はてなキーワード: 辟易とは
まあそれでも上司がうっせーから最低限はやっていたし、下っ端が調子づいてる感出すと干されるなと思ったのでいわゆる「健常者エミュレーター」的なノリで先輩の動きをトレースしていた。
まあ真似っ子するのをロールプレイだと割り切れば大学時代にやったTRPGの延長とか、ちょっとだけ試して伸びずにやめたネカマVtuberとかみたいな遊びとして受け入れられたので続けることはそこまで苦痛ではなかった。
ただそのクオリティについてイチイチ細かいことを言う上司には辟易してたし、シャツのアイロンがけを指摘されるのがダルくて1000円高いノーアイロンシャツを買わなきゃいけないのや、靴が傷んできたら買い直すのは金の無駄だなと疑問はあった。
見てくれってそんな大事っすか?言い方でロジックが変わるんすか?コミュ力とかいう言い訳スキルのせいでかえって混乱起こしてる奴結構いませんか?
アリャ駄目だ。
一緒に仕事出来ない。
身だしなみや態度って「信頼関係構築にコストを払う意欲がありますよ」って相手にアピールするための物だったのね。
今更?
って思われるかも知れないけど、なんか日本人って基本的に礼儀正しいというか意識して不良部ってタトゥーやヒャッハーヘアーにしてるの以外は最低限できてるじゃん。
そういうのさえ無いのに仕事で遭遇するとは思わなかったんだよ。
でもありゃ無理だね。
「お前らにどう思われようが、俺には関係ねーから。まっ、お前らはウチと取引してくださいって土下座する側だからよ」みたいなオーラ出されると本当無理ね。
だってそんなの「クレーム受け付けません。文句は法定オンリーでお願いします」みたいなもんじゃん。
界隈内での評判とかどうでもいいですよみたいなポーズ取られて「ビジネスライクに行きましょう」とか言われても、ビジネスライクのレベルがあまりにも万民闘争世界すぎるじゃん。
ビジネスってやっぱどうしてもどこかでナアナアというか「ごめんね」「いいよ。じゃあ俺のも許して」「いいよ」「なんでも即法廷じゃお互い無駄にコストかかるもんね」「だよね」みたいなのがあるわけじゃん。
まあ見てくれに全コスト振ってて中身空っぽみたいなのも困るけどさ、中身が良くても「お前らにどう思われてもいいよ?」みたいな状態でやられるのは流石に怖いよ。
日本は法治国家とは言え何処か紳士協定的の性善説でやってる部分も0じゃないわけで、そこで全部我田引水かまされて「でもルールではセーフでしょ?」してきそうな相手との取引はかなり躊躇するよ。
グレーゾーンはお互い譲り合う前提で見積もりしあってる相手と、グレーな部分は全部向こうの良いようにしかねない相手とだったら、やっぱどこかでそういう係数をかけていくことにならざるを得ないって。
なるほどね。
最低限度を振り切って「どう思われても良い」を相手に突きつけていくってこういう感じになるのねって勉強になった。
そんでまあ文化圏によってその辺のラインが変わりうるから安全マージンを取って「僕は取引相手様からの評判は大事にしたいですね」という雰囲気を纏っておけってことか。
あーなんか分かってきた。
やっぱ極端な例を見るって大事だな。
でも想像もしとらんかったよ。
同じ業界にその極北にたどり着いた状態で仕事してる人がいるとは。
まあその会社がヤバイんじゃなくてその個人がヤバイ可能性はあるし、もしかしたら向こうから「面倒くさいから相手側から断る雰囲気を出せ」って命令でも受けたのかもだけど。
にしたって本当にヤバイのを相手先とぶつけたら「あの会社って、イメージとかどうでもいいらしいよ」って評判が業界に立つとか考えないのか?
そういうリスクを考えていくと、社員に身だしなみとか態度とか気を使わせていくってのは大事だし、社員としてもそのへんにコスト払うのは割り切るべきなんかね。
ナイツマの漫画版全部読み終わっちゃったけど小説読むきにはならんかったのでダンバイン見てる。
GYAOで3月15日まで全話無料だったし(https://gyao.yahoo.co.jp/title/%E8%81%96%E6%88%A6%E5%A3%AB%E3%83%80%E3%83%B3%E3%83%90%E3%82%A4%E3%83%B3%5BB-ch%5D/63a953c1-d447-494b-a2e2-68da05819403)
そんでまあ見始めたんだが、40年前のアニメの癖に今でも名前が知られているだけのことはあるね。
セル画特有のノッタリ感と強烈なケレン味は今見ると逆にリッチに感じるね。
んでまあ作画はすげえすげえ言ってるだけでいいんだけどストーリーの情報量の多さはちょっとヤバイだろ。
いきなり異世界に転移するまではなろうと一緒だけど、なんで転移してるのかの説明が薄すぎる。
シルキー(?)なる存在の力でなんか知らんけど召喚して、多分使い道は兵士にするためっぽいんだがそこまでしか情報がない。
過去に召喚された人間も結構いるっぽいし、その中には超チート技術者のショット・ウェポンとかいうアメリカ人がいることまでは分かるんだが、どうもそれとは別に裏切ってテロリストになった正義マン達がいるらしい。
んでまあロボットアニメだから戦うらしいが、全部が同じようなロボットというわけでもなくメーヴェみたいのに乗ってるのもいるし、UFOみたいのもいる。
んでまあそれぞれのロボの立ち位置も分からないし、オーラバトラーなるものがこの世界でどれぐらい浸透してるのかも分からん。
まあこれがいわゆる昭和流の異世界って奴で、この世界に始めてきた人間にチュートリアルなんて存在しないんだろうな。
鬼畜ゲーとか言ってもチュートリアルがあるソウルシリーズと、スタート地点からちょっと後ろに下がったらいきなり転落死するキングスフィールドの違いなんだろうな。
1話の段階で情報量がヤバイが2話で少し分かると思ったんだが、2話になったら今度は何もわからない政治事情が襲ってきていよいよ意味不明だ。
なんも知らんままに騎士団長っぽいのが謀反人っぽい連中に転向を誘われたり、その10分後には館に火を着けて焼き払ったりしている。
待ってくれ!今何が起きているんだ?????
ドレイクとかいう偉い奴がなんか世界征服を目論んでいてヤバイから周りが止めようとしていることは分かるんだが、じゃあそれを止めようとしている勢力はどんな奴らなんだ?
マジで何もわからない……マトリックスでモーフィアスが敵なのか味方なのか分からない時期の全容の掴め無さが延々と続いた状態で情報がドンドン積み上げられているようなもんだ。
3話になるとドレイクの娘が親父のヤバさに辟易しているらしく、それを防ぐために何かしら動いてるらしいことは分かった。
だがそれに主人公が巻き込まれて一気に裏切り者になってしまうし、そうなったら今度は追手としてやってきた地上人とオーラバトラーで仲間割れだ。
このアメリカ人が主人公の操縦技術に嫉妬していたらしく「お前とはこうなる気がしてたぜ」とか抜かしやがってもう人間関係グチャグチャやろと。
とにかく娘が言うにはドレイクとかいうのは超悪い奴らしいが、そもそもソイツがオーラバトラーの製造者であるショット・ウェポンなる異世界転移技術知識チート野郎を味方につけてる時点で主人公めっちゃ不利だろ。
コネチカットヤンキーの世界に転生してアーサー王陣営じゃなくていきなりランスロット陣営の側についちゃったような絶望感しかない。
こっからどうすんの?
それでこんなしっちゃかめっちゃかなのが50話も続くの????
情報の出るペースがなろうアニメの3倍ぐらいで、その中に他作品の経験で答がほぼ確定するものが半分ぐらいしかねえ。
引き継ぎ無しでいきなり燃えてる案件に派遣されたぐらいのペースで曖昧な情報が累積していく。
全然分からねえ……なろうがお粥だというならコレは生米丸齧りだろ余りにもストイックすぎるわ。
なにこのアニメ?
今の時代じゃこんなややこしいの年に1個あるかどうかだぞ?
自分は93〜97のどこかで生まれた(無駄な年齢フェイク)人間。初めてのポケモンはピカチュウ版。幼少の頃、アニメポケモンは空前の大ブームで友達も兄弟も皆ポケモンが好きだった。
勿論自分も例外ではない。特にアニメの世界観、サトシとピカチュウそして仲間達がポケモンの世界を旅する姿を見ているのがとても好きだった。
ポケモンアニメを見た夜は、布団の中で自分もポケモンアニメの世界でポケモンと一緒に旅をする夢想をしていた。欲しいドラえもんの道具はもしもボックスで、理由は「ポケモンの世界」を現実にしたかったから。
ポケモンという存在は、ポケモンアニメでは動物としていうにはあまりに人間に都合がいいほど、人間の言葉を理解し、友達でいてくれる。まさに、自分にとってサトシとピカチュウは子供のための夢の世界だったのだ。
しかし、子供は成長する。ポケモンアニメはAG中盤くらいで自然に卒業した。
しかし、生まれた時からクソオタクだったのと、ポケモンコンテンツが巨大な供給力をもっていたことにより、ハマり具合に波はあるものの、なんだかんだゲームは大体全部プレイするなどして、ずっと自分はポケモンという存在と付き合うことになった。そして、歳を重ねるごとにポケモンとの思い出も増えた。
ポケモンシリーズをプレイした時の楽しかった記憶、交流サイトでポケモンの絵を描いたら褒められた思い出。ポケモンの漫画を友達に借りた記憶、友達とゲームの感想を語ったり、交換して初めて自分のゴーストを進化させた記憶……。
気づけばポケモンアニメもサン&ムーンシリーズから見出していた。たまたま観た回が面白く(21話)、その後の話もキャラとポケモンがわちゃわちゃして楽しい話が多く、飽きずに見続けていた。けれど、ジャンルとしては「日常学園もの」となっていたので、初代とは大きく雰囲気が異なっており別物として見ていた。
ポケモンのアニメにどうしようもない「懐かしさ」を感じ、自分の中の温度感がおかしい感じになったのは、初代ポケモンアニメのリメイク映画「キミにきめた!」がきっかけだ。
上映時、仕事で大きな報告会があり疲労困憊だった帰り道のたった1回見たっきりなので内容をあまり覚えていない。観た理由も、ポケモンが好きだからなんとなくだ。
けれど、所々の初代でなんとなく見たシーンのリメイクに懐かしさを覚え、ピカチュウがサトシに何かを伝えるシーン(数年経った映画のネタバレ防止)にグッときた。そして何より、「サトシがポケモンのいない現実世界、という夢を見るも最後は夢から覚めてピカチュウと共に旅を続ける」という展開に無性に心が揺さぶられ、上映後ぼろぼろと泣いてしまった。
このサトシがポケモンがいない現実世界に存在行く話は、今は亡き初代アニメのシリーズ構成の方がアニメ最終回の時に考えていた案だ。(そのシリ構さんが書いたブログも随分前に読んだっきりなのでうろ覚えなのだが)このポケモン映画はその案を部分的に取り入れている。
シリ構さんとしては、子ども達が夢の世界からちゃんと大人になれるように…みたいな意図があって考えてた案らしいのだが、まあこの映画ではそれを取り入れつつも最後にサトシとピカチュウの旅は続く。
この時、なんとなく「自分はまだポケモンや他のコンテンツを拠り所にしていいんだ」と安心した記憶がある。社会人になりたてで、仕事も会社が辛くてしょうがなかった時だった。この会社は一年後くらいに辞めた。
それくらいからか、たまに無性に昔のポケモンのアニメが見返したくなる衝動に陥り、ミュウツーの逆襲〜ジラーチ辺りの見たことある映画を見て懐かしさに浸っていた。時にはそれじゃあ飽き足らず、観てない映画を開拓しては、やっぱり自分が1番観てた頃が面白いよなあとか思う夜もあった。
劇場版も、みんなの物語やココと言った作品は映画館で観るようになった。
過去の映画や、キミきめ以降の映画を見ていた時は大人になっても楽しむと同時に、子ども時代の楽しかったあの頃を思い出すように観ていたんだと思う。
そんなことをしては、もう2度とその時間には戻れないという現実に直視して憂鬱と諦観に苛まれるのだが。
逆にサンムーンのアニメは楽しく観ていたのだが、終盤チャンピオンリーグに差し掛かる頃から話が当然日常系ではなくなり、同時期に仕事のストレスがMAXとなった結果、観る気力がなくなってしまった。今では非常に後悔している。いつか観たい。
新無印は序盤がなんだか面白くないな…(個人の感想)と思い早々に見なくなった。
そしてつい3ヶ月前ほど、サトシとピカチュウがポケアニの主人公ではなくなるということが発表された。
この発表を知った時は、「そうか…」という微かな寂しさも感じたが、「まあそりゃそうだよな。長くやってるし、何よりよく知らないけど凄い最終回みたいなチャンピオン戦やったらしいしなあ」という納得のが大きかった。
しかし、それを機にサトシとピカチュウの冒険を締めくくるシリーズ「めざせ!ポケモンマスター」を見始めたこと、そしてなんとなく初代アニメを見返し始めたことで再び温度感の狂った懐かしさが爆発し始めた。
子供の記憶力とは恐ろしい。昔の回を見ているだけでリアタイ時の感情が生々しく蘇る。
また、配信も恐ろしい。本来記憶の中で朧げに美化され遠くなり、いつかは思い出という存在になっていくはずの現実に、いとも容易く触れられる。
そのせいで時間感覚が一瞬バグった。初代アニメをこんなに見返して、その時の感情も覚えているのに、もう20年以上も経っているだなんて……。
クレヨンしんちゃんのモーレツ!オトナ帝国でひろしが「懐かしさで頭がおかしくなりそうなんだよ!!」と叫ぶシーンがあったがそれに近い。流石にあそこまで切羽詰まってはないが。
そう、あそこまで切羽詰まってはいない。社会人になって数年経ち、仕事も転職し、今はキミにきめた!の時よりかは精神状態は落ち着いている。
でも、凄まじく人生が好転したワケでもない。仕事は毎日疲れるし、けれど稼いでるわけでもない。人生に目標があるわけでもない。夢もあったが、自分の限界に数年前に気づいてからは一層やる気がなくなった。自分には才能も、努力できる根気もなかったのだ。
趣味は程々に楽しいが、そもそも週5・8時間くらい働かないといけないのでそれにずっとかまけてもいられない。
数少ない友人はそのうち結婚や仕事等で自分から離れていくんだと思っている。
結婚願望はそもそも24時間人と関わりつづけたくないという思いから、特にない。
動物好きでペットは飼っていたが、数年前に看取った時とても悲しかったのと、また再び世話をする気力がわかなくて手を出せないでいる。
精神状態は落ち着いてはいるが、停滞した人生に倦んでいるだけかもしれない。宝石の国の月人みたいだ。(月人の説明をしようと思ったけどネタバレになりそうなので読んでください)
父親は定年退職して趣味に謳歌して楽しそうだが、コロナ禍とか物価高とか少子高齢化とか世界情勢も相まって、自分の明るい未来など想像できない。
別に死んだって構わないが、死の恐怖を乗り越えられるほど劇的な実行理由もない。
こんなうだつのあがらない自分の諦観に包まれていると、一層ポケモンアニメに浸っていた頃の自分が眩しくなってしまうのだ。
しかし、無情にも時間は進み、サトシとピカチュウの冒険はアニポケのカメラからは姿を消す。
大人の世界に辟易し、虚構の世界と思い出に夢想する人間だけを置いて。
サトシとピカチュウというキャラクターに凄まじい愛着があるわけでもない。
それでも彼らの別れが辛いのは、ただ、自分の子供時代が本当に遠くなるという事実、結局昔からほとんど変わっていないという現実が突きつけられることがやるせないからなのだろう。
多分、ひろしみたいに今が充実している人間はこんな気持ちにならないんだろうな。
いやでも最近アニメを見ていたらピカチュウが一周回ってすごく可愛く思えてきたので、それがいなくなるの普通に辛い。新しいシリーズにも別ピカチュウが出るみたいだが……。
チャートアナライザーさんが日本のサブスクで聴かれるアーティストが偏る件のtogetterを見て、コメント欄の言葉遣いに辟易すると言っていたのだが、こうした意見に耳を貸したりすることは意見を述べるうえで必要なのではないか?
実際コメントを見たが、Spotifyのみのデータで語られていることや、そもそもサブスクを利用している割合を無視していることを指摘している人もいれば、そもそも日本語圏なのだから偏るのは当たり前なのではないかといった意見もある。
ヒットチャートを追っていない、BGMとしてしか使ってないといった意見もあるし、本当に一つの話題で様々な角度からの意見が挙がっているのだ。
もちろん、コメントの応酬とまではいかないので議論というほどではないにしろ、チャートアナライザーさんとのやり取りならチャートアナライザーさんが無礼と言ってブロックしてしまうことを踏まえると、こちらのほうが今日本での音楽の一般的な聴かれ方に近い意見なのではないだろうか。
漫画に何十万も使ってたけど害悪オタクの女叩き嫌すぎて漫画熱冷めた人が、オタク達から漫画に年間何十万もかけるわけないから嘘松扱いされていた。
そのやりとり見せてくれなきゃ詳細わかんねーけど
要は「はいはいよかったでちゅねー」ってあしらわれただけじゃねーの?
はあ?
バカにされて当然じゃね?
この時点で真面目に相手される値打ちのある主張ではないと思う。
別にまあどんな理由で漫画買うのやめるのもそれ自体は勝手だからいいんだけど
なんかそれで自分の気に入らない奴等が後悔することを期待したわけじゃん?
もうこれが滅茶苦茶気持ち悪いんだよな。
俺自身子供の頃にこういう精神構造持ってたから「わかってしまう」のが嫌。
成人してこんなん言ってる奴どんだけ幼稚なんだ?っていう。
子供の頃にそういう幼稚なスネ坊交渉術が通用することがあったとしたら
相手がおめーのこと掛け替えが無いと思ってくれてる親だったからじゃん。
はったおしたい気持ちと自分の中のかつての幼稚な依頼心への羞恥とが同時にドライブするんだよね。
成人してその(チラッチラッ)をやる奴マジで精神年齢小学校低学年だからな?
そしてなんかその種のアホって女が多くね?
「女だけの村」って言うのがムカつかれてるのもそれで
あれ別に自立と理想を追い求めて真剣に考えてるプロジェクトじゃなくて
(チラッチラッ)って男の方見てるのバレバレじゃん。
真面目に考えてないの。男に心配して欲しー慌てて欲し―って言うのが丸出し。
なのに自分の特別な相手でもない世間の男一般が慌てたり心配したりしてくれてると思ってるわけじゃん。
もうその間抜けさと幼稚性に心底辟易とするしこっちが恥ずかしくなるんよ。
んでそれやってるのの中核はもう「女の子」なんて歳じゃないおばさんじゃん。
お前等一生そうやって男に慌てて欲しい心配してほしいって精神年齢で生きるのか?
「女だけの村」がフェミニズムマターみたいにいうやつらもいるけど
(俺のこれは女叩きか?
女の中のアホだけを叩いてるのは女叩きじゃねーよな。)
俺は韓国の社会全体の雰囲気は嫌いだけどキムチは好きだしスマホはgalaxy。
KPOPでJPOPにマウント取らないと気が済まない人(だいたいいい歳のおっさんおばさん)は嫌いだけどnewjeansは好き。
もし俺がさ、
「韓国の反日無罪の雰囲気が嫌だからキムチ食べません!スマホ替えます!」とか
「日本のKPOPマウントおじさんおばさんがキモいからnewjeansファン辞めます!」とか
そういう滅茶苦茶幼稚な(チラッチラッ)をやり始めたらどう?
あげく塩対応されたらtwitterから増田に移ってきてまで更にギャオるの?
精神年齢8歳ぐらいなのいい加減やめねーか?
こういう奴のオタクがーとか男がーとかって
別に相手がどうこうの話じゃなく要するに”自分が”子供で居続けたい、
一生誰かに心配され慌てられる側でいたいっていう小児精神だろ?
腐った幼心の君も大概にしてくれよ。
あたまファンタージェンか?
それでせめてこういうのがちゃんと「幼稚な奴」って名前で呼ばれてりゃいいんだけど
「フェミニズム」という正反対の概念で呼ばれたり名乗ったりするからおかしくなるんだよな。
あとnewjeansだけど
Tellmeだけはよくないと思う。
トランスジェンダーに関わる議論で、よくトランス女性を差別するなと吹き上がる連中はよくいるが
「男みたいな見た目の女性はどうすりゃいいの」というのも一定数混じっている。そういう女性らを人質に議論を優位に進めようとしているトランス界隈を見ていて辟易とする。
しかも時にはルッキズムと交えて、トランス否定派を攻撃してくるのもいる。ルッキズムは身体的魅力の問題なのであって、性別の問題ではないという事ぐらいわからないのだろうか。
それは置いといて、男みたいな見た目の女性にすごく申し訳ない気持ちもあるにはあるが、それは自分でどうにかしてくれとしか言いようがない。
そういう自覚があるならその場で弁明や釈明をする用意だってするべきだ。指摘した側が間違いだったらそちらに罪が発生するように法律を改正したり新しく作るのも残念ながら考えないでほしい。もしも男性が女子トイレに入ってきても、それを理由に指摘できない人が出てきたら終わり。
男に間違われた事でとんでもない苦痛や屈辱を味わったのなら、指摘した相手と現行の法律の範疇で戦えばいい。法律を乱立する必要は無い。
弁明や釈明が出来ないならば、化粧や整形をすればいい。しかし後者に関しては負担が大きいのも重々承知しているので、国に保障させればいいだろう。
性別ではなく外見年齢の話をするが、海外で二十代以上にも関わらず身体的には十代前半、あるいはそれ以下に見える女性のAVを所持していた結果、児童ポルノ所持の容疑が掛かったり、あるいはそういう女性の交際相手がバッシングされたりするが
女子どもを守るために徹底しすぎた為にそういう事が起こってしまうのはむしろ健全とも言える。それに前者は女優本人が名乗り出た事で事なきを得たし、後者は司法が介入して二人の仲を引き裂くような事も無いし、実害が出るような私刑も無い。つまり別に当事者達の人生が取り返しのつかない事になってはいない。
社会に生きる以上、いついかなる時も弁明や釈明をする事は避けられない。これは社会に生きてる以上は政治と無関係ではいられない、男性で生まれた以上は社会問題から目を背けてはいけないのと同じ。
周囲に不安を与えてしまう事を自覚しているんなら猶更用意しておかなければならない。それをわかってくれた人からトランス女性をむやみやたらに擁護するのはやめてほしい。
駐車場入口付近にとまっている車が見事なまでに白線をはみ出しており(車で白線をまたぐような位置)、駐車場の広さ・構造上、非常に出入りの邪魔である。
邪魔ではあるが出入り自体はギリギリできないわけではなく、自分が借りているスペースを害されているわけでもないので、毎日の出入りにストレスを覚えつつも、具体的な対策は何もできないでいる。
移動してくれとかとめないでくれというつもりは毛頭なく、白線内に収めてとめてくれさえすればよいだけなのだ。
毎日当たり前のようにはみ出してとめるので、本日、写真を持って管理会社に申し立てをした。
本来の借り主の別の所有車なのかもしれないし、その車がどこの誰のものなのか、本来契約しているのかどうか、そんなことは知ったことではないし論点ではない。
(契約者ではない者が勝手に使っているかもしれない状況で、確認すらしようとしない態度はどうかと思うが…)
私からの唯一の望みは「白線内に収めてとめるよう注意すること」であると明確に伝えたが、それでもなお動かない、動こうとしない様に辟易している。
18歳までの俺は常に誰かと比べられながら生きてきた。「お前ってどんなことでも2番目だよな」って言われ続けた。自分で言うのもなんだけど、高校までの評価軸(主に勉強と部活)においてはかなりできるやつだった。模試で全国100位以内に入ることもあったし、部活でも県の選抜に入ったりしてた。だけど、そのどちらにおいても圧倒的に俺の上を行く奴がいた。T大模試で偏差値80越えは当たり前でT大にトップレベルの成績で入るやつとか、俺と同じスポーツで世代の国代表に入るやつとか。俺はそいつらと比べると大したことないから、学校の奴らは、なんか馬鹿にするような態度で俺と接してた。そんな環境で中高の6年を過ごしていたから、自分でも自分自身を人と比べて生きるようになってしまった。
この大学の4年間は、絶対的な何かを追い求めることに必死だった。中高時代にズタボロにされた(もはや形成すらされなかった説すらある)自分のアイデンティティを探し続けた。このままいくと自分の幸せまでも相対的に捉えてしまいそうで、そんな状態で死んでしまうのが怖かった。
結果から言えば、大学の4年間でも確信は得られなかった。だけれども、いくつかのヒントはもらえた時間だった。
まず俺の生きる目的は、自分で自分を好きになることだと考えるようになった。目標じゃなくて目的。自己愛のために生きると決めた。自分を好きになるために自分の弱さと向き合うし、他の人と向き合うと決めた。
とは書いたんだけど、俺は他者との関わりの中でしか幸せを感じられないことにも気付いた。自分で何かを達成してもなんとも思わないし、俺でできることなら誰でもできるよなとまで思うこともある。第一志望の大学に受かった時も、確かに嬉しいは嬉しいのだけれど幸せは感じなかった。だけど、部活のみんなで何かを達成した時や、後輩の成長を見た時、周りのみんながワイワイやっている時とかには幸せを確かに感じられた。自分の幸せを他者に依存してしまうことは情けないのかもしれないけれど、これが僕が4年間かけて導いた一つのことだ。
あと、これも上に書いたこととちょっと矛盾するかもしれないんだけど、弱い存在としての俺が俺なんだと少しは考えられるようになった。高校までの俺は弱い自分を否定することに必死で、強くなることだけに拘っていた。この4年間で自分が弱いってことを認められるようになって、弱い部分も含めた自分を少しずつ受け入れられるようになってきた。
でもやっぱり、人と比べがちな自分は消えない。昔みたいに目に見える結果だけで人と比べるようなことは無くなった。だけど自分の弱い部分、特に「自分の人生を自分ごととして捉え、何かのために頑張ることができない」っていうのをめちゃくちゃ比べてしまう。俺の周りは頑張れる奴らばかりだ。勉強を捨ててまで部活だけに集中する奴、自分の将来にために勉強とか就活頑張る奴、毎日研究室で実験しながら部活でもエースな奴、高校時代帰宅部なのに大学で体育会入る奴、挙げればキリがないぐらい頑張り屋さんがいっぱいいた。俺は彼らの足元にも及ばない。俺はそれを凄いなと思うだけで、結局大学4年間頑張りきれなかったな。そして彼らと比べてしまって、自分の小ささに辟易した。
自分のために生きると決めた以上、人と比べても何にもならないことはわかっている。だけど、人間が社会的な生き物である以上、誰かと比べなきゃ生きていけないのも確かなんだとも思う。俺にとっての絶対的な何かを探すことを当面の目標にして、春からの社会人生活頑張りたい。
「〜て条件ならならわかるわ」「その気持ち全然わかんない〜」てそんなてめえの意見重宝されると思ってんの という気になる
問題の解釈判断において照らされるのがてめえの意見と思ってるとこがお察し つかそもそも素人構文
適当に言ってるだけじゃん、とかいうことでもあるんだろうけど、ほんとの適当を放言するなんてそんなないよね。誰でもよかった奴が女子どもを狙うみたいな。自分にマイナスになるならしないし言わない、そして自分の言動で傷つかずに済んだところが傷つくことには頓着しない。
自分の狭い見識に頼らずに、筋が通ってること言えばいいのにね。いや自分の見識的には筋が通ってるのかな。もうちょっと突っ込んで考えてくれたら共有しがいもあるのに。
わかるだのわかんないだのを独りよがりに強調するのは局感ある。
同調圧力で勝つしかできない人なんだろうか、それとも同調圧力で勝つのはめっちゃ快感だったりコスパよかったりするんだろうか。コスパはよさそうか。
同調圧力で勝ちやすいのは小集団だよねって思う。その点活動家はずるくない。感情に基づいた言動で共感を求めても、自分の身の回りに勝とうとしてるんじゃないから。まあきっとね。
勝ち負けで言わないなら、意見の一致や近似が連帯感って捉え方もありうるか。それが社会に必要ということなんだろうか。
自分は理にかなってるかどうかは結構大事だから、わかんないな〜。全然わかんない〜。
でもまあな、先に共有って触れたけども、あんまり論理的じゃなく外向的な人は内容はもとより共有目的で言動とりがちな気もする。
(世の中の男は親身なアドバイスはもとより気持ちを傾聴して的な主張も自分はわかんないんだがそういうところなんだろうか)
社会全体の幸せが連帯で保たれるのなら、全体主義の国ってやっぱ幸せなのかな?
全体主義の国は意見の違う国を純粋に布教対象として、敵国だとかラベル貼らずにやっていきたいのかな?
…みたいなこと論じてもしゃあなくて、たぶん小さくとも誤りだとしても動くことなんだとは思うけども。
経済学101は非常に素晴らしいサイトで、興味深い記事が多く、よく読ませてもらっていたが、
ノア・スミス氏の記事が出て、「ああ、これはBBCの例の記事への反駁として都合がよくて気持ちよくなる人が多くなりそうだ」と思ったら案の定だった。
「英語の文献引っ張ってくる人は「みんな英語を読まないだろ」と思って都合良く加工してくると思ってつい元を読んでしまう。東京の一人当たりの居住スペースが増えてるのは世帯人数減少によるものと解説が付いてた。」
と、コメントした方や星をつけた方たちのように、なぜか当該のノア・スミスの記事は、非常に都合のよい「日本は停滞してないよとの結論ありき」のデータの用い方と書かれた方をしている。
日本が停滞なんてしてないと反駁したい人には、すぐに飛びつきたきなるような色んなデータを提示した良い記事だろう。
この問題が一見して色んなデータを提示して説得力あるように見えるにはいくつかの手法によるものだ。
かつて日本は数年に渡り一人当たりのGDPが世界1位であり、各種製造業が世界を席巻し、ジャパン・アズ・ナンバーワンなどと自画自賛かつ他国の一部でもそう言ってる時代もあった。
当然、その時は欧米が比較対象だったのだが、興味深いことにノア・スミスの記事では、少子化問題の出生率に関して、東アジアのなかではマシと、先進欧米国との比較ではなく低出生率にあえぐ国との比較を持ってきている。
アメリカやイギリスやフランスやドイツではなく、ことさら出生率の低い東アジアと比較してるのである。
しかもここでは、日本が長期に渡り出生率が低い状態が続いていることが軽視されている。
仮に今年の出生率が劇的に改善しても、今年生まれた人が生産年齢人口に達するのは約20年後である。
台湾や韓国も長いこと出生率が低いが日本よりはまだ短く高齢化がまだ進んでいない。
同じ出生率1.3の国でも、日本のように長く低い傾向が継続している(しかも欧米のように移民によってその傾向をなんとか緩和するような施策を行っていない)国と、
今まさに日本と同じくらいの出生率になった中国や、日本ほどの長い期間でないにせよ低い傾向の続き日本より低い出生率の記録をだしてる台湾や韓国、
これからなるであろう東南アジアの国々とは事態の深刻さが違う。
10年低出生率の国と20年の国、40年の国では、データ上同じ出生率でもまったく影響が違うのに、である。
日本は世界の主要国先進国の中で先駆けて高齢化が進み、他国よりもその状態が長いことそのままの状態・・・つまり、まさに「停滞」してるから他所の国より深刻なのである。
丙午の年のように単年で出生数が激減したとしても、その影響は長いこと低出生率な状態よりもずっと穏やかで、
これから人口ピラミッドが日本のようになるかならないかでは大きな違いが歴然とあるのに、
他の国の、しかも日本がかつてよく日本自身と比較していた欧米ではなく、日本より低出生率の世界最低レベルの出生率の国々と並べて、
「マシだ」などといっても低出生率が長いこと続いて高齢化が進んでいる日本は、停滞していることに違いないのに。
中国や台湾や韓国は日本のように対策を練らないと日本のような停滞期を迎えるが、逆に言えば日本よりもまだ対策に猶予があるといえる。
賢明なユーザーが「世帯人数減少によるものと解説が付いてた。」と書いたように、東京の、一人当たり換算の住居の広さなのだ。
東京は全国平均を大きく下回る一世帯あたり人数になっており、2020年の国勢調査データでは、ついに一世帯あたり2人を割ってしまった。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA24EMY0U1A620C2000000/
ちなみにノア・スミス氏が比較したロンドンのある英国全体では、日本全国及び東京の世帯あたり人数が減少した2003から2013年にかけて世帯人数が2.36から2.37へと微増しており、
なんと、2021年のロンドンの一世帯あたり平均人数は2.5人で、イングランドの中では世帯人数が多い地域になっている。
英国全体では約2.4人なので、大都市ロンドンのほうが全国平均より世帯人数が多いという日本と東京の関係と真逆のデータになっている。
(最も少ないのは金融街のシティ・オブ・ロンドンの1.7である)
家というのは世帯人数が4倍になれば比例して4倍広くなるものでは決してない。
むしろ世帯人数が増えると、世帯で共有する風呂・トイレ・キッチン等々の分、一人当たり換算で狭くなりがちだ
東京で学生時代を過ごしたならその頃とかの一人暮らしのワンルームもしくは1K、1DKの下宿を思い出してほしい。
あるいは、不動産サイトでそういう単身者向けの住居を見てみるといい。
安い木造アパートとかでも25平米前後あるのを見つけられる。狭くても20平米前後だろう。
しかし、両親と子供二人の4人ぐらしで、25の4倍、つまり100平米のところに住んでいる人がどれだけいるだろうか。
中産階級向けの結構いいマンション、就職氷河期のあおりを受けた人間は買えないようなマンションでも80平米前後である。
私が現在住んでる地域の東京の住宅地の一戸建てでも二階建てでそんなもんである。
安いアパートに暮らす単身者と分譲マンションや戸建てを買う人、どちらが裕福かは明らかだが、
家族構成が異なるだけで、一見一人当たりの平米ではマンションや戸建て購入者の子持ち家族のほうが狭くなりがちなのである。
経済産業省がロンドンなどと各国の世界の都市と比較したデータでも、東京は一極集中がますます進んでおるとしており、
しかも学生やら単身のバイト、会社員などが集まり続けて世帯人数がどんどん減っているのだ。
そうすると、一人あたりの住居サイズは広くなるからくりなのである。
次に金融資産の話では、なぜか先進国の中で著しく格差の激しい米国の中央値と比較している。
みなさんも御存知の通り、アメリカは欧米先進国の中でも特に格差の激しい国である。
我々日本人ではあまり目にすることのないような貧困街などがあり、youtubeなどでその一端を目の当たりにすることもできる。
当然そこの中央値は下がる。
参照先のデータでは、日本より経済規模の小さいフランスやイギリスに負けているが、そことは比較しない。
あえて勝てるアメリカを持ち出している。
アメリカに負けたら今度は韓国あたりを持ち出して、ほら、日本はまだ韓国より金融資産多いよと、言い繕えばいいわけだ。
そもそも日本では個人の金融資産が毎年過去最高を更新とか国内ニュースで普通に採り上げられているので驚きもなにもない。
特に高齢者は平均すると金融資産が非常に多いが、持たざるものが圧倒的に多く、高齢者の生活保護受給者はどんどん増えているのが現実である。
多くの高齢生活保護受給者は怠けてたわけではなく、長年あくせく働いてきたが、国民年金だけではどうにもならなかった人たちや病気や怪我で、などが多い。
その結果、社会保険の負担もどんどん上がっているのが現実である。
金融資産が増えてる(特に高齢者は一番資産を持ってる世代!)わけだから、どんどん豊かになってるんだし高齢者向けの社会保障関連費は少なくても大丈夫だよね?なんてことになってないのどころか、
現役世代の負担は増えつづけてるので、ノア・スミス氏がいくら金融資産を持ち出しても、で?それが?って話である。
さらに外国人労働者が増えてるというが、これはアメリカやEU圏内の国民化したりしているような移民とは大きく異なっている。
賢明なはてなユーザーは薄々気づいているだろうが、そう、これは技能実習生らと資格外活動という名のバイトしてる留学生が上昇率の1位と2位を占めた結果なのである。
技能実習生で検索すると技能実習生と外国人労働者は厳密には違います。と出てくるが、
厚生労働省の外国人労働者の現状と呼ばれる資料に技能実習生がしっかり含まれており、
ノア・スミス氏の当該記事に添えられているデータにも下記のソースにMinistry of Health, Labour and Welfareと厚生労働省と書かれているように、
そのグラフは技能実習生と留学生が含まれた厚労省のデータと一致している。
https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_30367.html
上記サイトの 別添2「外国人雇用状況」の届出状況まとめ【本文】(令和4年10月末現在)[PDF形式:1.6MB]を参照
経済成長を遂げた中国からのそれの伸びが鈍化する一方で、近年はベトナムからの技能実習生が急増しており、伸び率も1位、人数でも中国より多くなっている。
そして劣悪な労働環境から逃げ出したベトナム人たちが、かつての中国人のように昨今の外国人犯罪ので多くを占めるようになっている。
技能実習生のみならず、日本語学校問題もはてなの諸賢ならご存知だろう。
ノア・スミス氏の翻訳記事で技能実習生らの大幅な増加によってもたらされたデータが、移民・外国人労働者増加として提示されてるのは失笑するしかないが、
おそらく技能実習生という制度や実情をノア・スミス氏は知らず、データだけ見て「ほら!日本は移民が増えてるよ!進歩してるよ!」って思っちゃったのだろう。
パスポートを取られて管理されたり恋愛禁止とかされてる人らを移民や外国人労働者増加の成果にしてしまうのは実に悲しいことなのだが・・・。
ちなみに異常な低賃金で働かされる技能実習生らが生んだ低コストなモノ・サービスと競合する日本のまっとうな企業は、
そうした低コストなモノ・サービスとのコスト競争を強いられて疲弊し、
市場から撤退をする羽目になるか、自らもブラックな手法に手を染めざるを得なくなるため、まともな日本企業にとっての悪影響が非常に大きい。
ノア・スミス氏はアメリカをの女性就労率を上回っていると書いてるが、ノア・スミス氏の当該記事はなぜ大事なところを書かなかったのだろう?
参照先の英文記事では、
日本の女性はその高い労働参加率に比べて、パートタイムや非正規で働く人がはるかに多いことが書かれている。
つまりは労働生産性が低く、安い労働力として扱われているということだ。
実際に男女間の賃金格差は、OECD平均よりもまだずっと低い。
さらに女性就労率に関する当該の参照先の記事の終わりでは、(女性の相対的にかなり賃金が低いままのためか)女性の就労率の上昇に女性の教育水準の向上が根底にあるとは見いだせず、
日本の公共政策は女性の労働市場への参加を支援するようになったが、これらの改革が女性の労働参加率の上昇と明確な関連を見出すのは困難、と結ばれているが、
ブコメではなぜか政権の手柄やよくやってる!というような意見もいくつか散見されるのは興味深いところである。
しかし、世界の平均成長率、あるいは主要国G7内の平均成長率、あるいはOECD加盟国の平均成長率などを大きく下回る成長を続ければ、
他国に遅れをとり、中国のように一気に抜き去っていかれるのは日本人が骨身にしみているはず。それが停滞だろう。
ちなみにノア・スミス氏が用いなかった日本人の90年からの約30年の肌感覚に近いデータといえば、世帯の所得である。
しっかりと、停滞というか減少してしまっている。
金融資産の中央値はアメリカより多いよ!ってノア・スミス氏に言われても、所得がこんな有様である。
https://www.mhlw.go.jp/wp/hakusyo/kousei/17/backdata/01-02-01-01.html
また、30代~50代の働き盛り世代の所得が20年前と比較して100万も減少していることがニュースになったのは記憶にあたらしいところ。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220303/k10013512681000.html
かつてはアメリカのGDPに迫り、ニュースでは日米貿易摩擦問題が毎日のように流れていたあの頃、
それが台湾や韓国に経済や技術でキャッチアップされ、このまま放置すれば日本以上に深刻な問題を抱えるその台湾や韓国の出生率らと比較して「日本はマシだ」みたいなことを言ってる時点で、
日本は言うほどひどくないって、そこまでハードル下げられるようになったか、と、
やはりあの90年からの日本と比べて明らかに停滞してきた証だなぁと思った。
余談
ちなみにこの手の議論で東京だけを抽出して経済成長してるだとか
高齢者や女性の低賃金労働者を除けば成長してるみたいな意見も時々あって辟易するが、
高齢者東京以外地方もれっきとした日本であり、税や社会保障を分担してるのであって、
ストリーマー界隈には母親面コメント問題というのがあるんだけどさ
過剰に配信者を心配するコメントのことで、本人は良かれと思ってるからなおのことめんどくさくて気味が悪いのだが
ここ最近はvtuberのアクシア・クローネという人が、こういったコメントに辟易してやめてしまう事態にまで発展した
にじさんじアクシア・クローネ活動休止 一部ファンへ「母親面しないでくれ」と糾弾
https://kai-you.net/article/84512
南アフリカのワールドカップでサッカーに興味出てネットで検索してると、サポーターの会話で「うちのこ」がやたら出てくるんだよね
文脈から察するに、それが自分の子供じゃなくて、応援しているサッカーチームの所属選手のことだというのはすぐわかった
もうね、ぞわっとしたよねwなんだそれって
気味が悪くてJリーグに興味持てなくて、欧州サッカーとかつまみ食いする程度になるんだけど
カタールワールドカップで日本代表が注目されて、Jリーグ公式みたらこんな動画を出してたわけ
https://www.youtube.com/watch?v=A32xw6cPO3w
1:12「どんな場所へ行こうとどのチームでプレーしようといつまでもあの選手はうちの子」
あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
この感じだ!おれがJリーグに興味持てなくなったのは!