はてなキーワード: 大岡裁きとは
大岡裁き。それは我が子を想う母親の心情を巧みに掬い上げた大岡越前守が名裁決である。
白洲に引き出されたは二人の女と幼き稚児。女どもは我こそが子供の母親であると口々に申し立てる。母は己が益よりも我が子の心身を重んじるはずと考えた大岡越前守は、自らこそ子供の母親であると声を上げる二人の女に子供の手を引っ張らせ、まことの母親であれば子供を諦めないはずであると、敢えて真逆の行為をけしかけた。果たして本物の母親はすぐさまに我が子の身体を想い手を離したのであるが、偽りの母親は最後まで子供の悲鳴にも聞く耳を持たずに手を引き続けた。
この、お白洲という非情がまかり通る場所での親子の情を重んじた名裁決は、またたく間に江戸中の評判となった。大岡越前守の公正かつ賢明な裁きに感銘を受けた江戸の母親達は、我と我が子が白洲へ上げられる最悪の事態に備え、こぞって相手よりも素早く手を離す訓練を始めた。はじめは隣近所で集まり細君同士で児戯の如く交流を重ねていたのだが、次第に規模が膨らみ長屋単位で集うようになり、数月経つ頃には江戸の町全体の奥方を網羅した「大岡裁き番付」が作られるようになっていた。
これが大岡裁きの極限競技〈エクストリーム・スポーツ〉化である。
「大岡裁き」の基本ルールについては今更語るまでもないだろうが、念の為、以下簡潔に説明をする。まず試合場にて競技者たる二人の女と奉行所より公正な基準に則って選ばれた稚児が並ぶ。三者が正面の裁き手へと礼をした後、女・稚児・女の並びに移動し、女がそれぞれ稚児の片腕を取る。そして裁き手の号令にて一斉に手を離す。このとき、最後まで手を持っていた方が敗者となる。お白洲に立ち裁き手の最高位たる大岡越前守より御裁きいただけるのは、番付上位のごく限られた存在だけである。
競技化してからの大岡裁きについて、その全貌を余さず語るには頁が幾らあっても足りることはないが、ここではその初期にあった一つの名勝負を紹介しよう。「突き」が体系化されて技法が複雑化する直前の、純粋たる「離し」の名人達による今もなお語り継がれている試合である。
その日お白洲に現れたのは、枯れ木のようにやせ細った女と、それとは対象的に首や四肢にたっぷりと肉を蓄えた肥えた女であった。二人は丸々とした稚児を挟み向かい合うとニヤリと笑いあった。両者とも当代一の達人との名高い見知り同士であり、両者五勝五敗のこれが通算十一回目の試合であった。
枯れ木のような女の腕名は湖越えのちよという。彼女は軽やかに美しい所作により「離す」名人であり、彼女の「離れ」による跳躍は水辺を渡る鷺の如きであったという。ちよのあまりにも優雅な「離れ」を語る逸話には限りがないが、その中で最も有名なものは彼女の腕名となっている湖越えであろう。ある武家の屋敷にて試合を行っていた彼女であったが、裁き手の号令の瞬間にはそこに残っているのは砂けぶりだけであり、その姿はもはや稚児の傍になく、邸内の池を越えて対岸へと着地していたという。池の幅は少なく見積もっても六間(約11メートル)あり、常人ではとても真似することの出来ない幅であった。彼女の跳躍を間近で目撃した御隠居は、もしあれが池ではなく湖であったとしても、彼女は間違いなく越えていただろうと語った。
もうひとりの太り肉の女は箱根のお松という。彼女はちよと異なり跳躍ではなく縮地による「離れ」を得意としていた。彼女の張りつめた四肢から繰り出される俊足は、十間(約18メートル)を瞬きの間に駆け抜けたという。暫し誤解されることであるが、彼女は純然たる江戸っ子であり、腕名の箱根はちよと同じく試合の逸話に基づくものである。彼女が縮地を己がモノにした頃のある試合において、「離れ」の瞬間、大砲のような轟音が響き、試合の場である屋敷全体が震えた。その揺れの源は、屋敷の塀に衝突したお松であった。塀が大きくたわむ程に突っ込んだお松の縮地は常人が捉えられるものではなく、かろうじて越前守の弟子であった見届け役が認識できただけであった。その驚くべき俊足を見た屋敷に逗留していたとある粋人は、仮に塀がなければ彼女は箱根の峠まで飛んでいったであろうと称したのである。
当代一の名人である二人の勝負は一回で終わることはなかった。裁き手の大岡越前守が号令をかけた瞬間、そこには土煙が残るだけであり、お白洲の両端にちよとお松。そして砂煙が晴れてふくよかな稚児の姿が現れるという始末であった。近年ますます加速化する「離れ」の瞬間に、裁き手たる越前守はこれまで辛うじて追いついていたものの、この二人の速度は群を抜いて速く、副審のからくり手の技能を持ってしても勝敗の判別が不可能であった。
土煙が判決の邪魔をしているのではないかと、砂地に水を撒き再度取り直しをさせたが、稚児の両脇に残ったのは深々と空いた丸穴と抉れた足跡だけであった。何度取り直しても決着がつかず、ついぞ判決に困った越前守は奇策を思いつく。稚児を立たせるのではなく二人で釣り上げて、先に爪先が落ちた方がより早く「離れ」た方だと。この日の稚児は二十五貫(約94キログラム)ある恵体であったが、お白洲に立つのは江戸の最高番付の二人であった。両者は再びニヤリと笑い合うと、片腕で軽々と稚児を釣り上げた。ちよが右手、お松が左手。越前守が号令を下した瞬間、先に爪先が落ちたのは右足──即ちちよの方であった。
後年、お松は「あれは稚児の左足が短かっただけであり、離れは同時であった」と語り、自分の負けを死ぬまで認めることはなかったという。この勝負を切っ掛けに「離れ」の主流はちよの跳躍となった。彼女が残した縮地は「突き」において花開くことになるが、それを本人が見届けることはなかった。
次は、「離れ」に対して「突き」の興りを記さねばなるまい。あくまでも原点に忠実に手を「離す」ことを重視する「離れ」に対して、何よりも早く手を振りほどくことを重要視するのが「突き」である。「突く」行為そのものは競技の興り時点から散見されていたものの、体系化されるまでには長い時間が必要であった。
最初期にはっきりとした「突き」の使い手として名が後世まで残っているのが千手観音の桂子と呼ばれる存在である。それまでの「突き」の使い手と彼女の最大の相違点は、「突き」の「離れ」に対する優位であるといち早く看破したことにある。すなわち、「離れ」る前に「突き」押すことで、相手に稚児の身体を押し付けるのである。この発見により、「突き」戦法が大流行し一時は「離れ」が番付から消滅寸前にまでなった。その後、「突き」に対して優位を取ることができる「躱し」が発明され、今に至るまで知られている三すくみ「離れ」・「突き」・「躱し」が完成された。
この篇の最後に「突き」の名人同士の試合を一つ紹介しよう。「突き」手同士の戦いは間に挟んだ稚児を押し合うこととなるため、両側から押された稚児が地に転がることは日常茶飯事で、中には体にかかる力の作用により、大独楽のごとく勢い良く回転する稚児の姿も見られることも珍しことではない。しかし、「突き」の達人同士となれば、人知を越えた奇跡の瞬間が興り得るのであることを示したのが次の試合である。
その日の最後の取り組みは、寅と辰という、うら若き双子の「突き」手の試合であった。二人は千手観音の桂子の孫であり、祖母から直々に手ほどきを受けた若き俊英であった。二人が公式の場で手合わせをするのは今日が初めてであり、観衆は期待を胸に見分け難い二人を見守っていた。
裁き手の大岡越前守の声とともに同時に二人の体が動き、稚児を押した反動で揃って稚児から半間(約90センチメートル)ほど離れた位置にゆるりと着地する。はじめに異変に気がついたのは観衆であった。
お裁きを見守っていた観客の間から「ホウ」という感嘆の声が上がった。続いて興奮を隠せない小声が観衆の間から漏れ聞こえ始めた。その段階に至り、判決を下すのに集中していた大岡越前守はようやく気がついた。彼が注視していた稚児が、まるであやかしに持ち上げられるように宙空へ浮かんでいることに。稚児は宙に「丁の字」を描くように腕を開いて静止していたのだ。
双子が全くの同時に両側から稚児を押したことで、稚児に伝わった力が正中線でぶつかり合い、その力が幼き肉体を地から持ち上げたのである。しばらくの間稚児は宙へ浮き続け、やがて萎れるように地上へと降り立った。その間、双子たちは周りの喧騒に顔色を変えることもなく、裁き手の判決をただ待ち続けていたという。記録には、さしもの稀代の裁き手大岡越前守も、この妙技の前には両者引き分けを言い渡すしかなかったと記されている。
今は楽しくやってます。
去年anond:20220514092559を書いた者ですが、この1年はウマ娘界で色々あったので振り返っておきます。
チームランクはUG5、競技場はクラス6です。もちろん月曜からは降級します。結局この1年間で一度もクラス6に残留できたことはないので壁は厚いですね……(過去最高は1,015,731点)
チャンミは一時期必ずAグループに進出できていたんですが最近は進出もままならなくなってきました。まあでも決勝進出を賭けて一喜一憂することはなくなったのでいいか……。こないだのアリエス杯でチャンミは終わりですが、最終的にカプリコーン杯・アクエリアス杯・ピスケス杯・ヴァルゴ杯でゴールド、アリエス杯・サジタリウス杯でゴールド☆です。プラチナって何それおいしいの? 第2回サジタリウス杯は偶然チョコボンがすごく上振れした結果チャンミ史上初の5戦5勝を体験できました。俺有馬記念向け育成得意かもしれん……(第1回ジェミニ杯のときは長距離育成苦手だったんですが、今はむしろ長距離育成の方が得意で短距離は思うようにいかないですね……まあでもそれが普通でしょうか)
名鑑Lvは129。プレイアブルキャラのうち85人を解放しました(衣装違いはそれぞれ1人とカウント)。初回プレイは割とじっくりやるので逆に先延ばしになってしまって、まだツインターボと(デイリーレジェンドレースで入手したばかりの)ナリタブライアンの育成をやっていないので、育成済みは83人です。うち53人がUG以上(最高はメジロドーベルのUG8)、6人がSS+、15人がSS、9人がS+です。現シナリオによってインフレが加速しましたね……ちょっと前まで大成功だったSSが今や失敗作やぞ……
前回の増田では温泉に行けない仕様になったMNTについて愚痴りましたが、その後のグランドライブとグランドマスターズでは温泉に行けるようになっててよかったですね。ただグラマスはうまぴょい伝説が見れないので不満。あとグラライでの「GIRLS' LEGEND U」のライヴが良すぎたのでそれが見れないのは寂しい。っていうかグラライが色んな曲を聞けてお手軽にいろんなライヴを見れてすごい良かったので正直「ずっとグラライでいいのに……」って思ってました。初回プレイキャラは一度グラライでやってうまぴょい(+GLU)を見てからグラマス、って流れですかね。
ただグラライにも欠点はあり、レース出走が育成の上で何のメリットにもならないので、たとえばキタサンブラックみたいな目標レースが多い娘の育成にはあんまり向いていなかったところ、グラマスはレース出走でも知識が貯まるのでそこは良いですね。逆にメイクラはレース偏重すぎて序盤に出れるレースが全然ないハルウララみたいな娘にとってはネックになっていたので、この2シナリオの良いとこ取りをしたのがグラマスという感じでしょうか。あとやる気管理がしやすいのでゴールドシチーの固有称号「百年に一人の美少女」を獲るハードルが下がってくれるのもありがたい。
そして散々文句を言ってきたメイクラですが、グラライでありがたみに気づきました。三冠制覇欲がめっちゃ薄れたんですよね。アオハル杯までは「なるべく三冠獲らせたいな~」って思って、クラシック三冠とか、それが無理そうなら春三冠とか秋三冠とか、多少スケジュールがキツくなっても何がしかの称号を獲らせてあげようとしていた(そして無駄なレースに出走して微妙な育成結果になることが多かった)わけですが、メイクラでクラシック三冠+春秋マイル+春三冠+秋三冠+エリ女VMみたいなイクノディクタス以上に過密なローテをこなしまくった(三冠ウマ娘兼スプリント王者キタサンブラックみたいな異常個体を作りまくった)ことで三冠制覇に飽きて「なんか別にもう三冠ウマ娘じゃなくてもいいか」みたいな感じになって、結果的にグラライ・グラマスでは合理的な育成をすることができたというか。メイクラを通ってなければここまで達観することはできなかったと思うのでメイクラには感謝ですわ。
この1年間で新しく引けたキャラのうち数名について印象を書くと、
こんな感じでしょうか。おひんばいいよね……
あとネオユニヴァースは引けてないんですけど、デムーロの「人間の言葉を喋れないのが欠点」という台詞から「意思疎通が難しい電波系不思議ちゃん」というキャラ造形にしたのは天才の所業だと思いました。なお某掲示板ではあまりにも一昔前の電波キャラ造形すぎて「電波、届いた?」とか「電気って、なめると味がするのかな」とか書き込むおじさんたちが大量発生しており「おっくれてるぅ―――――――――――――!!!!!!」と思いました(小並感)。
そういうわけで早くサトノクラウンを実装しやがれください。クラちゃん可愛すぎだろ俺の嫁確定ですわ。ぐへへ……ヒシミラクルちゃんとシュヴァルグランちゃんはおじさんとあっち行こうねえ……
これのおかげでタイキシャトルとビワハヤヒデとナリタブライアンを開放できましたありがとうございます。今はタマモクロス開放に向けコツコツやってるところです。
3ヶ月に1回くらいやってくれ(懇願)
顧客が本当に必要だったもの感ありますよね。賢さ☆☆短距離☆☆☆固有☆☆みたいな微妙な因子の水マルが賢さ☆☆☆短距離☆☆☆固有☆☆というレンタル用にちょうどいい感じの因子になったり、スピード☆☆マイル☆☆☆固有☆☆のセイウンスカイをスピード☆☆☆マイル☆☆☆固有☆☆にできたり、とにかく青☆9にならなかったからといって移籍させないでよかった感しかないです。もっと因子レポート持ってるだろジャンプしてみろよオラ。
イクイノックス推しなので去年の天皇賞(秋)はサイレンススズカの幻影と化した世界のパンサラッサ先輩を華麗に差し切る姿に痺れましたし、ドバイシーマクラシックでは差し馬のくせに先頭に立ちノーステッキ&レコードで逃げ切る姿に衝撃を受けました。マルゼンスキーかな? 実況見ててお口あんぐりだったというか。勝つだろうとは思ってたけどあんな勝ち方するとはまさか思わないじゃないですか? そして皐月賞のソールオリエンスもヤバすぎ。直線が短い中山でナリタタイシンより後方から差し切ったとかどんだけだよ。桜花賞のリバティアイランドの差し切り見てすげえ三冠牝馬確定じゃんと思っていたら皐月賞はもっとすごかったという(つくづくドゥラメンテの早逝が惜しまれる……)。やっぱディープインパクトの後継争いは今んとこキタサンブラックが筆頭でしょうか。あとはコントレイル産駒がどれだけ走るのかですよねえ……
そしてメイケイエール……彼女がGIに出る度に高揚と落胆を味わっている……桜花賞からずっと応援してきていて、間違いなく実力はあるのですがGIで勝ちきれない。俺キングヘイロー推してた人たちの気持ちわかってきたわ……。なので今度のヴィクトリアマイル参戦は朗報ですね。とにかく向いてない短距離を走らせてたらGI獲れずに終わるので、どうせ制御できないなら適性に合った距離を走ってもらった方がまだGI勝利の目はあると思います。俺はエールちゃんの秋古馬三冠の可能性を信じてるからな(ガンギマリ)(ikzeの腕ちぎれちゃう)(ソングラインとの鞍上かぶり問題のときにソングとエールで大岡裁きしろって意見があって笑った。大岡裁きは車裂きの刑ちゃうぞ!)
会社でもPTAでもそうなんだけど、とにかくみんな問題が起きたときに上手く収めようと頑張るんだよね。
その様子が「大岡裁きを探そう」みたいになってて、みんな凄い苦労してる。
喧嘩両成敗とか、第三者が介入することで上手く行く、とかそういうのを探してる。
例えばPTAでとある保護者とPTA役員が揉めてたんだけど、どう考えても悪いのは保護者の方で役員は何も悪くない。
それなのに双方が納得がいくような解決策を探してて、結局ずーっと揉めてて、今は校長・教頭あたりも出てきて更にややこしくなってる。
会社でも社員同士が揉めてて完全に片方が悪いんだけど、両成敗とか三方一両損みたいな解決策を探しててずっと揉めてる。
日本人ってそういう大岡裁きみたいなスカッとジャパンが大好きで、できれば自分がそういう解決をして大岡っぽくなりたいっていう欲望を持ってそうに思う。
ところが世の中の揉め事の大半は凄く単純で、大体は引き金を引いた奴が悪いし他の人は全然悪くない。
そんで大岡裁きを探してる途中で口論とかになると言った言わないとかになって余計ややこしくなったりしてる。
あと、三方一両損だって三両落とした奴が原因だし、受け取らないで面倒なことになってるそいつのワガママが一番悪いし
エルサレムのおとめたちよ
野のかもしか、雌鹿にかけて誓ってください
愛がそれを望むまでは
愛を呼びさまさないと。
大学2年生をしている。
キリスト系の大学に通ってるんだけど、神学的な講義がぜんぜん意味不明だった。
なので、一生に一度と思い、聖書に挑戦してみることにした。
率直に感想を述べる。
長かった……とにかく長かったー! ぜんぶで2000ページ以上もあった。
そのうえわたしは、本を読むのが遅い。なので、1ページに平均3分ちょっとかかった。詩編だと2分くらいかな。
なので、1ページにつき3分とすると、2000ページで6000分=約96時間も読んでいたことになる。こんな読書体験は初めてだ。
得られる物はもちろんあった。半年もかかって読み終えたのだ。成果なしでは悲しすぎる。
全文引用はちょっとどうかなと思うところもあったけど、この聖書の発行元は、250節までは引用OKとしている。
なので、この2編だけグサッとまるまる引用する。ほかにもちょっとだけ引用している。冒頭の詩は、『詩編』(追記:雅歌の間違いでした)という閑話休題的な部分から取らせてもらった。(私が持っている)旧約聖書の1052ページに載っている。
子どもの頃、こんな題名のドラマを観たことがあるかもしれない。
放蕩息子のたとえ
また、イエスは言われた。「ある人に息子が二人いた。弟の方が父親に、『お父さん、わたしが頂くことになっている財産の分け前をください』と言った。それで、父親は財産を二人に分けてやった。何日もたたないうちに、下の息子は全部を金に換えて、遠い国に旅立ち、そこで放蕩の限りを尽くして、財産を無駄遣いしてしまった。何もかも使い果たしたとき、その地方にひどい飢饉が起こって、彼は食べるにも困り始めた。それで、その地方に住むある人のところに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって豚の世話をさせた。彼は豚の食べるいなご豆を食べてでも腹を満たしたかったが、食べ物をくれる人はだれもいなかった。そこで、彼は我に返って言った。『父のところでは、あんなに大勢の雇い人に、有り余るほどのパンがあるのに、わたしはここで飢え死にしそうだ。ここをたち、父のところに行って言おう。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」と。』そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。息子は言った。『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。』しかし、父親は僕たちに言った。『急いでいちばん良い服を持って来て、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい。それから、肥えた子牛を連れて来て屠りなさい。食べて祝おう。この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。』そして、祝宴を始めた。
ところで、兄の方は畑にいたが、家の近くに来ると、音楽や踊りのざわめきが聞こえてきた。そこで、僕の一人を呼んで、これはいったい何事かと尋ねた。僕は言った。『弟さんが帰って来られました。無事な姿で迎えたというので、お父上が肥えた子牛を屠られたのです。』兄は怒って家に入ろうとはせず、父親が出て来てなだめた。しかし、兄は父親に言った。『このとおり、わたしは何年もお父さんに仕えています。言いつけに背いたことは一度もありません。それなのに、わたしが友達と宴会をするために、子山羊一匹すらくれなかったではありませんか。ところが、あなたのあの息子が、娼婦どもと一緒にあなたの身上を食いつぶして帰って来ると、肥えた子牛を屠っておやりになる。』すると、父親は言った。『子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。』」
最初は意味不明だった。お前は何を言ってるんだ? そんな気分だった。
さて、解説サイトを巡ったところによると、この掌編というのは――父親を神に、放蕩息子を(いつも罪を犯しがちな)迷える人間に喩えているらしい。
なるほどと思った。イエスの説話にはたとえ話がよく登場するが、たとえ話の中でもたとえを使っているのだ。
神は寛容な存在だ。聖書においても、寛容さが重要な徳であると述べた個所が多くある。
現代社会においてもそうだ。昔に比べると、個人に対する寛容さが求められるようになっている。傍目では愚かに見える行いであっても、当人の意志を尊重する。自己決定権というやつだ(うろおぼえ)。
聖書というのは、なんかもういろいろと今の社会を先取りしているのだ。いや違う、普遍的というやつだ。どんな時代でも共通する大事なことを、ひとつひとつ、じっくりとしっかりと述べている。
イエスは、弟子たちにも次のように言われた。「ある金持ちに一人の管理人がいた。この男が主人の財産を無駄遣いしていると、告げ口をする者があった。そこで、主人は彼を呼びつけて言った。『お前について聞いていることがあるが、どうなのか。会計の報告を出しなさい。もう管理を任せておくわけにはいかない。』管理人は考えた。『どうしようか。主人はわたしから管理の仕事を取り上げようとしている。土を掘る力もないし、物乞いをするのも恥ずかしい。そうだ。こうしよう。管理の仕事をやめさせられても、自分を家に迎えてくれるような者たちを作ればいいのだ。』そこで、管理人は主人に借りのある者を一人一人呼んで、まず最初の人に、『わたしの主人にいくら借りがあるのか』と言った。『油百バトス』と言うと、管理人は言った。『これがあなたの証文だ。急いで、腰を掛けて、五十バトスと書き直しなさい。』また別の人には、『あなたは、いくら借りがあるのか』と言った。『小麦百コロス』と言うと、管理人は言った。『これがあなたの証文だ。八十コロスと書き直しなさい。』主人は、この不正な管理人の抜け目のないやり方をほめた。この世の子らは、自分の仲間に対して、光の子らよりも賢くふるまっている。そこで、わたしは言っておくが、不正にまみれた富で友達を作りなさい。そうしておけば、金がなくなったとき、あなたがたは永遠の住まいに迎え入れてもらえる。ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である。ごく小さな事に不忠実な者は、大きな事にも不忠実である。だから、不正にまみれた富について忠実でなければ、だれがあなたがたに本当に価値あるものを任せるだろうか。また、他人のものについて忠実でなければ、だれがあなたがたのものを与えてくれるだろうか。どんな召し使いも二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」
――ルカによる福音書 16.1-13(16章の1節~13節) P.140
「それはひょっとしてギャグで言ってるのか!?」という、中学生の時に読んだ漫画の台詞を思い出した。
読み始めは、聖書らしい勧善懲悪を期待していた。読了後は、こいつやりたい放題だな! と感じつつ、この物語は何を意味しているのだろう――今度は自分で考えることにした。
こたつ机の上で、通勤途中の自転車で、トイレの中で、サイゼリヤでの雑談中に、神学のWeb講義中に、何度も考える機会があった。
わからなかった。結局。
それで、解説サイトを巡ってみることにした。どうやら聖書のたとえ話の中でもメジャーな作品らしい。
しかし、わからない。どの解説サイトを読んでもしっくりこないのだ。
どのサイトにおいても、「どんなに苦しい状況の中でも、神の国に行くために最善の行動を取ることが大事」と書いてあった。不正にまみれた富でいいので、いつか最後の審判が訪れて、永遠の国に住む時のための友達を作っておくべき、みたいなことが書いてあった。
例えば、主人が召使い3人に、自分が留守の間お金を預ける話がある。3人の召使いの中で、そのお金を資産運用によって一番増やした人が主人に一番褒められていた。お金を土の中に埋めておいた人は、主人の命でそれを取り上げられ、一番増やした人に渡ったうえ、彼は外の暗闇に追い出されてしまう。
(だれでも持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる)
でも、その一方で、「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」みたいなことを述べた箇所が同じ新約聖書に3つ以上はある。
約二千年前に作り始められたわけだから、矛盾する箇所も当然あるだろう。しかし、それにしても不正な管理人の話には納得がいかない。
そうこう考えてググっているうち、こんな本をアマゾンで見つけた。
要約すると、長い年月に渡って聖書が写本され続けた結果、当初は存在しなかった物語や解釈や意図が入り込んでいった、とのことだ。
ならば納得できる。この『不正な管理人のたとえ』の真実は、こうだ。昔、聖書を写本していた権威ある人が、「このネタ入れたら面白いんじゃね?」的なノリで挿入したシュールギャグだったのだ。それが不正な管理人のたとえの正体である――解決。
解説サイトやヤフー知恵袋なんかでこの掌編を肯定している人は、もしかして、あれじゃない? 権威に弱い人なんじゃないか?? おかしいものはおかしいとして、はっきり言わないといけないんじゃない??? と、わたしは思いました。(小学生並みの感想
聖書を読んでよかった。
はっきり言おう(ここイエスを意識している)。わたしにとって収穫だったのは、多くのコンテンツの原典・元ネタであることを確認できたからだ。以下のようなものがある。ネタバレ防止のため、どの作品に派生しているかは原則述べない。
例えば、①エジプトの王宮でのモーセ&アロン VS ファラオの対決時に、お互いの杖を蛇に変えてバトルする場面とか、②サムソンが今わの際に両手で二本の柱を押し倒して数千人を巻き添えにして死ぬところとか、③ペルシャ王クセルクセスが、「王妃エステル、どうしたのか。願いとあれば国の半分なりとも与えよう。」って2回も言うところとか、④大岡裁き(どちらが本当の母親か決めるやつ)の元になった母親2人の諍いの話とか、⑤ダビデの三勇士の一人イシュバアルは、槍のひと突きで800人を殺してしまうとか、サラっと書いてあって思わず吹いた……。
ほかにも、ここには挙げきれないほど多くの漫画や小説やゲームの元ネタに会うことができた。これだけでも読んだ甲斐があるというものだ。
特に、士師記のサムソンには笑わせてもらった。スラップスティック・ギャグコメディの原型が聖書にあったなんて! 高橋留美子も、これを読んで『うる星やつら』の肥やしにしたのかもしれない。
聖書というのは、宗教書というよりは総合文学の書であって、これを基に、その人がどう人生を生きるか考えるきっかけにする、みたいなコンテンツなんだと思う。
聖書は、各編によって色あいが相当違う。格調高く綴られた世界創造の語りだったり、長い旅と王国の繁栄の中で主人公が次々と交代していく群像劇のようにも見えるし、小説上のジャンルはだいたい網羅している(冒頭の詩は兄×妹の恋愛ものだ)し、どんな生き方が正しいのかという論じ合いもあるし、お笑いな感じの喜劇もあるし、いきなり箴言集になったりするし、詩もたくさん出てくる。
ところで、聖書に出てくる神は、その時々によって寛容だったり不寛容だったりする。人によらずとも、矛盾していると感じることがある。
キリスト者を迫害した人や、信心や律法の罪を犯した人を赦す場面もあれば、かの有名なオナンさんはあっさりと殺されるし(彼のしたことは主の意に反することであったので、彼もまた殺された。)、聖者エリシャを「禿げ頭出ていけ」と詰った子ども達42人は、突如現れた熊2匹によって皆殺しに遭っている。
同じ人でもやることなすことに筋が通っていたりいなかったりすることがあるし、理不尽だと感じた運命が後に自らを利するものであることがわかったりするし、法律や常識に反した行動がみんなの共感を得ることだってある。
わたしが若者でいられる時間は少ない。あと10年以内には若者ではなくなってしまう。それまでには、ひとかどの人物になっていたい。今回、半年がかりで聖書に向き合った経験が生きたらいいなと思っている。
最後に、物語の背景を知らなければ厨二な詩としか思えない台詞を書き留めて結びとする。
サタンの弄びにより、死に等しい皮膚病に冒されてしまった義人ヨブの独白の一部だ。
菅義偉首相が創設に意欲を示す「こども庁」について、内閣府と文部科学省がそれぞれ作成した組織案が判明した。水面下では与党の目玉政策に乗じ、新組織の主導権を握ろうとする関係府省の綱引きが始まっている。
新聞や雑誌の風刺漫画に、泣き叫ぶ子供を引っ張り合う2人の親 (和服で顔に内閣府、文科省とそれぞれ書いている) と、その真ん中でどちらにしようか、汗と?を浮かべて首をひねる大岡越前の格好をした菅首相、という絵が載るのが想像されるね。その時、「親」の性別をどちらにするかでもうひと悶着ありそうだけど。「子供のことを第一に考えた『大岡裁き』が菅首相に下せるだろうか」「これにて一件落着とはいかないようだ」とかクソみたいな文章を添えて。
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
---|---|---|---|---|
00 | 193 | 18016 | 93.3 | 31 |
01 | 67 | 6591 | 98.4 | 41 |
02 | 83 | 10247 | 123.5 | 63 |
03 | 55 | 5177 | 94.1 | 52 |
04 | 18 | 1704 | 94.7 | 75 |
05 | 11 | 1350 | 122.7 | 51 |
06 | 17 | 993 | 58.4 | 31 |
07 | 36 | 3569 | 99.1 | 45.5 |
08 | 74 | 4758 | 64.3 | 38.5 |
09 | 108 | 11679 | 108.1 | 40.5 |
10 | 164 | 16963 | 103.4 | 51.5 |
11 | 155 | 13351 | 86.1 | 40 |
12 | 203 | 13128 | 64.7 | 39 |
13 | 118 | 14448 | 122.4 | 48 |
14 | 199 | 12916 | 64.9 | 34 |
15 | 149 | 11374 | 76.3 | 33 |
16 | 229 | 15732 | 68.7 | 35 |
17 | 172 | 14495 | 84.3 | 47.5 |
18 | 185 | 16723 | 90.4 | 44 |
19 | 130 | 8766 | 67.4 | 36.5 |
20 | 135 | 15751 | 116.7 | 35 |
21 | 100 | 10589 | 105.9 | 34.5 |
22 | 106 | 9431 | 89.0 | 42 |
23 | 109 | 10648 | 97.7 | 38 |
1日 | 2816 | 248399 | 88.2 | 39 |
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野党が弱い理由と言われても、そもそもカラーが見えないからじゃないか。
前回の選挙の争点すら覚えてない。
安全保障について、前回の選挙時点で各党どう主張してたのか今ひとつ覚えてない。
親米派対親中派みたいにわかりやすく対立してくれたらいいんだけど、どの党も北朝鮮には厳しく対応とかなんとか言ってた気がする。
消費増税をなにに使うかみたいな話と絡めて。
増税するから新しい使い道とかじゃなくて、じゃあ足りてるなら増税するなよって思ったりしたけど。
実際は足りてないんだから仕方ないけど。
どの党も大学無償化やら、保育園幼稚園無償化やら、付与型奨学金やら、別に対立してた印象はない。
結局のところ、再配分に関しちゃ自民が上手いなあって思ったので、社会保障でも自民。
自民党は、公平でも公正でもないけど、関係者が納得できる大岡裁きみたいなのが上手いって印象。
原発も争点だったっけ?
新規建設じゃんじゃん増殖炉でプルトニウム作ろうぜ!みたいな党は無かった気がする。
なにを争ってたんだっけ?
ジャズミュージシャンの日野某が中学生をコンサート中にビンタした。
たまたま著名人が起こしただけでこういった体罰が問題になることは平成の世になってからでも星の数ほど起こっている。
法律的にも社会のコンセンサスでもアウトである事は分かり切っているはずなのに減ってはいるが無くなる気配は無い。
西洋社会では体罰は絶対悪であり行えば壮絶なリンチすら受ける。
西洋人は知に優れ世間知を尊ぶ社会を作った。知に優れるからそのような社会的には理性に頼らないルールが必要な事を理解し実践している。
エコーチャンバーのような問題はまさに現代西洋社会を象徴している。
世間知の世間の範囲が個人の社会的地位により個別に隔離された結果で世間知が尊ばれている証左だ。
日本も西洋社会を模しているはずだから体罰を行なえば悪であり社会的制裁を受けるはずだ。
しかし日野氏の件にしても同様の理由で体罰を行なった件にしても世間で絶対悪である認識は無い。
私も絶対悪だとは言い切れないし体罰についての議論は紛糾するのが事実だ。
自分だって音楽のプロなら客前でふざけてる中学生のガキをどつきたい。
戦前の日本は全てが知に基づいた社会ではなかったのだ。情に基づく美しさを範とした江戸時代の慣習も当然残していたし現代も消えていないのが今も体罰が行われる証左だ。
大岡裁きは現代でもそこにある情の美しさは否定出来ない。現代日本の社会問題のほぼ全てが知で規定されるべきルールを情や儒が侵犯した結果だ。
日本の方針は今もこれからも日本的な僅かな良いものを部分残してあとは西洋を模倣します、といったもののはずだ。
政府首脳関係者も日本会議とかそっち系のグループに所属しそういった活動を行なっていると聞く。
じゃあごんぎつね作者新美南吉は動物保護団体からゴンとおなじように射殺されるべきだね。動物にだって善意もあるのにどうして射殺されねばならなかったんだ、狐飼いとしては絶対になっとく行かない。ってね。
かわいそうな話を全部なくしたら創作はなりたたない。
かわいそうな話だぞとおもってかわいそうな話を読みかわいそうな子は実際にいなくてよかったけどそれにしてもかわいそうだったなあという感想を抱ける人と、
アレを実地にやってみようと思って実行してしまう犯罪者の間には、
とてつもなく大きな溝があるんだ。
もちろん「みんなのちからで殺してやりたいくらいだれかが憎い」と思うことを増田その他で表現することも、規制されるべきではないけど、
あまり病的な悪意、憎しみを「自分が八つ当たりしている」と意識せずに「たまたま外からよく見えるとこに居ただれか」にぶつけるようなことはしないでほしいね。
犯罪者の言い訳を真に受けたら犯罪者にも五分の魂を認めてしまうだけだし。(盗人にも三分の理とやらは大岡裁き以来の悪癖だと個人的にはおもう)
架空の誰か(たとえばこの作者の作品中に登場するレイパー)が憎い、という議論ならともかく、作家さんは飯食ってうんこして生きている普通の人間なんだよ。
もちろん警察と話し合っていく理性も今回あったわけだろ。
性犯罪者?? しらね。たぶんメシ食ってないしうんこもしないとおもう。
津川雅彦さん
「影響はあるけど、影響を受ける奴は救いようのないバカ」
ビートたけしさん
「じゃあ、なんでお涙頂戴の良い話だらけなのに、一向に世の中は良くならねえんだよ」
http://anond.hatelabo.jp/20161007210354
もう10年位前になるけど、サービス残業の件で当時の勤務先がある東京池袋の労基に行ってきた。
俺は当時の勤め先で主に事務系の中間管理職をしていて、残業は月に30~40時間にのぼったが
残業代は一切支払われなかった。未払い残業代は190万円ほどに達した。
職務上全従業員の勤務記録を把握出来たので、コピーできる資料をあらいざらいコピーして労基に
持ち込んだ。
池袋の労基は定年後に嘱託として働く年配のおじさんおばさん達が相談員として結構な人数がいて
それを現役世代の若い職員が後方でバックアップする形だったのだが、俺の担当をしてくれた男性の
年配相談員は持ち込んだ資料をさらっと目を通しただけで、証拠不足だからこれでは指導できないと
言ってのけた。
約50名ほどいる全従業員の給与明細やタイムカードのコピー、会社側の管理記録諸々を持ち込んでもなお
これでは証拠不足だというのなら、一体どうすれば指導してもらえるというのか、途方に暮れた。
その後、一度は連合を頼ったものの、組合員として様々な政治活動に参加するようしつこく求められたのが
嫌で連合の仲介を途中で断り、結局は弁護士に頼んで裁判所で調停をすることになり、裁判官の大岡裁きで
100万円を貰うことで決着した。
裁判官がこちらの請求の正当性を認めるに至った資料は労基に出した資料とほぼ同じだったから
法律的な要件は充分揃っているにも関わらず労基がサボタージュしたという結論と見て良いのではと、俺は今でも考えている。
最近仕事にあぶれている弁護士が少なくないらしいけど、これからはこれをシノギにがんがん稼いでくれたら良いのではないだろうか。
英会話を勉強して3年くらいになって旅行と日常会話なら支障がないレベルになったのだけど、完了形(have+過去分詞)の使い所が今ひとつ理解できないでいた。
どこそこにいったことある?(have you ever been to)とかなら定型で使えるんだけど、それ以外ともなるととっさにはなかなか出せないでいたのだ。
それが、とあるところでアメリカ人には肩こりという概念がないという話を聞いて、妙に納得できるようになった。
というより、日本語に住み始めたアメリカ人は肩こりになるという話といったほうがいいかもしれない。
例えば、makeの使い方なんかがそうだ。
make sureは今でこそ確認するという意味で理解できるが、この単語が二つならんだだけでは今ひとつ意味が理解できない。
それ以外にも興味深いのはpossibleやleaveといった言葉だ。
is it possible~なんて、普通に考えて日本語では登場しない言葉だし、leave it to me.で”私に任せて”なんて意味になるだなんて言葉からは想像もできなかった。
なんと表現していいかわからないのだが、どれも自分にとっては他人事に思えてしまえるのだ。
そこでひらめいたのは、当然環境も異なるが最も異なるのは言葉ではないかということだった。
それをもとに考えた結果、英語はどの表現もフィジカルなものに対して使われるのに対し、日本語はメンタルを表現する使われ方が多いことに気がついたのだ。
自分は敬虔なクリスチャンではないが、祖母はことあるごとにわたしのことを神様からの預かり物だと話をしていた。
また、懺悔というシステムを改めて考えてみると、間違いを犯しているのは自分ではなく自分の肉体であることが前提になっているようにも思える。
「罪を犯してしまったわたしの肉体をお許しください」といった趣だ。
少なくとも日本では、罪を犯せば人格が疑われる。犯罪に至った心理が掘り下げられ、それによって罪の重さが決められる。
当然アメリカ人においても凶悪犯罪者は厳罰を受けるが、100年を越す懲役はそれこそ肉体そのものに課せられている象徴のようにすら感じられる。
多少ならず乱暴な理論だということは承知した上で、もし英語の概念につまづいている人がいるなら是非参考にしてみてもらいたい。
英語はフィジカルを中心に表現が組み立てられているということをだ。
少なくとも、わたしはこの考え方で英語(または英語圏に暮らす人の考え方)に対する多くの胸のつかえが取れた。
もうすこし勉強が進むとまた違う考えになるかもしれないが。
さらに少し飛躍した考えだが、もし重い肩こりに悩む人がいたら、それは肉体の仕業だと切り離して考えてみるのも手かもしれない。
今期、ニコニコで放送中のニンジャスレイヤーだが、なんと!! 第1話の再生回数が130万回を突破していた。
http://ch.nicovideo.jp/ninjaslayer_animation
第1話だけで、主人公のニンジャスレイヤーは130万回挨拶し、ソウカイヤのニンジャが390万人殺された計算になる。ニンジャのカラテ恐るべしである。
いやスマン。問題はそこじゃないんだ。ニンジャスレイヤーのアニメはフラッシュを使った独特の手抜き風味のアニメーションで、そこが評価の分かれ目となって賛否両論、喧々諤々、大岡裁きも真っ青の真っ二つになっているのだ。
かく言う私は、「お約束のネタ」として面白がって見ているが、再生数には各話ごと1回か2回程度しか貢献していないし、話の中身は1度見れば十分かなぁという程度で流し見してるだけ。脚本としての面白さはまったく感じていない。
みんなはどう感じてるのかなーと気になって増田に投稿した次第。ブログでこんなん書いたら絶対炎上するし。ちなみに海外の評価はアテにならない。海外発症のモノらしく初出も古いのだが、ほぼ日本だけで受けてるモノらしいんだよね。だから、みんなの意見が頼りだよ。