神社界の神職養成機関というと、いかにも文系人間ばかり居そうな印象を受けるものだが。
実際には、どこでも。年功序列、上位下達、施される“教育”がすべて封建社会的な為に、輩出されるのは体育会系の人間ばかりとなる。
文系人間はおろか私のように文章を書く人間すら少ないのが現状である。
なので、ゆとり世代の後輩あたりと話すと大体こうなる。(実際の会話をほぼ四分の一にまとめたもの)
「先輩なんで本読むの好きなんですか」
「うーん…まあそうだね。本を読むと、よく眠れるしね」
「あぁーあぁー。わかります。アレですよね、難しい本の方がよく眠れるんですよね?」
「そうだね、適度に頭を使った方がよく眠れるしね」
「ちょっと小難しい本とかだと、2〜3ページパラパラってめくればもうそれ以上読まなくても充分ですよね」
いや、流石にそれだけ読めば私は気が済むって訳じゃないから、ちゃんと最後まで読むけれど」
「えっ? 我慢?
いや、我慢とかそういう事じゃなくて、楽しんでするもんだと思うけれど」
「楽しむ!? 逆に、楽しむんすか!? それ上級者過ぎません!?」
「上級者とか言われてもなぁ。普通の読み方だと思うけれど…」
「そうっすか? で、アレですよね。
ホンットーに難しい本とかだと、目次見ただけで充分で、本を閉じちゃいますよね」
「いやいや、長い目次をずっと目で追いかけてると、もういいやお腹一杯、って感じになっちゃって」
「目次見ただけで全部内容わかっちゃうの!? 凄くない!? ひょっとして天才!?」
「いやぁそんな、のび太くんみたいな褒め方されても」
「なんでって当然じゃないすか?
でもアレですよね。そういう意味で一番効果のある本って言えば、やはりアレしかないですよね」
「何?」
「そりゃーもちろん教科書ですよ」
「えっ…。
とは言っても、あまり教科書とか好んで読む人もいないと思うけど」
「あ、辞書とかも捨てがたいですよねー」
「それ以外にどうやって使うんですか」
「君すごいな!? もう活字中毒ってレベルだよ! どっちが上級者だよって話だよ!」
「読むにも向いてますけど、辞書って分厚いじゃないすか? こう、頭を置くのに丁度いい高さなんですよねー」
「で、よくやりませんでした?
こう、まだ真新しい辞書のページを全部、ぐちゃぐちゃぐちゃーって皺くちゃにするの」
「えっ? ああ…そう言えば、中一の時に、英語辞書でやったような記憶があるなあ」
「そうするとページがふわふわになって、頭を置いた時すごく気持ちいいんですよねー」
「気持ちいい!? わざわざそんな変な読み方する為にページぐちゃぐちゃにしたのかよ!?」
「え? 違うんですか?
「クラスのみんながそれやってんですか!? 学級崩壊ですか!? 一体どうしてそんな事になっちゃったんですか!?」
「どうしてってそりゃ、英語の授業で、先生がみんなに“やれ”って言ったからだよ」
「教師がやれって言ったんですか!?」
「クラス全員にそんな事勧めてたんですか!? 随分とまあやる気のない教師ですね!?」
「? 別にそんな事なかったけどなあ…」
“教科書は枕”って」
「枕!? ちょっと待って、さっきから一体何の話をしてんの!?」
「何って、”本を読むとよく眠れるね”、って話ですよね?」
「うん、合ってるわ…」
「ええ」
「?」
「?」
これはあくまでも極端な例だが、本当にこういう、アンジャッシュがよく発生する。
無論、鉄の掟の理解と実践は現場に出る上でどうしても必要ではあるのだが。
神社界は一刻も早く、人材の教育方針を復古して、伝統と文化を愛する文系人間の神職の育成を目指すべきであると思う。
…俺はわたべおにいさんじゃねえんだよ、キュータくん。