はてなキーワード: Rom専とは
自分も二次創作してる時は仲良い二次創作者いたけど、結局みんな縁が切れてしまったな
同じものが好きな人でも話題や価値観が合うとは限らないよね……
最近は二次創作の方は友達を作らずに孤独にやって、友達づくりは友達づくりアプリでアウトドア系の趣味を主軸にオタク趣味はROM専の顔してやってる。
二次創作で出会った人に性癖を開示すると閉鎖的な仲間意識が芽生えてどっぷりな関係性になるけど、どっぷりすぎて相手の嫌なところばかり目に付いてこちらが疲れてしまうから友情を長続きさせたいならライトな付き合いに留めたほうが持続可能性高いし、そうなると必然的に二次創作者であることをメインに押し出して友達を作る難易度は高いなって思う。まぁうまくやる人はそれでも上手に友達付き合いできるのかもしれないけども
知恵袋でたくさん投稿して露出度増やして知名度上げても、外部の人に知られるようにはならないと書いている人がいた。
知恵袋でいくら有名になってもTwitterやInstagramにいるようなインフルエンサーや有名ユーチュバーほどの影響力は持ち得ないのだと。
なぜそう言えるのだろう?
知恵袋は会員登録して人と交流できるというSNSの要件を満たしている。
むしろ会員登録しなくても書き込めるがSNSとされている5chよりはSNS的とも言える。
また書き込んでいった質問は回答が投稿としてアカウントに紐づけられることで、投稿がそのアカウント所有者の人となりを形成していくものとして積み重なっていくという構造も既存のツイッターやインスタといったSNSと比べても抽象的には同一構造と言える。
知恵袋自体の情報インフラとしての知名度もLINEより少し劣る程度で申し分ないだろう。TikTok知らないジジババでも知恵袋は知っている可能性が高い。
漫画でもキャラがネット検索するシーンでは大抵知恵袋のパロディが出てくる。質問しているシーンなら100%出てくる。okwaveのパロディとかは出てこない。
それだけ知恵袋は一つの情報インフラとして浸透しているわけだ。
それなら他のSNSと同じ感覚で知恵袋においても「アカウントを育てて」知名度を上げていけばインフルエンサーのような存在になるのではないか?
理由を推測してみるが、知恵袋を見る時人にはその投稿をみるときに誰が言ったことかに関心を払うほどの没入感を持たずのやっているということだろうか?(じゃあTwitterインスタやってる人はそれぐらい没入してるの?ってことになるが)
典型的なSNSは見知った人が既に参加しているか同時に参加するという状態で利用し始める場合が多く、インフルエンサーというも見知った人がリツイートなりすることで認知する。
いわば見知った人から紹介される形だから、友達の友達という感じで、その投稿アカウントが誰かということについても脳内で存在感を持ってくるということになるのだろうか。
対して知恵袋は現実の人間関係上の利用状況とは独立した動機で見るもので、どの投稿に対してもその投稿したアカウントについて見知った誰かの紹介という形を取り得ないから、たとえ知恵袋内ではどんなに露出度が高かろうが、会員登録もしてないROM専にとっては投稿主にまで関心を払う心理が形成され得ないというところなのだろうか
同人誌を出して、自分で表紙絵とかアイコン絵を描きたくて絵の練習をしまくった。
一年くらいイベントに参加しながら本出して、後期参入でhtrドピコだから全然売れなかったけど、友達もできて交流が楽しかった。
そのあとライフスタイルが大きく変化して創作は時々お休みしながら、気になったキャラの絵を練習しながら描いてた(スケブ見返したら超ヘタレ)
ずっとROM専でジャンルを渡り歩いていたけど半年前から創作したくなったジャンルに出会って、字を書いた。
小説と言えるほどの文字数じゃないし一万字程度の短編だけどpixivに投稿して以後本を出しつつ計五十万字くらい書いてると思う。
小説を選んだのは、思うように絵が描けなくてましてや漫画も描けなかったからで、萌えを出力するのは小説しかなかったから。
あと、いろんな人の小説を読んでて神字書きを見つけて「こんなに人を感動させる文章を書きたい!」と思ったからもある。
小中学生から児童書読んでてラノベ大好きで読みふけって、親も小説読みまくる人だからなんか字の方が馴染む環境だったってのもあるかもしれない。
漫画も好きだけど。
ジャンルでは投稿したらたくさんブクマを頂いてたまに感想も貰うけど天井ではないと思う。
検索かければ自分がどの順位にいるか分かるんだろうけど、他の創作者と比較して落ち込むのが分かっているからやってない。
オフ本は売れてないwジャンル規模では少部数しか刷ってないのに通販在庫まだ全然残ってるww他の字書き在庫なしでちょくちょく虎の新着に上がってくるの見ると辛い。再販繰り返してるの羨ましい。
X始めて作品や新刊の告知とか語りをたまにつぶやいたり、文庫メーカーでSS投下したりするけど、まぁ字書きは全然Xでインプレッションないよね。
分かってたけど閲覧数やRPやいいね、フォロワー数は圧倒的に絵描きや漫画描きが多い。
絵や漫画は海外からのフォロワーも多い。圧倒的に読まれるのは絵や漫画で小説は全然読まれない。最近はそれが辛くなってる。
ジャンルもだんだん人が減って過疎化すると読まれなくのは小説だし、フォロワー数も増えてほしいし反応もたくさん欲しい。
やっぱり漫画や絵を描かなきゃ見てもらえないなと思って字書きしてる自分の立ち位置を考えつつある。
両刀でどっちも創作できるのが理想だけど、ずっと小説書いてたから絵を描くのって大変だよね。
とか言いつつ練習して描こうと思いながら仕事やプライベートを言い訳にして、それから今頭の中に浮かんでる萌えを吐き出したくて手っ取り早く小説に逃げてる。
自分て本当に駄目な人間だと思う。絵を描きたいならもうすでに描いてるはずなのに描かないのは描きたくないから言い訳してるだけなんだよなぁ多分。
でもXではフォロワーたくさん欲しいし本売れたり作品掲載したらRPいいね感想もいっぱい欲しい。
だけど絵を描くことに腰が重たくなっている。他の4桁後半絵描き漫画描きの創作者さん達みたいにチヤホヤされたいしいろんな人に見てほしいのに、なかなか行動に移せない。こんな自分が嫌だ。
短編をちょこちょこX経由で掲載してるけど尽く爆死してるっていうのも多分創作するのが嫌になってるって感があると思う。
絵が描けてXに掲載出来る人が羨ましいってネガティブになればなるほどどす黒い感情が生まれてしまう。昨日もグダグダスマホばかり触ってて眠れなかった。
フォロワー少ないから仕方ないかな~中期参入だしな~他の相互の字書きとも交流してないしな~って言い訳ばかりしている。
反応してくれるのもROMさんばかりで同じ字書きさんからいいねすらないのも辛いw
投稿した作品の反応もどうせ爆死してるの分かってるからX見に行ってない。見るのが辛い。こんなことなら掲載するんじゃなかったわw
コメントするのって全体の1割くらいらしいんだよね
これずっとモヤモヤしてる
きみらほんとはゾンビなのでは?って
はてなーって多分この割合がガラッと変わって、残りの1%の人が結構集まってるイメージなんだけど
まあそれでもスターしか押さない人の方が多いだろうし、スターすら押さない人は多分もっといるんだろう
1000レスあって、書き込んでるのはだいたい200人くらい
画像とか貼るとView数が2000弱くらいだから、ざっくりROMが9割なんよ
就活の時、説明会に参加した30人くらいの中で発言するのって大体自分含め3人位だったと思うんだけど、あの残りの27人がそいつらなのかなあ
自分の見えている世の中って発言する1割、なんなら定型文を言わない1%のみで構成されてるんじゃないかと
そういう今どきの哲学的ゾンビを考えたりする
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普段はROM専で、SNSでリアルタイムに反応をもらうことに不慣れでつい舞い上がってしまい、更新ボタンを押す手が止まらなくなってしまった。
また、フェイクは入れまくっていたけれど、身バレするのがホッテントリに入って注目されるようになってから怖くなった。
自分の精神衛生の悪化を感じたので、勢いで消した。私にはSNS上でオープンな発信者になるのは早かったみたいだ。
だけど、どうしてもお礼を言いたくてのこのことまた出てきてしまった。
6月11日現在における今年度の寄付総額は約130万円、寄付件数は79件。
7月13日現在では総額305万3千円、件数は149件! 倍増! すごい!!
自分の投稿がどれだけ貢献したかはわからないけれど、寄付してくれた方々に対して厚く御礼を申し上げます。本当にありがとう。
https://utf.u-tokyo.ac.jp/project/pjt83?pg=400&page=1
読んでみると、過去に授業料免除を受けていたという人が恩返しとして寄付しているのが結構多いのが分かる。
https://utf.u-tokyo.ac.jp/project/pjt83?pg=400&page=1#project-tab03
あとは3つおまけ。
まず大学側の要因として挙げられるのが次の2つ。
私も今回調べるまで、自分の研究科以外の寄付基金の存在を知らなかった。修学支援基金も含めて。自分もお世話になってたのにね……。
OB・OG向けにたまに郵送するニュースレターという形でOB・OGへのアウトリーチする基盤はある。
現役の学生からお金を搾り取ろうとする前に、OB・OGへの寄付の働きかけを強化する手段はあるんじゃないのかな。
関連して第2に、学部・研究科ごとの独立性が高くて、「東京大学」としての寄付の呼びかけに失敗している。
夫は別の学部・研究科の出身なので、ニュースレターを私の出身のところと比較できるのだが、どちらも自分たちのところの研究のための基金の情報しか載っていない。
ふるさと納税における各自治体みたいに、寄付金を巡って本部と各研究科が競争しているような状態なのかもしれない。
あるいは、授業料免除のような学生全体に関わる経済的困難層向けの修学支援は東京大学の本部としての活動になる一方で、OB・OG向けのアラムナイ活動は学部・研究科の所管になっているように見えるから、そこで齟齬があるのかもしれない。
他方で、卒業生側に目を向けると、卒業生には寄付をするインセンティブがない。
寄付をすることに対して、アイデンティティ上の満足や実利など自分のためになる何かがなければならない。
多くの東大生OB・OGには、寄付に対するそうした対価は存在しないと思う。
アメリカの有名大学には寄付による入学枠がある。寄付することが、そのまま自分の子どもの利益に繋がる。
賛否はあると思うけど、その寄付金を使って貧乏人の子どもが入れるようになるならば、うまくできた制度設計だと思う。
でも、これは私立大学だからできることだろうし、東大でそんな制度が採用されるとはとても思えない。
※補足:ハーバード大学やスタンフォード大学などのアメリカの有名大学のほとんどは私立大学。
でも、はてなーは公共心が高くて、公共性への貢献からアイデンティティ上の満足を得られるであろうから、皆さんからの寄付には勝手に期待している。
②なぜ親と折り合いの悪い層にこだわるのか
これは、実際にそういう人を知っているから。金銭面で決定的に仲違いしたから。その人は大学からも去ってしまったから。
大学院に行きたいと言っていたけれど、結局コンサルに就職した。私が知っている中でもかなり天才と呼んでよいほどの頭の人だったのに、ものすごくおもしろい研究をしたはずだったのに、本当にもったいない。
セクシャルマイノリティーの立場から授業料値上げについて書いていた学生のnoteを読む限り、最近でもこの問題が解決してなさそうで非常に残念だ。
私の場合、分かりやすい経済的困難層だったことと、進学には反対したけどなぜか書類の準備には協力的だった親がいたことはすごく運がよかった。
親との折り合いが悪くて授業料免除制度からこぼれ落ちてしまうような学生をどう救うかの問題が解決しない限り、いくら支援制度の充実を掲げたとしても、学生の自助努力の水準を上げる授業料の値上げは行うべきではない。
③最後に。自分のこれまでを褒めてもらえたことはうれしかった。その一方で、危うさも感じた。
やっぱりみんな学力によるメリトクラシー(能力主義)にとらわれすぎだと思う。
特定の能力を持っている人はそれにふさわしい場所に行けるべきという考え、あるいはそれが実現された社会は、最終的にはその能力を持たない人を苦しめることにもなりうる。
学力という一つの能力のみによる純粋な選別装置として大学を機能させることと、社会全体の平等は別の話。
能力によって個人レベルでの格差を乗り越えることができたとしても、社会全体の格差は残り続ける。
世代間の社会的流動性が高ければそれはそれで問題ないのかもしれないけれど、それでもやっぱりいま・この世代において個人レベルで「負ける」人は発生する。
特定の能力による勝ち負けの発生自体をなくさないと東大ヘイトも負け組ヘイトもなくならないんじゃないか。
もちろん個々の能力ごとに勝ち負けが発生するのは避けられないけど、いろんな人のいろんな能力が尊厳をもって扱われて、トータルでみたら引き分けだとみんなが感じられるような社会になってほしいと心から思う。
だから繰り返しの主張になるけど、大学生への経済的支援だけではなく、若者向けの支援も、かつて若者だった人たち向けの支援もやるべきというのが私の立場。
「東大生は社会的に有用だから他を差し置いて特に支援されるべき」ではない。
個々人が寄付という形でその思いを表明するのは、個人の善の構想の中にある自由な選択。
でも、公的に税金を使ってやるべきような正義の話なのかは分からない。
それに、社会的に有用になることを東大生に押し付けることも適当ではないと思う。
社会貢献のためにみんな働いているのか? ジョブズは社会貢献のためにiPhoneを作ったのか?
そうではないだろう。
人々が自由にその能力を発揮して、自分の何らかの価値のために働いて、それが結果的に社会の役に立つ。それが一番健全。
最初から社会のためになんて言ってるやつはうさんくさい。個人の感想だけど。
この投稿以降は再び社会の片隅でひっそりこっそり生きる生活に戻ります。
誤字脱字は直すけど、それは何卒ご容赦を。
単なるROM専の集団が回るカウンターの数字を通して「ああ、俺は今一人じゃないんだ。この世界の何処かで俺と同じように今このコンテンツにアクセスしている誰かがいる。名前も知らない。心持ちもわからない。でも今ここに誰かが確かにいるんだ」と人恋しさを慰めていた頃の、孤独で人付き合いが苦手で、ネットゲームでもパーティーを組みたがらなくて、新作ゲームにCO-OP要素が出るとキレ散らかして、そんなどうしようもないボッチでコミュ障で除け者な連中が、コミュニケーションを煩わしいと忌み嫌う者同士での連帯感を得られる空間だった頃のインターネットを俺は愛していたんだ。
でも次々と乗り込んできたウェイの連中がインターネットから静けさを奪い去ってしまった。
コミュニケーションを介することなく人の気配だけを薄っすらと感じることが出来る静かな温かみを感じられるインターネットを地上から消し去ろうとする闇の勢力共め、お前らは自覚のない異常者なんだ。
コミュニケーション禁止メタバースにわざわざ乗り込んでいって、あの手この手で荒らし行為をを繰り返してはBANされたことを自慢する。
お前らのやっていることはサービスが始まったばかりのソシャゲでデュープを繰り返しては億万長者を気取り、BANをされれば被害者を気取り、そして誰かの組み上げた世界を嘲笑することを生きがいとする陰湿な狂人達と同じだ。
というか、きっと全く同じような人種なんだ。
自分のチャチな楽しみのために荒らし行為を繰り返すことが異常だと気付けない。
そのくせしていざ自分が少し痛手を受ければ喚き散らす。
繊細さを拗らせ構って欲しさを不良アピールで解決しようとする安っぽいチンピラのような生き方だ。
本当にクソみたいな奴らだよ。
恥を知れ。
バーチャル・タレント・アカデミーのオタクって、なんなのだろうか。
毎週30分の配信を見て、感想をTwitterで呟いたり、FAを投稿したりして、「VTAを応援」していた。
歌も禁止、ゲームも原則禁止、毎週30分しか会えないから情報もあまり分からない……そんな彼ら(※性別を問わない表現として彼らという代名詞を使用する)のことを日々考えて生きていたし、その時は生き甲斐のひとつと断言できるほどだった。
私がVTAを見ていた時期、VTA界隈は大いに荒れていた。
サイレント退学が続き、いつまで待っても音沙汰がないために運営に問い合わせたりTwitterで訴えかける人が急に現れ始め、明確なソースがないのにも関わらずアカデミー生の名前がユーザー名になっているチャンネルやTwitterのアカウント一覧を流す人も現れ、アカデミー生とは名前の違うライバーがデビューする度に誰々ではないかという憶測や誰々はまだなのかという声が広がった。
アカデミー生が養成機関所属の人間にしては認知が広がりすぎたのは、VTA卒ライバーのデビューだけによらないものだと感じている。荒れすぎたからか応援タグも消滅したしね。
このことが「化石のように眠った情報の価値」を上げているんだろうなと思ったり思わなかったり。
化石のように眠った情報というのも、現在VTAのコンテンツは全て非公開となっている(オーディション活動はやたらと活発だが、アカデミーチャンネルで活動をしていくのかもよくわからない状態である)。リアルタイムで見てきていなかった人たちが、今彼らの情報(本人が口にしたり発信しているもの)を得れるのは、ファンの制作した切り抜き動画とVTA公式Twitterのツイートのみである。その他の情報は現在ソースがないため、間違っている可能性もあるものとして見るべきだと私は思っている。
アカデミー生がデビューした/していないに関わらずコンテンツ自体が消滅した今、「VTAを見ていたオタク」というのは、確実な証拠(当時のツイート等)がない限り実証できない。
「VTAを応援」していた中にはもちろんROM専と呼ばれる人もいるだろうし、アカデミー生みんなが利用していたGoogleフォームにお便りを送ったことのない人もいるだろう。逆に配信でコメントだけをしてTwitterでの発信はしていない人もいるだろう。
しかし、前述の通り切り抜きで情報を得れるし、「VTAから見ていたファン」による「VTA時代の彼ら」に関するツイートも多く出回っているため、今や誰もが「VTA時代の彼らを知っている」と言える状況になってしまっている気がする。まあよくバズってますよねそういうの。情報がいかに価値があるかの証拠すぎる。
個人的にはソースもないものが出回ってるの怖すぎるけど、インターネットリテラシーの違いかな?とか言うと角立ちますよね、すみません。
バーチャル・タレント・アカデミーのオタクって、なんなのだろうか。
VTA自体の、システム形態含めて概念から好きなオタクなのだろうか。デビューしたライバーの現在もしくは過去を懐古するオタクなのだろうか。他所で活動している人たちの現在もしくは過去を懐古するオタクなのだろうか。今どこで何をしているのかもわからない人たちの過去を懐古するオタクなのだろうか。
先日、現在の活動名がアカデミー時代の名義と同じ(それがVTAの権利的にOKなのかはわからないが商標登録はされてないのでセーフなのかもしれない)人物がVTAにいたことを断言し、今と過去を比較し今の状況に喜ぶ文面を見た。
個人的に結構応援していた人物であったこともあり、VTAで得たある程度の知名度を利用しているようにしか思えず今のその人を応援する気は湧かなくなったし、応援していた過去を遠回しに否定された感覚にもなったが、まあ色々大変だったっぽいことも書いていたので、仕方ないのかもな……という考えに落ち着いた。
元々証拠のない限り実証するのも難しいような「過去の応援」だ。その人に関しては、活動の形式的に別に過去の発言や本人の趣向等を知っているからといって何にもならないと思ったのだが、デビューしたライバーのアカデミー生としての過去がこんなにも重宝されているのは単にファンの母数の違いだけではないだろう。
当時を知らない人からすれば、「誰かが自分の知らないその人の過去を知っていること」はスタートダッシュに乗り遅れた感覚なのかもしれない。
あくまで私個人の考えだが、アカデミー時代に公表した情報が「今も公表してもいいこと」なら、本人は既に公表しているだろうし、「公表していないこと」なら本人が今言う必要がない、あるいは言いたくない情報だと思っているため、わざわざ掘り起こすことか?と思っている。またメンバーシップにてアカデミー時代の配信を公開しているライバーもいるし、公開していないライバーは何かしら理由があるのだろう。
これは「知っている側」「リアルタイムで見ていた側」だから言えることなのだろうか。
今を楽しむだけでは駄目なのだろうか。
一部のライバーに関しては頻繁にアカデミー時代の見た目の二次創作を見かけるが、過去と絡ませることで美味い消費をしてるんだろうなと思ってしまう。まあ二次創作って捏造であればあるほど美味いよね。さすがに冗談ですけど。
あと関係性くらい人間付き合い長ければ多少は変化あるし、本人たちの関係性って一部しか見えてないから、過去もクソもないと私は思います。
VTAのオタクをしていると、「知っていること」に価値があると思われてしまいがちだが、別に知っていることに価値があるわけではなくて、「不安定で発展途上なコンテンツを応援し見守っていた事実や経験」に価値があると思っている。
2chのアクセス数がピークだったと言われるときのユニークユーザー数が1160万人。
ねとらぼやその他サイトのアンケートなどで実際に書き込んだことがある人より見たことがあるだけの人のほうが優位に多いし、アンケートの集計時期や媒体が違っても基本的にROM専のが多い。
2chやはてなの歴史を考えて時間がずれて利用してる人がいることを加味しても入り浸ってこびり付いてたような人が合計2000万人を超えることは無いね。
はてなのユーザー数とか含めて考えてもらっても構わないけど、2ch~5chの流れと、はてなのユーザーを別で考えたとしても、こびり付いて「住民」気取るようなキモい社不は2000万人もいないね。
難しいよね、ごめんね。
はてな匿名ダイアリーは所謂ROM専だったが書きたいことが見つかったので書いてみようと思う。
はてな匿名ダイアリーは所謂ROM専だったが書きたいことが見つかったので書いてみようと思う。
正しいことを言えば「世の中は良くなる」と信じてたけど、これはバカの発想だと最近気がついた(笑)
「Twitter、Facebook、はてな」いろいろなところで、コメントを書いてきたけど、全部時間のムダだったね。
世の中は、なるようにしかならず、自分のことだけを見つめて生きた方が「遥かに効率的で幸福度も高い」といったことが、10年くらいSNSにどっぷり浸かってみて分かった。
「ROM専に徹してる人って、何が楽しくてやってるの?」と思ってたけど、今はその人達がとても賢く見えるな(笑)
私は本当にバカだわ。人間にとって、唯一平等な資産である時間を、こんな無意味なことに費やしてしまうなんて、なんて知能が低いんだろうか。
大反省。