はてなキーワード: 盲目とは
泥沼のように続く宇露戦争だが、ドイツの世界最強戦車レオパルトⅡに象徴されるように、西側諸国が最新兵器や弾薬を提供し続けることで巨大だが旧弊なロシア軍は疲弊し、戦況はウクライナ有利になってゆくだろう。
当初はプーチンのウクライナ侵攻を支持した愚鈍なロシアの大衆も、盲目的ロシア愛国主義を保ったまま、成果をあげられないプーチンを覚めた目で見るようになって行くだろう。国内における誘拐まがいの強制徴兵も、ロシア大衆の支持を減らす要因となる。
追い詰められたプーチンは核兵器の使用に踏み切ろうとするが、その前にプーチンは暗殺される可能性がある。
プーチンの暗殺の後、それまでプーチンのカリスマ性によって支持を保ってきた与党「統一ロシア」は求心力を失い崩壊することは間違いない。
そうなるとロシアにおいて政権を掌握するのは、統一ロシアに次ぐ支持率を持つ野党第一党のロシア共産党である。そしてロシア共産党中央執行委員長ゲンナジー・ジュガーノフが新たなロシア大統領に就任するだろう。
ロシア共産党は当初はウクライナ侵攻を支持していたが、ここでジュガーノフは華麗に掌を返し、ウクライナから撤兵した上で「プーチンと統一ロシアの愚かな戦争が我が国を間違った道に陥れた」などとプーチン政権と統一ロシアを徹底的に糾弾し、西側諸国と、ウクライナ戦争に疲れたロシア大衆の両方から一定の支持を得ることに成功する。それと同時に、領土拡大を夢見つつ、それをなしえなかったロシア大衆の不満を解消するために、別の手を打つであろう。それはベラルーシの併合である。
ルカシェンコ大統領による独裁政権が続くベラルーシだが、国民の不満は高まっており、ルカシェンコも政権の維持に汲々としている。もしベラルーシで政権転覆が起これば、長年独裁者として暴虐の限りを尽くしてきたルカシェンコは間違いなく処刑されるだろう。
しかし、もともと親ロシアのルカシェンコである。このような状況でジュガーノフ政権のロシアからベラルーシ併合と、その代わりに身辺の安全の保護を提案されれば、合併にサインする可能性は高い。
こうしてロシアとベラルーシは合併し、新たな国名は「ソヴィエト連邦」となるであろう。
以前よりジュガーノフは「共産党政権と経済発展の両立」という、かつての旧ソ連が果たし得なかった夢を実現した中華人民共和国を自らの手本とすると公言している。
中ソ対立だった20世紀とは異なり、新ソ連と中国は密接な友好関係を結び、ユーラシア大陸における巨大な共産党政権ブロックが誕生するであろう。
自称・気は優しくて力持ち
の 頭の中は 食欲 性欲 睡眠欲
アブノーマルな嗜好
恋愛至上主義 束縛男
蹴り飛ばされて そこから蹴り上げられて
病院に迎えを頼んで 渋々やって来て
第一声が
『女に暴力を振るった事はないのに こんな事させたお前が悪い。謝れ』
恋は盲目
必死に立ち直らせようと頑張って
吐き捨てられた言葉は
『水も飲み過ぎたら毒。お前の愛情も同じ』
かっちょい〜い
そして9ヶ月音信不通
1人泣いて泣いて泣いて
立ち直って 次の恋がやってきて1年
突如現れ 人を浮気女呼ばわり
そんな過去があるなんて誰も信じないであろう良い人のフリして にこやかに 自称◯◯家とかで のうのうと生きてるのを SNS発信してる事に嘔気
自論
この世の中を生きづらいものにしてるのは役に立たない愚か者が大量にいるせいやろ寿司ペロしかり。寿司テロで盛り上がってるバカのせいで世の中過ごしにくくなってるのを現在進行形で体感してるのに盲目すぎ。
私には結婚を前提に付き合ってる人がいたんだよね
それも同棲の話も出てた。
まぁ、ぜーんぶ没になりましたけどね。
そしたら彼がしびれを切らしたのか、この銀行に貯金しようって言ってきたのね
あっちから提示されたし、こっちから再度言うのも面倒だからそこに入れる事にしたの。
それが間違いだった
貯金し始めたのは去年の11月。んで、別れたのが今年の1月1日
ほんの少ししか貯金してないけどさ。預けてる状態だから別れて10日ぐらいして「返金してほしい」って間に人入ってもらって伝書鳩してもらったの。(LINEとか全てブロックされてたから、共通の友人に頼んだ)
paypay銀行からpaypay銀行に送金するだけなのになんで2月?これ使ってるくね??って思ったのね。
その時はまぁ返してくれるなら待つか~って思ったけど、早くやり取り済ませたいし伝書鳩してくれる友人にも申し訳ない気持ちいっぱいだったから2月に入って
「いつ返せるか明確に頂戴。早く忘れたいから」
って送ってもらったらさ…こう来たんだよ?
「11月の事故の休業補償いまだに振り込まれてないから、いつ頃とはっきり言えない。
12月初めの頃に催促しなきゃって言ってたのにまだ言ってないの????
これで返せないという事は、そういう事です。使ってますよね?
その事を指摘したのよね。「すぐに返せないのって既に使ってる事よね?ありえない」ってね
「手を出したというより自動引き落としだから、対応する前に引かれちゃって間に合わなかっただけだし(原文ママ)」
自動引き落とし......?初耳ですが…
そんな引き落とされちゃったんだからしょーがないでしょって言い方何…?あくまでも人の金を預かってる感覚ないの…?
つか、そもそも共同口座を引き落とし口座にしてるのヤバくない…?
元カレ、金がないのは知ってたのよ。付き合ってる最中車のローン一回払えてなかった事あったし
その事実知った時点で別れておけばよかったって思うけど悲しい事に恋は盲目。
助手席に私いるのに危険運転されたり、クリスマスに買ったペアリング勝手に捨てられてたり(他の友人がいる所で私も初めてその報告聞いた)
他の人がドン引くぐらい酷い事言われてたり、彼貯金なし&車のローン80万残ってるけど、ぜーーんぶ目をそらしてた
初カレっていうのもあったからだろうけど(付き合った当初私26、元カレ23)
同棲する前に別れれて良かったって本当に思うよ。
流石にそこまでするとは思わなかったから預けてたのにこれだよ。
もう面倒だから返さなくていいって送ってもらった。心が疲弊するだけ
それが正しい形の経済だろう
何が正当だ本家だ元祖だなどと主張しあうヤクザの抗争みたいなものに付き合うべきではない
わかる?
そうやって「公式」みたいな正当っぽいものを盲目的に持ち上げていると、公式の動きだって市場原理にさらされずに洗練されなくなって、ユーザーが求めないことばっかりしても成り立つようになってしまう
世の中ってのは常に変化していく、それだけが真理なわけよ
すべての市場参加者が変化の圧に晒されていなければならないわけ
それでも全体として洗練された形にしていくことを考えるのは、ビジネスやってる人間たちの責務
信じないから分かりやすい「公式」みたいなものを盲信するしかなくなるし、裏切られて怨嗟の声を吐くしかない間抜けに成り果てるわけ
もちろん自分が求めるからといって違法なものに安易に手を出せとは言わないが、消費者が適法な範囲であらゆる道筋を辿っていくことが、業界を最適解へと導く助けになる
例えばRMTが規約違反だからといってもRMTをしてしまうユーザーはどうしても出てきてしまう
ならばどうするかということで自社ゲーム内にRMT的なポイントマーケットを導入することで社外の胡散臭い業者を介してRMTに手を出してしまうユーザーのRMT欲を公式側で吸収する、詐欺被害も防げる、みたいなことができるわけ
RMTは悪!公式の規約を守れ!とだけ言って自制を訴え牽制しあう「お利口」なユーザーばかりだったらこのようなスマートな解決はなかなか出て来なかっただろう
タイトルの通りです。
先日ちょっと考えるところありまして、V系のこの先ってあるのかな…あるよね!?バンギャでいられるよね!?となった2000年製の女です。
※歴浅い故におかしいところあっても優しく指摘いただけると幸いです。&長くなりました長文の上駄文、すみません
ちょいちょいライブに行くようになってから知り合った方に『なんでバンギャになったの?』というようなことを聞かれることが多いのがそもそもの発端です。
確実に周囲からの影響ではないです。バンギャになるまでの身内も友人も知人も全くそんな趣味なかったです。今時みんなジャニーズ俳優声優アイドル好きな子が多いイメージ。バンド好きでも洋楽とか邦ロックみたいな……。
きっかけで言うならYouTubeで再生回数多めで2010年代以降出てきたバンドのMVを見たことだと思います。それで少しライブに行ってみたりしました。去年のちょっとコロナの規制がゆるくなったかな?くらいのときから。
ただそれだけじゃハマってバンギャになる理由にならなくない?となると、しいていうなら私の場合は女装した成人男性が癖、なのが大きい気がします。変態です。女形バンザイ。
元々2次元オタクなのと線の細い人がタイプなのとメンヘラ気味だったのが合わさって上手い具合にハマった感じ…だと思います。
なかなかこうは答えにくいのでいつもどういう麺がタイプなのか聞かれたらかわいい人が好きですって言うようにしていますが……。今の本命も可愛いアー写をSNSで見かけて一目惚れしてライブに行ってみたところ、加工詐欺じゃなかったこともありバンギャを続けられてます笑
私がバンギャになったきっかけは以上の通りなのですが、何故それを聞かれるのか?というのを考えてみたとき、今のV系って若い子が聞いてハマってバンギャになってくれる感じじゃないよね、規模も縮小してきてるし……比較的若くて新規なの珍しいしちょっと聞いてみようかな、みたいな感覚が根底にあるんじゃないかと思ったからです。違うかな?違ったらすみません。
その上で、最初に聞いてきた方が言っていたことで記憶に残っているのは、最近はバンギャに会っても今度本命がzepp行くんです!とかじゃなくていつも同じ規模の低キャパのどこそこのライブハウスで〜の繰り返しなんだよね、という話です。
今時zeppをワンマンでソールドさせられるような若手も思いつかないし……というのも衝撃でした。
でも確かにキャパ1000以下のところでワンマンしてもソールドするようなところあまり沢山は思いつかない……。勢いのあるところは一応調べてはみてるはずなのに……。
でも、本命に関しては今度売れる感じはない(ごめんね)のだけれど、YouTube頑張ってるバンドだったり中堅とか大御所と絡みあるようなところは、私は今後売れる予兆はなくもないと思っています!甘い予想かな……。
けど、そうじゃないとバンギャ続けられないからそうであってほしい。盲目でもいいので。
はてなーにバンギャギャ男いるのかわからないけど、もしこれから確実に売れる!みたいなところとかバンギャギャ男になったきっかけとか聞けたらうれしいです。
全然関係ないけどもうちょい早く生まれてたら私はメジのメトギャか己龍の一色日和ギャだった気がします。可愛いは正義!そんな話も聞けたら楽しいな♪
「人は自分のポジションと逆のことを言う人が現れると攻撃的になる」
全員がそうではないが、一定数そう言う人は現れる
その表出が罵詈雑言か、理詰めかのどちらかというだけだ
「今仮想通貨を買わないやつはバカ」みたいな人がたくさん現れた
短期でやってる人は色んな意見を聞いて売ったり買ったりなので攻撃的になる必要がない
「インデックス投資をやるやつは盲目的なバカ」みたいな声に対して感情的になる投資家は
全てを無視するか、何十年もイライラし続けるかだから、気をつけたほうが良い
精神的にマイナスになると、最悪なタイミングで狼狽売りをしてしまう事が増える
実際にインデックス投資がどの程度良いか悪いかは正直わからない
確かに100年以上上がってきて、次の30年で止まるか?と言われたら止まらなさそうだし
かと言ってこれまでの100年と次の30年が同じ状況かというとやや疑問な側面もある
私しかこのかプ書いてないっていうのやめませんかの歌
生まれたてのカプ名入れて「まだ誰もかいてないの?マイナー?」っていうの
やめませんか やめませんか yes
私しか書いてないっていうのやめませんか oh
早筆でうらやましいです 嫉妬ですが
私しか書いてないっていうのやめませんか
でも でも
婆だってそのカプ大好きだよ きっとあともう20人くらい好きだよ 書いて(描いて)くれそうだよ
半年まってくれないか キャラクターのプロフィールが出るまでまってくれないか
一年まってくれないか キャラクターが主要になるイベストくるまでまたないか
婆は書いたよ カプ名検索するたびアンタの驕りツイートが出るのに耐えながら過ごしたよ
新規も入ったよ アンタは新規と仲がいいな いいことだな 嬉しいな
アンタはアレ以降一回も書いてないけどな
アンタは今 新たなカプに夢中で そのキャラクターも実装前だね
やめませんか やめませんか yes
でも でも
婆だってそのカプ大好きだよ きっとあともう50人くらい好きだよ 書いて(描いて)くれそうだよ
半年まってくれないか 新規が最新更新分ストーリーに追いつくまでまってくれないか
なんでひとりぼっちになろうとするんだ 輪になろうぜ
アンタは婆を認知してないかもしれないが アンタは傲慢で盲目だから同カプの存在に気付かなかったかもしれないが
慣れ合わなくていい 育てていこうぜ性癖の社交場
やめませんか カプ名いれてマイナーって言うの
やめませんか カプ名いれて需要ないって言うの
やめませんか やめませんか
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2052877
動画をアップする方もそれを喜んで見ている方も、どういう気持ちなんだか心底理解できない。小学校高学年くらいの一番バカだった頃でもこんなことしなかったと思う。
ほんとか?テレビや漫画で「変な人を笑う」っていう事が溢れかえってるのに?
俺の子供の頃とか「学校へ行こう」って番組が大人気だったんだけど、知らない?恋愛企画で出てくる変な男や、未成年の主張や歌企画で変な人出たらみんなで嘲笑する番組
今で言うと月曜から夜更かしがそれだな。
そういうんじゃなくてもジミー大西や蛭子能収を笑うノリって、つまりそういう事だったじゃん。
ちょっとジャンルは違うけど藤波、天龍、長州を笑うのだって同じだよ。
こういう笑いは今もテレビで見るよね。クロちゃんを笑うのだってその延長だと思うぞ。
漫画だってそういうの人気だったよ、浦安鉄筋家族や稲中卓球部がそれ。
海外にもあるよね、ミスタービーンとか初期のジムキャリーとか。
ブコメにも指摘あるけどインターネットだとそういうのがミーム化するよね
性の喜びおじさんとか駅で乳首いじるおっさんとか。この辺は「変態は笑って良い」って事になってるんだろうな
何が言いたいかって言うと「自分が笑えなくても、こういう笑いは世の中に溢れかえってるよね」っていう話。
小学校高学年なんかこんな奴ら腐る程いただろ
さすがにこれ見えてないのは不思議
有名な絵は他の絵と比べて
②飾られ方に気を使ってもらっている
③鑑賞している人が多い
という特徴がある。
だから盲目の人が博物館に行って有名な絵の前で立ち止まって「これちょっと違うな」と感じるのは全然不思議じゃない。
それは目に見える人には分からない絵の要素が見えているからではなく、むしろ「絵というものを微塵も感じておらず、その絵に対して周囲がどういうリアクションを取るかしか感じとってない」からなんだよね。
「奴らはラーメンを食ってるんじゃない。情報を食ってるんだ」の究極系みたいなもん。
ソレに対して「盲目の人にも絵の凄さって伝わるんですねえ……」とか言ってる人はただの馬鹿。
誰もいない空間でガラス越しに全く同じ起き方をされたら、片方が子供の落書きで片方がゴッホだろうが全然違いを感じ取れないよ。
じゃあそういう人が美術館に行くのは無駄かって言うと、それはちょっと違うと思ってる。
絵は見れないけど、絵を人間がどう扱うかは感じ取ることができてるんだから。
まあ物自体は見れないわけだから、障害者割引を込で考えれば行っても良いぐらいの感じにはなっちゃうかもだが。
たとえば「有名な絵のために用意された特別な配置」に対しては目が見えない人の方がおそらくより敏感で、それがやってくるよりも手前から「なんか流れが違うな」と分かると思う。
そうして少しずつ空気や人の流れが変わっていくのを肌で味わうのは、ある種の「オーラを体験する」という錯覚さえ起こすと思う。
誰かが他のものに影響されている様子ってのは十二分にコンテンツになっていて、たとえば「激ムズゲームやホラー映画を初体験する人からしか取れない栄養」なんてのはまさにソレ。
人が特定の状況からどういったリアクションを起こすかは結構人気のジャンルとさえ言える。
目が見えてない人からすれば、足音の量や脚の止め方が他とは違う空間が存在するというのは、中々に印象深いものがあると思う。
それを「オーラが見えているんだろう」って雑な解像度の低さで終わらせるのは、人をコンテンツとして消費する能力が貧しいなって俺は感じちゃうね。
あなたの主義主張に反論をした訳でもないのに食ってかかるのはやめてください。
37歳シングルマザーです。うつ病を患って1年。回復の傾向が見られたため現在休職中ですが2月から復職の予定です。今日、子供と駅前を歩いていたら反ワクの人に絡まれて吐かれた呪詛のような言葉で、今とても死にたくなっています。
反ワクの方々が私たちの使うバス停の前で演説していました。知り合いに強い反ワク派の人がいるので、反ワク派の人たちのトレンドは自然と耳に入ってくる状態です。なので街頭でわざわざ新たな情報を得る必要もなく、かなり強気な物言いだったのもあって、離れて歩きました。しかし、今回彼らのターゲットは子を持つ親だったため、見事ターゲットにされ、近寄られます。私は「いりません」と断りましたが、子供は近寄ってきてパッと渡されたパンフレットを思わず受け取りました。「いりません」ともう一度伝え、子供に「返してね」と伝えましたが、これが自分の間違えでした。
「なんで要らないんですか!コロナワクチンがどういうものだか分かっていますか!子供のためを思うならちゃんと読んで考えてください!!」
非常に大きな声で、子供も怯えていましたし、私も他人の強い感情は苦手なので「怒鳴らないでください」と伝えました。
「怒鳴ってません!!!あなたがちゃんと受け取らないから言っているんです!!!」
「絡まないでください。これ以上大声をあげるなら警察を呼びます」
「呼べばいいじゃないですか!!!あなたのお子さん可哀想ですね!!!」
とまあ最後にとんでもない呪詛を吐かれました。歩きながらなのでなるべく距離を取ろうとしていましたが途中まで付いてこられて困り、通報。
少し離れたビルの入口で人の邪魔にならないように通報しましたが、その間も何かを叫んでいました。子供は「ママ大丈夫?あの人、ママに「あなたのお子さん可哀想ですね」なんて言ってたけど、私の顔見えなかったのかな」なんてフォローをしてくれて、優しい子だなあと思いました。
結局警察が来てくれる事になりましたが、私自身が警察と話す必要は無いし、無駄な絡みと恫喝をやめるよう注意してもらえればいいので、その場を去りました。とはいえ、バス乗り場付近にその人がいるので大回りして駅の反対側からタクシーに乗って帰宅しました。
朝から子供と出かけて、帰ったら一緒にボードゲームをしよう!とおでかけも帰宅後のことも楽しみな1日だったんです。それが壊されて、子供は時折思い出したように「あの人怖かったね」「あの人は何をしていたの?」「どうしてママに怒ったの?」と訊いてくるので、ひとつひとつ言葉を噛み砕いて説明しました。21時に子供を寝かしつけて、一人になって、あの呪詛を思い出して死にたくなっています。
確かに、私の子供に生まれてきて可哀想だなと思います。それは、コロナワクチンの話ではなく、もっと別な部分で。ボディブローのように効いてきたあの呪詛に、子供が縛られないことを祈っています。レクサプロもイフェクサーも飲んでいて、やっと普通にまた仕事が出来そうだというのに、明日起き上がれなかったらどうしようかと考えています。これを書き終わったら、眠剤を飲んで寝ますが、こういう日は薬の副作用が強く出るのか悪夢を見る事が多いので緊張しています。
あの人が、自分の主張を認めさせようとするその承認欲求で、うつ病患者の私と、その娘に確実に傷を残しました。
でもこれは、あの人の主張が反ワクでなくても起こりえたんだろうなと思います。人の主義主張についてとやかく口を出す気はありません。ですが、同じように人通りが多いところで主張するのなら、それはどのような内容であれ、他人に無理強いしないようにしてほしいです。また、相手がその主張を認めない場合であっても執拗に迫ることは控えて欲しいです。ましてそれが、主張に対するいかなる立場も明らかにしていない相手に対してなら尚のこと。対話・論争の土俵に登らない人間を貶めないで下さい。土俵に登らない理由を「反対意見を持つ人」と盲目的に決めつけないでください。自分の話を聞いて欲しいのなら、相手が何を話しているのかよく聞いてください。
たとえ私が反ワク派だとしても、あの人たちと同類だとは思われたくないので、敢えて口に出すようなことはしないと思います。
長くなりましたが、人の多い場所での主張の際、対立を明示していない相手に対して、キレるのも、食ってかかるのもやめてください。
キャラクターのビジュアルは大きく変更されている。メリルなんかは中身も完全に別人だ。でも凄いんだよちょっと聞いてくれ。
原作をSFマカロニウエスタンとするならば、マカロニウエスタンに寄せたのが旧アニメ、SFに大きく振ったのが今作だと思う。
原作ストーリーの主軸だけを抜き出して、時系列、エピソード、キャラクターを大胆にリミックスしてある。よく考えられていて原作ファンとしては大変満足している。
音楽、映像、アクションシーンが素晴らしいので冒頭だけでも是非見てほしい。(ただしキャラデザにはびっくりすると思う)
以下は原作ファンだけが読んでほしい。アニメから入った人は絶対に読むな。
ジュライが生きてる・・・
思えば発表時からバッシュの外見に違和感があったんですよ。外見が妙に若いというか柔らかい印象で。コートもピッカピカなんです。穴ひとつ空いてない。こんな綺麗なバッシュ初めて見るよね。
ところで原作においてバッシュの外見は何度か大きく変更されるんですよ。それがどんなタイミングだったかというと・・・
ちなみに、ジュライがあるということは、GUNG-HO-GUNS のメンバーの一部は今頃まだジュライで幸せに生活しているということですよね。
今作においてもバッシュは子供たちにモテモテです。宝物を見せにきたりして。かわいいですね。
もし、もしもですけれど
これから原作通りに進むとしたらかわいい人形使いのエミリオが出てくるのではないか・・・
コロナ禍でうっかりジャニーズにハマってしまい、それなりに楽しく、ライブ行ったり、遠征したり、円盤買って鑑賞会したり、CDを複数買わせるのは解せなかったけど、まぁ3形態渋々買ったり、ジャニショで写真買ったり、雑誌の表紙は嬉々として買い、まぁいわゆる普通のジャニオタを続けてきたわけだけど。
ジャニーズ好きになればなるほど、推しが頑張れば頑張るほど。やっぱりあの事務所とジャニオタは変だなって思うところがあった。
Jrのやりがい搾取は当たり前だし、ジャニー・H・北川プロデュースの舞台はトンチキの極みで、共感性羞恥心で恥ずかしくなるところを、推しの頑張る姿を見て、じっと堪えた。何が面白いんだかちっとも分からない。
ゴシップ大好きだから、ジャニーさんが小児性愛者で、裁判でそれを明かされているのも知ってる。本当に許せないことだし、なんでこんなにもてはやされてるのかが、理解できない。
でも、ジャニーズ事務所のタレントたちは愛おしそうにジャニーさんの話をするから、本当は嘘なんじゃないかと頭がパニックになり、いつしかそのことは箱に入れてそっとしまってしまうのだ。
そして重度のジャニオタは、ジャニーさんを神格化し、大きな仕事が決まれば、ジャニーに祈りをささげる。(Twitterで)
でもジャニオタたちは目を背け、ジャニーの才能に今日も感謝してる。マジで意味わからん。
他にも、チケットの高額取引が横行してるのに、いつまでたっても公式リセールを作らず、FCを複数名義作らせて、金を稼ぐ。
小賢しいジャニオタは金稼ぎに、FCに入り、少なくとも数万、うまくいけば数十万を手に入れ、その金で自分の推しに金をかける。
泥沼すぎて笑う。そんなことを10代の未成年の子もやってるから、本当に怖い。たまに見せしめのように、チケット詐欺で逮捕者でるけど、まじでコンサート中のTwitterなんて、ツアレポか高額取引しか流れてこないんだけど。
さらに最近では、定価で譲るけど、1口100円でルーレット応募に参加できますなど、巧妙に。
おそらく誰も当たらないけど、まぁ2万円くらいは集まるんじゃないかな。
ジャニーズのコンサートは基本入場するまで席がわからないから、入場後は最前列を求めて札束が飛ぶ。
#グループ名発券済
それを事務所は知ってるのに、我関せず。
いい加減にしろ。
2022年11月は立て続けにいろんなことが起きすぎた。その全てが車のスモークガラスのように、黒くけぶり、どんなにのぞきこんでも輪郭が見えない。
そしてオタクたちは、謎の憶測に苛まれて、我を忘れて誰かれかまわず攻撃する。
この大丈夫そ?
は、心配してるわけではなく、煽り言葉としてジャニオタたちの間でよく使われてる。
推しが好きなのはいいけど、盲目すぎるし、Twitterの中でしか生きてなくて、もうちょっと現実見てほしい。
さらには、謎の絵文字暗号を使って、住んでるところや行きつけの店などの情報取引、またお繋げ企画という、推しと会わせてあげるから、金よこせ系など、情報垢と呼ばれるものもはびこっている。ちなみにほとんど嘘だよ。
さらには、会場で隠し撮りした動画や音声、写真なども流出。モラルがなさすぎるファンが多すぎて、毎度気持ち悪くなる。
もちろん普通に応援してる人が大多数なんだけど、正直モラルがないファンが目に余りすぎる。
ジャニーズ事務所はいろいろなことを放置しすぎだし、オタクもそれをわかってエスカレートしていく。
もう疲れたよ。
タレントたちはすごく頑張ってる。
と鼻で笑ってる人たちがビックリするほど、歌も踊りも進化している。それはやはり彼らの努力なしでは語れない。そんなひたむきな彼らを応援したいだけなのに、無駄なノイズが入って、ぐったりと疲れてしまう。
応援していたこの数年、本当に楽しかった。それは嘘じゃない。だけど、もうお金は落とさないかな。茶の間ファンとしてこれからも応援していくね。
本来なら批判というのは弱者から強者に、権力のない者から権力者に向かって行われているんだけど。
日本は特に「声高にされる批判」を暴力的で強者の恐喝だと無条件に思い込む癖がある。
実際には、権力者とは、マジョリティで力があるので批判なんかしなくても最初から自分にとって都合のいい世界に住んでいて、批判する必要がない。被害に遭うことがないのでマイノリティの被害性に無頓着でいられるし、自分達の加害性に無自覚でいられる。
むしろ人当たりが良く穏やかで物分かりのいい世間知らずなわけだ。自分は即死する前線兵になることがなくて人を殺す必要がないミオリネは簡単にスレッタを人殺しと呼べてしまう。
支援者側が自己保存のためにいつまでも被支援者を手放さない問題というのは実際よくある。
困窮者支援の分野に限らず。
しかし問題の核が非営利法人の給料にあるとか、全て行政がやればor完全無償ならば問題解決するだろうというのは解像度の低い議論だ。
いわゆる社会起業の全否定というのは、盲目的称賛の単純な裏返しに過ぎない。
例えばストリートで売春やってるような子とコンタクトとるのは役人よりそういうのに近いところにいた人間のほうが向いてる場合もあるだろう。しかしその後の自立支援とか生活支援は直接行政が監督すべきだろう。
でないとまたアレなことになるんで。
非営利団体はやみくもに規模・権限拡大を志向して無駄に専従者を増やせば構造的に「共依存」を作り出すことになる。
でも最低限の専従者がいたほうが「いい連携」が可能になるならそれは置いたらいい。今回「事務担当、経理担当は居ないのか!? 」と言われてるように。
コラボのゴタゴタが結果的にそういう官民協力のありかたをソフト面でブラッシュアップする流れに向かえばいいが、やっぱああいう意識高い系みたいな団体とかはダメなんだなというバックラッシュしか残さないとしたら残念なことだ。
……三十歳で亡くなるように繊細で、厳しい感性を持つ、地球上のすべての女性に向けて……
prologue
いま砕け散ったすべての彼ら彼女らの全員が、けっして自分以下ではなく、自分以上の精神によって成し遂げようとし、表面だけは目新しい今日という時間に内在している本質的にはポテンシャルの可能性が縮小していくこの世界に生まれる喜びを相手取った、苛烈で、疲弊し、それでも均衡を取りながらも、ある一瞬のスキを付いて世界の価値を刷新しようと繰り広げる闘争の中でくずおれていったすべての魂たちを目撃したわけだが、この敗北のすべてに共通するものがあるとすれば、それは、目に見えないものの価値が、目に見えるものの価値に負けてしまったことを意味しているのだ。微調整
人生のシンボル世界とアレゴリーの冒険(または旧式の劣悪的価値観を盲目に信奉し続けている中身の無い老若男女による日頃の盲従とその殺人——と殺される人間精神の本来の豊かさの立体的構成について)
「“あたくしは、永遠にあなたを愛するという揺るぎのない強固な意志をもってます。“
このうわべは月並な文章を注意深く読んでみたまえ。[愛する]という言葉よりも、[永遠に]と[意志]という言葉のほうがずっと重要なのだ。」
—ミラン・クンデラ『不滅』
1 - verse
宇宙全体を満たす闇。実は、そこには光もまた満ちている。
それは、真空であるために太陽の光を反射するものが無いことで、肉眼では感知できない光だ。地球では空気の粒子による反射によって、人間は光を認識出来るのである。
感情は字面上では、喜びの対義に悲しみが、怒りの対義に笑いが記されている。しかし実際問題として、この二つは同時に抱えることもある。なぜなら感情は、単一の感情よりも、もっと多くの感情と連動しているからだ。
映画を観た時に、小説を読んだ時には、その人物の感情をひとつで考える私たちの把握能力には、いまだ未知の領域が広がっている。同時に抱えた感情は、いくつもが比例や反比例の連動的であり、また相対的でもある。
人間は存在することが1で、存在しないことが0であるならば、人間は産まれた時の1から0へと向かっていることになる。生きているという状態を前方向だとするならば、一日一日前へ進むごとに、死という後ろ方向へと歩んでいるという矛盾が内在している。
そのように、史上空前の前向きさというものは、中途半端な前向きさの中にあっては、後ろ向きに進んでいるように見られてしまうものである。
ジャンケンを心から面白いと思って行う者は、たぶん、あまりいないと思われる。僕は簡単に持ち出せるツールとして、ジャンケンを使っている。
たとえばチョキの指の数が三本で、パーの指の数が四本で、グーの握り拳を半分の力で握るといったジャンケン2や、ジャンケンのその他のAnotherバージョンがあっても、それが最も面白いと思って行ってはいないことだろう。ジャンケンがこの世で最も面白いと思って満たされれば、ジャンケンよりも高次のものを発明する必要はなくなる。
それと同様に、世の中の九割以上のものが面白いと思えなくなってから、この話は始まる。それはつまり、物語が面白いと思えなくなってから、しかし同時に物語以外が面白いと思えなくなったところから始まる物語、でもある。
トロフィーを獲得することを目指すのであれば、どんなに簡単なゲームソフトのゴールでも、トロフィーは獲得出来るのだ。
人間の願いは、たった一つに集約出来る。と言うと、金や異性やその他諸々、人の数だけたくさんの夢があるだろう、とあなたは思ったはずだ。
もったいぶっても仕方がないのであっさりと言ってしまうが、そのひとつの願いとは、自分が産まれてきてよかった、と思いたいのだ。もちろん、それは一瞬のことではない。なぜなら、その一瞬は、次のニ瞬目には覆されてしまうかもしれないという不安が、常に内在しているからである。これが現在という本質自体の中にある、癒すことのできぬ不完全性である。
最初にどんな断りを置いたとしても、本来、こんなことは書きたくない。いつの世にあっても、本当のことを考えれば、好きな人からは嫌われ、嫌われるべき相手からは好かれ、招待状もなく価値を殺す人はやって来るし、招待状をいくら出しても価値を殺される人には届かないことだって多い。
往々にして悪魔は自分自身を天使だと思い込んでいるものだし、天使は引け目を感じていつでも自分を捨てようと画策している。本当のことを追えばそれは自然と哲学に近づいていき、でも僕は哲学者になりたくないし、哲学者が遺した書物に書かれているものはSNSの内側では見られないものだし、ツイッターで流れてくるものではないし、マッチングアプリのコツでもないから、SNS基準である以上の思考が溢れることのない世の中で生きることは出来なくなってしまう。
探検家にはなりたくないし、革命家にはなりたくないし、伝道師にはなりたくない。なぜなら、その肩書きという断絶によって精神の分断が発生し、無責任の肥料が撒かれ、その土には何も育たないからだ。
自分が変わらないように相手を変えようとするパワープレイの中にあって、お互いが同時に変わるという正解を見つけることなど難しい。
日本人のモラルの一つとして、危険を犯さないということを前提としている。だから、誰も言わなかったことは言えない。誰もやったことがないことはやらない。ああだ、こうだ、それはこうだ、と後からもっともらしいことを言う奴はいるけど、誰もやったことはないとか、誰も言ったことがないようなことを、言ったりやったりするということはない。
日本では個性的なことをやると嫌われる。日本でオリジナルなことをやったら協力者はいない。あらいいわねえ、と言われる程度の表現の範疇でしか成立しない。
一般の人たちの芸術観は、ふだんはいろんな壁でもって遮られている。それが協力者たちのおかげで枠がサッとはがされて、みんなの心がひらかれる。しかし多くのことは、このようなプロセスを踏めないがために、人々の初歩レベルの心はひらかれることはない。もちろん、芸術という言葉は、人間存在そのもののことである。なぜなら、命とは、生まれてきた(アウトプット)からである。
今までの社会では、すべての人がそれをはっきりと自覚するまでにはいたっていない。しかし自覚さえ持てば、そこには芸術がはじまるのである。
安心できたことのない世の中で人間精神に道をつくるような前進とは、感性を揺さぶらないがために波を立てることもまた無いといった類いによる社会権威のような安心ではなく、圧縮した密度を柔らかい感性で紐解けば空間を満たすことの出来るストリームの粒子を包んだものによって開いていくのである。なぜなら、安心できない世の中に対して、無風という誰からも嫌われなさそうな自己主張による社会的人生の流通権力は、結局、人間を排除する社会の固さにひれ伏し続けているからである。安心でさえ、安心の風が吹かなければならないからだ。
たとえその時は無風であることに安心しても、その時を過ぎればまた窒息し、社会という強制参加で誰しもの元にいつもやって来る未来に対して、ほとんど勝てないギャンブルのような傷付き方をしているのだ。
物語というのは、ガラスケースの向こうだけで収まり安心出来るもののことを言うのではない。作品の向こう側が物語であると同様に、作品のこちら側こそが物語だからである。あなたが人生という言葉を使う時、その人生は乾パンのようなすべてを削ぎ落とした最低限の生活をイメージするだろうか。乾パンと乾パンが出会って、乾パン家族にでもなるのだろうか。乾パンに味は染み込まない。精神の荒廃の目配せをしながら、社会という徒党を組んで人間を捨て、不安を払拭するのだろうか。普通とはなんだろうか、大人とはなんであろうか。それらは人間の外にあるのだろうか。そもそも日常という言葉も欺瞞であり、それがあることで非日常が生まれ、それらはまるで交わることのない別の直線のように思い込んでしまうが、日常という言葉の意味が乾パンであるならば、DVをし続ける会ったことのない両親に税金という仕送りを送金し続けるためだけの頭数の数合わせである。そのために産まれた時からあなたの脳内に刷り込まれ続ける、数々の人生認識を胸に抱きながら死を迎えることだろう、おめでとう。改めて言うが、人生とは全部である。段落
芸術と名付けられた一系統の固さが残り、その人間がその時に立ち向かったであろう、作品を超えた形なきストリームの柔らかさは残らなかったのである。そして僕たちはそれと向き合ったときに、社会での自分をそのまま変えそうにないから不快ではない、として表面を見るのである。
今の時代からすれば、これは自分の部屋に飾れるくらいに、なんでもないからいいね。その状態にあっては、たいていの美術館は5分で出ることができる。それがいつでも時代の限界だったのだ。段落改訂
そして感性とは、思考と同じくらいに姿勢のことである。思考がそれひとつであれば、姿勢というのはそれひとつの外にまで開かれているということだ。この両輪が表示するものは、画面いっぱいに並んだ細かい違いのパーツというよりは、パーツの持つ目に見えない特性である。段落改訂
そして、これこそがポテンシャルの方角を決める判断に繋がるものである。ポテンシャルが無くても、ポテンシャルへの方角が合っていれば、前に進むごとにポテンシャルへと近づいていき、ポテンシャルがあっても、ポテンシャルとは明後日の方角を向いているのであれば、前に進むごとにポテンシャルは消えていく。段落改訂
趣味的だからだ。趣味というのは自己満足だから、自他に挑んで自分自身を乗り越える、自分をも否定するということにならない。ちょっと面白いものをつくったり、変わったことをやるのはいても、¨遊び”と、”趣味”は違う。”遊び”と、”お遊び”は、むしろ正反対のものだからだ。趣味は危険を犯さない。自分によりかかっている。甘えてる気配がある。自分を敵としてやってない。強烈に自分と闘ってない。自分の好みに乗っかって自足してる。趣味に溺れるのではなく、自分と闘い、同時に他とも闘う。段落改訂
ほとんどがニューヨークやパリや海外の国なんかで発表された二番煎じ三番煎じみたいなものが多い。何だこんなもの、と言いかけて、海外のどこどこの国ではこういうのが流行っている、と言うと、見るほうも、ああそうかというようなところがある。誰もやらなかったことをやるというのは、日本じゃ絶対に認めない。
これは作品論で終わる話ではなく、この国で日々の思考を縛りつけている価値観のことである。
ゴッホの絵画は生前には一枚も売れなかった、という話を引き合いに出すまでもなく、人々の自分に対する感覚の自信は傲慢である。しかし、人生を理解出来てないのだ。1+1=2、1×1=1、納得した、僕が納得出来るってことは、これはいいものだね。しかし、IQ10の人間が納得することなど、IQ9までである。そして人生にたえず付き纏う問題の数式は、誰も解こうとしないのである。だが人生とは、往々にして1÷1=1程度には難しい。
本番には使えないその練習で埋め尽くす時間の消耗とは、なに? 消耗が人生であるのなら、解決もまた人生である。この世で起こることのすべてが人生であるように、この世で起こすことのすべては人生である。段落
人間の生活は、ほとんどのものを借りてきている。つまりは、全員が「借りてきた人間」だ。
ピカソはシステムだ、愛はシステムだ、お〜いお茶はシステムだ。このように、この世のすべてのものは「システム」である。システムは、名前が付いた瞬間から駆動し始める。このシステムを借りているのである。
システムそれ自体には、自己反省性や自己批判性が無い。日に日にすり減り、衰退し、レベルの低くなっていくパワーゲームが起こるのは、このためである。それはひとつの部類と部類の間にも起こり、ひとつの部類の中にある区分と区分や、なにかとなにかでも起こる。この世に存在するすべてで発生する。
イチローがホームランを打つこともシステムである。観客は指先ひとつ動かさずに、ホームランを打つ感覚だけを、その時に借りてくる。システムには固体と液体が存在し、それを紐解くのが感性である。固体よりも液体の方が紐解きづらい。
イチローがホームランを打つ、ということにおいての固体は、バットにボールが当たった、ということだ。そして液体は、バットの振る速さ、バットのどの部分に球が当たったのか、イチローのその試合までの日頃の練習、その時のプレッシャーなどである。
食べ物でいえば、ハンバーガーそのものは固体であるが、ハンバーガーの牛肉パテ一枚は液体である。ハンバーガーには、何が挟まっているか。肉、トマト、レタス、ピクルス、ソースなど、まだわかりやすい。それは固体だからである。
では、牛肉パテがどうかといえば、牛のどの部位の肉なのか、どのようにミンチにして他にも保存料などを混ぜるのか、あるいは冷凍する方法はどうかなど、液体なので難しくなる。
飲み物の場合であれば、それ自体がすでに液体である。いくら沢山お茶を飲んでも、お茶の葉の摘み方はわからないし、茶葉からの抽出の仕方もわからない。
そして肝心の乗り越えることは、紐解くこと、ともまた違う。乗り越える方法とは、決意である。つまり、感性によって液体までを紐解き、それを決意によって乗り越えるのである。
もし感性によって紐解き、そして乗り越えなければ、借りてきた人間であるわれわれの精神はその借りているシステムに回収され、その枠内で縮小していき、ボーリングの球を投げる人間ですらなく、ガーターに落ちないようにレーンを直線に転がることを反復するボーリングの球そのものとなって、日に日にシステムは低次のレベルに向かって下降していく。
世界の見え方は、ひとりひとりの感性による紐解きによって見えるものである。遠近法(パースペクティブ)は、人によって異なるということになる。
実際にあるものよりも多くの秩序を想定してものごとを単純化したり、大きな衝撃からとても些細な衝撃までとにかく様々な衝撃によって人間は多くのものごとを見落としてしまったり、個人が持つ関心や愛好の傾向によって視野が狭められてしまったり、人間たちが交わす言葉が歪められ適切に定義されていないことに由来して私たちの思考に弊害を生んだり、上手にまとめてしまう際に人を欺くことになったり、など様々である。微調整
この見え方が、感性の鈍感な体系的や表面的でしかなければ、そのものの本質のポテンシャルを判断することが不可能になる。言うなれば、開封されないゲームソフトのパッケージのようでもある。段落改訂
沸騰していく社会
小市民的な枠の中で、安穏な生活をして、たとえばたまにごちそうを食べて、遊びに行って、楽しいかもしれないけど、あとの日常というのは、会社に行ってせいぜいおしゃれな格好をして、夜になると酒飲んで、上役の悪口を言う程度のことで、あとはもう毎日毎日システムの中に組み込まれちゃってる。段落改訂
なぜなら大多数にとっては、矛盾を解決することではなく、長い大通りが隙間のない道であるかのように表面からは矛盾を見えなくすることが、幸福の前提だからだ。
ある人間が、自分の生活だけしか生き得ないようなら、彼は自分の生活も生き得ないはずだ。なぜなら、彼自身の生活というのが、その各々が、他の生活にも属し続けるアクシデントの連続から成っているのだから。段落
このようにしてわれわれは、目の前の温度が昨日よりも苦しくなっていることが、わからなくなってしまうのである。
社会で良いものとされている礼儀であっても、ポテンシャルを持っていない礼儀であれば、それは良いものとは言えない。同様に、ポテンシャルを持っていない褒め言葉も、けっして良いものとは言えない。罵倒や批判にいたっては悪いイメージが自動的に付くものであるが、ポテンシャルを持っている罵倒や批判は良いものである。
歳をとるということが、物理的にも、精神的にも、〜のセーフラインではなくデッドラインに近づいていくことだとしても、今はまだ大丈夫という感覚を持っている人もいるかもしれない。しかし、トラックに轢かれて腕を失ったとき、心が重くて起き上がれなくなったとき、あの世よりもこの世に Permalink | 記事への反応(0) | 18:41