうタイプじゃないし。そういうタイプになりたかった。
自己分析が足りないのだろうか。足りないって同期には怒られそう。どうやったらいいの???
自分を四字熟語で表すと猪突猛進だな、と思う。実験のかけ方に丁寧さが足りないな、と思いつつどうやったらいいのか分からない。
あと傾向としてはADHD。今日も乗る電車を間違えた。5年も通っているのに。実験も何かミスをしないかとひいこら言いながらやっている。
ラボの中で、ラボの他の人と比較して私が優れているところって何だろう、無くない???愛想がいいところ?そのくらいじゃない??研究開発に要らなくない??
あ、お仕事好きアピールは欠かさず出来るよ!住めば都だと思える力は高いと思うから!僻地に飛ばされても他の人よりは多分腐らずやるよ!あとまあ人並みで申し訳ないけど朝から晩まで楽しくゴリゴリ実験する体力と根性はあるよ!
自己PRが書けない!!学部時代まともに過ごしていないから!!!
実験の何が楽しいって私は計画を立てた実験が計画通りに進んだことに一番快感を見いだす。大体実験は2,3個同時進行でかけるんだけど、反応と精製がいいかんじにどれもストップせず流れている時に一番快感を見いだす。ソシャゲのライフ管理が上手くいっているときと同じ快感。
それで研究開発でいいのだろうか??違うんじゃないか?でもだとしたら何??
あ、そりゃあ分かりやすい成果とか、これは世界で私だけが作ったとか、そういうのも快感ですよ。
上手くいかなかったときの条件検討は未だに得意ではない。過去の事例からのパターンマッチングでやっているからいけないのかな。いや、でもまあ大体こういうのは上手くいきそうな他の論文を見てその通りにやってみるもんだよね。まだM1ならこんなもんだといいな。
私が出した実験データによって他の人の研究が進んだときもとっても嬉しい。
研究室にいるときはこんな実験くそやりたくねーと思いながらやってるけど、他人に実験楽しい?って聞かれたら超楽しいって言う。なんでだろ?
まだ実験が上手くいかなかったときに自分の人格を責めてしまう思考回路は持っている。単純に生きづらいので改善したい。
理系の癖に論理的思考力が弱いのではないか?みたいな思いによくかられる。研究概要がちっとも進まない。
くだぐだ語りました。いつもこういう悩みを言うときも論理的にまとめられない。だってメインは私が不安だということを聞いてほしい、それでできたら君は間違ってないよって言ってほしい。こんな論理的でない女っぽい思考回路が嫌だ。理系の癖に。
いつも思う。誰かにお前はこれが向いているんだからこれやれよって言ってほしい。こういう他責思考は良くないんだろうな。上手くいかなかったときに他人のせいにするから。
キャリアカウンセラーってこういうメンタル的な話って聞いてくれるんだって?ES添削でしか使ったこと無いけど、これ印刷して持っていったら有用なアドバイスくれるかしら。でも会ったこともない学生に「私は研究開発向いていると思いますか?」って言われても困るよな。やはり辞めとこ。時間もったいないし。その分実験しよ。
診断つくほどではないですが、傾向としてはADHDだと思っています。
③授業に出るとき
が主な用途なのですが、これらのときにいつも学生証を持ち歩けないんですね。
一番利用するのは②なので機器分析室で使うUSB等と一緒に小さな袋に入れて白衣のポケットに入れている(それでもたまに袋ごと持っていき忘れる)。でもそうすると授業の時に鞄に移すのを忘れるし、毎日帰りに鞄に移せるわけないから翌朝たまたま一番だと学生証は研究室の中なので他に誰か来るまで開けられない。いままで4-5回くらい警備員に泣きついて開けてもらった。多分覚えられている。恥ずかしい。
私が思い付く最良の方法は学生証二枚持ちで白衣のポケットと鞄に入れておく方法なのだが、まあそれは出来ないので何か現実的な対策は無いのかと途方にくれている。
まだ学生だから笑っているが、これが社員証になったら社会人としての信用が疑われるしどうしたらいいのだ。
「理系。学部卒は意味なし。院いかないと分野の理系として扱われない。」
これ自分のときもいわれてたし就職だって「院にいけば共同研究先に教授パワーでおしこんでもらえる」みたいな徒弟制とコネのかたまりみたいな話が多くて
でも四季報とかみてるとどうみても研究職採用人数のほうが修士より少ない氷河期の夢物語。
「●●企業の数少ない研究職採用は毎年✕✕大学の■■研究室卒修士で全員が占められています。そもそも企業設立者が■■卒なのでアットホームな職場です」みたいなナンセンスな話でもなければありえない。
そんな危険な賭けをするより採用試験して採用後論文でもよませほうが簡単で高効率だよなあ)
そんで院試(冬)への勉強のやる気を出しがてら春~夏に「そちらが四卒でも理系ならばよいとおっしゃるなら」って感じで就活してみたら
ガチ現場ではなかったし学会にもご無沙汰だけど論文は好きなだけ読めるね。
でも今は(文系だけかもしれんが)三年の4月から就活だときくからこんなゆるやかに行けるのかはしらない。
初めてここを使っているからこれで使い方合ってるかわからないけど…
理系。学部卒は意味なし。院いかないと分野の理系として扱われない。
それが当たり前に言われていたし、学部卒で行った人の就職先も研究室も関係ないし実際に専門分野も活躍させづらいところだった先輩がいた。
院で様々な勉強して別の道ってのも元々考えていたけど、遊ぶための大学院って思われるって知ったのが遅すぎた。
…というのが答えになるかな。こだわりはなかったし、研究室入った時点では大学院まで含めて研究やれそうなテーマだと思っていたから尚更当然だった。
同級生がお金を稼いで自分のために使っているというのに、どうして私はお金を出して労働を行っているのだろうか。
今は勉強ができている。自分のペースで、かつ明確な目標と期限設定を設けることができた状態で。とても充実している。
研究室選びは悪くなかったと思う。自分が興味ある分野ではあったし、将来的な展望もあったテーマ設定もできたはずだった。
分野は一般的には情報系と分類される。まあプログラミング関連だ。そのなかでもデータの扱い方に関することをテーマにしていた。
膨大なデータをいかに効率的に処理していくか。そういったテーマになるはずだった。
教授からの内容に関する指摘は全くなかったと言っても過言ではなかった。記憶にない。
何かが違う。そう思い始めた。
結果としてできたものはゴミ。本来のテーマに掠っているのかすら不明な内容が完成した。無価値。
データを処理する以前に、集めたデータについての内容。これじゃない感。
春。データを集めろとしか言われない。これまでも集めるだけだった。
「どれだけ集めたら結果として信頼できますか」
『気にしないでまずは集めろ』
これしか会話していない。なんのためなんだろう。
研究といってもデータを集める。ただこのときは先行研究の手法による処理方法の実践は行っていた。
なので自分のテーマにおける進捗は0。新旧比較の前に旧の拡大分析。訳がわからない。
結果を出すことを、休まずに研究を行うことを、休みを奪われることを、某大学は良しとした。
研究室に気をかけるようにと自分の研究室に近い相談員教授には伝えるとのことだった。匿名で。
匿名でもなんでもない。既に大学院まで進んだ同期はいなくなり、実際にその研究室で活動しているのなんて私だけなのだから。
いなくなった同期は精神病一歩手前で家族に止められたということだった。
私が辞めたことはまだ知らない。今年中に一度連絡しようかな。
大学院も単位が必要。朝9時から講義を受け、夕方から研究。帰るのは夜10時。社畜でもなかなかないレベルじゃないか。
7月には研究をストップさせられ、研究室全体での活動が行われた。
意味不明だった。昨年はなかった。すべてが無理になった。
将来のことを真剣に考え始めていた。
意味不明な満員電車とスーツに襲われ、自分の時間もなく生活する日々。
大学院生活で少しは希望が持てる、そんな幻想を持っていた自分を反省したい。
私は本当に親に恵まれた。これまでも迷惑をかけてきた。なのに受け入れてくれた。
これからのこと。やればできるとは思ってると言われた。これまで学業に関しては苦しんでいなかったからだと思う。
精神的に体調を崩した。太陽が怖いなんてことが本当に存在したんだと感じた。
食べ物に関心がなくなった。外にも出れなかった。
夜中に人気のないコンビニにマスクをして行き、数日分のカップ麺を買って帰る生活が1ヶ月程度続いた。
こんなときはどの病院に行けばいいのだろう。そう考えてはいた。
ゲームする友人数人は事情を知っている。私にも話す相手が必要だった。
ツイッターでは何も言っていない。察されているかもしれないが。
ここまで何も見直しをせずに書いてきた。果たして題名通りの内容になっているだろうか。伝わっているだろうか。
卒業論文の相談をしっかり行ってもらえたら、文章力がついてまた違った読みやすい内容だったのだろうか。
よかったこともある。単位のための講義は今の自分が勉強している分野を教えてくれた。
実際、勉強も楽しいし将来の仕事としたい。この分野で人を支える仕事がしたいとも思っている。
これまでの生活でバイトなんてできていなかった。しないといけない。
無理。新しい人間関係を構築することが無理。
精神的に体調を崩した後遺症なのかもしれない。ちゃんと病院に行くべきだった。それ以外は健康的だと思っている。
研究だけを行っている時間で計算する。夕方4時から6時間。土日は昼から夜までいることも当たり前だった。大体8時間くらいか。
計算が面倒なので少なく見積もって1日6時間*1週間7日*1ヶ月4週=1ヶ月168時間で計算しよう。
時給1000円でも67万2000円。
B「いやーAさん」
A「なんですかBさん」
A「急ですねBさんw まぁ今AI流行ってますからね~。そりゃなりたいですよ」
B「あと東大卒で、未踏スパクリ認定で、競プロ何度も優勝して、最年少准教授で、会社も経営したい」
A「欲張りますね~。めちゃくちゃすごい人ですやん」
A「なんでそこだけ嘘ついたん」
B「最年少でもないんですけど」
A「嘘つかんでええのに」
B「なので私AI研究者やるんで、あなた私を取材する記者してください」
少しの間
A「いや~Bさんは若くしてAI研究者で会社も経営してるってことなんですけども、」
A「いきなりどうした!?」
A「ちょちょまてまてまて」
B「(止まらずに)なぜなら中国人のパフォーマンスは低いから営利企業じゃ使えないからです。資本主義の文脈において、パフォーマンスの低い労働者は差別されて然るべきです」
A「いやまて言うたらまてよ!(ドツキツッコミ)」
B「なんですか急に」
B「いやいやAさん。私がしてるのは差別じゃなくて区別よ」
A「いやめちゃめちゃ『差別されて然るべき』言うとったやんけ」
B「まぁでも私、中国人とは何度も仕事したことあるけど、そうした経験に基づいてもやっぱパフォーマンス低いと思いますけど」
A「急にうるさっ!どういうこと?」
B「AIが『中国人はパフォーマンスが低い』って言ってるからしょうがないの!これはもうAIが言ってることだから!それはもうしょうがないの!」
B「これからはAIが人権を持っていく時代です。『なぜ差別はいけないのか』『なぜ殺人はいけないか』など、当然のように考えている事に一度懐疑的になる必要があるんです」
A「急に難しいこと言い出した」
B「だからAIが差別をしても、それはそれでしょうがないという時代が来るかもしれない」
A「…いやでも私、『AIがそう判断したんだから俺は関係ないね』みたいなの、どうかと思いますけどね~」
B「でました柴田恭兵」
A「関係ないね(柴田恭兵のモノマネ)…って何させとんじゃい! お前もう全然だめ。AI研究者そんなこと絶対言わんし」
A「あ、炎上商法なんか」
B「そりゃそうですよー。炎上商法以外でこんなこと言わない言わない」
A「それ言ってみてーな」
B「寄附講座の宣伝になる!」
A「寄付止められるやろ」
B「企業もメリットたくさんありますよ。まず知名度があがって採用応募者が増える!」
A「差別する奴ばっか来るやろ」
A「それも差別する奴ばっか来るやん」
A「何ドサクサに嘘言ってんねん!」
B「もーーーーーーいい!!(大声)」
A「うるさっ! 急になんや!」
B「どうせ私が悪いですよ。全部私のせいだ」
A「何開き直ってんねん」
A「そんな話いっこもしてなかったやろ」
B「まぁ最後にこれだけは言わせてくれ」
A「なんや」
付き合いの長い女友達がいる。出会いは中学時代で、同じ塾に通っていた女子校の人だった。オタクで暗くて、でもオタクの友達とは楽しそうに笑っていた。部活が同じことに気付いてからは授業が終わった後に軽く話すことも増えた。
頭のいい子だったし、正直言って彼女と話すのは楽しかった。音楽の趣味がほぼ同じだったので、塾帰りに喫茶店で何時間も駄弁ることもあった(流石に親に怒られた)。ただ、自分のことを話しすぎるところと、モテたモテないの話ばっかりは微妙だった。ちなみにその塾は大学受験まで通っていたから、そのうち互いにCDを貸し借りしたり、何回もデートしたりした。
やがてお互い希望の大学に進み、彼女は新宿区の大学へ、僕は青葉区の大学へ進んだ。僕が研究室でド鬱になってるとき、何度も彼女に電話をかけた。彼氏ができたこと、セフレがいること、いろいろな話をしてくれた。あまり女性には縁のない生活だったので、ぼんやりと遠くなっちゃったなと思った。
彼女は文学部から院へ、僕は工学部から院に進んだ。こっちが男どもと酒を飲んだり雪合戦をしている間、彼女は男を取っ替え引っ替えして遊んでいたらしい。お互い研究が忙しく、共通の話題も少なくなった。年に一回電話するくらいの関係になった。
数年前、就職のタイミングで一緒に飯を食った。人生の半分以上を(距離感は絶えず変わったが)過ごした友人はかなり洗練されており、近寄りがたい雰囲気になっていた。最初は今付き合っている芸人の話や家に連れ込んだ後輩の話を延々と聞かされたが、次第に思い出話や音楽の話へと話題は移っていった。人間の核の部分は変わっていないようで嬉しかった。彼女は出身高校の国語教師になるようだった。先生になりたいと何度も聞かされた中学時代を思い出した。彼女とは翌朝まで話し続け、何事もなく解散した。酒とタバコのせいで頭が痛い。どんより曇った新宿駅で、きっともう会うことはないだろうねと話をした。彼女は頷いた。
先週末、彼女から連絡が入った。結婚したことも知らなかったが、どうやら離婚したらしい。日曜に2人で飯を食い、よくあるような話を延々と彼女は話し続けた。どうすればいいかわからなかったのでとにかく僕は聞き続けた。少し懐かしかった。ここからどう思考がジャンプしたかは自分でもわからないんだけど、一旦落ち着いたら彼女に交際を申し込もうと決心した。
その年で教授の退官に伴い研究室を閉じるので、研究室を明け渡すための片付けをしていた。
そうしたら、どっさりとマンガが出てきた。だいたい400冊くらい。確かにこの研究室には誰のものとも知れない山田太郎ものがたりなどがあり、私も楽しく読んでいた。
で、このマンガをどうするかということで、全部売り払って研究室の打ち上げ代の足しにしようということになった。多分先代の先輩たちが少しづつ置いていってこの量になったんだよ、ということで。
なので新古書店の店員さんを呼んで全部売り払い、大体7000円くらいになり、予定通り打ち上げ代の足しにした。
それから何年も経ち、私は当時の研究室の先輩と結婚することになる。
そしてある日、研究室にあったマンガ、みんな売って打ち上げ代の足しにしたね、と思い出話をした。そしたら夫はこう言った。
「ああ、僕のマンガが全部売られたやつね」
私としては寝耳に水である。あれ、先輩たちが置いていったものじゃなくて全部夫一人の私物だったの?流石にびっくりしたが、二人で暮らす部屋を見て思った。壁いっぱいに本棚を置いてその中には商業マンガだけでなく、コミティアやコミケで何年もかけて買い集めた一次創作同人誌もやたらある。私のマンガも多少はあるがほとんどが夫が結婚前から集めていたコレクションだ。多分同人誌だけでも1000冊はありそうな勢いだ。これだけマンガ好きな夫だったら研究室に400冊くらい一人で持ち込んでもおかしくはない。
でも流石に想定外の話すぎてひたすら謝った。夫は「昔の話だしいいよー」と言ってくれたが。
子供ができて、この部屋の本をどうするのか相談した。危ないのでどこかに片付ける、という点では二人の意見は一致していたが、どこに片付けるかが問題だった。
夫はトランクルームに預けたい、と言った。が、私はフワッフワの頭でトランクルームに片付けたらすぐに読むことが出来なくなるし、意味がなくない?などと反論してしまった。そしたら夫は悲痛な表情で決断した。「じゃあ、全部売る」と。
夫の言い分はこうである。
「マンガや同人誌に詳しい専門店に全部売る。どの本も全部大切だから、どれかだけ残すということはしない。今は絶版になってる商業マンガも多いし、同人誌などもう2度と手に入らないものばかりで、そんな貴重な本は捨てるのは忍びない。だから売ってまた誰かが手に取ってくれるのを願う」
私も流石にびっくりして、全部捨てなくてもいいのではと言ったが、一度決心した夫の心は固かった。
そして壁一面の本棚のマンガを全部専門店に送りつけたところ、夫の元に専門店から電話がかかってきたらしい。「これだけのコレクション、もう少しどうにかなりませんか?うちでは処分せざるを得ないものもあるので……」と。夫は「おたくのお店でどうにもならなければどうにもならないのでしょう。処分するものは処分してください」と答えたとか。
なお、同人誌の中には今は商業マンガで大ヒットを飛ばしている作家のアマチュア時代の同人誌などもそこそこあったらしい(特にコミティア勢)。マンガたちは全部で10万円くらいになった。詳しい内訳は聞いていないけど、多分そういう希少本が多かったのだろう。
そして今は子供に配慮した、なるべくおもちゃ以外がない部屋で子育てをしている。
が、あれ以降夫は変わってしまった。毎週2、3冊はマンガを買ってきていたのに、一切本を買わなくなった。ちなみに私は読みたいマンガは電子書籍で買うようになったが、夫はそれもしていない。コミティアにもコミケにも行かなくなった。
私といえば、あの時トランクルームに預けよう、と言わなかったのを心から後悔している。
夫がここまで変わってしまうとは思ってもいなかった。あれから2、3年経つけれど、いまだに夫は本を売ったことを辛く思っているらしい。
夫の趣味の品を勝手に売ったら人が変わってしまった、という話は昔からネットに転がっているけれども、それと同じようなことを私もしてしまった。しかも、2回も。
あの壁いっぱいの本棚に詰まったマンガ達。あんまりメジャーなマンガはなかったけれども、夫が何年もかけて集めてきたコレクション。何気なく手に取って読んでみたら、どれも確かに面白かった。
http://www.phys.cs.is.nagoya-u.ac.jp/~tanimura/time/note.html
今サーバがメンテナンスでみえないっぽいけどめちゃくちゃ面白いね。いまさらだけど。
メタな話をすれば、哲学者側は最先端の物理学者との対談で自分の論に箔をつけて業績にできるめったとないチャンスで、対する物理学者側は正直こんな本が出ても業績としてたいして価値があるわけでもなく、無難にお茶を濁しても誰も何も言わないだろう状況へこのガチなファイターの投入である。(ほめてる)
https://twitter.com/tani6s/status/1193542355975950336
https://twitter.com/tani6s/status/1193542463169810432
心の哲学が何を問題にしているのか、とか全然興味なかったけど、おかげさまで浅いなりに理解できたし興味も出てきた。谷村先生が頑張らなければひっそりと専門書の棚に気付かれることなく置かれてるだけだったかもしれない本だったかもしれず、関係者は谷村先生に感謝しすぎてもしすぎることはないんじゃなかろうか。
ところで谷村先生が指摘した部分というのは、理系の研究者や人間であれば多かれ少なかれ感じていたが言語化するのがためらわれた結果、これまで表面に上ってくることのなかった問題のように感じる。
学生の頃、人文系研究室の卒論と科学系研究室の卒論とを同じ発表会で見る機会があったけど、科学系の教授の人文系の発表への容赦ないツッコミを思い出した。
用語の定義にしろ立論にしろ結論を導く論理にしろ君たちあまりに緩すぎないか?というのが共通する雰囲気だと思う。
科学が発達していなかった昔、哲学は科学がまだ扱えない領域を先んじて論理の力で掘り起こす役目を担っていたと個人的には思う。(谷村先生の期待もこういうものではなかっただろうか。)
だが色彩論でのゲーテのニュートン批判とか、時間論でのベルクソンのアインシュタイン批判とか、科学が哲学に先行して真理を掘り起こした結果、取り残された哲学が宙ぶらりんのままになる状態が19世紀以降は顕著になってきたんじゃねえかと思う。まあ哲学のことはよくわからんのでアレだが。
ベルクソンとアインシュタインの対話の翻訳をネットで拾って読んでみたが、ベルクソンが長く理解しにくい文章で考えを述べる一方、アインシュタインは明晰で短い文章でバッサリと切っていて既視感がすごい(語彙力)
今、AIとか脳科学の研究が進んで、心に関する諸問題も哲学ではなく、科学の俎上で実際に解決される可能性が高くなってきたと思われる。
意識のハードプロブレムとかも、哲学側からの「まだまだ科学に扱えないものがあるんだよ!!」という断末魔の叫びのようにも感じられる。
だが科学は進む。
意識の問題も脳というハードウェア上に構築されたニューラルネットワークの状態空間として科学の領域に取り込まれ哲学の領域はまた一歩小さくなっていくのだ。
地動説で人間の住む地球が宇宙の中心ではなくなったように、進化論で人間が神に作られた特別な存在ではないことがわかったように、有機物が生命の作用なしに合成できることがわかったように、意識もまた特別な何かではなく、我々自身が哲学的ゾンビなのだということを認めざるを得ない瞬間が必ずくるだろう。
キリスト教が根底にある思想は最後まで魂の特別性に拘泥するかもしれないが仏教だと五蘊皆空と思えばどうということもない気もする。
まとまらず終わる。
これは僕の愚痴。身バレしたくないから全部本当の話ではないけど、八割位は真実。
研究室選択をミスった。色々あって人より早い段階で決めなけれないけなかったのだが、大した知識もないまま適当に決めてしまった。あまりいい環境ではなかった。正直大学院を舐めていた。もっと研究に真摯な人たちがいっぱいいると思っていた。甘かった。大学院は自分の意志で研究を選んだ人の集まりなので、例え適当に研究室を選んだとしても、僕を知識でボコボコにしてくれる人がたくさんいるはずだと思っていた。研究室では知識をシェアする環境が整っており、全員が最先端の知識を持っていると思っていた。ろくに調べもせずにそんな環境にありつけると思ったら大間違いだった。
僕を知識でボコボコにするどころか、誰も大した知識を持ち合わせてなかった。ベイズの定理も知らねえのに機械学習やってんのは正気か?
バージョン管理ぐらいしろよ。コピーのコピーはバージョン管理じゃねえ。博士課程にもなってgitも知らないのは何やってたんだ??
トップカンファレンスでなくてもいいけど、論文の紹介をし合う環境がないのは研究機関としてやばくないか?最新の論文をフォローしてないのに最先端を名乗るのやめろ。
正直学生が知識持っていないのはまあ許せる。僕もそんな時期があったし、知識もないしコードが微塵も書けないけどでかい面している先輩が少しいてもいいかもしれない。嫌だが。それより嫌だったのは、研究室が「とらでぃしょなるじゃぱにーずかんぱにー」っぽいところだった。
イベントは参加必須だ。参加しないと教授にあとからグチグチ言われる。欠席すると、「社会性がない」だとか「そんなんじゃ社会に出たときやっていけないよ?」とか言われる。大した知識もない学生が適当にやっている研究の進捗について90分聞くミーティングも参加必須だ。週5回くらいある。馬鹿じゃねえの。
教授は大したアドバイスをくれない。せいぜい変数の定義がちゃんとされてないよ、ぐらいだ。それは全員参加のミーティングじゃなくて個別にやれよ。
毎回教授の雑談とか連絡事項でミーティングは30分位潰れる。時間の無駄だ。チャットツールでやれよ。
ミーティングの資料は全員分(30人位)カラー印刷しないといけない。紙と時間の無駄だ。地球に厳しすぎる。
連絡は長文メールで行う。チャットツールに移行することを打診したが、ミーティングは重要だからなるべく丁寧な体裁で連絡しろと言われた。無駄な仕事増やしてんじゃねえぞ。
メールで連絡し合う文化が研究機関として最悪だと思う。知見の共有の効率が悪すぎる。
一番許せないのが、留学生に対する扱いだ。これは本当に留学生が可愛そうだった。基本的に留学生はあまり日本語が堪能ではない。留学生を受け入れている以上、僕達日本人が配慮するべきだと思う。留学生が過ごしやすい、研究しやすい環境を作るのは僕らの義務だ。
教授は割と最悪で、留学生に対しても90分ミーティングに参加するよう義務付けている。日本語なのに。
殆どの留学生は発表者が何を言っているか理解できないまま90分経過する。そのくせ教授は留学生に意見を求める。もちろん留学生は理解していないのだから、意見なんか出るはずもない。
これについて留学生がミーティングの欠席の許可を教授に求めたが、教授はただ「義務だからダメ」しか答えない。カスが。
他の日本語のイベントの参加ももちろん出席が前提だ。懇親会などに留学生を呼び、参加者に「うちの研究室はグローバル化が進んでいますよ」とアピールする。懇親会に英語を喋れる人間がほとんどいないので、留学生は会費の3000円を払うが、口数は少ない。
留学生の一人は、母国の研究室ではもっと自由な時間が多く、のびのびと研究できたと言っていた。教授がアドバイスくれないのはやばいよ、こんなの日本だけだよと。
僕も留学経験があるので痛いほど気持ちが分かる。自分を成長させるために期待に胸を膨らませてやってきた留学先で、こんなクソみたいな環境は嫌すぎる。
僕が言った留学先では、週一回の教授との個別ミーティング、slackでの知見の共有、2ヶ月に一回くらいの全体ミーティングなど、クソみたいな環境は一つもなかった。のびのびと研究ができ、適切なメンターから適切なアドバイスがもらえる環境が整っていた。無駄なイベントは一切なく、パーティーへの参加が必須なことなんか一度もなかった。
この研究室は空気が悪いわけじゃない。誰もギスギスした空気なんか出してない。みんななかよしだ。