有名な絵は他の絵と比べて
②飾られ方に気を使ってもらっている
③鑑賞している人が多い
という特徴がある。
だから盲目の人が博物館に行って有名な絵の前で立ち止まって「これちょっと違うな」と感じるのは全然不思議じゃない。
それは目に見える人には分からない絵の要素が見えているからではなく、むしろ「絵というものを微塵も感じておらず、その絵に対して周囲がどういうリアクションを取るかしか感じとってない」からなんだよね。
「奴らはラーメンを食ってるんじゃない。情報を食ってるんだ」の究極系みたいなもん。
ソレに対して「盲目の人にも絵の凄さって伝わるんですねえ……」とか言ってる人はただの馬鹿。
誰もいない空間でガラス越しに全く同じ起き方をされたら、片方が子供の落書きで片方がゴッホだろうが全然違いを感じ取れないよ。
じゃあそういう人が美術館に行くのは無駄かって言うと、それはちょっと違うと思ってる。
絵は見れないけど、絵を人間がどう扱うかは感じ取ることができてるんだから。
まあ物自体は見れないわけだから、障害者割引を込で考えれば行っても良いぐらいの感じにはなっちゃうかもだが。
たとえば「有名な絵のために用意された特別な配置」に対しては目が見えない人の方がおそらくより敏感で、それがやってくるよりも手前から「なんか流れが違うな」と分かると思う。
そうして少しずつ空気や人の流れが変わっていくのを肌で味わうのは、ある種の「オーラを体験する」という錯覚さえ起こすと思う。
誰かが他のものに影響されている様子ってのは十二分にコンテンツになっていて、たとえば「激ムズゲームやホラー映画を初体験する人からしか取れない栄養」なんてのはまさにソレ。
人が特定の状況からどういったリアクションを起こすかは結構人気のジャンルとさえ言える。
目が見えてない人からすれば、足音の量や脚の止め方が他とは違う空間が存在するというのは、中々に印象深いものがあると思う。
それを「オーラが見えているんだろう」って雑な解像度の低さで終わらせるのは、人をコンテンツとして消費する能力が貧しいなって俺は感じちゃうね。