はてなキーワード: 沈黙とは
「訳者あとがき」からうかがえるお説教についての訳者の考えについて色々考えさせられた。
ほんとに病的な反芻のような気もするので、書いて心を落ち着かせた。
「装飾は犯罪だ」は、それ自体が装飾された表現であるとともに、その表現からお説教のにおいがするように思う。
理由を少し詳しく書くと、もし何が装飾であるかを判定する明確な基準が定められ、
それが犯罪だとされているという制度的事実を指摘しているのでないならば、(多分そうだと思うが、)
「犯罪をしてはならない」という前提を共有する人々(あるいは未来の自分)に、
「装飾をしてはならない」というお説教を、修辞という、言語表現における装飾を用いてしているように思えるからだ。
また、「語ることができないことについては、沈黙するしかない」という表現からは、
「××歳にもなってそんなバカなことをするやつがいるわけがない」みたいな、婉曲的なお説教のにおいがすると思う。
相手に叱られているという自覚が伴いやすいという点ではお説教ではないとしても、
ひょっとしたら、気づかれずに影響を受けやすい人々を「倫理」に従属させるための表現かもしれない。
>岩波文庫では、「語りえぬものについては、沈黙せねばならない」と訳されている。
>ん? その気になれば、語ることができるのだろうか。
著者流の独特の意味で「語りえないもの」については独特の意味では「語る」こともできないのだろうが、
それ(あるいはそれであるかのようなもの)について普通の意味で語る(あるいは語ったつもりになる、お喋りする)ことは、
言い換えれば沈黙しないことはできるのかもしれない。
炎上した例のNHK会長会見ですがインターネットの一部では別の燃え方をしていまして、質問をした記者のほうがえらい叩かれてる模様です。なんでも記者が執拗に誘導質問を繰り返して失言を誘った、会長を罠にかけた、だとか。それで更には慰安婦についての質問をした記者が朝日新聞のナントカいう24歳の記者だと特定!なんていう話題も。ツイッターで「NHK 質問」なり「NHK 記者」なりのキーワードで検索してみるとそんな感じの投稿がうじゃうじゃと出てきます。
しかしこれ、僕からすると「???」な話なんですよ。だって、僕、会見の動画見ましたから。でも全然執拗に誘導して失言を引き出したなんて印象はなかった。それでもう一度動画を見直してみました。その結果はタイトルの通りです。少なくとも慰安婦についての質問をした記者については執拗に誘導したなどという非難は的外れであると断言していいでしょう。
そのことについてこのエントリでは会見の詳細なやり取りをもとに見ていくんですが、いちいち動画を見てもらうわけにもいかないんでtarareba722さんによる文字起こしを貼っておきます。tarareba722さんは会見を見て「これは記者のほうがひどいんじゃないか」という感想を持って文字起こしをしたらしいんで、僕にとって都合のいい方向のバイアスがかかったものではないはずです。ちなみに動画を見たい方は文字起こしのページの一番下のあたりにリンクがあるんでそこから見に行ってください。
(この書き起こしの冒頭挨拶の箇所で「リスタブリッシュされた(?)」という記述がありますが、これはおそらく「エスタブリッシュ(確立)された」ですね)
さて、慰安婦についての質問の箇所について話す前にひとつ。実は僕、この件の報道を最初に見たとき、「そもそもなんでわざわざNHK会長に靖国だの慰安婦だのの政治問題について聞かなきゃならないんだろ?」と思ったんですよ。同じように思った方は多いんじゃないかと思います。中にはその疑問があるがゆえに「記者が失言を誘った」という見方を支持している人もいるんじゃないでしょうか。
しかし実際に動画を見てみるとそれらの質問は当然あるべき質問だったんです。会見の内容を見てみましょう。
まず冒頭挨拶があり、そこで会長がしきりに放送法の遵守ということを言うのでそのあたりについて記者と軽いやり取りがある。その後出てくるのが国際放送についての話題です。
記者「あの、国際放送を強化したいとおっしゃっておりますけれども、えっと、我が国の立場を伝えること、というふうに国際放送の番組基準に書いてありますので、この立場というのが政府見解、政府の主張をそのまま伝えることなのか、それだけではなくて、広くその、民主主義の発展に寄与するために、いろんな、その……、考え方があると伝えていくことが大事なのか、そのへんどうお考えでしょうか」
おそらくこのページ(http://www.nhk.or.jp/pr/keiei/kijun/kijun02.htm)を読んだ上での質問ですね。当然出てくる疑問であり、この質問が会長を罠にはめるための誘導だという人はいないでしょう。これに対する会長の答えが以下。
籾井会長「国際放送につきましてはですね、これはやっぱり多少国内とは違うのではないか、というふうに思います。例えば尖閣、竹島、こういう領土問題については、明確にやはり日本の立場を、主張する。と、いうことは、当然のことだと思います」
つまり、領土問題について最初に言及したのは会長自身なわけです。わざわざ記者が現在問題になっている具体的なことがらを挙げずに抽象的な形で質問してきたにも関わらず。
そして会長が領土問題について言及した絡みで靖国問題についても質問が出てくる。
記者「靖国問題についても、領土問題と同様な、あの、考え方、なんでしょうか?」
「なんでわざわざNHK会長に政治問題について聞くわけ?」という疑問はこれで解消されるでしょう。会長が「領土問題では云々」ということを言い出したのだから「じゃあ領土問題以外の他の問題では?」という質問が出てくるのはあまりに当然のことです。
ただ、この靖国問題についての質問をした記者については「執拗に失言を引き出そうとした」という見方も不可能ではないかな、という感じはします。「コメントは差し控えたい」と言われた後に同じ話題についての質問をまたぶつけてますから、最大限記者に悪意を持って見てみるとそのように見えるかもしれない。まあ、僕は全然問題のある態度だったとは思わないですし、靖国についての箇所は他の慰安婦の箇所なんかと比べると全然問題にされてないんですが。
さて、では今回メインの慰安婦の箇所です。まず記者の質問がこちら。
記者「先ほどからあの、政府とNHKの距離の問題についてご発言されていると思うのですけど、思い出すのは今から10年、10年少し前にあったETV2001の問題のことなのですが、籾井会長も最近もあの、慰安婦を巡る問題については日韓間や日米間のあいだでいろいろ取りざたされております。ところがETV2001以来番組はNHKにおいてはキチッとしたものが製作されておりませんけれども、慰安婦問題については、会長ご自身はどのようにお考えでしょうか?」
これも決して突飛な質問ではない、ということがわかると思います。実際これまでのやり取りでまさに問題とされているのは政府とNHKの距離についてどう考えるかということで、領土問題や靖国問題というのはその一例なわけです。そしてこれまでに政府とNHKとの距離ということが特に問題化した事件といえばETV2001の番組改変問題(http://ja.wikipedia.org/wiki/NHK%E7%95%AA%E7%B5%84%E6%94%B9%E5%A4%89%E5%95%8F%E9%A1%8C)が想起される。ETV2001は慰安婦問題を扱った番組だったわけですから、慰安婦問題について尋ねる質問に結びつくのは当然でしょう。
それと少し話が逸れますが、この質問において記者が名乗っていないということには留意が必要です。なぜなら冒頭で少し触れたようにこの記者はネットで本名が晒されてるわけですから。では、どこから所属年齢本名が明らかになったのか。ツイッターの投稿でソースとされているページを見てみましたがその答えは見つかりませんでした。現在流れている情報はデマの可能性が極めて高いと判断していいと思います。
以下慰安婦問題についての質問に対する会長の回答とその後の記者の反応。
籾井会長「(しばらく考えて)これはちょっと……、コメントを控えてはダメですか? あの……いわゆるね、そういうふうな、戦時慰安婦ですよね? えー戦時だからいいとか悪いとか、言うつもりは毛頭ないんですが、まあこのへんの問題は皆さんよくご存じでしょう、どこの国にもあったことですよね。違います?(しばらく会場沈黙)」
記者「あ……、私に質問しているんですか。えっと、ではそしたらじゃあ、籾井会長が改めてその、お考えすることがあれば、お尋ねしたいと思います」
どう見ても会長は「コメントを控えてはダメですか?」と言いつつもその後促されたわけでもないのにベラベラとコメントしてます。しかもよりによって橋下市長が炎上したときと同じことを……。ここまでで記者がマイクに向かって話したのは最初の質問だけなんで、これが記者のしつこい質問のせいで出てきた言葉と受け取ることは不可能です。
そして最後の「違いますか?」を言いながら会長は記者の方をじっと見つめるわけですが、記者はこの「違いますか?」を反語表現だとでも思ったのか、沈黙が続いてようやく自分に質問が向けられているのだと気付き、慌てて「あ……、私に質問しているんですか」と返答する。通常このような会見では記者の質問ひとつに対し回答者がなにか答え、それでひとつの質問はおしまい、もう質問者は別の記者にマイクを譲り渡す、というのが一般的ですから、この記者は会長が答えたのでこれで自分のターンは終わりだと思ったのだろうな、ということは容易に想像がつきます。だから自分が話すべき場面なのだと悟って慌てている。これはしつこく質問攻めにしてやろうなどと考えている人物の行動とは考えづらいでしょう。
実際、そこに続く記者の言葉は「会長が改めて考えることがあればお尋ねしたい」という今なされている話題を続ける気がさらさら感じられない、それどころか「はい! その話は今日はおしまい! また今度ね!」というふうに受け取るのが自然なものです。これまた記者がしつこく質問したという見方を否定する。
とはいえ、会長とこの記者とのやり取りはかなり長く続いたというのも事実です。おそらくそのことから記者がしつこく質問をしたという見方が生まれている。しかし、やり取りが長引いた原因はなんなのでしょう。それは続くやり取りを見てみるとわかります。
(再びしばらく沈黙)
籾井会長「(会場を見回して)まあ、こっちから質問ですけど、韓国だけにあったことだとお思いですか?」
記者「いやいや、すべ……どこの国でも、というと、すべての国で、というふうにとられると思うんですけども……」
はい。どう見ても会長が記者に逆質問をぶつけたせいです。本当にありがとうございました。
この場面、記者が「改めてお考えすることがあればお尋ねしたいと思います」と話を切ってから結構な時間の沈黙があるんですよね。ちょっと間が持たなくなるなーと思うくらいの。だから何か話して間を持たせたくなる気持ちはよーくわかる。それで普通は「なにか質問はありませんか。ないならこれで終わりにしますが」とかなんとか言って次の話題に行くなりするものだと思うんですが、あろうことか会長の選んだ道はさっきまでの話題を自ら蒸し返すという……。
しかもただ蒸し返すだけでなく記者に逆に質問をぶつけるものだから記者も当然それに返答するわけで、そこからずるずると慰安婦の話が長引くことに……。そこから先の記者の発言とか、もはや質問じゃなくてただのツッコミになってるし……。
というわけで、少なくとも慰安婦の箇所については記者がしつこく誘導質問して失言を誘ったなどというのは明白な間違いで、実際のところはただの会長の自爆なのでした。ちゃんちゃん♪
会長は「ここまでいうのは会長としては言いすぎですから、会長の職はさておき、さておきですよ、これ忘れないでください。」とか言い出し、いやここ会長会見じゃんとツッコまれたら「失礼しました。全部取り消します」と。そしてもう言っちゃったから取り消せないとまたツッコまれると「いやいや、さておいたんですよ私は。あれだけしつこくね、しつこく質問されたから、私は答えなきゃいかんと思って答えましたが、会長としては答えられませんので、会長としてはさておいて、と、こう言ったんですよ。で、それが、ここは会長会見だと、じゃあ取り消しますと言ったら取り消せないとおっしゃったら、じゃあ私の、さておいては、どこにいく、どうなるんですか。そんなことを言ったら、マトモな会話ができないですよ。ああそれはノーコメントです、ノーコメントですと言ってたら、それで済んじゃうじゃないですか。それでよろしいんでしょうか。いいんなら、それでいいですよ、今後」と言ってます。
「しつこく質問されたから答えなきゃいかんと思って~」とか言ってるけど「会長の職はさておき」と言い出す直前の記者の発言は「……わかりました」だからしつこくなければ質問ですらないというツッコミはさておき、「エクスキューズをつけて発言してるのにそれを無視するマスコミはひどい!」とか言ってる人がいるんでそういう人に言いたいことがあります。
そういう人は是非、上司や社長の前で「これは社員や部下としての立場はさておき、さておきですよ、これ忘れないでください。あくまで一個人としてですからね」と断りを入れた上で言いたいことを言いたい放題言ってみてください。そして言いたいだけ言ったら最後に「今のは取り消します」と言いましょう。さておけない、取り消せないじゃまともな社内コミュニケーションなんてできないですよね。それでもしも問題になってクビにされるようなことがあったらそれはエクスキューズをつけて言ってるのにそれを無視する上司が悪いんです。きっと訴えたら勝てますよ。さあ、チャレンジしてみましょう!!
「俺のどこが好き〜?」という内容の事を、何度も表現を変えながら聞いて来るのでいっぱい答えた。
照れたけど、普段から思ってる事を素直に口に出すことはなんだかスッキリした。
彼は「は〜〜今すぐ抱きしめたい!!」(研究室に居たので今すぐ抱き合えなかった)と嬉しそうだったし、言って良かったと思った。
数日後、私も言われたい!と思って聞いてみた。
「あー絶対俺の方が大好きの気持ちが大きい!こんなに大好きでどうしよ〜〜〜」
「ふーん、ほんとにそうなの?どういうところが大好きなの??」
「毎日美味しい料理を作ってくれて、気づかないうちに掃除してくれて、いつの間にか服がハンガーにかかってて〜、
あ、あと、色んなところにデートに連れて行ってくれるとこ!」
「・・・・・フクザツ」
可愛いって言われたかった。優しいって言われたかった。一緒に居て楽しいって言われたかった。
セックスが上手、の方がまだ良かった。
「えっなんで」
「なんでなんで!?」
「料理や掃除をする、気配りができる・優しいっていうメンタル性が好きってこと?」
「そりゃそーでしょ!」
「・・・」
「あと〜、学科の他の子たちに比べて綺麗なとこ。ていうか可愛いのは大前提でしょ!」
(料理も掃除もデート連れて行くのも、一生懸命やってたことだし、それが評価されるなら、まあいいか・・・
その後お互い沈黙の時間が15分ほど過ぎた後、普通の会話に戻って、一緒にお風呂に入った。
しかし、さっきの「拗ねる」行為が彼を怒らせていた。疲れさせていた。
「自分の思った通りにならないとすぐ拗ねるし、そのくせ俺が拗ねるとそれを許さないよね!!」
「ごめんね。」
「謝らなくていいからなおしてほしいんだけど?」
「拗ねてしばらくだんまりになるの自覚してて、なおそうと思ってたところ。
昨日と今日は拗ねてからの回復が早かったと思って、『よしよし、できてるな』なんて思い上がってたけど、
「・・・・はー。そもそもその『拗ねる』って反応をやめてほしい。
自分の思い通りにならなかったら拗ねるってのやめたほうがいいよ。そういうのが続くとこの先付き合っていけないんだけど?
普段の会話でも出るかもしれないからやめたほうがいいよ。」
「そうだね、ごめんね。」
「謝らなくていいから治してほしいよ。それで治す気あるの?」
「うん。治すよ。ショック受けても拗ねるって反応はしないよう気をつける。」
私は未熟だ。それでもまだ可愛いが真っ先に来なかったことを悲しんでいる。
文字数オーバーになってしまった前回(http://anond.hatelabo.jp/20131229045340)の続きである。
『ロジック・ロック・フェスティバル』において、警察に通報すべきだと意見するのは、ヒロイン(鋸りり子)である。
りり子は穏やかな声音で言葉を重ねた。もっともその中には、最後の審判を告げるガブリエルのごとき決然さをも含んでいたが。
「先ほども申しましたが、会長の心境には私自身強い同情を感じています。ただ……人が一人死んでいるという状況、命を落としたという事実に対して応じることは、やはり何にも増して優先されるべきだと思います。どんな信念、心情を差し置いても、です」
これに会長が返答をする前にある人物によって言葉が差し挟まれた。
「そ、その通りです……!」
金牛事務員だった。彼は周りを窺いながらもごもごと続ける。
「……会長さん、でしたっけ? お気持ちは分からないでもないですが、これはやっぱり一刻も早く警察を呼ぶべきです。議論をしている間にも、ほら、時間経過と共に重要な手掛かりが失われているかもしれないですし……」
『天帝のはしたなき果実』において、警察に通報すべきだと意見するのは、志度一馬である。
(中略)
「アタシの臓腑(はらわた)は今煮えくりかえってるわ。だからこそ、一刻も早く腐れ下手人が死刑になればいいと思ってる。そのためには通報すべきよ。それに、ひとの生き死に以上の優先事はないわ。たとえ音楽だろうと」
人の死は何事にも優先されるという理由が一致している。
『ロジック・ロック・フェスティバル』において、多数決で決めるとの宣言はなされない。生徒会長(衿井雪)とヒロイン(鋸りり子)の意見に続く形で、副会長(成宮鳴海)が会長の意見を支持したことにより、多数決の流れが自然にできる。
「一時沈黙、に一票ということです。鋸さんとも対立することになってしまいますね。しかしここはどうか目を瞑っていただきたい」
多数決の結果が決まった後に、多数決という方法で決めたのが正しかったのか山手線太郎が意見する場面がある。
「そんな取り違えはしてないよ。ただ行動の選択に時間を取られていてはいつまでたっても行動自体を起こせない。今は総意をある程度一致させてとにかく動き出すべきだと思う」
『天帝のはしたなき果実』において、部長(柏木照穂)が多数決で決めることを宣言する。
「決を採る。それには全員従うこと(この面子だと――)」と柏木。
「多数決で決めていいことなの? 瀆魂(とくこん)じゃない?」詩織さんが遺体を見遣った。
「どっちの意見を容れても、すぐ行動しなきゃいけない。みっちり討議してる暇がない」と柏木。
多数決で通報するか否かを決める理由を、すぐに行動しなければならないからとするのが共通点である。
『ロジック・ロック・フェスティバル』において、「警察に通報しないことを、倫理的に糾弾する」のは山手線太郎である。
「――いいえ、速やかに通報するべきですよ」
そう言い切って、副会長の前に颯爽と立ちはだかったのは線太郎だった。一瞬、二人の男の正義がぶつかり合う音が聞こえた気がした。
「会長の鷹松祭への熱意も、それを慮る副会長の誠意も、最大限に斟酌したいと思います。でもやはりそれとこれとは別問題と言わざるを得ない。通報を保留し、再度この部屋に鍵を掛けて、知らぬ存ぜぬでさあ鷹松祭ですか? 死者を前に失礼ですが、僕は生前、灘瀬先生のことをあまり快く思ってはいませんでした。そんな僕でもこんな所業はあんまりだと思います」
『天帝のはしたなき果実』において、「警察に通報しないことを、倫理的に糾弾する」のは切間玄である。
「敢えていうけど(デンク・マール・ナッハ)」と切間。「奥平事件なんてあれだけ先陣争いみたいな捜査して、あれだけ関係のない可能性の高い生徒、総ざらえで調べたんやで。それでも解決してへん。まして発見者が協力せえへんかったら」
上記引用した「糾弾」がはたして「倫理的」なものかどうかは私には判断できなかったが、該当する部分が他になかったので上記部分を引用した。
『ロジック・ロック・フェスティバル』において、沈黙派が3人(衿井雪、成宮鳴海、万亀千鶴)、通報派が3人(鋸りり子、金丸遥、山手線太郎)で同数となる。最後に主人公(中村あき)が沈黙に一票を入れ、通報しないことが決まる。
なんてったってこれで三対三、通報か否かを巡る決議はもつれにもつれていた。本来、人様の死に対し、こんなやり方で接することなんて許されない。そんなのは分かっている――分かりきっているけれど、今はそんな採決の図式を思い描かないわけにはいかなかった。
事実、僕以外の全員の目がこちらに向けられている。
「僕は――」集まる注目の中、僕はおもむろに口を開いた。「沈黙を支持します」
『天帝のはしたなき果実』において、沈黙派が3人(志度一馬、修野まり、切間玄)、通報派が3人(古野まほろ、穴井戸栄子、上巣由香里)、棄権が1人(峰葉詩織)で同数となる。最後に部長(柏木一馬)が沈黙に一票を入れ、通報しないことが決まる。
「棄権する」
「はい?」柏木が、いや一同が眉を寄せる。「棄権は想定してないんだけど」
「どちらを選ぶにしても、失われるものが多すぎますわ。あたしには決められない」
「珍しいな、瞬殺(ブリッシュラーク)の詩織さんがよう決められへんなんて、理由訊いてええか?」
「黙秘権を行使します。それに理由を説明したところで、そしてみんなが納得しなかったところで、あたしの意見は変わりません。以上」彼女は以降の意思疎通を拒否した。
「最後は僕か」部長はため息を8拍ほど延ばした。「通報はしない」
『ロジック・ロック・フェスティバル』において、実況見分をしようと提案するのは会長(衿井雪)である。「15. 現場検証」をまるまる使って実況見分する様が描かれる。
「ではまず、手早く研究室内の様相を検めようか。その後、施錠したら私たちも粛々とここを立ち去るべきだ。いまでさえグレーだというのにここで長居していたら、余計に捜査が入った時に疑われる」
『天帝のはしたなき果実』において、実況見分をしようと提案するのは修野まりである。
「なら」由香里ちゃんがいった。「ここは撤収すべきですね、粛々と、急いで」
「もちろん」修野嬢がいった。「この部屋に何がどのように配置されているのか、確認してからだけど」
「どうして?」栄子さんが訊いた。「当面の間、知らぬ存ぜぬを通すんでしょう?」
「まり、『犯人』よ。『容疑者』でもいいけど」詩織さんが微苦笑した。その声は何か哀しかった。
「――犯人による現場改変に対処するため。いまひとつは犯人を特定するためよ。ただし前者については」修野嬢は呼吸をずらした。「瀬尾先生がいまカードキィをお持ちなら成り立たない理由だけど」
『ロジック・ロック・フェスティバル』において、現場から移動するように提案するのは生徒会長(衿井雪)だ(上記引用部分参照)。その理由は「余計に捜査が入った時に疑われる」との判断だからだ。移動先に音楽室を挙げるのは副会長(成宮鳴海)である。
「音楽室はどうでしょう?」と副会長。「今は誰もいないはずです」
音楽室は鷹松学園の新館でも旧館でもない、別館にあった。吹奏楽班や合唱班には別に練習室が設けられている関係上、入っていくのを見られたら何をしに行くのかと怪しまれるかもしれないものの、それさえ注意すれば後夜祭以後のイベントの間、ほぼ百パーセント誰も入ってこないような場所である。
こうして音楽室で落ち合うことに満場一致で決まり、すぐにそれぞれの組で行動を開始した。
『天帝のはしたなき果実』において、現場から移動するように提案するのは上巣由香里だ(上記引用部分参照)。移動先に第4会議室を挙げるのは部長(柏木照穂)である。その理由は相互監視をするためだ。会話文内にある括弧は柏木の心の声である。主人公(古野まほろ)は柏木の心の声を聴くことができるという設定がある。
「一馬」部長がいった。「一馬、美術得意だったよね。まほと見取図を作ってくれ。切間と僕で先生の遺体を改める。女性陣は第4会議室に先行して」
「柏木、きみは」僕は口を挟んだ。「僕らのなかに、教師殺しがいると?」
「(そのとおり)その議論は引っ越ししてからだ。誰も来ないとは思うけど、急ごう」
古野まほろ(作者)は「現場に留まるのは危険、との判断から」を「同一性」としているが、『ロジック・ロック・フェスティバル』においては捜査が行われたときに疑われるからであり、『天帝のはしたなき果実』においては相互監視をするためなので「同一性」とは言いがたい。
また「無人の部屋」とあるが、『ロジック・ロック・フェスティバル』における音楽室は無人の部屋だが、『天帝のはしたなき果実』における第4会議室は無人ではない。アンサンブル・コンテンストの運営を手伝っている勁草館高校の生徒の控室であり、実際に訪れた際にも内田という生徒が中にいる。
「あ、柏木先輩。例のおつかい終わりました」内田が焼きそば(大盛)を啜りながらいった。
「ここの部屋は」でんでんでん、と軍人のごとく爆進(ばくしん)しながら柏木が訊いた。「勁草館(うち)の人間以外は来ないんだね?」
古野まほろ(作者)側の主張に沿って見れば、勁草館生徒は事件関係者であり「(事件関係者以外は)無人の部屋」と無理矢理解釈することもできなくはないが、普通に考えれば第4会議室は「無人の部屋」ではなく、こちらも「同一性」とは言いがたい。
『ロジック・ロック・フェスティバル』と『天帝のはしたなき果実』を両方読了した印象としては、影響を受けているのは間違いないと感じた。今回検証した被害者のキャラクター造形と警察に通報しないことを多数決で決めるシーンは明らかに参考にしている。とはいえ文節単位の剽窃はなく、仮に裁判になったとしても著作権侵害との判断が下されるかどうかは微妙なところだ。
上記のように細部を比較すると必ずしも「同一性」と呼べない部分もある。箇条書きマジックを演出するために無理矢理同一だと主張した部分もあったのではないだろうか。とはいえ私が参照したのは旧訳であり、新訳では同一なのかもしれない。
中村あきの星海社FICTIONS新人賞を受賞したデビュー作『ロジック・ロック・フェスティバル』が、古野まほろのメフィスト賞を受賞したデビュー作『天帝のはしたなき果実』と類似していると指摘され一部で話題になっている。『ロジック・ロック・フェスティバル』に続いて『天帝のはしたなき果実』を読了したので、前回(http://anond.hatelabo.jp/20131221141558)に続いて比較検証していきたいと思う。ちなみに私が読んだのは講談社ノベルス版(通称「旧訳」)である。古野まほろとしては全面改稿した幻冬舎文庫版(通称「新訳」)を決定稿としたいようだが、諸事情から旧訳を参考とした。以下の比較検証において新訳では違ってくる部分があることをあらかじめ了承いただきたい。
12月7日にTwitterに於いて古野まほろが「関係性の説明」をした。それは大きく分けて【学校の設定】【死体発見時の言動等】【推理合戦】の3点である。今回はその中から【死体発見時の言動等】について検証していきたい。古野まほろが挙げた「同一性」は以下の通りである。
・警察への通報を拒否する理由は、高校生として「重要なイベント」のためである
・結果、その場にいる生徒による、多数決が行われる
・最後の一票により、イベントを優先して通報しないことが決まる
1つ1つの要素の問題ではありません(要素で見ても厳しいかな、とは思いますが・・・)。私が問題にしているのは、これらすべての要素の「組合せ」です。このような「組合せ」が、まったく別個の作家により、偶然に案出される可能性は、ゼロです。死体発見時の言動等もまた「同一性」の問題です。
古野まほろ(作者)は「死体発見時の言動等」と銘打っているが、前半は被害者の特徴についてである。『ロジック・ロック・フェスティバル』において、メインとなる密室殺人事件の被害者となるのは「灘瀬朝臣(なだせあそん)」である。灘瀬について記述してある部分を引用したい。
ねちねちとした口調、ねめつけるような視線、四十代半ばにして既に注意信号の頭髪、加えて誰が言い出したかセクハラ疑惑まで併せ持った社会科担当の教諭、灘瀬――なんとか。失礼、フルネームは存じ上げない。専門も世界史だったか倫理だったか。
灘瀬朝臣は社会科担当教諭であり、専門が世界史なのか倫理なのかは本文中で特定されていない。高校で世界史を教えるのに必要なのは「高等学校教諭一種免許状(地理歴史)」であり、倫理を教えるのに必要なのは「高等学校教諭一種免許状(公民)」だ。それぞれ別ではあるが、実際は両方を取得しどちらも教えるというケースが多い。
『天帝のはしたなき果実』において殺人事件は何度か起こるが、メインとなる首無し殺人事件の被害者となったのは「瀬尾兵太(せおひょうた)」である。瀬尾兵太は世界史担当教諭である。本文中に世界史以外の社会科科目を教えているとの記述はない。
黄昏の音楽室に入ってきたのは、我が県立勁草館高等学校で世界史の教師を勤めるとともに、同校吹奏楽部の顧問に任じる瀬尾兵太だ。
「要素」で判断する限りは「社会科担当教諭(専門は世界史か倫理か不明)」と「世界史担当教諭」を「同一性」と表現するのは厳密な意味においては正確ではない。だが、少なくとも数学と英語のように全く関係がない教科ではなく、非常に類似している「要素」であるといえる。
『ロジック・ロック・フェスティバル』において、被害者(灘瀬朝臣)の特徴が「理不尽な質問と悪態」であることは、さきほど引用した文のすぐ後に書かれている。特筆すべきなのは、実際に灘瀬朝臣が生徒に理不尽な質問をしたり、答えられない生徒に悪態をつくような場面が一切登場しないことだ。設定として生徒に恨まれる理由があることを示す以上のものはない。
根も葉もない噂には同情を禁じ得ないけれど、彼を生理的に受け付けない生徒は多そうだ。授業も理不尽な質問を当てるし、答えられない生徒には悪態もつく。
『天帝のはしたなき果実』において、被害者(瀬尾兵太)の特徴が「理不尽な質問と悪態」と断言していいものかは迷う。『ロジック・ロック・フェスティバル』の灘瀬朝臣がただの記号として描かれているのに対し、瀬尾兵太ははるかに血の通ったキャラクターで、特徴として挙げるべき点が複数あるからだ。主人公たちの所属する吹奏楽部のOBであるとか、東京帝大法学部出身であるとか、胸に大きな緑色の宝石を付けているとか、語学の達人であるとか……。
そこで、まずは「理不尽な質問と悪態」に該当しそうな部分を探してみることにする。第一章から瀬尾兵太が生徒に質問するシーンを抜粋したのが以下だ。
「p、って何だ」
「阿呆(ドゥラーク)かお前! 確かにfは『強く』でもいいが、pは『静かに』。(後略)
「あと峰葉、お前は腕立て二セット追加だ――理由は?」
「唇に歌口(マッピ)の跡が付きすぎて興を削ぐな。何でそうなるんだ?」
「それは何でだ?」
(前略)音がボケてる。どうしてだ?」
「舌遣い(タンギング)が柔かすぎたからでしょうか(はふう、想定の範囲内)」
瀬尾兵太が吹奏楽部の録音を聴いて指導する場面である。「理不尽」かどうかは判断が分かれるところだが、「質問」をすることによって生徒にどこがよくなかったのか自ら考えさせるのが瀬尾兵太のやり方のようだ。そして適切な答えを返せなかった生徒には、「阿呆かお前!」と悪態をついている。「悪態」については具体的にその言葉が出てくる箇所がある。
「まずは誰も口論の当事者だって名乗りでてこないからです。瀬尾先生の悪態というか音楽に関しての辛辣かつストレートな要求は今に始まったことじゃありません。誰だって何度もボコボコにされてます」
この発言をした登場人物は瀬尾の言動は「悪態」そのものではなく、「悪態」と表現してもいいような「音楽に関しての辛辣かつストレートな要求」と認識しているようだ。
これまでに記述したとおりメインとなる殺人事件を比較した場合、『ロジック・ロック・フェスティバル』も『天帝のはしたなき果実』も「被害者は、成年男性1人」で間違いない。しかし『ロジック・ロック・フェスティバル』は日常の謎を解く場面がいくつかあったのち、メインとなる密室殺人事件が描かれるのに対し、『天帝のはしたなき果実』は連続殺人事件を扱っている。その被害者は男子生徒、女子生徒、教師(これが「成年男性1人」に当たる)である。つまり、メインとなる事件だけを比較対象にした場合「同一性」に該当するが、比較対象を物語全体に敷衍した場合「同一性」には該当しないことになる。
「クローズドな施設」という表現が、含みを持たせている。ミステリーにおいては「密室」と「クローズド・サークル」というふたつの閉鎖状況がある。『ロジック・ロック・フェスティバル』において描かれるのは密室殺人事件だ。文化祭開催期間中に、密室となった社会科研究室で死体が発見される。
「……密室」
僕らが入ってきたドアは確かに鍵が掛かっていた。もう一方のドアは元よりガムテープでがちがちに封鎖されて閉め切りになっており、出入り口としての役目を完全に放棄させられている。四つある窓全てにしっかり施錠されているのが確認できるし、廊下側の壁の上部・下部にそれぞれ設けられた換気用の小窓もご丁寧に施錠がなされていた。
高校の敷地や建物は文化祭期間中で一般にも広く開放されているので「クローズド・サークル」ではない。しかし、社会科研究室を含む四階は、唯一の階段がふたりのバスケットボール部員によって監視されている。
「はい、そうみたいでした。なのであたし、立ち聞きする気はなかったんですが、会話の内容が耳に入ってしまったんです。彼女たちはこう言ってましたよね、『私たちがいる間にここを通ったのは、会長と副会長、あと実行補佐の四人で全部です』って」
『天帝のはしたなき果実』において、メインとなる首無し殺人事件が起こるのは、アンサンブルコンテスト県大会が行われている姫山市文化会館の第7楽屋である。この第7楽屋には死体発見時に鍵が掛けられていたが、オートロック式で関係者が鍵を持っていたこともあり「密室」とは呼べない。
ここの楽屋はオートロック式で、カードキィを持っていなければ開かない代わりに、内側からは鍵もチェーンも掛けられない珍しい扉になっています(朝のミーティングのとき瀬尾がいいましたね)。
姫山市文化会館は一般に広く開放されている公共施設であるので「クローズド・サークル」ではない。しかし、楽屋を含むエリアは関係者以外立ち入り禁止となっている。
「非公開区域にはリボンないと入れへんし、第7楽屋のドアは専用のカードキィないと入れへんで、念のため。借りたら記録残るし」
鷹松学園も姫山市文化会館も一般に広く開放されている。しかし「クローズドな施設」という含みを持った表現をすれば、どちらの作品も外部との出入りが制限される場所で死体が発見されており、当てはまることになる。
ここから死体発見時の状況になる。『ロジック・ロック・フェスティバル』において、被害者(灘瀬朝臣)の死体を発見するのは、主人公(中村あき)、山手線太郎、鋸りりこ、万亀千鶴、生徒会長(衿井雪)、副会長(成宮鳴海)の6人である。
四階に辿り着くと、そこにはなんと会長までもが参席していた。
「鍵、持ってきてくれたか! 早く、嫌な予感がする」
既に事態も把握しているようだ。
走り寄って僕がポケットから鍵を取り出すと、会長が引っつかむようにしてさっさと鍵穴へ差し込んだ。
かちり、と確かに鍵の外れる音。
社会科研究室の扉が開くと、中から冷気が溢れ出した。エアコンがかけっ放しらしい。何か異様な雰囲気と共に、確かな臭気がその中に感じ取れた。
「うっ……なに、この臭い」
千鶴が鼻を押さえる。
呼び掛けながら室内に足を踏み入れる会長。僕がその後に続いた。
研究室の入り口付近は左手にすぐ壁、そして右手に本棚といった配置である。そのため本棚が途切れたところで、ようやく部屋の全容が見渡せた。
目に飛び込んでくるのは痛いほど鮮かで、残酷な色彩。
一面の赤色。
血の海。
赤の海。
そこに沈む、ぐにゃりとした男の体。
深紅に溺れる、こと切れた灘瀬がそこにいた。
『天帝のはしたなき果実』において、被害者(瀬尾兵太)の死体を発見するのは、主人公(古野まほろ)、峰葉詩織の2人である。
うひゃあ! 前を歩いていた瓶緑色(ボトルグリーン)のブレザー着た集団も飛び上がった。彼女はず、ずいと第7楽屋の前に立つ。「キィは?」
「こちらです」
ピ、と脳天気な電子音とともに若草色(リーフグリーン)のランプが灯る。彼女は目を伏せがちにいった。
「こんどは檸檬、買ってくるのよ。古野君の勝――」
次いで教科書どおりの、深々とした、背筋の伸びた息継ぎ(ブレス)。
「僕の、か?」
彼女の凍てついた顔を、僕は忘れない。陸奥(みちのく)の安達ケ原の姫山に、鬼籠もれりというは真実(まこと)か――
そこには、嵌め殺しの机にもたれ、ドアに背を向ける形で、瀬尾だった物体があった。
肩からうえには、首がなく。
それは、避けられない宿業のようだった。
上記に引用したとおり、『ロジック・ロック・フェスティバル』も『天帝のはしたなき果実』も「発見者が生徒である」ことは間違いない。付け加えるならどちらの作品も「死体の発見者が主人公を含む集団である」と言っていいだろう。また主人公自身が鍵を開けるのではなく、別の人物に促されて主人公が鍵を渡す点も共通点と言える。
ここからは、死体を発見したものの警察へ通報しないという判断をするシーンである。上記ふたつについて引用部分が同じなので同時に検証する。『ロジック・ロック・フェスティバル』において、通報を拒否する生徒は生徒会長(衿井雪)である。その理由は自身が実行委員長として力を注いできた文化祭を最後まで終わらせたいというものである。
その時だった。
会長がすっとみんなを置き去りにするように入り口の方に向かった。そして直後、社会科研究室の扉がぴしゃりと閉じられる音が響いたのだ。
「会長……?」
不審に思い、僕も一度灘瀬の遺体から離れ、一同の輪の方へ戻ることにする。
そこから入り口を見ると、なんと会長は信じられないことに扉を背にしてその場で膝を折り、こちらに向かって土下座をしていたのだ。
それだけではない。とんでもない発議がその口からなされた。
それは誰もが理解に時間を要するほどの突飛な提案だった。
「な、何を言って……」
ようやくどうにかして言葉を発した副会長を遮って、会長は哀願するように続けた。
「分かっているんだ、これは普通の思考じゃない……異常だ、狂ってる……そんな風に思うかもしれない……それでも! それでも私は自らの全てを鷹松祭に注ぎ込んできた……実行委員長として私にはこの祭を完成させる義務がある。それだけは誰にも邪魔させない。じきに一般公開も終わる。そこから簡単な片付けがあって後夜祭、ファイアーストーム、そしてグランドフィナーレ――鷹松祭が終了を迎えるまで残り約三時間、あとたったそれだけなんだ!」会長は喘ぐように息を継いだ。「――今一度、三顧の礼を尽くして懇望する。鷹松祭の終了まで示し合わせて黙っていてはくれないだろうか」
『天帝のはしたなき果実』において、最初に通報を拒否する生徒は主人公(古野まほろ)である。その理由はすでに演奏が終わったアンサンブル・コンテスト県大会の結果が聞きたいというものである。
「差し当たり重要なことは」一馬が厳かに口火を切った。「ひとつしかないわ。通報か沈黙か。それが設問よ(ザットイズザクエスチョン)」
「僕は沈黙派だよ」と僕。
(中略)
「今通報すれば、会場は大混乱、大会どころじゃなくなる。あれだけの演奏ができたのは瀬尾のお陰だし、客観的にもその評価を得るのが供養だと思う」
シリーズ | 小回復 | 中回復 | 大回復 | 完全又は超大回復 |
---|---|---|---|---|
DQ | ホイミ | ベホイミ | - | ベホマ |
FF | ケアル | ケアルラ | ケアルダ | ケアルガ |
BOF | リリフ | アプリフ | トプリフ | - |
女神 | ディア | ディアラマ | - | ディアラハン |
ベネディクションという全回復がFF14にあるが魔法というよりスキルのような逸脱した響きなので不採用。
BOFは響き優先か。
シリーズ | 範囲小回復 | 範囲中回復 | 範囲大回復 |
---|---|---|---|
DQ | - | ベホマラー | ベホマズン |
FF | メディカ | メディカラ | - |
BOF | リフル | リフラル | - |
女神 | メディア | メディラマ | メディアラハン |
基本にしてインパクト抜群のベホマズン。「ズン」の安定感ある響きが安心度高い。
FFはケアルなどが単体回復か複数選択ができるシリーズもあり、一応FF14の魔法を入れておいたがなんかこういう感じの魔法名、世界樹の迷宮にもあったな。
仲間の人数が多めの女神シリーズが一番お世話になるであろう範囲回復。
シリーズ | 小蘇生 | 中蘇生 | 大蘇生 | 最高蘇生 | 犠牲蘇生 | その他蘇生 |
---|---|---|---|---|---|---|
DQ | ザオ | ザオラル | - | ザオリク | メガザル | - |
FF | - | レイズ | - | アレイズ | - | リレイズ |
BOF | リバル | - | - | リバルラ | - | - |
女神 | リカーム | - | - | サマリカーム | リカームドラ | - |
ここで顕著に特徴出ているのがDQ。
基本道具やで気軽にフェニックスの尾やきつけやくが売っておりカジュアルに蘇生できる世界観のRPGが多い中、
世界樹の葉が1枚しかもてなかったりで基本死亡に関するリスクが高いのがDQ。
というかDQは死亡で、FFとBOFは基本的に気絶扱いなのがそもそも事の深刻さがかなり違うのか。
元がメガンテから派生したためにメガザルの響きの場違い感が凄い。ていうか使ったことない。
そしてリレイズは逆にカジュアルに死ぬがゆえの存在か。便利だよね。
また、どんなに高レベルでも蘇生確率は半分だったザオラルさんであるが、DQ10では回復魔力が高いと蘇生確率が高まるので、やっと高位聖職者と駆け出し聖職者の差が出せるようになった。
シリーズ | 毒 | 睡眠 | 麻痺 | 視界不良 | 石化 | 魅了 | 沈黙 | パニック | 呪い | 万能回復 | その他 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
DQ | キアリー | ザメハ | キアリク | マヌーハ | - | - | マホリー | - | - | - | - |
FF | ポイゾナ | エスナ | エスナ | ブライナ | ストナ | - | エスナ | - | トード、ミニマムなど | エスナ | エスナ |
BOF | ヤクリ | ヤクリフ | ヤクリフ | ヤクリフ | - | - | - | - | - | ヤクリフ | ヤクリフ |
女神 | ポズムディ | パァスディ、パトラ、メパトラ | - | パララディ | ストンディ | カルムディ | クロズディ | パァスディ | カースディ | - | メタモディ |
はっきり言って把握しきれない。迷走地帯の状態異常回復。
多分漏れや間違いが数多くあることと思われる。
病気もあったけど多分解除魔法無かったような気がするので入れていない。
状態異常に神経系と精神系の分類があって神経系全部回復、とかなにがどっちか覚えられないよ問題。
最初はポイゾナとかあって高位は全部エスナでおkのFF方式が大正義のように思われる。
あとは麻痺や毒が戦闘後に解除になるかならないかで重要度が違ってくる。
DQ8ではザメハとキアリクが統合され、キアリクで目覚めるという気持ち悪い感覚が味わえた。
DQ10で異様に解除魔法が増えていた。(敵が強いので解除しないと致命的だからだと思われる)
DQは状態異常に関してもハードルが高く、エスナ系がない硬派さに震える。
FFでは状態異常化と状態異常回復を兼任している作品があるミニマムやトードが意外と珍しい存在。
変わった状態変化としては、女神のカード化(動けない、火によく燃える)、
鏡化(動けない、殴られると割れて粉々に)、
「いいじゃないか」僕は言った。
だって嫁が友人を連れてくるなんて滅多に無い。
滅多に無いことを提案されると、嫁が僕への主観による決め付けを少し緩和させているような気がして嬉しくなる。
そうやって僕がうきうきしていると、続けてこう言った。
黄漢升が夏侯妙才を討ち破るという華々しいシーンを片手に、本棚を見ると、まず「ヤバい経済学」、「日本クレジット総論」という文字が眼に飛び込んできた。
次に「漫才入門 ウケる笑いの作り方、ぜんぶ教えます 元祖爆笑王」と「俳優の仕事」という背表紙を認識した。
なるほど。そういうことか。
嫁は友人に対して、僕をかっこよく話しているのかも知れない。それは夫として嬉しいことだ。
そんなかっこいい夫が、死ぬほど必死にお金を稼ぎだしてやろうと燃えている姿や、その為に笑いや演技を真剣に学ぼうとしている姿を友人たちに連想させてしまうのは彼女のプライドに触るのかも知れない。
僕のプライドをどこかで護ってくれている嫁に対して、僕は彼女のプライドを護る義務感が芽生えた。つまり、本棚でかまそうと決めたのだ。
まず、持ちうる限りの岩波文庫、講談社学術文庫、ちくま学芸文庫を並べた。リビングの本棚は小さいのですべて埋まった。
これは完全にかましている。素晴らしい。
そして、嫁に告げた。「ねえ、本棚を見てごらん?」
ふーむ。それならば趣味を少し加えてみよう。僕の場合、将棋と短歌がある。
将棋や短歌は需要が少ないので、名著と言われる本でもすぐに絶版になる。
絶版になった本は、定価千二百円ぐらいのものだが、神保町の八木書店やアカシヤ書店という若干お高い本屋で一万円以上出して買った事もある。嫁にはとても言えない大切な本だ。
本棚は五段に分かれているのだが、岩波文庫たちは下三段に押しやり、上二段を将棋と短歌で埋めた。
「うーん。そういうことじゃないんだよね。どうして分からないのかなあ」
なんだ。ぜんぜん分からない。
遊びをもっと入れた方が良いのか?
思い出せ、友だちの家の本棚を。
僕もマンガは好き。ああ、そう考えると結構気取ってたな。ああ、すみません。
でも、特攻の拓や、カイジや、三国志なんかは少し違うんだろうな。よく分からないけどきっと。
それならばと、一二段はSLAM DUNKとワンピースで、三四段目は将棋と短歌。五段目に岩波文庫と講談社学術文庫を並べてみた。
割と他人の家でまあまあ見かけるラインナップになってきた。
こんな感じで、結局正解が分からず、別の主観による決め付けが嫁の脳内に生まれてしまう結果となった。
本棚の見せ方について、言及しているひとを知っている方は教えて欲しい。
3年前、転職をしようとして受けたとある会社から「不採用を無かった事にしてくれないか?」との連絡が来た。
パソコン教室とケータイショップがメインの収益源である会社だが、俺はパソコン教室事業の方で面接を受けた。
バックヤードのシステム担当として面接を受けたが、俺も入社するのなら会社は存続して欲しいし、会社の収益増やせば給与も増えるので面接時に現状のパソコン教室事業をフルボッコにした。
このパソコン教室、巷へ大量にあふれる『パソコン初心者講習』と『MOS資格取得』が主軸のもので、俺はこれに対し「まあ10年以内には収益上げるのは難しくなるでしょうね。20年経てば探して見つけ出すのも難しくなるんじゃないですか?」と冗談めかして言った。
上記の理由はそんなに小難しいものじゃない。以下のとおりだ。
そして俺が付け加えた「むしろ既にMOS資格目的の若者とパソコン初心者講習目的の熟老年は減少傾向にあるんじゃないですか?」という俺の質問に対し人事担当者は「確かにその通りですが我々もいろいろ考えてます」という苦しい表情の中での返答だった。
それどころか、面接中にこの会社は「今後、介護事業へ進出しようと我が社は考えていますがどう思いますか?」と会社のWebサイトに載っていない情報を口にし始めた。
当然ながら俺はこの介護事業進出へ大反対をした。どう考えても将来は斜陽化する業界であるからだ。
この俺の意見に対し人事担当者はまた苦い顔をした。そして面接の場として利用されている会議室は沈黙になった。
俺は沈黙に堪え切れなくなり「いわゆるITリテラシーの上昇がほぼ確信できる状況なので、現状のパソコン教室、検討されてる介護事業よりもITリテラシー上昇に合わせた事業のほうが将来の収益を確保できるのではないですか?」と発言し以下のように続けた。
返答に窮した人事担当者はこの時点で「採用の可否は後日郵送を持ってお報せします」と面接を無理やり終わらせた。
あまりショックではなかった。というか正直な感情を示すのなら「採用されたらどうしよう・・・」という不安さえあった。
このどうしようとは、入社して思いっきり暴れ回り根本から会社を変える勢いで働くか、どう考えても上層部に脳無しが少なからず居る会社で本当に働いて良いのか?という迷いのどうしようだ。
不採用通知はこの迷いから開放してくれたので安堵してしまった。たぶん入社しても大変だったろうから。
いきなり電話がかかってきた。会社名を言われても直ぐには思い出せないくらいスッカリ俺の中では終わってた話だった。
電話先の人といくつかやりとりをしていく中で徐々に思い出し、完全に思い出した時「あの会社ですか!?」と思わず口にしてしまった。
そして俺は少し間を置いた後に言葉を発した。「いや、おかしいでしょ・・・」と。
人事担当は俺の面接をした人で「申し訳ございません。不躾なことをしているのは理解しています。しかし弊社を助けると思ってどうかお願いしたく」と物凄い勢いだった。
すると「実は当初予定していた利用者数より大幅に下回りまして・・・弊社よりも安くサービスを提供するデイケアセンターがいくつも乱立し・・・」とだいたい予想通りの返答が来た。
あまりにも予想通り過ぎたので「そりゃそうでしょ巨大資本が流入すりゃ価格競争になっていって体力の少ないところは価格競争で負ける」といじめてやった。
「えぇ・・・ですから増田さんの知恵を借りたく・・・3年前増田さんがおっしゃってた通りにどんどんなっていき、このままでは弊社は潰れてしまう未来しか見えない」と泣きが入ってきた。
俺は一切協力する気無いので「無理に決まってるじゃないですかボクもうしっかり転職して別の会社で働いてますし」と返した。
「そこをなんとか・・・」というので1つだけ知恵を貸してやった。「ボクがアドバイスできることは、可能な限り早くアナタはその会社から離れたほうが良いということだけ」と。
そして直ぐに電話を切った。
アン… アン…
先ほどから隣の部屋の方から女の声がしていた。字だけ見れば睦言を想起しなくもないが、実際に聞こえる声は色っぽくもなんともなく楽しくもない。
アン…
声がやんだ。こちらの声が聞こえたのだろうか、と思ったその瞬間。
また声がした。同じ女の声だ。そういえば隣の住人は女性ではなくむさい男性ではなかったか。
また声がした。女の声。隣の住人が出している声ではない。女性を連れ込んでいるのだろうか。
また声がした。「あまちゃんかよ」何気なしにつっこむ。
じぇーじぇー
先ほどより声が大きくなった。いったい何をやってるんだ隣は?
じぇーじぇー
また声が大きくなった。いったい何をやってればじぇじぇと繰り返すことになるのか。
じぇーじぇー
また声が大きくなった。さすがにありえない大きさに壁に向かってどなる。「うるせぇ!」
けらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけら
奇妙な笑い声が止まらない。たまらず隣の部屋に文句をいいに行くために外に出る。
外に出て隣の部屋の前に立つと、すでに不気味な笑い声はしていなかった。一応文句をいうか考えたが、発声者と顔を合わせたくないのもあり部屋に戻ることにした。
けらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけら
部屋に戻ると再び奇天烈な笑い声がした。舐められてる。再び隣の部屋に向かう。
ベルを鳴らす。声はしていない。反応もない。もう一度ベルを鳴らす。反応はない。「すみません、隣の部屋のものです。静かにしてもらえませんか。」反応はない。沈黙が不気味すぎた。部屋に戻ることにした。
けらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけら
また笑い声。笑い声?ふと、おもいあたったことがあり、つぶやいてみた。「じぇーじぇー。けら。女性誌かよ」
声が止まった。
しかし、日本の左翼は、日本の兵器開発には文句をつけながら、中国の無人機開発は完全スルー。そりゃ支持も集まらん。
日本の左翼は、自分達に支持が集まらない現状を「日本が右傾化してる」と嘆く。しかし、「日本の人権侵害は批判するが、中国の人権侵害(農村や少数民族、記者や人権活動家への弾圧)には沈黙する左翼」に支持が集まるわけがない。
実際、あの手のサヨクは日本の軍拡にしか文句付けないしな。日本がイラクやアフガニスタンに自衛隊を派遣したら「外国に軍を送ってはならない(キリ」とか言いながら、中国という「核兵器や原子力潜水艦、空母まで持ってるような国」が日本という外国の軍艦で踏み込めば完全沈黙。何ともわかりやすい。日本の左翼は、左翼というより単なるチャイニーズ・ネトウヨにすぎない。
いつもより上ずった声でおじいさんが炊事場のおばあさんを呼びに来た。
「あのぉ、ばあさんや・・」
おじいさんの様子がどうも違っている。普段はお茶でも薪でも耳が痛くなる声で叫ぶのだが、今日は視線も合わせず何か言いにくそうにしている。
「あの、もしよかったらでええのじゃが、あの、居間の方に、えっと、来てほしいんじゃが」
どうしたのだろう。こんなに遠慮したおじいさんを見たのはいつ以来か分からない。
「うん、まぁ、あの、良かったらじゃが・・うん、あの、いま来てもらいたいのじゃが・・」
「どうしたんですか、おじいさん」思わずおばあさんも訝しげに言う。
「いやぁ、まぁ、たいしたことはないんじゃ、あのたいしたことは、なぁ」
おじいさんの様子に戸惑いながらおばあさんも濡れた手を拭き、二人で居間の方に向かった。
「あぁ、すまんのう」と言うおじいさんの横顔は赤らんで、まるで乙女が恥じらうように目線がどうも宙を泳いでいる。
「それで、どうしたのですか、おじいさん」
居間に二人で座ったものの、おじいさんはどうも様子がおぼつかない。
「あぁ、えーっと、そのなんじゃ、うん」
左手の親指の爪を右手の親指で何度もなぞり下から上へ上から上へとおじいさんは繰り返している。
「あの、ほらまぁ、あのほれ、前からのぉ、ほらばあさんは、前からの、えっと、その前からの話なんじゃが」
おじいさんはずっと親指を凝視したまま誰に言っているのか分からない。
「ほら、あの、ばあさんは、ほら前から、子供がの、あの、ほしいと、えっと言っておったじゃろ」
「うんうん、そうじゃろう、そうじゃろう」
「それがどうかされました」
「あのぉ、それなんじゃが、えっと、のぉ」
相変わらずおじいさんは親指をなぞって、人差し指と中指の間ゴシゴシと指でなでたりしている。
「どうしたのですか、おじいさん、しっかりと言ってくださいな」
思わず声をあげたおばあさんに反応して、おじいさんはおばあさんの方を見た。
「えっと、それがの、あの、まぁその、ちょっとあれなんじゃが、ほら実はじゃ、あのほら、できたんじゃ、えっと何がかと言うと、あの、子供ができたんじゃ」
沈黙が二人の間にどれくらいあっただろう。
その沈黙を破っておじいさんがこう続けた。
「アハハハハハ」
「アハハハハハ、ヒィヒィヒィ、」
「プププププッ、コラ、ば、ばあさん!ばあさん!笑うでない!プープップッアハハハハコラ、、ばあさん、んぐ、ププププ」
「た、た、たけやぶ、アハハハハハ、ヒィヒィヒィwww」
「アハハハハハ」
「ヒィヒィ、た、た、たけやぶからこどもブァッハハハハハ」
麦の穂が風に揺れていた。
大気は温かな色合いを帯びていた。空は霞んで見えた。でも空気は透き通っていて、僕は空を眺めながらに、もし僕に口というものがあったのなら、溜息の一つでも吐いているところだった。
そして、彼女は、僕よりも十歩ほど先を歩いていた。
彼女は振り返らない。麦が折れて擦れ合う、ざわ、ざわという音だけが彼女の足取りを僕に伝えていた。僕の背は低すぎて、辺りに茂った麦のせいで、彼女のことを音で捉えるしかないのだ。
でも、彼女の足はどうやら停まったようだった。
そのまま、彼女の足取りは暫く静止していた。僕は、その沈黙に若干戸惑いを覚えながら、同じく立ち止まって、彼女が歩き出すのを待っていた。
やがて、彼女は再び歩き始める。でも、今度は先程とは方向が違って、どんどんと僕の方へと近付いてくる様子だった。
僕は空を見上げる。そして、そこに漂っている小さな雲の塊を見つめた。
そんな風にしていると、麦と麦の間を掻き分けるようにして、彼女が僕の方へと顔を出した。
彼女は僕を見つけると、にっこりと微笑んだ。そして、「行こう」と一言だけ僕に声を掛ける。
僕は頷く。
辺りに立ち込めているであろう麦の匂いを、嗅ぐことさえできない。
彼女は自身の笑みを、まるで光を発する生物が描く軌跡のように僕の視界に残して、再び正面へと向き直り、そして、ゆっくりとした足取りで、僕を先導するように歩いて行った。
僕は、心の中で、そっと一つ微笑みを浮かべた。
僕達はどこにも行けないのだ。それは分かり切っていた。
でも、僕は心の中で笑ってみせた。
僕達は上手く存在することすらできない。全ては、失われていたし、やがて、その失われていたことすら、失われてしまうだろう。
それでも、僕は彼女の足取りを追った。
ざあ、という風が一つ吹いた。
次のようなシーンを想像してみてほしい。
.「今どんなカード持ってる?次にどんなカードを出すの?次に何をするの?」
この質問にまともに答えたらアホだというのは誰でもわかる。
すべての自分が取りうる作戦を相手に教え、意図も何もかもさらけ出しながらゲームをプレイしては、恐らく勝てないからだ。
だから普通は、手札は隠してプレイするものだし、自分の意図をチームメンバー以外に事細かに説明したりはしない。
ところが、これが現実のゲームになると、とたんに事情が違ってくる。
あなたの強みは何なのか、何をしたいと思っているのか、そのために次にとる打ち手は何か・・・
逆説的だが「ゲームのような気軽な場とは違って、真剣な場では」これらは割と気軽に打ち明けられる。
もちろん、自分のやり方や方向I性をある程度開示することが求められる局面はいくつかある。
相手に投資して貰いたいときや、何か協力をして貰うときなどは、納得・共感して貰うために、地に足のついた、それでいて夢のある
しかし、特に相手が明確な競争相手である場合や、直接の競争相手ではなくても何らかの不利益を与えそうな場合には、戦略を事細かに語らない方がいい局面がいくつもある、と思う。
これはズルでもなんでもない。プレイヤーに与えられた正当な権利だ。
あなたが思い描いた夢を現実にしたいという本気度が高ければ高いほど、それを邪魔する可能性のあることは極力排除すべきだ。
先ほど、納得・共感して貰うためにストーリーを語ることが重要と書いた。
が、「ストーリー」はじつは「戦略」とは違う。ストーリーはフィクションだ。
仕事をしていて経験上感じるのは、多くの賢い-ずる賢いという人もいるかも知れないが-人間は、自分の本当の戦略や意図を隠して、協力や投資を引き出すために脚色したストーリーを語るのがうまい。
耳ざわりのよい、納得感があるワクワクするような「物語」の語り手なのだ。
アツプルはうまい。彼らは上場企業でありながら、戦略を語らない。
iPodが出来た時点で、appleがこれだけ大きなソフトウェアとハードウエアの囲い込みを目指していると気づき、適切な対抗手段をとれた企業は存在しなかった。戦略がわからなかったからだ。
彼らが語るのは、iPod^iPhoneなどの製品だ。戦争でいったら、武器がいかに優れているかを紹介しているだけだ。その武器でどこに攻め入ろうとしているのか、最終的に何をしようとしているのか、明らかでない。
彼らには既に多くの投資家もいるし、莫大な現金を持っているし、製品が売れていることを誰もが知っているから、戦略を語る必要すらないのだ。
普通の企業や、苦境に陥った企業が、今後の戦略を説明し投資家に納得して貰うことに最大の労力を払っているのとは大きな違いだ。
優秀な起業家は、非常に夢のあるストーリーを語り、消費者や投資家を共感・納得させお金を出してもらい、それを原資に巧みに本当にやりたいことを実現させていくものだ。
そして一方で、優秀な投資家・消費者は、その「物語」のどこまでがほんとうの戦略で、どこまでがデコレーションなのかを、うまく見抜いていく必要がある。
正直まどろっこしいのだが、ルール内で行われる限り、これらはビジネス・投資の世界で日常茶飯事に行われていることだし、やっている当人すらこれに気づいていないケースがある。
個人的にはこうした語り手的なプレイヤーを非常に尊敬している。自分にはなかなか、本当の戦略とそうでない戦略を分けて語るのは、ルール内の信義的にも難しいことだし、語るべき相手とそうでもない相手をより分けるのにも結構長い時間を要する。というかそもそも、戦略を立てるのも割と大変だ。
世の中優秀な人ばかりではないから、凡人は余計に気をつける必要があるのだと思う。
その相手に今、自分の手持ちのカードや行動をばらしていいのか。もしくは、相手が語っているその夢のある話は、どれぐらい相手の本心なのか。戦略を聞き出してもしかたがない。それが本当なのかどうかは時間がたたねばわからないし、本当に協力して貰いたい時は相手側から戦略を開示してくるものだ。
こうしたことをしっかりと見極めながら生きる力が、人間にはいつも求められてきた。
現代は、よりそれがオブラートに包まれて、見えなくなってしまっているけれど、そんなルールを分かっている人が勝利しているゲームなのだと思う。
664 :ソーゾー君:2013/12/01(日) 20:47:23 ID:R1w85J8c
国を売ると言うとんでもない大罪を犯してるんだぞ?覚悟しとけよ?
唯一の味方=仲間=同胞の歴史も伝統も文化も努力も財産も命も未来もお前達は売るんだろ?
そんな出涸らしのお前達を新世界秩序の連中=欧州の銀行家が重要視すると思ってんの?
売国奴は国を全て売った時に罪人として裁かれて殺される。
そうしなければ次の時代は訪れない。
利用されてただけと気付いて矛を探してもねーぞ?兵士?護衛?国を売ったお前に有るわけねーだろ?
売られた国民は買った欧州の銀行家の私兵としてお前達を狩るんだよ?
国を売る=力=権力も売ったのよ?何もないよ?
欧州の銀行家はお前達が欲しい訳じゃないの・・国=国民=力=権力が欲しいのよ?
少しは立場を理解しろよ・・お前達も大なり小なり努力して今の地位を手に入れたんだろ?
「何で苦労して手に入れた物を二束三文で売り払うの?」
だから俺はお前達を「愚か者」「とか「自殺願望者」と言うんだぞ?
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/10043/1378650618/l50
2週間ほど前、首をつって死んだらしい。彼は今年で30歳だった。今はただ悲しい。小学生の頃はいつも一緒に遊んでいた。家族ぐるみで海に行ったりしたこともあった。中学と高校も一緒で、地方のそこそこの進学校に通っていた。彼は成績が優秀で、よく学校の図書館で勉強を一緒にやって教えてもらったりもした。高校を卒業後、彼は旧帝大の法学部に進学して、しばらくは疎遠になっていた。それから大学卒業の数年後に、高校の同窓会の催す知らせを受け、疎遠になっていた彼のことが気になり連絡を入れた。すると、偶然住所も近いことが分かった。それならと久しぶりに会って話でもしようとメールしたら、返事は遅かったけど会うことになった。子供時代から優秀な面しか見てこなかったので、きっと弁護士や検事なんかになってるんだと、そう思っていた。カフェで待ち合わせして、自分は先に着いて待っていると、高校時代から少し老けたかもしれないけど、自分が以前から知っている姿の彼が後からやってきた。昔話や、大学でのことやその後どうなったかなど他愛のない話をするが、彼は相槌を打つばかりで、自分の話をしようとはしなかった。それを疑問に思い、彼のことを聞いてみた。しばらく沈黙の後、苦笑を浮かべながら、現在の境遇について語ってくれた。今は司法試験合格を目指しているということ、求職中であること、3回受験するチャンスがあるうち2回失敗していることなどを教えてくれた。この間一生懸命に聞くばかりだった自分に対して、何を思ったのかはわからないけど、苛立ちや、怒りのような振る舞いをするようになった。気づくと彼は泣いていた。自分の知っている彼はユーモアがあっていつも冷静だったから、衝撃的だった。明らかに情緒不安定になっていた。人の多いところで、お互いいい年した男同士が喧嘩別れの男女のように気まずくなり、この後に行く予定の場所があったが、それどころでない様子だったので、何かあったらまた連絡してくれとだけ言い残して、速やかに立ち去った。その数日後に悩みがあるならなんでも相談してくれだとか、求職中だと聞いていたので、知人の仕事を紹介したりもしたが、一切返事はなかった。そして、約1年後の今日、母から彼が自殺したと教えてもらった。あの時、逃げないでもっと、話を聞いてあげたらよかった。彼の助けになりたかった。なにもしてやれなかった自分に対して悔しいし、今はただ悲しい。
ここ数日中島義道と加藤諦三の本をまとめて何冊か読んでいたのであるが、読んでから自分自身かわったのかな?と実感しているところが3つある。
1つは相手の興味関心があるところへ、または相手が話をもっていこうとしているところへ自分も合わせて乗っていくやり方である。
これをやると何が違ってくるかというと、会話中自分の話したいことは全然話せないし、仮に今の話題(文脈レベル、文節レベル、単語レベルetc.で)に興味があったとしても次の話題になれば、今度はそちらに合わせなければならないということ。今自分が言おうと思ったことに固執するのではなく、それを気にするのでもない。面倒に思うのではなく、つまらないとイジけるのでもない。それよりも相手のペースを見つけること、つかむこと、そしてそのペースを乱さないことを心がける。つまり話の腰を折らないことを大事にした。
もしかするとこれを迎合と思われるかもしれない。でもちょっと違うと思う。なぜなら、やっていると気づくのだが、これが案外楽しいから。気負わず心地よい時間に感じたりもするから。これは元々迎合体質であった僕の率直な感想である。
本を読んでからというもの、僕にはこの態度が身についていた。身についていた、と言うのは自分からそうなろうと思ったわけではなく、勝手にそのように振る舞うようになっていたからである。本の影響であることにも違いない。
以前であれば、自分の興味のあるところでしか会話のキャッチボールをする意図がなかった。でもいつも自分の都合(好きなテーマ)で会話を推し進める訳にはいかないらしい。会話とは例えるとキャッチボールであり、相手が投げてきたボールはしっかりとキャッチしないといけないらしい。しかもちゃんと相手の胸元に投げ返さないといけないらしい。そしてこの「胸元に」というのがどうやらとてつもなく重要なキーワードであることに気づいた。
キャッチボールの基本は、相手の胸元にボールを投げ返すこと。いきなり遠投をしてはならない。それをすると肩(相手との関係・距離感)を壊してしまうから。キャッチボールをしたことがある人にとって基本中の基本であり、というかそれ以前に当然のことでもある。でもその「ボール」が「会話」となった途端、そんな当然のことにも全く気がつかなくなるから不思議だ。
キャッチボールでは、いきなり遠投(パーソナルな話題、自己開示メッセージetc.)をしてはならない。先程の肩を壊すからという理由に加え、相手がそのボールを取りに行ってくれなければそこで会話は終わってしまうから(遠投すればボールは遠くの方へ飛んでいってしまう。そのためキャッチボールの相手はそれを走って取りに行く必要がある)。身勝手な遠投を続けると、当然、相手からの反応はどんどん薄くなっていくだろう(相手はボールを取りに走らされる。その分だけ疲れるだろうから。もうこんな人とキャッチボールはしたくないと思うだろうから)。
自分の肩の強さ(例えばトーク力)をアピールしても、それが暴投(自己満足)になれば、相手にとっては迷惑なだけである。基本は、相手の胸元にきちんとボールを投げ返すこと。それをずっと続けて、少しずつ投げる距離を伸ばしていく。これが肩をならす(相手との距離を縮める)ということ。遠投をするようになっても相手の胸元を目掛けて投げることにかわりはないだろう。要するに、この話は実践面から言って「胸元に」を意識するというただそれだけのことだった。
お互い軽い会話もないまま、いきなりパーソナルな話題に突入してしまうことは危険かもしれない。これは早急に仲よくなろうとする人、すぐに告白したがる人、簡単に信用を得ようとする人にとって陥りやすい罠かもしれない。
試合前の練習では必ずキャッチボールから始める。いきなり試合を始める人はいない。でもそれが会話になると、それを当たり前に思っている人がいる。キャッチボール(2人の会話)もまともにできないのに試合(3人以上の会話)をして、当然負けるのだが、そのことに不満をもってしまう。試合に負けて自分は嫌われたかもしれないと不安に思う。そして徐々に試合をしなくなる。不戦敗を続ける。終いに野球(人間関係)をやめる。
僕はこれまでこの例え通りのコミュニケーションをしてきたようである。自分が興味のある話、つまり自分の胸元に来たボールしかキャッチしようとしなかった。だからといって自分からボールを投げる時は相手の胸元に投げ返すことなど全く意識したことがなかった。
そんなわけだから、この前の自分はいつもと会話の仕方が違っていて、あとあと考えると上記したようなことを無意識に気づいていたからかもしれないと思った。相手の胸元に投げる、そして投げ返されたボールはちゃんとキャッチする。そんな当たり前とも言える行為は思いのほか楽しかった。
2つ目は、無理に笑顔を作らないこと。笑う門には福来たるだから、いつもニコニコしていることは大事かもしれない。でもこれをやってても自分がちっとも楽しくない。ニコニコしていれば自然と嬉しい気持ちになるということは科学的にも正しいと、どこかで話を読んだような気もする。でもそれは嘘だと思った。
ニコニコ仮面をつけて本当の自分(本当の自分=情動:感情よりもう一段階深いレベルの何か存在的なものをここで想像する)を隠し続けるのは、人間関係を見かけ上うまく円滑に回すには役立つ。しかしそれでは本当にわかりあえたことにはならない。わかりあえない関係だから、それはつまり友達のようでいて友達ではない。具体的には、いざというとき(窮地を救うため相手が報われない犠牲を大いに払わなければならないとき)に助けてくれる友人が一人もいない状況になる。それにニコニコ仮面は疲れる。疲れるからあんまり人と関わりをもちたいと思わなくなる。これは自然な感情である。僕としては、顔がひきつってしまう自分が嫌だったから、まわりのニコニコ仮面の人たちを見ていて信頼できなかったから、自分はこの仮面を外したいと思った。(あっ、なんかこう今はニコニコ動画というのがあって、あれは動画にもよるけど、けっこう辛辣なコメントが書いてあったり、もうどうしようもないくらいの罵詈雑言が飛び交っていたりする。ニコニコ動画なのに。なんとなく現実もこれと同じかもしれないと思った)
そもそもなぜ僕はニコニコ仮面をつけるに至ったか。それはそのほうが得だからである。表面上誰からも嫌われない。安全に生きることができる。ニコニコ仮面はときどき空回る。ニコニコ仮面はときどき顔がひきつる。ニコニコ仮面は実はまわりの人を嫌っている。まわりの人が信用できない。だから社会的に評価が高いとされているニコニコという名の仮面をつけるに至った。仮面の下にある表情は増悪にみちているかもしれない。たまに素でニコニコした表情の人がいるかもしれない。その人は自然であるから、いつもニコニコはしていない。いつもニコニコするのは不自然である。そしてこれが仮面の特長である。
というわけで、なぜか突然、仮面を外したい気持ちになった。ニコニコ仮面を外せば、今までの自分が、表面上ではあるが、積み重ねた評価が一気になくなるように思った。だけどこれは幻想だと自分に言い聞かせた。
やったこと自体はすごくシンプルである。いつもニコニコすることをやめた。会話しているときも面白いと感じられたところだけ笑うようにしていた。誘い笑いもできるだけしないように気をつけていた。ばつが悪くても笑ってごまかさないようにしていた。とにかく、できるだけ笑うことを控えようとしていた。
結果、人との会話の中で、久しぶりに心から笑いあったような実感があった。ニコニコ仮面同士ではなく、どちらかというと素の会話ができるようになっていたんだと思う。とても面白かったのはニコニコ仮面をしていたよりも少ない会話数で、感情はより大きく動かされていたこと。共感するってこういうことか…それが懐かしかった。
3つ目は、沈黙を恐れないこと。沈黙の時間が続くのが怖い。自分がこう思うとき沈黙の意味は、つまり相手にとってあなた(自分)との会話がつまらないからであり、あなたとは気が合わないかもしれないということである。みんなから好かれたい自分とって、これは、これだけは何とか阻止しなければならない。つまり沈黙は一切つくってはならない。僕は必要以上に沈黙を恐れていた。友達との会話であれば、話が途切れないよう、いつも次の話題のことも考えながら話していた。
それくらいに沈黙を恐れていたのであるが、ある時、ふっと沈黙があってもいいと考えている自分がいた。そしてそれを素直に実行している自分がいた。そこで気づいたのは、沈黙がある種絶妙なスパイスのような働きをしていて、会話の本当の旨味成分を引き出してくれているのではないかということだった。
そういう沈黙があってもいいということを、ふと思わせてくれた(中島、加藤の)本だったと今にして思う。人に嫌われることを恐れるのは現実を逃避している証拠であるように感じられた。たぶん絶対何かしらの点では人から嫌われているんだろうなぁ、と素直に納得できた。自分もそうだが、いくら尊敬している人に会っても、いくつか欠点のようなものは必ず露出してくるだろう。それを見たときに感じる何かがあるはずである。嫌悪感や失望感もそうだろう。それを見てみぬふりをするのは簡単で、相手を信じようとする気持ちと言えば尊い感じがするけど、それがせいで人嫌いになったのではあまりに残念だと思った。
相手の100%を好きだと感じられ、それは将来においても変わらないだろうという考えは、例え確信があっても嘘だと思う。そんな友達は死んでもできない(と、僕は思っている)。一番自然なのは好きなところ50%嫌いなところ50%の配分だろう。そう言っても他人のことなんてよくわからない。そもそも表面上の意識で考えようとしてわかることは限られているのかもしれない。根っこにはもっと大きくて広い世界(無意識)があると思う。
もしかすると自分が「嫌いな人」に感じる成分配合は→好きなところ49%嫌いなところ51%、「好きな人」→好きなところ51%、嫌いなところ49%と、ほんとにそれくらいの違いしかわかっていないのかもしれない。それくらいのことで好き嫌いを分類しているのかもしれない。
これまでの僕は人の(自分のことも含めて)新しい一面を見ることを恐れていた。自分が誰かに失望してしまうことが怖かった。それが尊敬している人なら特に。そういうわけだから、ある程度仲良くなると自分から人を避けるようなことをしてしまっていた。よく初対面の人の方がむしろ円滑にコミュニケーションを取れると言っている人がいるが、まさにその状態だった。だがそれ(好きな人に対して失望を感じてしまうこと)はもう人付き合いをするうえでどうしても避けられないようである。だったらこの失望といかにしてうまく付き合っていくか。そもそも付き合っていくとすれば相手の(失望の)存在を認めるところから始めなければならないだろう。
これまで人を嫌ってはいけないという考え、信念(毒薬?)に頭をもっていかれていたように思う。今では人を嫌うことは自然な感情のように思う。むしろみんなのことが嫌いでもいい。嫌いだけど好きなときもある。そう思って暮らしていると自分も人から嫌われているんだなぁという、それも当たり前の現実が見えてきた。好きな人や尊敬している人からも、である。お互い様だったんだ。そう思うだけで気持ちは楽になった。仲がいいっていうのは、相手の嫌いなところはいっぱい知ってるけどそれと同じくらい好きなところもいっぱいあるし、自分もそうやって見られていることを素直に諦めたような関係だと思う。