はてなキーワード: 校正とは
自分は文章を書くとき、なるべく見てくれた人がほっこりする文を書きたいと思っている。
幸せになれる、は言い過ぎかもだけど、親身なレスポンスを貰えたらいいなって思いながら書いている。
読ませるというより読んでくれる文とでもいうのだろうか。
なるべく書き残すなら前向きな内容の方がいいと思って、そう心がけるようにしている。
経験則上、人や世間なんかに対してヘイトを綴ると、あとで読み返した時に気分が下がる。
なので、そういう文はさっさと流れたり埋もれたりするTwitterとかに書く。
どうしても書きたくなったら、怒りは抑えて最低限の内容のみを書く。
ただ、精神衛生上やっぱりこういった愚痴は書き残さないほうがいいとは思っている。
あと、思いつきや衝動に駆られるがまま文章は書かない方がいい。内容がめちゃくちゃになる(たんに構成力の問題だろうけど)
思いついた内容は推敲したり寝かせたりする。寝かせすぎると腐ってしまうので2週間以内くらいにはアウトプットするといいと思う。
批判する文章に反対というわけではなく、そういう話もあるだろうけど、前向きに受け取れることを書けないかと自分は考える。
幸せなアウトプットをする最大のコツは、幸せそうな人を周りに置くことだと思う。
いじょ!
夜店の出ない日があるから、気をつけてね!
あれって絶対、京都に対して超意識高い中学生っていないわよね!
私は京都行ったことはないけど。
さて。
増田はWEBの文章だから、紙の本とは違ってWEBの書き方がいいと思うの。
具体的に言うと、1行短くリズムよく改行していく感じかな。
なるほどーって思ったわ!
もうこの手のノウハウは書き尽くされてるから、もっともらしく真似して言ってみただけ。
どんなにがんばっても4コマ分の話の流れの描画が私の限界なのよね!
何気ない一瞬をいかにしてどうてんこ盛りまくるか!
何も考えないで勢いでバカ書いた方がハイ&ナイスレスポンスもらえたりして
でも、長い物語や話を書くのは超大変だと思う。
あんな壮大なことすら思いつかないし。
食べ比べてみると美味しい。
デパートになかなか売ってなくて3軒まわってやっと見付けたわ。
ドラゴンフルーツって言うくらい、
初めて食べるとき食べ方分からなくてどうしようかと思ったけど、
皮は意外とぺろんと剥けるわ!
果肉は白いけど赤いのもあってそっちの方が甘いんだって!
お試しあれ!
すいすいすいようび!
今日も頑張ろう!
夏風邪だよコンチクショウ。
京大の哲学屋、伊勢田さんの「人文学はなぜ必要なのか?」回答のブコメを読んでフト思ったんだが、
文系学問不要論って、文系出身者から出てて、理系側からは出て無いような気がするんだよね。
まあ、理系文系って括りもアレだが、俺は抵抗のカラーコードは全員読める系の大学に行ってた。
この「人文学はなぜ必要なのか?」って質問、工学屋も物理屋も物性屋もたぶんしないと思うんだよね。
だってさ、コレ「役に立たない学問を、大学でやる必要があるのか?」とホトンド同じ意味でしてるでしょ。
「国のお金を投入して学問をするんだから、必要性をアピールできて当然」という感覚も、同じような馬鹿っぽさがある。
こういう時、まあ理系のヒトはこう思うわけさ
「役に立つ/立たないの閾値は?」「必要性の定義は?」「何で計測するの?計測器の校正はどうするの?」
少なくとも卒論を書いたことがある理系なら、どんな単位であっても定義なしで使うなってのは叩き込まれてる。
計測には誤差がつきものだし、偶然なのか有意なのかは説明しなけきゃいけないし、紙上の理想と卓上の現実は違う。
だからさ、この質問を出されたら、理系で普通に考えられるヒトなら、きっと哲学屋とほとんど同じ回答になるんだよね。
例えばだけどさ、工学的に頑強で安く効率が良いからつって東京駅をビルとプレハブの集合体みたいにはしないだろ。
優雅さだとか雅さだとか、観光客を呼べるとか日本として誇れるとか、そういうの理系に求められても困るぜ。
いくら俺がゴリゴリの理系でも、日本国にカネが無くても、東京藝術大学潰したらマズイことぐらいは判る。
何でマズイかって言ったら、芸術は技術やカネじゃどうにもならんから。
でもさ、じゃあ京都大学大学院文学研究科哲学研究室って潰して良いのって聞かれて、それ判断できるの?
「ハッキリさせろ」というオッサンとかオバハンとか確かに居るんだよ。
まあ、居酒屋で話題になってめんどくせーなーとか思うくらいだけど。
日本国の運営に苦労されている国会議員の先生方は東大法学部出身が多いようですが、まずそこから潰してはいかがか。結果出してないんだし。
帰りの電車に乗り、着席してうたたねしていた。
はたと気がついたとき、私を取り囲んでいた人々が微妙に生温かく感じた。
彼らの身形や態度は普段は刺々しく、自分からはあまり近づかないようにしているのだが、今日はそんな人ばかりが周りに集っていた。しかも雰囲気が温く、なんだか馴れ馴れしいのだ。
異世界に飛んだら多分、こんな気分になるのだろうなと思う。
世界は何にも変わらないように見せて、それでいながら脳内ラジオのチューナーがこっそり別の周波数を選んでいる。
前もこんな体験があった。10年くらい前の、夏のこと。
あのときは気づかなかったけれど、多分私はあの日異世界に飛んだのだ。
なぜならその日から、ただの淡泊なイメージしかなかった世界は、敵意と悪意に満ちた汚いものへと変貌していったからだ。
去っていくものもいたし、ギラギラした眼で追いかける人も現れた。
私の存在を消そうと懸命になる者もいるかと思ったら、いつまでも忘れないように監視するものも、いた。
今日、自分の周囲の人々がまた一斉に変わったと思ったら、先程家から出たらいつも通りの空気だった。
絶望の中、なぜかとてもほっとした。
http://anond.hatelabo.jp/20150211201344
「編集者」とひと口に言ってもいろいろなタイプがいて、雑誌社で記者をやっている人が編集者を名乗っていることもあるし、雑誌編集部で編集長やデスクの使い走りしかやってない人や、編集プロダクション所属で実質はDTPオペレータという人もいる。書籍の編集者でも、作家様が執筆するような文芸書担当と実用書担当ではずいぶん仕事内容が違うし、漫画や写真集、辞書みたいな特殊ジャンルもある。さらに会社や個人によって仕事のやり方が違ったりするので、「編集者の仕事」を一概に定義するのは難しい。
ただ、あえて定義すれば「本や雑誌を作ること」で、ある程度抽象化した形でなら大まかな流れは紹介できるんじゃないかと思ったのでまとめてみた。以下は原則として版元所属の実用書系の書籍編集者の仕事を想定。文芸や漫画の世界はよう知らん。
企画は「思い付きを口走ること」でも「まだ世の中に存在しない何か」を探すことでもありません。満たされていない需要を探し出して、それを満たす商品の製作を計画することです。そのために常日頃から情報を集めつつ、有望なアイディアを見つけたら市場調査、著者候補をはじめとした関係者へのコンタクト、概要記述、目次案作成、仮タイトル考案、収支シミュレーション作成、プロモーションの概要計画作成などを行ないます。版元所属の書籍編集者にとっては、企画が一番重要な仕事です。
版元所属の書籍編集者なら、定期的に開催される「企画会議」で企画をプレゼンして経営陣や営業部門を説得して企画を進める了承を得ます。企画会議にかける前に編集部内で行なう編集会議にかけ、編集長の了承を得る必要があることもあります(書籍編集者は独立性が高いので不要のこともある)。企画を企画会議より先に進めるには、企画した編集者の過去の実績や根回しも結構重要だったりします。
本来は著者の仕事です。「てにをは」はもちろん、取材や権利処理も含めて原稿完成の全責任を負うのは著者です。本来は。しかし、実用書系の著者に商品にできるレベルの文章を書ける人はほぼいません。原稿は少なくとも再構成、場合によっては全面的にリライトしなければならないことがほとんどです。これを自身で行なうか、外部のライターなどに発注するかは編集者によります。刊行点数のノルマに余裕があり、著者が書けなければ企画をボツにするという編集者もいます。また、長年ブログを書いているなどと言って妙な自信を持っていてリライトなどに対して「一字一句変えるな!」などと言い出す著者もたまにいますが、こういう著者を説得(というか説教)するのも編集者の仕事です。言うまでもありませんが、たかだか2,000文字のブログ記事と、200ページ超の書籍のための文章はまったくの別物です。
原稿がある程度そろったら、紙面の形に組版します。版元所属の書籍編集者の場合は、ほとんどの場合外部の編集プロダクションへ発注します(単純な縦組みの文芸書などでは印刷所に依頼することもあるようです)。これらに関する価格交渉なども、編集者の重要な仕事のひとつです。
校正紙(組版された紙面)を目視で確認する作業です。校正紙を著者に送り、内容を確認してもらう「著者校正」もここで行ないます。修正の量にもよりますが、2~3回繰り返すのが一般的です。
装丁(カバーデザインなど)についても、外部のデザイナーに発注するのが一般的です。とはいえ丸投げで済むわけではなく、書籍の内容や競合の状況によってデザインの方向性を考え、それにそったデザインのできるデザイナーを探し、デザイナーに方向性を伝えるための資料を集め、文字原稿についてはすべて編集者側で用意した上で、デザイナーと複数回のやり取りをします。
組版や装丁の目処が立ち、ページ数も大体決まったあたりで印刷所に見積もりを依頼します。見積もりの額によっては、デザイナーに装丁の仕様変更を依頼することもあります。特色、UV、箔押し、型押しの使用は慎重に。必要な場合はここで印刷所に束見本(つかみほん)の作成を依頼することもあります。
ページ数が決まり、カバーデザインもほぼ完成したら、いわゆる「部決会議」(部数決定会議)にて部数、価格、発売日などが決定されます。営業部門などからの要望によって、タイトルやカバーデザインの変更を要請されることもあります。過去の実績や知名度によっては著者や編集者の無理が通ることもありえますが、これらの最終決定権は原則として資金的なリスクを負う経営者にあります。意見が通らなかった場合には、過去の不甲斐ない自分を恨みましょう。
部数や価格が決定したら、印刷所へのデータ入稿作業を行ないます。売上スリップやバーコードのデータを作成するのもこのタイミングです。印刷所からはプルーフや色校正が出てくるので確認します。ここでの確認漏れはそのまま印刷事故につながるので、売上スリップやバーコード、奥付などの最終確認は複数部署による回覧で行ないます。
入稿作業が終わると見本が出てくるのまで間に少し時間ができるので、著者との契約作業を進めておきます。契約書は出版社ごとに統一されているのが一般的で、タイトルや著者名、部数、価格などを書き込んで著者に送り、記名捺印したものを返送してもらいます。刷り印税がある場合には、支払伝票の起票などもこの段階で行ないます。編集プロダクションやデザイナーへの支払い手続きもこのタイミングで。
入稿作業後しばらくすると見本が届くので、まずは修正原本となる数冊を除いてから、著者をはじめとした関係者に数冊ずつ発送します。社内外へ見本を持参しつつ、挨拶をして回ることもあります。続いて雑誌社や有名ブロガーなどへの献本を行ない、書評を依頼したりもします。書籍編集者の通常の業務としては、これでひと段落ついたことになります。
書籍編集者が行なう通常の販促活動としては、いわゆる献本のほかにも、書店に配布する注文書の原稿作成などがあります。しかし、書店営業や広告に関しては原則として営業部門が主体となって行なうことになっていて、編集部側が勝手に進めることはできないのが一般的です。結果として書籍編集者が行なう販促活動は、営業部門のサポートや、著者によるイベントのサポートなどが中心となります。
実は世の中には間違いのない書籍というのはほとんどなく、それほど厚くない書籍の中にも複数の間違いが含まれていたりします。これを自分で見つけたり、著者や読者から報告を受けたときに記録しておき、増刷といったタイミングで修正するのも書籍編集者の仕事です。増刷時には、著者への報告や見本の発送、刷り印税なら支払伝票の起票といった作業もあります。さらに、刊行から時間が経ち、内容の更新をする必要がありそうな場合には、増刷の代わりに改訂版の刊行を企画することもあります。
以上です。改めて書き出してみると思っていた以上にやることが多かったと感じたのですがいかがでしょうか?また、原稿制作は重要であっても一部でしかなく、原稿さえあれば書籍が出るというわけではないということもおわかりいただけたかと思います。一般的な実用書の編集者は、この流れを同時並行して年間5~10点程度進めることになります。編集者が何の仕事をする人かという疑問解決の参考になれば幸いです。
http://anond.hatelabo.jp/20150211225021 とは別の編集者です。興味深かったので自分のお話も。
より具体的に言うと、「企画」「制作進行」の2つのフェーズがあります。企画はその名のとおり、どのような本が売れるかを調べ、内容の方向性やページ数、判型、大まかなページデザイン、大まかな発売時期、価格、部数、仮タイトルなどを決めます。それに合わせて著者やデザイナーを探したり、発注を行ったりもします(もちろん著者が先に決まっていて内容を詰める、というケースもあります)。著者が決まって発注を行う時点で、価格や大体の部数、予想収益などもある程度シミュレーションしておきます。
発注が完了したら、続いては制作進行に入ります。内容については発注段階で確定させておくのが原則ですが、当然ながら執筆を進めるに従って変わってくることもあるのでその辺りを著者と調整したり、進捗の確認をしたり、といった辺りが原稿を受け取る前の作業になります。並行して、デザイナーと相談して細かいデザインや表紙を詰めてもらいます。
原稿を受け取ったら、今度はそれをチェックしてデザイナーに送り、DTP作業を行ってもらいます。DTPレイアウトが終わった段階で校正に入り、校正の専門家にチェックしてもらい、その後チェック済みのものを著者に再チェックしてもらって適宜修正、問題なければそのまま印刷所に送られて印刷後取り次ぎに納品されて書店に並ぶ、という流れです。
ちなみに、これらの作業は大体3〜6本くらい並行して回します。1つのタイトルにずっとつきっきり、ということは(少なくとも弊社では)ないです。
文章を直すと怒る人もいるので、自分の場合修正は最小限にしています(日本語として間違っている場合は除く)。内容については基本的に著者を信頼しますが、気になったところは自分で調査する/専門家に問い合わせる場合もあります。とはいえ、原則として(監修を付ける場合を除いて)すべての部分を検証する、ということはありません。著作権等の確認も同様です。基本的には、著者が著作権を持たないものは使わない、が原則です。
著者が権利を持たないコンテンツ(主に画像など)を使いたい場合は相談していただければ可能な限り編集部で手配します。だいたいのものは(よほど法外なコストがかかるものでなければ)意外と使えたりします。
・インタビューなどに行く場合は、私が相手とコンタクトをとり日程を取り決める。出版社からは私と相手ふたりあわせて1000円のみ支給
著者が執筆を行うに当たって必要と判断して行う(取材の一環としての)インタビューについては、そのセッティングも著者の仕事、それにかかるコストは原稿料/印税に含まれる、という考え方が多いと思います。もちろん編集部主導でやる場合もありますが、その場合は場所代などを編集者が出すケースは多いですし、編集部から直接相手に謝礼を出す場合もあります。
・スケジュールは概要は教えてくれるが、タイトルやデザインをいつまでに決定すればよいかなどの詳しいスケジュールは教えてくれない
うちの場合は先にタイトルや大まかなデザインを決めてから発注しますが、ここらへんはケースバイケースでしょう。ただ、スケジュールをきっちり決めてもそれ通り動くことはほぼないので、曖昧な形でのスケジュール引きになります。
締め切りを設定しないと作業を進めてくれない著者もいるので、先に決めてしまうことが多いです。
・了承のないタイトル変更をされた
タイトルとデザインについては、基本的に著者には権限はほとんどないと思ってください(もちろん相談はしますが)。かといって担当編集者が独断的に決められるわけでもありません。営業担当者や編集者の上司やそのほか謎の要因などに影響されることが多々あります。
まず、この世界は基本決まった仕事の方法ってあんまりない。著者の数だけ仕事の進め方があるし、本の種類によっても全然違う。
で、基本的に読んでると、全部初期段階での交渉不足といえばそれまでなんだけど、、一応自分が思う一般的な話が参考になれば。
>・直してくれるのは基本的にてにをはのみ。それ以外も時々直してくれるがだいたい見当違いも甚だしい。これが一番キツかった。
もし修正がまずかったとしたら、これは単に編集者がダメ。なんだけど、書き慣れてない人からすると、
ここ直すの?っていうのに過敏に反応することもある。概して、よほど名前とスタイルの決まった著者でないかぎり、
校閲も編集者校正も一般的な言葉で分かりやすくしようとする。それが頭に来ることはある程度ベテランになってもある。
>・インタビューなどに行く場合は、私が相手とコンタクトをとり日程を取り決める。出版社からは私と相手ふたりあわせて1000円のみ支給。(珈琲代にもならない。相手への謝礼は?)
これもケースバイケースだけど、基本的にやって欲しければ自分から頼むべき。
例えば英語が必要とかで編集者が分からない、というなら、外注でもいいからやらせるべき。
>・スケジュールは概要は教えてくれるが、タイトルやデザインをいつまでに決定すればよいかなどの詳しいスケジュールは教えてくれない。
タイトル、デザインは結構最後になりがちで、スケジュールは常に曖昧。
重要視するのであれば先に話をしておいて、最後は必ず確認させてください、と話しておくべき。
>・書き終わってないのに出版日を次の月に勝手に設定されていた。こういうのは書き終わってから設定するものじゃないのか。
これも進行の相談を無視してのいきなりの設定だったとすれば、編集に非があるけど、普通先に相談しない?
ちなみに出版社は出版スケジュールというのが決まっていて、ある程度先が見えたら最後は強制的に出版日を設定して、
>・了承のないタイトル変更をされた。
これも先に話すことだけど、確認なく勝手にやったなら非常識だな。
>・表紙のデザインも提案した物とはかけはなれたもので決定された。
これも本の内容・種類によるけど、こだわりがあるなら書き始める前に先に伝えて表紙も含めてやりたいと
話さないとだめ。
>・執筆内容の信憑性を裏付けるためにいろいろな人に確認してくれるなんてことはなかった。本ってこんなに主観に満ちたまま出版されてるものもあるんだなと思うと少し怖い。
よほど学術的な本でないかぎり、「いろいろな人」に確認をとるなんてことはあまりないよ。
何の本か分からないけど、三流出版社の裏社会系とかそんなのじゃないか?
読んでるとそんな感じがする。
やはり知り合いがその界隈に居ると人間言葉には気をつけるものなのだなあという
当たり前の事を思いつつ、あえてツッコミにツッコミ返す方法で、
実際のところを書いてみたいと思う。
個人的には、最後の「仲良くなる」部分が一番難しいと思うので、
そこをボカしてあるところを切り込んで欲しかった。
話が噛み合って無いんだよね。
写真撮影について書いてるんじゃなくて、ガールハント(死語)についての指南な訳で
こういう言い方はあんまり良くないと思うんだけど、
カメラマンとして正しければ正しいほど、女性と仲良くなるという当初目的からは遠ざかる。
だから、釣り記事だとツッコムなら、最後のゲット(死語)前後にフォーカスして欲しかった。
まず50mm単焦点 vs 85mm単焦点の説明で顕著に出てるんだけど、
いろんな理由があるんだけど、一番の理由は中望遠でメーカーが人物撮影向きにチューニングしてるのが85mmだから。
モデルさんを撮影するときに、ほどほどに遠くて、声掛けしやすい程度に近い。
じゃあデメリット無いじゃんって思うかもしれないけど、実は人物撮影向きがデメリットになる。
最短でピントがあう距離が長い。Nikonで大体0.8mくらい。
中望遠とは言え、広角程は歪まず、望遠ほど離れてもいない。
そこそこ万能型なんですな。で、最短撮影距離が短い。だいたい0.5m以内。
Nikonは撮像面から0.45mくらいだから、まあ椅子に座ったまま飯の写真が撮れる距離感だね。
ワリと素人がお外でお花撮ろうと思うときには最適な距離感だったりする。
で、コスプレ撮影でのポイントなんだけど、そんなに離れて撮らないんだよね。
何灯も焚いてモデルさんを撮影する時は、大抵はそこそこ広い場所で撮る。
これは女性と仲良くなるのが目的な場合の「相手を褒めながら撮る」って時には重要なポイント。
腕を伸ばせば届く距離まで近づいて、女性の目にピントを合わせられたら、それはかなり親密だよね。
85mmだと(レンズの性能的に)そこまで近づけない。どうしても1mぐらい離れて撮ることになる。
例えば、卒業アルバムみたいな写真撮影は、カメラマンの背後に1灯、右斜45度後ろに1灯が鉄板。
でもね、覚えてるか判んないけど、あれ、何回か撮影したあと、目がチカチカしたでしょう?
そう、ストロボは「撮影される側」には眩しいんです。撮影する側には関係ないんだけどね。
何でもそうなんだけど、機械ってのは実は信頼性が一番重要なのね。
思った時に思ったとおりに動く。この信頼は地道な積み重ねだけが築く。
というわけで、普段から飯だの花だの撮って、慣れた画角で撮れるというのは凄く大きい。
褒められりゃ嬉しいし、意見があれば参考になる。
でもさ、オヤジとかオカンをどんなに綺麗に撮ってもTwitterに流せないっしょ。
だから、カラーチャート(色校正見本)持ってもらうとか、どんなに撮影的に正しくても論外。
写真館に来る娘さんなら、露光計で何度か試し撮りしてから、はい本番です、なんてのは喜ばれる。
そういう空間で、そういう「儀式」に参加すると、やっぱりテンション上がるのよ。
で、コスプレ撮影に来る女の子は何が嬉しいかって言うと、やっぱりコスプレなのね。
「『私のコスプレ』を綺麗に撮ってくれる」というのがテンション上がるポイントになる。
だから「その服のシワ伸ばそうか」よりも「○○のポーズしてもらえない?」の方が良いわけ。
つまり、はてなの「艦これの金剛っぽいポーズでスマホを持っていただけませんか?」が正しい。
で、屋外撮影時でも屋内撮影時でも、パッとレフ当てて撮影できるってのは、「本格派」っぽいのよ。
バシャバシャストロボ炊く連中が多い中、スマートに撮影して、しかもちゃんと写ってればより良いわけ。
じゃあ、撮影した後、こんな感じって一緒にプレビューを覗きこむチャンスが有るのは重要だよね。
次に、仲良くなる為に足繁く撮影会に参加して会う機会を増やすんだよね?
そういう女性はSNSを使うし、カメラの名前もググれば、Exif情報だって見たりする。
(逆に、等倍に拡大してゴミを探したり、目にピンが来てないことに文句言ったりはしない)
というわけで、機材に金をかけることはそれなりに有効なハッタリのかましかただったりする。
撮影技法的に正しいポートレイトを撮りたいなら、85mmで家族相手にストロボ撮影に慣れるのは近道。
でも、女性と仲良くなるのが目的だったら、その下準備から含めて50mmストロボ無しの撮影に慣れとくのが重要。
どんな写真でも、上手けりゃちゃんと賞賛はされるのよ?(2chの蛾の人を観よ)
でも、やっぱり食べ物とか花ってのは、手軽に練習できてかつ女性ウケが良いのは間違いない。
(ペットも鉄板ではあるんだけど、そもそも難しい上にマンネリになりがちで、万人には薦められない)
というわけで、地方旅行に行って新聞記者扱いされたいならF5買ってストロボでも良いけど、
スマートかつ相手に負担をかけずに撮影して、女性と仲良くなるのが目的なら元記事は悪くない。
元記事は別に詐欺だったり悪質な技法じゃないので、そこスタートで写真趣味の人が増えれば嬉しい。
あと、カメラ本体とレンズが売れればメーカーにお金が入るので、事業継続してくれるのです。
銀塩趣味の連中なら判ってくれるだろうけど、ワリと切実に新規参入者は重要なのです。
だからみんなモテるからフルサイズ機を(ちゃんと新品で)買ってね!
http://hagex.hatenadiary.jp/entry/2015/02/06/114607
今、某分野で2位のページビューを持つサイトに記事を書いているけど、元いた紙の出版社より格段に校正制度が整ってなくてつらい。
編集担当は最初はちゃんと見てくれているって思っていたけど、それがだんだんざるになり、最近は理由のわからない書き替え、さらに自分が出した文より誤字が増えている有様。
中身と誤字脱字のチェック、どちらが重要かと言えばそりゃあ中身だとは思う。間違っているのも自分だからあまり文句は言えない。
でもぱっと見で誤字があると中身の信ぴょう性も疑われるものでは。自分だったら絶対中身も疑う。媒体の信頼度にも関わることだろうに、編集長までが堂々と誤字脱字ありのまま掲載している。
以前、小さなウェブ媒体の人に「ウェブ媒体で校正がある」って言ったら本気で驚いていたことがあって、確かによほど体力のある会社じゃないと校正にまで手が回らないんだろうとは思ったが。
某社でディレクターやってんだが、昨年の6月くらいにパンフ制作で提携会社の名前をミスったまま納品しちまった。
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校正は予算が無いからクライアント側ですべてやるっつう案件で、
俺はその点は先方に丸投げしてまったく気にせず目についた誤字だけ適当に直してた。
これでOKっすね?間違いないっすね?って入稿・納品。
案件を忘れかけてたつい先日、先に書いた提携会社の名前のミスが発覚した。
提携会社からの信用が無くなるとか社の威信にかかわるとか言ってくる。
おたくら校正の予算がもったいない、たいしたページ数でもないからこちらで全部やるって言ってたよな?
ミスがあったのは残念、今後ともどうぞヨロシクで押し通したが、胸糞悪いわ。
次の日に、おそらく先方の校正担当であったろう社員から電話がきて、
今後このようなことが無いようにするにはどうしたら良いか?と聞かれた。
餅は餅屋っすよ…。
http://anond.hatelabo.jp/20141128102439
jsとIPの方の調査がお見事だったので、便乗して自分がテキスト読み込んで気になった点を。
結論から言うとこのテキストは政治家もしくはその身内が書いたものだと8割くらい確信してる。
日本は、技術者、研究者、経営者は世界のトップレベルだと感じますが、政治家はそれらに比べてひどく質が落ちるという感じは否めません。
記者質問の場で人目を憚らず号泣したり、大臣でもあった有名女性2世議員の政治資金をめぐる対応を見ても、その質の低さを痛感いたします。
ここの結び。
これって、書き手が政治家自身じゃないと筋が通らない文章構造なわけ。
あと、「痛感」って自分の身が痛いってこと=反省しているときによく使う言葉、だよね。
つまり
を直訳風に書き直すと
「自分は、身内の質が低いことについて、あなたに対し反省し恥じています」
「政治家である自分は、同族である政治家の質が低いことについて、あるじたる国民のあなたに対し反省し恥じています」
となる文なわけ。
謙譲語って「身分の低いわたし」から「身分の高いあなた」つまり書き手と読者が別集団に属する場合に使用する言葉で、「国民が国民に呼びかける」って文の建付けと、真っ向から対立しちゃう。主語を意図的に省略した文を書いたのに、いつもの「有権者様に対してへりくだる癖」が出たとしか。職業病だね。「政治家カテゴリ」に野々村議員も小渕議員も筆者も含まれる&議員は常に客体である国民より下の身分というタテマエが刷り込まれているため、こういう書き方になる。これも主語サイズ問題の一種。
納得出来ない人は逆のケースを、もうちょっと一般的に考えてみよう。
あなたが同僚に対し、買ってきたケーキがまずかった話をするときどう言うだろう。
「ケーキの質が低いです」または「ケーキの質の低さが際立ちます」くらい?
「ケーキの質の低さを痛感いたします」とはまず言わないでしょ。
じゃあケーキ店オーナーが、実食した自店舗のケーキがまずかったことを客に詫びなければならない時は?
半信半疑だった自分が「あ、これ決定的にあかんやつかも」と判断した最大のポイントはそういうこと。
2カ所目は
誰に入れていいかわからないのは、政治家が政治への関心を持ってもらおうとする努力を怠っているということの表れでもあります。
弱いけど、「痛感いたします」を踏まえた目で見ると傍証として。
「政治家が政治への関心を持ってもらおうとする努力を怠っている」という言い方は、やはりあまりに書き手が政治家側に寄りすぎている。「もらおう」謙譲語、「努力を怠っている」わがこととして反省しすぎ。
一般人が書くなら
「政治家が政治への関心を呼び起こそうとしなかった怠慢の表れ」
くらい?
上記2つの論点以外の+1としては、全体に「てにをは」が滅裂&説明不足の慣用句多すぎという、文章の素人っぷり。
これは、自己主張やアピールによって、政治的リーダーになることが原則の民主主義においては 、「能ある鷹は爪を隠す」「沈黙は金」といった風潮の我が国では 、どうしても優秀な人材が後ろに控えてしまう傾向があります。
↑「は」何回使うねん。
そんな慣用句知らん。カーライルは「この国民にしてこの政府あり」と書いたけど。渡辺美智雄は言い間違えて「この国民にしてこの議員」って言ったんだって?
(ちなみにこういう言い間違いは、ネット探偵の重要な手がかりだったりする)
グローバル化する世界で 、国家間のせめぎ合いが増してゆくなかで 、国内外において、外交、経済にとどまらずあらゆる分野において優秀な政治家の必要性は、ますます高まってきています。
↑「で」何回使うねん。
あと「国内外において、外交、経済」は「国内外において」が不要だし、「代々の政治家系の世襲議員」とか重複表現が多すぎる。
これテキストをちゃんとしたライターが書いてたら、絶対にリテイク食らうレベル。
つまりそれがないってことは、書いたのはずいぶんと偉いひとっつーかクライアントの直筆なんじゃねーの、という(サイトの社長直筆テキストとかにありがち)。+1のこっちはこじつけ感もあるけど。
そんな時、様々な媒体から情報を集めて来てそれらをある程度纏める。
それを作成時に各枠内に当てはめて自ら校正し修正作業を行い登録する。
問題は、こういったカテゴリーには、株式会社はてなの専用IDなるものが存在し、
彼らは自らの仕事と称して様々な作品をはてな記法を駆使しつつ編集している。
その中で明らかな暴挙を行う事もある。
当該キーワードを着飾って行く。
しかし、この一連の作業が無に帰す時がある。
ある専用IDは自らそのアニメ作品を編集して、最初に編集されたキーワードを
削除申請を通じて削除し、自らの編集キーワードに取って代えるのである。
言い換えれば、他人の褌で相撲を取るが如く所業で相手の権利を盗み、あたかも
この事について、筆者は以前当該IDをはてな運営に訴えたが、その当該IDが罰せられる事はなく、
この事で筆者は確信を持った。
筆者は、その事を身を以って知ったのだが、その後は当該IDに当たり障りのないように
この事から学んだ事は、はてな会社専用IDに対して何が起こっても刃向わない事である。
運営に削除申請されたキーワードがはてなメッセージを通じてやって来た事を知った時は、
そうでなければ、あるいは筆者よろしく抗議でもすれば、途端にIDが凍結されてしまうかもしれない。
今はてなキーワードの編集者TOP10以内には多かれ少なかれ、これら専用IDがランクインしている。
もしも彼らを見る機会があれば、何も触れない方が身のためである。
いきなりの予防線で申し訳無いがこれはネット自体大した用途に使っていない糞厨房が垂れ流した文章であり
またその下流として普段はほぼ触れてないここを選んだのも
長文が叩かれないダストシュート、という条件に引っ掛かる印象が頭のどこかにあったからってだけなので御理解頂ければ嬉しい
勿論ここでいう「ネット」は社会を支えるインフラであるそれというより
今でいうSNSをはじめとする「ネットを使った情報コミュニケーション」ということになる
それでも残念ながら自分がその全体像や歴史について知っているとは言い難いので、
単純に「終わった」が出てくるシチュエーションを挙げよう
色々考えてるとこの2つに纏まった
まず
今ならこの文句を九割九部否定できるだろう
検索結果に出てくる単純なコピー,ブックマークサイトについてはここでは言及しない。そんなのに汚されっぱなしのGoogleが悪い。
ではソース元にちょっと手を加えて掲載し、莫大なアクセスを稼ぐあのサイトは?
SNS,ブックマーク,大人気アプリ、どこでだってそれらを目にする
今更一次ソースがどうこう言うつもりもない。だが現状はあまりにも受けとる人間の多さや報酬に対して
圧倒的に責任が欠如しているのではないか
ネットを振り返っても責任がまさしく現実のそれとして通った事例は明確な法律違反以外で存在しただろうか?
これらからの逃避はネットに向かうに当たって大きな矛盾として立ちはだかることになると思ってる
まぁそんな感じっす
始めは皆の意見が見えるように思えたネットでのやりとりも、利点が肥大化と一緒に大きな短所になって
既存媒体の別ver(○○電子版)ぐらいにしか今後ならないんじゃないか って話をしたかった
全く紐解けず校正も全くしないまま書く気が失せてごめんなさい。
ありふれた話題ですがもしよければ誰か体力のある方この話題翻訳,拡大してもっとちゃんとしたかんじになおしてしてくれるとうれしいです
そこでちょっと、最後、時間の残りが少しずつなくなってきているんですが、録音反訳の話、先ほども御説明の中で最高裁の方からいただいたんですが、私も不案内なんですけれども、何か最近、電子速記「はやとくん」なんていう、えらいかわいらしい名前の機械、速記反訳システムというソフトが開発されているようです。「「はやとくん」をご存じですか?」なんていうチラシもあるんですけれども、名前の由来までは私承知しませんけれども、これも、名古屋の元速記官の方がこういうシステムソフトを開発されて、聴覚障害者等々の訴訟、裁判参加にも役立っているというふうなことが結構書いてあるんです。
実際、テープで法廷のやりとりを反訳するというのは難しいでというのは、実際その反訳を請け負っている業者の方からも出ているらしいんですよね。というのは、事件の内容が、記録もないからわからへんわけですし、裁判の専門用語もいっぱいあるわけです。そうなるとやはり、立ち会いメモぐらいはもらえるらしいんですけれども、ほとんどそんなの役に立ちまへんのやという話も聞いています。それで、不明な箇所を書記官に問い合わせたら、不明は空白にしておいてくださいよというような調子でやっているそうです。
そういう意味で、書記官からも、テープの反訳について疑問の声というものを私幾つか聞いています。テープによる録音反訳でしたら、当然のことながら反訳者は法廷に立ち会ってへんわけですから、やはり不正確な文書をつくってくることが間々あるそうです。私も速記のことはよくわからへんのですが、見ましたら全然意味の違う文書が出てくるらしいですね。
そうなると、今度はその校正のために書記官がえらい時間を費やすことになると。これは二度手間なんですね。そうなると、書記官さんだって本来の仕事に支障を来すことになるんじゃないか。いや、そんなことはありませんと言いたいんでしょうが、そういう指摘があるという事実については御承知されていると思うんですが、そういう現場からの録音反訳の精度的な問題を指摘する声を踏まえたときに、この「はやとくん」、こうしたものを実際速記官が自主的に、六割以上が自費で購入して使ってはるらしいんですよ、だったら、こういうのを併用しながらやれば十分対応できるんじゃないでしょうか。この「はやとくん」の使用というのはお認めになっているんでしょうか、みんな使ってはるらしいですけれども。その点、いかがですやろか。
○中山最高裁判所長官代理者 まず、録音反訳方式について種々問題点が指摘されているという御質問でありますけれども、録音反訳方式を利用するに当たりましては、反訳者に対して聞き取りやすい録音を提供するために、特別な録音システムというものを法廷に設けまして明瞭な録音の確保に努めているほか、今御指摘ありましたように、反訳を依頼するためには、証拠調べに立ち会っている書記官が、立ち会いメモ、これは必要に応じて書証とかあるいは準備書面の写しも添付いたしますが、それを作成し、録音テープとともに反訳者に送付して、反訳書の作成に必要な事件情報を提供しているところでございます。
また、この録音反訳方式によって作成された調書はあくまでも書記官の調書でございますので、書記官が必ずそれを自分の責任において考証するということからも、その内容を見ることは当然必要でございます。そのあたりのところは、職員団体の方からも、この録音反訳方式を導入する際に、書記官による検証というものを必ず守ってくれ、入れてくれ、こういうふうにも強く言われているところであり、最高裁としてもそれを当然のこととして受けとめてやっているところでございます。
現実問題として、録音反訳方式でするとそういった正確性が問題になって控訴審等で破られている事象があるかどうかというようなことを見ますると、そういうものはございません。したがって、精度としては非常に良好に推移しているというふうに考えているところであります。
次に、「はやとくん」のことでございますが、これは聴覚障害者の裁判参加に役立っているというようなお話でございますが、この聴覚障害者の方々の裁判参加がどういう場面を想定されているかということによってもこれは大分違うことになります。例えば証人として聴覚障害者の方が来られた場合に、それを「はやとくん」のシステムを使ってディスプレーを見せるということ自体、これは実は通訳ということになるわけでありまして、それは速記官の本来の速記の職務とは別物ということになるわけであります。したがって、そういうものを利用するに当たっても、訴訟法上、そのあたりをどう正確性を担保していくか、だれがそれを見ながらやっていくのか、そういった問題もあるわけでございます。
ただ、「はやとくん」は利用するといたしましても、これも前々からこの法務委員会で御説明申し上げておりますけれども、もともと速記官の制度というものは、昭和三十七年に労働科学研究所というところに最高裁の方から依頼して、どのくらい打鍵ができるかどうかということを調べたことがございました。その結果、週二時間、月八時間ないし十時間しかできないということでありました。そういうようなところを踏まえ、「はやとくん」を使用したときにこういった八時間ないし十時間というものが飛躍的に伸びていくのかどうか、そういったような問題ももちろんあるわけでございますが、その辺については、職員団体あるいは速記官の内部において一致した考えはない、むしろ考え方は相当異なっている、そういう状況にあろうかと思っておりますので、「はやとくん」を入れることによって一遍にいろいろな問題が解決するということにはならないというふうに考えております。
○植田委員 いや、私、後でそれを聞こうと思っていたんですが、まず、実際に六割以上の方が使っておられて、それで、なおかつそうした「はやとくん」の使用について、実際それを導入することが正確な、迅速な裁判につながるかどうかは、それは議論の余地はあるんでしょう、いろいろな見解があるんでしょう。現実問題としてみんな使ってはるということは、とりあえずその使用を黙認なさっているんですか。お使いになる分には結構ですよということで、特に、いいの悪いの、けしからぬのけしからなくないのということは、別に見解としてお持ちじゃないということでいいわけですね。
○中山最高裁判所長官代理者 たしか五八%の速記官の方々から、「はやとくん」を使いたいという、そういったものが当局の方に出されておりまして、それは許可されているということで承知しております。
○植田委員 要するに、六割近く希望して許可されているということは、非常に使い勝手がよくて業務の遂行に資するものだということは、当然その点については認知をされているということですよね。そんな、まずかったらあかんと言えばいい話でしょう。
まあ、一応聞いておきましょう。
○中山最高裁判所長官代理者 最高裁判所として「はやとくん」の有用性をどうこうということではございませんで、本人がそれを使いたい、それが速記、要するに記録を残すという意味で別に支障にはならないということから許可しているものでございます。
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/154/0004/15404100004008c.html
○小林(千)委員 それで、実際のこの速記がどのようにとられているかということをお伺いしたいんですけれども、実は、私も初めて、先日、実際に裁判所速記官の皆さんがとられている速記の方法というものを見せていただきました。このように目の前で速記官の方が国会の中でとられている手で書く方式とはちょっと違うようで、速記用のタイプライターみたいなものを打って、言葉をいわば記号化するそうですね。それで、その記号を見てそれを日本語に直す、このようなやり方で裁判所の中の速記方式はとられているというふうに見せていただきました。
この日本語に直す方式なんですけれども、従来は、その打った記号を見て直していたわけなんですけれども、その中で、速記官の方々の努力により、自分たちでソフトをつくり上げた、「はやとくん」という名前らしいんですけれども、これにより、パソコンでその記号というものを日本語にいわば翻訳する、こういった作業をできるようになった、こういったことを速記官の方みずからが自分たちで研究をして新しいソフトを開発したというふうに伺っております。
そして、もう一つは速記用のタイプライターなんですけれども、官から支給されているといいますか指定されているタイプライターではなくて、ステンチュラというアメリカから輸入された機械を使っている。そちらの方の機械は、それぞれの人の手に合わせて微調整ができるようになっている。例えば、打鍵の重さですとか、打ち込む深さですとか、手の体格に合わせた間隔も調整をできるようになっていて、キーのタッチも軽いということで、体にかかる負荷というものは大変少なくなっている。こういったステンチュラという機械と「はやとくん」というソフトを使って速記録をつくられている方が多いというふうに伺いました。
しかしながら、この「はやとくん」というソフトも指定外ソフトということで、この「はやとくん」の研究開発についても、自分たちの勤務時間外の時間を使って、いわばプライベートの時間を使って、仕事に対してのことに時間を費やしている。それにかかるお金もすべて自分たちで自腹を切って行っている。その「はやとくん」も、認められていないソフトなので、支給をされているパソコンにインストールすることができないから、それを使うためには、自分の、私物のパソコンを持ち込んで使わざるを得ない状況になっていると伺っています。
また、そのタイプライター、ステンチュラなんですけれども、これも、アメリカのメーカーで、そこから自分たちで輸入をしている、約四十二万円ぐらいかかると言っていました。四十二万円、仕事のために出費をするんですから、自腹を切って、これは大変大きな負担だと思うんですよ、私は。
このように、自分たちで自助努力をしながら、仕事にかける情熱を持って勤務に当たっている、事務の改善に対して大変大きな努力をなさっていることに対して、私は大きな敬意をあらわさなければいけないと思っているわけなんですけれども、最高裁の方は、何で、とても有用な「はやとくん」ソフトを今インストールすることを認めていないんでしょうか。そして、このような速記官の方々の努力というものをどのように認識されているのでしょうか、お伺いをいたします。
○中山最高裁判所長官代理者 裁判所では、現在、例えば全国の裁判所をつなげるJ・ネットというシステムをつくっておりますし、あるいは全庁でLAN化を進めているところであります。
先般の内閣官房の情報セキュリティ対策推進会議でも、各省庁の情報システムの脆弱性というものが指摘されましたが、その最大の要因は、内部ネットワークに個人用の端末をつないだり、ソフトを入れることにある、そういったところは非常に慎重に考えなければならない、こういうようなところでございました。したがって、今後こういったシステムを全国展開するに当たって、相当慎重な配慮というものをしなければならないのが一つであります。
それからもう一つは、もともと「はやとくん」は、名古屋の遠藤さんという速記官の方が開発されたというものでありますけれども、NECの98のパソコンをベースに最初になされ、その後DOS/V、それからウィンドウズということで、いわばマイクロソフトがいろいろ変えてきた、そこに合わせてOSを合うように変えてきたというわけでありますけれども、裁判所の方も、その間、実は、MS―DOSからウィンドウズ三・一、ウィンドウズ95、98、そして二〇〇〇、XP、このように進んできているわけであります。そういった中にそれまでのOSに基づくものを入れましても、それはなかなか一緒に稼働しないということにもなりますし、また、そのソフト自体をインストールした場合には、そのメンテナンスを一体どうするのか、あるいは、ウイルスチェック等でいろいろ問題が起きてきた、やはりソフトの相性というものがございますから、システムに影響を及ぼしたときにそれはだれが責任を持ってやるのか、こういったところの問題も非常に難しいものがございますので、この辺の保守管理体制が整えられて初めて認められるということになるわけであります。
このようなシステム上の制約から、私用ソフトのインストールについては、これは慎重に対応しなければならないということを御理解いただきたいと考えますが、速記官の執務環境の整備については、職員団体からも非常に強い要求が出てきているところであります。きょうも後ろに私どもの職員団体である全司法の委員長がしかとにらみに来ておりますけれども、そういうような職員団体の意見も十分聞きながら、できる限りの努力をしてまいりたいと考えております。
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/159/0004/15903120004003c.html
裁判所の職員の中で、速記官の皆さんの問題について質問をいたします。
昨年の質問の際も、今の裁判でも、そして将来の裁判員制度の下でも、速記官の皆さんの技術や意欲を大いに生かすべきだということを求めました。その際に、速記用の反訳ソフト「はやとくん」のインストールを官支給のパソコンにもできるようにするべきだということを求めたんですが、十二月に実現をしたとお聞きをいたしました。その経過について、まず御報告をお願いします。
○最高裁判所長官代理者(園尾隆司君) 通称名「はやとくん」と言われております反訳ソフトは、速記官自身が開発したものですので、これを官支給のパソコンにインストールするには、当該ソフトが裁判所内の標準的なシステム環境に影響を与えないということについて検証を行う必要がございましたが、昨年六月にこの検証を実施するということを決定いたしまして、全国の速記官の意見や執務の実情等を踏まえて検証対象とするソフトを特定いたしました上で、十月に検証実施に着手いたしました。
検証の結果、「はやとくん」ソフトが裁判所の標準的なシステム環境に影響を与えない旨の報告書が提出されまして、インストールについて問題がないということが明らかになりましたので、十二月上旬にそのインストールを許可したものでございます。
○井上哲士君 私、これまでは、この「はやとくん」の有用性について検証すべきだということを質問いたしますと、そういう今おっしゃったようなセキュリティーの問題があるので有用性の検証ができないんだっていう御答弁をいただいてきたんですね。
今の経過でいいますと、セキュリティー等の問題についてのみ検証をしたということになりますと、この有用性っていう問題は、局長は地裁時代にもごらんになっているんだと思いますが、その速さ、正確さっていうことについてはあえて検証するまでもない、有用性が高いと、こういう判断だということでよろしいんでしょうか。
○最高裁判所長官代理者(園尾隆司君) 速記官は、この「はやとくん」ソフトを自ら開発いたしまして、それからその改良ということにつきましても様々な努力を重ねておるというところでございますので、その有用性につきましては、速記官が自らがそのような使用形態を取っておるというところから、言わば外から見て観察をして検討しておるということでございますが、その点も踏まえまして今回のインストール許可ということに踏み切ったというわけでございます。
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/162/0003/16203290003007c.html
この法案については、私も昨年もここの委員会でこの法案改正について質問をさせていただきまして、ことしも同じ質問を実はしなければいけません。というところに、毎年やっているところに根本的な問題があるのではないかなというふうに思っているわけでございます。
昨年は、この日切れ法案の中に裁判所法の一部改正というのもありまして、そこの中で裁判所の速記官の方々のあり方というものが問題になっておりました。これは、平成九年のときに裁判所の速記官の養成というのが事実上一時停止というふうになっておりましてから、毎年毎年、この日切れが出てくるたびに法務委員会で議論の種にもなっている問題でございます。
昨年、この質問をして以降、最高裁の方では、速記官の方々が独自に開発をされた反訳ソフトの通称「はやとくん」が、昨年の十二月にインストールが許可されたということを私も速記官の方から伺いまして、本当に速記官の方々の自助努力というものが職場の中で報われたなというふうに、よかったと思っております。
つきましては、昨年質問をいたしました答弁につきまして、何点か確認をしておかなければいけないところがございます。
このように、裁判所速記官の皆様は御自身でさまざまな自助努力をしながら仕事に携わっていらっしゃるわけでございます。そのような速記官の方々の執務環境の整備につきまして、昨年、整備についてはできる限りの努力をしてまいりたいというふうに御答弁をいただきました。昨年から一年間でどのような環境整備が行われたのか、そして、これからどのようにさらに取り組んでいかれる予定なのかを御質問いたします。
○園尾最高裁判所長官代理者 昨年の通常国会において御質問を受けて以後、現在までの間に検討いたしましたことの中で最も大きいのは、ただいま御指摘のありましたいわゆる「はやとくん」ソフトを裁判所の業務用パソコンにインストールすることを許可したことでございます。
「はやとくん」ソフトは、ただいま御指摘のありましたとおり、速記官がみずから開発をしまして、その上に、ステンチュラという機器もみずからの負担で購入をして業務に使っておるということでございまして、これについて裁判所のパソコンで使いたいという強い要望があったわけでございますが、裁判所の業務用システムのソフトに悪影響を与えないことが確認されていないということでそれまでは認めていなかったわけですが、昨年秋に専門業者にソフトを Permalink | 記事への反応(1) | 23:38