はてなキーワード: 思い当たるとは
人間である以上、大抵の人は会話をはじめとするコミュニケーションが大好きだと思う。社会的動物ってそういうものだ。コミュニケーションへの欲求はみんな持っているだろう。
ただこの欲求を叶えることに向いていない人種が存在する。オタクだ。もっとしっかり言えば、会話力のないオタクである。
オタクには会話力のない人物がどうにも多い。これは会話力のない人たちが面白くないという理由で避けられ続けた結果、オタクという社会的カーストの下の層に落ちる傾向があるからではなかろうか。ちなみに「オタクは下ではない」という方がいたら申し訳ないが、オタクである私はこのことを地動説と同じくらいは信じている。まぁこの話や理由の推測は本題ではない。
こういった人たちも人間である以上コミュニケーション欲は当然持っていても不思議ではない。ただコミュニケーションを取ろうにも彼らはあまりにも会話が下手なのだ。
『まったく面白くないセンス』で『こちらがまったく知らない話題』を使い『相手の気持ちを考える能力無し』のまま話すのだ。どうだろう。こう書くと信じられない状況だが、こういった人に心当たりはないだろうか。
前提として、コミュニケーションは双方向性のものだ。互いに伝えたいことを伝え、互いに楽しむ。そうして互いに関係を築きたいと思ったときにはじめて友達と成るわけだ。これは社会的動物として、成長の中で当然知ることなのだ。しかもこれは本当に前提であって、これを知った上でコミュニケーション能力を高めて実際に人と関係を築くことまで含めて社会的動物の本能である。
しかし会話力のないオタクにはその前提の知識すらない。こっちがまったく面白くないと思っていても、勝手に笑って楽しんでいる。当然、能力の方も持っていない。こっちがまったく理解できていないのに、それを察することなくヘタクソな話を恥ずかし気もなく続ける。
そのうえ問題なのがそういったオタクであってもコミュニケーション欲だけはあるのだ。だから話せる機会があると思うや否やベラベラ喋りだす。その行動で一層人から避けられることになるのも理解せず。
地獄のような状況である。欲に能力が追い付いていない。欲求とそれを叶える要素が見合ってないことで社会的動物の機能がバグっていると言ってもいい。下手したら一生この状態から抜け出せないだろう。
せめて知識さえあれば、もっと会話の仕方を考えるだろう。そうして試行錯誤していれば能力は身に着く。当然能力が身に着けば自然と話し相手も出来て欲求も満たせる。
だがそういった知識を根付かせられるのは多くの場合幼少期だけなのだ。大人になってからこういう根本的な知識を身に着けることはあまりにも難しい。それにこういった間違いは友人などの近しい人間から指摘を受けて気付くことが自然だろうが、そもそも彼らにとって近しい人は少なすぎる。
だから、詰んでいるのだ。終わりである。会話力のないオタクは詰んでいる。
「オタクに限った話ではないのでは」と思う人もいるだろうが、まぁそれはその通りだろう。ただ私の思い当たる限りこういう人はオタクしかいないし、オタクほど社会的行動を軽視しがちな層もいない(だから前述した知識がつかない)。やはりこのことはオタクにこそ言いたいのだ。
会話力のないオタクは詰んでいる。でも意識さえすれば抜け出せる可能性は見えてくるのだ。私もかつてそうだったが今は友人もいる。だから詰んでいる状態から抜け出して欲しい。
私は今就活中で色々勉強だったりやること沢山あって、正直今の時期になんか大きな出来事あったら困るなぁって思ってた。
思い当たることは結構あって、叔父が病気だったり、祖父母が高齢だったり...。何が起きたとしても悲しいな...。
嫌な想像ばかりしちゃって集中出来ないかもしれないし、聞いたら聞いたで悲しくて何も手がつかなくなる可能性もあるし、
私どうすればいいんだろう...。
女だけど、思い当たることはないなぁ
デートに誘われて行ったら、完璧なくらい段取り立ててくれていて、話しやすい環境も用意してくれていてとても楽しかった。
いいな、と思った。
その前から、デートだと思うと仕事が手につかないし、今まで一回も見たことなかった恋愛系のコラムとかを探すし、
検索履歴とか見たらとても恥ずかしいことになっていると思う。
ほんとにずっとその人のことが気になっていて、お客さんと打ち合わせしていても考えてしまう。
10年以上恋してなかったので、とても新鮮、というかこんなに心や行動が影響されるのか、と自分でも驚いている。
1ヶ月間、そんな状態でいると、ふと、体重がかなり減っていることに気がついた。全体重の1割ぐらい。
そういえば、と思い返すと、お腹は空くけど少ししか食べられないな、と思っていた。
単なる夏バテかな?と思っていた。
ちょっときになったのでまた恋愛系コラムをググると、恋をすると食欲が無くなるちゃんとした根拠があるらしい、と出て来た。
いい年なのに恋しただけでこんなにも変わるのか、と。これが恋患いなのか、と。
早く良い方向に楽になりたいな、と思う
この話を始めるにあたっていくつか留意してもらいたい点がある。
一つ、これはいわゆる「腐」の作品を創作するオタクの話である。
特定のワードに触れるつもりは全くないが、カプや界隈といったそれらしきワードは話の進行上必要なので、そういった要素が許せない方は読むことをお勧めしない。
二つ、この文章には特定の誰かを非難したり貶めたりといった意図が存在しない。
この文章の書き手である私は確かに傷ついている。でもそれは誰かのせいでは全くなくて、強いて言わずとも私が勝手に傷ついているだけである。
おそらく、当事者たちがこれを読めば自分のことだ、あるいは関係者が読めばあの人のことだ、と思い当たるかもしれない。
もしこれを読んだあなたが当事者ないしその関係者であるなら、お願いだから私の前でこの文章に言及しないで欲しい。
私はどうしても抱えきれなくなってしまった気持ちを誰かに知ってほしくてネットの海にこれを投げ込んでいる、でもそれを自分の眼前に突きつけられて正常でいられるほどの覚悟を持っていないし、今後も持てることはないだろう。
いくつかの界隈を転々としながら現在の界隈と自カプに落ち着いている。
現在の界隈はとても狭い。きっとおそらくこれから広がっていくだろうが、これを書いている現在は創作をする人の数はとても限られている。
そんな狭い界隈の中で、私は自分と同じカプが一番好きだ!という人をまだ見つけられないでいる。
おそらくいないんだろうな、という諦めを持って久しい。だから少しでも自分のカプを好きだと言ってくれる人が現れるように、果ては自分のカプを創作する人が現れてくれるように、と祈りとも呪いともつかない気持ちを込めて創作をしている。
話は少しそれるが、界隈の中で私には仲のいい人が何人かいる。
その中から2人をこの話の登場人物にしたい。仮にAとBと置こう。
Aは雑食を自認するオタクである。一番好きなものはあるけどどれもこれも好きだし創作もする。
私はそのマインドが羨ましいと思いながら、仲良くさせていただいていた。
Bは雑食とまではいかずとも、自分の自カプに愛を注ぎ素敵な自カプを生み出すオタクである。
Bの自カプと私のそれは一緒ではないけれど、界隈の中ではお互いにとって数少ない解釈の合致する相手だった。
同じテーマで創作する、という企画を何度かやるくらいには仲良しであると思っている。
2人とも、通話をする仲であるし、都合が合うなら会おうとも言い合う仲だ。
Aの本命カプと、Bの自カプは一緒であった。
2人の一番好きなカプは私の自カプとは違った。それでも2人とも私の創作を好きだと言ってくれた。
前述の通り私は2人とよく通話をする。
Aは、喋らないと感想を言えない、と言っていた。
文章に起こすことがどうにもできないらしい。
そういう理由から、私はAから通話の際に自分の作品への感想を音声で受け取っていた。
Aが喋る称賛の内容は流量な語彙とみずみずしい感情にあふれていた。そんなに人を褒めることができるなんてすごいなあ、と思うくらいだった。
ところが、残念なことに私は音声で情報を受け取るのがとても苦手である。
学校の授業でも先生が喋ってる内容だけでは追いつくことができず、先生の板書を合わせないと理解することができなかった。
通話で予定を決める際にもなんども聞き直してしまうほど、音声情報を処理するのがどうにも苦手だった。
だから、大変失礼な話であるのは承知だが、Aが褒めてくれた内容を私はほとんど覚えていない。
褒められた事実は覚えている、でも何を褒められたのかはほとんど覚えていない。残らないのだ。
感想をくれなきゃ筆を折るぞ、が口癖だ。実際常にそう思っている。
だから、音声情報を処理できない脳みその都合から、ツイートや匿名ツールなど、文章として残る形で感想が欲しかった。
そうすればスクショなどの方法で保存して見返すことができる。いただいた感想は全てスクショして携帯のお気に入りに登録し、いつでも見返せるようにしていた。
そうして見返すことが私の創作をする心の支えであった。
私は人のリプ欄を見るタイプの人間なので、誰かからのリプライだってもしかしたら私を知ってもらえるきっかけになりうるという下心だって、あった。
でもAがそうやって喋った方がつつがなく思いの丈を伝えられるのなら、と、自分に残らない悲しみを飲み込みつつ受け取っていた。
また少し話がそれるが、本気で筆を折りたいと思った出来事があった。
詳細は省くが、創作に呪われ界隈を転々としながらも創作をやめられなかった私が創作をやめてしまおうと思ってしまったほどの衝撃だった。
でも、今はまた復活させている。創作意欲は死んでいる。生き地獄だ、と思っている。
なぜなら、少し前から私はAとアンソロジーを発行する企画を立てて主催を担っているからだ。
アンソロ参加します、買いますって声を受けているしそもそも主催なんだから放棄するような真似はよくないよ、と諭されて泣く泣くアカウントを戻した。
わかっている。Aの言うことは大正論だ。わかっている。
でも自分の創作意欲は死んだままだ。自分の作品なんて誰が好きなんだろう、私はこんなに心を注いでいたのに、と思う気持ちが止められない。
そういう時に一番薬になるのは自分の創作への感想だ。でも、直近で自分が投稿した作品の感想は一つも届いていない。
苦しい。続けるエネルギーがないのに、続けないといけない。
別のカプのつぶやきや作品はどんどんいいねが増えるし共感のリプがつく。でも私の創作にはつかない。
私はなんのために創作をしていたんだろう、と思うようになった。
もともと創作が楽しいから、自カプが好きだから始めたんじゃないのか?それとも認められるためのツールとして創作をしているのか?
それはもう卵が先か鶏が先かという話だからもう考えるのをやめた。
ぐちゃぐちゃだった。創作をやめることはできないのに、しないといけないのに、ずっと気持ちの整理はつかないままだった。
そんななか、Bがその自カプの作品をあげた。
素敵なお話だった。Bが生む作品はどれもこれも素敵で、新しく上げたものも例に漏れず素敵な作品だった。
純粋に自カプへの愛にあふれているんだろうな、と思ったその作品に、Aがリプライで感想を送った。
音声で聞くそれと遜色のない、語彙と称賛の気持ちにあふれた、文面だった。
心の中で何かがぽっきりと折れた。
肥大した承認欲求をかろうじて支えていたピンヒールが折れたような、乗っていた薄氷が足元に投げ込まれた石でがらがらと崩れ落ちたような、そんな気持ちで、私はAとBの会話を眺めていた。
私は文字で褒められたいと思っていた、それが私のわがままであることは火を見るより明らかだ。
Aに限らなかった。でも、Aに文字で褒められたいと思っていた。Aは私の創作が好きだと信じていたからだ。
私のお話が好きなら文字で褒めて、と願っていた。実に身勝手なのはわかっている。
でも、私が願って願ってやまなかったAからの文字での称賛を、Bは簡単に受け取った。
どうしても羨ましかった。
私はもらえないんだ、と思った。
本当に、筆を折りたいと思った。純然たる私の醜い嫉妬だ。
創作をすることで呪われた承認欲求が首を絞めるから、いっそ創作人としての人格を殺してしまおうと思った。
その苦しさを引きずって、怨霊のような私の創作人としての人格が生きながらえてしまっている。
いいねだけは来るけど感想が来ない、という理由で筆を折った作家は何人もいる。
私もそのうちの1人になりそうだ。
別に、そうなってしまっても構わないんだと思う。それでも世界は回る。
ただ、どこにも名前が残らない程度の作家である私の、そんなに短くない創作人としての過去が、何一つ報われないまま死んでしまうだけだ。
そうなったって、世界は回るし、私のフォロワーはきっと私を忘れていく。
誰かが送ってるだろうから私はいいや、どうせ貧弱な語彙しかないから、と感想を送らずにいる読み手のあなたへ。
それが続けば、たとえあなたがその作家を好きであったとしても、静かに筆を折って手の届かないところへ行ってしまうだろう。
そうなったら、どんなに嘆いたってもう帰って来ない。帰って来るかもしれないけど、帰って来ないかもしれない。
傍観者効果で人が死んだ実例がある。誰かがやるだろうから自分はいいや、という気持ちで人は死ぬ。人格は死ぬ。帰らぬ人になる。
創作人のわがままで申し訳ないとは思っているが、好きですの一言では不十分だ。
好きです、の前に一つの単語でいいから、目的語を添えて欲しい。あなたの絵が、小説が、この作品のこの場面が、表現が。なんだっていい。
何が好きなのか、それだけでいいから教えて欲しい。それだけで、読み手が思う以上に創作人は救われる。
一度呪われてしまえば、誰かの一言ぽっちで救われるほど心が弱くなってしまう。
たとえ悪意がなくても、誰かの一言ぽっちで死んでしまうほど心が弱くなってしまう。
そんな呪われた創作人を、救うことができるのは目に見える感想だけだ。
今回のテーマは率直に身バレが嫌な内容なので匿名を利用しました
ただこの記事は、Twitterなどで呼びかけられている「規定外団扇禁止」・「ヒール禁止」といった内容ではありません
むしろ、規定外・ヒール・盛り髪(ヘアメ)している側の意見ですのでマナー違反拒否の方で見たくない方向けではないです
私が本格的にJr.のライブに行くようになったのは高校生になってから
その前からも行っていたけれど親のお金だし遠慮していた部分が大半で、高校生になってバイトして、
チケットが外れれば積みも多ステもした
現場には少し上のお姉さんが団扇より大きな文字団扇、10㎝以上はあるヒール、
髪の毛はくるくるしていて可愛い、今思えば憧れだったのかもしれない
それからインスタやTwitterで繋がった系統の合う友達といわゆる「量産型オタク」になっていた
ライブの参戦服として買ったevelynのトップスやミニスカート、ROJITAのワンピースも
気づけば参戦服ではなく友達と”オタ活”する時、普段着にも化していたし髪の毛もロールMIX巻きもそれらしくなっていた
他にも回っていたが主にここに通っていた
そしてここ最近よく言われることがある
”治安が悪い”
そう見えるらしい
更には、
とも言われた
・ヒール
・盗聴、盗撮
・同担同士が仲良くない
と言われた
確かに思い当たる節はあるけどイコール治安が悪いとは感じなかった
この嵐
その中に
「○○くんが規定外干した、えらい」
「○○くん規定外に構ってた、注意してよ」
この2点もちらほら
その考えが間違っていると私はおもう
できないならそこら辺歩いてる黒服に言って注意してもらえばいい
黒服に何回も注意されて退場になった人結構見てるから効果的だよ
不満いうだけで、終いにはタレントに擦り付けて、
じゃあ自分で何か変えようと動いたのか
良い思いしてるの?」
その気持ちが優先してるんだと思うけど
アイドルに注意させて、その子が陰で悪く言われるの黙って見ていられるのかな
逆の立場を考えた時、人が密集していてその中で
まして照明が無差別に当たっている中で、瞬時に判断するのは難しいと思う
ここだけの話、今回のSummer Paradiseでアリーナ・スタンド共にの最後列から最前、立ち見こそはいらなかったが良席~埋もれまで入ったが
だが周りの環境に恵まれたのか大きく団扇を挙げてパフォーマンスが見えなかったことなんて一度もなかった
むしろ自担が来たら一緒に呼んでくれて、ペンライトの色を変えてくれたり、
親切にしてくれた覚えしかない
が、それを注意しないタレントを名指しで叩くのも
注意したタレントを讃えるのも違うだろう
当時のF先生は教師になってからまだ1年目か2年目の若い男の先生だった。
F先生の自宅にはメガドライブがあったりだとか、F先生の作る学級便り(当時は手書きだった)がRPG風の物語として構成されていたりだとか、感性の若いF先生は、先生と言うより少し年上のお兄さんみたいな存在として特に男子生徒から慕われていた。
客観的に見て顔も爽やかなイケメンだったので、自分はてっきり女子もF先生のことを慕っているのだろうと勝手に思い込んでいた。しかし三学期の後半ごろだったか、ほとんどの女子がF先生のことを蛇蝎のごとく嫌っているらしいことを偶然知った。男子はみんなF先生のことが大好き。でも女子はみんなF先生のことが大嫌い。当時の自分には不思議に思えた。
今思えば、思い当たる節がないこともない。
F先生は授業中、生徒の集中力が途切れると、授業とは関係ないフリートークを始める事が時々あった。
これ自体はどの先生でもよくやることだと思うけど、F先生のフリートークには、なぜか性教育が含まれていた。
保健体育の授業でやるような内容を下ネタ風ではなく真面目に、算数や国語の時間に教えていた。
もしかしたらそういう事を要所要所で教えるガイドラインが小学校の先生にはあるのかもしれない。
しかし先生の教える性教育の中には、いくつか印象深い話があった。
・男性と女性が性行為をする事で卵子が受精し、子供が生まれる。ただし性行為を行わなくても子供が生まれるケースもある。
・女性は性的快感を感じると、いつもより身体が柔らかくなる。女性が股を大きく開いて性行為をするのは、この特性のお陰。
キリスト教的世界観でない限り、一つ目の話はおかしい。でも中学生くらいまでF先生の話を科学的な事実だと信じていた。
二つ目の話は、残念ながら自分には今でも事実なのかデマなのか分からない。そんな話F先生以外から聞いたことが無いが、女性の誰かに事実関係を問い合わせた事はなく、実験を試みたこともない。
冒頭でF先生の自宅にはメガドライブがあると書いたが、これはF先生の家にクラス全員で何班かに分かれて遊びに行くというイベントがあって知ったことだ。F先生の家にはゲームがたくさんあった。
どこから書いたもんか。
あらかじめ言っとくけど、長い。
どのへんがターニングポイントになってんのかはよくわからんが、ここ10年以内のことではあると思う。簡単にいうと、利益を上げるための手段が、経営努力から人件費を削ることになった。まあ人件費削減がコスパでいうともっとも王道ってのは昔から変わらんのだけど、ほかの方法がいっさい通用しなくなった、というほうが正解かもしれない。ちなみに現在でも利益はかなり出ていて、その面から考えればコンビニをやめる理由はない。実際、やめられるもんでもない。
人件費を削るというのは、具体的にはどういうことか。レジに立ってりゃいいってことである。さらに昨今では削りたくなくても勝手に削れるという事態がけっこう頻出している。つまり、募集かけても人が集まらない。集まったとしてもこちらの希望の時間帯が集まるわけではないから、オーナーみずからが穴埋めをすることになる。生活リズムはガタガタだし、まとまった休みがない。
要約すると、オーナーの仕事はこうなる。1分でも長くレジに立ち、ひたすら接客を繰り返し、バイトのシフトの穴埋めをし、病欠があればかわりに埋めて、連休をとることもなく、てゆうか休みじたいがとれず、ただただ無限にレジに立っていればよい。それだけである。5年後も、契約を更新すれば10年後もひたすらレジに立っていればよい。
もちろんこれは極論だ。実際にはバイトにレジやらせてる時間だってかなりあるし、机に向かって仕事をしなきゃいけないこともある。品出しだってゴミの交換だって重要な仕事である。
あとそもそも現在でも成功の方程式はきっちりある。けど俺はその方程式が嫌いだったし、嫌いであったがゆえにこんな現状に追い込まれているというだけの話である。あれだ、つまり自己責任。
さて、なんでこんな事態になったのかなのだが、ひとつには本部のたゆまざる努力がある。コンビニ関連のホッテントリが出るたびに、本部は一方的に悪者になっているが、向こうだってチェーンが壊滅したら困るので、ちゃんと努力はしている。具体的には、可能な限り少ない人手で店を回せるように、さまざまなところが機械化され、電子化され、要するに店の運営のためにかける手間が飛躍的に減った。このへんは実感している関係者も多いのではないだろうか。よって、そのぶんバイトがを減らすことができる。そのぶんオーナーがレジに立てば人件費は浮く。
そしてすべての根源的な原因だが、人件費の高騰である。これもう、首締まってるオーナーかなり多いと思う。実際には、多少人件費が上がろうがなにしようが、余裕で払えるくらいのロイヤリティにしろよって話でもあるのだが、まあ向こうもそう簡単に下げられないだろう。なにせ数字になって跳ね返ってきて株価でも下がったら目もあてられない。
というわけで、俺は毎日のようにレジに立っている。レジも含め、基本的に複雑なところはあまり頭を使う必要がなくなった。だからレジに立っていればよい。本部の施策も進歩した。オーナーみずからがなんらかのコスト(主には人件費だが)払って、新たな努力をする必要もない。下手なことをするくらいなら、レジに立っていればよい。
毎日が単純作業である。そしてバイトが増える気配はない。明日も明後日も、たぶん5年後も同じ毎日だ。休みもない。金はまあまあふつうにあるが、どうせ家と店の往復以外にやれることがないので使う意味がない。せいぜいエロゲを買うくらいだが、そのエロゲもあまりやる時間がない。
こういう状況になると人間はどうなるかというと、なにもかもがどうでもよくなる。摩滅していく。人が足りなくなってさらにシフトがきつくなるのはわかっていても、もう募集をかける気すらしなくなる。なぜなら募集をするためにかけなければいけない手間、時間のことを考えると、家で寝てたほうがましだからだ。どうせ状況は悪化することはあっても好転することはない。むしろ死ねばレジやらなくて済むわけだから、うっかりシフト中に死ぬと楽である。
もちろん、そう簡単に死ぬわけにはいかない。どうせ待ってりゃあと数十年と経たずに死ねるわけなので、いま急いで死ななきゃいけない理由もない。そして俺には文章書きという無敵の趣味がある。金もかからない。最近はようやく小説を書けるような気がしてきた。人間諦めずにがんばってみるもんだなあとか思ってた。
しかし、気がついたらある日、すべてのテキストファイルを削除してた。
ストレス耐性には自信がある。体力も人並み以上にはあるほうだ。しかしやはり人間なので、高いストレスはどこかに悪影響が出る。俺の場合、それは物を壊すことにあらわれる。過去にもノートパソコンとかいろいろぶっ壊してきた。これは高価なものであるほど、自分にとってたいせつなものであるほどストレス軽減効果が高い。ひっとしたら紙幣とか燃やすとすっきりするかもしれない。
最近は年くってきたおかげなのか、そういう衝動的な行動はなくなってた。どうやらテキストやらアカウントやらを片っ端から削除したのは、その代償行為であるらしい。Dropboxからローカルやら、片っ端から丁寧にテキストを削除しているときは「これで楽になれる」くらいのことしか考えていないし、その作業に没頭している。
なんで俺はこんなことをしてるんだろう、と。
人生のほとんどの時間、なんらかの文章を書いてきた。ネット環境を入手してからはほぼ20年、なんらかのかたちでどこかには文章を公表してきた。そのすべてを削除するということは、俺という人間の少なくない部分を消してしまうにひとしい。
そこまで考えてようやく気づいた。
どうやら死にたかったらしい。
なるほど、ならば物を壊すにも高価なものほどよいこと、自分に近いものほどよいことも道理である。自分を消すことの代償行為なのだから。
そういえば思い当たる節がある。
実は最近、わりと派手に下血した。貧血でぶっ倒れるようなレベルのやつで、それじたいはまあ「運が悪かったっすね」程度のやつで、だれにでも起こりうる程度のものだったらしい。入院も1泊2日で済んで、つらかったことといえば大量の謎の味の下剤を飲まされたことくらいだ。
けどそれも、さんざん検査されたりアナルに指つっこまれてお尻アツゥゥゥイとなったあげく、やることなくてフルメタ1巻から読み直してテッサさんにも下剤飲ませておそろいになりたいなあ、てゆうより3日くらいお風呂に入れなかったテッサさんの頭皮のにおいすごいかぎたいなあなどと思っていた俺に、医者が「どってことねっす(要約)」と言ってくれたからわかったことで、実はそれまで大腸がんの可能性を疑っていた。わかってる。テッサさん特に必要ない。わかってる。
というのも、下血はこれが初めてではない。んで、下血で調べてみると、たいていの場合、まず大腸がんってのが挙がってくる。だからまあ、なんでもないよって言われたらほっとしていいようなものなんだけど、そのとき俺が最初に思ったのは、
「これでレジ打たなくて済むようになると思ったのに」
ということだった。
そのときには「そこまで仕事したくないのか俺」みたいなことしか考えてなかったんだけど、ここ数日の精神の動きを考えると、どうやら俺をして「死ぬ」という思考に進ませなかったのは、単に「俺がいなくなったらあちこち回らなくなる」という義務感だけだったらしい。まあでも、あんがいだれしもそんな部分はあるのかもしれない。空っぽになったDropboxのフォルダ、アカウントを消してしまったなろうのトップページをぼんやり見ながら俺は、これが無かーなるほどなーなどと思っていた。
自分がかなり追い込まれてやや病的な状態なのはわかるし、なんならブコメでプリントアウトして病院行けとか、睡眠運動瞑想野菜末路悲惨(最近あんますすめてるの見ないな)などと言われそうなこともわかっているのだが、かといって、俺は明日もレジだし明後日もレジだ。おまえは頭を使う必要はない。おまえはただの道具だ。そこに長時間束縛されていることだけがおまえの価値だ。そういう声を聞くともなく聞きながら俺はレジに立っている。なにをすればこの状況を脱出できるのか、どうすれば状況は好転するのか、そのすべてを理解しており、それを実行するだけのスキルを持ちながら、やる理由も意欲もまったくない。ただすべてが早く終わってくれと、それだけを願っている。
んで、これだけなら別に書く理由もなかったかもしれないのだが、実はここまでで前置きである。
アカウント消す系のやつはけっこう昔から頻繁にやってて、そのうちのかなりの比率はパスワード忘れた系のやつなのだが、そうでない場合は、今回と似たような軽めの自殺的な意味合いが強かったらしいことを理解した。昔からそうなのだが、読まれたいという気分は人一倍強いくせに、実際に読む人が出現すると、とつぜん逃げ出したくなる。その矛盾のなかで、それでも読まれるとうれしいというほうが強かったから、今日までいろいろ書いてきた。とはいえ、ここ数ヶ月は「だれかが自分の存在を知っている」と思うだけでもう無理、という気分が強い。この気分は強くなる一方で、改善する余地がまずなさそうである。反対に書いたものをだれかに読まれたいという欲望はどんどん薄くなる一方だ。人は結局スタート地点に戻るものなのか、だとしたら俺は、だれにも読ませるあてのなかった文章を大量にワープロ専用機に叩き込み、フロッピーディスクを何十枚となるためこんだ、あのころに戻るわけだ。いままで晒してきたぶんはどうしようもないとして、もうこれ以上、自分に由来するなにかをネット上には残したくない。そこに俺の刻印があろうとなかろうと、記名だろうと匿名だろうと、とにかく俺が存在している事実をだれにも検知されたくない。
なんでまあ、外向けの文章書きの臨終の地として増田を選んだわけだ。
というわけで、本題はお礼である。
ネットに文章を公表するようになってからは20年だが、それ以前から大量の文章を書いてきた。ネットに公表するようになってからは、ほんとうに読む人に恵まれてきた。いちいち名前を挙げていたらきりがないし、増田はそういう場所でもないだろう。ただまあ、お礼は言っておきたい。心当たりのある人は、だいたい心のなかで俺にお礼を言われているはずだ。これだけ癖の強い人間につきあってくれた人たちには頭が上がらない。特に、最後の数年間を過ごしたツイッターのタイムラインの方々には心からお礼を言いたい。あなたたちがいたからこの数年、俺はプライベートで退屈もしなけれは、いくらだるくてもなんとかやってこれた。深夜どころか朝方に近い時間帯に勃発するエロゲ談義、ほんとに楽しかったです。ネット上では、ことに長文ではまず使ったことのない言葉をここで使いたい。
あとつけくわえることがあるとすれば、ワールド・エレクションはクルルがやばいくらいかわいいという意味で隠れた名作だし、ココロネは菜砂が想像以上にやばいくらいかわいかったのでやったほうがいいです。乳圧は精神力で耐えるしかない。あとリールゥ意外にかわいいんですけどこれはどうしたら。
ぽまいら何か買った?
漏れはいくつか買って、そのうちいくつかはプレイしたのでファーストインプレッションを書くお。
https://store.steampowered.com/app/481510/Night_in_the_Woods/
2DADVであるということ以外どういうゲームなのかまだよく分かっていないが、「大学を中退して地元に戻ってきた主人公」というイントロダクションだけでかなりぐっときてしまった。
ざっくり調べた感じモラトリアム期のヒューマンドラマにフォーカスしたADVなのかな。
こういうテーマのADVでここまで高い評価を得るタイトルはあまり見かけない気がする。まあLife is Strangeとかあるけども。
日本語版はローカライズに定評のあるPLAYISMが担当というのもあって期待が大きい。
https://store.steampowered.com/app/367520/Hollow_Knight/
インディーゲーム史に残る名作として名高いやつ、ついに買っちった。
アートスタイルがかなり好きでアニメーションの質も高そうなのでずっとチェックしてたんだけど、いわゆるメトロイドヴァニアがあまり得意ではないので若干尻込みしてた感は否めない。
でも頑張ってみたいと思う。絵とアニメーションでしか知らないこの主人公を最後まで導いてみたくなったから。
あ、今度Silksongっていう続編も出るらしいっすよ。タイトルがいちいちカッコいいな。
https://store.steampowered.com/app/966330/Flower/
PS3で好評を博した名作が発売10年目にしてSteamに登場してたので購入。
邦題「Flowery」と言えば思い当たる人もいると思う。(日本だと商標か何かの関係でタイトル変わっちゃったらしい)
この作品と同開発元の「Journey(邦題:風ノ旅ビト)」は、この手の「インタラクティブメディアとしてのビデオゲーム」というジャンルを確立したなと個人的に思っている。
「一枚の花びらになってフィールドを舞いながらたくさんの花を咲かせて進むゲーム」という説明で伝わるだろうか。
プレイヤーが花を咲かせる度に花びらも増え、花びらが増える度に音楽も重なりを増し、そして花びらは最終的に一列の連なりとなり、世界に彩りを加えていく。
いわゆるゲーム的な難しさは殆どないので、生活に疲れた人におすすめ。
そういえばPS3ではモーションコントロールに対応してたけどSteam版はどうなんだろう。
https://store.steampowered.com/app/1046030/ISLANDERS/
これは前から気になってたやつ。
一見SimCityやCities: Skylinesみたいな街作りシムを想起させるけど、中身は全くの別物なので注意。
限られた土地に建物を配置してスコアを稼ぐ、というのが基本的な進行。
例えば、畑を置くとポイントが貰える。でも畑を風車小屋の近くに置くとシナジー効果が発生してより多くのポイントが貰える。
そういう法則に従ってポイントを一定値稼ぐと新たな建物がアンロックされるのでまた同じことを繰り返し、置ける建物がなくなるか次の島(ステージ)がアンロックされたら終わり。
まだ始めたばかりだから分からない部分も多いけど、常に工夫の余地があってなかなか面白い。シミュレーションじゃなくてパズルゲームだね。
時間制限もないのでゆったりできるし、資源管理とか住民からのクレームとかも一切ないので安心してポイント稼ぎに特化した街を作って眺めよう!
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中国発の音ゲーで、iOS/Androidアプリとして昨年リリースして好評を博していたらしい。スマホアプリ界隈はあまりチェックしてないので知らなかった…。
Twitterで動画を見かけて何だこのkawaiiアニメヰシヨンは!?と驚愕したのでSteam版を購入。
アニメヰシヨンが本当によくできていて、キャラ選択画面をくるくる切り替えるだけで無限に時間が過ぎていく。
音ゲーとしてはわりとシンプルでガチ勢にはやや薄味かもしれないが、キャラデザもアニメヰシヨンもコミカルでkawaiiのでとても楽しい。
音ゲーには明るくないからよく分からないけど、曲はボカロの流れを汲んだものからナードコアっぽいものまで、歌詞も中国語日本語英語インストと国際色豊か。本体収録曲は40曲で、DLCで曲追加という感じらしい。
正直定価ワンコイン以下でこの内容はかなりいいんじゃないか…?音ゲー界隈の相場観が分からんから疑問形だけど。
https://store.steampowered.com/app/206190/Gunpoint/
スニーク要素のある2Dパズルアクション?っぽい。レビューがかなり良かったので購入。
主人公はスパイなので当然施設に潜入して機密情報を盗みだすし、
スパイなので当然電気配線をいじって照明やドアを操ったりできる。
どうやらそういうゲームらしい。
攻略ルートの自由度が高くリプレイ性がありそう。ステージエディットもあって次作ステージを共有できるらしい。
https://store.steampowered.com/app/476360/Strike_Vector_EX/
なんかキューでおすすめされたのでPV見たらなんかギューンブォーンバキューンってやっててカッコよかったしちょうど身体が闘争を求めていたので購入。
マルチは人が少なそうだけど、レビューではシングルキャンペーンも好評っぽいのでこういう系が好きな人にはいいかも。
https://store.steampowered.com/app/864550/Radiant_One/
全体的にスマホアプリっぽいのでたぶん移植かな、と思ったらやっぱり元がiOSアプリだった。
うまく説明できないけどこういうグラフィック好きなんだよね。有名どころだとINSIDEとかRiMEみたいなの好き。こういうの何て言うの。
開発元CEOが「インセプション」や「パプリカ」からの影響を公言していて、確かに主人公が夢と現実を行き来するというストーリーはそれっぽい。
夢の中での出来事が現実に影響を与えたり、明らかにオマージュっぽいホテルの廊下とか出てきたりするし。
あとStardew Valley要素もちょっとあるとも言ってたけどこれはやれば分かる。畑は耕さない。
インタビューを読むと前作の失敗でスタジオが存続の危機に陥る中リリースした勝負の一作らしい。そう思うとなんか気合い入っちゃうな。
ゲームとしてはいわゆるポイントアンドクリックのADVで、ボリュームは控えめで普通にじっくりやって1周1時間弱くらい。実績コンプも面倒なのは会話集めくらいでさほど難しくなさそう。
丁寧な日本語訳と小綺麗なグラフィックが好印象。難しいアクションも要求されないので、プレイアブルな短編小説を読むくらいの気持ちでプレイするといいと思う。読後感は爽やか。
https://store.steampowered.com/bundle/8133/Borderlands_The_Handsome_Collection/
どう見ても元値と割引率がバグってる。この間Portalシリーズ各60円が話題になってたけどそんなん目じゃないな。
これは「Borderlands 2」と、無印と2の間を補完する「Borderlands: The Pre-Sequel」の本編2作+それぞれのDLC全部入りのバンドル。自分の場合2を元々持ってたのでその分更に安くなってた。まあ2は積んでるんですけどね。
いや、違うんです、言い訳をさせてください。
Borderlands無印とBorderlands 2は以前セールで買ったんすよ。で、せっかくのシリーズものなんだから無印からやろう!って思うじゃないすか。でもPC版無印は日本語非対応なんすよ。
日本語化しようにも若干グレーっぽいし不具合出たらとか思うとめんどくさくて、かといって2から崩す気にもなれず…って感じで仕方なくここまで来ちゃったんすよ。
積みゲーは2つで十分ですよ。分かってくださいよ。
とか何とか言ってたら今年の4月にBorderlands Game of the Year Enhancedが発売されたんすよ。
これは無印GOTY版のリマスターで、驚くべきことに新規の日本語吹替も収録された全日本語話者PCゲーマー待望のバンドルなんすよ。
で、SteamでPC版無印のオリジナル版を所有しているユーザー、つまり俺に対しては無料でライブラリに追加してくれるという神対応付き。
はい、Borderlands 3がEpicで時限独占やってる間に頑張って崩します。
いや、むしろ「3の時限独占終わるまでこれやって待っててね」という開発からのメッセージでは…?
ぽまいらも頑張ってゲームを自分で積んで自分で崩す自己完結活動に精を出していこうな。
https://anond.hatelabo.jp/20190617204447
これ書いた増田です。思ったよりコメントとかもらえてて、皆さんのお話を聞けて割と幸せです。一人で悶々としていると考えすぎてよくわからなくなっていく。
これを誰かに打ち明けられる人生だったら良かったのだけれど、そんな人を作れなかったので今ここにこうしている。
ありがとうはてな。私は確かに、増田に救われているものの一人である。
ただみなさんに一つ謝らなくてはいけない。
そう、私は医者にも行ってなかったし、診断も受けてなかった。だから、書いたことは全部想像で、こういう状況下ならどういう感情になるかをシミュレートしただけの文なのでした。
ただ、一つ弁解させて欲しいんです。
あの文は、嘘だった。
けれど、もう過去形です。
今は、本物に変わったのです。
そう、私は数日前に、発達障害である診断を正式に受けたのです。
なんであの文を書いたかというと、衝撃を分散させたかったから、というのが一番の理由です。文を書いた時、私には障害者である診断が9割は出るだろうと確信を持っていました。残りの1割はただの怠け者の健常者であるという結果だろうと。どちらにしても残酷ですね。
どちらにしても、割と衝撃的な診断になるだろう。だから、その前の心の準備があの文でした。いわゆる、リハーサルです。
私がこれから、どんな目を向けられて生きることになるのかを、確かめておきたかった。
実際の舞台で言う所の、記者を呼んで行う最終リハーサル、ゲネリハに近い感覚でした。
割と障害者であると診断される確信はあったので、自分が障害者だと診断された時の感情としては全く嘘偽りのない、赤裸々な言葉たちが確かにそこにはあるのですが、やはりタイミングとしては嘘になります。違っていた可能性もあったわけですし。ごめんなさい。騙すような真似をして。
実際の私の症状は、ADHDもありましたが想定外に自閉症スペクトラムも付いてきました。むしろ、こっちがメインでADHDの方がオマケ、くらいの状態だそう。
私は、思っていたよりも生きにくい世界で生きていたらしい。
想像以上に重めの障害として捉えてるような医者の口ぶりに、いささか狼狽を隠せないのでした。
その診断を、粛々と、穏やかな気持ちで聞くことができたのは、やっぱり皆様のおかげだと思う。ありがとう、増田の皆さん。割と人生ひっくり返るような現実を心安らかに受け入れられたのは、皆さんのおかげです。皆さんの忌憚のない意見が先にあったからこそ、その衝撃は和らいだのです。
医者からの言葉も、割と皆さんが言っていたことを要約して砂糖漬けにしたような耳障りのいいお話だった。
もし世界の脳のタイプの人口がひっくり返ったら、あなたの方が正しくて、今の多数派の方が自分は間違っているんだと精神を病むことになるんじゃないかな。あなたは、ちょっと運悪くこの脳のタイプが少数派の時代、社会に産まれちゃったけど、でもあなた自体、あなたの脳は問題ないんだよ。
まあ、正直、捉え方の問題でしかなくない?どんなに好意的に捉えても問題が解決するわけではなくない?とは思ったものの、それもまあ一つの優しさかな、と思って深くは考えないことにした。
そんなわけで割と心は、やはり穏やか。
結局のところ私はやはり自分が普通になれない理由を求めていたのだ。
普通になろうと頑張ることを諦めるための理由を求めていた。一般社会でそれを諦める理由なんて、病理的なものしかないだろう。
私は、詐病でもなく、真っ当に、それを止めることができた。ありがたい話である。
これで労力を無駄なことに使わなくて済む。
それに、これは自己肯定感の話にも繋がるように思える。
今までの自分なら、どうして私は普通になれないんだろうと悩みに悩んでいたところだったが、障害者であることが確定した自分なら、障害あるなりに頑張ったんだもんね!と納得ができるように思えた。
私は、「健常者でどう頑張ってもグズの私」は一切愛せないし許せないけれど、「障害者でトロいけど頑張っている私」にならば優しくできるような気がしたのだ。
それは、差別だろうか。だとしたらごめんなさい。
それに、本当ならそんなこと、障害のあるなしに関わらず、できるはずなのにね。どうにも不器用にしか生きれない。
話は少しズレるが前回の文は障害者への差別意識が高いために苦しむのだ、という意見があったが、それは弁解しておきたい。あれは、どちらかというと、自己嫌悪、自虐の色合いが強く、世間一般の障害をお持ちの方々へ向けたものではないことはご理解頂きたい。
そういう言葉を発せられる時点で差別なんだよ、と言われたら何も言い返せないのだけれども。ただ、あの言葉たちは、私に障害者という属性が付与されたから産まれた言葉たちなのだ。私がそうでなければ、発さなかった言葉たちなのである。そこは、信じて頂きたい…が、こういう言葉たちから自分の意識しない差別って浮き彫りになるものですよね。反省のきっかけにもなるので、そのあたりへのご意見、特にお待ちしてます。
そんなわけで、私の業火のように荒れ狂うような感情の波は、リハーサルの架空の時間のうちに消費されたために、今は穏やかに、障害者である自分を受け入れられている。
いや、ただ、薬が効いているから穏やかなだけなのかもしれないけれど。
フルニトラゼパムの眠りから覚めたから、穏やかなだけなのかもしれないけれど。
ただ、先生からのお話は、今までの人生の伏線回収みたいで、謎が解き明かされていくような感覚だった。
いや、むしろ思い当たる点が多すぎて、これはコールドリーディングじゃないか?とさえ思った。
あなたの地元の駅に商店街ありますよね?そこのパン屋さんの作るカレーパン、本当に美味しいですよね!みたいな。
理解してくれるかのような素振りすら今までの人生で得られなかったのだから、ほんの少し微笑みかけてくれるだけで嬉しくなっちゃう単純な人間なのだ私は。
それに、これが医師でも詐欺師でも、話に乗らなきゃ人生は微動だにしない。
なら、乗りたいのだ、私は。
不適合者に薬を飲ませて利便性を図りたい世間の思惑にはまっているのだとしても、それで人生が好転するならむしろWIN-WINだろう、きっと。
そう言い聞かせながら、不信感を拭うことにしている。
さらに加えると、思いがけない救いが一つあった。
こういう気質は、遺伝するから…親のどちらか、似たような人いたりしない?
母です。私に似ているのに、私よりも勝手にいきていて、私より傍若無人な母。
その、トゲのある無神経な言葉に何度も苦しんで、母親のことが理解できずにいた。
むしろ憎んでいた。憎くて、家から出た時、離れられてどれだけ嬉しかったことか。
それは、救いだと思いました。
今まで理解できなかった母を、許すための糸口を見つけられたから。
もしかすると、もしかすると、私は親に嫌われていたわけではなかったのかもしれない。
障害のために歪んで見えていただけで。
まだ何も確証はないけれど、そんな可能性が見えただけで、とても嬉しかったのです。
その話を医者にしたら、まずは自分のことだけ考えなさいと窘められましたが。
みんなが増田に求めるものは、きっと強い感情の奔流のようなものだと思うから、きっと私のこの安らかな文は、前回の狂いそうなほどの衝撃の中で書いたそれよりも、きっとつまらないに違いない。
けれど、やっぱりみなさんの存在に救われたものとして、その後をお伝えしたかったし、感謝の念をお伝えしたかったのです。
ありがとうみなさん。
頑張ります。
生きやすくなりたいともがいた日々は、障害の言葉で無に帰ったわけじゃなくて、むしろもがいたから障害という答えにたどり着けたんだと今は思ってます。そう信じてます。
病院からの帰り際、モンシロチョウを見かけました。太陽光が突き刺すような、アスファルトの熱が柔く伝わる、少し早い夏のような日。
そのモンシロチョウは、ゆらり、ふわりとまるで、よろついているかのようなおぼつかない動きで公園の緑の中へと消えていきました。
夏にもモンシロチョウは生まれるとは聞いたことがあります。けれど、この炎天下で、この蝶はどれだけ生きれるんだろう。
今までの自分なら、その姿に勝手に自分を重ね合わせ、世を儚んでいたのだと思います。
けれど、今の私には、別の姿に見える。
あの蝶に木陰という場所があるように。
きっと私にも、穏やかな、帰りつくことのできる場所が、あるんじゃないかって。
そしてこれからの人生で、そんな場所を見つけられるんじゃないかって。
今はまだ、蝶のように美しくはなく、蝶よりもおぼつかない、ゆらめくような足取りだけれど。
そう信じたくなったのです。
勝手に、蝶と私を重ねて見ながら。
どうか、私にも、そして読んでいるあなたにも、あなただけの、それぞれの木陰を見つけられますように。
もう見つけている方には、その木陰の中で、健やかに、美しく、揺るぎなく、生きれますように。
みなさま、本当にありがとうございました。
追記。
更に追記。
増田で文を書いたら、お言葉をいただけることが嬉しくて…ブログを立ち上げました。
もちろん増田だからコメントもらえてたのはわかってるんですが。
記録を、私という連続性を付与してつけていきたいと思ったのです。
もし私の文にご興味ありましたらお越しください。