「歳相応」という世の中の空気によってパターン化された年代のモデルが崩壊。
好きに生きられるようになった結果、若いころのママで居る人が増えて、コミュニケーション能力が必須になった。
粗雑な要約からも分かる通り、コミュニケーション能力が必要とされる機会の増大の部分がちょっと弱い印象。
世代間コミュニケーションのような、世代を自覚せよ、という結局世代という枠に納めないとイカンのかいな、という感じ。
読んで真っ先に思い出したのはキムタク。
ただ、若い趣味が続けられる、若いままでいられるというのは、別に悪いことじゃないと思う。
それが出来ない人間が脱落したり、それでいる為にコミュニケーション能力が必要とされてキツくなるっていうのは、
脚気を思い出した。江戸患い。白米の食い過ぎで発症してた病気。蕎麦食え。
昭和の頃は良かったなあ、からの、若作り・晩婚化・孤独死の三段落ちを未成熟で繋げて原因に設定する感じ。
思い出は美化されるような気がするし、増田にもあったけど、空気感で「歳相応」に矯正されてた頃の弊害は意図的にスルーしてる印象。
議論が発散するしストーリーから外れるからなんだろうけど、「歳相応」を強制されるってことは、外れた人には辛いワケで。
出戻り、行き遅れ、独身が昇進できない、夫婦は子供を作るもの、若くないんだから。
年金支給開始も遅くなるぐらいみんな元気に長生きになってるわりに、区切りは付けたいというところに違和感があった。
なんというか、ある特定の時代へのノスタルジーが透けて見えるというか。
誰も歳を取らなくなったように見えるから、若いままで居なければっていう強迫観念の一部の患者向けの為の処方箋
病気自慢を始めちゃうようなオッサンになるなら、あんまり気にしなくても良さそう。
命短し恋せよ乙女みたいな、今年の夏は今年だけみたいな、人生は後戻りの出来ない廊下を歩いてる感じを意識するのは難しいんじゃないかな。
ぶっちゃけ、乳児期とか老年期とか、人によって開始も終わりも違うわけじゃん。
富裕層と貧困層みたいな、カネの差は判りやすいけど、身体にも差があるわけじゃん。
ブスも美人も、ガリもアスリートも、ある程度は持って生まれたモノってのがあって、
絶対的な数字である年齢を基準にしなきゃ不公平だっていうそういう絶望みたいなものがなんとなーく見えなくもない。
成長期、安定期、衰退期、移譲期、みたいな年齢から切り離された言葉で自分の状況を語る必要があって、
自分は安定期を長くするために、関節に負担をかけない運動を続けようかなー、みたいな。
なんつーか贅沢だよね。
ただ、脚気にせよ成人習慣病にせよ、社会構造が変わったことで生まれた病気てのには対処しなくちゃいかんだろ、というのは判る。
話題として読むには面白いんだけど、コラムというか雑談というか、何かを期待して読むのは違うかもしれない。
正直なところ昭和な頃って、成熟してたんじゃなくて、成熟してる、ということにしてただけな気がするんだよね。
未成熟でも成熟として扱ってもらえた時代、というか。そう振る舞うことを求められて、未成熟部分は見えないことにされた、みたいな。
全体として、ちょっと本でも読もうかな、という時に気軽に読める新書。
「老い」について考えたいなら、モーニングKCの『きのう何食べた?』(よしながふみの漫画)を読んだ方がタメになる気がする。
料理美味しそうだしね。
要約 此の本は歳相応に生きることが何故難しくなったのか、其の結果どんな問題が起きているかをまとめた本である。では歳相応に生きることが何故難しくなったのか。それは私達が外...
勢い読みした感想 「歳相応」という世の中の空気によってパターン化された年代のモデルが崩壊。 好きに生きられるようになった結果、若いころのママで居る人が増えて、コミュニケー...
>その自由を持て余し、欲望のままに浮付いた生き方を、或いは若い頃と同じ生活スタイルと意識の生き方をしてしまうから。 余裕がある人はいいですね。自分は金も体力も若いころよ...