はてなキーワード: 三丁目の夕日とは
1964年の三丁目の夕日の世界への郷愁だったり「昔はよかった」的に「亀倉エンブレム」は良かったと言いたい人がいるのは分かるけどな
そういう人しかいないと思ってたけど(あと日本すごいと言いたいだけのネトウヨ)
あれが純粋にデザインとして圧倒的に優れている、なんて主張する人もいるのか。
ほんとどこが?と言う感じ。むしろ今の感覚だとダサいと思うんだけどあれ。
http://anond.hatelabo.jp/20150814172406
東京五輪の話題でマスメディアでもネットでも必ず「前の大会のエンブレムは最高だった」って一言が登場するのだけど、いやそこまで褒め称えるようなデザインじゃないっしょ。
単に日の丸デーンとアピールするだけのデザイン。シンプルでいいけど国旗描いただけじゃん。他の大会のほうが良いのたくさんあるよ
感性の問題でもあるから「最高だった」「圧倒的だった」って人がいてもいいけど、今や「最高」「圧倒的」と必ず言わなきゃいけないメディアの状況は身内褒めとしか思えない
1964年の三丁目の夕日の世界への郷愁だったり「昔はよかった」的に「亀倉エンブレム」は良かったと言いたい人がいるのは分かるけどな
今の日本で洋楽を聴くことなど普通だが、それは欧米の音楽に限った話であり、エジプトの、しかもインディーズ音楽を聴こうと思ったら大変だ。
まず情報収集。ググったところでネットにも情報は少なく、あっても英語である。四苦八苦しながら基本情報をゲットする。
金もかかる。TSUTAYAでレンタルなどできないから、失敗しないよう吟味した上で、覚悟をもって購入する。
自分の好きな音楽の傾向が分かってきて類似アーティストを開拓しようと思えば、また英語サイトの巡回である。
大変だったが、「苦労して欲しいものを手に入れる」プロセス自体を楽しんでいる自分もいた。苦労して手に入れた曲には、TUTAYAでまとめ借りしたアルバムにはない、不思議な輝きがある気がした。
舞台は60年代の二本、主人公の高校生が片思いする女子がサイモンandガーファンクルか何かのファンで、主人公はその子の前で「最新のアルバム持ってるよ!」と見栄を張ってしまう。その後、主人公は慌てて友人という友人を当たり、サイモンandガーファンクルファンの友人を見つけ、LPを無理矢理借りて、少女に自分のものと偽って又貸しするのである。
ググればいくらでも情報が手に入り、youtubeで違法ダウンロードできる現代とは違う。S&Gクラスのビッグネームであっても、アルバム一枚入手するのにそれだけ苦労する時代が有ったのだ。それは確かに不便だが、どこか羨ましくも感じる情景である。LP一枚手に入れる間にも、情緒が有り、ドラマが有る。
そんな風に苦労してエジプトのアーティストの音楽を楽しむ日々が少し続いた後、アップルミュージックがリリースされた。アプリが履歴から俺の嗜好を分析してエジプトだろうが中東だろうが異国のアーティストの音楽をどんどんおすすめし、高音質な音源が全て定額で聴き放題。
俺はすぐにその利便性に溺れた。
三丁目の夕日を読んでいて、ふといずれ自分が子供の頃食べてた食事も珍しく思われるのかなぁと思った。
小学校のときは給食だったから、朝はほとんどパン。絶対超熟(PASCO)。
トーストにしてマーガリンとジャムを塗ったり、ダイエットなんかも気にする年頃になるとマーガリンはやめてクノールのカップスープに浸して食べたり。
お昼はお弁当。玉子焼き、ベーコンとピーマンの炒め物、昨日の晩の残り物の煮物、牛肉の生姜煮、にんじんといんげんの豚肉巻き…。
冷凍食品なし。逆に冷凍食品のおかずの友達が羨ましかった。海苔巻きチキンとかちっこいグラタンとか…。今は、今となってはマミーの弁当のスヴァラシサはわかるけどね。
夕飯はうちの家は基本大皿料理。それをみんなでつついて食べる。
なんせ野菜が多かった。
菜っ葉とお揚げの煮物、こいもの煮物、お豆腐と大根を炊いたやつ。
あと茄子の素揚げにマヨネーズとしょうゆかけた謎の旨すぎのやつ。ゆで卵の黄身だけ取り出してベーコンとかマヨネーズであえてまた白身に戻してフライにしたやつ。ロールキャベツ。うどん。
お肉は時々。おかんの作るハンバーグとんでもなくおいしい。あとグラタンもおいしい。
洋食が出るとテンション上がった。あと焼肉は家の庭でやってた。
おやつは家にあるクッキー食べたりポテトチップス食べたり、あとばぁちゃんからもらう白餡が入ったちっこい四角い焼き菓子。
お寺さんでもらう丸いおもち、祭りでもらうゆでたての枝豆、近所の小売のお店で買うウイスキーボンボン。
自販機で出会う新商品。アンバサのいちご味出たときのアガリ感。
そんな80年代のメシ。
「歳相応」という世の中の空気によってパターン化された年代のモデルが崩壊。
好きに生きられるようになった結果、若いころのママで居る人が増えて、コミュニケーション能力が必須になった。
粗雑な要約からも分かる通り、コミュニケーション能力が必要とされる機会の増大の部分がちょっと弱い印象。
世代間コミュニケーションのような、世代を自覚せよ、という結局世代という枠に納めないとイカンのかいな、という感じ。
読んで真っ先に思い出したのはキムタク。
ただ、若い趣味が続けられる、若いままでいられるというのは、別に悪いことじゃないと思う。
それが出来ない人間が脱落したり、それでいる為にコミュニケーション能力が必要とされてキツくなるっていうのは、
脚気を思い出した。江戸患い。白米の食い過ぎで発症してた病気。蕎麦食え。
昭和の頃は良かったなあ、からの、若作り・晩婚化・孤独死の三段落ちを未成熟で繋げて原因に設定する感じ。
思い出は美化されるような気がするし、増田にもあったけど、空気感で「歳相応」に矯正されてた頃の弊害は意図的にスルーしてる印象。
議論が発散するしストーリーから外れるからなんだろうけど、「歳相応」を強制されるってことは、外れた人には辛いワケで。
出戻り、行き遅れ、独身が昇進できない、夫婦は子供を作るもの、若くないんだから。
年金支給開始も遅くなるぐらいみんな元気に長生きになってるわりに、区切りは付けたいというところに違和感があった。
なんというか、ある特定の時代へのノスタルジーが透けて見えるというか。
誰も歳を取らなくなったように見えるから、若いままで居なければっていう強迫観念の一部の患者向けの為の処方箋
病気自慢を始めちゃうようなオッサンになるなら、あんまり気にしなくても良さそう。
命短し恋せよ乙女みたいな、今年の夏は今年だけみたいな、人生は後戻りの出来ない廊下を歩いてる感じを意識するのは難しいんじゃないかな。
ぶっちゃけ、乳児期とか老年期とか、人によって開始も終わりも違うわけじゃん。
富裕層と貧困層みたいな、カネの差は判りやすいけど、身体にも差があるわけじゃん。
ブスも美人も、ガリもアスリートも、ある程度は持って生まれたモノってのがあって、
絶対的な数字である年齢を基準にしなきゃ不公平だっていうそういう絶望みたいなものがなんとなーく見えなくもない。
成長期、安定期、衰退期、移譲期、みたいな年齢から切り離された言葉で自分の状況を語る必要があって、
自分は安定期を長くするために、関節に負担をかけない運動を続けようかなー、みたいな。
なんつーか贅沢だよね。
ただ、脚気にせよ成人習慣病にせよ、社会構造が変わったことで生まれた病気てのには対処しなくちゃいかんだろ、というのは判る。
話題として読むには面白いんだけど、コラムというか雑談というか、何かを期待して読むのは違うかもしれない。
正直なところ昭和な頃って、成熟してたんじゃなくて、成熟してる、ということにしてただけな気がするんだよね。
未成熟でも成熟として扱ってもらえた時代、というか。そう振る舞うことを求められて、未成熟部分は見えないことにされた、みたいな。
全体として、ちょっと本でも読もうかな、という時に気軽に読める新書。
「老い」について考えたいなら、モーニングKCの『きのう何食べた?』(よしながふみの漫画)を読んだ方がタメになる気がする。
料理美味しそうだしね。
きのうの増田の続き。
http://anond.hatelabo.jp/20140223194724
国が年金システムを維持するということは、その60,70の団塊に報いるというモチベーションなのだろうか。若い世代から尊敬も得られないし、せめて年金は維持してあげよう。みたいな。もしくは失敗だったと認めたくなくてズルズル続けてるだけなのか。
でもその結果、無理がたたって現役世代が大変なことになってるわけだ。納付率もガンガン下がるし。年収400万以上の未納者に強制徴収するらしいね。あちらを立てればこちらが立たず。そんなんだからますます世代間対立は深刻化するし尊敬も減る。悪循環。
win-winになるためにはどうしたらいいか。無理かな。
収入あるひとは年金の支給額を減らせばいいんじゃね?強制徴収と同じ論理で。その代わり、団塊はこんなに国に対してがんばったんだよ貢献したんだよアピールを国策でやる。たとえば義務教育の中に入れるとか。靖国神社で団塊の世代コーナーを作って祀るとか。ALLWAYS三丁目の夕日3を作るのに国がカネ出すとか。それで尊敬の念の底上げを図る。カネは減るけど名誉をあげるから許して。みたいな。二階級特進。
話かわるけど、いま国会や地方議員の集票のメイン世代は中高年だけど、でも、その中高年の意思として「若者や未来への投資をしよう」ということがあっても良いわけだよね?でもそうなってないよね。つまり凡人には他の世代に気を配れるほど余裕や大局的視点はないということだ。特にに団塊は年上を敬う教育うけたわけだし。
だから政府がその大局的視点に立ってコントロールする必要があるんじゃないか?でもそうなってないのは、win-winなんてどうでもよくね?おれら政治家は票さえ集まれば安泰だし。という考えで政治が動いてるからなんだろうなぁ。みんな日和ってんだなー。にんげんだもの。
良心の呵責を利用するのはどうだろうか。「中高年たちの、若者や未来への投資をしようという意思をくみとって、年金改革をします」と切り出すとか。それはまるで、電車で「本日も乗車マナーにご協力ありがとうございます」とか、トイレで「キレイに使ってくれてありがとう」と張り紙してあるのと同じ戦略で、明示的に表立って言われたらどちらかというと「若者を蔑ろにする」なんてお行儀の悪いことは言いづらいわけで、そういった良心を刺激してみるテスト。
でもまあ、年上を敬う教育うけてきた人たちだから、ふつうに真顔で「若者なんかよりも年上敬えよ」って言うだろうけど。
八方塞だよねぇ。死にたくなるよね。
「win-winとかwwwwww共産主義かよwwww」みたいなノリなんだろうかなー。みんな幸せになるなんてファンタジーなのか。せめて一部だけでも幸せになるために奴隷がいるのか。
三丁目の夕日賛美とかを持ち出して
昔がよかったなんて言うな、昔を美化するなって言ってるけれど
少なくとも空気読めない奴は今より昔の方が生きやすかったと思うんだが…
(男だけじゃなく女もね。農家のおかみさんや武家の奥方が全員女子力抜群だったとは思わないから)
それに昔と言ったって何百年も前とかじゃなく
つい十数年前くらいの事ならこっちだって覚えてる
今だと間違いなく障害者認定されて排除の対象となるしかないだろう、成績のいい変わり者の子供達が
「個性的」「将来大物になる」と持て囃されていた時代は記憶にあるよ
「昔は消費税がなかったから昔はよかった」みたいな事だってあるし
昔が全てよかった訳でもなく今が全て昔より良い訳でもなく
今より昔の方がいい点も昔より今の方が良い点もあるってだけだと思う。
オレは綺麗な絵だと思います。
あの絵単体を作品として見るなら、
ただ、あれっていわゆる学会誌なんですよね?
同人誌じゃないですよね?
たとえばこんな絵があったとしますよ。
お願い。面倒くさいとかいわないで。
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季節は晩夏にしよう。
まだ昼間は暑いけど、最近ちょっと日が短くなったわねっていうような。
時刻は午後~夕方早いうちかな。
場所は一軒家の門の前。
板塀に植木が見えるね。
平屋だよ。
豪邸じゃないけど、家屋も庭も綺麗に手入れされてるね。
祝日なんだね、きっと。
家の前に四人家族が出てきてるよ。
左後方にお父さん。
がっしりしてて短髪。
浴衣姿だね、ここは。
お父さんの右隣には、小柄でおとなしそうなお母さん。
もちろん優しく微笑んでるよね。
スポーツでもしてるのかな、お父さん似なのかな、やっぱり体格いいね。
お兄ちゃんの横には妹ね。
可愛いけど芯は強いんだよ。
赤いワンピースあたり着せようか。
結構お転婆さんだから、ワンピースもちょっと汚れちゃってていいかも。
ここまできたんだからダメ押しで、芝系雑種の愛犬も登場させちゃおう。
さて、これをセピアっぽい色合いで、郷愁を誘うようなトーンでまとめよう。
できた!
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ふぅ。
で、どうですか?
説明が拙くて恐縮だけど、イメージできました?
好みはあるだろうけど、ふーん、て感じですよね。
絵単体では別に何も問題ないですよね。
でも、これが政府広報物の表紙だったらどうですかね。
靖国問題がアツアツな今、
どうですか?
何か胸がザワつきませんか?
この絵を表紙にしちゃうのか…て思いませんか?
不穏な空気を感じませんか?
やべえ、日本マジやべえよとか思いませんか?
やべえっていう思いを口に出していかないと
もっとやばくなるよって思いませんか?
オレは綺麗な絵だと思いますけどね。
けどね。
走馬灯のように脳裏によぎったんでね。
考えると辛いから、今はやめとくよ。
http://www.zaeega.com/archives/53574263.html
http://www.huffingtonpost.jp/2013/12/15/akb48-asean_n_4450956.html
http://president.jp/articles/-/11181
http://wol.nikkeibp.co.jp/article/trend/20111118/116096/
じゃあ、みんなよいお年を!
ごく正直なことを言うとね、田舎のイオンってのは別に娯楽施設じゃないのよ。
無印だのUNIQLOだのがあって、服屋や飯屋があって映画館もあって、
結構な娯楽じゃない、とか言うでしょう?
んで、返す刀でファスト風土だの画一化だの言うじゃない。
あのね、田舎ってのはなんにもないのよ。
道の駅に物産は売ってる。野菜はどこでも取れるものばっかりだけど。
そりゃ、味噌だの干物だのは土地に根ざしてるからココだけかもしれんが、それがウチを代表する食品か?
問題はだ、ここはどこにでもある何の変哲もないところで、よそと置換できる程度の土地柄ってところなんだ。
そんなところでよ、下手にテレビでも見てみなさいな。
映画館は大きな街に行かなきゃねえって生活が、街に洋菓子店が1件って生活がよ、耐えられるかってことだよ。
生きていくって意味で言えばよ、ど田舎、ほんとに村とか山ん中みたいなトコに比べりゃ都会だよ。
DASH村みたいなな、娯楽つーと犬と遊ぶことでテレビ観るより星観たほうが良いって土地柄じゃ無え。
そんな半端なところにはな、もう特色なんてのは無いんだよ。
まあ、あるよ?郷土資料館にゃ土地の歴史ってのは沢山あることになってる。
寺社仏閣の由来だとか、変な石碑だとか、まー、観光客が来なくもない場所ってのも無くはない。
ただよ、例えば国の重要文化財に指定されている豪商のお屋敷と、神社の本殿拝殿があったとしてよ、
それが何なのよ。
神社の参道にある土産物屋とか、アメだのウドンだのを江戸の頃から売ってたみたいな店が潰れました。
近所にファミレスとマクドナルドと牛丼屋が出来てそっちに人が流れて。
それはファスト風土なのか?
そもそもの土産物屋だのうどん屋だの、もっといやどこぞから勧請してきた神社は、ファスト風土じゃねえのか?
あれか、全国にある小京都だの落ち武者の村だのは、ファスト京都とか言うつもりか。
どんだけ貴人が腰掛けた石が世の中にあると思ってんだよ。
まあいいよ、三丁目の夕日みたいな自分がちっちぇえころに既に懐かしかったモノを懐かしむって感覚は判らんでも無い。
品揃えが豊富ってほど豊富かは判らんが、スーパーより断然イイ。
UNIQLOなら都会だろうが田舎だろうが多少量が少ないだけでラインナップがまるで違うって事はなかろう。
参考書とドリルと女性向け雑誌しかねえような街の本屋に比べりゃ、多少微妙でもチェーン書店は魅力だわ。
そういうな、いわば村に電気が来た、って状況なのよ。
人が多いってことはイヤイヤ行ってるわけじゃ無えってことぐらいは判るだろ。
それでも撤退するってことはよ、そもそもやってけねえってイオン側が音を上げたわけだろ。
儲かってるコンビニの近所に直営店を出店させるのとはわけが違ってよ、
イオンが地元の商店街を潰そうと思って出店して、んで潰して、仕事終えて撤退するわけじゃねえだろ。
つまりだよ、その程度の客数商圏しか無えところで、イオンに人が吸い上げられて潰れる商店ってのは、
そもそもが潰れる運命にあったんだよ。
つうかよ、分り易くこういう言い方してもいいな。
オレらは、不満を持って仕方がなくその店を使ってた。そこしか無かったから。
それはつまり、画一化されたスーパーのほうがマシだったってことだ。
んで、その延長でイオンが来て、時期的に爺婆も弱ったり死んだりして閉店ラッシュになってよ、
まそりゃ直接の原因は違っても、イオンがって共通の仮想敵作って愚痴れば平和だわな。
商店街の端っこにあった文房具屋と共通の街の本屋を潰したとは考えたくないわな。
Amazonが悪い、うちも厳しい、ネットは無情だねってので微妙な感情を潰して飲んだり見まわり当番するのが大人だよ。
イオンってのは、そりゃもう室町だの江戸だのの頃から日本の地方が連綿とやってきた
んで、一極集中して、ソコが無くなったとする。
不便にはなるけどな、それだけよ。オレラは離島に住んでるわけじゃ無え。
そこそこの近所には大きな街もある。そこまで足をのばせば良いのよ。
つうか、そもそもからしてお母ちゃんのバイトだしな。新規に生まれた雇用が、元に戻るだけだあな。
商店街がすげえ人雇っててよ、イオンがその雇用を奪って売上も奪って、それでいなくなられたら困る。
でも、そうじゃねえんだって。
スーパーは無くなったから、自転車で行ける距離から車で行かなきゃならなくなった。そりゃ不便さ。
でも、それだけだよ。
ああ、いっこ思いついた。
マダム向けの洋服店ってあるだろ。何だあの服1500円って、みたいな店。
雇用だの洋服店が無くなって困るだのって人は、どんだけ居るかってのに似てるな。
金物屋の近所にホームセンターが出来て、金物屋が潰れた。で、ホームセンターが撤退した。
それですげえ困るし、地方の問題だって血圧上げるほどのことかよ、っていう。
車で行ける距離にいっこもホームセンターが無えってこた無えよ。
だからよ、生活インフラをイオン一社によりかかるのが問題だ、イオンには責任が、とか言うんであればよ、
そもそも洋品店だの金物屋だの、肉屋電気屋氷屋みたいなのが高齢化して店畳んでるのも同じ問題だろうがよ。
でも、金物屋の爺さんが歳だから店閉めたいって言った時に、地域社会に対して無責任だって言わねえだろ。
繰り返すけどな、田舎にゃなんにもねえ。でも、ホントになんにも無えわけじゃ無え。
イオンが集中させた程度で潰れる店ってのには、しっかりしたスーパーは入って無え。
中学校に納品してたとこがアスクルに取られた、みたいなのの方がよっぽどヤベエよ。
だから、イオンが来て、そのしわ寄せを食って辺り一帯焦土になって、それでイオンが居なくなった。
じゃあ、となり町まで行くべか、って程度の話だよ。
なんか誘致するのに税金投入してなかったっけ?とかのが問題だと思うんだよ。
廃墟モールにゾンビは沸かねえけど、やっぱガキは溜まるし変に治安悪化の要因になるだろうしな。
頭良い人はよ、ソッチのほうの問題考えてくれねえかな。ファストファスト言ってねえで。最近はあんま言わんか。
まだ表面化してないから良いけどさ、
そのうちリフォーム詐欺と同じく社会問題になるだろうから愚痴らせてくれよ
「空き家」って、要は「住宅として価値の無い土地」と同義だから。
自治体が頭抱えてる「空き家」は、所有者が何するつもりもなく放置されてる家な。
賃貸に出すとかじゃなくて、そもそも放置してる。完全なあばら屋。
不動産屋がなんかしようとする「空き家」ってのは、所有者は貸す意志だけはあるけど、
馬鹿だから値段下げてないヤツな。建て替えるカネがないとかも同じ。
これって、完全に別物だから。
一緒にするとややこしいから、「放棄家」と「空き家」って呼ぶな。
まず簡単な方からな。
一人暮らしのジジイがボヤだして、老人ホームに突っ込まれたとするな。
まあ、日本は豊かで医療技術も恐ろしく高度だから、ハッキリ言ってなかなか死なねえ。
すると、その爺が額に汗して働いてやっとこ建てたマイホームってやつは、空き家になる。
老人ホームに突っ込まれるくらいだ。
子供が居ても没交渉だったり、まあフツーは子供にも子供(孫な)がいて、そっちも別にマイホーム建ててる。
するとだ、
「ワシの家だ!」とかジジイが血圧上げなくても、フツーは維持する。そもそも相続してねえし。
んで、ある日ジジイが天寿を全うする。喜寿も超えてりゃ大往生だ。
するってえとだ、30で建てて50でちょいと手直しして、そっから20年近くたったボロ屋が残るわけだ。
繰り返しになるが、相続する子供ってのはこの時点ですでに「自分の家」ってのを持ってるのがフツーだ。
するとどうなるか。
駅近だったり都心だったりするとだ、そもそも爺が死ぬ前から不動産屋だのデベロッパーだのが日参してる。
面倒だろう俺らが全部やるから金に変えちまえよ使い勝手いいぜ金、と言うわけ。
まあ嘘じゃない。
当たるとはかぎらねえし、素人が下手に手を出してやけどするよりゃエエがな。
これはまあ、言って見れば土地の新陳代謝ってやつで、ジジイと一緒に輪廻転生するというわけだな。
こりゃ問題ない。というか、実にハッピーなケースだ。
で、だ。
アンハッピーだとどうなるかっていうと、これがどうにもならない。
ボロ屋はある。潰すにゃカネがかかる。さらに固定資産税は6倍に跳ね上がる。
「は?お義父さんのボロ屋、解体にお金かけた上に、今2万の固定資産税が12万になるの!?更地にするって馬鹿じゃないの!!」
まったくもってごもっとも。
馬鹿しか更地にしねえんだわ。ご近所の目?そもそも住んでねえし。
んでまー、こういう場合でも子供が世間体を気にしたり、真っ当に相続してりゃまだやりようもある。
近所が不安がるし解体費用は出すから潰してくんね?と役所から人が来りゃ善処はするわな。
複雑な相続関係とか、そもそも何処住んでるか判らねえとか、3人が均等に相続してたりとか。
こういうのにぶち当たるとだ、もうしちめんどくせえから生活笑百科で仁鶴師匠にまあるく収めてもらえ
(つうか、価値の無い土地の寄付を役所が受け付けてねえのが問題だと思うんだがな)
こりゃまあ、実は放棄家とも絡みがあるんだが、結局値付けするのが素人なんだわ。
住宅市場って、海千山千の不動産屋が跋扈する魑魅魍魎の世界だと思ってるだろ?
マンションだの地上げだの、新幹線が通るので原野を買いませんかなんてのはその通りだ。原野には手を出すな。
でもなー、サラリーマン大家に代表するように「大家」ってのは、「素人」なんだわ。
不動産売買でも、こすっからいプロのやるところってのは、流通もすりゃ売れもする。
でもな、「おやじの土地を相続した」なんてボンボンは不動産の素人だが、値付けはこいつがする。
不動産屋もほっとく。
なんでかって?広告載せんのにちっとばかりお駄賃もらえるからだ。
バカがバカな値付けでバカったけえ家賃をだぼらに載せてるとだ、手数料がいただけるわけです。
売買も同じ、な。
そりゃあ固定資産税もかかるわ昔住んでた思い入れはあるわって三丁目の夕日ばりの思い出の家が、
むしろウワモノ分マイナスになるから300万円ですって言われてハイそうですかと手放せるクレバーガイばっかりじゃねえ。
まあ、まだ売れる土地ならやりようもある。
ちっとばかり素人値付けに付き合って、ぼちぼち焦れてきたアタリで買い手に「こりゃ交渉すりゃ下がりますって」って言いつつ
段階的に値段を下げさせる。結局、フツーの値付けに落ち着いてまあまあ値引きさせつつ円満に取引を完了する。
賃貸も同じだあな。
そこそこ近所と同じ家賃になって埋まるってのがフツーのケースだ。
建てちまった農家のジジイだってわかってんだ。自分の地方が衰退してるなんてのは。
電気もある、ガスもある、車もそこそこ走ってる。仕事は1人に1つねえ。
こりゃまあ宿命だ。
じゃあなにが判り難いかって言うとだ。
塩漬けだ。
バブルは土地が高かった。あの頃の値段を覚えてると、まー手放さねえな。
すると値段は下がらんな。
しかも、前述のとおり不動産屋は別に成約しなくても困らなねえ。
どうせ人気のあるトコはちゃんと動きがあって手数料が発生するし。
よく、地価が下がれば家賃も下がるから家買っても借りてもおんなじだって話あるだろ。
あれはまあだいたいあってるけど、時差がある。
家賃ってのは、なかなか上がったり下がったりしねえんだわ。
液状化で販売価格がずどーんて下がっても、家賃はあんま下がんねえ。
販売価格相場ってのは、成約価格に左右される。基本的に過去の値段は関係ねえ。今が重要。
でもな、おんなじ間取り同じアパートで値段が極端に変わったりは、まあしねえ。
既にその家賃で借りてる奴が居るってのは結構強力な意味を持つ。
売買においては、それは絶対だ。
でもな、その話を素人はききゃしねえ。
3年前に2000万でマンションが売れたって聞きゃ、同じ値段で売りたいと思うのが人情だ。
でもな、お前のマンションより駅近に2500万の新築マンション建っただろ?だれが買うんだその中古。
かくて新しもの好きのハッピーアツアツ新婚家庭は新築を求め、微妙な中古は売れ残り、空き家が問題と相成りました。
結婚指輪を質屋で買って新婚旅行は熱海に行った家庭だけが石を投げよ。
否定はしねえよ。中古のランドセルを買う親は賢いんだろうが、子供の心にシコリは残る。
そのシコリは単なる幻想だが、幻想ってのは集団の圧力が形作る。
そして、新築住宅ってのは一定以上の需要がある。便利な土地にゃ限りがあるが、古い建物は取り壊せる。
ま、土地は減らねえな。
判りやすく言い直そうか。
昭和の半ば、日本住宅公団って皮を被った国が、地方出の労働者のために家を大量に作った。
団地妻ってのは、憧れの象徴だったんだよ。団地を買ってマイカー持ってるお父ちゃんってのは、誇りだった。
つまり、今は見る影もないあの大量の公団住宅は、その当時はまさに素晴らしい「土地」だった。
そこは(通勤は大変だが)人が住みたがる素晴らしい「土地」だった。
んじゃ、今はどうだ?
50人しか住めないマンションに100人が応募すりゃ、価格は高騰してアタリマエだ。
でも、50人も住めるマンションに30人しか応募しなけりゃ、人気のない部屋には価格は付かない。
でも、マンションの不人気部屋20のオーナーは、そんなことは判らない。
というかだ、判っても認めない、認めても言わない、言っても聞かない。
そんなところに現れる「いま空き家をリノベーションして若者向けの物件にすれ(以下略)」って業者だ。
おお、ウチの物件はそこが足りんかったのか!
いまはいいよ。
不便を楽しむみたいなモノ好き多いから。
すきま風のある和風な佇まいってのは、人気がある。蚊帳つっちゃったりな。
ただなー、これ、お大尽遊びなんだよな。
そんな世の中儲かってるデザイナーだのウェブクリエイターだのではあふれてねえよ?
どーしよーもねー土地にある空き家は、どう作り替えたってどうしよーもねー土地に立つ物件になるよ?
使い道のある「土地」に建つ「ボロ家」は、業者が狩り尽くすから存在しねえ。
使い道のない「土地」に建つ「ボロ家」は、使い道がねえ。
それは「空き家」をどう活用するかじゃねえ。「土地」をどうするかって話だ。
んでもって、人が減るってことは、「便利な土地」の基準が上がるってことだ。
たとえばこういうの
http://b.hatena.ne.jp/entry/mainichi.jp/select/news/20130419k0000m030071000c.html
nuicksilver
肥料ならしょうがないな。原発にしろ現代はこういうリスクが集中して大きくなってて、昔のままやってたほうが幸せだったのでは?と思う。そして合掌とかご冥福祈るなら芸能よりこっち2013/04/19
農業や化学の進歩によって昔と比べてどれだけ乳幼児期の死亡率が低くなったか。
そういうことをまったく無視して「昔は良かった」論。三丁目の夕日ノスタルジー。
個々の事象に脊髄反射してるだけで統計的にものを考えられない。
最低。
http://blog.tatsuru.com/2013/01/12_0952.php
本当は、若者の手助けを求めている職場はいくらでもあるんです。中小企業もうそうですし、農業林業漁業のような第一次産業、武道でも能楽でも伝統文化も継承者を求めている。
でも、翻訳の下訳したり、ラジオドラマの台本書いたり、家庭教師をしたり、友だちが持ち込む仕事だけでけっこう愉快に過ごしていました。
僕に仕事を頼んでくる人の方が僕の能力や適性について僕以上によくわかっているということ。向こうは僕にならそれができると思うから頼んでくるわけです。
とりあえず『猫の手も借りたいくらいに人手を求めています』という現場を探して、そこで働いてみてください。とりあえず呼び声が聞こえない就活生は全員被災地のボランティアに行けばいいんじゃないですか。
無責任極まりない呆れた言説。時代錯誤の自分探しのススメ、大企業に選り好みするなというネオリベ強者論、景況感がまったく違う時代で物を語る三丁目の夕日ロマン、日本電産永守ばりの十年泥思想、ブラック労働礼賛、挙げ句の果てには被災地を自己実現の道具扱い・・・
追記
nighter13
この人の中では、右翼=橋本と対立するので、内田=左翼となってるんだろう。人間で価値判断し、意見そのものを価値判断できない。ま、みんなそうだが。
あのさあ。もし橋下や石原や竹中が「就活に失敗した学生は被災地でボランティアでもして人間力をつけろ」なーんて発言したら、即はてサのみなさんがやってきて大炎上ですよ。
自動車産業が抱える問題って、現在の日本の置かれた状況を象徴するものだよなぁ、と思い、少し掘り下げて考えてみた。「推測」と書いたのは、バックデータ・統計資料にわざわざ時間をかけてあたる暇はないので、状況証拠だけで考えていくということだ。暇な人、もしくは自動車産業関係者のマーケターの方、もしくはマクロ経済の専門家様、データを元にこの推測、といいますか仮説を検証してみてくださいませ。
「自動車の国内市場規模は縮小の一途。特に若者がクルマに興味を持ってくれない。」というのが、業界的に広く共有された悩みのよう。その典型的な事象の捉え方が痛いニュースのこの記事。
痛いニュース(ノ∀`) : “若者、車離れ” 日本国内で車売れない…トヨタ、本気でアイデア募集 - ライブドアブログ
この2ちゃんねるまとめブログで、板の題材として選ばれている記事がこれ。
国内で車売れない危機打開策 トヨタ本気でアイデア募集 (1/2) : J-CASTニュース
ま、痛いニュースとJ-CASTなので、、、、、でも、こういうメディアって、一般的な状況の捉えられ方やルサンチマン的なストレスを推し量るには本当に都合がいい。でもJ-CASTの元記事にはファクトデータも載っている。ちょっと引用してみると、
国内での販売は2年連続の減少だ。ダイハツ工業、日野自動車を含めたトヨタグループ販売は前期比同4%減の227万台と、米国販売との差が広がる一方だ。国内市場全体の落ち込みより減少幅が小さかったため、トヨタのシェア(軽自動車除く)は過去最高の45.8%まで上昇したが、トヨタ車単独で11万台の減では、シェア上昇も手離しで喜べない。
国内の自動車需要(全需)は、2006年度の軽を除いた日本国内の新車販売は前年度比8.3%減の358万台と、29年ぶりの低水準だ。登録車市場の低迷の原因としては、経済性や実用性を求めて軽自動車に人気が移っている影響とされてきた。しかし、軽を加えても同4.1%減の561万台であり、国内市場全体が収縮していることが鮮明になっている。
要は、
ってこと。ちなみにこの元記事は1997年という4年前のもの。
で、その対策として当時のトヨタは、
トヨタは06年末に社内横断的なチームを立ち上げ、国内低迷脱却のアイデアを懸命に探り始めた。
対策チームは、自動車という商品の枠内だけで解答は出さず、地域や社会全体の問題の中で消費を喚起する自動車を改めて模索している。携帯電話などの情報関連の支出が増えた若者の「車離れ」や、少子化による若年人口の減少による市場構造の変化を深刻に受け止め、車が売れなくなった構造要因に真剣に目を向けざるを得ない。地域ごとの特性や家庭の年代構成、消費者の行動なども踏まえて自動車市場全体を抜本的に洗い直そうというものだ。
少子化対策は政府でも有効策を打ち出せていない難題中の難問だ。それでも、トヨタの渡辺捷昭社長は「国内市場を活性化するためには、何よりも市場創造型のいい商品を投入することだ。地域の活性化を含めて、いろんな手を打っていきたい」と、社内チームの試みに大きな期待を寄せている。
というわけで、「国内市場をどうにか活性化させるための手を打ちたいと考え、具体的なアクションを起こしている」というメッセージを打ち出したわけですね。
それに対して2ちゃんねる側の反応はだいたい2分されていて、
となっている。
で、このあと2010年になってどうなったかというと、、、、市場動向、トヨタの対応、そしてネット民wの反応がツンダオワタ情報にまとめられている。(本当は産経新聞の元記事URLを引きたかったのだが、既に削除済み。というわけで、元記事の存在証明はないところはご容赦を。(だから、論文とかでは、データとしては使えないなぁ、、、増田で使うのが精一杯。)
豊田社長「マスコミは若者の車離れと言うが、離れているのは私達メーカーではないのか」 - ツンダオワタ情報
まずはトヨタがどのような手を売ったのかというと、、
トヨタは今年1月に「スポーツ車両統括部」を立ち上げ、スポーツカーの企画や開発に関する最終権限を経営陣から現場に移譲。スポーツカーの復活とともに、走る楽しみを演出する複数の
プロジェクトが始動している。足回りの良さにこだわった特別仕様車を相次ぎ発売。4人乗りで世界最小の「iQ」6速MT搭載限定車は予約開始から1週間で完売。
9月3日。強い日差しの下、静岡県小山町の富士スピードウェイで、1台のスポーツカーが強烈なエンジン音を響かせていた。12月から世界限定500台で販売が予定されている高級
スポーツカー「レクサスLFA」(価格3750万円)。報道関係者らを対象にした試乗会が行われていた。LFAの最高時速は325キロだが、この日は1周4.5キロのコースを約2分で駆け抜けた。「ハンドルを握ったときにドキドキ、ワクワクするクルマをつくりたい」自らレースにも参戦する豊田社長は常にこう言い続けてきた。
つまり、
のようにスポーツカーに活路を見出そうとしているよう。
でも、その結果は、、、、「文中の」ファクトデータを洗ってみると、、
クルマが売れない。昨年の国内新車販売台数は約460万台と、ピーク時(平成2年)の6割程度にまで縮小している。景気低迷が一因だが、一般的には若者のクルマ離れが最大の理由とされている。調査によると、大学生の「興味ある製品」でクルマは17位(20年度)と、40~50歳代が大学生だった当時の7位から大きく後退している。
要は、
ということ。ただし、MTのiQは限定台数を売り尽くしたし、Wikipediaの記述を見るかぎり、LFXもきちんと台数は捌けているよう。要は、「作ったクルマはちゃんと売れたけど、市場全体の構造を変えるまでに至っていない」ってことですね。それに対するネット民wの反応は、1997年の痛いニュースから、全く変わっていないというのも面白いところだ。
結局のところ、市場の縮小は人口減少トレンド下では不可避。でも、せめて若年層にクルマを運転する楽しみを知ってもらい、高付加価値のクルマを継続して買ってもらえるようにすることで、市場構造の問題を少しでも緩和したい、っていうところだと思われます。少なくとも、ここまでに取り上げた情報ソースからすると、、、、ですが。
まず、「若者」という括りに対してツッコミがあるというのは、甘んじて受け入れよう。というか、全面的に納得せざるを得ない。で、話を単純化するために、母集団を「大学生」という括りに絞ってみることにする。大学進学率が上昇し、それによって「大学生」という母集団の性質が変化したという点については、「なぜ大学進学率が50%を超えたのか? -大学進学人口と大学数との関連-」という小樽商科大学の学報掲載記事をご覧いただければ一目瞭然。(ああ、やっと真っ当なデータリソースを挙げることができた、、、ホッ。)
であれば、「大学生」よりも、より限定した形で母集団を設定しなければ、まともな時系列比較ができない、ということになる。でも、そんな統計はまともに存在しないだろうなぁ、、、、ということで、ここからは、私の実感という超主観的な状況証拠を絡めてで話を進めたい。私は30代半ばで、某都心から50kmくらいにある某大学を職場とする人間だ。で、自分の周りがみんな全くクルマに興味がないかというと、そんなことはない。R32スカイラインをシートを始めとしてひたすら改造しながら乗っている先輩、フランス製オープンカーに乗る後輩、馬鹿でかいアメリカ製SUVで駅まで送ってくれた後輩、、、、普通にいる。しかし、キャンパスの周りが整備され、駐車場の確保が難しくなったなどの事情もあるのだろうが、昔はその存在を確認できた30万円で買った中古車で大学に通い、金はなくともバス/電車という公共交通機関の利用を忌避するタイプの層は、ほとんど見ることができない。つまり、エンスー、とまではいわないかもいれないが、クルマに対しそれなりのお金を費やししている層は昔も今も、少数ながら存在していて、がんばってクルマに乗ろうという層がいなくなったということになるだろう。
30万円の中古車というと、当時の車種で具体的に言えば、10年オチのファミリアハッチバックとか、カローラⅡとかですな。当然乗り心地は良くないし、内装はパットしないし、、、でも、なぜわざわざそんなクルマを乗り回していたかというと、一番大きな理由は「クルマが無ければ不便だった」ということではないかと思うのですよ。この15年ほどで、私鉄や地下鉄の延長、新規路線開業は相次いだし、JRも湘南新宿ラインなどの直通電車をバンバン投入した。職場近辺は、15年ほど前までは、各駅停車しか止まらない私鉄の駅までバスで15分。都心に行くには2時間じゃ利かないという状況だった。かつ周囲には自動車工場と関連施設、更には清掃工場とかしかない、街だったわけで、、、、そりゃ、がんばってバイトして、クルマ買うよなぁ。逆に言えば、今となっては、無理してバイトしなきゃ手に入らないならクルマなんて買わずに、大学が斡旋してくれるUQ Wimaxのルータでも買って、電車の中で課題をこなしている方がよっぽど効率的だ。
これと同じ状況が広く各大学で生じている。また、首都圏・関西圏のいたる大学で、文系を中心に、バブル期に都心から30〜50km圏に新たに取得した土地に移転させた学部を、都心部の本部キャンパスに戻すというプロジェクトが進められている。というわけで、大学生の多くがクルマに乗らなくなるのは必然、というべき状況なのだ。
"Fun to Drive"というのは80年代〜90年代(だったかな?)にトヨタが掲げていたコーポレートスローガン、というかキャッチコピー。今あらためて読んでみると、いいキャッチコピーだなぁと。クルマを運転するのはやっぱり楽しいと思う。車高の低い、重心の位置が決まっているクルマって、運転技術が下手な人間でも、走らせるとむちゃくちゃ楽しい。(助手席に乗る人はたまったものじゃないわけだけれど、、、)研究者の職場というのは、普通のホワイトカラーと比べて圧倒的に交通の不便な場所に設置されていることが多い。大学しかり、企業や行政立の研究所しかり。将来的にそういった職場で、ある程度の期間働くことになったとしても、個人的にはクルマで通勤するのはできるだけ避けたいと思う。だって、遅刻の心配しながら朝必死に高速を飛ばしたり、長時間デスクワークした疲れた体で夜道を長時間かけて走って帰宅なんてしたくないじゃあないですか。しかも、クルマに乗っている限り、酒が飲めないというオチまでついてくる。正直、Fun to Driveを実感するきっかけが、自分に巡ってくる機会なんてめったにない。
タイトな仕事に従事する層が通勤でFun to Driveを感じるというのはかなり厳しい。逆に言えば、サボってもいい授業を沢山履修していたり、帰り道にドライブデートする機会が多い学生というのは、Fun to Driveを感じるのにものすごく最適化された生活をしているのだろう。もちろん、クルマで通うことが正当化されるような大学に通っている場合に限るわけだけれど、、、、
それ以外では、「もともと自宅に乗っていて楽しいタイプのクルマがあって」「工場勤務で工場隣接の寮に住んでいるから平日は閉じ込められている。近所にろくに店もないから、週末はクルマで遠出するのが趣味。店がないということは、そもそも他にお金の使い道もないし、、、」という人くらいなのではないかと思いますよ。
まあそれでも、ものづくりニッポンの文化として、モータリゼーションは浸透し続けるべきだし、それは可能だとおっしゃる向きもあるだろう。であれば、自動車文化先進国といわれるヨーロッパの状況を見てみたい。
ヨーロッパに行くと、日本ではあまりお目にかかれないブランドのクルマをよく見かける。SKODA、SEAT、そして90年代には多少日本にも乗っている人がいたけれど、、、的なOPEL、LANCIAなどもまだまだ現役だ。注目したいのはSKODAとSEAT。この2つのブランドはAudi同様VOLKS WAGENの一ブランドなのである。SKODAはもともとチェコ、SEATはスペインのメーカー。それぞれVWによって買収され、現在は中〜低価格帯のラインナップを担っている。逆にVWの高級ラインがAudi。VWは、ヨーロッパで最も販売台数が多い自動車メーカーだ。ACEA - European Automobile Manufacturers' Associationの、Year 2011 by manufacturer and by vehicle category (Enlarged Europe) <※注1:エクセルファイルへのリンクです, 注2:1月〜8月までの数値>によると、メーカーとしてのシェアは23.2%。で、問題は23.2%の内訳だ。VWブランドは全体の12.3%。高級ラインのAudiは全体の5.0%、SEATが2.3%、SKODAが3.6%である。VWはフェートンやトゥアレグなどの高級車(というか、実質中身はAudi A8・Q7ね、、、)はあれど、代数的にはごく一部だろうから、23.2%のうち、15%くらいはBセグメント以下の中小型車と推測できる。そしてVWグループの低価格帯のクルマにスポーツカーは極少数だし、Golfにしても他の車種にしても、ホットバージョンのグレードは売上のほんの少しだろう。
一方、スポーツブランド、エンスーな人御用達ブランドはというと、、、ALFA ROMEOで1.0%、PORSCHEで0.3%。ボンドカーASTON MARTINもヨーロッパでは8ヶ月間で1,664台(0.0180630955651735%)しか売れていない。(これだけ売れれば十分か、、、?)ちなみにみんな大好きフェラーリは、FIATグループの中でもその他扱いされていて、数値が出されていない。っていうか、その程度のもの。ヨーロッパは階級社会が未だに色濃く残る社会なので、先祖代々馬車に乗っているような人たちが、相変わらず週末の嗜みとしてポルシェやフェラーリ、はたまたブガッティやランボルギーニなどのカロッツェリアがリリースする少数生産の高級車に乗っているのだろう。ということは、ですよ。日本においてエンスー車のみをひたすら取り上げていたCar GraphicやNaviのような雑誌がそこそこ売れ、地方自治体立の図書館に配架され、なおかつテレビ朝日系で番組まであったというのは、どう考えてもおかしい事態、なわけですね。
というと、やっぱり車の運転が「好き」っていう人はそんなにいるように思えない。バック・トゥ・ザ・フューチャーの時代から、若者の憧れはSUVだったし、トヨタがアメリカの若年層を攻略するために導入したサイオンだって、ラインナップはxB(日本名Bb)、xD(日本名ist)だし。アメリカ市場といえば、、、のホンダの戦略車種だって、ELEMENTやCR-VにMDX。ようは、SUVをカリフォルニアサーフカルチャーに振るか、ニューヨークのヒップホップカルチャーに振るか、はたまた高級志向に走るかしか、手はなかったわけで、、、、
経済成長期というのは、来年は今年よりも所得が増える人が沢山いるという状態のことだ。経済的に余裕が出来てくると、多くの人間が考えるのは生活の質的向上を図ろうというものだ。その結果、未知の様々な趣味にお金と時間を突っ込んで見ることとなる(これ、現在の中国沿海部がちょうどそういう状態)。そういった状況下で、日本のメーカーはレビン/トレノ、MR-2、CR-X、ユーノスロードスター、FTOなど低価格でかなり走りが楽しめるスポーツカーを量産してしまうことに成功してしまう。ミドシップのツーシーターが200万円台前半とか、V−Tecエンジンを積んだ2ドアホットハッチが100万円台、車の歴史から見たら、おかしいだろう!ということですよ。更にホンダビートやダイハツカプチーノ、極めつけはマツダAutozam AZ-1。軽自動車なのに、ミドシップでガルウィング。とんでもなさすぎる、、、、
で、いろいろ手を出してみるものの、そこそこ収入が安定する頃には、自分の趣味や可処分所得に見合った趣味だけに落ち着いていく。ま、もともとクルマで女の子にもてようと思えば、そこそこの外車や国産車でもレクサスになるだろう。中途半端に月3万円のローンとほぼ同額の維持費をクルマに突っ込むくらいなら、3万円を衣服費に使い、残り3万円でデートに誘う店のグレードを上げた方がよっぽどモテるだろう。結局日本という市場は、相も変わらず500万円オーバーのクルマを買い続けてくれる一部の層と、下駄として使うための安くて丈夫なクルマを選ぶ層(しかも、子育て期限定でワンボックスを買う層も多いと見た、っていうか00年代前半は、2シーター乗っていた人が、パパになってSTEPWGNやセレナに乗り換えを余儀なくされるというパターンが本当に多かったのですよ)と、クルマなんてそもそもいらないっていう多くの層によって形成されることとなる。下駄クルマは利益率は低いし、韓国・中国勢がブランド力を向上させていけば、取って代わられる事態も当然ありうる(それを日本にやられた先例がアメリカだ)。国内市場で利益をあげ続けようと思うならば、高級車のシェアを取りに行くしかない。そういう意味でトヨタはLexusを止める訳にはいかないし、他社は実質国内市場はあきらめかけているんじゃない、、、としか思えない。高級車ラインを展開できなければ、日本は欧州・アジア向けモデルを導入するone of themの市場という前提で戦略を立てざるを得ない(実際、日産、ホンダ、マツダなんかはまさしくこの戦略をとってる。マーチが全量アジアからの輸入になるなんてね、、、、)。
で、以下のURLから1本のテレビCMをご覧頂きたい。トヨタグループの一員であるダイハツの企業CMだ。
テレビCM 企業CM「日本のどこかで 新しい町」篇【ダイハツ】
このCMの読み解きは、あくまでも僕の憶測にしか過ぎないのであしからず。
都会でクリエイティブ(たぶん美容師とか、ショップ店員とかかな?)な仕事をしていた瑛太が、突如田舎にIターン(Uターン、じゃないだろうなぁ、、、)して、ガテン系(工務店)の仕事を始める。そこで、これまで乗っていたアメ車のシボレー・カマロを第三のエコカーであるダイハツの軽(ミラ・イース)に変える。生活の変化と平行して、地元の郵便局員である吹石一恵との関係が始まり、、、、というストーリーなわけだけど、設定の1つ1つに企業戦略として重要な意味合いが込められていると思うのだ。(あくまでも推測だけど、、、)
都心にはダイハツが売り込む市場など、商用車以外に大して存在しない(それでも、乳幼児を抱えるお母さんが、電車に乗れなくなったから必要に迫られて車を買うというケースは結構ある(タントのCMを参照。それにしてもダイハツのCMは、意図がすっきりはっきりして清々しいほど。マーケ的お手本ですね。)。だから、当然第一次・第二次産業(の生産部門)が経済の中心であるエリア、もっとわかりやすく言い換えると、でっかいイオンモールが唯一のデートコースという地域が、ダイハツ(とかスズキとか)の主戦場となる。
そういったエリアは、都心とは異なる理由で市場の縮小が進んでいる。まずもって、人口減少トレンドがものすごく強いということ。都心の場合出生率は下がっても、人口流入が大きいので若年層人口の減少トレンドはかなり緩和されている(というか、江東区とか、横浜市なんかは、保育園入園の待機児童問題がぜんぜん解決されないままで、、、、)。でも、地方は加速度がついて若年人口が減っているというのがまず前提となる。
その上に自動車市場を冷やす意外な要因というのが、実はイオンモールの進出ではないのかな、と個人的には睨んでいる。こう書くと、「イオンモールこそが、駅前商店街衰退の最大の要因で、だからみんなクルマを保有せざるをえないのじゃないか」というツッコミがきそうだが、たぶん逆じゃないかな、と。地方の駅前商店街なんて、もともと若年層が楽しめる娯楽や、ファッションを提供する機能を持っていなかった。だから、暇な若者に出来る時間つぶしって、女の子を誘ってドライブくらいしかなかったわけだ。例えば、90年代にものすごく売れたホンダ・S-MX は、フルフラットシートにできるだけでなく、ご丁寧にティッシュボックスまで備え付けてある。わかりやすくニーズのど真ん中をついていたわけだ。
それが、イオンモールができることで状況は一変する。シネコンやタイトーとかセガとかの大規模ゲーセンやROUND1で時間は潰せるし、服を買うのも、ワールドやイトキン、オンワードといったアパレル大手のちょっと低価格ラインのショップ、レディースならば宮崎あおいがCMしてるEarth music & ecologyとか、OZOC、Melroseとか。メンズならTK Takeo Kikuchiとか。ユニセックス&チャイルドで、UNIQLOに満足しない層のために、GAPとか、無印とか、COMME CA ISMとかも入っている。ABCマートがあれば、靴も含めてそんなにダサくない、というか都心で売っているものと遜色のないものが揃ってしまう。そりゃ、裏原宿のテイストは無理だけど、池袋マルイやサンシャインシティくらいのレベルは買えてしまう。片道30分でイオンモールにつけるのであれば、その短い時間にお金をかけるよりも、一日中過ごすイオンモールの中でお金を使ったほうが楽しいわけだ。つまり、人口が少ないだけでなく、残っている若者にもクルマに必要以上にお金をつぎ込むインセンティブがもはや存在しないということだ。
じゃあ、粛々とシュリンクする市場規模に対応するだけの資源投下をすべきか、、、というとそうは問屋がおろさない。それができない要因、それは地方に数多く存在する独立資本の販売店フランチャイジーだ。バブル崩壊後、自動車メーカーはそれぞれ、ドラスティックに販売網ネットワークを整理した。今となっては複数の販売チャネルを運営しているのは、実質的にはトヨタだけになってしまった。ただし、トヨタ・日産・三菱といったメーカーの場合、販社は一部自らが出資している法人が大半であり、スムーズに(とはいかないまでも、どうにか)店舗網の縮小、合併を進めることができた。ところが、ダイハツ、スズキ、スバル、ホンダ(の旧プリモ店)は、三丁目の夕日に出てくるような個人経営の自動車整備業にフランチャイジーとして販売を委託するという形態の店舗を数多く抱える。販売店網が密だということは、アフターサービス・メンテナンスの質を向上させることにつながる。アフターサービス・メンテナンスはアフターマーケットという業界用語があるくらい、利益率の高い市場なので、各社力を入れているわけだが、サービス水準を高めるためには、各店舗の士気が高められていることが重要だ。
販社としては、生涯価値の高い顧客、つまり長くお金を落とし続けてくれる顧客を捕まえたいというニーズを持っている。となると、地方にやってきた若年層というのが、一番欲しい顧客のプロファイルとなる。地方にやってきて、工務店という地域密着な仕事をし、地元の(たぶん)特定郵便局の職員とつきあって結婚して、、、というのは、まさしく地方の販売店にとって喉から手が出るほど欲しい顧客像だといえるだろう。こういう層に向けて、ストレートに刺さるCM、というのは、ミラ・イースの本当の想定顧客かどうかは関係ない。(実際、イースの車種CMは、ブルース・ウィリスを起用してダジャレを言わせているわけだから、瑛太のようなプロフィール、ではないことは明白。)「企業CM」して瑛太と吹石一恵が出演するCMを放映するということは、メッセージのターゲットは販売店フランチャイジーなのではないかな、と。
小見出しで結論は言い切っちゃいましたが、基本はこれ。自動車メーカーもボードメンバーや車種開発部門は既にわかっていてやっているはず。じゃなきゃ、瑛太が乗るクルマはミラ・イースにならないし、マツダのスカイアクティブテクノロジ搭載車やホンダのハイブリッド車に国内独自モデルが1つもない、なんて事にもならないはず。
ところが、販売部門、とくに販社といっしょにプロモーション計画を取りまとめる部門は、国内は縮小均衡で粛々とやっていく、なんてことは口が裂けても言えないはず。なので、国内販社向けマーケティング担当者が考えるべきは、シュリンクする市場環境下で、世界共通モデルをいかに低コストでローカライズして、他者のシェアを奪うのか、しかないのが現状なのだと思いますよ。正直、ね。
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/news/1271053002/
04/09金
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http://anond.hatelabo.jp/20081206220423
釣られてみる。
ただ、その釣りだとしてもこのような考えをもっている日本人はいることだろう。それはまことに残念であるからして記そう。
具体例でもあるかと思えばパッとしない記事でその上醜悪な内容だった。だから一瞬くだらないと思いやめようかと思った。
スピリチュアルで笑った。
でも日本人らしく神経質にネチネチ書いていくことにする。
はっきり言ってあいつらはクズなのである。
日本と自分を同一化し、というくだりでもうめんどくさくなった。
たとえば「募金は偽善だ」なんて言い出しそうな厨二病といわれる人間を相手に、朝から自分はアホなことをしようとしてると悲しくなった。しかしバナナおいしい。
これについてはスルーしよう。
2chだとしても、その他のコミュニティだとしても、多くの人はここまで飛躍したおめでたい頭の持ち主ではないことぐらいわかってる。
仮にいたとしてもごく一部だ。
「日本SUGEE!」は「俺SUGEE!」でもなければ、これからの日本の未来の雲行きさえも悪くしている。
何故なら過去の結果に対しての「SUGEE!」と溜飲を下げているだけで、これからの結果を出そうという努力を放棄しているからである。いわば「三丁目の夕日」を「昔はよかった」とだけ言うノスタルジー中年と同質であり、その空気が未来を担う若者にまで侵食しているという証が「日本SUGEE!」なのだ。
文章全体をみればこれが20代とか30代の人間であったら、日本の未来の雲行きは怪しいなと思う。
10代なら20代までになんとかなってくれるだろうけど、もし30越えてこれだとああもう。
いちいち根拠がうすい。
どこかしらよくある考えを引用して、わざわざ批判するために持ってきてご苦労なことだが、言っていることが的外れだ。
過去の結果なんてなくたってそもそも努力を放棄している人間はそこらじゅうにいる。
本気で努力する期間なんて人生3~5年で、あとはボケーと生きてるだけだ。
それも稀で、たいがいは全編通してボケーと生きて結婚してボケーと死にたくないとか考えて、ボケーと血をはいて死ぬのだよ。
それが醜悪であるなら、人間そのものが醜悪であるというわけだ。
そんなことない、なんて思うなら過去の努力していたと思い込んでいる自分へノスタルジーしてる中年と同じだ。
停滞しているからコピペ化させてまで日本の凄さを再確認したいのか(再三するがキミが出した結果でもないしキミがすごいわけじゃもちろんない)、過去を憧憬するから停滞してしまうのかは卵と鶏の話になるが非常に危ない状態であるのは間違いない。
日本の凄さを再確認したいのか?だって。おかしいことをいう。しかしコーヒーおいしい。
そもそも思い込んでいなくて、その上努力していないだけだ。再確認して努力を怠ろうなんていう甘っちょろいことも考えていない。
もっと甘いんだ。甘党だ。
それだけじゃない。「日本SUGEE!」の怖さは他にもある。そして、それは何千年にも渡って文明を発展させてきた我々にとって断じて否定しなければならないものだ。
日本すげーは、我々が発展させてきた文明を誇るものでありそれがあるから努力を怠っているんだ今の日本人は、とか思う発想は無い。朝から牛丼は有りだが吐いた。
これは「(他国に比べて)日本はSUGEE!」「(他国じゃなくて)日本に生まれてよかった」「(他国の人間に比べて)日本人の俺はSUGEE!」という含みが入っている。それは外国人を排除するという今の国際状況からじゃ考えられないものだ。キミたちはついこの前オーストラリアの白豪主義を笑ったばかりじゃないのか?
一番つっこみたかったのはここだ。陳腐で幼稚な妄想だ。
他国に比べて○○、という含みが入って考えているやからはそういない。2chでもごく一部であろう。
そもそも日本人はそんなことに興味もなく、明日のスイーツ(笑)を楽しみにし、今月の給料で何を買うかを考えることの方が興味ありありの人間ばかりだからだ。我が国は他国に比べて優秀なのだ!なんて考えているよりも、服を買ったりとりとめのない話をしたり恋愛したりする方が楽しい人間ばかりだ。
ヨーロッパや、その他海外へいけば自分の民族を最高の民族だと思っている国が多い。
だがそれは他の民族を排除する、見下す言葉、差別する言葉ではない。では、その彼らなりの言葉の意味ではっきりいおう。
自分は日本の国は一番良い国だと断言する。なぜそう思うかといえば日本人だからだ。
ではお隣の韓国人が「そうです。日本は一番良い国ですごいです。韓国はだめです」とでもいえば、自分はその韓国人を張り倒すだろう。信用できない。
言っている意味がわかるだろうか。
張り倒すって本気で暴力するわけではないとクソ真面目な人のためにいっておく。そんなことは実際しない。
要は、自分の国に誇りをもてということだ。日本が一番だなんて思うな。韓国人なのだから、韓国を、朝鮮人としての誇りを持てということだ。ちなみにいまの朝鮮人というか韓国人がしていることはその誇りを、祖先だけでなく他国も汚していることばかりしているように思えるから、それで誇りを持てというのもきついかもしれないが…。となるとある意味では信用できるかもしれない。
しかしキムチおいしい。
ではもし仮に自分がイギリス人であるとして、そのとき自分は日本が一番良い国だとは言わないだろう。
もちろんイギリスが一番だと誇らしく語る。
これで言いたいことがわかってくれただろうか。こんなせまっくるしいはてなで言うのもなんだが。
それから、海外に行って人と触れ合ってきた経験のある人ならわかると思うが、
自分の国をなんとも思っていないような人間は差別され信用されないことが多い。
彼らは祖先への敬意と、誇りを持つことの大切さを知っているからだ。たくさんの戦争をしているヨーロッパでは特に。
後ろ向きかつ自分の国を誇らない国がどうなるかなんて明白だ。滅亡に決まっている。
ちなみにその誇りとは、戦時中の愛国心まがいの盲信とは違うともいっておこう。
もう書くことがなくなったが全文やっておく。
もっと言おう。この「日本SUGEE!」は同じ2ちゃんねらーが嘲笑うスピリチュアリズムと同じである。何故か?
それはスピリチュアリズムが人間の資質は前世によって決まるとしているからである。この「前世がすごいんだから私もすごい」という考え方はそのまま「先祖の日本人がすごいんだから俺もすごい」と一緒だ。どっちも自分のすごさの立脚点を自分と関係ないところに置いているのだから。さらにはスピリチュアリズムは「前世がダメだからこいつもダメ」という考えを孕んでおり、江原はこれを臆面もなく「霊的絶対差別」とまで言っている。「日本SUGEE!」も「日本人じゃないからすごくない」という転化をし、これは間違いなく「国的絶対差別」だ。
二度言うがこれは現代社会が絶対に受け入れてはいけない考えだ。絶対に!
以上のように「日本SUGEE!」は絶対に認めてはいけない思想なのである。キミたちはコピペを読む前に本当の自分と向き合い、どうやったら自分を承認できるかを考えた方がいい。そして日本が好きならば「日本SUGEE!」などという後ろ向きな考えを捨ててこれからの日本がさらにすごくなるように努力すべきだ。
日本すげー=俺すごい
的な発想があるのかもしれないとしても、我々はこれを絶対に受け入れてはいけない。江原も受け入れてはいけない。美輪はけばけばしい。
日本が好きならば日本すげーなんて思うな、と後ろ向きな考えを捨てて、
祖先の行ってきたことを誇りに思い、また行ってはならなかった歴史の過ちを認め、それら全て責任をもって努力し次の時代へ語りつなげるべきだ。
もっというと努力しなくてもいい。やるべきことをやればそれで良い。結果的にそれが努力につながっている。
日本を知り、日本を誇れ。日本人なのだから。そして他国を敬い理解しよう。彼らの国も日本と同じように、祖先が築いた誇らしい国なのだ。
はっきり言ってあいつらはクズなのである。
日本と自分を同一化し、日本すごい=俺すごいとオナニーしている。しかもその自覚すらないのないのだからよけい醜悪だ。
本人にそれを言うと必死に否定するが「日本SUGEE!」と言っている人間を馬鹿にすると何故か「日本はキミが思っているよりもすごい。日本を悪くいうな」と返ってくるので苦笑してしまう。「自分」への批判が「日本」への批判へと直結してしまっている。これは日本と自分を同一視しているからに他ならない。
「日本SUGEE!」は「俺SUGEE!」でもなければ、これからの日本の未来の雲行きさえも悪くしている。
何故なら過去の結果に対しての「SUGEE!」と溜飲を下げているだけで、これからの結果を出そうという努力を放棄しているからである。いわば「三丁目の夕日」を「昔はよかった」とだけ言うノスタルジー中年と同質であり、その空気が未来を担う若者にまで侵食しているという証が「日本SUGEE!」なのだ。
ノスタルジーが蔓延した先に待っているのは前に進もうとしない停滞である。
停滞しているからコピペ化させてまで日本の凄さを再確認したいのか(再三するがキミが出した結果でもないしキミがすごいわけじゃもちろんない)、過去を憧憬するから停滞してしまうのかは卵と鶏の話になるが非常に危ない状態であるのは間違いない。
それだけじゃない。「日本SUGEE!」の怖さは他にもある。そして、それは何千年にも渡って文明を発展させてきた我々にとって断じて否定しなければならないものだ。
「日本はSUGEE!」「日本に生まれてよかった」「日本人の俺はSUGEE!」……これは立派な差別主義の萌芽である。
これは「(他国に比べて)日本はSUGEE!」「(他国じゃなくて)日本に生まれてよかった」「(他国の人間に比べて)日本人の俺はSUGEE!」という含みが入っている。それは外国人を排除するという今の国際状況からじゃ考えられないものだ。キミたちはついこの前オーストラリアの白豪主義を笑ったばかりじゃないのか?
後ろ向きかつ差別主義を隠さない国がどうなるかなんて明白だ。滅亡に決まっている。
もっと言おう。この「日本SUGEE!」は同じ2ちゃんねらーが嘲笑うスピリチュアリズムと同じである。何故か?
それはスピリチュアリズムが人間の資質は前世によって決まるとしているからである。この「前世がすごいんだから私もすごい」という考え方はそのまま「先祖の日本人がすごいんだから俺もすごい」と一緒だ。どっちも自分のすごさの立脚点を自分と関係ないところに置いているのだから。さらにはスピリチュアリズムは「前世がダメだからこいつもダメ」という考えを孕んでおり、江原はこれを臆面もなく「霊的絶対差別」とまで言っている。「日本SUGEE!」も「日本人じゃないからすごくない」という転化をし、これは間違いなく「国的絶対差別」だ。
二度言うがこれは現代社会が絶対に受け入れてはいけない考えだ。絶対に!
以上のように「日本SUGEE!」は絶対に認めてはいけない思想なのである。キミたちはコピペを読む前に本当の自分と向き合い、どうやったら自分を承認できるかを考えた方がいい。そして日本が好きならば「日本SUGEE!」などという後ろ向きな考えを捨ててこれからの日本がさらにすごくなるように努力すべきだ。