はてなキーワード: とんぼとは
利尿剤や下剤などの薬物服用、過食嘔吐などを含めた不健康なダイエット方法のこと。通称病みダイ。
※この記録は無理なダイエットをお勧めするものではありません。むしろ、心身ともに破壊されます。絶対にやめましょう※
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私は幼い頃から食べることが好きだった。朝も夕飯も机に一汁五菜は軽くないと拗ねる父親と、料理大好きでそんな父のリクエストにも軽く応えてしまえる調理師免許持ちな専業主婦の母親の元で育った。ちなみに、お昼は幼稚園〜高校と全て私学に通ったせいで給食というものに縁がなく、15年毎日母親の手作り弁当をぶら下げていた。
想像に難くないと思うが、育ったのは年齢だけではなく横幅も順調に大きくなった。なんと小学校6年の頃は160cm 75kg、高校を卒業する頃には165cm 120kgと、小さい頃から大きくなるまで痩せていた期間がまるでないエリートデブの道を歩み続けた。
高校卒業後は医療系の大学へ進学し、日々講義や試験、実習に追われる中で次第に「このまま社会人になってもあまりにもデブすぎて患者さんに説得力ないよなぁ……」などと思い始めた頃に、1年を通した病院実習が始まった。その実習では、比較的学年の中でも声の大きい男子を含めた3人と一緒になった。
声が大きいだけで真面目というわけではなく、講義はサボるし実習も出来る限り出ない。課題は出来る学生のものを借りて写す。テニサーの女好きで、まあ、いわゆるクソみたいなパリピ的存在のやつだった。
あー、多分実習の課題は全部私が見せるんだろうし、代返もさせられそうだし面倒だなと思っていたところ、実際その通りの展開となった。「どうせ君真面目だから全部見ていくでしょ?俺早く帰りたいから早めに抜けるわ。悪いけど、学生1人いれば先生の班への印象もいいもんで最後まで残っておいて」などというお願いは日常茶飯事で辟易していたが、文句を言って関係が悪くなるのも嫌で黙って従っていた。
そんな折に彼が別グループの男子学生たちに向かって、休憩室で「いやまじアイツと一緒とかないわwwwこう、もっと可愛い女の子と一緒に実習できるの期待してたのにあのデブスと一緒なのはマジ最悪www」とこれ見よがしに言っているのを聞いてしまった。
実際彼としては本心なのだろうし、普段なら受け流せた発言だったはずだ。エリートデブとして培われたデブやブスといった単語に対する免疫力を舐めないでほしい。ただ、その時は課題のことや出席のことなど散々肩代わりしてやっていた頃だったため、「(お前散々人に迷惑かけといてその言い草はなんなんだよ)」とそっち方面でイラついてしまった。
そして、このままではあまりにも自分がデブ過ぎて医療関係者としての説得力にかけるという自覚もあったために、ダイエットを決意した。
実習は忙しく、生活自体が気をつけないといとも簡単に破綻する。食事制限するにはもってこいだった。まずは食事をイベント(上の先生が奢ってくれる、友達とご飯に行くなど)以外では極力摂らなくなった。
しばらくすると、何かを食べようとしても食べることへの罪悪感から物が胃に収まらなくなった。友人たちと食事をして帰宅するとそのまま猛烈な吐き気に襲われて、トイレで全部吐いてしまう。食べることは好きだけど、そのままでは太ってしまう。味を感じられればあとは吐けば良い。そういった思考に陥り、ここから過食嘔吐生活が始まった。
ご飯はそこそこ食べるのだが、しばらくすると吐いてしまう。そして吐いたことによってスッキリする。体重計に可能な日は朝夜寝る前と乗り、前回より10gでも増えていると耐えられなくなった。市販の下剤を飲んだり、長風呂で汗をかいて数字だけは減らす日々。最終的にはあんなに好きだった食べることさえも苦痛となり、ほぼ絶食状態へ。
ただ、流石に缶コーヒーを週で2本しか飲まなかった時は、病院へ行く電車に乗ろうとして意識がブラックアウトしてしまった。電車とホームの間に落ちた私を助けてくれたOLさん、サラリーマンのお兄さんには感謝しかない。
そして体重の推移を事細かに記載し続け、2年で50kgほどの減量に成功した。max125kgはあった体重が、75kgまで減った。
途中、1ヶ月で20kgほど体重を落とした際は体重減少性無月経や低体温に悩まされたりもしたが、体重を落とす速度を緩やかにした結果改善した。一時食事が食べられなくなってしまった身体は、母親の献身的な支えによって今まで通りに食事が取れるまでに回復した。
今考えると人外かというレベルの三桁デブを卒業した私は、その後は一応デブな人間として生きることができた。なにより、デブ御用達の大きいサイズ専門店ではなく、その辺の普通のお店で服が買えるようになったことが一番嬉しかった。
大学を卒業し、リバウンドもなく2年間は社会人として仕事を続けた。3年目になり、異動した先の職場はかなり激務だった。食生活も乱れまくり、気がついたら体重は10kgほど増え、85kgほどになっていた。流石にこのままではやばいと思い、再度生活の見直しを始めた。なるべく体を壊さずに、ジム通いや食事内容の変更をするように心がけた。その後、通っていたジムの周辺で連れ去り殺人事件が起きたことからジムだけはやめてしまったのだが。
そんな折に職場の同僚が、長らく付き合っていた彼女と遠距離の末に別れたという話を聞いた。何やらとても美しく優秀な女性だったようで、彼としては結婚も考えていた相手との破局に未練タラタラだった様子であった。
「君も早く彼氏作ったら?」
「いやー、私デブだしブスだし無理かな。今は仕事も忙しいから、そのうちね」
私も親からここ数年結婚に関しては強く言われ始めていたが、自分の容姿が一般男性ウケしないことは誰よりも重々承知していた。だからこそ、まずは自分の見た目をなんとかしてからでないと、恋愛や結婚を考えるなど分不相応だという気持ちが強かった。男性側からしたら、こんな見た目の女に好かれても迷惑としか思えない。
別に同僚はただの同僚であり、入職から今までなぜか常に私に対しては上から目線が強かった男だった。そんな彼からの面倒な詮索に関しても、適当にあしらって話を終わらせて帰ろうと思った。しかも自分の元カノの容姿、性格その他ひたすら褒め続けるのを聞くのにも疲れた。適当に自分を卑下して話の腰を折り、さっさと撤収に限る。しかし、それがなぜか彼の変なスイッチを入れてしまったようだった。
「どうせ自分の見た目がダメだから、とかいうんでしょ?正直言ってそれはそう。太ってる女が好きな男はまずいないから。俺も細い子が好きだしね。男はね、女が男の顔しか見てないのとおんなじで身体が良ければ顔とか性格は割とどうでもいいんだよ。」
「はぁ……?」
突然何を言いだすんだこいつ、と思ったが彼の勢いは止まらない。
「君はまず痩せること。痩せればモテるよ。胸もデカいし、綺麗になると思う。だから明日から君はご飯食べちゃダメ!ファスティング!!筋トレ!!!わかる?ファスティングと筋トレだからね!!」
「」
「あと男を見つける努力が足りない!!ちゃんと婚活とかしてる?あ、みんなで出かけた帰りとかよく飲み屋街でナンパされてるの見けど、あーいうのに着いていけば良いじゃん!簡単に男できるし、新しい世界が広がるよ」
「いや、そういう明らかに一杯飲んだらこのあとホテルへ的なのは……」
実はこの1年前くらいに、知らない男に夜道で車に無理やり乗せられかけたことがある。そのときは抵抗して逃げ切ったが、今でもあの時のこのまま車に入れられたらどこかで知らない男に犯されていたかも、下手したら殺されていたかもと言った恐怖が色濃く、それを伝えた上であまりそう言った話題は、とお願いした。通っていたジム付近での殺人も女性が連れ去りの果てに殺されたというものだったため、余計に怖かったのである。
「んー、俺の彼女もよく声かけられてて大変だったけど、そんな雰囲気なかったよ」
「それはすごく美人さんだから、手軽に犯せそう!みたいな軽いタイプが選ぶ相手じゃなかったんだよ。意外とそういうところは相手選ばれてるよ」
「ふーん。まあ、君の場合は身体から始まる関係もありじゃない?まずは行動あるのみ!今度はそういうのにも着いて行ってみなきゃ!世界を広げよう!!」
愕然とした。こんなに気軽に性犯罪に巻き込まれるかもしれないような提案をされたこと、そうでもしなければ男なんかできないと言われたことがショックだった。
確かに私はデブだし、ブスだけど私にも人を選ぶ権利、出会いを選ぶ権利はあるはずなのに。ほぼ同じ内容のことを、その日の夜に別の同期と3人で出かけた時にも言われた。別の同期がトイレに立つと、私に言いたいことをぶつけてくるという状態であった。
それ以来精神的に参ってしまい、同期がいる前では満足に食事をとることが出来なくなった。それでも腹は減るため、職場で我慢した分家ではありえないほど食べてしまう。そうすると罪悪感で吐く。過食嘔吐が再発した。マロリーワイス症候群のようになり、血を吐いたりもした。
この時、別の同期は3人で卓を囲んでいた時もその時の飲み会での私への態度が酷かったことに、ひっそりと気付いていたらしい。
「気を遣わせてごめんね、ありがとう」
「でもあいつなんて言ったと思う?『あのくらい言っても良いくらいの関係は築いてるから大丈夫』とか言ってんだぞ?クズか?」
親しき仲にも礼儀あり、とはよく言ったものである。過食嘔吐に苛まれながら、さらに職場で彼と会うことが苦痛になった。なんと、それ以来私にあれだけ断食しろと言っておきながら
「パン余ったんだけど、食う?」
「飲み会やるんだけど、来てよ」
と、職場で声を掛けてくるのだ。パンなどは断ったが、もしかしたら飲み会などは誘いに乗るしかなくて物を食べている私を内心馬鹿にしているのかもしれない。お腹が空いてごめんなさい、ご飯を食べてしまってごめんなさい。後で全部ちゃんと吐いて綺麗にします。
エスカレートした被害妄想は止まらなくなり、仕事に行きたくなくて、消えない食欲の罪悪感から彼の顔も見たくなくてしょうがなくなった。でもデスクは隣だし、仕事も被っている。どうしても無理だ。昼休みを隣のデスクで過ごすことも苦痛で、女子ロッカーの椅子に腰掛けて過ごすようになった。
何らかの方法で胃を悪くしてご飯が食べられなくなれば彼は許してくれるのではないか。ふと、そんな考えが頭をよぎった。
これは名案かもしれない。
簡単に胃をやるとすれば、数年前にダイエットしていた時に一番効いたのは、アイスコーヒーの1Lパックを1日で2本弱飲み干した時だった。なるほどカフェインは胃酸の分泌を亢進させる働きがあるから、胃は傷めつけられそうだ。ついでに利尿効果もある。ちょうどいい。
カフェインについて調べると、そういえばエナジードリンクと錠剤の併用が原因らしいという死亡事件が一時期話題になっていたことを思い出した。カフェインは人間は個体差はあるものの、ある程度摂取が可能だが、その他の哺乳類にとっては猛毒である。また、人間にとっても中毒域と致死量の幅が狭い。嗜好品としてのコーヒー程度ならば問題ないが、錠剤の多量摂取は気軽にやると急性カフェイン中毒を引き起こすし、下手をすれば死んでしまう。
ならば、中毒域に入らない程度でカフェインを飲んでいい感じに胃を悪くしてやろうと思い立ち、ドラッグストアでカフェイン剤を購入した。
家に帰って1回2錠1日2回までと書いてあった箱を開けると、茶色い錠剤が20錠出てきた。とりあえず2錠飲んでみたが、何の変化もない。
時計を見ると17時半。明日から仕事であることをまた思い出し、次第に同僚に会いたくない気持ちと恐怖と嫌悪感がむくむくと頭をもたげだ。いっそ身体が壊れればしばらく休職できるかもしれない。頭の中でカフェインの中毒量と致死量を計算した。体重換算で一箱飲んだら中毒量は超えるが、致死量は全然超えない。まだ両親も健在で、死ぬわけにはいかない。全部飲んでも死なないなら、いっそ全部飲んで身体さえ壊れてしまえばいいのでは。仕事を休みたい。
気付いた時には20錠分の空のPTPシートを手にしている自分が、床に座り込んでいた。
タイミングよく実家の母親から電話が来た。何を言ったのかは朦朧としていたためにあまり覚えていないが、同期が嫌で仕事に行きたくなさすぎて薬を飲みすぎてしまったことは伝えた気がする。
4時間半ほど経ち、動悸と頭痛、冷や汗と吐き気に苛まれているところに焦った母親が高速を飛ばしてやってきた。ベッドに横たわる私と、ゴミ箱の中の薬の空き箱やシートを確認すると、
「そんなくだらない男のためにこんなことしないで。死のうとするならママも一緒に連れて行って」
と泣き崩れてしまった。
「大丈夫、致死量は飲んでないから気持ち悪くて胃が悪くなるだけで、そのうち薬が抜けたらよくなるから……この量じゃ絶対死なないから。計算したから……」
その後のこともおぼろげなのだが、職場への救急搬送は意地でもされたくなかったため、一晩母親の付き添いで明かした。朝、立って歩くこともやや覚束ない状態となった私は上司に電話をしたが、ODのことは踏ん切りがつかずに伝えられなかった。
「気持ち悪くてずっと吐いてます。今日の仕事は出られそうにありません……」
「腸炎か?ノロ、流行ってるからなぁ。君、一人暮らしだろう?飯も食えない、水も飲めないだともう入院したほうがいいんじゃないか?受診の手続きを整えるから」
そう言って電話は切れた。上司はどうやら感染性腸炎を疑っているようだった。母親も病院で補液をして早く血中濃度を薄めるように、という。まず、上司や先輩たちは私が精神的に不安定だったことを知らない。ODを疑われる要素は職場には絶対にない。もし、血液検査異常などで疑ってかかられたとしても、抗不安薬や抗うつ薬などと違って、カフェイン中毒はそれを念頭に置かないとバレる可能性は低いだろう。
そしてそのまま感染性腸炎疑いとして入院となった。血液検査異常も少なく、ODはまるで疑われなかった。母親は自分自身の通院があるため、入院の手続きだけして実家へとんぼ返りした。部屋を出る際、再度泣きながら
「もうこんなことしないでね。もし死にたくなったら一緒だからね」
と言われたことを覚えている。
気持ち悪さに苛まれている間、何よりも強く思ったのは少しくらい太っていてもいいから、本来なら美味しくご飯が食べられる身体は大事にしたほうがいいということだ。
あれだけ好きだったお粥も、お魚の煮付けも、サラダも、まるで喉を通らない。無理に食べても全て数分後には吐き出している。制吐剤を打ってもらわないと夜は眠れないほど胃が辛い。切り取って水洗いしたいほどに苦しく、ベッドの上でひたすらのたうち回っていた。睡眠不足でうとうとすると悪夢が見える。同期が笑いながら私を蔑んでくる。はっとして起きると、気持ち悪さで苦しい。夜通しその繰り返しだった。
しかし、致死量までは飲んでいないのも本当で、制吐剤と補液で徐々に改善傾向にある。食事もお粥半量程度なら口にできるようになった。それでも頭痛と心窩部不快感は残っているのだが。
こんな苦しい思いをするのなら、そして親に多大な心労をかけるならこんなことしないほうがマシだったと思う。
でも、食事が取れるようになってくると、再度食事をすることへの罪悪感が生まれてくるようになって来ているのも事実である。あまりにも辛かったことからODは2度としないが、もしかしたら退院できてもまたしばらくは過食嘔吐や拒食からは抜けられなくなるかもしれない気はしている。
ダイエットを考えている方々には、こんな自分の身体を痛めつけるようなことはやめるべきと伝えたい。適度な食事制限と、運動が遠回りに見えても何よりの近道だ。むしろ少し太ってたって、美味しいものを美味しく食べられることは、こんな風に身体をボロボロにするよりは幸せかもしれない。
ダイエットしている人や、太っている人が周りにいる人は、その何気ない一言が相手の心を大きく傷つける可能性があることを今一度考えて過ごしてほしい。私は思いとどまれたが、私も両親という枷がなければ勢い余って致死量まで飲んで死んでいたかもしれない。
自戒を込めて、記録に残そうと思った。
まだベッドから降りて動き回るのはつらいが、そろそろ退院と自宅療養が見えてきた。今は身体が辛くて精神も持たないため、今後の仕事での身の振り方や、今回の件に関しての相談をどうするかについては身体が良くなったら考えることにする。
誰にも言ってないプライベートな内容なのでひさしぶりに増田に。
今では考えられないがNECがまだ就職したい企業ナンバーワンだとかもてはやされた頃、母方の祖父や実父がNECで技術の本部長以上をやってた。2人とも分野が違う理系職人タイプの人なので社内でも義親子関係にあるのを知っている人は皆無だとおもう。
自分がまだ子供だった頃、緊急連絡用に渡された父の名刺には統括部長とか本部長とか事業部長とかいろいろな肩書が載っていた。「なんでこんなに部長だらけなの?」と聞いたところ「部っていうのは好きに作れるんだよ」と教えられたのだが、今考えるとそんなわけないよな?
当時「NECは線虫(うねうねした生き物)の研究とかもしてるんだぞ」と喜々として言ってたが、今の多くの日本の大企業はこのようなまるで何の役にたつかもわからない分野に投資する力が亡くなってしまったようにおもう。今もやってる?
企業にとってR&Dは本分のひとつであるが、基礎系に近ければ近いほど当たりがでるまで数十年の長い時間と、利益に絡む少ない生存率が問題になる。誰の言葉であったか忘れたが「すぐ役にたつものはすぐに役にたたなくなる」との言葉どおり、経費削減という名目でR&Dから切り詰めた日本の多くの企業群はこの短い事業サイクルのなかで溺れそうになっているように見える。リストラクションをただの首切りにしてしまったやつらと同じ犯人がそこにいる。
祖父は寂しそうに「銀行が経営に口出ししてくるようになって自由がなくなってきた」と言っていた。事業収益を予測可能なものにしようとすると、短近線形で推測可能なもののみへの経費割当しか行えなくなる。サイトが短すぎるのだ。そうすると必然、誰かが植えて偶然生えてきたにすぎない果実を毟る程度のことしかできなくなる。大企業の役割はその安定性を活かしたよりよい事業の種の発見であるが、小作農の囲い込みしかできなくなっているのは寂しいことだ。
海外。ここらへんの立ち上げもやっていたな。むむむ。そろそろ喋りすぎている気がするぞ。終わりにしよう。
当時の人たちは少数で相当な苦労をしており日本のバブル崩壊と相まって死にそうになっていたのを思い出す。
うちの父は最後は誰ぞのやらかし後始末をするために無理をし体を壊し、そのまま隠居とあいなった。隠居当初は社長はやってみたかったなどと悔しそうにしていたが、今は回復し近所の小学生相手に竹とんぼとかを教え余生をすごしている。家族としてはそのほうが心配がない。小学生に竹とんぼを教えることは「すぐ役にたつもの」ではない。もしかしたらその中から次のNECのような企業を作ってくれる子が現れるかもしれないと考えたら、利益や肩書に集られる有象無象相手にするよりも夢がある。
《先生の子供を孕む刑》それが麻衣ちゃんに下された罰です。麻衣ちゃんは二週間先生と性交をし続けました。それも完全公開で。すぐさま実験施設のひとつが完全にふたりの閨房として改造されました。私たちはというと、先生と麻衣ちゃんのセックスを見届ける観客として一日中二人を見守る役をさせられました(先生は見られて興奮するタイプなのです)。誇り高い麻衣ちゃんがそんな恥辱に耐えられるはずもありません。しかし麻衣ちゃんは二週間ひたすら先生と性交をし続けました。プライドが高いがゆえにそのような恥辱には耐えられないはずですが、むしろプライドこそが彼女を支えていたのかもしれません。麻衣ちゃんは先生に負けたくなかったから性交を受け切ったのです。実際先生は三日も経つと体力も限界に達してふらふらに見えました。しかし彼もまた国会議員として高いプライドを持つ者であり、ついに二週間耐久性交をやり遂げてみせたのです。憎しみ合うふたりの間には何か他のものが生まれていても不思議ではありません、が、それは私の勘違いです。訪問の最後、先生が車に乗り込むときになり、麻衣ちゃんは先生の男性器に隠し持っていたフォークを突き立てたのです。すぐに麻衣ちゃんは取り押さえられ独房に入れられました。スーツが血だらけになっていた先生がその後どうなったのかはわかりません。麻衣ちゃんは独房で自殺しました。私は彼女のことを忘れません。
同居人がいなくなり寂しくなりました。美少女狩りは日本各地で行われているようですが、良質の絶頂エネルギーを産出できる美少女は限られているため、すこしかわいい程度ではいけないのです。日本の人材はいつも乏しく、朝鮮半島の超兵器の危機は間近に迫っていると大人たちは焦っていました。
本来なら私は高校三年生。私の青春は兵器開発のために消えました。今更どうしようというのでしょう。失った時間は返ってきません。二学期が始まるな、そう思ってすぐのことです。先日、北海道を大地震が襲いました。研究所も揺れに揺れてちょっとしたパニックになりました。研究所の電気は完全に途絶えました。不安の中で私は麻衣ちゃんのことを思っていました。彼女ならどうするかと。彼女なら私に脱走しようというだろうと思いました。脱走防止用の入り口の機関銃が起動しない今しかないと。私は大地震のパニック状態と夜陰に乗じて研究所を抜け出しました。もちろんあのワンピースの姿でです。二年ぶりに壁の外に出てだんだん私は自分の感情というものが復活してくるのを感じました。押し殺し、存在しないものとして扱っていた私の感情や人間らしさ、尊厳というものが鬱勃と私に沸き起こってくるのを感じます。
私は山の中をひたすら走りました。真夜中でしたが、走って走って、転んで、また走って、とにかく走り続けました。涙が止まりません。とにかくがむちゃらに走って走って走りまくりました。やがて時間の感覚がなくなったころ、私は前方にたいまつのような明かりを見ます。こんな山奥に人が、こんな時間に、と不思議に思いましたが、やっと見つけた手がかりなので明かりの方へ向かいました。近くまで来ると人影に呼びかけましたが、彼が振り向いたとき私はしまったと思いました。未開部族だったのです。毛皮をまとい奇妙なお面をかぶった未開人は私に気づくとうぉううぉうと唸り声を上げて警戒のポーズを取りました。私は早口で何かまくしたてますが、当然未開人には理解されません。未開人はたいまつを掲げて、大声で私に何かを訴えています。彼らの言語についての知識がまったくない私には何も理解できません。しかし、彼がこういったのだけは聞き取れました。
「サーターアンダーギー!」
私は全力で「サーターアンダーギー」と叫びました。未開人はぶるっと身震いすると、その場でひざまずいて私に対して祈りを捧げ始めました。顔を上げてとお願いしても彼は祈りの言葉を唱えたままです。肩に手を乗せると、ふごぉという音を立てて未開人がひっくり返りました。彼の持っていたたいまつで山火事になりそうなところでしたが、なんとか私が奪い取ってやりました。
「サーターアンダーギー!」
未開人は手を振ってついてこいというようなジェスチャーをしました。脱走の興奮も収まり、冷静になってみると体はもうぼろぼろで体力の限界が近づいていました。私はまた麻衣ちゃんのことを思いました。国会議員の先生にも負けなかった麻衣ちゃんのことを。私も今倒れるわけにはいきません。自由になるんだ、そう強く念じました。闇夜の中をどれくらい歩いたのか、しばらくすると未開人の集落らしきところにたどり着いていました。まさか未開人がいるとは思ってもいませんでした。この辺りはもともと政府や政府とつながりのある裏社会の管理下に置かれていて、結社の研究所が作られてからはなおさら一般人が立ち入ることはありませんでした。この時代にまだ未開部族が日本にいたのかと、まさかこんなところに未開の土地があったのかととても驚きました。しかしさらに驚いたことに、集落には文明人の先客がいたのです。黒のライダースジャケットにデニムパンツ、登山靴ではなくイタリア風の革靴、縦長の登山用のリュックという格好で、髭を蓄え、未開人とコミュニケーションを取っていました。話を聞くと彼は諸事情あって芸能界を引退した後、旅に出てこの場所にたどり着いたとのこと。髭を蓄えだいぶ顔つきは変わっていましたが、私も彼をテレビで見たことがあります。
「酒に酔った勢いでトラブルを起こしてしまってね。とても反省しているよ」
星がとてもきれいでした。未開人たちは粗末な小屋から出てくると私を取り囲みました。彼らが「さあたああんだあぎぃ!?」というと、私は「サーターアンダーギー」と答えます。すると彼らはひざまずいて私に祈りを捧げます。とにかく私は「サーターアンダーギー」といいました。私たちのコミュニケーションはその程度のものでした。しかしすべてがそれで通じていたのです。
「いい名前ですね」
「いい名前だ」
文明人がふたりと未開人が多数、原始的なキャンプファイヤーのような火を囲んで私たちは穏やかなときを過ごしました。夏の夜は明けかかっていましたが、安心しきった私はいつの間にかその場で眠りに落ちていました。起きた頃には正午近かったでしょうか。佐藤さんのGPS時計によれば午前十一時近くになっていました。昨夜のうちに私の状況はなんとなく話してありました。佐藤さんも最初は信じてくれなかったようですが、事細かな説明を聞いていて、それに私の着ていたわいせつな衣装というのも説得力があったのでしょう、やがて佐藤さんは私の話を信じるといってくれました。
「これからどうする?」
「警察もグルに決まってる。警察になんて行けばきみは研究所にとんぼ返りさ」
「それじゃ、どうすれば」
「俺の別荘に行こう」
佐藤さんは放浪生活の末に北海道のこの地が気に入り、莫大な資産を使って郊外に別荘を作ったのだそうです。山を降りると佐藤さん所有のベンツが停まっていました。私のこの格好では万が一人に見られたとき大変だからと、佐藤さんはレインコートを貸してくれました。大地震からまだ半日も経っていませんでしたが、ひと気のない道路は平和そのものといったように見えました。北海道全域が大停電だなんて私はそのときまだ知りませんでした。見送りに来た未開人たちが手を振ってくれました。屈強な男たちの数人は車を追いかけてきました。が、すぐに彼らの姿も見えなくなりました。田舎道をずっと行き、文明人の暮らす町を目指します。佐藤さんは地震のことが気がかりな様子でした。
「少しでも人の役に立って罪を償いたいんだ」
うとうとしているといつの間にか周りの風景が変わっていました。そこここに人の気配、生活のにおいがします。人の世界に帰ってきたんだと思いました。佐藤さんは別荘に一人暮らしのようでした。地下一階、地上三階建ての独身の男性ひとりには広すぎる豪邸です。居間には高そうなギターやベースが飾ってあり、大型のテレビと映画館並みの音響設備が客人を圧倒します。もっとも停電中なので電化製品はすべてガラクタ同然となってはいますけど。冷蔵庫ももちろん止まっていて、缶ビールやチーズがぬるくなっていました。お酒はやめられなかったのだと知ると少し残念に思いました。
「行き先が決まるまでここを拠点にするといい。使っていない地下室はきみの自由にしなさい」
佐藤さんは着替えを持ってくるといって螺旋階段を上がって行きました。数十万はしそうな白い革張りのソファに座ってほっと息をついて待ちます。思えば性奴隷としての二年間は私をすっかり変えてしまいました。この世の地獄を生き延びた人間として、これ以上悪いことは起こりえないという確信があるからです。もはや私は些細なことで動じる少女ではないのです。かといって自分が大人かといわれればそれも違う気はしますが。特殊すぎる体験によって自分が少女でも大人でもない何か非人間的な存在になってしまったように感じられます。少しずつ元の社会に順応していけたらと思います。
足音が聞こえてきました。螺旋階段から降りてきた佐藤さんは学ランに着替えていました。
「これに着替えなさい」
手渡されたのは女子校の冬服と使用感のある白い下着でした。制服の方はよく見れば女の子なら一度は憧れる東京の名門女子校のものでした。なぜ佐藤さんがこんなものをと訝りながらも、今着ている衣服と呼ぶにはあまりにも特殊なデザインである研究所の服よりはましであるというのも事実ですから、私は素直に制服に着替えました。佐藤さんは私の着替えを目の前で見ていました。本来なら私は男性の目を気にして着替える場所を要求するべきだったでしょう。しかし私はまだそういった当たり前の羞恥心を取り戻すところまでは精神が回復していませんでした。
「すごくいい……」
佐藤さんの表情が変わりました。そして私ににじり寄ってきました。
「佐藤さん……?」
私は頭を両手で押さえられ、思いきりキスされました。佐藤さんの髭が当たってちくちくします。
「佐藤さん!」
佐藤さんは鼻息を荒くして口の中に舌を入れようと試みてきます。わずかの抵抗はあったものの私は突入を許し、彼の舌と私の舌が絡み合いました。佐藤さんは獣のような激しい息遣いになり、慣れた脚の捌きで私を床に押し倒しました。馬乗りになった佐藤さんの日焼けした顔はまるで本物のヒグマのようでした。芸能人として現役だったとき肉体派として人気を博した佐藤さんの筋肉は見せかけではなく本物で、私はそれまで研究所の男たち相手では感じたことのない凄まじい力で蹂躙されました。抵抗は無意味、ほんの少しの希望もない、体の内側から動きを止められている、そんな圧倒的な侵略でした。顔を舐めまわされた後、佐藤さんの舌は首を経由して鎖骨に向かいます。それから優しい手つきで、しかし抵抗を永遠に諦めさせる圧倒的な力で、私の上半身はむき出しにされました。佐藤さんはブラの上から確かめるように乳房を揉み、やがて耐え難い欲望の高まりに動かされて荒々しくブラも外し(少し痛かったです)、乳首に噛み付いてきました。
「痛いです」
左の乳に、右の乳に、行ったり来たりむしゃぶりついてくる佐藤さんはもう理性が吹き飛んでいるようでした。それから連続的な淀みない動きで佐藤さんの右手が私のスカートの中にするりと入り、下着の横から中指(だと思います)が膣へと入ってきました。
「ん、んっ」
佐藤さんの右手の動きは熟練の職人技といったもので、私の急所を的確に捉えてきます。獣としての本能に目覚めた佐藤さんは私の微妙な息遣いの変化や体の動きからその場所を割り出しているようでした。素早く、的確に、効率的に私を攻め落としていきます。自分の顔が真っ赤だとわかりました。体がほてって、頭がぼうっとしてきました。膣はじゅくじゅくで、私の頭の中もとろとろに融けてしまいそうです。
絶頂に達すると私は痙攣し、泥の中に沈みました。私が行動不能に陥っていると、佐藤さんはソックスを脱がせて指一本一本に多量の唾液を垂らしながらしゃぶりつき、それから下着を脚からするりと脱がせて、ちゃぷちゃぷ音を立てながら性器にむしゃぶりついてきました。私はもう声も出せません。されるがままで自分がどこまで行ってしまうのか、それはすべて佐藤さん次第でした。学ランを着ていた佐藤さんはついに脱ぎ始めました。といっても上半身はそのままで、下半身だけずり下げたという格好です。完全には脱ぎませんでした。佐藤さんのふるふると怒張した男性器が現れました。黒々した血管に野性味を感じる極太の一物でした。あんなに大きなものが身長百六十センチ程度の私に入ってきたら、私の股は裂けてしまうかもしれない、一瞬不安がよぎりました。しかし考える間もなく佐藤さんの男性器が私を貫いていました。
感じたことのない衝撃でした。経験したことのないほど膣が押し広げられ、その刺激によって女性としての機能が目覚めたのか、膣もまた佐藤さんの一物に吸い付き、快楽を根こそぎ享受してやろうと超反応しました。私のすべてが脈打ち、快楽に耳を傾けています。どんな小さな快楽の芽もしっかり開花させてやろうと、私の全身のすべてに研ぎ澄まされた超鋭敏な感受性が宿りました。
芸能界のトップで鍛え続けてきた佐藤さんの腰振り運動はまさに本物。修羅場を潜り続けた一流の元芸能人だからこそ、誰が相手でも最高の戦果を得るのです。妥協はありません。激しいコミュニケーションの中で私は何度も絶頂に達しました。最後に佐藤さんは膣の中で射精するのではなく、紳士の礼儀として顔にかけてくれました。私は佐藤さんの優しさに包まれていました。疲弊しきったふたりは荒々しい息遣いでしばらく床に横たわっていました。お互い全力を出し合って快楽を貪ったのです。
その後、私たちはあまり会話をしませんでした。佐藤さんは私を地下室に連れて行くと、停電中で真っ暗な中に放置しました。鍵がかかる音が聞こえました。激しく愛し合ったふたりに何が起こったのか、理解が追いつきませんでした。佐藤さんはその日顔を見せませんでした。
何時間経ったでしょうか、次に佐藤さんが顔を見せたとき、外は明るくなっていました。食事として渡されたのはカロリーメイト四箱と二リットルのペットボトルでした。
「佐藤さん」
「炊き出しに行ってくる」
そういって佐藤さんは地下室に鍵をかけて出て行ってしまいました。まだ電気は復旧していないので地下室は真っ暗です。カロリーメイトの箱を手探りで開けて、袋を切って、もさもさと食べ、二リットルのペットボトルに直に口をつけて飲みます。食欲はあまりありませんでした。
私はまた監禁されていると理解しました。佐藤さんは「行き先が決まるまでここを拠点にするといい。使っていない地下室はきみの自由にしなさい」といっていましたが、あれは私を安心させるための罠だったのでしょうか。拠点というのはそこから外へと行動し、補給や休息のために戻ってくるから拠点なのです。拠点に引きこもる場合、それを拠点とはいわないでしょう。ここから出たい、私はそう思いました。しかし地下室には鍵がかかっていて私の力では脱出は不可能です。まただ、どうして私の人生はこうなんだ、そう思って絶望しました。しかし涙は出ません。私はまた無意識のうちにこの状況に順応しようとしていました。
真っ暗闇の中でうとうとして寝てしまったでしょうか。ふと気づくと激しい打撃音が聞こえます。何かを打ち壊すような荒々しい野蛮な音です。複数の巨漢が暴動を起こしているような、そんな音が地上から響いてきます。何か声が聞こえます。さあた、ぎぃ。あん、さあ。だあぎぃ。
「サーターアンダーギー!」
私は状況を理解しました。未開人たちが私を取り戻しに来たに違いありません。とてつもない嗅覚と体力、人間の潜在能力には恐れ入ります。私は力の限り「サーターアンダーギー!」と叫びました。すると文明人が失ってしまった身体能力を今でも保有している未開人の聴覚が聞き取ったのでしょうか、彼らもまた、あの舌足らずな「さあたああんだあぎぃ!?」で応答してくれたのです。未開人たちの声が大きくなり、打撃音も大きくなります。数分間の格闘の末、未開人たちは佐藤さんの別荘に突入しました。私は「サーターアンダーギー!」と叫び続け自分の位置を知らせます。未開人たちは地下室への扉を見つけると石斧で破壊にかかりました。それはあっという間の出来事でした。すぐに扉は打ち壊され、光が差しました。すぐさま二十代と思われる三人の屈強な未開人が顔を出しました。彼らは部族の中でエリート戦士なのでしょう。着ている毛皮も一等のものです。
「サーターアンダーギー!」
戦士たちは私の前でひざまずき、祈りを捧げました。私は彼らをひとりひとり抱きしめました。
佐藤さんの別荘を出た私たち四人は人目につかない場所を選んで移動しました。佐藤さんがいっていたように私は警察に出向いて事情を説明し保護を求めることもできません。文明人のすべてが敵に見えました。
逃走の中で私はスマートフォンを拾いました。ブラウザを起動してみると「はてな匿名ダイアリー 名前を隠して楽しく日記。」とあります。これしかないと私は思いました。三人の未開の戦士たちに見張りを頼み、私は今この文章を書いています。私は誰かにこの事実を知ってほしいと思いました。日本では野蛮な人体実験が行われていて、美少女たちが日々絶頂エネルギーを抜き取られているということ。その結社には国会議員などが関わっているということ。朝鮮半島を消し去るほどの破壊兵器を製造しているということ。
味方はあまりにも少なく、敵は権力も数も備えています。私に勝ち目がないことはわかっています。しかしどこかの誰かにこの話が伝わってほしい、そして頭の片隅で覚えておいてほしいと願います。日本の平和な未来のために犠牲になっている美少女たちがいるということを。
とんぼ返りひとつで10万里~ってところで「摩訶不思議アドベンチャー」の最初の映像で悟空が筋斗雲に乗りつつとんぼ返りしてるシーンがあったと思うが、意外とその辺原点に無駄に忠実だったんだな。
筋斗雲に関して、おそらくWikipedia経由で二つの誤解が広まっている。
觔斗雲は西遊記の孫悟空の乗り物。
筋斗雲はドラゴンボールの孫悟空の乗り物。
漢字が違ってたのね。。。— 北のサトウ (@SatoOfTheNorth) 2018年4月30日
こんにちは~
細かい事ですが、きんとん雲じゃなくて「きんとうん」ですよ~
本来の西遊記では「觔斗雲」
ドラゴンボールでは「筋斗雲」です(^_^;)— かわな としゆき🇯🇵ʕ •̀ω•́ ʔ✧色々不具合あり (@tk4708) 2017年8月15日
http://tool.httpcn.com/Html/Zi/36/KOUYPWXVILXVRNDIL.shtml
觔
jīn
同“筋”。
同“斤”①。
「斤斗雲」も日本人による当て字とされることがあるが、やはり「觔」の異体字であるらしい。
百度百科でも「筋斗雲」表記であり、特に「觔斗雲」と区別されていないことがわかる。
https://baike.baidu.com/item/%E7%AD%8B%E6%96%97%E4%BA%91/32470
よって「本来は觔斗雲が正しく、筋斗雲はドラゴンボールの造語である」というのは誤りである。
「觔斗雲の術」は10万8000里/1跳び(=宙返り1回)の速さで空を自在に飛ぶ。つまり、この術の使用中は術者は雲の上でとんぼ返りを切り続けることになる。 なにそのおそろしく難易度高い曲芸w— でのひと (@denohito) 2015年10月15日
觔斗雲について調べたら…「觔斗雲の術」は10万8000里/1跳び(=宙返り1回)の速さで空を自在に飛ぶ。つまり、この術の使用中は術者は雲の上でとんぼ返りを切り続けることになる。…ってある!スゲーな悟空。忠実にやったらシュールだな(−_−;)— Shigetaka Mochizuki (@tekkon_team) 2012年1月27日
https://zh.wikisource.org/wiki/%E8%A5%BF%E9%81%8A%E8%A8%98/%E7%AC%AC002%E5%9B%9E
忽一日,祖師與眾門人在三星洞前戲玩晚景。祖師道:「悟空,事成了未曾?」悟空道:「多蒙師父海恩,弟子功果完備,已能霞舉飛昇也。」祖師道:「你試飛舉我看。」悟空弄本事,將身一聳,打了個連扯跟頭,跳離地有五六丈,踏雲霞去勾有頓飯之時,返復不上三里遠近,落在面前,扠手道:「師父,這就是飛舉騰雲了。」
(中略)
祖師道:「凡諸仙騰雲,皆跌足而起,你卻不是這般。我才見你去,連扯方才跳上。我今只就你這個勢,傳你個觔斗雲罷。」悟空又禮拜懇求,祖師卻又傳個口訣道:「這朵雲,捻著訣,念動真言,攢緊了拳,將身一抖,跳將起來,一觔斗就有十萬八千里路哩。」
ある日、祖師は門人たちと共に、三星洞のまえで夕暮れを眺めていた。「悟空、修行はどうかな?」と祖師が言った。「師父の深い恩を受けて、この弟子は修行を全うし、天高く飛ぶこともできます」と悟空が言うので、祖師は「試しに飛んでみせてくれ」と言った。悟空は待ってましたと立ち上がり、続けざまにトンボ返りをして、五・六丈も跳び上がって雲を踏むと、食事をするほどの時間で三里の距離を往復し、祖師の前に降りてきて一礼し、「師父、これが飛挙騰雲の術です」と言った。
(中略)
祖師は「仙人たちは皆、足を踏み鳴らして跳び上がるが、おまえはそうではない。私が見たところ、連続でトンボ返りをして跳び上がっていた。その癖を踏まえて、おまえに筋斗雲の術を伝えよう」と言った。悟空がまた感謝し、教えを求めると、祖師は口訣を伝えて、「印を結び、呪文を唱え、拳を握り、身を震わせて跳び上がれば、トンボ返りひとつで十万八千里の道を行く」と言った。
翻訳が適当で申し訳ないが、この箇所からは「トンボ返りをしてから雲に乗る」ことが分かる。
作中の他の箇所でもそのような描写はなかったはず。
VIPとかなんJとかニコ動とかで流行りそうなんだけど尻切れとんぼ感が流行ってない理由かもしれないがなんか魅力があるので見てほしい
ソーセージのやつが好きだ
#1 アニメは0:40からhttps://youtu.be/C2HbIRcCbX0
#2 https://youtu.be/81UgVH0ym8w
#3 https://youtu.be/9SDDrCDDpb8
#4 https://youtu.be/p-VmyXfO1Bo
俺の彼女が書いたのかと思った。
俺の場合結婚7年目で飛行機の距離(海外)でお互い働いていて、会えるのは年に2から3回。
何故かここ1年で急激に仕事に行きたくなくなってしまい、やらなきゃいけないことが解っているが次々貯まるタスクを処理できなくなりうつ状態になっている。
夜眠れない、2時間ぐらいで自分の叫び声で目覚める、毎朝風呂場で叫んで声をからして泣き疲れてから出社する、死にたい、殺してくれと毎日考える、背中から肩、腰にかけて尋常じゃない肩こり、特定のタスクに取り掛かると過呼吸気味になり頭が回らなくなる、誰とも話をしたくない、自分は無能でクソで無価値で全てにおいて人から劣っていて迷惑をかけていると考える、苦しくなると増田にそれを投稿する(増田ごめん。)などの症状が出ている。机に向かって仕事をしていると、15分毎に叫びそうになる。あまりにひどいときはトイレに抜け出してそこで「クソ、死ね死ね死ね」と叫んでいる。飛び降りてしまうかもしれないので窓には近づかない。電車通勤じゃないので飛び込みはないことが幸いだが、暴漢に襲われて刺されたら設けもんだとさえ考えている。
親から度々スカイプやメールでメッセージが来るが返事ができない。すごく親に心配をかけていることはわかっている。
ごめんなさい。妻の家族とも非常に仲良くライングループもやっていたが、コメントができる気分にならなくて、ラインを消してしまった。
あなたの彼氏が、診断によって現実が改善されるわけじゃないから受信しないと考えることもよくわかる。
俺は心療内科に2度行って、メール等で先生と連絡を取ったが、結局は仕事を休め、としか言わない。
結局はそれしか解決はないのかもしれないが、心療内科を受けて休みを取らされることで、お前はダメ人間だと言うレッテルを周りから受けるのではないかという恐怖から、特に今はもう連絡を取っていない。
でも、受診歴を作っておくことに意味があるかと思ったので、行ってよかったと思っている。本当に潰れてしまったときのアリバイ作りとして。
鬱になる人は過剰にまじめな人だとよく巷で言われているが、俺はそうは思わない。
ただただ人に相談することが苦手な人だ。
人に相談することで、自分が人より劣っていると感じてしまう人、裏を返せば自分に相談してくる人を常に自分より劣った人だと内心感じて小馬鹿にしている意地の悪い人だ。いつも人を何処かで小馬鹿にしているから、自分が人から馬鹿にされると考えてしまうのだろう。
妻はあんなに立派で人から好かれていて、俺は本当に憧れているのに、こんな自分と結婚させてしまって申し訳なく思う。
でも自分はクソ無能で死んだほうがマシなくらい無価値だと思う一方、自分が死んだら俺が大好きな妻が悲しむだろうし、俺の会社は俺がいなくなっても何事もなかったかのように続いていくだろうことを考えると、死ぬのは癪だ。
先月1週間だけ妻が遊びに来た。
事前にスカイプで話したときは、俺が非常に不安定なときだったから、千恵に自分の鬱なところを見られたくないのもあり、来ないでほしいと話した。
1週間の滞在だったが俺は平日仕事だったので夜しか会えず、あっという間の時間だった。
妻が自分の職場に戻って、また鬱な状態になった。でも、本当に来てくれてよかった。短い間だったけど本当に楽しかった。
結婚して本当に良かった。さっさと仕事をやめて、もっと妻と一緒にいたいと思うようになった。
会社のため、仕事のために俺はあと40年、50年生きるんじゃなくて、妻のため、妻と自分のために行きたいと思うようになった。
妻がいてくれただけで本当に生き延びていると思う。独り身だったら自殺していた。
人に合うことが嫌になるのでどんどんふさぎ込んでいってしまう。
友達の父親は脳梗塞を起こして、後遺症で半側空間無視の症状が出てる
まだ脳梗塞から三ヶ月で、退院直後、外には注意しなければならないことがたくさんある
血液を溶かす薬を6ミリ飲んでるから、絶対転ばないようにと医者から説明を受けたと言ってた
空間無視は自分の体にも当てはまって、無視するほうの体に明らかにぶち当たるような電柱とかがあっても避けられないらしく
激突なんかしたら命に関わるし、友達は神経をすり減らすと言ってた
私の働くショッピングモール(友父の通院するリハビリ病院のすぐ先にある)に友父のリハビリ用の衣料品を買いに来たとき、
モールの駐車場が縦長で、しかも駐車した人がモールまで歩くための歩行スペースが準備されてなかったから
友達は父親のことを考えて、車椅子の絵が書いてあるところに駐車した
友達はきちんと思いやり駐車場利用許可証ステッカーも取得していて、それをミラーにもかけていた
許可証のステッカーは京都府で発行していて、しかもきちんと手続きを踏んで必要と認められなければ発行されない
そこまでしっかりしてるからステッカーの利用期限まで設けられてる
でもショッピングモールは県をまたいでいて、思いやりステッカーのことを知らない人が多かった
利用者の多いモールだから、混み合う時間はいつも車椅子スペースも取り合いで、そこに外見上健康にしか見えない友達と友父が駐車したから、他の利用者と喧嘩になった
駐車場に常駐してる警備員が仲裁に入り、モールの責任者が呼び出された
警備員は仕事柄か思いやりステッカーのことは知ってたらしいけど
肝心の責任者がステッカーのことを知らずに、友父の利用を断ってしまった
しかも断った理由の一つに、病気や障害を表明するためのものがなかったから
友父は精神障害と身体障害の手帳が出てもおかしくない症状があるんだけど、手帳申請するためには最低でも発症時から半年経過しなければならず
さらに症状固定が確定しているということを、国が認めている資格を持つ医者に診断してもらって書いてもらわなければならない
でも、資格があれば必ず書いてもらえるわけではなく、資格があっても面倒くさい症状の人は医者が書きたがらなくて拒否されるらしい
加えて書ける医者はそんなに多くない
ステッカーがあるから、買い物ごときに個人情報がぎっしり書いてある診断書を持ち歩くわけもなく
友達と友父はせっかく来てくれたのに腹を立ててとんぼ返りしていった
警備員は立場上、責任者には逆らえないので、ステッカーのことを知りながら黙ってたらしい
友達からこんなことがあったとメールを貰ったあと、仕事辞める覚悟で責任者より上に伝えて上記諸々が発覚した
思いやりステッカーはユニバーサルデザインとして考案されたらしいけど、利用者にしか知名度が行き渡ってない現状にため息が出る
お客様の声を整理してたら、友達に難癖つけたお客からの投書が混じっていて、その中で友達を不正利用と決めつけて「本当に必要な人が使えない」と批判が書いてあった
後日、その返答を書いたのが責任者なんだけど、そこでも友達が不正利用していたことを前提として返答を書いていて神経を疑った
きっとこの投書をしたお客は今後もその駐車場を必要とする人から奪い続けるんだろうなと思うと腸が煮えくり返る
http://kohada.open2ch.net/test/read.cgi/kankon/1497147367/694
※前回
http://anond.hatelabo.jp/20170122124720
※最初
http://anond.hatelabo.jp/20170121150445
約1ヶ月前に更新したこの増田を誰が覚えてるんジャイ!遅筆にも程があるってもんじゃろがい!!
クリビツテンギョーじゃY!!
マジ侘助
というわけですみませんでした。
尻切れとんぼなんて、ゴメンDAZE…
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某企業に内定を頂いた「無い内定既卒 職歴:アルバイト(11ヶ月) のナオン」こと私。
今日も明日もヒマックスでダメックスな求職生活ともバイビーなのねん…。
…と少しおナミダポロリもあるよで余韻に浸りつつ、条件面談に向かう私。
「ありがとうございます!」
人事「こちらが雇用契約の書類となります。条件の欄に目を通して頂いて…」
「はい。わかりました!」
ここに書いてあった雇用形態は
…じゃなかった。
wait wait wait!!!
人事「申し訳ないのですが、年齢と経験・スキルの関係で、契約社員からのスタートとさせていただくことになりました…」
私の折れた直剣はいつになったらアルトリウスの大剣になるの???
マジ心が病み村なんですけど。
人事に汚いお団子投げつけて猛毒状態にしてやろうかと思ったね。
でも、とにかく早く働きたかったし、他の会社でもどーせ契約社員スタートなんだろうなという気がしたネ…。
内定もらえただけ、ありがたいんじゃ…と、ギギギ…となる気持ちを抑えて、手をバイブレーションさせながら契約書に判子をGOさせた。
それから約1年後。つまり今現在になるのだが、伝説の木の下(会議室)に呼び出されて、正社員にクラスチェンジだというお達しを受けた。
とても長かったように感じる。
『正社とか
契約とか
最初に言い出したのは
誰なのかしら
駆け抜けていく
私のメモリアル』
雇用形態にそこまで固執するつもりはなかったけど、やっとここからかなーって思うのも確か。
フツーに正社員として内定もらって、フツーに卒業して、働き出して…
そんなの当たり前田のクラッカーだと思っている生徒諸クンは多いと思うけど、実はそれってチョ〜すごい事なんだゾ!
現に私は24で初めての正規雇用デビュー。遅いって思うかもしれないけど、これが私の就活のすべてじゃ〜。
就活のポスターとか駅で見るたびに、自分のあの頃を思い出してそんなことを思う。
失敗か成功かなんて考えとか、いらないなにも捨ててしまおう。思う存分MY SOUL彷徨わせればいいよ。
絶対なんとかなる。
まあこんな紆余曲折経てなんとか歩き出した人もいるよということで、
うまくいかないなって思ってる方の励みに少しでもなれば、幸いカナ…?