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2024-03-16

anond:20240316172107

経済的犯罪なら金銭による事後的な治癒がある程度までは可能だけど性犯罪は事後的な治癒不可能で不可逆な犯罪じゃん

被害に遭った金銭がその後の費用まで全て戻ってくればの話な。大体は今回のりりちゃんのように既に散財したりして返済不可の場合が多い。

一方的な加害意思以外の理由構成されない、叙情酌量の余地がない犯罪類型な上に、兵士として戦場で戦うよりも高い確率PTSDを患う苦痛が非常に大きく人間尊厳のものを奪う行為なわけだよ

一方的な加害意思以外の理由構成されないのは

詐欺罪も同じで情状酌量余地がないのも同様。

ただ性犯罪被害者と加害者関係によっては

情状酌量余地も認められる可能性はある。

道端でいきなり襲ったとか、脅迫して無理矢理なら

ありえないけどな。

テロ理解するがそれだけで「性犯罪の扱いの軽さ」までは説明できてないと思う

そもそも犯罪の重さは被害個人への

心身的なダメージだけで決まらない。

犯罪に対する結果や、

社会に対する影響や規模や損害額等を考慮しないと

いけない。

仮に被害者へのダメージだけで罪の重さが決まるなら

殺人の方がもっと軽い扱いだろう。

特に親が子供を殺した事件なんかは。

anond:20240316170311

経済的犯罪なら金銭による事後的な治癒がある程度までは可能だけど性犯罪は事後的な治癒不可能で不可逆な犯罪じゃん

一方的な加害意思以外の理由構成されない、叙情酌量の余地がない犯罪類型な上に、兵士として戦場で戦うよりも高い確率PTSDを患う苦痛が非常に大きく人間尊厳のものを奪う行為なわけだよ

テロ理解するがそれだけで「性犯罪の扱いの軽さ」までは説明できてないと思う

2024-02-04

anond:20240204122549

 やはり音楽叙情詩というもの重要だ。これは残念ながらアメリカからは出てこれないサウンドだろうな、と決めつけてはいけないが、やはりやむを得ない事実ではないかと。まぁ、偏見とも言うのだが(笑)。いや、でもやっぱりヨーロッパならではの伝統的な側面だというのはあるはず。殊に英国叙情性というものは他のヨーロッパ諸国のモロに露骨な、例えばイタリアのようなものとは異なり大げさにはならない。それでも深くしっとりと染み渡ってくる叙情なのだ。そんな叙情詩を音にしているバンドの大代表がフロイドだったりするし、キャメルというバンドもその一角だ。

[Mirage]

[Camel]

 1974年リリース二枚目Mirage」というアルバムファーストアルバムCamel」と音楽的にそれほど変化があるワケじゃなく、センスが磨かれたっていう感じかな。音的なものだけで言えばピーターバーデンスの鍵盤が全面に出ているのでどっちかっつうとピコピコ系なイメージもあるんだけど、そこはさすがにキャメルの雄であるアンディ・ラティマーのギターが鋭いところでロックファンの心を刺激してくれるのだ。普通に意識しないで聴いているとこの鍵盤とギター音色の違いを意識しなくなるもん。うん、違うんだけど、多分ラティマーのギターの音がスペイシーでマイルドでおよそギターの感じがしないからでしょ。コードを掻き鳴らして、っていうシーンも多くはないのでかなり特殊かな。

 そうだねぇ、このバンドって凄いのはアルバム全体を通してってのもあるけど一曲ごとに情景が目に浮かぶような音を聴かせてくれるってとこかな。別に解説知識もなくっても音を聴くとなんとなくこんな情景なのかなぁってのが浮かぶ。目を閉じて聴くとしっかりと自分だけのイメージが沸き上がってくるから面白い。このアルバムのコンセプトって何だろな。多分「指輪物語」だと思うけど、それを露骨に明言しないでもリスナーとしてはそういうのをイメージして聴ける。するとまるで映画音楽のように楽しめる。しかラティマーのギター面白い。こういうのを歌うギタリストギターを歌わせることの出来るギタリスト、と呼ぶのだ。しかバンドアンサンブルが抜群。

 この「Mirage」という作品、冒頭から優れた旋律アンサンブルによって歌が少ないのにもかかわらずアルバムとしての印象が強いものになっているんだけど、一般の例に漏れず、キャメル世界最高傑作と呼んでも過言ではないであろう「Lady Fantasy」という稀代の作品を配しているアルバムなのだ。壮大な一大叙情詩が描かれている作品で美しいんだよ、これ。プログレが好きとかキライとかっていうのじゃなくって流れていると心地良くなるサウンドなので聴かない方が損じゃないか?なんて思う。まぁ、こういう雰囲気を望まない時は別に興味ないのだろうけど、ひとつひとつの音が染み渡ってきてねぇ~、良い。ドラマティックな展開ももちろん素晴らしく12分を感じさせない物語♪この延長が後の「The Snow Goose」という素晴らしいコンセプトアルバムに繋がるんだろうな。http://rockcollector.blog31.fc2.com/blog-entry-814.html

2023-12-26

2023秋アニメ適当感想

葬送のフリーレン

アニメ化には期待してなかったけど意外と良かった

さすがにスローすぎたけど(たぶん尺問題

ものって文学的叙情的なの多いけど、そういうものの中では過去クラスちゃんと描けていたと思う

TVアニメでここまでできたら話が変わってくると思うので今後のアニメがより楽しみ

原作既読

 

SPYxFAMILY

いつも通り倍速で見てた

この作品ジャンプでやってるというのが未だに信じられない

個人的に回で当たり外れが多い

アーニャ可愛い、船編よかった

 

呪術廻戦

原作未読

戦闘シーンはちょっとやり過ぎな気がした(MAPPA病)が、全体的には楽しめた

楽しめたが世間ほどではない、商業的には鬼滅の後釜枠にしたいのかもしれないけど弱い

相変わらず主人公だけ作品から浮いてるのが気になる、群像劇に近い

主人公感情移入して見るタイプなのでちょっとあれ

お兄ちゃんの流れ好き

ストーリー自体は好き、原作読もうかな

 

薬屋のひとりごと

これジャンルなんだろう?と思いながら見てた

歴史物かと思ったら推理物で、推理物かと思ったらラブコメだった、じんし様がヒロインだった

絶対自分きじゃないと思ったんだけどおもしろさの底力がある、良質なドラマみたいな

あと美術も演技もクオリティ高いし安心して見れる

設定がリアルファンタジー中間で気になるかと心配したが自分大丈夫だった、人によっては気になると思う

 

陰の実力車になりたくて

安定して面白い

人気芸人ネタみたいになってきてる

ツッコミ不在なのでニコニコで見るのが良い

 

Dr.STONE

原作既読なので倍速で見てる

ここまで長かったしここからも長いけどこれ全部アニメ化する気だよね

ありがてぇ

 

シャングリラフロンティア

こういうゲーム系のアニメってほぼハマらないんだけど

それにしては面白かった

これも地力があると思うし、それを取りこぼさな表現力があった

ゲーム舞台装置に使うんじゃなくて、ゲームのものの楽しさを伝えられてると思う

アニメ化されてそれがより良くなったんじゃないか?他媒体未読だけど

 

アンダーニンジャ

面白かった

構成原作から不評だったっぽいが許容範囲

こういう意味分からん作品いいよね

原作読もうと思う

調べたら案外原作消化してた、2期は期待できないかなぁ、やってほしいが

 

いか

パジャマ回がきたということはそろそろ平和が終わる

 

以下見てない

 

ゴブスレ2期

途中で断念した

嫌な予感がしてアニオリかと思って調べたら原作通りだったから余計に絶望感あった

 

盾の勇者の成り上がり3期

2期でテンション少し落ちたのと、何か闘技場ネタやってたので一旦スルーしているが

評判はいいので年末年始にまとめてみようと思う

2023-10-17

アニオタにも谷村新司をわかってほしい

谷村新司が亡くなった。

せめて少しだけでも、若い人に伝えていきたいと思うので

一曲紹介させてほしい。

まどかマギカ」や「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」、

また富野作品叙情的なところが好きな人の中には

わかってくれる人もいるんじゃないかと思う。

この世が終る時(When the world ends) - 谷村新司 -

ぜひ、歌詞を見ながら聴いてほしい。

大昔の曲だけど、私はSFとして聴いていました。

2023-09-18

創作同人の大半がつまらない理由

別になすわけじゃないが、

創作同人の多くは「絵は好みだが、漫画として面白くないもの」が多い。

理由簡単で、人間を描く解像度が足りないからだろう。

もちろん「つまらない」と思う感情には、

山上たつひこのようなエネルギー

つげ義春のような叙情性といった、

土俗的かつ変革的なものを、創作物に求めてしま自分の趣向も多分にある。

で、「人間を描く解像度」に関していうと、二次創作はすごくハードルを下げてくれる。

二次創作は突き詰めれば、

データベース的な関係性の消費(要するにカプ萌え or 設定改変)に行きつくからね。

読む側にせよ、キャラ役割性格を知った前提で作品を消費するのでイージー

しかキャラ解像度が増す。

まり二次創作は「ファン同士のお遊び」として、あまり前提は必要ない。

だが、一次創作マンガはそうもいかない。

誰も知らないオリキャラをイチから用意する以上、

ソイツの説明から話を始めなければならないからだ。

まあ、創作イラストなら一枚絵で見せればいいので

そんなに説明はいらないかもしれないが、

それはコマを割った時点でマンガとなり、「時間軸」が用意される

そうなった以上、最低限の説明必要だ。

で、その説明をネグって、

単に「カワイイ」を押し出すショートショートも多いんだが、いかんせん面白くない。

それゆえ、創作同人の多くは、身辺雑記などの小品だったり、

起伏が乏しいカワイイ話だったり、どうも身体感覚の乏しい話ばかりになったりする。

個人的意見だが、

それは作品世界の構築を拒否していることに他ならないと思う。

なにより、そうした作品の多くは致命的に面白くない。

コミティアに数年通って何百作と触れて、

永久に大切にしておきたい」「これを読めて良かった」と思えた作品は、

せいぜい片手に収まってしまうのが現状。

結局、創作センスとは(陳腐な言い方でアレだが)

知識経験の組み合わせ方はもちろん、

それを面白く伝えようとする「誠実さ」ありきなんでしょうね。

2023-08-23

anond:20230823132224

アニメオタがあまりついてない作品ということで

ファンタジックチルドレン

監督脚本キャラデザなかむらたかし。由緒正しいボーイミーツガールSFファンタジー冒険活劇風に始まるが・・・

前半はテンポ遅めながら後半の伏線回収に震える。ネタバレ回避して挑んでほしい

上野耕路叙情的な音楽も沁みる

2023-05-15

そもそも日本って今後も存続した方がいいの?

少子化少子化って喧しく、色々議論されてる。

かに国家立場からすれば、国が存続するには国民再生産が不可欠で少子化は大問題なわけだ。それは理解する。

しかし、そもそも自分たち国民はこの国に存続してほしいと考えているんすかね?

選挙にも半分くらいの奴は行ってないし、地方選挙になるともっと数字悲惨なことになってる。

もうこの国の政治とかどうでもいい、よくわからない、頭いい人が適当に考えといて、自分たちは今が楽しければそれでいいから、自分が生きてる間くらい日本が続いてくれてればいいからって奴が大多数なのでは?

なんか当事者意識希薄なんだよね。家事育児を「手伝う」って口を滑らせて妻からブチ切れられる夫くらい当事者意識がない。

そう考えると少子化でこの国が弱くなって、いつか無くなったとしてもそれはそれでお疲れ様でした!ということでいいんじゃないの?

世界史レベルでながめれば、国家が勃興してなくなっていくことなんて日常茶飯事なんだし、日本がなくなっても2000年後の人にとっては、「その昔ローマという帝国があってな…」的な歴史の一事象に我々が何の感慨も抱かないのと同様に、「昔日本という国があってな…」的な歴史上の物語として消費されるだけなんじゃないの?

少子化になると色々問題が続出するぞ!国力が弱まるぞ!国が衰退して他国支配されるぞ!この国がなくなるぞ!と言っても、大多数の一般大衆にはどうでもいい話で、とりあえず自分が生きてる間にこの国がなくなることはなさそうだからいいや的な感じなんじゃないの?

「いや、そうじゃない、この国が存続することにはとてもすごい意味があるんだ!」とか考える人はその辺どういうふうに思っているんすか?

この国は存続すべきだと考える人はなぜそう思うんすか?

選挙にすら行かないその他大多数の一般大衆に、存続すべき意味理解してもらうにはどうすべきと考えているんすか?

「我々の祖先努力して築き上げたこの美しい日本という国を後世にも受け継ぐ義務が我々にはあるんだ」

とか

先の戦争で自らの命を擲ってこの国を守ろうとした我々の先輩のことを考えれば…」

的な感じっすか?

そんな叙情的でふわっとしていて捉えどころのない理屈一般大衆を説得できますかねぇ。自分には無理だと思うんすよねぇ。

もっとこう「今、ここにいるあなたが深刻に困りますよ」的な切実で、切迫した、わかりやすく、目に見えて、においを嗅ぐことができるくらい具体的な理由でもないと一般大衆理解しないと思うんすよねえ。

2022-11-23

anond:20221121233404

これもし

婚約者がいるがホストに恋をした」

だったら「叙情的で良い」とか比較的穏やかな不倫の指摘ではなく、全方面から口の悪い罵倒まみれのブコメトラバになってただろうね。はてな民もまだ「女は叩いて良い」がスタンダード

2022-11-11

マンガ読者歴が90年代で止まってる浦島増田に新旧オススメください

タイトル通りです。下記のようなマンガで育ち、近年マンガを読んでいない浦島増田太郎に「これも読んどいた方がいいよ」「これはきっと好きなはず」というマンガがありましたら、新旧問わずご教示ください。

オールタイム・ベスト×10+1(参考までに。面倒な方は適当に読み飛ばしてください…!)
●『まんが道藤子不二雄А

藤子不二雄は両御大ともに「大好き」では済まされないくらいの敬意を抱いている。ドラえもんより21エモン派、パーマンより劇画オバQ派の自分だが、もっとも胸を熱くして読んでいたのはこれ。「藤子不二雄ランド」(80年代半ばに小学館が行なった復刊シリーズ)でセル画付きコミックス本屋に並ぶのを毎月楽しみにしていた。

●『キン肉マンゆでたまご

メディアミックスの力をリアルタイムでびしびし感じたマンガ消しゴム通称キン消し)にアニメFCゲーム単行本クラスメイトと奪い合って読んだ。ゆでたまご氏の画力ストーリーテリングにおける成長ぶりを主人公に重ねることができる。『ドラゴンボール』同様、作者の力を越えた「神がかり感」にみなぎっていた。好きな超人アシュラマンサンシャイン。新シリーズは未読。

●『こちら葛飾区亀有公園前派出所秋本治

まだ幼かった小学生男子にとって大人世界サブカルギャンブル、酒/煙草)の入り口であり、ギャグ漫画の類でほとんど笑えなかった自分ほとんど唯一声をあげて笑っていた希有な作品。「国宝級」という言葉はできれば使いたくないのだが、この作品には相応しいように思う。60巻あたりで読むのを止めてしまったが、いつか最初から全部読みたい。

●『BASTARD!!萩原一至

僕が中学生の時に鳴り物入りで連載スタートした本作。ファンタジーエロスとオカルティズムが三位一体となって、思春期の扉に射しかかっていた自分暴力的に襲ったハレー彗星の如き作品単行本10巻代で離脱してしまったので(そのうちKindleで続き読みたい)ここに入れるかどうか迷ったが、インパクトの大きさを考えると外すことはできなかった。

●『ジョジョの奇妙な冒険荒木飛呂彦

BASTARD!!』とほぼ同時期に連載が始まったように記憶している。当時の自分が毎週ジャンプを欠かさず読んでいたのは『ドラゴンボール』『魁!男塾』『聖闘士聖矢』ではなくて、『BASTARD!!』と今作のためだった。第3部までは完全無欠な作品だと思っていたが、自分的には4部半ばで失速してしまい、以降未読。

●『瞬きもせず』紡木たく

思春期になって別冊マーガレット別マ)を読むようになったのは、人格形成においてかなり大きかったように思う。が、今でも諸手を挙げて「好き」と言える少女マンガ作家はこの紡木たくくらもちふさこ山岸涼子岡崎京子くらいかもしれない。自分より少し上の世代BOOWY尾崎豊世代)の聖書ホットロード』と迷ったが、今作で展開する田舎の閉塞感と諦念を含んだ叙情性の方が自分にはずっとリアルだった。

●『Kiss+πr 2(にじょう)』くらもちふさこ

くらもちふさこ作品の影響は自分で思っているよりもきっと遥かに大きい気がする。どの作品もあまりに素敵で、生々しく、リアルに感じた。今もくらもち作品を読むと、初心な女学生のような気持ちでいっぱいになる。

●『14歳フォーティーン)』楳図かずお

高校生の頃、コンビニスピリッツで第1話を立ち読みした時の衝撃を忘れることはできない。「恐怖心」というより、新しい世界への扉が開いた時の「カチッ」という音が聴こえたような気がした。たしか最後まで読んだはずなのに、まるで記憶喪失になってしまたかのようにほとんど全て忘却してしまっているところも、楳図作品「らしい」。

●『同棲時代上村一夫

二十代の頃、たしかクイック・ジャパンかな? サブカル誌で知って全巻買いした。悲しくて美しくて愉快な夢幻と、人生において或る時期にしか見得ない美しさにみちていた。昔の詩や文学みたいだなと思った。

●『GOGOモンスター松本大洋

かつてのサブカル女友だちが「あんたは絶対読んどきな」と貸してくれた。その後、彼女とは会えなくなって、返すタイミングを失ったまま20年近く経ってしまった。『ピンポン』『鉄コン』も迷うけど、個人的な思い出もあって本作を選びたい。

●『悪の華押見修造

最近の(?)作家では例外的にほぼ全作フォローしている。楳図かずお上村一夫安達哲の影響を見事に咀嚼し、現代風にアップデートしている感じがした。当初はそこまで凄い作品と思っていなかったけど、巻を重ねる毎に自分にとってのっぴきない作品に変貌していった。連載中の『血の轍』『おかえりアリスももちろん読んでます

***

以上となりますよろしくお願いします。(本当に最近マンガはろくすっぽ知らない浦島漫画太郎なので、批判意見罵詈雑言はなるべくご容赦ください…!)

※※追記1※※

さっそくオススメありがとうございます。『キン肉マン 無量大数軍編』、ジョジョ4部続き、『深夜食堂』『かくかくしかじか』『ハチクロ』『犬夜叉』『吸血鬼すぐ死ぬ』『着たい服がある』『スキップローファー』『ヴィンランドサガ』『アクタージュ』『ハコヅメ』『SPY&FAMILY』『マイ・ブロークン・マリコ』『A子さんの恋人』読んでみますオススメリストもありがたいです。

※※追記2※※

チェンソーマン』は知人に薦められて、DMMセールで一気に買って読みました(すみません、書き忘れてました)。なかなか面白く、第2部も読んでますが、正直、そこまでハマれませんでした。『タコピー原罪』も読みました。これもなかなか良かった。デスノートバクマンも全巻読みました。鬼滅、呪術廻戦、東京リベンジャーズは未読です(たぶん好みじゃないだろうと決めつけていました)。ハンターハンターはあまり読める自信がありません…。薦めて頂けると読むモチベーションがぐっと上がるので、引き続きよろしくお願いします!

2022-08-19

anond:20220819124303

オタ同士いままでは仲良く(?)していた、という経緯があって身内だからから見える範囲で最大限の言い訳を用意してあげてるだけ。

実際の加害者本人はもっと邪悪なことをしているっていう文脈なんだし、ASDは叙情酌量のためにつかわれてるだけであって殴られてはないよ。

障害者からといって加害者と同じにみられたとおもって悲しむ必要はない。

君も引用しているとおり「実は単なる性癖だろな」だってことはみんなわかって話してるわけで

(ただ、被害者ASDと名乗っていて、にもかかわらずわりと常識的ヒステリックにもならずに対応できてる(引用主がそうやってるだけかもしれんが)。

それにくらべてもっと常識外のことをしでかしている加害者非常識ぶりは余計に目立ってるので連想でこいつもASDではといわれてるだけ。

しかりにそうであっても、サークルという場では全部自己責任複数回事件責任加害者本人にしかない)

 

ちょうどこのタイミングから例えるけど、ある弱者男性元総理を殺したとき

世間に見当たるなかで最大限の言い訳「巨悪統一教会」をご用意されて二世叙情酌量のためにつかわれたからといって

他の宗教二世は悲しんでないだろ、むしろ出版とりやめになった二世トーク出版されて喜んでいるよ

2022-07-22

多根清史id:bigburn)、お前ライターとしてセンスないよ

快挙!日本代表ZETA世界大会日本勢初のベスト3(平岩康佑)

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/byline/hiraiwakosuke/20220423-00292734

bigburn 最初から何のことかさっぱりわからない記事で(Valorantが何かぐら説明しようぜ)日本eスポーツ根付かない理由が少しわかった気がする


感動をパッションで伝える場合説明的な文章は興を削ぐってわからない?

日本時間23日早朝、VALORANTの世界大会「2022 VALORANT Champions Tour Stage 1 - Masters Reykjavik」は大会10日目をむかえ…」

一行目を読めばわかるが、物語の続報として書かれてる。一から伝える記事じゃない。

ZETAの偉業を、eスポーツが好きな平岩康佑の視点で、現場出来事を詳細に語る。

そういう小説的な文章に「VALORANTとは5v5のFPSで…」とか、「FPSとは一人称視点シューティングで…」とか、

初歩的で辞書みたいな文章はいらないわけ。テンポが悪くなる。

セカンドマップ相手の選んだヘイブン」

文中のこういう記載からして、平岩に一から説明する意図はない。

イブンの意味がわからない読者相手でも、何かスゴいことが起きてる、と想像させることは可能だ。

ダークホース日本代表世界大会活躍した」

これはVALORANTに限らず普遍性あるテーマから、細部を語って全体を伝えれば良い。

全体像が掴めない素人相手に、細部の描写で全体をイメージさせるのもライターの力量だ。

読者の方だってお前みたいなノータリンばかりじゃないんだから想像で補って読むくらいできるわけ。

スポーツ出来事なんで構造が大体決まってんだから

VALORANTを既に知っている者、知らなくても情熱を読み取って共感してくれる者、

そういう人たちをターゲットにしてるわけだ。

理解させるのが大事からと、単語説明から一々するならWikipediaでやればいい。

話題ロックバンドであれVTuberであれ、当事者情熱に任せて書き殴った配慮ゼロ文章は、

からない箇所を飛ばして読んでも面白いもんだ。


叙情的な文章説明が足りてないとかなんとか、添削することしか頭にない奴は、

パッションを感じ取るセンスがない馬鹿読者だ。

で、多根清史id:bigburn)の更に駄目な所は次の一節。

日本eスポーツ根付かない理由が少しわかった気がする


正直に「平岩記事が気に入らない」と書け。ダサすぎ。

平岩記事にVALORANTの説明がないことと、eスポーツの普及にどう相関性があるんだ?

VALORANTは、さいたまスーパーアリーナを埋めるくらいに人気があり、

APEXなどのFPS中心にeスポーツ日本根付いてるんだが?

お前みたいな意見感情論っていうわけ。

eスポーツとりま日本の現況を分析せずに、感情に身を任せて「これだからダメ」と結ぶ。

Twitterプロフに「フリーライター」とあったが、お前廃業したら?


それと、こんなコメントスターが多数付く辺り、やはりはてブユーザー連中は気色悪い。

日本の、日本人による功績で国内が盛り上がってる中、些末な要素で揚げ足を取り、冷やかすことに精一杯なんだから

2022-06-06

追記あり子供の頃、西原理恵子ファンだった思い出。

西原理恵子について、思っていたことを適当に書く。ちなみに私は1985年まれ東京僻地ぬくぬくまれ育った軟弱な人間

今手元に本がなくて時系列は間違ってると思うからその辺はいい感じに脳内保管してくれると助かる…。

西原理恵子との出会いはもうよくおぼえていない。多分ダヴィンチとかカルチャー誌に載っていたのを読んで興味を持ったんじゃないかと推測している。

はいろいろあって学校に行けない子供だったので、午前中に図書館に逃避し、そこで西原理恵子の本を借りたり、その帰りのブックオフお小遣いで買ったりしていた。なので、売り上げに貢献していない読者だと思う。本当にそれは申し訳ない。

話を戻すと、最初に買ったのは「まあじゃんほうろうき」だったと思う。何故これだったかというと、単純にブックオフで全部100円で買えたから。

中学生くらいの私(今から22年前だ…時間の流れ怖っ)にはめくるめく世界だった。一気に西原漫画に夢中になったし、彼女が大物とも臆せず交流する人間的魅力にも惹かれ、私も大人になったら雀荘で夜通し麻雀をする大人になろうと思っていた。

尚、36歳現在麻雀はできるが雀荘には一度も行ったことがない。

その次は「鳥頭紀行」に衝撃を受けた。なんだこれ。大人になったらこんなジャングルかにも行けるのか。幼少期から旅行記好きの私の心はがっちり掴まれた。

私も大人になったら世界中を飛び回りたい。しかお酒が美味しそう。西原は良い仲間に恵まれてて羨ましい。でも、それは本人に魅力があるからだろう。私も西原みたいな大人になって、楽しい仲間とさまざまな国でお酒を飲んでみたい。心底そう思った。

尚、36歳現在海外には一度も行ったことはない上に体質で酒は一滴も飲めない。

病気高校には行けなかったが、年齢が上がったことでネット環境を与えられ、もう時効だと思うから白状するが私は体調の良い日はブックオフで「せどり」をして小遣いを稼いでいた。そのお金で、西原の本を揃えられる限り揃えはじめた。

「ちくろ幼稚園」にはじまり「ゆんぼくん」「ぼくんち」などの叙情系を読み、「あの破天荒西原がこんなに繊細な漫画も描けるのか!!」と素直に才能に感心したし、それまでの彼女人生に思いを馳せたりもした。

その他、著作は書ききれないほど(この時点で2000年くらいかな)あったが、どれも思春期学校に行けず友達を作る機会もない私には輝いて見えた。こんな大人もいるんだという、一つのロールモデルとして彼女は私の中に刻まれていた。

もちろん、西原にはなれないのはわかっていた。それでも、世の中にはいろんな人がいる。そう思えるだけで、世界はいくらでも広がっていく。

そんな私が潮目が変わったと感じたのは2001年の「西原理恵子ブレークへの道」あたりからだと思う。既刊をあらかた買い読み尽くし、関連人物書籍も一通り読み終え、とうとう私はリアルタイム西原を追いはじめた。この頃はまだせどり可能で毎月一定の額を稼いでいた私は、とうとう西原の本を定価で買うことができるようになる。

少しそれるが、西原漫画コミックというより書籍扱いなので一般的漫画よりページ数が少なく、高い。

なので、いくら稼いでいるとはいえ(体調の良い時しかできないしな)合計しても小遣い程度の私には定価で買うのはまあまあ大変な額ではあった。でも、西原のことは信頼していて、躊躇うことはなかったと思う。

なのに、ちょうどこの頃の新刊あたりから内容がどこに向かっているのかよくわからない本が多くなった気がした。

加えて、2002年新聞連載をはじめると、必然的家族話題が中心になる。

私は西原作家としては信頼していたが、人間性まで盲信はできなかった。確か、「人生一年生」(1号か2号か忘れた)の中で安野モヨコが「西原漫画は好きだけど、友人として近づきたいわけではない」という旨のコメントをしていたのがすごく心に残った。

そうなんだ。西原漫画家としては才能があるけど、だから人間性もすべて素晴らしい人ではない。魅力的ではあるが、何かが欠けている。それが欠けているからこその魅力であり、埋めてしまうと彼女漫画を描けなくなってしまう気がする。

そういった私の中の西原への印象を、端的に言葉にしたようなコメントだと思った。

そこから新聞連載は興味があまりなかったこともあり、新刊を時々は買うものの「何か違うな…」と思うことが多々あった。おそらく、それは私が目まぐるしく成長していた時期だったからだと思う。

私の西原への熱量は冷めていき、一応情報を追ってはいるが興味が持てなくなっていった。

映画化絵本執筆

それは華々しいが、私が西原の魅力と感じていた部分がそれによって表せていたかというと疑問だ。

「大体、絵本とかで良い話描く際に必ず草原に青い空って手抜きじゃね?」

というくらいに、この頃から私の中で西原は「青い空の下草原をバックに良いこと言う作家」というイメージに変わっていった。漫画だと手抜きも笑えるけど、良い話、しか絵本になると「それでいいのか?」という気持ちになるから不思議

更にだんだん文化人枠に入っていくのも不思議ものを見ている感じだった。新聞連載は最初ちょっと読んだくらいなので、「良い母」としてCMに出る西原不思議な感じがした。だって西原ってあんなにめちゃくちゃやってる人なのになんでこんな綺麗にコーティングされているんだろう?

無頼派新刊も、かっちゃんマネー頼りの内容が多くなり、金で解決するオチが頻発して食傷気味になっていた。

そして20歳を超えた私は、新刊を諦めかつて夢中になっていた既刊を読み返すことにした。

しかし、それを読む私は確実に昔より成長していたらしい。

西原の本に出てくる友達男性ばかりで、特に仲の良い人はおそらく恋人だ。頻繁に出ていた人が急に出なくなるのは、きっと別れたからだろう。そう思った。そしてあんなに友人が出てくるのに、女性の友人は数えるほどしか出てない、もしくは出てもすぐに出なくなる。

それまでも、西原の本の内容が「嘘」であることは欄外などに語られていた。でもそれは面白くするための嘘であって、自分をよく見せるための嘘ではないんだろうと勝手に思い込んでいた。

しかし私が大人になったのか、女性の友人があまり出てこない事実に気付き、いろんなメッキが剥がれていった。

そして惰性で書店に行くついでに新刊をめくると、息子と娘の扱いに差がある気がする。

親との確執特に露骨に弟を贔屓し全肯定するのに私を全否定する母親との確執がある私にとって、それが気になった途端、新刊を追うことはできなくなった。

それ以降は聞き齧りなので本当に時系列がよくわからない。

とりあえずかっちゃんとの交際が公になったまではまあ「ふーん」と聞き流していたが、その後のMXテレビでの女性発言をかっちゃん解決してもらうところはすごく悲しかった。

なんていうか、それまで強い男に媚びてのし上ってきたんだろうなと気づいてはいものの、なるべくそこは見ないようにしていたのに、鼻先に思い切り突きつけられた気がして。

それでもまだまだ西原アル中鴨ちゃんを看取りシングル子供2人を育てた良き妻、良き母。かっちゃんとの関係はまだ女を捨てていない素敵な関係。そういうイメージ媒体を見るたびに悲しくなってしまった。そこには、私の好きだった西原が小さくなっていて、よくわからない素敵そうなものが大きな顔をしている。そういうふうに私には見えた。

とどめを刺したのは、「女の子が生きていくときに、覚えていてほしいこと」だった。

私の中で、女性作家若い女性に向けた提言本を出すと、それはもう終わりの始まりだという謎の思い込みがある。

(男性作家にも一部そういう人はいるが、どういうわけか面白く書く人もいて、この辺はいつも不思議。要するに成功した男性ロールモデルは数種類いるのに対し、成功した女性ロールモデルは種類が少なく画一的からだろうと思っている)

結婚子供を産んだ。金も男も手に入れた。確かに、そういう意味西原に憧れる人もいるんだろう。そして、この本が響く人もいっぱいいるんだろう。

でも私は病気学校に行けなくて、どんなに頑張っても今の世の中だと普通に働いて結婚して子供産むとかすごくハードなことで…。そんな私のコンプレックスなんて西原にはなんにも関係ない。でも、かつての本には弱者への目線も書かれていて、その人たちを笑わそうと体を張っているすごい人だと幼い私には見えていた。

それだけに、いわゆる「成功した作家」が提言本を出すのが、私には作家として何かを手放しているように思えて仕方なかった。

そんでもって相変わらず「青い空の下草原をバックに」表紙だしな!

(別に丁寧に細密な絵を描いて欲しいわけではない)

これ以降は別に私が書くことではない。

ない、が、娘さんの告発を見て、「やっぱりなあ…」と思ってしまった。

家族のことを部外者がとやかく言うのは下品だと思うので差し控えるが、著作を買っていた私は娘さんを追い詰めた側の人間だと思うので、今後どんな形でもいいか彼女が満たされ幸せに生きていって欲しいと素直に思う。

それはそれとして、西原ならこの騒動あの手この手マネーに変え、何故か感動のラストに持っていくのでは…と危惧している。多分、この予想は高確率で当たると思ってしまうのがすごく悲しいことのように私には思えるが、西原には西原なりの大切なものがあるんだろう。今の私にはよくわからないけれども。でも、私は娘さんを追い詰めた加害者なので、その顛末を見届けないといけないと思う。だから、少しでも娘さんが救われる顛末であって欲しい。ここでこんなこと書いてもなんにもならないけどな!

今までお気持ち表明って冷ややかに見ていたが、自分で読んでも気持ち悪い文章になってしまった。

高かった熱が冷めれば冷めるほど、人は気持ち悪い文章を書いてしまうのだろう。

それでも、私は一時期確実に西原漫画を読んで生活が潤っていたし、その潤いがなければ生きてこられなかったと思う。

なるべくそのことは忘れないよう、これからも生きていけたらいいなと思い、私は明日行きたくない会社に出社してやりたくない仕事をするだろう。おしまい


追記

男性に伝わるか私にはよくわからないんだけれども、大体の女性にとって「やたらとわかってる風に振る舞う男性友達ばっかりで同性の友達がいない女性」ってなんか言動とか価値観?とかに違和を感じていて、直接的だったり間接的に嫌な目に遭うことがままある…気がする…あくまで私の周囲の女性意見だけども。

(そういう女性男性はいい顔するので、例の「女の敵は女」という言葉が出てきがちだ。そりゃ被害に遭わなきゃ女性だって高みの見物できるだろうと思う。往々にしてその手の女性好戦的なのがめんどい)

とりあえず愛ちゃんアシスタントだし、はせぴょんとか中瀬ゆかりさんはビジネスだろう。「毎日かあさん」のママ友の話はほぼ創作(むぎちゃんだっけ?あの人は多分いない)らしいので、若い頃の同性の友人の話も聞いた話を適当に盛ってほぼ創作なんじゃないかなと思う。

とにかく言いたいのは同性の友人がいないことは悪いことではないと思うけど、同性の友人がいない人が娘の母親としてどう振る舞うかというと…ということを言いたかった。

まあ、ぶっちゃけ私の母親がそういう感じなんだって話でしかないけどな。

追記2】

作品ファンだったと思うのが健全で、作家ファンだったと思うのはちょっと違うと思った方がいい、みたいな意見はすごく真っ当な意見だと思うし、私もそういう風に考えたいと思う。

でも、西原をはじめとした自分身の回りノンフィクションエッセイとして作品を発表する作家はある程度作者の魅力込みで読者がファンになる特殊ジャンルかなとも思う。

(さすがに盲信するのはどうかなという気がするし、きっと完全フィクション作家ならみんな簡単に割り切れるかなと)

そういう特殊で業の深いジャンルであるが故に、今回の娘さんの話題で様々な意見が出るというのが問題?の本質かなと私は思ってる。だからこそ、今後また西原が今回の話題も何かしらの作品昇華してしまいそうで怖いなと思っている。

(作家としてはそれが正解なんだろうけど、それ故に残酷というかあまりに業が深すぎる職業というか)

追記3】

今ざっくり自分文章読み返してみて、多分初期の方が弱者への視点が感じられ、更に作者本人が体を張って笑いをとりに行く様が魅力に感じられたように思う。

そして、よくある話ではあるが金や権利を手に入れたあたりでその魅力が感じられなくなったのかなと。

多分その魅力は彼女の中にまだあるはずだけど、今の状況だとそれで作品を作るのは難しそうだ。それはとても困難で手間がかかるし、素敵な女性として楽にいい感じの本出した方が売れるだろうしね。

追記4】

他の人の西原への感想などが読めてとても嬉しいです。もっと読みたいので書ける人は書いてくれるとすごくすごく嬉しいです。

しか新聞連載以降の作品ファンがあまりいないので、あの辺の作品を買った層と初期の作品を買っていた層はまったく違う層なのか?と新たな疑問が出てきた…。「上京ものがたり」あたりは私も結構好きでした。特にラストはすごく心に残っている。

追記5】

追記多いのマジで気持ち悪いな。でも本文から気持ちいからなんかもうええわ。

友達の多い少ないは少なくともこの文章においては問題ではない。実際私も学校行ってないか友達少ないし。そしてそこを語りたいわけではない。

では何が私が引っかかったかというと、私がこの文章を書いた発端が彼女の娘さんの文章を読んだこと。

何度か男性友達は多いのに同性の友達がいない、少ない女性と接した経験から、そういう人々はとても男尊女卑であると思った。要するに、大勢男性と親しくできる自分は「名誉男性」であり、同性とばかり親しくする女性を格下に見ている。そして、人間を上か下かでしか見られず、他人自分と等しい存在だと捉えることができない。男尊女卑は対男性には伝わりにくいが、対女性にはすぐ伝わってしまうので対女性とはトラブルが多い。

そういう男尊女卑内面は奇しくも本人が言う通り、男尊女卑のまかり通る環境で生まれ育ったことも関係あるのかもしれない。

(でも、そういう環境で育った人がみんなそうなるわけではないけれども)

そして重要なのは、ここが問題点なのではなく、本当に重要なのはここから

本人が自覚あるかないかに関わらず、男尊女卑思想のある女性男の子女の子を産んだ場合女の子にはどう接するだろうか。

ここからは私の知り得るところではないので差し控えるが、自身母親と照らし合わせると自ずと見えることが無きにしも非ず。

それはそれとて、そういうことを考える私もまたすごく嫌な女だということは間違いないだろう。

自分の周辺にそういう女性に心当たりがないという人はとても良い環境に恵まれた人だと思うので、それは自身の人柄によるもので、すごく誇っていい尊いことだと私は思う。

追記6】

私がこの文章で書きたかたことは、西原理恵子という作家の業と私という読者の業、そして何より娘さんについて。

なので差別云々というのは私の文章力とか私の考え方に問題があるのは前提として、それを除けばここのコメント西原理恵子という作家や娘さんのことを触れないのは片手落ちに感じる。

(もちろん、100文字という制限がある以上それは仕方ないとは思う)

そして、私はその業や娘さんに関係ないことはこの文章の中で書く気はないし、責任もとる気がない。

私は誰しもどこかに他人差別してしまうところがあって、多分そこを言及されていると思うけれども、他人に「絶対差別するな」って押し付けたり、「自分絶対差別してない」って言い切る人は理想主義過ぎて少し怖い。

から、その辺が気になる人は、自分でそういう差別についてのエントリを書く方が満足できるし有意義だと思う。

追記7】

差別が〜って言う人は西原漫画読めるのか…?とずっと考えていたが、よく考えたら西原漫画を読まずにこのエントリだけ読んで「差別が〜」と言っている可能性もあるのか!とはたと気づいた。

知らない人に説明すると、西原理恵子という人の芸風は人種差別女性差別弱者差別などあらゆる差別を笑いに昇華していくものである。実際、女性の友人をデブだのブスだのヤリ○ンだと罵ったり、子供を産んでいない女性専業主婦へのヘイト発言なんて日常茶飯事だ。しかも、この何十倍も汚い言葉でそれを言う。

(改めてこう書くと本当酷いな…)

もう本人の作品自体ミソジニーだのホモソーシャルだのが真っ青になるくらい、差別問題発言の坩堝なのが西原理恵子漫画だ。

(今のポリコレではアウトでしかない…だから改めて差別とかホモソーシャルとか言われると「いやもっとアウトな発言いっぱい出てくるから!」ともうどこから突っ込めばいいのかもうよくわからない)

ところが、それがものすごく面白くて笑えるから始末が悪い。そして、それを読んで笑う読者ももれなく下品である。それが、西原理恵子と読者の業の深さの一端だ。

私は西原理恵子という作家について書くにあたって、そういう彼女や読者の中にある「差別」は切り離せないものだと思ってこの文章を書いた。そして、その「差別」がどの程度彼女の娘さんに及んでいたのか(あまり詳細が書かれなかったこともあるが)読者にはよくわからなかったところが例の娘さんの件で露見したように思う。

(更に補足すると、彼女差別する人間からこちらも差別していいとかってそういう話ではない)

なので西原理恵子を知らない人は、とりあえず図書館にも置いてあるしブックオフで叩き売りされているので読んでみて欲しい。私のおすすめは、コメントでも人気の高い「鳥頭紀行」とか「ぼくんち」あたり。

実際の西原漫画を読んで、差別だとかそういうもので頭がクラクラするのにギャグが強烈に面白いという奇怪な感覚に失神するがいい!

(ただし、合わない人には本当に合わない)

結局、何があっても私は西原理恵子漫画のすべてをきらいになれないし、機会があれば好きな作品を未読の人にも読んでもらいたいのだ。

Permalink | 記事への反応(18) | 17:22

2022-03-25

タコピー原罪最終話まで読んだけど

真っ赤な色でドロドロとしたいかにも激辛っぽい見た目のスープを飲んでみたらまったくの無味無臭だった、という感じ。

登場人物全員の境遇感情をとてもストレートに描いているし絵も上手なのに、なぜか物語全体としての叙情性が一切感じられない。

みんな何をあんなにエモいエモいと言っているんだ…。

毎回雲をつかむような気分で読んでいたが、最終回までそれは変わらなかった…。

2022-01-31

十二夜空の青を微分せよ街の明りは無視してもよい ある和歌分析

問十二、夜空の青を微分せよ。街の明りは無視してもよい 川北 天華

概要構造構成分析結論を述べる。

概要
詠人

川北天華。当時は進学をめざす高校生。進学は最終目標ではなく過程ひとつだろう。

歌全体が試験問題体裁をとる。

単語と語法は平易。しかしそれらはすべてべつの何かを表象する。示唆により言外を表象するテクニック掛詞とよばれるが、この歌は全句が掛詞構成されさらに全体として言外のなにかを表象する。このため通常の和歌範疇を超え、たぶんに神話的な雰囲気を持つにいたる。

分析

配置


物理地学問題文をなす歌を助詞などを除去し単語をならべその内容を検討

内容は上記のとおりテスト光景に二分され、交互にならんだふたつの要素がリズム形成している。


リズムベクトル

テスト光景、ふたつの要素は卑近受験をひかえた高校生という状況をあてはめると、この世代特有神話的要素がうかぶ



テスト光景という対極を交互につなぐ構成は内外両極を往還するリズムを生んでいる。対句法ではくくりきれない振り子のようなリズムである。その振り子は往還をくりかえしながら全体をある方向へとすすめてゆく。机上の1枚の切片にしるされた問12という即物的文言は夜空を数式で描けと命じそのときは下界を無視せよと結ぶ。一枚の切片がもとめる問いは振り子のようなリズムのなかで一瞬にして無限宇宙へと拡大し発散する。読者はこの内外両面、両極往還のリズム、そして机上のちっぽけな紙片から数式をとおして一気に宇宙にひろがる強力なベクトルによってここちよく翻弄され、さまざまな記憶作用を楽しむことになる。じっさいのところこのリズムベクトルは、おとなとこども、他発と自発受動能動服従と自立ーつまり境界面を生きる高校生生活リズムベクトルのもので、それらが作者、あるい読者のこころのゆらぎそのもの表徴する。


単語分析

問十二

夜空

微分

明り

無視

良い


各々の単語および叙述は高校生にとって卑近ではあるが軽くはない。試験問題、ふと見上げる夜空、その奥にひろがる宇宙。それらは作者の人生の主要な一部、あるいはすべてかもしれない。ひとつひとつ単語が表層の意味から遊離して現状と行く手の不安、悩み、探求、願望、希望、決意といった、思春期から青年期にかけての心象を表象する。この歌は、読者ひとりひとりに当時の記憶を想起させる力を持つ。

述部の分析

展開は三部で序破急をとる。

序・問十二

テスト問題からはじまる文章表現そもそも斬新なのだが、それを体言止めとして何かを宣言している。この宣言は直裁に読者にとどき、読者はこの歌とともに問いに挑むことになる。

十二は天文暦法と関連がある。詠人だけにわかる何かの符丁かもしれない。だがそんな読み解き以前に十二月受験シーズンであり、夜空がもっとも冴えわたる季節でもある。受験生たち、あるいはかつての、そしてこれから受験生となる読者たちは、冴え渡る夜空にひろがる大宇宙を仰ぎ何を思うだろう。


破・夜空の青を微分せよ

専門術語の唐突な投入は文脈を破砕し衝撃を生む。

この衝撃はじゅうぶんに非凡な序を一気に振り切り読者を天空打ち上げる。

微分される夜空の青とは何か。

それは学問対象として規定される夜空であり、それゆえ純粋に観察と探求の対象であり、その分野への進学を目指す詠み人にとって、それは宇宙であり未来であり、そして自分でもあるだろう。それだけではない。その解をもとめる読者じしんの姿でもある。


急・街の明りは無視してもよい

街のあかりとは成功し定着したものたちの放つ光、そうしたしがらみとははなれた位置にいる受験生にとって、街のあかりは外部か雑音にあたるかもしれないし、いつか自分が再参入する場所かもしれない。


結論

この歌はテスト問題文そのものであり、解答は記されない。作者はこの問いに答えることも思考過程を示すこともせず、それらすべてを読者に投企している。そのため読者は作者の投げかけた問いの答えを探すことになる。読者は自問し夢み思惟想像記憶を想起する。歌を鑑賞することで作者の心象に分け入る作業がいつのまにか自問となり、ときには自分過去、あるいは未来、そして今この瞬間を投影する。

上記のような構成は、ありていに言えば時分の歌、青春限定叙情歌といっていい。さしあたり言語機能の極限をさぐる現代短歌のなかではこうしたテーマははやらない。ではそれだけを根拠にこの歌の価値限定できるのか。

そうかもしれないが、それで終わりにしてほしくない。なぜなら、こうした心のゆらめきを大切に記憶し想起し記述する行為自己世界のはざまからまれ認識の、つまり哲学科学原初のすがたであり、その姿勢現代短歌流行からはずれていようといまいといっこうにかまわないから。

結句を復唱したい。

俗世、しがらみ、現実などを表象する「街の明かり」を無視してもよいと歌い上げる。かそけき深き空の青さが真実ならばその対極にある現実など捨象してかまわないとも歌い上げる。

時分の歌かもしれないが、そこに込められたまっすぐに真実を見ようとする迷わない力をわたしたちは大切に保持してゆきたい。なぜならそれはたぶん、うしなってはいけないものから

2021-12-16

anond:20211214232454

契約の上でのミスなら、

欧米の方が日本以上に厳しいぞ?

日本なんか謝ったら叙情酌量で

何とかなるがあちらはかなりドライだぞ

2021-11-16

基本的萌え絵苦手っていうか良さがわからないんだけど(あまりにも即物的というか、絵にしては叙情性や鑑賞者に委ねる空白がない気がして)ごちうさだけは好き

なんでなのかは自分でもわからん

2021-11-02

anond:20211026001528

わかる

あのあたりに仕事で何回かいったけど、山々の雰囲気が明らかに他と違う独特の雰囲気だった

一年中秋の雰囲気を感じさせる叙情だった

このページが詳しい

https://koureisya.com/senior/aging-of-tama-new-town/

2021-10-30

FFDQBGM歴代最高は2

やはり2の叙情感が最も高いと思う

2021-10-08

anond:20211008122453

わかる。変に情緒的というか、叙情的なんだよね。ポエムというか。

ただまあ、タイトル珍妙さはキングダムに限らず、イメージビデオ界隈全体に言える気もする。

2021-08-04

anond:20210803192800

四季賞作品定義(のうち1種)を叙情青春漫画少年少女誌向けではないものとするなら

透明人間の骨

https://shonenjumpplus.com/episode/13932016480029092908

これ。完結済み全4巻。

少年誌向けでないという意味ではぶっちぎりで、何せジャンプ+掲載作で(たぶん)唯一ジャンプコミックスじゃなくヤングジャンプコミックスから単行本が出てる。

恐らく倫理的理由

~~以下蛇足~~

この漫画、惜しむらくは連載時期が早すぎた。

まだジャンプ+がはてな民に見つかる前の作品だが、今発表されたなら1話掲載時点で500ブクマは確実。2000ブクマ越えもありえた作品

個人的には未だにジャンプ+最高傑作地位を他に譲らない名作。

2021-07-27

anond:20210727162354

ある面では事実だと思うよ。京都アニメーションはどちらかと言えば健全イメージがあるが、たとえば全体的に叙情的なバイオレットエヴァーガーデンを見ていても、登場人物服装であったり、在り方という部分で、男性的な視線目線での快楽性、要は「都合の良さ」みたいなものが見え隠れしていると思う。あまりアニメを見ない家族も、評判を聞いて見たときにそれを感じた、と言っていた。

京アニ特にそうなのではなく、京アニ「ですら」そうなのだということ。これらは多分、後の時代では明確に指摘、反省される点なんだと思う。

2020-12-31

パプリカ」と嵐の「カイト」と米津玄師

アイドルグループ「嵐」2020年いっぱいで活動を休止する。最後テレビ歌唱12月31日の「紅白歌合戦」だろう。

おそらく「紅白」で披露するメドレーにはNHKの「NHK2020ソングキャンペーンタイアップしていた「カイト」も含まれるはずだ。

本来ならば7月24日東京オリンピックが開幕し様々な種目の試合結果に世間一喜一憂しているはずであった。

嵐が7月29日に発売した「カイト」はオリンピックを初めとするNHKの各所キャンペーンで大々的に使用される意図があったことは明白だ。

また嵐自身活動休止という事情を踏んで、20年以上に及ぶその活動の総決算ファンへの忘れ形見として製作陣やリスナーはこの「カイト」を据えてもいた。

そして国家総力を挙げた一大イベントアンセム日本トップアイドル記念碑を兼ねたこ楽曲トータルプロデュース制作したのは、これまた稀代のカリスマとして君臨しているシンガーソングライター米津玄師である

まあ、ここまでは周知され切った事柄であり別段僕が説明する必要もないのだが、日本という国の2020年という時代を背負うことを予め定められたこの激重プロジェクトに「カイト」はどのように応えようとしたのか僕なりに感想を書き連ねた。

合唱曲としての親しみやす

米津は前年にもNHKタイアップソングとして「パプリカ」の書き下ろしプロデュースを行っている。

結果として「パプリカ」は2019年を代表するヒットソングとなったが、その一要因として歌唱グループであるFoorinの愛らしさと無邪気なダンスがあげられる。

バズヒットの現代において「パプリカ」も例にもれずそのダンスを真似するムーブメントが起きた。「パプリカ」がEテレで繰り返し流されたことやFoorinメンバーと同年代である小学生が親近感を覚えたことも相まって、運動会の催しとして「パプリカ」のダンス披露する小学校が続出したことはこのヒットの象徴出来事であった。

おそらく「カイト」のキャンペーンはこの流れを踏襲していた。「パプリカ」と同じように運動会使用される想定はもちろんとして、「パプリカ」に親しんだ子どもたちの門出を激励する卒業ソングとしても使われることをNHKサイドは期待していたように見える。

ともすれば「高度な技術を持っていない素人でも合唱伴奏がそこまで難しくない曲を」という注文が米津側に与えられたはずだ。現に「パプリカ」にせよ「カイト」にせよ歌唱音域は1オクターブ半以内にコンパクトに収まっている。コードもところどころ4和音がでてくるものの実際に演奏すればわかるとおり、転回系を利用すればほとんどコードフォームを変えることない上に指の移動も少なくスムーズな運びとなり難易度の高くない造りになっている。

(そうはいっても「パプリカ」の”晴れた空に種をまこう”のノンダイアトニックコード、「カイト」における”高く飛んでいくカイト”の激しい跳躍やサビでの拍の取り方など、個性的な米津節に我々は始め戸惑うのだが)

また学校教育の場での合唱曲として「カイト」を見たときコーラスワークの絶妙塩梅は見事。基本ユニゾンだが、要所要所で二宮が3度上、松潤が1オクターブ下を歌っている。嵐はユニゾン主体だが大野がメイン、桜井ラップ二宮が上ハモ松潤が下ハモ相葉ファルセットという役割分担がありアレンジしだいでは主メロとは別フレーズを歌うらしく、このメンバー構成を活かしたようだ。なにより飽きが来ないよう工夫しつつもそれを不特定多数素人が寄せ集められて歌ったとしても収集がつく程度の複雑さに収めているのがいい。ブルーノマーズプロデュースの「Whenever You Call」ではブルーノ自身も加わりふんだんにコーラスを織り交ぜ比較的高レベルパフォーマンスを見せていたが、とっつくやすさで比べると格段に「カイト」が勝っていた。

カイトというモチーフ

なぜ米津玄師カイトというモチーフで曲を書いたのか。未来を切り開くポジティブさや成長のイメージとして飛翔体モチーフに据える曲はあまたとあるがなぜ凧なのか。

同じくNHKテレビ番組とタイアップしヒットした「地上の星」や「365日の紙飛行機」も飛翔するものから見た世界を歌っている。

これらと「カイト」の大きな違いはカイトは出発地点と着地地点が同一であるということである

地上の星」は上空を見渡すことのできる渡り鳥超人的な視座をもった存在として捉え、それに動乱する世界を切り抜ける道筋を教えてくれと訴える曲である。「365日の紙飛行機」は惰性で飛ぶしかない紙飛行機を世相に揉まれる人の人生に準え愚直に一日一日を丁寧に過ごすことを説いた曲である。どちらも世界は常に変動的なものであり人は同じ環境に居続けられないという前提がありそれを踏まえてリスナー冒険心を鼓舞する内容なのだ

対照的に「カイト」におけるカイトは作中では常に同一のものとして描写されているため変化がない。そもそもカイトは糸で繋がれているため自由に飛んでいけない物体である

さら面白いのはこのカイト最初から空に浮かんでいるということだ。”小さな頃に見た”からの冒頭4フレーズは、かつて”憧れた未来”は別世界一番星の横に鎮座しているようだったとその様をカイトに例えて”ぎゅっと強く握りしめていた糸”というフレーズで夢に邁進していたことを説明している。それが二番に入ると成長した今では”カイト”や”憧れていた未来”は”とても古く小さい姿”で”右ポケット”に忍ばせておく程度のものになってしまったと幻滅に近い感情吐露する。そして大サビでそれでもこの小さいカイトが嵐のように厳しい世間を生き抜く指標であり心の拠り所であることを告白する。

まりカイトとは未来に向かって邁進する人間のもの象徴ではなく彼らの先進の当たる親や先輩といった人々なのである。この曲が巧みなのはカイトを地上から見上げる立場であった主人公もまた今は後進から憧れを背負ったカイトであるという双方向性を示している点だ。

カイトへの郷愁や憧れを語りつつもサビでは”君の夢よ叶えと願う”。大サビに至っては”嵐の中を”からの2フレーズカイトの先に焦がれた自身の憧れを歌いつつ、続く”悲しみを超えて”からは人々の模範となるカイトの先から視点に移る。何よりすごいのは憧れを一身に集め自身の悲しみすら超越して前に進んでいけと言った直後に”糸の繋がった先まで”帰ろうと優しく口添えしているところだ。

人は絶えず不安孤独に苛まれ瀬戸際で生きている。そんなきりきりした思いを汲んで「幼年期に自分形成した、自分が無邪気でいられた場所や人はカイト手綱を握る人のように自分の足元にある」「自分カイトとなってもカイトを揚げる側だった頃の場所はなくならない」と安心感を与える文句を曲のハイライトに持ってくる米津玄師の慈悲深さや度量の広さには舌を巻くし、米津玄師がこの時代に指示される所以垣間見た気がする。

パプリカ」との関係

パプリカ」と「カイト」には”らるらりら”や”一番星”など共通するワード散見される。また「パプリカ」出だしのキーはA、「カイト」出だしのキーはEであり下属調関係となり、DかD#かの違い以外は殆ど同じ調である。サビでは短3度下のメジャーキー、つまり平行調同主調に移るという同じパターンの転調を両曲とも行っている。

これは「パプリカ」と「カイト」は同じ世界観にあり同じ事象を取り扱っているとみていいのではないだろうか。「パプリカ」も先人から思いを受け取ることや後進に託していくことについて語った曲であり、幼少期のシンボルとしてAやEのキーが設定されそこからの成長として短3度下への転調があると。

そう考えれば「パプリカ」内でミステリアスな”誰か”や”あなた”の存在、また”パプリカ”という言葉意味も合点がいく。「カイト」の世界に照らし合わせればこの”あなた”は自分たちが進む道を作り上げたこれまでの先人たちや自分たちが歩む先の未来にいる自分自身のことだと見なすことができる。

パプリカピーマンには明確な違いはない。ただ主観的に派手な色味であることや比較甘味があること等で区別されている。ピーマン実像象徴とすれば、パプリカ子どもが憧れる華やかな夢のようなものなのだ。そしてパプリカ花言葉は「同情」「憐み」「君を忘れないである。僕の解釈では”パプリカ”もまた子ども次世代を見守りかつて子どもだった自分郷愁を寄せる歌である

よって「パプリカ」はサビにおいて、”花が咲いたら”つまり夢が叶えばその立場で私欲を満たすような「実になる期間」をすっ飛ばして後進育成のために種を蒔くことを誓い、自分の描いた夢が自分が憧れた上の世代に伝わっていてほしいと願っている。

カイト」が下世代への決意を固める歌であれば「パプリカ」は上世代に向けた誓いを告げている。

パプリカ」の”会いに行くよ”から始まるCメロは、憧れの先人がいる「カイトの先」の次元まで自分もたどり着いてみせるという宣誓なのだ。そして「パプリカ」の宣誓に対し「カイト」は”君の夢よ叶えと願う”と励ましのアンサーを告げている。

これに加えて5人組の子集団であるFoorinと、ローティーンから20年以上活動を続ける5人で構成される嵐という、歌い手自身の対比や世代間の違いにも意識して両曲が制作されたとまでいうのははたして考えすぎだろうか。

 

カイト」という曲は「パプリカ」の続編であり無邪気に夢を語っていた子どものその後を捉えた曲なのだと思う。荒れ狂う嵐のなかで傷つくことがあっても、かつての空を見上げていた自分のように下から羨望の眼差しを向ける子どものためにメッセージを発信し続ける姿を描写し、「パプリカから託された”らるらりら”がしっかり自分たちに届き溢れ出していると返答している。

そしてそんな自分を見守ってくれた親の様な存在や友人や”あなた”が投げかけてくれた思いは不変で誰でもそこに甘えたっていいと働きづめの同世代も励ます

様々な期待を抱え自分を追い込みながら高みを目指すトップアスリートや人気絶頂アイドルが抱えるドラマテック感傷のみならず、信条のもと日々頑張る人々や未来に向かって前進する若者なら誰でも共感できる叙情が「カイト」にはある。

この物語徳島実家から独立ニコニコ動画からトップクリエイターへと様々な場面や人々を経ながら飛躍していった米津玄師自身にも当てはまる。

そして「カイト」はファンにとって嵐からの餞別でもある。

ジャニーズではデビュー以前で持ち歌のないJrメンバーコンサートテレビ番組で歌唱する場合披露されるのはもっぱら先輩の曲だ。このレパートリーには今は活動していないグループや退所した者の曲も含まれる。歌い継ぐことをテーマにした「カイト」をジャニーズJrが歌うときそこには確実に嵐のメンバーの幻影が守護霊のように現れる。この先何があろうとジャニーズ存在する限り嵐という存在が薄れていくことはないのだ。

オリンピックというドラマに加えるエッセンスや嵐というアイドルグループメモリアル的な意味合いをしっかりクリアしながら、普遍的人間感情を見事に描写しただけでもとてつもないが、それでもなお米津玄師作家性は微塵も薄らいでいないことでその才能の大きさを再確認させられた。ただの合唱向けのバラードとして割り切れないエッジがこの曲には確かにあって、そういう細やかなセンス米津玄師足らしめているのだなと唸ってしまった。そしてそれだけの才能の上に立ちながらこの曲を自分のものにしている嵐のタレント性にも感心してしまった。

2020-12-05

萌え絵アニメーションに向いてないという勘違い


巷で話題萌えアニメオタク害悪だと主張する記事を読んだ感想である


私は萌えアニメからいわゆる硬派と呼ばれるアニメまで広く嗜む、アニメ視聴歴20年くらいのしがないアラサー男だ。

ジャンプサンデーと言ったお馴染みの週刊誌で人気の原作アニメが、テレ東ゴールデンタイム毎日のように放送されていた頃に、箸で摘んだ夕食のコロッケテーブルの上に落としブラウン管にかじりつく少年期を過ごし、最近新刊が発売された『涼宮ハルヒの憂鬱』をきっかけにいわゆる深夜アニメ世界に足を踏み入れて、今日に至ると言った経歴(他に言葉が思いつかなかった)を持っている。

視聴作品数は、履歴書に書けば人間性理由採用確率が30%減になるくらいあっただろうか。と言っても熱中度でいえば大したモノではなく、どんなに気に入った作品でも円盤を買ったり、グッズ等を買う程度だった。興奮が抑えられず感想ブログに載せたり、二次創作に勤しんだりするくらいならニコニコ動画で他の作品の視聴課金をし始めるくらいには職人気質は持ち合わせておらず、人によってはカステラ茶色の表皮だけをすくって人工甘味料(無いかも)の鋭く刺すような舌触りだけで満足するような、奇怪な楽しみかたをダラダラ続けていただけに見えるかもしれない。

そんな人間がひさしぶりに取れた休日の暇潰しに書いた文章だ。

簡潔に何が言いたいのか知りたい方は、途中全く大したこと書いてないので、最後だけを読んでほしい。

以降は今の俺以上に暇だと宣言できる、大変人間強度に優れた人だけが読み進めて欲しい。


主に作品ごとのアニメーションが持つ性質役割の違いについて横道に外れながら綴っていきたいと思う。

過去に色々な作品を目にしてきている者ならばご理解いただけると思うが、「好きなアニメは? どういうところが好きなの?」と質問を受けたとき、瞬時に心動かされた場面(シーン)が頭の中を駆け巡り、「さてどれから話せばよいものか……」と、全身が幾分高揚している自分がいることに気づくだろう。

それらはキャラクタたちと共にストーリーを辿ることで得られた感覚につけられた名前のようなものだと私は考える。そしてそれらは言葉では表せないが、私たちに中で一種の『共通言語』的な役割を担い、機能しているのだ。


例えば以下のシーンを目を瞑って思い浮かべてもらいたい。


『氷属性もつ冷徹残忍な魔女が、手に持った杖を振るった。その瞬間空間四方から無数の鋭利な菱形をした氷の刃が出現し、彼女の透明感のある艶やかな唇で結ばれる「さようなら」の言葉を合図に一斉に襲いかかってきた』


数々の映像作品を見たことがある人なら、無の空間からパキパキと音を立てながら蒼白い形作られ、魔女の妖艶な笑顔が映った次の瞬間に鋭い氷の塊が視界の中心に集まってくる2、3カットくらいの映像が容易に頭の中に流れたことだろう。

これは性格によるのかもしれないが、私は基本的には物語の進行上は「それ」でOKと考えるのだ。

「それ」とは、視聴者の頭の中で出来上がった薄ぼんやりとした2、3カットのことであり、重要なのは「それ」を我々視聴者に想起させ、作品を補完させることだと考えている。

例えば先のシーンで「魔女がどんな容姿でどんな服装服をまとい、どんな体勢なのか」とか、「魔女と言うくらいなら箒に乗っているのか」とか、「どんな服を身に纏っていたのか」とか、「どれくらい勢いで杖を振ったのか、杖の先はどこを向いているのか」とか、「氷の軌道は直線的なのか最初に外側に弧を描くなどトリッキーな動きをしているのか、時間差のある多段階攻撃なのか」などの質問されたら、スラスラと答えられるだろうか。(……私だけができないのなら怖い。ショックのあまり寝込む)

おそらくだが「いやそんな細かいところまでは……」のレベルの話だと思っている。多分これができる人はきっと絵が上手いはずだ。私は私を含め絵がど下手くその人がこの世にいることを知っている。

ぶちゃけた話、そこの解像度が高くなくても我々には多分『伝わってる』のである

しろ、それでどれくらい負傷するのかとか、実力差はどれくらいなのか、どうやって勝つのか負けるのかなどの次の展開に興味が移っていないだろうか。さらに言えば、この魔女性格はどんな感じなのか? 冷徹なのだから口調は厳しいのかとか、魔女主人公のこと気に入ったりするのか、追々仲間になる展開なのか、と言った、キャラクタの心情の移り変わる様子すら、この段階で期待してそれを軸に妄想を膨らませる人もいるだろう。

さらにここに、


『氷の魔女と呼ばれる彼女は、実は地球に住む人間の種を手に入れようと狙ってやってきた宇宙人であった。侵略活動やすいよう周りの空気自分たちの住む星の大気温度まで下げるため、彼女腰掛けているステンレス製の巨大三角から温度を奪う冷気的な何かを放出していて、空気中の水蒸気が氷結してできた塊を利用し相手冷凍保存しようとしている』


と言ったストーリーの上欠かせない設定が加わった瞬間、魔女攻撃の一連の動きがどれくらい迫力があるのかよりも、物語の展開的な動きの方が気になってこないだろうか。アニメーション上の緻密な動作よりも、ギャグ調を出すためにSDキャラデザや画面効果といった要素の方が卓越してきそうなモノである


要はその作品がどんなジャンルでどんなテーマなのか、その中でアニメーションをどう位置付けているかで、表現千差万別の答えを持っていると考えている。立体的な動きとか力の伝わり方を見て取れるようなリアリティを重視するよりも、もっと感情移入して欲しいかキャラクタの魅力を全面に出す方針があるのであれば、背景のモブと呼ばれる方々まで生き生きと動いていればその画面の映え様に感動するけど、そこに力入れるなら止め絵でも良いかキャラ造形やカラーグラデーションに力が入ってて欲しいよねって意見も当然あると思う。

この時萌え絵かどうかはあんまり本質的問題ではなくて、視聴者各々の共通言語とどれほどマッチしていて違和感あるかないかの話に過ぎないと考える。

これより先は趣味指向トレンドしか言えない領域突入してしまう気がしてならない。そこは表現の自由が担保されている以上、善悪判断軸が及ばない空間である

もしそれに対して「過去多くの作品萌え絵が使われていて、時間をかけて大衆になじんでしまたことで不当にも市民権的なモノを得てしまたからだ!」などと主張してしまっては、もはや時代(トレンド)に対する憎悪しかなく、いつまでも見えない相手との戦いを余儀なくされることになるだろう。

キャラ造形に対する文句ほど不毛なことはない。


ひと昔前にギャルゲー原作としたアニメが多く生み出される時期があった。のちにラノベ原作アニメが多く輩出される時代が訪れることになるのだが、当時としてはニコニコ動画を始めとした他メディアで取り沙汰され、言わば萌えアニメの本流とも言える地位を築いていたと思う。

ではそのどれもが、彼がいうところの『強度』なるものを有してたかというと、……なんとも言えないところはあるかも知れない。

当然のことだが何千枚という数の原画に対して、その全て原作独特の繊細な塗りを再現するのは時間的にも経済的にも叶わず立ち絵差分とスチルと効果のみで表現されていた絵に対して、話の展開にマッチするようにかつゼロから動きを盛り込むのはやはり至難の技のようで、結果的作品の持つ強みを生かしきれないまま終わってしまったものが多くあった印象がある。

その原因は、アニメ萌え絵が向いていないというよりは、テキスト……特にキャラクタの心情面に比重が大きい作品は、初めからアニメーションを十二分に活かせるだけの舞台比較的狭いように思える。キャラクタ同士のウィットに富んだ掛け合いを楽しむだけなら、それこそゲームのように会話と場面移動、要所要所で叙情性の窺える背景描写カットの繰り返しで事足りてしまい、ともすれば動作は間を持たせるためのツールになってしま可能性すらあるのだ。身もふたもない話だが。

まりなんとも言えない感じになるのは萌え絵のせいではなく、作品のコンセプトにいかアニメーションを上手絡めることができるかによるのだ。そしてそれは当然、作品ジャンルアクション主体なのかコメディ主体なのかリアル恋愛主体となるのかでアニメーションの寄与度の上限が決まってくるので、表現手法の一つである「動き」単体で評価した時、ジャンルによる偏りがどうしても出てしまうモノなのだ。画面映えする動きがなくても『十二人の怒れる男』(実写映画だけど)のような名作は生まれる。

実際のギャルゲー原作作品には、画面映えを飽きさせないようなさまざまなアイデアが盛り込まれていたけど、いよいよ話の筋から外れてしまうから割愛したい。


画面を縦横無尽に駆け巡るアニメーションは、突き詰めればただの動きであり、結局は表現手法の一つでしかなく、ストーリーとの直接的な関係がなければ、ストーリーへの直接的に干渉することはできない別レイヤー存在にすぎないとも言える。

絵コンテ等の段階でスクリーン上の動きに込めた意図に気づける目の肥えた人にとっては、「動かし屋さん」の実力が垣間見れる瞬間であり、味の決め手のような作品価値を決定づける重要ポイントなのかも知れない。

だがストーリーの展開に目が向いてしまう人々にとっては「面白い動きだな、他作品ではあんまり見ないカットを入れてるな」くらいに止まっていて、やっぱりキャラ同士の会話やその時に垣間見れる感情自分リーチできるかどうかに関心が向いてしまものだ。

昨日NHKの某番組で紹介されていたが、殆ど人間は1秒間に4,5枚の絵しか見れないらしい。一枚絵のカットの切り替え表現の繰り返しは、程度にもよるのだろうが、予算工程など諸々の事情を鑑みた時、大変妥当表現だと個人的には思う。

昨今のは様々な形が出てきたとはいえ、まだまだ異世界生モノアニメブームが続いているように見える。

少ないリソースで最大効果を期待する戦略としては非常に合理的だと思っている。

ストーリー上の役割が小さい場面では「異世界生モノあるある」やその根底にある「子供の頃に慣れ親しんだRPGの思い出」という共通言語を利用して絞り、作品オリジナルの強みにピボットを置き部分的に「動き」のリソースを割くことで相対的な画面と展開のギャップを生み出し、差別化と人気を獲得するにあたり大変都合が良いのかなと思っている。

この潮流について個人的にどうと言うつもりはない。むしろ当然の流れだと思う。個人的には長らく続いてきた「高校生部活青春ドラマ」がようやく落ち着いてきて、代わりに台頭してきたくらいの感覚だ。時代とともに変遷する価値観や需要を端的に示していると思ってる。


ところで『リトルウィッチアカデミア』というアニメ作品をご存知だろうか。

2017年に株式会社トリガーから出されたオリジナル作品で、ヒロイン少女アッコが憧れの魔女シャイニィシャリオにのようになろうと魔法学校入学し、仲間達と共に成長を遂げていくというお話である。当時OP映像を見てその作り込まれ世界観引き込まれ、全話リアルタイムで追っていた。

ご存知の通りトリガーといえば他にも『キルラキル』や『SSSS.GRIDMAN』を始めとする数々の名作アニメを世に生み出した有名なアニメ製作会社だ。

社名に違わず弾丸が飛び交うような激しいアクションシーンが特徴的で、およそ10年にわたり多くのアニメファンを魅了し続けてきた。

何の因果か、つい先日株式会社トリガーが手がけるのアニメオリジナル放送前となる『リトルウィッチアカデミア』の短編映画原画制作する新人アニメーターたちの様子を追ったドキュメンタリー動画を、失礼ながらもしゃちく☆まっしぐらしていたリアタイ当時の自分の状況と重ねながら観ていた。

今回この拙文を書こうと思ったのも、その動画を触れたあとの余韻がそうさせたのだと思う。

動画の内容が気になった方は各人で確認してもらいたい。

端的に言うと、彼らが手がける他作品と一線を画す豪快な「動き」に込められた感動を生み出すもののの正体はアニメーターたちの寿命のものだ。

そこまで心血注がなくたって、既に共通言語を獲得している我々にはその半分以下の動きであったとしてもおそらく『伝わっている』のである。だが彼らはそんな事眼中にはなさそうだ。彼ら自身が観たいものを描いているだけなのだろう。シャイニィシャリオクルクルと回りながら杖を振り動物たちの花火魔法を出すまでのたった数秒の「動き」に、何週間も終わりの見えない苦悩を重ね続けるなんて、それこそ描くこと動かすことが大大大好きでもなければやれるはずがない。私のような観ているだけの人間には理解できない世界がそこにはあった。

間違いなく時代トレンド関係なく後世に伝わってほしい作品の一つだし、アニメ好きの私は一つでも多くそう言った作品が世に出てくることを願ってやまないものの一人ではある。

だがそれがアニメの全てだとかあるべき姿だとかそういう指向性に囚われるような話でもないと思う。

だが、予算制作期間と人員の消耗等のあらゆるのリスクを考えるのであれば、それらアニメーターの生命と血が滴る作品を世に出すことは、何十人何百人の人生をかけた大勝負であり、そんなものを定期的に見せておくれよなんて烏滸がましいことを言えるほど私は偉い人間ではない。

製作陣の戦いの姿の一端を見ただけで、シャリオが振う杖の軌跡一つとっても、数年に一度しか拝めない奇跡の奇蹟と言われても納得できるし、胸の内から熱く込み上げてくるものを心地よく感じることができる。


コロナの影響ですっかり荒廃しきった今の時代、人との関わりがすっかり乏しくなってしまった(俺だけかもしれないけど)独身を生きる俺に、自然と「頑張って作ってくれてありがとう」の気持ちと、明日を頑張れる活力を授けてくれた魔法だった。

もっと色々な魔法を、『傑作』を見てみたい! その想いの強さが故にアニメ業界の現状に、文句の声の一つくらい出してみたい気持ちもわかる。

けれど、

あの世界は、我々視聴者同士が視聴者層の絵の嗜好がどうとかで文句を言い合っているレベルで語れるのものではないのだと私は思う。

私が円盤や関連グッズを購入すると言った金銭的な応援以外にできることは、アニメーターの方々が1秒でも長くアニメを大大大好きでいていただきたいと願うだけである


気づきの通り最後の2文が言いたかっただけだ。

最後まで読んでいただいた方は、こんな拙文にお時間取らせてしま申し訳ない。

良いアニメライフを。

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