成績は悪くないのに、「この年なら普通知ってるだろ」という何かを本当に知らない子。
知らなかった事実に出くわす度、いちいち気持ち悪いと感じてしまう。
もちろん知らなくたって誰の迷惑にもならないし、そんな些細なことで失望する私がどうかしているのだろうが、
その年までごく普通の家庭で生活していればどこかで目にし、おおまかな概念を理解するものだ。
もちろん相手の知らない話題で辱めようという意図などなく、
「多くの人が当然知っているもの」として、ほぼ無意識に会話に登場させるが
自分の知らない単語が出ると躊躇なく「なにそれ?」を繰り出される。
自分の無知を隠さず、誰にでも素直に疑問をあらわせることは、そんなにいいことだろうか?
どうも私は「無神経な人間」としてしか受け取ることが出来ない。
「なにそれ?」には、「私は知らないんだからその話題終了ね」とルビがあるようで、一種の横暴さを感じる。
知らないことを隠して欲しいわけではないが、そう言えてしまう神経が信じられない。
話す相手に対する礼儀を持っていない人間のようで、気味が悪い。
なんでここまで無知なのを自覚してないの、と遠まわしに伝えたい衝動に駆られるが、
こちらの言外の意図なんて汲み取らないのだろう。
ディティールの歴史とか、そんな細かいところもフォローしてるんですね。
ファッション雑誌って、カッコいいモデルさんがカッコつけてるだけかと思ってたんです。
どんな服装を目指すか、ですか。なるほど、どういうジャンルが好きかって事ですか。
おざなりでいってくれるならいいんですけどね……
いつも考えているが、具体的なイメージが浮かんで来ない。
例えば、国境がなくなって、人種民族が完全に均等な混血になり、言語も1種類になり、みんな勉強も運動もできて、産業はどれも安定していて、所得の配分は完璧なバランスで、犯罪がゼロで、みんな100歳くらいまで生きる。そういう世界がいいのだろうか?
カッコイイ○○みたいになりたいと思ってジーンズメイト行ってペラッペラの服買わされたりとか
友達と原宿行って、おしゃれな人達に圧倒されてそれを目指してみたりとか
安いコンバースでも、買うとそれなりに見えるんだなっと思ったりとか
何を着ればいいかというより
どんな服装を目指すかじゃないんすかね
別に滅亡したっていいよ。くだらね。
ちゃんとも何も意味がわからないからさ。
ドレスコードの類い(みだしなみ)と趣味の服飾(ファッション)はまた別だからなあ。
ああいうのは何ヶ月に一回は基礎知識辞典みたいなページとか付録が必ずあるから。
服の基本的なディティールとかそのディティールができた歴史とか書いてあったりする。
ちょっと遅かったですが…
http://www.post.japanpost.jp/service/you_mail/use.html
中身を見せたくない場合には使えませんけどね。
「貴方とは運命の赤い糸で結ばれていると思うわ。でも、財産が1円もない人と、一緒になっても先がないと思うの。あとその眼鏡もイケてないし、ごめんなさい」
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20081205-OYT1T00444.htm
普段から使っているスーパーではないのだけれど、自転車で行ける距離だったので行ってきた。
ダイエーなどのチェーンに比べたら若干安っぽいカンジ。
15時くらいにいったが、おばあちゃんや主婦など。
2階建てなのだけど、エスカレーターはなかった。おばあちゃんは元気に階段登ってた。
若干圧迫されるカンジ。
通路が若干狭く、棚は高め。
ドンキホーテに通じるものがある。
余り聞いたことがないメーカー製品がとにかく安い。買ってないから味はわからないが、普通にうまそうだった。
他店のスーパーとそこまで違いはないカンジ。
たとえば、近所のスーパーでは、三ツ矢サイダー1.5リットルは安いときでも158円くらいだが、ここは139円だった。
まず、期限ぎりぎりの商品は1階にもあった。
売れ残りというとメーカーのイメージを損ねる可能性があるので商品名は出さないが、70%くらいの割引で売っていた。
そして、モッタイナイ商品。これは2階の片隅にひっそりとあり、初見では見落とした。
2階にあるというニュースを確認して、もう一度見に来て発見したカンジ。
また、一目見て賞味期限切れとわかるコーナーになっている。
気づかないで購入するということはほぼ有り得ないと思われる。
500mlペットボトルのドリンクで賞味期限は2009年1月28日まで。49円なり。
近所のスーパーで売ってたときにも1個買ったが、多分味は変わらないカンジ。
この商品、ちょっと気に入ってたので纏め買いしてもよかったかも。
果汁が入ったグミで、グレープフルーツ味。賞味期限は2008年9月20日まで。28円なり。
若干表面が粉っぽいカンジだったが、賞味期限が切れていない商品を食べたことがないので比較できず。
もう1個モッタイナイ
500mlペットボトルで、果汁30%のオレンジジュース。賞味期限は2008年11月14日まで。42円なり。
オレンジジュースなので成分が下に沈殿していたが、よく振って飲んだ。
やはり普通に美味い。
2年切れていた商品は軽く探したがなかった。おそらく、そういう商品が残っていたこともあったという話なのだと思う。
みんな、家で放置されたものを発見したときに、胃の中に処分してしまうレベルの経過度だと思った。
騙されて買ってしまうような陳列方法でもなかったので、騒ぐこともないと思う。
品揃えも豊富で、目玉商品は安いので、たまには、自転車走らせて買出しに行こうと思えた。
ダイアリー・オブ・ザ・デッドを40分見て、おしっこしたくなったので席を立って、すっきりしたら帰りたくなったのでそのまま帰ってきた。
けれど映画は面白かったと思う。ゾンビ、どーん!飛び散る肉片!内臓ゾロリみたいなのは単純に適性がないようだったので置いといて、POV撮影の映画をいくつか見てきて(ブレア・ウィッチ・プロジェクト、クローバーフィールド、●REC)、どの作品も「主観的に撮影がなされていること」の説明に「撮る意志」「記録として残す意志」が少なからず関係していたのだけど、ダイアリー・オブザデッドでは、それを為すことについて、その「意志」のいやらしさや悪意、それに対する躊躇や嫌悪感まで、あまさず取り出そうとしている。けれどこれは、もちろんフィクションで、フィルムはゾンビによって崩壊した世界から届けられたものではなく、その「記録として残す意志」というのも、現実には存在しない嘘っぱちではあるのだが、「フィクションの中で、死者(ゾンビ)を、撃ち殺す」のと、「フィクションの中で、カメラを、回し続ける」のが、同様に嘘っぱちであるのであれば、「そ、そこゾンビいるよ!!!!1111^@」と思うのと同じくらいに「そ、そこ撮ってよ!!!」くらいには「撮る意志」を思いやる必要があるのだと思った。映像にならなければ僕らは映画を見れないらしいし。