はてなキーワード: Fランとは
繊細で、陰湿で、幼児的で、良い歳して毎週日曜日八時半にテレビに向かう大きなお友達の自分語りを増田に聞いてほしい。
性自認がどうとか、性指向どうとか、そういう話でもないし、素養もない。
両親もよく呆れずに付き合ってくれたと思う。
クリスマス、誕生日プレゼントはバンダイのおもちゃ、寝間着はプリキュアパジャマ、お菓子は全部プリキュア、帰ったら衣装を着て鏡の前だ。
勿論全て親が買ってくれたが、足りない小物は自作していた。
休日に家族で出かける場所といえばプリキュアショー一択だったし、よく最前列で「がんばえー!」と声を張ったものだ。
休み時間の過ごし方というと、同年代の女の子とプリキュアごっこ。彼女たちがプリキュアから「卒業」していくと、低学年の女の子とプリキュアごっこに興じるのが常だった。
プリキュアになるにしても、若宮アンリのようなスタイルの良い美少年なら良かったが、生憎俺は類人猿顔のド短足だ。
美墨なぎさに憧れて、髪を伸ばそうとした時期があった。でも酷い天然パーマがそれを邪魔した。
酷いいじめ、外見と理想のギャップに苦しんだ俺は、中学に進む頃にもなると、立派な醜いオタクの子に成長を遂げた。
熱暴走していた「プリキュアになりたい熱」は強制スクラムして、前々からやっていた女児向けアーケードゲームにずっぷりハマるようになった。
中学校は、行くのをやめた。
行かなくなるまでにも色々あったけど、今は関係ないだろう。
学校には行かずともゲーセンには欠かさず通った俺は、通信制高校を経て、私立のFラン大に自己推薦で入った。
今も、毎週日曜の朝八時半にテレビの前に座ることは続けている。
地デジになって、10チャンが5チャンになっても、プリキュアを、プリキュアになりたいという気持ちはずっと持ち続けている。でも、ひどいコスプレはやめた。
HUGプリは面白い。間違いなく。
若宮アンリというキャラクターの登場はプリキュアシリーズの中でもエポックメイキングだろうし、俺は彼の登場を好意的に受け止めている。
契機は19話だ。
池の平ホテルの「男の子は仮面ライダー、女の子はプリキュア」というCMが放送後に炎上したのも記憶に新しいが……
その回に登場する、恐らくは抑圧を象徴するキャラクターとして形作られたであろう、愛崎えみるの兄、愛崎正人に対して妙な親近感を感じたのだ。
らしさ、というのは重要だ。俺はいくら類人猿の顔をしているとはいえ、ブサイクを見るとブサイクに感じてしまうし、類人猿顔は類人猿顔だし、オタク顔はオタク顔に見える。女は女だし、男は男だ。
人は生まれ持った「らしさ」で生きればいいし、「らしさ」の枠を飛び越せるのは、若宮アンリのような才溢れる美青年くらいのものだ。
そうだな、君にとってはムダかもしれないけどな、俺は人生の大部分をムダにして、らしさに従うのも「賢いやり方」だというしょっぱい教訓を得たさ。
僕は僕の心を大切にする、君は君の心を愛せ?
分かったよ!若宮アンリくん、頑張ってくれ!君は若宮アンリだ!
俺は俺の類人猿らしさで頑張るよ!
彼の振る舞いにはそれに裏打ちされるだけの才能と、美貌と、それに裏打ちされた芯の強さがある。
翻って、俺はどうだ。
プリキュアになることをやめ、のうのうと生きている。悪いくせみたいにダラダラとプリキュアを見続けている。
ひどい人生だ。
俺は若宮アンリと、彼に感化された「少数者を自認する人々」が、正直よくわからない。
そして昨日の42話だ。
増田のプリキュアフリーク達は、「キュアゴリラ」というプリキュア戦士を覚えているだろうか。
お笑いコンビFUJIWARAが出演した、スマイルプリキュア!17話以来、俺は原西孝幸さんが好きになって、彼がプリキュアについて語る番組は殆ど見た。
「あれ、大きなお友達ってさ、ご法度の裏街道を歩く渡世、天下の嫌われものなんじゃないの?」
そうだ。俺はゲーセンでコソコソと女児のなす列に並び、プリパラのED差し替えでニチャニチャ笑い、ネットで陰湿に笑いを共有しようとする徒である。まとめサイトのコメント欄とかでね。
原西さんは娘さんの影響でプリキュアにハマった、ということらしいが、低身長低学歴低収入の類人猿が、家庭を作るなんて逆立ちしたって無理だ。
彼は大きなお友達であることを隠しもせず、プリキュアを芸に取り入れて人々を笑わせている。
そうか、俺は類人猿なのにキュアゴリラにもなれないのか、という落胆と、自分に対する失望だけが残った。
そのキュアゴリラが、若宮アンリがプリキュアへと変身するシーンで現れたのだ。
男の子でもプリキュアになれる、というより、結局若宮アンリがキュアアンフィニに足るものを持っていた、原西さんがキュアゴリラに足るだけの何かを持っていた、というだけじゃないのか?
ステレオタイプに従って生きるというのは、そんなに悪いことなのか?
プリキュアシリーズに共通するテーマである、個性と志向を互いに認め合い、共生していくという取り組みは素晴らしいことだ
しかし、これといった特別な自認も、指向も、笑いの才能も、フィギュアスケートの才能もない、マジョリティの最低層にいる一介の大きなお友達が俺だ。
俺はどうやったらプリキュアになれるんだ?
誰か教えてくれ。
僕は東大を出ている。
社会に出て、色々な人に合う。
東大の発表と見分けつかない。
本当に素晴らしい研究を、名前も聞いたことのないFランがやってる。
というか、Fランとか言う話でなく、普通にその分野ではかなわないし完成度も高い。
初めて500超えた。素直に嬉しい。みなさま、ありがとう。コメント全部読んだ。
いくつかアンサーをしたい。
それは分かってるけど個別の企業にいちいち言及していくと議論が成り立たないので便宜的にこうする他ない。
そもそもこのエントリを書くにあたって念頭としたNTT退職の件も悪しき日本企業慣習について論点が形成されていった訳で、それを前提とすれば同じように外資系と一括りにして議論を進めたところで何にも違和感はないと思っている。
「外資もピンキリ」との指摘があったがまさにそうで元増田で書いたような恵まれた環境ばかりではないし、上司との反りが合わず政治に破れしょぼいポジションに追い込まれたりチームを解体されたり部署がなくなったりする。
でも同じことは日本企業でも当然起こりうるわけで、その時あなたは大人しく社史編纂室送りを受け入れますか、それとも自分がより輝く場所を求めますか。どちらですか。いつもその構えが出来ているかどうかが重要じゃないですか。
結局言いたかったことは何かと言うと、多くの日本企業が前提とする終身雇用・年功序列システムの枠にとどまりますか、それとも労働契約に基づく転職マーケット市場の中で自分のポジションを見出す世界で行きますか。
この二択の中で後者を勧めるために書いている。そういう意味ではすでに日本企業の中にも後者の枠組みに入るグループはある(リクルートやキーエンス、その他IT企業など)。そちらの選択肢ももちろん○。商社は給料良くても前者枠なのでやはり「日本企業」。
国語力が低い人の骨髄反射的反応ですね。あと、建前しか言えない硬直した脳みその持ち主。
日本企業にも優秀で現状を変えたい人は当然わんさかいる訳で中から変えられるならとっくに変わっている。システムが完全に制度疲労を起こしているのだから中から変えるのはほとんど不可能に等しい。
同級生でJRなんかに就職した同期なんかはしょっちゅう使えない・仕事しない40代以降のオッサンや労組の文句を言っている。でも、人数構成比的に変えられる訳なんか無いよね。結局、彼もそのうちアチラ側に取り込まれてしまうことは確実。
じゃあ、どうすればいいのか。その解決策の一つが「労働契約に基づく転職マーケット市場」への移行なのですよ。そういった選択肢を取る人が増えれば増えるほど、ジャパニーズシステムは制度を支える力を失うわけだから変化が訪れる速度がより速まるわけ。
給料を上げたいなら辞めればいい。辞める人が増えれば増えるほど日本企業の待遇も徐々に改善されていくはず。マーケットは最も高いプライスを付ける人によって作られるということを覚えておいてほしい。
説明不足で申し訳ない。年収モデルケースでは新卒10年目まで書いたが、別に同じ企業で働き続ける必要はない。同業種の他企業への転職を2, 3回行っても構わない。中には転職を繰り返して給料を上げていくいわゆるジョブホッパーも多い。なぜ彼らが転職を繰り返すかと言うと、
一つのポジションに長くいると初めは面白かった仕事が段々とパターンへと変化して行くことはどこでも珍しくないと思う。そうすると、自分の成長が鈍化していく(=給料が上がらなくなってくる)ので転職を挟むのだ。そうして新しい経験を重ねてレジュメを良くしていってまた次のポジションを見つけることを繰り返す。
これは難しい問題で結局運。前いた会社で頭角を現して管理職になったと言う他ない。なので、管理職ポストは内部登用でお鉢が回ってきそうになったら取りに行け。逃すと次は中々回ってこずに気づけば40代になってしまう。
確かに今いる環境は結構恵まれている方だと思う。ただ、エリートかと言うと正直そんなふうには思わない。全員が全員スーパースターなんてことはありえない。
分かりやすく学歴の話をここで出すが、東大・京大卒のエリートばかりかと言うと意外にそんなことはない。日東駒専レベルの人も普通に活躍してるし、聞いたこと無いようなFラン卒の人が良いポジションについていたりもする。
グーグルも言っているが仕事と学歴はほとんど関係ないと思う。特に中途採用であればこれまでの経験が重要なので、Fラン大の人でも小さな会社やベンチャーで実績を少しずつ作ってどこかのタイミングで外資に潜り込んで高給をエンジョイしている。
参考: 「これがグーグルの採用術だ!「学歴は関係ありません」人事トップが語る10の鉄則」
一方、新卒は特に実績も経験も無いのでいわゆる良い大学出てる事が多いのは確か。だけど、入ってしばらくすると誰もどこの大学出たか気にしなくなってくるからやっぱり学歴と仕事はほとんど関係ない。
これは事実で外資系に勤めることのデメリットの一つ。会社にもよるが日本法人社長ってのは本社から見れば一つの事業本部長レベルにすぎない。だから、本当にのし上がりたかったら本社に転籍するか、アジア本社(大体はシンガポールか香港か)に行って上がる階段を伸ばしていく必要がある。
だけどさ、日本企業で社長や役員になれる人ってどれくらいいるの?その会社の上位5%もいないでしょ。自分も含めその他大勢は平社員や中間管理職止まりなのだから気にする必要ある?もちろん、やりたい開発や研究がそこでしか出来ないと言うなら外資に行く必要はない。
ぐうの音も出ない。会社の太客引っさげて会社辞めて儲けている同僚もいるし、自分もいつか自分のビジネスを起こしたいと思って少しずつ準備はしてる。まだ、ゴミみたいなレベル。
2年半ほど経ちますが、空前のNTT退職ブームなので便乗しちゃいます。
まず既知の通りNTTグループは社員数約28万人と非常に大きな組織であり、その中で研究所はエリート中のエリートが就く位置にある。つまり上記の方達は警察でいえばキャリア組にあたる方達にあたる。以降キャリア組と呼ばせていただく。
一方で、私は地方のノンキャリア警察官のようなポジションにある子会社(大株主は研究所)出身なので、その分際でこのようなエントリーを書くのはおこがましいかもしれないが、
キャリア組層のエントリーなのに共感できる部分がとても多い上に、すでに [ 10年勤めたNTTを退職しました(無能編) https://anond.hatelabo.jp/20181126192228 ]のようなノンキャリアそうな人(←失礼はご愛嬌)のエントリーもあったりしたのでちゃっかり便乗させてもらう。
データとデー子もこんな感じなのだろうか。ぜひ知りたいものだ。
元々ADHDとして生まれた時点で人生詰んでたのかもしれない。
10歳になる前くらいにADHDと診断された。それから約10年がすぎ、自分は会社員になった。志望業界ではなかったものの、関心がある分野の中でもそこそこ大手グループの企業に入ることが出来た。Fラン卒でADHDの自分からしてみると就職しただけでも奇跡である。
入社先はホワイト企業だった。残業は少ないし、ボーナスはないけれど新卒の割に給与は高かった。自由な社風で名が通っており、社員はWANIMAのように明るい。酒好きが多く、季節ごとにBBQがあるような会社だった。入社前の懇親会で、同期のギャルがエンジニアの社員を陰キャ呼ばわりしていたり、研修でギャルがエクセルのオートフィルが出来ただけで褒められていたくらいしか嫌なことはなかった。同期にどんだけギャルがいるんだこの会社。陰キャの自分は案の定同期から浮いていた。だけど、頑張れる気がしていた。というか頑張るしかなかった。
春の研修を終え、夏の頭に今の部署へ配属された。配属先は顧客対応を主に行うところだった。対面ではなく電話とメールでの業務が多く、いわばコールセンターみたいなものだ。配属の理由はタイピングが速いというところに適性を見出したかららしい。まあ陰キャのオタクだからな。同期にはオートフィル褒められギャルもいた。
結論から言うと、タイトル通り詰んだ。業務が合わなかったという理由が大きい。のちに知ったが、コールセンターはADHDにめちゃくちゃ合わないらしい。それに近しい業務をしていた自分の発達は派手に障害しまくった。
まず電話対応で詰んだ。急な刺激に弱い為、電話をとることすら苦手だった。日常生活でも必要最低限しかしたことがない。また、顧客の話を聞きながら理解し、ご案内をして、かつパソコンで相手の状況を確認しながら手続きや作業をしなくてはならない。マルチタスクの鬼だった。ADHDはマルチタスクが苦手だ。テレビを見ながら歯を磨くのだって難しいのに。電話の音が鳴ると今でも心臓がバクバクする。俺のiphoneはもう何年もマナーモードのままだ。多分、この先一生解除しないだろう。
メール対応はまだ大丈夫だった。ADHDゆえにケアレスミスをしてしまいがちだったが、相手の言い分を理解する余裕もあるし状況を確認する時間も十分にあった。だが、作った文言をチェックされると「間違ってはないけど正しくない」と指摘されることが多かった。頭では理解しているつもりでも、アウトプットが下手だというフィードバックも受けた。一か月後、予定されていたフィードバック自体が自然消滅し、どこがどう間違っているかも、自分が正しいかもなにも分からなくなっていた。
ADHDによる苦しみは他にもある。日中の眠気だ。ナルコレプシーとまではいかないが、ふと急に意識が飛んでしまうことが昔からあった。集中力のなさゆえに起こるらしく、この現象はADHDに多いらしいが原因は不明だ。しかし、仕事ではそんな言い訳は通用しない。その件で人事から呼び出しを喰らった。この頃は実家から約2時間かけて通勤しており、朝5時に起床していた為睡眠不足が続き、睡眠障害に陥っているとだけ話した。往復4時間の通勤中や帰宅後を含め、日に約6時間は睡眠は取れていたが、便宜上こう言うしかなかった。自分が発達障害であるとだなんて言えるわけがなかった。
面談の結果、とりあえず通勤時間を短くすることになり、翌月には会社の近くに引っ越した。そのタイミングでコンサータも服用し始めた。日中の眠気は減り、集中力も上がった。だが、相変わらず仕事は上手くこなせなかった。一方、同期のオートフィル褒められギャルはガンガン電話に出るようになり、メキメキと成長していた。他の同期たちとも仲が良さそうだし、他部署からも可愛がられていた。その陰で俺はコンサータの副作用により食欲が減退し、頭痛にも悩まされていた。与えられた業務はなんとかこなしていたつもりだったが、相変わらずフィードバックはないまま、見えないケアレスミスだけが積み重なっていった。
それでも一社員としてどうにか頑張りたかった。隙間時間に業務の勉強はかかさなかったし、先輩に沢山質問した。顧客の理不尽なクレームやきつい言葉にもなんとか耐えた。複雑な業務にも関わり、謝罪だけは上手くなった。合わない業務も社会勉強のうちだと思うようにした。WANIMAのように陽気にはなれないが、同期とは出来るだけコミュニケーションを取るようにした。過去の資料を読み漁ったり、普段読まない仕事用の自己啓発書を手に取るようにもなった。
しかし、どう頑張れど同期との差、健常者との差は歴然だった。やはり業務が合わないせいか、同期たちに比べ成長は遅かった。それゆえ、何をこなしても自信を持つことができず、面談では上司や人事にネガティブすぎると言われた。成長も遅いしこれ以上業務を任せるのは難しいとも言われ、さらに同期との差が開くようになった。面談のついでに、自然消滅したフィードバックについて相談した。その翌日、なぜか担当の先輩ではな、人事越しに3か月くらい前のミスを指摘された。どうやら自分はフィードバックをしていただけるほどの身分ですらないらしい、とこの時思った。ただただ情けなかった。その日から会社の個室トイレで毎日泣くようになり、社員証で自分の首を絞めるような自傷行為をするようになった。飲酒量も増えた。インポにもなった。そんな不安でクソみたいな毎日が続く中、ある日通勤中に倒れた。救急車の中で会社に欠勤のメールを送った。
うつ病と診断された。身体に異常はなく、ストレスによる腹痛で倒れたらしい。ADHDによる悩みからストレスが溜まっていると言われた。一応会社には報告したが、以前からの睡眠障害によるストレスが原因ということにした。その後、体調不良という理由で単純作業のような業務しか任されなくなった。申し訳なさと無能感に襲われながらもとりあえず一週間働いた。つらすぎて休みの日にODした。ラリりながらも、鼻水とよだれを垂らしながら「死にたい、しごといやだ、やめたい」と子供のように泣いていた。本音の涙を流したのはいつぶりだったのだろうか。
翌週、医師と会社に勧められ一か月半ほど休職することになった。こんなにも嬉しくない休みは初めてだった。寝ても変な夢しか見ないし、食欲はあまりない。貯金もなくなった。仕事のストレスと将来への不安。逃れられないADHDの苦しみ。何より人生で初めてニートになったことが恐ろしかった。
学生時代はずっとアルバイトをしていた。最大で4つ掛け持っていたこともある。働くのが嫌いなわけでもなく、むしろ好きだったくらいだ。たまにケアレスミスはするものの、今ほどつらくはならなかった。必要最低限の電話も出れていた。よく働き、頼りにされることも多かった。
それでも、今の会社だけはどうもだめだった。というか、配属先が悪かった気がする。業務が合わないだけでこんなに苦しむと思わなかったが、簡単な電話すら取れない自分がダメなだけだろう。昔から人並みに物事がこなせなかった。大人になったらどうにかなると思っていたけれど、全然どうにもならなかった。大人になると許されないことのほうが増えた。自分はきっと配属先においての行いが社会で許されるものではなかったのだろう。
ひとつだけたしかなことは、この地獄から誰も助けてはくれないし、誰も救えないということだ。この会社を受けたのも、働くのを選んだのも自分自身である。そもそもADHDということを隠し嘘をついて働いてきたから罰が当たったんだ、と思うようにもなった。ADHDは悪くない、嘘をついている自分が悪い。
休職期間を経て、最近復職した。戻っても意味がないとわかっていながらも、休職により金が尽きたので、医者に無理を言って診断書を書かせた。ほぼヤケクソな状態で働いている。やっていることは休職以前と変わらない単純作業。体調を気遣ってくれているらしい。腹を割って話せる人は誰もいないが、相変わらず優しい人たちが多かった。同期のギャルは立派に先輩たちと業務をこなしていた。休職中も苦しかったけど、復職しても苦しい。職場に戻ってから、出勤するたびに身体中のありとあらゆる内臓がせりあがり、口から飛び出そうな感覚に襲われるようになった。
転職についても少し考えるようになった。職場が合わなければ職を変えればいいじゃない、とマリーアントワネットみたいなことを周囲に言われる。だが自分はケーキの選択肢がない貧民の立場と変わらない。転職も逃げでしかないし、また同じことを繰り返す可能性もある。そう考えると怖くて動けない。会社がブラック企業だったらやめる言い訳も決心もついたのに、とも思う。職場は前述の通りホワイト企業だ。そこのお荷物になっている自分がつらかったし、気を遣わせている職場の人間にも申し訳なかった。申し訳ないまま今も働き続けている。
来年には新卒が入社してくる。それまでに/春までに変わらなければ、どうにしかしなくてはと焦せるばかりだが、何も動けてはいない。昔はどうにかできる、どうにでもなる自信もあったが、今はもうなくなってしまった。今まで何が好きだったかも、何が出来ていたかもわからない。インポもケアレスミスも治らない。将来も見えない。職場でのキャリアも、プライベートも全部終わっている。あと少しで今年も終わってしまう。もうすぐ、23歳になろうとしている。
そんな僕も、なんとかベンチャー企業に内定をいただき、就職することができた。
内定を貰ったあとは、のほほんと過ごして、いつの間にか春になった。
そして、待ちに待った勤務開始日。
どんな日々が待ち受けているのかと、ほんの少しの期待と不安を抱きながら、初出勤を済ませると、いきなり実務を任されることになる。
僕は目が点になった。
「取引先とのメールを読んで、とりあえず真似してやりとりしてみて」
と言われて、とりあえずメールを見てみた。
僕の口からはアニメキャラのような三点リーダーしか出てこなかった。
頭が真っ白になる。
そうだ。言葉を失ったのだ。
まず、きちんとした敬語が使えていない。
メールの書き方を学ぶために、社内のメールのやりとりを見ると、
助けてくれ。僕は心の中で叫んだ。
だけど4月を迎えたばかりだったので、逃げ出そうにもできない状況だった。
仕方なく、いや、ラフでフレンドリーな会社なのかもしれない、とポジティブに捉えてみることにした。
しかし、僕のポジティブな気持ちも、あっけなく崩れ落ちることになる。
上司は名刺交換すらまともにできない人たちばかりだったことが判明した。
上司も僕も、まともな振る舞いができずに、取引先の役員に苦笑いされた。
ベンチャー企業だから仕方ないよね、ビジネスマナーが出来ないのは(笑)そんな雰囲気があった。
ビジネスマナーがあれば、対等に商談をすることができるのに。
僕はもっと死にたくなった。
取引先の方々に、幼稚園児のお遊戯会を優しく見守る母親のような目で見られた。こんな経験初めてだった。
それから、僕は体を壊した。
まず、胃腸が壊れた。そして、夜中に何度も目が覚めるようになった。
僕は過敏性腸症候群になり、通勤中に涙が止まらなくなることが続いた。
気分転換で恋人が連れて行ってくれたテーマパークで、僕は吐き気で動けなくなり、体調不良で帰宅した。
ついに、彼女にや友達といった身近な人々にも迷惑をかけることになった。
会社は辛うじて通えたものの、休日になると具合が悪くなり、何もできない日々が半年間続いた。
電車のレールを見つめると、飛び込んでしまおうかと思う毎日が続いた。
いつの日か、何も感じなくなっていた。そして、大好きな読書もできなくなった。アニメも見れなくなった。
好きなことに一切取り組めなくなった。
僕は趣味も失った。
そしてついに、精神科を訪れることになった。
薬を飲むと、ちゃんと働けるようになったが、僕はまた一つ大事なものを失うことになった。
そうだ。
僕はインポになった。
抗うつ薬の副作用で、彼女とセックスをしたいと思えなくなった。
僕は、趣味も、性機能も全部失った。そして、最後に労働だけが残った。
上司が部下に向かって怒号を放つ様子を、心を殺しながら知らん顔して聞いて、仕事を終わらせ、帰宅する。
僕は、自分に良くしてくれた上司の退職を機に、会社を辞めることにした。
幸い、転職先が見つかり、若干体調は回復の兆候が見られるようになった。
今の僕にはスキルも何もない。
次の職場では、失った一つ一つをゆっくりと取り戻していきたい。
就職活動も山場を迎える季節となりましたが、
そして、僕を反面教師にしてください。
※続編
僕はなんとかやっていけそうだ。
女子浪人生(首都圏中高一貫出身)の地方大学受験だった自分の場合、平日のため父は仕事、頼みの綱だったシフト制勤務の母の「私も仕事あるし」の一言により、親の同伴なしビジホ泊だった。
入学してからいろいろ聞くと、女の子は親同伴がほとんどだった。男の子も親同伴が多数派。基本的に箱入り娘、箱入り息子ばかりなので、どの親も我が子を旅させるのが不安だったらしい。
格安ビジホの一人旅だったけど、旅費を出してくれて、受けられるだけありがたいと思ってたよ。増田には黙っててね、と言ってるんなら、自分の中で折り合いついてるんじゃない?
たぶん平日の話でしょ?時期的に卒業旅行のFラン大学生じゃないかな。真面目に受験してないやつに台無しにされたのは、聞いてる側も辛い。
英語200点、数学200点、国語200点、理科100点、社会200点で計900点あるとして、
最低720点ないと東大は厳しい訳でしょ?
漠然と「自分はよく優しいって言われるから大丈夫だろう」と思ってると、単に自己評価やお世辞、または面倒臭い奴を避けるための方便だったりして、社会だけ5割得点でした、あとは大体1割得点で、計190点、これじゃあFランも厳しいね、専門学校行く?みたいな。さよなら婚活市場、みたいな。
数値化されてないから努力しようにも難しいよ。対策も計画も立てられないし。
美大にしたって、デッサンなり色彩構成なり、めっちゃやったやつ or できるやつだけが合格できるでしょ。
だから、顔面、清潔度、学歴、コミュ力などなど、数値化していこうぜ。
俺たちの天王山は始まったばかりだ!
文句垂れ流し文です
でも勉強なんてしたくない
Twitterも消した、YouTubeも消した、スマホに触らなかった
これはみんなやってることかもしれないけど
原因は自分で分かっている
苦手な世界史の勉強が間に合わなかった癖に今まで勉強してきたから、的なクソつまらない理由で無理やり受験科目に取り入れたから
コンコルドの誤りですね
Fランだし問題くそ簡単だし絶対受かる、所謂滑り止めを1つ受けた
受かった
で、今日気づいた
もちろん、前々から予定は把握してた
つもりでしたね
2回目の試験を受けようと思ってたけど、受けたかった学部に2回目はなかった
ずっと勘違いして生きてきたわけだね
自分って、馬鹿っていうより、自分のこと大切に出来ないんだと思う
精神に問題があるから(自称ではない)死ぬまで苦しみ続けることは、理解できる
明日のことも考えたくない
だって、英作のお願いしてたのに、1文も書けてない
私には書けない
小論も書けない
これ読んでる普通人は、退学とか就職とか若いからいくらでも道あるとか思いませんか??
答えは明確にはありませんが、私には武器がありません
かわりに弱みならあります
弱肉強食を言い換えるとするなら、馬鹿は弱くて頭良人は強いですね
親には怒られるだろうし確実に受かるわけじゃないし
もうどんな道進もうが自分には関係なく暗闇しか見えないわけですが
図書館で空腹でお腹なりそうなの必死で我慢しながら勉強しますね
自分は自分で自分を不幸にしていることを自覚して生きていきます
ここまでお読みくださり、ありがとうございます