はてなキーワード: あのころとは
ずっとあのころのままです…
アニメのシティハンター忠実に再現しようという意気込みは感じたし、あのころのファンも楽しめる人は多いと思う。
が、冴羽獠に救いがない。
よくやってたと思う。
でも冴羽獠ってキャラ自体が「なぜシティハンターがコナンのように続かず終わったのか」という全てを説明する。
実写映画の問題はアニメにはあった救いが無くなってしまったことだ。
コンプラやばい冴羽への強めのツッコミが少ない。(このへんドラマ版は頑張ってたのではないか)
そして音楽。これが一番だろう。
基本ギャグが滑っている。だって冴羽獠がお色気ギャグやってもなんの音もならない。シーンとしてる。誰も笑ってくれない。
つらい。見てて辛い。
つらかった…
小学生時代にアニメをなんとなくチラ見しただけでスルーしてしまったが、今頃になって抜け落ちていた一般教養を履修しよ! という気持ちで手を出した。
すごく面白い。完全版の8巻まで一気に読んでしまった。試合の場面がいい。宮城リョータのプレーとか桜木花道がリバウンドに目覚めるとこが特によかった。なんてすごい漫画なんだ。これを読んで全国のキッズがバスケをやり始めたことにも頷ける。
こんな素晴らしい作品を30年近くスルーしてしまった事への後悔があるかといえばない。小学生の頃の自分は、少年漫画の試合とかバトルのシーンをパラパラーっと飛ばして読むようなクソガキだったので、仮にあのころの自分にSLAM DUNKを与えても、何が面白いのかわからないとほざいただろう。大人になったからこそ画面の端々まで目がいって、これはすごい漫画だと思えたのだ。
31歳。
お腹出てきた。
ちょっと走っただけで足攣る。
なんかこう、もっと体動かす仕事に転職したほうがいいんじゃないだろうか。
こんな俺も昔は痩せていた。20歳までフリーターだった。郵便局で働いていた。内勤なので配達員よりは楽だが、それでも毎日筋トレみたいな日々だった。
それに、電車もバスも動いていない時間から働くので、自転車で8kmの距離を毎日通っていた。
体力的にはあのころが一番強かった気がする。
高校からは別だったけどなんだかんだで一緒に帰ったり遊ぶことも多かった。
飲みの席で結婚や子供の話をすることもあったけど、「他人と一緒に住むとか無理だよね」とか「自分の生活で手一杯なのに子供ができても育てられる気がしないわ」みたいな感じだった。
それが急に「子供ができた」って話になり、ラインの名前がフルネームから名前だけになってた。
ってオィィィィイ!!冗談じゃねえよ!!彼氏できたの報告もなしにいきなり結婚?!しかも子供?!青天の霹靂過ぎる。
私はあのころから腐女子のままなのに、あっけなく置いて行かれてしまった。
惚気もしないし子供の話も「できた」という話以降は一切話をしてこなかった。多分気を遣ってくれてるんだと思う。今までと変わらずラインもくれる。
でもなんかもうこっちが惨めになってきて、気を遣われてることも嫌になるし、正直言って子持ちと独身じゃ今まで通り遊ぶのも難しいじゃん。
ラインをくれても何通か当たり障りのない会話して終わりにしてしまう。
向こうは今まで通り仲良くしてくれようとしてるんだと思う。子育てで忙しいのにわざわざ連絡してくれるし。
でもなんか無理。そもそも「子供できても育てられないよねー」とか言ってたのにデキ婚ってなんなんだ、と思ってしまう。避妊しろよと。
20年以上の付き合いなのに旦那の顔も知らないし、どんな人なのかもわからない。私の方が付き合い長いのにポッとでの奴に奪われた感。
ジャニーズは全盛期と言ってよかった
それで、あのころ疑問だったんだよな
なんで男はアイドル好きだときもいとか言われて、女はジャニーズとか応援しても言われないんだろうって
これって男性差別というはなしで終わらない
男性でアイドルが好きという人も、自分の推し映画やドラマみるかっていうと見ないんだよね
じつはアイドルオタクってアイドルとしての消費ばかりして周辺コンテンツにあまり興味がない
男は内容で見るか決めるけど、女性は出演者で見るかどうか決めるって話してた
広末みたいな女優の卵とか言って疑似的にアイドルじゃありませんとかいういいわけワードな芸能人を押してた
ΝΑΠΠΑさんって人のツイートがバズってて思ったんだけどさ
https://twitter.com/nappasan/status/1754181315308683361
日本のマニアって自分の知識やコレクションをあくまで個人レベルで抱えて、他人から教えを乞われたら「これだけは教えてやるから後は自分で精進しな」というスパルタ師弟関係みたいな話になりがちなんですが
欧米のマニアってビシバシ情報公開して多数の人間と資本を引き込むことで自分自身の利益にも繋げようというスタンスの人が多いから、全く違う速度と規模感でモリモリと物事が進んでいくし、こういう気質やスタンスの差を見ているとそりゃソフトウェア開発の世界でも差が開くよなと思ったりします。
個人での精進や努力、切磋琢磨という美徳に縛られすぎて他人とのノウハウ共有や標準化による利益の創出という観点が欠如してる人が多いんじゃないですかね。そういうところが企業の社員教育のやり方なんかにも表れているし、社会全体を非効率にしている一つの大きな根源なのでは。
私は子供の頃から「見て盗め」ってやつが物凄く嫌いだし、教えを乞われると偉そうにする人も嫌いなのである。
学問にもこういう姿勢の違いが表れてると思うんですよね。和算なんかは独自にかなり高レベルなところまで達していたようだけど、結局は格闘術のごとく「流派」に落とし込まれて、論文の査読や公開による理論の証明という現代科学の世界には至れなかったわけで。
まとめ終わり
同じようなことをやってる会社がいくつもあるし集約もしない
日本って家電メーカーも、自動車メーカーも、事務機器メーカーも造船メーカーも多い
ドラッグストアも多い
ΝΑΠΠΑさんのいう「流派」はそうだなって思う
結果生産性が上がらないんだな
ゲーム産業がそうで90年代くらいまでは日本は世界TOPのゲーム大国だったのは間違いないんだけど
でもあのころからすでに開発ツールとか、いろいろな周辺機材、そしてゲーム開発者のコミュニティーの活発さであきらかに後れていた
ゲーム開発者の交流会議であるGDCが1988年に始まったが、日本のSEDECは1999年と11年遅れだし
なんで日本のゲーム会社って自社のゲームエンジンを公開しないんだろうって思うし
GOGとかSteamとかEpicみたいにオープンにプラットフォームを構築するのは欧米だし
90年代のネットにあった個人開発フリーソフトレベルだと、日本人開発者もそれなりに多かったイメージなんだけど
そこからビジネスという話になっていくと急に日本はしりすぼんでいった
欧米はそんなことはさっさと共通化して自動化して、家に帰って家族でパーティーでもしようぜ!みたいな感じなんだけど
日本人は技術者は技術をこすることが好きで、それ自体が目的化してる
社会に目が向いていない
2010年ごろだっけ?
だから俺らの好きな海猿を殺そうとする問題児の佐藤秀峰みたいな扱いだったよね
今でいうなら松本人志の性加害問題で、松本が海猿@フジテレビって感じかな
世間は、問題はなんとなく気付いているけど、好きなやつも結構いてまだ擁護するやつが残ってる感じ
そんなフジに声を上げる佐藤秀峰ってけっこうめんどくさいやつだね、おとなしく原作を提供してりゃいいのに
みたいな感じだった
あれからずいぶん時がたった
ようやく原作者を大事にしましょうみたいな雰囲気になったなと感じる
しかしネットの意見なんて、どっちに愛着があるかどうかで決まるところあるから
松本人志みたいにまだ人気があると「まっちゃんがんばれ」、サッカーだと「伊東純也がんばれ」みたいな感じになる
たとえば橋本環奈が松本人志にレイプされたというはなしだったら、人気バトルになって橋本環奈可哀想、松本人志はクズだ!みたいな空気になったかもね
今は、「無名な女が生意気にも松本人志にたてつきやがった」みたいな話だから、人気バトル的に無名の女性は不利だよね
同じ事が当時、フジテレビと佐藤秀峰の間で起き、佐藤秀峰が叩かれていたわけだ。
あとアニメもそうだよね
よつばとがアニメ化しないのはあずまきよひこがアニメ嫌いだからとかいう噂が立ったとき、アニメオタクが作者を叩いていたよね
今回はたまたまドラマだし、脚本家がなんか性格悪そうだし、原作者が自殺したから原作者びいきしてるけど
そう考えると今も昔も同じことなのかもしれない
癇癪持ちだった
ゲームで癇癪起こしたことが0とは言わないけど、それはゲーム如きで怒るほどマジになっている人っていうコントをしてるだけ。
ごっつでもガキの使いでも、そういう体のコントとか、コント風の企画山程ある。
割とたまにスベっていた
常にホームランを打つタイプではないけど、滑る時に大怪我しない方法をシステム化したのがすごいと思っている。
少なくとも、滑って、それを受け入れないとか、むくれるとか、それは俺の見てきた松本の中にはない。
知的ではなかった
自分が一番正しい!と言い放つ人だった
これはほんとそう思う。ガキの使いのコーナーで、自分に点数をつけるとしたら?で100点だからね。
無茶苦茶なことを言っている人間を演じてる時もあるから、しばらく笑えるんだけど、
え、こいつまじやん・・・ってなる瞬間はあった。
映画は向いていなかった
怖くて未だに見れていない。
結構前から松本は「自分が一番面白い」という看板は下ろしてて、「若い頃ほど面白いことができない」も自覚している。
ダウンタウン双方力の衰えを自覚しながらどうやってゴールするのか単純に興味があっただけに、それがぶつ切れになってしまって残念。
自分自身、創価学会の3世(非信者)なので、色々と考えつつ、でも人物像については詳しくないこともあり、雑に思ったことをつらつら並べてみる。
ちなみにXとかのコメントはあまり見る気がしないので多分見ないだろう。学会アンチでも信者でもないが、まあ内容はだいたい想像つくので。
信者の母はよく聖教新聞での記事を引き合いに「池田先生はこんなにも世界で尊敬されている、素晴らしい人物なんだよ」といってた記憶。たしかに聖教新聞には毎日のように一面記事で彼の功績が載っているので、子供心に「すごい人なんだなー」とは思っていた気がする。
なにか学会の大きなイベントを収録したビデオが実家にあって、そのなかで壮大なマスゲームを行っている様子が映っていたのが印象に残っている。このとき「キタチョーセンみたい」って素直?な感想を言ったら母は「たしかに笑」と返して笑っていた記憶。
その後、中高生~社会人になってからはほとんど関わってなかった。「新年勤行会」という正月の恒例イベントはちょくちょく参加してたけど。
5年ほど前?正確な時期は覚えてないが、ひょんなことから学会の方と会って話して、住んでる地域の支部にお邪魔したことがある。
地元から1,000kmくらい離れた場所でも、学会のネットワークによって住所は知られており、なんやかんやその流れで…。正直、興味本位でついていっただけではあるが。
学会の建物は、子供の頃よく行ってた地元にある会館とほとんど同じような作りで、とても懐かしい。入り口で靴脱ぐんですよね。入り口~靴箱、床のカーペットやその他の装飾品もあのころの記憶と同じで、不思議な感覚と、郷愁じみた思いにかられ…(大丈夫か俺?
そこで色々、学会の人と話したりとかあって、その後ビデオの鑑賞タイムが始まった(!?)。まあ定番の勧誘イベントのようなもので軽い気持ちで見ていたら、池田大作の活動内容についての動画が流された。映像は1990年前後くらいだったと思うが、これも幼少期に見ていたものと相変わらずな感じでね。
もちろん学会として氏の功績は大きいのだろうが、いつまでも「池田大作」という存在ありきな団体なのかなという感じはしましたよ。あまり後継者の話とかも知らないが、部外者(名目上は信者)として心配になりました。
なにか結論やまとめはないが、自分の人生において小さくない影響を与えた人物であるのは間違いない。言えるのは「安らかにどうぞお眠りください」くらいです。
ご多聞に漏れず就職氷河期の中でどこにも就職できず就職活動も半ば惰性になってしまい、親も厳しく当たってきたわけじゃないが心配しつつやっぱり何か言いたそうだったし、それを察して申し訳なくてそそくさと部屋に戻ってはずっとネットをしてるような状態だった。
社会経験のまるでない、そのくせ疲れ切った根性なしの無職だった。
出会い系のエロメールに引っかかったオッサンの話なんかを「バカだバカだ」と思いながら読んでいた。
『自宅で月50万円も夢じゃない!』みたいな情報商材の文字が飛び込んできた。そんなに稼げるわけないだろと思いつつ、それでもふっと「何かの足しにはなるかもしれない」とよぎってしまった。バカだ。今の自分がそこにいたら、その目の前の四角い板でなぜきちんと調べないんだと肩を掴んで罵倒したと思う。
でも当時は、仕事はまだまだ見つかりそうにない。無聊をかこつ穀潰しでいるのはいたたまれない。何も言わずにいてくれる親にも申し訳ない。
そういう気持ちでぎりぎりだった。
申し込んで届いたのはWeb上のメールアドレス収集ツールだった。クッション封筒に入ったCD-ROM。
当時はティーカップなどの個人BBSがWebにはあふれていて、それらをクロールしてアドレスを集めてくるのである。
そして集めたアドレスに提携先の健康食品だの英会話教材だの紹介するスパムメールを送り付ける。一日に1000も2000も。
紹介する商品も割ときわどいのがあって、これさえ飲めばガンが治るとか、そういうのはさすがに良心が咎めたから手を出さなかった。
文面は俺が考える。それで購入者がいたらインセンティブが入る。
こうして読むとバカバカしいだろ? 儲けなんて出るわけがない。
文章を考えるのは結構好きだったが、好きとかそういう次元でできる作業じゃない。
それでも何とか作業をこなして報告メールを上げると「増田さんすごい!がんばってますね!」と白々しいメールが来る。
金だけ巻き上げられたんだと気づくというか直視せざるを得なくなるまで時間はかからなかった。
CD-ROM一枚に50万円だ。
そんな金、社会経験もなく就職もできないペーペーが一括で払えるわけがない。当然向こうのセッティングでローンを組まされた。
よくわからない中部地方の会社の名前が入ったカードが送られてきて、月々2万円の2年間だ。
月々2万は大した額じゃないが、あのころは自分のバカさを呪うしかなくてただただ重くて憂鬱だった。
そのキットを立ち上げることも全くなくなった。
途方に暮れて就職活動の傍らバイトを始め、家に申し訳程度の金を入れつつローンも返してたが最後の方で精神的にダウンして返済が滞ってしまい、ついに親にバレた。
めちゃくちゃ怒られた。当たり前だ。50万円をドブに捨てて挙句に自業自得で病んだ不肖にもほどがある息子である。
今は超低空飛行の零細に勤めてなんとか食っていってるけれど、恐らくあの時のローン延滞のせいでいまだにクレカ審査に通らない。
今時の人は学校で情報なんて科目もあるしあのころの俺より何千倍もリテラシー高いと思うけど、弱ってる時に変なもん掴んじゃうと一生響くから気を付けてな。バカからの伝言だ。
私は"普通の日本人的"宗教観をもつ家庭に生まれ、友達の家が聖教新聞をとっていた、以外に新興宗教とも関わり合いのないまま大きくなった(その家も別に勧誘してきてない)が、熱烈に宗教のアンチである。新興宗教はもちろん、既存宗教も本当はこの世になくてもよいと思っている。例の銃撃事件のずっと前からそうで、あの事件のあとからはより思想が強くなった。
そのようにこじらせた原因は、大学生のときに知り合った私がとても信頼をおく人が宗教2世由来で宗教を憎んでいる人間だったからだとずっと思っていた。彼の苦しみに私は同期して、私も憎むようになったのだと思っていた。
ただ、よく思い返すと高校生の時点で今の私の思想はほとんど固まっていた。高校には新興宗教を進行した結果教室に担任の置いた合格祈願の御札を嫌がる教師がいたが、その光景を見ながら「どちらも悪だよな」と思っていたことをふと思い出した。
そうなると、なぜそんな思想になったのかますます分からなくなる。あのころ宗教を持って私に攻撃してくる人はいなかったし、正月もお盆もクリスマスも"普通の日本人"としての関わり、過ごしてきた。アンチになる前の段階で、どうして宗教というものについて好き嫌いの結論がでるまで考えようと思ったのかすら思い出せない。
○
ところで、私は女性であるが、ずっとフェミニズム的な男性のことを「偽物」だと思ってきた。私自身は「フェミニスト」とも「アンチフェミ」とも言えない思想だが、世の女性が受ける問題について、当事者性がない人間が本気で取り組まないだろうと思っているからだ。当事者でもない属性に心から配慮しているとはどうしても思えなくて、こいつらは心の奥底では女を舐めていて、「こうすれば信頼を得られる」と考えた末のムーブだと推測していた。
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でも、よく考えると私はずっと当事者性のないものについて真剣に考えてきた人生だった。そうであれば、あの男性の中にも本気で自分ではない属性の幸せを考えている人がいるのかもしれない。それは私が女性だから、というフェミニズムの観点ではなく、私の思考の、人生の肯定になるかもしれないと思うからである。