2015-09-04

五輪エンブレム問題の終わり、そして次のエンブレムに向けて


大阪芸術大学教授純丘曜彰氏の発言への疑問を述べた記事に、氏から応答があった。


元の記事

五輪エンブレム問題についての純丘曜彰氏(大阪芸術大学教授)の発言

http://anond.hatelabo.jp/20150903062450


純丘氏の応答

佐野五輪エンブレム超弩級の駄作!」(page: 6)

http://www.insightnow.jp/article/8644?page=6


もう佐野研二郎氏に関わるような話題は終わらせたほうがよいと考えているので、

議論がふたたび活発になるようなことは望まない。

筆者から疑問を投げかけ、氏がそれに答えてくれたので

パンチ一発ずつ(?)ということでこれ以上の応酬はやめようと思う。

なぜか筆者が「チャレンジャー」ということになっているが……


ただ、わざわざ返答をくれた氏に対してこちらから感想ちょっとした考えを述べておきたい。

加えて、幻となってしまった佐野氏のエンブレムへの所感を残して旧エンブレムについては最後とし、

次のエンブレムについての思いを記そうと思う。



ニーチェ綴り


ニーチェ綴り2ちゃんねるでどうこう、ということだが、なんのことやら」(純丘氏)

炎上という非常事態に対してまさにこの「なんのことやら」という意識で臨み、

周辺に挙がっている言葉火種)をそのまま拾って記事を作るということが、

筆者の言う「なんの検証もなく」という状態であると考える。



■色の件


一般の人が読むことも考えて説明を加えたのだろう。

残念だがこちらの疑問に答えたものではなく、新たな論点もない。


この項を借りて…

「私なんぞの記事真剣に読んでくれて」と謙遜されていたが、

氏の表象論などを用いたデザインに関する言説は(半分以上フィクションとしてだが)みな

面白く読めるものだったことを付け加えたい。



■純丘氏の社会的影響


非常にあったと考えている。

それは、(失礼だが)純丘氏の所論が正しく、力強かったからではない。

炎上サイバーカスケードという事態において、

とてもよく燃える燃料だったかである


マスコミはもちろん燃やすのが仕事であり、

識者の言質さえ取れればいい、このフリップのこのスペースが埋まればいい、

そんなノリでコメントを拾っている。


8月10日、純丘氏のこの一文を読んでびっくりしたのをよく覚えている。

「このデザイナーpinterest、その他、ネットのかなり奥深いところから

巧妙に素材を拾ってきていることが完全に明らかになってしまった」


Pinterest ついては、この時点では「完全に明らかになった」といえるような

証拠は出ていなかった(強く紐づけられるものがせいぜいニーチェの件で、

結局、最後まで確たる証拠といえるようなものは出てこなかったと考えている)。

しかし、この記事は一気に広まり、その後のムードを作っていったように思う。


純丘氏には、「佐野エンブレムを下ろしたい」というご自身希望

そのまま社会活動としていくのはご自由としても、

識者として、炎上デマがむやみに広がらないような、

適切な言葉と確かな情報検証を元に発言してほしかった。



さようなら佐野エンブレム


初見ロゴだけを見たときはあまりいい印象をもっていなかった。

が、明滅するアニメーションを見て選ばれた理由がわかった気がした。

その後は、騒動の最中ではあったものの見慣れていき、黒がよい主張と映ってきた。

CMスポンサーロゴの両脇を固めたオリンピックパラリンピックエンブレムにはリッチで崇高な印象をもった。

黒のことがよく言われるが、プラス方向に見ればゴージャス、フォーマルな色である

しろあの黒がチャームポイントになるはずだった。

もちろん、この強い色の使用はチャレンジだった。

桜のリースのようなデザインもすばらしいが、今回の選考委員の半数はチャレンジを選んだ。

オリンピックでこれまでに使われたことのない「黒」も、

選ばれた主な理由だと考えられる「組み替えアイデア」も、チャレンジであったと思う。

そして、チャレンジ理解されるには時間がかかる。

時間をかけて受け入れられるには障害物が多すぎた。



■これから五輪エンブレムに向けて


再び公募になったということで、それ自体は楽しみである

筆者自身、応募したい気持ちもあるのだが、

選ばれることがすなわちよい結末になるとも限らない、そんな不安がある。

何か思い当たるふしなどなくてもだ。


コンペではよく「勝った」「負けた」という言葉が使われる。

新国立競技場のコンペについて伊東豊雄氏もはっきり「負けました」という言葉を使っていた。


芸術も、学問も、勝った、負けた、の話じゃない。なにが本当か、

どうすればより美しくなるか。みんなで知恵を絞るにこしたことはない」


今回、純丘氏から聞けた言葉である

次の五輪エンブレムのコンペほど、「勝者のいないコンペ」という言葉がふさわしいものはないだろう。

それがいい意味でになるのか、悪い意味でになるのかは、わたしたち自身にかかっている。

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