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はてなキーワード: 五輪エンブレムとは

2015-09-07

五輪エンブレムをめぐるホッテントリについて

深津貴之 氏の見解が多くのブクマを集めている。

   http://bylines.news.yahoo.co.jp/takayukifukatsu/20150907-00049112/

   http://b.hatena.ne.jp/entry/bylines.news.yahoo.co.jp/takayukifukatsu/20150907-00049112/

 

実はこれは、「劇場ロゴパクリではない」と言っているだけだ。上手にていねいに解説しているが、話の趣旨のもの組織委の見解と同じだ。その点は、増田が指摘したとおり。

 似ているとか似ていないとか最初に言い出したのは誰なのかしら

 

しかしながら、組織委の見解はピントがずれているし、その意味では、深津貴之 氏の見解もピントがずれている。そのことを解説しよう。

 

 1.劇場ロゴパクリは争点ではない

劇場ロゴパクリはもともと争点となっていない。これを話題にしたのは一部の人だけ(もしくは初期だけ)だ。

 

では、何が話題になったか? 次の二つだ。

  (1) 劇場ロゴとの類似性

  (2) 他の画像パクリ(盗用)

 

前者は、著作権問題だ。これは、パクったかどうかに関係なく、単に似ているということで、著作権上の問題が生じる。このことは、劇場側の弁護士が主張したことだ。

後者は、サントリーのバッグや、五輪の展開例や、多摩美ポスターなどで、画像の盗用があったことだ。これを「パクリ」と指摘した。

要するに、「劇場ロゴとの類似性」もあったし、「パクリ」もあったのだが、「劇場ロゴパクリ」は、もともと争点になっていないのだ。

その意味で、深津貴之 氏の見解のもの意味を持たない。ありもしない仮想敵攻撃しているだけだ。藁人形論法であるにすぎない。

劇場ロゴパクリ」というものを、彼がいくら否定しようが、それは、ありもしない怪物攻撃するドン・キホーテと同様であり、もともと存在していない対象否定しているだけにすぎない。

 

 2.チヒョルト展のパクリ

劇場ロゴパクリ」はなくとも、チヒョルト展のパクリはあったと認定できる。なぜなら原案では、右下に余計な赤丸があったからだ。

このような赤丸は、文字とは無関係の装飾要素であり、まったく不要ものだ。実際、他の文字では、このような余分な要素はない。

  http://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/b/bunbuntokuhoh/20150828/20150828225213.jpg

なのに、T という文字でだけ、余分な赤丸の要素が追加されている。この文字だけにある特異な現象だ。

このことからしても、これがチヒョルト展のパクリであることは明白だろう。

(仮にパクリでなければ、赤丸は中央上または中央下にあるはずだ。それが佐野デザインの9分割のポリシーからだ。)

 

さらに、状況証拠もある。「そんなことは覚えていない」と弁解したことだ。素人じゃあるまいし、プロならば、これほどのデザインをあっさり忘れるはずがない。

とすれば、「覚えていない」と言った時点で、嘘をついている。あるいは、ジョブズ並みの「現実歪曲空間」に入っていることになる。そのいずれだとしても、パクリはあったことになる。(ただし本人が正直に申告していないだけだ。)

 

 3.専門家に任せるか?

深津貴之 氏の見解の主要な点は、「専門家に任せるべきだ」ということだ。

1. 大衆によるデザイン判断は、デザインの一側面しかジャッジできない。

2. 多面的ジャッジするためには、専門家への信任が必要

 

しかしながら、今回の最終案を決めたのは、専門家である審査員ではなく、素人である武藤事務総長だった。

   http://www.yomiuri.co.jp/national/20150904-OYT1T50016.html

ゆえに、「(決定を)専門家に任せるべきだ」という主張は成立しない。現実には専門家には任せられず、素人勝手に決めてしまたからだ。(そして佐野最終案に決まった。)

 

また、今回の主要な争点は、デザインの良し悪し(デザインジャッジ)ではなくて、五輪エンブレムとして採用するか否かだった。

デザイン的に良し悪しを判断する(ジャッジする)のならば、専門家が決めてもいいだろう。しかし人々が批判したのは、デザインの良し悪しではなくて、五輪エンブレムとして採用するか否かだった。そこでは、次の諸点が問題となった。

  ・ ベルギー劇場と法的争点をかかえている。

  ・ その法的争点は、類似性の有無であって、パクリの有無ではない。

  ・ トートバッグではパクリが判明した。(彼は犯罪者だと判明した。)

  ・ さらに、続々とパクリが判明した。(彼は大犯罪者だと判明した。)

  ・ 原案と最終案がまったく違うと判明した。(組織委は嘘をついた。)

  ・ 原案では、最終案にある大きな円がなかったと判明した。

   (大きな円を選考理由とした初期の説明は嘘だったと判明した。)

  ・ 最終案を決定したのは審査員たちでなく事務総長だと判明した。

   (制度を逸脱した暴走であると判明した。非合法ふう。)

 

これらの問題が続々と判明した。このことから五輪エンブレムとして採用するには適切ではない」という民意が生じたのだ。こういう民意無視して、「専門家判断に任せよ」というのは、問題デザインの面だけに限定しており、きわめて視野が狭い。まったく、問題所在理解していないと言える。

自分の専門領域のことしか理解できない人を「専門馬鹿」と呼ぶ。

今回の問題は、「劇場ロゴをパクったかどうか」というデザイン界だけの問題ではないのだ、と理解するべきだ。そもそも、「劇場ロゴをパクったかどうか」というのは、もともと争点になっていなかったと言える。(劇場だって、そのことを争点としない旨を主張している。商標法違反ではなくて、著作権法による類似を争点とすると主張している。)

今回の問題は、上で列挙したようなさまざまな問題が絡み合っている。ここで「劇場ロゴとのパクリではない」なんていうどうでもいいことを持ち出して、「専門家の言うことを聞け」と述べるような主張は妥当ではない。むしろ専門家こそ、民衆の声を聞くべきだ。

 

最後に一つ。

深津貴之 氏はデザインのことは専門家に任せるべきだと主張する。しかし今回のエンブレムは、エンブレムデザインとしての良し悪しで決まったのではない。展開力で決まったのだ。つまり、布地の柄物のパターン出来映えのような見方によって決まったのだ。

そもそも、(原案の)丸と三角と四角というデザインは、あまりにも単純で凡庸であり、これを「美しい」「見事だ」と思うようなデザイナーはいないだろう。なのに、心の底では「くだらん」と思いながら、はっきりと口に出せない。「展開力が優れている」と言われると、「なるほど」と言って承諾するだけで、「エンブレムとしてはあまりにも凡庸な図形だ」という本音を口にできない。

自分の(デザイナーとしての)内心の声を聞くことができず、説明された「展開力」なんていう言葉を信じてしまうようでは、デザイナーたちの良心というものを信用できないのである

専門家は、民衆の声を聞くべきだ。そしてまた、自分の心の声を聞くべきだ。「あの原案はあまりにも凡庸だ」と、自分の心の声が訴えているはずだ。

 


 

 追記。

 

id:sisya 参照元エントリ全然読解できていないように見える。単に似ているだけでは盗用にならず、依拠しているかどうかが重要。もう少し元記事を読み返すことをお勧めする。

 

本項の話を全然読解できていないように思える。「(劇場ロゴと)似ているか依拠しているか」というような話題は、争点にはなっていないというのが、本項の趣旨だ。そんなことはどうでもいいから関係ない、という趣旨

 

だいたい、そんなことは、たいていの人は話題にしていない。著作権を争点にしているのは、ベルギー弁護士だけだ。日本人ほとんどは、そんなことに関心を持っていない。関心を持っているのは、id:sisya さんや id:allezvous さんぐらいだ。

 

この事件問題点は、ベルギー裁判で勝つかどうかじゃない。そんなことを話題にしている人は、ほとんどいない。(そもそも裁判が成立するかどうかもはっきりとしない。訴えの利益がないので、却下されるかもしれない。そうなったら、著作権を争点にするのは、すべて空論になる。)

 

もちろん、本項でも、著作権問題にしていない。そもそもベルギーロゴとの関係問題にしていない。(ベルギーロゴとの関係などはどうでもいい、という趣旨。)

 

id:allezvous 著作権侵害要件たる依拠性を検討できない分析なぞ意味はない。

 

依拠性によらず類似性だけで著作権法違反を問える、と主張しているのは、私ではなくて、ベルギー弁護士 http://bit.ly/1VMxON2 です。詳細は、このリンク先にある週刊新潮記事に書いてあるので、そちらを読んでください。

一般に、ロゴのような単純な図形では、依拠性というものは(証明のしようがないので)問われず、類似性けが問題となります。たとえば、ミッキーマウス著作権では、単に似ているだけで問題視されます。いくら「真似したわけじゃない」と主張しても、「似ている」だけで問題視されます

なお、本項では、著作権についての「分析」なんかしていません。著作権は本項では話題になっていません。ついでの形で、1行か2行、ちょっと引用ふうに言及しただけです。

 

id:bros_tama あの記事は“五輪エンブレムデザインで何が問題であったのか”について書かれているんです.本来どうすべきであったか,解決のためにはどうする,とかはこれを踏まえて考えなくちゃいけないんだよね,という話です

 

それはわかっているし、本項もその趣旨で書いてあります

それを前提とした上で、“五輪エンブレムデザインで何が問題であったのか”ということは、今回の騒動ではほとんど意味がないことだ、というふうに評価しています五輪エンブレムデザインなんか、あまり重要ではないんですよ。デザインじゃなくて、これを採用するかどうかが問題なんです。

端的に言えば、「パクリデザイナー作品五輪正式採用することの倫理的な是非」です。ここでは倫理的問題があるだけで、美術的な問題はありません。美術的なことをいくら論じても、今回の騒動には何の関係もない、というのが、本項の趣旨です。

本質とは関係のないことをいくら解説しても、そんなことはどうでもいいことだ、という趣旨です。


 

誤解があるかもしれないので解説しておくと、私は別に、深津貴之 氏の見解否定しているわけではない。素人向けに専門家が詳しくデザインのことを解説しよう、という努力は立派なものだと思うし、有益でもある。

ただしそれは、あくまで今回の騒動のオマケふうのエピソードとか裏話であるにすぎない。楽屋裏の話。こっそり井戸端酒場でおしゃべりするための話題

今回の騒動は、佐野デザイン五輪エンブレム正式採用するかどうか、ということだ。それは、「採用しない」という形で、一挙に解決した。これだけが問題であったからだ。

一方、劇場ロゴとの類似性とかパクリとかは、ほとんど話題になっていない。だから、こんなことはどうでもいいことだ、というふうに評価している。

深津貴之 氏の見解を(間違っているとして)否定しているのではなく、(本質とは関係ないものとして)軽視しているだけだ。勘違いしないでほしい。

 


 

その後、状況が少し変化したようです。次の質問に答えようとして、気づきました。

 

id:Eizo0000 何と戦ってるんだ。

 

この問題専門家(つまりデザイナー)に委ねるべきで、大衆がこの問題に口出しするべきではない、という発想を問題視しています。そのことは、本文中で引用した箇所で、下記のことです。

1. 大衆によるデザイン判断は、デザインの一側面しかジャッジできない。

2. 多面的ジャッジするためには、専門家への信任が必要

 

しかしながら、この箇所は、今では次のように書き直されました。

1. 大衆によるデザイン判断は、外見やキャッチーさに集約されていまう。デザインの一側面しかジャッジできない。

2. 多面的ジャッジするためには、デザイナや弁護士など専門家への信任が必要

 

深津貴之 氏が、元の文章を書き改めたので、本項において問題視したことは、かなり色褪せてきたとも言えます

大衆デザインには無知なんだから口出しするな」というような方針が、少しは改まったのだとすれば、本項は一定役割があったと言えるでしょう。

 

  ※ 「集約されていまう」というタイポは、原文のままです。

    引用部分はコピペしました。

 

id:honma200 結論とかまとめを書かないから散らかりすぎてて良く分からん

 

まとめ:

この問題本質は、最終案が劇場ロゴパクリであるかどうかではなくて、考案者があちこちで画像の盗用をしたという問題である。つまりデザイン問題ではなく、法律違反をした作者のデザイン五輪採用するかどうかというという倫理面の問題である。したがって、この問題デザイン専門家に任せておけば済むというわけには行かない。「デザイン専門家に任せよ」という主張は、今回の問題本質からは外れている。

 

  

2015-09-05

http://anond.hatelabo.jp/20150905010345

ブコメにある通りイナゴってのは炎上と相性が悪いね

例えば

・今回の五輪エンブレムは、リエージュ劇場ロゴデザイン作者から提訴を契機に、

多くの○○○○が大炎上に加担し、使用中止という残念な結末を迎えた。

http://anond.hatelabo.jp/20150905024006ネチズンネット民がわりと近い気もするけど、ちょっとずれてる気もする。

2015-09-04

五輪エンブレム問題の終わり、そして次のエンブレムに向けて


大阪芸術大学教授純丘曜彰氏の発言への疑問を述べた記事に、氏から応答があった。


元の記事

五輪エンブレム問題についての純丘曜彰氏(大阪芸術大学教授)の発言

http://anond.hatelabo.jp/20150903062450


純丘氏の応答

佐野五輪エンブレム超弩級の駄作!」(page: 6)

http://www.insightnow.jp/article/8644?page=6


もう佐野研二郎氏に関わるような話題は終わらせたほうがよいと考えているので、

議論がふたたび活発になるようなことは望まない。

筆者から疑問を投げかけ、氏がそれに答えてくれたので

パンチ一発ずつ(?)ということでこれ以上の応酬はやめようと思う。

なぜか筆者が「チャレンジャー」ということになっているが……


ただ、わざわざ返答をくれた氏に対してこちらから感想ちょっとした考えを述べておきたい。

加えて、幻となってしまった佐野氏のエンブレムへの所感を残して旧エンブレムについては最後とし、

次のエンブレムについての思いを記そうと思う。



ニーチェ綴り


ニーチェ綴り2ちゃんねるでどうこう、ということだが、なんのことやら」(純丘氏)

炎上という非常事態に対してまさにこの「なんのことやら」という意識で臨み、

周辺に挙がっている言葉火種)をそのまま拾って記事を作るということが、

筆者の言う「なんの検証もなく」という状態であると考える。



■色の件


一般の人が読むことも考えて説明を加えたのだろう。

残念だがこちらの疑問に答えたものではなく、新たな論点もない。


この項を借りて…

「私なんぞの記事真剣に読んでくれて」と謙遜されていたが、

氏の表象論などを用いたデザインに関する言説は(半分以上フィクションとしてだが)みな

面白く読めるものだったことを付け加えたい。



■純丘氏の社会的影響


非常にあったと考えている。

それは、(失礼だが)純丘氏の所論が正しく、力強かったからではない。

炎上サイバーカスケードという事態において、

とてもよく燃える燃料だったかである


マスコミはもちろん燃やすのが仕事であり、

識者の言質さえ取れればいい、このフリップのこのスペースが埋まればいい、

そんなノリでコメントを拾っている。


8月10日、純丘氏のこの一文を読んでびっくりしたのをよく覚えている。

「このデザイナーpinterest、その他、ネットのかなり奥深いところから

巧妙に素材を拾ってきていることが完全に明らかになってしまった」


Pinterest ついては、この時点では「完全に明らかになった」といえるような

証拠は出ていなかった(強く紐づけられるものがせいぜいニーチェの件で、

結局、最後まで確たる証拠といえるようなものは出てこなかったと考えている)。

しかし、この記事は一気に広まり、その後のムードを作っていったように思う。


純丘氏には、「佐野エンブレムを下ろしたい」というご自身希望

そのまま社会活動としていくのはご自由としても、

識者として、炎上デマがむやみに広がらないような、

適切な言葉と確かな情報検証を元に発言してほしかった。



さようなら佐野エンブレム


初見ロゴだけを見たときはあまりいい印象をもっていなかった。

が、明滅するアニメーションを見て選ばれた理由がわかった気がした。

その後は、騒動の最中ではあったものの見慣れていき、黒がよい主張と映ってきた。

CMスポンサーロゴの両脇を固めたオリンピックパラリンピックエンブレムにはリッチで崇高な印象をもった。

黒のことがよく言われるが、プラス方向に見ればゴージャス、フォーマルな色である

しろあの黒がチャームポイントになるはずだった。

もちろん、この強い色の使用はチャレンジだった。

桜のリースのようなデザインもすばらしいが、今回の選考委員の半数はチャレンジを選んだ。

オリンピックでこれまでに使われたことのない「黒」も、

選ばれた主な理由だと考えられる「組み替えアイデア」も、チャレンジであったと思う。

そして、チャレンジ理解されるには時間がかかる。

時間をかけて受け入れられるには障害物が多すぎた。



■これから五輪エンブレムに向けて


再び公募になったということで、それ自体は楽しみである

筆者自身、応募したい気持ちもあるのだが、

選ばれることがすなわちよい結末になるとも限らない、そんな不安がある。

何か思い当たるふしなどなくてもだ。


コンペではよく「勝った」「負けた」という言葉が使われる。

新国立競技場のコンペについて伊東豊雄氏もはっきり「負けました」という言葉を使っていた。


芸術も、学問も、勝った、負けた、の話じゃない。なにが本当か、

どうすればより美しくなるか。みんなで知恵を絞るにこしたことはない」


今回、純丘氏から聞けた言葉である

次の五輪エンブレムのコンペほど、「勝者のいないコンペ」という言葉がふさわしいものはないだろう。

それがいい意味でになるのか、悪い意味でになるのかは、わたしたち自身にかかっている。

2015-09-03

http://anond.hatelabo.jp/20150903110607

俺の無断利用は良い無断利用www

佐野の無断利用は悪い無断利用www

アホか。

宣伝になってるんだから割れは許される」レベルゴミだな。

法に触れているかどうかだけで言えば五輪エンブレムは法に触れていないし、

「法に触れたかどうかではなく道義上の問題」という主張が主流だったわけだが。

そもそもまとめブログ広告利益を得ているんだから十分に金儲けしとるわ。

五輪エンブレム問題についての純丘曜彰氏(大阪芸術大学教授)の発言


五輪エンブレム白紙に戻った。

この一連の騒動の中で気になったのが、大阪芸術大学教授純丘曜彰である

反「佐野エンブレム」の急先鋒としてメディアで派手に〝活躍〟した人物だ。

エンブレム問題の経過をつぶさに見てきた者、デザイン周辺の知識をもっている者で

純丘氏の発言に疑問を持った人も少なくないのではないだろうか。

筆者の感じた純丘氏への疑問とは、

「明らかなデマの流布」「度の過ぎた個人的感情の表出」

そして「独りよがりデザイン論」「デザインに関する知識不足である



明らかなデマの流布


東京オリンピックエンブレムはもう無理筋8月10日

http://www.insightnow.jp/article/8591


瞬く間にメディアのあちこちに取り上げられ、反「佐野エンブレム」への動きを活気づけた記事である

デザインに関して識者といえる人物がここまであからさまにエンブレム下ろしを唱えたのは初めてであり、

純丘氏が五輪エンブレム問題の御用コメンテーターになるきっかけともなっている。

以下は、佐野氏のデザインしたトートバッグに関する部分である


ニーチェの独文の警句英文引用して、名前綴りコピー元のままに間違っていたり

(page:2 より)


Pinterest に一枚の画像として存在していたニーチェの一節、

その最後名前部分に綴り間違いがあり、佐野氏が孫引きしたために同じ箇所で間違えている、

すなわち佐野氏が Pinterest を利用していた証拠である、という論旨だ。


このニーチェの脱字の件は、丸ごと事実誤認なのである

Pinterest綴り間違いの画像などなく、佐野氏のほうだけがたまたま書き間違えていたのだ。

ここで問題なのは佐野氏が Pinterest を利用していたかどうか」ではない。

事実誤認、それも2ちゃんねるが発信源である単純なデマを、

純丘氏はのまま引き写して記事構成しているのである


この純丘氏の記事が出たころにはもう2ちゃんねるの当該スレは自らその事実誤認に気づいており、

ニーチェの一件は「佐野氏が Pinterest を利用した証拠」としては除外の方向へ向かっていた。

純丘氏は、佐野エンブレム下ろしに使えるものはなんの検証もなく使っていたのである

最低でもその誤字があるとされる Pinterest の元画像をその目で確認してから記事を書くべきだろう。


このような杜撰情報収集と決めつけで書かれた文章

大阪芸術大学教授」の肩書きで公にされてしまえば、何も知らずに読んだ人は事実と思い込んでしまう。

論文というのは人文科学であろうと事実を積み重ねなければならないものだが

こんなお粗末な方法文章を書いている人物が学生論文指導をしているのはいかがなものだろう。



度の過ぎた個人的感情の表出


オリンピックに潜り込んだゴキブリたち」8月20日

http://ironna.jp/article/1881


あんな黒いゴキブリ印は、生理的に無理。とても嫌な感じがする。汚らしい。穢らわしい。なにより不潔だ。あまりに不吉で、自分まで不幸に呪われそうな黒いゴキブリ。金と銀の足が夜中にカサコソと動き出して、きみの手の上に登り、パジャマの中にまで入り込んで来る。きみに、多種多様の救いがたい病原菌をなすりつけ、触覚をピロピロさせる。おまけに、突然に羽を広げて飛び上がり、きみの顔をめがけて襲い掛かる。考えただけでも寒気がする。あまりに気味が悪い。


この記事の、黒い生き物の比喩を用いた執拗レトリック

およびそこに貼られた画像は、読む者をいやな気分にさせる。

まるでいやな気分にさせること自体目的ひとつにもなってしまっているようだ。

純丘氏の「佐野エンブレムが嫌いだ」「黒が嫌いだ」という気持ちはよく伝わってくる。

だがそれは個人的感情であり、公にするにしてもせいぜい個人のブログにとどめるべきだ。

大学教授美術博士という肩書き付きでオピニオン系サイトに開陳するようなものとは思えない。

識者なら事実を元に冷静に分析し、問題を明らかにする役割を担うべきだろう。

騒動の中、感情ほとばしる文章で純丘氏は何を訴えようとしたのか。

これ以降、掲示板でもエンブレムゴキブリ呼ばわりする人が一気に増えていった。



独りよがりデザイン


佐野五輪エンブレム超弩級の駄作!」8月26日

http://www.insightnow.jp/article/8644


もはやリエージュロゴからの盗用かどうかは関係なく、

ひたすら駄作である、見るに堪えない、と力説している。

疑惑があるとはいえ、多くの人が関わって世に送り出されたもの

超弩級の駄作」「ゴキブレム」「梅干」と品なく形容する姿勢にもあきれてしまうが、

この他者制作物に対する容赦ない物言いは、おそらく氏の、

デザイン制作とは無関係な経歴(専門は哲学)と関係あるように思う。

むろんそれ自体問題ではないが、次章の「デザインに関する知識不足」も含め、

己の手にあまるデザインに関する解説を、あたかも〝識者〟として発表するのは

それこそ「無理筋」ではないか、と言葉を返しておきたい。


孤の中心がロゴの中心にある限り、この2つのパーツは、このロゴの四隅以外に配置することは不可能である

(1. 形態問題:パーツの寄せ集め より)


この一文の含まれ段落を「デザイン論」として理解できた人がいたら

ぜひ翻訳してほしい(もちろん逐語的な理解はしている)。

「9分割を元にフレキシブルな組み替えが可能」というアイデア否定するのが目的のようだが

なぜそこに「無理と矛盾」(純丘氏)があるのかわからない。

9分割の真ん中に必ず弧の中心が来なければならないデザイン上の理由とは?

さまざまな大きさ・形でさまざまな場所に弧が立ち現れていた、

あのアニメーションのどこに無理と矛盾があるというのだろう。


黒は、ほとんどすべての文化で、死や悪、権力、固着、腐敗、を意味する。同様に、赤は、血のシンボルであり、命や致命傷だ。それに金銀を加えるなど、まさに軍事配色のナチス悪趣味

(2. 配色の問題ナチスフラッグ色 より)


ここは純丘氏お得意の表象である

解釈はさまざま可能なのでナチスフラッグとみる者がいてもいい。

エンブレムを仮に芸術ひとつとするなら、芸術はさまざまな解釈に向けて開かれたものだ。

しかし、これは誰もが知っているようにオリンピックのために施された「デザインである

デザインとは、提示された課題を〝解決〟するものであって、

アートのように何ものからも束縛されない自由意志構成、配色したものではない。

見る者も「日本」で開かれる「五輪」の「エンブレムであるという情報とともに接する、

そのような場、コンテクストにおいて機能するようにあつらえたものだ。

解釈といっても常識的範囲がある。


佐野エンブレムスポーツを感じさせないとか、祝祭感が足りないとかいった批評は可能だ。

が、「ナチスフラッグである、「ゴキブリ」「致命傷」であるなどというのは

エンブレム出自コンテクスト無視した悪意のあるミスリードしかない。

ゴキブリ画像同様、ナチスの絵まで用意して独りよがり解釈

強くイメージとして植え付けていこうとする純丘氏の手法には疑問を禁じえない。



デザインに関する知識不足


どんな媒体でも、ほぼ同じような発色になるように考えておかないといけないのに、全体が印刷物無視RGBベースで出来ていて一般フルカラー印刷YMCKの四色のインクでは出せない「特色」の金銀が入っていたり

(上掲「佐野五輪エンブレム超弩級の駄作!」page:3 より)


デザイン生業としている人、その周辺に詳しい人で

この部分を読んで頭の中が「?」でいっぱいにならない人がいるだろうか。

この2行だけでも純丘氏が自分の手にあまること、自分のよく知らないことを

結論ありき、佐野下ろしを目的に書いていることが明らかである


CMYK を「YMCK」としているところはご愛敬だが、

純丘氏のこの不案内な言説はさまざまな場所で〝プロ〟のそれとして引用されてしまっている。

発表されたエンブレムRGB ベースでできていて、CMYK ベースではないらしい、

色指定の要領を知らず、特色を用いてしまっているらしい、

佐野研二郎氏は、デザイナーとしてはひどく低いスキルのまま今のボジションに祭り上げられ、

あたわない五輪エンブレム設計者の大役もしくは影武者の役を任されたようだ……


RGB ベースというのはモニターなど映像における混合方式であり

CMYK ベースというのは紙媒体など印刷で用いられる混合方式である

RGBCMYK は、媒体に応じてふさわしいデータを用いる、ただそれだけである

RGB ベースでできている」もなにもない。

ウェブでの使用に向けてロゴを配布するならば RGB だし、

ポスタープログラム印刷するなら CMYKデータを用意する。

純丘氏の中で佐野氏は、この知識としても初歩の初歩、

デザイン業務上、日々出くわしてはそれに従って作業している単純なことをまるで知らないという設定らしい。


ここに、さら意味不明な特色のくだりが加わる。

特色というのは印刷インクの一種で、

通常のプロセスカラーCMYK インク)で表現できない色をカバーするためのものである

エンブレムに特色の指定がしてあったというのはどこから情報かわからないが

(筆者は見たことがないので、まずはそのソース問題である)、

それだけをとれば、企業ロゴなどにおいては珍しいことではない。

RGBCMYK と同様、特色を用いるかどうかは運用現場に応じて「自然に」決まるのであって

雑誌カラーページなら金は4色分解(CMYK)で表現されるだけである

媒体や場面によっては、予算や仕上がりを考慮した上で

金や銀を特色にすることも、黒や赤を特色にすることも可能だ。

もちろんそのために CI マニュアルのようなものがあり、

特色で刷るならばここはこの色(PANTONE 、DICなどの番号)、

4色で表現する場合はこの CMYK 値、

そしてディスプレイ用にはこの RGB 値というように、列記されているのがふつうだ。


・特色番号(印刷用)

CMYK 値(印刷用)

RGB 値(映像用)


純丘氏の言葉を再掲する。

以下のような色指定を同一の紙の上に記すデザイナー想像できるだろうか。

すなわち、これが「ワンセット」になっていて、それ以外の指定CMYK 値)のない、

そのような色指定が本当に存在するだろうか。

純丘氏の作為産物か、氏がまたネットかどこかで拾ってきてしまったデマではないのか。

むろん常識的デザインの知識さえあれば、

このような「物理的に」とすら言っていいほど存在しえない〝キャラ設定〟をすることも

デマを拾ってきて書き写すとこともありえないのだが。


RGBベースでできていて(略)「特色」の金銀が入っている



最後


大阪芸術大学教授純丘曜彰氏の言葉は、目くらましのように効果を発揮してきた。

佐野五輪エンブレム超弩級の駄作!」での、ルネッサンスからフラットデザインへ至るくだりなど

エンブレムとはデザイン論において爪の先ほども関係ないが(ゴール地点のフラットデザイン自体なんの関係もない)、

このペダンティック解説や周辺タームは、氏の肩書きと一緒になって人々の目にもっともらしく映り、

エンブレム白紙化の力のひとつになったと考える。

芸術デザインの「専門家」(日刊ゲンダイ)と目される社会的影響力のある人物が、

この混乱の中で、明らかに事実に反すること、半可通なことを、

己の求める結論佐野エンブレム下ろし」に向かって品のない言葉作為的イメージを用いて

流布してきたことには、疑問を通り越してあきれてしまった。


ここには、筆者の知る事実デザインとその周辺に携わる者なら誰でも知っているような知識から

明らかにおかしいと思われるものについてだけ論じた。

五輪エンブレム騒動の中で交わされた、デザインに関する言葉への理解一助となれば幸いである。

石を投げていい存在としてのネトウヨ

「暗い情念」「ルサンチマン五輪エンブレム取り下げ以降、こうしたワードネトウヨ、もしくはネット民批判するコメントが増えている。

ひとつは群集が個人に襲いかかる絵としての佐野炎上があって、これに疑問を持つのだろう。

また普段から反社会的ヘイトを繰り返す存在が、まるで正義を成したかのように扱われることに戸惑いも感じてるかもしれない。

かねてからネットに苦々しい思いをもつ人たちは、この機会にその思いを吐き出しているようだ。

ただ今回の騒動が、デマにもとづくものではなかったことだけは理解するべきではないだろうか。

関東大震災時の朝鮮人虐殺とは違うのだ。

今回の熱狂を生んだのは、ネトウヨからその外にいる普通市民にまで画像の盗用が広く周知されたことだ。

果たしてそれは、危険大衆扇動だろうか。

本来なら五輪はみんなのものであるはずが、一部の人間に歪められているという感覚とそれに反発する機運は、どちらかと言えば市民革命などに近いものだ。

だとするなら、反権力市民感覚標榜する左派系の人たちこそがしなければいけない案件だと思う。

しか左派系の人たちは、デザイン権威に寄り添い、市民感覚中傷し、大衆の機運を否定する。

この国は凄くねじれていると思う。

なぜネトウヨ権化のような人が総理大臣をしてるのに、その支持率がなかなか下がらないのか、この辺に原因があると思う。

署名入り増田佐野研二郎問題は「不手際」とかのハズがない。

id:nobiox

増田を書かずにブコメするヤツは非生産的、という増田を見て驚いたが、なるほどと思う面もあるので、増田デビューしてみる。だってみんな、オレのブログなんて読んでくんないんだもん。しかid署名付きだ。増田意味を踏みにじる暴挙だ。規約違反とかだったら謝る。規約はぜんぜん確認してない。とりあえず自分が一番にブコメすることで、他人idを騙ってるわけではないことの証明とする所存。いやもしかすると過去デビューしてるかも知れないけど。



ここから本文。

反省には二種類ある。ミス反省するのと、考えを反省し考えを改めるのと。

「もとより増田を書かないなんて有り得ないと重々認識はしていたが、手続き上の不手際で結果としてなかなか果たせずにいた」というのが前者。「増田書く必要なんてどこにもないと考えていたが今は反省している」というのが後者(ちなみにオレは、別に反省していない)。

佐野氏は「管理不行き届き」「不手際」、つまり、飽くまでミスだったと言う。だが、到底信じることは出来ない。主な理由五輪エンブレム展開使用例の件と、もうひとつ、それも含めた疑惑の数。

まず、展開使用例。「今回の事態について」後半に、「エンブレムはMR_DESIGNで応募したものではなく、私が個人で応募したもの」「デザインを共同で制作してくれたスタッフもおりません」とある。素直に受け取ると、あの羽田空港渋谷駅前の写真ネットで探して見つけてダウンロードしてコピーライト表記カットして加工したのは佐野氏本人ということだ。「このくらいいいじゃん」と思ってなきゃそんなことはできない。オレ自身が「そのくらいいいと本音では思ってるけどバレると怖いからやめとこう」派なので、「このくらいいいじゃん」という気持ちはよくわかる。

もうひとつ疑惑の多さ。ネット民おもしろがって追求してるターゲットは当初こそ佐野氏ひとりだったが、やがて疑惑疑惑を生み、徐々にターゲット日本デザイン界全体に移った。「永井一正」「森本千絵」「佐藤可士和」等の名前は多くのネット民Google画像検索に集中的に曝されたに違いない。なのに出て来る疑惑ほとんどが佐野氏ひとりに集中している。これがすべて管理ミスだとしたら異様なまでに突出したうっかりさんということになるが、「このくらいいいじゃん」と思ってたと考えれば普通に納得できる。

というか、ほとんどのデザイナーはどこかの段階で権利関係確認作業をしてるはずだ。少なくともオレはする。必ずしも倫理からではなく、後で揉めて金銭の問題になるのが怖いからスタッフがシラ切ったって、お前が撮ったならその元写真を見せろ、というだけで簡単に見抜ける。佐野氏がそれをしてなかったのは、そんなのいいんだよ、可士和さんみたいに、部活っぽいノリで、レディメイドのものをポンポンと配置して行くスピード感を大事にしようぜ、と考えていたからなんだよ。その考えは一理あるよ。わかる。言いたいことはよくわかる。だからこそ、正直な、いっさいごまかしのない反省文が読みたいんだよ。

この騒動を通して佐野氏は何かを学び、何かを反省したはずだ。ミスではなく、より自分自身の考えの根幹に近い、何かを。佐野氏はそれを語るべきだ。例えば「そのくらいいいと思ってた。今にして思えばたしか権利関係意識が甘過ぎた」とか。あるいは「自信を持って言うが、芸術の神はオレを支持してる。アーティストとして恥じる点は微塵もない。ただ、庶民のみなさんにこの論理は受け入れてもらえないということは今回つくづく実感したし、まあ神ならぬ庶民論理がそうなるのは考えてみれば確かにもっともなので、そういう意味で、今後は他人写真を無断で使わないように考えを改めます」だとか(以上はすべて、素材のパクリの話です。アイデアパクリはまた全く別の話で、素材のパクリよりはるか微妙で、考えるのがむずかしい)。



えー、以上で終わりだけど、「佐野ってヤツは恥ずかしくないのかよwwwww」について、ついでに私見を述べます

ネットで拾った写真を無断で使うのってどうなのか、という問題には、「1:デザイナーとしての矜持」「2:法律的大丈夫か」「3:オリジナルの人にムッとされたら法的に無問題でもやっぱマズくないか」という三層があると思う。佐野氏的に、少なくとも1はすべてクリアしてたんだよ。それは間違いないと思う。そして、ボクサーが百人いれば百通りのボクシング観が有り得るように、デザイナーが百人いれば百通りのデザイン観があっていいわけで、そこは、本人のなかでクリアしてればそれでいいんだよ。他の素人や他のデザイナーが「オレだったら恥じる」とか言って攻撃するのは基本的無意味。というか傲慢。お前のデザイン観だけが唯一の正解とか思ってんじゃないよ、って話。勿論、本人の心境も現在は多少変わってるかも知れないけど。

2015-09-02

佐野研二郎先生罵倒してるネットの屑どもへ

いい加減腹立ったので書いておく。

内部資料用に拾ってきた画像使って何が悪い

内部資料だぜ?

それを勝手クライアントであるノーパンしゃぶしゃぶ武藤が外に出したのであって、佐野先生は内輪で使うためにあれを用意したに過ぎないわけ。

お前らだってツイッターアイコン適当に拾ってきた画像だろ。

コピーライトを削った?

それがどうしたんだよ。お前らが使ってるそのどこかで拾ってきたアニメ調の壁紙画像検索にかけてみろよ。コピーライトなんか余裕で削ってるぜ? みんなやってんだよそれくらい。画像まとめサイト壁紙配布サイト管理人がやってることを、日本トップデザイナーであり年収5億を誇る佐野先生東京五輪エンブレム選定という世界規模の大仕事プレゼンでやっちゃいけないのかよ。なんだその差別

拾ってきた画像使って何が悪い

大体、アート世界ではネット画像を拾ってくるっていうのはごく普通ことなわけ。

例えば若手の一流アーティストであるカオスラウンジ

海外のド素人が作ったキメこなを、東浩紀先生も絶賛する梅沢先生アート昇華させたわけで、ありがとうございますと涙を流して感激するならともかくパクリパクリって頭どうかしてる。

画像は使います!使います!それ以上のコミュニケーションはないです。

ネットにある画像フラットから全部使う。使うことにごめんねはない。

ネットにある画像サンプリングしていきます

その結果として体力のないコミュニティが潰れてもしょうがない。

ネットにあるものは全部僕らの素材ですからそれ掠めとって芸術作品として世に出しますよ。

黒瀬陽平カオスラウンジ宣言』UStream内の発言より)

梅沢先生はなぜか「自分コピペでやりくりしてるから」とか卑屈なこと言ってて、黒瀬先生ノーコメントなのが残念だけれど、藤城先生佐野先生の全面擁護を展開、ネット民は今すぐ首吊って死ねツイートされていて本当に心強い。

アーティストってのはインターネット上の素材を自由に使い、編集する権利を持ってるわけ。どうもそれを理解してないゴミどもが多くて困る。

そもそもド素人パクリパクリうるせぇんだよカス

構図が似てたらパクリとかアホか。

んなこと言ったらArialはHelveticaパクリか?

FAIRYTAILワンピースパクリか?

コンプライアンスマルドゥック・スクランブル外伝パクリか?

ArialなんかaだけでHelveticaとの違いが一発で分かるし、FAIRYTAIL作家名を見れば一発で違うと分かるし、コンプライアンス漫画であって小説じゃないから一発で違うと分かる。

永井先生もおっしゃっているとおり、教養もない大衆にはコンセプトの違いが理解できないんだろう。お前ら大衆ブルーヌードを見て「なんだこれオランピアパクリじゃねぇか!」と喚き立てるわけだろ? あのコンセプトの違いが見て分からないとかほんと残念な目をしてんな。

しか迷惑メールを送りつけるとか、恥を知れよ。

佐野先生はもう十分社会的制裁を受けてるだろうが。

迷惑メールなんぞフィルタ自動削除だろとか考えてんのか?

メッセサンオー事件被害者のことを考えれば鼻糞未満の被害だろうがとか考えてんだろう。人間として最低だなお前ら。

さら佐野先生が公開した写真ネット上に晒すとか。

佐野先生が公開した写真を断りもなく、その引用元も明記せずに勝手によそで晒し、配布するっていうのは非常識しか言い様がない異常な行為で、まともな人間のやることじゃない。

あれは佐野先生著作物だろうが!

佐野先生許可とれよ屑どもが!

フリー素材じゃねぇんだぞ!

ツイッター2ch佐野先生の悪口が連日書かれている状況とか、まさに「人間として耐えられない限界状況」だと思う。カオスラウンジ黒瀬先生は何も気にすること無く今日美術学校講師としても活躍していらっしゃるし、鳩山元首相とか元気ハツラツとしてツヤツヤしていらっしゃるけど、ネット炎上が人を確実に死に追いやる行為だということをお前らは自覚した方がいい。

お前らのやってることはまさに現代魔女狩りなんだよ。

魔女他人の作ったもの剽窃して金と名誉社会的地位を荒稼ぎしていたことが露呈したからといって、狩っていいって話にはならねぇだろ。正義ヅラしやがって。正義の反対は悪ではなくまた別の正義なんだよ。魔女正義理解しろよ。金のない貧乏人が僻んでんじゃねぇ。

加えて家族への攻撃とかほんと論外。嫁はミスターデザイン広報担当トートバッグの件は部下に責任があり悪いのは全て部下です佐野関係ありません悪いことは全て部下がやりましたと言っただけで今回の問題とは無関係な全くの善人であることは明白だろうが。

だいたい、お前ら佐野先生自殺したらどう責任をとる気なの?

お前らだってSTAP事件の笹井先生のことを毎日思い出しては「やり過ぎてしまった、人の命は地球より重いのになんてことをしてしまったんだ」と悔やんでるだろ? それをまた繰り返したいのか?

集団で個人を叩いて面白いか? どうせお前らは集団で叩かれた側の人間だろうが。いじめダメだって習わなかったか? 不正手段で金と地位名誉を少々得たからって、それはいじめる理由にならねぇだろうが。とはいっても先生財産は半端ねぇし、なんぼでもやっていけるだけのコネも持ってるし、お前らがギャーギャー喚いたって痛くも痒くもねぇけどな。東電社長清水さんとかあれだけお前らが槍玉に上げたけど、結局今でもバリバリ現役だからな。慶応評議員にも立候補したし。

佐野先生よりもっと悪い奴がいるはずだって意見がある。それは一面的には分かる。でもそれじゃ佐野先生も悪いみたいじゃないか。佐野先生は悪くない。コピーライトを削って100万ぽっちを稼ぎ、五輪エンブレムデザイナーとしての地位を得ようとしたこと、それは業界の闇と陰謀によって佐野先生がやらざるをえなくなってしまったことだというのは誰が見ても一目瞭然で、佐野先生は完全に被害者なんだ。9/1付けで写真権利者が佐野先生からコンタクトがないことを明かしたけど、その程度の不手際を責めるのは明らかに不当だと思う。佐野先生のところは担当者がいつも不在なくらい多忙なんだよ。お前ら家に引きこもってるニートとは違うんだよ。

私は佐野先生全面的に支持します。

ネット見てるとアホが多くて悲しくなる

最近だと、五輪エンブレムやら、安保やら、ちょっと前だと大阪都構想やら、議論を呼ぶテーマが矢継ぎ早にやってくる。

それぞれ個別事項への賛否は、色んな立場思想があるだろうし、自由議論したらいいし、ネットひとりごと書くのも自由なんだけど、全体的に嫌悪感違和感を感じることが多い。

今日一番衝撃だったのは、五輪エンブレムの渦中の佐野さんが、家族まで巻き込まれ嫌がらせを受けていたこと。彼の会社のページに掲載された文章を見ると、家族写真さらされて嫌がらせを受けてるだ?… Y!の掲示板なんかを見たら、ポスターなどに使ってしまった数千万円を個人が責任とって払え、だ?

もちろん、世の中には、発想の狂った犯罪者やその予備軍が数%いることは頭では理解し、当たり前のようにスルーするんだけど、心では素直に理解できない。五輪エンブレムのことでいえば、仮に佐野氏の仕事ぶりから人格のことを毛嫌いするようになったとしても、あるいは、都構想の話でいえば、橋下氏のことが嫌いになっても、議論関係ないところで個人や家族への嫌がらせをしようと発想できる思考ルーチンが想像すらできない。なぜそれを思いつく。小学生イジメレベルやないかい

まぁ、そういう人たちは最下層のEQの持ち主だから、仕方ない…と割り切って眺めておくしかない。こういう人たちは多分、人口の1%以下くらいの少数派で、家庭環境なども問題で、正常な教育を受けてこれなかったかわいそうな人たちだから、むしろ社会が生み出したひずみで、悪いのは彼らを育てた社会だ、くらいに思うべきなのかもしれない。こういうひずみの人たちを矯正するプログラムはないもんんだろうか。

百歩ゆずって、ひずみにいる方々は仕方ないとして受け入れたとして、残る問題は、もう少し上の層の人たちだ。ちょっとは考えられる人たち。

別にいいんですよ、安保声張り上げてデモしても。いいことだと思います。でも思うんです。愚痴を言って気持ちよくなってるだけなんじゃないの?と。適当なこといって気持よくなってんじゃねーよと。

世の中に愚痴を言う人は、愚痴を言っている自分に満足しているだけで、(無意識の中の)本心では世の中に変わって欲しいなんて思っていない、という話を訊いたことがあるけど、そういうことなんだろうなぁと思う。ほんと感情的に先走っただけの主張って聞くにたえられん。仕事の出来ない営業マンがただ俺の時間を奪って商品説明をしようとしてくる時と、感情的にはちょっと似てるけど、もっと腹立たしい。公共電波使わせちゃったら、視聴者1000万人×30秒くらいの無駄を作ってる。社会無駄だ。

安保は私も修正点有り派なんだけども、死にたくないんだ〜殺されないでくれ〜徴兵制やだやだ〜みたいなレベルのことしか言ってない人ってなんなの?うーん、それも心のやさしい私は千歩ゆずって許そう。

でも、安倍さんを個人攻撃するような発言してる人ってEQ最下層1%に限りなく近い気がして、これは本当に鬱陶しい。They're HIZUMIs in Japanese society. ですよ。誰か矯正してやってくれ。安倍死ね!以外にも、いやーもしかしたら、何か言ってるかもしれないけど、きちんと論を競わせるとこ見せてよ。だって政策論争したいんでしょ?普通に考えてたら、日本政府が取りうるオプションを列挙して、メリットデメリットコスト、将来展望くらいの観点総合的に議論するよね。言いたいこというだけじゃダメだよね?

ちなみに、デモ政治を変化させる力を持ってるだろうし、賛成ですよ。私の問題意識議論人間性のレベルの低さです。

・・・具体論を出しながら抽象論を語るのは難しかった。よくわからない文章すみませんでした。ただのストレス解消なので、構成もしない読みにくい文なので、よんだあなたは不幸です。誤っておきます。ごめんなさい。

そろそろ自分仕事に戻ろう。仕事を通じて、社会に貢献しよう。それが僕の出来ることなので。

虚構新聞佐野ブレムさん

佐野さん死去」は実在人物についてのデマだし単純にイジメへの加担だからアウトというかそう書く気はハナからないだろう流石にはちまJINじゃあるまいし

エンブレム佐野さん死去」だとSTAP小保方みたいに充分に個人を示しうる気がする

五輪エンブレムさん死去」だとせめて事前に出して「誤報でした」とやらないと笑いが取れない

という計算の結果「佐野エンブレムさん死去」が一番ウケるとおもったんですかね

そういやあそこは「橋本大坂県知事」とか書かなかったっけ、そういうポリシーなんかね

2015-09-01

五輪エンブレム問題に触れるついでに

右翼は桝添を叩き、左翼安倍を叩くという、臭い臭い状況

http://anond.hatelabo.jp/20150901185538

他の五輪では?って返されたら終わりだろ。

それとも北京五輪エンブレムのみが唯一至高で他の五輪エンブレムは等しく糞だと言いたいのか?

http://anond.hatelabo.jp/20150901175626

五輪エンブレムの赤い日の丸心臓イメージから、Tを上半身見立ててその左胸、つまり正面から見て右下に日の丸を配置したんじゃないか、という理屈は付けられるね。

あとはピリオドイメージか、転がってきた玉が長方形に当たって止まったイメージか。

五輪エンブレム騒動について業界末端の人間が思うこと

20代デザイナーです。普段は業界の末端にてWEB以外の商業デザインなどしています

今回の件、誰もちゃんと内容が分からないまま話が進んでいるのがモヤモヤするので、簡単にまとめようと思います

個人的に今回のエンブレム感想を書いておくと、震災があった中で、それでも前に進もうとする強い意志、円を基調とした設計に前回の東京五輪への深い尊敬が見える、力強くいいエンブレムだと思いました。まあ、原案は円関係ないんかい!とも思いましたが。

一応僕もデザイナーなので少し偏った見方があるかもしれませんが、どうか生暖かい目で読んでいただけたらと思います…。


◼︎そもそもアートディレクターとは

まず、アーティストアートディレクターについて誰も区別がつかないまま話が進んでいるのが怖かったので簡単に説明しておきますアートデザインの違い、となるとそれは永遠に答えが出ないと思いますが、「アートディレクター」はあくまでも「アート」部分に関する「ディレクター」であって、別に絵を描いたりする人ではありません。

さらに上の「クリエイティブディレクター」という役職の人が映画プロデューサー的な立ち位置でしょうか。どんな作品にするかの意思決定します。

そしてそれをもとに、「アートディレクター」という役職の人が、どのような形でそれを表現するか決めます。これは映画でいうと監督でしょうか。監督がセットを作ったり、メイクをしたりはしませんよね?

さらにそれをもとに、イラストレーターが登場したりカメラマンが登場したりしてデザインの素材を作ります。(素材という言い方は彼らに失礼ですが…)

さらさらにそれらをまとめて、部下のデザイナーが画面やアイテムに落とし込みますアートディレクターはそれを見て「こうじゃない」「それいいね!」など意見します。自分で手を動かすこともあります

という訳で、本来アートディレクターという立場は一人で何か作品を作るものではなく、チームを引っ張って、その案件商業的に成功させるための監督のような立ち位置です。



◼︎トートバッグについて

エンブレムは「佐野研二郎」名義のものトートバッグは「MR.DESIGN」名義のものエンブレムはおそらく、会社スタッフは関わらず一人で作り上げたのでしょう。これは一旦置いておいて、トートバッグの無断転用はどう考えてもNGです。

先ほどの例えで言うと、本来イラストレーターカメラマンにお願いして新しく作ってもらうべきですが、他人のものを無断で使用してしまった。

これは、佐野研二郎さん個人というよりは、「MR.DESIGNのアートディレクター」としての責任です。部下のデザイナーのやったことを見落としてしまったのか、内情は分かりませんが、きちんとした対応必要な部分です。

(同じ業界人間としては、好きでパクったりはしないだろうと思うので、それくらい激務だったんだろうなあ…と同情してしまう部分もありますが…。アニメーター問題に近いかもしれませんね)




◼︎エンブレムについて

エンブレムのものにここではコメントしません。

問題は、今回のエンブレムや、動物園ロゴなど、「形が似ているかパクリ」とされているものに関してです。実際佐野さんがパクッたのかどうかは分からないので置いておくとして、この流れを放置するのはまずいことです。

美術学校ではロゴデザインについてある程度同じ教育を受けていますし、同じ時代に生きていれば同じセンスを共有しています。そしてデザインを志すような人間視点基本的に近いと思うので、たとえば、「アルファベットのAを簡略化しろ」と言われたら、多くの人が「△」を思い浮かべると思います。実際、アルファベットのAを三角表現したフォントはたくさんあります

まりパクリでなかったとしても、偶然同じ形になってしまうことはたびたび起こります

チェックを入念にしたとしても、シンプルな形の組み合わせであれば、何かしら似ているものは見つかってしまうでしょう。

もちろんその中で独創性あるものを追求するのがデザイナー仕事ではありますが、

「形が似てるものパクリ」となると、僕たちはともかく、10年後、20年後デザイナーは何も作れなくなってしまうのではないでしょうか?

また、今後パクリ疑惑をかけられるのを恐れて、いろいろな要素を組み合わせた野暮ったいデザインが世の中に広まっていくのだとしたら、そのはどこかで止めなければなりません。

そうなったとき、何がパクリ/オリジナル判断基準になるのか?

出来上がったデザインをどう守ればいいのか?

これが今回出てきた一番の問題です。




◼︎コンセプト

「コンセプトが違うので盗用ではない」という言葉を何回も聞いて皆さんは死ぬほど不信感を持っていると思いますが、実際のところデザインにはコンセプトが存在します。

まあコンセプト全くなくていい!かわいい!おしゃれ!という世界もあります

しかし、五輪エンブレム企業エンブレムなど、これから何年も使われるものに関しては、流行りや気分に左右されない、柱となるコンセプトや設計必要です。

ここがややこしいところです。

多くの人にとって、美術デザインというのは「学校の副教科」でしかありません。副教科では、「カラフル自由にのびのびと描いてね!」くらいしか言われないでしょうし、美術デザインに対する認識がそこで止まったまま大人になってしまうでしょう。

(少し逸れますが、本来美術の授業は、美術が好きな子のためにあるというよりは、いつかクライアントになるかもしれない子たちが、「作品はそんなにすぐにはできないし、手間もかかる」と自らの手で実感するためにあるのかなと思います。)

「本当にコンセプトなんてあるの?適当にやってるんじゃないの?」

というような心無いコメントもたまにもらいます

「数時間適当に作ってくれればいいから!」「無印みたいな簡単なデザインでいいから!」

というような要望もたまにもらいます

これらは、デザイナーや僕が舐められているというよりは、本当にデザインについて知らないから起こってしまうすれ違いなのかなと思っています。「好き勝手作ってお金もらえて、楽な職業だな」くらいに思われているのかもしれません。

デザインにも歴史があり、多くの人が様々な技法設計を編み出してきました。

それを僕たちは何年もかけて迷い、悩みながら勉強しています。少なくとも、そういった先人たちやデザインのもの小馬鹿にするのは止めてほしいです。

ただまあ、僕もいきなり「やっぱりオゴペ料理のハンヌスはフラッペンよりピテポが合うよね〜」とか言われたら何言ってんだコイツと思うでしょう。もっと分かるように説明しろよ、と。

デザイン業界の一部には「どうせクライアントには言っても分からないから押し通そう…」とか、カタカナ語を多用しすぎて主張が意味不明な人もいますが、そんなことやってないで、精一杯説明して伝えないと何も始まりません。これからもっとわかりやすく、丁寧に伝えていく必要があるのでしょう。



◼︎なんで佐野さん選ばれたの?公募じゃだめなの?

エンブレムだけ作れる人ならたくさんいますし、「それっぽいもの」なら誰でもすぐに作れてしまうと思います。ただ、実際それに決定されたとして、会場のインフォグラフィックだったり、全体のポスターだったり、広告だったり、グッズだったりへ落とし込む際の監督をその人ができるか?という問題が出てきます。結局その監督を誰か雇うなら二度手間になってしまます。だからこそ、国内外活躍しているデザイナーに絞ってコンペを開催したのでしょう。そして、その案の中で佐野さんの案が最もイメージの湧きやす提案だったのではないでしょうか。


◼︎なんで次点を繰り上げじゃなくて修正になったのか?

たとえば「名刺を作るコンペ!」やランサーズなどの簡単なコンペなら繰り上げでいいと思いますが、仕事のコンペって「誰に任せるか」を決めるものでもあります。全ての提案を見た上で、「この提案をした人にどうしても任せたい!」と決まったのではないですかね。「エンブレムを決める」というよりは、「提案を見て、オリンピックデザイン監督を決める」コンペだったのでしょう。



◼︎写真盗用について

今回、会場での使用イメージに使った写真が無断転用だという話題が出ました。

あの写真は、おそらく審査員向けの内部資料カンプ)であって、本来表に出るものではありません。

から転用していいという事にはなりませんし、クレジット意図的に消したのもいけなかったと思いますが、クライアント向けの内部資料まで1からオリジナル撮影している代理店デザイン事務所ほとんどないでしょう。

広告雑誌売れっ子アートディレクター特集した記事などでは、カンプモザイクがかかっているのをよく見かけます予算は変わらず、でも資料に使う写真までオリジナルで作って、と言われたらほとんどの会社潰れると思います

この内部資料に使う素材に関しては、業界全体が考え直さなければいけない問題です。外には出ない資料だとしても引用元は明記するなど、なにかアウトラインが欲しいですね。



◼︎利権擁護について

まあ実際どうだかはわかりませんが、全体的に業界人手不足だと思います

僕も「人権とは??労働基準法とは??」レベルで働いてます

で、やっぱり一緒に仕事をするチームはいつも同じになってきてしまます

それは、デザインが「ロゴ作って終わり!」というものではなく、人と人とのコミュニケーションの中で作っていくものからです。全く知らない奴が急に飛び込んでくるより、お互いがよくわかっているチームで仕事をしたほうがやりやすいのは間違いないです。これにはいい面もあるし、悪い面もあります

そういう信頼関係が何十年も続いていったのが今の業界なのかもしれません。そしてそれを利権と呼ぶのかもしれませんが、賞やコンペに関しては公正は保たれているように見えます

今回の件、個人的には、「この人は、僕が作ったものが何かに似てしまっていたら、手の平返して袋叩きにしてくるんだろなあ…」という目線で交友関係を見直すことができました。

と同時に、「◯◯くんはパクリなんかしないだろうから信頼してるよw」というような声もいただきました。その言葉は、今回の擁護騒動そのものを表していませんか?他の大御所デザイナーも、きっとそれと同じ気持ちで彼にコメントしていました。




◼︎まとめ

本来デザインは素敵なものだと思います

精一杯努力して作ったものが誰かに気に入ってもらえると、何より嬉しいです。

それに憧れてこの業界を目指しました。

しかし、ずっとここに居たせいで、おかしなことを常識だと思い込んでいたり、「こんなの説明しなくても分かるでしょ…」なんて思ってしまったこともあります

片っ端からデザイナーを叩いたり足を引っ張り合うのも結構ですが、そうではなく、何がダメで何がダメじゃなくて、これからどうしていけばいいのかを真剣に話し合わないとどこへも進めません。デザイナーデザイナーで、もっと色々なものを公開して、説明していく義務があると思います

僕たちの世代は生まれた時にはもう不況で、経済おかしくなったり震災があったり、ずっと踏んだり蹴ったりでした。そんな中で、生まれて初めて舞い込んだハッピーかもしれないニュース東京オリンピック。これがこんなに荒れてしまったのでは本当に悲しいです。

「こんなの俺でもできるじゃんww」という方、どうかデザイナーになって業界を助けてください。これから先、今まで以上に大変な道が待っていると思います

嫌になることばかりですが、それでも人を信じてコツコツ頑張っていこうと思います

業界の末端の人間寝言でした。最後まで読んでくださりありがとうございました。では。

文句がいっぱい出たから取り下げます」っていちばん安易な道だろう。

それは選挙結果無視して安保デモに屈するのと同じじゃないのか?

どんどん世の中が住みにくくなっていく。

「何がなんだろうと委員会は決定を守る」と宣言できなかったのか。

佐野氏デザインの五輪エンブレム使用中止へ 組織委が方針固める (スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース

佐野氏の問題について

現在のところはっきりしているのは、素材として他人写真無断使用していた、という点だろう。

この点に関しては佐野氏は謝罪するしかない。

これはトートバッグの件と同様で、部下に素材の収集を任せていたということになる可能性は高いが、監督責任は免れない。

既にいちど謝罪していることもあるし、佐野氏も変に否定はしないだろう。

ただしこれは「デザインパクリ」「アイディアパクリ」ではない。

「素材」を用いない単純な線と円のデザイン、すなわち五輪エンブレムについては、引き続き擁護されるべきだ。

また、それらに「悪意」を見出すべきでもないだろう。

盗用の自覚があったのなら、エンブレムの原型やその展開例などを公開する許可を出すはずがない。

単純に「だらしない」だけだと思われる。

五輪エンブレムの一連の流れが、もしも他国文化侵略戦のオプションで、

サボタージュの一環なんだとしたら、この戦略は相当効いてる。

ゼロから企画したんじゃなくて、祭りの尻馬に乗ったんだろうけど。

天才的なアジテーターが世の中に存在するんじゃないかという妄想

2015-08-31

なんなの? この超弩級駄文

佐野五輪エンブレムは超弩級の駄作! - INSIGHT NOW!プロフェッショナル

純丘曜彰氏、この人は一体何なのだ

大阪芸術大学教授という肩書きになっていて、一応美術博士号は持っているらしいが、東大卒で専門は哲学。少なくともデザイン専門教育を受けた形跡はない。

佐野氏のオリンピックエンブレムがいかに駄作か、いかにも論理的解説している風の記事寄稿しているが、初めから批判ありきで筆を進めているから、展開している論理むちゃくちゃだ。特に色の解説が酷い。

「黒は、ほとんどすべての文化で、死や悪、権力、固着、腐敗、を意味する。同様に、赤は、血のシンボルであり、命や致命傷だ」

・・・じゃあなにか? Jリーグマークは、死や悪と血のシンボルを掛け合わせた、醜悪なデザインって事になるのか? とんちんかんにも程があるだろう。

紅白+金銀+黒なんて、日本凡庸伝統的配色だよ。何言ってんだ。

ナチスは一個も関係ねえよ。

大阪芸術大学教授なんて肩書きで延々とピンぼけ思い込みを垂れ流しやがって。信じる奴が出ちゃうだろう。勘弁してくれ。

佐野氏を批判するも擁護するも勝手だが、純丘氏の変な理屈だけは信じないように。

特に佐野氏に批判的でデザインに明るくない奴。この記事ソースにして批判を展開すると恥かくぞ。気をつけろ!

佐野問題収束しない理由

誰もがパクリ云々をさし引いても「微妙だろ・・・」って思っている五輪エンブレム撤回しないからいつまでも続いている。

さっさと替えればここまで根深くならなかったろうに。

2015-08-29

http://anond.hatelabo.jp/20150824083247

元増田、まだここ見てる?

五輪エンブレムの組織内検討資料に他人の写真を使うのはどうなのか/

佐野研二郎、海外ブログの写真からCopyrightの文字を削り盗用か?

こっちにもぶら下げておくか

http://anond.hatelabo.jp/20150821111821

今回の件で佐野教授問題があったことも明確になりましたが、一方で、彼の講義を受けていたからかもしれませんが、とてもじゃないけどオリンピックエンブレムにおいて彼は雑な仕事をするとは思えません。

お前の目玉が節穴だったってだけだな。

エンブレム問題トートバックの問題根本的にまったく異なるものです。そこを一緒にしてしまうことが、今後のデザインを殺すことにつながりかねません。

もうね「いっそ殺せ。それ以外に処置なしだろこの腐った業界」としか思えん。本当に。

盗作前科のある奴が「どこかの美術館ロゴにそっくりなデザインですが、これだけはオリジナルです。偶然です。他は色々パクりましたけど、これだけは偶然似ただけなんです」という言い訳が通用する業界ってのは異常で異様だよ。

ちなみに他の業界ではこんな感じで対応してる。一ヶ所でも不備があったら「他にもあるかも」という前提で調べるのが普通なんだよ。

橋梁の耐震補強部材に溶接不良 京都の2橋で発覚

溶接ヶ所「全箇所」を調査

問題箇所は補修し、二つのうち一つの橋については費用問題を起こした業者に請求する方針

シンドラー社、3都県で緊急点検 エレベーター閉じ込め問題

問題が起きたエレベーター全てを調査

問題を起こした元社員会社側が刑事告訴する方針

「今回はたまたまです。他は大丈夫です。調べる必要なんてありません」が通用する業界は潰れるべき。でなきゃ社会からの信用を失う。

デザイナー」=「その辺の個人の写真をパクって適当トリミングするだけで大もうけしてる奴」という評価が固定されるだけ。

そうなる方がかえって「デザインを殺す」事になるとは思わないのか。

2015-08-28

五輪エンブレム素人デザインに口出すんじゃねーよ

代表的批判は「ダサい」「パクリ」「コネ


7/24に初お披露目、式典生中継とかしてた。

NHK東京オリンピックエンブレム発表実況 [転載禁止2ch.net

http://orpheus.2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1437733199/

東京2020大会エンブレムを発表 [転載禁止2ch.net

http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1437734077/


ダサい、地味、暗いなど、ネガティブな第一印象が多く見られる。発表会で期待を煽り過ぎた反動かも。

素人「ダサスギィ!」



7/28ベルギー劇場が抗議

ベルギーリエージュ劇場と、スペインのhey studeioの作品酷似しているらしい

https://www.google.co.jp/search?q=%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%83%BC%E3%80%80%E5%8A%87%E5%A0%B4&rls=com.microsoft:ja-JP:IE-Address&rlz=1I7ACAW_jaJP522JP522&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0CAgQ_AUoAmoVChMIhJu02dbLxwIVCZmUCh0clgA1&biw=1078&bih=452#tbm=isch&q=%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%83%BC%E3%80%80%E5%8A%87%E5%A0%B4%E3%80%80%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%A4%E3%83%B3

あとサーバー名がジャップとかで一部界隈が盛り上がる

素人「パクりの可能性が微レ存?」

その後トートバックにパクリ疑惑がもたれ、佐野氏は13日に一部を取り下げる。15日に「部下が第三者作品トレース」したと釈明。

素人「やっぱりパクりじゃないか(憤怒)」


コネについては、佐野氏が博報堂出身審査委員に知り合いがいたって事らしい。

でも贔屓というより、コンペで選んだならこんな地味でダサい奴が選ばれるわけがないという素人偏見根本にある。


デザインダサいという第一印象、デザイナーパクリに関わっていたという事実から素人はこのエンブレム偏見を抱き、オリジナルである証明できても汚名返上不可能


素人大衆に受け入れられればパクリだろーが地味だろーが許された。オリジナル性が証明されても素人からの支持は得られず、パクリとわかっていても撤回はできない。

2020東京五輪は、グダグダな経緯で白紙化された国立球技場で、パクリ疑惑エンブレムを掲げて開催される。でもそのころには大衆グダグダな経緯は忘れてると思うので、頑張って盛り上げていきましょう

2015-08-26

http://anond.hatelabo.jp/20150825201940

五輪エンブレム騒動で、デザインロジックで語れる人って

かなり層が薄いんだろうなあとぼんやり思ってて

それに比べると、ゲームマンガ面白さをロジカル言語化しようと

試行錯誤するアマチュアの層はまだまだ厚いなあと思う

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