はてなキーワード: レイアウトとは
どうしよう。買うべきか。
今は9.7インチのiPadのパチモンandroidを使ってる。
これで十分といえば十分だけど、やっぱ固定レイアウトの電子書籍を読むときは微妙に小さい。
12インチのiPad proは10万くらいだからそれに比べれば格安。
ただ重量が1k弱で重いし安いと言ってもやっぱ5万近い出費になるし。
どうしよう。
話さないっていうか話してくれない
仕事中サボって喫煙コーヒーかましながら増田で面白い記事書いてました
そんなことやってたらなんだか誰も話しかけてくれなくなっちゃって
耐えられなかったよくがんばった俺
んで六ヶ月給料もらいながら何もしないのは申し訳ないので増田で執筆業
この時期は長文でかつレイアウトにまでこだわって書いてましたね
あえてコテハンのトラバで自己顕示欲満たさなかったのは駄サイクルの輪にだけは入ってはダメだと思っていたからです
コテハンつけてつまらない事書いても馴れ合いの星がつきますよね
一切のなれ合いを捨て一人で頑張ることで増田の一番星になりたかったんです。
毎日中身のないクソみたいな駄文をネットに量産する人間にはなれなかったのかもしれない。
そして得たのは自由だった。
漫画や小説みたいに頭から順番に読むのは電子書籍でもいいけど、技術書はとばして読んだり前後を行ったり来たりして繰り返し読むからすごい読みにくいわ。
あと、ソースコードが載ってる本は、字を大きくしたらソースがぐちゃぐちゃになるし、小さいままだと本文が読みにくいし、なんとかならんかね。
このまえ読んだ本は、それを考慮してか、字を大きくしてもソースの部分は大きさが変わらないようになっていてソースのレイアウトは崩れないんだけど、それはそれでやっぱ字が小さくて読みにくい。
それと、出版社がPDF版を売ってるときはkindleを避けてそれを買うんだけど、紙と同じレイアウトで固定レイアウトは9.7インチのタブレットでも読みにくい。
まず、絵が下手でも面白いマンガがある、ということは絵の上手さは関係ない。
じゃあ、ネームっていったい何なのか、ものすごく抽象的に言えば、それはいつ、どれくらいの情報を見せるか、という技術。
マンガに限らず、面白い話には、適切な情報を伝えるための定型がある。
視線の動かし方で、読者に気持ちよさを伝えられる。単調な画面は(多くの人にとって)つまらない。
気持ちよく視線を動かし、肝心な箇所では気持ちよく情報が入ってくる。これがマンガの面白さの基本だ。
マンガでいう情報とは、キャラクターや状況・世界観の説明だったり、話の展開など。
後からいろいろな技法でこれらを装飾はできるが、まず基本のこの部分ができていないとつまらない結果にしかならない。
ネームより前の基本段階に設定とかテーマとかいろいろあるじゃん、ていうのは面倒くさいのでナシで。
あと肝心の「絵」も情報なのですが、これは複雑すぎるので省きます。
(レイアウトはどうか、ベタ・空白の割合は、線の太さ、ストロークの数は、トーンは、、、)
要するに上記の、「いつ、どれくらいの情報を見せるか」の方法がぜんぜん違う。
マンガはアニメと違って、ただ見てるだけでは話が進まない。読者自身がコマを順番に追い、ページをめくって、物語を組み立てていく必要がある。
そのためには、読者に対し、ページ内でどういう順番でコマを見ていけばよいのか、コマの中の情報はどう受け取ればいいのか、わかりやすく示す必要がある。
マンガ家は普段からこのことに心を砕いているが、アニメやゲームの作者は違う。彼らは、アニメやゲームでの情報の見せ方に心を砕いてきた人たちだ。だから違和感が出る。
マンガは視線の快楽と書いた。では読者の視線はどう動くか、どう動けば気持ちいいか。
視線がどう動くかは、基本的にコマ内のポイント、表情や台詞、擬音などの「点」を順番に見る。
ちなみに視野というものは広いので、どこか一点のポイントを見ながらも、同時に次に視線を動かす先のポイントを探している。もともと視線はスムーズに動きたがっているものなのだ。だから、これらをわかりやすく見せる必要がある。
また、視線の角度(ポイントの配置)がゆるやかだと時間を長く感じ、急だとすばやく感じる。
だからアクションシーンでは鋭角に、会話や日常シーンでは鈍角になるよう視線を誘導する。
このように視線誘導と情報の提供が一体化されることで、読者はマンガを楽しく読めるのだ。
見開きの場合、マンガのページは右ページの右上から話が始まり左下に情報が流れる。そして左ページの右上へ続き左下に流れ、ページをめくらせて同じことを繰り返す。
ページの流れと同様に、コマ内でも情報は右上から始まり左下に行く。
だから、左ページの一番最後の、ページをめくらせるためのコマは、話の次の展開が気になるコマにする。
そして右ページの一番最初のコマは前のページからの流れと、そこから展開が続くコマにしなければいけない。起承転結の「結」と「起」。
そして途中から見てもある程度内容がわかるように、最初のコマ(または複数コマ)は5W1Hが(最低限)わかるコマになる。
マンガは1ページ5~7コマが基本。1ページ5コマと仮定した場合、見開きページでは1コマ目が「結」「起」、10コマ目が「転」になるようにコマごとに情報を振り分ける。
(ここでいう起承転結とは、物語内のサブエピソードやシーン毎の小さな起承転結。これが連続して大きな起承転結になる)
ネームとは、いつどれくらいの情報を見せるか、ということだと書いた。では適切な情報量の目安は何か。
リズムのずれた音楽は聞いてもらえない。マンガも同様。他のメディアも同様。話はリズムが大切だ。
しかし、音楽や映像と違って、マンガは読者の時間を支配できない。
そこで視覚情報の多寡でリズムを作る。リズムのある文章、の絵バージョン。
そしてリズムは一定では退屈で、バランスを考えアクセントも入れる必要がある。こうして大まかな情報量の配分が決まる。そして細かく検討していく。
アクセントにする箇所は他と差別化するために、情報を増やすか、逆に情報を搾る。
大ゴマの場合、前のコマは小さくしてアクセントを引き立たせる。密度の高いコマの前は密度を少なくする。その逆もまた然り。
これらを先ほど書いたページの内容に合わせて配置する。こうしてコマ割ができる。
長々書いたが、超大雑把にこんな感じだということです。
また単純にネームの話にしても、物語情報の部分は上手くいってても、レイアウトや絵の選択を間違える、とかいろいろあります。
(「驚愕のシーンで顔のアップ」という場合、どの程度のアップか、絵の密度、キャラの視線の向き、汗の位置、台詞の有無、など)
そうなってくると、もう複雑すぎてわけわかんなくなるので、個別に作品を掘り下げていくしかないです。ただ、そういう「絵」の情報の選択の基礎になるのは、やはりネーム(何をどう伝えたいか)です。マンガ家によってもネームの扱いが違ったりもしますが。
女の気持ちを考えろってなんだよ もう。
おそらく、女はこっちの気持ちを考えてすらいないだろ。
やられたら、やりかえすでしかない。
朝、半蔵門駅に向かって歩いていたら、モデル体型の美人が小学生低学年の自分の子供であろう子を近くに小学校まで一緒に歩いていた。
おそらく、我が子を無事に小学校にいかせるためだろう。あの、モデル体型の美人の気持ちなど微塵も考えようがない。
美人の生活や、旦那の年収は予想がつく。おそらく大層な金持ちの男を捕まえたのだろう。
あそこのほうから歩いてくるというのは、超高級分譲マンションに住んでいるということだ。不自由なく暮らしているだろう。
子供の顔はよくわからなかったが、まぁ健康だろう。この辺りで、歯の矯正ができない経済事情の家などないから、歯で顔のレイアウトが崩れるとかもないだろう。
あの美人はこちらの気持ちを考えることなどないから、こっちも考える気はない。
電車の中でもそうだ。痴漢がどうのとかいうけど知ったこっちゃない。こちらは痴漢をされたことがない。そして、美人を見ていて腹が立つことはあっても痴漢をする気はさらさらない。痴漢して欲しいくらいだ。
顔を見て気持ち悪がられて、席替えはされたことがある。痴漢されるより、こっちに同情して欲しいくらいだ。
こっちの気持ちは考えたことがないだろ。
美人をされたくなかったら、あらかじめ痴漢する人間にセックスさせてあげればいいとも思ったりする。しかし、そうすると美人の人権軽視だと言われる。
美人は選びホーダイでセックスの機会はあるのに、自分は痴漢をしたことがないが、自分も痴漢する人間もセックスの機会はないのだ、選べないのだ。
戦争が起きたら、美人は外人の金持ちを捕まえて上手く立ち回るかも知らないけど、こちらは殺されるかもしれないのだ。アジア太平洋戦争でロクに女は戦争責任を問われなかった。
擁護するとしたらまつりごとには参加できなかった事情があるだろう。
次の戦争は国民主権で起きる戦争だろう。しかし、国民の責任とは言われながら、なんだかんだ男が戦争責任を問われるのだろう。グロ面の自分もグロメンなために問われるかもしれない。美人は戦争責任は問われないだろう。美人はそもそも生きるために、戦争にすり寄らなくてもいい選択肢がある可能性が多いし、擦り寄らざる得ない可能性があっても、勝者の方につくか、勝者によって美人だからうやむやにされるだろう。
恐らくデザインをする際のポリシーというお話かと思われるので、そのお話を。デザインにはいくつかの流派のようなものがあります。当該作品は「ミニマル・デザイン」と呼ばれるものです。乱暴に言うと丸や四角や三角だけで様々なモチーフや抽象表現をするものをこう言います。佐野氏も恐らくこういうポリシーをもってデザインを進めたものと推察できます。
ただ、ミニマル・デザインだけがデザインではありませんので、様々なデザイン手法があり得ます。ラノベの装丁とかは大抵とてもポップですよね。あれはあれなりのデザインポリシーがあるわけです。ですから「ほぼ全てのデザイナー」が「ミニマル・デザイン」を推奨するわけでも、推し進めているわけでもありません。
これも本文に記載がある通り、「自己同一性」を求められる以上、オリジナル性は当然選考の基準となります。
この質問の意図が計りかねますが、似たデザインというのは、全ての制作物において発生する可能性を持っています。逆にもっと極端に単純な図案であったとしても、この世界に類似物が一切なければ、そこにオリジナリティはあります。しかし、ただの正方形や正三角形は著作物として認められません。そういうものはパブリックドメインというやつですね。ですから単純な図形はさらにそこに色彩やレイアウトという要素を盛り込んで著作物として成立させます。件の作品も、基本的には三角と四角と丸のレイアウトと色彩の展開ですよね。
都内で細々と自営のデザイン屋をやっております。今回のエンブレムの騒動もここにきて(とりあえず)一つの区切りがついたようなので、この一連の出来事において個人的に感じたことなどを忘備録も兼ねて書き留めておきます。
まず、佐野研二郎という人物についてですが、今回の騒動でまぁ国民に広く知れ渡るほどの知名度を得ましたけど、デザイン業界においてはスーパースター的な知名度が元からありました。まぁサッカーの日本代表でスタメンに入るようなイメージですかね。ちなみに僕はJ2にも入れないぐらいですね。サッカー観ないからよく知らないけど。まぁ所詮業界内だけのことを国民的なスポーツに置き換えるのもアレなんですけど。
で、そんな彼がこんな形で騒がれ始めて、まるで自分や自分のやってる仕事に対していちゃもんつけられてるような気になって一人で勝手に心を痛めていたわけです。しばらくは。
今回のエンブレムが発表されて最初に感じた個人的な感想は「これはちょっとやばいぞ」でした。何がやばいかというと、一般ウケしないのは一目瞭然だったんですよ。まぁ皆さんがダサい理由としてあれこれ上げてらっしゃることと同じ理由で。でも選ばれた理由は幾何学的な要素だけで構成された、今後の展開やブランディングを視野に入れてのことなんだなというのは初見でなんとなくわかりました。
とはいえですよねぇ。今回のオリンピック、ボランティアのユニフォームはダッセーって騒ぎになったしスタジアムはまぁあんなゴタゴタですし。もっとさかのぼるとAKBを開会式に出すんじゃねーの?やめてよね!みたいな機運もあったり。もっとさかのぼると、そもそも毎回オリンピックやるたびに選手団のユニフォームがダサいって槍玉に挙げられてるし。もう国民の感情がちょっとでも変なもん出したらただじゃすまねーよって空気が既に醸成されてたわけですよ。
そんななかあのエンブレムでしょ。「こりゃやばいぞ」と思うわけです。
でも正直ここまで大ごとになるとは思ってなくて、なんだかんだいって世間も落ち着いて、そのうちあのエンブレムがいろんな使われ方をして面白い展開がされていくなかで、徐々に世間から受け入れられていくんだろうなと楽観してたんですよね。
ダサいかダサくないかは正直これからの使われ方次第、というのが僕のデザイナーとしての見方でした。
そこにきてあのベルギーの劇場ね。パクりかパクりじゃないかというと、個人的な見解としてはパクりじゃないですねアレは。
ただ、あのときの記者会見で完全な悪手を打ったのは間違いないです。どういうことかというと、デザインのプロセスを素人にもわかるように説明しなかったからですね。
例えを出すと、アルファベットの「E」とカタカナの「ヨ」、ひっくり返ってるだけですごく似てますよね。でもこれらはまったく違う文化と文脈とプロセスを経てたまたまアウトプットが似てしまっただけなのはわざわざ説明するまでも無いんだけど、これぐらい明確に多くの人が納得出来るアウトプットまでのプロセスを開示してくれれば良かったんです。(ダサいダサくないは別な議論として)
ちなみにこの辺りではまだ僕は100%佐野さん擁護の立場でした。
そのあとトートバッグの件とかあれこれパクりだなんだと掘り返されてく騒動を見てて、明らかにいちゃもんだろってのも多かったんですけど、こりゃ完全に黒だわってのもボンボン出てきて。ほんと正直な話をしちゃうと、程度の差はあれネットから無断で画像を拝借して勝手に使っちゃうって経験、ほとんどのデザイナーにあると思うんですよ。
だからトートバッグの頃まではもちろん悪いことだけど同情も禁じ得ないみたいなね。下のデザイナーが勝手にやっちゃったんだろうなーと。だからこの辺までは個々の問題は切り分けて議論すべきという立場で、まだ擁護派でした。
でもそのあとさすがに出てきすぎだよね。僕ぐらい小さな仕事しかしてないデザイナーでも人の目に触れるような仕事では他人の素材を勝手に使うのは怖くて出来ないのによくやるなーと。お客さんによっては「予算無いから素材購入はそっち持ちで。撮影?無理無理www」みたいなのとか「ネットの画像、適当に使っちゃってよ、どうせバレないっしょwww」なんてケースもけっこうあります。やんないけど。でもあれほどのビッグクライアントがそんな予算渋るとは思えないしね。あり得ないよね。
で、佐野氏を結構擁護してた僕なんですけど原案を見て「もうダメだわ」となりました。
だって当初発表していたデザインコンセプト自体が後付けだったってことがはっきりしちゃったので。亀倉さんへのオマージュなんてどこにも無いじゃん!みたいな。あー、どうりで最初の会見でプロセスをはっきり説明出来なかったんだなーと。この時点でもう擁護するのが面倒になりました。心ももう痛まないです。
まぁ結果的に取り下げになったのは佐野氏にとっても委員会にとっても国民にとっても良かったんじゃないかなと思います。というか空港の画像の件、取り下げる理由を探してた委員会としてはとても良い言い訳が見つかってホッとしてるんじゃないかなと。
話がまとまってないけど、あのネットで話題になった扇のエンブレムね。あれを汚いって中島英樹氏は言ったけど、あれはデザインが悪いという意味とはちょっと違いますね。多分だけど。あれはあの丸のレイアウトに幾何学的な法則性がなくて、なんとなく配置してるだけなんですよ。だから揃うべきところが揃ってない。あと配色もなんとなくで決めてるのがわかりますしね。その点佐野氏のデザインは円と正方形のみでちゃんと計算されたエンブレムなので、そういう意味での完成度は明らかに違います。(ダサいダサくないは別な議論として)
最後に「デザインのわからん素人は黙ってろ」というこっち側の人間に多く見られた反応ですけど、あれは呪詛ですよ。絶対にやってはいけない。
僕もネットの心無い書き込みを見て「素人がなんも知らんくせに」という感情が何度も湧き上がったのは正直に告白します。でもそれを言ったらもう終わりなんですよね。わからんやつは黙ってろじゃなくて、わからせるためにこっちは何が出来るか、わかってもらうための努力まで込みで考えてものを作るのがデザイナーやアートディレクターの仕事だと思うんです。
だから出産直前で佐野氏擁護の発言をした森本氏がこれから新しい命が誕生する前になんでこんな呪詛を振りまくんだろうと不思議で仕方なかったです。あれなんて典型的な「素人黙れ」発言だったので。
普段あまり文章を書く習慣の無い人間にありがちな、非常にまとまりのない文章ですみませんでした。
でもデザイン業界側の人間で僕みたいな捉え方してる人ってわりと多いんじゃないかと勝手に思ってるので、多少そんな人たちの代弁ができたんだとしたらいいなと思ってます。
連日のパクリ騒動について静観決め込んでたけど、デザイナー連中が一向に本音を吐こうとしないからそろそろ苛ついてきた。
デザイナー連中はいつまでオリジナルが大事だとかすました顔で言っているつもりなのか。
それならば聞くが、君たちはいつピカソやダリや北斎を超えたのか?
自分たちが過去の作品に習って学校で体系的に学んできたことが自分たちのデザインがそもそもパクリの上に成り立っていることを示す確固たる証拠ではないか。
それが何か。
「一部のパクリデザイナーを見て全員をそう思わないでほしい。」「一生懸命に素材を撮影したり手で書いたりしている人がかわいそう。」
笑止千万。ヘソで茶を沸かしてやるからまずはこれ飲んで落ち着け。
それなら手書きしたり自分で素材撮影したりすればそれはオリジナルだと言えるの?
その構図にモチーフやインスパイアがあってもそれはパクリとは言わないってわけ?
それなら聞くが、既存の素材を取り込んでフォトショで加工することと何が違うの?
だからもうみんなではっきり認めなさい。そんなことは全て綺麗事だということを。
一度でもデザインに携わったことのある人間に聞くが、自分が創りだしたそれが全く何の影響も受けてない完全無欠のオリジナル作品だと言い切ることができますか?
だったらなんでライターが持ってきたどっかで見たような写真と文章を、デザイナーはどっかでみたようなレイアウトで配置しつづけるの?
まともにデザインなんてしたことがないような連中がいうならまだしも、プロ連中がそれをいってちゃダメだろ。
だったらインスパイアされた相手にいつも許可とってライセンス料払ってるの???
パクった佐野研二郎が悪いんじゃなくて、デザインはパクリなんてない崇高で潔白なものじゃないとダメって思っている世の中にあるわけ。
パクリ問題の本質は、パクることの是非ではなく、ライセンスの支払いやら法的効力に全て帰結することにあります。
だって違法じゃなければデザインなんてみんなパクりなんだから問題にしようがないんだもの。
それを世の中がパクリそのものが悪なんて顔してるから、世の中のデザインは窮屈でしょうがないんだよ。
例えばスペインの片隅にある劇場にどうやってアポとってライセンス料契約とかを結べばいいわけ?
どんなに似てようが、国も違ければ法律も違う上で、違法になり得ないなら別にかまわないのよ。
だって、デザイナーはそれよりも重要な使命を負っているのだから。
彼らがやっていることはもっと崇高なの。
世界中から集めた数多あるデザインを適切な場所に適切なデザインで再構築と再配置するという大きな使命を担っているんだ。
世論に押されてだんまり決め込んでないで、デザインなんてパクリだ何が悪いってさっさと開き直ることだね。
どうせ事なかれ主義の法律が追いついていないだけな瑣末な問題だ。
現に中国で生まれたラーメンが日本で姿を変えアメリカに持ち込まれたことで多くの人が喜んでいるではないか。
自分たちの行いが正しいと信じているなら、変えるべきものは法だ。それこそ一国の首相が認めていることではないか。
問題提起してさっさと法改正させないと、それこそデザインの死が訪れてしまう。
パクリ問題でもとのデザインがあればだれでもデザイナーになれるって言ってる奴いたな。
だったらお前はなんで世界的デザイナーになれてないだ?デザイナーにかぎらず、少なくとも実業家くらいにはなっているはずだろ?
くだらないこと言ってる暇があったら自分の足元よく見ろよ。
世界をめぐる情報は、早さ、量、質ともに人類がかつて経験したことのない水準に到達しているのだ。
その世の中で自分以前にオリジナルが存在しないことを証明するのは、いわゆる悪魔の証明というやつで、証明する労力と見返りが釣り合うことのない問題だ。
結局はそれが違法であるか否かという点でしか問題として取り上げることは困難なのだ。
そんなことにリソースを割き続けることは人類にとって単なる損失だ。
今の世の中で高く評価されるべき能力は、世界中に点在する様々な要素を、今、それを求めている場所に求めている形で再構築する能力だ。
そういう意味ではいつまでもデザイナーなんて呼び方に酔いしれてないで、さっさとコーディネーターとでも名乗り直すことだな。
いずれにしても君たちの行いは求めてられていることなのだ。
食傷気味ではあると思いますが、佐野氏問題について自分の考えをまとめるために文章を書きました。
もうこの話題にうんざりという方はそっとスルーして頂けると幸いです。
■前書き
デザイナーではないけれど、クリエイティブ職に携わっています。
私の立場としては、
・トートバッグはアウト
というものです。
以下、目次です。
▾ デザインとは
- このエンブレムは一体何なのか
- 似ているのか
- 原案は似てる
- お粗末なマネージメント
▾ 個人的には
■デザインとは
デザインは、社会に受け入れられることを目的の一つとしています。
受け入れられるということは抵抗がない方がいいですから、あまりに新しすぎて意味が理解されないようなものはよくありません。
しかし多くのデザインにおいては、新しさや独創性を伝えたいという想いもありますから、デザイナーにとって受け入れやすさとオリジナリティというのは永遠の課題であると言えます。
多くのデザイナーにとって、ロゴのオリジナリティについて語りにくいのはこれが非常に繊細な問題であることが理由だと思います。
ところで、デザインは「計画」「設計」「応用美術」という言い方もされることがあります。
あるいは例えば、◯◯デザイナーという肩書きなどについて、プランナー(計画者)、マネージャー(管理者)という言葉を入れ替えても近いニュアンスがあるということについて考えてもいいかもしれません。
これらの言い方からも分かる通り、デザインとは一から全てを新しく作り出すという行為ではなく、適切に設計する、配置する、選択するという行為であるとも言えます。
では果たして佐野氏のデザインは適切なものだったのでしょうか。
その前に、デザインにおけるトレンドというものについて簡単に考えたいと思います。
参考に、近年のロゴのトレンドと言われているものをご覧ください。
http://photoshopvip.net/archives/78102
http://www.radflaggallery-design.com/blog/2015-logo-trend
http://coliss.com/articles/build-websites/operation/design/788.html
すでに2008年のトレンドが古く感じてしまうのが分かるかと思います。トレンドというのは、新しく感じられ、それでいて受け入れられている、という一つのラインです。トレンドを押さえる(上手く選択する)ことで瑞々しい印象を与えることができますが、トレンドが去った後には古さを感じるようになるものです。
新しさがありつつ、普遍性のあるデザイン、というものが如何に難しいかが分かります。
・このエンブレムは一体何なのか
それでは本題のオリンピックエンブレムについて考えたいと思います。
図像的には非常にシンプルなものになっています。また、恐らくは1964年の東京オリンピックの亀倉雄策のイメージをオマージュしており、色彩は日本的トラディショナルなもので、あまり目新しさは感じられません。そういう意味でこのエンブレムはあまりトレンドに乗っていないと言えると思います。
なぜこのような選択・デザインになったのでしょうか。
トレンドに乗らず、非常にシンプルなものにしたのは、普遍的なエンブレムになることを狙ったものだと思います。
亀倉雄策の1964年オリンピックは今でも素晴らしいデザインと語られるもので、古さは多少感じさせても未だに迫力が伝わってきます。
佐野氏のデザイナーの仕事にはシンプルで洗練されたものが多くあります。また、近年世界にアピールできている日本のデザインはシンプルなものや余白を活かしたもの、自然融合的なものが多く見られます。
このように、佐野氏、あるいは日本の強みであるシンプルなデザインであり、また一時的なトレンドではなく普遍性をもつもの、として単純な図像になっているのだと思います。
もちろんこれにより、トレンドに乗っていない、古めかしく見える、単純すぎる、単純すぎるために似たデザインが挙げられる、といったことについて意見が出てくることについては想定していると思われます。
・似ているのか
さて、よく問題として挙げられているベルギーのロゴと比較してみます。
前述の通り、単純な図像なので、近いロゴがあることは避けられないと思います。しかしプレゼンテーション動画などを見ると、このエンブレムのアピールは以下のようなものです。
・東京の頭文字T
・日の丸
このうち、ベルギーの劇場のロゴと共通するのは円のモチーフくらいではないでしょうか。
以上のような点を踏まえると、佐野氏のエンブレムは図像的にはベルギーの劇場のロゴと近く見えるところもあるが、その他の点で大きく異なっている、と言えると思います。
著作権は、思想・感情を創作的に表現した著作物を保護するものです。
佐野氏のエンブレムはベルギーの劇場ロゴの思想・感情的な表現とは違う発想で出来たものであることは明らかだと思われます。
Wikipediaによると、リエージュ劇場は公共性が高いためロゴに商標登録がなく、商標権については問題にしていないとあります。
・原案は似てる
色彩、配置的なアレンジはありますが、これはヤン・チヒョルト展のタイポグラフィに結構似てると思います。
しかし原案として過去のデザインを参考にすることは問題ないのではないでしょうか。個人的には、なぜ公開したのだろう、と思いますが…。
これがこのまま採用されるとしたら大変ですが、最終案ではかなり変化しているので、これはある意味で事前チェックが上手く機能したと言えるのではないでしょうか。
・お粗末なマネージメント
佐野氏ほどのデザイナーですと、事務所を構え、他のスタッフにデザインをさせるというのは勿論あることです。しかし本人の名前で発表する以上、その監督責任は本人に求められます。
トートバッグに関しては、明らかに佐野氏の失態です。佐野氏もそれを認め謝罪し、社会的な罰は十分受けていると思います。
私が冒頭に書いた「(ほぼ)問題なし」という括弧はここが理由です。
本来なら大きな仕事は少し控えた方がいいと思いますが、今回はエンブレムの後に発覚したものですし、取り下げる程ではない、と思っています。
そもそもこのコンペは、一定以上のクオリティを信用されているデザイナーへの指名コンペです。
日本有数のデザイナーであれば、色々な人間との関係性ができるのは当然ではないでしょうか。
コネは悪用された時に問題になるものですが、今回のコンペがコネを悪用したものかどうかについては判断できないと思います。
■個人的には
個人的には、もう少しトレンドを押さえたデザインが好きだなぁ、と思っています。しかしそれと、ダサいかカッコイイか、良いか悪いか、善か悪かといったことは無関係です。
個人としてはそこまで好きになれなくても、表面的な華やかさを控えて理念としての重要性を選択したということは驚きでしたし、思い切った決断だと思っています。
ところで、オリンピックのエンブレムはどれほど重要なのでしょうか。
東京オリンピックを世界に向けて恥ずかしくない誇れるものにするために、私たちは何を大切にしなければいけないのか選ばなくてはいけません。
インターネットのお陰でどこまでも検索することが可能になり、どんな事象でもどこまでも批判できるようになりました。
★先日、前から気になってた東池袋「メゾン青樹・RoyalAnnex」の外観見た。
そこの2階に「都電テーブル」という「いかにもイシキタカイ系のオーガニックな定食屋」があった。
男性一人だけだと気恥ずかしくて入れない雰囲気だが、たまたま女性同僚もいたので入った。
2階の店内に入ると、予想通りの店内レイアウト。配管は「わざと」剥き出しで、テーブルも椅子も木製。
BGMはジャズで、あちこちに店のコンセプトの案内とか、街づくりの書籍とか、「クラウドファンディング募集中!」とかの案内が。
★なんか「こだわりの食材の無農薬な定食」を1000円で食べたが、味音痴な自分は、それが1000円の価値があるだけの美味しさなのかどうか、わからなかった。
因みにヘルシーなボリュームなので、早くも3時頃にはお腹が空いた(笑)
★因みに1階に「なか卯」があり、ガテン系男性が連れだってなか卯に入って行って盛況だった。
「都電テーブル」の方は空いていた。1階と 2階の立地の差、値段の違い、ボリュームの差、でもそれだけじゃないと思う。
★一番の「差」は、都電テーブルの
「私たち、オーガニックでイシキタカイです、フェイスブックで応援お願いします」な雰囲気が、ガテンワールドと「対極」だからなんだと思う。
値下げしても、ボリューム増やしても、あのガテンな人達は、あの雰囲気の店は「入りづらい」。
港区とか渋谷区とかなら、この手の「イシキタカイお店」は「地域に馴染んでいる」が、
豊島区という立地だと、「イシキタカイお店」は「地域から浮いている」んだよね。
メゾン青樹のコンセプトは「街づくり」で、都電テーブルはメゾン青樹オーナー肝いり案件。
★突き詰めれば、フェイスブック的文化が似合うのは渋谷区とか目黒区であり、豊島区には似合わないということ。
豊島区でも、ラーメン店は単価1000円でも客はワンサカ来る。だから、「値段の問題ではない」
これ、サンシャインに新コンセプト店「リンガール」を出店して、見事にズッコケタ、リンガーハットと同じ失敗だよね
★「私たち、フェイスブックしてま~す」な店って、(遠くに住んでる)フェイスブックの友人100人を来店させる動機にはなるが、
フェイスブックをしない周辺地域住民10000人にとっては、「なんか、お高くとまっていて、入りづらい」と思われてしまうだけ。
日本におけるフェイスブックの普及状況って、丁度「イシキタカイ系」と「イシキタカくない系」の境目あたりだからなあ。
フェイスブックが「イシキの高さのアイコン」の役割を果してる現状では、フェイスブック普及率の低いエリアで、「フェイスブックしてま~す」な店を開店しても、地元民の反感買う
フェイスブック系のお店を、フェイスブック文化が根付いてないエリアで開店しても、最初のうちは「御祝儀」で遠くのフェイスブック友人が来店してくれるから、
「ああ、順調な滑り出しだ」と錯覚する。
でも、遠くのフェイスブック友人は、次第に来店しなくなり、閑古鳥が鳴くようになる
★だから、飲食店を「継続」させるには、フェイスブックに頼らずに、地道に地元に根付いた、泥臭い営業をするのが、急がば回れで近道だと思う。
「都電テーブル」は、そのような地元どさ回り営業を、キチンとやったのか?
★これって、単に飲食店だけの話じゃない。
いわゆる「街おこし、地域おこし」も、電通崩れなエセコンサルタントの作文に乗っかって、フェイスブックで完結するようなエセプランに終わってるようでは、早晩行き詰まる
★辛口なエントリ書いているのは、逆に言えば、メゾン青樹の青木氏や都電テーブルに「期待」してるからなんです。
期待してるからこそ、安易にフェイスブックワールドの殻に閉じ籠るのではなく、ガテンな人も含めた地元民を「巻き込んで」欲しい。
もともと都電テーブルは、子連れママの行き場所確保を目的としている、と聞いている。
その志は良いのだから、「子連れママと、ガテンなオジサンとの交流」という高い目標にチャレンジして欲しい。
今のままだと、自分みたいなオジサンは、気後れして、入店したくても入店できない
「これを機に、イシキタカイ系の人達が、目黒区辺りから豊島区、あわよくば自分のマンションに引っ越して来てくれたらもうけもの」ということなんだろうな
★この辺のフェイスブックなお店って、マスター側もお客側も、トシでも40歳台、まあ普通は30歳台が殆ど。
もちろん知的財産権についてなどの座学も受けて
卒業して、デザイン事務所に入って、その後フリーで仕事してるような人間です。
「オリンピックエンブレムがパクリかどうか」について触れます。
「好きかどうか」「良いか悪いか」じゃないですよ。
「まあパクリではないだろう」というところです。
「丸と四角と三角をTの形にいい感じに並べて、さらに日の丸を強調した」
まあそんな話はよくあることだという印象です。
もう少し詳しい背景を説明していきます。読み飛ばしても良いです。
オリンピックのロゴを含む、「大企業のロゴ」や「国家事業のマーク」といった、
公共性の高い団体のロゴのデザインというものは、簡単な図形で作られた抽象的なものが多いです。
理由は色々あるけれど、「万人に受け入れられるものであるべき」というところは大きいんじゃないでしょうか。
女性向けでも男性向けでもなく、大人向けでも子供向けでもない、そういう物を作らなくてはならないので、
そうはいっても、
近年のオリンピックロゴというのは、自由曲線で書かれた具体的な物が多かった。
ロンドン五輪なんか
「夜中にヤンキーが高架下の壁にスプレーで書いてるアレ」を元にしてて。
それを「超クールだぜ!」って思う層もいれば、「伝統を冒涜している、ありえない」と思う層もいて。
振り返られる伝説、「亀倉氏の東京オリンピックのロゴ」はその具体的なものと比べて非常に抽象的。
これを嫌いだって言う人はそういない。だって「丸が嫌い」だなんて人は居ないもん。
「オリンピックのロゴを作りましょう」なんて話になったら、真っ先に思い浮かぶのがあのロゴ。
「最近は具体的なロゴの流れが来ているけれど、果たしてそれで良いのか?」
「亀倉氏のロゴのように、シンプルで迫力があって、それでいて繊細でモダンで…」
というイメージは、デザイナーだったら選択肢には上がったのではないでしょうか。
伝統的なフォント「Didot」はとても美しいから、その形をモチーフにしよう、と考えて。
その特徴的なセリフ(Tの左右の飾りの部分)の曲線を見て、
これは円を内包しているようにも見えないだろうかと気付いて、
それを強調するためには、セリフの片方を右下におろせばいいのでは?なんて試して。
それだとTに見えないし、そうだ、ここに日の丸を置くことで、左胸の心臓(正面から見たら右側)を表せるのでは…
とか言って作っていったんじゃないかと想像が付くわけですね。
佐野氏や委員会や著作権法が述べる「オリジナリティ」は、この過程にあるわけです。
Tの形に丸や四角を並べただけで著作権に引っかかってちゃ抽象的なロゴなんか全部パクリなんです。
それじゃ困るし、実際「たまたま似ちゃった」ってことは頻発してるので、法的には許されてるんです。
ちなみに商標権的には「たまたま」でも法に引っかかるんですけど、
さて、以上がオリンピックのロゴが「パクリではない」「問題ない」
あとは佐野氏の人柄が「パクるような人じゃない」とか、そういうのもありますが、
私は末端の人間なので佐野氏の人柄については存じ上げませんし、なんとも。
じゃなくて
だと問題が発生するんですよ。
「フランスパンの写真を自分で撮って配置したらたまたま似ちゃった」
無関係の個人がブログに上げてたフランスパンの写真と完全に一致しちゃってるわけです。
これはもう言い逃れはできない。
誰がどう考えたってその写真パクってデザインに貼り付けただけなんです。大問題です。
世の皆様が思っているほどクリエイティブでオリジナリティ溢れる職業じゃないんです。
広告に書いてあるお洒落な文面もデザイナーが考えてるとは限らないし、
端的に言えば「考える事」と「コミュニケーション」です。
お客さんに還元できるかんじの、夏っぽい企画を考えてくれ、って仕事が入ったとしましょう。
夏っぽいってなんだろう。
プール。水着。サングラスにビーチ。フランスパンとかおしゃれかも。女の人は鳥なんかも好きだよね。
そういうのでノベルティを作って…せっかくなら使えるものにしたいよね。
そんな柄のおしゃれなトートバックを大量に作るってどうだろうか。
「こんな企画どうでしょう、話題になるとおもうんですよね!」なんて言って。
さて企画が通ったぞと。予算も決まって、デザインの開始だ、と。
フランスパンをなんとなくおしゃれに見せるためには、
斜めに置いたらいいんじゃないか?とか、はみ出したらいいんじゃないか、とか、
じゃあ色は何色がいいんだろうか、とか、
大きさはどんなもんだろうか、とか、たくさんのことを考えて…
「予算◯◯◯円でベージュの帆布の生地を探して、業者と話つけといてね。
デザインはスケッチ描いといたから、それっぽい絵や写真を用意して×日までに作っておいて。」
あとはその×日に全作品をチェックして、「これはOK」「これは駄目、やりなおし」ってスタッフに伝えて。
数日後に出来上がった全てをクライアントのところ(サントリー)に持って行って、
完全に想像なので、実際にはもっとはじめの方からスタッフ任せかもしれませんし、
もうちょっとだけ手を動かしてるかもしれません。
つまるところ、
クライアントから依頼を受けて、細かく企画を考えてプレゼンして。
テーマに合わせてパーツを選んで、いいかんじに組み合わせて素敵な作品に仕立てる。
実際に手を動かしてる写真家やイラストレーターの方々であって、デザイナーはそれほどでもありません。
もちろん自分で絵を描いたり写真を撮ったりするデザイナーさんも居ますが、
かならずしも自分の絵や写真が、作りたいものにマッチするとは限りません。
(アニメっぽいイラストしか描けないデザイナーさんにリアルな画風のシリアスな仕事が来ても描けないし)
そういう時には他のイラストレーター・写真家を探して外注します。
車を作るメーカーと、そのパーツを作る下請け会社の関係、みたいな感じ?
パーツは自社で作ってないけど、それをいい感じに組み上げる技術は持ってる、みたいな。
その技術を活用するのが「車を作るメーカー」であったり「デザイナー」であったりするわけですね。
で、佐野氏の話に戻るけど
そういうわけで、
パクったのは佐野氏じゃなくて(本人の言う通り)事務所のスタッフだと思うんですよね。
「こういうレイアウトでフランスパンのいい感じの写真配置して」
って言われたスタッフが楽をして、ネットからフランスパンの写真を探してきて配置したんでしょう。
とまあ、特筆したわけですが、だからといって佐野氏が悪くないわけでは全く無いです。
・「佐野デザイン」って銘打ってるんだからスタッフのせいだろうと責任は佐野氏にある。
というのがよく聞く話で、それはもちろんのこと。
という部分も気になります。
実際にフランスパンや看板を用意して写真を撮ったり絵に描いたりするのでは、
フランスパンや看板を買うお金だって必要です。数百円かもしれませんが。
その差に誰も気づかなかったんでしょうか。
フランスパンの領収書貰ってないけど、どうやってこの写真撮ったの?とか。
出来上がりがやけに早かったけど、この絵はいつ描いたの?とか。
素材をちゃんと自分で用意していれば、
イラストを外注したりパンを用意したりした分の経費が出るはずなんですよね。
写真をパクったスタッフは、果たしてホントにパクリたくてパクったんでしょうか。
さすがにデザイン事務所で働いてる人が「ネットから勝手に写真を持ってきても良い」とは思ってないでしょう。
佐野氏はオリンピックのエンブレムを作る程には大御所ですし、クライアントも大きなところですから、
写真を購入する程の予算がどうしても捻出できない、とは考えられません。
でも、写真は購入していない。させてもらえなかったのか、スタッフ自身の判断かはわかりませんが。
でも自分で撮影するにはスケジュール的に無理があって。でもなんとかしなきゃ怒られる。
うーーーーん仕方ない、どうせバレないだろう。適当な写真を勝手に使ってしまおう。
という流れすら透けて見えるのです。
スタッフがどうしようもないクズで、時間があったのにやらなかったとか経費をくすねたとかいう可能性もありますし、
事実だったとしてもスタッフが悪くないわけではないです。罪になりますからね。
デザイン業界というものは、おしゃれに見えて、わりかし体育会です。
初任給は額面で15万〜20万ぐらい。手取りは13万とか15万とか。
多くの事務所が関東にありますが、住宅手当も寮もないから家賃で給料の半分以上が飛んでいきます。
少人数で回している事務所では、そもそもそういうシステム自体が無かったりもします。
もちろんそうでない事務所もあるんでしょうが、そういう話はよく聞きます。
なんでそうなっちゃうかって、代理店の仕業だったりクライアントの事情だったり色々な理由があるんですが。
結論として。
HH堂やD通はやっぱ噂通りにしんどい(色んな意味で)場所なんだろうなとも思いました。
佐野氏だけじゃなくて、デザイン業界全体の闇?みたいなものを再認識した一件でした。
まあ書くまでもなかろうと思ってましたが、
とは言ってません。
むしろ、
ぐらいの話のつもりです。
ただそこで、
とか言う論調になるのに疑問を覚えただけであって。
私としてはまず「佐野氏の事務所のスタッフの管理はどうなってるんだ」と思ったし、
でも、自分の知ってるデザイン事務所を思い起こせば、どこもそんな管理体制だったわけで
(上は下の仕事に文句付けるだけだし、下がまともに仕事をするためのロクな環境は整ってないし)
そうやって考えたときに、「佐野氏以前にデザイン業界の業務体制自体がクソだ」という結論に至った、ということです。
デザイン業界の横のつながりって「仲が良い」「飲み仲間」「一緒に展覧会した」みたいなレベルの話で、
業務自体は基本的に、1クライアントに対して1デザイン事務所なので、自浄作用とかあんまり期待できない。
クライアントに対してのプレゼンが誠実で説得力があれば、クライアントからはスタッフの給料とか実務時間とか見えないし。
「デザイン業界」っていうのに明確なヒエラルキーがあるわけでもないので、
「デザイン業界が佐野氏を罰するべき」とか無理無理。佐野氏に上司なんかいないし。
せいぜい「昔の同僚と飲んだらもっとちゃんとしろって叱られた」とかそのぐらい。
クライアント側がこれから先佐野氏に仕事を発注するか否か。それだけ。
最初に述べた通り、自分はフリーで細々と働いているわけだから、こういう話は蚊帳の外。
昔から気にはなっていたのだけど、アミューズメント館は1Fを中国からの観光客に人気のドラッグストア系の品揃えにしたり、アキバソフマップ1号店(旧ヤマギワソフト)も商品構成こそ変わらずとも揃ってフロアに TAX FREE の表記を追加したりして、アニメ・ゲームファンよりも一般の外国人観光客向けの免税店色をより色濃く出すようになって、大丈夫かなとさらに思うようになった。何がってこの2店舗でのアダルト商品の露出具合ですよ。
中央通りに面する小エリアに、仕切りも何もなしでエロゲも含む予約コーナーが相変わらず鎮座。特にアミューズメント館は、駅に近いし、近隣は悪評高い観光バスのドロップオフポイントに利用されやすいため(Akky等の免税店が集中してるし)、良くも悪くもアニメ/ゲーム目的でなく、店舗に関する事前知識がない観光客が比較的多そうで、しかも結構屯する。ちなみにアキバソフマップ1号店の1Fへ下りエスカレーターで降りてきたところも眼前にエロゲ予約エリアがお出ましする。
18禁ゾーンの警告が天井からの垂れ幕やエレベーター等のフロアガイドにちょこんと書いてあるだけ。一部は日本語のみだったりさえする。間違ったと回れ右しようとしても、アキバソフマップはフロア全体が18禁で、仕切りなどで区切られておらず、エスカレーターで上がってしまうとエロエリアを突っ切らないと離脱することさえままならない。エレベーターで上がっても、カーテン等の仕切りもなしにドアが開いた瞬間から肌色の世界。アミューズメント館5F以上は昔から普通のPCゲーム等を買おうと思っても18禁と共通のレジを利用しないといけない。また階段を利用して降りようとすると桃色の世界へもれなくご招待。
別にアダルト商品を扱うなといっているわけじゃなくて(むしろエロゲを購入できる場を維持したいものの気持ちとして)、エロゲの予約エリアは1Fから移動するか、最低限カーテン等で仕切る。店舗内においては取り扱い商品のゾーニングをしっかりし、アダルトエリアはその旨の予告を今よりももっとはっきりとしてほしいなぁと思ってる。フロア内の完全な仕切りと離脱ルートの設置もほんとはあった方がいいんだろうけど…どちらも厳しいよね。つっこまれたらアウトそうな店は他もあるけど、表通りにおいてそれなりの間口の広い店が、従来のアニメ・ゲームのみを脱却して一般小売店らしさを打ち出し、そういうものをほとんど想定していない顧客層を呼び込むつもりならよりガードを強くする必要があるんじゃなかろうか、と。過去に古川電気やメッセサンオーVもろとも目をつけられた話とかあったしねぇ。調べたらちょうど10年前ですか。(参考: http://blog.livedoor.jp/geek/archives/22442961.html )
ならわたしだって!と思って作ることにした
絵の描けないわたしがお小遣いを稼げたそんな備忘録と宣伝的なエントリー^^
【1日目!】
LINEスタンプについて調べた
どうやら40個も絵を書かないといけないらしい
40個!
めんどくさい!
やめることにした
【2日目!】
もう少しがんばってみよう
広告代理店で働くわたしは絵は描けないけどイラレでレイアウト組んだりはしてる
1個作るのに2時間くらい掛かった
やめることにした
【3日目】
もう少しがんばってみよう
わたしはたまにフォトショで切り抜きのお手伝いもする
半日で3個くらい作れた
【4日目!】
趣味で集めてた仮面ライダーのフィギュアにポーズをとらせてみる
腕がとれた
3Dのキャラクターに好きなポーズを取らせて書き出すことができる!
なにこれすごい!
【5日目!】
【6日目!】
ちゃんと仕事して早めに帰る
ついに40個の絵が完成した
【7日目!】
審査に提出!
【その後】
twitterとfacebookとかで宣伝したけど効果はなかった
1番効果あったのは友達に一斉に配って一斉に買ってもらったことかな
すこしの間だけ上に表示されてちょっと売れた
【総括】
爆発的には売れなかったけど自分が作ったものが世に出たのは嬉しかった!
友達が売れたのはバイラル効果とかバスるとかそういう要素が強かったみたい
というわけでこのエントリーを描いてみました
【作ったスタンプ】
業界側から言うと、アニメーターって個人が浮かび上がってこないので感謝を向けづらいってのはあるんだよ。
声優や脚本や委員会や原作者からの視点だと、アニメーターさんは制作会社のしたについていてふわっとしたクラウド的なイメージにしかならない(そういうお付き合いしかできない)。打ち上げなんかでも呼ばれるのは(大規模打ち上げであっても)制作会社の撮影さんとかキャラデザさんとか、ごくまれな事情でアニメーターさんが呼ばれるにしても最終回スタッフだけとかだ。
またこちら側の視点で「第n話の作画がよかった」って話があったとしてもそれはアニメーターさんがよかったのか原画家さんがよかったのかレイアウトががんばったのか演出という名の助監督が血尿して個人的にフル修正かけたのか、結果のフィルムからはわかりにくい。二重数分の尺や枚数の中に、個人の奮闘が隠れてしまうんだよ。そして、個人を認識できていないのに、ふわっとした感謝を向けるのも筋が違うだろうし、何より不誠実だと思ってしまう(当のアニメーターさんはそんなこと思ってないかもしれないが)。
もちろん、すごい奮闘や激戦はある。アニメーターさん個人にも様々な思いがある。進行さんと飲みに行けば、そういうエピソードをうっすら聞くことはできる。n話のどこそこのカット、女の子が走り回るところはAさんがやってくれた。Aさんは売れっ子であちこちで引っ張りだこなのに、この作品のあの娘が好きだからというのでものすごく難しいカットなのに素晴らしい速度でやってくれた。Bさんは最近ほかの番組では作画監督までやってるのに、あのカットだけは動画で参加だからどのコマを止めてみても表情が全く崩れてないんだ。すごすぎる。ビルが爆発するシーンの煙、Cさんがやってくれた。Cさんは大ベテランだからロボットでモノ壊すの本当に得意。あれは匠の技だよね。Dくんは今回かなりのカット数をやってくれた。Aパート数人で回したんじゃないか? D君はまだ若手で正直絵が崩れるときはあるけどあれだけこなしてくれる人がいなかったら正直間に合わなかったんだ。などなど。
自分は進行ではないし制作会社の人間ではないのでそれが本当にそのままの話なのかどうかははっきり判断はつかないが、あんな納期の中で深夜のV編直前まで大激戦やってるんだから、どれもそれなりの真実は含まれていると思うし、感謝する。流し見されてしまうカットの一個一個が、手書きした人にとっては一生モノの記憶なのもわかる。
でも個人として立ち上がってこないし、たとえば番組Aの第n話のすべてのカットとメーターさんの対応表なんてものが発表されない理由もわかる。パンドラの箱だもの。だから、公の場所で個人名を挙げた感謝はなかなか難しい。ふわっとした「制作会社の方も死に物狂いで頑張ってくれました、感謝してます」なんて表現になってしまう。たぶん、メーターさんを本当の意味で評価できるのって進行さんや同職くらいじゃないかな。
でもだからと言って感謝がないわけではない。のでここで小さく書きました。いつもありがとうございます。ちゃんと放映されました。どのカットも穴が開くほど見ています。本当に感謝です。
以前に、新国立競技場と同じように国の要請でデザインをコンペにかけて、結果外国人がデザインして建てられたビルで何年か仕事をしたことがある。
確かに外見は当時としては先鋭的なものだったらしいけど、とにかく内部が使いにくくて、何と言っても狭い。
曲線を多用するあまり使えるスペースが全然ないし、オフィス内のレイアウトも曲線を前提に考えなきゃいけないので、部屋のカタチにも制約を受けた。
単純なオフィスビルとしてはシンプルな直方体のビルの方がいいよね、とみんなが言っていた。
著名な建築家やデザイナーによって建てられた、なんて価値は建築後数年経ったらみんな忘れてしまうのに、ビルはむこう何十年も使わなければならない。
まだネットが一般家庭に浸透する前の話。
こまごましたところまで遊び尽くす派だったんだけど
攻略情報の充実はもちろん、公式ならではの安定感のあるキャラ画像使いもよかったし、
適度にゆとりのあるレイアウトとかデザイン的にも洗練されていて
子供心にいい本だなー、こういう本作れたらいいなーって感動したもんだ。
ほかの出版社の攻略本なんか、ステージ構成とかキャラの挿絵とかへったくそな手書きだったからね。
なかでもスーファミマリカーの攻略本はかなりお気に入りだった。
なぜか大人っぽい作りになってて、コース情報も淡々と紹介する感じで媚びてない。
しかもコースのイメージ写真みたいのがさりげなく配置されてるんだけど
それもなんかカッコイイ。「おばけ沼」なのにカッコイイ実画像とセンス良く両立させちゃうんだよ。
特によかったのが攻略情報の合間にちょこちょこ入ってくるアメコミみたいので、最高にクールだったんだよ。
巻末に用語集もあった気がする。そういうニヤリとするコーナー設けるセンスも好きだったなあ。
追記
http://mariofanvaro.blog.fc2.com/blog-entry-24.html
ここに画像あった。また読みたいなあ、どこいっちゃったんだろ。