はてなキーワード: レイアウトとは
まっつね(中原芽衣)のブログは一時期(2011~2013ごろ?)大分流行したけど、
あれがアニメカテゴリのはてダ、はてブではテンプレになった感がある。
すなわち、問題の中身(内容)に対してダイレクトな見方;登場人物の感情の機微や状況の変化から物語というもの解釈する、のではなく、俯瞰的な見方;レイアウトがどうなっていて(富野本からの上手下手の話など)、もしくはメタフィジカルな目線(これまでのスタッフのやり方、手法とか)からどうなっているか、という点から物語を解釈する、という方法。前者は帰納的な見方といえ、後者は演繹的といえる。後者に絞って考えよう。
後者は定義ありきである。すなわち、「レイアウトがこの状態であれば、キャラ同士の優位性は変化しない」みたいなカミシモ信仰を元に物語を考えていくのだから、いくぶん柔軟性にかける。客観的に物語を解釈しているというよりは、定義に従って解釈している。演繹から導かれる解釈は、違いがなく、またスタッフから解釈することもさほど異ならない(そもそもクリエイターは常に同じ手法で描くわけではなく、変化しているのだから、作っている人間から何か物語を解釈しようとすることは変なのだ)。つまるところ、(彼らは否定するだろうが)一般論になってしまう。基本的に評論というものは一般論に対しての反論であるのに対し、まっつねとそのチルドレンたちは、演繹的な解釈をすることによって、”間違いではないが、反論になっていない(一般論をなぞった)”意見を乱発させている。だから、無個性の文章が増え、面白くないのだな。そう思った。
…という気持ちではいる。気持ちの上では。立場の上ではどうなるか分からないが。
部室長級の記事で、何がしたいかよく分からない原稿400字ほどが急に降ってきた。
既存のコーナーでなんとか許容できるかなっていう場所があったのでそこに入れようとしたら、
連載にするから新しくコーナー作れと。今でもぎっちぎちの裏表紙にスペース開けろとご指定。
いやいやだって、印刷物だから誌面には限りがあるんだよ!文字小さくしたら済むとかいう問題じゃないんだって!というか、ページ毎に趣旨も違うんだって!デザインとかレイアウトとかの問題だってあるの分かるでしょ、やってたんだから。
そもそも、タイトルなし、掲載目的不明(本人も曖昧らしい)、名前も顔写真も載せるな、ってそれを社内報でやること自体無謀すぎるでしょ。
社員の役に立つとか、そういう意図で社内報は作るべきってアナタ言ってたじゃないの。
それなのに自分でもどうしたいか不明っぽいものを持ってくるとは何事か。
これ、どうにか希望通りの場所にねじ込んで、今仮に入れてるスペースにも新しく記事入れ込んで尻拭いして、
ってどうにかやりくりしてやれよって思われるんだろうか。
こちらとしても大事な寄稿、尊重はしたい。というかどうにか不自然にならないように入れたいとは思っている。でもその場所にこだわる主張には誰も納得できていない。納得できる理由がない。
15,000もの小説が投稿された、新星Web小説投稿サイト――カクヨム!
開設と同時に、総額700万もの賞金が与えられるコンテストが行われ、幾多の物語がしのぎを削る!
その難攻不落のトップの座をついに落とした作品が、この超名作だ!!
https://kakuyomu.jp/works/1177354054880427843
嘘だと思うなら、ぜひ実際にご一読を!!
★★★
オレオは、本当に超大作なんです。
当初から指摘されていた問題に形だけの対応しかせず、ブログ・twitterの更新もほとんどなく、
レイアウトのせいでトップ5が固定化される問題や、複数アカウントでの評価操作疑惑も放置。
そんなカクヨムの行き詰まった現状に、変革を求める人々の希望が詰まった作品、それこそがこの『オレオ』なのです!
この人、自分の給与明細を部分的にしか公開してないつもりなんだろうけど
http://cild.hatenablog.com/entry/2016/03/11/092621 (魚拓 ttp://megalodon.jp/2016-0311-1050-53/cild.hatenablog.com/entry/2016/03/11/092621 )
この給与明細のテンプレ、知り合いが勤めてる会社の給与明細とレイアウトが全く一緒なんだよなぁ
だいぶ前に「みてよこの給料の安さ!上場してるはずなのに!」みたいな感じで見せてくれて、確かに安いなぁ乗り換え案内やってる会社ってそんなに安いのかと思ってたけど
日案(今日はこんなことして過ごすよ!)
振り返りの書類(イベント、成功したかな?反省点を書き連ねるよ)
電話(もしも怪我してたら大変だしね)
保育(いちばん基本だよね!)
連絡帳記入(もちろん手書き!心をこめてね)
3歳なら限界25人責任もって親も子供も全員に平等に接しないといけない。
最近の求人もアルバイトと変わらない、じゃあやらないよね。こんな寝不足上等、命預かる責任重大な仕事だし。
保育科の友達は10人に1人続けてればいい方。ほかの子は他に資格取ったりしてる。
厚生労働省さん、文部科学省の幼稚園担当者さん、これが現実です。
認定こども園や小規模保育園、間違ってはいないけれど、小規模園は微妙じゃない?ギュウギュウでわが子がしんどそうだったよ。的外れだよー><
保育士の取り合いはいいけど、900円で責任を負えないよ。政令指定都市でこの時給、コンビニと変わらないよ?
ピアノだって、体操だって、実習だって本当に厳しかったし理不尽に感じたけど頑張ったよ。
子供の笑顔に触れるなんてほんの数時間。あとは胃が痛くなる時間。
待機児童がー、って言ってるなら財源下に回してよ。
壁面とかもっと楽にさせてよ。
物語シリーズで有名な西尾維新の原作を、シュタインズゲートなどで知られるWHITE FOXがアニメ化。
刀を使わない剣術、「虚刀流」の七代目当主である鑢七花が、幕府の命を受けた奇策士とがめと共に12本の「変体刀」を集める旅に出るというストーリー。
最初の放映された時は月に一回というアニメ史上でも珍しい放送形態だった。
それだけ時間をかけていることもあってか激しいアクションもハードなシナリオも丁寧な作り。
個性豊かな変体刀とその所有者や、愛すべき噛ませ役の真庭忍軍などのキャラクターも魅力的。
和柄のような画面も鮮やかで美しい。
個人的に西尾維新やライトノベルはあまり好きではないが、これは楽しく見れたので、そういう人にもおすすめしたい。
原作は劇団☆新感線による日本の演劇作品。作はアニメではグレンラガンのシリーズ構成などで知られる中島かずき。
アニメの制作はマッドハウスで、監督はハガレン一期やガンダム00の水島清二。
しかし圧政の中でも大きな夢を見る力強い庶民の人情物語であり、そういう意味では通ずるところもあるかも。
江戸時代、天保の改革によって質素倹約を強いられる中、もう一度でっかい花火をあげることを夢見る花火職人の玉屋清吉が、
宇宙からやってきた謎の少女ソラに依頼され長屋の仲間と協力して月まで届くロケットを作る……という物語。
基本的にコメディなノリで、江戸時代にはあり得ないような物や、パロディやメタネタも多々登場するが、江戸の生活の細かいところは妙に忠実な描写がでてきたりする。
みなもと太郎、椎名高志、竹田団吾などが手がけた、大分絵柄の違うキャラクターが一同に画面に登場するのも面白い、
昨年倒産したマングローブ制作のオリジナルアニメ。監督はカウボーイビバップなどの渡辺信一郎。
向日葵の匂いのする侍を探すフウが、粗暴な琉球出身の剣士ムゲンと、クールで謎多き流浪の剣士ジンと共に、その侍を探す旅に出る話。
舞台は江戸時代だが若者言葉やヒップホップカルチャーが「チャンプルー(混ぜこぜ)」になった独特の世界観。
基本的に一話完結で、余韻の残るほろ苦いストーリーが魅力。一方大麻回や野球回などのバカバカしい話も面白い。
刀語もそうだが、時代劇であると共にロードムービー的な面白さもある。
言わずと知れた忍たまの劇場版。監督は「おまえうまそうだな」や「トライブクルクル」の監督であり、アニメーターとしても有名な藤森雅也。
おなじみ忍術学園の面々が、戦に挟まれ危機に瀕する村を助けると言うあらすじ。
おなじみと書いたが自分が忍たまを見ていた頃より大分キャラが増えており、大半は知らない連中だったが、関係なく楽しく見れた。
子供向けアニメで時代劇映画の名作と言えばクレヨンしんちゃんのアッパレ! 戦国大合戦があるが、戦の描写はあれに迫るリアリティがある。
特に戦の背後にある政治、情報戦の描写は忍者の名に恥じないガチっぷりである。
ふわっとした正義や愛でなく、生活と権利を守る為の戦であったり、乱太郎が集団の中で自分の役割を見つける物語であったり、お子の情操教育にもよろしいのではなかろうか。
この組み合わせで仕事として本をまるごと一冊書いている人間としての感想。
iPad mini 4 16GB + Magic Keyboardの組み合わせでMacbook Air最安モデルの約半額で、macの快適なキーボードを使って高速で仕事ができ、電源がない場所でも一日中問題ない。
iPadは消費電力がPCより少ないので、スマホ用のモバイルバッテリを持ち歩けば、24時間電源なしでいける。
実感として、iOSが仕事に使えないというのは、すでに過去の話になっている。(追記:ものを書くという仕事に関して使える/使えないを議論している旨をタイトルで表明している。他の業種については論じていない)
勤務先の事情によりつねにフルWindowsを使わなければならないという制限が外せる人は、重いノートpcとACアダプタをバタバタ持ち歩いたり、最近たくさん出始めている格安windows10タブレットにキーボードカバーやらをつけて、安っぽいキーボードの打ちにくさを我慢しながら使う必要はもはやないと思う。
現在の組み合わせにたどり着く前に、Macbook Air、Windowsノート、Windowsタブレット、Androidタブレット、Chromebook、Pomera DM100を買って使ってみたが、常に以下のいずれかの点で問題があった。
・携帯性と重さ
・キーボードの快適さ
・オフライン環境での使用(Chromebookは速くて快適だが、オフライン環境で起動するとログインすらできない)
・原稿へのスタイル適用(章タイトル・見出しのフォント変更、ルビ振り、レイアウト指定等)
特にキーボードの選択は、一日8時間以上タイピングを続ける人間にとっては致命的であった。現在出回っているMicrosoftのモバイルキーボードはAmazon等での評価が高かったので全種類試してみたが、打鍵の快適さはMagic Keyboardに比べると、どれも3万円前後の格安Windowsタブレットについてくるキーボードと変わりない。
携帯性と重さという点では、最初のうちはMacbook Airに満足していたが、やはりこの機械の独特のゴツゴツ感と肌触りの冷たさには最後まで抵抗があった。また、あのアダプタをつねに持ち歩くと、けっこうかさばるのである(あのアダプタの華奢な感じが携帯時に与える不安は、Macbook Airをずっと持ち歩いている人ならわかってくれるだろう)。
iPad miniの分解できるアダプタ&ケーブルは、カバンに入れるときに大きな安心感を与える。また、旅行中以外はそれすら持ち歩く必要がないことにあとで気づいた。
iPad mini 4 16GB + Magic Keyboardで約530g、好みのケースを付けて600 - 650g 、
テキスト入力メインでの動作時間が体感で約8〜9時間といったところだ。
一方、最近話題になったキングジムの小さなpcポータブック XMC10は、本体重量が約830g、
動作時間は約5時間。本日付での価格.comの最安値は約9万円。
Surfaceをはじめとして、携帯性を重視したWindows機を最近各社がこぞって出しているが、サクサク動くスペックにして15 - 20万の価格帯を考えるとどれもライトユーザーにとっては高嶺の花だという感じがする。フルwindowsで1kg以下というのは、現時点でそんなに高い付加価値なのだろうか。
追記:
そういう評判をネットで読んでChromebookを購入して使ってましたが、オフライン環境で電源OFFから立ち上げるとゲストユーザーとしてしか使えず、いろいろ制限が多すぎて面倒なので結局売ってしまいました。(再追記:映像ありがとうございます。去年秋頃までAsus C200MAを使っていて、何回やってもオフライン環境では自分のアカウントでログインできなかったんですが、その後アップデートで改善されたという理解でよいのでしょうか。ちなみに、このエントリの著者です→http://anond.hatelabo.jp/20150927211800)
Google日本語入力はとてもよいと思いますが、問題は別の言語(欧文)との入力を組み合わせる場合です。Android端末と共通の問題ですが、特定言語(欧文)に特有でしかも頻繁に使う引用記号などがChromebookでは瞬時に打てません。OS全体の言語設定を変えても無理でした。多言語処理が一番まともにできるのがmacとiOSという消極的な理由で現在の選択肢に落ち着いています。
iPad miniのバッテリ残量:38%
自分の場合は、特定の仕事に必要な条件を列挙していって、あとのことには目をつぶったら消去法でこの組み合わせになった。最初はiPad miniなんて割高な情弱向けの端末だと思って、見向きもしなかったが、いろいろ試してみて結局現時点でこれが残った感じか。
出先であれもこれもやる必要がありそうだと考えて、「全部入り」を選択するとフルwindowsのノートになるんじゃないか。
その場合でも、価格/重量/バッテリー持続時間/キーボードやタッチバッドの使いやすさ等で、トレードオフがある。
あらゆるシーンでフルwindowsが必要だという考え方は、仕事に必要なものの明確化ができていないか、心配事が多くて、バッグにいろいろ詰め込みすぎて重くなってしまう事態に似ていると思う。
文章を書く時は横置き。iPad miniだと、縦置きでPagesを使うと字が小さすぎる。Wordのドラフト表示みたいなのができて、プレーンテキストだけじゃなくて、傍線を引いたりスタイル設定できるアプリがあったらそっちに乗り換えて縦置きで書くかも。
Thinkpadのキーボードの使い心地、自分も大好きだけど、やっぱり重量が問題。
歩き回って考える→カフェや図書館で座って書く→歩き回って考える
の繰り返しで書いていくので、バックパックに重いノートpc一式を入れて1日それをやると、背負い紐が肩に食い込んで痛くなってくる。
テーブルが高すぎる施設もけっこうあるので、キーボードだけを膝に置いて打てるのは便利。
タブレットホルダーやらをいちいち立ててセッティングするのが面倒ではある。
帰宅してから古くて大きい方のiPad + Microsoft Universal Mobile Keyboardでこれを書いてみたが、やっぱりこのキーボードは長時間執筆には向いていないと感じる。ちなみにこれは、最近話題だったASUS Transbook T90 CHI のキーボードによく似ていると思うのは自分だけ? まったく使えないほどひどくはないが、どこかおもちゃっぽい。
iPadの日本語入力が完全ではないというのはまったく同意します。ただ、使い続けているとなんとかなってきます。いまのところATOKは買わずに、もともとの日本語入力だけで毎日原稿用紙10枚分書いています。他の人が言われてるほどこの日本語入力は苦痛ではないです。
なぜキーボードにそんなにこだわるのかというと、腱鞘炎が再発しないように気をつけているから。
エディタは無料のPages。UIの好き嫌いで選んでますが、結果的にアイディア出しをやりながら草稿を貯めていく作業にけっこう向いているようです。起動すると文書がカード形式で並び、それまで自分が考えてきたことがおよそ俯瞰できます。Command + Spaceキーでスポットライト機能を出して検索するとpagesファイルは全文検索がかかるので、ipadに入れてある他の資料、複数の草稿の間を行き来しながら納品原稿を仕上げていくイメージです。縦書き状態のチェック等は最後にdocx形式にエクスポートしてノートpcでやります。pagesファイルとdocxファイルの互換性、見た目の再現性等については、校正が入るので基本的には問題になりません。
なぜ電源のない環境にこだわるかというと、自分の場合、歩いて体を動かしているといちばん考えがまとまるので、ある程度まとまって座ったところに電源があるかないかを気にして行動を制限したくないからです。
「多言語処理」で意味するところは、複数の言語に特有な記号や文字組みを同一の文書内で適切に混在させるという程度のことです。
日本語入力を切って半角入力にしただけでは入力しにくい欧文の記号はたくさんあります(アクセント記号、"と違うかたちの引用符、改行できないスペース記号等)。日本語と英語だけを混在させる分にはこれは問題になりませんが、他の欧文を表示させる段階になると問題になってきて、Androidはこういった処理がひどく弱いので実用に耐えませんでした。Windows + Wordで文書を書いている分にはこの問題はクリアされていますが、日本語版のwindowsにたとえばフランスで作られた辞書アプリをインストールすると、文字化けします。OS全体の言語設定をフランス語に変更しても解消されません。一方、同じアプリのmac版は、OSの言語設定に関係なく適切に表示されます。こうした処理をユーザーの側がいちいち気にしないレベルで解決されているのがmacとiOSという消極的な理由で、少々高くてもしょうがなく使うわけです。Androidのキーボード周りがもう少し洗練されてきたら乗り換える可能性もあります。
「ガラスの花と壊す世界」見てきた。
結論から申し上げれば、大ヒットは見込めないんだろうな、という感じ。決して駄作というわけではなく、見ごたえはあったのだけれど。
・キャラクターが非常にかわいく描かれている
・コンピュータ用語を多用した少し入り組んだSF作品。コンピュータ用語使うのは少し寒いというか陳腐というか。
・短い尺なので集中力が切れずに見ることができた。(途中に挿入歌の長いパートがあるが)
・終盤にいろいろと展開がひっくり返ったりまた返ったりとごちゃごちゃするのでついて行くのが大変
さて、この作品、原案はポニーキャニオンが行った「アニメ化大賞」で大賞を勝ち取った「D.backup」という作品。
そして上映時間は67分。おそらくはこのアニメ化大賞という企画において、ようやく取ることができたのが「劇場60分」という短い尺なのだろう。
そして、このアニメ化の企画を引き受けることとなったのがTVアニメ「新世界より」で監督デビューをした石浜真史氏。ポニーキャニオンとは「新世界より」で繋がりがある方。
というわけで、石浜真史氏が劇場アニメを初めて手掛けるということで、彼はいったいどういったアニメーションを作ろうとしたのか、Webや劇場パンフレットに掲載されたインタビューなどを参考にして、浅く簡単に書き連ねる。
(※この文章は筆者の独自の解釈がふんだんに盛り込まれています。)
実は石浜氏は演出経験がそんなに多くはない。元々はアニメーターであり、原画・作画監督やキャラクターデザインの仕事をしていた。90年代から活躍するベテランである。
「かみちゅ!」「NHKにようこそ!」「東京レイヴンズ」「ヤマノススメ セカンドシーズン」など、OP・ED職人としてその演出が評価されているものの、実は本編の演出をし始めたのは最近のことだ。
初めて本編の絵コンテを手掛けたのが初監督作の「新世界より」(2012年)、そして自分の描いた絵コンテを初めて自分で演出したのが「四月は君の嘘」第5話(2014年)と、かなり最近だ。
であるから、この「ガラスの花と壊す世界」を手掛けることでようやく石浜氏は「演出家」を名乗れるようになった感じだ。
原案が存在するものの、はっきりとした原作はなく、さらに原案からかなりアレンジしてもよいという自由な環境の中で、石浜監督は何を描くことにしたのか。
自由という言葉だけでは何もとっかかりが無いので、A-1 Picturesと石浜監督はまず企画の方向性を探らなければならなかった。
そして企画を持ってきたポニーキャニオンのプロデューサーから引き出せたのが「最初のマーケットを男性に絞りたい」「とにかく泣けるものにしたい」というものだった。
これを踏まえたうえで、石浜監督は原案を見て感じ取った「キャラクターの立った物語」「『知識の箱』という世界観」という要素を広げて作品を作ることにした。
結果として、石浜監督がこの作品を作る上で重きに置いたのは「いかにキャラクターをかわいく見せるか」ということだった。
プロデューサーの「リモは絶対に守りたくなる存在にならなければならない」という発言を聞き、これは外せない点であると考えた。
そして、リモをはじめとしたキャラクターの感情を中心に描き、泣ける物語にするという目標を軸に、石浜監督のセンスでさまざまな要素を盛り込んでいくことになった。
劇場パンフレットでも「すべてはリモのため」という旨の発言がある。
リモという存在がデュアルとドロシーにどういった変化をもたらし、この3人の関係がどう変わっていくのか、それを描いたのが「ガラスの花と壊す世界」なのである。
終盤の怒涛の展開も、SF的な入り組んだ設定も、すべてはリモというキャラクターのバックグラウンドを固めるためのものなのだ。
「泣ける物語」にするために固めなけらばならなかった背景のひとつにすぎないのだ。
「新世界より」では壮大なテーマを持った物語を扱った石浜監督だが、今回は少し違った点に重きを置いたことになる。
さて、石浜監督の魅力とはなんだろうか。一言でいえば「オシャレ」なことにあると思う。
独特の感性だとか、常人でない発想とかそういったものとは少し違う意味でのセンスの良さが石浜監督にはある。
そういった意味では、同時に劇場公開されている尾石監督の「傷物語」と対比構造にあるのかもしれない。(尾石達也と石浜真史は専門学校の同期らしい)
何をどう見せればグッとくるかを非常によくわかっている。映像で見せる技術がとても高い人物だ。
今回の作品では全編石浜監督が絵コンテを描いており、とにかくグッとくるカットがひたすら続く。興がそがれるダサいレイアウトが全く無い。
それに加えて、スタッフの人選にもオシャレさが発揮され、何を誰に任せるといいかという判断にも石浜監督のセンスが現れている(今回でいえば世界コンセプトデザインでの六七質さんの起用など)
そして、デザイン全体がすべて意味を持つように映像が構成されるように考えられているのだ。
非常に意地悪な言い方をすれば、リモとの出会いと別れの物語を描いた67分のPVである。
さらにプラスアルファの要素として、石浜監督のフェティシズムがにじみ出た少し艶めかしい人物描写があり、繰り返しの視聴に耐えうる映像に仕上がっていると言えるだろう。
オリジナルの劇場60分という短い尺でキャラクターの感情の動きを描き切るのはかなり無理があるものの、その映像表現力でどうにか補完したような印象である。
結果として、作品として非常にまとまりのあるものとなったものの、映像を見る視聴者の感じ取り方にかなり委ねられたものになっている。
この物語をいかに噛み締め、咀嚼するかは自分次第だということだ。押し付けがましい映画ではないので、気楽に劇場へ足を運んでみてはどうだろうか。
・石浜真史(アニメーション監督)(Rooftop2016年1月号) - インタビュー | Rooftop
・「自由に作れる」ということの難しさ、「ガラスの花と壊す世界」石浜真史監督&プロデューサーインタビュー - GIGAZINE
雑誌を買うなんて数年ぶり。
雑誌が扱うような広くて浅い情報って、ほとんどネットで手に入るじゃない? ネットの普及で一番発行部数落としたのは雑誌。
衝動買いの再発防止と、「ふわぁああああ」となって買ってしまった時の金銭的ダメージを最小化するためにね。
Amazonだけでなく、ヨドバシやセブン-イレブンのECサイトでもポイントが付くのか。
同じポイント割引率なら、Amazonにアドバンテージがあるのかな? ヨドバシとかの10%ポイント還元って、実質9.何なんパーセント引きでしょ?
他にはdマガジンみたいな定額サービスも、再販制の形骸化に拍車をかけているのかな?
Kindle一強だけど、他のサービスも細々とやっている。全然知らないサービスばかりだわ。
DRM前提なら、最後まで生き残りそうなKindle一択。でも、非DRM化すれば関係なしか(合法だけどAmazonの規約には触れる)。
雑誌の固定レイアウトは残念。画像でしょ? 全文検索出来ないんでしょ?
それに大きめのタブレットじゃないと読みにくいよね。
手間、閲覧性、カネ。判断が難しいところ。
液晶に比べて目が疲れにくい点は良いと思う。
二束三文だけど、売れることも利点。
モノとタイミングによりけりだけど、多くは電子版と大差ない価格。
ただ、場所取るよね。
30分くらいググって分かった、雑誌にまつわるサムシングは以上。
選択肢が増えることって良いことのように思えるけど、煩わしい面もある。雑誌一冊買うのに、いちいち頭ひねってたら疲れちゃうよ。
トップページ( http://b.hatena.ne.jp/ )の検索窓がすごく視認しにくい。
パッと目につくのは、今だと「技術ブログを特集中です」って書かれてる、ページ左上の吹き出し。一見検索窓っぽくて紛らわしい。
本物の検索窓があるのはページ右上だけど、枠線がなく、そのうえ背景色が白なのに窓自体の色が薄いグレー。
慣れればいいだろ、と言われるかもしれないが、各エントリ( http://b.hatena.ne.jp/entry/○○○○ )のページでは
「技術ブログを特集中です」と検索窓の配置が、トップページとは逆になっている。
突然過去の投稿が特定エリアの外国人に注目されることがあるのだけどコレは一体どういう仕組みなんだろうか。
同じ場所の他人のポストが注目されているかと言ったらそういう訳でもなさそうだし、
今までそんなに注目浴びてきたものでもないので
タグを付けてもいないのに見つける手段的なものはほとんど無いと思っていたのだが、
どこで目にする機会があって誰が取り上げて紹介したり❤つけたりしてるのかわからない。
本当に突然やってくる。
以前は2-3年前に下北沢のマジックスパイスで撮った写真が華僑系のモデルさん周りでバズっていたようだし、
先日は秋葉原の飲食店で撮ったレバーパテの画像がニューヨークの人にピックアップされてたみたいだし
なんか何処かで画像拾い上げるサービスとか探す仕組みとかあるのなら利用したいのだが
どうやって見つけてくるのか凄く知りたい。
「○年後、○○という業種はコンピュータ(or ロボット)に取って変わられる」という記事を最近よく見かける。
単純労働はそうだろうけどデザインなどのアートの領域に近いものは無理ではないか、と考える人も多そうな話だが、実は自分は割と真っ先に取って代わられるジャンルじゃないかと思っている。
グラフィックデザインはファインアートと違ってかなりの部分を「お約束」、暗黙の約束事に沿った作り方をすることが多いからだ。
例えば自分が仕事でパンフレット・Webなどの仕事を請けた場合、まず行うことは「お手本探し」。
Web検索か画像検索を使い、クライアントの同業者のパンフレット・サイトなどをかなりの数見る。
そしてレイアウトやメニュー構成、配色などの共通要素を考えた上で、クライアントのコーポレートカラーなどに沿って「再構成」していくような流れになる。
つまり、クリエイティビティを求められる部分は実はあまりない。どちらかと言えば技術的な仕事。
大量のサンプルを収集して共通点を割り出し、内容を自動解析するというのはまさに最近のAIが得意とするジャンルだ。
現在は、複数台のカメラで撮った映像を人の判断によってカット割りしている。
でもこれは、発言者が誰かさえはっきりしていれば、顔認識技術と組み合わせて自動化出来てしまうはずだ。
納品する動画がDVD画質で、撮影した動画の画質がフルHDや4Kだった場合、デジタルズームでも画質は荒れない。
発言者の周辺を自動でフレーミングすることすらきっと出来るだろう。
つまり、撮影は「全体を大まかに」取ればいい。カメラもほとんど動かす必要はない。
必要なカメラワークはAIにやらせればいい。そのほうが手ブレも防げる。そんな未来。
「AIが撮影対象物を認識するようになった」というのはそれぐらいとんでもない技術で、これと音声認識を組み合わせれば「人物部分を避けて自動でバラエティ番組的なテロップをつける(声の解析から適切な書体・配色を判断する)」ということも出来てしまうのではないだろうか。
そうなるともう、人間がやることは「AIへの適切な指示」以外に何もない。
一部の(芸術作品に近い)ハイエンドのデザイン以外、デザイナーといえど自動化の流れにきっとは逆らえない。
自分たちが出来ることはせめて「使いこなすこと」だろうなあ、と思う。
放送中のアニメ「ハッカドール THE あにめ~しょん」の第9話にて、監督のげそいくおさんが絵コンテ・演出・作画監督・原画を1人で兼任。その凄まじさがネットで話題になっています。
監督のげそいくおさんは以前、インターネット掲示板“2ちゃんねる”にて「ハッカドールは短いアニメなのだから、下手に他人に任せないで死ぬ気で全部のパートを担当すればいいのに」と書かれたことがあり、1つの担当パートだけでも圧倒的に作業量が多いことから「暗に死ねと言っているよねこれ」と苦言を呈していました。
そこからまさかの絵コンテ・演出・作画監督・原画とかなりの数のポジションを兼任したことで、そのファイティングスピリッツにアニメファンもびっくり。監督が絵コンテか演出を兼任すること自体は珍しくないのですが、ここまで多岐にわたる兼任は滅多にないことから「げそいくお監督を人間国宝にするべきだ」「狂気を感じる天才」など、さまざまな反響が寄せられています。
この間放送された「ハッカドール THE あにめ~しょん」第9話を指しての記事だが、この文章だと色々とミスリードを誘おうとしているように見える。
「何もかもげそいくお監督が1人でやったから凄い」という風に誘導しようとしてる印象を受けたが、実際はどうだっただろうか。
ハッカドール1話分は約8分、その内OPEDの尺を除くと本編は約6分。一人で原画を担当するのも何とか可能な規模だろう。
しかし担当したげそいくお氏はハッカドールの監督自体も兼ねているため、監督業務を考慮した上で考えるとかなりの作業量ではあるだろう。
しかし実際第9話を見てみると、後半はアクションシーンなどもあるが前半はドット絵の画面を用いたり、同じカットを何回も繰り返したりと省力的に済ませられる所は省力的にやっている
http://download1.getuploader.com/g/sakugasure/434/hakka9.jpg
ハッカドールという作品はギャグアニメなので、こういった省力化もギャグの演出として機能するように計算してやっているのが窺える
また、げそいくお氏本人が言ってるように一人原画と言ってもL/O(レイアウト、ラフ原画)までで清書等を含めた第二原画以降は分担作業である。
本日のハッカドール9話 コンテ演出作画監督一人原画(LO)その他諸々なので見てね!— げそいくお (@gesoikuo) 2015, 11月 27
ネット上では動画や仕上げ、背景なども担当している事も取り沙汰されているが、これも結構な人数のうちの1人として数えられる
憶測ではあるが、第9話でげそいくお氏が動仕まで担当したのは、こういう線のタッチを強調した一連のカット↓の事だろう。
http://download1.getuploader.com/g/sakugasure/435/hakka9-2.jpg
これらを鑑みるに、今回げそいくお氏がやった事は「常識外れの脅威的な行動」をしたというよりも「地に足がついた堅実な方法」を取っているように思えた。
様々なセクションに名を連ねていたとしても、それぞれ実現可能な範囲での作業を執り行っているように見える。
それらをしてネット上では「狂気を感じる」を称されているが、世の中にはもっと狂気を感じるぐらい個人が作業を抱え込んだアニメも存在する。
例えば、いまざきいつき氏は「ちょぼらうにょぽみ劇場あいまいみー」1&2期や現在放送中の「不思議なソメラちゃん」において監督・キャラクターデザインと共に脚本・絵コンテ・演出・作画監督・原画を1人※で"全話数"担当している
この2作品は1話の尺数はハッカドールよりも短かく3分弱であるが、全て合わせると30話はゆうに超えるので作業量もプレッシャーも相当なものになるだろう。
※(厳密には、あいまいみー1期は最終回だけ二原に撒いているし、2期やソメラちゃんは最初から第二原画有りきの体制)
竹内哲也氏も「百合星人ナオコサン」で監督・脚本・キャラクターデザイン・絵コンテ・演出・作画監督・原画を全て1人でやっている。こちらは第二原画も無しだ
「ナオコサン」のアニメは2本作られているが両方とも竹内哲也氏である。2本目は30分近くあるにもかかわらずだ。
OP(演出は山下祐)もEDも1人で作画している。カットの内容もアクションありエフェクトあり群衆あり回り込み背景動画もありの超ハードだ。
三原三千夫氏が「カイバ」の第4話で動画まで1人で担当仕切った時は作画オタクの間では騒然としていた。
動画チェックこそは違う人だが、ほとんど他者を介さず三原三千夫氏の絵がそのまま画面上に全編にわたって映し出された事になる。
ただしこれらは特別なスケジュールが組まれ、完成まで半年から1年はかかっているので通常のアニメとの比較では参考にならないかもしれない。
監督のげそいくおさんは以前、インターネット掲示板“2ちゃんねる”にて「ハッカドールは短いアニメなのだから、下手に他人に任せないで死ぬ気で全部のパートを担当すればいいのに」と書かれたことがあり、1つの担当パートだけでも圧倒的に作業量が多いことから「暗に死ねと言っているよねこれ」と苦言を呈していました。
そこからまさかの絵コンテ・演出・作画監督・原画とかなりの数のポジションを兼任したことで、そのファイティングスピリッツにアニメファンもびっくり。
この書き方だと、まるで「全部やればいいのに」という発言を受けてから第9話の1人複数担当が決まったような書きぶりだ。
しかし「暗に死ねと言っているよねこれ」というげそ氏のツイートが投稿されたのは11月15日
暗に死ねって言ってるよねこれ pic.twitter.com/hGiKHhVCHH— げそいくお (@gesoikuo) 2015, 11月 15
そしてハッカドール第9話が放送されたのは11月27日、短編アニメとはいえ幾ら何でも12日で放送まで完パケするのは物理的に無理だろう。そんな"思いつき"のような案がまかり通る状況とも思えない。
だからこれは「1人でやればいいのに」という反応とは無関係に9話の体制は決まっていたと考えるのが自然であろう。ちょっと考えれば当たり前の話であるが。
自分は別に「ハッカドール THE あにめ~しょん」を貶めたいわけじゃない。大したことしてない等とは思っていない。
それどころか今期のアニメでは「ハッカドール」は抜群に面白いと思っている。決してゴージャスなアニメではないが、ジャンクな感じがたまらなく良いと思ってる。
楽に作ってるアニメでも決して無いだろうし、監督以下スタッフが身を削る思いで作られてるのは紛れも無い事実だろう。
放送開始直前の頃は、監督げそいくお氏のツイッターがかなり荒れた内容になっていたし、ニコ生でも制作状況の厳しさ、意思疎通が上手くいかない状態を何度も嘆いていた。
アバウトなアニメに見えても、作ってる方は決してアバウトに作ってるわけではないのだ。
自分がこの記事で一番に疑問に思うのは、執筆したねとらぼの大里ミチルなる記者は本当に物事を解った上で書いてるのか?という事である。
自分はねとらぼの事を、企業が運営するまとめサイトという認識でありはっきり言って悪い印象を持っている。
はちま起稿ややらおん等の悪名高いまとめサイト群と大差ないとすら思っている。
企業運営である分余計質が悪いとすら思っている。(はちまjinややらおんが企業ぐるみで無いとも思ってはいないが。)
ねとらぼは過去にはちま起稿を喧伝するようなインタビュー記事を掲載していたし、つい最近でもその記事を作成した池谷勇人というライターが久保帯人先生を誹謗する意図があるとしか思えない記事を書いた
集英社が“久保帯人先生ネタ”行為に警告 「別人の肖像をあたかも久保帯人先生であるかのように紹介」「悪質な場合には法的措置も」 - ねとらぼ
http://b.hatena.ne.jp/entry/nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1509/04/news145.html
この記事は当初の題名の最後に「あっ……(察し)。」と書かれていた。
「あっ……(察し)。」という言葉を付け加えることで、久保帯人先生を貶める方向に印象付けようとしていたのは明白であり、ユーザーの通報によってタイトルから「あっ……(察し)。」が削られた
これを記者無記名で行ったわけだが、有志によってこの記事の作成者が池谷勇人である事が暴かれた
(察し)とか書くやつ全員死なねえかな、例えばねとらぼとか
そういう所が送り出す記事は常に身構えている。
何よりロクな下調べもせず、適当な事を書き散らすだけの記事は悪だ。
「サブカル、語る」みたいな個人ブログですら槍玉に上げられる昨今、企業運営の所が糞ザルな記事書いてどうすんだと思う。
今回のねとらぼのハッカドールの記事は、はっきり言ってザル記事だ。
「ハッカドール THE あにめ~しょん」の魅力を伝えるわけでもなく、ただ単にネットで目についた話題を適当にちょっぱってコピペで仕上げただけにしか見えなかった。
ましてや「ネットの反応を真に受けて監督は一人演出・作画を敢行した」という嘘のストーリーをでっち上げようとしているのは、作品を持ち上げてる記事だとしても流石に看過できなかった。
追記
あと2ちゃんに反応してから9話作ったわけないからな10;あのツイートしたのって確かもう9話納品してなかったっけ…— げそいくお (@gesoikuo) 2015, 11月 30
枯れた作品がメディアミックスwによってみずみずしく息を吹き返すことで定評ある池井戸せんせーの最新作
「下町ロケット2」はドラマと同時進行で連載が更新される、という画期的な状況
……なんですけど、どーにも読む気になれなくて。という事実を認めようと思います。
理由はかんたん。
朝日新聞の土曜と日曜の朝刊全15段で連載されてるんですが
レイアウトを含めて、これがいかにも「広告局の企画」っぽいんですの(ホメてない)。
うわっ...私の頭、固すぎ...?
新聞の連載小説が文芸作品の発表媒体として意義あった時代は既に終わっている・と思っていたので
広告の体裁で/ドラマ放映に連動させるタイミングで更新していく、というスタイルは
チャレンジングで良いんじゃね。と思っていたのに
文章がまるで頭に入ってこないっていうのはこれ、私ひとりの問題なんですかね。
後追いを生みそうなほどの話題になれていないあたりは、果敢な失敗事例として
すごいなあ。デザインのレイアウトまで含めて綺麗にパクれるもんだ。
http://ashuhokkekoshu.hatenablog.com/entry/2015/11/12/143650
あと、おすすめの本がid:cyberglassのに変わっててちょっとワロタ。