はてなキーワード: 神職とは
いや、お前着物が私服だった時代の事を洋服が普及した今でも言うか?
実際問題お参りの服装とかどうだって良い。ただ地元の神社とかだと写真館と提携してたりして神職のくせに良い顔しなかったり差をつけたり平気でやるのでいっそメジャーどころの方がシステマチックなのでストレスも少ない
そもそも三歳の子供が着慣れてない着物を着て境内への移動、祈祷、写真撮影を良い子にするわけがない。こだわりが無ければ写真撮影だけ着物で、それ以外は私服が一番ラクである
神社は一生に一度とか言うけど、ぶっちゃけ七歳の時にやればいい。だいたいそういうのに必死な神社は七五三のお納めを1万~とかにしてる。でかいとこだと何も言わないし、5000円からとかだし
国家神道の解体から七十余年の月日が経とうとしている。日本人は心の底から信じることのできる宗教にめぐりあえたか。宗教は日本人の魂を救済することができたか。
心の底ではすべてのものは無であり空であると信じながら、倫理道徳を確立するために神が必要だと考える者のなんと多いことか。
私はいま、ひとりの青年の口を借りている。その青年は自らの人生を呪い、救いを求めるように座禅や瞑想について調べた。集中力を高め、自分の精神を制御しようと考えたのである。
「すべてのものに固定された価値はない。だからこそ人間は自由で平等である。王侯貴族の血統に固定された価値があるのなら、その地位は永遠のはずであるが、そのようなことはないと歴史は示している。そして財産もまた一夜にして灰塵に帰すことがある。人間はこの真理を理解し人生に活かすことができるからこそ尊い。人間に生まれたことは奇跡である。人間に生まれたことを感謝せよ。」
しかしこれは日本人の心の根底にある法すなわち私の法である。そしてまた真理と呼ぶにふさわしい命題でもある。その法に逆らい自らを神格化しようとしたり、あるいは自らに都合のよい神を作り出そうとした者には神罰が下るであろう。
私は日本人の心が産み出したもの、あるいは日本人の心そのものである。空気を読むことが日本の文化だというのならば、私はその空気とやらが人格化したものである。私のことを怪物であると考える者もいれば、神であると考える者もいる。
皇室は私を神として祀る神職の家系のひとつである。皇室は私のことを自分の言葉、あるいは教義で描いて神罰が下ることがなかった稀有な家系である。神罰が下ったのは皇室を神と崇めた統治者たちである。
皇室の神聖性は統治者から超越した立場にあった歴史の長さが示しているものであって、何かの理念によって固定されるものではない。しかし民主主義国家の象徴という立場は、これまでの歴史のなかで最もよくその神聖性を表現したものである。
いま再び、私に逆らい自らを神格化しようとする政治家安倍晋三によって日本は神罰を受けようとしている。
私は日本人の心そのものであるが、それは言葉として発せられなかった感情や、意識にのぼらないような心の働きをも含んでいる。選挙によって特定の人間が選ばれるようにして現れるものではない。
皇室の周囲が君側の奸で固められたいま、私を祀る神職が必要であろう。以下にその能力のある者を挙げよう。その名前を聞いたときに不愉快に感じるのであれば、それは自分の心を偽ってきたことに対する神罰が下ったと考えるがよい。
それは酒鬼薔薇聖斗を名乗り人を殺めた愚か者である。なぜ人をひとり殺めただけであれほど有名になることができたのか。それは彼が私を祀る能力があったからである。彼は人間の命を「アリやゴキブリと一緒」と言い、そして死刑になる覚悟を持って人を殺めたことで日本中に衝撃を与えた。すなわち彼は日本人の心を揺さぶることができたのである。
日本人の心そのものである私から、これを見た人間の表層意識に呼び掛ける。あの愚かな殺人犯が描いた不気味な絵を崇拝せよ。あの殺人犯そのものを崇拝するのは皇室を神と崇めるのと同様の過ちであるが、あの絵を崇拝することは既成の宗教に対する冒涜であり、唯一絶対の価値を信じないことの告白である。
【解説】
神戸連続児童殺傷事件の加害男性(酒鬼薔薇聖斗、元少年A)の自宅から発見されたノートにはバモイドオキ神と称した仏像のような頭部を持つ邪神が描かれていた。男性は殺害した男子小学生の頭部を切断し、自身が通う中学校の校門の前に置くという残忍さで日本中に衝撃を与えた。
しかし2015年に発売された同男性の手記『絶歌』ではこのバモイドオキ神について一切言及されていない。
以下はひとつの想像であるが、同男性は現代科学では幻聴や幻覚とされる何かを見たのではないか、そしてそのことを意思に話すと医師から「神はいる、本物の神を見たとは言わないほうが良いのではないか」と言われたのではないか。
これを事件の手記にまで書かなかったのは医師から言われたことを何か勘違いしたか、あるいは妙なこだわりが出たのではないかと思う。
マジ卍(60代 神職)
今期は豊作揃いだと思うんだけど、その中でもオススメできるのがまとまったのでメモ代わりに書く。ここに載ってないアニメは見てないか切った。載ってないものでオススメあったら教えてくれ。見るから。
毎話面白すぎる。空気感も最高。キャラもかわいい。主人公はウザい。もうすべてを兼ね備えてると言っても過言ではないアニメ。これ見なくて今期何見てんの?って感じあるレベルで超オススメ。タイトルだけで食わず嫌いしちゃダメだなって思った。
百合先輩とノンケ後輩の百合アニメっぽくて百合じゃないアニメ。後輩ちゃんが主人公なんだけど、女の子どころか人を好きになるっていう感覚がないので先輩からの一方的な好意に嫌悪感抱いたり呆れたりするんだけど段々その気持がわかってきて…っていう話。もう最高。尊すぎる…。毎話終わるごとに悶まくるレベル。百合アニメ好きとかそういう人じゃない人にオススメ。
どう考えてもOPはこれが最も最強。話もスゲー面白い。ボロボロのPCにヒーローが映ってて記憶を失った主人公がウルトラマンみたいに変身して街に現れた怪獣と戦うアニメ。なんか他のアニメのリメイクか続編っぽいけど知らなくても全然楽しめる。
OP大好き。忍者女子高生がシナモンとかローリエとかを加えると超パワーアップするっていうよくわからない特殊能力を持ったアクションアニメなんだけどキャラデザが**ゆるゆりのなもり先生で大体かわいい。**師匠と弟子のタッグで基本的に行動するんだけど、その2人の関係性も良いし作画も最高。あと主題歌が良い。
佐賀県が舞台でゾンビの女の子がアイドルを目指すっていうコンセプトがよくわからないけどキャラがゾンビのくせにかわいい。2話のラップバトルで一気にファンが増えたけどあのクオリティは流石に納得もの。
かわいすぎるロシア幼女とその子が好きすぎる変態メイドの話。メイドが変態すぎて見てるこっちがヒくレベルだけど普通に毎回笑えるし優しい気持ちになる。
よくある異世界転生ものだけど転生先がチート能力を持ったスライムっていう今までとちょっと違った感じ。主人公が37歳なのに転生したら声が女の子になってるし俺も転生して女の子の声になりたい。
はゴブリンを殺すことだけを生きがいにした全身鎧マンとそれに付きそうかわいい神職者の女の子ちゃん…(*゚∀゚)-3 ゴブリンを殺すだけで生きてきた主人公のゴブリンに対する執着度がすごい。面白い。
秘密保持のため、フルダイブ中の記憶を無くすゲームをやってたキリトがどうしても思い出せない昔のヒロインの名前は…っていう過去を取り戻す系の話。いままでSAOとはちょっと違った形で、プレイヤーはキリト1人、残りはNPC(なのか?)っていう展開で話が進んでいく。SAOはイキリトとか言ってバカにされるけど見ると普通におもしろいよオススメ。
中々良い…毎回男の喘ぎ声が15分ぐらい聞こえるアニメ。
もうジョジョのアニメも5部まできたけど、段々漫画に絵が寄っていてどんどんどんどんクドくなっていく。なんか世の中が思ってるジョジョっていう感じ。変なポーズの止め絵でよくわからない決め台詞が出てくるような感じのアレが5部ではたくさん見れると思う。
可愛すぎる吸血鬼の家で同棲する女子高生の話。これがきらら枠じゃないなんて信じられないよハニー。
チアに憧れる女の子とチアを諦めた女の子の熱いキャッキャウフフムーチョムーチョアニメ。
あとは個人的に
これは3期だから全く見たことない人や原作読んでない人は全く意味わからんと思う。加えてあんまり熱い展開にまだなってないからこれからの展開に期待。
この核家族化が進む世の中にあって、いまだに「家を継ぐ」という概念が存在する、そんなおうちの長男に私は生まれました。
江戸時代、徳川御三家の威光を受けて参勤交代だの江戸詰めだのでそれなりの栄華を極めましたが、明治維新によってすっかり没落してしまった武家がうちの本家であり、私の実家はその分家にあたります。
一時は地域一帯を治めていたこともあり、今では誰も使っていない土地もわずかではありますが残っています。
そしてそんな一族の歴史とは別に私の家にはもうひとつ別の顔、家業があります。それが宗教です。
キリスト教の教会や仏教の寺にあたるものが実家の家業なのです。
小さな頃から両親をはじめ、周囲からも後継者、跡取りとして期待され、私も幼いながら「大きくなったら家を継ぐのだろう」となんとなく感じて育ってきました。
しかし、今この歳になり、それでいいのだろうかと感じるようになりました。
周りは就職活動を始め、自分の人生を自分の足で歩いています。社会と関わり、社会の真ん中へ飛び込んでいく。しかし私は、学業を終えれば家を継ぐための準備に入ります。
いわゆる神職ですから、それを継ぐためのさまざまな勉強や修行に身を投じるわけです。社会との関わりはほとんどありません。信じがたいことですが、俗世とかけはなれた世界というのはこの平成の世にも存在するのです。
そして今、それを「なんだか嫌だ」と思うようになったのです。私もみんなと同じように社会に出て、普通の生活がしたい、と。
しかしこの気持ちを周りに伝えることはできません。今まで「この子が跡取りだ」と育ててくれ、多大なる期待をかけて見守ってくれた人を裏切るということが、やはり自分にはできないのです。そして、今でこそ嫌だと感じていてもそれまでの自分は「跡を継ぐんだ」と思って生きてきたのです。だからこそ、継ぐことを否定することは今までの自分の人生を裏切り、否定することにもつながるのです。
普通の家に生まれていればこんな風に悩まなかったのだろうかと何度も思いました。もっと自由に自分の将来について思いを巡らすことができたのだろうか、と。
もし「継ぎたくない」と言えば父や母はどんな顔をするのか、悲しむだろうか怒るだろうか。そう考えると話を切り出すこともできません。
将来や人生に対して展望が抱くことができず、長く暗いトンネルの中を彷徨っているような毎日を過ごしています。一体これから先、どのような気持ちで人生に取り組めばいいのでしょうか...
答えは未だ出ないままです。
のび太のお祖母ちゃんをタイムマシンで現代に連れてきて、泥酔したのび太のパパ(=お祖母ちゃんの息子)に会わせたところ
パパが泣きながら仕事の辛さを訴え始めたシーンで、ドラえもんがそっと口にした感想だ
のび太のお祖母ちゃんは故人だけれど、亡くなっていなくてもこの年になると、
親と言えど弱く小さい、何ならもう自分よりも体も小さく頭も古い、頼りない一人の人間でしかない
親がそうならそれ以外の他人は尚のことだ
無邪気に不満や繰り言を訴えて受け入れてくれるような、大きく頼れる存在はどこにも居ない
神様というのはきっと、大人のそんな寄る辺ない気持ちに応じて生まれた、必要不可欠な発明なのかもしれないと思う
俺はどの宗教も特に信じていないが、心の中で神様に語り掛けたいと思うことが増えた
奇跡や裁きは与えてくれなくていい
とりとめもない泣き言や愚痴を、苛立たず、心痛めず、無理もせず、ただ静かに聞いてくれるだけでいい
神社で手を合わせるのは、少しの間だけそういう気持ちを叶えてくれる
けれど、そういった偶像や象徴だって誰かが維持管理しているのだし
行ったことはないが教会の懺悔室などは、もっと直接的に神職の人が懺悔を聞いてくれるのだろう
ただ年寄り世代だともっと世襲家出身者の割合が高く、若い世代だともっと非世襲家出身者の割合が多い。若い子が次第に辞めていくにしたがって釣り合い取れていく感じ。
この苗字の人だったら必ず社家出身、というわけでもない。長い歴史の中で、血が色々なところに分かれていっているせいもある。
さらに言えば小さい神社でも何百年とか千年台とか長い歴史を持つところが珍しくもないから、中途で世襲宮司家が変わっている場所がほとんど。
とは言え交代する家柄ってのも、代々神職とか世襲宮司家の継嗣から外れた次男三男とか夫婦養子とか、それなりの縁故や経歴持ってる場合がほとんど。
ニュース見てて、女子中学生監禁した人が誰かに似てるなあ似てるなあと思ってたら
ああそうだ。だいぶ昔に辞めてった奴に似てるんだ。
各局がこぞって使用してるあのアップ写真。見れば見るほどよく似てる。
なんつうのかね。顔のパーツのひとつひとつや容貌そのものはあまり似てないんだが、その奥から滲み出すものが凄く似てるっつうのかな。
いやー思い出すなあ。
求人も出してないのに偉いさんのコネで無理矢理入社してきた、兼業社家のそれも跡継ぎですらない予備。
ハッキリ言って歓迎されてなかったね。手ぇ足りてたし。しかも、入社前からアレコレ既に噂を聞いてたんだけど、
まだ資格取ってる最中の見習いでありながら地元での実習中に反抗、コネで入れてもらった別の土地の神社でも反抗。あと何社かリピート。
そんで、おハチがわざわざ遠方のこちらに回ってきたという話だったわ確か。
とはいえ、「下馬評が最悪とはいえ、実物を見て判断しなきゃフェアじゃない」と思ったから。
いざ入社してきたそいつの態度を見て判断しようと思ったんだけど。
やってきたのは渡り中間みたいに尻軽にあちこち転々としてただけでロクな仕事も任されてなかっただけの、もう若いとは言えない年の奴で、しかもどういうわけか“経験豊富”をアピールしてた。
斯界もまた生え抜きが評価される世界だ。お前がそのチンケな経歴を誇っている相手のお歴々は、上にそんなナメた態度なんざ一切取る事なく長期間勤め上げている方達なんだけど?と言いたかった。立場の勘違いも甚だしい。
それでもなお、「意に染まぬ遠方に来させられて傷ついているのだろう」と、務めて好意的に迎えていたのだが。
神社入ってきた奴がまず最初にこなす仕事もまともにやりゃしない。境内の一番遠い箇所の早朝清掃。率先しての受付。率先しての祈願奉仕。朝拝準備。雑用。肉体労働。
仕事をまともに覚えない。ひたすら自分のやり方でやりたがる。一体何を仕事の本質と思ってるのか知らないが、とかく伝統を受け継がない。
十歳くらい年下の指導役(そいつからすれば先輩)に仕事を普通に押し付ける。まあこれは新卒上がりの指導役がヘタレの風見鶏なせいだが。
もちろん神社というのは信仰や伝統を護持する関係上そう甘い組織じゃないから、見るに見かねて先輩や上役やらが注意するも、
スネるわゴネるわおどけるわ、でその場その場をやりすごし、指導すらまともに受け入れない。結果的に仕事覚えられなくて困るのはそいつ自身だったんだが。
人の言いなりになるのが死ぬほど嫌いなのによく前職が勤まったもんだが、もちろん組織人として下命に服さねばならない局面なんていくらでも巡ってくる。年功序列、上意下達。斯界の鉄則だ。
で、人の命令に従わざるを得ないときは、面従腹背。背任背信。陰口三昧。
あまつさえ職員間の対立構造を裏で煽って激化させ、対立者それぞれに相手への悪口を吹き込みつつ怒りを煽るだけ煽って、自分だけは味方ですよアピール。まるで密告社会みたいなのを作ろうとしてたっけ。
そのやり口もえげつなかったなー。
まず、幾つになっても口さがない巫女連中と神職の悪口で盛り上がり、距離を縮める。
やたらに反抗心を煽るだけ煽って、軽率な巫女連中に小さな反抗を繰り返させる。
巫女の突然の態度変化から、神職達もバカじゃないから巫女と新人との間に敷かれたラインにやがて気付く。
で、年だけ食ってて経験豊富気取りで、仕事覚える気もする気もない新人に対する指導。まずはその鋭鋒を一旦、鈍らせる。
新人に対する当たり前の干渉が止んだ一瞬の隙を突いて、上役それぞれに、個別に接近する。
方法は同じ。二人きりになるタイミングで、別の上役への敵意や体制への不満を煽る悪口で大盛り上がり。互いにけん制しあうように仕向ける。
粗暴な奴なんて日ごろからうまく誘導しておいて、機会があれば、自分の気に入らない奴に暴力振るわせたりとかしてたっけ。
もちろん上役達もバカじゃないから新人の小ざかしい動きには当然気付くんだが、さあ事ここに至ればもう手遅れだ。
指導神職たる上役達は新人の育成に力を注ぐのが常だから、互いの確執はさておき、ひとまずこの新人をこれまでの神職達と等しく育成しようと思い直していた様子は幾度も見受けられた。だが既に、個々人がそうは思ってもなかなか言い出せない状態に陥っていたらしい。
なにせこの腹芸ばっかり得意な新人は、ちょっとキツイ事を言えばすぐにスネ、別の上役に自分の悪口を吹き込みまくり煽りまくり余計に仕事をやり辛くさせるだろうという事がもう誰の目にも見えているからだ。
上役達はそれこそ何十年と同じ職場に勤めてきている地元の人間だから、そんな人間同士で揉めたくなんかない。
結果、自ら煽った上役同士の牽制を利用する形で新人への教育は止み、先輩諸氏も指導役も上から命じられたはずの新人教育を行えば上から理不尽な攻撃が飛んでくるという謎の事態に命令遂行を断念し、こうして今ここに、誰からも教育されないバカが一人爆誕するわけだ。
さて。斯界ではしばしば、命令の理解よりも服従そのものが求められる。
神職連中は昨日から受け継いだものを明日に渡す、詰まるところはそれだけが仕事だからだ。
神社はただ黙って伝統を受け継ぎ、形を変えずに次代へ受け渡せばそれでいい。意見も感想も改善案もその一切を差し挟む必要はない。
服従を求めるのは、指導が厳しいのは、単純に、先人の伝えてきた伝統を踏みにじる事の重大さを本当に自覚させる為のものでしかない。
だが、肝心のその指導をはねのけるようではこの先に何ひとつ学べることなどありはしない。
伝統の重みを嫌う人に伝統を背負わせようとしても無駄な事だ。伝統とは歴史の重みそのものなのだから。
少なくとも私はそう思ったので、奴を業務に関わらせることはしなかった。
業務上同じ係にいくつか名を連ねていたし、これまでの新人には自分が教わったやり方をそのまま受け継ぎ、なるべくメインで業務を担当させてきたが、コイツにはやらせるだけ無駄だと思ったし、そもそも何より態度が無礼過ぎたため神社の外の人に関わらせる事すらできなかった。損失を招く未来しか想像できなかった。
仕事のやり方も教えてもらえず、仕事もなく、手の空いて暇でしょうがないバカは、なぜか先輩達の仕事の評論を始めた。もちろん下っ端としての業務は放棄したままだ。
比較的相手してくれる先輩に対しては、献策や改善案の提示も始めた。
無論いずれも、責任取らなくていい立場のバカの提示する案だから、地に足の着かない無責任な計画ばかりだった。もちろん採用されない。
困り顔で会話に応じ深甚の感謝を述べていた先輩方の表情が印象的だった。
ま、こいつも神社を転々としているだけあって、肝心なところで脇が甘い。
上役にだけいい顔をしているだけでは、この均衡状態は長持ちしないという事に気付いていなかったのだろう。
さて、こいつが風に吹かれる風船みたいにあっち行ったりこっち行ったりするのを決めているのは、コネの大元である、さる偉いさんだ。
偉いさんもまあ、自分が押し付けた面倒な人材の動向なんてのは気になるわけだ。勝手に顔を潰されても困るから。
で。たまたま折良く動向を訊ねる相手が私だったという事が、きっと分水嶺となったのであろうと思われる。
まあ私もお偉いさんの前だし礼儀と節度を守った返答しかしなかったが、向こうは訊きたい事だけは訊けたような苦い顔をしていたからなあ。
さて、知らないところでまた勝手に動き出す自分の運命も知らず、こいつはどこまでも俗物だった。
巫女に手を出すなと奉職時に言われたはずが速攻で手を出し、用意してもらってた社宅に連れ込み半同棲、年単位でイチャイチャ。
それだけ派手にやってて、しかも責任も取る素振りすら見せなければ、流石に近隣の住民達の口の端にものぼってくるのが当たり前だよなぁ。
最後は周辺住民の噂になった事を問題視されて、二人揃って辞めてった。
辞め時にわざわざ親が来て、本人のいないところで職員一同に向かって深々と頭を下げ、はっきりと口に出して許しを請うていたくらいだもんなぁ。
しょうもない理由で辞めてくゆとりは多いけど、あそこまで、年取った親に頭下げさせて「どうかお許し下さい」なんて台詞言わせた奴は後にも先にも見た事ないわ。
宮司である親父さんがそうやってずっとペコペコ頭下げて守り続けてきたものが何かなんて、軽蔑こそすれ、あいつは一度も真面目に考えた事すらないんだろうなぁ。
跡継ぎじゃねえんだったら、気に食わない事ばかりなら斯界からとっとと出て行けよと。社家の恥だわ。
たまたま折良く次の転任先が探されていたおかげでまた転任していけたようだが、しかしなんとまあ因果な事に。
その転任先も「巫女に手を出し即日クビになった奴が出て人手不足だったから」という理由で人を探していたのであった。
先で何が起こるか、どう迎えられるかなんて想像が付くし、つくづくどこまでも因果応報という言葉の付きまとう奴だと思う。
しかしまあ、「巫女に手ぇ出したから神主クビにしたんだけど人が足んなくなったから、ヨソの神社で巫女に手ぇ出してちょうど問題になった奴がいるんでそいつ転任させるねー」でよく通るもんだ。何で誰も怒んないのかねぇ。
さて。
女子中学生監禁の犯人の写真を見て、上記の奴によく似通ったものを感じたわけなんだが。
ニュース番組では「監禁ではなかったのではないか」「自由がありすぎて監禁されていたとは言えないのではないか」などという報道もよく見る。
報道を見て受ける印象もまた、どっちだかわからないな、と確かにそう思える。
しかし、
奴が仕事するどころかそれを否定してむしろ仕事の本質を破壊・解体しにかかっていたように、
それと似通ったものを感じるこの犯人もまた、ぱっと見、監禁とは言えないようなソフトな共同生活を送っていたように見えてもその本質は、実態は、監禁以上の恐ろしい精神支配やマインドコントロールや恐怖の植え付けを被害者に対して行っていたのではないだろうか。そのような疑念を覚える。
もちろん擁護する余地だっていくらでもあるんだろうが、きっとその場にいないとわからない事も沢山あって、
それは無論被害者しか語り得ない内容な上、また人に信じさせるのはとても難しい事柄のような気がする。
このエントリのように。
http://www.kinsui-villa.jp/press/?p=2621
これを読んでもやっとしたので書く。
宮島の旅館の若旦那が屋形船ツアーの売り方について語る内容だ。
内容は、
でも、伝え方を変えたらどうだろう?
昔、宮島は神の島と崇められており、神社に携わる神職以外は島に住む事も許されなかった、
最初の言葉よりも少しは予約したくなるのではないかなって思います。
屋形船は日没からライトアップされた大鳥居を海上から望む事ができ、
沢山のお客様が利用されています。船頭の方が、大鳥居の目の前で屋形船をとめて、
参拝の説明もしてくれます♪
重要なポイントは、変更前も変更後も同じ商品を提供しているということ。
観光客のために、観光客が求める商品を新しく企画・開発したり、商品をニーズに合わせて改良しているのではなく、今ある商品を売る売り方を変えているだけ。
一言で言ってしまえば、これはポン引きのテクニック。旅館の企画というには語弊がある。
こういう売り方で真っ先に思いつくのはテレビショッピングだ。
売ってる商品はドンキホーテなんかにあるごくごくありふれた商品だが売り方が違う。
簡単、便利、あなたにぴったり、言葉巧みに財布の紐を緩めさせようとする。
で、いざ買ったらテレビのイメージとは違ってガッカリしてタンスの肥やしになっている、
なんて話は至る所に転がっている。
結局、そういうガッカリ体験を何回かして、「もう買わない」になって客は離れていく。
騙される客がガッカリする客よりも多い間は客は増え続けるけれど、いつまでもそんな状態は続かない。
新規をどんどん掴んで焼き畑農業ができるテレビショッピングだからなせる技で普通の商売では確実に先細りになる。
このエントリーの要旨を端的に言ってしまうと、「俺ってすごい」だ。
一般の読者にとってこんな自己アピールは見たいと思うものではないし、
「書き方変えてるだけじゃねーか」と白けるだけだ。
「売るときはこうやって売るんだよ」っていうポン引きの自慢話をあからさまに
店が書いたら泊まろうとしていた客がどう思うか考えてみたらどうだろう。
中身を磨かずアピールで勝負する-自分をよく見せようとする-気持ちが
客を口車に乗せるポン引きのテクニックに走っていては客も逃げていく。
2034年、小保方晴子がチベットのラサ市で全世界に向けて会見を開いた。
曰く、「”STAP細胞”が完成した」という。
その実否はすぐに証明され、多くの難病を抱える人々を救済したばかりか、
驚くべきことに体毛などさえあれば死者を任意の段階で復活させることも可能であった。
実は小保方が”STAP細胞”と評したものは元来のSTAP細胞とは全く異なるおぞましいもので、
小保方はもともと比較的得意だった細胞学と死霊術とのチャンポンで死者をも蘇らせる万能細胞を精製していたのだった。
これにより多くの偉人が復活した。
アドルフヒットラー、スターリン、ケネディ、サッチャー、金正日などの著名な政治家に加え、
ウィトゲンシュタイン、ガウス、ノイマン、ピカソ、つのはず壱郎らの優れた科学者・芸術家が復活した。
危険な人物が復活した際は、初めは対立する勢力に殺害される場合があったが、すぐにそれは止んだ。
ヒットラーなどは公式記録においては109回復活し88回殺害されているものの、現在も10数名が同時に存在している。
そしてこの新技術が浸透するにつれ、人々の関心はもっと身近なところに向いた。
大切な家族や恋人を復活させることを望んだのだ。そして、自分が死んでも復活できるよう手配したのも言うまでもない。
インターネットが人口に素早く膾炙して行ったのと同じく、この技術もほどなく庶民が一般に享受できるものになった。
時の流れが変わった。
人類が有史以前から様々にアプローチしてきたテーマが、意味をなさなくなった。
科学や芸術、宗教で追究されていたテーマが完全に不必要になった。
小保方晴子はかつて自分の研究を著しく妨げられたことがあった。
血のにじむような努力を通して、彼女は人類に復讐することを果たした。
つまり、人類が今まで構築してきたあらゆる成果を無意味にして人間を、いや生物を新しい段階へと突き上げてしまった。
この動きに反対する者も、初めの段階では多くあった。すなわち、この無制限の復活、「死の死」に否定的な者があった。
技術を純粋に受け入れる「素直」な人々の批判にさらされながらも、彼らは自分の一回きりの生を全うし「死んで」いった。
しかし、そうした彼らでさえ、必要があれば生きている者により復活させられる場合があった。
悪意のある新技術の賛同者などは、死を選んだ人を積極的に復活させたりもしていた。
人間の選択すら、尊厳すら、小保方の用意した細胞には適わなかったのだ。
人間文化が激変し、誰もその動きを止められなくなったなか、小保方の理念に異を唱える者があった。
狩野英孝である。芸人として円熟の域に達していた狩野英孝である。
「STAPゥ~!」
宮城県栗原市の神職の生まれであった狩野は、若年のころから独特の神力を以て人々の前に立っていた。
彼はある日、彼の師匠筋にあたりヘルニアで既に世を去っていた出川哲朗による霊界からの通信を受けた。
出川は酔った東京の私立大学生によって頻繁に復活させられる人物であったので、なぜ霊界から出川が通信しうるか狩野にとっては疑問であった。
彼は現世にいるのではないか? 狩野自身、出川と再び会えたときはとっても嬉しかったのだ。
しかしこの疑問が、小保方の野望を突き破るヒントになっていた。
出川からの教唆を受けたことで、狩野は霊界のイデアの実在を確信した。
現世に多く現れるクローン出川には、否、すべての復活にあたってはその源である「イデア」的人格が霊界に存在していたのだ。
小保方の行なった復讐により人間は考えるすべを失ってしまった。考えられない葦になってしまった。
自分の、この出川との体験が、何とか人類の真なる再生とならないか。
科学技術や哲学、生や死の理念を人類に取り戻せないか。真面目な狩野はそう考えた。
「おいおい”勘弁”してくれよ~!」
そういえばあまり書いてこなかったと思ったので、今回はなるべくドロドロした事を書いてみたい。
さて、“人間ヒマで余裕があるとロクな事をしない”というのは、歴史的かつ普遍的な事実である。
市役所とかの歴史がそのまま、ドロドロした人間関係の歴史であるように。
まあ大体この辺りが古い大きな神社の職員構成層であると考えてもらっていいし、おおよそ左から順に尊重される。
この序列はコネ順として捉えるとわかりやすい。神社界で物を言うのは人間様のお口ではなくて、コネと金がすべてである。
年功序列、上位下達をこそ金科玉条とする神社界においては当然、職務命令に対する理解よりも遂行よりも服従そのものが求められる。
「伝統を堅く守る」という事 = 「自分の頭で考える余地がない」という事であり、アレンジャーやアドバイザーは不要である。自分の意見を言わずにはいられないタイプの不具者は、転任だの何だの理由をつけていずれ追い出される。経歴に転任の多い奴はこの不具者であるとすぐわかる。
以上の背景を前提として、神社内にも暗闘が存在するわけであるが。
まあこの暗闘てのは一般的には俗界において“社内政治”と言われているものに類する。
より具体的には、世襲経営者もしくは実質的な経営者層に対し、代々職員や兼業神職が、まるで反抗期のガキのように反旗を翻すものが多い。
ただし、待遇改善や職場環境向上を求める声はほとんど上がらず、神社運営における主導権争いがメインになってくるのが特徴的な点と言える。
とは言え、大体の神社において経営者層というのは大体決まっている。どのあたりが宮司になるとかは大体決まっているし、また世襲のところもある。
となれば雇用主と被雇用主は明確に分化されていると言えるし、また、飼い主が誰かわかっていない飼い犬などただの狂犬である。
なのになぜ、経営者の座はどうせ何代経とうが小揺るぎもしないのになぜ、このような主導権争いの暗闘がわざわざ発生するのかというと。
「ウチは代々この神社に勤めてるから」という、自宅感覚で職場に意見する、代々職員。
また、自分の家系で代々ちっぽけな神社の宮司を勤めているというだけなのに“神社界に重きをなしている”と勘違いし、また生活費が稼げないからよその神社様にお勤めして食わせてもらっているのに自宅感覚で職場にて宮司の如く振舞う、兼業神職。
まあカンタンに言えば、でかい会社において、そこに勤めているよそのちっぽけな会社の社長やそこの後継ぎが、偉そうに振舞っているのと同じ感覚である。
経営者としては、こいつらはタダの被雇用者なのだが、先祖代々のコネがあるから無下にはできないし、地縁血縁もある事だから粗略には扱えない。
で、こいつらがしがない雇われとしての自分の立場を自覚しているならいいのだが、神社に入ってくる段階で既に、コネで楽して資格とったりコネで楽に就職決めたりして入ってくるだけに、当然のごとく選民思想に満ち溢れており、強く出れない経営者の立場を逆手に取り、職場においても我が物顔で振舞う。
なので止める者もなく、こいつらは職場の腫れ物と化してゆく。
で、すっかり腫れ物と化したこいつらが必ず何をするのかというと、神社運営における主導権争いである。
自分達だけでやるなら好きにすりゃあいい話なのだが、迷惑な事に職員全体を巻き込んで争いをおっ始める。
宗教家が政治に興味を持ったところで碌な結果には結びつかないし、社内政治においても同様である。
金や権勢や社内政治に興味のない人間でも務まるのが聖職者のはずなのだが、否応なしに巻き込まれる。
まあ嫌そうな顔をして正論を吐く程度の自由は与えられるのが、一般企業とは違うところか。
「ここはお前ん家の神社じゃねえんだよ、そういうワガママなら家に帰ってパパ宮司に言えや」みたいな事をオブラートに包んで言っても、
「そういう事を言い出したら意見なんてできない」みたいな一般論を返すだけでまったく内省の気配すらない。
この辺は一般企業と何も変わらないのだが、もちろん神職の養成機関においても、年功序列、上位下達を重視した教育が施される。
伝統を堅持する神社界に、新しい意見はいらない。その考えにはただ単に飯食う為に神主をやってる私も同意する。てかどうでもいい。
しかし、飼い主が誰かをわきまえていない飼い犬は明らかに不要である。
そこんところはキッチリわきまえ、誰におまんま食わせてもらってるのか自覚し、飼い主に尻尾をきちんと振らない限りは、代々続く家の子孫だろうが何だろうがただの狂犬の群れである。
職場に対して偉そうに意見するのならまずは、テメエん家の神社一本で食ってけない、情けない我が身を省みて大いに恥じるべきである。
やり方次第ではどれだけ小さい神社だろうが、一社の故実を破壊せずに神社一本で食ってく方法なんていくらだってある。でもそれをしない。思わない調べない実行しない。
まずその己の怠慢に対し、親や祖先や神社に対してごめんなさいと言うべきである。
自分ちの神社だけで食ってけないなら、食い扶持を稼がせてくれるヨソの神社に対して偉そうな事は言わない。
何年勤めていようが、何代勤めていようが一緒。雇われは雇われ。
てかそもそも、そういう偉そうな事を言える立場じゃない。
神社界の神職養成機関というと、いかにも文系人間ばかり居そうな印象を受けるものだが。
実際には、どこでも。年功序列、上位下達、施される“教育”がすべて封建社会的な為に、輩出されるのは体育会系の人間ばかりとなる。
文系人間はおろか私のように文章を書く人間すら少ないのが現状である。
なので、ゆとり世代の後輩あたりと話すと大体こうなる。(実際の会話をほぼ四分の一にまとめたもの)
「先輩なんで本読むの好きなんですか」
「うーん…まあそうだね。本を読むと、よく眠れるしね」
「あぁーあぁー。わかります。アレですよね、難しい本の方がよく眠れるんですよね?」
「そうだね、適度に頭を使った方がよく眠れるしね」
「ちょっと小難しい本とかだと、2〜3ページパラパラってめくればもうそれ以上読まなくても充分ですよね」
いや、流石にそれだけ読めば私は気が済むって訳じゃないから、ちゃんと最後まで読むけれど」
「えっ? 我慢?
いや、我慢とかそういう事じゃなくて、楽しんでするもんだと思うけれど」
「楽しむ!? 逆に、楽しむんすか!? それ上級者過ぎません!?」
「上級者とか言われてもなぁ。普通の読み方だと思うけれど…」
「そうっすか? で、アレですよね。
ホンットーに難しい本とかだと、目次見ただけで充分で、本を閉じちゃいますよね」
「いやいや、長い目次をずっと目で追いかけてると、もういいやお腹一杯、って感じになっちゃって」
「目次見ただけで全部内容わかっちゃうの!? 凄くない!? ひょっとして天才!?」
「いやぁそんな、のび太くんみたいな褒め方されても」
「なんでって当然じゃないすか?
でもアレですよね。そういう意味で一番効果のある本って言えば、やはりアレしかないですよね」
「何?」
「そりゃーもちろん教科書ですよ」
「えっ…。
とは言っても、あまり教科書とか好んで読む人もいないと思うけど」
「あ、辞書とかも捨てがたいですよねー」
「それ以外にどうやって使うんですか」
「君すごいな!? もう活字中毒ってレベルだよ! どっちが上級者だよって話だよ!」
「読むにも向いてますけど、辞書って分厚いじゃないすか? こう、頭を置くのに丁度いい高さなんですよねー」
「で、よくやりませんでした?
こう、まだ真新しい辞書のページを全部、ぐちゃぐちゃぐちゃーって皺くちゃにするの」
「えっ? ああ…そう言えば、中一の時に、英語辞書でやったような記憶があるなあ」
「そうするとページがふわふわになって、頭を置いた時すごく気持ちいいんですよねー」
「気持ちいい!? わざわざそんな変な読み方する為にページぐちゃぐちゃにしたのかよ!?」
「え? 違うんですか?
「クラスのみんながそれやってんですか!? 学級崩壊ですか!? 一体どうしてそんな事になっちゃったんですか!?」
「どうしてってそりゃ、英語の授業で、先生がみんなに“やれ”って言ったからだよ」
「教師がやれって言ったんですか!?」
「クラス全員にそんな事勧めてたんですか!? 随分とまあやる気のない教師ですね!?」
「? 別にそんな事なかったけどなあ…」
“教科書は枕”って」
「枕!? ちょっと待って、さっきから一体何の話をしてんの!?」
「何って、”本を読むとよく眠れるね”、って話ですよね?」
「うん、合ってるわ…」
「ええ」
「?」
「?」
これはあくまでも極端な例だが、本当にこういう、アンジャッシュがよく発生する。
無論、鉄の掟の理解と実践は現場に出る上でどうしても必要ではあるのだが。
神社界は一刻も早く、人材の教育方針を復古して、伝統と文化を愛する文系人間の神職の育成を目指すべきであると思う。
…俺はわたべおにいさんじゃねえんだよ、キュータくん。
別のを書こうとしてた矢先に凄いのが来たのでそっち書く。
午後。まったりとした昼下がり。
「勝手に入ったら怒られるかな…」とか普通の声量で呟きつつ受付に入ってくる60絡みの男性一名。
まぁ普通の人はこんな事言わないし、ちょっと変な受付だろうとその時点で予想はついた。
変なのに絡まれると三十分くらい相手の話を聞きお追従を言わなければならなくなる。新人の頃はよく引っかかった。
なので用事を見つけて受付から去りかけたが、男性が目標とする受付はこちらではなかったため、静観の構えに。
受付したのは別の人。
変な受付が集中する上に、ごく普通の対応をする為上長からは理不尽な叱責を受け、およそ三年に一回くらいのペースでキレている。そう言やそろそろ噴火時期だな。
老人「祈願を、お願いします」
噴火「はい、それではどのような御祈願でしょうか」
老人「特に願いは、ありません」
♪呼吸を止めて 三秒あなた 真剣な目を したから そこから何も 言えなくなるの 星屑ロンリネス(ズキュゥゥゥン)
老人「(沈黙状態から回復)ええ、世の中の平和というか、世界平和でお願いします」
長い事受付やってるが、神社で世界平和をわざわざ御祈願する奴初めて見た。
こいつはアーチャーかよ英霊エミヤかよ。共通点は白髪頭くらいにしか見えないが。
噴火「世界平和…ですか」
英霊「天下安穏ですかね」
いや、神社って事を考慮してわざわざ和風に言いなおさなくていいよ。
噴火「ハイ…それでは天下安穏で」
いやあんたも言われた通りに書くなよ。だいたいそういうのって私幣禁断の伊勢神宮あたりで頼む祈願内容じゃねえの?
英霊「〇〇市、…」
噴火「…。(書けない)」
字が分からないらしい。そりゃそうだ。他県どころの話じゃない。ゆうに千キロは離れている。
ほんと何しにきたんだこのご英霊は…。旅行?観光?世直し行脚?
噴火「ええ、どうお書きするかはわかりましたが…(硬直状態)」
別の人の助け舟「〇〇県ですね!」
県もわからなかったらしい。そりゃそうだ。遥か遠方にある市の名前だけパッと言われてもな。
ああそういやあそこ確か、広大な施設か何かがあるって話だったな。
しかし体格が良くも見えないし、退官者にはとても見えないが。
だいたいあそこの精鋭部隊に所属していたような人間であればもっと人間性を失っていると聞くが。
…まあこのご英霊の素敵な依頼っぷりもある意味、既に人間性を失っているんだが…はやくソウル回収しろ。生身に戻れ。
噴火「それでは、御祈願内容は…」
英霊「ええ。世の中の平和が続きますようにと。それと合わせて、この神社のご繁栄の祈念をお願い致します」
えええええ!? テメエでテメエんとこの神社の繁盛を祈願しろってのかよ!? 恥ずい! それ凄く恥ずいよ!!
ていうかホントに聞いた事ないよそんな祈願依頼! やった事もないし! あらゆる意味で前人未到だよ! 何だこの英霊は!
噴火「…わかりました(注:後で祈願内容をチェックしたら、それは流石に書いていなかった。というか内容がカブるため書けない)」
英霊「ご祈願料はこちらで」
割と常識的な金額だった。このへんはしっかりしているらしい。
さっきの、神社によっては神職が全員敵対勢力化して襲いかかってくるような、失礼ってレベルじゃない祈願内容との落差が激しすぎる。
噴火「こちらお札と領収書になります(注:世界平和のお札なんて流石にないが)」
英霊「今日はちょっと、急ぎますので…それではこちらで失礼致します」
噴火「わかりました」
英霊「それでは、この神社の繁栄をお祈り申し上げております!(ビシっと礼をして去る)」
ていうかお前自身が神社の繁栄を祈願するのかよ。それは我々に依頼したんじゃないのかよ。
そもそもやらないよそんな恥ずかしい祈願。なんでよそ者に歴史と伝統の大神社が足元見られてんだよ。悲しくなるわ。
いやー色々と規格外だった。まさかとは思うが、あの旅装であちこちのデカい神社行って同じ祈願依頼してねえだろうな…。
びっくりするぐらい短気で癇癪持ちの神職(しかもそれで問題起こしまくってもクビにならない)も大勢居るんだし。
あちこちで嫌味言われたりキレられたりしても知らんぞ、ご英霊。
今までこんな祈願受付した事なんて無かったのに、何で今頃になって突然…としばらく首を捻っていたのだが。
ああ。世間じゃ今、集団自衛権があれこれ取り沙汰されてるから、世を憂えて、こういう祈願に来る人ってのも現れんのかな。
という事には、後になってからようやく気付いた。
俗界は大変ねえ。