はてなキーワード: スピリチュアルとは
俺の母はスピリチュアル?にハマっている。
確かに昔からちょっと占いが好きみたいな予兆はあったけど、ある時からずっぽりそっちにいってしまった。
そもそも誰がどのような趣味を持とうが信仰を持とうが勝手である。それが例え家族だとしても。
だが俺は一つだけ言いたいことがある。
母よ、どうかスピリチュアルにハマるなら世界観を統一して頂けないだろうか。
熱心に、じいっと、頷きながら見ているそれを、俺は少しだけ遠目に見た。
『挨拶は人と人を魂で結び合わせる愛のメッセージ。挨拶で、相手を愛で包んであげましょう……。』
愛とか魂とか言うフレーズはなんか余計だが、「挨拶は大事です」まで削ぎ落せば何の違和感もなく同意できる内容だった。
俺は母に「ただいま」と声をかけた。
すると母は鬼の形相でこちらを振り返って、大声でこう怒鳴った。
「あんた、ママが今真剣にビデオを見ているのが分からないの!?それなのに話しかけるなんて!邪魔よ!早くあっちにいきなさい!」
えええええーーーーーーー!?
挨拶は魂を結び合わせる愛のメッセージじゃなかったのーーー!?!?!?!?!?
母は今朝もなんかノートパソコンを抱えてそれっぽい動画をみていた。
『人へは優しく声をかけ、愛で包んであげましょう。そうすれば魂は神と天使に祝福され、あなたに幸せを引き寄せることでしょう……。』
言ってること自体はそんなに悪くないんだけどなんかこう、やっぱり言い回しだけが胡散臭い道徳の動画だった。
母は俺を横目にじとっと睨んで、「邪魔だからあっちに行きなさい」「ママを一人にして」「集中しているから話しかけないで」と俺を退ける。
そしてその動画にうんうんと頷き、真剣にメモを取る作業に戻るのだ。
いやあの!!人へは優しく声をかけ愛で包むんじゃなかったの!?そのメモ意味ある!?
消去法でゆりこしかいないとか、泡沫候補しかいないとか言われてるけど
投票前に全候補者が掲載されてる新聞を読んだらよく世の中が反映されてると感じたよ。
テレビで品のない言葉をしゃべって、選挙には落選しまくりな東京都知事候補。
彼のyoutubeを見るとちゃんと理解できる日本語をしゃべることができる人で安心する。と同時になんで変な目立ち方をするのだろうと思う。
youtubeでは個人が力を持つようになり、後藤輝樹も面白い存在として認知されていると思う。
彼の話を聞いていると自分のやりたいことに一直線でうんこちんこ言ってる支離滅裂な人だ。
よくわからないスピリチュアルにも傾倒しているようにも思える。
自分はこういう人間を軽蔑してきたし、これからもこの考えが変わることはない。
ただ一つハッキリしていることは、今の自分より、とても楽しそうに活動していることである。
なんというか、やっぱり変な人間っていうのは多くて、いつも自分の予想を上回る。
なんとかして俺のほうが楽しそうだぜ!って証明して彼を屈服させたいが勝てる気がしない。
深夜に変なスピリチュアルの広告読んでゲラゲラ笑った後に、ちょっと思うことがあったから思いついたから書いただけなんだ。
乱雑だし、プロット作りも推敲も何もしていない。ただずっと抱えていたものを吐き出す場が欲しかっただけなので、とりわけ目立つものもない。
これを書いている私は、いま地方大で歴史を学ぶ大学院生だ。ストレートで大学院まで上がった位の年齢だと思ってほしい。
私の専門は歴史だが、そこから興味が広がって宗教や、それに関連する文化の話も好きだ。本来専門ではないけれど、色々本を読んでみたりしている。
そこで思うことがあった。宗教・信仰は本当に人の暮らしに密接に関わっていると実感した。そして、勉強を続けたからこそ気付く事や、それまで抱えていた自分の気持ちに整理をつけることができた。
この記事はそんな私の20年ちょっとの人生で触れてきた宗教に関する思い出の覚書だ。
私の家の目の前には、カトリック教会があって、附属幼稚園が教会のすぐ隣にある。ミッション系というやつだろう。
家からすぐということもあって、私と妹はそこの幼稚園に通っていた。
朝幼稚園に来たら、シスターたちに挨拶をし、玄関のマリア像の前で十字を切る。朝礼やお昼のお弁当を食べる前には「主の祈り(天におられる私たちの父よ~のやつだ)」を唱えたし、クリスマスの時期になれば、年長クラスの子たちがキリストの聖誕劇をやるために練習をしていた。
ああそう、あとメダイもちゃんともらっていた。確か聖母子像か、聖母マリアのものだったはずだが、年に数回会うおじいちゃん(どう考えても教会の神父だ。園長って呼んでいたけど)から、新年度になるたびに名札につけてもらっていた。
そんな幼稚園でキリスト教に触れる生活を送っていた幼少期。年長クラスはクリスマスに聖誕劇をしていたけど、年中クラスや年少クラスだって讃美歌を歌ったり、合奏をしていたので、どこの幼稚園もこういう歌を覚えているものだと思っていた。
卒園式のお祝いには、聖書を分かりやすくまとめた絵本をもらった。絵本といっても結構文字が書いてあるし、ハードカバーの大型絵本だった。聖書の教えも何度か聞いていたはずだが、私がきちんと聖書の物語に触れたのはあの卒園式の日だったに違いない。
既に本の虫だった私は、それなりに漢字も読める方の子どもだった。だからその絵本も気になって、天地創造から長い時間をかけて読み通した。
当時6歳の私は、意味はあまり分かっていなかったけど、ところどころの挿絵のインパクトは強烈だった。
洪水に翻弄されるノアの方舟、モーセが海を割るシーン、キリストが茨の冠を被せられ、鞭うたれるシーン。幼い私は、もうそれはそれはびっくりしたのだ。
それから数年経って、小学校を卒業して中二病が芽生えるような年になった頃、私はイキってまた聖書に関心を持ってみた。
西洋美術が分かるやつはかっこいいし、その元ネタが分かるとなおかっこいいと思っていた。恥ずかしい話だが。
そこでもう一度聖書のストーリーを絵本(今度は妹がもらってきたやつだ。まったく同じ絵本だが)を読んでおさらいし、やっぱり意味は理解しないままミルトンの『失楽園』とかを読んでいた。
この後、ぼんやり興味を薄く抱き続けたまま、今一度大学院に入ってからちゃんと勉強をしようと思い、現在に至っている。世界史とかは大事な要素だしね。
こうしてみると私はクリスチャンのように見えるのだが、家には仏壇があるし、今の興味の原点がある幼稚園時代にはその仏壇で「まんまんちゃんあん(関西で仏壇やお墓でお参りをするときに言う幼児語)」をしていた。祖母は今でも毎朝、犬の散歩から帰ると仏壇の前でお経を上げる。
父方の祖母と同居しているのだが、祖父は私が生まれる1年ほど前に亡くなっている。祖母は幼いころの私の面倒を、共働きの両親に代わって見てくれていたから、幼稚園から帰ると「おじいちゃんにまんまんちゃんあんして、ただいま言うんやで」と言われるがまま、お鈴を叩いて手を合わせていた。今でも何か報告(たとえば大学に受かった時や、卒業認定をされた時)があるときは仏壇の前に座ることがある。
お盆やお彼岸には、お墓参りはできるだけしようと思っているし、昨年京都に行ったときは私の家の宗派の本山のお寺にもお参りした。これは本当になんとなくだったけれど、行ってよかったなとは思っている。
だから私は、今のところは仏教徒で、ごく一般的な日本人の宗教観なのだけど、困ったことに、私はとある宗教の3世にあたる血筋でもある。
名前を出すのは少しはばかられるので婉曲的な表現をするが、先述のように私の家は仏壇のある仏教徒の家だ。宗派を言えば浄土真宗。
ただ母方は宗派が違い、日蓮宗なのだ。分かりやすく言えば父方の祖母は「南無阿弥陀仏」と唱えるけれど、母方の祖母は「南無妙法蓮華経」と唱える。
この時点で察しの良い方はお分かりかもしれない。母方の祖母はいわゆる「学会員」だ。
だから、母方の祖母の家に遊びに行くと某新聞が置いてあったし、本棚を見れば某氏の著作が置いてあった。
母自身は学会員ではない(嫁いでいるし)し、母の姉夫婦もそうでないのは知っている。私自身会員ではない。
だから3世を名乗る立場ではないのだが、私は学会員としての祖母の姿を見て、ああいった宗教に対する疑問を抱くようになった。
実際あの学会について「おや?」と思ったのは、私を可愛がっていた母方の祖父が亡くなった数年後だった。
祖父が亡くなった後、葬儀や四十九日の法要に関しては違和感を感じることはなかった。後になり、伯父がかなり骨を折ったことを知ったのだが。
違和感をはっきりと感じたのは母方の伯母夫婦、大叔母、そして私たち家族と祖母が参加した七回忌の法要だ。
いわゆる法事だから、自分の認識では「お坊さんを呼んで、お経を読んでもらって、そのあと親族で食事をする」というものだった。事実父方の祖父の法事はお坊さんを呼んでいる。
まず、お坊さんを呼んでいなかったのだ。黒スーツに黒いネクタイを締めた見知らぬ男性(見た感じ祖母とそれほど歳は変わらない人だった)が居て、私の知らない親戚かと思っていた。最初は。
いつになったらお坊さんが来るのだろうと思ったら、法事が始まるから仏壇の部屋に来いと言われた。言われるがまま妹の隣に座り、数珠を持っているとその男性が仏壇の前に座って、読経を始めた。
「は?」と思った。なんでこのオッサンがお経読んでるねん。お坊さん来られへんかったん?違和感しかなかった。
どうやら件の学会ではその地区で一番偉い学会員が法要の読経をするということを知ったのは、さらにそれから2年ほど経った頃だ。
ただ法事の時に、伯父が「僕はちゃんとした日蓮宗のお寺に骨を埋めてもらうように言っている」と若干怒気をはらんだ口調で言っていた理由が、理解できた。
母方の伯母夫婦とは、その七回忌の法要以降会っていない。いや、何度か伯母とは会ったが、伯父とはそれ以来もう何年も会っていない。
昔はよく祖母の家にお盆や正月の折に触れて来てくれていたのだけど、仕事の関係で来れない、と言うのが聞いている理由だ。でも、多分彼はきっと、学会員である祖母宅周辺の人に会いたくないのだろう。少しだけ言い合いになっていたし、伯父が祖父の葬儀に口出ししたことで何かがあったのだろう。
同時に、祖母が熱心に読経を一日に何度も行う理由、祖母の家にあった新聞や書籍がなんだったか、芋づる式に分かってちょっとだけ嫌気がさした。
祖母よりも熱心だったのは大叔母(祖父の姉)で、会合(というのがあるらしいが、この辺りは詳しく知らない)にも熱心に参加していたみたいだ。
別にこの記事で批判をしたいわけじゃない。けれど、どうしても伯父の言葉がずっと心に引っかかっているのだ。
「お義父さんの事も、ちゃんとお弔いしたいのにそれが出来ないのはほんまに悔しい」という伯父の言葉が。
いま色々な宗教の事を学び、宗教が社会に与える影響の強さを知った上で、私は伯父の言葉に同意したい。
信仰は自由だ。それはこの日本で認められた権利だ。けれど、大好きだった祖父のことを、あんなジジイの安い読経で弔いたくはないのだ。
そしてああ言った新興宗教団体が、親族との軋轢を産んでいることを伯母夫婦の一件で身に染みて実感したのだ。
母方の祖母と我が家の仲はいい。祖母はいま一人暮らしだし、私も長生きしてほしいと思っている。
けど、少しだけわがままを言うなら学会と縁は切ってほしいかな、と思わなくはない。
少し愚痴っぽくなったが、最後にその新興宗教がらみの話をちょっとだけ聞いてほしい。
大学進学以降そうした新興宗教がらみのトラブルやエピソードは少なからずあると知った。友人も巻き込まれたことがあったらしい。
大学の最寄駅前には某証人の人達が冊子を配るために立っているし、家にも何回かチラシがポスティングされたり、勧誘がそもそも来たりした。迷惑だから帰れ、と総スルーをかましたが。
去年なんか、右翼のおっさんが一般人に絡んで暴行しかけた事件の証言を、某会の勧誘をしていた女性二人がしていて「情報量が多い!」と内心ツッコミを入れた現場を目撃した。
彼らも、それを信仰するのは自由だけど、私のように嫌悪するまでもないがもやを抱えた人間を周りに産んでいるのではないかな、と時折思わなくない。
スピリチュアル系のトンデモ科学に関するツイートがTwitterなどでも話題になりがちだが、そういうのを見ても「ああ、なんというか、かわいそうだな」と思ってしまう。
思ってしまうだけで、それを思いっきりネタにして笑い飛ばしているあたり、私はかなり嫌な人物だなと自戒しなくもないが。
何度も言うが、批判する意図はない。あなたがもしここまでに挙げた何かの信者であっても、私は知らない。
ただ、ひとりの学生が格好をつけて、自分は何を信仰しているのだろうな、と思い返すための文章だから、大した感想も求めていないのだ。
必死こいて生きて、なんとか独りで低収入で食いつないでる身として、めちゃくちゃ思い当たるものがある。
政治的な考えでいうと、共産党(というよりはアンチ資本家)に寄ってるが、共産党には絶対に投票したくない。他の政党は知らん、私が投票できる先で一番マトモな奴を選ぶ。スピってないやつとか。
今までの人生で一番嫌いだった人間群が「子供に愛がない親なんて居ない」教ミンナオナジ派キモチガダイジ会の信者で、近所の共産党系の奴らってそういうのかスピってるかで、そういう奴に徹底的な忌避感を抱いてるのが原因だ。やるなら徹底的に構造化してから口を開け、と思ってしまう。何が安倍政権にNOだ、お前が何するか言え、NOと言うだけなら無能でもできる。私は便器の下のションベンが乾いたような環境から、努力で便所のような環境まで来たのに、なんだお前ら今更なんも分かってないゴミのくせにペラペラ喋りやがって、という感情しかない。
一つ違うのは、日本すげーに対しては徹底して冷笑する側だってことくらい。さらに言えば、全世界の権力的なものへの冷笑具合なら負ける気がしない。欧米出羽守みたいなしょーもなダメ人間への見下し力ならそこらのネトウヨにも絶対負けない。デモはもっとやれって思ってるが、デモに付随する犯罪を民主主義だと唱えるバカとか脳味噌腐ってんのかってくらいには思ってる。
ダメだ、全然まとまらない。権力はクソ以外に教条がない。権力とか愛とかは全部クソだから、もっと徹底的に相対化して冷笑して、人のココロなど何一つ考えない、人権というシステムだけにガチガチ縛られた社会にしてくれ。法律を一回全廃して人権至上主義で作り直してくれる政党が出ない限り、なんかを支持できん。自分の利益になるのは、人権を至上とする社会を作る権力ではない何かだ。何かはわからん、頭いいやつが考えてくれ。何もわからんから全人類とにかく苦しんでくれ。全人類が苦しみ尽くせば、私は安心して死ねる。
コメントブクマありがとう。多分私は権力というものへの不信感と嫌悪感が有り余り、権力者・扇動者に有利な選挙のクソさに辟易してて、一番意味のない「1票分の興味しか持ってない底辺」であることを自覚してしまったがゆえの自暴自棄なんだと思う。
もちろんだけど、自民とか保守系がかなりスピってるのは把握してる。共産党系への忌避感もあって、あとはもう自分が投票できる先を選ぶためにダメなのを消して投票してる。今までの結果として、与党系に投票したのは地方の1回だけ。ほかがクソすぎた。比例は非与党にしか入れたことないよ。
全人類苦しめって書いたけど、多分本音は全人類幸せになってほしいんだと思う。全人類が幸せになるんだったら私も幸せになれるだろう。私は最後でいいから、全人類幸せに生きてくれ。スピリチュアル万歳。
これも結局発達障害なんだろうな。
ついに社会から求められる要件に自分の性能が追いつかなくなった。
それで「人並みの幸せ」が手に入ると思った。
大間違いだった。
平日朝、保育園の通園をやって、仕事して、休日は家族と過ごす。
一人の時間なんてない。地獄だ。もともと体が弱い。疲れやすい。
でも、「親になるってそういうことだよ」という、
あらゆる反論を消滅させるエクスカリバーの前に何も言い返せない。
もっとダラダラしていたい。
一応、年収470万稼いでいる。これじゃ夫として不合格なのか?
ガミガミ言ってはだめだ。だめというか効果がない。
俺は仕事はシステムエンジニアをやっている。日々勉強が必要だ。
一方子育てについてもかなり勉強が必要だ。そんなに頑張らないと駄目なのか?
俺はいつ休めばいいんだ?
そんなものはない。
この苦しみすべて「自己責任」として受け止めねばならぬ。
お前の努力が足りないんだぞ。わかっているのか?
頑張って
頑張って、
頑張って
頑張って
それでも駄目だと思ったら、少し休んで。それからまた頑張るのだ。
やれることをなぜやらないの?
おいおい、そんな目でみるなよ。
俺は本当のことを言っているだけだぞ。お前のためを思っていっているんだぞ。
母は能力が低いにも関わらず、自分を大きく見せ、プライドが高い難儀な人種だった。
育ててもらった恩の分は感謝するが、とはいえ母から目を逸らすつもりもない。彼女の短所は「計画性と実行力がなく、面倒がり」である。
これは壊滅的だ。つまり何にもできない。
プログラミングに例えると、そもそも設計の段階でメチャクチャで、実装に入るのを数ヵ月渋り、ようやく作ったと思えばやはりバグだらけで、挙句テストを一切実施しないという感じになる。
これでは分野を問わずすべてのことが出来なくて当たり前で、母は何をやってもダメと評価される人間となった。
スピリチュアルというものの何が素晴らしいかと言うと、何の努力もせずして誰よりも知者になれる所である。
皆の知らない真実を教えてくれるもの() なので、それを知っただけで、世界の全てを知った気になることが出来るのだ。
世の中本当に霊的な力を持つ人もいるかもしれないが、少なくともそれに便乗している人間の殆どはそうではないだろう。
で、まあ母はコンプレックスを解消してくれるそれに、しっかりハマってしまったわけである。
ある日私は、怪しげな魔法陣が描かれたカードの上に、弟の名前が書かれた紙が乗っているのを見かけた。
背筋がゾワッとした。この世の深淵と目が合ったような気分だった。
その名前の主である弟は受験期。「学力アップのおまじない」とか「受験に受かるおまじない」的なつもりなのだろう。しらんけど。
私の可愛い弟に何をしてくれてるんだ。おまじないは女子小学生が消しゴムに好きな子の名前書いたりするレベルまでにしてくれ。という憤慨の気持ちが次に湧き上がってきた。
何が違うのか具体的に聞かれると少し困るのだが、50代のおばさんがバカ真面目にこの世の真理ですみたいな顔でやってるのがヤバいのだ。
弟はのちに、受験に落ちることになる。超安全圏、合格確実だと言われていた第一志望校に落ちてしまった。
弟曰く、合否の連絡をした塾の先生や学校の先生にはことごとく、ありえないことが起こったような顔で見られた、運が悪かったと口々に言われた、と言っていた。
過去問では出したことがないぐらい低い点数を、よりによって当日に出してしまったんだそうだ。
「運が悪かったね」
運という目に見えないものが話に絡んできた瞬間に、私はふとあの魔法陣を思い出していた。
「もしかしたら母のあの奇妙な魔術のせいで、弟は受験に落ちたのではないか……」
そんな馬鹿な考えが頭の中に一瞬よぎった。
その奇妙な魔術を信じている訳ではないはずなのに、冷静に考えればそんなことはないだろうに、うっかり見えない世界を肯定しそうになるのは日本人ならではの宗教観なのか。
男性と比べ女性は平等でなければならないという拘りが非常に強い
ただし、彼らがこだわる「平等」とは通常使われるそれとはニュアンスが異なり「業」的な感覚だ
つまり
「真面目に生きている人には祝福が与えられるべき」
「かわいそうな人には救いが与えられるべき」
「悪いことをしている人には天罰が下るべき」
女性と比べ男性は「世の中は理不尽であり弱肉強食」という価値観がインストールされているので、上記を男性的価値観で言い換えると
「真面目に生きていても成果に繋がらなければ無意味」
「かわいそうな人は(運も含めた)能力がないからかわいそうな状況になっている」
「悪いことしてても結果を出しているのなら問題ない」
といったところか
この価値観どちらが正しいとか適当かは判断が難しいし、今語るつもりもないが
ともかくそんな女性的価値観で最も重要視されるのは「悪人(=自分が気に食わない存在)が不幸になっているか」だ
悪人(=自分が不快に思っている存在)は「平等」の名のもとに裁かれねばならず、もし自分が不幸な状況であるならば悪人(=自分が許せない存在)はより不幸になっていなければならない
悪人(=自分が見下している存在)が真面目で正しい自分より評価を得ているなんてことは到底許されることではない
そんな価値観だ
なのでスカッとジャパンやそれに類するストーリーは非常に女性受けがいい
もちろん、男性中心のコミュニティである2ちゃんねるで「メシウマ(他人の不幸で飯が旨い)」といったスラングが生まれるなど、男性(的価値観)に上記のような感情がないかと言えばそんなことはない
しかしながら男性的価値観で語られるそれは「人が不幸になることにより相対的に自身の幸福度が上がる(所謂世界ランキング的な考え)」であったり、多重債務者が命がけの鉄骨渡をするのを楽しむようなエンタメ的な文脈であり、あくまで自身の幸福のための「メシウマ」なのだ
なので「悪人」が不幸になっていないことで、自身のメンタルを著しく病んだりすることは稀だ
一方女性(的価値観の持ち主)の場合、この「悪人が不幸になっていない」ことでメンタルを病んだり、場合によっては自傷行為等に至ってしまう程深刻な状況になるケースは驚くほど多い
所謂「学級会」などに代表される男性(的価値観の持ち主)からすれば「いったい何のメリットがあってやってるんだ?」の思われる女性(的価値観の持ち主)や女性(的価値観の持ち主)が多くを占めるコミュニティの事象は、幻想でしかない「平等」を実現するため
「悪人」をより不幸にするため
死者に敬意がないとか言っててさ?頭おかしくない?
頭おかしいは言い過ぎかもしれんけど、こうもナチュラルにローカライズされて一部の地域だけでしか通じない思想を
さも全人類が共有しているみたいな、全然世の中のことを知らないで上から目線で、自信満々に自分の考えが全宇宙で通じる正義だと思い込んで発言しちゃうのダセェんだよ
そんなことも把握できてなくて、今回のダーウィン賞に対して怒られても、そもそういう観点の賞じゃねーからとしかならん
気持ちはわかる、俺も日本で生まれ育ってどっぷりそこの生死間前提の宗教観をお前らと共有しているからわかるけど、
それは我々のコミュニティでしか通じないことだし、それを宇宙の真理みたいに錯覚するのは、マジでヤバすぎる
ダーウィン賞に怒るのはもっともだけど、それはダーウィン賞がクソなのではなく、日本の死生観に配慮がないことを怒るべきで、
ダーウィン賞がとち狂った倫理観を持っているわけじゃなく、彼らの世界では日本のように死んだ人間を神聖視するようなスピリチュアルの文化がないだけで、文化の問題であることくらい分かれよ。
そんなこともわからんで怒り踊らされて訳わかんねーたわ言言ってるの、きしょいっつーの
お前の感覚は一つの地域でしか通じないスピリチュアルな文化だってことくらい、分かれ
わかった上で、怒るべきは、ローカルで大事にされているスピリチュアル文化に対してのフォローが欠けていて、多くの同胞を悲しませることです。
というような起こり方がベターでしょうね。
なんだよ使者への尊敬って。尊敬するかどうかはどういった人間だったかによるだろ。死んだらみんなえらい!って
お前ら(我々)固有の文化だろう。少なくとも世界中の人間の間でコンセンサスを得ているような思想じゃねーよ
私は認識負荷が高い容姿と軽度の吃音持ち。小中学生のときは肥満が追加される。小中学生のとき散々キモいキモいと女性から言われてきた。男でも言うやつはいたが、徒党を組んで「増田を嫌う会」レベルのことをやってくるのは女だった。母親からも(兄と比べて)嫌われてたので、女と関わったら不幸になる、と15歳まで刷り込まれて育ってきた。
高校に入って、直接的な容姿に対する悪口を全く聞かなくなった。親からの距離もいい感じに離れ、女性が別に敵ではないと気づいてしまった。当然ながら恋もしたが、どうやってアプローチしたものかわからんから、凄く下手糞な距離の詰め方したなと反省しきりである。当然うまく行かない。誰かと喋るときに「キモい」で返ってこなくなっただけで吃音はかなり軽くなったし、肥満も解消したが、まあ頭蓋骨まわりの皮と肉は個性的な造形をしてる。大学以降もまあうまく行かない。ああ、私は恋愛事に向いてねえんだな、っていうことを自覚して、あんまり関わらんようにしてる。
で、なんで恨みが消えないか、だ。簡単だよ、「非モテはキモい」「キモいは容姿じゃなくて言動」「だから非モテでキモいんだよ」「キモいのは加害」「普通の感覚持ってたら非モテにならない」これだよ。散々容姿と吃音でキモいキモい言ってくれてたのに、これ?
いや、別人だよ、分かってるよ。散々キモいキモい言った奴らと、「非モテは言動がキモい加害者」族は別人だよ。でもこれは本当にキツイ。何がキツいかって、何やっても「キモいお前が悪い」とされてきた「増田を嫌う会」と凄くソックリなのよ。徒党を組んで「キモいと言う」「無視されても反応されても馬鹿にする」「賢しらにキモいお前が悪いと言う」「賢しらに悪口に反応するのがキモいと言う」「そういうとこだぞ、でとどめを刺す」、完全に相似形なのよ。
今までやり返したことなかったから、もしかしたら呪いが解けるかもしれない。増田だし、1回やり返してみるか。
男から一方的被害を受けてると思い込んでる被害妄想女、そういうとこだぞ。被害妄想じゃない?お前が加害されるのはキモいからだよ。容姿じゃなくて言動がキモいの。加害者なの。それを批判されたからって「女だから攻撃された」って思い込んでるんだろ?そういうとこだぞ。
全然スッキリしねえな。自己嫌悪が深まるばかりだ。死ぬしかねえのかな。
筋トレ万能論者、ホントどこにでも湧くな。どうせ筋トレ社長のバカ信じてるんだろ。あれスピリチュアルだぞ。適度な運動が肉体的にも精神的にも良いのはたしかだが、それだけだよ。スピリチュアルで幸せになりたいならご自由に。他人に筋トレすれば世界が変わる!筋トレこそ解決策!ってそのヒョロガリボディで勧めてなよ。小島瑠璃子にでもキレてろよ。私は世界なんか変わらなくてもウェイトトレしてるから。
コロナの件、日本の現状は統計で見たらすごく優秀なんだと思う。致死率も欧米にくらべてかなり低そうだ。自粛を解除してもいいのかもしれない。
一方で亡くなった人すべてに家族がいてという風に個々人の命を考えると身動きがとれなくなる。
データで見る理系脳と個別の物語を想像してしまう文系脳があたまの中でケンカしている。
また別の話で自粛の結果、
出社が減って自殺者が減少
こんなプラスの影響があったり、
経済的に困窮する人
コロナにかからずとも間接的にマイナス影響うける人もめちゃくちゃいるわけで
コロナによって大きくいろんな生き死にの運命が変わっているんだな。
でもそんなのはコロナじゃなくてもいろんなところで日々みんな思わぬ出来事と対峙してるんだよな。それを運命と呼ぶのか。
コロナ陽性判明後に、保健所に嘘をついた上で山梨から帰京した人がはてブや匿名掲示板等でぶっ叩かれている。
Twitterでは「山梨20代女性」なんていうワードでトレンドになっているらしい。検索してみれば、早くも特定しようという動きがでているのが垣間見える。
今朝TVをつけたときにやっていたワイドショーでも、この女性の行動の「身勝手ぶり」について逐一「報道」していた。
個人的に見れば、この人の行動は徹頭徹尾、愚かな判断だと思う。東京へ帰るという選択がまず百害あって一利なしに思えるし、そもそも保健所に嘘をついたってバレるのは時間の問題だ。10秒くらい考えればわかりそうなことがわからなかったのは、賢明ではなかったと言わざるを得ない。
でも私たち人間はそういうものだ。不安なことがあると衝動的に愚かな判断をしてしまう。子供の頃、同級生がどうして先生に「宿題はもうやった」「ほうきを折ったのは僕じゃない」とすぐバレるウソを付くのかさっぱり理解できなかったが、いざ親に「メガネを壊したのはお前か」と聞かれて、なるほど追い詰められた人間は愚かな選択をしてしまうものだと合点がいった記憶がある(そのあとどうなったかは、あまり思い出したくない)。
実際、同じ人であっても、金銭的に不安定な状態にあるときは、そうでないときに比べてIQが大きく下がることが研究でわかっている。お金の不足は自らの先行きに対する不安に直結する。コロナへの感染もまた、社会や自分の生活がどうなるかわからない、という不安に直結するものだろう。
先行きへの不安は、衝動的で、非論理的な行動を招いてしまうのだ。
もちろん、この女性が一体どういう心境でこの判断に至ったのか私にはわからない。もしかすると一片の不安のかけらもなかったのかもしれない。でもそんなことは実はどうでもいい。なぜなら、社会の人間のほとんどは衝動的で非論理的な判断をし、「失敗」するものだからだ(そうでなかったら、今ごろ人種差別とか性差別とか、もっとマシな状態になっているはずだ)。多くの場合それは、友人に窘められたり、上司に叱られたりする程度で済む。でも中には、人生を大きく変えてしまうような「失敗」もある。スピリチュアルな100万円の壺を買ってしまったり、消費者金融につられてしまったり、交通事故に巻き込まれてしまったりといったたぐいの「失敗」だ。
でもそうやって「失敗」してしまう人を救うために、行政や社会システムは存在している。バカな買い物をしてしまった人のためにクーリングオフ制度や、財政的「失敗」をしてしまった人のための(あるいは多くの場合、「失敗」した家庭にうまれてきた人のための)生活保護、そして事故って骨を折っても破産してしまわないための健康保険、というように、社会システムには「失敗」した人のためのセーフティネットが組み込まれていて、それを行政が運営している。健康保険がないとどうなってしまうのかは、米国を見れば明らかだ。
また、「失敗」がある種意図的なものであったり、他の人の人権を侵害したりしかねないものに対しては、法律によって罰則が設けられている。たとえ「失敗」でも人を殺してしまえばそれ相応の罰則を受け入れる必要があることに(罰則の程度について議論があるのは当然として)今更異議を唱える人はあまりいないだろう。
「失敗」の種類によっては、これら「救済」と「罰則」両方の性格を併せ持つ対応をするのが必要なこともある。例えば違法薬物使用などは、周囲への影響を考慮して法的な罰則が設けられているが、実際に必要なのは依存症治療であるという点で、その顕著な例だろう。
こういったシステムは、非論理的で愚かな私たちが、一つの失敗で社会的・物理的に死んでしまうようなことなく、円滑に生活していくための、社会の「バッファ」としてそこに存在している。「バッファ」のないシステムは、すぐバランスを失って崩れてしまう。人類が長きに渡ってありえない量の二酸化炭素を大気に排出し続けて炭素サイクルをめちゃくちゃにしても、地球の生態系がまだ大量絶滅を経験していないのは「バッファ」のおかげだ(それも、サンゴの大量白化を見れば分かる通り、もう崩れつつあるのだが)。
はてブや匿名掲示板で「山梨20代女性」を叩き、特定して吊るし上げようとしている人々は、衝動的な判断をしているという点に於いて、本質的に「山梨20代女性」と全く変わらない、オロカモノだ。あなたがいくら懸命に彼女の行動を叩き、牽制したところで、「失敗」する人は絶対に出てくる。それどころか、「失敗」するのはあなたである可能性もある。それでも叩くのは、叩けば「失敗」をする人はいなくなるだろうという誤認か、あるいは自らの先行きの不安を叩くことに向けたいという欲求によるもので、どちらにせよ非論理的で愚かな選択といえる。
ただ一つ違うのは、「山梨20代女性」の行動が、既に感染してしまった彼女自身への悪影響はあまりないのに対し、「山梨20代女性」を叩く人々の行為は、自らの首を絞めているということだ。
考えてみて欲しい。感染経路を把握して感染拡大を防ぐのは行政の役割であって我々には特に何もできないのに、この「山梨20代女性」の行動を逐一報道させ世間に知らしめることに一体何の目的があるのか?
その「目的」は、はてブや匿名掲示板で「山梨20代女性」を吊し上げ、特定しようとするみんなの動きが、雄弁に物語っている。
私たちが「山梨20代女性」を叩くとき、そこには「行政の対応に落ち度はなかったのか」という疑問は存在していない。
この女性は陽性が発覚したあとなぜ移動できたのか?感染者の隔離は行政の仕事ではないのか?最初から検診・検査が迅速にできていればこうはならなかったのではないか?症状が出てから4日放置するという検査要件自体、感染の機会を大きく広げていないか?症状が出ていても、生活が苦しくて実家に帰らなければならないような人は、一体どうしろというのか?そもそも「日本では大きく広がらない」「4、5月頃には収束している」なんて言って対策を怠っていた人が、本当は一番無責任ではないのか?
こういったシステムとそれを運営する行政に対する正当な疑問は、「身勝手な行動をしたオロカモノがいました」という行政からの発表とそれを広報するメディア、そしてそれに乗せられてオロカモノを断罪する人々によって、巧妙に隠蔽される。
この一件だけではない。自粛を「要請」されても、明日生きていくために店を開け続けたり、満員電車に乗り続けたりしなければならない人に対して、「人殺し」と吐き捨てたり張り紙を貼ったりして自粛しない者たちをリンチする社会は、生活の補償・保障なく自粛を「要請」されるという構造の欺瞞に気づくことができない。
愚かな我々を、救済にしろ罰則にしろ本来受け止めるかべきバッファが機能していないという問題は、愚かな行動をしてしまう我々個人の問題に還元され、それに対し我々は反発するどころか自ら自警団へ志願して、我々自身の首を絞めている。
それを知った上で、みんなは「山梨20代女性」を吊るし上げる勇気があるのだろうか。自らの知性に絶対の自信を持てるのだろうか。
私は持つことができない。
社会の中から「オロカモノ」を探し出しリンチする一方で、何も考えずに愚か者を為政者として選出し、その愚か者に扇動されまた「オロカモノ」を探しだしまたリンチする……というループを繰り返す社会にしたいなら、好きにすれば良いと思う。個を喪失し、考えることをやめた日本社会に、ある意味お似合いの帰結だ。
ただ、私は参加したくない。私は時々オロカモノになってしまうことが許される社会に住みたい。
それは今のうちに、はっきり言っておこうと思う。
たまにいるんだよ。何か困ってることがある。
で、どういうわけか目の前にある80%くらいで解決する手段じゃなくて20%くらいの手段ばかり選んでひたすら耐えたがる人。
そしてひたすら20%の手段を手を替え品を替え選び続けてまたあった80%のものすら選べないくらいに事態が悪化する、そして激しく後悔する。
例えば何か病気になる。
医者に行くのが1番確実だ。けどそういう人たちはやれ自然療法だ、なんとかマッサージだ、スピリチュアルだとそういうのばかり選びたがって重症化する。
スティーブジョブスもそうだったようだ。手術すれば助かる幸運をミスミス放棄して死んでしまった。
なんでなんだ?
もう助からないから死を受け入れて緩和ケアをしてQOLを確保したい、とかではない。わざわざ借金まみれになってがんじがらめになる感じにわざわざなりに行きたがる(けど自分は最善の努力をしてると思い込んで誰のアドバイスも聞き入れない)人の頭の中身が知りたい
なんかね、最近思うんだけど、急にスピリチュアルに行く人いるじゃない
しかも既存の宗教がとっくに通過したところをまるで自分が到達したみたいに自慢する人。けど用語は完全に自分の言葉だから一見違うけど聞いてるとあーあれね、ってなるやつ。
急に宇宙からのメッセージとか、何十何次元の人との更新とか、超能力とかに目覚めたら様々。
なんでかなと思っててなんかピンときた。
自分一人が正しくて他はみんな間違ってるのに気づかない。そうか、私はみんなより遥かな高みにあるからだ、よしそれに向けて理屈を考えよう。
だってガリレオだってそうだったじゃない。歴史上にそんな人は数限りなくいる。私もその一人になったわー、いやー、まいるわー
そんな感じかなと。
ただ、そういうのに信者がつくのもまた事実。なんか新時代の新たな思想体系(1年ぶりン千回目)とかを作り出してて、しかも先人を敬わない。
それってブッダの言ったアレと同じ?
いやいやそんなのと一緒にしないでください。むしろ10万年前の何かしかが言ってきたので、ブッダも同じこと言ってるかもしれません
的な
まだ漫画描いてるのかな、新作あるのかなって検索したらTwitterを見つけた。
名前のとこに米軍どうのって入ってるから「?」ってなって見てみたら
米軍、政治批判、スピリチュアル、米軍、歴史、政治批判、愚痴、ゴシップ・・・
批判と不満と疑心と推測ばかりだった。
でも間違いなく探してた漫画家。
じゃあもう漫画家ではないのかというと、一応まだ漫画家を辞めたわけではないというけど、
このTwitterの内容と活動を見る限り、もはや漫画のまの字もない。
すっかり元気が吸い取られてしまった。
一つの連載が終わって次の新しい連載になっても、またドンピシャでハマるような、好みが合致する人だった。
ハガキを出して買う通販の企画に、親にねだり倒してグッズも買ってもらった。
何度も何度も読んだし、少ないお小遣いを貯めて買ったコミックスはまだ家にある。
それ以外の作家さんはコミックスもグッズも買うことはなかった。
ただ一人、本当にハマった漫画家さんだった。
今回の内容をスピリチュアルに絡めた詐欺が必ず出現します。多分もうある。
多分「コロナウイルスは次元上昇の為の選別」的な内容で書かれ始めると思います。
変な話、それが真実である可能性を否定する事は、誰にもできないので。
それを利用して、例えば「この数珠を買うと選別を抜けられる」「このセミナーにいくといい」とかそういう話になった場合。
前者は金銭的な詐欺だし、後者もお金を取られたり、そもそも今人に会うなんておかしいですよねって話。
これぐらい露骨だと分かりやすいけど、「自然食を食べましょう、プラスチックをやめましょう、そうすると選ばれます」みたいなのもそう。
今そんな事してる場合じゃねーこと、頭のいい方ならお分かりだと思いますけど。頭の弱い人は分からないんです。
頭の弱い人が「他人の受け売りによる超理論」にハマりやすいのは、教養を身に着ける過程をすっ飛ばして他人より賢くなった気になれるからです。
普段からコンプレックスの有る人間はハマってしまいますが、こういう非常時、特に気を付けるべきです。
こういうの、殆どは「頭の弱いお母さんや奥さん」がハマっちまうのでこのタイトルになってます。
「頭の弱いお父さんや旦那さん」は同じ精神状態になった時、こういう超理論より、店員に暴言を吐くとかもっと実害的な方向に出る傾向にあります。