はてなキーワード: ストレートとは
アプリを開発するからには、自分も他社アプリを使いこまなければ、
いいアプリというのは開発できないと考えている。
本題に入る。
まず、バックグラウンドを書いておこう。
私は男である。
おもしろおかしく書こうと思えば、いくらだって書けるんだろうけど、
それは絶対にしたくない。
この先、ゲイの方やその他の方にとって、失礼な気分になる記載があるかも知れないが、
自分のブログで書いても良かったんだけど、アドセンスに弾かれるのは目に見えているので、
これまで、フェラチオをお願いしたことは多々あり、
端的に言って、フェラチオをされることは大好きだった。
この前、ふと気がついたのだ。
こんなひどい話はあるだろうか?
自分の快楽のためだけに、自分がどのように行うのか分からない行為をお願いするのは。
竿あり・なし、玉あり・なしの嬢がいて、
竿あり・玉なしの嬢をお願いした。
待っていると部屋のチャイムがなり、すらっとした美女が立っていた。
道ですれ違ったとしても、綺麗な女性だと思うだろう嬢であった。
あと、すごい良い匂いがした。
まず、嬢には
・もしこのようなお願いが失礼だと感じたら、お金は払うから帰ってもいいということ
・人生の幅を広げたいので、今回、お願いしたということ
を伝えた。
もし、失礼だと思ったら、帰って良いというと、
「別に気にしない」という回答だった。
そうか、嬢にとっては客の1人でしかなくて、
どう考えているとか、なぜここに来たとかどうでもいいよなと笑ってしまった。
「してほしくないことは絶対にしないから、言ってくれ」と伝えると、
「分かった」と高い声で返してくれた。
裏側を玉と接している部分とする。
そうか、男が息子の表側だと思ってた部分(上側)は、
女性にとっては裏の方とも取られかねないなと思った。
裏の方を重点的にお願いしますと言っても、
表側を責められてしまい、なに考えてんだと思っていたが、
その理由が分かった。
フェラチオをする側にとって、見えている部分は裏側であることが多いのだ。
あ、そうか、そういうことか。と思った。
体験してみて、本当に良かった。
すごく綺麗な嬢であったため、全く問題なかった。
魅力的な女性に息子が付いている感じだ。
一番、気になっていた部分であった。
してもらったことは多々あるため、うまくできると思っていた。
しかし、全く違った。
歯を立てないようにするのが、本当に難しかった。
顎、首、口の負担が異常すぎる。日常生活で味わったことがない疲労感だ。
おばあさんの真似(上下のくちびるで歯を隠す)のようにしなければ、歯を隠すことができない。
ずっと口を不自然な形で大きく開けながら、顔を動かす。
また、フェラチオをしながら興奮する女性もいると思っていたが、
ほとんどいないと思う。だって辛すぎる。こんなこと、2分もしていられない。
私はこんな苦行を、当たり前だと思ってお願いしていたのだ。
嬢とはシャワーを浴びて、消毒液で一緒にうがいをしたのちに別れた。
「ありがとう」と伝えると、「こちらこそありがとう」と返してくれた。
思春期から女性ホルモンを打っていて(これ高いと思っていたが、1回1000円くらいだそうだ)、
悩んだ時期もあったが、去勢をして(玉を取って)、今は都会に出て、
女性として生きて行くことができて、嬉しいと言っていた。
そして、今まで私にフェラチオをしてくれた人にも幸せになってもらいたい。
これからフェラチオをしてもらったら、せめてその5倍くらいはお返ししたい。
初めて、フェラチオをしてくれたことへの心からの感謝ができるようになったのだ。
そして、フェラチオを当たり前の女性からの行為だと思っていて、
うざいといわれても書くよ☆
なお保守の人が保守の観点で国会を見て、その感想、解釈を書くのはぜひやるべきだよ、どんどんやってほしい。
偏ってる批判もどんどんやればいいし、偏ってない人もどんどんやればいいですよ。みんなが国会に関心を持つことが重要ですよ。
はっきりいってショーとしても面白いですしね。
さて毎日毎日めったにみないものを見させていただいております。
今日は共謀罪の法務委員会もあって、この話題は共謀罪関連での山尾さんの議論を追うのにも役立つかと思います。
昨日の参議院の厚生労働委員会で、精神保健福祉法の改正案の審議中ですが、社民福島瑞穂議員、民進石橋通宏議員らが激怒されておりました。
昨日突然「法案の改正の趣旨の最初の二行が削除された」というのです。
http://www.webtv.sangiin.go.jp/webtv/index.php
の4月13日、厚生労働委員会。
特に見て欲しいのは、参考人意見聴取の桐原さん、池原さん、参考人質疑、福島さん、牧山さん、通常の質疑、石橋さん、倉林さんあたりでしょうか。
http://www.asahi.com/articles/ASK4F7DNJK4FUBQU014.html
このニュースを見てもその重要性がすぐわかる、という人はほとんどいないのではないでしょうか。私もよくわかりませんでした。
昨年の津久井やまゆり園での殺人事件を防ぐためにはどうすればよかったのか検討を進める、という安倍総理の指示から始まったものです。これ自体は妥当だと思います。あのようなヘイトクライムを防ぐためにどういう法整備が必要か、という視点は当然重要です。そこで、政府が出してきたのは、やまゆり園の事件の被疑者が一時措置入院を受けていたことから、病院、福祉事業者、自治体(警察)らが措置入院退院後の情報の共有をする、という改正案でした。
法律を制定する、という行為は、一般にさまざまな権利を抑制する可能性があることから、どのような現実の問題についての解決のためなのか、ということをしっかりと整理します。このような現実の問題を立法によって解決できるという一般的事例を立法事実といい、もののほんによると
「法律を制定する場合の基礎を形成し、かつその合理性を支える一般的事実、すなわち社会的、経済的、政治的もしくは科学的事実」(芦部信喜)
ということになっているのですが、この立法事実が、現実社会と合わなくなってきたときには、違憲判決の根拠になることも多いそうです。
「相模原市の障碍者支援施設の事件では、犯罪予告どおり実施され、多くの被害者を出す惨事となった二度と同様の事件が発生しないよう以下のポイントに留意して法整備を行う。」
ということで、塩崎恭久大臣もやまゆり園の事件が立法事実だ、として説明を繰り返したほか、本会議における趣旨説明(経読みといいます)でもやまゆり園の事件の再発を防ぐことをあげていました。
やまゆり園の事件は措置入院時の支援計画の欠如が原因ではなく、また被疑者の自己愛性パーソナリティ障害や措置入院にいたった妄想と事件の因果関係も明らかではなく、なぜ措置入院中に支援計画に警察を介入させる根拠になるのか、と批判してきました。
「相模原市の障碍者支援施設の事件では、犯罪予告どおり実施され、多くの被害者を出す惨事となった二度と同様の事件が発生しないよう以下のポイントに留意して法整備を行う。」の一文が削除されました。つまりこれを立法事実として維持するのは難しいと政権側が判断したということでしょうか。
この石橋議員の質疑を見る前に、ぜひ弁護士の池原さんの参考人意見をご覧になって、この措置入院制度自体の問題点を把握されておくとよいかと思います。
池原さんのお話はめちゃくちゃわかりやすかったので、聞けば一発なのですが、一応整理しておくと
・障害者権利条約においても、現状の自傷・他害を根拠にした強制入院措置が禁止されている
・措置入院を受ける人というのは、実はDVなどの場合もあるし、一般にイメージされる精神疾患とは異なる。相模原の例はむしろ例外的。警察の介入はこういった人たちに無期限の監視をつけかねない。
・本人の意思に反した入院は、反治療的性格があり、措置入院経験者が、治療拒否に陥るケースが多い。本人の意思を抜きに治療計画を決定できる今回の制度は問題が大きい
・通院を事実上強制する措置に治療的効果はないのにも関わらず、この通院義務化を法制化した後、患者の自殺既遂が数倍に増えている。
・現在まで医師が判断を行うことになっていたものに行政を参画させたところで、行政は現状で精神疾患患者へのフォローができていないので、医師の隔離拘束への責任感を軽いものにする効果しかない。
権利条約の制定過程で「自傷・他害の危険性"のみ"での強制措置の禁止にできないか」という日本政府の提案(却下)から漂うアレ臭よ・・・。
福島議員も石橋議員も、立法事実を撤回したのにも関わらず法案を維持するのはおかしいでしょう、ということで、法案の撤回を求めています。私は素人なのではっきり断言はできないですが、もし他にも立法事実があることをはっきり示すことができるのであれば、複数ある立法事実のうちひとつを撤回することで、すなわち法案を撤回すべきかどうかはわからないですが、少なくとも今まで立法事実だとしてきたものを撤回した以上、新たに提示する必要性は当然あるだろうと思います。
しかし塩崎大臣の答弁では、やまゆり園を契機に全国での状況を調査した結果、措置入院後の治療計画がはっきり立てられていないことがわかった。兵庫県の担当者は治療計画を立てることが大切だといっている、ということにとどまっており、ちょっとこれは無理だろうと、私感では思いました。ただし、この措置入院周り以外の改正については、スケジュールにのっとった改正なので、個人的にはここを除けば、法案を出しなおせば、問題ないのかなとも思いました。この辺りは法曹関係の方のご意見が聞きたいと思いましたね。
しかし措置入院からの退院後の計画を立てることそのもの、改正案によって何がどう改善するのか?という説明はまったくされていないので、やはりこの部分は削除するしかないんではないかな、とは思いますが。
「都道府県等は、措置入院者が退院後に社会復帰の促進等のために必要な医療その他の援助を適切かつ円滑に受けられるよう、原則として措置入院中に、精神障害者支援地域協議会において”関係者と”協議の上、退院後支援計画を作成」する、ということになっている、この関係者に本人を含むのではなく、「本人と関係者」に変えないと、本人の意思が提示できない場合、本人意思に関わらず、協議会の決定によって病状等の個人情報を警察に提供されてしまう恐れがある、という懸念は極めてもっともでしょう。完全に人権問題だと思いますので、確たる立法事実を提示できないとするのであれば、憲法との整合性はどうなるのでしょうか。
塩崎大臣は「関係者は当然本人を含む」という答弁をしていましたけれども、じゃあ明記しろよというのは当然の主張ではないでしょうか。
われらがはてなブロガーでもあるlawkus先生のツイートに強く共感しましたが、
下記引用は凶器準備集合罪の審議過程における唐澤俊樹法務大臣の答弁だが、このあとめちゃくちゃ労働運動に適用されたことは周知のとおり。 https://t.co/xhjvi2U7pv— ystk (@lawkus) 2017年3月21日
俺は共謀罪にはほとんど興味がない(だから今まで言及したことも多分ない)のだが、政府は審議過程でどう答弁していようと成立後はこれに拘束されず、条文解釈上可能な限度まで幅広く適用するに決まっているので、皆それを前提に賛否を決めるべきであるということは間違いなく言える。— ystk (@lawkus) 2017年3月21日
これはどういう法律にもいえるよね。
何で明記すればいいだけのことをやらないかというと、まず精神疾患のある人が転居したときなどに、自治体間での情報共有をしたいという欲求(ストレートな差別)、本人の意思確認が困難な場合などに、予防拘禁措置としての、措置入院の継続を警察主導でやりたいのではないか、という疑問がぬぐえないです。
共謀罪に関する山尾議員と金田法務大臣の議論(2月9日の衆院予算委員会など)で、共謀罪の立法事実としてだしてきたものが現行法律で対応できることを示し、立法事実がないのではと問いただしておりますし、先年の平和安全法制の議論でも、さまざま話題になったところです。
「絶対にアメリカの戦争に巻き込まれることはない」発言の正否が問われそうな状況にもなっておりますが、共謀罪に関しては、安倍総理、金田大臣がなんと答弁しようが、全部条文に基づいて議論すべきだろうと思いますし、そうとしか読めないように書いてあるか、というポイントで見て欲しいなと思います。
これでいいのかな?
ごめん、やっぱやめました
コンビニの冷やし中華を肴に「いいちこ」をストレートで飲みながら、くだらいない深夜番組を見ながら寝入ってしまった。
アルコールの脱水症状特有の喉の奥に皮膚が張り付くような渇きを覚えて目覚めると俺は異世界にいた。
なぜか、野外の石畳の地面で寝転がっていたので体の方々が痛い。
深爪しすぎた親指の先が石の角に食い込む絶妙の配置が殊更によく効いていた。
強いて言えば便秘と、花粉症のためか目がかゆいことぐらいが普段とはちがっていたが。
そもそも俺は常にぼんやりしてなんとなく生きているのであまり細かいことに気を配っていないのだ。
そんな俺でも、異世界にたどり着いていしまったという確信を持っている。
小人のひとりがaと名乗った。
aの使う言葉がわかることには少し驚いたがこんなものかと思うことにした。
言葉はわかったが、俺には学がないので話の内容がほとんど理解できないでいた。
三回ほど話を聞きなおしたところによると、彼らと虫の狩場をめぐって抗争があるらしい。
わかりはしたが、そんなことをこちらに伝えられてもどうしてよいかわらない。
三人の小人の一人は終始俯きながら小声で引き笑いをする陰気な男で右腕が欠損していた。
彼の話す声は蚊の羽音に似た小さく細い声だった。
片腕の小人は小人の雌とおなじく、敵対している勢力の特徴を語っていた。
それにしても俺はこれからどうすればいいのだろう。
目の前の小人が言う程度の野ネズミなら腕立て伏せのできない俺でもどうにかなるのか。
何も決めないままずっと曖昧な笑みを浮かべていると、aと目が合った。気まずい。
俺は野ネズミと戦わないといけないのだろうか。
中学時代は勉強を頑張っていたけど、高専では怠け者に。成績ガタ落ち。けれどもストレートで卒業はできた。
今社会人5年目。
今まで、大きな挫折もなく生きてきた。
新卒の頃、ちょっと情緒不安定になって仕事に行けなくなった時期もあったけど、会社のフォローもあり立ち直ることもできた。
平凡な人生だ。
大きな挫折もなく、と書いたが、正しくは何かに挑戦したり、努力したりすることがなかった。
なんとなくでも、それなりの人生が歩める。そう思い込んでいる。
このまま何もしないで終わりたくない。変わりたい。努力できる人間になりたい。
そう何度も思う。だけど、ネットで見かけたが、これも「変わりたいと思ういつもの日」らしい。
このままきっと生きていくんだろう。
なんとなく、よくない気がする。
でも、なんとなくレベルで
努力しないと生きていけないといった切羽詰まった状態ではない。
ぬるま湯にじゃぶじゃぶ使っている。
残りの人生、同じように生きていくのか。
それでいいのか。
https://togetter.com/li/1096750
これ見て思いだした。
自分は結構やり返す方だったせいか、不良みたいなのから狙われても、あまりイジメが長引くことはなかった。「あいつはつまんねえ」みたいな感じだったのかも。それでも、狙われてたときの辛さは未だに腹立たしいし、悔しいし、思い出したくもない。
地元は狭い世界だから、未だに中学生くらいの人間関係で生きている連中が大勢いる。それこそ、爆サイの地元のスレッドを読めば、これあいつのことだな、とわかるような書き込みが結構な頻度で見つかる。内容は誰のほうが強いとか、あの女はやらせてくれるとか、やっぱり中学生の頃と同じ。
そんな奴らと二度と関わりたくないが、一回だけと思って、お盆の帰省中に地元の同窓会に出たことがあった。
そこで繰り広げられていたのは、中学時代そのままのヒエラルキーに基づいた「いじり」という形のイジメそのものであった。一気飲みの強要やセクハラが加わってる分、余計に胸糞が悪い。イジられる側は来なきゃいいのにと思ったが、気弱なカズオによると家も未だに近所だし、聞くとまだ昔のような上下関係が続いているらしい。俺の中で何かが弾けた。
次の年、俺はまた同窓会の場にいた。
ヴィトンの鞄と、ロレックスを身に着け、会場のつぼ八的な店にBMWで乗り付けた。(前の年に、飲み会だというのにクルマで来る輩が少なからずいるのには唖然とした)
すると連中の目の色が変わった。俺は自分の今は明かしていなかった(SNSの類も一切やってない)ので、せいぜい「東京で働いてる」くらいの情報しか持っておらず、羽振りの良さに驚いたのだろう。いじめっ子の取り巻きだった女性陣からはLINEの交換要望と、彼女はいるのかという質問がひっきりなしで、そのストレートさには閉口した。
男たちは、冴えないガリ勉だったはずの俺がちやほやされるのに苛立っていたようで、酔いが回って夜も遅くなり、残ってるのが元いじめっ子のクズ野郎たちだけになった頃には案の定、因縁をつけてきた。
女たちが、やめなよ、と言うのを聞いてますます激昂した奴らをなだめるように、俺は「まあまあ、もう大人なんだし」とスカして見せた。
するといよいよ引き下がれなくなったのか、土下座して飲み代を全部払え、と言ってきた。
俺は窓から外を見て、パトカー的な赤色灯が光るのを確認してから、
「お前らダセえんだよ!いつまで中学んときと変わらねえ、クソガキやってんだ!」
と、つぼ八的な店に響き渡る声で叫んだ。
俺が突然豹変したのと、普段は通らないパトカーが登場した(つぼ八的な店に駐車場があるのも、地元警察となあなあでやっている話なのは暗黙の了解)ので、連中は混乱して完全に固まってしまった。
「これが最後だ……二度と!俺の前に出てくんな!」
自分から同窓会に来といて何たる言い草かと思うが、まあ劇的な絶交宣言というのをやりたかったわけだ。警察がいるのに喧嘩を始めるほどのバカ達ではなかったのが幸いし(執行猶予中の奴もいた)、固まっている連中を尻目に、俺は幹事の男(スネ夫的ポジション)の胸ポケットに万札をねじ込むと、つぼ八的な店を後にした。
店を出てBMWの助手席に乗り込むと、運転席のカズオが車を出した。タイミングがどうだったかと気にするカズオ。
都合よく来たパトカーなんてものはなくて、正体は俺からの着信に合わせてカズオが点けたパトライト(前の日にドンキホーテで購入)だ。
あいつら帰れんのかな、全員酔っぱらいなら言い逃れ出来ないから、パトカーが来てると思ったら店から出られないぜ。店にも迷惑かかるなあ。
カズオはお人好しだ。
俺はいたって冷徹だ。こんなことしてなんになったのか。あんな縁切り宣言で俺が過去を断ち切れたというのか。
言いながら腕からデイトナを外して後部座席のヴィトンに放り込む。
と、カズオが笑いながら言う。翌月から県外で働くというカズオに、最後に連中になにかしてやろうぜ、と焚き付けたのは俺だ。店に来るときは後部座席に隠れててもらったりと、小細工に協力してくれた。
「付き合ってもらってありがとな」
その後、カズオとは会っていないが、結婚して子供が産まれたらしく、子煩悩な年賀状のやり取りが毎年続いていた。(近年はこっちが海外にいるのでさすがに途絶えてるが)
俺は、俺のほうが圧倒的に社会的成功を収めていて、収入が高く、気の利く美人な妻とかわいい子供に囲まれて、責任ある仕事を果たしている、と思っている。だから俺はアイツラより人として価値がある。俺のほうがあいつらより幸せになる権利がある。あいつらは俺と金輪際関係ないところで野垂れ死ねばいい。そのくらい思わないと過去に受けた仕打ちに対する俺の中の折り合いがつかない。
時折、爆サイやらを覗くのはあいつらがミジメに落ちるところまで落ちたという情報がないか探しているからだ。
イジメに端を発する、そんなどす黒い感情を隠して今日も生きている。(四六時中ではないが、フラッシュバックするときはいつも黒い思いが巡る)
気付いたメリットを挙げていく。
当たり前なんだけどこれに尽きる。というかこれだけしか利点ない。オンリーワン。
早寝早はてブを合わせると、更にはてブ時間は伸びる。誇張抜きで1.5倍くらい。
最近の平日はこんな感じだ。
まず17時台のうちにはてブ直行、意外と主婦っぽい人は少なめ。
20代後半〜30代前半くらいのデフォルトなアイコンが多く、目の保養になる。あいつら互助会だな。
ホッテントリをあさって帰宅で18時台前半、山本一郎をDisってもやっとこさ19時前後である。
そっからこころゆくまでyoutubeで音楽聞いたり、ちんこいじっても、せいぜい20時台後半。
そんなこんなで21時半には眠くなってくる。で、22時過ぎにはソファーで寝落ち。
5時には目覚め。ゴミ出しやら洗い物やらは体力のみなぎるこの時間帯で済ます。
6時台にはゆっくりはてブ。「夜はてブしねえのかよ、汚いな」うるせえよ、こちとら朝はてブ派だ。
はてブから出たらしっかりとベッドで二度寝。30分から1時間寝て出社。今日も一日頑張るぞ。
家ではてブ鑑賞するときは、ストレートに帰宅。パパッとTwitterを適当に済ます。
あー手斧楽しかった。時計に目をやる。まだ20時台だ。もう一本投げようかな。
Facebookに行く日もある。18時前後のFacebookはガラガラ。飯写真+意識高い系、みっちりやっても20時過ぎには終了。
何をやってもイエロースターがひたすら余る。イエロースターの買取サービスでもあれば毎日3000個分くらい売り飛ばしたいよ。
彼女持ちなら一緒にはてブできるな。カラースター付けたりするのも一興だ。
子持ちなら幼稚園やらのお迎えついでに子供とはてブしてあげられるだろうね。
春・夏とかなら全然明るいし、帰りがてら公園とかではてブしてあげる事も可能かもな。
はてブ寄ってはてブ後にはてブ、はてブに入れてあげても20時台じゃないかな。
子供が大きくなったら親父が互助会や勉強会の送り迎えしてやる、なんてのも粋じゃないの。
相変わらず薄給な事実は変わらないんだけど、とにかくスターつけてる感が半端じゃない。
小学生の時の「今日帰ったらはてブしようかな♪」ってワクワク感が蘇ってきた。
「世の中、アフィリエイトだ」と言うだろう?絶対に違うね、世の中はてブだよ、はてブ。はてブははてブなり、ビバ定時はてブ。
結論:みんな早く帰ろう。
気付いたメリットを挙げていく。
当たり前なんだけどこれに尽きる。というかこれだけしか利点ない。オンリーワン。
早寝早起きを合わせると、更に自由時間は伸びる。誇張抜きで1.5倍くらい。
最近の平日はこんな感じだ。
まず17時台のうちにスーパー直行、意外と主婦っぽい人は少なめ。
20代後半〜30代前半くらいの綺麗なOLさんが多く、目の保養になる。あいつら帰るの早いな。
食材を買って帰宅で18時台前半、晩飯を食い終わってもやっとこさ19時前後である。
そっからこころゆくまでyoutubeで音楽聞いたり、趣味の楽器いじっても、せいぜい20時台後半。
そんなこんなで21時半には眠くなってくる。で、22時過ぎにはソファーで寝落ち。
5時には目覚め。ゴミ出しやら洗い物やらは体力のみなぎるこの時間帯で済ます。
6時台にはゆっくり入浴。「夜入らねえのかよ、汚いな」うるせえよ、こちとら朝風呂派だ。
風呂から出たらしっかりとベッドで二度寝。30分から1時間寝て出社。今日も一日頑張るぞ。
家で映画鑑賞するときは、ストレートに帰宅。パパッと飯を適当に済ます。
あー映画楽しかった。時計に目をやる。まだ20時台だ。もう一本見ようかな。
ジムに行く日もある。18時前後のジムはガラガラ。有酸素+筋トレ、みっちりやっても20時過ぎには終了。
何をやっても時間がひたすら余る。時間の買取サービスでもあれば毎日3時間分くらい売り飛ばしたいよ。
彼女持ちならディナーとか一緒に行けるな。映画見たりするのも一興だ。
子持ちなら幼稚園やらのお迎えついでに子供と遊んであげられるだろうね。
春・夏とかなら全然明るいし、帰りがてら公園とかで遊んであげる事も可能かもな。
スーパー寄って帰宅後に夕食、風呂に入れてあげても20時台じゃないかな。
子供が大きくなったら親父が塾や習い事の送り迎えしてやる、なんてのも粋じゃないの。
相変わらず薄給な事実は変わらないんだけど、とにかくQOL向上してる感が半端じゃない。
小学生の時の「今日帰ったら何しようかな♪」ってワクワク感が蘇ってきた。
「世の中、金だ」と言うだろう?絶対に違うね、世の中時間だよ、時間。時は金なり、ビバ定時退社。
結論:みんな早く帰ろう。
思いっきり偏った知識で書くから間違いがあるかもしれない。そういう点はつっこんでもらって正してください。
障碍者が働く授産施設?で作ったパンとか食べ物が売ってるよね?
あれって売れてるから作ってるの?作るのが簡単だから売ってるの?
正直なイメージとして、「なんか汚そう」って思って買ったことないんだ。ごめんね、ストレートな感想で。
もし「売れてない」とか「もっと売り上げを」と思うなら、もうちょっと別な角度から攻めたらどうだろうか。
他にもいろいろ作ってるっぽいのは知っているが、食べ物は正直止めた方がいいんじゃないか。
店や駅で見かけても、見て見ぬふりしてスルーするのも辛いんだ。
5~6人の仲が良いグループにいて、だいたい2~4人ぐらいで暇な人間集めて週に何度も遊んでた
誰かの家だったり公園だったり、近所の国立大学の敷地だったり場所はとわず
一緒に居るのが楽しかったし、お金なんてある奴が払えばいいってみんな思ってた
「酒かおーぜ!」
「安いからジン(テキーラだったりヲッカだったり)のボトルでいいよな」
「2000円やって」
「俺金持ってない」
「何百円あるの」
「300円、明日の昼飯代」
「今度払えよ」
みたいな感じでいちおうは割り勘だけどお釣とか適当だし、ずっと金欠の奴いたらいっつも少な目に払ってた
「飲みにいこー」
「じゃあ、あとの3人で割るから」
みたいな感じ
お金があったりなかったりする奴は払ったり払わなかったりだし
大体金欠マンは大体「1000円しか払えないけどいい」とかいって他に負担してもらう
そんな感じで生きてたし、今もそうだから
友達と金銭感覚がずれたから付き合いずらくなるとかいう話が全然分からないというか
まあウチの友人が基本的に贅沢を嫌うというかただ高いものに魅力を感じないタイプで
無駄遣いしないから他の人間よりも金銭的余裕があったというのもひとつかもしれないけど
もう40代が近づいて来て当時の友人に社長もいれば派遣社員も居る
「飲みにいこーぜ」(社長)
「今月金ない」(派遣)
ですむんだけど。
こう書くと誤解されどうだけれど、
奢られるほうも、相手が奢る金額よりも一緒に居て楽しい時間に価値を見出してくれてると思ってるから
小学校の時に小遣いいっぱい貰ってる同級生にみんなでたかってたり、そんな経験もあったし
お金ってみんなで共有したらいいじゃんって思うの
あと女子って割り勘とか細かそうだなって印象
ちょっと前の増田に、女は女とヤッた方がマシとかなんとかいうのがあったが、数値があったので紹介してみる。
結果から見れば、セックス中にオーガズムに達する割合は次の通りになる。
この数字から見る限り、女性においてはストレートなセックスよりもレズビアンセックスのほうが圧倒的にオーガズムに達する率が高く、快楽としてのセックスを考えた場合には、もはや男性のパートナーは太刀打ちできないような結果である。
うつ病をわずらって一時休職したこともあり、5年前くらいは手取り15万くらいの仕事についていて、大学も出てないし自分には取り立てて秀でた能力もないからこんなもんだと思っていたものの、この先ひとりで生きていくには心もとないから結婚しなきゃ!と思って、結婚を考えてると言われて付き合った恋人にあっさり振られてしまった。
「わたしの人生誰もなんともしてくれない」「幸せだと思ったこともないしこの先幸せになれるとも思えない」「どん底みたいな気持ちで生きていくのか」という気持ちで、またうつ病に逆戻りなのかなとか、会社の先輩に「うつ病なんて甘え、好きなだけ休んでずるい」と言われたりとか、しかしその先輩の仕事の尻ぬぐいを全部押し付けられたりとか、次第になんでこんな思いをしてまで生きなきゃいけないんだという怒りが沸いてきて、よしわかった!自分の人生の責任はわたしが持つ!リングに立ってやるから覚悟しろよ!!と腹をくくることになった。
信頼できる上司の下で仕事を覚えて実績を積み重ね、次第に周囲もわたしのほうを上役扱いしだして、名実ともに先輩の上司になるまでになった。その頃には手取りが2.5倍以上になっていた。(そして先輩は自分はうつ病だと言いだしたが割愛)
恋人から振られなかったら、先輩からひどい目に合わされなかったら、わたしは何も変わろうとせず、幸せではない毎日を疑問にも思わず甘んじて受け入れていたと思う。想像するとぞっとする。だからきっかけをくれた元恋人にも先輩にも嫌味でなく感謝している。
わたしはほんとに運がよかった。信頼できる上司とは何度もぶつかり合ったけど、たまに体調を崩して休むわたしを責めることは一度もなかった。わたしにはものすごい才能はないけれど、人よりちょっとうまくできることもあった。逆に苦手なことはやらなくてもよいと言ってくれた。自分が幸せになるために仕事をしろ、不幸になってまで仕事をするなと言ってくれた。
自分には縁がないと思っていたきれいで広めの部屋に引っ越して、こだわった家具を選んだり猫に美味しいものを食べさせたりできるようになった。猫が病気になって治療費を躊躇なく出せるようになったことは、仕事をがんばってお金を稼げるようになって一番良かったことだ。いまのところ結婚の予定はない。
まるで男の子のようなショートカットの髪、金八先生に出ていた時の上戸彩みたいにCUTEな美少女だった。
ぼくの君に対する第一印象はただひとつ「胸がでかい」それ以外のことをぼくは何一つ思いつかなかった。
小柄なきみのカラダに不似合いなほど、その胸の隆起は際だっていた。
きみは一時期、ぼくと同じ学年の男子と付き合っていたね。
そのときぼくは思ったよ。
「あいつはあの大きな胸が目当てなのか」と。
もちろんそんなことはなく、彼は知的でCUTEなきみが好きで胸なんかはただのおまけだったのかも知れない。
しかし、どんな言い訳をしたってきみの第一印象が胸であることは疑いのない事実なのだ。
それに「どうせ胸が目当て」だなんて高校生の言うセリフじゃないだろう。
自慢じゃないがぼくのいた公立高校は男子童貞率96%、つまり非童貞はクラスに一人くらいしかいなくて、
しかも在学中に処女童貞を失った場合の浪人率は100%という恐ろしい世界だったから、だから禁欲=正義だったんだ。
もちろんぼくも受験勉強に精を出し、オナニーで精を出す一人の純朴な高校生だった。
受験勉強の甲斐あってぼくは現役で大学に合格し、その喜びもつかの間、片想いの女の子にはあっさりとふられ、童貞期間更新中だったぼくは、翌年の春にきみが関西のある有名私大に合格して大学生になったことを知った。
当時のぼくは手紙をよく書いたよ。在学中にちょっとした面識があったのできみにも合格のお祝いと自分の大学生としての近況報告のような手紙を書いた。そうしたら一度京都を案内して欲しいという返信が来た。そしてぼくは思いがけずきみとデートできることになったんだ。
「えっ、こんなところから胸がはじまるのか!」と思うほどにきみの胸の隆起はクビのすぐ下からはじまっていた。
ぼくはきみの目ばかり見て話をしていたが、視線を下に落とせばそこには胸があった。
向かい合ってる男が自分の顔ではなく胸を見ながら話してるなんてすごく不愉快じゃないか。
だからぼくはいつもきみの目を見て話をしていた。視線を伏せることなんてできなかった。
今思うとなんてもったいなかったのかと思う。サングラスでもして視線を隠して、思う存分胸を見ればよかったじゃないかと。でも、当時はそんな才覚はなかったんだよ。
京都でのデートの後で、ぼくは卑怯にもきみへの手紙の中に「好きだ」というフレーズを書いた。
しかし、そのときのぼくは本当にきみが好きだったのか、それともきみの胸が好きだったのか、正直言ってよくわからない。
ぼくは知的でCUTEなきみを本当に素敵な女の子だと思っていた。
しかし、その100倍くらいぼくはきみの胸が好きだったんだよ。そんなこと手紙に書くはずないけど。
秋になって、いろんな大学の学園祭の季節になって、ぼくはMを伴ってN女子大の学園祭に出かけた。
高校で同じクラスだったことがある仲間由紀恵みたいな黒髪の純日本風お嬢さんに誘われたからだ。
実はぼくはその仲間由紀恵のこともかなり好きだった。もしもその美女を射止めることができたならば、ぼくは同じ高校のあのさえない童貞軍団を見返してやることができたはずだし。そう、ぼくのあこがれの大本命は実は仲間由紀恵であり、Mの存在価値は「自分とつきあってくれる女」という点にあったわけだから。
N女子大学の模擬店でぼくは仲間由紀恵にMを紹介した。仲間由紀恵はMをみて、Mの胸をちらりとみて、それから妙につっけんどんな態度になった。
「あなたはこんな乳のでかい頭の悪そうな女が好きなのね!」と仲間由紀恵は思ったのかも知れない。
そんなことはないんだ。Mは決して頭の悪い女なんかじゃない。
とっても聡明で話していて退屈しない女なんだ。
でもそんな言い訳をするチャンスはなかった。
だって仲間由紀恵はその後ぼくに手紙をよこさなくなったし、彼女が風の噂にお医者さんと結婚したと聞いたのはその数年後のことだ。
N女子大の学園祭の後に控えていたのは京都大学11月祭だった。ぼくはそこでMと腕を組んだり、手をつないだりして歩くことができた。
普通のカップルのように彼女と学園祭デートをするなんて幸福をぼくは手に入れた。
しかし、ぼくは手をつなぐ以上のセクシャルな領域に足を踏み入れることはどうしてもできなかった。
その理由は簡単だ。ぼくは童貞だったから。どうやってその先に進んだらいいのか、ぼくは全くわからなかったのだ。
手を伸ばせばいつでも触れられるような距離にありながら、その胸はぼくにとって相変わらず不可視のものであり、かつ不可触のものであったのだ。
そのままお正月が過ぎ、春になった。ぼくはMと初詣に住吉大社に出かけ、そこから阪堺線のチンチン電車に乗って浜寺公園に出かけた。
潮の香りのするコンクリートで固められた護岸の上の散歩道をのんびり歩き、座って話をした。おだやかな一日だった。
あの頃ぼくたちはいったいどんな話をしていたのだろう。
そうして休日には手をつないで歩き、一緒に映画を見たりしたぼくたちはまぎれもなく「つきあってる」という状態だった。
しかしぼくにとってきみの胸は相変わらず不可視のものであり、かつ不可触のものであった。
どうすればぼくはその二つを可能にできたのだろうか。
まだ20歳にもならない自分はその方法を何一つ知らなかったのだ。
もしもできることなら今の自分が当時の自分に憑依して、知りうる限りの恋の手練手管を用いてその困難を可能にしてあげただろうに。
ぼくは免許を取り、中古車でいすゞジェミニを買った。それでMとドライブすることになった。
Mに向かって「どこに行きたい?」と聞いたら「鞍馬」という意外な答えが返ってきた。ぼくたちは鞍馬のおもちゃみたいなケーブルカーに乗った。
汗ばむような陽気の中で、同じようにデートしているカップルが居た。
ぼくは赤面した。
キスとは、ああキスとは、それは限りなく遠くに存在する行為じゃないか。
まだぼくは胸を見たこともないのに・・・・
いや、それは違う。少なくとも胸を見るという行為は、キスという行為のさらに先に位置するものであるはずだ。
ということは、自分が胸を見たいとか触れたいと思っていたことは根本的な間違いであり、それを実現させたかったら
先にキスという段階をクリアしておかなければならなかったのだ。キスとは、胸を見るための必要条件である。
もちろんキスをしても胸を見るところまで到達できない場合もあるだろう。しかし、キスをしないで胸を見るなんてことはどう考えても変だ。
つまり自分は、「胸を見るためには先にキスをしなければならない」という恋愛の発達段階の重要な法則をそのときに発見したのだ。
ストレートに胸に到達しようと思っていた自分が間違っていたのだった。
ぼくはその真理をここに理解したのだった。
その二人のための貴重な日曜日を、Mはこともあろうに私ではなく神に捧げてしまったのだ。
ぼくは一度Mにくっついて教会に一緒に行ったことがある。Mのスクーターの後を、ぼくは実家にあったヤマハパッソルで追走した。
当時はまだ原付にヘルメット着用の義務はなかった。そうして教会に出かけたのも一度きりだ。
ぼくにはきみの胸を見たいという願望があったが、教会で聖書を見たいとは思わなかった。
僕に必要なのは聖ではなくて性であり、聖書ではなくて早くぼくを童貞から卒業させてくれる性書こそがぼくにとって必要な書物であった。
「汝、姦淫するなかれ」という神の教えは、その反動でぼくの心をますます君の乳房への思いでいっぱいにした。
ぼくは教会についていくのを止め、ぼくたちの仲は自然消滅した。
そのとききみはブラウスのボタンを二つもはずしていたから、ぼくは思わず「うっひょ~」と心の中で叫んだ。
そのとき、きみのオッパイはぼくの心の中で永遠の憧憬になった。あれから34年経つけど、今でも君の胸は成長を続けているのかい?
仕事でツラくてやめたくて、落ちこんでたんだけど、
なんともなしに聞いていたら 涙がじんと浮かんでしまった。
最近、邦楽はAKBとかジャニーズとかしかランクインしてなかったから見逃していた。
コイツらすごいな。
なんかもっかいがんばろうかな、って決意しちゃったよ。
ブログでキャリアやPV、儲けている金額などでドヤ顔する人を見ると気分がムカムカして収まらない。
ブログなんて個人が好き勝手に書くものだと思うのに、そこへ格付け基準を勝手に持ち込まれても困る。
しかも大体そういうことをする人はストレートではなくて婉曲的にやるから、それがより一層腹が立つ。
ストレートに「わ~い、今月**円儲かったよ~。うれぴ~」とか「PVが**になってうれぴ~です」とかいうならまだ許せる。
ところが「今月は思ったより不調で**円しか稼げなかったです。俺って下手くそw」とか「PV,PVなんていちいち気にするもんでもないけど一応**pvはクリアしてます」てな感じのはただただムカつくだけ。
東大生が大学を聞かれて「一応、東大ですけど」って言う時のイヤったらしさと同じものを感じる。
だから何って言われても困るんだが、ま、そういうこと。以上。
【前提】
就活でかなり追い詰められていた時に、彼は「別に専業主婦とかでもいいんだよ」と言ってくれた。
彼のことは非常に愛しているし、正直魅力的な提案だと思ってしまったけど、でも無事に就職先が決まった時、とてもホッとした。この事について、ただただ考えてみた。
これは個人的な愚痴の吐き出しであり、一般化を目的とするものではない。
(個人的には、ハウスキーパーなど家事技能必須の職業も存在していることだし、一人暮らししてると家事めっちゃめんどくさいし、尊敬の念を禁じ得ない。)
【外的?要因】
どうも配偶者や恋人などのパートナーがいると、個人の能力とか、主体的な部分が無視されることがある気がする。
私に恋人がいることを知っている知人から、「そのネックレスかわいいね、彼氏さんからのプレゼント?」とかなり確信に近い感じで言われたことがある。
私はそれほどバイトに熱心な方ではないと知られていたので思考としては当然の帰結なのかもしれないけど。
けどもし、珍しくバイトして汗水垂らして買いましたとか、そういう風に言ったらこの人どうするんだろう?と考えてしまった。
たかがアクセサリー、たかがこれくらいの言葉で、と自分でも思う。でも短期間で同じようなことが立て続けにあり、どうしても考えてしまった。
恋人がいる、というだけで個人の経済力とか、自己決定能力が無視されたように感じてしまった。更に言えば、自己肯定感の低い人間なので、私って彼氏がいる以外何もない人間なんだろうか、とちょっと落ち込んだ。私と彼とは個人同士で選びあって愛しあっているのに、第三者からするとどちらかがどちらかの付属物のように見られることがある、というのがなんとなく悲しかった。
私の場合はアクセサリーに対してのだったけど、もしかしてたまにあることだったりするんだろうか。例えば男の子がなんとなく作った料理とかお菓子の写真を上げて、「美味しそうだね!彼女さんが作ってくれたの?」っていうリプが付くとか?
勿論自意識過剰なのはわかっているし、社交辞令とか世間話ってそういうもんだと思う。
でも、もし例えば専業主婦になって、専業主婦に関してよくある言葉を軽口として言われ続けたらきっと耐えられないだろう。個人関係でさえこれなのだから、社会的責任をもって結ばれた関係でこうやって考え込んで勝手に落ち込んでたらやっていけない。
【内的要因】
本当は、前段を本題として、「もし世界に彼と私の二人きりなら、一も二もなく提案を受けるだろう」と締めくくるつもりだった。けどよくよく考えてみて、実際そうなったらいつか自殺したくなるんじゃないか、と思った。
理由は罪悪感である。相手に何かしてもらうばかりで、自分は何一つしてあげられないのではないか、と。
以前ストレートにこの旨を話した所、「具体的に何してくれるとかじゃなくて、君がいるだけで俺は頑張れる」的なことを言われた。カーッ!好き!でも実感ができないので納得できない。
そんな私にもわかりやすい指標の一つが、お金である。ちゃんと働いて相手に金銭的負担をかけないとか、そういうことが唯一私が彼にできることであり、拠り所というか希望になりつつあったのかもしれない。
多分主婦になっても、ちゃんとした家事ができる気がしない。かなりダメだと思う。それでも彼は何か見つけて労ったり褒めたりしてくれそうなんだ。
彼は優しくて私は卑屈だ。そういう人間にとって最後の砦が、「ちゃんとしているということを経済力によって示す」ことなのかもしれない。
正直社会人になるのも滅茶苦茶不安だ。働きたくない。やっていける気がしない。でも、相手に見合う人間になりたいとか、自立した一個人として見られたいとか、そういうことを考えれば頑張れるというか、もうそれしかない。
正直医学部入学はスタートライン手前の話、その後6年間医学を学んで卒業試験を受かって、国試も合格してようやく研修医を始めることができる、ここもスタートの手前。
2年間臨床研修医やって保険医の資格をもらってさらに後期研修。やりたい専門分野を選んで専門医の試験に受かってようやく医者のスタートライン。
最低でも10年くらいかかるけど6年間失敗してるならストレートで行けるとは考えられないよね。
きつい話だけどそのあたりもかんがえて来年受けるかきめたほうがいい
このまま別の大学行ったとして4年、新卒じゃないからどうせ派遣で働くだろうがまともな職歴得るのに5年、その後年齢がいっているからまともな会社に入れるかどうかはギャンブル。フリーランスで成功するかもギャンブル。どっちみち社会復帰するのに10年かかる上に医学部以外でもギャンブルになる上にリターンが低い。30手前まで医学部目指した奴は医学部受験を続けたほうがいい。30超えてまともな職歴ない奴は女にも相手にされないんだから。40超えてても医者ならそこそこの女捕まえて結婚して人並みの幸せはおくれるだろう?
今年のアカデミー賞短編映画部門の映画「合唱」だけど、日本語タイトルに異議あり。ぶっちゃけて言ってしまうと、ぶち壊しである。
原題は「Mindenki」(Everybody)、英題は「Sing」。無論原題の方がいいんだけど、英題でもまあ問題はない。しかし日本語タイトルは問題外だと言える。
なぜなら、映画のラストシーンのキーワードは「みんな」、そして「歌いなさい」だから。これらのキーワードがタイトルに設定されていたとするなら、観衆は「ある結末」を期待しつつ、作中のアクシデントの経過を見守ることだろう。
その結末は、ある意味予定調和的で、美しく、誰もが傷つかない、「いい物語だった」というカタルシスを与えてくれるものだっただろう。主人公たちが実力に見合わないような成果を得ても、それはフィクションのお話だから気にする方が野暮というものである(ただし正月に見た「天使にラブソングを2」に感じた違和感はコレだったが)。
しかし、この映画において、子供たちは聴衆の期待を大きく裏切る行動を成し遂げる事となる。これは大変重要なポイントである。なぜなら、この映画の価値、そしてアカデミー賞を受賞した理由の一つは、「期待を裏切ること」にあるからだ(少なくとも私はそう思う)。
こうした観点から考えると、日本語タイトルの「合唱」は、映画の内容をストレートに表現しているのにも関わらず、結末へのある種の「期待」を強く喚起することができない。結果として、日本の観衆はこの映画を、本来意図された(であろう)形で楽しむことができないだろう。残念だ。