はてなキーワード: 勇気とは
・カンタン酢
こういう簡易調味料系って「いや普通の酢に砂糖とかまぜりゃいいんだからわざわざ買う必要ないだろ」と思っていたしそれは事実なのだが、レシピを絶望的に覚えられずなにをするにもネットで検索しなければいけない人間は、その配合を作るのにも余計な工程を踏まなければいけない。その点カンタン酢はマジで鶏肉に適当にぶっかけるだけでいいので真の意味で「簡単」に一品作れちゃうわけですよ。しかも照り焼きってなんか料理した感あるから「自炊した」という満足感も得られる(実際はYouTubeみながらたまに箸を動かすだけなんだけど)のが最高ですね。
ニトリのCMとかでやってるやつをつかってる。なんかちょっと意識高いかんじのYouTuberがモーニングルーティン動画でやってるのみて導入したけど、これがいい。まず自分はとにかく面倒くさがりなので皿を拭く工程を省いて自然乾燥にしたいのだが(ちょっと水垢つくけど面倒臭さのほうが全然勝ってる)、狭いキッチンでそれやろうとすると「料理中にとりあえずおいておく場所」がなくなるから食事後にまとめてやるしかなかったわけです。それが「置く場所を別にする」ことで料理中のリセット作業もできるようになった。シンクに貯まりまくった調理器具ほどやる気を削がれるものってないですからね、ちょっとずつ洗える環境ができてだいまんぞくです。
一人暮らしの1DKで導入って勇気いるというか、いや掃除機で5分くらいだろってかんじですが、とはいえ働いていたら平日作業できるのは朝と夜だけ、騒音トラブルになりそうで躊躇しちゃうわけです。それがロボット掃除機なら部屋にいない間に勝手にやってくれる。しかもいわゆる「ルンバブル」を意識するようになったことで床にものを置かないようにする習慣がつきました。ロボットに生活を正される、21世紀ってかんじですね
父は養育費を払ってくれない人で、母と二人でずっと経済的に苦しい生活をしてきた。
加えて、母は精神疾患を患い、お金がないこともあって人付き合いとか全然できなくて
母がなくなり、独り身になって、
まぁ一応経済的な余裕が少しずつ出てきた。
だけど、経済的な問題をクリアしたところで、一緒に遊んでくれるような、外食をしてくれるような友人はいなくて。
ぎこちなかったと思う。もしかしたら楽しくなさそうに見えたかもしれない。
違うんだよ。
あぁ言う場が嫌いなわけじゃない。
でも、自分の生い立ちなんて話せる間柄でもないし
話したところで空気が重くなるのも嫌だし。
だからって、いい年して焼き肉初めてなんだーといえる勇気もなくて。
どうしても「恥ずかしい」が先に来てしまって。
恥を忍んで、頑張って飲み会に参加して少しずつ覚えていくしかないんだと思ってるけど
その間に、会社の人たちに呆れられそうで変な奴と思われそうで
好きな人がいるんだよ
でもその人、こんな私みたいな態度の人のこと幻滅しそうな性格してるから…
もう挽回は難しそうで
まぁ…その人と出会ったからこんなことを気にするようになったともいえるんだけど
だんだん、私の人となりが知られていくたびに距離ができてきてしまってるような…?
幻滅されてる…?って、悲しい。
縁がないってことなのかな。
普通の人が普通に経験してきたことを経験してない自分が情けないし、
脈がどんどんなくなってく現状も悲しいし。
でも、行かないと覚えられないしな
性加害だよね 生理的加害というか
考えているフリしているつもりなんだけど、
次から次へとやらなければいけない遊ばないといけないゲームは多々あるんだけど、
まあちょっと休憩したいところね。
秋の味覚をうんと楽しみたい季節、
結局私は『ゼルダの伝説 知恵のかりもの』にかまけて秋刀魚定食の秋刀魚とルービーを決める大谷翔平選手に追いつけ追い越せの記録は2-2をかなり惜しいところまで行ったんだけどここでストップだわ。
定食屋さんの秋刀魚フェアが期間を長く続くかと思っていたんだけどそうは問屋は美味しい海苔を卸さなかったみたいね。
うーん残念よ。
でも!
まだ秋は終わってない天高く馬が飛び越える秋!
そうなのよねー
なんかさ
家のご飯のおかずが
嬉しいけれどなんか
おかずのスター性の方を重要としていて炊き込みご飯のスター性がくすんでしまうのよね。
だから
そんなときの炊き込みご飯の方が輝けるスター性の炊き込みご飯たる所以になるのよ!
そう思いながら
1回自分で一から調味料とか気合い入れて計量して量ってオリジナル炊き込みご飯やってみたくって、
目論んでいるんだけど、
なかなかそういうチャンスがなくて
あれ自宅でできるのかしら?
ロマンじゃない?
牡蠣って炊飯器にぶち込んだときに炊飯したら爆発しないのかしら?
なんか炊き込んで蓋を開けたら大惨事になっていそうで悲惨な牡蠣になっていないか心配よ。
たぶん
インターネッツにはそんなオリジナルの牡蠣めしのレシィピがうんとたくさんあると思うので、
何かがきっと参考になると思うわ!
絶対にあるはずよ!
あとはなにかしら?
逆に鶏肉をぶち込んで好きなキノコとか人参とかゴボウとか入れて炊き込んだら
あれは間違いようが無いわ。
調味料の調味液を超魅力的にこしらえられるかどうかにかかってきているけれど。
適当にやればまず間違いないはずよ。
そんな炊き込みご飯に思いを馳せながら私が欲しいと思っているスカジャンの後ろの背中の刺繍は
虎と牡蠣が睨み合っている刺繍がしてあるスカジャンが欲しくて探し回っているんだけどなかなか無いのよね。
つーか見たことないので
オリジナルスカジャン刺繍屋さんに頼んでこしらえてもらうのかしら?
あれ絶対
うわ!今夜は牡蠣の炊き込みご飯にしよう!ってみんなニッコリしてくれるはずなのよ。
そんな理屈よ。
たぶん決め手は要になるのは
牡蠣がご飯と絡み合ってふっくらと炊き上がっているってことだと思うんだ。
うーん、
それだと若干生臭い感じもしそうだけど、
まあ秋の味覚の炊き込みご飯は楽しめる時期は今のシーズンチャンスなので、
手っ取り早く百貨店のデパートの地下売り場のデパ地下に何か手頃な牡蠣飯を探した方が
そんな
足を百貨店のデパートの地下の売り場のデパ地下に行って見て探してみるのもいいかもしれないわ。
そんなことに気付いた秋!
美味しいところも足もとにあるかも知れないから地下のデパ地下!とはよく言ったものよね。
なるほど納得だわ!
なるー!
でもさ、
悲しいことにインバウンドの人たちがドッジボールでノーバウンドで当たったボールを空中でキャッチしたかのような躍動感で、
デパ地下にごった返しているので、
なかなか人が多くて近寄れないのも事実なのよね。
お店は儲かっていいかもしれないけれど、
地元の人たちはそういうことがあって普通に地元のお店がいけなくて大変なのよ。
美味しい炊き込みご飯を探す前に
そこをかき分けていかなくては行けないお客さんの多さにゲンナリしちゃうわ!
私はうかうか牡蠣すらもまともに買いたいけれど買えないそんな世の中じゅオイスター!って叫びたいわ。
それが上手く行きそうだったら牡蠣買うかどうか決めてもいいと思ったわ!
でもその前に美味しい生牡蠣が手に入っちゃったら
うふふ。
マーケットで売っていたのをまえまえから目にして知っていたけれど、
遂にゲットして秋の味覚満載の美味しい炊き込みご飯おにぎりをいただいたわ。
ニッコリね!
レモン果汁をほんのり入れてレモン風味の一瞬レモンの香り立つ感じ違いの分かる感じがいいわ。
アメリカに売っている水に味を付けるフレーバーみたいなのあるけど、
あれホッツ白湯ストレートウォーラーに使ったらどうなるのかしらね?
まあ興味はあるわ。
水に味を付けるって。
気が向いたら探してみようかしら。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
ちょっと違うな。
株価が高いのは、訳あって高い。安いのは訳あって安いを
「訳(わけ)あって」は世間の評価としての「訳あって」だ。世間の評価より自分の中の評価が上だったら買う。基本的にそれでしかない。
自分がヤマト運輸の価値は運送屋として荷物を運ぶだけじゃなく、セールスドライバーの笑顔にも価値があると考えたとする。そうしたら、世間での評価、株価にセールスドライバーの笑顔が織り込まれてるどうかを考える。
同業他社と利益水準を同じにした時に、ヤマトのほうが株価が割高なら、織り込まれてると判断する。つまり買わない。変わらないなら、世間の価値には笑顔は入ってないんだなと考える。買う。
大事なのはらどのくらいリスクを許容するかと、世の中の流れをどう読むかだ。
後者のほうがわかりやすい。私はリーマンショックでも、コロナショックでも買い向った。リーマンショックでどれだけ工場が止まろうと、ヒトが車で移動する限り、車は時期がくれば買い替える。その時期が多少後ろに倒れるだけだからだ。
コロナショックのときも、金融緩和の額をみたら、実体経済は関係なくとにかく株価は上がることが目に見えてた。GoogleやAmazonみたいなテック系でさえ、PERが10倍くらいの株価だった。余力の限り買った。
ただ、私はビビリであり、一か八かの勝負はしない。落ちているお金を拾うだけだ。リスクを取れない。信用で取引するのは、技術的によく知った分野で、「うまくいかんだろ」と思う銘柄を空売りすることくらいだ。
受験なんかでの点数配分は、大問5つ、それぞれ20点とかだろう?
人生は、満点設定がない。0.1点が続いたかと思えば、マイナス100点があったり、プラス80000点があったりする。
要領が悪い人は、0.1点にこだわって先に進めなかったりする。
ノーリスクで手を伸ばせば捕まる幸せや、お金があるが、手を伸ばさなかったら二度と巡り会わない。
え゛ー
マジ?
キモい、に開き直ってると思われたんじゃない?
あなたは社会的に迷惑を掛けていますよ、と勇気を出して上げた声が「キモい」。
18話の豊先生の扱いは少し気の毒だったな。決定的にギルティと断じれるほどのことはやってないし、むしろ見方によっては善良な言動しかしていないようにも思えるけれども、作中での評価は「だるい」、「うざい」、「キショい」などと散々だった。挙句に「近寄らんで~きしょ~」と生徒に面と向かって言われる始末である。
人情の機微を繊細に描く本作において、豊先生に対する生徒たちの態度は多少ゾンザイにみえる。過剰な言葉を投げかける生徒が諫められることもなく朗らかに去っていく構成は、爽やかな描写に反して後味の悪さを感じた。“豊先生はそんな扱われ方するのも仕方ない”という“含意”がなければ成立しないほど雑な扱われ方だ。その“含意”が何かを考察するなら、これは豊先生が“本作におけるevil”に抵触したからだと思う。
本作における“good”の象徴が伏見さんであることは明らかだろう。けれども作中での伏見さんの活躍は実質的には微妙なものが多い。各エピソードの主役たちは何らかの課題や悩みを抱えているけれども、伏見さんは何か直接的にそれらを解決してくれるわけではない。いや、間接的に貢献しているかすら微妙なときもある。
しかし、それでも伏見さんが“good”の象徴たりえるのは、本作の作品紹介を読めば輪郭が見えてくる。
伏見(ふしみ)さんは、とある高校の用務員。背は高め。仕事熱心。缶コーヒーが好き。そして、丁度いい距離感で私たちと話をしてくれる。 今、“自分は大人だ”と思い込んでいる人に苦しめられている。今、自分がどんな大人になったらいいのか迷っている。 ちょっとでもそう思っていたら、ぜひ伏見さんに会いに来てください。ホッとしたり、気づきがあるかもしれませんよ。
引用の「丁度いい距離感」という所がミソだろう。つまり本作における“good”とは「丁度いい距離感」のこと。逆に言えば「丁度いい距離感ではない」こと、それに類する言動をする者がevilというわけだ。
以上を踏まえると、本作の1話なんて典型的に思える。本エピソードの生徒は中盤、痴漢被害に遭う。これは犯罪という時点で勿論evilではあるのだけれども、「丁度いい距離感ではない」という点においても本作のevilに抵触している。そして被害にあった子に対して、両親たちはデリカシーに欠けた言葉を投げかける。身内関係であるからこその近さ、そこからくる両親なりの慰めの言葉ではあっても、それは当人が求める「丁度いい距離感」からくるものではなかった。
そして遠すぎる場合はevilとまでいわないがgoodともいえないよね、ということも提示する。被害に遭った生徒は自ら犯人を捕まえたため、その勇気を褒めたたえる人もいた。しかし、それは表面上の言動と態度から逆算したもので、行為そのものに対する上澄みの評価だ。痴漢被害者への丁寧な気遣いをする者もいたが、これも紋切型であり寄り添ったものとはいえない。
じゃあ、何て言えばいいの?と思うのだが、当人自身よく分かっていない。当人が本当に悩んでいる核たる部分は、是非善悪とは別のレイヤーにある。しかも極めてプライベートでミクロ的であるため、明確で普遍的な回答がない。だからこそ苦悩の袋小路に入る。
そんな苦悩に対して本作(伏見さん)は「何とも言えない」という選択をした。「何とも言えないこと」に対しての答えが「何とも言えない」というのは逃げというか、そもそも答えになっていない。けれども、その時の生徒にとっては“個”と向き合い「丁度いい距離感」で接してくれた結果、と受け取られた。
豊先生は常にニコニコとしながら、誰にでも分け隔てなく好意的な対応をする善良な教師のようにみえる。けれども、これは誰にでも“いい顔”をしつつ、“個”と向き合わない不誠実な人物……という解釈もできる。つまり「丁度いい距離感」に対して無頓着であるため、“本作におけるevil”に抵触しているわけだ。
作中でのやりとりを挙げるならば、豊先生に好意を持っている生徒が「(背が高い人が豊先生の好みだったら)牛乳を大量に飲まないとなあ」などといった軽口に対して、豊先生は「今のサイズ感が可愛いから、今のままでいいと思うよ」と返す。「(牛乳を飲みすぎて)お腹こわさないようにね」という気遣いも忘れない。その生徒が自身に好意を持っていることを踏まえたうえで軽口に軽口で返した形だ。こんな調子で、豊先生は八方美人の節がある。婚約者がいる立場でありながら、自身に好意を持っている女生徒への対応は軽薄にみえる。知り合いの異性にも当然のようにプレゼントを贈ったりする。
けれども客観的にみて、それらをギルティとするのは決定打にかける。他人の好意に対して毅然とした態度をとらないというのも実際には一長一短で、豊先生個人でどうにかできない範囲も含まれている。豊先生の振る舞いは節々に粘度を感じるよう描写こそされているものの、それでもって悪徳と断じるべきかは疑問が残る。けれども、何度もいうように“本作におけるevil”とは「丁度いい距離感ではない」こと。その点において豊先生が無頓着であることは否定できない。なので生徒に「近寄らんで~きしょ~」と言われ、続けて「大人なんやから ちゃんとしいや~」などといわれる。
面と向かって「きしょ~」とか言ってくる若輩に大人としての在り方を説かれる筋合いはないとは思う。ただ、一応これも先ほど引用した作品紹介文から読解できる。
伏見(ふしみ)さんは、とある高校の用務員。背は高め。仕事熱心。缶コーヒーが好き。そして、丁度いい距離感で私たちと話をしてくれる。今、 “自分は大人だ”と思い込んでいる人に苦しめられている。今、自分がどんな大人になったらいいのか迷っている。 ちょっとでもそう思っていたら、ぜひ伏見さんに会いに来てください。ホッとしたり、気づきがあるかもしれませんよ。
「“自分は大人だ”と思い込んでいる人」とは、つまり「理想的ではない大人」と言い換えられる。
本作における「理想的な大人」の象徴が伏見さんとするならば、その逆のような存在が「理想的ではない大人」といえるだろう。つまり「丁度いい距離感」で私たちと話をしてくれないのはevilだから豊先生はキショいし、「“自分は大人だ”と思い込んでいる人」 だから「ちゃんとしいや~」ってわけである。
最終的に「彼女がいるのに生徒や伏見さんに色目使ってた男」と評された豊先生は「エエ~……」と困惑するしかなかったが、仕方ない。豊先生の扱いは、本作の通底するテーマや価値観からみれば筋は一応通っている。それにしたってどうなんだと思わなくもないけれども、それは私の咀嚼と消化の問題でもあるから片隅に置いとく。
伏見さんが“good”の象徴、理想の大人、メンター的存在でいることができる理由ってなんだろうか。メタ的な推測になるが、まず「学校の用務員」という立場がある。
学生たちにとって、自身の抱える課題や悩みを打ち明けられる大人は少ない。主に両親や教師になってくるが、両親は身内であり近しい存在だからこそ、かえって言えないことや言いにくいこともある。教師はあくまで仕事の一環として生徒と接するというフィルターがあるし、それも一人や二人ではなく数多ある生徒に対応しなければならない。他にもやらなければいけない仕事だって多いから常に全力で応えてくれるかは難しい。
いや、そもそも本作において学生の抱える葛藤は、是非善悪だけでは語りきれないものが多い。そんなことで白黒ハッキリついて解決するのなら悩んでいない。そんな悩みに対して親身になってくれないのは嫌だが、がっぷり四つでも困るのだ。そんな悩みを抱える学生たちにとって丁度いい距離感で接してくれる大人がいたとすれば、それは酷く理想的にうつることだろう。そのために学校の用務員という設定にしたのが絶妙だ。学校にいながら、親や教師が取りこぼしがちな生徒の機微を個別に拾うことができる。心のケアをする必要のない立場だからこそ、それをわざわざやる伏見さんの善性が際立つ。
本作の描き方からくるデメリットとしては「一概にいえない事柄なのに、メンターの言動がベストになってしまいがち問題」はある。まあ、これは学園もの・教師もの共通のデメリットではあるけれども(典型的なのだと『GTO』の主人公とかは解決方法がほとんど破天荒だったり非合法だったりするが、少なくともその作品世界においてはベストとなってしまいがち)。あと伏見さんを理想の大人として描写しようとするあまり、それ以外の大人が犠牲になってるというか、簡便に描写されている感はある。豊先生もその一人だなって印象。
ラストマイルの情報は、アンナチュラルとMIU404のキャストが出てくるから見ておいた方がよい、ということだけ知っていた。
少しだけ感じたことをメモに残しておきたいのでネタバレをしますが、まだ見ていない方は見てからの方がいいかもしれません。
それから、あまりブログを書きなれていないので読みづらいかもしれません。(自分用メモなのでご容赦ください)
結論から言うと、見終わった後の希死念慮がすごくてかなりきつかった。
友人が一緒だったのでなんとかなったが、一人だったらホームから飛び降りたくなっていたかもしれない。
山﨑佑の「ブラックフライデーが来るのが怖い」という感覚に覚えがあった。
あそこまで追い詰められたものではなかったものの、それよりは小さなものが毎週日曜日の夜に焦燥感となって表れた。
私は大学卒業後にブラック企業的な職場に勤めた。エレナのように強い人間ではなかったので三年もかからずに眠れなくなり、食事の味もよく分からなくなった。
やがて朝になっても体を動かすことができず、動悸と息切れで仕事に行けなくなり、病院にかかることになった。
そんな経験があったので、山﨑佑のことが明かされていくたびにつらくなった。自分の辛い記憶を掘り起こされているような苦しさがあった。
本編の内容としては面白かったのですが、ただ手放しで面白いからみんなも見て!とは言えなかった
せーの!で辞められる勇気のある人はいいけど、それができない人はどうなってしまうのだろう。私もあの時誰も頼れず辞められなかったら?
急にずっと前のことをついさっきの出来事のように思い出して辛かった。
それから、米津玄師の『がらくた』の歌詞で、「たとえばあなたがずっと壊れていても 二度と戻りはしなくても 構わないから僕のそばで生きていてよ」という歌詞で涙が止まらなくなってしまった。
あのとき適応障害と診断された私は、少しずつ変化していって双極性感情障害と診断された。それがきっかけで数か月入院することにもなった。
私の双極性感情障害は発達障害に所以するものなので、おそらく治ることはないと思う。
それでも、壊れたままこれからも生きろというメッセージをぶつけられて「なんてひどい、残酷なことを言うんだろう」と苦しくなると同時に、壊れたままでもいいのかな、と少しだけ肯定してもらえた気がしてまだ生きてみようかなと思った。
希死念慮はあっても恐怖心が勝ってしまい死にきれずに惰性で生きてきたが、壊れたままでもいいと誰かが言ってくれるのならちょっとだけ頑張れるかな、と思った。
流石に一回でこれだけしんどかったので、もう一度見る勇気はない。
でも、つらい中にも希望の光はあったので、私は見て良かった。
※この日記では「やたらと特定の人間に執着し、その人が他の人と2人で遊んでいるのが許せなくておかしくなってしまった人」などのことを便宜上"メンヘラ"と呼称している。
この日記は、現在進行系でメンヘラに付きまとわれていて縁を切りたい人向けに、本当に自分が行ったことを経験談として書いている。先に言っておくと、私がはじめに「こいつとは縁を切ろう」と考えてから1年以上かかっている。今もTwitterアカウントのブロックなどはできていないため、本当に縁を切れているかというと微妙である。
一応順を追って説明していくため、手っ取り早く方法だけ読みたい方は見出しを見て読み飛ばしてほしい。
Aと私はインターネット上でTRPGをする仲だった。わからない人向けに言えば、「通話しながら自分たちのキャラクターを操作して遊ぶ」ということだ。この遊びにはもちろん、Aと私以外にたくさん共通の友人が関わっている。
まだ縁を切ろうと思っていなかった時、私の方からたくさん「一緒に遊ぼう」と誘ってしまい、今でも(放置されているものの)約束として残っているものがいくつかある。
メンヘラと接しているうち、自身も精神を病んでいくことがある。特にメンヘラに依存されるような人間は共感性が高く、人を思いやれるような人間のためそういう事象に陥りやすい。(思ったことを書いたのだが、これだと"私は良い人です"と自慢しているようなものだ。実際そうなのだが)
第一として、メンヘラの相手をひとりでしてはいけない。ひとりであれこれ考えていると、段々「考えすぎかも」「悪いのは自分なのかも」と思うようになる。友人に話すには重すぎる話題に感じてしまった私が相談相手として選んだのは、母親だ。
母親は一貫して「そいつはヤバい」「縁を切りなさい」「連絡を取るな」と主張してくれた。この言葉が無ければ、私はきっと今も嫌々ながら関係を続けていたと思う。相談相手には意思がはっきりしている人間を選ぶと良い。
自分が相手になんと言われているか、悪口を言われていないかと気になってしょうがないと思うが、頑張って我慢しよう。
例えば相手が「貴方はこんなに酷いことをした」というような書き込みをしていれば、当然貴方はショックを受けるだろう。
実際私が行ったのは「今まで使ったことのないプラットフォームでアカウントを作る」ことだ。MisskeyやBluesky、タイッツーでもいい。IDも今まで使ったことのないような言葉で作る。
そこで、今までの人間関係を全てリセットする。フォロー・フォロワー0人の状態で、メンヘラ被害の愚痴を書き込む。良くないことかもしれないが、私はこれで大層気が楽になった。
他のやり方なら、鍵垢でも捨て垢でもいいし、紙に書き殴ってそれをビリビリに破いて捨てるでもいい。私は他人に見られる状態で悪口を言うのが一番スッキリした。(それが目に入った人には申し訳ないが)
相談相手に愚痴れるならそれでもいい。文字を打つのと書くのと、口に出すことではまた感覚が違う。もちろんそれが苦手な人もいるだろうから、自身にあったストレス発散をしよう。
当然だと思うかもしれないが、まずは当然のことから始める。今まで友人として接していた人間のアカウントを突然ブロックするのは難しい。だからこそ私は1年以上かかった。
相手の方から連絡が来た場合は当然無視する。既読もつけない方が良い。何を言っているか気になるかもしれないが、前述した通り気にしてはいけない。見て良いことなんかひとつもないのだ。
無視のハードルが高い、もしくはどうしても返信しなくてはならない場合は、即返信をやめるところから始めよう。最初は数時間、そのうち数日放置し、「トイレ行ってた」とか「気付かなかった」とか言っていればいい。とにかく、"自分はもう貴方の相手をしてくれませんよ"とアピールすることが大事だ。
もしこれで別の友人の方が反応が良いとわかれば、標的がそちらに向く可能性がある。よくないことに見えるかもしれないが、自分が助かればそれでいい。私はそう信じ込んだ。
ちなみに、結局Aが依存相手を変えたかは知らない。もう関係の無い相手なのだから当然だが、情報として記せないことは申し訳ない。
最後に、いわゆる「作業通話」へ行くのも控えた方がいい。別の友人と喋る予定でも、貴方がボイスチャットにいることにメンヘラが気付けば、乱入してくる可能性がある。そうなると今後の予定を取り付けられたりして大変だ。辛いかもしれないが、メンヘラと共通の友人との公開通話は控えよう。
逆に言えば、メンヘラの知らない人、知り得ない場所での通話は大丈夫だ。
私の場合、TRPGという他人も関わる遊びをしていた。だからこそ自分の一存で「やめます」というのは難しい。
まずは「諸事情でAとは距離を取っている」というような連絡をしよう。ここでは「あいつはメンヘラで、今までこんなことがあった」とかそんなことまで書かなくていい。大抵の人間は"諸事情"と聞けば納得してくれる。あとから共有する勇気が出れば、また話せばいい。
私は「今すぐに予定を取り消すという連絡をするのは難しいから、とりあえずこのまま予定の話を進めないでほしい」と個人的にお願いした。メンヘラ自身にはしばらく忙しいから日程は決められないとか、そういう理由でいくらでも誤魔化せる。例えメンヘラが「本当か?避けているのでは?」と思っていたとしてもそれでいい。避けているのだし。
これを完全にこなすのは難しいので、できる限りでいい。詳細は後述する。
例として私は、まずスマホアプリやSwitchなどのフレンドを解除・ブロックしていった。段階として、「しばらくログインしてないな」というようなものから始めるといい。
ここでの注意点として、できるならSNSへ投稿したフレンドになれる書き込み(IDの貼り付けや、QRコードなど)を削除しておくこと。また、ゲームアカウントのIDを変えたりもしたほうがいい。こちらからフレンドを解除しても、相手の方から申請される可能性があるからだ。そういったところまで潰しておくと、自身も「ここまでやれば大丈夫だろう」という安心感が持てるので良い。
私の場合、このあたりまで来るとほとんど関係を断てていた(相手から連絡が来なくなった)ため、Discordのアカウントをブロックしても問題無いと感じられている。このあたりは完全に人によるから、相談できる人がいるなら相談しながらやるといい。
これが一番難しい。
まず、私は「縁を切ろう」と決めてからもAと何回か遊んでいた。関係の無い第三者もいる中で、遊ぶ日付が決まっていたからだ。
TRPGという遊びには社会人も多い。有給を取ったり他の予定を諦めたりして、優先して私と遊ぶ約束を取り付けてくれている。
できるのなら、その約束を破ってもいい。だが私にはできなかった。
だから、「今決まっているものを最後にする」と決めた。以降約束さえ取り付けなければ、少なくともこれからずっと遊ぶことはなくなる。「この日遊ぼうよ」と誘われても、「ごめん予定があって」などと言って断ればいい。
私にとっては、それが最後の約束まで頑張る理由になった。ゴールが見えていれば人間、頑張れるものだ。
実際、メンヘラは一般人に擬態するのが上手い。だから私は数年間Aと遊んでいてなにも疑問に思わなかったし、傍から見ても誰も指摘しなかった。だからこそ、第三者を交えた遊びの場合は普通にできがちだ。「なんだかんだ楽しかったな」と思える。
ここで勘違いしてはいけないのが、「ならこのまま友達でもいいか」なんてことは無いということ。今まで自分が被ったことを、感じた不快感を忘れてはいけない。
私の話はあくまでも一例である。もちろん全てのメンヘラ被害者がこれで助かるわけではないだろう。
私が、今のところ懸念している点をあげる。
『メンヘラと縁を切る方法』と題しておきながら、冒頭で「本当に縁を切れるかというと微妙」と言ったのはこれが原因である。
Xにはブロック機能があるが、アカウントなどいくらでも作れる。鍵垢にしない限り、本当にメンヘラの目を逃れることはほぼ不可能と言っていいだろう。
私は「みんな私のツイートRTしたいだろうしな」と思って鍵をかけていないアカウントがある。見られていても、それはもう仕方ないと諦めている。
鍵垢にせずメンヘラから逃げるなら、「新しいアカウントを作る」しか無いだろう。しかし、これも完璧とは言い難い。大抵の場合、前まで関係のあった人達とは変わらず友人でいたいはずだ。となると、フォローフォロワーは以前のアカウントと大して変わらなくなる。IDを変えアカウント名を変えても、メンツでバレる可能性がある。
また、貴方が絵を描く人間だった場合、高確率で絵柄でバレる。例えば貴方がイラストでバズったとしたら、絶対にメンヘラに気付かれる。もう、そうなる。
つまり、Xで完全にメンヘラの目から逃れるには、「人間関係を捨てて完全に新しいアカウントを作る」か、「全て鍵垢にする」しか無いと考えられる。
私はそれを諦めた。
私が縁を切ったメンヘラAは、学生時代からの付き合いである。お互いに家を知っているし、電話番号も本名も知っている。つまり、アイツは来ようと思えばいつでもうちに来れるのだ。
私はそれがいつまでも怖い。同じ状況の人がいるなら、引っ越すしかないだろう。
そして、これは私の友人から聞いた話だが"自殺未遂"をするメンヘラがいる。
リストカットなどの自傷行為は恐らくメンヘラたちにとって日常茶飯事だが、「貴方が構ってくれないなら、私は今から死にますよ」と脅すような奴がいるのだ。
この場合はまず、第三者に連絡すべきだと思う。例えばそのメンヘラの家族などだが、大抵私たちはインターネット上での関係にすぎない。相手がどこに住んでいるのか、本名もなにも知らない場合があるだろう。
私には経験が無いので今調べたが、出来ることは110番通報しか無いように思う。
万一相手が本当に自殺したとしても、貴方に罪は無い。しかし罪の意識は確実に生まれてしまう。そうなったら貴方も被害者だ。できる限り未然に防ぎたい。
行うべきは措置入院だが、恐らく現実的ではないだろう。本当に警察に連絡しただけでメンヘラが入院できるとは思えない。
結論として、私が提示できる解決策は無い。誰か相談できる人がいれば、その人に相談してみてほしい。投げやりで申し訳ない。
まず、会話をしなくなった。私の方から避けているし、相手からも連絡が来なくなった。そもそも連絡手段を減らしているし、連絡が来ても断るか無視する。
実は縁を切って数カ月後に「遊ぼうよ」と連絡を受けたが、もちろん断っている。これからも断り続けることが、自分と相手のためになるのだ。
そして、Aは私と繋がっていたXアカウントを消去、あるいは使用しなくなった。それが私と縁を切ったからかはわからないが、少なくともそこから連絡が来ることは無い。しかし、捨て垢でIDメンションとかすればAはいつでも私とコンタクトを取れる。だから、完全に縁を切ったとは言えないのだ。
私はというと、すっかり元気になったというわけではなく、今でも定期的に悪夢を見る。具体的には「誤ってAとの約束を取り付けてしまった」とか「Aと通話してしまった」とか、そういう夢だ。それでも、全くAのことを考えずに済む時間は圧倒的に増えた。メンヘラのことで悩んでいた時期とは1年以上かけておさらばしたのだ。
これを読んでいる、実際にメンヘラ被害にあっている人に向けて綴る。
私は自分でも「縁を切るために頑張った」と思っている。自分のことを被害者だと思っているが、それでも自分が頑張らなくてはならないのは、「暴漢に襲われたら逃げよう」とか、そういうことだ。
なんで私がこんなに気を使って人に連絡しなきゃいけないんだと、何度も思った。でも仕方ない。自分の身は自分で守るしかない。
メンヘラと言うが、実際は病気なのである。病院を頼れよと思うが、人間への依存を解消させるのは難しい。だからこそ互いに頑張らなくてはならない。私が健康であるために、Aが私無しで生きられるように。
メンヘラと付き合うのが疲れたから縁を切ろうと思うのは、全く悪いことではない。メンヘラなしで人と遊ぶことは、貴方にある当然の権利だ。
少なくとも私は、今後10年Aと関わるつもりはない。
バカだと思ってた世の中の人間も割と色んな事を考えてたらしい。
人生かけて言いたいと思ってたことは大体手短にかっこよく言い尽くされてる。
自分だけのものだと思っていた思考の癖はネットで共感を集めてバズってた。
勇気を出して口にしたそいつの真似して、自分も言ってみようか。異常者を露呈するだけかも。
陰キャの行動原理を露悪的に綴った「禁止カード」で説教たれてるアイツもきっと自爆テロ。
借り物の言葉だけじゃ人は刺せないかもしれない。オーダーメイドの言葉はまだ作れるのかも。
言語化が口癖のアイツ。そのツイートは本当に丸ごとおまえの気持ちの代弁か?
ありきたりな煽り文句のスクショを添えるアイツ。負けたポーズを取るのが大人なんだと思って、顔色伺って「刺さった」フリしてないか?
心の蓋の合鍵になるような言葉を自分の中から探したいのかもしれない。綺麗にカチャリと開くような。ちょっと形の合う部分を使ってこじ開けるんじゃなく。
なんか実感とかそういうのってそこにある気がする。
お金を得るためには働かないといけなくて。
でもなんで生きたくもないのに無理やり生きないといけないんだろうとか
なんで無理やり生きるために働かないといけないんだろうとか考えてむなしくなる
何のために自分は生きてるんだろう
母がいたころ しにたくなることいっぱいあった
でも、自分が先に逝ってしまったら…って、母一人を置いていくことの方が怖くて
まぁしぬ勇気もなかったんだけど
だけどある意味そういうしばるものがなくなって全部全部自由になったけど
生きる上で何も自由ではなくて
結局母に縛られて生きてるなって感じ
娘としてなにも孝行できずに終わって
何かしてあげたくても一生かなうことのない願いになってしまって虚しさしかない。
いいのか悪いのか
一人で生きていくにはとり得ず何も心配がいらなくなって
母が生きてる時にこれくらい働けていたら…何か変わったかもしれない
母はまだ生きていたかもしれない
そう思えて虚しさ倍増
仕事で評価されるほど、頑張るほど、なんで今なんだろう…って。
お母さんに、今の姿見てもらえてたら…って。
頑張って働いたところで遊びに行くわけでもなく
何か趣味があるわけでもなく
こんな生活で歳だけ食っていく。
ただお母さんさえいてくれたらそれでよかった…
こういうこと言ってるのも全部母を逃げる理由にしてる気がして自己嫌悪になってる。
だけど逃げたい。
今はただ逃げたい。
もう何も考えず何も感じずただひたすら無になって
だけど、生きて誰かとかかわりを持つ限り負の感情は消えなくて
でも人前では頑張って隠そうとしていて
独りになったときにどっと疲れる。
そしてむなしさ倍増する。
「要は勇気がないんでしょ?」のguri₋2さん
100球投げ合うとして、リズムを崩さない「合いの手」を入れることに徹するといいです。
黙って聞くのはいけません。「聞いてるよ、それで?」ってうながすための話題について適した「合いの手」が必要なのです。
へー
すげえ
笑える
それって〇〇ってこと?
一例です。なれると楽なので覚えておくといいです。割合としたら5球に1球。ただし30球で1回も返さなくていいタイミングもあります。それはまちまち。
たいてい「ひと」の話だから「それって〇〇した〇〇さんのこと?」みたいな。
(オタク系のひとはそれが2次元だったりアイドルだったりするのでやや難易度高い)
投げ込みが終わり、一息ついたときに話題を取られるまで小出しでウケそうな話をいったらいいです。
さらに具体的なコツとして、「声優ラジオに優しいツッコミ」です。
とくに、おたよりコーナーが参考になります。
よくこんな熱湯消毒したあと殺菌ルームに2日入れたあとファブリーズをひと瓶かけたようなやさしい質問メールができるもんだと感心しますよ。
そしてそれがまた膨らまないんですよ。だってどうでもいい質問だから。でも、「楽しい場」は成立してます。つまり、楽しかったら成功なのです。逆に言うと楽しくない質問やツッコミはNGです。
どうしても内容に対する持論やもっとおもしろいことやものを述べたくなるが、それをボツにする勇気も必要。
芸人がモテるのはおもしろいからじゃないのです。適切に黙ってるからなのです。ふたり同時に話したら漫才にならんだろ?適切なタイミングで適切なこといってることが全てです。それが必ずしもおもしろいことでなくてもいいのです。
どんな過激なことをいってる芸人もほとんどのタイミングで默まってます。相手の話を遮ることはほぼありません。ここが素人との最大のちがいです。
傾聴とかありますが、そのことにやっと気がつきました。
それじゃ、自分の言いたいことってどこで言えばいい?
ココです。
この年度の末で学校教諭を辞めている。ラストイヤーである。思えばあっという間だった。上の秋季大会の後も、大なり小なり大会があったが、目立つ成果はなかった。
実力というよりは、柔道部全体の精神力、やる気、気合いの問題だった。センスがありそうな子はいたが、『本気』になり切れない。なぜかはわからないが、若者特有の殺気に満ちた闘志というか、「目の前の相手を殺してやる」という滾(たぎ)りが見られない。
特に、格上相手に戦う場面がそうだった。勝つとか負けるとかじゃなく、全力でぶつかってみせようという気概を感じない。
そんな中で、T君はじわじわと実力を伸ばしていた。この頃だと、ベンチプレスは140kgを上げるようになっていた。
柔道の動きはボテボテとした感じだったが、それでもサマになってきていた。高校から柔道を始めた関係で、高一の頃が特に弱かったらしい。当時は、毎日のように先輩や同級生から千切っては投げられていたという。
シゴキ以外にも、いろいろあったようである。当時の先輩連中からは相当イジられていたらしい。T君の同級生の柔道部員が、確かこんな内容を回想していたっけ。
「おいチクビ。何を寝とる。はよ畳の上から立て!!」
「今、こいつに筋肉ドライバーしてやったら、首めっちゃ抑えて転がっとるしwwwww」
「いつまで畳で寝とんな。早う起きんとチクビねじ切るどっ!」
「チクビ君さあ。今度の公式大会の時に、絶対シャイニングウィザードしてよ。武藤敬司好きなんやろ」
※本当にやって反則負けになったらしい
「プロレス好きなんだって?これからダブル大外刈りするから付き合ってくれ」
彼が弱かった頃は、部内でもやられたい放題だったようだ。しかしこの頃、高三の手前になると、彼は部内で№1になりつつあった。皆、彼に一目置くようになっていた。当時、部のキャプテンだった100kg超級の子と乱取りをしても吹っ飛ばされない。
それでも基本的には、いじられキャラだった。先輩からも後輩からもいじられていた。しかし、彼はどんな時でもリアクションを欠かさず、スマイルで彼らに応えていた。
そういえばT君は、毎日必ず昼休みに柔道場に来て、一人で弁当を食べていたっけ。一人飯には理由がある。弁当を食べた後に、ヤツは筋トレを始めるのだ。ベンチプレスを始めとして、腹筋に、背筋に、あとは自転車のゴムチューブを柱に括り付けての打ち込み練習、あとはシャドー柔道か。さすがにカマキリは相手にしてないと思うが……。
昼休みに柔道場に行った折、彼を何度も見ている。ベンチプレスが一番好みのようだった。自分自身が成長する実感とでも言えばいいのか、月ごとに最高記録が上がっていくのが面白かったのだろう。
柔道界の公式回答としては、高校生に器具を用いた本格的な筋トレをさせるべきじゃない。この時期(小中~高校生)は、技術に磨きをかける時期だ。ベンチプレスその他で測れる筋力は、試合ではそんなに使わない。柔道に本当に必要なパワーというのは、柔道をすることでしか身に付かない。すなわち組み手の練習とか、立技・寝技の乱取りを通じてしか、そのスポーツに必要な『体力』は身に付かない。
しかし、T君には時間がない。彼にとっての柔道は、おそらく高校で終わりである。時間がなさすぎる。だったら、ひたすら筋トレに励む道があってもいいんじゃないか。当時はそんなことを考えながら、昼休憩中のT君のトレーニング風景を眺めていた。
高三の四月時点で、彼の体重は約78kgだった。一年前はボンレスハムのような体形だったが、スマートになっていた。何より、当時のT君は部内で一番やる気があった。何事にも一生懸命だった。鍛えがいがある。
さて、高三最後の公式戦は六月だった。ここまでには仕上げたい。幸い、四月にあった市内大会では、彼は5位入賞を果たして県大会出場を決めていた。順々決勝では、昨年の秋季大会で当たった強豪校の選手に内股で一本負け(空中一回転半させられた)だったが、そこから2回勝って5位になった。
柔道場での立ち技の乱取りでは、納得いくだけの投げを打てるまでひたすら稽古を続けた。T君に対し、組み手の位置は自由にさせて、技も全部受けてやる。その代わりクオリティは一切妥協しない。俺が納得いくまで休憩すらさせない。
「おい、T。苦しくっても、苦しそうな顔すんな。相手にバレんぞ。ビビってるとな、わかんだよ。相手によ~!!」」
すると、唇を引き締めるようにしてT君は、距離を取ってこちらの様子を伺っている。
ああ、これは。技に入るのを狙ってるな。相手が高校生だとすぐにわかる。
「技に入るのを狙うな。狙わなくていい。(お前の反射神経だと)無理だから!! とにかくたくさん、技をかけろ。連続しろ、連続。ちゃんと技は繋がるから。お前の感性でいいんだよ。考えるな、感覚でやれ」
実際、高校レベルの試合だと技が下手くそでもいい。とにかく数。連続性が大事だ。
ただやはり、T君は運動神経が鈍いようで、へっぽこな大内刈りに小外掛けや、ボテボテとした払い腰しかできなかった。ヤツが俺に珍しく内股をしかけると、「ポフッ」という効果音とともにヤツが弾かれる。そんなレベルだった。素人未満である。
「今のお前の柔道、ほかの選手と乱取りやってるのと違うじゃん。俺用の柔道か~、そのへっぽこなのはよ~」
T君の柔道は、俺と乱取りしてる時はモードが違ってる。まるで、何かの専用の練習でもしてるようだった。
ヤツはまた内股をしかけてくるが、全然効いてない。運動神経とか、技に入る姿勢の問題じゃなくて、組み手が下手くそ(≒柔道着の握る位置がおかしい)なのだ。いいところを掴めてない。せっかく自由に組ませてるのに。
ただ、T君に組み手争いを教えるには、もうタイムオーバーである。「思いっきりイイと感じるところを掴め!」くらいしか教えていない。
だが、連続して技を掛け続ければ可能性が見えてくる。うまく相手が転がれば、彼が得意とする寝技に移行するラインも見えてくる。
「オーイ、てら。何止まってんだよ! 動け、動け。変数作れ。チャンスがないと思ってんの、お前だけだよ」
彼はヘロヘロになって大内刈りを放つのだが、俺に効くはずもなく。間隔を取って、釣り手と引き手(※柔道用語は適当にググってほしい)を上下にブンブン振り回したなら、ジャイアントスイングみたいになって、T君が畳をゴロゴロ転がっていく。築地市場の床面を滑っていくマグロのようだった。
「オーイ、俺お前よりも軽いんやぞ。吹っ飛ばされてどうすんだよ」
T君が立ち上がると、顔が真っ赤になっていた。熱中症の人でもこうはならないだろう。それくらい真っ赤だったよ。
ゆっくりと俺に近づいてくると、釣り手の方でパンチするみたいに組み手を取ろうとしてきた。それを弾いて、逆に奥襟を取り返してやった。すると、ヤツも負けじと奥襟を取ってくる。
「力比べで俺に勝てるか」と思ったが、ヤツも結構強かった。睨み合ってたが、T君の耳まで真っ赤になってるのを見た。
この頃になると、彼の耳は潰れていた。餃子耳というやつだ。努力の証である。大半の柔道選手は餃子耳にならない。本気で寝技を練習した証である。
こんな光景を見ながら、ある漫画のセリフを思い出していた。 技来静也が描いた漫画作品の、確かこの場面だったはず。
……呼吸(いき)を乱すなセスタス 恐怖心を意志の力でねじ伏せろ 怯えは判断(よみ)を狂わせる 恐れは疲労を増幅させ 病魔の如く五体を蝕む 眼を逸らすな! 敵の刃を見極めよ 胆力こそ防御の要だ 殺意と向き合う勇気を持て
拳闘暗黒伝セスタス 2巻より
俺だって、中学生や高校生の頃は、練習が恐ろしいことがあった。寝技の最中に、殴られ、蹴られ、締め落とされ、「殺される」と思ったことが幾度となくある。だが、試練を乗り越えるだけの胆力を身に付けないことには、いつまで経っても二流以下である。
こういう感覚は、今時のZ世代みたいなやつがあるじゃん。ああいう子達には伝わらないんだと思う。「○○が上手になりたい、強くなりたい」って? 本当にそうなりたいなら、命くらい投げうってみせろ。
2024年現在だって、野球でもサッカーでも、バレーでもテニスでもゴルフでも、スケボーでもブレイキンでも、将棋だって囲碁だって、その道で超一流の奴はな、自分の命かけてその道を歩んでんだよ。
立ち技が終わると、次は寝技だ。T君が強敵相手に勝とうと思ったらこれしかない。それくらい、彼の運動神経は絶望的だった。立ち技の才能がない。当時のT君が「生まれつき運動神経が切断されてるんです」と言ったら、信じたかもしれない。
柔道場の端にある、寝技の乱取り開始を示すタイマー(ブザー)が鳴ると、俺はさっそく横四方固めでT君を押さえつけて、右拳の先を太ももに突き立てた。するとT君は痛がって、俺の腹を突いて逃れようとする。
「お前、俺に力で勝てんの、勝てんの? 勝てないでしょ!? 頭使わんと、ほら。前に教えたやろ? 逃げ方を……」
横四方固めで抑え込まれた状態のT君は、腕をなんとか両者の間に差し込んで、背筋で跳ねて逃れようとした……それが正しいやり方だったら、そのまま逃がしてやる。それで、また瞬間的にヤツに覆いかぶさって、抑え込みに持っていくのだ。T君は逃げる。ひたすらそれを繰り返す。
俺の抑え込みから逃れたとしても、T君がこっちに向かってこず、亀の姿勢になろうとすると、すかさず両手で奴の柔道着の胴と太腿を掴んだ。
「よいしょっ」と持ち上げると、奴の体がひと時宙づりになった。そのままクルリとひっくり返して、横四方固めでまた抑え込んだ。今の選択はアウトだ、敵前逃亡である。この寝技練習では、攻撃行動以外は認めない。
寝技になると、T君がたまに覚醒する。俺の動きがわかってたみたいに、例えば、真上から抑え込もうとした俺の膝をピンポイントで蹴っ飛ばして、転がして、そのまま上に乗ってしまう。
俺は両足をヤツの足に絡めてガードするのだが、巧みに外して、抑え込みに持っていく――縦四方固めが完成した。
こんな具合で、いい動きをした時には認めてやる。褒めるんじゃない、認めるのだ。そいつのパワー、気概、実力を。褒めるってのは、親が子どもにやるものだ。コーチと選手って対等な関係だろ。
T君は膂力(りょりょく。腕の力)があるうえに、寝技のセンスがあった。寝技というのは、ガッチリ決まると体力差に関係なく勝利できる。当時まだ20代半ばだった俺の体力はT君をはるかに上回っていたが、それでも抑え込みから脱出できないことがあった。
ただ、悲しいかな。彼にあるのは寝技だけだった。立ち技は本当にダメだった。まったく才能がなかった。
せっかくパワーがあるのに、釣り手で相手の奥襟や背中を掴むことは皆無であり、いつも前襟だった。運動神経がないから、せっかく神業的なタイミングで大内刈りや払い腰に入ることができても、相手を投げるに至らない。遅すぎるのだ。
ただ、彼はよくやっていた。性格やキャラクターはいじられ系芸人のそれだったけど、リアクションはよかったし、部員みんなから好かれる存在だった。そういう雰囲気をもった人間だった。
時期は半年ほど戻る。
いつぞやの試合でT君を内股で吹っ飛ばした名門校の選手と、ラーメン屋で同席したことがある。T君と俺と、あの選手N君が一緒になったということは、おそらく試合の帰りだったのだろう。
あれは、福山駅の駅舎の外に入っているラーメン屋だった。名前は忘れた……なんとか吉だったはず。そこで、T君にラーメンをおごってやろうとして、カウンター席がいっぱいで4人掛けのテーブル席に通された。
そしたら、おかみさんが来て、「相席でもいいですか?」と言うのだ。それで待っていたら、N君ともう1人の柔道高校生が向かいのテーブルに付いた。2on2の相席Styleである。
そのN君だが、痩せ気味で精悍な顔つきをしていた。体形は相当細身で、背丈は185くらいか。T君と同じく81kg級の選手である。もう1人は、100kg超級とおぼしき超アンコ体系の子だった。棟田選手以上の丸々とした感じだ。
2人とも、耳は完全に潰れていた。どちらも社会人に近しい貫禄があった。眼光が鋭い。スポーツ特待生で高校入るような奴って、雰囲気からして違ってる。
俺の耳もやはり潰れている、大学卒業して釈迦人デビューするにあたり、手術で直すという選択肢もあったが、餃子耳の方がハクがつくと考えていた。T君の耳は、この時潰れかけだった。
会話、どんなだったかな。そうだ、N君がT君に話しかけてきたんだ。
それでT君も、ラーメンを待ちつつ水を飲んで彼と話をしてた。
思い出せる範囲だと、こんな会話だった。覚えてない箇所は端折っている。
「高校入ってやっとるよ」
「そうなんだ。やっぱりこの辺の学校は、そういう子が多いのかな」
「えー、すごいやん」
「親に無理やり。両親とも柔道してて」
「それで、ここまで強くなれたんや。すごいね」
「内股めっちゃすごいやん。カミソリみたい。サクッと相手が飛んでくよね。マジですごい」
「伝家の宝刀な。あれだけは自信ある。けど、強いヤツは世の中にいっぱいいるし。俺もまだまだよ」
「自分、N君には一生敵わないな。多分。こないだの試合、内股で空中5回転しとらんかった?」
「(テーブルを叩きながら)してた、してた!! なあ~」
※隣の高校生が関心なさそうに頷いていた
「もっと勢いが強かったら、会場の窓ガラスを突き破って護国神社に落ちとったよ」
このあたりで、俺のイラつきを察したのか、N君の隣の高校生が彼を小突いた。
「T君さ。今度オレと試合するのいつになるかな」
「冬に県に繋がる個人戦がなかった?」
「それ、無差別級だけだろ。あの大会は、ベスト8までは全部うちの高校が占めるし、そこまで登ってこられる? それにベスト8が決まったら、例年それで市大会は終わり。解散。1位から8位の順位はうちの監督が決める」
「えー、そういう仕組みなん?」
ここで、隣の高校生がN君の肩を叩いた。
「そう、そういう仕組みな。次の試合は春しかない。あと1回だけのチャンス」
「うん、当たるの楽しみにしてる」
「そんなんされたら、自分死ぬし!! ボンレスハムだし、チャーシューだし、畳をバウンドしちゃうよ」
「楽しみにしてる」
ここらへんの場面で注文したラーメンがきた。それで、あとは皆黙々とラーメンとか餃子を食べて、解散した。
あの店は、とんこつラーメンのアレンジ系が美味かった。当時はよく利用してた。もう軽く十年以上は行ってない。残りの人生で行くこともないのかもしれない。
※書いてるうちに思い出した。福山駅前の八十吉ラーメンである。
ただ、あの頃のT君とは、できれば一緒に行きたくないな。財布的な意味で。
当時、たまに2人きりでご飯をおごってやることがあったけど、あいつ、ラーメン替え玉4杯+チャーハン+から揚げ+餃子5人前とか食べ切っててビビったわ……食欲が凄まじい。ラーメンが4杯で終わりなのは、その頃にはスープが無くなるからだ。
俺はその半分しか食えなかった。食欲においては、完全に俺の負けである。事実だ。認めるしかない。
そんなこんなで、最後の公式戦までの日々は風のように過ぎていった。
この匿名ダイアリーを書くにあたり、約二十年前の記憶を思い返している。正確じゃない部分はあろうけど、そこまで間違った内容でもないはず。一部ではあるが、当時の記録媒体を基にして書いてることもある。
あの日々は、けっこう幸せだった。柔道部の成績は悪かったけど、気合いが入った部員も出てきていた。そういえば、あの時そういう行為をした女子マネージャー(妹)も、あれから特にトラブルはなかった。これまでどおりの、柔道部顧問とマネージャーの関係だった。いや……ごく稀にプライベートで会うことがあったか。
何度か変なことがあった。双子の姉の方と柔道場の入口で談笑してると、妹の方がやってきて一緒に話に入ったのだ。不自然なタイミングで。無理やりに近い。それは、姉じゃないもう一人のマネージャーと話してる時もそうだった。
ちなみに姉の方は、マネ子に比べると若干明るい性格だった。俺ともT君ともほかの部員とも仲良くやってた。天性のコミュニケーション能力があるタイプだった。底抜けに明るいわけじゃないけど、不思議と安心感のある、温かみのあるキャラクターだった。
マネ子の態度は、上記を除いては普通だった。何か月かに一度は、俺も含めた部員みんなにお菓子を作ってくれたし、バレンタインデーには手作りチョコレートくれたし、大会前には率先して雑用を命じてほしいと志願したし、俺の誕生日にネクタイピンをくれたこともある。
私学だし、まあいいかと思ってもらってた。あの子の財布は大丈夫かなと思ったが、月のお小遣いが一万円と聞いて納得した。友達と遊びに行く時などは、母親から別途お金がもらえるらしい。医者の娘は違うな……と、月四千円の小遣いで寮暮らしをしていた高校時代に想いを馳せたっけ。
別に、妹の方とまたセックスしたいとは思わなかった。「したい」という欲求はあったけど、でも教師としての責任感が勝ったのだ。 訂正;間違った記憶でした…
ただ、俺という人間は、やはり異常だったと思う。ちょっと性欲が強いのは間違いない。そちらの方には正直だった。あとは~~子どもの頃に柔道や陸上をしてたのだが、絶対にうまくなりたい! という情念が強くなりすぎて、体を痛めて指導者に怒られることがあった。夢や目標に対しては猪突猛進だった。
性欲、性欲……と、今思い返してみて、人としてよくなかったと思えるものを最低3つは思い出すことができた。ひとつだけ、あれはまだ5才か6才の時か。両親が忙しい家庭だったので、日常の世話は祖母が見てくれていた。いつも、祖母と実妹と一緒に寝床についていた。
いつからだろうか。動機は定かではないが、まあ原初の感情とでも言おうか。夜に寝床にいる時、暗闇の中で祖母と一緒に寝ている時に、祖母の衣服を脱がせていた。「ねえ、ばあちゃん。服、服脱いで」と無邪気に笑って、祖母の服を脱がせていた。それで裸にする。
そして、お互いに裸になって、抱き合って布団の中で眠るのだ。抱き合うだけじゃなくて、ほかにも明らかに色々してたけど、やはり幼子とはいえ異常な行動だったと思う。
妹に対してもそうだった。妹に対しては、ほぼ毎日のように服を脱がせていた。妹は「いいよ」と言ったこともあったし、「いやだ」と言うこともあったけど、お構いなしに服を脱がせた。祖母が近くにいても関係なかった。とにかく脱がせて、納得いくまで裸で抱き合っていた。原初の感情だった。
愚かなことだった。反省している。でも、あの時の感情は本物だった。あの時、まだ小学生ですらなかったけど、俺は「女を抱きたい」と確かにそう思っていた。リアルだった。
次です