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はてなキーワード: クズとは

2023-12-02

おいクズ

てめーは知らないだろうけど

てめーが俺の大切な人達を傷つけたせいで

こっちはもう二年以上まともに生活送れてねーんだよ!

趣味とか好きなこととか、全く楽しめなくなった!!

この精神状態で今それらに触れたら、てめーへの恨みやストレスが直結して、

数年後に改めて触れた時にフラッシュバックするだろ!

それが嫌だから、俺は趣味から距離を置いた!


クズ

早く俺の世界から消えてくれ!


平穏日常を取り戻したい!

2023-12-01

anond:20231201111352

こういうのって女を一枚岩に見すぎ

売れないクリエイターを支える女がいるから俺だって結婚できるはず、

暴力ふるうクズ男が結婚してるんだからだって結婚できるはずとか、そもそもそういう女がごく一部だっての。

木嶋佳苗だって専業主婦になれたんだからだってイケるとか言ってる女と同じ

anond:20231130113413

ありもしない商品を売るっつって金だけとって消えたら詐欺だろ。

セールストークで期待してワクワクしたんだから満足しとけって、そんな理屈通るわけあるかボケ

 

それからな、ホスト逮捕されないなら頂き女子OKじゃねんだよ

ホスト洗脳まがいの悪質な営業が罪になるようにするべき、だろうが

あいつの悪事が見逃されるなら俺も悪事を働くなんつーのはクズの発想だ

2023-11-30

あー!害悪!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

ブクマカ「年齢のインフレ」が起きてるから今の「30代後半は昔の20代後半」ぐらいだと思う。人生100年時代まだまだいけるよ。

ダメ絶対ダメ害悪言質絶対ダメ

「年齢のインフレ」が起きてることは認める。でもそれは「若いうち(10代、遅くとも20代前半)に生産手段、影響力、知名度などを築いた人がその後中年になっても下手したら老年期に入っても稼いだり影響力を与えられる」ってことだから!!

人生10代のスタートダッシュをもとに残りの人生を駆け抜ける短距離走から!!

大器晩成型の偉人10代で既に基盤を作るなり、努力してスキルをつけるなり、コネを作るなりしてるからたまたま結果が出るのが遅かっただけ!

例えば、医師教育訓練期間が長いか20代、30代になっても研鑽して勉強してるけどその医師になるための勉強物心ついてから10代終わり頃までずっとやってるでしょ!医師としての下積みはまだまだ続くけど医師になれるかどうかは10代で決まるでしょ!

医師だけじゃなく人生は全部そうだから

こういう言質がモブ中年ニート勘違いさせるんだ!

勉強スポーツ、対人スキル恋愛スキルなど、全て10代で経験してスキルを獲得しなきゃいけないんだ!

それが出来なきゃスタートダッシュ切れなくて残りの数十年は負け戦なんだ!

お前らみたいな人間が「まだその年齢なんだからどうとてもなる!」とか俺に言ってくるんだ!

俺はニートだけど、ニートしたくてしてるわけじゃないんだ!

10代でスタートダッシュ切れなくて、それでも20代前半のうちは取り戻そうと頑張ったけどダメで、仕方なく非自発的ニートしてるんだ!

そういうと今度は「じゃあ死ねば?」とか言ってくるんだろ!

わかってるよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

死ななきゃいけないのは!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

だけどな!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

10代でスタートダッシュきれなかったクズには死ぬ勇気も度胸も!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

ないんだよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

ァ"ァ"ァ"ァ"ァ"ァ"ァ"ァ"ァ"ァ"ァ"ーーーーーーーーーーーーーーーーッッッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

まれてきてごめんなさい

anond:20231130102337

昨日のブコメ見た限りだと暇アノンと呼ばれてる人達が燃やされるのをニヤニヤしながら待ってるんでしょ?クズすぎて賛同できんわ

俺ってクズ男かな?それとも弱男?

2023-11-29

自己中すぎてセフレができない

課金Tinderで近所セフレ探してるアラサー処女だけど声かけた全員にブロックされてる

ホテル代全額払うから一回お願いしたいだけなのに

断られてなんで!?って食い下がったら「顔写真なしでお金払うんで今から会いましょう」は怖いって言われた

いや常識的に考えてインターネット顔写真晒すとかリスク高いことするわけないじゃん

近所なんだから5分顔合わせて決める感じの方が顔写真流出リスクないじゃん

それ言ったら性病は?ってなるけどそれに関しては(自己申告でも)性病がないって言ってくれてる人に声かけてる 避妊も条件にいれて、こちらも万が一のためにピル用意して、その上でお金も出すからチンコかせって言ってんの

男は女と無料で出来るし私は脱処女出来るしいいことしかないじゃん なんで断るの?

Tinderヤリモククズしかいないってきいたのに全然まらない

ちなみに無料で!ってパパ活もだめだった

断られてる

友達から他人気持ちがわからいかセフレすら捕まらないんだよって言われるけどさ、自分以外の人間は利用するためだけにあるんだよ 私は友達全員に利用されてると思ってるから別に友達のことも利用してる それ友達に言ったら泣かれたけど人間関係って相互利用でしょ?

マッチングアプリだって相互利用じゃん

男はまんこが欲しくて女は寄生先かちんこが欲しい

私はちんこが欲しいかホテル代払うって言ってるのになんで断られるの?追加料金が必要なの?パパ活みたいに?

でも男はデメリットないじゃん

妊娠可能性はないし、性病もないよ?

なんで断られるの?

男にも心はあるんだよって言われるかもしれないけど私は物としてしか扱われたこしかいから男の気持ちなんてわかんないよ ちんこに脳があるって嘘じゃん

iPhoneがなぜ日本人に受け入れられたか


なんとなくこの業界に関わってきたので、どうして日本でこんなにiPhoneが支持されるようになったのか、ちょっと書いてみたいと思う。ちなみに俺は今は亡きS社(今は完全に消滅して、かつての本社市役所になっている)でPHS(みんな覚えてる?)の開発に携わったのが最初。その後は出向で三浦半島の先の方で怒りのデスロードみたいな経験をしたり転職して某関西メーカーAndroidやったり。当時一緒にやってた人たちの一部は京セラに行ったけど、大体はどこに行ったか知らない。とにかく日本の一大産業であった携帯電話基地局生産や開発に一通り関わってきて、その衰退とともに生きてきました。

 

で、よく知られているように日本携帯電話1999年iモードの導入から劇的に進歩し、ネットが見れるだけでなく、カメラも付きラジオも聞け非接触決済もできて音楽を聞いてテレビまで見れて、もちろん防水でアプリまで動かすことができた。カッチリ作られた二つ折りやスライド機構は触ってるだけで楽しかったし、こんな携帯日本メーカー以外どこも作れなかった。

 

まあそれがガラパゴスと言われて後々の衰退につながるんだけど、実際はドコモガラパゴスを良しとしてなくて、iモードを普及させようとして海外携帯キャリアガンガン出資していたし(その大半が失敗して莫大な損失が生じた)、ドコモ進出と同時に日本メーカーは高機能携帯世界に売り込もうとした。でも結局どれもうまく行かなかった。なんとか海外地盤を築いていたのはソニー・エリクソン三洋くらいで、三洋アメリカスプリントCDMA携帯を輸出してそこそこのシェアを取っていた。ライヴァルであるモトローラとかサムスン携帯を買って研究していたのが懐かしい。

 

後にAndroidiPhoneがすごい勢いでエコシステム世界に広げていくのを見ると、どうしてiモードにはそれができなかったのかなと思ったりする。まあでも日本メーカーの小さな筐体にぎっちりと機能の詰まった携帯は、個人的にはサイバーでありジョリーグッドで今でも好きなのだが、海外はいまいち受けなかったし、ドコモおんぶにだっこで儲けていたNECやらパナやら富士通は、お付き合い程度にしか海外進出をする気もなかったようだ。

 

当時すでにスマートフォン海外ではそこそこ普及しており、SymbianとかPocketPCとかBlackBerryなんかの端末は結構海外ビジネスマンは使っていた。しか日本はいわゆる「ガラケー」のデキが良すぎてほとんど普及せず。シャープWindowsCEを積んだW-ZERO3を出してたくらい(持ってた)。

 

で、2010年追記2008年の間違いだった、申し訳ない)ついにiPhone日本で発売。もちろん俺は買った。当時ソフトバンクの独占発売だった。よく知られているように、当時の論調は「iPhoneより日本ガラケーの方がずっと高機能」で、こんなものは驚異にはならないという話だった。確かにiPhoneはすぐに電池が切れるし、FeliCaも防水もワンセグもなし。文章コピペもできないダメケータイだった。実のところ俺自身も使ってみて、こんなダサいもの日本携帯に勝てるもんかと思った。しかソフトバンクiPhone未来イメージシンプルで安い料金プランでガンガン攻めてきて、audocomo対応せざるを得なかった。

 

まもなくシャープ富士通東芝ソニーNECなどが次々とAndroidスマホ発売。このあたりの大混乱の思い出はブコメでもよく見るけど、未だにどうしてこうなったんだと思わざるを得ない体たらくだった。iPhoneに対抗するためにキャリアワンセグFeliCaの搭載を求めたために、開発は難航。第一Androidの開発をしたことがある人なんていなかったし、そもそもスマホなんて作ったことなかったのだった。納期に間に合わせるためにやっつけて作ったソフト不具合連発。一体何であんなもんを作ったのか未だにわからない、メガネケヱスと言われて1円でばらまかれたシャープの端末、まともに動いた時間のほうが少ないと言われたレグザフォン、ホッカイロスマホと言われ東京湾在庫が沈められたと噂されたアローズ。この頃俺は端末の開発からは遠ざかっていたけど、何人が死んでるんだろうと思うくらい現場悲惨だったようだ。

 

それでも各社はなんとしてでもiPhoneに抗おうと必死だったようだ。AndroidiOSはほぼ同時期に出てきているんだけど、端末開発では若干iOSが先んじたが、実際のところ世界ではスマホシェアはあっという間にAndroidiPhoneを抜き去っている。しか日本Android勢はソニーエリクソンを除けば総崩れで、iPhoneを扱うソフトバンクへの流出が止まらない。まずauiPhone4を扱うことに。docomoは当初ツートップ戦略というサムスンソニースマホで推す作戦に出たが、それによってパナやNECといった古くから携帯を作ってきたメーカーが脱落。その後2013年Appleに屈した。その契約屈辱的な内容だったらしく、日経は「不平等条約」と書いた。専用の売り場を設けたりといったよく知られている事に加えて、一説によると販売する端末の3~4割がiPhoneでなければならないとか、iPhoneのために莫大な広告宣伝費負担するなどである。未だに日本ではiPhoneが発売されるとaudocomoiPhoneCMを流すが、あれにはAppleは1銭も出していない。全部キャリアの持ち出しである。彼らの強欲なやり方を告発した、「アップル帝国の正体」という本が出たのもこの頃だ。

 

結局の所キャリア各社はこの契約を履行するために、iPhone用のお得な料金プランや分割購入プランを作り、窓口でも積極的に売り込んだ。初期のAndroidスマホのできの悪さを見聞きしてきた人たちは一斉に乗り換えていった。キャリアはいままで苦楽をともにしてきた日本メーカーをあっさりと見捨ててApple推しまくった。この頃はAndroidの開発もこなれてきて割とマシなスマホ日本メーカーも作れるようになってきたが、もうキャリア消費者も見向きもしなかったのだ。実際iPhoneは使いやすかったし、膨大なCM提灯記事キャリアショップのど真ん中で扱われたことで、もうスマホを買うことはiPhoneを買うことと同じくなっていく。

 

もうこうなるとiPhoneなしでは全くキャリア戦略は成り立たない。今に至るまでApple契約した屈辱的な関係を捨てることはできず、結局の所3キャリアAppleの言いなりになって莫大な国富を貢ぎ続けた。まあ彼らのやり方がうまかったといえばそうなんだが、こんな事になってしまった国は日本くらいで、いまやアメリカをもしのぎ世界で最もiOSシェアの高い国である。他の国ではiPhoneは一部の富裕層の持ち物であり、安くて高性能なAndroidスマホがとっくに主流になっている。iPhoneはそのCPUを除けばもうすでにイノベーションからは周回遅れであり、中国メーカーの作るAndroidがいまや先端を突っ走っているが、日本ではなぜか多くの人がiPhone最先端で最高性能と信じ続けた。

 

結果として、この給料のまるで上がらない国で、値段が上がり続けるiPhoneは売れ続け、日経が「最新のiPhone日本人平均給与の6割」という記事を書くまでになった。まあ別に何を買おうと勝手なのだけど、貧困女子といったタイトルがつく報道カップラーメンをすすっている人が持っているスマホが、10万円近いiPhoneだったりするどこか歪んだ社会になってしまった。最近も同僚から家族みんなでiPhoneを買い換えるので40万かかる」との嘆きを聴いた。OPPOあたりにしとけば全員分買っても10万で済みそうなのだが、その選択肢は彼らにはない。

 

とにかく日本キャリア総務省の顔色を伺いながらiPhoneを売るだけのAppleポチになってしまった。audocomo傲慢な連中だったが(もっと言えばNECもパナもry)、Appleはそれに輪をかけて傲慢クズ会社である。彼らが電気電子産業が壊滅した焼け野原日本から、ケツの毛一本までも利益をむしり取っていく現状は悲劇しか言いようがない。一社支配的な力を持つ市場はろくなことにならないという証左であろうが、もっともそのクソに完膚なきまでに負けたのも我々である。ほんとすみません

 

俺は岐阜のS社の研究所と虎ノ門DDIポケット本社を往復してた時代から、百花繚乱のごとく日本携帯が咲き乱れた黄金期を生きて、それらが全部Appleになぎ倒されていく歴史の中に身を置き、どうしてこうなってしまったのか、どこでどうしたら良かったのかと今も思う。しばらくはiPhoneに使われる部品日本製が多かったが、今や台湾韓国にも負けてしまった。スマホCPUを作れたのはルネサスだけでそれも一世代消滅メモリ液晶もだめになって、今やNANDとMLCCくらいか。最終製品を失った日本にもう一度半導体をと言っても虚しく響く。

iPhoneがなぜ日本人に受け入れられたか


なんとなくこの業界に関わってきたので、どうして日本でこんなにiPhoneが支持されるようになったのか、ちょっと書いてみたいと思う。ちなみに俺は今は亡きS社(今は完全に消滅して、かつての本社市役所になっている)でPHS(みんな覚えてる?)の開発に携わったのが最初。その後は出向で三浦半島の先の方で怒りのデスロードみたいな経験をしたり転職して某関西メーカーAndroidやったり。当時一緒にやってた人たちの一部は京セラに行ったけど、大体はどこに行ったか知らない。とにかく日本の一大産業であった携帯電話基地局生産や開発に一通り関わってきて、その衰退とともに生きてきました。

 

で、よく知られているように日本携帯電話1999年iモードの導入から劇的に進歩し、ネットが見れるだけでなく、カメラも付きラジオも聞け非接触決済もできて音楽を聞いてテレビまで見れて、もちろん防水でアプリまで動かすことができた。カッチリ作られた二つ折りやスライド機構は触ってるだけで楽しかったし、こんな携帯日本メーカー以外どこも作れなかった。

 

まあそれがガラパゴスと言われて後々の衰退につながるんだけど、実際はドコモガラパゴスを良しとしてなくて、iモードを普及させようとして海外携帯キャリアガンガン出資していたし(その大半が失敗して莫大な損失が生じた)、ドコモ進出と同時に日本メーカーは高機能携帯世界に売り込もうとした。でも結局どれもうまく行かなかった。なんとか海外地盤を築いていたのはソニー・エリクソン三洋くらいで、三洋アメリカスプリントCDMA携帯を輸出してそこそこのシェアを取っていた。ライヴァルであるモトローラとかサムスン携帯を買って研究していたのが懐かしい。

 

後にAndroidiPhoneがすごい勢いでエコシステム世界に広げていくのを見ると、どうしてiモードにはそれができなかったのかなと思ったりする。まあでも日本メーカーの小さな筐体にぎっちりと機能の詰まった携帯は、個人的にはサイバーでありジョリーグッドで今でも好きなのだが、海外はいまいち受けなかったし、ドコモおんぶにだっこで儲けていたNECやらパナやら富士通は、お付き合い程度にしか海外進出をする気もなかったようだ。

 

当時すでにスマートフォン海外ではそこそこ普及しており、SymbianとかPocketPCとかBlackBerryなんかの端末は結構海外ビジネスマンは使っていた。しか日本はいわゆる「ガラケー」のデキが良すぎてほとんど普及せず。シャープWindowsCEを積んだW-ZERO3を出してたくらい(持ってた)。

 

で、2010年追記2008年の間違いだった、申し訳ない)ついにiPhone日本で発売。もちろん俺は買った。当時ソフトバンクの独占発売だった。よく知られているように、当時の論調は「iPhoneより日本ガラケーの方がずっと高機能」で、こんなものは驚異にはならないという話だった。確かにiPhoneはすぐに電池が切れるし、FeliCaも防水もワンセグもなし。文章コピペもできないダメケータイだった。実のところ俺自身も使ってみて、こんなダサいもの日本携帯に勝てるもんかと思った。しかソフトバンクiPhone未来イメージシンプルで安い料金プランでガンガン攻めてきて、audocomo対応せざるを得なかった。

 

まもなくシャープ富士通東芝ソニーNECなどが次々とAndroidスマホ発売。このあたりの大混乱の思い出はブコメでもよく見るけど、未だにどうしてこうなったんだと思わざるを得ない体たらくだった。iPhoneに対抗するためにキャリアワンセグFeliCaの搭載を求めたために、開発は難航。第一Androidの開発をしたことがある人なんていなかったし、そもそもスマホなんて作ったことなかったのだった。納期に間に合わせるためにやっつけて作ったソフト不具合連発。一体何であんなもんを作ったのか未だにわからない、メガネケヱスと言われて1円でばらまかれたシャープの端末、まともに動いた時間のほうが少ないと言われたレグザフォン、ホッカイロスマホと言われ東京湾在庫が沈められたと噂されたアローズ。この頃俺は端末の開発からは遠ざかっていたけど、何人が死んでるんだろうと思うくらい現場悲惨だったようだ。

 

それでも各社はなんとしてでもiPhoneに抗おうと必死だったようだ。AndroidiOSはほぼ同時期に出てきているんだけど、端末開発では若干iOSが先んじたが、実際のところ世界ではスマホシェアはあっという間にAndroidiPhoneを抜き去っている。しか日本Android勢はソニーエリクソンを除けば総崩れで、iPhoneを扱うソフトバンクへの流出が止まらない。まずauiPhone4を扱うことに。docomoは当初ツートップ戦略というサムスンソニースマホで推す作戦に出たが、それによってパナやNECといった古くから携帯を作ってきたメーカーが脱落。その後2013年Appleに屈した。その契約屈辱的な内容だったらしく、日経は「不平等条約」と書いた。専用の売り場を設けたりといったよく知られている事に加えて、一説によると販売する端末の3~4割がiPhoneでなければならないとか、iPhoneのために莫大な広告宣伝費負担するなどである。未だに日本ではiPhoneが発売されるとaudocomoiPhoneCMを流すが、あれにはAppleは1銭も出していない。全部キャリアの持ち出しである。彼らの強欲なやり方を告発した、「アップル帝国の正体」という本が出たのもこの頃だ。

 

結局の所キャリア各社はこの契約を履行するために、iPhone用のお得な料金プランや分割購入プランを作り、窓口でも積極的に売り込んだ。初期のAndroidスマホのできの悪さを見聞きしてきた人たちは一斉に乗り換えていった。キャリアはいままで苦楽をともにしてきた日本メーカーをあっさりと見捨ててApple推しまくった。この頃はAndroidの開発もこなれてきて割とマシなスマホ日本メーカーも作れるようになってきたが、もうキャリア消費者も見向きもしなかったのだ。実際iPhoneは使いやすかったし、膨大なCM提灯記事キャリアショップのど真ん中で扱われたことで、もうスマホを買うことはiPhoneを買うことと同じくなっていく。

 

もうこうなるとiPhoneなしでは全くキャリア戦略は成り立たない。今に至るまでApple契約した屈辱的な関係を捨てることはできず、結局の所3キャリアAppleの言いなりになって莫大な国富を貢ぎ続けた。まあ彼らのやり方がうまかったといえばそうなんだが、こんな事になってしまった国は日本くらいで、いまやアメリカをもしのぎ世界で最もiOSシェアの高い国である。他の国ではiPhoneは一部の富裕層の持ち物であり、安くて高性能なAndroidスマホがとっくに主流になっている。iPhoneはそのCPUを除けばもうすでにイノベーションからは周回遅れであり、中国メーカーの作るAndroidがいまや先端を突っ走っているが、日本ではなぜか多くの人がiPhone最先端で最高性能と信じ続けた。

 

結果として、この給料のまるで上がらない国で、値段が上がり続けるiPhoneは売れ続け、日経が「最新のiPhone日本人平均給与の6割」という記事を書くまでになった。まあ別に何を買おうと勝手なのだけど、貧困女子といったタイトルがつく報道カップラーメンをすすっている人が持っているスマホが、10万円近いiPhoneだったりするどこか歪んだ社会になってしまった。最近も同僚から家族みんなでiPhoneを買い換えるので40万かかる」との嘆きを聴いた。OPPOあたりにしとけば全員分買っても10万で済みそうなのだが、その選択肢は彼らにはない。

 

とにかく日本キャリア総務省の顔色を伺いながらiPhoneを売るだけのAppleポチになってしまった。audocomo傲慢な連中だったが(もっと言えばNECもパナもry)、Appleはそれに輪をかけて傲慢クズ会社である。彼らが電気電子産業が壊滅した焼け野原日本から、ケツの毛一本までも利益をむしり取っていく現状は悲劇しか言いようがない。一社支配的な力を持つ市場はろくなことにならないという証左であろうが、もっともそのクソに完膚なきまでに負けたのも我々である。ほんとすみません

 

俺は岐阜のS社の研究所と虎ノ門DDIポケット本社を往復してた時代から、百花繚乱のごとく日本携帯が咲き乱れた黄金期を生きて、それらが全部Appleになぎ倒されていく歴史の中に身を置き、どうしてこうなってしまったのか、どこでどうしたら良かったのかと今も思う。しばらくはiPhoneに使われる部品日本製が多かったが、今や台湾韓国にも負けてしまった。スマホCPUを作れたのはルネサスだけでそれも一世代消滅メモリ液晶もだめになって、今やNANDとMLCCくらいか。最終製品を失った日本にもう一度半導体をと言っても虚しく響く。

終わらせたい家

父方の実家が嫌いだ。

最近ようやくその縁が切れる目処が立ってきたのだが、いざというとき決心が鈍らないようにどんなに嫌いか書き起こしておくことにした。



父の実家田舎だ。

緩やかな坂の上に建つ家は大きく、貧乏だった祖父会社を興し一代で築いた。隣の家に行くのに坂を下り道路を渡っていかなければいけない。

いずれは父の家庭(つまり私たち)を呼び寄せ二世帯で暮らすことも考えていた、と後から聞いた。

その割には電気関係があまりに貧弱で頻繁にブレーカーが落ちていたので、どのみち無理だったと思う。


家の前は杉林でそのまま山へと続く。夏はアブが、冬はカメムシ大量発生する。

敷地は広く、車が三台収まるコンクリート造りの車庫に加えて大型の農機具が複数収まる小屋や鶏小屋、2つのビニールハウスを備えてなお広がる畑もある。

畑の先にはそれなりの大きさの池があり、祖父がそこに鯉を放し飼いにしており夕方には餌をやりに行っていた。

その池を回ろうと祖父が小型の舟を買ったことがあったが私は一度も乗った記憶はなく、舟は池の側で逆さで放置されていた。

祖父は昔からそうだ。思いつきで使いもしないもの大金はたいて買い、あとはゴミになる。成金のものだ。

ワープロパソコンピアノ


祖父は六人兄弟長男で下はみんな妹。

正月や盆にはその親族大勢この家に集まって、仕出し料理なんかをとって宴会をする。映画サマーウォーズのような風景だ(なお、このために私は本作が嫌いである)



私は普段はそこから車で一時間弱の県庁所在地暮らしているが、長期休みや時には土日ともなればすぐさま連れて行かれ父の実家に預けられて過ごした。(これは祖父母の意向であり、母は嫌々だったと聞いている)

家の周りは田んぼと山で、歩いていける範囲にあるのは駄菓子屋のみ。

その頃にはすでに人口過疎化が進んでおり同年代の子供は一人しかいなかったし、あまり気も合わなかったのでその子とはあまり遊ばなかった。

長期休みの始めから終わりまでを、家から持ち込んだ自由帳に絵を描いたり、擦り切れるほどに読んだ漫画をまた読み返したり、近所の家のお兄さんのお下がりファミコンソフト数本でしのぐのだ。いつも学校で一緒の友達はみんな64で遊んでいる時代にも関わらず。


家業建築業であったが農業も営んでおり、物心ついた頃から田植え稲刈りに連れて行かれるのが普通だった。

当然ヒマだったし、それなりに成長してから仕事が振られるがそれも嫌だった。

小学生の頃は春に運動会、秋に学芸会があったがちょうど田植え稲刈りの時期と重なっており、父や父方の祖父母がそれを観に来た覚えはない。母と母方の祖母がいつも来ていた。

仲の良かった子たちの親はみんな会社勤めや公務員だったりして、行事ときには父母揃っている姿をよく見た。

羨ましいと思った記憶はないが、うちは何か違うんだなぁということは感じた。

一番嫌だったのは、運動会の後にはそのまま車で父実家連行されて田植えに駆り出されることだった。最初から体操着を着ているので都合がよかったのだ。

運動会頑張ったか今日レストランに晩ごはん食べに行こう、と話すどこかの家族ドラマ世界のようだった。


田舎自然環境農業中心の暮らしよりも嫌だったのは、親戚付き合いや近所付き合いだった。

道を歩いているだけでどこの家の人間かわかってしまう。他に子供がいる家がないからだ。

そして田舎特有距離感で、なまりの強い言葉でやたらと話しかけてくる。こっちはお前が誰だかも知らないのに。

私は三姉妹の真ん中だが、みんなだいたい私を姉と思って話しかけてきた。

姉とはけっこう歳が離れているので普通なら間違わない。実際、地元の知り合いに私と姉を間違う人はいなかった。

しか田舎の人たちは子供を見慣れていないので子供の年齢からくる体格の違いなんてわからないのだ。子供子供、と一括りにされている。


そもそも私たちがいくつになるかなんて知らないし興味もなかっただろう。なら放っておけばいいのに何故か近寄ってくる。

妹とは歳が近かったし見た目も似ていたので当然間違えられた。最初から最後まで間違えたまま帰る人もいた。

中間子は影が薄いなんて言われることもあるが、姉と妹の名前は覚えているのに私の名前だけ出てこないなんてこともザラにあった。


母(というか女性)は親戚集まりの際には台所であれやこれやと仕事をしていなければならなく、それは子供である私達も同じだった。

ただ飲んで騒ぐだけの男たちにやれ酒を持ってこいだのあれが足りないだのと次から次に言い付けられても愛想のいい姉はちゃん対応していたし、妹は人見知りがひどかったので常に台所で母にくっついて手伝いをしていた。

私も妹と同じく人見知りだったが母は妹に取られている、かといってよく知りもしない親戚連中のおばさんたちに指示を仰ぐこともできない。

人見知りなのだから愛想がいいわけもなく、私が「もっともだめなやつ」になるのは当然だった。

そのうち人前に出ることも手伝いをすることも拒否するようになって、親戚集まりの際には空き部屋に引きこもるようになるとますます評価は下がった。

「姉も妹もよく働くのに、どうしてあなたは」とわざわざ嫌味を言いに来るおばさん(祖父の妹の一人)もいたが無視していた。

上記のおばさんには奇しくも私と生年月日を同じくする孫(私からすると再従兄弟になる)がおり、彼はいわゆる優等生だった。勉強ができ、親の言うことをよく聞く子だった。(数年後に爆発して親と険悪、音信不通になったが)

姉妹の中だけではなくそこでも比べられた。

更に私は高校受験に失敗するし入った学校は結局辞めるし定時制高校に入り直すもバイトに明け暮れて学業を疎かにして卒業が危うくなるしで株を落とし続けた。

親戚中からの「あいつはどうしようもないやつだな」みたいな空気は幼い頃から親戚集まりがあるたびに感じていたのに、後半はもう完全に腫れ物でいないものかのような扱いだった。その頃にはもうその方が居心地がよいほどに親戚が嫌いだったが。


高校に入ってすぐに父母が離婚して、当然私は母方の籍に入った。というか三人全員そうした。

父方の親戚たちは離婚時にまで首を突っ込んできた。(中でも嫌味おばさんはすごかった)

なんで夫婦問題祖父母どころか親戚が絡んでくるのか謎だったし、そういうのが当たり前な気質気持ち悪かった。

元々苦手だった祖父母のことも、このときに嫌いだとハッキリ自覚したと思う。

それまでは幼い頃にそれなりに一緒に過ごした情があったというか「家族(親戚は別)を嫌うのは悪いこと」という固定観念があったので「自分祖父母が嫌い」ということから目をそらしていたのだと思う。

そもそも両親の離婚の根っこにも祖父母の干渉があった。

幼い頃から父とあまり関わってこなかったせいか特に離婚のものダメージはなかったし、なんなら父とはその後不仲になる一方だった。

離婚後に実家に戻ったことで、父に元々あった、私の嫌いな「〇〇家(父実家)の人間っぽいところ」が顕著になったために父に対する嫌悪感が強くなってしまったのだと思う。

(親権は母が持ったが、みんなそれなりの年齢だったので私たちが父や父実家に関わるかは本人に任せるスタンスだった。そのため離婚後もときどき父実家に行ったりなどがあった)

離婚から十年近く経ってから、父が亡くなった。持病を持っていたし年々痩せていたので長生きはしないと思っていたがまだ五十代で予想よりもずっと早かった。

父とは、死の半年前に病院から退院する父を迎えに行ったとき最後だった。

もっと会えばよかった、みたいな後悔は別になかった。

私よりも父と過ごした時間が長かった姉や就職と同時に県外に出ていた妹は訃報を聞いて泣いていたが、私は一度も泣かなかった。飼っていたペットが死んだときの方がずっと悲しかったし泣いた。

その頃には父のことが嫌いとまではいかなかったが決して好きとは言えない、という程度で、なんなら二人が行くなら私は葬式に行かなくてもいいか?と姉妹に聞くくらいだった。葬式の日に舞台チケットを取っていたのだ。私にとっては本当にそのくらいの関係性になっていた。

流石にそれは、と二人になだめられて舞台は諦めて葬式に出た。

父の葬式ときにも父実家は最低だった。

誰が喪主をやるかで揉めて、しまいにはすでに嫁に出て別姓を名乗っている姉に押し付けようとするために姉が泣く始末になった。

私は当然怒って姉を庇ったが普段ロクに喋らないので、おそらく親戚たちが聞いた最初最後の私の怒声だっただろう。

嫌味おばさんが人生終了レベルトラブルに見舞われたり(自業自得)親戚の中でも故人が増えたりしながら数年経った。

父の死後は、介護とまではいかないが姉に協力するという形で祖父母の様子を見に行ったり通院の付き添いをするようになっていた。

姉は祖父母を見捨てきれなかったが姉一人であの家に関わったら姉が潰れてしまうと思ったので協力することにしたのだ。

数年間そんな生活をしていたが、少し前に祖父が持ち前のクズを発揮して優しい姉に絶縁宣言をされた末に施設へ入った。

姉が縁を切るなら私ももう関わる義理はないので、自分が請け負っていた祖母病院関係を整理したりして縁切りの準備をしている。

最低限の下準備はしてあげているので今後は自力でなんとかするだろう。というかするしかないけど。


姉と妹は結婚しているが子供はおらず、私に至っては結婚願望どころか恋愛願望すらない。

自分にもあの一族の血が混ざっていることが嫌だし、自分もああなってしま可能性があるかと思うとボケときなんかが恐ろしくてたまらない。

なるべく迷惑をかけずに一人で生き、静かに死にたい

別に葬式もいらないし、火葬だけは法的にしないといけないので最低限のお金を遺して身元保証会社かにお願いしておくから適当無縁仏かに放り込んでおいてほしい。

最近はそういうことを考える。

子供は欲しくない」「あの家の遺伝子はここで絶ったほうがいい」が三人の共通認識なので、家庭環境って大切だなと思う。

出入り禁止基準について思っていること


京都繁華街中京区東山区)で飲食業に携わってきた。もう二十年以上になる。独立してから居酒屋をやっていた。

ワンピースがあるだろう。漫画の方だ。多くのキャラクターが出てきて、麦わらのルフィメンツ(なぜか全員童貞に見える…フランキーは別だ)が色々いて、そのうち誰かとは気が合いそうな気が読者はするわけだ。そんな路線をめざしていた。多様性である

今回は自分の考えを伝えてみたいし、お客さんへの接し方の哲学についてもご教示願いたいことがある。料理の作り方や仕入れ広告宣伝とか、そういうのは自分なりの答えをもってる。が、こればっかりは答えが出ない。「嫌な客は出入り禁止にすべきか」という論題だ。

以下、うちの店でお客さんが取った問題行動+店側の対応という形で説明させてもらう。四人分ある。



一人目:壮年男性のA氏

50代ほどの男性だった。夜7時くらいにお店に来る。いつもスーツだった。小綺麗とまでは言わないけど、まあ整った感じだ。性格はおとなしいのか騒がしいのかわからない面があった。『壁』という小説に出てくるS・カルマ氏なんじゃないかと思える時もあった。

うちの店は、京都個人居酒屋標準的メニューを置いていた。豆腐とか、焼き魚とか、季節の野菜の煮つけとか、湯葉スープとか、柚子胡椒風味の鳥のから揚げなんかの、まあ京都って感じのメニューだ。みんなそれぞれ、お互いの店からメニューを盗み合っているという事情もある。俺も若い頃は祇園で修業してたけど、京都市内の飲食街はすべて巡って勉強した。「うちの店」というのも祇園の端っこにあった。先斗町河原町寄りの。

どの業界でもそうなんじゃないか週刊少年ジャンプだってそうだろう。漫画家同士、お互いに表現方法コピーし合っている。半年以内で打ち切りになる漫画でもそうだし、鬼滅の刃みたいな大傑作でも変わらない(○○の呼吸はジョジョの波紋をリスペクトしてる)。

京都飲食業でもそうだ。同業のお店に一般客として出入りし、美味しそうなのを見つけたら、調理法をこっそり見て、自分の店でも同じようなもの提供する。

うちの店では、とあるサービスがあった。お客が女の子店員飲み物を出すと、暇な時間限定で話相手になってくれるのだ。A氏は、いつも地元高校に通っている女子店員ウーロン茶(400円。お客は2杯目から200円)や、イチゴミルク(500円)をごちそうしていた。それで、15~20分程度のお喋りに興じるのだ。そういうサービスが確かにあって、それを目当てに来るお客さんが何人もいた。40代過ぎのリーマンが多かったかな。

彼らは、女子高生や女子大生に限らず、自分の好みの子がいたら「一杯飲んでいいぞ」と声をかける。お気に入り店員飲み物をやり、わずかな時間の楽しみに興じる。

それで、店としては売上が立ち、女の子は注文金額の50%のバックがもらえて、お客さんも喜ぶというわけだ(損して得取れ)。だがある時だったか、猛者の女の子がいて、なんと誕生日シャンパンを奢ってもらっていた。当店の一番安いシャンパンは二万円だったので、一万円儲けたことになる。いやぁ、あれには参ったね……(以後、一万円超の場合は25%バックに変更した)。

そんなある日だった。A氏が行動に出た。帰り際に、ドリンクを奢った女子高生に連絡先を聞いて、食事約束をしようとしたのだ。女子店員は、「え~」といった表情でケータイを取り出していた。すぐさま俺が止めに入って、「お客さん。困ります」とひと睨みすると、「あんたの方がいけんで。こっちの自由やん」とアレな発言をしていた。

この人には二面性があった。このお店に居る時と、それ以外の社会とで違う顔をしていた。女の子には、「オレね、自分名前がわからなくなることがあるんだ」とか、「世界の果てに行ったみたいなあ。世界の果てってどこかわかる?」とか「このグラスと君のグラスが、この間がね、オレとあなたの心の距離」など意味不明なことを喋っていた。

ある日、同じ会社の仲間数人と一緒にお店に来たことがあるが、まるで別人だった。大人しくって何も喋らない。黙々と飲み食いしている。女子店員が話に行っても変わりなしだ。借りてきた猫みたいだ。

かつて、A氏の「世界の果てはどこだろう?」という質問に対して、地元高校に通ってる女子店員(※上で誘われた子)が、「うちの店も世界の果てのひとつですよ。地球は丸いんですよ」と答えたことがあった。でも、その子に話しかけられても黙っていたかな、確か。

で、A氏を止めに入った俺はイライラしていた。「すいませんけど、もう来ないでくれます? 次来たら、その場であんたの会社に連絡しますよ。警察は勘弁してあげますから」とタンカを切った。すると、A氏はそそくさと会計を済ませて出て行って、それ以来うちの店には来ていない。

その日、店員から感謝された。普段、俺に尊敬の念を一切抱いていないと思われる従業員ですら「マスター見直しました!」と言ってくれた。世界の果ての女子高生は、「やりすぎだったんと違います?」と言っていたが、その子未来のためには正しい行動だった。

俺の考えが変わるきっかけだった。どんなお客さんでも受け入れるのが飲食店の正道だと思っていた。面倒くさい客はいるが、それが多様性の確保に繋がるという考えをもっていた。



二人目:B女史

B女史は大学生だった。同志社女子か華頂短期大のどっちかだった気がする。

の子は、いつも夕方に来て、安い定食だけ頼んでサッと食べて帰る。週に一回ほど来ていた。「高島屋化粧品店でアルバイトしてる」と、B女史と店員が話しているのを聞いた。

ちょっと話は逸れるが、うちのお店には、居酒屋としてのメニュー以外に定食があった。安い値段で昼食を食べたい人に向けて、なんと800円でから揚げ定食弁当)を用意していた。味は当然祇園レベルだ。先斗町木屋町にある標準的な店とは比較にならない。

祇園にも、夜に高い値段で酒肴を出している居酒屋が、昼の時間帯にリーズナブル価格で昼食を提供している例がある。それでも千円超えは基本だった。それを、原価計算を積み重ねた末に800円という価格を実現させた。しかウーロン茶が一杯まで無料だ。二杯目から200円。

お昼時に、店の近くの路上弁当を売りに出すこともあったのだが、売り切れることが多かった。やはり、コスパがいいのがわかるのだろう。少なくとも毎日30食は売れていた。コスパでこの定食弁当)に勝てる可能性があるといえば、近所だと長浜ラーメンやよい軒くらいのものだった。安い店だと、松屋が近くにあったが、こちらの定食の味に比べればゴミクズのどちらかだった。

※ここに書いてる話は、相当昔になる。今だと祇園レベルの味で800円のから揚げ定食など不可能だ。あと、今だと道路売店とかやったらすぐに警察が来る。昔は、無許可ラーメン屋台などがよく営業していた。

経営回転寿司のやり方に倣っていた。くら寿司とかで、いくらウニ100円ほど(※当時の価格)で廻っているだろう。ああいう原価割れメニュー提供できるのは、赤だしとかタマゴとかラーメンとかうどんとかデザートとかで黒字にしているからだ。撒き餌である

祇園寿司屋で出してるようなウニだったら、木箱ひとつで当時5万円(200円/g)はした。回転寿司がどんなウニを使ってるかは知らんが、卸値だと(5~10円未満/g)といったところか。祇園で出てくるウニの握りなどは1貫3,000円以上することもある。それでもサービス価格だ。

他流であっても、いいところは積極的に盗むべきだ。から揚げ定食が800円だと原価割れ寸前なのだが、そのお客さんが夜の時間帯にも来てくれたら投資は回収できる(弁当にチラシ入れてる)。そんな未来に賭けていた。

B女史に戻ろう。上のから揚げ定食は、昼の売れ残りの一部を再利用して夕方以降の営業時間にも提供していた。クオリティが落ちてる分は600円にしていた。そして、彼女はその定食しか注文しなかった。夜に来てくれるわけじゃなし、お酒を頼むわけじゃなし、友達と一緒に来るわけでもない。30分くらい居て、女子店員イケメン大学生店員と軽くお喋りをしてアルバイトに出かけていく。

彼氏同志社)と一緒に来たことは何度かあったが、なんと、二人でひとつから揚げ定食シェアしていた。一緒に食べていたのだ。ひとつ定食を。仲睦まじく。電線に留っているツバメカップルみたいだった。

ここまでは別にいい。から揚げ定食投資なんだから

B女史は、ほかの男性から不評だった。うちの店はコの字のカウンターだが、そんなに広いわけじゃない。常連同士、話をするのが基本だ。

B女史の近くの席になった男性客が話を振ることがあったのだが、B女史はいつも愛想がなかった。せめて演技くらいすればいいのに。ストレートに「気分が悪いです」とか「今話したくないです」とか、人が不快になる言葉を発していた。

このまま社会人になれば通用しないだろう。せめて愛想はよくするべきだ。ジェンダーとか多様性とか言われているけれども、保守寄りの価値観大事にすべきだ。人間本来的な感情に根差しているのだから。B女史は、せめて社会関係を保てる程度の『優しい嘘』はつくべきだった。

それである時、とある男性客のおじさんがB女史を叱ることがあった。「あんた、もう少し考えて行動しいや。いけんで。もっと仲ようせんと。就職しても通用せんで」だったかな。俺もそのとおりだと思い、フテ腐れているB女史をやんわりと宥めた。

すると、「だったら、もっとおいしい店を紹介してもらっていいです?」(※京都だと、いいです?↑とイントネーションが上がる)と、人を舐めくさった態度を取るので、俺も頭にきてしまった。

「前から思ってたけど、このお店は君には合ってないみたいや。もう、今日で来るの終わりにしとき

と言ったら、B女史が席を立って会計をしようとした。すると、近くに座っていた若手社会人の常連さんが、「○○さんだっけ。あなた、まだほとんど食べとらんやん。俺も注文しとらんし、よかったらいい店教えてやろか。どうする、まだ時間ある?」と提案をして、それでB女史も同意して、二人で一緒にお店を出て行って、それから彼女が店に来ることはなかった。



三人目:C氏

さっきの若手社会人だ。当時30代前半だったが、人間ができていた。相応の男前で、体格もあった。すでに遠方に異動しているので言わせてもらうと、日本銀行職員だった。ほかの常連さんには内緒にしていたが。会社名を聞かれると、彼はやんわりと『優しい嘘』をついていた。

ちなみに、後で聞いたところによると……彼がB女史を連れて行ったのは、京都で一番予約が取りにくいとされる伝説居酒屋だった。グーグルマップに載っている。高島屋からも近い。C氏は、お店の扉を開けて、「今日入れますか」と店主に声をかけたところ、予約客がキャンセルしており入ることができたらしい。

だが、B女史の財布には非常に厳しい金額だった。C氏が「千円払ってくれる? 好きなだけ食べていいから」と言うと、B女史は本当に好きなだけ食べたらしく……C氏によると、その時に連絡先を交換して、またおいしい店を紹介する約束を取り付けたらしい。それで、その後はと言うと……これはまた別のお話、機会がある時に話すことにしよう。

ここだけの話、『伝説居酒屋』(食堂 おがわ)はバッファーを作っている。全席が予約されてるわけじゃなく、店主の気分次第では、予約なしで入れてくれることもある。後は、偉い人が来店した時くらいか体感だと、5回に1回くらいは予約なしでも入れる。

とにかく、C氏は人格レベルが高かった。若い店員にも敬語だし、いろいろ注文するし、お店の周年記念にはシャンパンを入れてくれるし、テーブルは綺麗にして帰るし、飲み方も綺麗だ。

なぜC氏をここで挙げるかというと、彼もまたやってくれたのだ。どんな人間にも欠点はある。C氏の欠点は、完璧すぎることだ。完璧すぎて、ほかの仏―の人間からすると予想できない方向でトラブルを起こす。

事例①

女子店員がC氏に近づきすぎる。彼はモテた。見た目はそれなりで、清潔感があって、人当たりがよくて、自信に満ちた振る舞いをしていた。彼からいい扱いを受けたい女子店員人間関係が悪くなった。

事例②

正義感が強く、営業中のトラブルに首を突っ込む。警察を呼びたくないのに彼が呼んでしまって、えらいことになった。特に暴力団半グレ関係。体を張ってくれるのはいいが、清濁を併せ呑んでほしかった。

みかじめ料とか何とか言われても、払わねばならないお金だってある。俺に言わせれば、あれは税金一種だ。あれで飲み屋街の平和が守られている面は確実にある。あの辺りの多くのお店は、おしぼり台や観葉植物リース料として支払っている。たまに半端なやくざ者(半グレに近い)が現金要求してお縄につく。

事例③

4人目に譲る

ある時、C氏にやんわりと警告をした。うちの店の課題に首を突っ込まないでほしいと。うちの店の課題自分解決する、と。行政に頼るのは最後の手段なのだと。

それからスッタモンダあって、彼はお店に来なくなった。後は風の噂で聞く程度だ。残念な結果になったが致し方ない。いいお客さんだったけど、これも運命だ。




四人目:D氏

時系列的には、C氏がまだ来ていた頃だ。

D氏は、障害者だった。軽度の知的障害で、あまりモノを喋ることができず、メシは食えるが手がおぼつかない。テーブルの上は汚い。いつも母親が一緒に来ていた。

来客を断る意思はなかった。当然だ、お客さんなんだから。いつだったか、彼が口からご飯を吐き出す行為マネしていた大学生立命館だったと思う)には厳しく注意をした。「客を馬鹿にするな。お前、今度やったらクビにするで」と明言している。

が、お客さん同士のトラブルになると話は別だ。ある日の午後八時頃だったか、その母親とD氏が米類を食べていたところ、ゲフンゲフンとD氏がせき込んで、口の中から飛んだ米粒が別のお客さんグループビールジョッキに入った。幸い、店員が気が付いてすぐに替えのビールを用意した。ほぼ満席で席移動は難しかった。

その日、同じようなことが何度も起きた。何度も何度も、D氏の口から飛び出したモノが、隣のお客さんのスペースに飛んで行った。ついにキレたお客の一人が、「おいあんた! そこのぎこちない感じの人(※京都人なりの婉曲表現)、家に帰してくれへんか!!」と母親に怒鳴った。

母親は「すいません」と謝っていたが、彼が譲る様子はない。「その人は外に出したらあかんのと違うんか。なにしとん。帰ってくれん?」と捲し立てる。

母親は何度も謝っていた。その間も、何がしか物体がお客さんの方に飛んでいく。彼はさらにカッカして、これはいかんとなったところで、離れたところで呑んでいたC氏がこちらを見た。

俺はもう、余計なことは勘弁願いたかった。母親に向かって「お代はいいんで。今日は帰ってください」と伝えた。すると「すいません。堪忍してください。今日誕生日なんです」と返ってきたが、今度はもっと強く「帰ってほしい」と伝えた。

すると、C氏が怒った様子でこっちに来たのだ。「増田さん。その対応で本当にいいんですか。自分がこの人の隣に行きますよ。五人くらいスライドすればいいでしょ」と。

俺はキレた。「お店のことに口を出さないでって言ったでしょ。俺が責任とりまから」と端的に返すと、C氏は憮然とした様子で自分の席に戻った。

母親と息子には、その場で帰ってもらった。お母さんには「ほかのお客さんのこともあります。お店が空いている時でないと今後のご利用は難しいです」と伝えて、お店の入り口まで案内した。

翌々日だった。京都市役所の福祉部署から架電があった。母子のことで、差別に該当するおそれがあるとの内容だった。C氏か、D氏の母親京都市に連絡したのだろう。俺はこういう卑劣行為が許せない。どうしてこんな惨いことができるのだろうか。「障害理由差別をすることは~」と電話口で喋る京都市の職員に怒号を発した。

「ええか、こっちは商売でやっとんのやぞ。お前らは公務員やんけ。民間商売に口はさむなや。こっちがどんだけの思いで商売やっとんかわからんやろ。障害者も受け入れんといかんのくらいわかっとる」

みたいなことを言った。すると、福祉部署職員は変わらず「差別はだめ」とオウムのように繰り返すだけだった。「公務員は楽でいい。頭の中が非現実で、お花畑で、お金暮らしことなんか考えなくてもやっていけるんだからな。羨ましい」そう感じていた。

「それは行政指導やろ。従うかどうか選べるんやろ。ウチは従いません。ええな、おい、おーーーーい!! わかったな」という具合で、受話器をガチャンと置いた。

これが商売世界だ。勝った負けたの世界では、強く、強く自分意思を強く主張できないと食っていけない。公務員サラリーマンじゃないのだ。



結局、お客に接することの哲学というか、そういうのは何が正解なのだろう。どういう場合に出入り禁止にすべきなのか。未だに答えが出ない。

ところで、『うちの店』は、約二年前に閉店した。コロナウイルスに勝てなかった。飲食組合から休業要請の通知があって、当初は休んでいたが、行政対応が誤っていると気が付いて通常営業に切り替えた。うち以外にも、筋違いなことをしている行政には従わないという店舗がいくつかあった。

が、コロナウイルスは強すぎた。店を閉めざるを得ないほどに経営が追い込まれた。ほかにも、グーグルマップ食べログ口コミにあることないこと書くような卑劣な奴らがいた。自分正義とでも思い込んでいるのだろう。

今でも飲食仕事をしている。いつかまた、お金を貯めて店をやるのが目標だ。あの店は居抜き店舗で残してある。幸い、まだ借主は現れていない。いつかまた、店を開いてみせる。

今回は、そんな決意を新たにするために増田投稿した。どんなお客を断るべきか、受け入れるべきか。何かアドバイスがあればいただけると幸いです。

父が死んだって警察から連絡が来たんだけど、遺体の引き取りを拒否した。

30年も前に縁が切れてる人が死んだって言われてもね…。

父の暴力から母と一緒に必死で逃げて、周りの人から助けてもらって何とか母は離婚できて。

今は母に新しいパートナーがいるし、私は家庭がある。

クズ時間さいてられないんだよっていうのが正直な気持ちだけど、

警察には虐待トラウマで怖くて遺体の引き取りは無理ですって言った。

アパート孤独死してたらしい。ふーんとしか

anond:20231129095154

でも一生に一度も告白しない弱者男性は異常なゴミクズなんですよねわかりすま

2023-11-28

民間企業にとって利用価値のない人間求職活動をさせることは社会的に害である

こういう人間には以下の対策をする事が望ましい。利用価値のない人間障害者雇用で仕方なく採用する場合を除いては民間企業にとって徒に採用コスト押し付け行為であることを行政にはよくご理解いただきたいものである



anond:20231122123339

低能先生は直接的な低能ゴミクズ連呼を多用して

敵がちょっと婉曲表現とか大喜利茶化しで応戦するとついていけなくなるばかりか、そういう表現を使うこと自体を「卑怯」と呼んでやめさせたがるような左翼だったな

anond:20231128071931

うるせーなぁ、差別主義者のゴミカスが。
オメーの本丸がここだからだろうがカス。

・他人必死子供貧困改善しようとしてるのに、「ゲーム高学歴がする」とか「金持ちの方がゲーム好き」とか「俺は高学歴だけどゲーム好き」とかマジでやめろよ
・真面目に貧困対策格差社会改善に奮闘している人に迷惑がかかるんだわ

※※真面目に貧困対策格差社会改善に奮闘している人に迷惑がかかるんだわ※※

「ゲーム趣味貧困者」っていうラベリングでお偉方のお眼鏡に叶うように進めているだけじゃん(笑) 高学歴社会奉仕者のバー(笑)
オマエみたいなのが役立たずのゲーム禁止条例とか作るんだろ?(笑)

・あれも貧困の子供はゲームばかりで子供の頃の経験が少ないから
・大人になってもゲームをやり続けて人生が貧しくなるって話からきてるんだってな

親が貧困から貧困なだけ。因果関係を「生まれ以外」に求めてるんじゃねぇよ、雑魚バー(笑)
マジでゲーム貧困の原因」にするために、活動しているアンチオタク全般なんだろ。

※※(私の後輩の友達の知り合いの元彼元彼女の知り合いの親の息子という近くて遠い関係の人も取り組んでいる)※※

教師だな。オマエ教員組合員だな。
もう露骨教師一家のスメルがプンプンするぜ(笑)
S社にディレクターやってるクズがいるんだけど、ソイツも教員のドラ息子でな。
「ゲーム会社なんかクズ仕事だ!ボーナス社会保険厚生年金もあるとこに就職しろ!」ってインディー会社を辞めさせられて、知り合いのツテで超大手S社に入ってたよ。

オマエの価値観はこの親と同じだよ。
子供人生子供が決めること。
たまたまそのドラ息子は「会社に言われたゲームなんか作りたくないですー声優とイチャコラしたい!」って奴だったからS社のディレクター陣に多い「責任を取らない仕事」に向いてたので元気にしてるけどな(笑)

・頭が悪かったり、知識教養がないのは百歩譲るとしてもさあ
・自分の好きなゲームバカにされたからって、他人の足を引っ張るような卑怯な真似はするな。

オマエ大学出てる割に「頭がマーベラスに悪い」な。
他人バカにして生きてきた教師(笑)のスメルが凄いする。
他人人生なんぞ他人が決めるんであって、貧困対策社会保障だけで十分なんだよ(生活保護就労支援だけで十分。価値観変化とか新しい体験とかさせ無くて良い。変われる奴は勝手出会って変わってる)。
新しい経験させたって、耐えられるわけねぇだろ人生何年そのだらしない人生送ってきたと思ってるんだ?

オマエの仕事邪魔してるからって、コンテンツ全部邪悪とかオマエは本当に人のことがわからないくせに、人のことを指導したり支援したりするのが好きだな?(笑)
そういうのを独善的っていうんだよ、お利口さんバカクズが。

俺も言ってやるよ「俺の商売邪魔するなクズ!」
ゲームが売れる、ソシャゲ課金される、ゲーム関連イベントが開催される、話題になる、なんだって俺のプラスだよ。
逆にオマエラ、政治家権威のケツの穴を舐めているような、社会改革教育お利口さんクズ共が邪魔するのは許さねぇよ。

2023-11-27

ギャンブル中毒者で肩代わり頼んでる俺が悪いのはわかってるんだが、

「50万あれば首が回る。こころ入れ替える。ギャンブル中毒治療でもなんでもうやる。だからたのむ出してくれ」

という俺の要望に対して

はらう気はあるけどぉ、(聞いてもない法テラスの話とかなんとか)(聞いてもないダルㇰの話)(払う気もない借金の総額)お前のことを思ってるんだ云々(聞いてもない法テラスの話)(聞いてもないダルクの話)治療費は私達が(聞いてもない借金の)(聞いてもないダルクの話)というわけだからお前がどうにかするしかない」

というグダグダとした話をされ

「払ってくれるのか?出してくれるのか?」

と聞くと

「だからはらう気はあるけどぉ、(聞いてもない法テラスの話とかなんとか)(聞いてもないダルㇰの話)(払う気もない借金の総額)お前のことを思ってるんだ云々(聞いてもない法テラスの話)(聞いてもないダルクの話)治療費は私達が(聞いてもない借金の)(聞いてもないダルクの話)というわけだから、まぁ督促が来たらねぇ」

と言われる。

なお借金がバレたとき、督促が来たら出してやる、と言われ貸金業界に自粛要請自主的強制)に出された結果として借金自転車操業もできず破産するかどうかの瀬戸際にあるなお「ギャンブル中毒者に金だすのはだめらしいから」とどっかで聞きかじった話で拒否られた

まり「○○なら金をだす」とか言う話に対して俺の中ではもう信頼度ゼロである

かと言ってもう親に泣きつくしかない。自己破産する金もない。弁護士相談する金もない。

出してくれると思ってたので今日の支払いもできない。信頼した俺が馬鹿であった。

法テラス相談を、その費用は出すから、とか言われるが法テラス相談して金を出してくれるとも限らないのである

一週間後には言い分が変わることがちょいちょいあるのだ。

子供の頃から生活する中で学習した。

人の話や考えは聞かない。自分の主張は押し付ける。その主張に従った結果俺が失敗すると自己責任

こっちは急いでいる時はダラダラ引き伸ばし、こっちが暇な時は急がせる。

なので基本的信頼度はとっても低い。金銭支援以外特にありがたいと思ったこともない。

本人たちは俺みたいなクズの面倒を見てる俺たち偉いと思ってることだろう。

俺は金を出して飯を食わせてもらってるから不平不満を述べる立場にない、ということを理解した上で山程ある文句要望を押し殺して暮らしてるだけだ。

そこからしてまず話が合うわけないのだ。

考えてみるとこういう親だから親に金の相談とかギャンブル中毒相談せず一人で借金を蓄えたのである

サラ金はすばらしい。無理なら無理。OKならOKとはっきりいってくれる。

グダグダグダグダと聞いてもないこと垂れ流して、金を出すのか出さないのか有耶無耶にしてごまさない。

なんならこっちの事情を聞いて適切なアドバイスをくれる。向こうだって金を貸したいのだ。そりゃそうだろう。

これは非常に素晴らしいとおもう。

まりなんだって言われると特に結論はない。

友達がほしい、、質問イエス・ノーがはっきりしててるけど雑談については人の話ダラダラ聞いてダラダラ返してくれたりダラダラと適当なこと喋るような友達がほしいよ。。。。。。。。

anond:20231127114257

クズな男が入社してきても、負荷をかけて鍛える、もしくは退社させることがあるが、女の場合入社時にチヤホヤされて負荷をかけられないから鍛えることもできないんだよな。まともな女にとっては、それも不利だよなあ。

anond:20231127114020

まあ経験から言うと男の7割はちゃん仕事する

女の場合は3割しかいない

クズ男もまともな女性もいるけどクズ割合は女のほうが高い

anond:20231127081458

笑えるほど女の一方的要求だけだね

そりゃ男は反発するよ

せめて女もなんか差出せよ

何もできないやらないクズレベル合わせてるから日本経済成長しないんだな

anond:20231127081458

笑えるほど女の一方的要求だけだね

そりゃ男は反発するよ

せめて女もなんか差出せよ

何もできないやらないクズレベル合わせてるから日本経済成長しないんだな

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