はてなキーワード: ステラとは
○ご飯
朝:なし。昼:海鮮丼。ネバネバサラダ。夜:人参と大根と玉ねぎとシメジと溶き卵のコンソメスープ。フライドチキン。間食:ブルボンのプチシリーズのクッキー。
○調子
むきゅーはややー。お仕事はそれなりー。
○プリコネ
ただ今回のEXクソむずかった。多分、ユイのランクとかストーリー解放ボーナスとかその辺の細かいところが重要になってるんだと思う。
○グラブル
ドバの周回。いやーソロ団が無理して遊ぶコンテンツじゃないな。天星器は取りきりたいけど、うーむ。
○ワーフリ
シナリオイベント「妖怪図鑑編纂記」を読んだので感想を書きます。
毎回のことだけど、シナリオタイトル出るところが素敵すぎて一気に引き込まれた。今回は「紅葉」が映える絵で、ドット絵の郷愁と相まっててしゅきしゅきだ。
ドット絵での物語の魅せ方を磨きつづてるワーフリならではの絵作りの気持ちよさが映えるところなので、ここは毎回褒めたい。
お話は、和の国(でいいのかな?)を舞台にしたガールミーツガールもの。
絵の才能はあるが新米のリョウキと、絵にまつわる謎の力のせいで絵を描くのを怖がっているクグイの二人が主役なのだけど、まずこの二人の性格は対照的なのに根っこの芯は同じという構図が大好き。
ワーフリの女性同士の関係を書いたシナリオは、ステラディア、バレッタラヴなどがありましたけど、また違った魅せ方がされてて素敵でした。
二人が絵を好きでそれを磨くもの同士でかつ、互いの絵が大好きな関係だからこその物語になっていて、メインシナリオで再来訪は難しいだろうけど、何度もイベントシナリオでこのエピソードが見たいなあ。
特に今回の加入キャラでもあるクグイの方が、リョウキに対して絵の先輩だし妖怪と戦う力も持ってるのに精神的には未熟で引っ張ってもらうところが好き。
シナリオ後半、リョウキが「描くことに理由が必要なら、私がなるよ」と啖呵を切るシーンなんかは大量スクショしまくりました。(グラブルでいうルリアノート的なの欲しいなあ)
物語の構造としては、強い力を持ちながら悩むクグイと、力はないけどまっすぐひたすらに進むリョウキの二人の関係が主なのだけど、ここに未だ何も持たないことがキーワードのアルクやステラの関係もオーバーラップするシーンもあったりして、ワーフリの積み重ねも活かしたいいシナリオだった。
ベストシーンはクグイの「生意気な後輩に、先輩の意地を見せなければなりません。そのために…… 返してもらいます。絵が好きだっていう、気持ちを!」です。
毎回、シナリオイベントはこういう決めシーンから逆算したような丁寧さがあって、今回もバシッと決まってて最高だった。
マナサ六層解放とか超級武器などゲーム的なアップデートも気になりますが、やっぱり僕がワーフリを遊ぶのはシナリオなんだなあと再認識できました。
貴方の認識と私の認識はどうも噛み合いそうにないんで、765プロ単体を愛する太い客がアイマス全体の売上を支え続けているって認識のままでどうぞご自由に。
ご参考までに数字を残しておくと、765単体が全盛期+デレがモバマスしかなく楽曲も僅かだった時期の2013年2月時点で市場規模は100億超えと立派な数字だが、2019年の市場規模は約600億円。最低でも400億以上も拡大したけど、この間に765単体はどれだけ活動していたのかご自身が一番分かっているのでは。前作のステラは売上が劇的に落ち込んだ一方で、他のコンテンツはそれぞれ着実にフィールドを拡大し続けてけども。
ちなみに有志の方の統計ではこの5年ほどの間に765単体で増えた楽曲数は20数曲、その他のコンテンツでは合計約600曲。累計楽曲数もラジオ抜けばデレとミリは超えており、色々な所で累計でも超えてきてるので悪しからず。
noteで似たような題のが流れてきたので自分も「お気持ち表明」してみる。
これは身内が数年前から(うちよそシナリオ含め)CoCでしか遊ばなくて、「他のシステムで遊ぼう」って誘っても「CoCで十分じゃん」って言われたのがとても腹が立って、それ以来うちよそCoCを敵視している人間が書いたものです。
10年くらい前からTRPGを始めたけど、最初はCoCで遊んでいたし、今でも普通にクラシカルなシナリオは好き。
ただ今の「うちよそでTRPGが出来るならCoC」という風潮と環境がめちゃくちゃに嫌い。
は?何言ってんだお前?って思う。
「一般人がなんかわけわからん出来事に巻き込まれて生還してまた別の出来事に巻き込まれていく」っていうのが前提のシステムはそもそも少ないし。
私はシステムのやりやすさからサイフィク、ホラーならインセインを好んで遊んでいるので、HOの秘密次第では継続しにくいっていうのはとても分かる。継続シナリオとかもあるけどね。
インセインのスターシステムとか最初にルールブック読んだきりでそんなのあったの忘れてたし。
ただ、シナリオごとにキャラクターを何人も作ってて「CoC以外はうちよそで継続しにくいから~~」なんて言われると腹が立つ。
恋愛でもそれ以外(友情とか殺し合いとか)でも要は「うちの子とよその子でキャッキャウフフする」という意味でのうちよそならどのシステムでもいくらでも遊べるわ。シナリオ次第なんだよ。
なんなら「フタリソウサ」「銀剣のステラナイツ」とか見てみろ。うちよそ特化してるって公式で言ってるし継続もしやすい。それを無視して「CoCが楽しいから~」って言われるのがとても嫌だ。
本来協力して遊ぶはずのCoCをわざわざ対立型にしたり、複数人が主流だったのにソロやタイマンが主流になったり。
遊びにくいから特殊ルールを作っていくのはありだと思うけど、なんか水に浮かべておくはずの船に陸上用の脚をつけて、なんなら最近は翼をつけて空に羽ばたこうとしてるのか?と思ったりもする。
何故その船だけで遊ぶ?普通に自動車とか飛行機とか、別の便利なものがあるのに何故それだけに固執する?
メジャーなタイトルのシステムはそれなりの数遊んだ自負はあるけど、それぞれのシステムごとに世界観が確立されていて、どれも楽しいのに。どうしてそんな使いにくいシステムのまま遊ぶ?
グダグダと書いたけど、結局最初にCoC以外に手を出す気が無い身内のせいでその環境自体が嫌いになってしまっただけだ。
「三菱東京UFJ銀行」とか「スクウェア・エニックス」とかクソだせえよ。
追記。
これを書いたのは「ステランティス」の記事を読んだからなんだけど
世界第4位の自動車グループ名「ステランティス」に決定! FCAとPSA合併で2021年第1四半期に誕生 | VAGUE | ヴァーグ
ステランティスも元は「フィアット・クライスラー」と「PSA・プジョー・シトロエン」だからやっぱりクソダサ連結社名だったんだよね。
でも合併して「フィアット・クライスラー・プジョー・シトロエン」にしなかったのは当たり前のことだけど英断だと褒めたいよね。
自動車業界は「プジョー」とか「フィアット」みたいな車のブランド自体は残ってるから社名だけなら変更しやすいってのはあるんだろうけどね。
まあ俺としては時間をかけてもいいから少しずつ社名を分かりやすい形に整えていってもらいたいわけよ。
どっちの社名が残るかとかどっちの社名が先頭かとかどうでもいいじゃない。
いやアイマスMR ((横浜DMM VR THEATERで開催されていた 「THE IDOLM@STER MR ST@GE!! MUSIC GROOVE」のこと)) 自体は1stの真回見てたんですよ。
チケット余ってるな~765AS大丈夫か(笑)と思ってたら初回見たP達の口コミが凄くて、なんかヤバい気配を感じて片道5時間運転して行って、
正味1時間見てすぐそのままトンボ返りしたけど高いチケ代に見合う価値は十分にあった、むしろもう一度真に会いたい…と思うぐらいにはMRに感情を揺さぶられていたので、
アイマスMRの凄さは十分に分かっているつもりだったんですね。
ただMRってあのクッソ狭いDMM THEATER((DMM THEATER 狭い狭い言ってるけどすごく良い箱でした))に純度高いPが密集しているからこそ成り立つ空間だとも思ってたんですよ。
星野源がアイマスを『皆で嘘を作っていくうちに嘘が嘘じゃなくなっていく感じがすごい好き』って表現してくれてたけどもまさにそれで、
アイマスは宗教と良く言われるが本当にその代名詞に見合うだけの揺さぶりと多幸感をくれるわけですよアイマス教は。
MR STAGEについて言えば、その場にいる全ての人間が765プロのアイドルは実在する/実在させたいと心から100%願ってその空間に向き合うからこそ、その場にアイドルを顕現させられるワケで。
こう書くと本当に神を降ろす宗教儀式めいて見えるが実際その通りなので仕方ない。知らない人間から見ればアイマスPは全員狂人なのだ。
だからSHOWROOMで美希の配信やるっていった時、コロナ禍でMR中止になって美希だけがMRの舞台に立てなかったのが悲しく本当に落胆してたので心底喜んだんだけど、
それと同じくらい不安だったのよね。DMM THEATERのようにクローズドな空間じゃないから万一失敗した時取り返しがつかないし、
なまじ全世界配信だからMRの時のように100%善意のPじゃないお客様(蔑称)も当然来るだろうし、MRの時みたいにあの狭い劇場の臨場感で脳がバグる地形バフも効かないだろうし、
しかもMRじゃない生配信って形態も初めてだし、MRの時でさえ試行錯誤してたのに本当に大丈夫だろうか…?と不安大で観ておりましたが、
いやーーー完全に杞憂でしたね。星井美希トレンド入りですよ。今2020年だぜ?これは過去?それとも未来??一体ここはどんな世界線??
生配信って体で進行してたけど、めっっっっちゃ美希がカメラ近いのな!!!あの距離感ヤバい。MRの時の同じ空間にいるっていう臨場感とはまた別物っていうか…。
画面越しなのに実在性を感じるのって何なんですかね…?大体画面越しっていうんだったらステラやミリシタの中にいて普通に動いてるんだけどさ…
いやそれが普通のキャラクターの在り方だってのは分かってるんだけど…。やっぱり違うんだよな。
ゲームの中で予め動きが決められている動き喋りをするあの子達を眺めるのと、今目の前でどう動くか何を話すかって身構えながら望むのと…。
こないだのMRとか今回のSR配信特有の、あの「生で」、今の同じ時間を「本当に」一緒に生きてるって感じ…。なんて言えば伝わるんだろう…。
アーカイブ配信するみたいだけどアーカイブでこの感じちゃんと伝わるのかな…?アーカイブ組の感想気になるな…。
アイマスに限らないけど、ディズニーでもジブリでもガンダムでもラブライブでも○○(あなたの好きなIPを入れて下さい)でもなんでもいいんだけど、
我々はこの世知辛い現実を生き抜くために、色んなフィクションのキャラクターに元気を貰ったりしてるじゃないですか。大仰な言い方をすれば『生きる力』みたいなものをさあ。
なんかそういうのを送り手側も分かってくれてるのが分かるような本気具合でそこが堪らなく嬉しいのよね。
普通だったらさ、当然我々もそれらのフィクションのキャラクターだって分かってるから、あくまで架空の話だと踏まえた上でキャラに対して愛したり思い入れたりするんだよね普通は。
でも今回のSHOWROOM配信を覗いてた人達って(自分も含めてだけど)765プロのアイドル達にガチで実在して欲しいって思っている人達ばっかりなんだろうなって思った。
これってかなり頭ヤバいんじゃなかろうか。例えばディズニーのミッキー、現実にいるって思う人いないじゃない?
…いや実際のディズニーファンはいるって信じてるんだろうか…?例えが悪かったかな…。
他の例えで言うなら大人になったのに未だにサンタクロース((グリーンランドの公式サンタクロースでは無いプレゼントを配る存在としてのサンタのこと))が実在すると思い込むのと同じくらいのヤバさ。
配信終了後の感想観たけどみんななんかの熱にアテられたみたいで感想がなんかフワフワしてるんだよな。星井美希は実在したみたいな、当たり前のことをさあ。
…当たり前じゃなくてフィクションだろって?いやでも美希居たしな…。さっきまでSHOWROOMで生配信してたし…。
ここまで書いて思ったけど、こんなにもリアルの実在性に拘泥するIPってなかなか無いよなーって。
冷静に考えればですよ、声優の人がキャラクターに声を吹き込むってのは分かってるわけでしょう。
例えば悟空の声だったら野沢雅子さん。美希の声だったら長谷川明子さんが声を当ててるってのは分かってるわけで。
大体、普段ラジオとかライブとかだとあくまで星井美希役の長谷川明子さんに感謝の手紙とかメールとか送ってるわけじゃん。
にも関わらず、今日は誰もアッキーのことに触れずに星井美希星井美希としか言ってない。なんかこういう時ばっかり都合の良いところに目を瞑る調子の良さあるよなwww
アイマスPのそういう頭キマってる所が私は好きですが、今回すごいと思ったのはそんなに熱心に見えないかつてのPとかアイマス離れた人もみんな一斉に星井美希星井美希って言ってんの何なんだろうな。
みんなで頭MADになってるとしか思えない。いやでもすごいことですよこれは。みんな自然と嘘を本当にしようとしてるんだもの。
なんかTwitter上でVTuberとの違い云々って流れてたけど、…VTuber詳しくないので断言できないけど、そもそも別の性質のものだし競合するものでは無いと思うんだよな。
VTuberの方々はもうそこに”実在”しているわけじゃん?VTuberとして。外側は可愛かったりイケメンだったり二次元のガワ被ってるけど、中身は個人としてあるわけでしょう。
モデルが粗かろうが流麗だろうが、そこに実在していることは変わらない訳で、実在証明する必要が無い。だっているんだもの。
アイマスのアイドルは架空なのよ。元々がゲームのキャラクターだから。あくまでフィクションなの。
だけどゲーム自体のすごく滑らかに動く3Dモデルとか、演者が身体張ってライブでキャラ降ろしたりとか、そもそもユーザーに勘違いさせるプロデューサーというロールプレイを強制したりとか、
本気で色々プロデューサーごっこしているうちに現実と虚構の区別が付かなくなってきた。
だからその実在性を証明するためにタートルトークだったりモーションキャプチャーだったり生アテレコだったりと、彼女たちを実在させるために出来ることは何でもする。
そのために色んな技術が注ぎ込まれてるけどあくまで架空のアイドルを実在させる目的のための手段であって。
どちらも同じ3Dモデルで声当てて動かすって同じ手段使ってるけど、それぞれの目的が違うよね。
VTuberはどんな活動をするかがコンテンツ。アイマスは実在することがコンテンツ。
だからアイマスの技術はVTuberには必須ではないし、VTuberのコンテンツ内でなんでもできる感はアイマスと相性が悪いだろうし。
似てるけど非なるものだし、バンナムが殴り込みみたいな書き方はちょっと違うんじゃないかなと思うんだけど…。
今回VTuberの方々が美希に言及しまくって言葉を無くしていたのは大変ありがたい…嬉しい…という思いでした。
中の人のことにも触れとくか。
なんか観てる最中はうわー美希が実際に動いてるって認識してるんだけど、ふとした瞬間にアッキーの気配を感じる時があってさ。
おにぎりの話してた時もみんな好きだよ~って当たり障りなく言ってたりして、美希だと結構ドキッとするような遠慮ない返ししそうな気がするんだけど、
アッキーの人柄の良さっていうか配慮ある控えめな感じが受け答えに出てたような気がしてさw
普段は演者が上がってるライブを観て、ステージ上にいるのは演者の人だって分かった上でその奥にキャラの気配を感じ取るわけじゃん。アイマスライブ知らない人には知らんと言われるだろうけどそうなのよ。
いつもとは主と従が逆になってるのがさ…。いつもはステージにいる実存の長谷川明子さんを通して星井美希を見てるのが、今回の配信だと画面の星井美希を見ててアッキーの気配を感じられるんですよ。
…ということは、やっぱり画面に映っていた星井美希は実在していた…?(頭が狂ってきた)
これはもう完全にアイマスオタクとしての感想だけどさ、最初はキャラ好きになって入って声優なんか知らんっていうスタンスでいるつもりでも、
段々とそのキャラに寄り添って大事に演じ続けてくれていることの感謝の念が演者の人達にも芽生えてくるのよ。
段々中の人への思い入れもキャラに追い付いてくるというかさ。もう中の人も大好きなワケですよ。
というか15年もキャラと一緒にいるって凄いことよな…。美希15歳なんだからキャラの実年齢と同じ時間が経ってるわけでしょ…恐ろしいな…。
これ今回配信があったのを受けて、他のアイマスアイドルも同じように見たい!っていう声がもう上がってて、そういう要望が出るのは分かるんだけど、
これって多分そんなに簡単にホイホイできる企画じゃないからな!!
いや普通の動画とか配信とかでも一般人が考えてる100倍くらいの労力が掛かってるのがあまり知られてないって言われてるけど、
多分これ普通の動画とか配信の労力のさらに100倍くらいのエネルギー注がれてるだろうなって…。
何というか、今回に限らずMRでもなんだけど、『頼む……!この幸せな時間が何事もなく無事に終わってくれ……!!』って思ってしまうのよね。
見ている側もハラハラしてしまって気が気じゃないんだよ。たった30分で作り手も受け手も消耗しまくる超ハイカロリー配信。何これ?
あの30分の配信のためにどれだけの技術的苦労と精神的負担が関係者に掛かってるかと思うと恐ろしいよね。
15年分の受け手の期待とかそういうの全部背負ってるわけじゃん。自分だけのものじゃないわけでさ。そういうものに正面から向き合って現実化するっていうのものすごいわけだよ…。
アイマス門外漢の人にも結構驚かれている感じがあるけど、そういう背景を何となく察知した上でこれ凄いなって評してる人が結構いるのが印象的だった。そうだよな…。
「Pじゃない自分がこれだけ凄いと思ってるんだから根っからのPの人達は死ぬんじゃないか」ってほんそれだから。実際ふわふわしてやることが手についてません。今日休みで良かったな。
ニコニコMAD見てた時の自分に『15年後に美希が配信するんだぞお前』って言っても『へーすごいね』って言われて終わりだろうなと思う。
そもそも当時10年もアイマス続くと思ってないしな。あの時はニコ生すら無かったし。
2007年頃に初めて無印(XBOX版の家庭用アイマス)のポリゴンモデルを見たとき本当にビックリしたし『この子達はマジで生きてる…』って思ったものだけど、
2020年に『美希が実在してる…』って同じようなこと考えされられるとは思わなかったわ。
いや同じようなこと言ってるんだけど13年前のそれとは意味合いが違うんだよ!?
つーか技術はめちゃくちゃ進歩してるっていうのに自分の語彙は全然進歩しねーな!!
なんか2月からのコロナ禍自粛と私生活のイベントが重なって色んなものに興味が持てなくなってたんだけど、
コロナ禍で中止になったイベントの代替的な配信でコロナ禍に立ち向かう元気を貰えた感じがして、もう本当美希ありがとうって感じ。
俺も実生活がんばるわ。
『エガオノダイカ』には色々言いたいことがあるんだけど、とりあえず一点だけ。
戦争をやめる=科学を否定する、という流れになりがちなのは、多分脚本家がアレルギーなのではなく、おそらくそう見せたほうが演出として開放的だからでしょう。実際にそうなってしまえば作中でステラが疑問視したように文明自体が後退してゆきますし。
そこの論理を説明してないのにステラが説得されたの謎すぎない?
あの世界では、
という前提があって、最終話の時点でユウキと視聴者は全部知ってたけど、ステラは5しか知らないんだよね。
で、ユウキはステラに「戦いを止めるために(民用も含めた)全クラルスを停止したい!」って言うのね。
それに対してステラは「そんなことしたら暮らしがメチャクチャになる」って反論するんだけど、最終的にはユウキに説得されて全クラルス停止に協力するんだよね。
1から4までを知らないのになんで全クラルスの停止に賛同できるの??????
まあこれ、どう見ても核だよね。戦争に使うにはすごい兵器となるけど、実は環境を汚染してしまうっていう。
要するにユウキ様は、核兵器だけじゃなくて原発も止めたいんだよね。
俺たちは、スリーマイルやチェルノブイリや福島がどうなったのか知ってるから、「そりゃ核兵器だけじゃなくて原発も止めるべきやろ」って思えるよ。
でもさ、ステラは放射性物質が撒き散らされるとそこには住めなくなるってこと自体を知らないわけじゃん。ステラが無知なんじゃなくて、国のトップであるユウキにも作中の後半でようやく明かされる最高機密じゃん。
この状態で「戦争止めるために原発止めろ」って言われて納得できる??? 生活のすべてを原発由来の電力で賄っているのに??? 意味不明すぎない???
ユウキはなんでステラが1~4を知ってる前提で喋ってんの??? まずは1~4を説明しないとユウキの主張がそもそも理解不能すぎるでしょ???
ほんとここでステラが説得されたのが理解できないんだよね。だって1~4を知らなければただのたわごとだもん。戦争を止めるために軍用だけならともかくなんで民生用のクラルスまで止めないといけないか理解できる? 俺はわかるよ、ユウキ側の描写を見てクラルスの特性を知ってるから。でもステラとユウキは初対面で、ステラはどう見ても最高機密を知り得ない下っ端だろ? どうすればこれで納得できるの?
ユウキの論理は、反戦的なものと反核的なものがごっちゃになっている。ごっちゃになりすぎていて、傍から見ると意味不明だ。
ユウキが全クラルスの停止を目指すのは、反核的な論理に基づいている。つまり、例えるなら軍用民用を問わず核エネルギーの利用が土壌を汚染するということだ。だったら彼女は、ステラに向かって、こんなエネルギー使ってたら土地が汚染されて住めなくなる、と主張すべきだった。
ところが彼女は実際には、戦争を止めたい、という反戦的な論理を口にした。そしてその反戦的な論理にステラは説得され、クラルス停止に協力する。
でも、反戦を訴えるなら、軍用クラルスの停止だけで十分だろう(いや、軍用だけ狙って止められるかどうかは知らんが)。民用のクラルスまで停止しないといけない理由は、反核的な論理じゃないと理解できない。
反戦も反核も実にけっこうな話でそれがテーマのアニメを作るのはお好きにどうぞという感じなのだが、2つの論理が脚本家の脳内でごっちゃになった結果、ユウキの議論が支離滅裂になっている。
最終話のクライマックスでこんなドッチラケやられたんですよ。どう思うこれ?
『エガオノダイカ』が腹立たしいのは、出来が壊滅的に悪いわけじゃないところなんだよね。見られちゃうんだよ、それなりに。だから『ソラとウミのアイダ』みたいな1話Aパートが終わった段階で切ったようなアニメと違って最後まで見たんだけど、こんな感じで理不尽な展開が続くから腹立たしく、でもひょっとしたらクソアニメじゃないのかも……最終話で世界の真実が明かされたり感動的な結末を迎えたりするのかも……って思いながら見続けて、最終話でこんな崩壊した論理を見せつけられた気持ちわかる? 1話切りしたアニメは翌日にはもうすっかり忘れてるから腹も立たないけど、3ヶ月これに付き合ったらめちゃくちゃ腹が立ちますよ。しかもこれ完全新作オリジナルアニメだから予習とかできないからね。3ヶ月分の小さなイライラが最終回で大爆発ですよ。お前ふざけんじゃねえよこのクソアニメって言いたくなるわけですよ。この気持ちわかる?
増田で糞アニメとして名高いので一体どんなもんかなと思って視聴終了。
このアニメを簡潔に述べると、まず政治・経済的な前提なしで帝国とソレイユ王国の開戦状態から始まります。片方の国ソレイユの姫様ユウキは最初戦争状態にあるとは知らされていません。しかし彼女は幼馴染の死から真実を知らされ、なんとか両国の人間が死なないように軍を指揮しようとします。その作戦手法とは主に両国の兵士たちが最小限の犠牲で済むというものでした。いろいろ省略して最終的には両軍の兵器のエネルギー源を止める方法が見つかり、両軍の兵器は沈黙して終了、仕方ないから両国の国交が暫定的に回復するという話です。
で、そこそこ背景があります。まずソレイユ国。これは新型兵器クラルス(作中であまり触れられないが、動力源。動いてるロボの名称は別にある)を擁していて、この動力源はもともとベルデ公国を仲介して帝国とソレイユが共同開発していたものでした。そして12年前にテロ事件が起こるのですが、ソレイユの幹部が「帝国のせいにしちまって新兵器の動力源はうちに牽引しようぜ」、と画策します。このやり口が帝国の逆鱗に触れて戦争状態となります。
まあ政治的背景を真面目に考えりゃソレイユが資源独占して相手が帝国主義だったのは、なんかかみ合わせ悪かったねとしか思えまえん。というよりソレイユが資源を独占しようとしたという背景が姫側近のレイラから伏線で話されるのですけど、帝国からしたら王国が資源独占した挙げ句攻め込んだら全部破棄にされた話でしかなく、そういう側面から考えるとちょっと身も蓋もない感じがしました。ソレイユって国家としては悪じゃんと。背景には明らかに利益の綱引きがあったと思うんですけど、冷戦構造みたいなものは全く無い描かれ方をしている。だけど途中で第二次世界大戦をモデルにしたような描写は出てくるので、多分作品としてやりたいことが違うんでしょう。あと、共同開発していた新動力へのテロリズムを一方的に強大な敵国のせいだ、としてしまえる外交手腕って何なんでしょうか。素人目に日本とアメリカをモデルにして考えても、まずありえない行動です。
ただこれ、いわゆる戦略戦術政治の面から見るもんではなく、全体の逼迫した状況下で個人の思いが殺されてゆく話だと思うわけです。かつてのアニメでいえばヤマト、ガンダム、銀英伝のような敵の事情もはっきりわかった上でどっちも死んでほしくない、という感情を想起させてゆく作りではあります(必ずそうなるとはいってませんけど)。ヤマトの場合好敵手、ガンダムや銀英伝の場合主義思想の違いで殺し合うわけですが、エガオノダイカにはなぜ殺し合うかというテーマは希薄です。実際に武人が生き様のために死ぬ、という描写は控えめですし、そういった時代錯誤的な意志の強さはあまり重視されません。それはテーマが "生きる" ことに集約されているからです。
ステラは常に生き方を探します。ユウキは戦時でも生かすことを見出し、ゲイルも孤児を引き取りながらメンバーを活かすことを考えて行動します。イザナの子は戦争の途中で父の死と引き換えに生まれてきます。このように戦争状態という皆が嫌々参加している状態からもキャラクターたちは生きることを見出します。このため前項における全体的な利益のために死ぬ武人、という自己犠牲的な生き方は重視されていません。そんな意味でユウキというキャラクターは最も自己犠牲的であるにも関わらず、最後まで両軍を生かすために我を通した、という意味でコンセプトは一貫していました(戦争中にあんな指揮官いたら嫌ですけど)。反面帝国は死を利用してプロパガンダを行い、分隊の隊長の死など気にもとめません。このへんの対比はやりたいことが出来てるとは思います。
ただ、視聴者的に言えばハロルドとゲイルという二大キャラがなぜ衝突しなかったのか、と思うことしきりだったでしょう、参謀的なイザナがモブに撃ち殺される、というあっけなさもよくありません。
タイトルのエガオノダイカは自明で、沢山の笑顔が犠牲になって平和が訪れた、あるいはたくさんの犠牲により笑顔がもたらされた、という意味です。
戦争をやめる=科学を否定する、という流れになりがちなのは、多分脚本家がアレルギーなのではなく、おそらくそう見せたほうが演出として開放的だからでしょう。実際にそうなってしまえば作中でステラが疑問視したように文明自体が後退してゆきますし。
というエントリにあったような読み方は流石にまずいかなと。一応コンセプトと設定とキャラクターの持つテーマはしっかりつくっていってるのでそこは読んだ上でケチつけたほうがいいかなと思いました。
○ご飯
朝食:サンドイッチ。昼飯:ジャンバラヤ。夕食:人参とお揚げと納豆の炒め物に大根おろしをかけたの。玉子焼き。間食:たい焼き。
○調子
むきゅーはややー。仕事はそれなりー。
○ワーフリ
とある老人に姫として育てられてきたプリカという少女をめぐるストーリー。
まず、プリカが暮らすドールたちがいるお城の絵作りがもう面白い。
ドット絵特有のわちゃわちゃ感がとても出ていて、前回の光彩の摩天楼とはまた違った形でドット絵表現の強みを活かしていた。
次に、メインヒロインであるステラの女たらしっぷりが見どころ。
本編でも傷心のイナホを誑かすなど女たらしっぷりを発揮するステラですが、今回もことある毎にプリカにスキンシップをはかる展開はワールドフリッパーらしさ全開で最高だった。
ドット絵表現の見所はこの、スキンシップ表現の意味深さにあると思うんですよね、3Dモデルやノベルゲ立ち絵じゃ表現できない「どこかを触ってるドキドキ感」を絶妙に演出していてとても滾った。
特に今回のシナリオでは、プリカの悩みの解決がまさにこの「触れることができるものが本物。触れなくなることが死ぬということ」という二律の対立が軸なので、そこに凄く説得力が出て、まさに2Dドット絵でできる表現からシナリオを逆算している、ゲームのためのシナリオって感じで大好きだった。
こうして改めて振り返ると、前回のシナリオイベント光彩の摩天楼での天井を打ち破る演出も、あんl演出を表現できてかつ、ドットでガレキなどを格好良く演出できることから逆算したんじゃ無いか? と思わせるシナリオの妙をひしひしと感じさせられた。
ワーフリ、面白いです!
○ご飯
朝食:ハンバーガー。昼食:オクラと玉ねぎと卵と納豆炒めが具の焼うどん。夕食:タマネギ、人参、トマト、ウインナーのスープ。パン。チーズ。
○調子
むきゅーはややー。
ただ心の方はなんとか前向きになれたけど、身体の方はまだまだみたいで今度は遊び疲れでへちょりん。
まず、ワーフリの世界を巡るという設定に基づいて搭乗した、新しい「企業が支配する世界」が面白い。
メインクエスト5章機人の惑星と被ってね? と思ったのですが、企業が支配する世界はあくまで「人」のエピソードで、生まれた意味がある機人たちと違い、生まれた意味がないからこそ自由を求める展開でだいぶ味が違っていた。
繰り返された自由というフレーズは、ステラとアイクにも通ずる箇所があり、だからこそステラはバレッタの空が見たいという欲求に食い付いたんでしょう。
たびたび繰り返される「自由の弾丸」というフレーズも、自由に弾丸という言葉をくっつけてうまくこの世界を説明していてとても好き。
そんな自由を求めるバレッタと、そんな自由に羽撃く心ごと包もうとするラヴのすれ違いは、世界観における思想の対峙であるのはもちろんなんだけど、バディものとして友情もののストーリーとしても可愛かった。
女性二人なので百合という解釈もそりゃまあ出来るのだけど、バレッタもラヴも百合百合できるほどに自由じゃないからこその物語なので、百合百合する続編が見てみたいなあ。
そんなバレッタとラヴ、二人の「受け止めてみろ、相棒」という思いが重なるシーンはとてもとても熱く熱く滾った。
この世界観の面白さとキャラの魅力をバッチリ支えるのが、ドット絵キャラの演技。
特に開幕の高いビルから飛び降りタイトルが出てくるところで一気に世界観に引き込まれた。
またこの演技をラストでは二人でするという構図も、ベタといえばベタですが、ベタだけに滾った。
相当に労力がかかってるのはわかるだけに、このクオリティを連発できるならマジですごいと思う。
イベントの箱開け。10箱開けて満足。いやちゃんと20開けろよって話かもだけど、時間なかった。
それと今更ながらコスモス剣の4凸を作った。光はもちろんとして、火のオッケ編成もそろそろ形にしていきたいので。
先日の生放送で華々しく大々的にASの新展開が決まったのですが、生放送があるまではミリオンとASは合併するだろうと思われてたのだけど、コロムビアから新譜もでるようだし、やっぱりASとミリオンは並立させておきたいのかなとも思うけど、だったらステラあたりなんてCDもゲームも全く売れてなくて、むしろ、MTWでリリースするようになってからCDの売上は幾分かはマシになっていたってほどで。
バンドリの場合、リアルイベントも考えたら数年後のロードマップまで考えてるという話を聞いたことがあるし、2月に「PS4向けアイドル系ゲーム制作においてMayaを用いたモーション制作をご担当頂きます」なんて求人があったらしいので、少なくともLEADERが発表される頃には今の方針はおぼろげながらでも決まっていたはずで、まさか家庭用とかMRの売上が出てから泥縄式で決めるわけじゃないだろうし、そんな悠長なことができるようなコンテンツでもないだろうに。
合併に向かうなら2周年までのAS関係の新譜がないのは何だったの?と思うし、並立なら並立でAS関係の新規グッズが「ミリオンライブ」名義になっていたりする現状はどうなのか?と思うし。
再来年はデレマスだって10周年で大々的にライブやりたいだろうし、そうしたら7月11月と立て続けにライブをやることになるよなあ。アニバーサリー後の体制が今一見えてこないなあという感想。
閑話休題。先日の生放送後意外とAS推しの風潮を嫌うシアター組Pが多いって事に気がついた。1/4がASで新譜こそないけど新カードやシナリオに絡んでいたのに何が楽しいの?と思うし、
逆にASPはASPでミリオンの活動を一切認めてない人も居るけど、下手なデレステのアイドルよりも優遇されてるのに、無いこと扱いもどうなのと思う次第。
ベスト10を選んだ以上ワースト10も選びたくなった。何度も言いますが選出基準は独断と偏見です。
何百年も前の古典を独自解釈でアレンジしまくるのは全く問題ないし、『銀河英雄伝説』もある意味そういう「みんなが知ってて好きに翻案しまくる時代劇」枠になってきてるから大胆な改変が許容される感はあるかもしれないけど、精緻に組み上げられた現代の名作である『屍鬼』でそれをやるのはダメでしょ。ギルティでしょ。とにかく元になった漫画が原作改変でひどすぎるものだからそれを継承したアニメ版もひどい出来になっているという一例。これは俺が読んだ『屍鬼』ではない。本当にクソ。
テン年代最悪のアニメ映画と言っても過言ではない。クソ of クソを煮詰めたような作品。製作陣は頼むから原作をちゃんと読んでくれ。どうしてあの緊張感溢れるシーンが全部脱力系ドタバタコメディになってるんだよ。おかしいだろ……。ハラキリもんですわこれは。まずもって原作では知的な感じだった当麻蔵人をおバカキャラとして描く必然性が1ミリもわからないし、そのせいで毎度毎度イライラするし高速のサービスエリアで優雅にお茶飲んでんじゃねえよ。女装して総領事館に向かうという見た目おかしくて地味だけど緊張感あふれる良い遣り取りを頭お花畑のドタバタシーンに変えた挙げ句にドヤ顔で出てくる英国人。滅べばいいのでは? ほんと劇場で見た直後はあまりのショックで放心状態だったわ。返せよ……っ! 俺たちの愛した『図書館革命』を返せ……っ!
「観ない権利」? 楽しみにして観に行ってこのクソ映画を見せられたんですよ! TVアニメでも色々微妙な箇所はあったけどまさかここまで盛大にやらかすとは思っていなかったので……。TVアニメ版の段階から激しく叩いていた人たちの先見の明にはただただ頭が下がります。次からは製作陣の心が折れるくらい強く叩いていこうな。
……んだよ、意味が分かんねえ。1話をあそこで切っておいて2話をそう繋げる発想はなかった。他にももう本当に色々とすごすぎる。何なんだこれ。
些細な省略、些細な改変はもう仕方がないと割り切ったとしても、クライマックス、トァンのミァハへの思いを改変したのだけはマジでありえない。『屍者の帝国』(2015年)もかなり改変がひどかったし、伊藤計劃が死んだからって好き勝手しやがってふざけんなクソが、という感想しかない。
下げに下げた期待値の遥か下を駆け抜けていった奇跡の作品。好きなキャラが日常パートでキャッキャウフフしているだけで嬉しい、そんなふうに思っていた時期が僕にもありました……。日常パートでキャラdisをしてくるなんて思わないじゃん? カレー回が絶賛されてるのマジ腹立つ。あの回は足柄さん好きにとっては悪夢でしかないでしょ。金剛型の扱いもひどいし、他にも大井っちとかが好きなんですけど見事に……見事に……
まあ頑張ってよかった探しをするなら、あれだけ猛威を振るっていた足柄さん行き遅れネタがマジで観測範囲から一掃されましたね。いやほんと、アニメ化以前はpixivをめぐっていると必ずといっていいほど足柄さん行き遅れネタに突き当たり、自分としては解釈違いだけどまあ同人だから好きに描けばいいよな~アハハ~って流していたのだけれど、アニメ放映以降ぱったりそのネタが流れてこなくなった。みんなあのアニメ化後にそのネタをやらないだけの良心はあったんやな……というか行き遅れネタを描くような層さえもドン引きさせる公式アニメって……
けもフレ2に怒れるんだね。原作レイプを気にしない連中だと思ってた。だったらなんでその気持ちを少し……ほんの少しだけでいいからお前らが楽しんで見ていたクソアニメの原作ファンたちに、何で分けてやれなかったんだ!!!
短い尺に原作5巻までを詰め込もうとした結果として原作を改変したわけではなく単に省略するという手法を用いておりそれでどうなったかといえば原作の胸熱シーンや人物の丁寧な描写をゴソッと削ぎ落としそのくせキャラいじりネタだけはしっかり残してあるというどうしようもない出来になっていた。見始める前の期待感からジェットコースターのように評価が落ちていったあの残念感は忘れがたい。作画も声優も良かったんだから2クールにしておけば……。ともかく、山刀伐さんと鹿路庭さんが好きな人間にとってはちょっと許容値を超えた省略だった。
本当に許せない。原作無視の展開が多すぎて途中で耐えられなくなり視聴をやめたぐらいにひどい。何よりひどいと思ったのがアニメ版で理子ちゃん先輩の最初の個人戦での対戦相手が石澤さんになっていたことで、原作では勝ち進んでいた理子ちゃん先輩を一回戦敗退にする意味がわからなさすぎたし、石澤さんの方も神奈川トップクラスの選手なのに一回戦で格下の選手に見破られるくらいにはバックハンドが苦手という謎設定になっており、お前ら原作改変するならするで整合性を考えろよと。機械的に石澤さんと理子ちゃん先輩の原作での一回戦の相手の設定を混ぜちゃったんでちゅねー。馬鹿なの? 死ぬの?
というか割と転校直後にフレ女のみんなと打ち解けて愛され末っ子ポジションに収まっていたコニー・クリステンセンを北小町との練習試合までチームメイトとギスギスさせて多賀城ヒナちゃんに冷たい扱いをさせていたのはマジありえない……。志波姫さんの声優完璧だけど完全にフレ女がひどすぎてもうダメ。耐えられない。その後和解したからいいじゃんとかそういう問題じゃないんで……コニーが数ヶ月間あの塩対応をしてきたクソ女になってることが許せないんで……フレ女のみんなが何ヶ月もコニーとギスギスしてたことが我慢ならないんで……フレ女を舞台にしたノベライズが最高オブ最高だっただけにアニメ版フレ女のクソっぷりが際立つ……とりあえずお前らノベライズは読め。原作を読んで感じた「志波姫唯華が好き」という気持ちが「志波姫唯華好き好き大好き超愛してる。」に変わることは請け合う。はぁ、唯華先輩尊い……
なまじ作画や映像のクオリティがいいだけに叶わぬ希望を捨てられず最後まで観続けてしまったという点で残酷なクソアニメだった。姫様の都合の悪い命令には唯々諾々と従いながらもっともな命令には逆らう無能家臣、次々と安っぽく死んでいくキャラクターたちに当然哀惜の涙など流せるはずもなく、まったく理屈の通っていない姫様の台詞に説得されるステラにはご都合主義すら凌駕する何かを感じずにはいられなかった。そしてさんざん無意味な流血を描いておいてオチが「これは、遠い遠い星に生まれた、ある二人の女の子のお話」だったのはさすがに人が死んでんねんでと全力でツッコまざるを得ず、うん、ほんと、見た時間を返してくれ……
『THE FALL 警視ステラ・ギブソン』などを手がけた英国のTV&映画プロデューサーのヘンリー・スウィンデルは、映画やTVの結末は3つのタイプに分かれると説明している。それは、ハッピーエンドorバッドエンドのように結末が決まっている"クローズドエンド"、クリフハンガーで視聴者の捉え方に委ねる"オープンエンド"、そして"皮肉なエンド"の3パターン。
https://dramanavi.net/news/2019/06/losttv.php
人の生き死にに例えたらどうなるのだろう。
爺ちゃんが死んだときはクローズドエンドだった。文字通りの終わり。息子に先立たれた不幸が最後にあったが静かに、婆ちゃんがもう少しだけ余生を生きていけるお金を残して死んだ。
オープンエンド。この世の全てをそこに置いてきた!と言えばそうなるのかな。
皮肉なエンド。スクルージおじさんはそうならないように心を入れ替えた。でももしそうなっていたら?その死を周りの僕たちは覚えているのだろうか?
デレマスは相変わらず良く燃えここでの増田の肥やしになってるがちょっと本家765の話がしたい、正確にはそこにいた絵師達の話。
直球で言えば今まで765の13人+小鳥さんしか描いていなかった絵描きが他のアイマスキャラと並行して描くようになった。しかもその比率は徐々に765が減り、最悪765を描かなくなった人も多い。
さらに酷いことに765の話題すらしないようになった。今や話題になる展開すらないせいではあるが…決定的なのは誕生日を祝う絵すら描かないことだろう。体裁を保つためか765関連の絵をRTする程度の絵師は本当に良く見る。
なぜこんなことになったのかと思えば、2年前のステラステージの時点でアウトだった気がする。グラフィックがとにかく進化したことは話題になったがいかんせん発売以降の話が少なかった。
絵師というのは基本的に作品の人気に敏感なものである。特に商業に関わっている人間ならなおさら。残念ながら沈む船という判断が下された模様。