はてなキーワード: 血脈とは
(続き)
これ、『サマーウォーズ』--これは脚本自体は奥寺さんですけどね--の頃からの一貫して細田さんの弱点だと思うんだけど、いわゆるカギカッコつきの“リベラル”的な女性観・家族観の理解がひっじょーに浅薄で浅いんですよ。女性が家長、新しい!女性は子育てをしていて偉い!男はイクメン気取りだけど全然わかってない!主夫の育児なんてドタバタでダメダメ!→ね?俺わかってるっしょ?みたいな意識/無意識ですね。
まず、イマドキ4歳児に「男の子でしょ!」って言って説得するのは“絶対になし”とまでは言えないまでもちょっと古くさい感覚だと思うし、そんなあさーい理解だからサイコ父ちゃんが無慈悲な既読スルーをする一方で、クソガキ様の自転車の練習のとき--この父子モチーフもイマドキ手垢つきまくってませんかねえ--急に古くさい父親のイメージとなるんですよ。要するに無理してかっこつけて大衆に目配せしているおかげで世界観やキャラクターの知能レベルがガタガタなんです。
さらに痛いのがね、ミライちゃんが初めて現われたその動機、ネタバレになるから一応伏せますけどね。何か裏事情があるのかなーと思って見てたらそのまんまで、は?なんじゃそりゃ!っていう。何故そこだけ急に価値観が昭和中期以前になるのかな・・・?キミ、設定上は一応令和時代を育ったんでしょ・・・?ってかそれ、おもしろい、のですか・・・??
ところが、このミライちゃんについては、はあ、それで・・・?未来のミライちゃんにとっての“今”ならまだしも新生児のときのソレってそんな気にするもんなの?というか、我々はリアリティラインをどこに設定すればよいのかな・・・?となっちゃっていて、行動原理が全くロジカルじゃない!ギャグとしても全くおもしろくないし。そもそもね、あれだけドタバタしてたらいい加減お父さん気付くでしょ?何か不思議な力が働いているのかな?ってか結局“現実”ではどう処理されたの?ってのが全く意味不明、というね。
良かった点も一応言っておきましょう!特にクソガキちゃんのクネクネクネクネした動きね!ここに関してはいわゆるアニメーションに疎い私でも「あっこれは気合い入れてるな、金かけてんなー、他の諸作品とは次元が違うなー」と思わせるものがありました!
でもね、それに関しても、「動きリアルっしょ?」「幼児の動きわかってるっしょ?」という自意識が先に見えてしまって素直に楽しめない自分がおりました。ここもなー、動きを見せようというのが先にあって全くロジカルじゃないんだよな。
擁護派の中には、「アニメーションリテラシーがちょっと高くないと」「『話がどうこう』って言い出すとやっぱり『つまんない』って感想が出てきやすい」っておっしゃってる方もいるみたいですけどねー。専門学校生が卒業制作で作る映画の話をしているならまだしも、あれだけ大メジャー作家のアニメーション映画でそれ言い出しちゃったらダメですよ。動きを追求するにしても「話がどうこう」の最低限のレベルはクリアしてくださいよ。そこは逃げないでくださいよ。比較するのはちょっと残酷すぎるかもしれませんが、宮崎監督作品や高畑監督作品の批評でアニメーションリテラシーの高低の話出てきますか?そりゃリテラシーが高い方の方がより作品世界を楽しめる。そういうことは往々にしてございます。両巨匠の作品もそういった性質のものですし、ポスト世代では、庵野監督作品、片渕須直監督作品だってそのように評価できると僕は思います。
しかしね、それにしても、あれだけの資本がついていて、ちゃんと作品に力があればリテラシーの高低にかかわらず、大衆みながそれぞれの立場で楽しめるものになるはずなんですよ、本来は。
極端なこと言えばリアルなアニメーションが欲しいだけならモーションキャプチャーでウニウニ動かせばいいだけの話で。僕は、それ以前の、物語としての最低限の誠意やマナーの話をしているんです。
その象徴として最たるものがあの“意識高い系”住宅。あれ、わざわざ建築家の方にオリジナル建築の設計を発注したとのことですが、あのねえ・・・これ、建築家の方は発注に答えたまでで全く悪くないと思いますが、新生児と4歳児をかかえたサイコ父ちゃんが仕事をしながらワンオペ育児をする家があの作りって・・・。あのう・・・控えめに言って狂ってるんでしょうか?これも「ためにする」デザインにしか思えないというか、あの家の作りでこの家族--暴れ回る幼児たちやこれから年を取るご夫婦--が一人も頭をかちわらずに天寿を全うできたらそれこそ奇跡なんじゃねえかという(笑)。やっぱりねーそこらへんの視点への気配りも含め、とことん不誠実なんですよ。
あとねー、クソガキちゃんについてもですね、「アナルプラグ(笑)」って書いてきたリスナーもいましたけれども(笑)、未来のミライちゃんに対して顔を赤らめて言うセリフとか、“王子様”に対する態度とか、サイコ母ちゃんのアルバム(唐突に出てくる、結婚式のスライドのようなリアリティのないアルバム。あれだけ小綺麗な写真見せといてなーにが“黒歴史ww”じゃい!)への反応とか、カギカッコつきの“東京駅”での振る舞いとか、ラストシーンのミライちゃんの説明ゼリフとか、もうとにかくその場その場で場当たりでてっきとーにキャラクターを動かしているから、まとめて一本の映画として見させられると賢さの設定がぶれぶれなんです。
特にアナルプラグのクダリなんて完全に大人側の欲望の目線やんけ、これのどこがリアルな4歳児なんすか!というですね。
ぶれぶれといえば、こちらも指摘しておかなければなりません。
物語の根幹かつクライマックスにもかかわる、世界観の設定ですね。
ミライちゃんがこれまた脈絡のない説明ゼリフでとあるタブーを説明するんですが、その数十分後にはたやすくタブーが破られる。そして特にペナルティーもない。じゃああの説明ゼリフはなんだったの?観客ポカーンみたいな。
そもそも未来のミライちゃんが全て知ってるように振る舞っているのは何故?とかね。言い出したら切りがありません!
BTTFシリーズのようにパキッと全ての伏線を回収しろとまでは言いませんよ!けどね、作品独自のタブーを出したらペナルティもあわせて説明してくれないと意味ないでしょ!ってかそれって創作における最低限の誠意、マナーなんじゃないんですか?
どういうことか。要するに、タブーが実際に破られる?大丈夫か?大丈夫か?あーとうとう破られてしまったー!そのあと一体どうなるー?、という状況があって初めて我々観客は一緒にハラハラできるわけですよ。たとえるならアレですよ。映画『グレムリン』ありますよね。1984年。ジョー・ダンテ監督の出世作。その中で、例の3つのルール、ありますね。
この作品でたとえるなら、映画内で3つのタブーを説明したにもかかわらず、結局ペナルティはよくわからない。映画の後半でギズモが太陽が燦々と照る真っ昼間にグラサンかけてジャブジャブ海水浴をしている。そんで最後の最後にそれまでの展開と無関係な第4の設定が唐突にギズモの口から語られる。なんじゃそりゃ、みたいな(笑)。もう一体何がしたいの?というレベルですよ。
世界観の設定自体もね、これ、実は初見のとき、クソガキちゃんのインナートリップやらセルフセラピーやらの話かとも思ったんですが、どうもそうじゃない。福山ひいじいちゃんや東京駅のクダリを踏まえると、クソガキちゃんが明らかに経験しえないこと・知りえないことを経験していて、なんでインナートリップのルールからも明らかにはみ出している。
あのねえ、4歳児を主人公にすること、オムニバス形式であること、現実と夢、空想があいまいなことって世界観がグチャグチャであることの免罪符には決してなりませんからね。童話や寓話、不条理ってそういうことじゃあないんですよ。ことほどさように、幼児を、というか人間のあり方そのものなめている所作としか思えません!
細田さん、クレヨンしんちゃん、映画版だけでもいいからもう一度じっくり全部見てくださいよ。全てが100%の傑作というつもりはもちろんありません!ありませんけど、幼児が主人公であること、ギャグマンガであることを世界観の言い訳にしているのはほとんどありませんよ。その上で、幼児の幼児性、第一子と第二子の関係性、ペットとの関係性、親子が親子であること、夫婦が夫婦であること、家族が家族であること、などなど、比べるのもホントおこがましくてしんちゃん側に大変失礼な話ですが、大人も子供も笑えるギャグも交えつつ逃げずに遙かに高度のレベルで達成してますよ。
クレしんとの対比でいえばクライマックスのアレね。あー出た出た細田演出、はいはい。なんて意地悪な僕は呟いてしまったわけですけれども、これもちょっとしたネタバレになっちゃいますが、クレしんの某・大名作映画。監督・脚本は原恵一。ナンチャラ帝国(笑)オトナナンチャラ(笑)の、“あの例のシーン”。これ、見た方はおわかりかと思います。と同じようなシーンをクドクドクドクド・・・。犬まで登場させてクドクドクドクド・・・。そもそも犬ってああやって母犬と別れるのか・・・?違うんじゃねえの(笑)?ってかそれもセリフで説明すんのかーい!見てりゃそれくらい黙っててもわかるわ!それ以前の問題としてに父犬はどこに?ということも含めて、とにかくひっじょーにテンポが悪い!!
あと一つ、これだけは言わせてください。
僕、前から言ってますよね。我々の用語でいうところの、いわゆる一つの“ベロベロバー”問題でございます。
クソガキたちがおどけた何か面白“げ”なことをやれば面白くなると思ってますよね。テレビではそれでいいかもしれないけど映画はそれじゃあ笑えないんですよ。
なおかつ、それ以外のギャグもアナルプラグでしょ!?単に下ネタがダメってんじゃないですが、時と場所と見せ方を選んでください。ただただ不快です。R指定なくていいのか?これ、子供に見せてもいいの?という。
さらに、その滑ったギャグを、全然成長しないクソガキのワガママやサイコ両親の立ち振る舞いで上書きして不快感を増させていくという(笑)。もはや“げ”ですらないじゃないか(笑)!
うるせー!こちらがお前らを「好きくない」んじゃー!とホント上映中心の中で何度叫んだことか。
そんで全然成長しないサイコ両親が終盤あまーい自己満足のセリフを言い合いますよね。はあ・・・。それはまあいいんですが、まずご自分たちのサイコ性に手を当てて顧みていただいて、素晴らしいご両親のご美意識にはお反しあらせられるかもしれませんがご自宅に子供用の転落防止柵をつけるなり、恵まれた収入でハウスキーパー雇うなりしないと死人が出ますよ、なーんてひねくれた僕なんかは思っちゃいますけどね!ええ、ええ、どうもすいませんねえ!ひねくれ者なもので!
これもねえ、今回は残念ながらあざとい部分だけ、“やだみ”ばかり印象に残ってしまいました!
はいカメラパンしました。時間が経過しましたよ。これ省略だよ。映画的でしょ?というのもさー、それはそれでいいと思うし、正直さすがうまい演出だなあと感じたカットも中にはありました!冒頭の息でガラスを曇らすシーンとか、雪のシーンとかですね。でも、これは演出じゃなくて脚本の方の問題かもしれないけど、とにかく登場人物がクドクドと設定を喋る喋る。別に未来の人だからってイコール全知の人じゃないですからねえ?
これもそれなりの理由があれば設定を喋ること自体は全然いいんですよ。
さっきたとえにあげたBTTFシリーズのドクとか、顕著な例ですよね。要は、彼は物語の構造上、観客が知らないことを「知っている」から、タイムマシーンの設定を「知らない」マーティン(=我々)に対して多少くどく説明しても全く嫌みにならないじゃないですか。ちゃんと時間が変わって彼が設定上「知らない」世界のことは観客が知っていても一切説明してないでしょ。
このあたりもなー。知識レベルの設定が全然統一されてない。観客は最初から最後まで悪い意味で置いてけぼり。
たとえばこれ僕からの一つの稚拙な提案ですけどね。ひな人形を巡るくっだらねードタバタをどうしてもやりたいんなら、おじいさんのエピソードも、一見するとくだらない代々の言い伝えである迷信的なナニカを律儀に守りました→そうしたらおばあさんとめでたく結婚できました→ミライまでの血脈が繋がりました→だからミライもそれをなぞったのです、ってすればですね、まあ設定のレベルとしてはひとまず統一できるじゃないですか。そのあたりも含めてとにかく“雑”の一言に尽きるんですよ。
あと、これ、感想メールで指摘していたリスナーもいましたけど、父ちゃん側の血筋はガン無視?問題ですね。誰しもそうですが、父と母が「両方いて」初めて今の我々に繋がるんじゃねえの?おいしいところ、ドラマチックなところのつまみ食い的な、「ファミリーヒストリー」をそのままやりたいならわかりますよ?でもこの映画のテーマって、平凡な一家族の、非・ファミリーヒストリー的な部分にあるんじゃないんですか?
「ファミリーヒストリー」的にいってもですね、もうこれ作品の根幹の価値観の話なんですが、サイコな両親とは距離を置き、血縁を自分からは繋がず、一人で自己完結してアナルプラグで遊んで暮らす一生は果たして「不幸」なのか?「何かしらの罰を受けなければいけないこと」なのか?という問いにはこの映画、実は全然答えられていませんよね。そのように考える人は、排除され、存在しえない世界となってしまっている。ここ、最初にも述べた“この光景は果たしてユートピアなのかそれともディストピアなのか(笑)!”という問いにも繋がるところですが、このあたりも、昨今生産性だなんだとニュースになったりしていますが、イマドキの価値観でいえば、全体としてはどんどん多様な個人の価値観を尊重する方向に向かっていっていますよね。少なくとも、僕個人はかくあるべきだと考えています。「家族派は家族派」、その立場はもちろんそれで否定しないけれども、一方で「アナル派はアナル派」だし(笑)、「乳首派はもちろん乳首派」(スタッフ爆笑)、本当はね、みんな違ってみんないいと思うんですよ。
このあたりも細田さんの“臆面のない傲慢さ”の意識/無意識、いわゆる“やだみ”がどうしても透けて見えてしまっているというか。というよりも、悪いこと言わないからもう細田さんはこれ以上家族のテーマは触らないか、触るとしても設定から脚本から何から全部外注して演出だけに専念する方が良いと思いますけどねえ。僕は。
というか、そもそも幸せって他人と比べてしまった時点で大概幸せにはなれないですからね。“あの”東京駅の“あの”新幹線の設定を踏まえるとどうもここはそういう世界ではないようですが。僕はこの世界は断固拒否したいです。絶対に嫌です。別にひとりぼっちでも本人が幸せならそのままで全然いいじゃねえか、というね。僕なんかはそう思ってしまいますけれども。
あー時間がない!声優のお話とかもしたかったんですけどね。福山雅治さんの意外なはまりっぷりとかね。
結論としては、申し訳ないですが、僕個人は「好きくない」類の映画と言わざるを得ませんが、山下達郎さんの主題歌を劇場の音響で聴きたい方、幼児がアナルプラグを刺して絶頂する場面を超絶作画で見たいという方に対しては・・・・・・オススメです!
(終)
イケダハヤトがVoicyにツッコミどころまみれな投稿をなさっていた。
そしてそれが大絶賛炎上中な訳であるが、思う事が沢山あったので匿名ダイアリーに記録を残そうと思う。
これ。
https://voicy.jp/channel/585/37282
「自分達の中にいた荒らしを排除したまで」という発言があった。
どうやら矛盾を叫んでいる人間らは荒らしのような存在で、不当に攻撃をしてきていると言いたいらしい。
では、追い出しを喰らった人たちは荒らしと言える人たちだったのだろうか?
ここにいしかわさんのノートから感じた事を述べてみたいと思う。
https://note.mu/ishi_kawa/n/n868d6c0f48c6
荒らそうと思ったなら、
・どんなノウハウか外部にばらす
etc…
というような悪意に満ちた内容になると思うのだが、そんな話は聞かない。
むしろ質問者は、荒らしたかったというより心地よくサロンを使いたいから疑念を晴らしたくて質問したというのが妥当ではなかろうか?
さて、
・心に不安を抱えたユーザーを放置するのは、果たしてまともなサロン運営者のする事なのだろうか?
・ブログでもSNSでもノウハウを実行していただく時に、疑念と不安が頭の中をかすめ続けるままやってもらうつもりだったのだろうか?
と、思う事は多い。
仮にイケダハヤトの脱社畜サロンの内容が良質なものであるにしても、心のしこりに対して何れかの対処はすべきだったのではないだろうか?
Voicyの中で言及されていたスマイリーキクチ事件と自分の事を重ねる発言に関してもツッコミどころが多数ある。
まずスマイリーキクチ事件が解決できなかった理由に「やってない証拠を出せ」と言われた事が挙げられる。そしてイケダハヤトはその件を引用して自分と同じと発言していた。
しかし、今回の件では「やってない証拠」なんて求めていない。「正田氏の経歴の証拠を見せろ」という話なのである。
つまり「ない事を証明しろ」じゃなくて、「やっていた証拠になる何かを1つで良いから開示せよ」という話なのである。
証拠になるものが1つたりとも存在しないなんて考えにくい。仮に自宅が燃えて全ての書類が消えたとしても、買収に関わった相手会社の引き出しに自分の名前の1つや2つ乗っているだろうし、ウェブに自身が運営した会社の残滓が残っている事だろう。
しかもSEO会社と聞いた。「ブログで証拠は出せません」とは言わせません。たとえブログが無くなったとしてもウェイバックマシーン(https://archive.org/web/)で証拠のサイトを提出する事だってできます。
※補足…ウェイバックマシーンは、ある名前のドメインが過去にどう運営されていたのか記録を残してくれるサービスです。2000年代の頃のデータももちろん出せますから正田氏が起業する1年前である14歳の時のデータだって出せるのです。
しかし、それも出ない。出せない証拠もなく「訴える!」と叫ぶ始末。疑念と不安を持つサロンユーザーの気持ちが解らないのだろう。
が、これもおかしな話である。何故Voicyという絶好の拡散できる所で事実を語らなかったのだろうか?
嘘が蔓延しやすいというのは解る。人間だれしもゴシップ的な情報に流されやすいからだ。
でも求めているのはそんな「嘘の構造とは?」の情報じゃない。「正田氏の話は事実かどうか?」なのだ。
19/1/14現在、Voicyの総合ランキングのトップがイケハヤラジオなのである。そして本人のツイッターも現在は注目の的である。
何故その影響力で真実を語ろうとしないのか?何故嘆きの言葉しかつぶやかないのか?不思議な限りである。
イケダハヤトの嘆きはもうよく解った。そろそろ真実を語られてはどうなのだろうか?
ここまで矛盾点を指摘してきたが最後に大きな視点に立ってイケダハヤトが何をしてきたのかおさらいしてみようと思う。
世の中の影響力の大きな人は自分のやり方・哲学を広く教える、そしてその教え子はそれの血脈を継いだかのように動くものである。
野球でもサッカーでもまずは指導者のやり方を真似てそれがその人の芯に残るのと同じである。そして大成した後は「〇〇先生のおかげでここまで来れました」というまでがお約束であろう。
さて、振り返って今までのイケハヤ氏から卒業した書生達の中でブログで大成したものはどれだけ居るだろうか?
イケハヤの何かを受け継いで成果を上げたものがどれだけいるだろうか?
一体全体、イケダハヤトとお付き合いして何かを得られた人間はどれだけいるのだろうか?
それなりな成果を残した元卒業生が居るなら、イケハヤのおかげで今の自分があると感じているのだろうか?
疑念は多い。
最後になるが、今回の脱社畜サロンから実力をつけて成果を挙げるものがどれだけ出るだろうか?データを取ってみたら面白い結果になりそうなものである。
家柄の差結婚
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/4267090.html
No.4
回答者: sangozaiku 回答日時:2008/08/21 13:03
カルマとは何だ?カルマというのが比喩だとしても意味が分からない。
比喩ではなくて、本当に宗教の話をしていると考えるなら別だが。
https://dictionary.goo.ne.jp/jn/71613/meaning/m0u/
《(梵)karmanの訳》
2 前世の善悪の行為によって現世で受ける報い。「業が深い」「業をさらす」「業を滅する」
3 理性によって制御できない心の働き。
https://dictionary.goo.ne.jp/jn/68539/meaning/m0u/血脈/
1 血管。
2 血のつながり。血すじ。血統。けちみゃく。「源氏の血脈を伝える一族」
3 ⇒けちみゃく(血脈)2・3
血脈も言いたいことの意味が分からない。親近相姦でなければ語る意味がない気がする。
ファイアーエムブレム 聖戦の系譜じゃあるまいし。
この人と親戚?嫌だーが認められるのはこち亀だけの話だろう。
下記でやや皮肉的なことが書かれている。
No.7
回答者: bouhan_kun 回答日時:2008/08/21 13:11
天皇陛下から直接お言葉でもいただけたら、変わるかもしれませんけどね。まあ、そのような晩餐会に招かれるほど高貴でもないのでしょうが。
春陽の候、皆様お変わりなくお過ごしでしょうか。 さて、突然でございますが、貴方に折り入ってご相談したいことがありましてお手紙を差し上げます。
ご存じないかもしれませんが、現在千代田城を根城にしている自称天皇家は帝の地位を詐称する偽物であり、正当な皇位は熊野宮信雅王の直系血脈である我が熊野宮家にあります。
しかし曾祖父・118代大延(熊沢)天皇、そして祖父・119代尊信天皇の二代に渡り、日本国の本当の天皇としての地位を主張し続けてきた熊野宮家ですが、近頃は千代田城に巣食う自称天皇家の圧力に押され日陰で暮らす事を余儀なくされております。
偉大なる曾祖父・大延聖帝がかろうじて残してくださった二億円の遺産で、臣民に紛れた隠遁生活は大きな屈辱ではありますものの、いつの日か千代田城の自称天皇家を排斥し、私たちこそが正当な皇室である事が世に認められる日が来ると信じております。
さて、120代にあたる父・今上陛下は近頃体調が優れず、(これは極秘なのですが)もう長くないとされております。次の正月は迎えられない事でしょう。 しかし父には男子が無く、現在皇太子の座は空位のままとなっているのです。ですが現行の皇室典範の関係上、女子である私が践祚する事は出来ません。
厳密なる調査の結果、貴方様は遠縁ながら熊野宮家の血を継ぐ人物である事が判りました。 そこで熊野宮王朝は貴方こそが皇位継承第一位に値する男子であると断定したのです。
お願いです。
どうか皇室入りし、第121代天皇を受け継ぐ者として立太子の礼をあげてください。 貴方様が傍系である以上、婿養子という形で私と結婚して頂く必要がありますので無理にとは言いません。 私を妻とする事に依存が無ければ、という条件で構いません。
ちなみに私の名前は茶々。まずは私の写真を載せたホームページのアドレスをお送りいたしますので(貴方だけに見せるプライベートページです)、そちらを見て判断して頂けないでしょうか。 もしOKという事であれば、ホームページにある「立太子ボタン」を押してください。
貴方様に断られてしまいますと、神武以来120代に渡って続いてきた天照の血が途絶えてしまうのです。
良いお返事をお待ちしております。
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母は70をこえてなお仕事をしており、同年代と比べてもかなり元気な方だ。脳みそもはっきりしていてそこそこの知性はある。ボケてもいない。しかし、精神年齢はそれとは対称的だ。精神疾患の専門用語を避けると「精神的に未成熟」と言っていい。心は子供、身体は老人。
具体的な例をあげようとしてもうまくいかないのはしかたない。自分自身で母の言動を表現しきれるのは無理だと思っているからだ。ただし会話をしていると以下のような傾向が見れる。
あげるとキリがない。古臭い表現では自己中となるだろう。とにかく怒りっぽい上に論理的な話が殆ど通じず、言葉の暴力で相手をねじ伏せることしか頭にない。客観的な事実や相互の理解ではなく、自身の主観こそが何よりも正しいと思っている。そのくせ警察等の公権力や客観的な事実には勝ち目がないとわかっているらしく、それらを避け続けている。
彼女が爆発するのは特に家の中だった。私の祖父母を持ち前の言葉の暴力によって完全に支配し、実質的に家庭内ヒエラルキーのトップであったのだ。手を出せば噛まれると知って、不用意なことをしなかったので彼女はずっとその地位にいた。
彼女の夫であり30年近く連れ添った理解者であり家族であり、つまり私の父親は「彼女は出会った当初から(精神年齢が)幼い様子だった」と語ってくれた。つまり結婚する前から彼女にはその性質があった可能性があるのだ。半世紀も前にこんな怪物が街なかで今よりも元気に活動していたと思うと悲しくなる。
彼女の弁護をすると、彼女は嫁ぎ先である我が実家の借金返済のために多額の財産を手放したと聞く。それは父親も認めており、幼かった私自身もそのゴタゴタに巻き込まれたものだ。だから彼女が嫁ぎ先とその人間をよく思っていないのは物心ついた時からわかっていた。
なにせ、彼女は自身の旦那さえも名字で呼ぶのだから。高橋家ならば「高橋さん!」と呼ぶ。激高すると名前を忘れるらしく、息子である私さえも「高橋くん!」呼ばわりだ。
彼女にとっては、自分と家の人間は完全に区別されるものらしい。
とはいっても、母の言動は極めて異質だ。モンスタークレーマー・モンスターペアレンツの典型例を犯したこともある。機嫌が悪いという理由でレストランの店員を小一時間も怒鳴ったのは今でもおぞましい記憶として残る。
つい先日も野良猫の餌に関して母はトラブルの渦中にあった。野良猫に餌を与えている女性を母が注意(※本人談)したのだが、母は猫のエサ以上に自身を侮辱した相手女性の言動の方が気に食わないらしい。私が相手を泳がせて情報を聞き出そうとしても、その様子を自身への裏切り行為と捉えたらしく激高していた。自分が気に入らないことはなんでも食って掛かる。どんなにコンセンサスを取ろうとしても自分の主観を曲げることは決してない。わがままも1時間となえれば通じるとおもっているようだ。
彼女は強い。自身の主観で捉えたことを徹底的に相手に押し付け喚き散らすこと。これが彼女の唯一の武器であり、誰も崩せない鉄壁の防御だ。論理的な攻撃もなにもかも捻じ曲げる。自身が不利になれば悲劇のヒロインを演じて相手を別の角度から侮辱する。誰も攻略できない。
だが、問題は私の方にある。
そんな母なので心療内科に通わせることは不可能だ。明日天皇制が王政になったほうがまだ現実的だと思えるくらいに。だからそんな母に対しては、周りの方が適切な距離感を持って接する必要がある。相手が変わらないならばこちらがどうにかするしかない。相手の安い挑発に乗って口喧嘩に発展してしまうことが最も危険な行為なのだ。
それが自分にはできていなかった。血脈なのか私も母のような性質を受け継いでいるのか、冷静で理知的なことができない場面が多い。
どうしたらいいのか。
朝、目が覚めると自分の姿を目の前にして天に昇っていたらいいのにと思っている。
山本常朝
山本常朝
山本 常朝(やまもと じょうちょう、万治2年6月11日(1659年7月30日) - 享保4年10月10日(1719年11月21日)は、江戸時代の武士、佐賀藩士。『葉隠』の口述者。「じょうちょう」とは42歳での出家以後の訓で、それ以前は「つねとも」と訓じた。通称神右衛門、俳号は古丸。
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1 略歴
3 史料
4 参考文献
5 関連項目
6 外部リンク
略歴[編集]
万治2年(1659年)に、佐賀城下片田江横小路(現在の佐賀市水ヶ江二丁目)で、佐賀藩士山本神右衛門重澄の次男として生まれた。母は前田作左衛門女。
常朝が自分の生い立ちのことを語っている項が『葉隠』・聞書第二にあり、それによると、自分は父70歳のときの子で、生来ひ弱くて20歳まで生きられまいと言われたので、塩売りでもやろうと父は思ったが、名付親の多久図書(茂富、重澄の大組頭)の「父の血を受け末々御用に立つ」という取りなしで、初名を松亀と名づけられ、9歳のとき、鍋島光茂(佐賀藩2代藩主)の小僧として召し使われたという。
11歳で父に死別し、14歳のとき、光茂の小々姓(いわゆる児小姓・稚児小姓)となり、名を市十郎と改める。延宝6年(1678年)20歳に元服して権之丞と改名、御傍役として御書物役手伝に従事する。この年に、田代陣基が生まれている。
この間、私生活面では20歳年長の甥・山本常治に厳しい訓育を受けたが、権之丞が、若殿綱茂の歌の相手もすることが光茂の不興をかい、しばらくお役御免となった。失意のこの頃、佐賀郡松瀬の華蔵庵において湛然和尚に仏道を学び、21歳のときに仏法の血脈けちみゃく(師から弟子に法灯が受けつがれること)と下炬念誦あこねんじゅ(生前葬儀の式、旭山常朝の法号を受けた)を申し請けている。
『葉隠』で慈悲心を非常に重んじている素地はこのとき涵養されたといえよう。さらにこの前後、神・儒・仏の学をきわめ藩随一の学者といわれながら下田(現在の佐賀県大和町)松梅村に閑居する石田一鼎を度々訪れて薫陶を受けた。このことも後の『葉隠』の内容に大きな影響を与えている。
天和2年(1682年)24歳のとき、6月、山村六太夫成次の娘と結婚、同年11月、御書物役を拝命。28歳のとき、江戸で書写物奉行、あと京都御用を命ぜられている。帰国後の33歳のとき、再び御書物役を命じられる、命により親の名“神右衛門”を襲名した。
5年後の元禄9年(1696年)、また京都役を命ぜられ、和歌のたしなみ深い光茂の宿望であった三条西実教よりの古今伝授(古今和歌集解釈の秘伝を授かること)を得ることのために、この取り次ぎの仕事に京都佐賀を奔走した。古今伝授のすべてを授かることは容易ではなかった、が元禄13年(1700年)ようやくこれを受けることができ、隠居後重病の床にある光茂の枕頭に届けて喜ばせ、面目をほどこした。
同年5月16日、藩主の光茂が69歳の生涯を閉じるや、42歳のこの年まで30年以上「お家を我一人で荷なう」の心意気で側近として仕えた常朝は、追腹禁止により殉死もならず、願い出て出家した。5月19日に藩主の菩提寺たる曹洞宗高伝寺の了意和尚より受戒、剃髮して名を旭山常朝と改めた。7月初旬に佐賀城下の北10キロの山地来迎寺村(現在の佐賀市金立町)黒土原に朝陽軒という草庵を結び、「尋ね入る法のりの道芝つゆぬれてころも手すずし峰の松風」と詠じて隠棲した。
田代陣基が、常朝を慕い尋ねてきたのはそれから10年後、宝永7年(1710年)3月5日のことである。『葉隠』の語りと筆記がはじまる。
のち、朝陽軒は宗寿庵となり、光茂の内室がここで追善供養し、自分の墓所と定めたので、常朝は遠慮して、正徳3年(1713年)黒土原から西方約11キロの大小隈(現在の佐賀市大和町礫石)の庵に移り住む。正徳4年(1714年)5月、川久保領主神代主膳(光茂七男、のちの佐賀藩五代藩主鍋島宗茂)のために、藩主たる者の心得を説いた『書置』を書き、翌5年、上呈する。
享保元年(1716年)9月10日、田代陣基が『葉隠』全11巻の編集を了える。山居すること20年、享保4年(1719年)10月10日、61歳で没した。翌日、庵前において野焼、墓所は八戸龍雲寺。
辞世の歌:
重く煩ひて今はと思ふころ尋入る深山の奥の奥よりも静なるへき苔の下庵
虫の音の弱りはてぬるとはかりを兼てはよそに聞にしものを
世の中にはあらゆるヴィンテージがある
例えばワインなんかはよく見る話だ
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1952年といえば、「風と共に去りぬ」が大ヒットして、なおかつ鉄腕アトムが連載開始された年。
ちなみに有名人では、中島みゆきや坂本龍一や村上龍や夏木マリや秋元治や浜ショーが生まれた年。
いわゆるネイキッドタイプのバイクで、1990年以前は最も売れた気がする
丁度、このときバイクが好きでたまらなかった世代が今の48歳の人
葉加瀬太郎や佐々木倉之助、大沢たかおや新田恵利、渡部篤郎さんと同い年
そのCBX400Fはいま、ノーマルの極上状態で200万超の買取価格(!)
https://www.bikeone.jp/bikeone_blog/category-05/cbx400f
というか、CBシリーズ最新モデルの中で最上級のCB1100すら2台買える
http://www.honda.co.jp/CB1100/
50歳前後といえば、ちょうど子どもが手を離れて少しは時間がつくれる頃
バイク好きだった人はこれを機に、新しいモデルに買い替えたりすると
空いた時間を楽しく活発にすることができるかもしれない。
ちなみにヴィンテージといえば、
http://www.vintage-mansion.tokyo/about/
恐ろしく経済が活発だったこともあり、とにかく贅沢
私は常々不思議だった。何故ラブライバーはヤンキーのような外見の人が多いのかと。
確かにアイドルのライブには昔から「○○命」と刺繍を金糸で入れた特攻服に身を包んだ、近寄りがたい方々がいたがラブライバーはそのはるか上を行く。
全身に缶バッジをつけジョジョの奇妙な冒険第7部SBRに出てくるタスクACT4を思わせるような非人間的外観をした怪物がうようよいるのだ。
その溢れ出した自己顕示欲とIQの低さはもはやヤンキーと呼ぶ他無い。
何故だ。
ラブライブという物語それ自体がマイルドヤンキーの文脈に沿っていたのだ。
母校という地元(いばしょ)を守るため、チームメイトという仲間達(マブダチ)と、全国の頂点(テッペン)を目指す。
その根底に流れるものはROOKIESやスクール ウォーズ といったヤンキースポ根ものの血脈だ。
主人公達の大部分が全くの素人であるという部分も上記の作品と共通している。
そしてそれはラブライブサンシャインでいよいよその色を濃くしていく。
まず舞台が田舎である。これはマイルドヤンキーの生息地として適切だ。
そして主人公達は地元民の期待を背負っている。この結束感こそがマイルドヤンキー魂の生まれる土壌だ。
その結束感ゆえ彼女らは大会のルールを叩き壊し、自分たちの地元と自分たちが盛り上がるためのパフォーマンスに興じる。
そう、彼女らは自分たちが内輪で盛り上がりかつ自分たちの存在を知らしめんためにルールという檻を叩き割るのだ。
一作目のラブライブは、この現代社会の中で自分たちの存在を認めさせる方法としてラブライブで健全にのし上がるという方法を取った。
しかし二作目にしてついに、ラブライブのルールという枠組みに囚われず自分たちの信じる道、自分たちがこの一瞬を輝ければ周りの迷惑も今後のアイドル活動すらも投げ捨てる道を選んだのだ。
最終回にこの話を持ってきたということは、制作側は視聴者にこの姿をロックだと感動して欲しかったのであろうことがわかる。
そうでないのならもっと前にこの話をやり、ルールを破るのは流石に駄目だと反省させる物語の作り方をするはずである。
だが、これに感動できるのはヤンキーだけだ。
心をヤンキーにしなければルール無用の大会荒らしで涙など流せはしない。
それならば結論は1つだ。ラブライブは最初からヤンキーによるヤンキーのためのマイルドヤンキーアニメだったのだ。
そう考えれば、あらゆる疑問の答えが出る。
異性の幼なじみで、小さい頃は互いの家を行き来してよく遊んだものだ。
中学までは同じ学校に通っていて、同じ高校を志望していたけれど、私は受かり、彼は落ちた。
歩いて3分とかからない距離なのに、会話どころか会うことすらなかった。
大学に進学したにはしたけれど、途中で病気になり退学したことは聞いていた。
互いのことを人伝てに聞くのみの関係で、結婚したらしいということも、私は母経由で聞いたのだった。
別に何の感慨もなかった。日々ころころと流れていくばかりのニュースを聞くかのように。
ただ、気になっていることがある。
それは、遺伝性の病質を抱えているということだ。
彼の母はその病気が原因で若くして亡くなった。
病気の影響からか、彼は同年代の男性に比べて、きっと私よりも白く細い体つきをしている。
子どもも生まれたと聞いたけれど、そう滅多にできるものでもないらしい。
よく、よくも、子どもを作り、育てることになったものだと、その点においては感心した。
私は怖い。子どもを産むことが。
その影響か、母の姉妹の半数程度は自律神経失調症を患っており、従兄弟と、そして私の妹は統合失調症を発症し、障害者手帳の交付を受けている。
もしも、自分の子どもが病気になったら、それも自分の血筋を受け継いだために、と思うと恐ろしくて堪らない。
恋人と呼べる人はいないけれど、もしこの先結婚するようなことになっても、子どもは産めないと思う。
だけど自分が生きた証をどこかしらに留めておきたくて、細々と話を書いている。
ただ生きるだけは生きて、父母ともしかすると妹を見届けてから、誰にも迷惑を掛けないようにぽっくり逝くというのが理想だ。
我が身の血脈そのものを遺したいとは思えない、不幸が蔓延するかもしれないから。
現在のサラブレッドのほとんど全てはダーレーアラビアンの子孫であり、エクリプスの子孫であり、ファラリスの子孫である。
ファラリスの子孫のうち、大半はネアルコの子孫であり、残りのほとんどはネイティヴダンサーの子孫である。
ネアルコの子孫で、現在でも栄えているのは、ナスルーラ、ロイヤルチャージャー、ノーザンダンサーの血統である。
ナスルーラの血統は、やや勢いを弱めつつも、主に北米で影響力を保ち、米三冠馬シアトルスルーの枝から、昨年の北米リーディングサイアーであるタピットを輩出している。
ロイヤルチャージャーの血統は、ターントゥ、ヘイルトゥリーズンと続き、そして登場したサンデーサイレンスの血は、日本を完全に支配してしまった。
現在はサンデーサイレンスの最高傑作ディープインパクトが、種牡馬としてもその後継として、日本競馬界に君臨している。
そして「その血の一滴はダイヤの1カラットよりも価値がある」と讃えられた20世紀最高の種牡馬ノーザンダンサー。
アメリカのダートを中心にパワフルな活躍を見せたストームキャット。
サドラーズウェルズからはガリレオ、ダンジグからはデインヒル、ストームキャットからはジャイアンツコーズウェイなど、数多くの後継を出し、世界中に血脈を広げている。
さて、このネアルコの猛威に対抗し得るのは、“灰色の幽霊”ネイティヴダンサーと、その末裔である大種牡馬ミスタープロスペクター以外にないだろう。
「探鉱者」という名を持つミスタープロスペクターは、シーキングザゴールド、キングマンボ、ウッドマン、ゴーンウエスト、アフリートなど、まさに金鉱を掘り当てるように後継種牡馬を豊富に残し、北米を中心に確固たる勢力を築き上げたのである。
以上が、現在のサラブレッドの血統の非常に大雑把な説明であり、より詳しく正しい情報を知りたい方はWikipediaをご覧いただきたい。
出逢うのは簡単だという人にとっては、出逢うのは簡単な話なんだろう。
ターゲットを決め、生息地に行ったところで、捕らえ方がわからなかったり、捕らえるための道具やスキルがない人間は、獲物を得ることはできない。
こうして俺や元増田のような劣等な血脈は淘汰され、人類は進化して行くのであった。
子供の頃は自分も大人になったらおとうさんになるんだと漠然と思っていたが、恋人や嫁を得るのってこんなに難しい話だったんだな。
ターゲットを決めようにもそもそも自分は今の手持ち道具やスキルで獲物を得ることができるんだろうかと悩み、それ故にターゲットを決められない、めんどくさい人間より。