【前提】
就活でかなり追い詰められていた時に、彼は「別に専業主婦とかでもいいんだよ」と言ってくれた。
彼のことは非常に愛しているし、正直魅力的な提案だと思ってしまったけど、でも無事に就職先が決まった時、とてもホッとした。この事について、ただただ考えてみた。
これは個人的な愚痴の吐き出しであり、一般化を目的とするものではない。
(個人的には、ハウスキーパーなど家事技能必須の職業も存在していることだし、一人暮らししてると家事めっちゃめんどくさいし、尊敬の念を禁じ得ない。)
【外的?要因】
どうも配偶者や恋人などのパートナーがいると、個人の能力とか、主体的な部分が無視されることがある気がする。
私に恋人がいることを知っている知人から、「そのネックレスかわいいね、彼氏さんからのプレゼント?」とかなり確信に近い感じで言われたことがある。
私はそれほどバイトに熱心な方ではないと知られていたので思考としては当然の帰結なのかもしれないけど。
けどもし、珍しくバイトして汗水垂らして買いましたとか、そういう風に言ったらこの人どうするんだろう?と考えてしまった。
たかがアクセサリー、たかがこれくらいの言葉で、と自分でも思う。でも短期間で同じようなことが立て続けにあり、どうしても考えてしまった。
恋人がいる、というだけで個人の経済力とか、自己決定能力が無視されたように感じてしまった。更に言えば、自己肯定感の低い人間なので、私って彼氏がいる以外何もない人間なんだろうか、とちょっと落ち込んだ。私と彼とは個人同士で選びあって愛しあっているのに、第三者からするとどちらかがどちらかの付属物のように見られることがある、というのがなんとなく悲しかった。
私の場合はアクセサリーに対してのだったけど、もしかしてたまにあることだったりするんだろうか。例えば男の子がなんとなく作った料理とかお菓子の写真を上げて、「美味しそうだね!彼女さんが作ってくれたの?」っていうリプが付くとか?
勿論自意識過剰なのはわかっているし、社交辞令とか世間話ってそういうもんだと思う。
でも、もし例えば専業主婦になって、専業主婦に関してよくある言葉を軽口として言われ続けたらきっと耐えられないだろう。個人関係でさえこれなのだから、社会的責任をもって結ばれた関係でこうやって考え込んで勝手に落ち込んでたらやっていけない。
【内的要因】
本当は、前段を本題として、「もし世界に彼と私の二人きりなら、一も二もなく提案を受けるだろう」と締めくくるつもりだった。けどよくよく考えてみて、実際そうなったらいつか自殺したくなるんじゃないか、と思った。
理由は罪悪感である。相手に何かしてもらうばかりで、自分は何一つしてあげられないのではないか、と。
以前ストレートにこの旨を話した所、「具体的に何してくれるとかじゃなくて、君がいるだけで俺は頑張れる」的なことを言われた。カーッ!好き!でも実感ができないので納得できない。
そんな私にもわかりやすい指標の一つが、お金である。ちゃんと働いて相手に金銭的負担をかけないとか、そういうことが唯一私が彼にできることであり、拠り所というか希望になりつつあったのかもしれない。
多分主婦になっても、ちゃんとした家事ができる気がしない。かなりダメだと思う。それでも彼は何か見つけて労ったり褒めたりしてくれそうなんだ。
彼は優しくて私は卑屈だ。そういう人間にとって最後の砦が、「ちゃんとしているということを経済力によって示す」ことなのかもしれない。
正直社会人になるのも滅茶苦茶不安だ。働きたくない。やっていける気がしない。でも、相手に見合う人間になりたいとか、自立した一個人として見られたいとか、そういうことを考えれば頑張れるというか、もうそれしかない。