はてなキーワード: ステーキとは
どんなのでもいい。自炊民であれば必ず一つはあるだろうから教えて。
超簡単なやつでも超手の込んだやつでも歓迎。
豆腐(絹でも木綿でもいい、わたしは木綿が好き)に、混ぜた納豆とキムチを乗せてかきこむだけ。小ネギ散らすとなお良い。
・塩豚
豚バラブロック肉に対して塩2%、砂糖1%を満遍なく塗り込む。コショウも少々振りかける。ラップしてその上からアルミホイルをして1週間程度置く(5-6日くらいでも)
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ボールに水入れて、30分以上、水を替えながら豚を浸けてよく塩抜き。完了したら水気をよく切ってキッチンペーパーとかで拭いてから、脂身の多い方から表面だけ白くなるくらい焼く。四面全部白くなったら冷凍(切る時、解凍されてると薄く切りやすい)
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食べたい時に冷凍庫から出して縦に薄く切る(味濃いから1人前で2枚くらい)。フライパンで、1分ほど強火で両面に火を通したあと、やや中火よりの弱火で5分焼く(油なくてもいい)。あんまり薄く切れなかったら6-8分くらいかな。この辺はいい感じに各々焼いて。カリッと焼けると最高
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めちゃこだわるんだったら、ポーチドエッグをあらかじめつくっとく。半熟卵でもいいし、それもめんどかったら焼いた肉に生卵落とせばいい。卵と一緒に食べると至高。そこらのステーキより断然旨い。うちの一番のご馳走
もうすぐ誕生日のアラフォー独身男なんだけど、せめて誕生日くらいは贅沢したい。
一万円くらいでできる贅沢ってある?できれば一人でできるものがありがたい。
(※AIに関西弁しゃべらせてたらやめろと言っても関西弁が直らなくなってます)
一流の寿司屋でおまかせコースを楽しめるところ、探せばあるで。10貫くらいのコースやと、めっちゃ新鮮で贅沢なネタを堪能できるわ。
ちょっと離れた温泉地まで日帰り旅行!入浴とおいしいご飯がセットになったプランなら、1万円以内でのんびり癒されることができるで。
美味しい肉が好きやったら、高級ステーキ店で豪華なディナーに挑戦や!1万円やったら、和牛のステーキ一皿を贅沢に味わえる店もあるで。
おしゃれなホテルで、アフタヌーンティーセットを楽しむのも贅沢や。スイーツや軽食を上品にいただきながら、優雅な時間を過ごせる。
プロの手による60~90分のマッサージやエステを受けたら、もう心も体もリフレッシュやで。贅沢に癒されてみ?
普段は手が出せん高級ワインやシャンパンを一本買って、特別な夜を楽しむのもええやん。一人でゆっくり味わうもよし、友達と乾杯するもよし!
奮発して、すげえ高いイタリアンのコースを食ったわけですよ(つっても庶民なので、ひとり一万円はしないくらい)(とはいえ、逆にいうと一万円近くはするわけだ!)
まあ美味かったですよね…
すべての皿に驚きがあり、それぞれの皿の中に変化があり、なんというか、たとえば俺が6畳の部屋で自炊したヤキソバを5分でかっ食らうような普段の「食事」とは雲泥の差があった
栄養補給とかじゃなく、あれはひとつの旅、ジャーニー、アドベンチャーだった
まあそれはうまいですよね フルーツと生ハムを一緒に食うっていうのは、さすがにガキじゃねえから概念としては知ってるわけですが、そうはいってもやはり日常的にはやらないわけだ
そういうのをサラリとやってきて、そんですげえうまいんだよ 生ハムもなんつうか、ひと山いくらの軟弱なやつじゃなくて、ハード系の、味に芯があるやつ 生クリームとイチジクの風味が広がる中で、流されずにそこにあり続ける
そんでベルガモットというのが一体なんなのか分かってないんだけど、たしかにオリーブオイルには何か華やかな風味がありました つまりうまいということだ
俺はじつは貝類がけっこうダメで、クセなんてほぼないホタテの貝柱すらわりと苦手としてるんだけど、カルパッチョなんていう生っぽい調理法なのに、このホタテは全然クセがなく、うまさだけがあった
食感もこう、なんの抵抗もないって感じで、なんていうのかな、流れるように過ぎていく一皿だったな
カンパーニュってなんのことか分かってないんだけど、まあなんかこう、硬めのパン?みたいなことだと思っている
そういう、黒っぽい、ハード系のパンがひと切れ、皿に置かれているわけですよ
華やかさは全然ない
ナメてんのか?と思いながら食うと、マジでびっくりするくらいうまい パンはパンであり、パン以上のなにか具なんかが入っているわけではないんだけど、もはや料理と言っていいくらい「味」があった
ランチパックのタマゴサンドとあのカンパーニュだったら、実際のところマジでカンパーニュのほうが「味が濃い」と言っていいと思う(ランチパックだって悪くはないけどよ!)
オリーブオイルとバルサミコ酢?が小皿でついてきて、それにつけて食うこともでき、そうするとまた非常にうまかった バルサミコ酢はブドウっぽさを感じさせる味わいで、少しジャムのようですらあった
たぶんコース全体の主食ポジションとして、ほかの料理と合わせてゆっくり食っていく想定で出てきてたんだけど、完全に単体で主役を張れる味だったというか、料理としてしか認識できないほどうまかったため、普通にすぐ全部食ってしまった…
牛乳ベースというか、生クリームベースというか、そういうクリーミーな白く冷たい液体の中に、粗いさつまいものペーストが入っている
塩気も甘味も控えめなんだけど、それがいい 滋味がある…というにはうますぎるんだが、しかし方向性としては滋味があるということになるんだと思う
さつまいもがペーストなのがよかった ペーストは底の方にいるんで、最初上の方の汁だけ飲んで、あー!確かにサツマイモだ!と思い、その後本当のサツマイモを発見する そういう流れがありましたね
これまでのメニューがどちらかと言えば「抑えた」食材だったのに対して、これはもう完全にメイン感のあるものだ サルシッチャというのはソーセージのことですからね
ロンティーユというのはレンズ豆のことみたいで、トマトベースの味付けがされたレンズ豆の煮付けが太いサルシッチャに添えられていて、バルサミコ酢もかかっている
全てを口に入れると、もう爆発的にうまい ここにきて肉の旨みだ それはまあうまいですよ
そんで、添えられたみかんマスタードも非常によい 北イタリアあたりにモスタルダっつう、果物のマスタード漬け料理があるらしく、それを意識したものらしい
粒マスタードのプチプチした食感、マスタードの風味、柑橘の爽やかさ これがサルシッチャに加わって最強となった
メインのメニューだ
これがうまくないわけがない
トリュフ塩・わさび・さっきのモスタルダという、3種類の調味料がそれぞれ皿の上にあって、好きに選んで食える
白アスパラガスが添えてあるんだけど、これがただ焼かれてるだけじゃなくて出汁で煮込んであって、単体でも美味い
トリュフ塩で食うと肉の甘みが後味に感じられる いちばん肉を食っている感じがする
わさびで食うと、なんというか爽やかだ 俺の表現力ではもはや美味いとしかいえねえ
ワンディッシュとは思えない複雑さであった
マスカルポーネチーズがひと握りくらい乗っていて、もうその時点で嬉しい
ニンニク、というよりガーリックと言った方がいいのかもしれないが、そのガーリックの香りが激しく効いていた
けっこう満腹感がでてきたところにパスタなんだけど、すぐ食えてしまうし、むしろもっとあってもいいとすら思えた
冷たく、なんというかソリッドな甘さ、というか在り方であり、コースの締めくくりにピッタリだった
渋かった もう一度食いたい
高えコース、うめえですわ
俺はわりと余計な金なんていらねえと思っていたけど、高えメシ・うめえメシをバンバン食えると思うと、金ってやっぱすげえわ
でも、高いからうまいってわけでもないとはもちろん思う いい店だからうまいんですよね
いい店だった……
昨日
家族で温泉。車で10分のところ。すごい混んでた。入浴だけで帰宅。
晩飯は昼の残り。
出かけたい気持ちはあるが、妻と仲が悪いのと子供がじっとしていられない性格で車に乗ると機嫌が悪くなる。
結局どこにも行かずに休日が終わる。子供も来年には中学生になるし、ますますどこにも行かなそう。
普通の家庭だったら、小学生の子どもが居たら土日どっちかは外出すると思うんだが、妻からも子供からも一切どこか行きたいみたいな話はない。
一人で遠出しようとすると、妻からは必ず子供連れてってといわれる。家で一人になりたいらしい。
でも子供もドライブ自体嫌がる。家でゲームかYoutube見ていたい。
毎週遊びに行きたくてもいけない焦燥感に駆られてる。
何故って、自ら望んで生を受ける子はこれまでにただの一人も存在せず、一方で親は子を為そうとして子を為し、また子を育てようとして子を育てるからである。「食べる」の受動態が「食べられる」であるのと同じように「生む」の受動態が「生まれる」である。猫に食べられたいと望んで食べられる鼠なんてのがせいぜいフィクションの中にしか存在しないのと同じように、親に生まれたいと望んで生まれる子なんてのは現実には一切、全く、金輪際存在しない。まずここまでの話に同意できないやつは創作の読みすぎ、そうでなきゃ宗教の影響を受けすぎだ。どうせ宗教をやるなら禁欲を徹底して処女懐胎くらい起こしてみろやw
よって親は子に対しあらゆる贖いをしなければならない。もちろん(それが子の望みを叶える手段または子の望みそのものでない限り)肉体的な死は贖いにならない。何故ならそれは独善でしかありえないからである。贖いとは子の望みの一切を叶えることであり、またそれ以外を一切行わないことである。社会的に死に、子の魔法の杖でのみあれ。老いずとも子に従え。自ら贖うことの叶わないときには同等かそれ以上の代償を払ってでも叶えよ。子の望みが下僕に伝わらないのは下僕の能力に難があるのであって、断じて子に望みが無いことを意味しない。解釈をするな。正解を出せ。そもそも子の望みを子に伝えさせている時点で下僕として不適格である。本来、子がステーキを食べたいと望んだときには既に子はステーキを食べ終わっているべきである。しかし非常に不本意なことにそれを叶えるのは誰にとっても現実的でない。したがって下僕はあらゆる所作の初めと終わりに「申し訳ございません」と発さねばならない。これは「御望みをお叶えすること能わず申し訳ございません」であり「御自ら直々に御言葉を発させてしまい申し訳ございません」であり「生んでしまい申し訳ございません」である。この程度のことで得られるものは少ないが、何も無いよりはよほどマシである。それくらいの態度は示せ。許しも得ず勝手に生んでおいてその程度の贖いすらできぬ者が傲慢でなくて何であろうか。
これを完璧にこなせる者のみが親である資格を得るべきである。俺には無理。既に親である者には無理と言わせねえぞ。しかしほとんどの人には無理だろう。だから人は子を為してはならぬし、子を為し得る行いもしてはならぬ。あらゆる人生は自死のいずれかでしかない。親でないうちに死なねばならぬ。そういうわけでとっとと去勢したいのだが、どこでやってくれるんだろう。阿佐ヶ谷ロフト人肉食事件の当事者に聞けばいいのかな。俺のこの望みが未だ叶っていないのも、俺を生み俺を育てたと勘違いしている者が一度たりとも正しく俺の親であったことが無いからである。恥を知れ。