はてなキーワード: 都市計画とは
オリンピックで何を実現したかったかを考えて、別の方法でそれに近いことを達成しようとするのが代案だぞ。
コロナ禍で外国人観光客を今後も期待できないなら、ネトゲやオンラインカジノを国が後押しするとか。
前例のないくらい大規模の、国を背負ったチーム同士のeスポーツの祭典にしたら、オリンピックに近い応援の高揚感が得られるかも。配信権や広告収入もかなり期待できる。
ドローンレースや遠隔カメラで操作するラジコンカーレース大会ならフィジカルコンタクトなしでスポーツ的なイベントができる。国内の技術力向上や電波法規の整備も期待できる。
開催都市のインフラ整備というオリンピックの副産物が重要なら、都市計画案の公募や都市計画プレゼン大会そのものをイベントとして開催するとか。
3分くらい考えてこれだけ代案出たけど?
別に知らないから言ってるわけじゃないし、教養がないって煽りはボキャブラリーなさすぎ
建築家の領域でエンジニアの領域を超えるのは工業デザインと、せいぜい都市計画くらいまで
同じ土木建築分野でも橋の設計者は、設計もデザインも両方やるけど芸術家とよばれることはほとんどない
建築がある種の芸術性を持っていることは否定しないけど、公共施設において税金から多額の設計費を払うほどの効用があるのかい?
国立競技場のデザイナー選定騒動はばかばかしいものだったし、都庁だっていまさらあれを芸術だといって愛でる人や、優れたデザインによって都民のシンボルになっていると主張する人はほとんどいるまい
コロナ対策でいちばんモヤっているというか、行政に対してもマスコミに対しても医師会とか有識者に対しても「おまえらここどう考えてんだよ」ってとこがまさにそこんとこで、
「このコロナ騒ぎがどれくらいで収束すると思ってんの?」ってやつ。
これ、誰も答えてないんだよね。
長期的とか短期的とか曖昧に言うだけで、具体的な年数の予測が出たのを見たことない。
具体的な数字が出てないことの何が問題かって、つまり戦略目標が立てられないってこと。
・半年で収束する想定なら多少無茶な要請でも聞くよ。半年くらいなら収入半分になっても耐えられる。
・1年だと無茶はできない。だましだまし いくしかないだろう。
・3年ならそもそも無理だ。生活そのものを根本的に考え直す必要がある。可及的速やかに。
・10年だと社会基盤から再構築が必要だろう。コロナ補助金とか10年も続けられるわけがないし、教育とか都市計画とか経済とかきちんと備えないと国家として崩れかねない。
つか財政持たんだろ。生活困窮者が大量発生して税収は減るだろうから重症者は一定以上の治療はしないなどの決断があるかも。
・50年とか100年、永遠に終わらない可能性もあるね。人間は生まれてから死ぬまでマスクを着け続けることになる。マスクのインプラントとかの技術ができる?
なんとなく ワクチンが出るまで耐えればなんとかなる、って みんなかんがえてるっぽいけど、
副作用が許容できるレベルのワクチンが全国民に定期的に(おそらく定期的に変異種がでてくるだろうし)打てるようになるまでどれくらいかかるのかとか、
インフルみればわかるとおり ワクチン打っても罹る可能性はあるわけで 移動制限とか一切無くなったときにワクチンがあっても一定数の患者は出るだろう、じゃその数はどれくらいとか
そういった未来予想図を出す有識者(つか政府、行政関係者)がいないあたり、政府に対する不信感がぬぐえない。
私は10年くらいは続くと思ってます。効くワクチンができるできないにかかわらず、社会基盤の組みなおしを今すぐ始めるべきだと思う。
そしてその気持ちを、掲載した公的な場での掲載主や表現の場の関係者に
と迫り、圧力によって取り下げてしまう、またはその意見通りの表現の変更が行われている事象が多く存在します。
この内容の言動を唱えている方の大半は、
制作側の、どの程度の表現が規制されるラインなのかを設けてほしいという要望にも明確な基準線を設けず、
このような言動を唱える方々の多くは、歩み寄りや論理性を持った話し合いを避け、
「こう思った」「こう感じた」という意見をひたすら投げ、
として、放暴的に意見を押し付けている状況であると理解しています。
論理的な意見ではないのであれば、それはただの「気持ちの表明」であると思います。
「私たちはこの性的な表現によって傷ついたんだ、私たちは被害者だ」
このように気持ちを表現するのは、表現の自由として誰もが認められているところではあります。
現に一般の創作活動を嗜む方々を、この表現によって傷つけているのです。
私は、この表現のことを「潔癖グロ」と言い表すようにしました。
この表現を発する方が傷ついたと感じる表現、つまり「エロ表現」ですが、
またSNSなどでは、クリック等の一動作置かないと表出されることがないようにされるなど、
様々な”ゾーニング”がなされており、
こういったエロ表現によって傷つけられる人の割合は少なくなるように配慮されるようになってきています。
エロ表現と同じように、何らかの表現によって傷つく人がいるのであれば、
同じように何らかの配慮によって"隠される"ようになるのが妥当だと思います。
正当性を持たせるためには、そこに論理の整合がなくてはなりません。
論理の整合があるから、多くの人が正当な意見であると考えるようになるのです。
ですが、論理性を持たない、個人の感情である一介の表現ですので、
それを発出した弊害である、それにより傷つけられる人のことも考えなくてはなりません。
人間は、生物は、生殖機能によって、生命活動を長い期間育んできました。
少なくとも哺乳類の一種である、ホモ・サピエンスという種として生まれた私たちは、
生殖を行うことで子孫が形成され、次代に遺伝子が受け継がれていきます。
私たち人間にとって、生殖というのは大切な機能であると私は考えます。
生殖機能から発出する性意識や衝動についても、勿論大切なものとして扱わなければならないと思います。
更に私たちは同時に、社会活動をしている、社会的な動物である、とも考えます。
社会の中で、性機能というのはしばしば、不適当なものであるとして端に追いやられてきました。
しかし、私たち本来が持つ生殖機能や、それから派生するものも蔑ろにされるべきではないと考えます。
性表現自体が蔑まれ、排斥されるようなものではないと考えます。
細胞を分裂させて、自分のクローンを作り出す微生物と同等の繁栄方法を行っているか、
私たちホモ・サピエンスがまだ理解が出来ない、未知の繁殖方法で子孫を残しているか、
そのどちらかの当事者であれば、この性表現を排斥しようという意見は飲み込むことはできます。
しかし私たちは人間であり、生殖というのはその大切な生命活動の中の一部です。
そこから生まれる性表現も、大切にされるものであると考えます。
上記の理由から、私は性表現の排斥という言動について、正当性はないと考えます。
まだ成熟しておらず、性表現や性衝動を、あるものとして理解せず、
生殖を組み込んだ社会形成になっていないから、そういった言動が出てくるのではないかと思います。
私たちは誰でも、生殖機能を有し、性的衝動を有し、性的意識を有します。
そのうえで、社会を営む上で、理性を有し、上手く社会を回すために、
理性で性的衝動を抑え込むことで、生物が社会を回すことに成功しているのだといえます。
忘れがちなことですが、大半の人が、その人固有の性的衝動を抑え込んで今日まで生活してきているのです。
上記の言動の人は、そのことを無視し、性的衝動等を無きものとして社会形成を考えていると感じます。
というのは、その性表現の中に、
実際に、
性活動がどのようなものか理解できず、負担をかけてしまうことであったり、
それによって心理的なストレスを抱えるという事態が発生しているというところから派出している言動なのだと思います。
そのような社会的な事態を、加虐側になるような人に奨励するような表現がゾーニングされるべきであり、
については、本来はゾーニングされるべきではないのではないでしょうか。
また、ゾーニングを排斥、排除の意味で使われている方が多く散見されます。
https://ja.wikipedia.org/?curid=3593582
ゾーン(Zone)に分けて、場所場所で差をつけて管理しよう、というのが都市計画用語におけるゾーニングであり、
派生してゲーム等でのレーティングでは、表現の過激さからスコアを付与し、
あらかじめ鑑賞、ゲームを楽しむ人に、その表現が苦手な人がいたときに適切に避けられるように設定されたものであり、
その表現自体を排除、排斥するためにレーティングを行え、というのは、
レーティングを行うのではなく、気に入らないものの検閲を行えと言っているのと同義であり、
検閲というのは、国民が国に課した憲法ですら、禁止であると明記されています。
「この表現は過激だから、この表現はこのレートに当たるけど、もっとレートを下げたいなら修正してね」
自身がそのプラットフォーム自体の管理者ではなかったとしても、
どこまでも製作者を追い続け、「不適切だから取り下げろ」と迫ります。
プラットフォームが認めている表現であれば、本来の意味からはゾーニングは適切になされているのであり、
不快であると表現する側がゾーンから異端であるのだと思います。
たとえ表現者が、
プラットフォームが認めているのであればゾーニングは適切になされています。
表現の製作者や、ましてプラットフォーム自体を潰そうと画策する行為は
(表現をする場所を取り上げることも咎められる行為だと思います。)
このような排斥の言動も、上記の理由から社会的には"隠されるべき"であるといえるでしょう。
女性だから、男性だから、その他の性だから、何かの加害者だから、被害者だから言ってもいいんだ、という理由にはなりません。
私は、現状のような、
潔癖であることが何よりも是であり、性的な表現は一般社会に全く表出されるべきではない
そこから生まれる性表現も、大切にされるものであると上述しました。
大切な人とどんなふうに愛し合おうか、ですとか
恋人同士でどうすれば二人が満足感の高い性行為ができるか、ですとか
どんなところがパートナーの好きなところなのか、ですとか
それに付随する性交の表現や、性器の表現も直接的でいいと思います。
私たちが本来有する機能であり、大半の方は性行為を経験することになるからです。
子どもは大人になるのであり、大人になったら経験をすることであるので、
思った感情を相手に話す力、話を聞いてどう思ったか考える力と伝える力、
そういうことを重点に置いて教育を受け、そのうえで、
ですから、社会的に逸脱した行為は社会でゾーニングを行うとして、
一般社会では適切に性的な表現は咎められるべきではないと考えますが、
(小学校の目の前に、男性器が勃起した、あるいは女性器の陰唇が開かれているような看板が
周りから一定の範囲にはそういったものを掲載しない等の規則が出来ればと思います。
子どもが学習の場で適切に教育を受け、学びの場から卒業した時、
性というものに抵抗なく触れていけるような仕組みづくりが求められていると思います。
翻って、
このような言動は「潔癖グロ」として、何らかの配慮が受ける側に必要であると考えます。
そしてその気持ちを、掲載した公的な場での掲載主や表現の場の関係者に
と迫り、圧力によって取り下げてしまう、またはその意見通りの表現の変更が行われている事象が多く存在します。
この内容の言動を唱えている方の大半は、
制作側の、どの程度の表現が規制されるラインなのかを設けてほしいという要望にも明確な基準線を設けず、
このような言動を唱える方々の多くは、歩み寄りや論理性を持った話し合いを避け、
「こう思った」「こう感じた」という意見をひたすら投げ、
として、放暴的に意見を押し付けている状況であると理解しています。
論理的な意見ではないのであれば、それはただの「気持ちの表明」であると思います。
「私たちはこの性的な表現によって傷ついたんだ、私たちは被害者だ」
このように気持ちを表現するのは、表現の自由として誰もが認められているところではあります。
現に一般の創作活動を嗜む方々を、この表現によって傷つけているのです。
私は、この表現のことを「潔癖グロ」と言い表すようにしました。
この表現を発する方が傷ついたと感じる表現、つまり「エロ表現」ですが、
またSNSなどでは、クリック等の一動作置かないと表出されることがないようにされるなど、
様々な”ゾーニング”がなされており、
こういったエロ表現によって傷つけられる人の割合は少なくなるように配慮されるようになってきています。
エロ表現と同じように、何らかの表現によって傷つく人がいるのであれば、
同じように何らかの配慮によって"隠される"ようになるのが妥当だと思います。
正当性を持たせるためには、そこに論理の整合がなくてはなりません。
論理の整合があるから、多くの人が正当な意見であると考えるようになるのです。
ですが、論理性を持たない、個人の感情である一介の表現ですので、
それを発出した弊害である、それにより傷つけられる人のことも考えなくてはなりません。
人間は、生物は、生殖機能によって、生命活動を長い期間育んできました。
少なくとも哺乳類の一種である、ホモ・サピエンスという種として生まれた私たちは、
生殖を行うことで子孫が形成され、次代に遺伝子が受け継がれていきます。
私たち人間にとって、生殖というのは大切な機能であると私は考えます。
生殖機能から発出する性意識や衝動についても、勿論大切なものとして扱わなければならないと思います。
更に私たちは同時に、社会活動をしている、社会的な動物である、とも考えます。
社会の中で、性機能というのはしばしば、不適当なものであるとして端に追いやられてきました。
しかし、私たち本来が持つ生殖機能や、それから派生するものも蔑ろにされるべきではないと考えます。
性表現自体が蔑まれ、排斥されるようなものではないと考えます。
細胞を分裂させて、自分のクローンを作り出す微生物と同等の繁栄方法を行っているか、
私たちホモ・サピエンスがまだ理解が出来ない、未知の繁殖方法で子孫を残しているか、
そのどちらかの当事者であれば、この性表現を排斥しようという意見は飲み込むことはできます。
しかし私たちは人間であり、生殖というのはその大切な生命活動の中の一部です。
そこから生まれる性表現も、大切にされるものであると考えます。
上記の理由から、私は性表現の排斥という言動について、正当性はないと考えます。
まだ成熟しておらず、性表現や性衝動を、あるものとして理解せず、
生殖を組み込んだ社会形成になっていないから、そういった言動が出てくるのではないかと思います。
私たちは誰でも、生殖機能を有し、性的衝動を有し、性的意識を有します。
そのうえで、社会を営む上で、理性を有し、上手く社会を回すために、
理性で性的衝動を抑え込むことで、生物が社会を回すことに成功しているのだといえます。
忘れがちなことですが、大半の人が、その人固有の性的衝動を抑え込んで今日まで生活してきているのです。
上記の言動の人は、そのことを無視し、性的衝動等を無きものとして社会形成を考えていると感じます。
というのは、その性表現の中に、
実際に、
性活動がどのようなものか理解できず、負担をかけてしまうことであったり、
それによって心理的なストレスを抱えるという事態が発生しているというところから派出している言動なのだと思います。
そのような社会的な事態を、加虐側になるような人に奨励するような表現がゾーニングされるべきであり、
については、本来はゾーニングされるべきではないのではないでしょうか。
また、ゾーニングを排斥、排除の意味で使われている方が多く散見されます。
https://ja.wikipedia.org/?curid=3593582
ゾーン(Zone)に分けて、場所場所で差をつけて管理しよう、というのが都市計画用語におけるゾーニングであり、
派生してゲーム等でのレーティングでは、表現の過激さからスコアを付与し、
あらかじめ鑑賞、ゲームを楽しむ人に、その表現が苦手な人がいたときに適切に避けられるように設定されたものであり、
その表現自体を排除、排斥するためにレーティングを行え、というのは、
レーティングを行うのではなく、気に入らないものの検閲を行えと言っているのと同義であり、
検閲というのは、国民が国に課した憲法ですら、禁止であると明記されています。
「この表現は過激だから、この表現はこのレートに当たるけど、もっとレートを下げたいなら修正してね」
自身がそのプラットフォーム自体の管理者ではなかったとしても、
どこまでも製作者を追い続け、「不適切だから取り下げろ」と迫ります。
プラットフォームが認めている表現であれば、本来の意味からはゾーニングは適切になされているのであり、
不快であると表現する側がゾーンから異端であるのだと思います。
たとえ表現者が、
プラットフォームが認めているのであればゾーニングは適切になされています。
表現の製作者や、ましてプラットフォーム自体を潰そうと画策する行為は
(表現をする場所を取り上げることも咎められる行為だと思います。)
このような排斥の言動も、上記の理由から社会的には"隠されるべき"であるといえるでしょう。
女性だから、男性だから、その他の性だから、何かの加害者だから、被害者だから言ってもいいんだ、という理由にはなりません。
私は、現状のような、
潔癖であることが何よりも是であり、性的な表現は一般社会に全く表出されるべきではない
そこから生まれる性表現も、大切にされるものであると上述しました。
大切な人とどんなふうに愛し合おうか、ですとか
恋人同士でどうすれば二人が満足感の高い性行為ができるか、ですとか
どんなところがパートナーの好きなところなのか、ですとか
それに付随する性交の表現や、性器の表現も直接的でいいと思います。
私たちが本来有する機能であり、大半の方は性行為を経験することになるからです。
子どもは大人になるのであり、大人になったら経験をすることであるので、
思った感情を相手に話す力、話を聞いてどう思ったか考える力と伝える力、
そういうことを重点に置いて教育を受け、そのうえで、
ですから、社会的に逸脱した行為は社会でゾーニングを行うとして、
一般社会では適切に性的な表現は咎められるべきではないと考えますが、
(小学校の目の前に、男性器が勃起した、あるいは女性器の陰唇が開かれているような看板が
周りから一定の範囲にはそういったものを掲載しない等の規則が出来ればと思います。
子どもが学習の場で適切に教育を受け、学びの場から卒業した時、
性というものに抵抗なく触れていけるような仕組みづくりが求められていると思います。
翻って、
このような言動は「潔癖グロ」として、何らかの配慮が受ける側に必要であると考えます。
東京都心に住まうハイソサエティな人々や地方民は、東京にこれだけ近いところに、これほどモータリゼーションが発達した都市があることをほとんど知らない。
東京でも横浜でもない、車を中心にした世界がここにある。
嘘だと思うなら、カーシェアでも借りて一度センター北・センター南界隈を走り回ってみるといい。
東京と横浜の中間でなおかつ東海道線と東名の中間ぐらいの位置関係と言えばぼんやりとイメージがわくだろうか?
詳しい歴史とかはwikipediaを見ろ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%AF%E5%8C%97%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%82%A6%E3%83%B3
元は森と原っぱしかなかったところを開拓したニュータウン開発としては最後発に近い再開発事業だ。開発が始まったのが実質80年代以降なので、近代的なモータリゼーションをがっちり取り入れた都市計画に基づいた街が作られている。
ざっくり言えば、港北ニュータウンはショッピングモールの集合体だ、少し小さめの濃縮されたイオンモールクラスのショッピングモールがぼっこぼこと乱立している、センター北・南両駅に中規模のショッピングモールが3棟(港北東急、港北阪急、ノースポートモール)、立体模駐車場を持つ小規模ショッピングモール(どでかい商業ビル)が4棟、さらに商業ビル多数。近隣にはホームセンターも幾つもある。
そんな中途半端なショッピングモールじゃあね、という向きには、車で3~40分圏内に大規模ショッピングモールが3か所(ららぽーと横浜、ラゾーナ川崎、トレッサ横浜)、もう少し小さい規模でグランツリー武蔵小杉、たまプラーザテラスとか、横浜圏までいれると本当に数えきれなくなる。
とにかく車があれば買い物を行く先に全く困らない、毎週末・毎日がショッピングモール巡りだ、車で複数のショッピングモールを梯子することなんかもザラ。
それから、この二駅だけでスーパーが大小とりまぜて10軒前後ある、あほか。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%AF%E5%8C%97%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%82%A6%E3%83%B3#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Kohoku_New_Town_-02.jpg (写真)
まず道幅が広い、一般道で3車線があたりまえにある。狭い細路地がほぼ存在しない。一方通行もほとんどない。車の取り回しで困ることが無い。
駐車場も安くどこにでもある。商業施設の駐車場はほとんどがスロープ式立駐で、だいたい割引で足りるか、最初から無料。
ある意味センター北・南が猛烈に充実しているため、車無しで滅茶苦茶快適に生活できてしまうのだが、当然車の所有率も高い。
そして、いい車が走っている。外車率が異様に高く、軽が少ない。都心みたいにポルシェとベンツ、アストン・ベントレーにあれはマクラーレンか、みたいなバブリーさは無いが、ドイツ勢、ラテン勢など欧州車がかなり多い。レクサスも多い。港北ニュータウンにいると、日本の不景気とは? という気分になるぐらい、日本で失われつつある豊かさがまだここには生きている。
そして、ニュータウンらしく、車歩道分離や、公園が充実しているのもすばらしい。センター北・南から徒歩圏にもちょっとした森のような大きな公園が幾つもあるし、車で移動すれば自然もスポーツ施設も遊戯施設も多数あり子供の遊び先の選択肢に事欠かない。大きな公園に行くと、テント族っていうの? ミニバンにカートとテント載せてやってくる親子連れが広場にテント広げてゆったり遊んでる。ああいうの、都内育ちからみると全く未知の世界で軽いカルチャーショックがある。わざわざ、ひーこら奥多摩まで行ってバーベキューする必要ないんだ、みたいな。
それから、第三京浜・東名高速が至近というのも大きい、レジャーとなったときの選択肢が都心とはけた違いに多く、海と山にすぐ行ける。箱根・鎌倉・三浦・伊豆・富士・東海方面が東京よりすべて一回り近い。渋滞のボトルネック一つ分少ないことで、車での日帰り旅行もめちゃくちゃ快適。
都内でマンションや戸建てをサラリーマンが買うのが現実的でなくなって久しいが、港北ニュータウンとその周辺の横浜市営地下鉄沿線はまだ選択の余地がある、さすがに新築マンションの造成は減ってきているが、中古なら3~4000万円代から選択肢がある。しかもニュータウン故、ほぼすべてが築浅なので都心に比べれば程度が全然いいし広い。駐車場も当然ついているし、駐車場代も都心みたいにん万円なんてことはない。
歴史が浅いということは、世代・年齢層も若いということだ、周辺の戸建て地域もおんぼろの昭和な住宅や空き家・廃屋なんてほとんどない。街がぴかぴか、古い家はだいたい地主さんの邸宅。
港北ニュータウンのある都筑区は首都圏でも数少ない出生率が高く人口が増え続けている自治体だ。まぁ、40年50年先のことはしらん。
人種的には、ややマイルドヤンキー寄りだがヤンキーではない、リア充だけどうぇーいじゃない、ぐらいの層が厚い。所得がそれなりにあると思われるおされな人も多い。スポーツ観戦が好きで子供もサッカーやらせてます、目指せJリーグみたいな感じ? なにしろ、手軽にスポーツをできる環境がある。
そして、BOOKOFFに行くと、売られている本の質が違うんだ、ひたすらベストセラーやジャンプ掲載作品で埋まってなくて、それなりに面白かったり、マニアックな作品もごろごろしてる、実用書の質も高い。つまり、本好きが沢山いて、本を買い、BOOKOFFへ放流するというフローが成立しているわけだ。
総じて、平均してそれなりの所得があり、家と車を持ち、自分の生活を等身大で生きている、そんな世界が港北ニュータウンだ。
東京都心へは電車で40~50分、車で1時間前後、というところ。
港北ニュータウンの中央駅はセンター北とセンター南の二駅、センター中央駅は無い。この二駅を貫くように横浜市営地下鉄ブルーラインと同グリーンラインが通っている。
残念ながら東京都心直通の路線は無く(計画はあったんだ...)、都心に出るにはブルーラインであざみ野に出て田園都市線もしくはグリーンラインで日吉に出て東横線へ乗り換える必要がある。横浜・新横浜・みなとみらいへはブルーラインで直通だ。
車でのアクセスは、東名 横浜青葉ICもしくは第三京浜 都築ICから15分弱。
都心に直通の電車がないなんて田舎だよね、という向きには田園都市線沿線のたまプラーザ・あざみ野・青葉台を勧める。半蔵門線直通で都心まで30分前後だ。通勤時間的には都内の多摩地区と変わらない。
全体に若干割高にはなるが、車があれば、港北ニュータウンの利便性は享受できる。
ご存知のように殺人的な通勤ラッシュでおなじみ田園都市線だが、大井町線の乗り入れで改善してきているし、オフピークして、渋谷以前の半蔵門線から乗ればそれほど大したことはない。
ただし、歴史が一回り深い分高齢化が進んでいるのも確か。モータリゼーション第一世代が高齢化で免許―返上して駅から遠い戸建てを手放すみたいな話が出てきている。
都心と比べて東急グループや大手資本がなんとかしようとしている点がちょっと違うところで、たまプラーザの再開発なんかがその例、興味があるなら行ってみるといい。
東横線沿線は良くも悪くも東京都心に近い属性がついてくる、居住費や駐車場も高くつくし、狭い道も多い。武蔵小杉・元住吉・日吉あたりは車でも住みやすいが水害が心配なのは去年の台風でわかっただろう。
そんな感じで、首都圏にでもモータリゼーションが発達して発展している都市がある、ということをわかってもらえると嬉しい。東京都心と地方のロードサイドの二元論なんてナンセンスだ。
都内勤務だけど、リモートワークも進んだし、ちょっと都心から離れてみるのもいいよね、車の運転好きだし、という層にはぜひ一度訪れてみてほしい。
港北ニュータウンに無い物? うーん、歴史とか、超高級ブランドショップとか、それから下北や吉祥寺みたいな個性かな。あーあと、あれあれ、イオンが無いよ。
区民センターに住民票を取りに行ったついでに、区の歴史を展示するコーナーに寄って、壁に展示してある古い写真のパネルを見た。こういう自治体の地味な歴史展示コーナーがけっこう好きだ。見たことのない写真とかが飾ってあるから。
家の近所の風景だという戦前の写真を見たら、辺り一面の田園地帯で、牧場があって牛の放牧をやっていたらしい。今は家がぎっしり並ぶ住宅地になっているので、想像もつかない。なんかこう、広々とした田園風景が高度成長期ぐらいからどんどん消えていく予感を感じる度に、現代の自分でもちょっと胸が苦しくなる。
その隣の写真は道路の拡張工事をやっている写真で、昭和時代の漫画に出てくるような土方の格好の人たちがたくさん働いていた。この通りは昔はもっと細くて柳並木があるだけで、ほとんど何もなかったらしい。今は車が一日中飛び交う幹線道路になっていて、通り沿いにはオフィスビルやサラリーマン向けの飲食店が並んでいる。
そうなんだよな、となんだか一人で納得した。東京の高度成長期には、車のための道路を作る事が都市計画の要で正義だったんだろう。人は道の端っこを歩くように追いやられて。でも当時は車そのものがかっこよくて、国を発展させる未来そのものに映っていたから、誰も人間のことなど気にしなかったのだろう。
今はどうかというと、なんとなく親しみが感じられないな、よそよそしくて、元気がなくて、歩きにくいなと感じる街は、太い車道が中心に走っている街だ。戦後の都市計画どおりに作られた、車中心の街。逆に、なんだか感じがよくて、人がゆっくり歩いていて、オメガラーメンみたいに個性的な小さな店が出店する余地があるような街は、高度成長期の開発に取り残されて、古い街並みがそのまま残ったまま、店の新陳代謝が進んだところだったりする。
この流れが変わることはあるのかな、車中心の街作りになってしまった街が、人が歩きやすいように作り変えられることは。当面はないだろうな、と思いながら小さなため息をついて区民センターを出た。外を出たら曇り空で肌寒くて、なんだか元気が欲しくなったから、あの小さな商店街に行ってラーメンでも食べようと思った。
都市計画屋ですが、元増田はツッコミどころしかないので、ああいう人は買わない方が良いだろうなぁと思う。
所有に関して、自分にとってポジティブな権利のことしか言ってないし、竣工図書読んで良しあしが理解できる知識はなさそうだし、そもそも竣工図書を読んで理解したところで建物の現物の持つリスクは確定しようがない。使用履歴にも依るし管理状況にもよるし、嫌な話だが手抜き工事だってあるわけで。壁芯か内法かって一般的な80㎡ぐらいの家ならせいぜい畳2、3枚分ぐらいしか差が無い、部屋の取り方、家具の置き方で簡単に消失しちゃうような面積でしかないしねぇ…。自分が住んでるマンションの区分所有者にこういう人いたらすごい面倒だなと思っちゃった。
そもそも、GDP成長率とかNPSとか言うなら、極論だけど人口減少と経済縮小中の日本に不動産持つなんてリスクしかないわけだし笑、不動産の性質を分かってないなぁと思う。
都市計画屋としては大変かちんときたわけだが、判断材料が欲しくてやみくもに調べてみた結果をとりあえず吐きだして、横滑りして都市計画にモノ申してみて妄想が捗ったのかもしれない。もしくは原価厨的ななにか。地権者と話してたりするとそういう人たまにいるんだよなぁ。でも、街って地勢や環境や所有関係や隣近所や周囲によって形成される複合的な雰囲気や、過去の履歴やらが複雑に絡み合ってある種の「最新型の状態」が今なわけで、ぼくのかんがえたさいきょうの街に住みたいなら、ルシオ・コスタになって熱帯雨林に自分で街を作ればいいと思うわ。
気持ちはわからないでもないが、まだ買ってもいない自分の権利を主張しすぎてるあたり、もう少し民法とか都市計画勉強したらいいと思う。
薬事法とか食品の安全基準とか自動車の安全基準についても、建築基準法への厳しい目線と同じように過剰に慎重になってるんだろうか。
しがないソフトウェアエンジニアしてるけれども、今の会社含めて業界全体的でリモートワークが定着しそう。というか、今の賃貸がク○過ぎて、自宅作業が苦痛。引っ越しを考えるも、「新建築」に載るような集合住宅に住んだ時期を想起しても、この国の賃貸のクオリティーはあまり高くなさそうであり、人生で初めて不動産購入を検討中。
現在都内でも比較的小さな店が多い中央線沿いの街住みで、引越し先は賃貸ベースならば1年ぐらい前から中目黒を検討していたが、物件を買う=10年ぐらい住むとなるともっと自然が多い街に行きたいみたいなところ。
ひとまず中古マンションの購入を検討をしているが、驚くほど非効率な作業を強いられるので誰かにこの不満を共有したい。
マンションは内装部分はいくらでも変更可能なので、正直部屋の写真とかはどうでも良い。寧ろ、「マンションの躯体・構造」「管理組合」そして「街の将来性」に関する情報を知りたい。これらは相当程度データで表現出来ると思われるところ、suumoなりhomesなりを見ても絶望的にそれらの情報が記載されておらず、なんとなく良さそうな物件を見つけては不動産仲介業者との膨大でかつ不必要なコミニュケーションを強いられる。そのわりに不動産仲介業者が提供する新しい情報は殆ど皆無だったりする。
例えば、このようなデータを見たいが(意外と)標準的に容易に閲覧可能となっていない。
◎「管理組合」
↑ 一部のマンションではこれらの大部分の情報が [マンション管理ネット](https://www.mirainet.org/) で見られる
◎「街の将来性」
...
...
正直これぐらいのデータがあれば、今すでに標準的に表示されているデータと合わせ、知らない街の知らないマンションでも短時間で相当程度その価値を見極めることが出来ると思う。
とはいえ、なんだかんだ解体計画・管理組合電子化に関する情報・住民のnpsが分かれば良い気もしている。
・解体計画 → そもそもスクラップアンドビルドのノリで作っているのに解体計画が無いのが良く分からないが、これがあれば竣工時の情報・修繕の想定・リスクの想定などマンションの躯体・構造に係る必要な情報が組み込まれている可能性が高い。また、物件を評価するときに、解体計画に基づいて実質的な経過年数を評価出来る手法もあり得る。
・管理組合電子化に関する情報 → 結局知りたいのは管理組合のコミニュケーションのあり方。区分所有法に基づき総会議事録を電磁的記録で作成するのは難しそうだが、議決権行使は電磁的方法がOKだし、その他管理組合アプリみたいのも幾つかあるので、ある程度管理組合は電子化していて欲しい。ここが電子化されていないと、老人が多いか、コミニュケーションのコストが高そうなイメージを持ってしまう。 あと、国交省が言うような100年マンションがあったとして100年後に紙資料が保存されているのか、疑問がある。
・住民のnps → npsを細かく取ればその自治体についてある程度は分かりそう。特に、街の中長期的な発展には新陳代謝が重要そうなので、若い世代のnpsを知りたい。「住みたい街ランキング」とかどうでも良い。appstoreでアプリをダウンロードするときに知りたいのは、ダウンロードした人のレビューであって、これからダウンロードするかもみたいな人の意見ではない。
ただ、この3つが明示的に分かる場合は少ない。なので、結局仲介の人に連絡をし、実際に物件を見に行かなければならない。そしていろいろコミニュケーションするが、結局良く分からないままになりがち。契約交渉をすると分かることもあるらしいが、ただ情報を知りたいためだけに毎回契約交渉したくない。
一方で、これらの情報が今のマンション価格には組み込まれていない可能性もあり、知識と時間があれば良い物件を探せるような印象もある。今の日本のマンションの中長期的に支配的な価格決定条件=「駅近xx分」と「ブランド」に収斂しているように見受けられるので、諸外国マンションの価格決定を想像するに、多分価格に組み込まれていない情報は多いのだろう。不動産テックの人ってどんなことをしているのだろう。
その他雑感:
・鉄鋼の強度が上がったからか、最近の東京の新築マンションはファサードの曲線やコーナーサッシが大胆だったりしてカッコ良いの増えてきた。駅・商業施設直結系も良い。けど絶望的に手が届かない。イギリスではマンチェスターが再開発成功しているらしく、日本の地方都市にもこのような流れが普及することを期待したい。
・中古物件のデータがより可視化され、中古物件の売買が容易になることで、仲介業者の手数料収入は多くなる筈だが、何故日本の仲介業者はその方向性でロビイングをしないのだろうか。結局ここが分からないということは、まだ自分は不動産の闇を知らないのだと思う。
・築40~50年で誰が買うのだろう?みたいな物件でも管理費・修繕費が毎月数万円掛かる。これを誰も買わなかったらどうなるのだろう。ただ、同築年数で自分が手が届かないような金額帯の物件も案外ある。しかもデータがあるここ5年ぐらい価格が下落していないことが多い。ババ抜き怖い。
・新国立競技場建設時に立ち退きを迫られた築40~50年物件の住民を思い出す。確かに、良エリアなところには昔の人が何も考えずに建てた中途半端なマンションがありがち。そしてそのせいで街の流れが悪くなっているし機会損失が発生している可能性もある? 住民間の公平性の観点から、東京オリンピック関係なく、良エリアの中途半端なマンションの住民には躊躇なく立ち退きを迫るべき。
・つくづく新幹線は凄いと思う。初期の設計思想が優れているから、次の時代でも進化を遂げている。それに比べて日本のマンションはどうなのだろう。あと、新幹線は満州国での経験が色々生かされているらしいが、同様の経験が活かされているらしい〇〇ニュータウンは。。。
・結局税金で解体されるマンション増えてきそう。責任を次の世代にまわす日本人の思考回路を感じ始めている。もうこういうゲームは自分たちの世代で止めたい。
・幾つか物件を見たが、中古マンションをどんなにリノベしても数年後の販売価格はシビアになりそう。まして、金融機関の担保評価はリノベに掛けた費用など考慮しなさそう。数年後に残債以上の販売価格で買主と合意できても、買主にローンつかないこともありそう。欧米の金融機関の担保評価ってどんな感じなのだろう。
・都市計画を定めるときの地権者の意見の強すぎ。x年後にその土地で住む人、働く人は潜在的に皆利害関係者なのでは。x年後に地権者はそこに土地を持っているのだろうか。今すぐ土地を高く売りたい人による、今すぐ土地を高く売りたい人のための、今すぐ土地を高く売りたい人の都市計画で作りましたみたいな街が多すぎ。
・自分の生活は都心を思ったほど必要としていなかった。結局都心に毎日行っていたのは仕事の必要性が90%ぐらいだったようだ。ロンドンのハイドパークやリージェントパークみたいのが都心に無いのが残念。南池袋公園とかもっと頑張ってほしい。
・というか、リッチモンド公園みたいな公園が郊外にあって欲しかった。〇〇ニュータウンはそのような公園に出来る可能性はあったのでは。となりのトトロを見て何故か作成者の静かな怒りを感じた記憶がある。だからこそ、これまで〇〇ニュータウン出身者であることを恥じていたのだろうか。
・ミラノのBosco Verticaleみたいな建築家駆動のマンションプロジェクトってどうやって調べたらよいのだろう。日本のマンションは基本デベロッパー駆動なのだろうか。六甲の集合住宅とかは建築家駆動っぽいが。
・中古自動車の購入も検討しているが、ここまでババ抜き感は無い。というか、細かい性能やデータが分かるし、価格の妥当性・説得力がある。この違いは何?
・2軍の試合で良いので、車で球場に行ってみたい。何かアメリカ映画っぽい。あと、コストコが凄いらしい。一回も行ったことがないけれど。
なんかさ
日々ぐあいわるくなっていって
そりゃそうだろうとしかいいようがない。
外食の話もあったがたとえば、ITオフィスの街があって、そのオフィス需要以上には外食産業ができたってともだおれ。という、このまちならどのぐらいの外食産業が生きていけるっていうのは
都市計画の話で、路面店で飲食がどのぐらい可能な店があるかでだいたいわじかる。
同じようにオフィスの数がわかれば、スーツの数から何からわかる
すくなくとも機械学習とかに使う最低限の技術をまなぶだけでもその程度は出てくるような
基礎知識だけから行って、数字がおかしいんだから、そりゃ潰れるだろうとしかいいようがない
だけど
れーなうーん
れーなうーん れーなうーん などのCMをうってきたレナウンという産業のブランド価値がなくなってるわけじゃない。
そういうところまできちんと踏み込んでいるどこまでかくかというのが各社の技量だが
高度成長による人口の都市集中が続いていた、1972年にできた法律。大都市の周辺に、住宅地だけでなく官公庁・医療・教育・商業施設を含めた新都市を建設することを目的としている。
要するに、超大規模の都市計画をするうえでの根拠となる法律で、ニュータウンを作るときの法律である新住宅市街地開発法のグレードアップバージョンなのだが、残念なことにそこまで大規模な都市を作る需要が存在しなかったためか、この法律に基づいた新都市の開発は今のところ一件もない。
施行されて一度も効力を発揮していない法律というのもユニークだ。それと、アニメなんかに出てくる要塞都市を開発するときにも、こうした法整備がなされていたのかと想像するのも、架空地図を作る喜びに似て楽しい。